未来・第319号


            未来第319号目次(2021年6月3日発行)

 1面  五輪強行で延命策す五輪強行で延命策す
     菅政権はもういらん

     国会前と全国で声あげる
     入管法改悪を阻止したぞ

 2面  関西生コン事件を考えるシンポ 4月18日
     産業別労働組合認めない大弾圧

     兵庫で連続集会
     尼崎・加古川・神戸

     入管法改悪NO!!緊急アクション(下)
     強制収容をやめさせよう 5・5

     (本の紹介)
     『挑戦を受ける労働基本権保障』
     連帯ユニオン 編 熊沢誠 他 著

 3面  沖縄現地報告
     コロナ禍でも続く闘い      

     19行動・大阪淀屋橋
     改憲・入管などで大街宣     

     狭山再審求め、すわり込み
     5月23日 神戸駅前で8回目

     パンフレット『国から子どもをつくってはいけないと言われた人たち』(優生保護法被害者兵庫弁護団、優生保護法による被害者とともに歩む兵庫の会)藤野豊「意見書」を読んで

 4面  連載 #MeToo運動に学ぼう
     党内性暴力事件 真の謝罪のためにI
     石川由子

     84歳の独り言―社会運動あれこれB
     治安立法に断固反対しない野党
     大庭伸介

     〈投稿〉
     映画『主戦場』を見て
     草川けい子

 5面  大阪コロナ
     維新政治で死者日本一
     松井市長 吉村知事は責任をとれ

     始まった高齢者の命の選別(下)
     関東障害者解放委員会 松浦 淳

     「核のない世界」の実現へ
     核兵器禁止条約の意義(上)
     津田保夫

 6面  関西電力
     老朽原発 全国初の再稼働
     6・6大阪集会から6・23美浜へ

     5月20日
     美浜再稼働へ燃料装荷
     町役場・事業本部前で抗議

     (シネマ案内)
     ドキュメント映画『サマショール』
     監督:豊田直巳・野田雅也 2020年
     ―飯舘村 長谷川健一さんの思いと苦悩

       

五輪強行で延命策す
菅政権はもういらん

8割近くの反対の世論をうけて盛りあがる東京五輪反対行動(5月9日、JOCミュージアム前)

内外から反対論の山

緊急事態宣言が延長された5月になって、東京オリンピック開催に反対の声が大きくなった。どのメディアの世論調査でも8割がオリンピック・パラリンピックの「中止」または「再延期」を求めている。同時に、菅内閣の支持率が急落し、すべての調査で、不支持率が支持率より大きくなった。菅内閣不支持の最大の理由は、このパンデミック危機のなかで、オリンピック・パラリンピックの開催を強行しようとしていることにある。
オリンピックの競技会場がある埼玉・静岡・山梨を含む9県の知事が「感染状況次第で中止・延期にすべきだ」と回答し、千葉・神奈川・茨城の県知事は、大会組織委員会の要請に、「(五輪関係者のために)コロナ用病床を確保・占有することは考えていない」と回答した。
ロイターが5月に日本の482企業にアンケート調査したところ、開催「反対」と「再延期」が計7割に達した。ブルジョアジーの支持が低下するはずである。彼らが期待していた「経済効果」のうち新国立競技場建設などの建設関係の経済効果はすでに終了。残る海外観客のもたらすインバウンド効果は、海外観客受け入れ中止で、すでにマイナスとなっているのである。

祝祭資本主義の破産

このまま開催を強行すれば、世界中から変異株が持ち込まれ、東京は世界中に感染を拡大する「るつぼ」になる可能性が高い。組織委員会は、3929人の職員を抱えるが、公務員・民間からの出向以外に契約・派遣の職員が1300人いる。その多くが月150時間から200時間残業しており、過労死ラインをはるかに超えている。こんな無法がまかり通るのは、計3兆5千億円に及ぶ開催費用を利権企業がむしり取るため、公益財団法人でありながら、民間法人の形を取り、会計操作や労務管理をデタラメにしているからである。
オリンピックや万博では、祝祭的な巨大イベントに便乗し、グローバル資本の蓄積を公共の負担で加速する原理が働く。資金やリスクは、政府・自治体・住民が負うシステムとなっている。開催するメガシティと政府は、開催によって国威発揚を図り、政権に対する吸引力を図る思惑がある。
オリンピックの実態は巨大商業イベントである。協賛企業からのスポンサー料、テレビ局からの莫大な放映権料を両輪にIOC自体が巨額の収益をあげている。国内では、電通が広告・PR・コミュニケーション全般を独占し、「1兆円以上の売り上げ」を目指せと社長自ら発破をかけている。開催で苦しむ人、コロナで亡くなる人を思えば、熱気を煽る開催は許せない。

菅政権退場、オリ・パラ中止

自民党内ですら菅首相を立てては10月までに実施しなければならない総選挙で勝つ見込みがないという意見が出ている。これにたいして菅首相は、反動勢力を総結集して体制危機を強行突破しようとしている。国民投票法改定案を成立させて、いつでも改憲発議ができるようにし、大資本の利益と国民監視を強化するためのデジタル関連法を成立させ、なによりも東京2020オリンピック・パラリンピックを強行しようとしている。
5月21日のIOC、IPC(国際パラリンピック委員会)、日本政府、東京都、大会組織委員会の5者会談後、コーツIOC副会長が「緊急事態宣言下でも開催する」と発言し、バッハIOC会長は、「犠牲が出ても開催する」と発言した。IOCが東京2020開催にこだわるのは、「IOCにとって最大収入源であるテレビ放映権を担う米大手放送局NBCとの契約を果たす」至上命令に基づいている。
利権や金儲けがすべてのIOCに乗っかる菅首相を許してはならない。世界の労働者人民、被抑圧民族人民と連帯し、開催阻止・中止を勝ち取ろう。

国会前と全国で声あげる
入管法改悪を阻止したぞ

国会前で連日のすわりこみ行動(5月18日、衆院第2議員会館前)

