未来・第325号


            未来第325号目次(2021年9月2日発行)

 1面  感染爆発で入院不能 広がる命の危険
     横浜市長選で惨敗 民意喪失の菅は退陣を

     具志堅さんハンスト報告 大阪集会
     遺骨を辺野古に埋めるな

     アフガニスタンへ軍事介入するな
     日本軍派兵を弾劾する

 2面  2015年日韓合意が「慰安婦」問題の解決になるはずがない
     和田春樹、内田雅敏氏ら8人の3月24日「共同論文」の問題点

     辺野古行動 防衛省前行動

 3面  金白順さんの告発から30年
     日本軍「慰安婦」問題の解決のために
     石川由子      

     〈投 稿〉
     違いを超えた共闘によってのみ拓かれる道
     旧優生保護法による不妊手術被害者裁判敗訴(8月3日神戸地裁)
     結井達     

 4面  菅政権を倒す今秋総選挙闘争
     2012年体制=安倍・菅政治を終わらせよう

     維新・自民と闘う市民
     演劇ホールの廃止・別利用進める伊丹市

 5面  今秋総選挙闘争勝利のために(1)
     大阪北部・兵庫東部の選挙区と立候補予定者

     兵庫8区 つじ恵の訴え
     国民の安心・安全を延命に利用する菅内閣
     山本太郎代表を首相に、世直し政権交代

     サウナで辞任の維新市長が再出馬 8月末池田市長選

 6面  ミャンマーの人びとの命をかけた闘い
     アジア人として座視できない

     投稿
     狭山草の根スタート
     弁護士講演会に参加して
     兵庫 小川幸三

     投稿
     8月15日 反靖国行動
     誰も責任をとらない五輪の構造
     東京 稲城二郎

 7面  論考 パレスチナ問題への接近 田中和夫
     反シオニズムは反ユダヤ主義ではない(下)

     第39回 世直し研
     ジェンダーを考える(下)
     〜女性解放運動の歴史と現在

 8面  マルクス 「資本論」に学ぶ(2)
     利子産み資本とは何か(上)

     (シネマ案内)「グンダーマン 優しき裏切者の歌」

     カンパアピール

           

感染爆発で入院不能 広がる命の危険
横浜市長選で惨敗 民意喪失の菅は退陣を

菅の地元で惨敗

8月22日投開票の横浜市長選で、菅首相が全力で応援した小此木八郎前国家公安委員長が、開票前の午後8時に落選が決まる惨敗を喫した。菅は小此木彦三郎元通産相の秘書として政治生活を始め(横浜市議、衆議院神奈川2区)、小此木の息子・八郎を子どものころから知る関係だ。小此木は衆議院議員当選(神奈川3区)後は菅の弟分で、昨年の自民党総裁選では菅選対の責任者を務めた。
カジノ推進の市長・林文子の敗戦必至と見た小此木は、カジノ反対を掲げ閣僚を辞任し立候補。自民党横浜市連が分裂するが、菅は「俺は八郎」と支援表明し、菅を先頭に官邸秘書官や河野・小泉ら閣僚を投入したが、野党候補の山中竹春元横浜市大教授に大差で敗北した。
選挙の争点は当初はカジノであったが、東京五輪開催強行によりコロナ感染が首都圏で大爆発、神奈川県はこれまでの最大数の2倍の2000人を超す感染者となり、菅が応援すればするほど「コロナ失政=菅」のレッテルが小此木に貼りつき急速に支持を減少させ、開票前の敗北を喫した。
これにより、9月12日に緊急事態宣言を解除し、17日の自民党総裁選告示前に解散総選挙という菅の戦略は破たんした。小此木は横浜市全18区のうち17区で山中に敗北。これでは菅さえ当選がおぼつかない。横浜だけでなく全国で「コロナ=菅失政」の怒りの声は充満しており、9月解散・総選挙となれば2009年の政権交代すら招来しかねない。
しかしそれでも菅は「解散権」を手放さず政権延命を狙っている。また防衛白書にみられる対中国シフトの日米同盟強化・単独でも戦う志向を強め、アフガン政権崩壊の中で、目的と実施内容を公表せぬまま自衛隊機を派遣した。これを許してはならない。

国会閉会中も全国各地で「菅ヤメロ」の行動は続く。写真は毎月第2第4土曜日の梅田解放区

感染拡大続き、10万人を超す自宅待機者

コロナ感染者・陽性者数は東京五輪強行により爆発期に突入し、連日2万5千人規模に。ほとんどの都道府県が過去最多数を更新。このため入院できる病院が無くなり、酸素吸入を必要とする中等症でも入院できず、自宅待機者が首都圏で10万人を超し、連日死者が発生し医療体制は崩壊している。オリンピック選手村を隔離・療養施設に使えという声や、体育館を野戦病院型の施設にの声など聴く耳を持たないのが、菅や小池東京都知事らだ。
また恣意的な緊急事態宣言の延長で、中小商工業者はその都度商売の目安が立たず、補償金は遅れ、塗炭の苦しみの中にある。6月の延長は五輪開催前にし、9月12日までの延長は自民党総裁選日程がらみと見抜かれている。延長時の記者会見は開くたびに信用性を喪失し、誰も菅の訴えに耳を貸さない。五輪開催の非は認めず、パラリンピックも強行。パラでは小中学生を強制的に観戦動員しようとしている。修学旅行や運動会は中止・延期でも、国家的威信のかかった五輪は強行。人々の生活の上に五輪や政権が君臨しているのだ。

打つ手なしの菅は退陣を

菅政権にはもはや内外する困難に対処する資質はない。10月21日の衆院議員任期切れを待たず直ちに退陣すべきだ。ワクチン接種にわずかな望みをかける菅政権が延命すればコロナ禍の死者は増すばかりだ。中国敵視、アフガンへの自衛隊機派遣、クーデターを起こしたミャンマー国軍との癒着、原発再稼働や沖縄辺野古新基地建設はやめない。国会や官邸を包囲する行動、衆議院選への大衆行動、ネットでの批判を拡大し、菅政権を1日も早く退陣に追いこもう。

具志堅さんハンスト報告 大阪集会
遺骨を辺野古に埋めるな

武道館前でハンストをする
具志堅隆松さん(8月15日)
ハンスト報告大阪集会は会場満杯(8月22日)

8月22日開かれた、STOP! 辺野古新基地建設! 大阪アクション7周年集会で、沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表で、8月15日に日本武道館前でハンストをおこなった具志堅隆松さんが講演した。
2009年那覇市内、真嘉比でおこなわれた遺骨収集の記録写真を具志堅さんは示しながら説明した。もともと米軍基地の一角で、開発できず取り残されていた地帯で、当初沖縄県に断られたがやっと遺骨収集ができた。それまでは、沖縄県は遺骨収集は終わっていると言っていた。遺骨収集をやるようになって、自分の足元の問題と再認識した。1カ月間、7千平米で170余体の遺骨を収集した。
作業は横一列で手作業で堀り進めていく。激戦地であったので、砲弾がよく出てくる。磁気探査から始める。2・5×6mで230個の砲弾破片が出てきた。沖縄戦での(米軍の艦砲射撃を)「鉄の暴風」というのはオーバーではない。
砲弾の弾帯の破片、105ミリりゅう弾砲の破片、60ミリ迫撃砲(ロケット弾)、米軍の手りゅう弾とピンなどの遺物で近距離接近戦がおこなわれたこと、アメリカ軍の攻撃の形態がよくわかる。日本軍の陶器の手りゅう弾などを示し、金属が足りなくなり釣鐘なども供出。「戦争が無理とか考えなかったか?」と問い、「思いもしなかった。口にしたら、憲兵が飛んできてえらい目にあう」という話を紹介。戦争を続ける(2面下段に続く)

アフガニスタンへ軍事介入するな
日本軍派兵を弾劾する

菅政権は、アフガニスタンへの軍事介入を決定し、8月23日〜24日にかけて空自輸送機3機が出発した。派兵部隊は陸自中央即応連隊100人以上を含む数百人規模。日本人関係者はすでに他国航空機でアフガニスタンから出国しており、いまさら不要で、これは「避難者救出」に名を借りた軍事介入であることは明白。政府は何の目的で、何をおこなうのか、明確に公表していない。しかも現地新政権の了解を得ていない。「国際法上は問題ない」と開き直っている。日本政府は軍事介入をやめよ。(8月26日記)

