関電本店を550人が包囲
リレーデモが出発
11月23日 大阪
「老朽原発うごかすな!」関電本店前から福井県美浜町に向け、200キロのデモに出発(11月23日、大阪市内) |
関西電力は、40年超え美浜3号機と高浜1号機を来年1月と3月に再稼動させようとしている。これにたいして原発の全廃を実現するために、11月23日から12月9日にかけて、福井県美浜町まで200キロのリレーデモがおこなわれる。その出発集会が11月23日に関西電力本店前でひらかれた。主催は老朽原発うごかすな!実行委員会。550人が参加した。
地元は再稼働に反対
中嶌哲演さん(原子力発電に反対する福井県民会議)が主催者あいさつ。中嶌さんは「原発をやめることによって、人びとの命と安全を守ることができる。原発ゼロ法案を実現すれば、原発地域の経済問題も解決していく。しかし、原子力ムラは議会と首長をつかって再稼動をゴリ押ししている。住民はその埒外におかれている。若狭の住民と都市に住む市民が団結して、迫っていこう」と述べた。
山本雅彦さん(原発住民運動福井・嶺南センター/事務局長)が、地元住民を代表して、その思いを参加者に訴えた。「40年超え原発の再稼動を画策しているのは地元ではなく、関西電力なのだ。高浜町では関電出身の議員をつかって請願を採択させ、同意にもっていこうとしている。住民は再稼動に反対であり、原発を動かさない事を願っている。関電はこの住民の声をまったく聞こうとしない。」
惨状を見て
菅野みずえさん(福島県浪江町から兵庫県に避難)は、福島原発事故による被ばく者であり避難者でもある。菅野さんは次のように語った。「関西電力の原発がすべて止まっているが、電気はたりている。福島原発事故がおきたとき、福島の女たちは1時間に数本しかない電車を乗り継いで東京まで交渉に行った。(東京に)核の電気を送っていた地元は日々の生活もままならないのに、東京では地下鉄が3分おきに走っていた。私たちはこの理不尽さを嘆いた。ひさしぶりに福島にある我が家の畑を見てきたが、猿が群がっていた。ひとたび原発事故がおきれば、このようになる。こんな思いは、もう誰にもさせたくない。この惨状を全国の人びとに見てもらいたいと思った。原発を止めるために、被災者としてやっていきたい。」
リレーデモの成功を
リレーデモを取り組む地域(大阪、北摂、京都、滋賀)から、決意の発言があった。リレーデモ参加者は、「琵琶湖は関西1450万人の水源になっている。ひとたび原発事故がおきたら、この琵琶湖の水が汚染されてしまう」「12月9日には、美浜町で関電原子力事業本部包囲行動がある。現地での行動が大切だ」「滋賀県では、7日間にわたってリレーデモがとりくまれる。貫徹したい」とアピールした。
集会の最後に、リレーデモ出発宣言が読みあげられ、全体で確認した。その後、西梅田公園に移動し、ここから阪急ナビオ前までデモ行進をおこなった。「危険な老朽原発、動かすな」「老朽原発を廃炉に」と、街行く市民に訴えた。17日間、11回におよぶリレーデモがはじまった。老朽原発を廃炉に追い込み、原発のない、人の命と尊厳が大切にされる社会をつくりあげよう。
辺野古新基地
コロナ禍、工事を強行
海と陸で抗議行動続く
辺野古側で進められている工事の状況(11月24日撮影) |
11月7日 オール沖縄会議は沖縄における新型コロナウイルス感染拡大が収束しないため、米軍キャンプ・シュワブゲート前での大規模集会の中止を決定。11月、12月の第1土曜の「県民大行動」、第3木曜日の「集中行動」は中止。通常の阻止行動は縮小し継続。
10日 沖縄防衛局は工事関係者にコロナ感染者が出たのに、工事を強行。名護市安和の琉球セメント桟橋では土砂搬出作業を続けている。この日桟橋では、陸上では市民40人が、海上ではカヌー9艇、ゴムボート1隻が抗議行動を展開した。本部町の塩川港からも土砂搬出作業が確認された。
17日 沖縄防衛局は、埋め立て用土砂を陸揚げする作業を効率化するために方法を変更する方針を示した。「K9」「K8」護岸先端に台船(長さ60メートル、幅20メートル)を設置し、土砂を積んだ運搬船を係留する方法や、土砂を蓄積する場所の設置を検討している。(これまで、海上で運搬船から台船に土砂を移し、台船が護岸に接岸し土砂を搬入していた。)これにより、運搬船が「K9護岸」に2隻、「K8護岸」に1隻直接接岸し陸揚げされる。しかし、辺野古側の工事を加速しても、軟弱地盤のある大浦湾側の埋め立ては残り、全体の工期短縮にはならない。
21日 ヘリ基地反対協は、辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート沿岸海上で海上抗議行動をおこなった。約60人がカヌー30艇、船6隻、ゴムボート2隻に分乗し、建設現場近くの海上から基地建設中止を訴えた。参加者はプラカードを掲げ「基地を造るな」「民意を守れ」などのシュプレヒコールを上げた。また、集会アピールを決議し、「不要不急」の新基地建設をやめて、新型コロナウイルス対策に全力を挙げることなどを国に求めた。
辺野古海上の護岸工事の上部構造物は「K1」「K2」上部は終わり、「K3」「K4」護岸で作業がおこなわれている。工区「2」は約半分ほど埋め立てが進んでいる。
任命拒否撤回へ再びデモ
11月26日 神戸
学術会議任命拒否の撤回求めてデモ(11月26日、神戸市内) |
11月12日の日本学術会議任命拒否を弾劾する市民デモにつづき、11月26日、第2波の行動がおこなわれた。主催は前回と同じ2団体(本紙前号参照)で、午後6時からの集会・デモには150人が参加した。
集会では岩佐卓也神戸大学准教授が、菅義偉首相が日本学術会議の会員任命を拒否したことを弾劾した。現在も大学内の研究活動が各種の制約を受けているが、今回の「任命拒否」で若い世代の研究への制約が拡大することに危惧を表明した。菅政権のやりかたに負けない方法は問題を長引かせ執拗に反撃することだと訴えた。
続いて藤野一夫神戸大学教授は、昨年8月の「あいちトリエンナーレ事件」で総合プロデューサーを務めた津田大介さんの神戸講演が、何の説明もなく神戸市の忖度で中止に追い込まれたことに触れ、この問題は終っておらず、今回の学術会議問題につながっている。この流れを止めなくては、と訴えた。