5月18日、政府・与党は入管難民法改悪案の成立を今国会においては断念した。
それに先だつ5月16日、改悪に反対する集会・デモが全国各地でおこなわれた。大阪ではあいにくの雨にもかかわらず、〈入管事件を闘う大阪弁護士有志の会〉が呼びかけて300人もの人たちが集会をひらいた。
この集会は入管難民法改悪絶対反対への緊迫した意気ごみと、スリランカ人女性=ウィシュマ・サンダマリさん(33)を死に追いやった名古屋入管の密室殺人ともいえる対応への激しい怒りを、参加した皆が共有していた。
急遽開かれた集会にもかかわらず、各政党、入管難民問題に取り組んでいる諸団体・個人そして在日の人たちの発言が数多くあった。
司会は弘川欣絵弁護士。カトリック大阪大司教区社会活動センター・シナピス難民委員会、RAFIQ(在日難民との共生ネットワーク)、TRY(外国人労働者・難民と共に歩む会)、日本ビルマ救援センター、SAVE IMMIGRANTS OSAKA、在日本済州四・三事件犠牲者遺族会、フリーライターの李信恵さん、定岡由紀子弁護士などの発言が続いた。政党は日本共産党、立憲民主党、社会民主党、れいわ新選組が発言。
各発言は、ウィシュマさんの死に対する怒りと真相究明、とりわけ収容所内の居室の監視カメラの映像の開示と入管法の反人権・反人道的内実、難民条約を批准しているにもかかわらず、国際的流れとは真逆な運用のしかたに対する怒りが満ちあふれていた。いろいろな国の人たちがこの日本社会で日本人と同じように生きていけるよう、この社会を根本的に変えていこう、そのためにまず廃案を、の声が続いた。
入管法の廃止を求めて300人がデモ行進(5月16日、大阪市内)
かつて70年当時、入管法国会上程阻止闘争をはじめとした入管闘争をたたかった者の一人として特に胸に突きささる発言があった。「65年の日韓条約成立前の交渉の場で日本側から『朝鮮人は煮て食おうと焼いて食おうと勝手』という発言があったが、現在の入管法の本質は当時とまったく変わらない。参政権をはじめ政治的自由も奪われている。48年4・3蜂起の時、姉を含む5000人から1万人の人たちが日本に密航してきた。その少なからぬ人たちが大村収容所から強制送還された。政治難民にもかかわらず強制送還するのは今も変わっていない」というものであった。
私たち日本人はこの言葉を深く受け止めねばならないと思った。このような抑圧・追放のない社会に創り変えていこう。(伊藤十三 2面に関連記事)

2面

関西生コン事件を考えるシンポ 4月18日
産業別労働組合認めない大弾圧

4月18日、「第2回検証シンポジウム 関西生コン事件のこれからを考える」がひらかれた。コロナ感染拡大のため参加方式はWEBのみとなった。

現状を検証

第1部は「刑事裁判一審判決と労委事件の現状を検証する」と題しておこなわれた。大阪第1次、第2次判決批判を宮里邦雄弁護士が、加茂生コン第1事件判決批判を吉田美喜夫・立命館大名誉教授が、労働委員会事件の現状と課題を久堀文弁護士がおこなった。
宮里弁護士は、組合員がいない会社であっても産業別労働組合の団体行動の相手方になるのは当然であることを明確にした。憲法は団結の自由を認め、団結の組織形態は労働者の自由であること、つまり、企業別組合であろうと、産業別組合であろうと、地域型の合同労組であろうとどのような組織形態に団結するかは労働者の自由であること。憲法は労働者の団結形態に関わりなく団結権、団体行動権、争議権を認めている以上、判決は不当そのものであると弾劾した。
吉田美喜夫名誉教授は、加茂事件に注目し、とくに保育園から求められた就労証明書を会社に要求したことを強要未遂にしたことを問題にした。同教授は、労使関係は一般市民同士の関係ではないことを幾度も強調した。組合に入ったとたん、就労証明を出さなくなったのだから典型的な不当労働行為である。「自分は労働法は知らない」という裁判官だからこそ、こんな非常識な判決を出すのだ。団結権を知らず、労使関係を一般市民同士の関係にゆがめ、有罪にしていると強く批判した。
久堀文弁護士は、府労委で勝利命令が続いているが、労働者供給事業の組合員の就労打ち切りに対してA社で切られてもB社があるではないかということで、勝利命令であるが雇止めの回復にまで至っていないことを問題にした。働く者の生きる権利を否定する大がかりな団結権侵害があることを中労委で争っていくと表明した。

ストライキで労働条件の向上

第2部は、パネルディスカッション。全国ユニオン会長の鈴木剛さん、ジャーナリストの竹信三恵子さん、評論家の佐高信さん、コーディネータを海渡雄一弁護士がつとめた。
海渡弁護士は「ストライキまでやって労働条件の向上を実現してきた関西生コンに、使用者の憎悪が集中している」と指摘。竹信さんは「500万円、600万円と取れるようにしたことは大きい。ミキサー車の女性ドライバーが子どもがいても働けるようにしているのは大切だ」という。海渡弁護士は「1974年の争議件数は9581件、2017年は68件。歴史的大弾圧がおこなわれているのにマスコミはきちんと報道していない」「記事を書いてもデスクを通らない」というマスコミの現状に「まずネット空間を変えなければいけない」と問題提起した。これに応えて、鈴木さんは「労組活動家がSNSをまったく使えない。みんな使えるようにしたほうがよい」という指摘は耳が痛かった。さらに「連帯し、支えあっていく価値観を大切にするあり方をつくることが必要」と指摘した。

労働運動の岐路

全体司会の「関生弾圧とのたたかいは50年後、日本の労働運動の岐路になるのではないか。だからこそ、関生の問題を日本の社会の問題として考えなければならない」という指摘は重要である。関生弾圧をなんとしても打ち破っていこう。

公判日程 〈大阪第2次・湖東協・タイヨー事件併合〉判決
とき:7月13日(火) 午前10時
ところ:大阪地裁
※武委員長(求刑懲役8年)への判決が出されます



兵庫で連続集会
尼崎・加古川・神戸

関生弾圧の真実を多くの人に知らせ、労働組合の団結を強化しようと、「労働組合つぶしを許さない兵庫の会」は、小谷野毅全日建連帯労組書記長を迎えて、4月7日・尼崎、8日・加古川、9日・神戸と3カ所で連続集会を開催した。
尼崎ではコロナ禍にも関わらず73人の仲間が集った(写真)。主催者を代表して尼崎地区労・酒井浩二議長は、いま労働組合への弾圧を見過ごすことは、あすの自分たちの団結破壊をもたらすと訴えた。小谷野書記長は、弾圧の事実経過をわかりやすく報告するとともに、この攻撃を跳ね返すことが労働運動の再生の道だと訴えた。争議をたたかう仲間からは、自分たちの職場の資本の横暴さを語り、連帯労組の仲間に思いを寄せた報告があった。最後に地区労事務局次長・小西純一郎さんが、関生弾圧への取り組みを強めていこうと結んだ。

入管法改悪NO!!緊急アクション(下)
強制収容をやめさせよう 5・5

5月16日のデモ終了後、18日の採決強行を阻もうと総括提起をおこなう弘川欣絵弁護士(大阪市内)