2面

2015年日韓合意が「慰安婦」問題の解決になるはずがない 和田春樹、内田雅敏氏ら8人の3月24日「共同論文」の問題点

8月14日は「日本軍『慰安婦』メモリアルデー」、金学順さんが日本軍「慰安婦」被害者として初めて公開証言をおこなった日だ。1991年のその日から30年を迎えた。日本軍によって性奴隷にされ人生を奪われた金学順さん、「『慰安婦』は、民間業者が軍とともに連れ歩いていた」という日本政府の虚偽答弁に怒りを抑えられず、長い沈黙を破って立ち上がった。この時に、「私はこのことのために今日まで生きてきた」と語ったように、学順さんは、病いを押して、73歳で亡くなるまでの6年間何度も日本を訪れ、裁判闘争や数々の証言集会、国会前での抗議行動など、あらゆる行動をおこなった。それから多くの「慰安婦」被害者たちがそれに続いて自ら決起し証言した。
そして被害者たちは毎週、ソウルにある日本大使館前での水曜行動をはじめ、日本での証言集会や多くの行動に参加。姜徳景さん、吉元玉さん、金福童さんなどのように、アメリカ、ヨーロッパで国際的な諸行動をとおして、世界的な人権活動家への飛躍をとげた方々も出てきたのだった。
いま「慰安婦」問題は、国際社会では戦時性暴力・性奴隷制問題と認められ、女性に対する重大な人権侵害・人道に対する罪としてはっきりと認識されている。
しかし、当の加害国、安倍・菅政権は、「河野談話」をも実質的にないがしろにし、被害者の要求にまったく応えず、それどころか、2015年日韓合意で「慰安婦」問題すべてを「最終的・不可逆的」に終わらせ、この重大な問題を「なかった」ように扱っている。

和田春樹氏ら8人が「共同論文」

今年3月24日、「慰安婦問題の解決に向けて 〜私たちはこう考える〜」とする「共同論文」が発表された。石坂浩一、内海愛子、内田雅敏、岡本厚、鈴木国夫、田中宏、矢野秀喜、和田春樹氏という著名な8人が署名しており、彼らは2019年の声明「韓国は敵なのか」の世話人でもあった。その後、この8氏は、7月18日に「慰安婦問題、いかに解決するか」というシンポジウムを主催したり、8月14日には「日韓関係の現状についての私たちの見解」などを表明している。
また内田雅敏氏は、「2015年合意を慰安婦問題の終局点ではなく出発点として、解決に向けての努力をすべきです」などと新聞で発言している。
しかし、それらの基調ともいえる3月24日「共同論文」を決して認めることはできない。
この「共同論文」は、2015年の「日韓合意」をもって「慰安婦」問題の解決にという論調であるからだ。日韓の「合意の精神」を基礎に日韓両政府の話し合いを進めることを提案するなどとしている。そもそも、日本軍「慰安婦」被害当事者を排除してなされた2015年12月28日の日韓の政治合意のどこに「歴史認識と謝罪の流れを一歩進める側面があった」のであろうか!「共同論文」は言う。「2015年の合意は、たしかに不満が残り、不十分なものでした。しかし、そこにはこれまでの歴史認識と謝罪の流れを一歩進める側面があったことも見逃すことはできません。このよい側面を生かし、さらに補充し、高めていくほかに問題解決の道はないのではないでしょうか。…」
「共同論文」では、1993年河野官房長官談話や95年「アジア女性基金」と村山総理談話をもって、これらを「保守的な政治勢力が強い中で行われた、戦後民主主義派の努力の結果」と言い、そして「オバマ米政権の両政府への仲介、後押しもあって、ついに2015年11月の日韓首脳会談で早期解決の合意がうまれ、12月28日の日韓外相会談で解決案に合意し、共同の記者発表がなされました。」と書いている。
共同論文は、この日韓合意には「これまでの歴史認識と謝罪の流れを一歩進める側面があった」と言っている。これまで日本政府は「道義的責任」と言い続けていたものを、「道義的」という修飾語を抜いて政府の「責任」と明言したこと、アジア女性基金での「償い金」が一般市民の募金からであったが、日韓合意では「日本政府の予算」によって拠出されたことを評価するというのだ。しかし、この国家予算からの10億円については、日本政府・岸田外相が「賠償ではない」と強調している。もとより被害者が求めているのは、日本政府の法的責任と被害者への公的賠償だ。それを公然と否定するものが「歴史認識と謝罪の流れを一歩進める」ものではまったくないことは明確だ。
そして日韓合意では、「慰安婦問題は最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」、「韓国政府とともに、国連など国際社会において互いに非難・批判することはさしひかえる」と確認がなされた。それは「日本は謝罪をしたのだから、これ以降は問題にするな」ということであり、問題を「なかったことにする」ことだ。加害者が「問題は最終的に解決された」と言ったのだ。加害の歴史を繰り返さないために、加害の事実と向き合い、それを伝える歴史教育をはじめとする様々な措置を講じること、そうした加害側の責任を一切無視し「これで一切はもう終わった」としているのがこの「日韓合意」であった。
このように、日本軍「慰安婦」当事者をまったく無視し、当時の安倍と朴槿恵両政権が政治的に「合意」したのがこの日韓合意であった。

平和の碑

日本政府による「平和の碑」撤去

また共同論文では、日韓合意で確認されたソウル・日本大使館前の「平和の碑(少女像)」撤去問題にまったく触れていない。日韓合意では、韓国政府は「平和の碑」について、「適切に解決されるよう努力する」こと(=碑の撤去)を約束させられた。さらに他の国での記念碑や像についても支援しないことも確認させられたのだった。「平和の碑」は、日本大使館前の水曜デモ1000回目を記念して2011年に設置され、日本軍「慰安婦」の事実を未来世代に伝え、戦時性暴力の根絶をめざし、世界の平和を願う象徴として設置された。それを撤去させることは、日本は被害者への謝罪をするどころか、日本軍が犯した戦時性暴力である日本軍「慰安婦」問題をなかったことにすることそのものだ。
その後、安倍・菅政権は「日韓合意は国と国との約束だ。これを守ることは国際的かつ普遍的な原則だ。韓国側が一方的にさらなる措置を求めることは、全く受け入れられない」と言い続けている。加害の国の責任者が傲然と居直り続けているのだ。こんな「日韓合意」を「歴史認識と謝罪の流れを一歩進める側面」と位置づけ、「これを前提に『慰安婦』問題の解決を」と論じている共同論文、こんな論文は絶対に認められないであろう。

辺野古抗議 防衛省前行動

防衛省前でアピール

8月2日、東京・防衛省前で「辺野古新基地建設の強行を許さない! 防衛省抗議・申し入れ行動」がおこなわれ、多くの市民が参加した。7月30日に沖縄県が防衛省によるサンゴ移植が高水温や台風の時期を避けるという許可条件に違反しているとして移植許可を撤回し、2日当日は防衛省が行政不服審査法に基づいて農水相に取り消し請求をすると発表していた。この日の行動ではこれを徹底的に弾劾するとともに、玉城沖縄県知事による辺野古新基地設計変更不許可決定時に首相官邸前で緊急行動をおこなうことが呼びかけられた。

