老朽原発 美浜3号機の再稼働弾劾
6月23日 原発前 事業本部前で抗議
美浜3号機の対岸で抗議集会(6月23日、美浜町) |
6月23日、関西電力は40年超え老朽原発・美浜3号機を再稼働させた。この日、福井県美浜町現地で緊急闘争がおこなわれた。主催は、老朽原発うごかすな! 実行委員会。怒りにもえて全国から350人があつまった。
町内デモで関電原子力事業本部に向かい、申し入れと抗議行動をおこなった。その後、全体が車で、美浜原発ちかくのシーパーク丹生(町営公園)に移動。美浜原発をすぐそこににらみつつ、午後2時すぎから抗議集会。
オール福井反原発連絡会が「地元住民はけっして合意していない」と発言。美浜町に隣接する敦賀市の住民・山本雅彦さんは「21日に美浜3号機運転禁止の仮処分を申し立てた」と報告。
原発ゲート前に向かいデモ行進 |
〈原発いらない福島の女たち〉黒田節子さんや、伊方原発地元でたたかう住民が発言。
ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパン代表は、「老朽原発を動かすことは、世界にたいして加害者となることだ。何としても止めよう」と述べた。
集会まとめで、実行委員会の木原壯林さんは「今日の闘いは、新たな出発点にすぎない。今日の闘いが歴史的な日になるように、さらに闘いを大きくしていこう」とアピールした。
集会後、美浜原子力PRセンター(原発ゲート前)を経由して水晶浜までデモ行進。
関電は同日、「午前10時に再稼働した」と発表した。(詳報次号)
6月静岡県知事選で自民敗退
7月兵庫県知事選 維新・自民連合阻止しよう
国会会期末に連続行動(6月15日、関連記事2面) |
6月20日投開票の静岡県知事選で自民党候補がリニア反対の川勝平太候補に敗北した。今年に入り1月北九州市議選の6議席喪失、4月千葉県知事選の大敗、4・25国政選3連敗に続き、保守王国=静岡でも自民党候補が敗北した。地方の離反が進む菅政権は、7月兵庫県知事選で自民党県議団が押す前副知事を認めず、維新との共同候補の推薦を決めた。静岡につづき、菅―松井ラインの危機突破・兵庫県政乗っ取りを阻止しよう。
(1)7月1日告示、18日投開票の兵庫県知事選は、大阪維新・菅政権を倒す重大な選挙となった。昨年11月の大阪「都構想」住民投票に敗北した大阪維新が隣県の知事選を制して新自由主義政党として再生するのか、自民党執行部(安倍・菅)が、地方組織(県連)を分裂させても全国の隅々まで新自由主義を遂行するのか、住民自治政治がこれに打ち勝つのかの分岐点としてある。
発端は大阪維新と一定の距離をもつ井戸兵庫県知事の後継で、自民党県議団が分裂し多数派は金沢副知事、少数派は斎藤大阪府財政課長を選んだことに。維新・松井と菅の間で話はできており、自民党兵庫県連は県議多数派の決定を無視し、首相官邸で斎藤を菅・二階・谷(自民県連会長)が囲み承認を与えた。斎藤こそ、維新と菅の共同候補なのだ。
(2)この決定に呼応したのが県議会第二会派の「ひょうご県民連合」(立憲民主党、国民民主党、無所属など14人)の石井団長であった。「県民連合が斎藤支持」と報じられると兵庫県の左派・リベラルの怒りが爆発した。さらに自民党から捨てられた金沢氏は「立候補辞退か?」との声も流れ、兵庫の野党共闘推進団体である〈連帯兵庫・みなせん〉をはじめ、安倍政治・菅政治・大阪維新と闘ってきた人々から「衆議院選挙前に、兵庫の左派・リベラルは壊滅する」「何としても反維新の運動を」との声が噴出した。
市民の中には井戸県政副知事の金沢に変わる候補を探る動きもあったが5月末段階で実現不可能が判明。6月には共産党を除く野党5党が金沢支持の方向となった。3月末からの自民党県議少数派、県連・谷、松井・菅ラインのクーデター的な斎藤擁立劇で、いったんは斎藤圧勝の空気が流れたが、6月中旬までに自民党から捨てられた金沢候補には、自民党県議、立憲民主党や野党の議員や連合・部落解放同盟・神戸商工会、自治体首長などの支持が表明された。こうして県下全域を2分する維新・自民党=松井・菅ラインによる中央直結・新自由主義推進の強権的兵庫県政か、地方分権・防災・生涯安心≠ゥの一騎打ちとなった。
(3)このような時に自党の正しさのみを掲げ百%勝てない候補を擁立したのが日本共産党兵庫県委員会だ。彼らは例によって「金沢候補は井戸県政と同じ」「市民運動や立憲野党の中にも金沢不支持が」などと勝手な見解を出し、4月中旬に金田候補を擁立した。金田候補は19年参議院選でも野党5党の統一候補(安田真理)への合流を拒否し、結果共産党の得票(通例22万票程度)を3分の1減らし、あと3万票で自民党候補逆転の安田勝利を妨害した。19年参議院選では大阪・兵庫の立憲・共産の協力があれば、自民党の大阪・兵庫は落選で、この政党エゴに非難が集中した。
さらに4月宝塚市長選に勝利しながら5月県議補欠選[宝塚]では、共産党が現職を持ちながら立候補したため、立憲民主党候補が僅差で落選した。今回もまた共産党は万年落選の候補を擁立。党内にも批判する声は多く、金沢候補が敗れるなら維新県政導入の水先案内人として長く断罪され続けるであろう。
(4)大阪維新の犯罪性は、安倍・菅政権以上の新自由主義推進政党で、自民党政権の危機を救済する別働隊だ。大阪での住民自治破壊・組合敵視・医療破壊などは数知れず、「都構想」住民投票は2度敗北。それでも松井・吉村は辞任せず、住民無視の強権政治を続けている。コロナ対策では3月に緊急事態宣言早期解除を懇願。結果第4波が急速に拡大し連日1千人以上の感染者で、入院する病院もなく死者数が日本一に。橋下・松井・吉村らの維新政治による、住吉病院廃止や府・市の検査部門の統廃合が感染拡大の原因だ。在阪マスコミと一体で「大阪方式」を演出し、「阪大と提携して国産ワクチンを作る」、「医療防具に雨合羽を」、「イケメン」「吉村寝ろ」などで改革派を演出してきた。府議・市議・首長は多くいるが、市長室サウナの池田市長を典型に次々と問題を起こしている。今回も大阪依存・大阪のブランチとして、大阪万博の負債を兵庫県政に負わせようとしている。併せて今後の菅政権を救済する自・公・維体制への布石が7月知事選だ。
自民党(中央=菅、県連全国会議員)から見捨てられた金沢候補はもはや自民党候補ではない。統制処分の脅しの下の自民党県議や、共産党を除く立憲野党、県下各地の職域団体、労働運動、部落解放運動、市民運動などが、住民自治の新しい兵庫県政に結集し始めた。二つの海に面し、摂津・播磨・丹波・但馬・淡路と五国の歴史・風土を持ち、工・商・農・漁業が特色の兵庫の歴史を、弱肉強食の新自由主義政治で破壊させてはならない。維新・中央直結候補でなく、また百%勝利できない候補への「自己満足」と決別し、住民自治のオープン県政実現のため金沢和夫の勝利へ総決起していこう。(岸本耕志)
関電本店に連続抗議
美浜3号機うごかすな
6月11、18日
関電本店前で抗議集会(6月18日) |
「申し入れはFAXで」!?
