辺野古新基地
軟弱地盤で工事は不可能
北上田毅さん「設計変更は無理」
辺野古新基地建設工事の中止を訴え、炎天下の中をデモ行進(87月23日) |
辺野古新基地建設がおおきく揺らぎはじめている。2018年3月、大浦湾側の埋め立て区域にマヨネーズのような軟弱地盤があることが判明。これに対して昨年1月、安倍首相は国会答弁でこの事実を認めた。今年4月21日、沖縄防衛局はコロナ禍のどさくさにまぎれて「設計概要変更申請」を沖縄県に提出した。沖縄県は年末から来年初めにかけて、この申請に関して可否を判断する。
8月23日、「ストップ! 辺野古新基地建設! 大阪アクション6周年集会」が大阪市内でひらかれ、北上田毅さん(沖縄平和市民連絡会)が「辺野古・変更申請の概要と問題点」というテーマで講演。講演は沖縄からリモートでおこなわれた。
設計変更申請の核心は、軟弱地盤の改良工事に関する部分だ。これ自体は工事期間を短縮するために描いたでたらめな作文であり、はじめから破産している。北上田さんはこの問題点を次のように指摘した。
防衛局が隠ぺい
沖縄防衛局は大浦湾側に軟弱地盤があることをずっと隠してきた。この変更申請でも、防衛局は「最深部で海面下70メートル」といっており、90メートルに達することを認めていない。B27地点の軟弱地盤は海面下90メートルに達しているが、なぜかボーリング調査をおこなっていない。ここをあいまいにしているのだ。
今年、立石雅昭新潟大学名誉教授らの専門家グループの調査によって、これらのウソが暴露された。ケーソン(コンクリートの箱)護岸は「震度1の地震で崩壊する」こともメディアでおおきく報じられた。わたしたちは「B27地点のボーリング調査をやり直せ」と訴えている。
埋め立て面積は66ヘクタールに縮小されている。これは工期を短くするため。いっぽう、A護岸の施工期間が当初計画では9カ月であったのが、3年10カ月(何と5倍)になっている。防衛局はこのことをいっさい説明していない。この計画変更で、外周護岸造成前に土砂を投入するという「先行盛土」がおこなわれるようになった。工法的にも、環境に与える影響にも、これは非常に問題だ。
9月初旬から公告縦覧が始まる。「利害関係者」(辺野古基地建設に反対するすべての者は「関係者」)は「意見書」を出すことができる。また、申請期間中も辺野古側の工事は続行される。今までどおり工事に反対する行動とともに、公告縦覧期間中に「意見書」を沖縄県海岸防災課に送ろう。これは「本土」人民ができる最大のたたかいだ。
「意見書」の提出を
防衛局の変更計画は、すでに破綻している。すべての工事を停止し、「アクセスのやり直し」と「地質調査のやり直し」を要求していこう。当面、変更申請書にたいして沖縄県内・全国から「意見書」を提出しよう。
【送り先】
〒900-8570 沖縄県那覇市泉崎1―2―2 沖縄県土木建築部沿岸防災課
育鵬社教科書
不採択 全国に拡がる
大阪市、東大阪市でも一掃
教育の独立取り戻す
来年度から全国の中学生が使用する教科書の採択が、今夏、全国各地で進められてきた。いままで育鵬社を使用してきた各地で「育鵬社不採択」が続き、最後の焦点となっていたのが東大阪市(8月24日)と大阪市(8月25日)だった。
両市で、歴史、公民の教科書は、いずれも育鵬社不採択となった。さらに道徳でも両市は危険な日本教科書を不採択にした([注]育鵬社に道徳教科書はない)。日本教科書は道徳専門会社で初代の代表取締役は安倍首相のブレーンの八木秀次である。「子どもたちに本当の歴史を教えたい」「子どもたちを戦場に送るな」の思いが実った瞬間だった。
【東大阪】
8月24日、東大阪市では傍聴券の抽選に97人が集まった。昨夜は「心配で寝られなかった」というお母さんも今日はゆっくり寝られると帰っていった。
「みんなの力で育鵬社をやめさせました。いっしょにたたかってきて本当にうれしいです」「正直にいってこんな形で迎えられるとは想像できませんでした。よかったです。しかし、気をぬかずにたたかいましょう」。喜びにみちたこれらのあいさつに大きな拍手がわき起こった。
【大阪】
8月25日、採択会議のある大阪市港区弁天町の教育センター前では抗議集会(写真上)。傍聴者は定員を超える87人が集り、希望者全員が傍聴できることになった。
歴史、公民の審議では育鵬社の「い」の字も出なかった。審議は驚くほどたんたんと進み、教育委員たちは自分の意見を率直に述べていた。これが本来の教育委員会の姿なのだろう。日本会議、教育再生首長会議(会長:野田義和・東大阪市長)、大阪維新などによって長い間、教科書採択は自由を奪われてきた。今、その自由をとりもどしつつあるという実感を強くした勝利の瞬間だった。
地域に根ざした運動
日本会議、教育再生首長会議、大阪維新などの介入に対する各地の地域に根ざした粘り強い運動が今回の地滑り的な大勝利を実現した。
この力を背景に東京都、横浜市、名古屋市、東大阪市、大阪市という生徒数が多い地域で育鵬社教科書を一掃できた。地域の運動の前に育鵬社は大打撃を受けたのだ。
主張
コロナ危機下の改憲攻撃
高まる自公政権への不信
安倍が突然の辞意
安倍晋三首相は、8月28日の記者会見で突然辞意を表明した。コロナ第2波の中で、国会を閉会したまま政権を投げ出したのだ。無責任としか言いようがない。
コロナ禍の中で、集会・デモ・表現の自由を制約しようとする動きが強まってきた。イベント自粛要請は集会の自由を保障した憲法21条1項に、休校要請は教育を受ける権利を保障した26条1項に、帰省や旅行の制約は移動の自由を保障した22条1項に、休業要請は営業の自由を保障した22条1項に反している。
安倍首相は5月3日の憲法記念日のビデオメッセージで、ふたたび憲法を改正して「緊急事態条項」を創設する必要性を訴えた。これは12年の自民党改憲草案フルバージョンの改憲である。「国家非常事態」では自然災害に限定せず、外部からの武力攻撃や内乱等の場合に首相が「緊急事態」を宣言し、法律と同一の効力を有する政令を制定することができるというものだ。しかも「何人も国その他の公の機関の指示に従わなければならない」とする。これは現憲法の全面的な破棄だ。コロナ禍を改憲に利用する「火事場泥棒」だ。市民の危機と困窮に付け込んで強権型の国家体制を一挙に確立しようというのだ。
権利や自由の制限を可能とする法律は今でも多数ある。災害対策基本法、国民保護法、新型インフルエンザ等対策特別措置法などだ。このような法律を超えて、憲法に緊急事態を書き込もうとするのはなぜか。強権的独裁国家を確立しようとしているからだ。
