人民の闘いで菅政権倒そう
感染拡大 過去最高に
五輪強行の菅は責任とれ
オリンピック開会式強行に抗議緊急事態宣言の真っただ中、オリンピック災害おことわり連絡会・反五輪の会主催で、国立競技場周辺で「五輪は中止だ!抗議アクション」が闘われた。(7月23日東京) |
東京五輪開幕を契機にコロナ感染が爆発的に拡大している。専門家の予想を超える拡大で、東京では3000人を超え、全国で1万人になろうとしている(7月末)。それでも菅は五輪の中止はないと断言した。
7月23日の開会式には代々木公園からのデモに700人が参加。国立競技場に立てこもる「金持ちのための政府」と「五輪貴族」に再考を促す声を確実に届けた。「五輪より命」、「大災害時(コロナ感染爆発)に避難措置は国の責任」との声はさらに高まっている。即刻中止しかない。
安倍―菅政権が政治利用
東京五輪は2013年の招致時から腐敗した歴史の連続だ。当時のJOC会長・竹田恒和らが、多額の資金でエージェントを通じて招致工作し、のちに竹田は訴追を恐れて辞任した。13年に安倍首相は虚偽演説(「アンダーコントロール」)で招致した。2020年にはコロナ感染症に襲われ、1年の延期を余儀なくされた。その際「完全な形での開催」を言ったがそれも破産し、安倍は開会式を欠席。菅政権では開催が自己目的化された「呪われた祭典」となった。
森喜朗大会組織委員長の女性差別発言からは、組織委員会そのものが「多様性と調和」という五輪のエセ理念と無縁で、演出には差別・排外主義者が巣くう団体であることが判明した。(2面に関連記事)「復興五輪」とは名ばかりで、金儲け第一・政治利用そのものだ。
安倍政権8年弱、菅政権1年弱の間、森喜朗〜安倍晋三ライン(自民党清和会)が、利権と国威発揚・政権延命のため五輪を利用しつくしたのだ。コロナ対策・緊急事態宣言発令でも常に五輪優先の日程が組まれた。中小商店・飲食業などが塗炭の苦しみにあっても、IOCのTV放映権料収入のため中止・延期はせず、都議選敗北まで入場料収入=有観客にこだわり、「命とくらしを守れ」という声にも安倍は「五輪反対は反日勢力」とした。組織委員会の差別暴言(女優の体形揶揄、いじめ公言)が開会式前日・当日まで続いた。開会式でもLGBT非難を繰り返す、すぎやまこういちの音楽使用など、五輪組織委は森を頂点に差別・排外主義者が、国威発揚の演出を策動したのだ。
第5波への感染拡大が止まらない。7月26日には月曜日でも東京の感染者は前週の2倍の1429人。28日には3000人を超えた。ワクチン供給も停止し、医療ひっ迫も目前だ。選手団・大会関係者にも100人を超す感染者が出た。「呪われた祭典=東京五輪」は直ちに中止しかない。
関生武委員長に不当判決
7月13日 スト権圧殺を許さない
判決後、力強いアピールをおこなう武建一委員長 |
組合活動を犯罪視
7月13日、大阪地裁(佐藤卓生裁判長)は、全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部(以下、関生支部)武建一委員長にたいして、組織的におこなわれたストライキが「威力業務妨害」にあたるとし、またコンプライアンス活動が「脅迫」にあたるとして、懲役3年、執行猶予5年の重罪判決を出した。他方で、タイヨー生コンの「恐喝事件(会館建設寄付金)」については、犯罪の事実がないとして無罪を言い渡した。これにより検察が狙った実刑判決・長期投獄は阻止された。
産業別労働組合の壊滅ねらう
判決をうけて武委員長は、集まった400人の支援者を前に「最悪の場合実刑があると心に決めていた。この弾圧は執行猶予でも絶対許せない。今回の弾圧の本質は産業別労働組合の壊滅だ。そのための国策弾圧は絶対許せない。日本の裁判所は企業別労働組合しか労働組合でないと思い込み、労使関係のないところでストライキなどできないと思いこんでいる。これを打ち破らなければならない。世界的水準からすれば、産業別労働組合はその産業全体に影響を及ぼすような賃金、労働条件について要求を実現するためのストライキ権が当然ある。民主主義はじっとしていたら破壊されることはあっても発展することはない。これからも正当な要求の実現のために断固としてストライキをたたかう。労働組合、市民運動が共通課題で団結してたたかおう。人類の命を犠牲にする原発などいらない、沖縄の辺野古新基地建設はいらない」と力強くアピールした。
座り込み集会
この日は10時の判決を前に、朝8時半から、裁判所前の公園で「座り込み集会」がひらかれた。主催は、労働組合つぶしの大弾圧を許さない実行委員会。全国から400人の支援者がかけつけ、参加者は公園からあふれ出た。
最初に、実行委員会を代表して全港湾大阪支部の小林勝彦さんが、「平日にも関わらず予想以上の仲間が集まってくれた。仕事で来られない仲間も大勢いる。これらの仲間の思いを受けとめて今日の集会を成功させていきたい。私たちが声を上げることによって心ある裁判官に本当の仕事をやらせていく、裁判官の心に我々の一人一人の思いが届くような集会にしていきたい。すべての逮捕者の無実を絶対に勝ち取りたい。そうでなければ我々労働組合、労働者の未来はない。この闘いが民主主義、市民運動の勝利につながっていく。みなさんの声を裁判所に届けるために座り込み集会を貫徹していきたい」とあいさつした。
続いて、関生支部の武洋一書記長は「今日は滋賀県警、京都府警、大阪府警のでっち上げ事件の判決が出されるが、労働組合が賃上げを求めてストライキを打てば、これが威力業務妨害? 労働組合には集団という力があるからこそ威力がある。この威力を発揮できない労働組合など存在価値がない。会ったこともないのにどうして恐喝になるのか、就労証明書を求めたら強要? 労働組合を反社会的存在と規定するこんな弾圧は許せない。高裁、最高裁にむけて無罪を勝ち取る闘いを続け、現場の闘いでこれに必ず勝利します」と決意表明した。
韓国の〈民主労総全国建設労働組合〉イ・ヨンチョル委員長から「日本の労働者が弾圧に屈することなく果敢に闘っているように、私たち韓国の労働者も断固としてたたかっていく決意です。日本の労働者と韓国の労働者は、権利と人権を守るためにこれからも果敢に闘っていくでしょう。日本の労働者と韓国の労働者が一つであること、万国の労働者は一つであることを私は闘いをとおして表明したいと思います。ともに闘いましょう」という連帯のメッセージがあった。
判決後、大阪地裁にシュプレヒコールをたたきつける400人の労組員・市民(7月13日) |
2面
「黒い雨」裁判 高裁でも勝利
7月26日 国が上告断念
広島地裁につづき広島高裁は「黒い雨」訴訟で原告側の全面勝利の判決を下した(7月14日、広島) |
上がる歓声、涙ぐむ原告
7月14日午後3時5分、広島高裁正門前で待ち構える原告や支援、大勢の報道陣に向かって「全面勝訴」と書かれた旗が掲げられると、大きな歓声が上がり、涙ぐむ原告や支援の人々も見える。
原告で「黒い雨」訴訟を支援する会事務局長の高東征二さん(80)は、「原告のほかにも、ギリギリのところの人たちがいっぱいおるんですが、もう、病気だらけの人生を送ってこの裁判を見守っている人がたくさんいます。そういう人たちも早く助け上げて、道を開けて欲しい」と訴えた。
広島高裁 国の線引きを再び否定
広島への原爆投下後に降った放射性物質を含む「黒い雨」に遭いながら、国の援護対象区域外だったとして被爆者健康手帳の交付を受けられず、広島県内に住む男女84人(うち15人は死亡/7月22日現在)が被爆者健康手帳の交付を求めた控訴審判決で広島高裁の西井和徒裁判長は7月14日、原告全員を被爆者と認定した一審広島地裁判決を支持して国側の控訴を棄却して手帳の交付を命じた。