6月11日と18日の両日、「関電本店緊急抗議集会〜老朽原発・美浜3号機をうごかすな〜」が大阪市中之島にある関電本店前でおこなわれた。老朽原発うごかすな! 実行委員会が呼びかけ、福井県や関西各地から多くの人々が集まった。
6月11日午後2時から始まった集会では、美浜3号機再稼働への怒りや危機感が次々と表明され、「老朽原発うごかすな」「老朽原発再稼働反対」の大きな声が関電本店に突きつけられた。
この日は、関西電力に対する申し入れもおこなわれた。事前に広報室とアポをとっていたにもかかわらず、関電は「担当者がいない」という口実で申し入れに対応しようとしない。抗議のすえ、総務室の社員が出てきてしぶしぶ対応。ところが、申し入れ書を読み上げ始めると、「読み上げは、いらない。FAXで送れ」と言い出すしまつ。抗議すると、「とにかく受け取るだけ」という全くふざけきった対応に終始した。われわれの抗議で、最終的に申し入れ書を読み上げることになり、代表が読み上げて手渡した。
申し入れ後の報告発言では、「住民の申し入れに対してこのような対応をとる関電に原発を動かす資格などなく、原発事故が起こってもかまわないという姿勢そのものである」と断罪した。
緊急抗議集会 第2弾
6月18日には、さらに多くの人々が関西各地から集まり、再稼働反対の声を挙げた。奈良、京都、大阪、兵庫などから取り組みが紹介された。11日に続いて、連続参加した関生の労働者、釜日労などから、老朽原発うごかすな!の決意が語られた。
最後に、大きなシュプレヒコールを関電にたたきつけ、23日美浜現地全国集会へ、ひとりでも多くの人を誘って集まろうと確認した。
美浜町ポスティング
老朽原発うごかすな! 実行委員会の一翼を担う、オール福井反原発連絡会は、6月19日、20日と美浜町全戸に、チラシとアンケートのポスティングをおこなった。20日には、関西からも多くの人が行動に参加した。これは、原発立地地元の本当の声を形として表そうと計画され、大きな反響を生んでいる。
仮処分を申立て
6月21日、大阪地裁に「老朽美浜3号機運転禁止仮処分」が福井、滋賀、京都の住民から申し立てられた。申立書の提出後、裁判所ちかくの会場で、記者会見と集会がおこなわれ、申し立て人から決意表明、代理人弁護団から要点の説明がおこなわれた。
2面
国会軽視と悪法強行
危機にたつ菅政権を倒そう
雨の中350人が決起(6月19日) |
国会は2度めの緊急事態宣言下で始まり、コロナ感染拡大を止められず、宣言地域追加や期間延長を繰り返し、政府の対応に批判が渦巻いたが、追及を逃れるため国会を閉じた。
菅政権はこの危機をワクチン接種と五輪強行で転換しようと、G7の「支持」をもテコに、命と安全を犠牲にして五輪強行に踏み切った。
悪法の数々
今国会では@改憲手続き法―「国民投票法改定案」、Aデジタル改革関連法案、B土地調査法案、C高齢者医療費2倍化法案、D病床削減促進法案―このいずれもが成立してしまった。
とくに弾劾すべきは、2018年以降3年を経て、あと一歩で廃案になるところをコロナ情勢下、改定国民投票法を強行可決したことである。3年以内のCM規制の「付則」は法的しばりになっていない。改憲発議が可能になったのだ。
土地調査法案は会期末、未明に強行可決した。米軍、自衛隊基地、原発、国境・離島などの土地・建物の周辺での人々の行動を監視・規制する。辺野古の座り込みも弾圧の可能性が。現に蝶類研究者が不当に弾圧された。
政府の腐敗・反動性明らかに
森友学園をめぐる財務省の公文書改ざんでは「赤木ファイル」の存在を初めて認めながら国会への提出を拒んだ。
吉川元農林水産相の収賄事件や河井元法相夫妻の選挙買収事件、菅原一秀前経産相の議員辞職など3大臣らの不祥事の責任に答えず逃亡した。
3点目は安倍政権以来の国会軽視の強まりである。私権制限を伴う緊急事態宣言や重点措置の是非は、人権にかかわる重要なところなのに首相出席は2回のみ。代表質問でも予算委員会でも低姿勢だが実は全く違う。質問の趣旨に全く答えず、ふざけた対応だ。
「東北新社」の外資規制違反問題で武田総務相は答弁に向かう総務省幹部にうしろから「『記憶がない』(と言え)」と声をかけた。
「土地規制法」の審議では、規制対象地域のリストについて、内閣府や防衛省幹部は当初「リストはない」と答弁し、追及を受けて委員会採決の直前に存在を認めた。
法務省はスリランカ人女性=ウィシュマさんの入管施設での死亡事態について、容態を懸念した医師が「仮放免」を勧めていた事実をもりこまず中間報告を国会に出していた。
菅政権の打倒を
入管難民法改悪案はいったん廃案に追い込んだが、現実は変わっていない。コロナパンデミックを「口実」にして国家権力が人権を制約する緊急事態法を制定しようとする策動に断固反対する。 反動・腐敗・強権政治の菅政権を倒そう。
市東さんの請求異議審
最高裁の上告棄却を弾劾する
三里塚関西実行委員会(松原康彦)
6月8日、最高裁判所は、三里塚の農民、市東孝雄さんが耕作する南台の農地と農業にとって不可欠の作業場がある天神峰の農地にたいする強制収用の是非をめぐる市東さんから出されていた請求異議審の上告に対し、何一つ審理を行うことなく「門前払い」の棄却決定を行った。その不当性、国家による農地強奪の理不尽に対し怒りをこめ弾劾する。最高裁は、農地法裁判そのものについても「門前払い」の棄却決定を行っている。重ねて今回の決定である。この理不尽な「農地取り上げ」決定を、当事者である市東孝雄さんに何一つ説明をすることなく、しかも「お墨付き」を与える居丈高な在り方に対して、満腔の怒りを込め重ねて弾劾する。
市東さんが、祖父の市太郎さんの代から、父の東市さん、孝雄さんと親子3代、百年以上にわたって耕してきた優良農地を、「成田空港の運用に支障がある」という理由で強制収用、強奪できる理由がどこにあるというのか。そもそも三里塚闘争が、55年を経過してなお闘い続けられている最大の根拠は、1966年、一方的に三里塚の地に成田空港の建設を「説明会」などの地元説得の方途を一切取ることなく、「国策」だからと一方的に押しつけ、住民排除、農地強奪を強行してきた国家権力の暴力的施策の誤りによる。それは「ボタンの掛け違い」などという一片の「謝罪」で済まされることではない。しかも、法的にも「土地収用法」が1989年に失効し、それからも30年以上も経過した今になって、本来、農民の耕作権と農地を守るために制定された農地法を曲解して使用し、「農地を強奪」することが何故許されるのか。