コロナに対する緊急措置で、安倍政権は「外出自粛要請」や「休業要請」などの半強制措置を連発しながら、それに伴う補償や情報は不十分にしか提供していない。「要請」は、市民の納得を得られてはじめて効果を発揮する。しかし安倍政権はオリンピック・パラリンピックのために、PCR検査を抑制してきた。結果として、市民は「感染しない、させない」自覚的な行動ができず、それが恐怖を生み、差別と分断を生みだした。
「クラスター潰し」などの措置は的外れで時期遅れだ。恐怖と分断、政府不信しか生まない。4月10日過ぎに発表された世論調査では、安倍内閣の支持率が急落し、軒並み、不支持と逆転している(共同通信、支持40・4%、不支持43・0%)。改憲については、憲法記念日前の調査では、安倍政権下で憲法改正をおこなうことには反対が急増している(共同通信、賛成40%、反対58%)。
今年になって中東に護衛艦「たかなみ」とP3C哨戒機が派遣された。これは有志連合8カ国とは独立していると言いながら、実際には緊密に連絡している。有志連合に艦艇を派遣しているのは米・豪の2カ国のみで、合わせて3隻だけ。哨戒機は豪州の1機のみ。自衛隊は有志連合の実質的な「主力」だ。
集団的自衛権行使を認めた2015年の戦争法に基づく、コロナ禍での自衛隊の海外で軍事行動を許してはならない。(落合 薫)
2面
住民投票 NO! コロナ対策を
大阪市を解体させない
いま大阪市内では連日、大阪・市民交流会の宣伝カーが回っている。これは元大阪市長・平松邦夫氏などが共同代表をつとめる交流会で、大阪市解体の住民投票に反対するために7月から運動をスタート。
8月22日には、「コロナ禍を乗り越え、希望ある未来を切り拓こう〜アベ政治でも 維新政治でもない、新しい政治を」をテーマにフォーラムを開催。木戸衛一・大阪大教授は、「今だけ、金だけ、自分だけ」の安倍政治や維新政治、そして大阪維新の会が強行しようとしている住民投票のあり方を鋭く批判した。
参加した野党国会議員は、「住民投票は、いったん議会で協定書を議決すると必ず実施しなくてはならない。新型コロナ感染拡大で『赤信号』が点灯しても強行するというが、地域の人たちが担う投票所管理、自治体職員による開票作業などできるのか」と指摘。
西淀病院の落合甲太・副院長は「西淀病院は西淀川区にある救急病院の一つで、218床(急性期 108床)の都市型中規模病院。コロナ患者受け入れ病院ではないが、コロナ第1波では、コロナの重症患者を受け入れていた。コロナ禍で病院経営は苦しい。『無駄を省く』という考え方の都構想は、お願いだからやめてほしい」と訴えた。
平松共同代表は「2度目の住民投票を控えて、新型コロナ禍に便乗するかのように、細かな住民説明をすることもなく、一気に大阪市廃止へ突き進もうとしている動きを何としてでも止めたいという人たちで交流会をつくった。大阪市を廃止し、主な財源を大阪府に召し上げ、万博・カジノにしか未来図を描けない人たちについていくと、とんでもないことになることをわかってほしい。『都構想』に、もう一度NO!を突き付けよう」と呼びかけた。
シンボルの破産
大阪府は、咲洲庁舎で昨年1月に開業したばかりのホテル「さきしまコスモタワーホテル」の賃貸借契約を7月末に解除した。賃料や光熱費などで約3億2000万円を滞納しており、府はフロアの明け渡しや滞納金の支払いなどを求めて訴訟を起こすことも検討中だ。府とホテル側は2018年から20年間の賃貸借契約を締結し、2025年の大阪・関西万博での需要を見込んでいたところだった。
咲洲庁舎の前身は、大阪湾を埋め立てて新都心を建設する「テクノポート大阪」構想のランドマークとして計画された大阪WTC。総工費1193億円をかけて1995年に完成したが、経営に失敗し、2009年に巨額の負債を抱えて倒産した。翌年、これを府庁舎にしようと買い取ったのが当時大阪府知事だった橋下徹だ。この府庁舎の移転をめぐって自民党を離党して、大阪維新の会結成へとつなげたのが、現大阪市長で日本維新の会代表の松井一郎だった。咲洲庁舎は、維新の出発点でありシンボルである。松井は咲州庁舎について「負の遺産をプラスの資産にかえてく」と豪語していたが、結局は破産した。
2024年度中に開業予定の夢洲(大阪市此花区)のタワービル建設計画を大阪メトロが再検討することが、先日報道された。大阪メトロが鉄道事業に代わるグループの牽引役の一つに位置づけた都市開発事業の中心が「夢洲・新臨海観光エリア」。そこに夢洲駅と一体化した高さ約275メートルの超高層タワービルを建設する計画だった。総工費は1000億円。大阪メトロにビル開発や運営の経験はなく、無謀な新規事業だった。
カジノ・万博もピンチ
コロナ禍で、破綻した事業やカジノ・万博に財源や労働力を浪費するなどもってのほかだ。住民投票ではなくコロナ対策を。大阪市解体に反対しよう。(剛田 力)
気候変動の時代と憲法
斎藤幸平さんが滋賀で講演
8月16日
8月16日、戦争をさせない1000人委員会しがと日本基督教団滋賀地区社会委員会の共催で、「敗戦記念日を覚え、平和を求める集い」が、大津市内でひらかれ、定員いっぱいの75人が参加した。講演は大阪市大准教授の斉藤幸平さんが、質疑を含め2時間半おこない、参加者は鋭い提起に深く頷いた(写真左)。
講演は、「これからの左派の仕事 気候変動の時代に9条、25条を考える」と題して、9条と25条が形骸化し、新自由主義が吹き荒れ、生存権が脅かされるなか、世界では若者が立ち上がっていることを示した。
例えばアメリカミシガン州での民主党選挙で、18歳から29歳の世代では80%以上がサンダース支持で、イギリスの総選挙でも18歳〜29歳の世代では60%近くがコービン支持である。ギリシャのシリザやスペインのポデモスの支持者もジェネレーションレフトとかZ世代と言われる若者で、彼らは2008年のリーマンショック以降の格差拡大での厳しい経験と、アラブの春やオキュパイウォールストリートで民主主義を経験し、グレタ・トゥーンベリさんの金曜デモで気候変動の深刻さを実感して意識が大きく変化している。日本以外の若者はそうなっている。気候変動の危機は、パリ協定で気温上昇を2℃までに抑えたとしても、海面上昇、水不足、食料危機、漁獲量は300万トン減少する、バングラデシュは住めなくなり、普通の生活が成り立たなくなる。しかもアメリカはパリ協定から脱退する。
今は未来の世代への責任が問われる大分岐の時代である。階級と気候変動を考えると、上位10%が50%の二酸化炭素を排出し、下位50%は10%しか排出してない。有限な地球で無限の経済成長はあり得ない。グレタさんは、「現在のシステムのなかに解決策がないならシステムそのものを変えるべき」と言っている。資本主義からの決別が必要である。現在の資本主義は、グローバルな格差の深化と、感染症、洪水、食料危機、負債の4種の危機を深刻化させている。