広島弁護士会館で報告集会
その後、広島弁護士会館に移動して、報告集会がおこなわれた。原告や弁護団、支援団体など約150人が集まり、弁護団長の竹森雅泰弁護士は「一審広島地裁判決をさらに補強した画期的な判決」と評価した。「黒い雨」被害に長い間苦しんで来た人も救済の道が開ける可能性が出てきた。
原告団長の高野正明さん(83)ら原告からの発言も続き、最後に弁護団と原告団が正面に集まって「頑張ろう!」と声をあげた。
一審判決よりも踏み込んで救済
今回の広島高裁判決は、原告全員を被爆者と認めた一審広島地裁判決からさらに踏み込んで、「黒い雨」に遭ったが、いわゆる特定11疾病を発症していない人も被爆者と認めるという新たな判断を示した。
国は「黒い雨」に遭った人を被爆者として認定する要件として、@援護対象区域内で雨に遭う、Aがんや白内障など特定11疾病を発症―の2点を求めている。
しかし、広島高裁判決は、井戸水を飲むなどによって内部被曝による健康被害を受ける可能性があったと指摘して区域の内か外かや、特定11疾病を発症しているか否かは問わず、被曝した可能性があれば積極的に認定するように国側に求めた。
残された時間は少ない。この訴訟を通して明らかになった最新の知見で原告以外の被害者も幅広く救済されるよう、上告断念を迫らなければならない。
県、市は上告断念を
7月15日には判決を受けて原告団の代表が、制度上の被告となっている広島県と広島市に上告断念の申入書を手渡した。7月19日には、伊方原発広島裁判原告団と原発事故被害者団体連絡会(ひだんれん)の代表が、広島では広島県と広島市に、東京では厚労省にたいして上告断念の申入書を手渡した。さらに、琉球大名誉教授の矢ヶ崎克馬氏らが、7月25日までのオンライン署名を呼びかけている。上告期限は7月28日。
しかし7月20日には田村厚労大臣が、閣議後の記者会見で「黒い雨」訴訟判決について「(放射能にかんする)他のいろいろな事象に影響する内容とすれば、我々としては容認しづらい面がある」と発言した。国は、上告によって時間をかせぎ、まるで被爆者がいなくなるのを待っているかのような態度に出ている。被爆76年、東日本大震災・福島原発事故10年、核兵器禁止条約発効後、初めての夏を共にたたかいましょう。
国が上告断念
7月26日、菅首相は「上告を断念する」と発表した。
(松田 忍)
東京五輪の腐敗した歴史
差別者巣くう組織委員会
5月9日の反対行動 |
◆13年9月 【大会誘致工作・演説】 安倍首相は招致にあたり、福島の放射線は「アンダーコントロール」(されている)という、虚偽のスピーチをした。また竹田恒和JOC会長(当時)らの多額の金銭を使った誘致工作で、東京開催が決まった。
◆15年7月【建設費問題】 新国立競技場の建設費が当初予定を大きく上回ることを理由に、イラク出身の建築家ザハ・ハディド氏のデザインを廃案。斬新なデザインと建設費問題以外に、ハディド氏に対する排外主義的感情があったとされる。後任は隈研吾の「日本文化の香る木使用」の基調案が採用された。
◆15年9月【パクリ疑惑】 公式エンブレムが、ベルギーの劇場のロゴに似ていると指摘され、組織委員会は同デザインの使用中止を発表。16年4月、藍色の「組市松紋」で描かれた新デザインに。
◆20年3月【開催延期】 新型コロナウイルスの世界的まん延を受け、大会を1年延期。組織委員会(森会長)、東京都(小池知事)、政府(安倍首相)間で合意し、IOC臨時理事会で正式承認。
◆20年11月【不信で辞任】 開会式の振付師が辞任。延期決定後、組織委員会から連絡のないまま、IOCから新たな企画案を提示されたことによる不信感が理由
◆21年2月【女性差別発言】 組織委員会の森喜朗会長が、JOC評議員会で「女性がたくさん入る会議は時間がかかる」などと発言。女性差別発言が、平等をテーマに掲げる大会に適さないと辞任。
◆21年3月【容姿侮辱】 開会式で、女性タレントの容姿を侮辱する演出を提案した企画・演出の統括ディレクターが辞任。
◆21年7月【無観客五輪】 最後まで有観客にこだわった菅義偉首相は、7月からの感染者の急激な増加などを理由に、4度目の緊急事態宣言を発出。都議選敗北後に無観客開催を決定。
◆同【いじめで辞任】 開会式の楽曲担当だったミュージシャンが、いじめ加害者だったことを雑誌で告白していた問題で辞任。
◆同【大虐殺揶揄】 開会式前日に、開閉会式の「ショーディレクター」が、コントでユダヤ人大虐殺をパロディー化していたことが発覚し解任。
◆同【LGBT非難の作曲家の楽曲を開会式で使用】 杉田水脈との対談でLGBTを「生産性がない」とした作曲家・すぎやまこういちの楽曲を使用。すぎやまは安倍に連なる「文化人」として、TBS報道番組の岸井成格(故人)攻撃をした中心人物。
3面
表現の不自由展かんさい
問われる私たちの民主主義
7月16日から18日、エルおおさか(大阪市中央区)で「表現の不自由展かんさい」が幾多の妨害をのりこえて開催された。これまで「不自由展」は東京、名古屋で右翼やヘイト集団の妨害で延期や中止に追い込まれてきたが、今回大阪でこれをうちやぶった。
開催にむけての攻防
エルおおさかは当初、「不自由展」の利用を認めていたが、2週間前の6月25日、妨害を理由に承認を取り消した。翌26日、吉村洋文大阪府知事は「承認取消を支持する」と表明。エルおおさかの催しへの右翼の行動はこれまでもあった。しかし毅然として利用を認めてきた。使用取り消しは今回が初めてだ。取り消しが容認されるなら今後右翼やヘイト集団の反対を理由に貸さないことになる。「不自由展」実行委は大阪地裁に「執行停止」を申立て、同時に「不自由展」の開催を求めるネット署名を開始。「問われているのは私たちの民主主義です」と。署名は短期間で6761筆に。
大阪地裁(森鍵一裁判長)は7月9日、利用を認める決定をした。施設側は即時抗告したが大阪高裁(本多久美子裁判長)は7月15日、「妨害の恐れを理由に会場の利用を拒むのは表現の自由を保障した憲法21条の趣旨に反する」「回避できないような重大な危険があるとはいえない」と即時抗告を棄却。最高裁への特別抗告も棄却された。
妨害はねのける
7月16日 エルおおさか玄関前は50人以上の人の座り込み。歩道にはスタッフや、黄色の腕章の人たちが車道むこうの右翼らに整然と対峙(写真)。1日目のチケット500枚は10時には完売。その後も多くの人が続々と来場。右翼やヘイト集団は大音量の車で対抗するも何もできず。
7月17日 2日目のチケット500枚は10時前に完売。自主防衛には若い世代も多数参加。20代の男性は「大音量はめいわくです。恥ずかしくないのか」のプラカードを出して右翼らに無言でアピール。
7月18日 300枚のチケットは早々と売り切れ。
今回、右翼らの妨害をのりこえ「不自由展」を開催した意義はきわめて大きい。署名の数も7千人近くでこれを数倍する人々が開催を求めていた。実行委のメンバーは「開催を迎えられて晴れ晴れした思い。実際に作品を見て考えてほしい」(7/16毎日)と表明した。
エルおおさかの今回の対応の背後には大阪維新の姿が見え隠れする。若い人の決起に勇気づけられた3日間だった。(三船二郎)
7月19日 国会前行動
安倍・菅政治に終止符を