最後に集会宣言を採択し、首相官邸に送付することになった。また署名用紙が配布され、12月6日に3回目の行動を行うことが確認された。集会後、三宮センター街からJR元町駅前までデモ行進し、市民にアピールした。GO−TOキャンペーンでコロナ感染を拡大している菅政権に怒りの声をあげた。
2面
ルポ 住民投票 奇跡を生んだ市民の闘い(中)
れいわ新選組
山本太郎のれいわ新選組が、維新に対抗する新たな勢力として登場した。山本氏は住民投票がはじまった10月12日から大阪に入り、パワフルに活動した。12日の道頓堀のグリコの看板前での街頭演説が大阪府警に妨害されたが、その後も山本氏は連日、ゲリラ的に反対の訴えを一日当たり5、6カ所で繰り返した。維新政治のもとで大阪の経済、行政、暮らしがどうなってきたのかをデータに基づいて検証し、「都構想」のデメリットについて丁寧に伝えていた。何台もの液晶画面、音響設備を備えたトラックやスタッフの数を含めて、この時期に「都構想」反対でこれほど力を注いだ政党は他にない。
住民投票の最終日の10月31日、大阪・梅田のターミナルの演説には大勢の市民が集まり、その6、7割が若者だった。明らかに空気を変えていった。府警の妨害、橋下の悪罵、維新にとって無視できない脅威になっていたのだ。
「若い層の8割くらい、賛成かと思っていたが、そうではなかった。想定外の数字だった。山本太郎はまったく影響ないと思っていたのに、やられてしまった。最後の演説で賛成票5〜6千票くらいが逃げた」とある維新議員は語っている。
大石氏の事務所では、10月16日以降の半月間で、ボランティアが10万枚のビラを配布したことが報告されている。
学会員の造反
公明党は大阪で基礎票を数十万票擁する。前回の住民投票では、公明党支持層の74%が反対。賛成は26%だった。今回の住民投票で公明が賛成に回ったことにより、都構想「賛成」で決着するものと見られた。ところが投票前の世論調査では、党本部が賛成しているにもかかわらず、公明党支持層の57・4%が反対を表明していた。随所で学会員の決起があった。
山本太郎の街宣で学会員の牧馨氏がマイクを握った。彼は投票日も投票所前に立ち「反対」を訴えた。大石あき子氏の事務所には連日複数の学会員が訪れ、ともに運動した。31日の「『都』構想NO!市民と野党の共同街宣」には7歳の時から63年間学会員だという放送作家・演芸評論家の保志学氏がアピール。同じ31日、梅田で「賛成」街宣中の公明党大阪府本部土岐恭生本部長に「反対しないと創価学会のせいで大阪市なくなったいわれるで」と泣きながら抗議する女性もあらわれた。
18日には公明党の山口那津男代表が維新と一緒に街頭に立ったが、そこにも抗議する学会員の姿があった。「代表が来ると締め付けが厳しくなるので、その前にみんなで期日前投票に行ってきた」という人もいる。自民党に揺さぶられ権謀術に明け暮れる公明党上層部と創価学会との幽体離脱が始まっているようだ。
菅政権大打撃
れいわ新選組・山本太郎代表の街頭演説を聞く聴衆(10月25日、JR大阪駅前) |
大阪市廃止構想は、維新と二人三脚で、IRカジノ誘致やスーパーシティー構想(IT化による都市や情報コントロールと国家戦略特区の拡大)、中小企業の淘汰・再編など産業構造の転換を全国的におし進めようとする菅自民党政府の新自由主義政策の先取りだった。その攻防は、日本全国の先行きを決定づけるうえでも重要な試金石でもあった。大阪市民の決断は、大阪市を守り抜いただけでなく、維新の全国化を食い止め、菅政権にも痛烈な一撃を与えた。20年にわたる「行政のムダ解消」「改革」という新自由主義運動の終わりがはじまったのだ。
橋下が府知事時代の2010年4月、大阪維新の会を旗揚げした際、当時首相退陣後の無役だった安倍を維新の党首に迎えようと打診した。これと並行して、松井も地方議員時代に菅と意気投合し、党派を超えた盟友として連携を強めてきた。
第2次安倍政権が発足した12年暮れ以降、安倍、菅と橋下、松井は年末などに4者会談を続けてきた。橋下と松井は、安倍や菅との親密な関係を軸に、国政政党・維新の全国的勢力への拡大を目指してきた。自民党にとっても参院での改憲勢力3分の2を確保するためには維新の協力が必要で、それを背景に自民、維新両党は「国会運営での持ちつ持たれつの関係」(自民幹部)を維持してきた。
菅も憲法改正で維新と連携するなど、補完勢力確保による政権基盤の安定化を狙っていた。菅は21年9月の自民党総裁で再選し、任期4年の本格政権を目指すために、次期衆院選後の自公維連立政権の可能性も探っていた。9月の菅政権の組閣で、橋下の総務相起用まで取りざたされていた。しかし今回、維新の大黒柱である松井が引退を表明し、政局運営の重要なカードを失った。衆院解散のタイミングを探る菅にとって「都構想否決による維新の失速は大きな計算違い」だ。菅サイドは「次期衆院選で自公が議席減となっても、維新を取り込めば十分補える」と自公維連立政権をちらつかせていた。菅は「国政への影響はない」というが、学術会議問題で支持率が急落している中、新たな痛手になる。
大阪都構想の住民投票が目前に迫った10月29日には、維新幹事長馬場が衆院の代表質問で都構想実現の意義を力説すると、菅は前向きな答弁で援護射撃した。その一方、国・地方選挙で維新と激しく対立する自民党大阪府連とくに市議団は、大阪市廃止に真っ向から反対しており、菅との思惑の違いが際立っていた。公明党も、大阪における自民党との関係が悪化しており、次期衆院選戦略も含めて菅政権の動揺につながる。
公明党の危機
公明党は5年前には反対だったものの今回は賛成に回り、党代表・山口那津男が大阪まで出向き維新の街宣車に乗って賛成を呼びかけた。橋下が1日のテレビで「公明党と握ったわけですよ、衆議院選のイスを維新は公明党に譲る代わりに賛成になってもらった。衆議院選の後に投票だとこの約束がどうなるかわからない。その前にやらないといけない」と公明党との密約があったことを暴露した。公明党の賛成は選挙対策だった。