人命に関わるものは本来公共財であり、このコモンを取り戻さなければならない。経済、環境、平和を一体のものとしてリンクさせてグレードアップし、幅広い連帯を造りだそう。3・5%の人が動けば世界は変わる。具体的には、バルセロナ・イン・コモンに代表されるミュニシパリズムの運動、そうした自治体の連帯であるフィアレスシティのネットワークがすでに欧州中心にできている。国ではなく自治体の連帯が問われている。
9月に新しい本を出すが、そこでマルクス主義、気候変動、オルタナティブな社会をどうつくるか提起する予定と語った。参加者はこの日本での行動の必要性を強く感じただろう。(多賀信介)
〈寄稿〉
「医学モデル」と「社会モデル」
脳性まひ者の生活と健康を考える会 古井正代
日本は、国連の障害者権利条約に世界で141番目に批准しました。この条約の中には、今までの「医学モデル」ではなく、「社会モデル」という概念があります。「社会モデル」とは、「障害」は障害者本人の問題ではなく社会が作り出しているという考え方。
障害者権利条約の第2条では、障害者に「合理的配慮」をしないことは差別になると決めています。
「合理的配慮」とは、障害者が困ることをなくしていくために、周りの人や社会が障害者が生きるこの社会にある『障害』をなくす事だと言っています。
医学モデルは人をイメージしたとき、想像どおりの健全者がモデルなのです。二本足で交互に歩いて、走って、飛んで、片手でお箸を使って、もう片方の手でお茶碗を持って食べて、スマホを片手で使いこなして、もう片方の手で書類を探したり。産まれた時から、何カ月になれば首が座り、お座りができ、はいはいができ、立つ事は遅くても1歳までにはできる。何歳の時にはこれができるのが当然、できなかったら不良品つまり障害児・者というのが医学モデルなのです。だから、人のできることができないあなた自身が悪い?? と自分でも思い、社会から思われてきたのです。
これに対して社会モデルは、個人の歩けないから、どこが悪いからということ事態が問題ではなく、今までの医学モデルによって思われていた人々の固定概念を変えることによって、様々な社会の仕組みを根本から考え直すと言うものです。
例えば、家は障害者が居ても居なくても電動車椅子で中に入って行くことができて、トイレも電動車椅子で入って用を足すことができる家ばかり。誰の家にも訪問することができます。どんな乗り物も店も、バリアはない。学校も当然分けない。障害児が学校等でテストを受けるときは、時間はいくらでも使える、介助が必要なら別の部屋で介護付きでテストを受けられる。日本では想像すらできないことが海外では当たり前なんです。
日本では障害者差別解消法を作っても、その法に違反しても刑罰はどこにもないのです。しかし、海外では違反すると刑罰もあり得るのです。民事で実際に、障害者差別をしていると訴え、裁判になると賠償金が凄く高いので、賠償金を払う前に何とかする会社が多いのです。実際に私の暮していたピッツバーグでは、ある映画館がバリアフリーでないと「民事裁判をするぞ」と友達のボブ・ミラン達が騒いだら、裁判になると賠償金が凄いので、慌ててバリアを全て解消して、その上で障害者には映画料金を無料にしています。ボブに「タダの映画館があるから、いっしょに行こうぜ」と誘われて私も無料で映画を観に行きました。
社会が障害者を障害者用の所に閉じ込めて、社会の構成員と認めず、差別を助長することによって障害を作っている。障害は社会と人々の偏見が創り出していると言う考えが社会モデルなのです。
天皇制と無責任政治
「8・15」を問う集会
京都
8月15日、「8・15を問い続ける京都集会」が京都市内でひらかれ80人が参加した。
仏教大名誉教授の原田敬一さんが「昭和天皇の戦争―大元帥と陸海軍―」と題して講演した。『昭和天皇実録』(全19巻)で明らかになった昭和天皇と軍部と日本の政治の現実について話した(写真)。
山東出兵、張作霖爆殺、柳条湖事件、盧溝橋事件、ミッドウェー海戦など、日本帝国主義の侵略戦争の拡大や太平洋戦争の転機となった事件に際して、軍部と昭和天皇は何をしたかを詳しく説明。軍部は戦争を推進したが、昭和天皇はこれに反対も率先もしたわけではない。事後追認した天皇の態度は、誰も責任をとらない戦後の今も続く日本の政治のあり方を決定づけた。誰も責任をとらず、責任を問われてもごまかす政治である。この日本の政治のあり方を変えることが根本的に問われている。
3面
広島・長崎から核廃絶を問う
8・6 ヒロシマ平和の夕べ 森達也さんが平和講演
森達也さん (8月6日、広島市内) |
映画の仕事で海外に行くことも多く、広島、長崎を知らない人はほとんどいない。しかし、そこでどのようなことが起こったのか、原爆とは何か伝わっているかどうか。とくに核兵器を投下した国アメリカでは、いまも「戦争を終わらせる正当な行為だった」という人が多くいる。
「戦争を終わらせるため」だったか
オバマ広島訪問の際、謝罪に言及しなかったのも、そうした意識を持つアメリカ国民を強く意識したからという。どう考えても、原爆投下は明らかに国際法に違反し、「正当な戦争行為の延長」でもない。二つの都市と数十万市民を犠牲にして戦争を終わらせようとしたのか、そうではないだろう。都市、市民への実験をしたかった、世界へ示威など理由はいろいろあるだろうが、とても納得できることではない。でも、それがアメリカではなかなか伝わらない。とくに50代以上の人々は、「あれは正当な行為である」と答える人が多いようだ。
アトミック・ソルジャーたち
ぼくは、以前『アトミック・カフェ』という映画をみたとき、謎が一気に解けたということではないが、そういうことかと少しわかった。日本でも公開されたけど、ヒット作でもない。新たな撮影ではなく既存のフィルム、音声資料を使ったアーカイブ・ドキュメンタリーだ。多くの印象的なシーンがある。使われている素材は、戦争中や冷戦期にアメリカという国家が国民に啓発啓蒙の資料、あるいは米軍内での教育用資料として作った映画やテレビ番組、当時のヒットソング、アニメなども使われている。
ニューメキシコでの原爆実験のとき、周囲の壕に米兵が配置される。爆発後に、きのこ雲に突進させている。当然被ばくし、彼らは後にアトミック・ソルジャーと言われた。社会問題にもなり、多くの人がガンなどを発症し早くに亡くなったり、子どもに何らかの異常が出たりした。
冷戦期、原爆・水爆は抑止力とされ、実験がおこなわれた。ぼくは原爆・水爆はリミットを超えており、抑止力というものがあるとしても、使えないと思うけど。いまだに、その抑止力論がはびこる。アメリカ側に「ソ連なんか滅ぼしてしまえ」という人もいた。しかし、それなら当然反撃を受ける。そのとき、どうするのかという啓発の映画、テレビ番組が多く作られ、実際に使われた。冷戦期の政府広報番組、それで国民に周知させようとした。
