広島・長崎を圧殺 コロナ入院制限
菅は一日も早く退陣を
広島・長崎をふみにじる
8月6日、広島で被爆76年目の平和祈念式典がおこなわれ、菅首相は挨拶で、「核兵器のない世界の実現にむけて力を尽くします…」と誓う一番大事な部分を読み飛ばすという大失態を演じた。今年1月に発効した核兵器禁止条約について、「署名する考えは現在ない」と明言した。読み飛ばしは、被爆国でありながら核兵器禁止条約に署名・批准もせず、原発を推進し核兵器保有をも狙うという菅首相の本心を露呈したものだ。長崎では式典に遅刻し、その責任を部下におしつけた。
五輪強行で感染爆発
コロナ感染・第5波は、7月下旬から感染力の強いデルタ株により急拡大し、1日の感染者・陽性者数が東京では5000人を超え、全国では1万5千人を超えた。都内の入院患者数は3667人、自宅療養者数は1万9千人超。入院・療養調整中も1万861人に上る(8/11時点)。医療、病床が逼迫している。救急車を呼んでも搬送先がなかなか決まらない「緊急搬送困難事案」は、全国主要都市で8月8日までの1週間に計2897件にもなった。緊急事態宣言は6都府県、まん延防止等重点措置は13道府県に出された。
入院制限に怒り
この事態に、8月2日政府の関係閣僚会議は、コロナ感染者が急増する地域で、入院は重症者や重症化リスクの高い患者に限定し、中等症・軽症の患者は原則自宅療養に転換する方針を、専門家の意見を聞かずに決めた。 新型コロナ感染は急変しやすくいつ重症化するかわからない。中等症や軽症の患者が入院できなければ、助かる命が失われるのだ。与党も野党も撤回を求め、医療関係者から怒りの批判がおこり、「こういう人たちに国を任せては国民の命は守れない」と菅首相、小池都知事の辞任を求める声も上がった。
自宅療養で命は守れない
中等症Tは呼吸困難や肺炎、中等症Uは酸素吸入が必要という患者だ。自宅療養者は第4波のピーク時大阪府で1万5千人、兵庫県で1800人を超えた。「重い肺炎ですぐに入院が必要なのに、亡くなる直前まで入院できない人が何人もいた」とか、「自分は入院したが、軽症で入院調整中だった母が死んでいた」という体験談がある。全国で最も多くの死亡者を出している大阪府では、第4波で、療養中の感染者に対する入院者の割合である「入院率」は、10%程度まで低下した。その結果、死亡者の8割近くが重症者として医療提供(重症病床・ICUでの人工呼吸器・ECMOなど使用)に手が届かないまま命が奪われた。
「治療法はすでに確立されており、早期診断と早期治療が何よりも重要」「リスクがあれば少なくとも宿泊療養が望ましい」(大阪・りんくう総合医療センターの感染症センター長)という。コロナ感染は、入院と適切な治療が施されれば治る病気なのだ。
大切なのは治療と治療薬
政府は春以降、病床と療養施設の確保に取り組むと説明してきたが、無為無策だった。菅首相や小池都知事は楽観論を振りまいてきた。五輪開催がかつてない人流を生み出し、感染拡大を招いたことは明らかだ。
菅政権はワクチン頼みで、治療と治療薬(開発と既存薬でコロナに効く薬を見つけること)を疎かにしている。なぜなら、患者だけでなく全員に打つワクチンの方が巨大多国籍製薬企業の儲けになるからだ。
一日も早く菅を政権から引きずりおろそう
五輪強行の結果8月に入ると1日1万5000人規模の感染が連日続き、重症者もうなぎ上りだ。8月11日には31都道府県で「感染爆発」し、病床使用率は16都府県で5割を超えた。重症者や入院待ちの人が急増し、一般医療の制限も生じている。「もはや災害時」なのに、打つ手なしが菅政権だ。
そのため、朝日新聞、JNNだけでなく、NHKの世論調査でも支持率が10ポイントほど急落、不支持率も急増。朝日では支持率28%と最低になり不支持率はダブルスコアだ(8月7日、8日)。22日投開票の菅の地元・横浜の市長選でも自民党が分裂し、菅の側近・小此木が負ければ自民党内でも「菅おろし」が始まると言われている。しかし権力者が自ら身を引くことはない。巨万大衆のあらゆる形の決起と、解散・総選挙の強行には、最低自公過半数割れを突きつけなくてはならない。
大資本の利益とオリ・パラ優先で新自由主義を進める菅政権を倒し、破壊された公的医療の再生・生活保障をかちとろう。戦争や差別排外主義に反対し、命と暮らしを守る政治を実現していこう。
強制不妊裁判
8月3日神戸地裁
違憲判決4度目
国と国会は謝罪と早期補償を
不当判決に怒りの記者会見をする原告ら(左) |
地裁判決での表示(8月3日、神戸市内) |
神戸地裁(小池明善裁判長)は8月3日、優生保護法(以下、旧法)とそれに基づく強制不妊手術を違憲として国に損害賠償を求めた兵庫県下の男女5人の原告に対し、「旧法は極めて非人道的で、憲法の理念に明らかに反し違憲」との判断をしつつ、不法行為から20年の「除斥期間」が過ぎていることを理由に請求を棄却した。
2018年1月の仙台地裁への提訴以降全国9地裁・支部で起こされた計25人による訴訟で、判決は今回で6件目。違憲判決は、19年5月の仙台、20年11月の大阪、21年1月の札幌の各地裁に続く4例目(19年6月の東京と21年2月の札幌の各地裁判決は判断を回避)。今次判決は、違憲性の理由を13条(幸福追求権)、14条(法の下の平等)、24条(家族に関する個人の尊厳)に反するからとした。
「除斥期間」適用は、仙台、東京、大阪、札幌(21年1月)に続き5例目(21年2月の札幌は判断せず)。
判決は、旧法の優生条項を廃止しなかった国会議員の立法不作為を違法と初判断したが、しかし同時に、国と国会の免責・免罪の意図を隠さなかった。国会が1948年、議員立法で旧法を全会一致で成立させたこと、1952年改正で優生条項を飛躍的に拡大強化したこと等の違法性はことごとく不問に付した。また、1996年の法改定に際して、国会が旧法をめぐる謝罪、補償、総括の論議をいっさい放棄した責任も問わなかった。さらに、2019年の一時金支給法成立まで補償の立法を怠ったことを「国会の裁量に委ねられるべきこと」と国会を免罪した。
国内外の法的・倫理的原則はすべて、優生手術の不法への「除斥期間」適用を否定している
▼まず「除斥期間」適用は最高裁判例に違反する。
最高裁は2004年、粉塵を吸い込んだ時から時間が経って症状が現れる塵肺症の裁判で、「加害行為時から20年を数えるのではなく、被害が発生した、すなわち症状が認められた時から20年を数えるべき」と判断した。そして、20年の期間が経過する前に被害者の請求権行使が不可能であるか、著しく困難である事案においては、被害者救済の必要性から「正義・公平の理念」を根拠に、「20年の期間が経過しても権利消滅の効果は生じない」と判断した。今次判決は、こうした最高裁判例をもあえて無視した不当極まるものだ。
▼国際条約もまた優生手術の不法行為には「除斥期間」も時効も認めていない。
拷問等禁止条約(拷問及びその他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取り扱い又は刑罰を禁止する条約。1984年12月の国連総会で決議され、日本も加入)においては、旧法下でおこなわれた強制不妊手術は「拷問」に該当するとされ、同条約はこれに時効や「除斥期間」を認めていない。「除斥期間」適用が、いかに国際的人権思想の到達地平に逆行する時代錯誤的かつ反動的かは明らかだ。