この決定の根拠とされた最高裁決定に異議を申し立てた請求異議裁判の三者協議の中で、裁判所から「なぜ強制収用するのか」と問われた成田空港会社NAAの代理人は、言葉に詰まりながら「空港の完成」と言うのがやっとだったと弁護団から聞いた。成田空港には、東峰部落のいくつもの農地と家屋があり、それ以外にも木の根、横堀に住宅が、空港の中に厳然と存在する。
土地収用法が失効した今や、「空港の完成」など不可能であることは、NAA自体が最もよく知っている。小泉よねさんへの1971年の強制執行による家屋、農地の強奪が不当不法であることが裁判で立証されそうになって、慌てて息子の小泉英政さんと2016年に和解し、東峰の「空港敷地」の中に農地を貸与したのはNAAではないか。なにが「空港の完成」か。
農地法による農地強奪の提訴をNAAが行った2006年当時、南台の農地により、誘導路が「への字」に曲がっていることによって「運航に支障がある」とNAAは主張した。当時、誘導路2カ所に信号が取り付けられ、滑走路に離着陸の航空機がある場合、その「への字」誘導路を運行中の航空機は停止した。いかにも「運航に支障がある」ことを演出した。しかし、使用する航空機の便数が増えるにつれ、いつの間にかその信号は取っ払われ、滑走路に航空機が離着陸していようが委細構わず誘導路は運行され、何一つ「支障」がないことをNAA自体が明らかにした。
実は国際法で、滑走路と誘導路の距離が一定離れていなければならないことが規定されているが、それを一切無視して第二滑走路とそのための誘導路を建設したのは、国家でありNAAではないか。
さらに、誘導路が曲がっているのは、市東さんの畑による場所だけではない。東峰部落に行けば判るが、小泉さんなどの畑のところで、誘導路は曲がり、しかも何のためかその農地との間には5m以上のフェンスが造られている。市東さんの天神峰の畑では、誘導路を通る航空機の騒音と排気ガスによる甚大な被害が出ている。そのことを抗議して、東峰と同じように高いフェンスにしろという要求に一切応えようとせず、その抗議を無視し市東さんの生活を妨害し続けてきたのがNAAではないか。市東さんの農地をことさら「農地法」を用いて強奪しようとする「屁理屈」が破綻しているのは明らかだ。
このような理不尽なことを市東さんに対して行うことが、請求異議裁判で問われたのだ。「国策」といえども、親子3代、百年以上耕されてきた優良農地を強奪することが許されるのかと問われ、審理されてきたのではないのか。それを一切の審理もなく、最高裁が「門前払い」の決定を行うなど、どうして許されようか。怒りを抑えることができない。
道理は、市東孝雄さんの「1億8千万円の補償よりも、1本百円の大根を消費者に届けて喜んでもらいたい」「農地は私の命です」という農民としての切実な想いの方にあることは明らかではないか。
市東さんの農地強奪に手を貸そうとする今回の最高裁による「上告棄却」を、怒りを込め弾劾する。
市東孝雄さんとともに、そして三里塚反対同盟と共に、私たちは、とことん闘い抜くことを明らかにする。
3面
『未来』319号優生保護法パンフ紹介記事の誤りを謝罪します
(1)本紙319号3面、パンフレット『国から子どもをつくってはいけないと言われた人たち〜藤野豊「意見書」を読んで』において、優生保護法、優生思想などの用語で、「優生」と記述すべき所を、「優性」という遺伝学的に廃棄された差別用語を使用してしまいました。本誌編集委員会は、このことで多大なご迷惑をかけた裁判当該の皆さん・弁護団・支援者、障がい者、闘う仲間の皆さんに、心からお詫びを申し上げます。
(2)本紙319号3面記事は、8月3日の「兵庫優生保護法被害国賠訴訟」の判決を前にしたパンフレット紹介でした。編集上の過程では、原稿書き=入力、レイアウト・編集、校正を経て発行しますが、この全過程でこの重大な誤りを見過ごしたことは、単なる誤記・誤植ではなく、本紙編集委員会の思想水準の貧しさを示すものでした。現場の闘いに肉薄しておればありえないことで、また「優生保護法」そのものの戦慄すべき内容への接近があれば、今回の誤りをきたさなかったのではと思います。
(3)強制不妊問題でギリギリの地点で声を上げ国の責任を問う原告の方々の闘いは、この国の優生思想と民主主義を根本的に問うています。この闘いに寄り添う弁護団(本パンフレット)や、毎日新聞社の『強制不妊』(2019年3月)にはその基本的姿勢が示されています。その姿勢に学ぶことから始めたいと思います。
また障がい者差別と優生思想が根深く覆う日本社会であるがゆえに、本名を使うことの困難性から仮名で闘う佐藤由美さんに対し「仮名」と入れなかったことは、その人格を無視し、差別の現実を見すえないものでした。
事実関係ではゴルトンはダーウィンのいとこで訂正します。
(4)原告の皆さんからはるかに遠い地点で『未来』を発行していたことを恥ずかしく思い、この克服のために、パンフ紹介再掲載と、原告団の皆さんの闘いに学ぶことから始めたいと思います。
今回の謝罪と実践の中から、本紙編集委員会が人間の人間的解放に資する編集委員会に生まれ変わる再出発点を形成できればと思います。
引き続きの叱正・批判・ご鞭撻をお願いする次第です。
『未来』編集委員会 編集長 大久保一彦
パンフレット『国から子どもをつくってはいけないと言われた人たち』 (優生保護法被害者兵庫弁護団、優生保護法による被害者とともに歩む兵庫の会) 藤野豊「意見書」を読んで
藤野豊「意見書」は、日本の近代化(資本主義化)のなかで、優生思想が欧米から持ち込まれ、日本の資本主義化と対外侵略を正当化する思想として使われ、支配の思想として内在化され、戦後もより強化され、今日も克服されていないことを検証している。以下、私が学んだ点を紹介したい。
19世紀と明治時代
1859年、ダーウィンが『種の起源』を出版。1869年、いとこのゴルトンが『遺伝的天才』を出版し、優生思想をうちだす。1868年頃からの日本の近代化と重なる。政府に招かれて来日したモースなどが、この思想を日本に持ち込んだ。
当時、国内のイデオローグには「人間は生まれながらに自由かつ平等である」(ルソー)とする「天賦人権説」と、「社会ダーウィニズム」が対立していた。初期自由民権運動は前者の思想に立つが、資本主義にとって強者(侵略者)を正当化する「社会ダーウィニズム」の思想は都合がよかった。この優生思想が天皇制国家建設と一体で、アイヌ差別、朝鮮人差別、女性差別などさまざまな差別を正当化していく。これは部落差別の中にも取り入れられ再編強化に利用される。