3面

金学順さんの告発から30年
日本軍「慰安婦」問題の解決のために
石川由子

1991年8月14日、韓国の日本軍「慰安婦」被害者の金学順さんが初めて名乗り出て日本政府を告発した。実名で顔を出して堂々と「自分は生き証人」と語るその姿は衝撃を与えた。これまで日本軍慰安所の存在を語られることはあったが、きちんとその犯罪性について見据えてこなかったからだ。その年の12月金学順さんは、東京地裁に損害賠償を求めて提訴し、証言集会を開くために来日した。
「機内の窓から外を見ますと、赤い日の丸に似たもの(鶴が羽を広げて丸くしている日本航空のマーク)が目に入ったのです。それを見た瞬間、50年間私の人生をめちゃくちゃにしてきた日本に対する思いが一気にこみあげてきて、胸をしめつけるような感じがしました」(「金学順さんの証言―『従軍慰安婦問題』を問う」 解放出版社)。
彼女の勇気に励まされるように韓国、朝鮮民主主義人民共和国、台湾、中国、インドネシア、フィリピン、オランダと長い沈黙を強いられてきた被害者たちが次々と証言を始めた。日本軍の性奴隷制問題を闇に葬ることなく、日本政府の責任を問い、真相究明を訴えた糾弾は連帯への呼びかけでもあった。

謝罪・賠償しない日本政府

多くの被害者の告発により、これまで嘘と欺瞞をくり返してきた日本政府は調査を開始し、その結果を93年8月「河野談話」(慰安所の設置や管理・運営に軍の関与や強制性を認め、「お詫びと反省の気持ち」を表明)を発表した。しかしその後具体的な謝罪や賠償をしないまま、95年「女性のためのアジア平和国民基金」(以下、「国民基金」)を設立した。これは和田春樹氏、上野千鶴子氏などが始めた民間で集めたお金を被害者に送る「民間基金運動」を政府がやるという内容で、被害者たちの自らの解放をかけた闘いを金銭要求に矮小化する、侵略企業が基金にお金を出すことで終結をはかり、被害者の中に分断を持ち込むものだ。そもそも「公的謝罪と賠償、被害者の人間としての尊厳の回復、戦時性暴力の再発の防止、歴史人権教育の徹底」という被害者の要求を踏みにじるもので、金学順さんはこの国民基金にもきっぱりと反対意見を述べた。

民間法廷で有罪判決

国連では「クマラスワミ報告」が出され(96年2月)、「サンフランシスコ条約等は戦時性奴隷だった者によって提起された請求を含まず、日本政府はいまだ国際人道法の違反による法的責任がある」と戦時性暴力の犯罪性を明記し、かつ日本政府による「国民基金」を批判した。各条約で戦時性奴隷制が不問に付されたのは、これらもまた女性差別に貫かれていたからである。
金学順さんは体調を悪くしながらも世界に向けて日本軍の戦争犯罪を血をはくように訴え続け、97年に亡くなった。73歳だった。その後その意思を受け継ぎ、2000年、「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」という民間法廷が日本で開かれた。韓国、中国、アジア諸国、オランダなど多くの被害者も困難な中かけつけた。ここでは戦後裁かれることのなかった戦時性暴力を戦争犯罪と認定し、昭和天皇ヒロヒト有罪を確定した。
世界中の女性たち、特にアジアの女性たちの力を中心にして勝ち取った「ヒロヒト有罪」の意義を、私たち日本人は重く受けとめなければならない。なぜなら日本のフェミニズム運動は戦前から一貫して、アジア侵略・天皇制に屈服してきた歴史があるからだ。婦人参政権獲得運動は天皇制国家への参加要求だった。戦争中は高群逸枝や平塚らいてふ、市川房江などは積極的な天皇主義者として戦争に加担した。戦後天皇の戦争責任を問わないことで自分たちの責任を覆い隠した。また戦後日本の反戦運動は「女性は戦争の被害者」としてしか描いてこなかった。

戦時・紛争下の性暴力根絶

日本軍「慰安婦」問題がつきつけているのは、植民地侵略・民族差別の問題であると同時に性差別だ。戦時に便乗して兵士がレイプができるのは、植民地差別・民族差別と、日常的な女性差別意識があるからこそ可能なのである。
一方で性被害を告発することは並大抵のことではない。性被害という究極の人間性の否定によるトラウマ、女性差別を内面化しているがゆえに性被害を自ら恥として受けとめてしまう意識、さらには社会からの偏見というスティグマ(刻印)と闘わなければならない。
2015年、安倍政権は「最終的かつ不可逆的な解決」と朴槿恵政権と日韓合意を結んだ。しかし被害者たちの名誉と尊厳の回復どころか、心の傷を深めるものだった。文在寅政権によって事実上白紙と化している。慰安婦を象徴する少女像は東ベルリンのミッテ区など世界に広がっている。韓国の康京和外相は「紛争下の性暴力撤廃、生存者中心のアプロ―チ」と世界に訴えている。 「慰安婦」問題の解決はまさに現代の#Me Too運動とつながっているのだ。

〈投 稿〉違いを超えた共闘によってのみ拓かれる道
旧優生保護法による不妊手術被害者裁判敗訴(8月3日神戸地裁)
結井達

判決後、正門前で抗議する人々(8月3日、神戸地裁)

私が常に大切にしてきたことは2つ。国の都合でマイノリティとされた人の苦しみを簡単にわかったと思うのは愚かなこと。しかし、わかろうとし続けること。
こんな日本でこんな世の中でごめんなさい。
鈴木由実さん。あなたは奪われた。トイレに行くと赤く染まる下着を見て戸惑う経験を。生理用品を買う恥ずかしさや生理痛も。「裁判に訴えたのはお金が欲しいからではない。裁判を起こしたら普通の生活はできないかもしれない。私が手術をしたことを知って、(自分に)どう声をかけたらいいのかわからない。とまで言われた」そうだ。「これから長い闘いになると思う。障害者の後輩にこんな思いをさせたくない」。判決後の彼女の言葉は胸にせまる。「人間扱いされてこなかった」。被害者達はずっと「普通」を生きさせてもらえなかった。
小林喜美子さん・宝二さん、生きていれば61歳になるお子さんを国により殺されてしまった。被害者は国に経験を奪われた。子への授乳やおむつ交換、夜泣きに苦しめられる経験。子と動物園や遊園地、プール海水浴に出かけることも。反抗期に悩むことも。パイプ椅子に腰かけ話す小林喜美子さんは小さくなってその手話語りがテーブル越しだと見えないこともある。ご夫妻ともに89歳。
足腰も弱くなって、お子さんに頼りたかっただろう。宝二さんは常に喜美子さんに申し訳ないという気持ちが滲み出ている。自分の知らない間に夫婦の母親同士の決断で、妻が妊娠中絶や不妊手術をさせられたことに。あなたは決して悪くない。どうか自責の念をといて下さい。
原告の苦しみや怒りを小池明善裁判長、三浦康子および山口大輔裁判官は感じとれたのか、原告のつきつけに向き合い、その胸に彼らの痛みを受け止めたのか。民の人権を守るその最後の砦となる司法機関が国にすり寄ってどうする。正とは多数派を正とするのではない。仙台、大阪、東京、札幌、名古屋に続いて右へ倣えの判断を下すとは自己防衛も甚だしいぞ。自分が楽になる理屈を探してかき集めた判決とその判決要旨。
最後の付言は許せない。「旧優生保護法の優生条項が日本国憲法に違反することが明白であるにもかかわらず、同条項が半世紀もの長きにわたり存続し、個人の尊厳が著しく侵害されてきた事実を真摯に受け止め、旧優生保護法の存在を背景として、特定の疾病や障害を有することを理由に心身に多大な苦痛を受けた多数の被害者に必要かつ適切な措置がとられ、現在においても同法の影響を受けて根深く存在する障害者への偏見や差別を解消するために積極的な施策が講じられることを期待したい」。真摯に受け止めるのは誰かはっきりさせろ。施策を講じられる? なぜ「誰によって」なのかをはっきり言わないのだ。
被害者の心の傷を再び割いて塩をぬったのは紛れもなく神戸地方裁判所第2民事部裁判長・裁判官あなた達なのだと自覚せよ。あたかも被害者に心を寄せたかのよう見せるこの付言に私は怒りが沸点に達した。
国は民が暮らしやすいように環境を整えたらいいのだ。ふるいにかけることに躍起になったのはなぜだ。戦後にできた優生保護法という恥ずかしく愚かな法律。裁判官よ、国が作りしこの法律のために心を切り刻まれた人々に心を寄せたら棄却などという酷い判決を下せないはずだ。権力にすりより甘い汁を吸わせてほしいのか。
原告は高齢化が進み一刻の猶予もない。私は被害者達に心を寄せ闘い抜きたい。それなくしてこの国の将来はない。