▼強制不妊・中絶手術は、内外の法的・倫理的原則が禁ずる「身体刑」に該当する。
今日のいわゆる民主主義国においては、罪を犯した人に対する刑罰は、概ね次のようである。罪びとの生命を奪う「生命刑」である死刑は廃止が世界のすう勢である。他には、自由を奪い刑務所に収容する「自由刑」、財産を没収する「財産刑」があるが、身体の一部を奪う「身体刑」は、残虐であるという理由で認められていない。
しかるに、被害当事者の多くが適用された旧法の第4条手術を見よ。日本においては半世紀もの長きにわたって、罪なき人に対して、その人が旧法別表が規定する障がいあるいは特定の疾患を持つことをもって「公益上必要である」という医師の恣意的断定により、本人の意思とは一切関係なく身体の一部、しかも生殖機能を暴力的に奪う手術が強制的に執行されたのだ。
▼「人道に対する罪」に時効も「除斥期間」もない。
今次判決は旧法について「きわめて非人道的」と断じながら、優生手術の違法に「除斥期間」を適用し請求を却下し、国を免罪した。
旧法とそれに基づく強制不妊・中絶手術は、憲法が保証する不当に身体を障害されない権利をじゅうりんするものである。
それは、罪なき人に対してその人が障がい者・病者であるということを理由に生殖機能の暴力的剥奪を目的とする残虐行為を働いた国家犯罪である。
まさに「人道に対する罪」以外の何ものでもない。
旧法とそれに基づく国家犯罪は、ナチスの戦争犯罪に対してニュルンベルク国際軍事裁判(1945〜46年)が「人道に対する罪」を宣告し、「その刑罰に時効はない」と宣言したことに準じて厳しく裁かれるべきである。
▼最後に。
旧法とそれに基づく強制不妊手術の問題は、その歴史と現実に無知・無関心のまま加担し続けてきた私たちひとり一人を問うている。「除斥期間」を乱発する司法は、今こそ自らを真摯にふり返るべきではないのか。
原告、弁護団、支援者の声
▼聴覚障がいを理由に1960年頃不妊・中絶手術を強いられた小林喜美子さん(88。明石市)と聴覚障がいを持つ夫・宝二さん(89。同)はともに手話の手振りに怒りを込め「国が障がい者を差別してきた。判決は、障がい者に対する差別だ」と厳しく糾弾した。
宝二さん「自分が被害者であることを長年知らなかったのに20年が過ぎているから遅いというのはおかしい。怒りを抑えることができない。この判決自体が差別だ」。
昨秋死去された高尾辰夫さん(仮名)の妻で聴覚障害をもつ原告の奈美恵さん(仮名 81)も怒りをともにされた。
▼脳性まひを理由に1968年頃12歳で子宮摘出の不妊手術を強制された鈴木由美さん(65。神戸市)
「何の手術かすら知らされない環境だったのに、何が除斥期間か。判決には納得できない」「たまたま、障がいを持って生まれただけやのに…。裁判でお金がほしいんやないねん。青春時代を奪われ、世界からシャットアウトされた。何十年かの苦しい思いを、みんなに分ってほしい。同じ人間としての扱いをしてほしい」「今後生きていく障がい者のため何十年かかっても諦めず、裁判官がもっとわかってくれるように声をあげて訴えていきたい」。
▼原告弁護団の声明「(手術で)被害を受けた原告らが再び権利を否定される二重の被害を受けたに等しい。司法の役割放棄だ」。
▼大矢暹さん(73。兵庫県洲本市) 社会福祉法人ひょうご聴覚障害者福祉事業協会理事長。聴覚障がい者として全国で初めて提訴し、昨年11月81歳で亡くなられた原告の高尾辰夫さん(仮名)の遺影を手に傍聴。主文を読み上げただけで判決理由を一切述べず数秒で法廷を出て行った裁判官の態度に)「むちゃくちゃ。不誠実にもほどがある」。
▼泉房穂明石市長
明石市在住の小林さん夫妻を長年支援、傍聴に駆けつけ、「障がい者に冷たく、国会議員に甘い判決だ」の憤り。
積み上がる違憲判決、国会の立法不作為への違法判断を踏まえ、原告の方々とともに「国と国会の謝罪と早期補償を!」運動のさらなる発展を。原告、被害当事者の障がい者自己解放闘争、優生思想との不屈のたたかいに学び、共生社会の創造に向かって、ともに前進しよう。木々 繁
2面
反動判決許せない
判決後の報告集会(第2会場) (8月3日、神戸市内) |
8月3日、旧優生保護法兵庫訴訟の判決があり、神戸地裁(小池明善裁判長)は請求棄却の不当判決をだした。
この日は、傍聴希望者多数のため抽選に時間がかかり、予定より10分遅れて午後2時10分に開廷。開廷するや否や裁判長は「請求を棄却します」と一言述べ、ただちに退席した。あっけない判決だ。全員、怒りの表情をあらわにした。こんな判決、あってはならない。
裁判所の外には、「不当判決」「障がいのある人の人権を否定」「司法の役割果たさず」と垂れ幕が掲げられた。
あまりにもひどい判決だ。しかし、私たちのたたかいはまだまだ続く。
東 和子
平和祈念のつどい・東大阪
行政の反動化に抗し多彩な催し
7月31日、第6回平和祈念のつどい・東大阪が東大阪市内でおこなわれ、会場は満席になった。
実行委員会事務局長の丁章さんは「平和は、人間として生きるための基本であり、全世界共通の願いです」という東大阪市の平和都市宣言を読み上げた。さらに「平和都市宣言をした東大阪市は行政と市民が一体となって平和を大切にしてきた自治体なのに、この20年間、日本は戦争ができる国に突き進んでいるといわざるをえません。とくに、安倍・菅政治に追随している野田市長によって東大阪市ではこの10年間、平和都市宣言に逆行することが頻繁におこっています。東大阪市の平和都市宣言を形骸化させることなく、あらがいの意味を込めて、平和・人権・多文化共生を尊重する東大阪の街づくりをしたい」とあいさつした。
「自治と平和の鐘ひびく」と謳われている東大阪市歌の後、来賓あいさつが、共産党のかみの淳一さん、新社会党の松平要さん、社民党の大椿ゆうこさん、れいわ新選組の大石あきこさんの各氏からなされた。
平和の語りのあと、平和寸劇「あの灯火を導きに2021平和の少女像を東大阪に」(くるみざわしん・作)がおこなわれた。この寸劇は、ベルリン市ミッテ区に設置された「平和の少女像」を題材にしている。東大阪市の姉妹都市である同市ミッテ区に「平和の少女像」が建てられたため、野田市長はミッテ区に撤去を求める書簡を送ったが2020年11月ミッテ区議会は「予定通り設置されるべき」と決議した。さらにミッテ区議会は同年12月、像の永久設置を決議した。
寸劇では、東大阪市職員に扮した実行委メンバーが「平和の女神像など東大阪に置いとくわけにはいかん」と像にロープをかけ倒そうとすると、市民に扮した劇団メンバーが「像がなくなってもわしらがいるかぎり平和の像は生き残る」と言い、さらに仲間がかけつけ、市職員が逃げていくもの。そのコミカルな演技に笑いが何度も起きた(写真)。
次のプログラムは平和の歌と踊り。ギターとサックスの演奏、毎年恒例のイムジンガンを姜錫子さんが朗々と歌った。
第2部は、くるみざわしん作の一人芝居「市長公室の木村さんが」を劇団ENの南澤あつ子さんが熱演。これも平和の少女像に題材を得たもの。50分の長い芝居だったが会場からは盛大な拍手が送られた。(三船二郎)
3面
被爆76年 8・6ヒロシマ平和の夕べ
「核兵器のない世界」ふみにじる菅に怒り
首相への怒りあふれる