結果、大阪の自民党との間の亀裂は深く、修復はむずかしい。大阪では公明党大阪府本部代表・佐藤茂樹の辞任などを要求するなど、突き上げが始まっているが、山口の責任論も出てくるだろう。
昨年の参院選の広島選挙区で、新人の河井杏里が現職の溝手顕正を追い落として当選できたのも、菅の依頼を受けた創価学会が全力で河井を支援したからだった。菅と学会のパイプが河井当選の決め手だった。その河井夫妻が公選法違反で逮捕されたため、広島県の学会関係者の間では、菅に対する怨嗟の声が上がっている。それに加えて今回の敗北だ。
公明支持層で反対が多数となったことについて、自民党内では「新型コロナの感染が拡大している間は、(集会などの選挙活動が制限される)公明党は戦力として使えないことが明らかになった」(竹下派)という声も上がっている。野党からも「安倍政権の7年間、安保法制などで苦しい決断を迫られた公明支持層に対して、中央のガバナンスが効かなくなっているのでは」(立憲民主党幹部)との見方が出ている。
菅は無派閥のため政権基盤が盤石とはいえず、維新や公明が菅派の位置になっているともいわれてきた。菅は今回の敗北で公明党と維新という2枚のカードの効力をそがれた。「早期解散はできないだろう。来年10月の任期間際までできないのではないか」との見方も出ている。(つづく)
読者の声
共同の力でつかんだ勝利
大阪 浪速一郎
11月1日、「大阪市を廃止し、4つの特別区を設置することに賛成か反対かを問う」住民投票が実施された。2015年の住民投票ですでに反対多数で否決されているが、大阪維新の会が再度の住民投票を強行。結果は反対多数で、再度否決となった。前回の住民投票で、1万票あった票差は、今回1万7000票になった。
今年9月の段階では賛成が反対を大きくひき離していた。昨年4月の府知事選・市長選・府議選・市議選で維新が圧勝していたし、きびしい予測があった。 投票1週間前、西淀川区でおこなわれた合同演説会には立憲民主党、れいわ、日本共産党、社民党と市民グループが一堂に会し数百の市民が取り巻いた。
12日の告示から共同の輪が特に広がった。新社会・緑なども取り組んでいた。各党・党派とも府外からの応援も増えた。共産党系の日刊ビラをはじめ静かに、しかし説得力で訴えかける姿に、日に日に受け取りが良くなる実感があった。
一方の維新も関西はもとより、全国から応援部隊が来て、毎日、駅頭を制圧した。しかし、大声で怒鳴るしかなく、むなしい響きがあった。公明党の草の根レベルの動きはほとんど見えなかった。「公明党・都構想賛成」のポスターは大阪第5区(東淀川区、淀川区、西淀川区、此花区)で一枚しか見なかった。公明の街宣車もほとんど見かけなかった。学会員の過半数が反対派なので強く言えず、議員たちの笛吹けど踊らず状態だった。
告示後に発表された各紙の調査は僅差で分かれた。つまり圧倒的な劣勢を本番入り直後にはね返した。
また投票一週間前に「年218億円の負担増」という大阪市財政局の試算を毎日新聞などが報道し、追い風となった。財政局長も毎日新聞なども相当の覚悟で発表したと思われる。赤字試算は自民党や共産党の市議が以前から訴えていたものであったが何とか投票日までに市民に届き、賛成派の2割近くが反対に乗り換えたという情報もある。
なぜ勝てたのか。「都構想」がカジノ頼み、国費頼みの「大阪市廃止」に過ぎないことや、水道代が値上げされ、市民プールの廃止や小学校、市営住宅なども、というマイナス面を各陣営が創意工夫をこらして宣伝した。それが効を奏して多くの大阪市民が気がついたのだと思う。支持政党なし層がかなり投票し、その多数は反対だったのも大きい。共同の力が起こした奇跡の勝利だった。
3面
原発いらん、せやろがい
さよなら原発集会に500人
せやろがいおじさん |
「さようなら原発1000人集会」が、11月21日、開かれ、500人が集まった。
集会は大島淡紅子宝塚市議の司会、〈原発の危険性を考える宝塚の会〉田中章子さんの開会あいさつで始まった。今年のメインゲストは、沖縄で芸人・ユーチューバーとして活躍する奈良出身の「せやろがいおじさん」。基地問題や政治的発言の抑制への批判を発信してきたが、原発問題は勉強中。そのせやろがいさんと阪神間の高校生から大学生を生徒にして、「はんげんぱつ新聞」編集委員の末田一秀さんが授業をおこなう形で「原発の危険性と不必要性」を訴えた。
1時間目の授業業の前に、沖縄からの転校生の紹介。この10月まで朝のテレビ番組に週一で出演していた馴染みの映像がスクリーンに映し出される。「おーい、聞いてるかー、沖縄の事、原発の事、知らなあかんやろー」と、政治的発言が抑制されることに風穴を開けようという呼びかけから始まった。
授業では、原発とは「お湯を沸かしてタービンを回す発電機で、そのエネルギーを核燃料に依存し、『核のゴミ』と言われる廃棄物が大量に出しその処理方法がない『トイレのないマンション』、福島事故から間もなく10年たつがデブリを取り出す展望はまったくない」と解説した。せやろがいさんからは「今の政治家が生きているうちには無理ですね」と突っ込みが。
コロナ対策で広いホール半分の席を使い、舞台では授業がおこなわれた(11月21日) |
後半では国の原子力政策に言及。原発は最大54基あったが現在2基しかなく供給量は5%に満たない。このまま自然エネルギーを増やせばよいものを、今後も稼働させベースロード電源にしようとしていると批判。子どもたちに核のゴミを残さない社会をと結んだ。せやろがいさんも「敵への批判=攻撃でなく、普通に議論できる社会が民主主義を育てていく」と指摘。こうして末田センセの授業は、生徒、会場の「参観日の保護者」が一体となり好評のうちに終了。
休憩をはさんで、福島からの避難者や市民運動グループがアピール。福島県から大阪に避難してはや9年の森松明希子さんは、「学校に通ってなかった上の子どもは中学生に」とその月日を語り、裁判での「(自主)避難の権利と政府の無策」を訴えた。神戸の反原発運動からは汚染水の問題や放射線被害への取り組みの報告。〈若狭の原発を考える会〉橋田秀美さんは、40年を超える超危険な老朽原発の再稼働を阻止するために11月23日関電本店前から、12月9日美浜町の関電原子力事業本部までのリレーデモへの参加を訴えた。