4面

菅政権を倒す今秋総選挙闘争 2012年体制=安倍・菅政治を終わらせよう

最末期迎えた菅政権と、日帝の危機

8月22日の横浜市長選での小此木八郎の敗北は、菅内閣の閣僚を務めた人物が菅の地元で大差で野党候補に負け、内閣を断末魔の危機に追い込んだ。奇しくも1年前には、新自由主義政策の全般的行き詰まり(格差・貧困の拡大)と「桜を見る会」問題の再燃・コロナ危機への対応失敗で安倍首相が病気を理由に辞任記者会見をしている。安倍は東京五輪主催のレガシー追求がかなわず、8月24日に大叔父・佐藤栄作の首相在任記録を超え、その直後に退陣表明をした。
20年9月の自民党総裁選は、安倍政権で一貫して内閣官房長官を務めた菅義偉が主要派閥の支持を背景に圧勝した。菅内閣は主要閣僚留任の安倍「居抜き」内閣で、「安定性」と非世襲・無派閥、マスコミの「秋田出身の苦労人」演出で70%近くの支持率で発足した。
それから1年。安倍政権が7年8カ月でたどった転落過程を、みじめで破綻的に菅はたどりつつある。日本帝国主義政治委員会は、先進諸国の中でコロナ禍に最も対応できず、安倍・菅に代わる人物がいない政治危機に直面しつつある。菅政権は9月―10月の自民党総裁、衆院議員任期切れを前に、大型選挙(各地の知事選、4月3国政選など)で連敗し、「東京五輪での政権浮揚」も破産、地元横浜の市長選の惨敗でかつてない危機に逢着した。われわれは今こそ安倍―菅政権9年弱の、新自由主義強行=戦争体制構築と自己責任・弱肉強食の政治に終止符をうとう。

官僚・マスコミ・学者統制の張本人

日本学術会議闘争(20年12月、神戸)

菅政権の犯罪性は、安倍の悪事を継承する安倍以上に強権的で民主主義破壊することにある。菅は安倍政権の大番頭=内閣官房長官として強権政治の全面推進者であった。アベノミクスという株価浮揚策と外交政策以外は菅に負う所が多い。
@とりわけ2014年に内閣・中央省庁の人事権を首相官邸が掌握し、官邸主導政治を遂行した中心にいたことである。組閣・継承時に安倍に近すぎた今井尚哉首相補佐官を排除したが、それ以外の官邸スタッフ(杉田や和泉など)は全面的に引き継いだ。森友学園事件・加計学園事件で一気に広まった「忖度政治」の張本人こそ菅官房長官だったのだ。また「官邸の番人」=黒川元東京高検検事長と最も近かったのも菅だ。
Aまた安倍政権8年弱で一気に強まった官邸のマスコミ支配の先頭に立ったのも菅である。菅はテレビ番組での文化人・学者・評論家の政権批判の言動に対して、内閣の情報機関から逐一の報告を受け、自らがその当事者に恫喝の電話をする人物である。また記者会見では、東京新聞・望月衣塑子記者などを排除し、懇意な記者だけを集めての「パンケーキ会見」では、菅とマスコミ人の醜悪さも示した。
B学者・文化人嫌いは、15年安保法制審議の際に、政府流の憲法解釈をなす学者は多数いると大見えを切ったが3人だけ。これへの怨念が日本学術会議会員6人の任命拒否事件となった。安倍政権時代からの手法を学術会議に適用したもので、それゆえ何の反省もせず居直り続けた。専門家無視はコロナ対策でも、当初は都合のいい学者の意見を聞くふりをしたが、五輪開催前に辛辣な意見が出されると激怒し、無視をはじめ、菅内閣は科学的知見とは無縁な反知性主義の集団となった。

コロナ対策に失敗

2020年2月から始まる「コロナ危機」でも、菅は官房長官として安倍政権を支え続けた。安倍はCOVID―19を先進諸国のどの指導者よりも軽く見て、科学的知見を尊重せず、「全国学校一斉休校」など思いつきで混乱を招いた。20年春以降、菅は最終期に入った安倍政権の「レジェンド作り」=東京五輪開催にまい進し後継の道を掃き清めた。招致演説をした安倍は開催時の主催者国挨拶を目論み、開催延期=開催時期も自己の政治的任期切れ(2021年9月自民党総裁選)前にあわせ20年7月の「完全な形での開催」を選択した。
しかしコロナ感染症対策では、緊急事態宣言(移動制限)も当初は一定の効果があったが、第2波、第3波が到来し、有効な手段が打てず支持率が下落し、安倍は心身ともに疲れ、病気を理由に退陣した。これを受け継いだ菅は安倍以上にCOVID―19への危機感・科学的知見は希薄で、専門家の意見も排除し今や「裸の王様」である。とりわけ緊急事態宣言の発令時・延長時の記者会見は、木で鼻を括る答弁で、およそ記者の背景にいる人々の疑問に答えるものではなく、回を重ねるごとにメッセージ性は薄れ、青年層からも信用性を失い軽蔑の対象となり、支持率急落に繋がった。

五輪強行で一気に感染が拡大

支持率を失い始めると、父祖が首相・大臣であり自己の派閥や戦略的政治目的(憲法改悪など)を持った安倍と違い、権謀術策だけでのし上がってきた菅の政治的求心力は急速に減退した。最後はG7会議での国際的承認を背景に五輪を開催し、金メダルラッシュに政権浮揚をかけた。専門家らに「緊急事態宣言下での五輪開催などありえない」と言われても「有観客」に固執するのは滑稽でさえあった。
想定通り五輪下で感染は急速に拡大した。それまで1日1万人を超えることがなく、「先進国では優等生」「民度の違い」(麻生財務大臣)などと余裕をかましていたが、8月に入り1日2万5千人規模が連日続き、自宅待機・入院する病院がない状態は、「これでも先進国か!」の怒りが、GDP3位の国の政治指導者に突きつけられている。

民意無視、辺野古新基地建設は推進

それ以外にも菅政権の犯罪性は限りないが、特にコロナ禍の沖縄に手を差し伸べず、辺野古新基地建設工事だけは強引に進めている。もともと菅は官房長官時代(沖縄・北方担当でもあった)から沖縄の政治・選挙に「アメとムチ」で介入してきた。今日、米軍基地や観光依拠などをも原因として沖縄ではコロナ感染が人口比では最大である。官房長官時代、二階自民党幹事長と一体で「GO―TOトラベル」を推進・維持し続け、コロナ感染を拡大したのは菅本人だ。そしてこれだけ感染が拡大しても辺野古新基地建設をやめることはない。この悪業に怒りをたたきつける総選挙にしよう。

政権交代起こす総選挙を

今次総選挙はまぎれもなく菅政権(安倍政権から続く「安倍一強」=2012年体制)を打ち破る絶好のチャンスだ。安倍―菅と続いてきた暴虐な政治を打倒しなくてはならない。オール沖縄や野党共闘の候補、関生弾圧と闘う候補などを全力で支援しよう。全国各地で闘う候補と連携し菅退陣を実現しよう。
もちろん自民党大敗・菅退陣で新自由主義攻撃・資本家階級が直ちに倒壊し社会変革が実現するわけではないが、2012年政権交代の否定的側面を教訓とする人民の決起が続くなら、政権打倒から体制変革=革命の道は大いに近づく。今秋政治・経済・イデオロギーの全分野で階級闘争を前進させ、この国の在り方を根本から変える闘いの飛躍を実現していこう。
岸本 耕志

維新・自民と闘う市民
演劇ホールの廃止・別利用進める伊丹市

平田オリザさんの講演に100人が参加(8月23日、アイホール )

