いま行動すれば原発はとまる
3月福井県同意を阻止
3・20全国集会が高揚
高浜原発北ゲート前で怒りのシュプレヒコールをあげる(3月20日 福井県高浜町) |
関西電力と政府は、昨年11月ごろから40年超えの老朽原発(美浜3号機、高浜1、2号機)を再稼働させるために、地元自治体工作を強めてきた。この策動にたいして、3月20日、「関電よ☆老朽原発うごかすな!」を求める申し入れ行動と全国集会が、福井県高浜町でおこなわれた。青森、福島、首都圏から伊方まで、老朽原発再稼働に危機感を持つ全国の人々が、この行動に参加した。
高浜原発に抗議・申入れ
この日、午前11時45分、高浜原発の先にある音海展望台(高浜町音海)に福島はじめ全国の人々が集まった。ミニ集会の後、高浜原子力発電所北ゲート前までデモ。関西電力に申し入れをおこなった。デモ隊は「老朽原発うごかすな」「40年ルールを守れ」とコールをあげ、高浜3、4号機を右前に見下ろしながら、北ゲートに進んでいった。全国から約300人がこの行動に駆けつけた。
全国から集った人々を代表して中嶌哲演さん、木原壯林さんらの申し入れ団は、関電にたいして7点にわたる要請をおこなった。その核心は以下の2点。「@危険きわまりない老朽原発・美浜3号機、高浜1、2号機の再稼働準備を即時中止し、これらの原発の廃炉を決定してください。A原発を動かせば、行き場がなく、子々孫々にまで負の遺産となる使用済み核燃料が増加します。すべての原発を停止し、安全な廃炉を進めてください。」
さらに「申し入れ」では、即時廃炉が困難である場合でも、最低限に実行すべきことを5点にわたり要請している。
(2面へつづく)
柏崎刈羽原発 再稼働不可
東京電力本店を弾劾
3・11十周年
10年目の3・11、東京では犠牲者への追悼と事故を引き起こした国・東電等への弾劾の取り組みが数カ所で持たれた。
毎月取り組まれている「東電本店合同抗議」(呼びかけ:経産省前テントひろば、たんぽぽ舎、139団体賛同)はこの日で90回を迎えた。同じく毎月取り組まれている日本原電本店抗議(230人参加)からの連続行動の形を取っていて、今回は650人以上の参加となった。日本原電が借り上げている住友系のビルは、正面の入居者欄8階分すべてが空白という異様な姿をさらしている。42年超えの老朽首都圏原発(東海第二)を来年(12月)にも再稼働させ、計60年間の延命を目指しているという。データ改ざんで規制委からの立ち入り調査にまで至った過去を全く反省せず、裁判所からの要求に「出したくないから」とデータの提出を拒んでいる等々。参加者からの怒りのスピーチが続いた。
東電前では「8歳の時に東京に来て、避難のことも出身地も隠して生きてきたが、なかったことにはできない」という悲痛な決起の声を筆頭に、「誰も責任を取っていない」「逆に、被災者を追い詰めてきた10年だった」「判決が出ても今だに1円も払っていない」「デブリはどうなる等の展望がまったくたたない中で原発が動かされている」「撤退が常識となった世界の中で、日本だけが推進」という弾劾の声があがった(写真上)。
申し入れ行動やコールをまじえ、「10年前のことではない、今も被ばくは続いている」との確認を共有し原発全廃までたたかいぬくことを誓った。
なお東京電力柏崎刈羽原発は3月24日、警備不備などで再稼働が不可となった。
3月18日、日本原電
東海第二原発に停止判決
ほど遠い避難計画
人格権侵害の危険
水戸地裁判決
3月18日、水戸地裁において日本原子力発電東海第二原発(茨城県東海村)の運転差し止めを勝ち取った。8年ごしの差し止め・停止についに勝利した。
東海第二原発は、福島第一原発と同じ沸騰水型原子炉で、日本で4番目に古く、2011年3・11東日本大震災では、津波に襲われ四日目にやっと冷温停止できた。
東海第二原発は首都圏唯一の原発で、原発の半径30キロ圏内に他の原発と比べて突出した94万人が暮らす。
水戸地裁判決は、国の定める原子力災害対策指針の想定する「実効性ある避難計画や防災体制が整えられているというにはほど遠い状態で、人格権侵害の具体的危険がある」と指摘した。
2011年3・11福島第一原発事故後、国は原発の半径30キロ圏内の自治体に避難計画づくりを義務づけた。規制委の新規制基準に「適合した」とする原発のうち、30キロ圏内で避難計画が未策定の自治体があるのは東海第二原発だけ。
日本原電は原発専業の発電会社で、所有する4基の原発のうち2基は廃炉作業中で、残り2基のうち敦賀原発2号機は原子炉建屋真下に活断層が走っている可能性が原子力規制委員会の有識者調査団から指摘されている。この日本原電を他の大手電力会社が資金支援で延命させているのだ。日本原電はそのため東海第二原発再稼働に躍起となっている。
「深層防護」という考え方は原発事故対策として国際原子力機関の考え方で、レベル1からレベル4までは原子力規制委員会が審査する。判決はレベル4までは規制委員会が新基準で審査しているが、レベル5=(避難計画)の最終段階が欠けているため住民に具体的危険があるとした。避難計画は規制委員会の対象外だ。
ひとたび事故がおこれば、同じく若狭でも30キロ圏内に多くの住民が暮らし(美浜30キロ圏内に30万人、高浜30キロ圏内に17万人が生活)、被ばくがあれば、琵琶湖の1450万人の飲み水がアウトになる。
この間、世界の脱原発の流れに逆行し、ひたすら原発依存でベースロード電源に原発を位置づける電力会社・財界・国にNOを。司法のブレーキに見るように、原発停止は勝利するまであきらめなければ勝てる。
2面
(1面からつづく)
3・20高浜全国集会
地元8市町住民が決起
ゲート前行動終了後、午後2時から「関電よ☆老朽原発うごかすな! 高浜全国集会」が開かれ400人が参加した。集会では、全国各地で原発に反対している住民、地元若狭湾地域で老朽原発再稼働に反対している住民が、成果を訴えた。
中嶌哲演さん(オール福井反原発連絡会)が、主催者あいさつ。「4月にも臨時県議会が開かれ、県議会は老朽原発の再稼働に同意を与えようとしている。県議会、杉本知事に抗議の声をファックスなどで送ってもらいたい」。
名古屋で、若狭の老朽原発3基にたいして、「運転期間延長認可の取り消し」を求める訴訟をたたかっている、40年廃炉訴訟市民の会・共同代表の草地妙子さんが、「国は老朽原発の問題点が争点になるのを避けている。名古屋から福井に反対の声を届けていきたい」と訴えた。