最後にせやろがいおじさんのパフォーマンスと、実行委員会からの閉会あいさつで集会を終えた。
地元の思い踏みにじるな
高浜町が再稼働に同意
「地元同意」に怒りの行動(11月12日) |
11月12日、高浜町で臨時町議会が開催された。11月6日の原子力対策特別委員会で、自民党高浜支部など地元の原発推進派から出された「高浜1、2号機の再稼動を求める請願」を賛成多数で強行採択したが、反対派住民組織からも、老朽原発の再稼動に対する危惧や慎重審議を求める請願が出されていたため、その請願の審議もおこない、特別委員会での採択を承認するために開かれた。
この日、老朽原発うごかすな!実行委員会は、「老朽原発高浜1、2号機の再稼動の地元同意を許さない」と早朝から高浜町役場前に福井県のみならず、滋賀、京都、大阪、兵庫などから集まり、抗議の声をあげた。
反対派の請願については、「みなし採択」(同じ件での請願については、賛成側の請願が採択されたあとは、反対側の請願は否決されたとみなし、審議はおこなわず不採択とする)も予想されたが、さすがにそういう暴挙をおこなうことはできず、審議されることになった。
傍聴団を送り出したあとも、町役場前では、参加者が怒りと思いのたけをアピールした。役場前の国道27号線を走行する車からもわざとゆっくりと走行し、手を振って、声援する人など、高浜住民の反応も熱いものがあった。
本会議では、そういう住民の思い、われわれの思いを踏みにじって、反対派の請願を不採択とし、特別委員会での、再稼動に賛成する採択を確認した。さらに、「意見書」可決し、経産省にたいし再稼働を要望することを決めた。議会は、その回答をもって、11月25に全員協議会を開き、町議会としての地元同意について判断するとした。
11月25日、高浜町は全員協議会をひらき、老朽原発(高浜1号機、2号機)の再稼動に同意することを多数決で決め、高浜町長にその旨報告した。高浜町の住民、近隣市町村の住民、そして、関西一円の人々の「老朽原発うごかすな!」の思いを踏みにじる権利がわずか14人の高浜町議員にあるのか。
美浜町では12月9日に、美浜3号機の再稼動についての賛成派、反対派の請願について、審議しようとしている。12月9日は、リレーデモが美浜町に当着する日である。直接「地元同意をするな」の声を町議会につきつけよう。
12月9日、午後1時、JR美浜駅に集まろう。美浜町に地元同意をするなの声を届けよう。関電原子力事業本部を包囲して抗議の声をあげよう。(仰木明)
「黒い雨、広範囲に降った」
高裁は直ちに控訴棄却を
11月18日 広島市
横断幕を手に乗り込み行進(11月18日) |
「黒い雨」訴訟の控訴審第1回口頭弁論が11月18日、広島高裁(西井和徒・裁判長)で開かれた。原告らを先頭に「『黒い雨』被爆者全員に手帳を!」の横断幕を手に乗り込み行進。関西から参加した水戸喜世子さん(85歳)は、「私と同じ世代の、黒い雨を浴びたみなさんが、これほど長いたたかいを強いられている。涙が出ます。居てもたってもおられず、川内原発に反対する鹿児島の友人を誘って駆け付けました」と話した。
口頭弁論では高野正明・原告団長(82歳)が意見陳述。「黒い雨を浴びた直後から下痢や発熱、歯茎からの出血など。現在は尿管がんなどで苦しんでいる。私たちに残された時間は僅かしかない。早く被爆者と認めて」と訴えた。原告84人のうち12人は、すでに世を去った。
次回2月17日結審か
広島弁護士会館で報告集会。弁護団事務局長の竹森雅泰(まさひろ)弁護士が、「進行協議で、裁判長は健康被害と原爆放射線の関係を巡り12月24日を期限として双方に釈明を求めた。次回は2月17日、結審する可能性もある」と報告した。
内部被曝認めない国
7月の広島地裁判決は、「黒い雨」が国の援護対象区域である大雨地域よりも広範囲に降ったと認定し、雨に含まれていた放射性微粒子による内部被曝により、がんや白内障などの疾病を発症した可能性があるとした。認めたくない国側は「原告が被爆者である科学的知見は存在しない」として控訴した。さらに、放射線の人体影響に関連する論点について、1審において原告側が何度も求めた反論を怠ってきた。にもかかわらず控訴審に控訴理由書とともに大量の書証を提出、さらに文献立証や専門家意見書を順次提出すると主張している。時機に遅れた攻撃的防御方法であり、却下されるべきである。
11月16日、厚労省は「援護区域拡大も視野に入れる」と再検証に向けた検討会の初会合を行なった。原告らは「時間稼ぎ」として反発・批判している。広島高裁は一刻も早く控訴を棄却すべきである。(江田 宏)
除染関連会社が市に1・6億円
福島県田村市
東京電力福島第一原発事故をめぐり、田村市発注の除染関連事業を受注した業者が市に匿名で多額の寄付をしていた。市の内部資料では、18〜19年度に除染関連業務を受注した少なくとも16社が、計1億6200万円を寄付したことになっている。寄付はすべて匿名で、市は寄付者や金額の詳細を明らかにしていない。寄付した業者によると、本田市長を後援する建設会社幹部らから「落札額の5%を寄付してほしい」などと、寄付の働き掛けが断続的に行われていた。市議会では、匿名寄付について「復興予算を回しに回して市が頂いた」と問題視する指摘が出た。また業者からも「額も指定されて寄付するのはおかしい」との声がある。本田市長は「事実については把握していない」と述べている。
4面
攻撃すれば、戦争
「敵基地攻撃論」の陥穽
憲法・先制攻撃でシンポ
敵基地攻撃のリアリティとは
柳澤協二さん この問題は軍事上の観点からも疑義がある。戦争のリアリティを欠き、政治家が兵器マニアのような議論を展開している。陸上イージス断念を、「迎撃ミサイルのブースター落下が危険だ」という、それ自体が論理矛盾だ。それなら首都防衛のため市ヶ谷に配備しているPAC3はどうなのか。陸自は、地上配備イージスを望んでいなかった。トップダウンで決まった弊害だ。地元も、電磁波の被害やまっ先に攻撃対象になることなど、反対の声が強かった。受け入れる地域は、今後もないだろう。