関西で数少ない中規模演劇ホールである伊丹市の「アイホール」が存続の危機にある。今年自民・維新支援で5選の藤原保幸伊丹市長は、前回選挙後から公共施設や、保育所・幼稚園の統廃合・跡地の売却を精力的に進めてきた。今回は「劇場都市伊丹」の中核のアイホールを、廃止か他目的に転用するたくらみ。
元々「他市民を伊丹に呼ぶ」ために作られた施設の演劇ホール(美術館や博物館など文化施設は、好企画で他市民を引き寄せるのが腕の見せ所)を、「市民の利用が15%」といって「他目的に転用」が本末転倒なのだ。利用者の85%を市外から伊丹に呼べる人気施設なのだ。これ以外の公共施設の統廃合、目的転用も進んでいる。市民病院と近畿中央病院の統廃合。市役所隣の利便性の高い中央公民館を、便の悪い労働者福祉施設=「スワンホール」内に移転。博物館も他施設と合体。さらに地域利用施設の統廃合・床面積は9割化が進行中。有名な「昆虫館」も統廃合の対象に。その手法も民間業者を使っての「サウンディング調査」方式。「赤字解消・効率化」と称して、直近の利害だけ優先ということだ。
8月23日には、兵庫県豊岡市にこの4月開学した兵庫県立芸術観光専門職大学学長の平田オリザさんが、芸術・教育の有用性と、新自由主義手法の愚かさをを語り、北摂・阪神地域が連携する、文化・芸術・観光の創造を訴えた。社会的インフラ総体を金儲けの対象とするのか、芸術・文化・教育・医療などをコモンとして取り戻していくかだ。9月伊丹市議会でこの問題が焦点化する。15日の伊丹市議会に注目を。(有岡村重)

5面

今秋総選挙闘争勝利のために(1)
大阪北部・兵庫東部の選挙区と立候補予定者

10月21日の衆議院議員の任期終了を前に、解散・総選挙が迫ってきた。『未来』編集委員会では、菅義偉らを政権の座から引き下ろすため、各地の野党議員の闘いを系統的に紹介していく。
第1回は、自民・維新と立憲野党が激しく争う大阪北部と兵庫東部。引き続きオール沖縄が4選挙区で当選を目指す沖縄、河井克行が辞職した広島、最後は首都圏の激戦・争点区を追う。
大阪北部と兵庫東部は、維新と自民と立憲野党が三つ巴で争う選挙区が、兵庫1区(神戸市東部)、4区(神戸市西区など)、6区(宝塚・伊丹など)、7区(西宮・芦屋)、大阪9区(茨木・箕面など)、大阪10区(高槻・島本)と多くを占める。大阪8区(豊中)は自民議員が銀座飲食で離党。大阪7区(吹田・摂津)は5政党が立候補予定。兵庫5区(豊岡から丹波・三田・川西北部まで)は、自民と立憲野党の一騎打ち。
また公明党は「常勝関西」の名で大阪5区(大阪市淀川区など)、兵庫8区(尼崎)などで小選挙区でも議席を占めてきた。ここでも立憲野党が果敢に挑戦。
松井市長・吉村知事の行政権力を行使する維新のデマ政治と、自民・公明党に対決し、11年福島原発事故・15年戦争法・大阪都構想を闘いぬいてきた陣形から、また関生弾圧を許さない人々の中から、戦争と貧困に反対する国会議員を作り出そう。
次号以降にも闘う候補のアピールや活動ぶりを掲載していきたい。
『未来』編集委員会

兵庫8区つじ恵の訴え
国民の安心・安全を延命に利用する菅内閣
山本太郎代表を首相に、世直し政権交代

山田正彦元農水相とのシンポジウム(8月7日)

8月1日の第2回連続対談で、対談相手で若手のオピニオンリーダーである白井聡さんから、画期的な提案がありました。 「れいわ新選組の山本太郎代表は、菅首相の選挙区で立候補せよ!」 これにはわが意を得たりと膝を打ちました。市民の間にあれほど反対がありながら「国民の安心と安全を守るから」と話をすりかえてオリンピックを強行。しかし感染爆発がおき、「国民の安心と安全」をふみにじっています。
いっぽう「まっとうな野党」を自称する立憲民主党は、菅内閣に「もっとしっかりやってください」とあれこれ「お願い」するだけです。もはやそんなことをしている状況ではありません。市民を見捨てた菅政権にもはやこの国のかじ取りをまかせるわけにはいきません。まっとうな野党なら、代表自らが、菅首相の選挙区で立候補、落選させて、一気に内閣打倒へもっていくしかありません。ところが、この国と国民のために身をすてる覚悟などこれっぽっちも見られません。
それをやれるのは、れいわ新選組の山本太郎代表しかない、という白井聡さんの提言はそのとおりです。私、つじ恵は、山本代表とともに、ここ尼崎から、れいわの徳政一揆を推し進めます。
■つじ恵プロフィール: 1948年京都市伏見区生まれ、73歳。私立高槻中、大阪府立大手前高校を経て、東京大学法学部卒業。1981年に弁護士登録、人権を守る弁護士活動のかたわら、「多田謠子人権賞」を設け、社会の矛盾と闘う草の根の人々と団体を顕彰。2003年と2009年に衆議院選挙に当選(2期)。民主党副幹事長等を歴任。消費税増税に反対して民主党を離党。現在は 「オール関西 平和と共生」代表。(つじ恵ニュース1号より引用)

サウナで辞任の維新市長が再出馬 8月末池田市長選

冨田前市長(大阪維新)のサウナなど私物の市役所持ち込みが発覚し全国に知られた大阪府池田市。市長によるパワハラ、駐車券の私物化なども発覚し、市議会「百条委員会」が開催され、7月末に冨田は市長を辞任した。
しかし、8月22日告示、29日投開票の市長選に、なんと冨田が無所属で出馬。さらに、維新の悪行が再度全国に知れることを恐れた大阪維新の会は、瀧澤前市議(大阪維新池田支部長・冨田の元私設秘書)を立候補させた。反維新の候補は統一できず、2人が出馬。このままだと先の市議選でトップ当選した維新瀧澤前市議が当選する恐れが。池田市民は、維新系の市長はもうこりごりと、各地で街宣活動などをしている。何としても維新の当選を阻止したい。(8月22日『未来』1読者)

6面

ミャンマーの人々の命をかけた闘い
アジア人として座視できない

コロナ禍でも多数の市民が参加(8月21日、尼崎市内)

8月21日、兵庫県尼崎市内で「ミャンマーへの思い」と題する集会が開催された。主催は〈ミャンマーの人たちとつながる会(以下、つながる会)〉、〈多文化共生と地域福祉の会〉、〈ミャンマークーデター抗議西日本実行委員会〉で、協力は〈ミャンマー(ビルマ)の民主化を支援する関西学生ネットワーク〉。座席は満杯となった。
第一部は、「ミャンマー、76年前の戦争、独立」。日本とミャンマーの関係を知るためにインパール作戦や泰緬鉄道(死の鉄道)のエッセンスが上映された。つながる会事務局長の猶原信男さんは、戦前、日本軍がミャンマーに南機関という諜報機関を送り、ロヒンギャ問題の原因をつくったと指摘。白骨街道といわれるインパール作戦を強行するなど戦前戦後を通じて日本とミャンマーの関係は深く、ミャンマーを混乱させてきた責任の一端があると指摘した。

ミャンマーはどういう国か

第二部は、「わかちあう、ミャンマーへの思い」と題してミャンマーの青年たちが訴えた。ミャンマー人女性は、ミャンマーには大きな4つの川、とりわけヒマラヤ山脈南端を源泉とするエーヤワディー(旧称イラワジ)川というミャンマー中央部を北から南に流れる大河があり、3月から5月の夏季、6月から10月の雨季、11月から2月の乾季の3つの季節がある。ミャンマーのお菓子、民族衣装、楽器、水かけ祭りなどの風習や、日焼け止めの白い粉を頬に塗るなどと話してくれた。しかし、クーデターにより民主主義と平和を奪われた。民主的な選挙で設立した国民統一政府(NUG)がミャンマーの唯一の政府と訴えた。

発言する2人のミャンマーの青年(8月21日)