今年、第14回・平和の夕べは、高揚感に満ちた集会となった。「黒い雨」裁判の勝利に踏まえ、核兵器禁止条約を日本政府に締結させる、あと一歩の力をどうつくるかが真剣に模索された。コロナ禍の制約のもとでも会場いっぱいの人が集まり、ズームでも多数の人が参加した。
菅首相が午前中の「広島平和祈念式典」で、あいさつに用意した原稿を読み飛ばし、あろうことか、「核兵器の非人道性」「『核兵器のない世界』の実現に向けた努力を着実に積み重ねていく」という文脈をまるまる読み飛ばしたことを、多くの参加者がすでに知っており、怒りが会場に充満していた。
核禁条約と「黒い雨」裁判勝利で、第14回平和の夕べは高揚した(8月6日、広島) |
「黒い雨」訴訟原告の被爆証言
冒頭の提起は、「黒い雨」裁判の原告を代表して高東征二さんの被爆証言であった。自らの困苦に満ちた闘いを振り返り、被爆者自身の自己解放的決起を軸に、すべての被爆者(被曝者)と全世界の人民への呼びかけと、さらに戦争と核への、それを肯定し受け入れる国家と政府にたいする怒りがあふれていた。
高東さんは3日に受け取ったばかりの被爆者健康手帳をかかげながら、40年間の運動、20年間の「黒い雨」訴訟を勝ちえたのは、300人の会員を擁した〈佐伯区黒い雨の会〉の闘いであるとし、被爆者の団結と政府に対する行動の必要を語った。
高東さんは、被爆の瞬間、空が青、赤、緑に変化し、その後雨が降ったが、身体が雨に濡れた覚えはないこと、それでもいわゆる「原爆病」の様々な症状を体験しているという形で、「内部被曝」を正面に掲げて闘う意味を語った。
被爆者に連帯し行動する人々
反核を闘う人々からのメッセージがつづく。最初に、新たな沖縄戦に直面する沖縄から「遺骨を含む土砂採取」に抗議して座り込みを闘う僧侶の黒柳堯憲さん、次に〈原爆小頭症の被爆者と家族の会〉会長の長岡義夫さん、3番目に、福島からビデオメッセージで福島原発事故の被災者と避難者の実情を訴えた伊東達也さん。
広島・長崎出身者を含む中村涼香、高橋悠太、徳田悠希の3人の学生が東京から駆けつけた。 KNOW NUKES TOKYO≠結成し、国会議員を対象に核兵器禁止条約に賛成するよう説得する「議員ウォッチ」行動を続けているという(写真右)。
この中で司会の河野美代子さんから、核兵器禁止条約への日本の加入を議会で推進するために、この平和の夕べに賛同して参加している衆院選候補予定者として、広島2区の大井赤亥、3区(空前の選挙買収をやった河井克行・前法相の選挙区)のライアン真由美、5区の野村功次郎の3氏が紹介された。
平和講演「核の時代を終わらせるために」
集会のメインは朝日新聞記者、田井中雅人さんの平和講演であった。海外の取材経験が多い田井中さんは、アメリカの核実験場=ハンフォードの5千人におよぶ被爆者の闘いの取材の経験から話しはじめ、「黒い雨」訴訟2審の勝利で、日本政府が踏襲しているABCC(米の調査研究機関=「原爆障害調査委員会」)がやった内部被曝を無視する線引きを、打ち破った点を強調した。
続いて、核兵器禁止条約に日本政府が加入しないのは、「原爆は悪」であることに踏まえ、さらに「原爆は毒」であることを認めると、1899年に採択され、日本も加入しているハーグ陸戦条約に違反することになるからであることが説得的に語られた。核兵器禁止条約は、「核兵器の使用、威嚇、支援、奨励、勧誘、支援の要請」を含め、すべてを禁止している。「アメリカの核の傘」に入ることなど認められるはずがない。核でヒトの命が守られることなどありえない。
原爆禁止の思いをこめた「平和の鐘」 (196年建立 平和公園内) |
今年の「平和の夕べ」は、反核闘争の歴史に一頁を添えた。とくに被爆者(被曝者)の自己解放的決起に応えて、新たな若者の決起が始まり、政府・国会も動かす手がかりをつかんだことは重要である。(落合 薫)
映画『カタストロフィ』を観て
「核の冬」さながらの現代日本
8月6日、広島原爆投下という世界史的人類史的事件から76年が経った。2021年の大阪は、新型コロナウイルスの猛威が東京に次いで酷く、またしても緊急事態宣言が発せられ、猛暑のなか、ドーンセンター7階大ホール(大阪市中央区)は、一席置いて座るよう指示されていたせいか、不思議な空虚感に満たされていた(写真)。
新聞は、日本の感染者が百万人を超えたと報じている。池島芙紀子さんらの渾身の「破滅を防ぐため」の映画『カタストロフィ』(制作 ストップ・ザ・もんじゅ 54分ドキュメンタリー)の中で、「福島原発事故緊急事態宣言は、まだ解除されていない」を見聞きし、まるで、「核の冬」(核戦争下の世界)さながらのシミュレーションCGを観て、8・6ヒロシマ以後の76年、3・11福島第1原発事故以後の10年が何だったのか、打ちのめされる虚脱感に襲われた。
審査の不合理、基準の甘さ
発言する中嶌、服部、池島さん(右から) |
さらに第2部では、「規制委の審査の不合理 〜新規制基準の甘さ〜」というテーマで、『美浜原発3号機運転禁止仮処分』にも参加している大河陽子弁護士(脱原発弁護団全国連絡会所属)が報告。大河さんは冷静に、規制委・更田委員長の問題性を以下のように報告した。
「規制委員会は、(鳥取県)大山の噴火規模を誤認しており、そのまま設置変更許可処分をおこなった。この誤認を巡って、美浜原発を含む原発の稼働を止めないまま関電に見直しさせようと、2018年12月に、非公開の秘密会議を開いていた。それは、議事録を作らず、配布資料は回収・廃棄し、客観的事実に反する参院内閣委員会での答弁だった。こうした横暴さ、非見識の所業の現実の意味するところは、非公開会議での実質的な議論を意図的に残さないということが常態化している可能性を示唆しており、許されるものではない」という鋭い告発だった。
原発ゼロ法を
第3部は、池島芙紀子さん(脱原発政策実現全国ネットワーク事務局長)、中嶌哲演さん(原発反対福井県民会議代表)、服部良一さん(元衆議院議員)の問題提起。映画『カタストロフィ』を中心に集い、「トイレなきマンション」という核政策の断末魔(核燃料再処理工場の大事故)をまねかぬように、討論、運動形成を急いでほしい。
さらに今年の衆議院選挙、来年の参議院選挙で、原発ゼロ法案を国会で採決、実現の可能性をどんどん高めてもらう体制づくりを、という切々たる要請があった。
会場からの発言では、昨年12月4日に大阪地裁で勝訴した「大飯原発3・4号機、運転停止義務づけ請求訴訟」弁護団の谷次郎弁護士が「1973年の伊方原発裁判から始まって、2011年までの38年間で勝訴は2件。2011年『3・11』以降は、脱原発弁護団全国連絡会がつくられ、この10年間で8件勝訴した。原発訴訟は、けっして勝てない裁判ではなくなった」と発言。
ほかに「私たちの生活や経済のあり方が問われている。大量生産・大量消費ではなく、省エネ・節電も併せて考えるべき。蓄電技術の開発も必要では」などの意見が出た。(熊野忠志)
4面
破たんする日本の原発政策
ぐらぐらの新エネルギー基本計画
〈1〉第6次エネルギー基本計画
7月21日、エネルギー基本計画の改定原案が公表された(第6次エネルギー基本計画)。
エネルギー基本計画は国のエネルギー政策の根幹を示すものであり、3年ごとに見直され、今回は2018年に作成された現在の基本計画を見直し、2050年カーボン・ニュートラルを見据えて当面2030年に到達すべき目標を示したものであり、10月にも正式決定される。