〔前号5面より、弘川弁護士の訴えのつづき〕
そして、これは私たち(日本人には)想像がつかないんですけれども無期限収容なんです。上限がないんですよ。1回収容されたらいつこの所から外に出られるかわからない状態で収容されるんです。私たち(日本人は)そのようなことを経験することがありません。刑期がきちんと決まっているので、刑務所のほうがずっと精神的には安定しているんです。収容がいつ解かれるかわからない状態で(たとえば)3年、そこにいるというのが、どういう状況か私たち(日本人)には申し訳ないけれど想像することができない。入管事件に携わっている、直接関わっている弁護士もそこまで共感することはできていないと思います。
私たち(日本人)には在留資格というものは、国籍のうえでは既得権益なんです。この既得権益をもっている、足にちゃんと下駄をはかせてもらっていることをきちんと自覚して、私たちはやるべきことをやっていかなければいけない。この入管法改悪は選挙権のない外国人の人たちにはどうすることもできないんです。
みなさんといっしょに力を合わせて、この入管の欺瞞を完全に打破していかなければ、この日本が人権立国になることは絶対にできないと思います。憲法の改悪をどんなに阻止しても、本当の意味で憲法を守るような日本にしていかなければこの日本は、とても未来に、子どもたちに手渡すことはできません。
7日に強行採決の可能性があるといわれています。でも(まだ)衆議院の法務委員会の段階です。まだまだこれからも動きを作っていくことはできます。最後まであきらめず、そしてみなさんのお声で、どんどん大きなメジャーな問題にしてやっていきたいと思います。どうか力をかしてください。よろしくお願いします。

入管の権力拡大を阻止しよう

集会では、ほかにも多くの弁護士が発言。ビルマ/ミャンマーからの難民の方、ウガンダからの難民(申請中)の方も発言した。集会後、JR大阪駅近くまでデモ行進した。
今回の改悪案では、現行制度上、難民申請中の強制送還は停止されるのを、3回目の申請以降は送還可能とする。自国に戻れば命の危険がある人々を強制送還するというのだ。 また、日本に住まざるをえない事情をかかえた人々が送還を拒否した場合、「送還忌避罪、退去強制拒否罪」で刑罰を科すようになる。
出入国在留管理庁(入管)の権力をいっそう拡大する改悪案を葬り去ろう。(おわり)

(本の紹介)

『挑戦を受ける労働基本権保障』
連帯ユニオン 編 熊沢誠他 著

『挑戦を受ける労働基本権保障』(連帯ユニオン編、熊沢誠他著、旬報社刊、880円)を紹介します。熊沢さんの労働者に対する優しい眼差しが感じられて心地良く読めました。そして関生弾圧のなぜ? が氷解しました。
関生は産業別・業種別労働組合ですが、そういう形態の労働組合特有の労働基本権を国家権力が認めたくないことから端を発しているようなのです。周知の通り日本特有の労働組合の特徴は企業別労働組合です。企業別組合の多くは本工で組織されており、非正規雇用労働者の犠牲の上に成り立っていて、非正規雇用労働者が多数を占めるようになった中で自らの利害も守れなくなっているし、企業業績に左右されて企業防衛主義になっています。今の日本では、労働組合が自分を守ってくれると思っている人は少数派です。しかし、非正規雇用労働者や請負労働者の多い生コン業界で、関生はそういう人たちを積極的に組織してきました。
関生が闘う相手は大手ゼネコンであり、建設会社です。ゼネコンは経団連会長を出していたほどこの日本を牛耳っています。その日本の国家権力が総力をあげて関生潰しのために襲いかかったのです。その時に目をつけたのが、産業別・業種別労働組合の労働基本権保障の必要性が裁判所には認識されていないことだったのです。
僕は残念ながら産業別・業種別労働組合の労働基本権保障の欠陥を指摘するほど法律に詳しくはありません。しかし、今回の弾圧がスト破りをする労働者ヘの説得活動や違法企業ヘのコンプライアンス活動が刑法上の犯罪にされているのですから、労働基本権の侵害であることは明らかです。むしろ国家権力はこの関生弾圧を切り口にして、スト破りを容認しないような労働組合活動を非合法化しようとしているのではないかと思えます。実質的ストライキ禁止です。
本来、労働組合活動は企業と一体になったスト破りをいかに防ぐかということを不可欠としています。ザルストではストライキの効果は失われます。残念ながら僕の若いころに実力ピケットは違法だという最高裁判決が出ています。だから説得活動は当たり前でした。スト破りはピケットラインをはる前の夜明け頃から職場に入ったりしたものです。そんなことも大労組では昔話です。関生は今それをやっていた。それが国家権力には許せなかった。
今はユニオンと呼ばれる少数派組合が戦闘的にストライキを闘い、若者たちを吸引しています。国家権力はこれらが育って社会的多数派になることを怖れているでしょう。だから芽の内に摘んでしまおうと、実質的ストライキ禁止措置をこうじようとしているのではないでしょうか。
関生弾圧を許さず闘う人はぜひ本書を拡めて下さい。(高見元博)

3面

沖縄現地報告
コロナ禍でも続く闘い

5月24日、シュワブゲート前の監視行動

4月25日 投開票された、うるま市長選挙は無所属で〈オール沖縄〉が擁立した沖縄国際大名誉教授の照屋寛之氏が惜敗した。照屋氏は投票率が前回より5・21ポイント下回る中、前回の「オール沖縄」候補の得票を上回った。当選した自民・公明擁立候補は前回より3800票ほど票を減らした(前回、5753票あった差が、今回1862票差までに肉薄)。
5月9日 沖縄県はコロナウイルス感染拡大防止の「まん延防止等重点措置」の5月末までの延長を決めた。オール沖縄会議は県の決定に従い抗議活動の休止を6月1日までと決定(監視行動はおこなう)。
14日 沖縄戦戦没者の遺骨が含まれる可能性のある本島南部の土砂を名護市辺野古の新基地建設に使わないよう求める金武加代さん=東京都=の沖縄県庁前での2週間に及ぶハンガーストライキが終わった。金武さんは、宜野湾出身、3月に土砂の採掘計画に抗議する遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表の具志堅隆松さんによる沖縄県庁前でのハンストに呼応して、東京の首相官邸前で23日間のハンストをした。県が4月16日に土砂の採掘を禁止する措置命令を見送ったことを受けて「いてもたってもいられず」沖縄に帰りハンストを始めた。
15日 日本復帰49年を迎えたこの日、5・15平和行進実行委員会(委員長・山城博治沖縄平和運動センター議長)は北中城村の米軍キャンプ瑞慶覧ゲート前で集会を開いた。例年5月15日前後に開催してきた「平和行進」が新型コロナウイルスの影響で中止となったための代替策。昨年は全面中止した。今回は規模を縮小し実行委加盟団体代表者ら40人が参加した。山城議長は「来年は復帰50年。基地のない平和な沖縄は遅々として進まない。それどころかさらに強化されている」と批判した。
19日 本部町の塩川港で、ベルトコンベヤー設置に向けた作業が始まった。防衛局は塩川港で土砂をベルトコンベヤーで船積みし、土砂搬出作業を加速する狙いだ。市民は「一刻も早く工事を進め、新基地建設を既成事実化しようとする政府の意図が感じられる」と抗議の声を上げた。この日も塩川港からは土砂が搬出された。
20日 豊見城市議会は臨時会最終本会議で、沖縄戦戦没者の遺骨が含まれる可能性のある土砂を埋め立てに使わないよう求める意見書を全会一致で可決した。同様の意見書は3月の定例会で否決されていた。今臨時会は抗議のすわり込みや署名活動をした市内・根差部のトマト農家金城博俊さんの陳情を受けて開会した。前回反対・退席した保守系の野党も賛成に回った。与党市議は「市民の勝利だ」と可決を評価した。
21日 沖縄県はコロナウイルス感染拡大防止の緊急事態宣言を23日から6月20日まで実施することを決めた。抗議活動は6月21日まで休止する。
24日 県の緊急事態宣言が発令されたが、辺野古新基地建設の工事はおこなわれている。キャンプ・シュワブゲート前では市民が監視行動に決起。抗議の声を上げた。(杉山)