命をかけた闘い

ミャンマー人男性は、軍政について話した。ミャンマーは1962年、1988年、2021年と3回クーデターを経験。国軍は頭を狙い撃ちし、この恐怖で民衆を押さえつけてきた。
クーデター直後の3月3日、ミャンマー第二の都市マンダレーでデモに参加していたチェー・シンさん(通称エンジェルさん、19歳の女性)が後頭部を撃たれて亡くなった。彼女はデモに出るとき自分の血液型を記し「眼の角膜でも体のどの部分でも提供します。必要であれば私の命の代わりに提供します」と事実上の遺書を自身のフェイスブックに投稿していた。ミャンマー人男性はエンジェルさんのことを話すとき、感極まり一瞬声が詰まった。NUGはミャンマーの唯一の政府だ。国連大使はクーデターに抗議し、軍政から解任通告を受けている。しかし軍政は新たな大使を任命。国連でどうなっていくのか、9月が勝負と訴えた。

死をおそれない

次に介護職の女性は「私は名前も出します。写真もいいです。人間一度は死にます。恐れていません」と話していた。国軍はコロナの治療をさせないため、コロナで1日5百人以上死に、墓地には死体が山積み。こんな軍政を終わらせるために国民統一政府(NUG)を認めてほしいと訴えた。
男性は、ミャンマーでは今、数十万人が職を失い、ヤンゴンでは家賃が払えない人が多数出ている。助けられる命なのに軍は酸素を売ることを禁止。チン州では戦闘が起きている。村が丸ごと焼き尽くされている、と訴えた。

座視していいのか

つながる会の中村大蔵さんは、名前と写真を出すことを恐れないという介護現場で働く女性が、通っている大阪の専門学校について話した。同校の生徒138人全員が外国人で日本人はゼロと指摘した。ミャンマーでたくさんの人たちが軍隊に殺害されている。同じアジア人として座視していいのか、アジア人としての連帯をどうするのかは非常に大きな課題ではないかと提起した。さらに日本企業は国軍に多大な支援をしている。これをやめさせなければならない、と結んだ。(三船二郎)

投稿
狭山 草の根のスタート
七堂弁護士講演会に参加して
兵庫 小川幸三

多数が参加し確信をもった学習会(7月10日、神戸)

7月10日、神戸市内で狭山事件の学習会があり参加した。講師は、狭山事件再審弁護団の七堂眞紀弁護士で、主催は〈狭山再審を求める市民の会・こうべ〉。
友人の誘いを受けて久しぶりの参加だ。少し遅れたので、東住吉事件の青木惠子さんが私の後ろにおられた。70〜80人ぐらいの方が熱心に聞き入っていた。
石川一雄さんの無実は何度も学んできたと思っていたが、私は全くなっていないことがよくわかった。

取り調べの証拠テープ/森鑑定

七堂さんは脅迫状を石川さんは書けたのか?と問い、58年前の石川さんにはそのことは無理であったことを詳しく話した。
1963年6月21日、刑事たちとのやり取りで、石川さんは大根を「らいこん」、電話を「れんわ」、自転車屋を「じでんしやや」、修理工場を「しゅりこをじを」、善枝さんを「よしえちん」と書いている。刑事に言われた犯行現場の死体状況について、スコップを「すこぷ」と図面に書いている。
5月23日に書かされた上申書と脅迫状の違いは歴然としている。
まさに、国家の威信と存亡をかけて無辜の部落青年を生贄にする部落差別が強行されたのだ。私は運動しているという漫然とした日々の中で、本当に大事なことを忘れていたのではないかと気づかされた。

識字学級を取り組む元教員の方から

奪われた文字を取り戻し、指を折って数えて、やっと好きな人にラブレターを書く。石川さんを犯人に仕立てた権力や私たちが、「これ位は書けるやろ」という思い上がりがこの裁判を固持している。識字者の特権意識をぶち破って石川さんとつながっていこう。

市民の会からまとめ

58年間も石川さんに殺人罪の汚名を着せ続けたこの解決には、裁判所に事実調べをさせるための大きな声が必要です。森鑑定はシンプル。獄中で字を学び、不屈に訴え続ける石川さん。字を学ぶこと、受け身の生き方から社会に向かって積極的に生きていくきっかけ。しかし、字読めんけど、果敢に生きてきた村の人たち。ここが出発。
9月16日には青木さんの国賠訴訟。狭山は来年にかけて鑑定人尋問が始まると。
私は長い停滞から進まなければ。そのきっかけをこの学習会は気付かせてくれました。
『闇から希望をつなげて』は2年前の関西の集いを克明に報告しています。これを参考にしながら、私たち『未来』の読者も狭山草の根のスタートをしていきましょう。

投稿
8月15日 反靖国行動
誰も責任をとらない五輪の構造
東京 稲城二郎

8月15日、都内で「国家による『慰霊・追悼』を許すな! 8・15反『靖国』行動」がおこなわれ、デモには85人以上が参加した。
デモに先立ち、集合場所でアピールがおこなわれた。
おことわリンク(オリンピック災害おことわり連絡会)は「6月くらいまでオリパラの中止を信じて開会式を迎えないように取り組みをしてきた。まさか緊急事態宣言の中で開催はあり得ないと思って連日行動をおこなってきた。組織委員会・政府はいまだに『感染拡大と五輪は関係ない』と言っている。感染拡大を招いた責任を取ってもらおう。7月9日、長野の3人・東京の1人で五輪中止を求める仮処分申立をおこなったが、7月15日に却下された。小池都知事・橋本組織委会長に対する申し立てだったが、地裁は『都と組織委に中止の権限はない』とした。誰にも責任がないとする布石だったのではないか。バッハを含めて誰も責任を取らない。これが五輪の構造」「8月24日から9月5日までパラリンピック。五輪と同時に『中止すべきだ』と訴えて闘ってきた。パラリンピックも五輪と同じ商業化がおこなわれている。8月21日16時から新宿アルタ前に集まってデモ、24日19時からJOC前で抗議スタンディングをおこなう」と発言。
7・16武蔵野「聖火」セレモニー抗議弾圧救援会は「7月16日、武蔵野市の『聖火』イベントへの抗議行動で一人の仲間が逮捕され、30日に起訴された」と報告。勾留されている仲間の、天皇制との闘いとして決起した旨のアピールを代読した。 デモ隊は雨模様の中、靖国通りを九段下まで進み、水道橋で解散。コロナに加え悪天候もあるのか、右翼の騒ぎはいつもより小規模だった。

7面

論考 パレスチナ問題への接近 田中和夫
反シオニズムは反ユダヤ主義ではない(上)