原発に怯える必要のない社会を
原発裁判をたたかう井戸謙一弁護士からのメッセージが代読された。「裁判所の雰囲気は徐々に変わりつつあります。/裁判所の変化を生み出しているのは、大多数の市民が原発のない社会を望むようになってきた世論の変化であり、…その事実を多くの市民に伝えつづけている市民運動の力です。/法廷内外の闘いをつなげて、原発に怯える必要のない社会の実現を」。
釜ケ崎日雇労働組合の三浦俊一さんは、被ばく労働では、老朽原発は点検できない、除染作業がいい加減と訴えた。青森、福島、首都圏、伊方など全国各地から参加。代表して〈原発いらない福島の女たち〉黒田節子さんは、福島原発事故から10年の現状を訴えた。「福島では今でも山菜が食べられない。わたしたちは怒りをもっと出すべきだ。何があっても屈しない、絶望をしている暇はないのです」。
東海第二原発、運転差し止め
3月18日、水戸地裁で老朽原発=東海第二原発の再稼働を差し止める判決が勝ち取られた。これについて、東海第二原発の再稼働を止める会・披田信一郎さんが「判決の核心は、深層防護の第5層(住民避難に関するところ)に欠陥があることを述べていることだ。裁判官はこれを理由に運転を差し止めた」と報告。さらに、泊原発、青森県六ヶ所村、むつ市中間貯蔵施設、女川原発、浜岡原発、柏崎刈羽原発、志賀原発、島根原発、上関原発(建設予定)、伊方原発、玄海原発、川内原発に反対する住民団体からメッセージがあった。
高浜町内をデモ行進(3月20日) |
地元住民が訴え
地元の8市町(高浜町、おおい町、小浜市、若狭町、美浜町、敦賀市、宮津市、高島市)の住民が発言。福知山市、舞鶴市の2住民団体からメッセージ。確信に満ちあふれる発言が続いた。
・2月12日の「4者会談」によって、杉本福井県知事がひっくり返った。知事は「老朽原発再稼働受け入れ」を表明した。ここまでは政府が描いたシナリオ。しかし、3月12日、県議会による「先送り」は政府の想定外。推進派の人たちでも国の対応に不満と不安をもっている。4月にも臨時議会を開こうとしている。情勢は風雲急をつげている。全国から県議会と知事に怒りの声を届けよう。
・40年超えの老朽原発は「例外中の例外」とされてきた。こんな危険なものを「許可された」からといって簡単に認めてはいけない。東海第二原発訴訟の勝利をバネに、老朽原発を廃炉にしよう。
・老朽原発が事故をおこせば若狭だけの問題ではすまない。これは福島原発事故で経験したこと。事故がおきたら琵琶湖の水が汚染され、関西圏の飲料水が汚染されてしまう。
・沖縄県民の闘いを学んでいく。あきらめないことが大切。行政や裁判所に頼るのではなく、私たちの力で原発を止める。
・経年経過の老朽化は、科学的に測定できない。また、原子力規制庁による「新規制基準」に問題がある。配管事故が発生しても、関電は原発を止めていない。こんな関電を信用できない。
・原発はいらないという人々がたくさんいるが、老朽原発について知らない人も多い。もっと宣伝していく必要がある。
労働3団体がアピール
最後に、労働組合からユニオンネットワーク・京都、フォーラム平和・関西ブロック、福井県労連の3団体の代表が発言した。
集会後、集会参加者は高浜町内をデモ行進し、町民に「40年超え老朽原発は危険」「老朽原発を廃炉にしよう」と力強く訴えた。
もう一つの11日集会
福島・郡山の〈女たち〉
3月11日、日本各地で原発事故追悼集会があった。個人、家庭から町、県、国家まで種々の集会が様々な主催者によっておこなわれた。これは福島県郡山市の教職員組合での「原発いらない福島の女たち」主催の集会の報告。20日の高浜全国集会でも、福島を背負って当事者が語る原発事故の実態のスピーチがなされた。
多くの良心的教育者は、天皇制や原発マフィアの真実を語れぬことに悩んでいる。もしも原発が、放射能が安全なら、東京湾の水で冷やしたらという広瀬隆さんの訴えで、反原発運動は強いものになった。江戸時代に芭蕉が「奥の細道」で引き返すのは平泉中尊寺。その先は、蝦夷、アイヌの国で、近代日本は戊辰戦争から、東北、北海道、南西諸島、沖縄をはじめとして列島の周辺を制圧し、アジアを植民地にしていった。
前日の朴保ライブの主催は「チェルノブイリ法日本版」をつくる会で、原発の規制法をつくり直すべきという人びと。翌11日の主催者は、2011年10月4日発足の「原発いらない福島の女たち」であり、郡山で翌年発足した「原発いらない地球のつどい」。
オリンピックは、優れた戦士を選抜する闘技場であり、金メダルの数で国力が占われる優生思想のコンテストだ。その「聖火リレー」が福島から始まる。戦前国体は天皇制のことで、人々はその臣民。今国体は、国民体育であり、スポーツ資本主義によって、利潤・利権とエリート選抜闘技場になり、オリンピックも同質である。また人間に快楽をもたらすスポーツなど5Sを国家・資本が集中管理、運営したいのだ。
東電になんらお世話にならぬ福島の人々が、不条理にも、死と恐怖と貧困の人生を強いられていることを知らされたのは、福島から京都へ避難した方が、ズーム・ネット会議で避難後に発症した甲状腺癌にはれあがった顔をみせたときだ。避難しても、だめだったのか。
翌日、武藤類子さん(福島原発告訴団団長)の話、「チェルノブイリ法日本版」について郷田みほさん、青山晴江さんの詩の朗読などもあった。
ズーム会議ののち市内デモ(写真上)。黒田節子さんを先頭に、地元の方々、〈関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会〉〈ほうせんか〉のシン・ミンジャさん、NYで鍛え上げられたジャズ・サックス奏者のマサさん、自給自足農業家のワッカさん、詩人の青山さんなどが続き、日本中駆け回っている反原発活動家の稲井さんと仲間なども続く。なかでも、女性のシンさんのチャンゴを演奏しながら、踊る迫力には、圧倒された。(南方史郎)
関電株主代表訴訟 不正マネーで賠償請求
一昨年秋、明るみに出た関電原発不正マネー問題。関電の第三者委員会が総額3億6千万円相当の金品受領を認定して以降も、子会社役員計8人の約1千万円相当の金品受領が明らかになっている。