1910〜45年頃
1910年頃、社会運動家のなかにも優生思想が浸透する。賀川豊彦がその典型で、彼は貧困問題を資本主義によるものではなく、個人の問題だと捉えた。
40年にナチスの優生政策をまねた国民優生法がつくられ、目的は「強い兵士」作りにあった。国民の体力強化が叫ばれ、「弱い国民」を作らない優生政策がとられ、厚生省が設置された。国民優生法の第6条で、「公益上特ニ必要アリト認ムルトキ」は強制不妊手術も認められたが、戦場で死ぬ兵士をつくるための「産めよ、殖やせよ」政策のなかで、これは十分に貫徹されなかった。
1945〜96年頃
敗戦後、日本は膨大な引揚者と復員者をかかえ、経済は混乱し食糧難に直面する。その解決のために、優生保護法は国家の人口政策として構想されていく。日本社会党の法案(1947年)が廃案になるなかで、48年に優生保護法が議員立法として作り直され、これが成立。この第1条で、「この法律は、優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護することを目的とする」と明記している。現実には、「母性の保護」よりも、「優生上の見地」が優先される。国民優生法の部分的改正ではなく、あらたな法律に作り直されたことが重要だ。法律の隠された意図は、国にとって存在が好ましくない人びとすべてを不妊手術の対象とすることで、強制不妊手術に関して国民優生法よりもさらに強化された。日本社会党はこの法案を積極的に推進した。母体保護の産児制限を強調しながら優生思想が内在化されていた。女性は基本的人権に入れられていたが、精神「障がい者」はその埒外で、ハンセン病患者も含まれた。ここはもっとえぐり出す必要がある。
49年、優生保護法は早くも改悪。経済的理由による中絶手術を可能にし、強制不妊手術を医師に義務化した。52年、妊娠中絶手術が医師の判断だけでできるようになった。同時に遺伝性でない精神「障がい者」や知的「障がい者」にたいし、保護義務者の同意と優生保護審査会の決定を条件に、不妊手術が可能になった。このように「母性の保護」と「優生上の見地」はいつもセットにされ、「優生上の見地」が優先される。これは官僚よりも政治主導でなされている。70年代には胎児条項導入が策されるが、「障がい者」団体などにより阻止された。
1996年〜現在
96年、国際世論の圧力により優生保護法は廃止され、母体保護法にかわった。しかし、国会では過去の検証も総括もされなかった。国は反省も謝罪もしていない。結局、名前が変わっただけで優生思想は克服されず、むしろ新たな形で強化された。他方でハンセン病患者の強制不妊手術については、国の責任をはっきり認めた。
2018年、強制不妊手術を受けたとして、佐藤由美さん(仮名)が国家賠償請求訴訟をおこした。このことによって、優生保護法の問題点が広く人びとに知られた。優生思想を内包した戦後民主主義は、人民運動のなかでしっかりと総括される必要がある。新しい社会を作るために重要な鍵がかくされているからだ。(津田保夫)
〈兵庫優生保護法被害国賠訴訟〉 判決
とき:8月3日(火) 午後2時
ところ:神戸地裁大法廷(1階101号法廷)
関生弾圧 7・13武委員長に判決
求刑8年を許さない
大阪地裁を包囲(4月15日) |
大阪地裁で7月13日、全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部・武建一委員長に対する大阪ストライキ、滋賀コンプライアンス等事件の判決言い渡しがおこなわれる。武委員長は事件に直接関与しておらず、かつ、それぞれの事件に関する関生支部の団結権の行使はまったく正当なものである。しかし、検察は団結権を否定するために「労働争議と称して同じ行為を繰り返し、反省がない」として「威力業務妨害・恐喝未遂・恐喝」いう「罪名」で懲役8年を求刑している。80歳の武委員長に対する8年の求刑は絶対許すわけにはいかない。
団結権は奪えない
団結権は労働者の生存権に由来する。労働者が人らしく生きる権利は誰にも奪うことはできない。関生支部は憲法に保障された団結権に基づくストライキ等を武器に、労働者の労働条件の向上をかちとってきた。関生支部が産業別労働組合として年収500万円、600万円という収入を確保したり、ミキサー車の女性ドライバーが子どもがいても働けるように労働条件を向上させることができたのは、ストライキを武器に柔軟に闘ってきたからである。これは人らしく生きるための当然の闘いである。
2018年7月から開始された関生支部への弾圧は、組合員と事業者の逮捕は延べ89人、起訴は延べ71人、家宅捜索は120カ所以上(20年1月末現在)となっている。さらに権力の憎しみは武委員長に集中し、委員長への逮捕は5回にも及んでいる。組合つぶしを目的とした異様な弾圧である。
団結の正当性
憲法は労働者に団結の自由を認めている。労働者がどのような組織形態に団結するかは労働者の自由である。日本で主流となっている企業別組合であろうと、関生支部のように産業別組合であろうと、地域型の合同労組であろうと、団結形態は労働者の自由なのである。
関生支部は産業別労働組合として、巨大な権力を持つゼネコンと闘い、ゼネコンの収奪に苦しむ中小零細の生コン事業に一定の安定をもたらし、生コン産業で働く労働者の労働条件の向上を企業の枠を超えてかちとってきた。これを違法とするのは、人らしく生きる権利の否定である。
関生弾圧は関生支部だけの問題ではない。我々一人一人が人らしく生きる権利がそこにかかっている。この弾圧に屈していては労働者がこれまで獲得してきた権利が奪われてしまう。この弾圧との闘いに全労働者の生活がかかっているのだ。まさに働く者の生死がかかっているのだ。
また今、コロナ禍でぼう大な人たちが職を失い、シフトを外され、収入の激減の中で苦しみのどん底にいる。このぼう大な人たちの生きる権利のためにも関生弾圧はぜったい許してはならないのだ。
共謀罪等の先取り
武委員長は事件に直接関与しておらず、当然、現場にも行っていない。関生弾圧は、権力と闘う団体を暴力団等の「反社会的団体」として一括りにして壊滅しようとする「組織的犯罪処罰法」や「共謀罪」の事実上の適用である。「組織的犯罪処罰法」(1999年)や「共謀罪」(2017年)は多くの人たちの反対を押し切って成立したが、今、「組織的犯罪処罰法」や「共謀罪」の本当の姿がみえてきたのである。