原案が公表された第6次エネルギー基本計画の骨格は
@再生エネルギーについて最優先の原則で最大限導入を促すとし、36〜38%に高める。
A火力発電については41%にひきさげる。
B原発については、「原発はベースロード電源として必要な規模を持続的に維持する」として、20〜22%を維持する。
としている。
今回の改定原案は、原子力推進勢力から原発のリプレースや新増設に踏み込んで言及することを強く求められたが、結局原発の新増設などに触れることはできなかった。
原案の冒頭で、「東京電力福島第一原発事故後10年の歩み」と題して、「エネルギー政策の原点であり、今なお避難生活を強いられている被災者の心の痛みに向き合い、最後まで福島復興に取り組んでいくことが政府の責務」と現実の被災者・福島の切り捨て、原発事故はなかったかのような政府の対応と真逆の言葉を羅列している。
しかし、同時にこのことは、3・11以後の力関係が何一つ変わっていないことを示している。わざわざ、福島事故はエネルギー政策の原点であることに触れざるを得ないのだ。また、原発の新増設についても大きな反原発のたたかいと世論の前に触れることができないのだ。
その上で、気候変動問題を口実とした脱炭素化の動きを、「産業革命以降形成されてきた産業構造を一変させる可能性を秘めており、変化への対応を誤れば産業競争力を失いかねない。
一方、新たな成長産業を生み出す契機にもなり得る」として、世界の脱炭素化の動きに乗り遅れず、新たな産業構造を作り出すとしている。
〈2〉原発の新増設にふれず
エネルギー基本計画の今次改定にあたって、報告書では結局新増設については触れることはできなかった。これは、彼我の力関係の反映である。今の時点で新増設に触れることは強い反発を生み出し、「原発」が焦点化し、選挙にも影響するということである。
その結果、原発をベースロード電源と位置づけ、20〜22%維持するとしながら、なんら具体的展望を打ち出すことができないでいる。20〜22%を達成するためには30基程度の原発が稼働していなければならない。3・11当時日本の発電用に使える商業原発は54基あったが、すでに21基が廃炉になっており、目標を達成するためには残った33基の原発をフル稼働しなければ実現できない。残った33基についても、再稼働の実現が見通せない原発も含まれている。また、仮に33基すべてが稼働したとしても、 定期点検や修理などでそのつど止めざるを得ない。
さらに、日本の原発は遅かれ早かれ、「40年」を迎えようとしており、これをクリアーしなければならない。原発に未来はないのである。
その中で、政府部内では、60年を超える運転の検討もとりざたされている。決して許してはならない。
また、立地地元の中から、「新増設に触れないのは納得いかない」と反発も生まれている。そもそも、老朽原発美浜3号機再稼働にあたって、福井県は経産省・梶山の「将来にわたって原発を推進する」という約束をもって、再稼働に同意したのだ。地元推進派は「騙された」と反発している。
〈3〉美浜3号機は10月に停止
美浜3号機の再稼働を弾劾(6月23日、福井県美浜町) |
関西電力は6月23日、「老朽原発うごかすな」の大きな声に包囲される中で、美浜3号機の再稼働を強行し、7月27日に営業運転に入った。当初計画では1月美浜3号機、3月高浜1号機という思惑を描いたが、その思惑は大きく破産し、やっと6月に美浜3号機の再稼働にこぎつけた。
高浜1・2号機については、再稼働どころか、「当面稼働しない(できない)」と認めることを余儀なくされた。地元に老朽原発再稼働同意という「苦渋の選択」を強いながら、それを一方的に踏みにじり、「当面再稼働しない」としたのである。また高浜2号機については、安全対策工事が完了していないことも明らかになった。安全対策工事が終了していないのに、再稼働ありきで地元に同意を求める関電のおごり高ぶった姿勢は許せるものではない。
また、工事が完了してもいない原発を視察して、「安全性が格段に高まった」と再稼働にいとも簡単に同意する県知事、町長、議員を許してはならない。
再稼働した美浜3号機では、7月2日、早速トラブルが発生した。関電はこのトラブルについて、「タービン動補助給水ポンプのフィルターに金属サビが詰まったため」としているがとんでもないことである。そもそも美浜3号機は2011年5月に定期検査で停止以来動いていない原発であり、当然予想された事態だ。
また全国に先駆けて老朽原発を動かすという緊張とあらゆる事態を想定した対処が求められていたにもかかわらず、今回のトラブルである。関電には原発を動かす「高い使命感」や原発を動かす技術も持ち合わせていないことを自己暴露している。
美浜3号機はこの10月25日に特重施設の工事完成期限を迎えるが、工事完了が未達成のため止めざるを得ない。関電はこのことを認め、「10月23日に運転を停止する」と発表した。
他方、6月21日、福井や滋賀、京都の住民9人が大阪地裁に、「美浜3号機の運転差止め」仮処分を申し立て、8月2日に進行協議がおこなわれた。年末あるいは年明け早々にも何らかの決定が出されようとしている。
そして、2023年末までに使用済み核燃料中間貯蔵施設の県外候補地を見つけるという福井県との約束である。あわせて、保管先をもし見つけられなければ、たとえ稼働中であっても老朽原発は止めるという再稼働同意にむけての約束である。候補地を見つけることは至難のことである。関電はこれまでも約束を何度も反故にしてきた。約束破りを絶対許してはならない。
老朽原発をめぐって、この1〜2年はこの国の反原発運動を左右するきわめて大事な時期である。老朽原発の廃炉から、全原発の廃炉に向かって、大きく前進することができるか否か、がかかっている。
10月23日〜12月4日「老朽原発このまま廃炉! キャンペーン」、12月5日「老朽原発このまま廃炉! 大集会inおおさか」の大成功を勝ち取ろう。全力で決起しよう。,b>(仰木
明)
南相馬避難20ミリシーベルト撤回訴訟不当判決 7・12
住民808人が「南相馬市で特定避難勧奨地点の指定を解除したのは不当だ」として解除取り消しを求めた訴訟で、7月12日、東京地裁(鎌野真敬裁判長)は「違法性はない」として住民の請求を退けた。
この裁判は、「年間20ミリシーベルト」基準を用いた避難指示解除の妥当性をあらそう唯一の裁判。2014年12月に政府は、年間線量が20ミリシーベルトを下回ったとして指定を解除した。解除に伴い、一定期間後に、避難勧奨に伴う公的な支援がすべて打ち切られ、とりわけ住宅提供が打ち切られ、住民は高線量地域に帰還を余儀なくされた。住民との協議はまったくおこなわれず、住民の反対を無視して解除された。
福島・津島訴訟 7・30
国と東電の責任を認める
原発事故で帰還困難区域に指定された福島県浪江町津島地区の住民640人が国と東電に対し、除染による現状回復と、ふるさとを奪われたことへの精神的慰謝料など計約265億円の支払いを求めた訴訟の判決があった。
福島地裁郡山支部(佐々木健二裁判長)は国と東電の責任を認め、総額約10億円の支払いを命じた。除染による現状回復は退けた。
5面
老朽原発このまま廃炉!