7月19日夕方、衆議院第二議員会館前を中心に「いのちとくらしと人権をまもれ! オリンピックではなくコロナ対策を! 自民党改憲4項目反対! 7・19国会議員会館前行動」に450人の市民が集まった(写真)。主催は、戦争させない・9条壊すな! 総がかり行動実行委員会。
菅政権に終止符を
憲法共同センター憲法会議・高橋信一さんの司会で始まった。
主催者を代表して、〈戦争をさせない1000人委員会〉の勝島一博さんが開会あいさつ。「五輪の意味が問われている。『アンダーコントロール』という安倍の嘘から始まり、『復興五輪』と言うが福一の処理は作業日程さえできていない。今も2万9706人の避難者が故郷を奪われ、住宅を奪われている。汚染水海洋投棄(の方針)が世界から非難されている。どこに『復興五輪』の姿があるか」「『人類がウイルスに打ち勝った証としてのオリ・パラ』と言いつつ、GoToキャンペーンや緊急事態宣言、ワクチン接種の中断と迷走。飲食店や労働者、(不安定雇用下に置かれた)女性にしわ寄せが。五輪を中止する勇気を」「都議会議員選挙で自公の議席は50%を切った。安倍・菅政権に終止符を打つ時が来た」
社会民主党・福島瑞穂参院議員、日本共産党・田村智子参院議員、立憲民主党・小西洋之参院議員が東京オリ・パラや南西諸島への自衛隊配備、コロナ対策、憲法調査会の問題を訴えた。
沖縄から電話アピール
〈辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議〉の福元勇司事務局長が沖縄現地から電話で連帯アピール。「埋め立て予定地の大半に軟弱地盤があり、当初予定の6倍の土砂が必要。(沖縄戦の遺骨がまだ埋まっている)南部戦跡からも土砂を取ろうとしている。設計変更申請について国から沖縄県に問い合わせが来ている。県知事の設計変更申請不承認が刻々と近づいている。基地建設をめぐる国と県との裁判は4件が県の敗訴、4件が引き分け、裁判中が1件。(サンゴ移植を巡って沖縄県の敗訴が確定した最高裁判決で)今回初めて(国側勝訴への)反対意見が出た。(移植しても)サンゴの生息率はとても悪かった。(設計変更申請については当初計画の仲井眞知事による)承認の後に軟弱地盤が判明した(国から県への移植承認を求める是正指導の時点で設計変更申請は出ていなかった)。全国連帯で共に頑張ろう」
都議会議員選挙(小金井市)で野党統一候補として当選した漢人あきこさんの発言。「大差で勝った。市民が先頭に立った。地域の自然環境を守る運動として幹線道路建設に反対した。市議会でオリ・パラ中止を求める決議を上げ、小池都知事に申し入れた。東京が変われば全国が変わる」
コロナ禍で女性が
全労協全国一般東京南部委員長の中島由美子さんの発言。「コロナ禍での『女性による女性のための相談会』を3月と7月におこなった。『コロナ被害相談村』では2割が女性。かつての「派遣村」では相談の女性は5名だけ。コロナ禍で女性が苦しんでいる。7月には東京第二弁護士会の主催(相談会実行委員会が共催)で123件の相談があった。多いのは労働相談。『仕事がない』『コロナで解雇になった』『不安定雇用・低賃金』。『夫が家にいてDVに遭う』『食べるものがない』という現実がある」
行動提起
〈憲法9条壊すな! 実行委員会〉の山口菊子さんが行動提起。「軍と闘うミャンマーへのカンパを。9月9日、総がかり行動の全国交流会をオンラインで。9月19日は安保関連法可決から丸6年。14時に国会正門前に。臨時国会が召集されたら初日の正午に国会前行動で菅内閣退陣を訴える」
原発いらない金曜行動
第3金曜日 首相官邸前で
首相官邸前で金曜行動が復活(7月16日、東京) |
9年間に渡って首相官邸前、国会前などで続けられてきた毎週の反原発国会行動が3月に終了したことを受け、国会周辺での反原発行動には重大な意義があるとした人々が集い、あらたに毎月第三金曜日、官邸前で行動が始まった。〈原発いらない金曜行動〉と名付けられ、第1回目の6月18日には450人が参加。今回2回目の7月16日には290人が集まった。
冒頭、主催者は「原発事故から10年と4カ月たったが、全く収束の目途が立っていない。それどころか、汚染水の放出等で問題を更に大きくしている。また、老朽化原発の稼働等、事故の重大性を全く見据えていない。温暖化対策を口実に原発を推進するなど悪意に満ちた行為だ」と提起。
呼びかけ人のひとり、鎌田慧さんは「いま我々は、原発の危険・コロナの危険・オリンピックの危険に苛まれている。これらを打ち破って平和な社会を築こう」「再処理工場をはじめ稼働の見込みのない施設にどれだけ税金を注ぎ続けるのか。そんな金があるなら福祉に回すべきだ」と発言。さらに落合恵子さんら多くの発言を受けた。
青森、福井からのメッセージ、東電株主訴訟やこの夏にも開始される見込みとなった東電刑事裁判(控訴審)の報告もあり、あくまで事故の責任を追及し原発のない社会をつくるまでたたかいを続ける意欲を再確認する場となった。
4面
日本の曲がり角には必ず朝鮮がある
『時務の研究者 姜徳相
在日として日本の植民地史を考える』
姜徳相聞き書き刊行委員会編
「時務」とは聞きなれない言葉だが、「時の務め」つまり「今歴史家がやらなければならない仕事」という意味である。
姜徳相はこの本の中で、「日本の曲がり角には必ず朝鮮がある」と力説している。近現代の日本社会をとらえるうえで、朝鮮との関係がキーを握っているという問題意識に立っているのだ。
1934年、2歳の彼は母親に連れられて渡日した。父親は東京で屑屋を営んでいた。刺すような民族差別の中、母親は朝鮮の衣装で堂々出歩く。姜少年は母親と街中で出合うと、逃げて姿をくらました。
1950年には、レッド・パージ反対闘争に参加して早稲田大学を退学処分された(後に復学)。以降歴史研究者の道を歩み、いくつかの大学の非常勤講師を経て、一橋大学社会学部の教授になった。「在日」朝鮮人として初めての国立大学教授である。
その間、通名(日本名)でとおすか本名を名乗るかで悩んだりした。「在日」であるが故に恋人を失ったり失意の体験をする。そして、それまで誰も本格的に研究して来なかった1923年の関東大震災下の朝鮮人大虐殺に取組むにいたる。
全編語り口で綴られているので、大変読みやすく分かりやすい。しかも中身は濃く、われわれ日本人の胸に突き刺さる。以下、深く印象づけられた部分をいくつか紹介したい。
▽「私がいつも学生に言うのは『歴史意識は人の心を作る。風が吹けば砂は飛ぶだろう。だけど石は飛ばない。自分の考えを持っていれば飛ばない。風で飛ぶな!』こういうことをいつも言います。歴史を体の芯にきちんと捉えていくことが大切だと。」
▽「朴慶植は3・1(※1)の独立宣言書を書いた33人を高く評価していました。でも私は彼らの全生涯を見たとき、朝鮮の人民を代表していないと考えた。ほとんどの人が転向しています。残ったのはたった2人だけです。それはいったいどういうことなのか。私は人間の一生は最後が大事だと考えています。どんな悪い人でも最後に立場を変えれば評価できる。その反対も然りです。」
彼の発言は関東大震災下の朝鮮人大虐殺に及んで、次第に熱を帯びる。
▽「戒厳令は内乱または戦争時に発令される。なぜ震災という自然災害に発せられたのか。そして内乱を起こしたのは誰なのか。当時、内務大臣の水野錬太郎は言っています。『敵は朝鮮人』と。戒厳令は朝鮮人に対する宣戦布告です。戒厳令で軍隊が朝鮮人殺しをやっていく。同時に警官は朝鮮人暴動を宣伝していく。それを見た民衆は、自分たちもお国のために在郷軍人、青年団、消防団員が中心になって自警団を組織し朝鮮人狩り、誰何して朝鮮人とみれば殺していったのです。」