光ったら「さっと隠れ、頭を隠せ」
例えば、このようなシーン。「小さな木箱に入って」爆風をやり過ごせ。原爆実験の壕に入るアトミック・ソルジャーに上官が訓示する。「きみたちはガイガー・カウンターを着ける。怯える必要はない。熱線さえ防げばどうってことはない。しかし傷があると、そこから放射能が入るから絆創膏を貼っておけ」。兵士たちは肯き、きのこ子雲に銃を持って突進していく。大真面目、その程度の認識だ。アメリカ人の多くは核兵器、原爆とはどんなものかわかっていない。原爆投下後の広島を見た米兵へのインタビューでは「ダブルヘッダー後の球場のようだ」と話し、聞いた人たちは大笑いしている。子ども向けのアニメ、亀のパートくんは「ダック&カバー(Duck and Cover、さっと隠れ頭を隠せ)」。放射能は怖くない、ピカッと光ったら物陰に隠れろとか。そのレベルだからこそ、投下した。
相互に刺激し合うプロパガンダ
いま大学で学生たちに映画をみせると、プロパガンダの恐さは実感する。その対象がアメリカ国民だということもわかる。だけど誰が発信しているかというと、考え込んでしまう。大統領か政治家か、軍の上層部なのか、テレビやラジオ局の経営者かプロデューサーか、わからない。マンハッタン計画に参加した科学者たちは、核をわかっていただろうが、アメリカの国民、兵士たちは超巨大な爆弾くらいに思わされた。
つくづく思うのは無知、知らない恐さ。プロパガンダとは普通に考えると独裁者とか、邪な意識を持つ為政者が国民を洗脳するのがプロパガンダと思っている。しかし、ほとんどの場合はする側もされる側もわかっていない。知らないままにお互いに宣伝し刺激をうけ、どんどん高まってしまう。その結果、どんでもないことをやってしまう。
昨日、アメリカの研究者2人が「日本に(戦争終結のため)原爆を投下する理由はなかった」というリポートを発表したというニュースがあった。いまだに、ニュースになるというのがアメリカの現状でもある。悪意はないが無知はある。
遠い他国のことか
映像を見ながら、昔話なのか遠い国のことなのか考える。4年前か、北朝鮮が実験ミサイルを発射したとき。実験だから火薬も、もちろん核兵器も積んでいない。日本の上空450キロ、国際宇宙ステーションよりも高い高度を飛んだ。日本は政府がアラートを発し、電車や地下鉄を止め、「物陰に隠れろ、破片が落ちてくる」などの騒ぎになり、そういう訓練すらおこなわれた。
東日本大震災、福島原発の事故のとき家を流され家族を失い、多くの人がとんでもない理不尽に苦しみ逃げまどっているとき、私たちは家で暖房を使い冷蔵庫を開ければ食べ物もある、電気も使っていた。これは何だとテレビを見ながら思った。その不条理。それは広島、長崎、沖縄、東京や各地の大空襲についても同じ。その後ろめたさ、サバイバル・ギルティ(生き残ったことの罪悪感)、その罪責感が大事だ。だけど後ろめたさというのは、持つのがつらい。だから、振り返りたくない。
慰霊碑のことば
別言すれば加害性。ぼくらも加害者だ。百田尚樹氏が広島で講演し、「過ちは繰り返しませぬから」という慰霊碑の言葉に、違和感を持つか否かで日本人としての民度がわかると話したという。つまり「碑文はおかしい。過ち、原爆を落としたのはアメリカだ。悪いのはアメリカなのに、なぜ私たち日本人がそう言うのか」ということだろう。ぼくは、この碑文は好きだ。私たちは繰り返さないという意味は大きい。呉、広島は軍都だったこと。広島、長崎も一人ひとりは加害者ではなかったが、だけど戦争に加担していた。被害者でもあるが、加害者でもあった。どちらかだけではない。どちらも大切だ。被害も加害も、どちらもしっかり刻み、残していく。後ろめたさは、うっとうしい。忘れたくなる。そう言うと自虐史観と言われる。最近、その傾向が強まっているのではないか。
そういう位置で被害と加害、その責任をどう考えるか。福島原発の大事故のときに気がついた。被爆国であり、狭く地震の多い日本に原発が54基も造られた。米仏に続き世界第3位の原発大国だ。ぼくも、それは福島事故の前から、知っていた。同じ映画の友人、鎌仲ひとみの映画も見ていた。だけど、なにか他人事だった。放射能の知識も、一応あった。突き詰めて考えていなかったのか。原爆とアメリカも、それは同じでは。いまだ加害の意識をきちんと持ち得ていない。だからこそアメリカは、戦後もずっと戦争の歴史を続けてきた。
被害者であり加害者
ぼくたちは被害者であり、同時に加害者でもある。そう思いながら、あの碑を見つめる。いま、この国は歴史、自分たちの加害に目を背けようとしている。被害を伝えることは大切、声を大に言い続けなければならない。同時に、自分たちも加害の側にいる、その後ろめたさを持つ。しんどいけど、それは広島、長崎を体験した、この国のぼくたちの責務ではないか。
他の国、人々に原爆とは何か、放射能を浴びどうなるか伝え続けながら、もうそろそろ違う展開にしていきたい。
(8・6ヒロシマ平和の夕べ/平和講演要旨、文責・見出しとも本紙編集委員会)
読者の声
第16回ピースフェスタ明石
反戦・非戦を受け継ぐ
兵庫 江戸信夫
8月9日から23日、16回目になるピースフェスタ明石が開かれた(明石市内 写真下)。実行委員会は、新型コロナ感染症の拡大と猛暑のもとで、創意と工夫でやり切った。酷暑対策として語り部の体調も考え、集いを午前中に設定した。もし欠席されてもできるよう、これまでも聞き取りや資料準備をおこなっていたが、今回は事前にビデオを撮り編集後に本人に確認し、資料写真の映写も準備した。
1回目の語り部、93歳の炭谷光世さんは、当日朝に熱中症になり救急車で運ばれ欠席に。ご本人は点滴を受け自宅に帰れたということだった。体験は、用意していた手記を代読した。彼女は当時「通信戦士」と呼ばれていた明石電話局の交換手だった。川崎航空機明石工場が最初に空襲を受けたとき、電話局の交換台のうち川崎分回線がバタバタっと落ち(通信不能に)、工場が空襲でやられたことを知ったという。
もう1人の語り部92歳の大野美恵子さんは、川崎航空機の診療所の事務員だった。空襲のときは現場にいなくて難をのがれたが、バラバラの遺体をまとめる作業を徹夜でしたという。自らの体験を語る人や市内の高校新聞部の高校生も含め、80人の参加者は真剣に聞き質問していた。
2回目の語り部、伊原昭さん(93歳)は、前日まで熱中症の体調不良のため来られないかも知れなかった。幸い会場に来られたので負担をかけないよう、最初のあいさつだけということで直前の打合せをした。