大集会 inおおさかの訴え
福島原発事故から10年超、今でも避難者の多くが故郷を失い、苦難の生活を続けておられます。事故炉内部は未だに不明で、増え続ける放射性汚染水は太平洋に垂れ流されようとしています。原発は、現在の科学の手に負える装置でないことは明らかです。その原発が老朽化すれば、危険度が急増することは多くが指摘するところです。
それでも関電は、運転開始後45年にもなろうとする老朽原発・美浜3号機を、当初の目論見から半年近くも遅れて6月23日に再稼働させました。
一方、特重施設(いわゆるテロ対策施設)の設置が、期限の6月9日に間に合わなかった運転開始後46年、45年超えの老朽原発・高浜1、2号機の再稼働を当面断念しました。再稼働は、2年半以上遅れるとの見方もあります。再稼働の遅延や中断は、圧倒的な脱原発の民意に支えられた反原発運動の成果といっても過言ではありません。
ところで、再稼働した美浜3号機も、特重施設の完成が期限に間に合わず、本年10月下旬には停止に追い込まれます。完成には1年半以上を要するといわれていますが、関電は「2年後の2023年末までに使用済み核燃料の中間貯蔵地を探すことが出来なければ、老朽原発を停止する」と明言しています。
中間貯蔵候補地探しは至難ですから、特重施設未完成によって停止した老朽原発はそのまま廃炉に至る可能性もあります。老朽原発停止を突破口に原発全廃に向かって大きく前進する好機です。
ただし政府は、炭酸ガス排出削減を口実にして、原発の60年運転の推進を掲げるだけでなく、80年運転への道を開こうとしています。この策動を葬り去るためにも今は正念場です。老朽原発の運転停止に追い討ちをかけ、「老朽原発このまま廃炉」を勝ち取り、原発全廃へと前進しましょう!
「老朽原発うごかすな! 実行委員会」は、1600人が結集した昨年9月6日、1300人が結集した本年6月6日の「老朽原発うごかすな! 大集会inおおさか」をさらに拡大し、来る12月5日に「老朽原発このまま廃炉! 大集会in おおさか」を開催し、10月23日(美浜3号機停止予想日)〜12月4日を「老朽原発このまま廃炉! キャンペーン期間」として、老朽原発廃炉に向けて「やれることは全てやる」ことを決定しました。
皆様のご賛同、ご参加をお願いします。
老朽原発廃炉を突破口に、原発のない、人の命と尊厳が大切にされる社会を実現しましょう!(「老朽原発うごかすな! 実行委員会」チラシから転載)
反原発自治体議員・市民連盟が総会と講演会 司法判断抜きに暴走する関西電力
70人を超す参加で総会、講演会開催(7月23日) |
7月23日、大阪府高槻市において、反原発自治体議員・市民連盟関西ブロックによる「老朽原発うごかすな! 講演会」がひらかれ70人を超える参加があった(ZOOM参加を含む)。
冒頭30分は同連盟関西ブロックの年次総会があり、その後、2つの講演があった。
反原発と原発裁判の流れ
1つめの講演は、武村二三夫弁護士による『反原発と原発裁判の流れ』。
昨年12月4日の大阪地裁判決(大飯原発設置変更許可取り消し)を踏まえてのこれからの高裁の闘いの論点について解説。関西一円、全国に衝撃をはしらせた、昨年12月4日 大阪地裁森鍵一判決。東日本大震災の後、再稼働した関西電力の原発、大飯3・4号機の安全性に問題があるとして、近畿6府県や福井県などの住民約130人が、原子力規制委員会が関電に与えた設置変更許可処分の取り消しを求めた訴訟。裁判長は規制委の判断を「看過しがたい不合理がある」として処分を取り消した。
日本の新規制基準は、世界トップの水準と豪語していた政府、規制庁などへの判決。即、国は控訴、第一回期日が6月8日、大阪高裁で開かれた。設置変更許可の違法性は、取り消し判決が確定するまで無視できるものではない。にもかかわらず、関電は1月に4号機の運転を再開。7月に3号機の再稼働をした。
武村さんは、地裁段階からの、基本的テキストの地震審査ガイドについての簡単な説明をした。そして地震規模の「ばらつきを考慮せよ」という規定を関電は無視、それを看過した規制庁を弾劾した。高裁ではほとんど、論争にかみあわぬ政治的判断で逃げ回っている国側の現状を伝えてくれた。
さらに、汚染水対策規定、火山ガイドの時間的地理的問題を基準に厳密に再検討すれば、原発の設計再検討、立地不適の結論に及ぶことを指摘。高裁でも勝利する論陣が示唆された。
老朽原発再稼働を巡って
2つめの講演は、若狭の原発を考える会・木原壯林さんによる『老朽原発再稼働を巡って』。
講演する木原壯林さん |
持ち時間では伝えきれない質量を、早口で、力強く、まとめた。根底的原発技術の限界から、それを関電の都合にあわせて強行使用、頻発するトラブル、規制庁の無責任な認可、関電のトラブル隠蔽、利潤保守の勝手きわまりない公共事業責任を忘れた思い上がりのエゴイズム、それに翻弄される地方官庁、議会、納税者ことに地域住民への軽視、無視。住民、市民のがわに立って、ぶれず、侮らず、懇切丁寧に告発した。
質疑応答で「原発によるエネルギーを再生可能にふりむけることが急務と思いますが、いかがお考えですか?」という質問に対して、木原さんは「それはむずかしい問題です。原発をやめたら今度は(同じ分を)再生可能エネルギーでなどというのは適切ではない。原発もやめ、再生可能エネルギーもいらない、そういう方向でエネルギー問題と取り組む姿勢を変えることが、いま本当に問われている。電子という世界が発見されて、電気の時代が世界的に来ましたが、電子が発見されなければ、幸福はなかったのでしょうか?蓄電技術の進化、節電技術の進歩、それは、人口減少したところで、十分に停電を恐れることなく、大病院でも安全に治療にあたれることになります」と回答した。
その後、〈老朽原発うごかすな! 実行委員会〉、〈反原発自治体議員・市民連盟〉、全国各地から、全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部のアピールと続き、閉会あいさつを豊中市議・木村真さんがおこなった。
6面
天皇制の葬送にむけて
敗戦前後における天皇制をめぐる動き
津田 保夫
「ポツダム宣言」以後
1945年7月26日、連合国3国(イギリス、アメリカ、中華民国)は、日本にたいして「ポツダム宣言」を発した。このとき、鈴木貫太郎内閣は、あくまで「本土決戦」を主張しつつ、政権内部で戦争を終結させる道をさぐっていた。「国体護持」すなわち天皇制を維持すること、これがポツダム宣言を受け入れるための最低条件だった。
8月6日、広島に原爆が投下される。8月9日、未明にソ連が対日参戦を開始、長崎にも原爆が落とされた。9日の「御前会議」で「国体護持」を条件にポツダム宣言受諾を決めた。その理由は、原爆投下ではなくソ連の対日参戦だった。しかし、天皇制護持にたいして、確約は得られなかった。
時間が過ぎていく。8月14日、政府はついに無条件でポツダム宣言受諾を決定し、「戦争終結の詔書」を作成する。翌15日、天皇はラジオで「玉音放送」をおこなった。これをもって、日本の敗戦が明らかになった。
「戦争終結の詔書」と「一億総ざんげ」
ここで「戦争終結の詔書」について検討しよう。この「詔書」では、奇妙な事に「戦争に負けた」とは一言も言っていない。「其の共同宣言を受諾する旨通告せしめたり」から始まり、最後に「爾臣民其れ克く朕が意を体せよ」で終わっている。「詔書」の内容は、すべての国民に「聖断への忠誠」を求め、「勝手な行動を慎み、天皇の方針に従え」ということなのだ。
「詔書」では、「他国の主権を排し領土を侵すが如きは固より朕が志にあらず」と、わざわざ「侵略戦争ではなかった」と言い訳をしている。1941年12月の「米国、英国にたいする宣戦の詔書」で、「東亜の安定を確保し以って世界の平和に寄興する」と述べているから、ここにふれたかったのだろう。天皇の戦争責任を否定するために、これがどうしても必要だったのだ。
また、「敵は新に残虐なる爆弾を使用して頻に無辜を殺傷し・・・是朕が帝国政府をして共同宣言に応せしむるに至れる所以なり」と言い、敗戦の原因を原爆の責任にしていることだ。原爆を落としたアメリカの科学技術力に負けたのであり、中国、アジア人民の戦いに負けたのではないと言っている。今日においても、支配階級の思想はなにも変わっていない。一貫して、過去の植民地政策をなんら反省していないのだ。