関電株主49人が真相を明らかにすべく、関電の現旧役員を相手に、関電に損害を与えた22人は92億円の損害賠償をせよと提訴。その第1回口頭弁論が3月16日、大阪地裁でひらかれた。
大法廷であるがコロナ禍のため傍聴制限があり、定員が38人に半減され、つめかけた多くの傍聴者が入れなかった。
閉廷後の報告会(写真上)で、井戸謙一弁護士は「関電役員が受け取った金品の原資は不正発注にあり、水増し発注があったことはまちがいない。しかし、関電の第三者委員会は、そのことを認めていない」と関電の姿勢を批判した。
北村賢二郎弁護士は、被告22人のうち5人は関電がおこした訴訟(以下、会社訴訟)に併合され、株主訴訟から5人が分離されるため、本裁判では、今後直接には17人が対象となると報告した。
次回口頭弁論は6月4日午後2時。
[注]会社訴訟
関電役員が受け取った不正マネーは、本来、会社に入るはずのもの。役員が不正に受け取り私腹を肥やしていたのだから、当該役員を提訴し損害額を取り返せという世論におされ、関電がしぶしぶおこした訴訟。
「コロナ下では、原発は止めておけ!」仮処分 却下される
裁判所に入る申立人ら(3月17日) |
新型コロナが蔓延しているなかでは原発事故がおこっても避難できないとして、福井、京都、大阪、兵庫の4府県住民計6人が、関西電力の原発7基の運転差し止めを求めた仮処分申し立てで、3月17日、大阪地裁(内藤裕之裁判長)は、申し立てを却下した。
河合弘之弁護団長は「裁判所は具体的判断をしないで逃げた。スルーしている。住民側に具体的危険の主張・立証がないと言うが、そもそもコロナ対策と(3密の)原発事故避難は矛盾している。そのことの判断を避けた」と批判。
申立人で、福島県からの避難者・菅野みずえさんは「命より大事な電力供給があるのか」と疑問を投げかけた。申立人で、若狭の原発を考える会の木原壯林さんは「裁判は市民運動の後押しがあって勝てる。もっと大きな運動を起こそう」と訴えた。
3面
関西生コン大阪1次弾圧 不当判決
威力業務妨害罪でスト権を圧殺
不当判決を弾劾し大阪地裁にシュプレヒコール(3月15日 大阪地裁) |
3月15日、大阪地裁で、連帯労組関西地区生コン支部の2017年12月の正当なストライキにたいし、副委員長ら7人に「威力業務妨害」と称して懲役1年6カ月から2年、執行猶予3年から5年の不当判決があった。不当判決を受けた組合員は、「労組活動を認めない不当判決。控訴して無罪を勝ち取る」「このような社会を変えていく新しい労働運動を作っていく」などと決意を語った。
この日は8時半から大阪地裁前に支援者約百人が集まり、マイク宣伝と裁判所各入口でのビラまきをおこなった。
当初予定の10時から遅れて11時に判決。判決は、宇部三菱セメント大阪港サービスステーションでバラセメント輸送を委託された植田組らの車両を、また中央大阪生コンで北神戸運輸のミキサー車を、「路上に停車させる」「車両の前に立ちはだかる」などして、2時間以上業務を遅延させるなどしたことや、説得を受け入れない者にも「相手の意思を制圧する」ようにしたとして、「威力業務妨害」を認定。ストライキは「労働組合の正当行為とするには限度を超えている」などとした。
警察官が組合員の行動を制止しなかったことも、「スト決行中の張り紙が出て、外観上はストライキの様相を示していたことから、警察官が慎重に対応した」などと言い訳した。裁判長は労働組合のストライキ権を認めず、争議行為を威力業務妨害とすることを延々と述べるに終始した極めて不当な判決であった。
判決報告集会で、不当判決を受けた組合員と、全日建本部の小谷野書記長が発言。
小谷野さんは「会社側はスト対策として事前にプラカードを事務所で準備し、当日の出荷先も決めていなかった。自作自演の業務妨害だ。憤りがこみ上げてくる。(長期の執行猶予は)今後5年間、何もするなということか」と、組合活動を犯罪に誘導する判決を弾劾した。
友弘克幸弁護士は、「裁判で弁護側が詳細に論じたことについて簡単に触れただけで退けた。『経営権を侵害し』というフレーズが何度か出てきた。経営権を尊重し、争議権を軽視した不当判決だ」と解説した。
郵政ユニオンが一斉スト
満身の怒りを込めて
3月19日
3月19日、郵政ユニオンの仲間たちが全国一斉にストライキを実施した。全国で6局を拠点とし、指名ストと合わせて15職場26人がストに入った。私は拠点の1つ静岡県浜松市の積志局のスト支援集会に参加した。
郵政では集配・郵便などの現業部門で働く労働者の約半数もが非正規雇用労働者で占められている。非正規率は他の産業・企業とくらべて断トツに高い。郵政ユニオンは非正規の正規化と処遇改善の要求を中心にして、毎年3月末にストを展開してきた。東海地本の拠点である浜松では、各局持ち回りでストを実施し、地域の仲間と共に支援集会を開催。
この日、午前9時からのスト支援集会には、指名ストに入った名古屋貯金事務センターの女性をはじめ、約40人の仲間が結集した。静岡県労組共闘会議などの労働団体や市民団体の代表が、こもごも連帯の決意を表明した。
なかでも、指名ストに入った浜松東局の当該が、集会の周辺で監視する郵政幹部に対し、「なぜ郵政は非正規の仲間を正規化しないのか? なぜ非正規の処遇を改善しないのか?」と、気迫を込めてストレートに迫ったのが圧巻であった。
昨年10月、最高裁で労働契約法第20条をめぐる画期的判決がなされたことは、『未来』の読者なら誰でも承知しているだろう。しかし、郵政はこの判決を完全に無視し続けている。満身の怒りを込めた浜松東局の仲間の訴えは、すべての郵政労働者の、そして日本のすべての職場の非正規雇用労働者に共通する悲痛な叫びである。
最高裁における勝利判決をもたらしたものは何か。圧倒的に少数の組合員で組織する郵政ユニオンが2008年以来、東日本大震災の2011年とコロナ禍の2020年を除く毎春闘で、非正規の問題を最大の要求課題にしてストを打ち続けてきたからである。
少数者のストによって直接的に具体的な成果を獲得することはむつかしい。しかし、毎年全国各地でたたかいの狼煙を上げれば、必ずや怒りの炎が全国に燃え広がる筈である。非正規の処遇改善、非正規の正規化は誰しも認めざるを得ない切実な要求であるからだ。