もともとミサイルを迎撃するのは極めて困難。イージスシステムも100%撃ち落とすことはできない。それなら飛び上がる前に叩かなければという。そんな単純な論理ですむのか。では、先に敵基地を攻撃した場合は100%潰せるか。撃ち漏らせば、かならず反撃される。それが敵基地攻撃のリアリティだ。それが抑止力なのか。どちらがもち堪えられるか。向こうが持っているから、こちらもという理屈で収まる話ではない。
日本に飛んでくるかどうかは、対象のブースターが燃え尽きた時でないと軌道がわからない。偵察衛星が何百機も必要、費用は無限大にかかる。厳密には、すべて先制攻撃しかない。それは国際法違反になる。ミサイルが脅威であることは確か。どうやってミサイルから安全を保つのか。完全に防ぐことはできない。攻撃すれば「倍返し」もある。100%撃ち落とせないなら、お互いが「戦争をする」という動機を減らすこと。北朝鮮(ママ)の場合は、日本に直接の要因があるというよりも、アメリカの核による圧力、攻撃を恐れている。いかに米中、米朝の対立を回避していくか。地道な努力だがミサイル保有、敵基地攻撃論よりも、それにどう対処するのか、政治と外交の責務である。
米とともに攻める一体化
安倍政権の7年8カ月は、そこが大きく変わった。15年の安保法制と日米ガイドライン改定。米軍を守るために、日米が一体化することが可能になった。ポンチ絵で説明していた、米艦を守る集団的自衛権、平時からの米艦防護。あくまでも「米艦を守る」一体化である。そこに敵基地攻撃が入ると、米とともに攻めるという一体化になる。日本にとっての利益、抑止力だと言えるのか。戦場が日本になる可能性は大きい。保有自体が、相手に軍拡や先制攻撃の口実を与えるデメリットもある。その安全保障のジレンマを抜きに、敵基地攻撃論に踏み込むのは政治の無知、怠慢だ。 日本は米中朝対立を促進するのではなく、それを回避する努力を払うべき。米軍と一体化し抑止力が高まった、それが安全保障だという政治、構想から転換する政治、外交でなければ。専守防衛の思想は、こちらは手出しをしないだけのように言われるが、じつはもっと骨太。攻めてきた相手には頑強に戦うが、相手を打倒、占領はしない。相手に攻撃の動機、口実をなくさせる、それが核心にある。そういう国の基本姿勢が、いま問われている。
戦争との距離を縮める「敵基地論」
林 吉永さん 専守防衛というのは70年に及ぶ稀な国防戦略、戦後レジームとして厳格に守られてきた。安倍前首相が、その「戦後レジームからの脱却」を掲げた。安全保障・防衛の日米対等化への転換ということになる。しかし国民の思いは、あの大東亜戦争(ママ)への嫌悪感や後遺症からの決別と考えていた人が多いのではないか。大きなギャップがある。前首相がとってきた防衛・安保政策は、日本が戦争との距離を明確に縮める動きだ。集団的自衛権行使の容認、安保法制、多国間の外相・国防相会議、米だけでなく英印比豪と共同訓練が進められてきた。「装備移転」という名目で武器を輸出するようになった。かつては自衛隊の海外派遣はPKOだったが、南スーダンではPKF、国連軍の一員である。
前首相は「憲法9条に自衛隊を書き込む」とした。総理大臣が「自衛隊の最高指揮官」となる―それは、ヒトラーの指導者原理と同じ。国会の事後承認が必要だが、絶対過半数があればできる。防衛力整備のプロセス変換、イージス・アショア、F35を100機も買うというのも、前首相のトップダウン指示だった。18年1月の国会で首相は「先制攻撃ができる強力な軍事力を自衛隊に持たせる」と述べ、2月衆院予算委員会では「専守防衛は下策。先制攻撃が上策」と答弁した。20年8月には自民党のミサイル防衛検討チームが「敵基地攻撃を可能とし、抑止力を向上させる」と提言し、後に「“相手領域内”でも弾道ミサイル等を阻止する能力」と変えたが、菅内閣になり“敵基地”に戻った。
専守防衛こそが抑止力
自衛隊は、陸自は「着上陸能力」を持つ部隊を保有、国連ミッション参加の経験を有している。海自は全艦艇が世界中の水域に進出可能。空自も空中給油ができF15は無着陸で太平洋を横断できる。実際にすでに相手国、敵基地攻撃能力を持っている。同時に、「敵情把握能力」に極めて劣っている。日本の偵察、指揮、統制、通信、コンピュータ・システム等は専守防衛型のままである。攻撃型にするには、完全に米軍のシステムに変えなければならない。
敵基地攻撃能力は、却って相手の警戒、攻撃しようという意思、能力を高めるという“安全保障のジレンマ”を生じる。専守防衛という安保・国防の戦後レジームを政治が放棄しようとしている。今回、戦争という言葉はどこにも使われていない。しかし敵基地攻撃とは、紛れもない戦争ですよ。かならず反撃され、国民が犠牲になる。「覚悟をしてください」と総理は言ったか。「敵基地を攻撃する」正当性を確保できるのか。国際社会が認める確実な正当性が必要だ。制服だった立場から言えば、政治がそれを保証しないのに現場はやれない、やりたくない。国民保護はどうするのか。戦争は勝ちばかりではない、負けた時を考えているのか。私は「専守防衛こそが抑止力」と考える。
84歳の独り言 ― 出会った人びとB
反戦山猫ストが成功した秘密
大庭伸介
清水一般自由労組の書記長浅野さんは旧制清水中在学中の1946年11月7日、ロシア革命記念日に自ら決意して日本共産党に入党し、共産青年同盟の常任になった。委員長の堀さんと自由労組を結成したのは1949年11月7日である。
どこからも具体的な方針は示されなかったが、2人にとってはすべて自分たちの考えで闘いを組織することが楽しくて仕方がなかった。
まず清水市長に「餅代をよこせ」と越年資金を要求した。職業安定所の所長室を10日間ほど占拠して、闘争本部にした。雲隠れした市長が静岡の警察署にいることつきとめて、組合員が大挙して押し掛け5日間の越年資金総額10万円を獲得した。それを組合員だけでなく、港で働く下積みの仲間に平等に配分した。
当時、静岡県の失業対策事業の日当は180円で、税金などを差し引くと手取り172円だった。飢え死に寸前の額である。そこで手取り197円にせよという要求を県当局にぶつけた。約250人の組合員が県庁に押し掛け、作業着と地下足袋姿で臭いからと、県庁の屋上で労働部長と交渉した。日当の10円アップと清水の対事業の枠を拡大するという回答を得た。