「弾圧で失った職場を取り戻し、そこに再び〈関生支部〉の旗を立てる」(関生支部組合員)という力強い決意がメーデーで表明されたことを想起したい。我々も、関生支部とともに階級的原則に立った運動をおこなっていく。それだけでなく、コロナ禍で苦しむすべての人たちの生きる権利をかちとっていく闘いをこれと一体のものとして闘い、関生支部とともに勝利にむかって進んでいきたい。
4面
連載 #Me Too運動に学ぼう
党内性暴力事件 真の謝罪のためにK
性の人間的奪還を
藤野かな子
性行為の解放的あり方とは
性の人間的奪還のためには、性について話し合える男女の人間関係が必要である。そのためには性関係における女性の奪われた主体性の奪還も不可欠である。性欲は女性にとっても人間的本質であるにもかかわらず、女性が性に主体的にかかわることは「淫ら」と否定され蔑まれてきた。
受け身であることを美徳としてきた差別意識と自らの性について学ぶ機会をもてなかったことが、女性に受動性を強制するなかで、性における主体性の奪還はまさに女性にとっての闘いだ。
他方、エロ本をはじめ女性差別にみちた情報だけが氾濫し、女性観・セックス観を果てしなくゆがめる環境下で育つことが、男性の汚染の原因になっている。男性には自らの差別意識と意識的に闘い、自己を変革する努力が求められる。
性行為においては女性の人格を尊重し相互に理解しあうなかから共に作り出すような解放的あり方を築いてゆかなくてはならない。そうでなければ性行為における当事者間の共同性は回復できない。合意による性行為さえ女性にとっては疎外されたものになりうる。性欲をコントロールする力も要求される。
それは男女の愛情という精神的結合、人格的結合をつくりだす努力のなかから獲得されるだろう。男性の性における精神と肉体、愛情と性欲の分裂の止揚にむけた今日的闘いだ。 前提として性と性行為についての知識をもつことが必要だ。性教育のなかった日本では男女ともに性について無知である。
これからの世代の人たちには恋人たちが一緒に読んで話し合えるような幸福で充実したセックスのための性教育書が必要だと思う。
こうした課題も女性解放闘争における大切な日常闘争である。「障害者」と「健常者」の共生活動である介護活動と同じく、人間的共同性を回復するための今日的闘いであり、とくに男性にとって自己解放闘争の実践にほかならない。
こうした課題を革命後に先送りすることなく、今日的に取り組むことによってこそ、人間解放へむかって社会を変革する担い手をつくりだすことができる。
性暴力との闘いが欠如
では革共同は、性暴力という女性差別に対する男性の自己変革の闘いに、どのように取り組んできたのか。
H事件の背景を考えるなかで、1973年に革共同が党の綱領論文として出した田島優子論文(『共産主義者』24号)を読み直してみた。この田島論文は、70年安保沖縄闘争の大高揚とそれに対する権力および反革命カクマルの反動が襲いかかるなかで、女性解放は帝国主義を打倒するプロレタリア革命のなかに実現することを明らかにし、広範な女性の革命運動への決起をかちとるうえで決定的役割を果たした。私もこの論文に感動した者の一人である。
ところが、70年代に創設された女性解放戦線の運動は、婦人民主クラブ(全国協)とその反戦政治闘争への取り組みに一面化され、女性差別固有の課題や地域的日常的闘争に取りくむことはなかった。そうしたあり方には疑問を感じてきた。 今回、田島論文を読み直してさらに驚いたことがある。それは、この論文が女性差別の歴史と現実にふれながら、階級社会以降の長きにわたる性暴力の歴史にふれていないことである。なによりも差別する側の男性の主体的闘いや課題に全くふれていないことだ。
確かに7・7自己批判の地平をいったん切り開いたとはいえ、革共同は75年の先制的内戦戦略以降、路線的に迷走し最後は安田派に変質してしまった。2007年段階で7・7思想を完全に捨て去った。そうだとしても、7・7の直後に出されたこの論文に、なぜこれほど核心とも言える差別する側の闘いが欠落しているのだろう。なぜその後50年もの間、問題にもならずにきたのだろう。
性暴力を告発する歴史的決起
その原因を探すためには、70年のウーマンリブの運動にまでさかのぼらなくてはならないだろう。日本軍「慰安婦」の闘いと、#MeToo運動は性暴力に対する女性の歴史的決起だ。そのうえでこれらに先立ってウーマンリブの闘いがあったことを私たちは忘れてはならない。
私の思い出としては1971年明治公園でウーマンリブの女性から「便所からの解放」と題したパンフレットを受け取った。その時「便所」の意味は分からなかったが読み始めると釘づけになった。そこには、革命的左翼の運動のなかでも会議では意見を言うこともなくメモに徹し、任務分担では中心的な役割は男性に任せ裏方に徹するような、男性活動家に依存的で非主体的なブルジョア社会さながらの女性活動家の姿が批判的に描かれていた。私自身の姿だと思った。人間解放を掲げたはずの革命運動のなかでも、女性差別から何ら自由ではない現実があるではないか、というリブの告発に共感したのを憶えている。では革共同はこの糾弾にどのように向き合ったのか。田島論文との関係もふくめ次回ふりかえる。(つづく)
ミャンマー支援 世界一斉行動 6月13日
Free Our People
6月13日、「グローバルミャンマー春の革命ウィークエンド(神戸)」という軍政クーデターに抗議するミャンマー民衆の集会が神戸市内でひらかれた。会場の、みなとのもり公園には百人を超える人々が集まった。
炎天下、ミャンマーの青年たちから抗議の意志表示のための赤いはちまき(固い団結という意味)と水分補給用に飲料水が配られた。前回5月2日のときはミャンマーで虐殺された人たちに弔意をささげるため黒い服でおこなわれたが、今回は「何にも染まらない、自由」という意味でみんなが白い服を着て集まった。
集会では、ミャンマーの青年たちが次々と立ち、「ビルマに自由を!Free・Free・Burma」「われらのリーダーを解放しろ!Free・Free・Our Leaders」、「我が国民を解放しろ!Free・Free・Our People」、「軍事独裁政権を認めない!Reject Military coup」、「ミャンマーの課題は世界の課題!Myanmar cause is Global cause」等々と体と腕を大きく動かしてシュプレヒコールがおこなわれ、さらに「忘れない」という題名の歌がミャンマー語と日本語で歌われた。この歌は国軍の残酷な様子を伝えるビデオの中で常に流されている曲で「国軍の残酷な行為を忘れない、軍事政権を許さない、全力でたたかおう」という歌詞である。今回、初めてこの曲の意味を知った。ミャンマーの青年たちの熱い思いが伝わってきた。