19行動・大阪淀屋橋
改憲・入管などで大街宣

「19行動」の5月19日、「いのちとくらしと人権まもれ! 改憲・五輪よりもコロナ対策を! 改憲手続き法の採決を強行するな! 5・19市民行動」が大阪市内でおこなわれた(写真)。退勤時の労働者が多数行き交う淀屋橋で、午後6時から7時まで60人の参加者はバナー、パネルを掲げ、のぼりも多数立ててアピールをおこなった。主催は、とめよう改憲! おおさかネットワーク、「しないさせない! 戦争協力」関西ネットワーク、戦争あかん! ロックアクション有志など5市民団体。
国民投票法改定案が11日に衆院本会議で可決され、舞台は参院に移った。参院での可決成立をなんとしても阻止すべく危機感あふれたアピール行動となった。
「徹底審議で廃案においこもう」「自民党幹部が『コロナのピンチをチャンスに』などといって、改憲への動きを加速させている」「改憲への入り口を開くな」、「入管法改悪を阻止したが、問題はなにひとつ解決していない。スリランカ人女性=ウィシュマ・サンダマリさん(33)を死に追いやった名古屋入管事件の真相解明を」、「朝鮮学校が高校無償化から排除され、加えて大阪府の補助金も停止されたまま。一刻も早い解決を」などの発言が続いた。

狭山再審求め、すわり込み
5月23日 神戸駅前で8回目

1963年に狭山事件で無実の石川一雄さんが不当逮捕されてから58年目の5月23日、狭山再審を求める市民の会・こうべが、JR神戸駅前にテントを張って終日の座り込み行動をおこなった。兵庫県下や関西の各地から座り込み・アピール行動に30人を超す人が集まった(写真)。都合のいい時間での参加だが、1970年代から狭山を闘ってきた人、職場で解放研活動を担い今は退職でも駆けつける人など多士済々だ。立ち止まってアピールを聞く人、署名をする人なども多く、狭山は決して風化してはいない。あくまで再審・無罪を求めてたたかう石川一雄さんと連帯し、証拠調べをおこなわせ再審の門を切り開こう。

パンフレット『国から子どもをつくってはいけないと言われた人たち』(優生保護法被害者兵庫弁護団、優生保護法による被害者とともに歩む兵庫の会)藤野豊「意見書」を読んで

 藤野豊「意見書」は、日本の近代化(資本主義化)のなかで、優生思想が欧米から持ち込まれ、日本の資本主義化と対外侵略を正当化する思想として使われ、支配の思想として内在化され、戦後もより強化され、今日も克服されていないことを検証している。以下、私が学んだ点を紹介したい。

19世紀と明治時代

 1859年、ダーウィンが『種の起源』を出版。1869年、甥のゴルトンが『遺伝的天才』を出版し、優生思想をうちだす。1868年頃からの日本の近代化と重なる。政府に招かれて来日したモースなどが、この思想を日本に持ち込んだ。
 当時、国内のイデオローグには「人間は生まれながらに自由かつ平等である」(ルソー)とする「天賦人権説」と、「社会ダーウィニズム」が対立していた。初期自由民権運動は前者の思想に立つが、資本主義にとって強者(侵略者)を正当化する「社会ダーウィニズム」の思想は都合がよかった。この優生思想が天皇制国家建設と一体で、アイヌ差別、朝鮮人差別、女性差別などさまざまな差別を正当化していく。これは部落差別の中にも取り入れられ再編強化に利用される。

1910〜45年頃

 1910年頃、社会運動家のなかにも優生思想が浸透する。賀川豊彦がその典型で、彼は貧困問題を資本主義によるものではなく、個人の問題だと捉えた。
 40年にナチスの優生政策をまねた国民優生法がつくられ、目的は「強い兵士」作りにあった。国民の体力強化が叫ばれ、「弱い国民」を作らない優生政策がとられ、厚生省が設置された。国民優生法の第6条で、「公益上特ニ必要アリト認ムルトキ」は強制不妊手術も認められたが、戦場で死ぬ兵士をつくるための「産めよ、殖やせよ」政策のなかで、これは十分に貫徹されなかった。

1945〜96年頃

 敗戦後、日本は膨大な引揚者と復員者をかかえ、経済は混乱し食糧難に直面する。その解決のために、優生保護法は国家の人口政策として構想されていく。日本社会党の法案(1947年)が廃案になるなかで、48年に優生保護法が議員立法として作り直され、これが成立。この第1条で、「この法律は、優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護することを目的とする」と明記している。現実には、「母性の保護」よりも、「優生上の見地」が優先される。国民優生法の部分的改正ではなく、あらたな法律に作り直されたことが重要だ。法律の隠された意図は、国にとって存在が好ましくない人びとすべてを不妊手術の対象とすることで、強制不妊手術に関して国民優生法よりもさらに強化された。日本社会党はこの法案を積極的に推進した。母体保護の産児制限を強調しながら優生思想が内在化されていた。女性は基本的人権に入れられていたが、精神「障がい者」はその埒外で、ハンセン病患者も含まれた。ここはもっとえぐり出す必要がある。
 49年、優生保護法は早くも改悪。経済的理由による中絶手術を可能にし、強制不妊手術を医師に義務化した。52年、妊娠中絶手術が医師の判断だけでできるようになった。同時に遺伝性でない精神「障がい者」や知的「障がい者」にたいし、保護義務者の同意と優生保護審査会の決定を条件に、不妊手術が可能になった。このように「母性の保護」と「優生上の見地」はいつもセットにされ、「優生上の見地」が優先される。これは官僚よりも政治主導でなされている。70年代には胎児条項導入が策されるが、「障がい者」団体などにより阻止された。

1996年〜現在

96年、国際世論の圧力により優生保護法は廃止され、母体保護法にかわった。しかし、国会では過去の検証も総括もされなかった。国は反省も謝罪もしていない。結局、名前が変わっただけで優生思想は克服されず、むしろ新たな形で強化された。他方でハンセン病患者の強制不妊手術については、国の責任をはっきり認めた。
 2018年、強制不妊手術を受けたとして、佐藤由美さんが国家賠償請求訴訟をおこした。このことによって、優生保護法の問題点が広く人びとに知られた。優生思想を内包した戦後民主主義は、人民運動のなかでしっかりと総括される必要がある。新しい社会を作るために重要な鍵がかくされているからだ。(津田保夫)

〈兵庫優生保護法被害国賠訴訟〉判決
とき:8月3日(火) 午後2時
ところ:神戸地裁大法廷(1階101号法廷)