▽「3・1運動弾圧は徹底した武力行使でした。(例えば平南孟山の弾圧では)百名のデモで67名が死んでいます。百名のデモで67人が死んだということは、兵士に百発百中、皆殺しという敵意がないとできないことです。」
▽「『シベリア出兵憲兵史』という本があります。この中で日本軍に対して最も勇敢に戦ったのは朝鮮人ゲリラだったと書いています。尼港事件(※2)で日本人が皆殺しになる事件がありました。そのときに中心になったのは朝鮮人だったのです。」
▽間島事件(※3)について、「日本の憲兵隊司令部は『大正三〜九年戦役』という言葉を使っています。」
▽「戒厳司令部の警備部を構成した軍人や官僚の経歴を調べると、すべて3・1運動や間島事件・シベリア出兵時の朝鮮総督府や朝鮮軍の最高指揮官や高級参謀である。「関東大震災時の虐殺は、朝鮮民族解放闘争の国際化を背景とする侵略と抵抗が生み出した民族対決です。」
▽最後に決定的な一言。「日本人の弱点は、朝鮮と日本の関係をあまりにも知らなすぎることです。そして政権の煽動に乗りやすい。」
日本軍性奴隷や徴用工問題などの理解を深めるためにも、本書は必読の書であるといえよう。
※1 「3・1」…1919年3月1日から1年余にわたり朝鮮全土で展開された反日蜂起。7645人の死者を出した。
※2 尼港事件…1920年2月、シベリアのニコラエフスク(尼港)を不法占拠する日本軍をソビエト・パルチザンが包囲し降伏させた。日本軍は降伏協定を破って蜂起したが敗れ、捕虜とロシア人反革命派が殺された。
※3 間島事件…1920年、3・1運動を機に間島地方(中国の朝鮮国境地帯)で朝鮮人の独立運動が高揚し、独立軍を編成して日本の支配を脅かした。日本軍は朝鮮人部落を襲撃して3万人を虐殺し、暴行・放火をくりひろげた。
(三一書房、2200円)
一読者(静岡)
五輪反対 菅倒せで行動
7月6日 大阪ロックアクション
7月6日、大阪市内で「ロックアクション御堂筋デモ」がおこなわれ、約70人が集まった。主催は〈戦争あかん! ロックアクション有志〉。共同代表の古?荘八さんが主催者あいさつ。
つづいて4つのテーマで次のような発言があった。
(1)「デジタル化と監視管理」と題して〈管理・監視社会化に反対する大阪ネットワーク〉木村真さんから。
デジタル改革関連法が成立し、個人情報は丸裸にされていく。企業は、IT利権でボロ儲けし個人情報を売買し商売のネタに。政府の目的は、徹底した徴税と社会保障の極限までの削減、人民監視と予防拘禁の治安弾圧だ。デジタル化では個人情報を勝手に取得され利用される。「本人の同意なき個人情報の取得・利用の禁止」、ネットワークに「つながらない権利、消去する権利」の保障が必要だ。
(2)「コロナ医療崩壊は維新の責任」と題して〈ロックアクション〉から。5月大阪府のコロナの死者は全国の32・2%を占め全国で一番命を奪われている。08年、橋下徹が知事になり公的医療が徹底的に壊された結果である。公的医療を再生していこう。
(3)「スガ政権による改憲への動き」と題して〈とめよう改憲! おおさかネットワーク〉から。昨年、立憲民主党の幹事長と自民党の幹事長が手打ち式をやって、今通常国会で改憲手続き法(改正国民投票法)を強引に成立させた。憲法審査会はいよいよ動き出してしまった。改正国民投票法は、最低投票率の規定もなく欠陥法。同法は抜本改正せよと声を上げよう。
憲法審査会で自民党の改憲4項目の論議を絶対にさせないために、4項目を徹底批判する宣伝をやっていこう。
(4)「五輪より命」と題して〈東京オリンピック・パラリンピック反対! 実行委員会〉から。オリンピックは歴史的失敗として記憶されることは明らかだ。福島「3・11」の被害をないものにするという間違った発想のもとで招致され、招致に莫大な賄賂が使われ、東京都知事が次々と汚職に。菅政権は全く人々の命については考えていない。オリンピックは廃止する。オリンピックの損害には一切税金を使わせない。(写真上)
最後に、大阪・市民交流会と連帯労組関生支部が1分間アピールをして、デモに出発した。デモは「オリンピック中止」「吉村、松井今すぐやめろ」のコールと、Swing Masaさんのサックスと歌が響き渡り沿道から注目を浴びた。
神戸で反五輪デモ 緊急行動に40人
東京五輪開幕の前日、神戸で「五輪反対デモ」が、「こわすな憲法、いのちとくらし、市民デモHYOGO」参加の1市民団体の呼びかけでおこなわれた。市民デモHYOGOはコロナ感染下でも毎週木曜日にマルイ前で街頭宣伝活動をしてきた。7月からは、のぼりをたてシール投票も再開。当然にも「コロナと五輪」は最大の関心事。それでもデモには躊躇もあったが、市民団体の呼びかけで「えい、やっ」と決行。
7月22日は開会式前日、市民デモ木曜行動の終わりにあわせて東遊園地に集合。マルイ前の人も合流し総計40人。横断幕、メッセージボード、旗など多様ないでたちでセンター街を「五輪は中止、菅は責任をとれ」などのコールに市民は好意的反応。(写真)
五輪開催中にはまだ何が起こるかわからない中で、8月5日(木)に再度デモ行進をする。アスリートの活躍が報道されるが、それでも「緊急事態宣言下の五輪強行」は、中止か延期なのだ。今声を上げることが必要との思いを強くした。
5面
(本の紹介)
『神話なきマルクス』に学ぶマルクス主義の歪曲の歴史
『神話なきマルクス』マクシミリアン・リュベル著
現代思潮新社刊・3800円+税
『神話なきマルクス』はもともと1975年に元フランス・レジスタンスだったマクシミリアン・リュベルが書いたものだが、この5月に日本語訳が初めて出版された。短く書評を書くのは難しい。マルクスに対して左右から作り上げられた虚像を暴き、『マルクス・エンゲルス全集』などから実際にマルクスが書いた文章を紹介することで、神話化された座から生身の革命家としての実像に迫ろうとするもの。それは成功していると思う。ここで参照されているのは『全集』と言っても日本では大月書店から出ているもので、原著の意味は『マルクス・エンゲルス著作集』であり、最近話題になっている『マルクス・エンゲルス全集(MEGA)』とは別の物。初期の『MEGA』も参照されているが、晩年のメモなどは参照されていない。旧版の『マルクス・エンゲルス全集(大月版)』を編集したのはドイツ共産党付属・マルクス=レーニン主義研究所だが、これ自身がマルクスの理論を否定的に歪曲した『まとめ』を書いている。
短い書評は難しいので、論文になることを許して欲しい。マルクスが一生の内で意見を変えていることや「時代的制限だ」とされて、いろいろな説が飛び交う「プロレタリア独裁」と「暴力革命」と「マイノリティーとの連帯」に関するマルクスの叙述をもとにまとめてみようと思う。革共同のマルクス・レーニン主義がいかにスターリン主義の歪曲の影響を受けたままだったかが分かる。
プロレタリア独裁論の歪曲
「プロレタリア独裁」について、晩年までマルクスは考えを維持した。それは圧倒的多数者であるプロレタリアが極少数者のブルジョワジーを侵害するということを意味する。後のロシア革命のように少数者であるプロレタリアの党が多数者である農民を独裁するというようなことが想定されてはいない。そもそも『ザスーリチへの手紙』とその下書きにあるように、マルクスはロシアでは『資本論』の原理である資本主義的発展を通したプロレタリア革命ではなく、多数者である農民による農耕共同体から共産主義への革命を展望していた。