この日はイギリスで開催されているG7サミットにあわせた世界同時行動日でもあった。東京では千人を超える人たちが渋谷区の国連大学に集まった。日本では北海道、東京、静岡、名古屋、神戸、福岡、佐賀の7カ所でおこなわれ、神戸の集会には名古屋や東京からも参加者がかけつけた。
これに先立つ6月12日、サミットの真っ最中にメディアセンターのあるイギリスの港町・ファルマスにイギリスに住むミャンマー人数百人が集まり、抗議集会がおこなわれた。抗議行動は日本をふくめて世界21カ国になった。
何が求められているのか
G7サミットでは「我々は、ミャンマーにおける軍事クーデター及びミャンマーの治安部隊によりおこなわれた暴力を最も強い言葉で非難し、恣意的に拘束された人々の即時解放を求める」(59項)という共同声明が出された。日本でも衆議院(6月8日)と参議院(6月11日)で「クーデターを引き起こした国軍による現体制の正当性は全く認められない」とする決議が自民党の提案で可決された。
しかし、これはミャンマー民衆の立場に立ったものではない。日本を含む帝国主義者たちが「最後のフロンティア」と一方的に位置づけるミャンマーを「安定的」に、かつ、貪欲・残酷に搾取するためのもの以上ではない。
また、サッカー・ワールドカップの予選で来日していたミャンマー代表のピエ・リヤン・アウン選手が6月16日、日本での試合を終え、関西空港での帰国手続きのギリギリの場面で「帰国すれば命と安全が危ない。日本で難民申請する」と意思表示した。日本が昨年1年間で難民認定したのはわずかに47人に過ぎない。「外国人は煮て食おうと焼いて食おうと自由だ」とほざく入管行政との闘いが今、死活的に求められている。集会のシュプレヒコールにもあるように「ミャンマーの課題は世界の課題」であり、我々の問題なのだ。スリランカ女性のウィシュマさんを虐殺して放置する日本の入管体制とたたかうことが求められている。ミャンマー民衆との連帯闘争と同時進行で入管行政とのたたかいをおこなっていかなくてはならない。(三船二郎)
5面
藤原辰史講演会
大阪は新自由主義の先端
うち破る新しい運動を
集会を終えデモ行進(6月20日、大阪市内) |
「菅ヤメロ! 吉村・松井を追いつめよう!6・20市民集会」が大阪市内でひらかれ、コロナ禍にもかかわらず、リモートを含めて150人が参加。集会後、梅田までデモ行進した。
講師の藤原辰史さんは、新自由主義による社会の破壊に対し、農業や食料問題をベースに研究をしてきた。昨年、『パンデミックを生きる指針』がネット上などで多くの人の目に触れ注目されてきた。
冒頭、仲尾宏さん(反戦・反貧困・反差別共同行動in京都 代表世話人)が主催者あいさつ。「(コロナパンデミックは)社会的背景がある。多くの人が治療できない・数時間以上も待機させられる。なぜか、『大きな政府』より『小さな政府』という中曽根・小泉以来の行政改革で、全国800以上あった保健所が半数に。最大の犠牲者は弱者・非正規雇用労働者。特に大阪は維新政治でオリ・パラから万博までインチキな金と時間が費やされる。こうした政治・政権を市民の団結で打開する必要がある」。
藤原辰史さんが講演
以下、講演内容を紹介する。
大阪は新自由主義の先端。それが大きく変わると日本全国・全世界での世界的モデル・ニュースとなる。一番危機的な場所こそ歴史的ターニングポイントに。レジュメにそい、@新自由主義の脆弱性、A人間関係が(21世紀型の)身分制という形でとらえられるのではないか、Bどのような運動が必要かを論じた。
新自由主義の脆弱性
新自由主義は資本主義の一つの最終的な赤字の形態。資本はできるだけ安い賃金で働かせて利益を得る。1970年以来、資本主義は利子が下がりバブルはしぼみ、カンフル注射を打ち続けている。濃度30倍の注射のイメージが今だ。新自由主義だけのりこえても元の木阿弥。〈食べて生きる〉が、どのように変換されていくのか見ないといけない。その例として医療で新自由主義が、人の生命の問題をある程度行政がルールを定めてコントロールしていくことをまるで悪いことでもあるかのように、岩盤規制と称して攻撃し、医療を破壊している。
もう一つの例として食の貧困。子ども食堂は増え全国で5千カ所。アジアでは給食がもらえない所も。民族学校へは給食は出ていないし、東京では中学校で給食が出ない。食の問題はコロナ以前からあったが、ウイルスを契機に気づいた人も多いが、食べているものがどこから来ているのか知らなさすぎる。
フィリピンでは、住友資本などがバナナ農園で農薬をヘリで散布し、その下に小学校がある。薬がバナナの皮に浸透。アボガドは、いい水を使うので村の地下水はカラカラ。アマゾンの熱帯雨林、プランテーションは村を切り開きつくられた。我々の消費によって誰かが殺されていく。
大阪では、橋下府政の「日の丸・君が代」不起立処分で、教師を追いやった。今の教育はホモエコノミクスで、経済的に使える人間をつくることが主になっている。テイラー主義のように工程だけ働いて全体が見えてない。自分の位置で最大限働くことのみ。これは経済に都合がよい。しかし、自分の危機的状況にあった時、全く対応できない。
21世紀型身分制
次に21世紀型の身分制。近代は歴史的には身分制打破。その中に資本主義ができた。しかし、今、富める人はますます富み、貧しい人はますます貧しく固定化されてきている。
その限界をイタリアの人類学者の報告から。イタリアのロンバルディア州で新型コロナ感染のクラスターが発生し、その原因はお金が高度医療ばかりにつぎこまれて、普通の医療がおろそかになった。金を持っていたのにコロナ対応できなかったその例を挙げた。
常套句を用いない運動へ
三点目にどう対応するか。常套句を用いない運動。人間の尊厳が失われることの意味を伝えてこれなかったのでは。沖縄のガマで元「ひめゆり」の思いを語り継ぐ人や、沖縄戦の遺骨収集を続けている具志堅さんの例を挙げた。
左派系の学者が忘れてきた哲学―「美学」の分野を指摘。1つのチラシを作るのに、何日も何時間もかけて言葉を使っていく。ブレイディみかこさんの言う(シンパシーでなく)「エンパシー」(「感情移入」)。「他人の靴を履いてみる」。自分と違う論理体系も有効である。最後に、食べ物を通じた変革が大事。また、政府の「脱炭素」のかけ声のまやかしを暴き、「人間が破壊されたままでは意味がない」と。