原発推進など反労働者性をますます露骨に示している連合は論外である。しかし他のナショナルセンターも、要求貫徹のためにストライキでたたかうという方針を明確に打ち出してはいない。
そうしたなかで断固としてストを実施している郵政ユニオンのたたかいは、すべての労働者・労働組合の模範である。
今日のスト集会で国労の仲間が「うちの組合はストを打つ態勢ができていない」と発言していた。ナゼなのか? 国鉄闘争を実践的に総括するためにも、ストでたたかうべきではないだろうか。 その他の組合についても、同様のことが言える。いつまでも郵政ユニオンのストを「素晴らしい」と持ち上げているばかりでは、前進をかちとることはできない。今日のスト支援集会に参加して、このことを肝に銘じるべきであると痛感した。(静岡・一読者)
党派をこえて運動拡がる
原発ゼロ・被災者支援
3月14日 奈良
模擬店なども出され多彩な催しとなった奈良のつどい(3月14日 JR奈良駅前) |
福島第一原発事故から10年目に奈良市内で、「3・14原発ゼロ・被災者支援 奈良のつどい」(主催:同実行委員会)がおこなわれ、模擬店などに立ち寄った人も含めて、700人が参加した。前半は〈歌声コンサート〉、後半は〈講演とリレートーク〉、この二部構成。一部では、5組の楽団や合唱団と、川口真由美さんのコンサート。二部では、溝川悠介さん(原発ゼロへ・生駒の会)と木原壯林さん(老朽原発うごかすな! 実行委員会)が講演。その後リレートークがあり、5団体がアピールをした。
放射能安全神話
溝川さんは、新たに作りだされる「放射能安全神話」について怒りをもって語った。国連科学委員会(UNSCEAR)は、福島の小児甲状腺ガンに関する報告書をまとめ、「原発事故による放射線が原因ではなく、スクリーニング効果によるもの」と結論づけている(3月9日)。溝川さんは、福島の小児甲状腺ガンの多発について、スクリーニング効果では説明できない根拠を示した。さらに「年間100ミリシーベルト以下では健康に影響は認められない、年間20ミリシーベルト以下ならば住んでもよいと政府によって広報されている。広島、長崎の被爆者データは外部被ばくを問題にしており、内部被ばくが軽視されている。『黒い雨』裁判でもこのことが問題になっており、広島地裁判決で訴えが認められた。原発をなくしていく政府を私たちの力でつくろう」と訴えた。
再稼働を断念させる
木原さんは、〈老朽原発うごかすな! 実行委員会〉を代表して、40年を超えた老朽原発はどうして危険なのか、福井県議会をめぐる老朽原発再稼働の情勢について語った。杉本達治・福井県知事は再稼働に同意する意向を示したが、福井県議会は再稼働を認めなかった(3月12日)。「原発は現在の科学技術では制御できない代物だ。この間、再稼働した関西電力の原発で、さまざまな事故や不祥事があいついで起きている。このような関電に原発を動かす資格はない。老朽原発の再稼働は一私企業の利益のためにおこなわれる。われわれの行動いかんで、再稼働を断念させることは可能だ」。
奈良では、党派の垣根をこえて運動が大きくなっている。参加者はさらに運動を発展させようと決意した。
4面
投稿
差別・抑圧・戦争の道具
東京オリンピック粉砕(下)
西川雄二
前回の東京オリンピックでは、「アジアのオリンピック」ということで、聖火はインド、ビルマ(現ミャンマー)、タイ、マレーシア、フィリピン、香港、台湾をめぐっているが、日本の侵略で最大に迷惑をかけた中国や朝鮮、韓国はスルーされている。台湾から聖火は真っ先に当時米占領下の沖縄に上陸し、復帰闘争で揺れる沖縄県民に「日本(人)である」ことを強制するツールにもなっている。なお2008年北京大会の際、聖火リレーは、中国政府によるチベットへの弾圧、言論統制への抗議行動が各地で巻き起こったため、IOCはこれ以降の大会で国際聖火リレーをとり止めている。このように聖火リレーも政治的なものだ。
梅田解放区で五輪中止をアピール(3月13日) |
パラリンピック
オリンピックと並行して、パラリンピックがおこなわれる(パラとはギリシャ語で「平行」「並列」を意味する)。障がい者がスポーツをおこなうことの意義を否定するものではないが、パラリンピックは「戦争リハビリ」から始まっている。
イギリスのストーク・マンデビル病院の亡命ユダヤ人医師ルードウィッヒ・グッドマンは、ノルマンディー上陸作戦で脊髄損傷を負った兵士たちに、リハビリのためスポーツをさせた。その後グッドマンは1948年、ロンドン大会の開会式と同じ日に、負傷した退役軍人が参加するアーチェリー大会をおこなった。これが第1回「ストーク・マンデビル競技会」であり、現在のパラリンピックにつながっている。
「亡命ユダヤ人が、ナチスと闘って負傷した兵士のために始めた」というストーリーが、障がい者を生み出す戦争そのものへの批判を含まないものになっているのではなかろうか。もし「始まり」がアメリカのベトナム戦争で負傷した兵士のリハビリであったなら、パラリンピックの発するメッセージはもっと違うものになっていたであろう。
パラリンピックの問題点はそれだけではない。本家オリンピックが男性エリートのためのものである以上、パラリンピックもまた障がい者の間で「(スポーツが)出来るか、出来ないか」という分断と差別を生み出す。スポーツもなにも「出来ない」障がい者は、なんでも生産性で価値を計る新自由主義・自己責任社会の中で切り捨てられる。優生思想を再生産するものである。また障がい者がスポーツをするためには、特殊な義足や車椅子など器具に頼ることも多い。器具の良し悪しが競技に影響する度合いが、健常者のスポーツよりも大きいし、競争で競うためには、それらの条件もそろえる必要がある。どこまで器具・道具に頼るのがスポーツとして認められるのか。また、器具が用意できない経済状態の国や地域、人はどうするのか。様々な問題をはらんでいる。(もちろんこれらは「健常者のスポーツ」も同様に、差異・差別・格差について根源的なスポーツそのものが持つ課題でもある。)
被災者・避難者を切り捨て
このオリンピックというイベントに、アメリカのTV局を始めとする大資本が群がって「カネもうけ」をおこなう。オリンピックを誘致すれば、競技場や関連施設の整備のため、莫大な公共事業がおこなわれ、そこでも大資本が儲ける。公共事業のためにおこなう再開発で、そこに住む貧しい人びとは追い出され、こぎれいな建物が建つ。巨大な競技場や施設は、それを維持するため莫大な費用がかかり、無理矢理大規模なイベントを打ち続けなければならない。カネもうけイベントの連鎖が始まるのだ。