レーニンがプロレタリアの党による権力奪取ができたのなら、それはそれでいいことなのだけれど、農民に対する独裁などという反マルクス主義的政策をとるべきではなかったと思う。マルクスの死後、数十年たちロシアの経済的発展があり『ザスーリチへの手紙』とは情勢は変わっていただろう。だが、このレーニンの少数者が多数者を支配するという独裁はマルクス主義とは無縁のものだ。詳しくは知らないが、ロシアでは「労農連帯にもとづくプロレタリア独裁」か「労農独裁」か、という議論があったという話を聞いたことがある。レーニンが採用しなかった「労農独裁」の方がマルクスの言う「プロレタリア独裁」論に沿ったものではなかったか。
暴力革命論と平和的革命論の並立
晩年まで、「暴力革命」を否定する者をマルクスは烈火の如く怒った。しかし、同時に「イギリスとアメリカ合衆国では平和的革命が可能だ」と書いている。(「イギリスやアメリカでは労働者は平和的手段で革命を行なえるが、その他の国――支配形態がブルジョワジーか、旧勢力による暴力的支配の国――では暴力革命が必要だ」(1872・9・8IWAアムステルダム支部の集会でのマルクスのアピール)。マルクスにとってプロレタリアの手を縛る「暴力革命反対論」は許せなかった。これは今日的な日本革命の問題でもある。しかし、マルクスにとってそれは革命の方法論の次元の話だった。「より良い方法があれば採用する」ということだった。
のちの革共同が『ドイツ・イデオロギー』の中の叙述をもとに主張したような「汚物にまみれたプロレタリアを清めるためには暴力が必要だ」などという文学的であり観念論的である主張を終生通していたのではない。この革共同の主張は、「暴力によって汚物をぬぐった革共同中央指導部が労働者を領導する」という意味付けに利用されてもいた。
マイノリティーの解放論
前に紹介した『カール・マルクス』(佐々木隆治著)の中で晩年のマルクスはマイノリティーの解放をプロレタリア革命の援軍と考えていたことが紹介されていた。旧来のマルクス・レーニン主義者は「マルクスは資本家と労働者の対立しか見ておらず、植民地問題、差別問題は射程に入っていない」としてきた。この本では佐々木が引用したのと同じ論文の別の個所で「アイルランドの独立(または連邦制)はイングランドのプロレタリア革命の前提条件だ」とさらに踏み込んでいることが分かった。日本に当てはめれば、「朝鮮・中国・沖縄の解放は日本プロレタリア革命の前提条件だ」というに等しい。「朝鮮・中国・沖縄の解放論」の新しい視座を得る。第二次世界大戦後、中国では革命が起き朝鮮も独立した。しかし、その後も中国・朝鮮を含むアジア諸国への日帝の新植民地主義的支配関係は維持された。経済発展により中国は経済大国になったが、朝鮮に対する支配的関係を日帝は維持しようとしているし、沖縄に対する植民地的差別支配は変わらない。この現実を超えることは、まず「日本プロレタリア革命の前提条件」なのだ。そんなふうに提起した政党・党派がかつて日本に存在しただろうか。
革共同は「マイノリティーとの連帯による日本労働者階級の階級形成」と日本プロレタリア革命に主眼を置いた「7・7自己批判」をおこなった。この日本プロレタリア革命が第一とする「7・7自己批判」の立場さえも超えた地点にマルクスは立っていたのではないか。「障害者解放・日帝打倒」論を「障害者解放は日本プロレタリア革命の前提条件」論へと組み替える必要を感じている(この問題に関しては別に詳論したものを準備している)。
マルクスに帰れ
あるマルクス・レーニン主義者が書いたもので、「マルクスよりもマルクス主義者の方が正しい」という説を読んだことがある。また、たしかにマルクスが書いたには違いないが、後にはマルクス自身が修正している叙述を論拠にする人もいる。唯我独尊も極まった意見だが、それならば、「マルクス主義」者を名乗ることは止めるべきだ。マルクスを絶対視することもマルクス自身が望んだことではない。しかし、マルクスの説を採用しないというならば、どこがどう限界があるのか、その批判的論理展開をきちんとすべきだろう。「マルクス主義の内在的発展」と自分の都合と主張に合わせた「マルクスの一言半句解釈」による歪曲は違う。マルクスの言葉にはそこに帰るべき内実があるのだ。(高見元博)
『未来』での高見元博書評一覧(2021年以降)
320号(6・17)
『風の谷のナウシカ』コミック版
『トルメキア戦記』バージョン 全7巻
(徳間書店)
319号(6・3)
連帯ユニオン編 熊沢誠他著
『挑戦を受ける労働基本権保障』(旬報社)
316号(4・15)
佐々木隆治著
『カール・マルクス〜「資本主義」と闘った
社会思想家』(ちくま新書)
315号(4・1)
ミヒャエル・ハインリッヒ著
『「資本論」の新しい読み方――21世紀のマルクス入門』(堀之内出版)
6面
連載
#Me Too運動に学ぼう
党内性暴力事件 真の謝罪のためにM
女性解放闘争の新たな一歩を
藤野かな子
被差別者の主体形成論
1971〜73年過程で革共同は、安保沖縄闘争の高揚に対する権力の破防法弾圧と反革命カクマルの襲撃という二重の反動との闘いに突入するとともに、73年秋にはSG問題という党内における内部糾弾(糾弾至上)主義の発生で、組織的危機に直面していた。田島優子論文をこの糾弾至上主義との関係で、これを克服する被差別者の主体形成論としてとらえるとよく理解できる。
7・7自己批判は差別する側の主体形成論であるが、差別される側の主体形成論は未形成だった。そのため党内にも糾弾至上主義への傾斜が生まれ、これとの思想闘争が求められた。今回のH事件を考えるなかで糾弾至上主義とは何か、鮮明になってきたことがある。
女性差別問題も、被差別者の解放への闘いは糾弾への決起から始まる。泣き寝入りさせられてきた歴史から、人間の尊厳をとりもどすために怒りの声をあげること自体が命がけの闘いという意味をもつ。そのうえで、怒りの感情を帝国主義社会という差別の本質にまで掘り下げ、その根本的解決のために差別を必然化する社会の変革の担い手にまで自己をおしあげること。そのために必要となる自分だけでない人民全体の利害も引き受ける。そのなかには、労働者階級がなぜ差別者へと転落したのかという労働者階級の解放の課題をも引き受けなければならないという問題があり、この立場に立つことは被差別者にとって大きな飛躍だ。本質的には解放だが直接的には苦しく困難な闘いである。
この飛躍を拒否し被差別者の立場からだけ自己を主張するあり方が、それ自体個別には正しくても相手を打倒するしか終わりのない糾弾至上主義につながってしまう場合があるということである。
71年の清水論文でリブ派に対してすでに7・7から後退した対応をとっていた革共同だったが、73年の田島論文でもう一段後退した背景には、SG問題への危機感があったと考えられる。とはいえ田島論文は被差別者である女性の主体形成論というべき内容を提起した。だからこそ広範な女性党員や大衆がこれに確信をもって、差別の元凶である帝国主義の打倒へ命をかけ長期投獄を恐れずまさに主体的に決起した。こうした思想的支柱としての歴史的役割を果たしたことは、まぎれもない事実だ。
男性の自己解放闘争は不可欠
その意義にふまえたうえで、しかしこれが女性解放闘争の綱領論文となることによって男性の自己解放闘争という不可欠の構成要素が捨象された。男性党員の差別的弱点も自己変革の実践がえられないまま温存される結果となった。
もちろん多くの男性党員が7・7思想で武装し女性差別に反対するとか、女性差別行為をしてはいけないなどの努力をしてきたことを否定するわけではない。しかしそれが自己解放闘争としてたたかわれない以上、そうした努力も倫理、道徳、またはそれによる禁欲にとどまるという限界をもたざるをえず、したがってどこかで破綻をきたすことが避けられない。その結果、党内における女性差別事件が発生してきた。