この「詔書」のなかに、「朕は茲に国体を護持しえて」とある。これが事実かどうかは別にして、「国体護持」が重要課題であったことがわかる。また、この期に及んでも「神州の不滅」を主張している。あくまでも、「天皇制は不滅だ」と言っている。
敗戦を受け入れるに際して、天皇制を如何に残すか。これが支配者の最大のテーマであった。このために、天皇自身も積極的に動いている。支配階級は、何故にここまで天皇制護持にこだわるのか。それは人民支配に必要だったからだ。敗戦前後の歴史過程において、ここがもっとも核心なのだ。
敗戦と同時に、「一億総ざんげ」が主張されていく。8月15日、鈴木首相はラジオ放送で「国民悉く心より陛下にお詫び申し上げる次第であります」と語った。15日付の朝日新聞は、「玉砂利握りしめつヽ/宮城を拝しただ涙」という見出しをつけて、「記者謹記」記事をのせている。その最後の部分を引用する。
―私は立ち上がって「皆さん・・・」と叫んだ。「天皇陛下に申し訳ありません・・・」それだけ叫んで声がでなかった。だが私は一つの声を聞き、二つの声を耳にした「わかります」「私も赤子の一人です」「この上どんなことが起らうとも・・・」この声はそれだけ言って、もうあとは鳴咽にかき砕かれた。日本人、あヽわれら日本人、上に万世一系、一天万乗の大君の在ります限り、われらの心は一つ、如何なる苦しみにも耐へぬき、いつの日か、けふこの日の歴史の曇りを拭ひ去り浄め掃ひ、3千年の歴史を再び光輝あるものたらしめるであろう。
敗戦以後
8月17日、東久邇稔彦内閣が発足する。東久邇は皇族であり、陸軍軍人だ。敗戦にもかかわらず、旧勢力を代表する人物が首相になっている。天皇は、東久邇に「詔書を基にし、軍の統制、秩序の維持に努め、時局の収拾に努力せよ」と指示した。近衛文麿と緒方竹虎が中心になって動いた。緒方をはじめ、朝日新聞関係者が5人もこの政権に参加している。メディアを通して「一億総ざんげ」が展開されていく。当時、日本列島の総人口は約六〇〇〇万人だった。ここで「一億」といっているのは、旧植民地国(朝鮮、台湾))の人民も含まれていた。
9月27日、天皇はマッカーサーを初めて訪問した。勝者と敗者の関係であり、この両者は対等ではありえない。この会談で、マッカーサーは天皇制存置をほのめかしている。以後、マッカーサーが解任されるまで合計11回、天皇はマッカーサーと会談している。その内容は通訳などの証言をとおして部分的にわかっているだけで、公式にはいっさい明らかにされていない。天皇は、天皇制を残すために、マッカーサーと直々に交渉したのだ。こうして、GHQは天皇と天皇制を利用して間接統治をおこなっていった。このため、官僚層はほぼ温存されることになる。
10月4日、GHQは「人権指令」を命じる。しかし、東久邇内閣はこれを拒否し、総辞職する。この後を引き継ぐのが、幣原喜重郎内閣だ。10月11日、GHQはあらためて「5大改革」を勧告する。こうして、GHQのもとで改革が進められていく。ここに至って、やっと「政治犯」が解放され(10月10日)、治安維持法が廃止された(10月15日)。しかし、幣原内閣は「不敬罪」を廃止しなかった(1947年10月、刑法改正で不敬罪が廃止された)。12月、GHQは国家神道を廃止するために「神道指令」を発した。
民衆の動き
10月頃から、組織的な大衆運動がおきてきている。労働組合も急速に組織されていった。この頃、人びとは日々の生活に困窮していた。翌年5月、「食料メーデー」集会で、松下松太郎は「国体はゴジされたぞ、朕はタラフク食っているぞ、ナンジ人民飢えて死ね。ギョメイギョジ」と書いたプラカードを掲げた。天皇制批判が公然と運動的に登場してきたのだ。この労働者は不敬罪で起訴された。
敗戦直後、アメリカ戦略爆撃調査団がアンケートをおこなっている。これによれば、約70パーセントの国民は「天皇制を残すべきだ」と考えていた。いっぽうで、敗戦の感想として「天皇に申し訳ない」と思っていた人は、4パーセントにすぎない。
敗戦直後、民衆は政治問題よりも、食べることに関心がいっていた。自分のことで精一杯だった。社会運動として、政治的に行動する準備ができていなかったのだ。支配者に比べて、人民の政治的動きが遅すぎた。この時期、戦争を遂行した旧勢力にたいして、十分に対抗できなかった。このことは、それ以降の政治過程にもおおきく影響しているように思う。
「一億総ざんげ」は、天皇の戦争責任を国民の責任にして、天皇のもとに従わせようとする支配側からの攻撃だった。しかし、日本人民はこれに十分闘えなかった。こうして、象徴天皇制として憲法に書き込まれ、戦後も天皇制は生きのびていった。象徴天皇制は、戦後における天皇制の延命形態なのだ。
「戦前のような天皇主権はよくないが、国民主権のもとでの象徴天皇制ならばよい」という意見をよく聞く。ほんとうにそうなのか。日本人民として、しっかり検証することが必要だ。
〈敗戦直後の反応〉(アメリカ戦略爆撃調査団がおこなったアンケートより)
@後悔・悲嘆・残念 30%
A驚き・衝撃・困惑 23%
B戦争が終り、苦しみも終りだという安堵感または幸福感 22%
C占領下の扱いに対する危惧・心配 13%
D幻滅・苦しさ・空虚感、勝利のためにすべてを犠牲にしたが、すべて無駄だった 13%
E恥ずかしさとそれに続く安心感、後悔しながらも受容、予想されたが、国史上における汚点と感じる 10%
F予期していた、こうなるとはわかっていたとの観念 4%
G天皇陛下のことが心配、天皇陛下に恥ずかしい、天皇陛下に申し訳ない 4%
H回答なし、またはその他の反応 6%
合計 125%
(注)二つ以上の反応を示した人もいたため、百分率は100%以上となっている。
7面
論考 パレスチナ問題への接近 田中和夫
反シオニズムは反ユダヤ主義ではない(上)
5月31日付の朝日新聞4面(国際欄)に、独で「反ユダヤ主義」懸念の声、というベルリン支局、野島淳署名の記事が掲載されていた。記事の概要は次の通り。
イスラエルとパレスチナの紛争を契機に、ユダヤ人差別の犯罪が増加、一部ではイスラエル国旗を燃やしたりシナゴーク(ユダヤ教礼拝所)への投石が報じられた。メルケル首相は17日、ネタニヤフ首相との電話会談で、テロ組織とするハマスの攻撃を非難。「ドイツで反ユダヤ主義を広める活動には断固たる措置をとる」と語った。
ドイツでは戦後、ユダヤ人排斥につながる行動を強く取り締まってきた。だが内務省の統計によると、反ユダヤ主義に基づく侮蔑や暴力などの犯罪は増え続けている。右翼によるものが9割以上だが、今回のようなイスラエルへの反感から、アラブ系住民やイスラム教徒、極左勢力も勢いづく恐れがあると、ドイツ政府は神経をとがらせる。ユダヤ人共同体代表のプリボロツキさんは「今回の抗議の大半はイスラエル政府にではなく、ユダヤ人に向けられている」と感じている。「反ユダヤ主義に基づく事件は常に起き、私たちは戦い続けている。」
朝日新聞のこの記事は、一見中立的立場のポーズをとっているが、実は欺瞞に溢れている。それは「反シオニズム」と「反ユダヤ主義」を意図的にすり替えている点である。この記事は「シオニズム」という言葉を必死に避けている。「反シオニズム」と「反ユダヤ主義」とは、全く相反するものである。
反シオニズムの立場
今回のパレスチナ支持行動は、イスラエルの非道を糾弾する「反シオニズム」運動であり、1ミリも「反ユダヤ主義」ではない。イスラエルでは、パレスチナ、ハマスとの軍事的緊張だけではなく、それ以上にイスラエル内部における「シオニズム」に対するユダヤ人も含む抗議活動がおこなわれている。しかし、同記事ではそれについては一切沈黙、抹殺し、ユダヤ人と対立する「パレスチナ人」があたかもユダヤ人に抗議しているかの如く描こうとしている。
少し前の朝日新聞の社説について 藤原帰一(政治学者)の評論が載っていた。曰く、
「パレスチナ人はイスラエルによって住む土地を追われ、イスラエル軍の圧倒的な力の前に自由も安全も奪われた側。ユダヤ人は何世紀もの間、迫害と大量虐殺の犠牲になって、ようやく祖国に戻りながらも暴力をも辞さないテロ組織や国家によって安全を脅かされている。(中略)パレスチナ国家とイスラエル国家の相互承認を軸とする二国間解決の方針を確認すべきである。」
この論理にも、いくつものイカサマが隠されている。