アシュケナージ系ユダヤ人とスファラディ系ユダヤ人

シオニズムに基づくイスラエル国家の指導階級は、東欧系ユダヤ人、すなわちアシュケナージ系ユダヤ人からなる。そもそも、一口に「ユダヤ人」と一括りにするが、実は東欧系のアシュケナージと北アフリカ系のスファラディとはユダヤ教自体も異なり、シナゴーク(ユダヤ教会堂)、ラビ(ユダヤ教聖職者)も全く別物である。
人種的にも、東欧系は白人、北アフリカ系は黒人ないしはアラブ人等々の有色人種である。ルディ・ジョスコビッツ『私の中のユダヤ人』(1982年、三一書房)によれば、「(ポーランドからイスラエルに移住して)イスラエルで、ターバンを巻いたインド人が畑を耕作していた。(中略)彼らがユダヤ教徒だと聞いた時、私のユダヤ民族の概念は吹っ飛んでしまった。同じように黒人がいた。アルジェリア人がいた。(中略)どの人々も、人種や民族というより、単なる宗教的同一性としか言いようのない存在だった」。
シオニストは、「ユダヤ人の故郷=パレスチナ」と主張し、「パレスチナはユダヤ人のものである」と主張する。しかし、そもそも「ユダヤ人」には交わることのないアシュケナージとスファラディに大別され、アシュケナージは旧約聖書にでてくる古代ユダヤ人とは縁のないハザール王国を起源に持つ人々である説が有力であり、人種的には白人である。古代ユダヤ人の末裔はスファラディの方である。ハリウッドの旧約聖書の映画では、古代ユダヤ人を白人が演じている。しかし、パレスチナの場所から考えると、古代ユダヤ人は白人ではなかったと考える方が常識的ではないだろうか。
スファラディは、そもそもシオニズムにはあまり共鳴していない。しかし、イスラエルにおいてアラブとの戦争の際には最前線に送られ、平時には国境近く、あるいは占領地の開拓などで弾除けとして使われてきた。支配されるスファラディは二級国民扱いで肉体労働、戦争の際には危険な最前線、住んでいるのは一部スラム化した都市部の吹き溜まり。支配階級のアシュケナージは政治家や学者、医者等々で高級住宅街にて快適に暮らす。
イスラエル指導者たちはスファラディを下等民族と見做している。初代首相ベングリオンは「モロッコから来たユダヤ人は何の教育も受けていない、彼らの習慣はアラブ的である。私は好きではないモロッコ文化がここにある。私たちはイスラエル人がアラブ的になってほしくはない。私たちは個人的な社会を破壊してしまう『レバント(東地中海沿岸地方精神)』と戦い、ディアスポラ(離散)の中で作り上げてきた本当のユダヤ的な価値を維持しなければならない」。
第4代首相ゴルダ・メイヤは「私たちはモロッコ、リビア、エジプトその他のアラブ諸国からのユダヤ移民を抱えている。私たちはこれらのユダヤ移民を適切な文化レベルまで引き上げてやらなければならない」。
差別されているスファラディだが、ことアラブ人に関することになるとユダヤ人としての立場を強く守ろうとする。同時に「自分たちこそ聖書の本当のユダヤ人である」という選民意識を強めている。国内では二級国民扱い、アラブに対しては盾として扱われてきた経緯が対アラブ強硬姿勢を強め、全パレスチナ領を歴史的イスラエル領とするリクードに絡めとられた。イスラエルの二大政党は、アシュケナージ、エリートを中心とする「労働党」と、かつてはテロ強硬派の「反エリート政党」の「リクード」がスファラディを取込み1977年ベギンが政権をとった。ここに、虐げられた本来であればシオニズムとは相反するはずのスファラディを基盤とする反アラブ強硬派のリクードが政権をとるという構図が出来上がった。 「奴隷に奴隷を殺させる」のはいつの時代にも支配の鉄則である。

シオニズムに反対するユダヤ人

反シオニズムと反ユダヤ主義は全く別物である。すべてのユダヤ人がシオニストではない。シオニズムは、ナチズムの末裔であり、ユダヤ人の多くはシオニズムに反対を唱えている。シオニストはかつて第2次世界大戦当時、ナチに協力していたという恥ずべき過去を持つ。
この反シオニズムを「反ユダヤ主義」(Anti-Semitism)と必死になって捻じ曲げる宣伝を担っているのがADL(Anti―Defamation League)「名誉棄損防止同盟」といわれるシオニストの宣伝機関である。シオニストは、一方ではモサド等が非合法的な暗殺等のテロ行為をおこなう傍ら、他方ではADLなどが合法の仮面を被って大々的なデマゴキーの宣伝をおこなっている。デマと暴力の手法は、ナチの手法そのものである。
シオニストの最も痛いところは、反シオニズムが反ユダヤではないこと、シオニストが実はナチと協力関係にあり、ナチのユダヤ人虐殺をイスラエルのパレスチナの地での樹立に利用してきたというという事実が暴露されることにある。更に付け加えるなら、東欧ユダヤ人のアシュケナージが古代ユダヤ人の末裔とは無関係なハザール人の末裔であった事実を心底恐れている。
アシュケナージを主体とするシオニストがパレスチナを聖書で約束された地でありそこにイスラエルを作って当たり前という論理は事実とはいいがたい。それで、古代ユダヤ人の本当の末裔のスファラディ(有色人種のユダヤ教徒)を無理やりアフリカ、アラブ等からイスラエルに連れてきて、下層労働者、最前線の兵士として動員しているのである。
また、イスラエル内外のアシュケナージも大半はシオニズムには反対している。1977年首相になったベギンは、まだ第2次世界大戦当時ポーランドにいた頃、ユダヤ人社会で孤立していた。その後もシオニストはユダヤ人社会全体の中では必ずしも支持されているわけではない。むしろ米国などではキリスト教徒のシオニストなるものもいるといわれる。シオニストとユダヤ教徒、ユダヤ人とは必ずしも一致するものではない。
「シオニスト=ナチス」という認識は、日本でこそ問題外とされているが、中東、欧州、米国では広く行きわたっており、厳然たる事実が証明している。パレスチナに対するイスラエルのテロ行為は素人目にみてもナチスを想起させるものがある。そして、まさに歴史的事実を知るならば、シオニストがナチと協力関係にあった証拠は確定的であり、シオニストはナチスの末裔といって誤りではない。
それゆえ、シオニストは必死で反シオニズムを反ユダヤ主義と捻じ曲げる。朝日新聞の記者などは、それを十分承知の上で「シオニズム」という用語を避けつつADLの宣伝をそのまま引用して平然と記事を書くという犯罪的姿勢を貫いている。
シオニズムと闘うユダヤ人、パレスチナ人と連帯し、イスラエルという虚構を解体しよう。(おわり)

第39回 世直し研
ジェンダーを考える(上)
〜女性解放運動の歴史と現在

フェミニズム運動について

1911年、平塚らいてう、市川房枝などによって青鞜社がつくられます。これが〈第一波フェミニズム運動〉です。彼女たちは女性参政権を獲得する運動をおこないます。その歴史的意義は認めますが、限界もありました。市川房枝は侵略戦争を翼賛しました。
1921年、九津見房子や堺真柄らによって赤瀾会がつくられ、社会主義的フェミニズムをとなえます。彼女たちは階級、階層、植民地主義を克服する運動をおこない、革命によって女性解放をめざしました。しかし、伊藤野枝も金子文子も国家権力の手によって殺されてしまいました。
敗戦後、高度成長がはじまります。男はかせぎ、女は家庭内で支えました。生活はよくなりましたが、女性の地位は上がりませんでした。1960〜70年代、学生を中心に社会変革運動がはげしく闘われていきます。国家、社会、家族を批判しました。このなかから、さまざまな新しい社会運動がうまれました。
〈第2波フェミニズム運動〉は「個人的なことは政治的なこと」というスローガンで、社会的につくられた「女らしさ」を批判していきました。この時、「バリケードの中の女性差別」も言われましたね。
『名前のない問題』(ベティ・フリーダン)という本が、1963年に出版されています。70年以降、日本でも女性だけで悩みを出し合う場がつくられていきます。ここで女性たちがつながり、連帯がうまれていきます。彼女たちは、私的領域でも、社会・国家にたいしても発言していきます。このなかで、さまざまな女性差別問題に名前がつけられていきます。名前がつけば、意味付けがおこなわれます。DV、性暴力、セクシュアル・ハラスメント、戦時性暴力などが明確にされていきます。

この1年半のコロナのなかで

コロナ禍のなかで、男性に比べて女性の失業者が増えています。女性は非正規雇用労働者が多く、サービス業も多いですから、女性にしわ寄せがいっています。女性の自殺者も増えています。これは世界的におきており、「影のパンデミック」といわれています。この領域でも、あらたな運動をつくっていく必要があります。(おわり)

8面

マルクス『資本論』に学ぶ(2)
利子生み資本とは何か(上)
松崎 五郎

『資本論』第3巻21章の表題は「利子生み資本[貸付貨幣資本]」です。87年ブラックマンデー後、利子生み資本がそれまでの産業資本に替わって資本の基軸に座った現在資本主義を分析する基本視点が展開されています。少し長くなりますが、マルクスの文章を抜粋し、あとで解説し意見を述べます。