加えて今回の東京オリンピックは、コロナ禍で失政続きの自民党・菅政権は、これを「成功」させることで政権浮揚に結びつけようとしている。だが世界で感染が収束しない中、代表選考もままならないオリンピックが可能なのか。大規模イベントを強行することで感染が再拡大する恐れもある。この国に住む人びとの中で、どれだけの人がオリンピック開催を望んでいるのか。そして聖火リレーが福島Jヴィレッジから始まるように、「原発事故は終わった」「放射能汚染はない」というプロパガンダのためにおこなわれるのだ。そして現在も苦しむ被災者・避難者は「いないこと」にされ切り捨てられる。聖火リレーは原発が立地する地点をこまめに回り「原発は安全」「放射能は安全」神話を広めてまわり、資本がもうけるための原発再稼働が進められるのだ。
開発優先は終わりにしよう。弾圧・監視・排除・差別につながるオリンピックはいらないというスローガンの下、結集しよう。きれいなオリンピック?そんなものは、ない。(見出し・小見出しは本紙編集委員会)
辺野古レポート
遺骨が残る土砂埋め立てに使うな
具志堅隆松さんがハンスト
工事が進む辺野古(3月19日) |
3月1日 沖縄県独自の新型コロナウイルス感染拡大防止のための緊急事態宣言が2月28日解除されたことを受けて、辺野古新基地建設への抗議活動が再開された。
沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表の具志堅隆松さんが、名護市辺野古の新基地建設で使用する土砂を、戦没者の遺骨が眠る沖縄本島南部から採取する計画の断念を求め、1日、那覇市泉崎・沖縄県庁前の県民広場でハンガーストライキを始めた。
沖縄防衛局の計画断念を求め、玉城デニー知事に対しては、糸満市米須の採掘業者に中止命令を出すことを要望した。6日まで実施する。
沖縄防衛局は、昨年4月、県に辺野古新基地建設の設計変更を申請。この中で、埋め立て土砂の県内調達可能量の約7割3200万立方メートルを本島南部の糸満市と八重瀬町から採取する計画だ。糸満市米須では土砂採掘業者が今年1月、糸満市を通じて県に「魂魄の塔」近くの鉱山の開発届けを出している。
具志堅さんは「沖縄戦戦没者の遺骨が残る土砂を埋め立てに使うのは絶対間違っている。基地に反対か賛成か以前の人道上の問題だ」と指摘。ハンガーストライキに突入した。
本島南部は76年前の沖縄戦で軍民混在となり多くの人が命を落とした激戦地で、未収集の遺骨が今も多く眠っている。
2日 オール沖縄会議は、キャンプ・シュワブゲート前などで座り込みを再開した。ゲート前では30人の市民が座り込み、工事中止を訴えた。海上行動隊は辺野古海上で抗議行動に決起。
ハンガーストライキ2日目の県民広場には、真宗大谷派僧侶の知花昌一さんら宗教者が具志堅さんに賛同の意思を示した。また、沖縄戦体験者や戦没者遺族など多くの人が激励に訪れ、「戦に殺された人々の血や遺骨が混じった土砂を、辺野古の埋め立てに使うのは戦没者を2度殺すことだ」と訴えた。
5日 本部町塩川港から土砂搬出が1週間ぶりに再開した。安和の琉球セメント桟橋でも4日ぶりに再開した。この日、塩川港から、10トンダンプ709台分、安和から969台分の搬出があった。キャンプ・シュワブゲートからは、工事車両212台が入った。市民40人はそれぞれの場所で抗議の声を上げた。
6日 ハンガーストライキ最終日に玉城デニー知事が訪れ、具志堅さんに「人道的にいけないということが、法律的につながるかを一生懸命探している」と伝えた。具志堅さんは「遺族の声を聞いてください」と要望した。
この日、オール沖縄会議主催の集会が県民広場で開かれ200人が参加した。「土砂採取断念を求める」署名は6日間で2万筆を超えた。海外からの署名も多数寄せられた。
17日 シュワブゲート前では市民30人が座り込み、抗議の声を上げた。ゲートからは165台の工事車両が入った。海上行動隊は、安和の琉球セメント桟橋海上でカヌー7艇と小型ボート2隻で抗議した。辺野古側の工区「2」は7割くらいが埋め立てられた。構造物はK4護岸がまもなく完成する。防衛局は工区「2―1」の埋め立てに舵を切りそうだ。(杉山)
ハンストに連帯
防衛省に抗議・申入れ
3月1日
東京・市ヶ谷の防衛省前で毎月の「辺野古新基地建設の強行を許さない! 防衛省抗議・申し入れ行動」が3月1日夕方もおこなわれた(写真)。主催は、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックが中心となっている〈辺野古への基地建設を許さない実行委員会〉。
当日から、沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表の具志堅隆松さんが、沖縄戦激戦地の本島南部で辺野古埋め立てのための土砂を採取することに反対して、沖縄県庁前・県民広場で3月6日までのハンガーストライキに突入している。
そのことを〈沖縄県庁前断食行動に連帯する東京行動(3月2日に衆議院第1議員会館で開催)〉を呼び掛けた〈平和を作り出す宗教者ネット〉〈基地のない沖縄をめざす宗教者の集い〉を代表して日本山妙法寺の僧侶・武田隆雄さんが報告。沖縄現地から山城博治さんも電話でアピールを寄せた。
首都圏の各団体から防衛省に要請をおこない、さらにアピール行動を続けた。
5面
コロナに乗じたヘイトを撃つ
3月14日 東京・新宿でデモ
〈差別・排外主義に反対する連絡会〉の、「コロナに乗じたヘイトを撃つ」集会・デモも、今回で4回目(直前に中止になった企画も含めると5回目)になります。
3月14日、「コロナ禍の差別・分断・ヘイトを打ち破ろう!〜差別・排外主義を許さない3・14アクション」がおこなわれ、東京・新宿駅周辺をデモ行進しました。
1時間ほど歩いた新宿の街は多くの人で賑わっていました。2回目の緊急事態宣言が発令されてからおおよそ2カ月です。すでに街には、「緊急事態」の緊張感はありません。しかし人々の生活には、コロナ感染予防の名目で、今までにない国家統制の網がかけられてしまいました。コロナ特措法・感染症法改悪により、コロナ感染予防策に罰則が付けられたことです。時間短縮命令に従わない飲食店等の事業者や入院を拒否する市民に罰則を課すことが可能になってしまいました。生活の必要から時間短縮ができない事業者や入院したくてもできない市民が、一方的に「命令違反者」として国家から断罪されることになるのです。