4面

連載

#Me Too運動に学ぼう
党内性暴力事件 真の謝罪のためにI
石川由子

1995年

革共同機関誌『共産主義者』第107号に林佐和子の署名で女性解放論文が掲載された。その前年の1995年は大きな事件が重なり、時代の転換点ともいえる年だった。年明けにいきなり阪神淡路大震災があり、大都市が災害に弱いことを露呈した。その混乱のさなかにオウム真理教がサリン事件を起こし、人々に不安と怒りをかきたてた。また5月には当時の日経連が「新時代の『日本的経営』―挑戦すべき方向とその具体策」、通称日経連報告を発表した。この報告はその後の男性も含めた非正規雇用拡大の原点といわれている。
フェミニズムにおいても特筆すべき年である。まず災害時における女性への性暴力の存在が明らかになり対策が急がれることとなった。8月には国際婦人年の取り組みの一環として第4回国連世界女性会議が北京で開かれ、これまでの女性解放運動の成果を明文化した。それは女性への暴力の根絶をうたったのである。女性の貧困に目を向け、女性の人権被害根絶を訴えた。また女性議員を増やすためのクォータ制に拍車をかけた。北京宣言は今も語り継がれている。
また1994年であるが、国際人口開発会議で「リプロダクティブヘルス・ライツ(性と生殖に関する健康・権利)」について行動計画が作成された。この際、日本の〈青い芝の会〉安積遊歩さんが日本における優生保護法での人権蹂躙を暴露し、その撤廃を訴えた。世界のメディアは驚愕し大きく取り上げた。
北京会議の直後、沖縄で米兵による少女暴行事件が起きた。幼い少女の懸命の告発は捜査する警察官すらも涙を流したという。この事件は沖縄県民の怒りに火をつけ10月に沖縄県民総決起集会となり基地撤去のたたかいとなって燃え上がった。
元日本軍「慰安婦」被害者の金学順さんの被害証言(1991年)を受け、日本政府に対する謝罪と賠償、被害者の名誉回復運動が激しくなった。これに対し1995年8月、村山談話が発表され、「心からの深い反省とお詫びの気持ち」が表明された。しかし「この気持ちを国民と分かち合ってもらうため」と称してアジア女性基金という民間基金を立ち上げ、政府の謝罪は拒否したのである。
「日経連報告」は女性に大きな被害をもたらした。これまで非正規雇用の多くは女性だった。女性は夫や父に生活を依存しているので低賃金でも構わないという理屈である。そしてこの報告以後、女性の非正規雇用は拡大の一途をたどった。
林佐和子論文はこうした背景のもとに書かれたのであるが、残念ながら「男性から女性への暴力」という視点がない。林佐和子論文の検証は今後きちんとしていきたい。

フェミニズムのたたかい

ここで1995年に至るフェミニズムのたたかいを検証してみたいと思う。
第一次フェミニズムと呼ばれる時期は主として女性の参政権要求運動として始まった。つまりフランス革命以後ブルジョア的な権利獲得闘争はその成果を男性のみに配分するという長い未完の時期があった。女性が参政権を獲得したのはアメリカにおいては1920年、日本やフランスにおいてはなんと1945年。いずれも大戦が終わった直後である。
第二次フェミニズムと呼ばれる時期はいうまでもなく70年を前後するリブと呼ばれる人たちにより女性への暴力の告発、性と生殖の自己決定権を訴える全く新しい視点の運動としてひろがった。この闘いをもとに1975年、女性の地位向上を目指した国際婦人年が展開された。これは確かに新自由主義者たちによる安価な女性労働力の狩り出し、男性労働者の低賃金化、一部エリート女性の活用という意味を持っていた。しかし、国際婦人年を全否定するわけにはいかない。これ以後いわゆる先進国と呼ばれる国の女性は教育、雇用、財産など地位を向上させていく。またそれ以後のフェミニズム理論の百花繚乱の隆盛を作り出したのもこの国際婦人年であろう。

戦争とDVは直結している

ちょうどその頃ベトナム帰還兵のPTSDが問題になっていた。彼らは戦場での非人間的な殺戮の加害者、自分が殺されるかもしれない恐怖などすさまじい体験をして日常に戻ってきたため、心の傷に苦しみ、それが家族への暴力となって表れるものが多くいた。80年代アメリカにおいて、女性解放運動のかなりの部分が、男性から女性へのDV・性暴力被害支援運動に重点をおいていくのは戦争の影響を抜きには語れない。
日本において第二次世界大戦における兵士たちのPTSDに触れられることはあまりない。しかし日本軍における軍隊内のリンチ、暴力支配は世界に類を見ない。また日本兵の残虐性は有名であり、心を病む兵が多かったことも最近分かってきた(2018年8月放映NHK「隠されたトラウマ〜精神障害兵士8千人の記録」)。戦後革命の敗北、天皇の責任追及などなしえないまま、経済成長の戦士に再び動員された彼らの心の傷に目を向ける人は少ない。経済成長期、元兵士である男性労働者たちは、酒を飲んでは妻や子どもに暴力をふるうことで戦争の苦しみから脱却しようとしていたのである。彼らの暴力は、暴力の連鎖となって世代を経て、今も女性たちに襲いかかっている。男性の暴力を語る際に帝国主義軍隊の非人間性、残虐性を抜きに語ることはできない。(つづく)

84歳の独り言―社会運動あれこれB

治安立法に断固反対しない野党
大庭伸介

1990年代の後半、治安立法が毎年のように国会に上程された。オウム真理教への破壊活動防止法の団体適用を阻止した私たちは、その余勢を駆ってさまざまな行動を展開した。その1つとして野党第1党の民主党の国会議員に、それぞれの地元で面談して激励することにした。
当時、静岡県内には民主党の国会議員が多数いて、浜松や掛川・藤枝・静岡・清水・沼津・三島などの各後援会事務所に出向いた。3〜4人で行くときもあれば、私だけの場合もあった。
大手銀行のシンクタンク出身の議員は「マスコミが大きくとりあげてくれるといいのだが」と、他人事のように対応した。公募で立候補した議員は、国会の議事手続きを得々として「解説」した。おしなべて煮え切らない姿勢に、こんなものかとあきれた。
そんななかで、1人だけ反対を鮮明に示した議員がいた。彼は八百屋の息子で、自民党の市議や県議を経た変わり種であった。そしてイトーヨーカドーの出店を阻止する静岡市商業近代化協議会の会長を務めた経験があった。
この出店阻止のたたかいでは、地元の商店街が閉店ストを打ち、4人の逮捕者を出すなど市民各層が体を張った素晴らしい行動を展開した。出店そのものは阻止できなかったが、当初の計画を大幅に縮小させ、市民運動の勝利として全国的に注目された。彼はその経験から、「国家権力がどういうものか身にしみて分かった」と語っていた。
一連の激励訪問活動をとおして、私には民主党のあいまいな性格が強く印象づけられた。彼らが政権の座についてから、その脆さを露呈して多くの人びとの期待を裏切ったのも当然である。
共産党の対応についても、記しておく必要がある。私が知る限りでは、『赤旗』に一連の治安立法に断固として反対する旨の見解は掲載されなかった。国民救援会などの共産党系大衆団体の反対行動を、小さく報道しただけであった。
私たちの活動をサポートしてくれた弁護士の話を紹介しよう。彼が司法修習生の同期の国会議員・松本善明に共産党の姿勢を質問したら、次のように答えたそうである。
「わが党は治安立法について、格別に悪い法案でなければ反対しない。これは中央委員会の決定である」と。
戦前・戦中に国家権力の弾圧で命を落とし、多くの「同志」とその家族が「非国民」として村八分にされた事実を忘れたのか。何千人にものぼる犠牲者たちは、さぞかし草葉の陰で嘆いていることだろう。(つづく)