貨幣が資本に転化

21章の第2パラグラフで、マルクスは「貨幣は、資本制的生産の基礎上では資本に転化されうるのであって、この転化により、ある与えられた価値から、みずからを増殖し増加する価値となる。それは利潤を生産する。… かようにして貨幣は、貨幣として有する使用価値[流通手段]のほかに、一つの追加的使用価値、資本として機能するという使用価値を受けとる。貨幣の使用価値というのは、この場合、資本に転化した貨幣が生産する利潤[利子]のことである。可能的資本・利潤を生産するための手段としてのこの属性において、貨幣が商品―といっても、独自な種類の商品―となる。または、同じことに帰着するが、資本としての資本が商品となる」と述べています。
貨幣は太古のアジア的生産様式のもとで流通手段として発生しますが(原始共産制では物々交換)、資本制的生産の下では、流通手段という規定の上に、貨幣資本という規定を受けとることを明らかにしています。

利子生み資本の2つの特徴

以下その説明として、利子生み資本の特徴(他の資本と異なる)を2点上げています。
「われわれはさしあたり[第1に]、利子生み資本の独自な流通を考察しよう。ついで第2には、この資本が商品として販売される独自な方式、すなわち、すっかり譲渡されるのではなく貸付けられるという、独自な方式を研究すべきである」。
第1は独自の流通です。「出発点は、A[貨幣資本所有者]がB[機能資本家=産業資本家]に前貸しする貨幣である。…Bの手で、貨幣は現実に資本に転化され、運動G[貨幣]―W[商品]―G[増加した貨幣]を通過し、ついでG’として、Aに復帰する。だから運動はつぎのとおりである。G―G―W―G’―G’。ここで重複して現れるのは、@資本としての貨幣の支出、A実現された資本G’としての貨幣の還流である。」「資本としての貨幣の二重の支出に照応して、貨幣は二重に還流する。G’として、貨幣は運動から、機能資本家Bに還流する。そこでBは、これを再びAに、だが同時に利潤の一部分とともに移譲するが、この凾fは利潤の一部分たる利子に過ぎない」。
第2は独自の販売方式です。「商品としての資本に独自なものたる貸付の形態は、…資本としての貨幣が商品となるという規定から生ずる。」「資本はその流通過程では、資本としてでなく、商品または貨幣としてのみ現象する。…資本が資本として実存するのは、流通過程においてではなく、ただ生産過程すなわち労働力の搾取過程においてにすぎない。」「だが、利子生み資本については事情が異なるのであって、利子生み資本の独自な性格をなす。」「じぶんの貨幣を利子生み資本として増殖しようとする貨幣所有者は、それを第三者に譲渡し、それを流通に投じ、それを資本として―彼じしんにとってのみならず他人にとっても資本として―商品たらしめる。剰余価値・利潤を創造するという使用価値をもつ価値として、第三者に譲渡される。…売り渡されるのではなく、貸出されるにすぎない。」「貸付資本の場合には、還流は返済の形態をとる。貸出資本は二重に還流する。再生産過程ではそれが機能資本家に復帰し、ついで、復帰がもう一度、貸し手たる貨幣資本家への移譲として、その現実的所有者・その法律的出発点への返済として、繰り返される。」

利子とは何か

その後「以上、貸付資本がその所有者と産業資本家とのあいだで行なう運動だけを考察した。いまや利子を研究すべきである。」と述べて、利子の分析に入っていきます。
「貸手は自分の貨幣を資本として支出する。したがって彼の手元に還流する。…資本として還流するためには、投下価値額が、運動において自らを維持するばかりでなく、自らを増殖し、…G+凾fとして還流せねばならぬのであって、この凾fは、ここでは利子、すなわち、平均利潤のうち機能資本家の手にとどまらないで貨幣資本家の手に帰する部分である。」「貨幣資本家は、一つの使用価値を譲渡するのであり、したがって商品として手放されるのである。そのかぎりでは、商品としての商品との類似は完全である。区別は、貸付のばあいには貨幣資本家だけがこの取引で価値を手放す、ということである。だが彼は、将来の返済によってこの価値を保有する。」「貸手も借手もともに、同じ貨幣額を資本として支出する。だが、この貨幣額が資本として機能するのは、借手の手においてだけである。同じ貨幣額が資本として二重に定在することによっては、利潤は二倍にはならない。両者にとって資本として機能しうるのは、利潤の分割によってに他ならない。貸手のものとなる部分は利子と呼ばれる。」「貨幣資本の利子については異なる。このばあいには、競争が法則からの諸背理を規定するのではなく、競争によって与えられる法則いがいには何らの分割法則も実存しない。…ひとはむしろ自由競争によって確定される率だと解する。」(つづく)

公立福生病院裁判証人尋問(下)
関東「障害者」解放委員会 松浦淳

透析の非導入=死を推奨

濱等を迎えて、腎センターが発足して以来、移植や透析と並べて透析の非導入を推奨してきた。このことは、17年度の病院指標にも記されていた。Aさんなどの事件が発覚して以降、この部分は書き換えられたようだが。
『腹膜透析の情報誌VIVID』16年7月発行号に、福生病院腎センターの濱と中林内科医師がインタビューで、中林は患者の2パーセントが非導入を選択していると述べた。濱は、「透析をしないで自分は自然に天寿をまっとうする、本人の意思とそれを家族が理解すれば、ハッピーに終わることがある」と述べている。こうして、透析の非導入で20人が、透析中止で4人が亡くなった。
人の死を、このように扱えてしまう彼らの感性はどこから来るのだろうか。証人尋問から3日後の17日には、こうしたテーマでシンポジウムがおこなわれた。今後、報告していきたい。(おわり)

(シネマ案内)
「グンダーマン 優しき裏切り者の歌」
アンドレアス・ドレーゼン監督
(2018年制作)ドイツ映画

ゲハルト・グンダーマン(1955〜98)は、東ドイツの炭鉱労働者でシンガー・ソングライターとしても活躍した。「東ドイツのボブ・ディラン」と言われ、働く人びとに人気があった。1990年、東ドイツはドイツに統一(西ドイツに吸収・合併)される。この物語は、このふたつの時代にまたがって展開されている。
 ドイツ統一後、大量の「シュタージ文書」が発見された。これにより東ドイツの国家秘密警察シュタージの活動内容があきらかに。その非公式協力者は、人口の1%におよんでいた。グンダーマンは、シュタージの非公式協力者であった。公開文書の中に彼に関する記録が存在。コンサートにくる人びとに、この事実を黙っているべきなのか悩み告白を決断。この映画はシュタージ協力者になっていく過程と、告白にいたる苦悩の日々を描いている。彼の人生の思想と行動には一貫性がなく、映画ではこの点を強調している。
 76年頃、グンダーマンはシュタージから調査を要請される。コンサート活動のことを考えて気軽に応じた。彼は「良いことしかしゃべらなかった」と言うが、かなり詳しく報告したようだ。「スパイ行為をしている」という認識はなかった。といって許されるものではない。映画ではここを曖昧にしないで、「裏切りにかわりない」とこの問題を問いつめている。「仕方なかった」として済ましていないのが、この映画のすぐれたところだ。
 ラストシーンではコンサートの冒頭にスパイ活動をしていたことを聴衆に告白し謝罪する(95年)。参加者は彼の行動は許されないが、歌にウソはなかったと許した。
 彼は社会主義建設に希望をもち75年にドイツ社会主義統一党に入党。労働環境の改善を求めて当局に抗議。これにより彼は煙たがられる。それでも労働者の国に夢をもち、働きながらコンサート活動をおこなった。しかし、官僚国家は人民を信用していなかった。秘密警察シュタージは、社会主義国家体制維持のために反体制活動家を監視し、反体制思想をとりしまった。後に、グンダーマン自身も仲間から調査されていたことがわかる。
 国民を監視する秘密警察は、社会主義国だけでなく、アメリカにも日本にも存在する。しかし社会主義国家建設がなぜ人民監視国家に変質したのか。共産主義者はここを見つめる必要がある。今日的な問題だ。東ドイツは人為的な分断国家で、建設に無理があり監視国家になった。今日、旧・東ドイツ地域では経済格差がおおきく、若者には排外主義右翼が増大。価値観崩壊で未来への希望喪失が大きいようだ。労働者の主体性は軽視・無視され、労働の意欲は失われていった。歴史的事実をおさえ教訓化したい。(鹿田研三)

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菅政権は横浜市長選の惨敗でかつてない危機にあります。今こそ菅たちを政権から引きずり下ろしましょう。

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