講演後の質疑応答では多くの質問・意見が出た。連帯あいさつは、連帯ユニオン関西地区生コン支部、釜ケ崎日雇労働組合から。
まとめでは、足元の運動と国際的格差貧困との闘いをつなぐ運動が我々の役割と提起された。
マルクス『資本論』に学ぶ(1)
協同組合工場こそ突破の道
松崎 五郎
『資本論』第3巻27章の表題は「資本制的生産における信用の役割」で、ここに未来社会の生産様式について書かれています。
27章冒頭でマルクスは「信用業についてわれわれが今までに一般的に述べたのは次のことであった。」と述べ、4点あげています。
T、信用業は、諸利潤率の均等化を媒介
U、流通費の軽減
V、株式会社の形成 W、信用の性格。
27章はこれまでのまとめなので、紹介は省き重要と思ったところを抜粋し、あとでポイントを述べます。[ ]は筆者の注です。
〈抜 粋〉
V.株式会社の形成
「(二) 社会的集積を前提とする資本が、私的資本に対立する社会=会社資本の形態[株式会社]をとる。…これは、資本制的生産様式そのものの限界内での、私的所有としての資本の止揚である。」
「(三) 現実に機能する資本家が他人の資本のたんなる支配人・管理人[経営者]に転化し、資本所有者がたんなる貨幣資本家[株主]に転化する。」
「資本制的生産の最高の発展のこうした成果は、資本が、生産者たちの所有(結合した生産者としての彼らの所有)に再転化するための必然的な通過点である。」
「利潤はこの場合には純粋に利子の形態をとるのであるから、こうした企業は単なる利子しかもたらさなくても可能であり、このことこそは、一般的利潤率の低落を阻止する原因の1つである。…一般的利潤率の均等化には参加しないから」
「これこそは、資本制的生産様式そのものの内部での資本制的生産様式の止揚であり、…あらたな一生産形態への単なる通過点として現れる。…それは特定部面で独占を生み出し、したがって国家の干渉を誘発する。」
W.信用の性格
「この収奪は資本制的生産様式の出発点である。資本制的生産様式の目標は収奪の遂行であり、窮極的にはあらゆる個人からの生産手段の収奪であって、…。だがこの収奪は、資本主義制度そのものの内部では、少数者による社会的所有の取得として、対立的姿態をとって現れる。そして信用はこの少数者に対し、純粋な賭博師たる性格をますます与える。所有はここでは株式の形態で実存するから、その運動および移譲は取引所賭博の純粋な結果となる…。」
「だが、株式形態への転形そのものは、まだ依然として資本制的制限のうちにとらわれている。」
「労働者たちじしんの協同組合工場は、旧来の形態の内部では、旧来の形態の最初の突破である。…資本と労働との対立は、その工場の内部では止揚されている。たとえ最初には、組合としての労働者たちは彼ら自身の資本家だという、…。協同組合工場は、資本制的生産様式から発生する工場制度がなければ発展しえなかったであろうし、また、この生産様式から発生する信用制度がなくても発展しえなかったであろう。…資本制的株式企業は協同組合工場と同じように、資本制的生産様式から組合的生産様式への過渡形態と見なされるべき…。」
〈ポイント〉
協同組合工場 (=生産協同組合)
@ここでのマルクスの論理は、資本の私的所有から社会的所有(社会資本)への転化・発展です。
A未来社会(共産主義社会)の生産様式を、マルクスは「組合的生産様式」「資本が生産者たちの所有」と呼んでいます。
B資本主義から未来社会への論理的過渡形態・通過点として、マルクスは株式会社と協同組合工場の2つをあげています。だが株式会社は「資本主義の限界内」であるので、現実的な過渡形態は協同組合工場となります。協同組合工場(=生産協同組合)こそ資本主義を突破する道だということです。
Cだから、革命を求める労働者は、自らの工場を協同組合工場に転化するために闘わねばならないのです。協同組合工場化を忘れ、労働組合にとどまっている限り、最後は自らの個別資本を擁護・下支えすることになるのです。独占電力会社の組合が反原発を掲げることに反対し、連合もそれに従っているのが、その最たる例です。
D未来社会を切り開く革命は、資本家階級の政治委員会である政府・国家の打倒とともに労働者・民衆が生産の主人公になるための生産協同組合化の闘いが絶対必要なのです。
だが、日本における生産協同組合化の闘いは、戦後の読売新聞や70年代の港合同、最近の関西生コンなどごくわずかであり、過去の私たち含め、その考えは忘れてしまっていたといっても過言ではありません。
貨幣資本家は「賭博師」
E貨幣資本家を、マルクスは「賭博師」と呼んでいます。毎日、テレビや新聞で株価の動きが報道されていますが、実経済とはまったく関係のない賭博の世界に民衆をひきずり込もうとするものです。
F株式会社形式の大企業は「利潤率の均等化には参加しない」とマルクスは述べています。資本家つまり株主たちは、一般的利子率以上の配当があれば、それでOKなのです。
だから、カルロス・ゴーンのような高額な給料をとる「やとわれ」経営者が登場するのです。利潤は利子と企業者利得に分割されますが、資本家の代理人にすぎない経営者が企業者利得分を略奪しているのです。
IOCとスポンサー第一の五輪
五輪強行のドタバタ劇が失策を拡大中。中止か延期か無観客が、いつの間にか1万人以下開催に。観客には関係者・スポンサーは含まれない。
居酒屋は禁酒でも「会場でビールを販売」は、「居酒屋暴動」宣言で中止に。しかし選手村では飲食自由、避妊具も大量配布。さすがに有名タレントも「五輪は楽しめないね」。
もはや、その後の解散総選挙での痛打しかない。
6面
84歳の独り言―社会運動あれこれD
「進者往生極楽、退者無間地獄」の旗
大庭 伸介
戦国時代の最終決戦は何であったか。
1570年から丸10年に及ぶ、大坂の石山本願寺と織田信長の戦いである。これ程長い篭城戦は世界にも例がない。高校生のとき、『中央公論』に長期連載された松島栄一(東大史料編纂所教授)の記事で得た知識である。
当時「百姓や賎民」の多くは、一向宗(浄土真宗)の教えに救いを求めた。仏の前にすべての人間は平等である、という思想である。彼らは武士階級の収奪と圧政に抗して、全国各地で一揆を起こし、権力者たちを震え上がらせた。
現在の石川県と富山県にまたがる地域では、領主を自決に追い込み、百年にわたって「百姓ノ持チタル国」を築いた。