ところが話し出すとそのまま一気に45分、当時の写真を映しながら、旧制豊岡中学校4年生の全員が予科練に志願した経緯、人間性をマヒさせる厳しい訓練、B29に体当たりする特攻機「秋水」搭乗員に選ばれ松山、台湾、霞ケ浦、千歳と転々とした体験を語った。話が一段落したところで事前に聞きとったビデオ映像も一部上映した。戦争が終わって故郷に帰った時の手記「俺は生きている!」を女性が朗読した。
心配したが、いちばんいい形の体験談の集いを実現できた。戦争を知らない人たちに、自分の体験を語ることで戦争はダメだと伝える、それが生かされている自分の使命だと言い切る伊原さんは、語ることでなお思いを深めているようだった。軍隊の体験を親から聞いたことがないという女性をはじめ、質問や意見が相次ぎ88人の参加者は、伊原さんの反戦・非戦への思いをしっかりと受け継いだ。
4面
「任命制」の研究―スターリン主義組織の本質(第1回)
ロシア共産党の変質
掛川 徹
党人事における「任命制」。ロシア共産党がこの制度を党組織に導入したことが、スターリン主義の重要な結節点となった。日本の左翼のなかではこの問題について論究されたことはほとんどなかった。本稿では、任命制導入の経緯について検討するとともに、その背景にあるロシア革命と内戦の性格を検討し、ロシア革命とドイツ革命の密接な関係について考察する。
「任命制」の展開
スターリンの人事政策が彼の権力システムの重要な構成要素だったことは、部分的にはこれまでも指摘されてきた。党幹部の責任意識が蒸発し、官僚主義が蔓延した組織システムの組織論上の源泉は、人事と財政を上級権者に一元化したこの「任命制度」にあることはまちがいない。
しかし、これまで「任命制」という組織概念が独立してとりあげられた機会はきわめて少ない。なぜ「任命制度」が台頭し、これにたいしてロシア共産党がほとんど抵抗らしい抵抗もできずにスターリン権力体制の成立を許したのか、詳しく検討してみよう。
もともとロシア共産党に書記局や書記長という役職はなく、全員が対等な中央委員会による集団討議で10月武装蜂起をはじめとする重要事項を決定していた。
しかし、対立事案を中央委員会が多数決で議決したのはドイツ軍とのブレスト・リトフスク講和受諾を決めた1918年第7回党大会が最後である。その後は内戦という緊急事態に対応して党の中央集権化が進み、レーニンとスヴェルドルフがその都度の重要事案を個別に討議、決定する状態が続いた。
スヴェルドルフがスペイン風邪で死亡したことから、1919年第8回党大会では、中央委員会の機能を強化する目的で中央委員のなかから政治局(政策決定をおこなう)、組織局(党の組織活動全体を指導する)、書記局を選抜する。初代書記局員はクレスチンスキー、プレオブラジェンスキー、セレブリャコフで、彼らは後に全員解任される。組織局はまもなく書記局の幹部会にすぎなくなり、政治局と書記局が党中央権力を運営することになった。
「分派活動の禁止」へ
書記局の役割は当初はっきりしておらず、政治局が重要な政策決定をすべておこなっていたため、書記長が重要な職務だとは思われていなかった。1917年当時2万人だった党員はやがて60万まで膨れ上がり、内戦が山場を越すとともに国内の矛盾が党内のあつれきとして反映されるようになる。経営単独責任制をめぐる労働組合の不満、地方組織と中央組織の対立、労働者組織と農民組織の敵対など、党内の摩擦と緊張が深まるなかで、党内の不満を調整し、規律を回復するという、当初想定していなかった任務を書記局が引き受けることになった。しかし、書記局の下に党内問題を処理する党統制委員会はつくったものの、当初これはほとんど機能しなかったという。
1920年秋に登場し、シリャプニコフとコロンタイが指導する「労働者反対派」は、経済的政治的中央統制の強化に反対し、党のすべてのポストを公開選挙することや党内での討論の自由、労働組合の独立性と経済制度における労組の至上権を主張したが、統率力や綱領において党内反対派グループとしてはこれがもっとも重要だった。「労働者反対派」とこれに反対するトロツキーとの「労働組合論争」が激しく争われた。
しかし、「労働組合論争」を受け、クロンシュタット反乱と平行して開かれた1921年の第10回党大会で、レーニンは「党内での討論や論争という奢侈」を否定し、「われわれには反対派はいらない、いまは、そんなときではないのだ!」と叫んだ。大会決議は「あらゆる分派活動の完全な撲滅」を指令し、党員を除名する権限を大会から中央委員会に移譲する秘密条項「第7項」を採択して幕を閉じた。
書記局の拡大
この10回大会は政治局と組織局をそれぞれ7人に増員すると同時に、旧書記局を一掃してモロトフ、ヤロスラフスキー、ミハイロフを新たに任命した。党の規律回復という面で書記局がまったく機能しなかったための人事一新だったらしい。この人事の背後にスターリンの陰謀があったのではないか、とE・Hカーは示唆するが、事実は不明である。
組織問題のあつれきが増えるにしたがい、書記局スタッフは増員された。1919年5月に30人のスタッフで始まった書記局は、1920年3月第9回大会で150人、1921年第10回大会で602人となり、他に140人の陸軍分遣隊が存在した。
理論的には党内のポストは選挙で選ばれると考えられていたが、実際にはすでに1920年4月の段階で、反抗的だとみなされたウクライナ支部中央委員会がモスクワの中央委員会の指示によって転任させられている。1920年9月の党協議会は「例外的な場合には選挙されるべき職務への指名の不可欠なこと」を確認した。
各党委員会の書記を任命するのか選挙するのかは論争となったが、1921年3月の10回大会では、書記人事は県委員会の自由であるものの、書記局の推薦を要するという微妙な表現で、人事権の重心移動が表現されている。1922年3月の11回党大会は書記職について「より上級の党当局によって確認」されるべきことを決議した。
粛清と統制の強化
増大した党員の「放蕩、堕落、窃盗、その他無責任な行為についての恐るべき諸事実」(中央委ノーギン)は一貫して問題となっていたが、1921年にレーニンの旗振りで始められた粛清キャンペーンは党統制委員会の管轄下で党員の24%を除名した。これによって利権目当ての投機分子が党から放逐されたことも事実だが、ソヴィエト内の無制限の出版の自由を要求したミヤスニコフ、ネップ反対派のモスクワ「討論クラブ」、コミンテルンに「労働者反対派」の主張を訴えた「二二人宣言」グループなども除名された。