考えてみれば革共同は先制的内戦戦略さえ5年後にはPU(フェーズU)に軌道修正している。もし田島論文が当時の党をめぐる情勢の厳しさに制約されて、被差別者の主体形成論に一面化せざるをえなかった面があったとすれば、そして政治局に定見さえあれば少なくとも後日、田島論文の一面性を克服することもできたはずだ。そうすることもなく問題が固定化され、最後は革共同全体が2007年の「7月テーゼ」にゆきついたことから考えれば、田島論文におけるこの一面性は、まさに女性差別に対する無理解という革共同の本質的問題性であったのだと言わざるをえない。
こうして党内の女性差別事件は組織的総括をとうして党の成長に結合されることなく、加害者を打倒的に糾弾するか、もしくは女性解放戦線にさえ知らされることなく隠蔽されてきた。H事件を個人の問題だけにするのではなく党の問題ととらえなくてはならない所以である。
7・7思想の立場で女性解放闘争を
椿グループは、H事件に対して自らの組織的責任を棚上げして、Hの除名追放に全力をあげた。私たちに求められているのは、椿グループのようにHを切り捨てて自己の責任から逃亡することではなく、Hの自己批判を貫徹することをとうして今度こそ性暴力と向き合い、そこにおける男性の自己解放闘争をつくりだすことだ。
安田派も椿グループも捨ててしまった7・7思想、安田派以前の革共同でさえ7・7の立場で闘ってこなかった女性解放闘争、すなわち女性を中心としつつ男性をもう一方の自己解放主体とした女性解放闘争の新たな一歩をふみだそう。これこそが被害女性や日本軍「慰安婦」の闘い、#MeToo運動に応える道である。
*「#MeToo運動に学ぼう」は今回で終了し、次号からは様々な女性問題、ジェンダー問題について取り上げていきます。
クーデター抗議 世界同時行動
7月18日 ミャンマーの課題は世界の課題
7月18日、ミャンマークーデターに抗議する「グローバル ミャンマー スプリング レボルーション(GMSR)」が世界16カ国、日本では北海道、東京、名古屋、神戸、岡山、佐賀の6カ所でおこなわれた。神戸では東遊園地に120人が参加しライブ配信もおこなわれた。会場では凍らせた清涼飲料水が参加者に配られ、黒い布切れをミャンマーの青年たちが参加者一人一人の腕に結んで腕章にしてくれた。
集会に先立って司会から、この集会は世界各国にいるミャンマー人が一丸となって軍のクーデターに反対する意思を表明し、多くの人たちにミャンマーにもっと関心を持っていただき、「ミャンマーの課題は世界の重要な課題」であることをアピールする〈春の革命〉の一環として取り組まれると説明があった。
会場では「NUGを否定するのは民主主義を否定することだ!」というASEANを批判するボードが配られた。これは、4月に開催されたASEAN臨時首脳会談に国軍総司令官を参加させながら、国民統一政府(NUG)を参加させなかったことに対する抗議だ。集会では、国民統一政府(NUG)をミャンマーの正当な政府として認め、支持しろ! 国軍への資金を断て! 少数民族を弾圧する国軍の側に立つな! 等々のASEANに対する要求が明らかにされた。
同日、東京では国連大学前に300人が集まり、難民認定申請中のサッカー選手ピエ・リヤン・アウンさんが「ミャンマーが民主化をとりもどすための活動を在日ミャンマー人と頑張ってやっていきたい」「軍事独裁政権を絶対に認めない意思を表すために日本に残った」(7・19東京新聞)とあいさつした。なお7月2日、不安定な状態におかれている多くのミャンマー人とともにピエさんは6カ月間の在留と就労が可能となる「特定活動」の認定を勝ち取っている。
神戸では、集会翌日の7月19日がミャンマー建国の父といわれるアウン・サン将軍が暗殺された「殉難者の日」なので、アウン・サン将軍を含め、クーデター以後、国軍によって虐殺されたすべての人たちへの黙とうがささげられた。
ミャンマーの人々とつながる会を結成
代表に就任した中村大蔵さんは「ミャンマーについて日本人があまりにも知らなさすぎるということを私自身、感じています。ミャンマー軍の横暴とそれに身を挺して闘っているミャンマーの人たちの支援をするため、アジアの一員として運動をすすめていきたい」とあいさつした。その後、三宮駅前までの往復デモがおこなわれた。
今、ミャンマー国軍は不服従運動(CDM)に参加したぼう大な政府職員、教師等を解雇しているが、これに対し6月18日、国内最大のミャンマー労働組合連合が解雇された7万人を超えるひとたちの補償をもとめて集団訴訟をおこす方針が伝わってきている。翌6月19日、ILO総会で「ミャンマーにおける民主主義の回復と基本的権利の尊重を求める決議」が採択されている。国軍との闘いはさまざまなところでおこなわれている。ミャンマーで闘う人たちとの連帯をさらに強めていくことをあらためて決意した集会だった。
集会「ミャンマーへの思い 〜戦後76年、クーデター半年。つながる会設立!」
とき:8月21日(土) 午後2時〜4時
会場:尼崎市立小田北生涯学習プラザ(1階ホール)尼崎市潮江1―11―1「JR尼崎駅」北へ8分
定 員:100人(先着順。申込不要。通常定員より少なく。間隔を確保)
参加費:無料 支援カンパ歓迎。マスク要。コロナ感染対策で、内容の変更や、開催の中止・延期の場合があります。
■第1部「ミャンマー、76年前の戦争、独立」
上映 泰緬鉄道、インパール作戦についての映像
講師 猶原信男(ミャンマー関西代表、ミャンマーの人々とつながる会事務局長)
■第2部「わかちあう、ミャンマーへの思い」
上映 「2021・2・1クーデターと今」(市民の死者約900人、暴力・投獄)
発言 在日ミャンマー人、中村大蔵(ミャンマーの人々とつながる会代表)他
主催:ミャンマーの人たちとつながる会、ミャンマー クーデター抗議 西日本実行委員会
多文化共生と地域福祉の会
連絡先:awaumi22@wi.kualnet.jp
080-6165-0990(事務局:粟野真造)
7面
焦点 公立福生病院裁判証人尋問(上)
関東「障害者」解放委員会 松浦 淳
2018年8月16日、東京都福生市にある公立福生病院において、ある女性が死なされた。44歳の若さだった。ここでは、この方をAさんと記す。裁判においても、実名を公表しないで審理が進められている。Aさんは、前々日の入院時から、透析の再開の希望を病院側に伝え、カルテにも記載されている。しかし担当医師は、透析を再開することなく、多量の鎮静剤ドルミカムを投与して、死なせたのだった。
Aさんの家族は、2019年10月17日に、東京地裁に民事裁判の提訴をおこなった。なぜAさんが死ななければならなかったのかを知りたい、との思いだった。この病院の腎臓病総合医療センターが開設された2013年以来、透析を始めないという選択をさせられ20人が死亡、透析の中止で4人が死んでいた。2019年3月、東京都は立ち入り調査に入り、毎日新聞を皮切りに、多くのマスコミがこの事件を取り上げた。以前この病院に勤めていた日本透析医学会の理事長は、直ちに病院を擁護するために動き出し、5月31日に病院の対応を問題なしとする声明を公表し、20年4月には、Aさんのような事件をも肯定するように学会のガイドラインを改定した。こうした中での家族の提訴だった。