〈投稿〉

映画『主戦場』を見て
草川けい子

4月18日、東大阪市内で映画『主戦場』が上映され、会場はほぼ満杯だった。東大阪は「主戦場」だ! というショッキングなタイトルがビラについていたが、どういうことなのか、映画をみて納得できた。
「ひっくり返るのは歴史か、それともあなたの常識か」を問いながら、慰安婦問題をめぐって、櫻井よしこ(ジャーナリスト)、ケント・ギルバート(弁護士・タレント)、渡辺美奈(女たちの戦争と平和資料館)、吉見義明(歴史学者)など、日・米・韓の中心的人物の話をおりまぜながらニュース映像、記事などをとり入れたドキュメンタリー映画。
アメリカのグレンデール市の公園に設置された少女像の頭に紙袋をかぶせながら語る「テキサス親父=トニー・マラーノ」は許せない。だが私達、この日本で何ができるのか考えなければならない。
東大阪では、日本会議の野田義和市長が昨年11月4日にドイツのベルリン市ミッテ区へ少女像の撤去を求める書簡を送ったのだ。この書簡の撤回を求める闘いのなかで、映画『主戦場』が上映され、4月20日に書簡の撤回を求める署名580筆を市役所へ提出した。
昨年の教科書=育鵬社の採用を阻止した東大阪市民の闘いも大きい。私達は、日本会議や維新政治を終わらせるために、野田市長を追いつめていこう。

5面

大阪コロナ
維新政治で死者日本一
松井市長 吉村知事は責任をとれ

松井大阪市長と吉村大阪府知事は、コロナ対策で人気取りのため実情に即さない方針を振りかざし、問題があると責任を現場に転嫁し、部下にパワハラや恫喝まがいの発言をする。これに対し現場から悲痛な声が上がっている。コロナ死者数は、東京を超え全国一。重症病棟は満杯状態。人口当たりの死者数はインドを超え、治療もされず自宅で亡くなる。保健所はパンクし、連絡しても返事はこない。維新の議員が感染すれば優先的に即入院。この悲惨な状況に「大阪のようになるな」が発信されだした。

保健師も過労死寸前

大阪市保健所で新型コロナウイルス対策の中心的な役割を担う職員のうち、3分の1の43人の4月時間外労働が「過労死ライン」の月80時間を超えた。うち2人は200時間超え。大阪府では4月13日以降、新規感染者が1日千人を超える日が続き、約半数は大阪市の感染者。1カ所しかない大阪市保健所で1日に連絡を取れる患者数は約150人。患者の増加に対し人員の深刻な不足がある。第3波のときは疫学調査の常勤の職員は42人いたが、4月中旬時点で31人に。4月26日の増員はたった6人だった。
やっと保健所が状況を確認し「入院が必要」「ホテル療養が必要」と判断してもことごとく拒否される。松井は体制強化せず、「療養先を決めるのは保健所」「患者さんに理解を得るのが保健師の仕事」と言い責任だけを押し付ける。仲間いずみさん(保健師)は実名、顔出しでメディアの取材に答えた。「あしたにでも職員を増やしていただければ、何よりも市民への対応が滞らずに迅速にできる。第4波と第5波の間の時間を効果的に使って、その間に次の体制を整えないとだめだなと思います」

小学校校長が告発

松井大阪市長が要請した「オンライン授業及び給食の実施」に対し、大阪市立木川南小学校の久保敬校長が声をあげ、教育行政への「提言書」を市長松井に実名で送った。今回の緊急事態宣言中、市立小中学校の学習を「自宅オンラインが基本」と決めた判断について「学校現場は混乱を極めた」と訴える。全国学力調査や教員評価制度などにも触れ、子どもが過度な競争にさらされ教師は疲弊していると訴えた。
4月22日のオンライン授業などの通知は、基本的な回線容量が不足し、割り当てられた週1日・35分間だけの授業もうまくいかない。家庭で必要なルーターも大幅に不足。不足数は各学校で把握しているが、教育委員会は掌握していない。オンライン授業で、教職員も家庭も疲弊し、無為無策の1カ月が過ぎた。学校・児童生徒・家庭の実情を鑑みない拙速な判断は、現場をかき乱して混乱を招いただけだった。組織として押し付けられた大きな方針に重大な誤りがあり、数回に渡って意見具申しても何ら回答が無かった。
久保校長の提言は、学校を預かる校長としての立場から、何が大切で何が不要かを明確に指摘したものだ。松井が「従わないものは組織から去れ」と恫喝した。「リスト捏造問題」で悪名をはせた維新の杉村市議は議会で久保校長を犯罪者扱いするなどし、維新は久保校長の処分を策動しているが、久保校長支持の声が大きく広がっている。

補償金が届かない

事業者に対する時短・休業要請が続く中、府の第1期(1月14日〜2月7日)の協力金支給は5月13日時点で、申請受付約5万7千件に対し約3万2千件と、半分程度。申請者が死亡した場合、府は協力金を支払わなかった。ところが5月17日にNNNがこの問題を報道すると態度を変え「認められるようにする」というが、「担当部が法的ハードルがむずかしいと言っていた」と担当部に責任を転嫁した。
維新府政下の累計死者数は5月22日時点で2114人、東京都(2015人)より多く全国最悪。政府の資料に人口百万人あたりの7日間の新規死者数のデータがあるが、大阪は19・6人(5月5日時点、以下同)。インドの15・5人、メキシコの16・2人、米国の14・5人より上回り、惨状というほかない。大阪の死者数に歯止めがかからないのは、10年にもなる維新政治のため、医療体制が崩壊しているからだ。(剛田 力)

始まった高齢者の命の選別(下)