1922年の第11回党大会以降、統制はますます強まった。大会でコシオールは「もしだれかが党建設あるいはソヴィエト建設の領域でのあれこれの欠点を厚かましくも批判したり指摘したりし、またそうすることを必要と考えたならば、彼は直ちに反対派に数えられ、これが直ちに所轄当局に通報され、彼は取り除かれた」と反対派を「粛清」する動きに抗議した。
しかしレーニンはネップの「退却」を軍事作戦にたとえ、「かかる瞬間にあっては、最も些細な規律違反をも、厳格に、苛烈に、無慈悲に罰することが必要欠くべからざることである」と大会で宣言した。大会決議は「随所で党活動を完全に麻痺させている徒党とグループ」を非難し、中央委員会が「しりごみすることなく党からの除名を以て闘うよう」勧告した。
この第11回大会直後に開催された中央委員会でスターリンが書記長に、書記局員としてモロトフ、クイビシェフが選出された。当時この人事が注目を引くことはなかったが、労働組合論争を通じてトロツキーの台頭を当時もっとも警戒していたレーニンは、これとバランスをとるためスターリン抜擢に積極的に同意したと言われる(B・スヴァーリン、R・サーヴィス)。
ゲーペーウー
11回大会は党統制委員会による党員の点検・粛清を、一過性のキャンペーンではなく継続的におこなうよう指示する規約を採択した。これにもとづき、党統制委員会と司法当局、ゲーペーウー(国家保安局)との連絡体制が確立された。党外の敵を対象としたチェカ(全ロシア非常委員会)と異なり、ゲーペーウーはもっぱら党内反対派をターゲットにしていた。ソヴィエト民主主義が形骸化し、ボリシェビキ一党体制が確立してしまうと、民衆の不満は党内問題という形でしか反映されず、「党外の敵」はいまや「党内反対派」という形でしか表れないため、党内組織問題が治安問題として扱われたのである。こうして党員の案件が司法やゲーペーウーに持ち込まれると直ちに党統制委員会が処理に当たる体制がつくられた。
1920年以来、党書記の一人が担当してきた「調査配給局」(ウチラスプレッド)が、党統制委員会と並んでその影響力を拡大していった。この部局は内戦下で党の人材を評価し、「党員の動員、移動、任命」を管理していた。内戦が終わると、調査配給局は縮小されるのではなく、逆にその管轄を国民経済の管理運営へと広げていき、第10回大会に提出された報告では、1年間で4万2600人の党員の移動と任命をおこなっている。たとえば食糧武装徴発隊では各農家の割当量を計算するために読み書きと分数計算が必須だったし、停滞する鉄道、鉱山の技術に通じた人格は、識字率が低い当時のロシアではきわめて貴重で、その任命は中央の専権事項とされたのである。当時は役職者をすげ替えるのではなく「大衆動員」が主で、誰を任命するのかは州や県の各地方委員会に任されていた。しかし、専門化された任命がますます重要だという口実の下に調査配給局の権限は「拡張」され、これが政治、経済の両面で国家の各機関に党が及ぼす統制の、目立たないがしかし強力な中心点となった。
こうした党員人事の操作システムがスターリンの傘下に組み込まれたのと並行して、国家行政機構の人事システムもまたスターリンの手中に転がり込んだ。
内乱、内戦が続いたことで、参加者が1000人を越えるソヴィエト大会の開催は3カ月に1回から年1回に延期され、大会が選んだ300人の中央執行委員会でも緊急事態の連続に対応できず、立法上、行政上の「非常措置」が人民委員会議によって決定された。本来の主権団体たるソヴィエト大会はどんどん形骸化・名目化していった。
中央集権化に伴う行政機構の腐敗や官僚主義化を是正するために、もともとあった会計検査院を改変して労農監察部がつくられた。もともとはここに労働者農民を登用することで、権力の乱用を防ぐのがレーニンの構想だったが、最終的に労農監察部は党中央統制委員会の権力に併合・一体化されてしまい、逆に党統制委員会がソヴィエト行政のあらゆる活動部面でこれを監督する手段として労農監察部が使われるはめになった。
こうして不適格党員の除名を担当する「党統制委員会」、メンバーの特質を把握してこれを適所に任命するウチラスプレッド=「調査配給局」、党内警察機構ゲーペーウー、国家行政機構の人事を担当する労農監察部、これら諸機構がスターリンの書記長就任に伴い、一体となって独自運動を始めることになる。事態の圧力にしたがって進行した権力の集中過程を、スターリンは統合し、利用し、私物化していったのである。(つづく)
5面
現代中国社会の内側からC
香港から見るこれからの中国
戸川 力
新疆ウイグル自治区
習近平・中国共産党は現在、香港では国家安全維持法による支配に反対する勢力を暴力的に押さえ込もうとしている。その大きな背景には新疆ウイグル自治区問題があると思う。自治区とは名ばかりで実際は漢民族・中国共産党の支配下におかれている。収容者が100万人いるといわれ、「思想教育」と裁判なしの収容。収容所内で思想改正しないものは拷問、死に至るというのが現実である。
しかし、中国の国内では新疆ウイグル自治区の問題は「テロ問題」として扱われ、その実態は隠蔽されてきた。この問題はチベット問題とならんで共産党支配のアキレス腱だ。
マルクスはいない
色々な飲食店や会社ではレーニン・毛沢東の写真が掲げられているのをみるが、マルクスを見たことはない。毛沢東は建国の父であり、私がいた地域が毛の出身地であり、運動を開始した地である湖南省だったということもあるだろうか。現代中国では共産主義といえば「レーニン・毛沢東」なのだろう。
世間で文革については表だって語られることはない。反政府ジャーナリズムは消滅している状況だ。
共産党員でない限り公務員にはなれない。一流企業での出世もない。共産党に入党するには「優秀成績」基準と「入党試験」の合格が必要とされる。
香港が窓口
「一国二制度」下の香港はこうした状況を突き破る自由の地だった。一方で大陸にとっては経済発展の導入路であり、改革開放の大きなテコでもあった。
大陸では新聞・書籍・テレビなどすべてのマスコミ、メディアが共産党の支配下にある。全人代の期間中は、「いいニュース」で埋めつくされる。一方、香港では自由に書くことができた。
香港とは車、鉄道、バスで直結しており、渡航証明証を申請すれば、ある程度自由に行き来できる(今はコロナの関係で政府関係者、商業目的、香港への留学生などに制限されているが)。
中国大陸では香港のことは報道されないが、何らかの形で多くの情報が人びとにもたらされている。いくら報道を統制し、ネットを規制をしても、香港では本屋に行けばマルクスの本がおいてあり、共産党の「悪事」を暴露した本を買うこともできた。新疆ウイグル自治区で何が起こっているかも、香港から発信されてきた。共産党はこうした報道の自由を恐れている。それが香港を弾圧する理由の一つだろう。
凶暴化する共産党