第1回口頭弁論は、20年7月22日に開かれ、以後は非公開で審理が進められ、今年7月14日に、証人尋問がおこなわれた。証人として出廷したのは、Aさんの夫とAさんを死へと追いやった濱医師だ。濱は外科医であり移植医だ。
傍聴には、透析を長年続けている人、「障害者」、雨宮処凛さんをはじめとしたライターなどが集まった。
いのちを軽視する答弁
Aさんが初めて濱の診察を受けたのは、2015年のことだった。Aさんは地元の診療所で透析を受けてきたが、透析をおこなうため血管に作るシャントの状態を調べるため、福生病院を訪れた時だ。このとき濱は、腎臓移植を勧めている。福生病院では、まず移植を勧め、そのルートに乗らなかった人に対して、透析をおこなうための準備に入る、とも報じられている。
しかし、Aさんは貧困のため、糖尿病の治療も継続することができず、腎機能を悪化させてきた方だ。医療費の自己負担としては、透析よりも移植のほうがかかる。そんなAさん家族の状況に全く関心を払うことはなかった。またAさんは、抑うつ神経症があり、3回、自殺未遂の経験があったとのことだが、そのようなAさんの精神状態への配慮など、まったくもってない。
2018年8月9日、Aさんのシャントが詰まったため、福生病院を訪れる。ここで濱は、首にカテーテルを留置する手術をして透析を続けるか、中止するかの選択を突き付ける。証人尋問では、透析の中止など提示していないと証言したが、カルテには次のように、濱自身の記載で選択肢を提示していたことが記載されている。
「血液透析は治療ではない。腎不全というものによる死期を遠ざけているにすぎない。また、多くの犠牲もつきものであるため、最も大切なのは自己意志である。今後も透析を継続して延命を図るのであれば新規アクセスの造設をおこなうが、透析の継続を望まないのであれば、手術はおこなう必要は無い。その際、2〜3週間程度の寿命となる事が予想できる。」
透析中止に誘導
この日の最初の診断から1時間足らずの間に、Aさんの夫と病院関係者を呼び寄せ、「透析離脱証明書」なる書類にサインさせた。この書類には、こうした意思を撤回できる旨の記載は書かれていない。熟慮する余地などない。Aさんは、カテーテル留置手術のための医療費負担も含めて、経済的負担が困難と思ったのかもしれない。医療費負担の問題について、病院側で検討した痕跡はない。夫は、「実際にいのちが危険になった場合は、医者は救ってくれるものと思っていた」と語っている。このことを伝えられた地元の診療所は驚き、Aさんに透析の継続を説得するが、翌日、福生病院を訪れたAさんに対し、同腎センターの内科医が透析中止の方向で誘導してしまう。
数日が経った8月14日、Aさんは苦しくて、福生病院に入院する。尿毒症で、全身に水がたまり、特に、肺に水がたまるため、呼吸ができなくなってくる。病院側は、はじめからAさんを「見取り」(死なす)のための入院と位置付けた。
この日のAさんのカルテには、看護師の記載として、次のようなAさんの言葉が記されている。
「透析離脱について 本人:自分で決めた。だけどこんなに苦しくなると思わなかった。撤回するならしたい。でも無理なのもわかっている」
また、夫の訴えとしても、「家族:本人が苦しいから治療(カテーテル)をやって楽にして欲しい」と記されているのだ。
厚生労働省の「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」では、「心身の状態の変化等に応じて、本人の意思は変化しうるものであり、医療・ケアの方針や、どのような生き方を望むか等を、日頃から繰り返し話し合うこと」、そして、そのつど記録を取るように指示している。
証人尋問では、裁判官から、透析離脱を撤回できないというAさんの誤解を解くために、濱は何をしたのか、との質問があった。濱は、このカルテの記載を、翌日には知ったと証言し、この日のAさんとの雑談の中で「どうするか聞いた」などと証言しているのだが、カルテには記載がない。
16日には、Aさんの苦しみは増してゆく。「こんな苦しいなら透析した方が良い。(中止を)撤回する」と述べ、このことはカルテにも記述され、9時45分には、腎臓内科医にも伝えられた。
病院は透析しない
Aさん家族の弁護団長を務める冠木克彦弁護士は、こうしたAさんの意思をどのように取り扱ったのか、追及した。これに対する濱の答弁は、実に許せない。「苦しい時に言う一言を拾って、透析をすべきという方向には、病院として動かない。16日にも、透析をしてほしいという言葉が出てくるが、看護師の記載している臨床状況からして、冷静でないと判断した。」
濱は、16日に2度Aさんと会い、特に「14時過ぎに、Aさんの意思を確認した」と言う。そして、鎮静剤の持続点滴投与をおこなった、と言うのだ。ところが、この意思確認について、カルテには記載されていない。なぜ記載していないのかを追及され、「この日は忙しくて、後で書こうと思っていたが、患者が死亡したので、書くのを忘れてしまった」と述べた。冠木弁護士は、「意思確認をしたと言うのは、作り話ではないのか」と追及した。濱は追い詰められて、「記載がないのだから、作り話ではないとは証明できない」と述べた。
左右の陪席裁判官から、医療者としてどうして救命の方向に動かなかったのか、との問いが投げかけられたが、まともには答えられなかった。8月9日の時点で、カテーテル留置をして透析をおこなっていたら、どのくらい生きられたかという質問に対しては、「どのくらい生きられたかは、仮定の話。その日に亡くなることはない」と述べた。2019年3月に報じられた毎日新聞の取材に対しては、「約4年間生きられた」と述べていたのだが。
通常の5〜25倍を投与
病院側弁護士による主尋問の中で、鎮静剤が死因となった可能性について尋ねられたのに対し濱は、あの量で死因となったとは考えない、と答えた。ドルミカムの注意書きには、心停止を起こさせる可能性があることが記載されている。しかし、同じ主尋問の中で濱は、Aさんの息子たちに説明する中で、鎮静剤投与により、死期が早まる可能性を述べた、と語っている。
ある緩和ケア医の見解では、カルテに記載されたドルミカムの投与量は、通常の5倍から25倍に当たるとのことだ。個人によって、薬の感受性が違うから、このように数値に幅が出る。そしてカルテには、呼吸が浅くなってきたことを伝える看護師の報告に対し、濱は「脈拍が0になったら」知らせるようにとコメントしたことが記されているのだ。(つづく)
コロナ蔓延下の辺野古
進む基地建設工事
7月19日の名護市辺野古 |
7月6日 名護市辺野古の新基地建設で、大浦湾のサンゴ類移植を巡り、農林水産相が県に沖縄防衛局の特別採捕(移植)を認めるよう是正指示したのは違法とし、県が指示取り消しを求めた訴訟で、最高裁第3小法廷(林道晴裁判長)は県側の上告を棄却した。県の敗訴が確定した。
しかし、裁判官5人中、2人が反対意見を付けた。2人の裁判官は設計変更申請の前だったことを挙げて県の判断を「違法であると言えない」と反対意見を示した。
玉城デニー知事は「上告棄却という結果ではあったものの、県の主張が認められた画期的な反対意見が付された」と述べた。
7日 政府は、沖縄県に対して、7月11日まで出ていた新型コロナウイルス感染拡大防止の緊急事態宣言を8月22日まで延長する方針を固めた。沖縄県は緊急事態宣言の延長に入った。5月23日の発令以来宣言が出される期間は3カ月に及ぶ、この間、辺野古の新基地建設の抗議行動は控えて、監視行動のみをおこなっている。しかし、辺野古新基地建設は続けられている。
8面
維新・自民連合に敗北
戦線再構築が必要