「シオニズム」は「ユダヤ人問題」の解決方法にはならない。歴史的に見れば、シオニストはむしろナチに協力してきたという歴史がある。そしてそのやり口は、ナチそのものである。シオニストは、むしろナチのユダヤ人迫害に積極的に加担していた。それをシオニズム国家を作り出すために利用してきた。
現在のイスラエルを牛耳っているアシュケナージは「ハザール人」の末裔であり、聖書に登場するパレスチナに住んでいたユダヤ人とは別のものである。
中東石油支配の基地国家
イスラエル国家は、現在においては欧米の中東地域の石油を確保するための基地国家として存在するものだ。決してシオニストの故郷ではない。シオニズムが語る「ユダヤ人の故郷、パレスチナ」はスファラディには当てはまっても、ハザール人の末裔のアシュケナージは聖書のユダヤ人とは縁もゆかりもない。
ユダヤ人といわれるアインシュタインやアンナ・ハーレントは、イスラエルの悪逆無道ぶりに愛想をつかし、シオニズムに反対を唱えるようになった。シオニズムこそ、むしろナチのやり方を引き継いだ極悪非道なテロリストである。(そのバックにいるのが英米の帝国主義である。)
「ユダヤ人」のすべてが、シオニストの政策を支持しているわけではない。シオニストが「ユダヤ人」の総意を代表しているわけではない。世界のユダヤ人の多くは、シオニストの非道ぶりに眉をしかめている。しかし、欧米の大半のマスコミがその事実を覆い隠し、「反シオニズム」と「反ユダヤ主義」を必死にすり替えている。そしてナチの「ホロコースト」を疑ってはならない絶対的真理としてしがみ付いている。
欧米に追随する日本政府、それに忖度するマスコミは、半分は無知から、半分は確信犯的に「反シオニズム」を「反ユダヤ主義」にすり替える。その結果、「パレスチナ国家とイスラエル国家の相互承認を軸とする二国間解決」というあり得ない解決策を振りかざす。しかし、シオニストもそれを支援する欧米帝国主義者も、本音ではそれが無理であることは百も承知している。
その現実的解決策は、パレスチナ国家の抹殺、パレスチナ人の根絶にしかない。なぜなら、白いアシュケナージは旧約聖書のユダヤ人(多分褐色の)の末裔ではないからだ。アシュケナージがパレスチナにイスラエル国家を作り出す理由は虚構だからだ。ユダヤ人自身がそれを知っているし、欧米帝国主義もそれを知っている。だから、ナチの「ホロコースト」が必要なのだ。パレスチナ人が存在している限り、いつかその虚構が崩れてしまうからなのだ。(つづく)
第39回 世直し研
ジェンダーを考える(上)
〜女性解放運動の歴史と現在
7月26日、第39回世直し研究会が大阪市内でひらかれ、奈良女性史研究会の松村徳子さんが、「ジェンダーを考える〜女性解放運動の歴史と現在」というテーマで講演した。その要旨を紹介する。
〈松村徳子さんの講演要旨〉
わたしは奈良県吉野郡にある大峰山のふもと、下市で生まれました。大峰山は今でも「女人禁制」です。明治初期に廃止されたのですが、「伝統」と称して残っています。
私は夜間中学運動にもかかわっています。生徒に女性が多いです。これも女性差別の結果ですね。子育てが終わり、連れ合いを見送り、彼女たちは勉強を始めたのです。
何で女性問題に関心を持ったかといいますと、水平社の運動に女性が出てこないことからです。それはhis-storyであり、男性が男性に聞き取りをして、水平運動の歴史をつくったからです。her-storyもつくる必要があるのです。
働く女性は子どもをつれて集会に参加しなければならない。女性は運動に参加するのは大変ですが、女性は運動の片翼を担っています。この女性史を掘り起こしていく必要があります。こうして個人的な事と政治的な事はつながっています。
ジェンダーについて
ジェンダーとは、「男らしさ」・「女らしさ」をあてはめて、男女の役割を区別する考え方をいいます。それは社会が決めています。たとえば、共感能力(エンパシー)は女性に強いとされていますが、これは歴史的に身につけてきたものなのです。「男らしさ」・「女らしさ」は、思い込みによる事が多いのです。
歴史のなかで女性は
狩猟時代。この時代、女性は共同体の中心的存在でした。この社会では、出産・育児が不利にならなかった。だから、女性の地位は高かったのです。
農耕時代。人は定住化し、家族単位の生活となり、家父長制ができます。私的財産がうまれ、階層ができてきます。部族間の戦争にとって、さまざまな条件で女性は不利でした。こうして、男性優位の社会になっていきます。
階級社会のなかで、女性は男性の所有物にされていきます。戦争のなかで、女性は性奴隷にされることもありました。エンゲルスは、これを「女性の世界史的敗北」と言っています。また、家庭内で男性は妻や子を支配します。こうして、女性差別の二重構造ができてきます。いっぽうで、男性は子孫を残すための性と、快楽のための性を区別して、女性を支配していきます。「男性の性欲は仕方のないもの」という考えは今でも容認されていますが、戦時性暴力問題はここから発生しています。
中世では、女性蔑視がうまれます。これは血による「けがれ」意識によるものです。こうして、女性は公的領域から排除されていきます。江戸時代は、女性は比較的に自由であったと言われています。
近代になって、女性差別が決定的に強化されることになります。明治憲法によって、女性差別が制度化されました。天皇制国家の建設と家庭内でのプチ天皇制がつくられていきます。刑法(強かん罪)は、男性の財産権と名誉を保護するためのものでした。これが2017年まで続くのです。昔のことだけれど、今のことなのです。(つづく)
8面
6・27藤原辰史講演会
コロナ禍で気づいた公共の役割
6月27日、尼崎市内で「コロナ禍で気づいた公共の役割〜新自由主義の克服めざして」と題して藤原辰史講演会がおこなわれた。以下講演要旨を紹介する。
最初に、食べること、食べられないことは社会の根底にある。その食べる所がおかしくなっている。食べるというのが公共のものではない。なぜ私たちは、食べることを独占しているのか、海外から大量に輸入して。そういうことを知らない限り、この世の中の根源的な差別、根源的な問題は解決されないのでは、これが私のテーマですと語り始めた。
公共性とは何か
公共性とは開いている(オープン)ということ。ドイツの哲学者ハーバーマスの概念。公共性はコロナ禍の前から縮小していた。アメリカではゲーティッドホームといって住む場所がゲート=壁で囲まれている。言論も自由な言論が新聞やニュースでほとんどなされない。ドイツと比べ日本の新聞はスポーツや広告が多い。中立を装いながら、決まっていることは動かそうとしないメディアが強くなっている。この公共権を開いていかないといけない。私が教えていたドイツのハイデルベルク大学の有名なモットーは「いつも開いている」。いつでも議論はウェルカム。オープンで、異論自由、反論自由そして議論を深めていくということだ。日本の公共性という言葉には、パブリック(全ての人に開かれシェアする)という意味もある。インターネットや鉄道など公的だったものが私的になっている。本来無料、税金などで共有すべきものがパーソナルなもの(企業)に囲い込まれている。
公共性奪う新自由主義
コロナ禍での脆弱性とは何だったか。イタリアで非常に多くの死者が出てしまったのはロンバルディアという工業地帯。お金のある地域では最先端医療を心臓外科とか脳外科の高度な医療に回しすぎた結果、感染症とか普通の病気に対するケアが届かなくなった。
言論がクローズ化されると検閲。かつて世界同時恐慌がおこった危機の時代、議論している暇がない、収縮しろということでスピードを重視した政治のスタイルが生まれる。トップダウンで徹底的に議論を排していくあり方がファシズム時代に各国でみられた。
いま日本の大学が非常に危機に陥っている。その最たる理由はトップダウン型のリーダー。大学の学長がその構成員によって選ばれるのではなく、内閣が都合のいい人物を選ぶ。大学の学士、学ぶ者というのは、経済成長に資する者でないとダメと言われる。ウェンディ・ブラウンは新自由主義では、ホモエコノミクス(経済人)が求められると言っている。公共って何なのか考えないで来た結果、新自由主義と右派により、「日の丸・君が代」、靖国神社、教育勅語、公共事業などが、「公共」にされた。
私たちが求める「公共」とは?