習近平共産党は凶暴さをましている。彼の横暴を暴こうとする勢力には、なりふり構わず暴力で押さえ込もうとしている。これは決して習近平共産党の強さを表しているのではない。これまで書いてきたように中国人民大衆のバイタリテイーはすごい。1989年の天安門事件を見よ。このまま共産党をほおってはおかないだろう。香港の自主独立が中国スターリン主義打倒の橋頭堡となるかもしれない。私は最大限の連帯を誓いたい。(つづく)
第5回 平和祈念のつどい・東大阪
自治と平和 多彩な催し
8月8日、「第5回平和祈念のつどい・東大阪」が布施リージョンセンターの夢広場でおこなわれた(写真)。施設側からコロナ情勢のため人数を半分以下にするように求められたが、70人が参加した。コロナ情勢がなければもっと多かっただろう。
実行委員会事務局長の丁章さんから開会のあいさつと、恒例となった東大阪の平和都市宣言が読み上げられ、東大阪市歌のピアノ独奏がおこなわれた。1962年につくられた同市歌には、「自治と平和の鐘ひびく」と平和への思いが高らかにうたわれている。
来賓あいさつでは共産党市議団、新社会党松平市議、さらに昨年につづき大椿ゆうこさんも発言した。
寸劇の題材になった東大阪市の平和の女神像は、1957年に制作されたが傷みがひどく1993年にブロンズ製に修復されるという半世紀近い歴史をもっている。女神の横には広島と長崎から分けてもらった平和の灯がともり続けている。
今回のくるみざわしん脚本の寸劇は新型コロナウィルスに題材を求めたものだった。コロナ禍で廃業に追い込まれ首つりをしようとする布施の炉端焼き屋の主人、広島と長崎で犠牲となった人たちの「聖霊」と平和の女神とのコミカルなやりとりである。舞台には劇団いぶきの協力で平和の女神像と平和の灯がつくられリアル感を与えていた。女神役には20代のミュージカル志望の女性がなったためか、高齢の出演者たちはいつもより緊張して必死に長いセリフを覚えていた。「使えないマスクに百億をこえる金を使う」と安倍首相をひにくる場面では会場から笑いが。女神の腕にロープをかけて首をつろうとする炉端焼き屋の主人に「大阪や東大阪に絶望しても、人らしくあろうとする者には生き残る価値がある」という女神の言葉に主人は「やはり、俺は人らしく生きたい」と言って終わる。
「教科書採択と平和」、「沖縄と平和」、「反原発と平和」をテーマで訴えがあった。
今年で5回目の出演となる姜錫子さんは「イムジンガン」の由来を話し、北と南がひとつになるときを願って朗々と歌い、柳水香さんが「アリラン」をピアノ演奏した。
京都市生まれで真宗大谷派僧侶のシンガーソングライターの鈴木君代さんがソロライブで40分にわたって歌った。6歳で両親が離婚したことでいじめられ、学校で過呼吸でパニック障害となり、お寺で自殺の本を読んでいたときそこのお坊さんに生きる意味を教えられたためお坊さんにあこがれたという人である。平和への思いが伝わる伸びやかな声量のある歌声だった。
5年前、育鵬社教科書が採択されたり、安保法制=戦争法が強行成立するなか、東大阪でなんとかしたいという思いを持つ人たちが立場の違いを超えて開始された平和祈念のつどいは今年で5回目を迎えた。今年は「大阪市解体(都構想)」をめぐる住民投票やコロナ情勢下で拡大する貧困とのたたかいなどに挑戦していかなければならない。こういう思いを強くしたつどいだった。
『展望』第25号 特集:コロナ感染症
コロナ禍での社会運動再生へ
コロナ情勢は新自由主義グローバリズムの矛盾・破産を突き出した。アメリカ・ヨーロッパを先頭に自国ファーストを追求し、犠牲は貧困層に偏り、格差は拡大している。排外主義ポピュリズムが台頭した。新自由主義はその政治支配の破綻から延命するため、人権の制限と監視社会化を強める。他方で、生きるための人民のたたかいが各所で取り組まれている。
安倍政権は、コロナ対策の破綻だけでなく、イージスアショア計画中止、河井前法務大臣逮捕、検察庁法改定の破綻。森友・加計・公文書改ざん、桜花見、縁故主義、政治の私物化を官邸独裁でおこない、その破産と反人民性をあらわにした。
●今号は、今秋の重要闘争課題にそった内容となっている。巻頭アピールはコロナ情勢の中でのたたかいを走りながら総括しつつ、次の社会を展望しようとするものである。一方で、緊急事態宣言をはじめとした安倍政権のコロナ対策のでたらめさを弾劾し、他方で、コロナ禍での社会運動の苦闘と再生の道を模索する。コロナ禍を疫学・疾病のみでなく社会問題としてとらえ、新自由主義と決別し、今日の人民の生活・政治・社会・経済のあり方を探しあてなくてはならない。なによりも断末魔の安倍政権を打倒しよう。
●「パンデミック――危機と展望」は、コロナ感染症を疫学・感染症の視点から見るものである。コロナパンデミックは、資本主義―新自由主義を直撃した。いわく「市場原理の外におかなければならない財やサービスがあるということだ」(マクロン)、「コロナウイルスは『社会というものが存在する』ことを証明した」(ジョンソン)。今日の事態は新自由主義の構造改革が引き起こしているのは間違いない。
●大阪市廃止「都構想」・維新とのたたかいも待ったなしである。阪田論文は、大阪維新を持ち上げようとする政財界の動きに警戒しながら、具体的にこの間の吉村府知事・松井市長が進めたカジノ・「二重行政の無駄」と称する行政リストラ・民営化や「成長戦略」の破綻を示し、大阪市廃止(都構想)プランのでたらめ性を徹底暴露する。住民投票で大阪市廃止(都構想)を粉砕するために実践的に絞り込んで活用していってほしい。
●パトリオティズムがもともと自分の郷土、もしくは自分の所属する原始的集団への愛情であり、歴史・時代をとわず、すべての民族に認めれている普遍的な感情であるのに対して、ナショナリズムは一定の歴史的段階において初めて登場した新しい理念である。現代ナショナリズムは、19世紀の最後に人口の増大、都市化の進行、普通教育の普及、産業化に伴う生活水準の上昇、民衆の政治意識と政治参加の拡大によって、従来ブルジョアジーの利害とのみ結びついていたナショナリズムの意識を大衆化した。
●『武器としての「資本論」』の紹介では、本書は資本論入門書でありますが、裏のテーマは「新自由主義の打倒」ですと核心的問題意識が述べてあるように、資本主義の根本矛盾の解決を求める全ての人に開かれている。
6面
ヤマトゥンチューの差別と無関心
行動する作家 目取真俊の『ヤンバルの深き森と海』(影書房 3000円+税)を読んで
本書には、体を張ってたたかう作家が2006年から19年にかけて、新聞や雑誌に発表した行動記録と怒りの声が収録されている。彼の主張の一部を紹介しよう。