〈差別・排外主義に反対する連絡会〉は、このような現状を「自粛警察」に国家権力の「ゴーサインが示された」と捉えました。感染者や医療関係者への差別が加速され、そしてその差別を受けた人々の傷は、より深くなるだろうと指摘しています。なぜなら、ハンセン病に典型的なように、この国は一丸となって「差別に邁進してきた」歴史があり、その土壌がいまだに克服されていないからです。
そのなかで、安倍政権を引き継いだ菅政権が、「自助努力と自己責任」を強調して政府の責任を放棄していること、そのために少なくない人々が生活苦に追い込まれていること、それによって新たな差別・分断が露わになっていることも、今回のデモの大きなテーマになっていました。
集会前の6組の団体・個人の連帯アピールからも、これらのことが具体的に語られていました。この国は差別の下で近代化を推し進めてきた、このようなあり方はいつまで続くのかと、怒りのこもった指摘をしたのは、在日コリアンの方でした。別の方からは、子どもの頃に「自分は(差別をされる)外国人でなくてよかった」と思ってしまったことを今も心の痛みにしていること、それを原点にして外国人差別をなくす活動に取り組んでいるという発言もありました。
コロナは感染症としてだけ捉えればいいものではないということを考えさせられたデモでした。(郷田 剛)
貧困・格差と公共の役割
3月7日 藤原辰史さんが講演
判りやすく講演する藤原辰史さん(3月7日 神戸市) |
3月7日、神戸市内で、生協運動などを担う人々を中心に貧困を考える継続的な集いとして、「いのちとくらしの映画祭with藤原辰史講演会」がおこなわれた。会場は定員150人のほぼ一杯、関心の高さをうかがわせた。
『パブリック 図書館の奇跡』は2018年のアメリカ映画で、極寒のシンシナティで約70人のホームレスが凍死を避けて図書館に立てこもり、それを図書館職員が手伝う物語。元々パブリックな図書館は、税金で設立され、市民の基金で運営されている。その市民が極寒のなか寝る所がないという事態で、各種の圧力をはねのけて一時的シェルターとして提供することを職員が担う。寝る場所がなければ公共の施設を普通に「占拠」(オキュパイ)する、また公園やスタジアムを耕して野菜=食糧を作るのは欧米では普通の姿で、デモや占拠を嫌う日本との落差を感じさせられた。
後半は藤原辰史京大准教授の講演。「コロナが浮き彫りにした『貧困・格差』と公共の役割」と題して、過去のパンデミックと今のコロナ禍を比較しながら、自然と人間、戦争とパンデミック、農業と食について掘り下げた。以下、紹介する。
第一次世界大戦の最終年に世界を襲った「スペイン風邪」(スパニッシュ・インフルエンザ)と今日のコロナパンデミック(COVID-19)の話から。スペイン風邪は元々アメリカで発生し、大戦に従事する兵士が全世界に運んだ。総力戦では食糧不足や疫病も戦争の道具にされ、劣悪な環境の塹壕の戦士、体力のない子どもが犠牲になった。ドイツでは子どもを飢餓から守る母親たちと、劣悪な食事の水兵とが連携し反乱と運動が拡大した。日本でもシベリア出兵のコメの買い占め・物価騰貴の風評から米騒動がおこった。支配者はフェイクニュースや精神主義も流行させた。感染症では事実に基づき他者を尊ぶ利他主義が社会を救う。今問われているのは公共。困ったときに頼れる人々にオープンなお寺や教会や学校などだ。この空間をすら新自由主義は利潤追求の場にしている。
ついで現状分析としての新自由主義の限界。労働力を使い捨て、水や自然まで商品化する。サッチャー・レーガンがこれを援用した。彼らの政治には言葉の軽視がある。日本では抵抗の歴史が弱く、男性中心主義がはびこり、今日DVが頻発し女性の自死が急増。その集大成が森喜朗発言だ。竹中平蔵が代表のホモポリティックス(政治的人間)が、儲けだけを考え、ベーシックインカムを提唱。中小企業を淘汰し、年金、生活保護をカットするもので、必ず破産する。
最後はラディカルな食と農の思想をめざして。『世界からバナナがなくなるまえに』が未来を暗示している。自然を守る、食を守ることすらSDGsという官許の運動が幅を利かすが、これは違う。日本でも江戸時代に、安藤昌益という農業を中心とする無階級社会を理想とする人が男女平等を唱えていた。人と人、人と自然の関係が、本当にオープンになるような社会を、食と農の世界から引き続き探っていきたい。(久保井健二)
入管難民法改悪案 閣議決定弾劾
国会上程させるな
伊藤 十三
2月19日、出入国管理法及び難民認定法(以下、入管難民法)改悪案が閣議決定された。今回の改悪案の目的は、1.退去処分を拒む長期拘禁の解消をめざす。2.難民申請の回数制限、3回以上の申請に対して送還停止を認めない。以上2点が主な目的だ。
現在、退去処分を受けながらも送還を拒んでいる人たちは3千人いる。そして長期にわたり入管収容所に拘禁されている人たちは千人以上いる。拒否者の多くは祖国に送還されれば迫害の恐れがあるか、日本に家族と共に生活している人たちだ。約3分の2の人たちが難民認定を申請している。改悪案は退去強制の拒否に刑罰を設けることになるか、より一層人権侵害を強化することになる。
日本の難民認定率
日本の難民認定率は18年度0・4%。20年度0・3%だ。ちなみにドイツは憲法のなかに「庇護権」がうたってあり、25・9%。フランスは18・5%。またトルコ、イラン、イラク、シリアにまたがる北部山岳地帯に住む、国家をもたないクルディスタン=クルド人にたいしてはアメリカ、カナダでは80%以上が認定されている。
シリアにおいては千百万人の難民もしくは国内避難民がいるが、日本においては18年6月までに81人のシリア人が難民申請したが、日本側は「人種、宗教、国籍もしくは特定の社会集団の構成員であること、または政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがある」という定義の部分を厳格に審査し、「迫害の証拠がない」と多くの申請を却下。認定された人は15人にとどまっている。