関東障害者解放委員会 松浦 淳

〔前号6面より〕

根本は、国の医療政策

5月10日時点で、大阪府では、自宅療養・待機者は1万7806人に上り、ホテル療養者も1547人いる。結果、まともに医療を受けられないままに次々と死亡している。完全に医療崩壊だ。このような現実が全国的にも起こっている。日本は、欧米諸国と比べても、感染者は10万人あたり10数分の1との指摘がある。にもかかわらず、医療崩壊が起こっているのはなぜか。また医療崩壊は、現在の第四波のパンデミックによって、ますますひどくなっている。こうした医療体制を作り出してしまったのは、中曽根行革の一環として、厚労省官僚から打ち出された「医療費亡国論」による。そのため医療関係者は、ぎりぎりの人数で普段から診療せざるを得ない状況が作られており、病院勤務医では連続32時間勤務が普通とのことだ。こうした状況では、パンデミックに対応できない。
にもかかわらず菅内閣は、病床数を減らすことを狙って、現在国会で「良質かつ適切な医療を効率的に提供する体制の確保を推進するための医療法等の一部を改正する法律案」なるものを成立させた。医師の長時間労働の緩和の条文もあるのだが、長時間労働を容認する例外がおかれている。そして、23年度からの医学部定員の削減も厚労省は狙い、長時間労働はなくならない。
怒りに堪えないのは、この法律に現在の医療崩壊状況を改善するための条文がないということだ。せいぜい、医療計画の中に「そのまん延により国民の生命及び健康に重大な影響を与えるおそれがある感染症がまん延し、又はそのおそれがあるときにおける医療」を書き込んだだけで、国が都道府県の枠を超えて、重症患者の治療体制を作るなどの積極的内容は記載されていない。国鉄分割民営化も含めた中曽根臨調以来の新自由主義政策は、文字どおり私たちのいのちを脅かしている。この体制を打ち破らなければならない。(おわり)

「核のない世界」の実現へ
核兵器禁止条約の意義(上)
津田保夫

被爆者の願いと闘いの成果

2021年1月、核兵器禁止条約がついに発効した。昨年10月、国連加盟国のうち50カ国がこの条約を批准したのだ。「核のない世界」の実現を願って、ヒバクシャはずっと世界中で反核を訴えてきた。
この核兵器禁止条約は、反核医師などの努力によって1996年4月に起草された。また、この条約を実現するために、2007年に核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が結成された。NGOなどの市民運動が中心になって、それぞれの政府を動かしてきた。その結果、この条約が実現されたことをしっかりと確認しておきたい。
2017年7月、この条約は国連総会で賛成多数(124カ国中122カ国。オランダが反対、シンガポールが棄権)で採択された。しかし、核の力を誇示したい核保有国(5カ国)とその同調国は、この条約に参加していない。被爆国・日本は、この条約に反対している。残念ながら、これが現状なのだ。
この条約の大きな特徴は2点。
前文に「被爆者の苦痛にたいする憂慮」する文言が書かれていること。ヒロシマ、ナガサキの体験によって、ヒバクシャは「核と人類は共存できない」と訴えている。このヒバクシャの闘いがこの条約を実現させたのだ。
もうひとつは、国際人権法の原則に従っていることだ。これは長年にわたる人民のたたかいによって実現してきた権利だ。
この条約が真に実効性をもつためには、核保有国をこの条約に引きずり込むことが必要だ。しかし、国家の論理がこの運動を妨げている。これらの国に参加を強制させるためには、さらに市民運動の力が必要だ。
この条約が発効したとき、サーロー節子さんは「喜びと同時にようやくか≠ニの思い。長い道のりだった。これからも険しい道が続くが、あきらめずに進んでいきたい」と語っている。

ヒバクシャの訴え

ヒロシマとナガサキの被爆者は、世界でその体験を訴えようとした。このとき、アジア人民から「米国は原爆を落としてくれてよかった」という声に直面した。この思想的格闘は栗原貞子の詩「ヒロシマというとき」に、つぎのように詠われている。


〈ヒロシマ〉といえば
〈ああ ヒロシマ〉とやさしくは
返ってこない
アジアの国々の死者たちや無告の民が
いっせいに犯されたものの怒りを
噴き出すのだ


アジア人民にとって、日本の敗戦は日本からの解放であった。ヒバクシャが世界に「核と人類は共存できない」ことを訴えるためには、被害者意識から加害者意識への転換が必要だったのだ。広島で被爆した沼田鈴子さんは、アジア人民の怒りに向き合い、謝罪した。沼田さんは、この思想的格闘について「44年のあいだ生かされてから、やっと批判的に考えられる者になりました」(1998年)と語っている。

核兵器禁止条約の内容

核兵器禁止条約の意義はどういう点にあるのだろうか。ここで、条約の内容を具体的にみておきたい。この前文において、被爆者の被害苦しみについて、次のように書かれている。「核兵器の使用による被害者(ヒバクシャ)と核実験によって影響を受けた人びとにもたらされた受け入れ難い苦しみと危害に留意する。」
第1条では、すべての国で「核兵器の開発、実験、製造、取得、保有、貯蔵、移譲、使用、使用の威嚇、などの活動」を、いかなる場合においても禁止している。
また、今後の運用について、「核保有国およびその同盟国の参加が不可欠」だと書かれている。被爆国に住む日本人民は、この条約の発効を客観的に喜んでいるわけにはいかない。ヒバクシャの訴えを実現するために、その人民の運動が求められている。(つづく)

6面

関西電力
老朽原発 全国初の再稼働
6・6大阪集会から6・23美浜へ

「6・6老朽原発うごかすな! 大集会inおおさか」は、目前に迫った。コロナ蔓延情勢は、5月31日までとした緊急事態宣言でも一向に収束する気配を見せず、再延長は不可避である。コロナ蔓延といいながら、政府・関電や原子力ムラの動きは止まらない。うつぼ公園を埋め尽くす勢いで「老朽原発うごかすな!」の大きな声を上げよう。

6月23日に美浜3号機稼働

関西電力は、美浜3号機の原子炉に核燃料装荷を5月20日から始め、6月23日にも再稼働(起動)すると発表。高浜1・2号機については、仮に再稼働したとしても、6月9日に特重施設完成期限を迎え、停止が不可避のため、当面再稼働しないと発表した。
なお、高浜1号機は5月14日から安全性テストのために核燃料装荷をおこなうとし、高浜2号機については、安全対策工事が未完成ということも公表した。関電は安全対策工事が未完成の状態で、再稼働について地元同意を求めていたのであり、また、高浜町や、福井県は「安全性が格段に前進した」と再稼働に同意したのである。安全対策工事が完了していないにもかかわらず、「安全だ」と再稼働同意を求める関電。住民の安全・安心な生活を守るのが地方自治体の使命だということを投げ捨て、再稼働に同意する福井県や美浜町、高浜町の姿勢は許せない。
関電は最後まで、高浜原発をたとえ1カ月でも、6月9日までに動かすことを策動し、規制委員会に要望したが、さすがに規制委員会が難色を示したため、断念した。美浜原発3号機も10月25日に特重施設完成期限が来る。仮に6月23日に再稼働(起動)しても営業運転開始は7月下旬となり、わずか、3カ月しか動かせないのであり、経営メリットはない。