▼改憲派は言うにおよばず、全国各地にできている9条連などの護憲派団体においても、憲法と沖縄の「構造的矛盾」はほとんど無視されている。米軍基地や日米安保の問題を問わない護憲運動とは、基地の負担は沖縄に背負わせたまま、日本「本土」だけは平和であればいい、という虫のいいあり方を、これからも続けたいというものではないか。
▼「本土の沖縄化反対」というヤマトゥの平和運動家が口にする。そういう言葉を見聞きすると、不快感が込み上げてならない。
▼自分の生活圏は安全を保った上で、たたかう場所として沖縄・辺野古を位置づけるのはやめてもらいたい。
▼普天間基地内には宿舎が少なく、外から通勤している米兵が多い。そのため、飛行場の管制業務や機体整備はもとより、電気、通信、上下水道、事務作業など、日々の業務に携わる人や必要な物資がゲート前で阻止されれば、普天間基地は実質的に閉鎖状態に陥る。普天間基地は撤去できる。2012年9月27日〜30日の連日の行動に参加した私の実感である。
▼米軍と自衛隊が一体となって対中国の軍事強化が沖縄で進められていること。日米安保条約の問題を抜きに沖縄の基地問題の解決などあり得ないことを考えれば、「オール沖縄」の強調が、沖縄の反戦・反基地運動の変質を促しかねない危険性を認識する必要がある。
▼日米両政府、米軍からすれば、沖縄の民衆が基地機能を麻痺させるような直接行動に決起することこそ最も恐れているはずだ。
▼日本政府やヤマトゥンチュー(日本人)に見切りをつけて、沖縄は独立すべきだという声もある。普天間基地やキャンプ・シュワブのゲート前で体を張ってたたかっている人たちがそう口にするのなら共感もするが、評論家然として机上の議論を弄ぶ者たちのそれは現実逃避でしかない。辺野古や高江で起こっている問題すらウチナンチュー(沖縄人)が自己決定できずして、独立など夢物語にすぎない。
▼日本は平和憲法のもとで70年間戦争をしてこなかった、自衛隊は人を殺さなかった、と口にする。そこには朝鮮やベトナム、アフガニスタン、イラクで米軍が行った戦争に、基地を提供することで自分たちも関わっており、加害責任を負っているという自覚がない。いくら憲法9条の価値を訴えても、日米安保条約に反対しなければ、それはヤマトゥに住む自分たちの「平和と安全」を守り、沖縄や米軍の攻撃にさらされる人々への加害責任から目をそむけることにしかならない。
▼なぜ女性は元海兵隊の米軍属に殺されねばならなかったのか。沖縄に米軍基地を集中させ、自らは米軍犯罪の危険を回避してきた大多数のヤマトゥンチューがいたからだ。
▼沖縄に基地を押し付けて平然としてるヤマトゥンチューの差別と無関心が、沖縄の苦しみの根源にある。日本全体の利益のためには沖縄を犠牲にしてもかまわない。沖縄を「捨て石」にする構造は、沖縄戦のときも現在も変っていない。
▼北朝鮮や中国の軍事的脅威が喧伝されるが、沖縄に住む者にとって最大の軍事的脅威は米軍にほかならない。
以上ほかにも示唆に富んだ鋭い指摘が沢山ある。連日辺野古の海でカヌーを操ってたたかう者ならではの心臓に突き刺さる問いかけだ。ヤマトゥンチューの一人として、襟を正して読み、自戒を求められる書である。(一読者・静岡)
連載
命をみつめて見えてきたものS
対抗―代替の医療
有野まるこ
代替医療とは
近代西洋医学以外のすべての療法の総称である代替医療。伝統医療、近代医学への対抗医学、その他、食事・温熱・植物・心理・芸術療法など、数百は数え、今も増えている。重複も含み恐縮だが、近代医学と代替医療(主な)を対照してみる。前者は唯物思想に立脚し、人体を機械として理解し、その部品(臓器・組織)の故障が病気であると考える。治療戦略は外科手術・薬物などで故障した部品を修理する、もしくは臓器の交換など。後者は、人間を体・心・気・霊性(スピリット)の有機的統合体ととらえる。体は物質的存在、心は感情や精神の領域で意識と潜在意識の一部。気はエネルギー、波動などとも表現される。生体に備わる気の変化を生命現象という。霊性は心とか意識よりもっと奥深い何か。身体の活動や心の働きをつかさどる非物質的なもの。スピリットの語源はラテン語の「息」「呼吸」。転じて「生命の原理」と理解される。代替医療は「非物質的な現実感」(アンドルー・ワイル医博)に立脚し、生命エネルギーに働きかけて自然治癒力を賦活し、病やケガを癒す。
自然治癒力とは
では自然治癒力とは? 生体にある、自然に自らを治癒させる力のこと。ケガが自然に治っていく様子はしばしば体験する。新型コロナで広く知られるようになったECMO(体外式膜型人工肺)でも自然治癒力を必須とする。ECMOはウイルスを殺したり痛んだ肺を修復するのではなく、肺を休ませて、肺機能が自発的に回復する時間を稼ぐ装置だ。高度な現代医療においても自然治癒力が回復のキーとなっているのだ。ヒポクラテスは「人間は誰でも体の中に百人の名医をもっている」と述べ自然治癒力を大いに強調した。19世紀後半まで、ヒポクラテスの著書は欧米で医学生の必読書であり、近代医学においても自然治癒力は重視されていたというが、今、医学辞典から「生命力」「自然治癒力」の言葉はほとんど消えているという。自然治癒力はいわゆる免疫力と同じではない。例えば、高速で回っているコマが安定して直立している。突いてやるとコマは揺らぐが、回転力が十分なら安定した直立状態に戻る。この元に戻る働きをもつ力が自然治癒力と言える。この力はバランスを保って高速回転している働きの中にある。コマが回転と揺らぎの自動回復は同じことの両側面。同じように、人間の生きていることと自然治癒力が働いていることは、同じ意味をもつ。
オルタナティブ
代替医療の復活が始まる1960年代半ば、近代科学と大量採取・大量生産・大量消費・大量廃棄という非持続的なメカニズムに支えられて発展してきた文明は、米ソの軍拡と核戦争の危機、ベトナム戦争や果てしない公害・環境破壊にいきついていた。その中でアメリカから始まり西欧、世界へと広まったのが「対抗文化」(カウンターカルチャー)と呼ばれた反体制的社会運動。中核にあるのは「近代合理主義のもたらした科学的世界観を相対化する、シャーマニズム的な世界観の導入」(歴史学者・ローザック)。先住民族や東洋思想からの学び、人類最古の智慧の実践の体験を通じて現代文明批判、「野生」と「命の全体性」の回復、持続可能な文明を求めたのだ。それは様々な分野でのオルタナティブ=代替・代案の実践へと発展する。ちなみにドイツの「ニューレフト」は緑の党へと生まれ変わっていく。代替医療の復活はこうした流れの中の一つであった。「代替」はalternativeの日本語訳であるが、「代替バス」のようなニュアンスとは異なる、アンチ〜カウンターという強い意味あいを含んでいる。(つづく)