公共の台所とは、子ども食堂であり給食のこと。1990年にはなかった子ども食堂が今や五千カ所。これだけの数がボランティアで生まれた。家族以外の人とオープンで食べる場所が決定的に失われていた。子どもの7人に1人が貧困状態で、中学では弁当を持ってこない子は水を飲んで飢えをしのいでいる。子ども食堂は全部を家庭で賄おうとした資本主義のあり方を批判するものだ。農業は、小さな土地を小さな機械で耕し、化石燃料を使わないでやる農業をめざすべきだ。国連は、小農を重視した農業を打ち出した。日本は、小規模家族経営を壊して大規模な農業に変えようとしているが、全くおかしい。公共の報道が劣化して久しいが、インターネットや様々な媒体で色んな人が新聞を発行するようになり、そういう物が人々の公共を支えるようになった。ミニコミは重要な報道のあり方だ。(村川 瞳)
公立福生病院裁判証人尋問(下)
関東「障害者」解放委員会 松浦淳
透析の非導入=死を推奨
濱等を迎えて、腎センターが発足して以来、移植や透析と並べて透析の非導入を推奨してきた。このことは、17年度の病院指標にも記されていた。Aさんなどの事件が発覚して以降、この部分は書き換えられたようだが。
『腹膜透析の情報誌VIVID』16年7月発行号に、福生病院腎センターの濱と中林内科医師がインタビューで、中林は患者の2パーセントが非導入を選択していると述べた。濱は、「透析をしないで自分は自然に天寿をまっとうする、本人の意思とそれを家族が理解すれば、ハッピーに終わることがある」と述べている。こうして、透析の非導入で20−人が、透析中止で4人が亡くなった。
人の死を、このように扱えてしまう彼らの感性はどこから来るのだろうか。証人尋問から3日後の17日には、こうしたテーマでシンポジウムがおこなわれた。今後、報告していきたい。(おわり)
(シネマ案内) 『ペトルーニャに祝福を』 監督:テオナ・ストゥルガル・ミテフスカ (北マケドニア、フランス、ベルギー、クロアチア、スロヴェニア映画 2019年)
マケドニアの小さな町。32歳のペトルーニャは、正規職にありつけない。大学で歴史学を学び、秘書の仕事を希望している。ある日、母親が手配した就職試験をうけるが、うまくいかなかった。息苦しい世の中に、ペトルーニャの表情は暗く、何かに怒っている。その帰り道、キリスト教会(東方正教)の神現祭に出くわす。この祭りでは、川に流された十字架を拾った者は幸せになれるといわれている。女人禁制の伝統的な祭りなのだ。ペトルーニャは自分が幸せになりたいばかりに、川に飛び込み、男たちを出し抜いてこの十字架を手にした。
しきたりを破り、女性が十字架を持ち帰ったということで、この町は大騒ぎになる。ペトルーニャは警察で取調べをうける。伝統を守ろうとするキリスト教会、これを支える権力。排外的・差別的な群衆の男たち。母親は世間体を気にして、世の中の因習を破ったペトルーニャに冷たくあたる。女性レポーターが報じるメディアだけが彼女を擁護する。ペトルーニャは、ひとりで権力と闘っていく。
取り調べのなかで、ペトルーニャは、「わたしが興味をもつのは中国の現代史。社会主義と経済の融合に関心をもっている」と語る。人間を大切にする社会主義と、食べていけることができる経済システム、この両輪が必要なのだといっている。これは東欧諸国の民衆がいだいている率直な思いなのだろう。
やがて、ペトルーニャは釈放され、自由の身になる。このとき、ペトルーニャは希望を持って生きていく決意ができていた。すでに十字架は必要なかった。十字架を司祭にかえし、ペトルーニャはさっそうと警察署を出ていく。
たった1日の出来事が、こういう流れで展開されていく。テオナ・ストゥルガル・ミテフスカ監督は女性。神現祭での女性差別事件は、2014年マケドニアの東部の町シュティプで実際におきたことなのだという。キリスト教による女性差別、因習のなかに残る家父長制、仕事に関する差別、この映画は女性差別にかかわる問題をテーマにすえている。この作品のなかで、「神はなぜ男性なのか」と問いかけている。
北マケドニアの小さな町での事件であるが、これはどこにでもありえる話なのだ。日本でも神社の祭りで同じようなことがおこなわれている。この映画であつかわれている問題は、じつはきわめて現代的、普遍的なテーマなのだ。
新自由主義のなかで、人びとは競争にかりだされ、生きづらさを感じている。このなかで、悪しき伝統が復権してきている。ペトルーニャの人間的解放は、この世の中に明るい希望をあたえる。
『未来』8ページ化ができました
300万円の特別カンパを訴えます
革命的共産主義者同盟再建協議会
『未来』8ページ化に向けた各方面からのカンパありがとうございます。『未来』は価格は据え置きのまま8ページ化でき、今号で2号目です。
2021年夏、菅政権は、コロナ失政でかつてない危機にあります。東京五輪高揚での解散・総選挙も感染爆発で失敗し、支持率はさらに下落しました。今こそ菅たちを政権から引きずり下ろす絶好のチャンスです。
この時にあたり、わが革命的共産主義運動は、小なりとはいえ自己の飛躍をかけて、新自由主義強行の菅政権打倒の先頭に立つ決意です。旧来の1・3倍の運動量をつくるため、『未来』を6ページから8ページにしました。その上でその安定的発行のためには、パソコン機器の充実、各種資料の収集、アルバイトオペレーターの人件費などがこれから必要です。事務所ビル修理・改装と、パソコン機器・図書充実のための特別カンパをお願いします。ともにたたかいましょう。
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