また多くの人たちに「人道的配慮」から在留特別許可が出ているが、それを申請するには、退去強制手続きを申請しなければならない。なぜこのような恣意的なことが起こるのか。それは戦後一貫した法務大臣の自由裁量権という、いかに反人道的、反人権的なものであろうとも国益を最優先するからである。法務省は法にのっとって運用していると明言するが、明らかに他国の人権・人道的侵害に直接加担していることになる。
入管収容所内の実態
全国に入管収容所は17カ所ある。かつて悪名をはせた大村収容所の歴史的経緯から述べる。大村収容所は1950年12月に作られた。当時朝鮮戦争による「密入国者」の摘発、反戦闘争を果敢に闘った在日朝鮮人をGHQと共に摘発して収容した。1952年11月には暴動がおき死者をだした(本来ならば大村収容所の歴史的経緯は1章つかって論証しなければならないと考える)。ひとことで言えば、そんな生やさしいことではないけれど、朝鮮人に対して追放か同化かのシンボルであった。その後ベトナム民族解放闘争の結果、ベトナム難民の収容施設にもなった。現在ではアジア、アフリカの難民収容施設になっている。
現在の入管収容所でまず問題なのは、刑事罰なら裁判所の令状が必要とされるが、入管の手続きの場合不要とされる。入管職員という行政職が警察権、裁判権、検察権、刑務官の役割をすべて行使している点である。入管職員には大きな裁量権があり、チェック機能がなかなか働かない。このため仮放免の申請があっても許可しないとともに、帰らない限り、いつまでも拘禁する事態となっている。長期拘禁は身体の自由を奪うだけでなく、いつ出られるかわからないという心身に対して大きな不安とストレスを生じさせている。
19年6月、ナイジェリア人の40歳代男性がハンガーストライキの結果、餓死するといういたましい事態を引き起こした。全国の収容所においては同じように毎年死者を出している。上限のない拘禁を強いられている人たちも多数にのぼる。このことに対し先頃、国連人権理事会は、恣意的拘禁作業部会の意見書を日本政府に送付した。
私たちの課題
まず第一に東京入管収容所において、2月新型コロナウイルスのクラスターが発生し、58人が感染した。最も優先して医療機関で治療せねばならない。
横道にそれるが、18年内戦の続くイエメンから韓国済州島に五百人をこえる人たちが押し寄せた。韓国の難民認定率は1%と高くはないが、3人を難民と認定したが、443人に就労可能な滞在許可を認めた。
日本ではどうか。安い労働力を求め、アジア全域から技能実習制度を利用して集め、その枠からはずれた人たちに不法就労、不法滞在を強いている。その監視、摘発に血道をあげている。結果として17カ所もの入管収容所が必要となったといえる。
私たちもこの韓国の例から学んでいきたい。民族、人種、宗教、生活習慣をこえて、同じ空の下で共に生きられる社会を作っていこう。
6面
佐藤隆「エコ社会主義と労働運動」を読んで(上)
松崎五郎
本紙310号(1/21付)と311号(2/04付)に愛知連帯ユニオンの佐藤隆氏の寄稿「エコ社会主義と労働運動」(上・下)が掲載され、冒頭で斎藤幸平氏の『人新世の「資本論」』について触れています。
斉藤氏は、マルクスを年代ごとに3段階に区分しています。@生産力至上主義、Aエコ社会主義、B脱成長コミュニズム、と。私的に言えば、@初期マルクス、A後期、B晩期です。斉藤氏の主張はBであり、佐藤氏は見出しが示すとおりAだと思います。従って、佐藤氏の主張は、斉藤氏にとっては批判の対象だと思います。
〈上〉はミシェル・レヴィ氏のエコ社会主義についてですが、私は氏の著書を読んだことがないので見解を述べることはできません。問題は〈下〉で述べている佐藤氏の意見です。佐藤氏の主張は3点誤っていると思います。
地球に負荷は資本では?
@ 〈下〉の最初で佐藤氏は「先進国・帝国主義の中産階級の拡大が地球環境に大きな負荷をかけるようになったから、…」と書いています。これは誰の意見か判りませんが、佐藤氏は批判の対象として書いているのかなと思いますが(肯定しているようにも読めますが)批判になっていないと思います。いまや格差拡大の中で中産階級は没落し、下層階級に落し込められていっています。
地球環境に大きく負荷がかかるようになった原因は、中産階級ではなく資本・資本主義ではないのかです。中産階級は、資本に取り込まれたからであって、直接の原因のように見えるかもしれませんが、出発点的原因ではありません。例えばプラスチックゴミを海へ捨てるのは中産階級かもしれませんが、かつては売店の店頭で紙コップやガラス瓶で売っていた飲料水をペットボトルで売るようにしたのは飲料水のメーカー、つまり資本です。今では水までペットボトルで売っています。この説が間違っていると言うのであれば、原因は中産階級ではなく資本だと批判すべきだと思います。その点が欠落しています。
また、電力会社はいまも「オール電化」を宣伝しています。なにかそこに利便性があるかのように思わされて、中産階級はオール電化を指向するようになったのです。まさしく中産階級は電力会社に取り込まれたのです。発熱は電気よりもガスの方が安いです。今日電力自由化のもとで独占電力会社離れがすすんでおり、独占電力会社がいくらオール電化を宣伝してもいまは誰も乗ってこないでしょう。コロナ禍の不況で「利便性」よりも「どちらが安いか」がみんなの関心だからです。地球環境への負荷の原因は、独占電力会社が儲けたくて過大な宣伝をして、民衆を取り込んでいるからです。
労働運動の介入はブレーキになるか
A 続けて佐藤氏は「資本主義の原理からすれば、労働者階級からの収奪=剰余価値が投資に回されて資本の拡大を実現していく。したがって、本来は労働者階級全体の経済的な地位の向上は投資を抑制し、経済成長を抑制するベクトルに働くはずだ」と述べています。
確かに 理論(『資本論』1巻)的、あるいは個々的には 新たな労働によって作り出された新価値を資本家と労働者とで分割するのですから労賃の拡大は資本の取り分である剰余価値を減少させると言えます。しかし経済全体では(『資本論』2巻・3巻的には)単純にそうとは言えません。資本家の商品は誰が買うのかです(「実現」問題)。消費者でもある労働者の労賃つまり収入が減れば、当然購買=消費力も減少します。資本家が剰余価値の収奪(搾取と言います)をより大きくして投資を増やし拡大生産を続けようとしても、買う人がいなければ、商品は売れず、資本家は倒産せざるをえません。逆に、労働者=消費者の収入が増え商品が飛ぶように売れるようになったら、資本家は自らの資金がなければ借りてきてでも投資=拡大生産をするでしょう。