愛知県の東部では徳川家康の家来の半数が一揆に加わり、勝利寸前にまで迫った。
大阪府や奈良県などには環濠集落の跡がある。一向宗の寺を中心にした宗徒たちの自治共同体の名残で、治外法権の世界であった。
一家の長だけでなく女性も平等の資格で参加した〈講〉という自律的なコミュニティーが彼らの力の源泉であった。そこの裁判では拷問が一切なく、女性たちの眼が生き生きと輝いていたと、当時日本に滞在した宣教師ルイス・フロイスが記している。
一向一揆は日本に初めて実現したヨコ社会を基盤にする、下層民衆の革命的武装蜂起であった。だからこそ武士階級(反革命)のチャンピオン信長は、「根切り」と称する粛清をおこなった。長島一揆(三重県)に参加し餓死寸前まで戦った2万人を超える老若男女を、すべて焼き殺したのである。
石山本願寺は各地の一向一揆の司令塔であり、最後の砦であった。一向宗徒たちは全国各地から、ヒトやモノを石山本願寺に送り込んだ。鉄砲の扱いにたけた数千人の雑賀衆(和歌山県)は、信長方の砦を襲い有力な武将を何人も倒した。
瀬戸内の制海権を握る毛利の水軍による兵糧の搬入が、篭城軍の命綱であった。毛利の水軍の実体は、瀬戸の島々や沿岸に住む一向宗徒である。
信長はそれを阻もうと、大坂湾の木津川口に多くの軍船を配した。第1次の木津川口の合戦では、毛利の水軍が勝利した。そのとき船上に掲げられたのが、「進者(ススメバ)往生極楽、退者(シリゾケバ)無間(ゲン)地獄」と記した旗であった。戦えば幸せになり戦わなければ不幸になるという、革命的スローガンである。
10数年前、私は広島県竹原市の長善寺でこの旗を見た。普段はガラスのケースに収められているが、たまたま寺が修復工事中で、直接手に触れることができた。縦140センチ横80センチ程の白い木綿の布に、前記のフレーズが墨で書いてあった。
ところどころに血痕や鉄砲の弾が貫通した硝煙の焦げた小さな穴があり、激戦の様子を物語っていた。私は死を恐れずに戦って勝利した人々に思いを馳せ、感動にひたった。
このことを「革命的共産主義者」を名乗る人たちの学習会で話したが、反応が鈍かった。日本の左翼はおしなべて宗教に否定的で、とりわけ仏教を古臭いものとみなす傾向がある。
私も無神論・無宗教だが、一向一揆の歴史的総括は次元の異なる話である。日本社会を根底からひっくりかえそうとするなら、数百年の時を経ているとはいえ、人民の革命的営為を主体的にとらえかえし、その経験と教訓を自分たちの運動にいかしていくべきではないだろうか。
コロナ・パンデミックの今、長いスパンで人類の歴史を見直すことが求められていると思う。(おわり)
※長い間、このシリーズにお付き合いいただき、ありがとうございました。
5月・6月伊方原発差止め訴訟
基準地震動に依拠し原発推進
松田 忍
伊方原発運転差止広島裁判の新規仮処分第4回審尋(非公開)が5月13日午後2時から広島地裁民事第4部(吉岡茂之裁判長)で開かれました。
午後1時30分、広島地裁前への乗り込み行進がおこなわれ、「伊方原発敷地直下の南海トラフ巨大地震(M9・0)で地震動が181ガル?」と書かれた大きな横断幕が掲げられました。
弁護士会館3階大ホールでは、元福井地裁裁判長の樋口英明さんの緊急記者会見が急きょ催され、記者会見の様子はZOOMでも中継されました。樋口さんは、日本の原発の耐震性は、日本のハウスメーカーの一般住宅に比べてもはるかに低いことなどを分かりやすく解説されました。
続いて開催された記者会見・報告会では、今回の審尋において、珍しく、四国電力側の弁護団長と仮処分弁護団長の河合弁護士との間で激しいやり取りがあったことが報告され、「原発敷地に限っては強い地震は来ない」と言う電力会社や規制委員会の「地震予知」や「基準地震動」に依拠した原発推進を許してはならないことがあきらかにされました。
伊方 第23回本訴の弁論も
続く6月2日には広島地裁民事第2部(大森直哉裁判長)で伊方原発運転差止広島裁判本訴第23回口頭弁論期日の取り組みがおこなわれました。コロナの緊急事態宣言下で記者会見・報告会は中止され、人数制限された中で傍聴のみがおこなわれました。 7月14日には「黒い雨」訴訟の広島高裁判決が予定されています。被爆76年の8・6〜8・9をオリンピックの喧騒でかき消そうとすることを許さず、共に闘いましょう。
6・6集会 避難者の発言から 原発はこの世にあってはならない
6・6集会の一コマ |
「6・6老朽原発うごかすな大集会inおおさか」でなされた福島原発事故からの避難者Aさんの発言を紹介する。
私は2011年3月に起きた東京電力福島第一原子力発電所の原発事故により健康被害が生じ、滋賀県に避難してきました。当時私が住んでいたのは、事故のあった原発から205q離れた千葉県北西部です。この地域は2011年3月21日朝、大量の放射性物質を含んだ雨が大量落下したことにより膨大に汚染され、汚染状況重点調査地域に該当する「ホットスポット」となりました。この地図からも分かるように原発事故による汚染は福島にとどまらず、東北、関東と広範囲にわたっています。
私は原発から205qのところから避難してきましたが、美浜原発からびわ湖までは30qです。原発に何かあれば福井県のみならず広域にわたって汚染されてしまいます。それはイコール被曝を強いられるということです。
関西電力・榊原定征会長、森本孝社長
・稼働している原発を直ちに停止してください。
・危険極まりない老朽原発、高浜1号機、2号機、美浜3号機の再稼働に反対します。
賛成とか反対とか言うより、そもそも原発はこの世にあってはならないものです。核のごみ「死の灰」をつくることでしか動かせない原発は要りません。
関西電力は40年を超えた老朽原発の再稼働の前例をつくろうと必死のようですが、私たちはその前例をつくらせるわけにいかないのです。10年にわたって停止していた40年超えの劣化した原発。大丈夫なわけがありません。重大事故ととなりあわせです。いくら安全確認を実施すると言ったところで事故がおきたらおしまいです。
すべてのいのちのために、この豊かな大地を、命の水がめを何がなんでも守りたい。「豊かな国土と、そこに国民が根をおろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失である」という樋口元裁判長のことばをいまいちどかみしめたいと思います。
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