つぎに、港湾独特の複雑な雇用関係を悪用した源泉徴収のゴマカシを追及した。浅野さんたちが聖域≠ニされていたこの問題を一貫して追及したことは、下積みの労働者の共感を呼んだ。
自由労組の組合員が港に仕事に行ったとき、それぞれの職場ごとにすべての労働者に声をかけて、みんなひっくるめて職場集会を開いた。全国の港に広がる反戦ストの状況を宣伝し、朝鮮戦争による労働強化への反発もあって、400人近い自由労組を中心に港で働く労働者の約半数が実質的にストに参加した。
労働戦線総体が沈滞し切っているなかで、自由労組がそこまでやれた秘密はどこにあったのか。組合員1人ひとりが人間として生きていくために必要なことは何でもとりあげて闘ったからである。
浅野さんは「とにかく自分の職場に1人の仲間をつくることだ。声をかけていけば必ず応えてくれる人がいるはずだ」と熱っぽく語った。
このストは占領下のプレスコードのため、一切報道されなかった。首謀者の名前がバレれば軍法会議で強制労働に処せられる。「絶対に自分の家にビラなどを置くな」と徹底したため、ストを今に伝える資料は何も残っていない。(つづく)
5面
大阪ストライキ2次事件判決に対する抗議声明
大阪地裁は10月8日、全日建運輸連帯労組関西地区生コン支部による2017年12月のストライキを「威力業務妨害」とした事件で、2人に有罪判決を下した。連帯労組は抗議声明を発表し、不当判決を弾劾した。以下、声明全文を掲載する。(見出しは本紙編集委員会)
不当判決に抗議の声をあげる組合員ら(10月8日、大阪市内) |
1.去る10月8日、大阪ストライキ2次事件で、大阪地裁刑事11部(佐藤卓生裁判長)は、関生支部の西山直洋執行委員ほか1名に対し、懲役2年6月(ただし未決勾留日数中、西山は150日、ほか1名は70日を参入)、執行猶予5年という有罪判決を下した。
大阪2次事件は、関生支部と全港湾大阪支部が2017年12月、「運賃引き上げの約束を守れ」と要求して決行したストライキおよびこれに伴う団体行動が威力業務妨害事件とされたものである。
2.判決は、「被告人両名は、執行委員長武建一らと共謀の上、バラセメント業務や生コンクリート出荷業務を妨害しようと考え」という書き出しではじまる。そして、「車輌の前に立ちはだかったり、取り囲んだりするなどしてその走行を物理的に妨げ、道路上に停車せざるを得なくさせ」るなどの行為が「多数で一斉に行われ・・・大声で乱暴な言動を伴うものであったから、心理的な意味においてもバラセメント輸送業務を強烈に阻害したものと認められる」。さらに、「時折声を荒げたり、もみあいになったり、押し合いになったりする場面が生じてい」て、「説得活動にすぎないとはおよそ認めがたい」から威力業務妨害行為にほかならないとしている。
他方、弁護団が主張した、事件現場とされた宇部三菱大阪港SSにおける関生支部の行動は、企業横断的な産業別労働組合として運賃引き上げを要求するストライキへの同調を求めた正当な団体行動だとの点については、判決は、バラセメント輸送会社などには関生支部の組合員が存在しない、だから同社らは「関生支部との関係で争議行為の対象となる使用者とはいえない」ので、正当な組合活動とは認められる余地はないと切って捨てている。組合活動の正当性に関するこの判断は、判決文27ページのうち1ページにも満たない。
3.この大阪地裁判決には、そもそも関生支部をはじめとする労働組合側と大阪兵庫生コン経営者会(大阪広域協組の交渉窓口)が、2015年春闘以降の集団交渉において、生コン価格が上昇したらバラセメントや生コンの輸送会社の輸送運賃を引き上げるとの労使協定をくりかえし交わしていたという事実についてはひと言もふれられていない。関生支部と全港湾大阪支部がスト突入を決めたのは、これら労使協定の存在にもかかわらず大阪広域協組側が言を左右にして協定を履行しなかったからであった。しかし、大阪地裁判決は、ストライキに先立つこれら経緯については一切ふれず、事件現場とされた宇部三菱大阪港SSや中央大阪生コンとはまったく無関係な第三者がいきなりあらわれて、乱暴狼藉を働いたかのように描き出すのである。前提事実を無視したうえで、関生支部に対する予断と偏見をもって書かれたこの判決は、労使協定を守らぬ大阪広域協組を免罪する許しがたいものというほかない。
しかも判決は、関生支部の行動について、敵意を剥き出しにした筆致で、「組織的、計画的に行動したもので悪質である」とまで書いているのだが、その事実認定はお粗末極まりない。たとえば、事件当日、宇部三菱大阪港SSには、専属輸送会社の管理職、さらには宇部三菱や、SSに隣接する関西宇部(宇部興産の生コン子会社)の社員たちまでもが大量に動員されており、その数は組合員の数を上回っていた。そして、かれら管理職らは、組合員が、SSにやってきたバラセメント車に近づいて、運転手にストライキに同調するよう説得するためにビラを渡したり、話しかけたりするのを、その間に割り込んで妨害したのであった。そればかりか、かれら管理職らは事前に打ち合わせていたとおり、5〜10人がバラ車の真ん前に立ちはだかり、自ら車輌の走行を止めながら、「車輌が通行します」などと書かれたプラカードを掲げながら「業務妨害はやめてください」と連呼し、その様子をビデオに記録させたのだった。かれら管理職らの挑発と妨害に組合員が怒りの声を上げるのは当然である。しかも、のちの刑事裁判の証人尋問においては、当日のセメント出荷予定がなかった疑いさえ浮き彫りにされており、威力業務妨害事件は「自作自演」とさえ言いうるものである。
4.最大の問題は、この判決が産業別労働組合の運動についての無知と無理解のうえで書かれているという点にある。