だから、佐藤氏がその結論として述べている「富の公正な再分配を求める労働運動の介入は、資本の無際限な拡大再生産へのブレーキになり得るはずだ」は、そうはならないので、誤っています。(つづく)
本の紹介
「資本論」の新しい読み方
―21世紀のマルクス入門
ミヒャエル・ハインリッヒ著 堀之内出版
ミヒャエル・ハインリッヒ著『「資本論」の新しい読み方−21世紀のマルクス入門』を紹介したい。今まで発想の転換になる本には何度か出会ったが、この本は間違いなくその一冊だ。ルカーチやグラムシなどの『西欧マルクス主義』を超えたドイツ・マルクス研究である『マルクスの新しい読み方』という潮流の代表的な本だ。よくある入門書と違って『資本論』全三巻を扱っている。2004年に原著初版が書かれ版を重ねている。
『疎外』論や『物象化』論に対して『物神崇拝』が『資本論』の中心概念であると言う。今までもやもやしていたところに一つの解を得た思いがする。商品や貨幣や資本を全能の神のごとく崇めるという資本主義社会の逆立ちした観念はなぜ生れるのか。この『物神崇拝』は1970年頃世界的に流行した『サイモン&ガーファンクル』の『サウンド・オブ・サイレンス』でも「ネオン光に神のように祈る人々」と批判的に歌われた。誰でも少しはおかしなことだと思っている現象だ。『物象化』(資本主義社会の特徴である人と物の関係が転倒して、人が物を使うのではなく、金に人が操られること)や『疎外』(初期マルクスでは人間の本質の外化が歪められるという哲学的概念だったが、後には「労働の疎外」というように使われる)だけが問題なのであれば「認識の誤り」を正せばいいことになるとハインリッヒは言う。伝統的左派の理論は『物象化』論か『疎外』論だった。両方とも資本主義社会では支配階級のイデオロギーが労働者を支配しており、「真の労働者のイデオロギー」を啓蒙して普及すれば労働者は革命的階級として自己を認識して革命が起きるという考え方だ。宣伝、扇動による啓蒙こそが革命党の任務だと言ってきたのはその帰結だ。『物神崇拝』は「イデオロギー」ではなくて、資本主義が社会のあらゆる物を商品にした結果、生じている諸「法則」に由来しているとハインリッヒは言う。だとすれば『物神崇拝』の廃絶は特定の「イデオロギー」を廃止することによってではなくて、資本主義の廃絶の運動によってのみ可能だ。
実際に商品(貨幣・資本)はそれ自体の法則で動いている。その法則はあらかじめ人間には把握されておらず、神の様な力があると人の眼には現出している。マルクスが批判した古典派経済学では『神の見えざる手』と言った。例えば「競争」という原則は資本家にとって、もし競争から降りたらただちに破産が待っており、資本家であろうとする限り「金つかみ競争」から降りられない。自らも死に至る必然性をもつ原発を関電社長が止められないのは、破産したくなければ大阪ガスや他の新規参入電力会社との競争に勝たねばならないからだ。廃炉などの膨大な諸費用を税金で賄ってくれるから、原料のウラン・プルトニウムと原発建屋と地元買収費の総和は火力や代替エネルギーより安い。
このような資本の法則こそが『物神崇拝』の根拠であり、コミュニズム革命によってしか止揚できない。現代のコミュニズムを考えるうえで重要な提起だと思う。(高見元博)
84歳の独り言―出会った人びとI
「反革命に負ける訳にはいかん」
大庭伸介
浅田光輝という名前は、社会運動に参加したことのある年配者なら、誰でも知っているだろう。彼は学生運動を中心にした反スターリン主義的な新左翼運動に深くかかわり、全共闘運動を積極的に支援した。
私は静岡大学に5年間在籍したが、彼の講義の半分は日共批判で、それを聴くのが楽しみであった。彼は神山茂夫派として除名されたが、その頃は党籍を回復していた。「僕は日共をまだ辞めない。ケンカしてから辞めるのだ」と広言していた。羽田闘争をはじめとする60年安保の全学連の行動に対する日共の誹謗中傷を鋭く批判した。
後に立正大学の教授になった彼を、1976年、横浜の新興住宅街のマンションに訪れた。私は1926年の日本楽器争議の研究を思い立ったが、関係する学界や研究者に何の手掛かりもなかったので、とりあえず彼を頼ったのである。
彼はかつて神山派の同志であった2人の人物に紹介状を書いてくれた。1人は戦前・戦後の社会運動関係の文献研究の第一人者である小山弘健。もう一人は戦前の左翼研究の大家とされる京大の渡部徹。このお陰で、無手勝流で始めた研究がようやく軌道に乗った。
そのとき彼の勧めで一泊し、いろいろな話を聞いた。慶応の学生の頃、ベートーベンのレコード・コンサートを企画したら、特高が「西洋の遊惰な音楽にうつつをぬかすとはケシカラン」と横槍を入れてきた。そこで「同盟国のドイツの作曲家じゃないか」と抗弁し、ポスターに「ドイツ・ベートーベン」と描いて、不承不承認めさせた笑い話。
大学内にマルクス主義研究団体を組織して治安維持法違反で検挙された。そのため徴兵後、上官が腫れものに触れるように扱い、古年兵にもイジメられなくて楽をしたなどと話していた。
立正大学で講義中、革マル派が生卵を投げつけてきたり、キャンパスを歩いていたら背後から忍び寄り羽交い締めされそうになったので、逆手を取って腕をねじ上げ退散させたそうだ。
「革命派が反革命派にやられる訳にはいかんだろう」と、至極当たり前のことと言わんばかりに淡々と話していたのが印象に残っている。
彼は破壊活動防止法事件の「裁判闘争を支える会」の世話人をしたり、動労千葉の三里塚空港へのジェット燃料輸送拒否闘争を支援した。それで革マル派が中核派のシンパとみなして、襲撃したのである。
しかし彼は特定のセクトを支援するという立場ではなく、国家権力と最も鋭く対決し、弾圧の矢面に立たされている勢力を、マルクス主義者の階級的な良心において応援したのである。彼は、それがフリーランサーの任務であるという持論を抱き、生涯にわたって貫いた。(つづく)