40年超え原発稼働は国策

関電が老朽原発再稼働にやみくもに突っ走るのは、「40年超え運転を実際に始めた」という実績が必要だからである。この間、くり返し訴えているように、日本の原発は遅かれ早かれ、40年を迎えようとしている。原発の新設や、既存原発をリプレースしなければ、日本の原発はゼロになる。そのために40年超え運転のさきがけをやろうとしているのである。逆に言えば、最初の40年超え運転を止めれば、原発ゼロの展望を切り開くことができるのである。
この数年、「老朽原発うごかすな」を合言葉にしたたたかいは、政府、電力会社、原発推進派の思惑と真っ向から対峙し、そのプランを大きく破産させてきた。いまだに老朽原発の再稼働を許さず、ぎりぎりまで、彼らのプランを追い詰めているのである。
他方、老朽原発うごかすなの声はますます大きくなっている。日本帝国主義・菅政権、原子力推進派、電力会社と真っ向うからきり結ぶ闘争陣形が作られつつあるのだ。切り開かれた地平をさらに大きく発展させよう。
40年超え老朽原発の再稼働を実現したという「事実」がほしい原子力ムラは、人々の安全な生活やいのちを踏みにじってよいという姿勢であり、そういう国の攻撃をわれわれは断固拒否する。6・6集会はそのことを大きく訴え、われわれが人らしく生きる権利を高々と宣言する場である。6月23日に狙われている美浜3号機の再稼働を止めよう。

老朽原発うごかすな! 大集会inおおさか
とき:6月6日(日) 午後1時
※デモ出発 午後2時半
ところ:うつぼ公園
主催:老朽原発うごかすな! 実行委員会


同実行委員会は、6月6日うつぼ公園に参加不可能な方は、全国各地で「6・6大集会」に連帯する創意工夫をこらした反原発行動を企画することを訴えている。
スタンディングアピール、集会、学習会、デモ、ヒトリデモ(警察への届け出不要)、チラシ配布、関電や規制委員会への電話・FAX、手紙など…。
■原子力規制委員会
東京都港区六本木1ー9ー9
TEL:03・3581・3352
FAX:03・5114・2175
■関西電力本店
大阪市北区中之島3ー6ー16
TEL:06・6441・8821 



5月20日
美浜再稼働へ燃料装荷
町役場・事業本部前で抗議

関西電力は、老朽原発美浜3号機への核燃料装荷を5月20日から始め、6月下旬にも原子炉を起動させ再稼働すると公表した。老朽原発うごかすな! 実行委員会は、緊急抗議行動をよびかけた。雨が降り続く悪天候にもかかわらず、地元福井や、滋賀、京阪神などから50人がかけつけた。
再稼働に同意した美浜町当局に対して、12時から美浜町役場前で抗議集会。
冒頭あいさつに立った中嶌哲演さん(原子力発電に反対する福井県民会議)は、早朝から若狭の人たちが、美浜原発前で抗議闘争をおこなったことを報告。老朽原発再稼働に同意した福井県や美浜町、高浜町当局を弾劾した。雨や強風をものともせず、なんとしても老朽原発美浜3号機の再稼働を止めるという熱気があふれた。
集会後、美浜町内をデモ行進。JR美浜駅で解散後、駅の隣にある関西電力原子力事業本部まで移動。事業本部前で抗議集会と申し入れをおこなった(写真上)
その後、全体は車で美浜原発前に移動。再び強くなった雨をものともせず、原発前を往復するデモをおこなった。美浜原発前では、隣接する原発PR館も閉鎖する厳重警備がしかれていた。
いよいよ老朽原発再稼働をめぐる正念場だ。関電は核燃料装架開始の翌21日、「美浜3号機を6月23日に再稼働(起動)させる」と発表した。国内初となる老朽原発再稼働をなんとしても止めよう。

(シネマ案内)
ドキュメント映画『サマショール』
監督:豊田直巳・野田雅也 2020年
―飯舘村 長谷川健一さんの思いと苦悩

このドキュメンタリーは、飯舘村に住む長谷川健一さんに焦点をあて、自主帰還した飯舘村民たちの思いと苦悩を描いている。原発事故当時、長谷川さんはここで酪農業を営んでいた。前作『遺言』は、事故から2年2カ月間の記録だったが、本作品はその続編にあたる。2018年、長谷川さんは仮設住宅から飯舘村に戻り、ソバの耕作を本格的にはじめる。映画は飯舘村の村民とともに、長谷川さんの行動を追っている。
2014年、長谷川さんたちは原子力損害賠償紛争解決センターに裁判外紛争解決手続(ADR)を申請する。「東電と国にたいして農民の怒りを示すためだ」と長谷川さんは言う。2011年6月、相馬市にすむ酪農仲間の菅野重清さんがみずから命を絶った。牛舎の壁に「原発さえなければ…原発に負けないで頑張って下さい」という遺言を書き残して。長谷川さんにとって、これはその無念さをはらす闘いでもあった。
2016年、長谷川さんはチェルノブイリを訪問した。原発事故から30年がたち、住人のいなくなった家屋は朽ち果てていた。長谷川さんが見たのは、25年後の飯舘村の姿だった。ここで「サマショール」(自主帰還者)と呼ばれる農民とも交流し、故郷に帰還を決断した思いを聞いた。この交流によって、長谷川さんは「飯舘村に戻る決断をかためることができた」と語っている。
2017年3月31日、「20ミリシーベルト/年 以下なら安全」というとんでもない基準のもとで、飯舘村では長泥地区を除いて避難指示が解除された。国は帰還政策をすすめるが、住民の思いは複雑だ。帰る者と帰らない者、一人ひとりの判断がせまられるのだ。
現在、長谷川健一さんは飯舘村前田地区で、ソバを耕作している。2016年からスタートし、18年から本格的に作りはじめた。現在、飯舘での耕作地面積は42ヘクタールに達している。長谷川さんは「100年〜200年後を見通して、耕作地を維持するために、ソバを作っている」と語る。ソバに含まれる放射線量は6ベクレル/s程度であり、安全基準を満たしている。しかし、福島産では商品にならない。
前田地区の放射線量は、今も0・5マイクロシーベルト/時くらい。事故前にくらべて10倍は高く止まっている。山の木々、緑の葉っぱ、その大地には、すべてセシウムが含まれている。こういうなかで、帰還者は放射線にたいして「折り合い」をつけながら生きていかなければならないのだ。
飯舘村には、箱物がたくさん造られ、りっぱな学校やスポーツ施設もできている。これを呼び水に、行政は村民に帰還をよびかけている。現在(2021年3月)、村内居住者は約千5百人(770世帯)で、事故前の30パーセントにすぎない。長谷川さんは「これは数字上の話で、実際はもっと少ない。住民票だけは移したが、実際の生活は他の場所でしている人がいる」と語る。
福島原発事故から10年がたち、国は原発事故からの「復興」をさまざまな形でキャンペーンしている。オリンピックもそのひとつ。これは、被災者に「原発事故はもう忘れろ」ということ。しかし、当事者にとっては忘れられるものではないし、忘れてはいけないことなのだ。ヒロシマ、ナガサキと同じように、われわれは永遠にフクシマを記憶し続けなければならない。(鹿田研三)