判決は、宇部三菱セメント大阪港SSと中央大阪生コンには関生支部の組合員がいなかったことをもって、両社が「関生支部との関係で争議行為の対象となる使用者とはいえない」として、雇用関係の不存在、イコール労使関係にはないと短絡的にとらえ、したがって正当な組合活動として「その違法性が阻却される余地はない」と決めつけている。しかし、関生支部は産業別労働組合である。産業全体の労働条件の底上げと平準化を図ることや、そのために産業をとりまく取引環境の整備と改善を目的として、組合員が存在するかどうかにかかわらず、業界を構成する企業などに団体行動をもって働きかけることは産業別労働運動のイロハであり、憲法28条労働基本権保障はこのような産業別労働組合も対象とするものである。雇用関係の有無だけをもって産業別労働組合の活動を矮小化したり否定することは到底許されるものではない。
5.われわれはこの大阪地裁判決に対し、強く抗議するとともに即日控訴手続をとっている。われわれは、不当判決を覆す新たなたたかいを断固としてやり抜く決意である。
以上
2020 年11月3日
全日本建設運輸連帯労働組合中央本部
執行委員長 菊池 進
全日本建設運輸連帯労働組合近畿地方本部
執行委員長 垣沼陽輔
全日本建設運輸連帯労働組合近畿地本関西地区生コン支部
執行委員長 武 建一
労働組合つぶしとたたかう 兵庫の会が発足
兵庫の会が発足し、力強くシュプレヒコール(10月30日、神戸市内) |
連帯ユニオン関西地区生コン支部にたいする大弾圧とたたかう〈労働組合つぶしを許さない兵庫の会〉が発足した。10月30日、神戸市内で開かれた賛同人会議には、60人あまりが集まった。司会の兵庫ユニオンの岡崎進委員長が開会のあいさつ。神戸大学の岩佐卓也さんとフォーラムひょうごの森哲二さんのあいさつに続いて、連帯ユニオン関生支部副委員長の坂田冬樹さんが関生弾圧の現状を報告し、支援を訴えた。
「関生支部に対する不当弾圧と刑事裁判の現状」をテーマに、位田浩弁護士が講演。「関生支部は、産業別労働組合であるから、組合員と企業の間に雇用関係になくても、労働組合法上の労使関係が存在する。したがって、労組法第1条2項の、刑事免責の適用がされなくてはならない」と話した。
6面
〔読者の声〕
現代医学、ワクチン全否定に疑問
有野まるこさんの連載を読みながら、その明快な理念と論述に納得する反面、何か疑問が残った。薬剤企業の巨大な利益独占、薬品の氾濫、医療における大量投薬などそのとおりであるが、化学的に開発された薬(もともと自然由来の成分から化学式を得るものも多くある)が不要なのか。自然界から採取、栽培される生薬だけで必要な薬がゆき渡るのか。問題は、利潤追求の薬剤資本、企業のあり方、医師が投薬に頼らざるを得ない医療制度の方にある。今回のコロナによって患者を引き受けるほど赤字がかさむという事態は、その一面であり、どのように患者に向き合う医療ができる社会をめざすのか。
人間、人類が自然の一部であり、そこに「生き、死ぬ」存在であることは、そのとおり。自然としての人間の本質、感染症やさまざまな病気との関係性も、そのとおりであろう。しかし、「ワクチンをやめよ、税の無駄遣い」と一括りにできるのか。ガン治療の問題も、人が自らの免疫力や生きる力(自然の一部)という存在であるとしても、治療や回復をどのように考えるかはそれぞれの選択であり、選択できる多様性が大切だ。胃ガンを手術し抗ガン剤が合わず止めた古くからの知人は、「これまでの交誼を終わりたい」と宣言した後、転移もありながら復活している。個々の症例にもよる。「だから、ぼくは自分の方法を他者に推奨はしない」と話している。
最近、3万人のデータ解析などから「子宮頸がんワクチンの勧奨中止(13年から)により、避けられる
はずの患者は約1万7千人、死亡が4000人増」という知見が発表された(阪大チーム他)。どのようなワクチンや薬にも作用、副作用、薬害はある。長年、薬剤被害に苦しみ企業・行政とたたかってきた人に聞いてみた。彼女は「開発されても、私は受けません」と即座に断言。しかし、「受けたい人には、丁寧に効果とリスクを説明してからですね」と話した。現代(西洋)医学・先端医療、外科手術によって治る病気は多々あり、どう選ぶかはそれぞれの自由の範囲。中核医療センターや専門病院があり、自然治癒力というあり方が並存する。
ワクチン、医薬の問題に戻れば、天然痘や結核などの予防接種はもとより、開発されたペニシリンなどにより助かった命、押さえ込まれた疾病も数多い。「ワクチンは無用、税金の無駄遣い」ではなく、「ワクチン接種は希望による(もちろん低額で)」であろう。
20世紀後半から大量の農薬や化学肥料が投入され、農地を破壊していくという構造が推進された。50年代の中山間地農村に育った私は、そのころの農業の大変さを体験した。つい5、60年ほど前のことである。秋冬に山から柴木を集め背負いで持ち帰り、牛糞と混ぜ堆肥肥料をつくる。牛を使い田圃を準備、人手による田植え、夏に向かう草取りもきつい仕事だった。そういう田舎から逃避した後ろめたさもあり、農業を継いだ同級生たちに簡単に有機無農薬にとはいえなかった。
150年前からのロンドンなどでの下水道設置が肥やしの循環を破壊した、という指摘もあった。汲み取り便所自体の不衛生さはもちろん、それを畑に使用するのは本当に嫌だった。施肥しない、雑草を抜かないという自然農法の話を10年ほど前に聞き目から鱗だったが、それで多くの人々に安全な食糧を提供できるのか難しい。思い浮かぶ言葉で言えば地産地消か。
私たちは、資本主義が促進した都市への人口の集中と「辺境」という大きな落差、困難な壁に直面している。私たちの世代は、原爆による10〜20シーベルトという直接被爆や、数千回におよんだ核実験、原発事故による放射能汚染を知り、化学合成、多量の食品添加物を摂取する時代に生きてきた。
社会の変革と自然、環境、人間を、「成長社会から、坂道をそろそろ下る」という視点を加え考えたい。
(三木俊二)
書評/小説『智(チ)異(リ)山(サン)』
(李(イ)炳(ビョン)注(ヂュ)・著 松田 暢裕(訳)東方出版(2015年・刊)
物語は1933年からはじまり、朝鮮戦争でのゲリラ戦闘が最終的に終結する55年でおわる。この激動の時代に、朝鮮半島南部で共産主義社会を実現するために、ひたむきに生きる青年たちを描いている。1945年8月までは、李圭(イギュ)という青年をめぐって、物語が展開していく。以後、朴泰英(パクテヨン)という若き共産主義者の闘いが物語の中心になっていく。彼らをめぐって、さまざまな人物が登場する。