兵庫県知事選
車上から訴える佐渡裕さん(7月17日) |
7月18日投開票の兵庫県知事選で、立憲野党・市民運動・自民党県議団などの推す金沢和夫候補は、大阪維新と自民党が推す斎藤元彦候補に敗北した。
始まりは県議会自民党の分裂。そこに大阪維新の大阪府財政課長の斎藤が登場し、県議会自民少数派と大阪維新に推され、3月末には自民党中央が正式推薦を決めた。これに呼応し「ひょうご県民連合(立憲、国民、無所属)」団長の支持表明も。5期にわたる井戸敏三兵庫県知事の退任表明後、井戸知事のコロナ対策やセンチュリー(公用車)使用の不人気、大阪との対立を突いて、自民党県議が斎藤と接触し、これを松井大阪市長・菅首相が承認し、一気に分裂選挙が始まった。
市民運動内外の大阪維新に対する危機感は、「連帯兵庫みなせん」という野党共闘推進団体を軸に広まったが、「ひょうご県民連合」の混迷の中で、4月末の兵庫6野党とみなせんとの協議では「反維新統一候補」をめぐり意見が割れた。斎藤はありえないが、金沢も自民党という声や、維新が大阪で強いのは「都構想」があるからの意見も。「では第3の候補は?」の問いに、5野党は答えを出せず、共産党は万年落選候補をいち早く擁立。5月に入り立憲民主党が金沢支持を表明し、共産を除く野党や市民団体の中に「金沢支持」の声が広がった。とはいえ斎藤陣営は3月末から動き出したのにあまりにも遅かった。それでも野党県議の中には、自分のポスターを「金沢―河田」ポスターに張り替え、猛然と運動を開始した人も。ここを通じてポスター・新チラシが市民運動の中に流れていった。
公示日の闘いは本紙前号でふれたが、選挙期間中は激しい舌戦が繰り広げられた。金沢陣営の「防災、芸術・文化、福祉」の訴えが維新との対比を示した。そのため斎藤は維新の「身を切る改革」にかわり「だれ一人見捨てない」と主張。コロナ禍で東京から来た西村経済再生相や丸川珠代五輪担当相の応援演説も反発を受けた。最終日、金沢陣営の街頭演説には「防災、芸術・文化、福祉」を代表して、県立芸術文化センター芸術監督の佐渡裕さんらが参加し、「大阪で芸術・文化が捨てられた。兵庫では震災後に西宮に芸文センターができた」と維新政治を核心的に批判した。
だが闘いはそこまでだった。金沢候補は「井戸県政亜流」「継承か刷新か」の維新・マスコミの論調を打ち破れなかった。より主体的には「みなせん」が協議対象とする野党は、県政に対する責任性をほとんど示すことができなかった。「新自由主義の破たんを強権的に突破する大阪維新」に対し、「五国連合の兵庫の地方自治」の有用性を対置できなかった。これまで「微温的兵庫階級闘争」と揶揄される在り方の、自治労・兵教組を含め「県政与党」という関係の破綻を右から突かれたのに対し、新たな県政・地方自治像を示せなかったのである。
斉藤維新県政ではこの関係も大きく変わる。一部県議の危機感と新たな議会活動・運動づくりと連携し、市民運動の側も維新に県政だけでなく、10月の神戸市長選、22年秋の尼崎市長選などの首長・議会の多数派を与えない運動を継続的にやり続けることが、敗北を雪ぐ道ではないか。 (岸本耕志)
維新と対決
れいわが集会
7月10日 尼崎
|
兵庫県知事選のさ中、尼崎では大阪維新批判の急先鋒=藤井聡京都大大学院教授を招いて講演会が開かれ120人の市民が参加した(写真)。大阪に隣接する尼崎では、6月市議選でトップ3を維新が占め、得票率も24%。公明・共産とも5000票単位で減少。つづいての知事選にあたり、改めて大阪維新批判の講演会を、今秋衆議院選立候補予定のつじ恵(れいわ新選組)関係者が開催した。藤井さんは大阪維新と対峙してきた者として、都構想や万博・カジノ政治乱暴ぶりを批判した。つじ恵さんも維新政治とも闘ってきた者として、維新の兵庫進出に警鐘を鳴らした。県知事選では明確な態度が取れなかった市民運動もあった中で金沢支持運動で連日奮闘。最終日は尼崎中央商店街を金沢・つじさんを先頭に30人がねり歩いた。
(シネマ案内)
『サンマデモクラシー』
山里孫存監督作品
6人の高等弁務官が統治した米軍支配下の沖縄。市場でのサンマ売りにも特別の課税が課せられ、その不当性を問う「サンマ裁判」が闘われた。市場で魚を売るオバーが、当時の沖縄を牛耳っていた高等弁務官・キャラウエイにけんかを売ったという、沖縄の人々にとって何とも胸が熱くなるエピソードが、放映されたテレビ番組をもとに、99分の劇場映画として制作され、7月初旬の沖縄からその後全国各地で上映されている。作品は72年復帰当時小学2年生で、ドルが円に替わったのを衝撃として覚えているという山里孫存監督。
映画には裁判を闘ったウチナー女性・玉城ウシさんの生きざまが魅力的に描かれる。「裁判の代理人であった下里恵良立法院議員の破天荒な生きざまや、高等弁務官に抗った瀬長亀次郎らをふくめ、時代背景と様々な要素がパズルのように組み合わされている。米軍の圧政に抗い、民主主義を切望し、自ら行動した人々が織りなした時代がクリアによみがえる作品」と監督は言う。
藤木勇人・川平慈英の語り、紫のロックも流れる。史実を見ているのか、劇映画を見ているのか、夢を見ているのか? 民衆は闘えば勝てる気になる映画だ。8月初旬からは、大阪市淀川区の第七藝術劇場でも上映される。
8月7日(土)からは、「日系移民強制退去事件」に迫る『オキナワ サントス』が、第七藝術劇場で上映される。
8月29日(日)14時から、兵庫県川西市商工会多目的ホールで、三上智恵監督作品の『沖縄スパイ戦史』が14時から上映され監督の講演もある。入場料は1000円。申し込みは072―764―7209(平日10時〜17時)
8月28日(土)には、尼崎市すこやかプラザ(JR「立花」南3分、フェスタ立花南館5階)で、山本太郎を追ったドキュメンタリー映画『BEYOND THE WAVES(ビヨンド ザ ウェイブズ)』の上映会が、13時半からと、15時からある。会費は500円。
政治的イベントとしてのオリンピック・パラリンピックがテレビを占拠している時、劇場・会館まで足を運び、映画を鑑賞するのも、猛暑を乗り切り秋の闘いに備える一つの手立てかもしれない。ぜひ会場へ。(TEN)
事務所ビル修理と『未来』8ページ化へ
300万円の特別カンパを訴えます
革命的共産主義者同盟再建協議会
外壁修理後の事務所ビル(北側部分) |
2021年夏、日本帝国主義政治委員会・菅政権は、コロナ感染症対策失政でかつてない危機にあります。東京五輪の高揚を使い解散・総選挙に勝利しようとしましたが、その目論見は完全に失敗しました。格差・貧困、原発再稼働、沖縄圧殺に対する怒りは充満しています。
この時にあたり、わが革命的共産主義運動は、小なりとはいえ自己の飛躍をかけて、今夏・今秋、新自由主義強行の菅政権打倒の先頭に立つ決意です。そのためには膨大な資金が必要です。特に今回は、長年の懸案であった革共同再建協事務所ビル(前進社関西支社)の修理・修繕をおこないました。また機関紙『未来』の8ページ化に向け、パソコン機器の充実、資料収集も必要です。すでに事務所ビル修理には200万円を拠出しました。今後のカンパは、パソコン機器・図書充実や、事務所内部の改装などに使います。
今夏・今秋のたたかいの出撃拠点として、『未来』による情宣活動強化のため、通常の夏期カンパに合わせて、300万円の特別カンパをお願いします。ともにたたかいましょう。
郵便振替
口座番号 00970―9―151298
加入者名 前進社関西支社
郵送 〒532―0002
大阪市淀川区東三国 6―23―16
前進社関西支社