表題の智異山は、パルチザンの闘いで有名だ。この物語のなかでは、@日本帝国主義(日帝)支配下における抗日闘争、Aアメリカの軍政支配に反対する闘い、B朝鮮戦争での南部軍、この3つのパルチザン闘争が描かれている。これらは理念的にも、経年的にも連続した闘いなのであり、この物語の縦糸になっている。
朝鮮の地に、「誰もが幸せに生きられる世の中」をつくりたい。ここに登場する人々は、この夢を実現するために闘っている。彼/彼女らの織りなす人間模様、とくに共産主義者・朴泰英の思想と行動が、この物語の横糸になっている。
1945年8月15日以前、朝鮮は日帝の植民地であった。この情況で、朝鮮人は日本に協力するか、対抗するか、この二つの道しか選択の余地がなかった。おおくの青年は祖国の独立をめざして革命運動に目覚めていく。44年、朝鮮でも徴兵制がしかれるなか、戦争忌避者は智異山にあつまり、抗日闘争を戦った。
日帝の敗戦とともに、朝鮮は解放された。しかし、そのあとにソ連とアメリカが乗り込み、朝鮮は38度線を境に分割支配される。朝鮮人民による朝鮮独立の夢は消し去られ、米ソの思惑で南北分断体制がつくられていく。
朴泰英は朝鮮の統一と独立のために闘った。46年1月、国連信託統治にたいして、朝鮮共産党は賛成に転換する。この時、朴泰英は朝鮮共産党の対応にたいして根底的な疑問をいだくのだ。
朴泰英は金日成(キムイルソン)勢力とは一定の距離をおきつつ、また朴憲永(パクホニョン)にも従わない。彼は党の方針に反対したという理由で、朝鮮共産党から除名される。しかし、一人の共産主義者として、彼は革命勢力のなかで共に闘っていく。現実に存在する党の方針に疑問をもちつつ、みずからの信念をもって、彼は共産主義社会の実現を追求していく。物語のなかで明確にしている訳ではないが、朴泰英は反スターリン主義をつらぬく革命家なのだ。
50年6月、朝鮮戦争がおきる。朝鮮革命をかけて、同じ民族がふたつの勢力にわかれて戦った。このとき、智異山人民遊撃隊は南部軍に改編・強化されて、米軍と韓国軍にたいしてゲリラ戦を展開する。しかし、このパルチザンの存在は無視されるようなかたちで、休戦をむかえる。55年、智異山でのゲリラ戦は最終的に幕をとじた。以降、反共法(61年)が制定されていくなかで、智異山での闘いは韓国の歴史から抹殺される。
しかし、朴泰英たちの思想は民衆のなかに受け継がれ、人びとは闘いにたちあがっていく。80年5月光州民衆抗争、87年の闘い、2016年の闘いに、この精神は受け継がれている。(河本悠二)
命をみつめて見えてきたもの26
近代ワクチンの落とし穴
ワクチン費用めぐって
前回の記事に疑問や異論を頂いた。「ワクチン全面否定」のつもりはなかったが「ワクチンの全面否定、言い過ぎ」「有効性もある」など。これには率直にいって驚いた。
ふり返れば、以前勤務した在宅介護職場で「仕事を休みたくないのでインフルエンザワクチンを打っている。事業所で費用を支給しては」との提案があった。毎年インフルエンザにかかっている職員がいたので、同僚や職場への温かい思いからだった。多くの人にとってワクチンは「光明」であり、「人類の進歩の証」というイメージを共有してきたから当然の提案だった。
しかし、果たしてそのイメージは疑う余地がないのか。数人から反対意見が出された。結論として費用は支給しないことになった。
反対の理由は、@効くとは限らない。(今でも季節性インフルエンザワクチンの効果は40〜50%、掛け金が数千円で勝算5割の賭け)Aワクチンには副作用被害もある。自分も、高齢の家族も打たない。B利潤優先の製薬会社の儲けになるだけ。C予防措置を徹底しよう。D休憩や有休なし、残業も多いなど働き方は問題。そっちの方を改善しよう。E休めば治る病気、休める職場を。F実費支給は職員への接種推奨となる、などだった。
▽労働条件と病
70年代、労災職業病闘争の中で「風邪も労災=企業責任」という主張が出てきた。労働条件や労働環境、それにより生活環境や生活習慣、身心の状態が規定され、病気の大きな要因となる。劣悪な労働条件による病気は「業務起因性」があり、健康管理義務違反。使用者の責任が問われる、例え風邪でも … との考えだ。賛否はおいても、解雇や失業や老後の不安なく、8時間労働で生活ができる賃金、充分な人員と休暇の保障、ストレスの少ない職場が全ての労働者に保障されるなら、病気と医療費は激減するだろう。そんなベクトルで労働、病、医療、暮らしについて見つめ直し、社会を変えていく、それをベースにすえることが今ほど求められているときはない。
このベースをつくらなければ、生命科学や先端医療のどんな進歩も労働者庶民に福音をもたらすことはない。
被害の一例
私のなかでは多くのワクチンについては、その予防効果への信頼よりも、副作用への恐怖が勝っている。
最も犠牲を強いられている人々を見殺しにしている菅政権の対コロナ政策。ワクチンに投入する税金とその方法。決して「公正中立」でも「正義の味方」でもないグローバル製薬資本と日本政府の関係などを考えてみる必要があるだろう。
近代ワクチンは戦後に登場した。以来ワクチン被害は数多くある。
メルク社は、HPV(ヒトパピローマウイルス)感染が原因のひとつだとして子宮頸がんのワクチン「ガーダシル」を製造している。HPVは感染しても大半は発がんしない。先進国では子宮頸がんによる死亡は少なく、その治療法もある。が、米国では若い女性にガータシル接種を推奨しており、州によっては強制接種している。06年から死亡や流産を含む9000件以上の健康被害が通報されており、オーストリアやドイツでも若い女性が死亡している。
このワクチンを検証してきたダイアン・ハーパー博士は、「11歳の子どもに予防接種をしても、予防効果が続かないならば … 副作用の害を与えるだけになる … 子宮頸がんの減少もない」「私は、ガーダシルが、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を誘発する促進剤になる可能性が強いと思っている。」「11〜12歳の女子に予防接種を義務づけるのは … メルクの利益のためでしかない」と勇気ある証言をした。
(つづく)