8・6ヒロシマ
戦争・原爆止める責任
つらい記憶を語り継ぐ
原爆投下から75年目の8・6ヒロシマ平和の夕べ(8月6日、広島市内) |
8月6日、9日の広島、長崎は「被爆75年」を振り返り、核廃絶への歩みを次世代へつなぐ日となった。コロナの状況により6日の広島祈念式典は縮小され、被爆者団体や遺族らの参加は例年の1割以下とされたが、早朝からそれぞれの慰霊碑を訪れ亡くなった人を想い、核廃絶を願う人々は絶えなかった。
原爆ドーム前に座り込んだ人たち、中国電力前まで伊方原発差し止め、原発廃炉を求めるデモなど、さまざまの行動が展開された。9日、田上富久・長崎市長は「焼けただれた火達磨の形相、黒こげの屍体、さまざまの幻影。8月となれば蘇る(手記の引用)、終末時計は残り100秒≠フ最短を示している。核軍縮はあまりにも遅すぎる」と平和宣言を読み上げた。
6日、開かれた「8・6ヒロシマ平和の夕べ」は、早志百合子さんの被爆証言、森達也さんの平和講演「核を持ってしまった世界を問う」、福島避難者の鴨下全生さん、「大飯原発を止めた」樋口英明・元裁判長らが話した。沖縄から仲村未央さんは「今日の沖縄の地から、みなさんと同じ光を見ています。忌まわしい記憶をいまに生かし、不断の歩みによって築く社会が、誰をもの命を奪わないものになると確信し心を合わせます」(要旨)とメッセージを寄せた。
早志百合子さんは「84歳になった。地獄のようなあの日から、ここまで生きているのが不思議なくらいだ。周りからの呻き声、母はガラスの破片を浴び血だらけ。川にはいっぱいの屍体。火の中、大勢の死んだ人を踏んで逃げた。それは表現しきれない。何年も掘っ立て小屋に住み、何度も病気、差別もいじめも受けた。学校で、被爆した者は様子を書くようにと言われ、『原爆の子』に載った。およそ50年後、生存者が集まり『原爆の子、その後』を出版できた。思い出したくないが、生き残った者には伝える責任がある」と、被爆とその後を証言した。
被害と加害共に訴え
森達也さんは、「広島、長崎は世界中で知られているが、どこまで伝わっているか。とくに一方の当事者アメリカには、いまも『戦争を終わらせる正当な手段だった』という人は多い。オバマ広島訪問の際、謝罪に言及しなかったのも、彼らの強い抵抗へ配慮もある。原爆投下は明らかな国際法違反だ。正当な戦争行為の延長でもない。都市と数10万市民への実験、世界へ示威などいろいろだろうが、とても納得できない。『アトミック・カフェ』という映画をみたとき、そういうことかと少しわかった。新たな撮影はせず、冷戦期から作られた既存のフィルムを編集した映画。放射能は怖くないとか、ピカッと光ったら物陰に隠れろとか。抑止力というが、原爆・水爆はリミットを超え抑止力にもなり得ない。核・核兵器というものをわかっていない。学生たちに映画をみせると、プロパガンダの対象はアメリカ国民だとわかる。だけど誰が、というと軍の上層部なのか、テレビやラジオ局の経営者かプロデューサーか、大統領か難しい。核をわかっていたのは科学者を含めほんの一握り。みんな、巨大な爆弾だくらいに思わされた。福島の事故の際、東京の私たちはふんだんに電気を使っていた。その被害と加害、その責任をどう考えるか。広島、長崎も一人ひとりは加害者ではない。だけど加担していた。『過ちは繰り返しませぬから』の碑文が問題になったが、私たちは繰り返さないという意味は大きい。その被害と加害。負い目、後ろめたさ、振り返りたくないことだけど大事だ。自覚がないから、被爆国でありながら原発を54基もつくる。被害を語り、加害を知り、訴え続けるべき」と話した。
世代を超えた課題
「コロナ禍のもと、原発事故後と同じような分断が起こっている。このような集まりの意義は大きい。ローマ教皇は『声を発しても耳を貸してもらえない人々の声になる』とスピーチしました。ぼくらは諦めず声をあげていきたい」(鴨下全生さん)、「私たちが福島の75年後を見ることは難しい。でも、いま75年の広島のここに立ち、時間、世代を超えた課題にともにとりくんでいると実感している」(宇野朗子さん)。樋口英明さんは、「原発は大手ハウスメーカーの耐震基準よりも脆弱。容認派は原発敷地に限って震度6、7の地震は来ないという。原発は自国に向けられた核兵器だ。私たちは、原発を止める義務がある」と。約150人が参加した。 (次号に講演要旨)
黒い雨訴訟、控訴を弾劾する
県・市とも国の意向に屈服
広島に原爆が投下された直後に放射性物質を含む雨を浴び、健康被害を受けたと住民たちが訴えた、いわゆる「黒い雨」訴訟は、原告84人全員を「被爆者に該当する」と認定した(7月29日)。
被告の広島市と広島県は国と協議した結果、広島地裁の判決を受け入れず12日控訴した。松井広島市長は、「勝訴原告の気持ちを思うと控訴は毒杯を飲む心境」と述べた。「被爆者健康手帳」の交付審査は、国が法令に基づいて自治体に委託する法定受託事務にあたり、県や市に交付対象を広げる裁量はない。実質的被告は国である。
知事、市長は、国に「控訴したくない」と伝えていた。国単独でも控訴できるため、国の強い意向と「区域の拡大」を匂わせるごまかしに屈したと言わざるをえない。
内部被爆の影響を認めた判決の確定は、福島避難者の訴訟などに影響を与えることから、「受け難い」というのが国の本音である。
成田空港反対闘争
農地を守る?―秋の陣へ
東京高裁は弁論の続行を
市東孝雄さん宅で開かれた天神峰樫の木まつり(7月12日、成田市内) |
新型コロナ禍のなかで、中断・延期となってきた三里塚裁判が再開され、とりわけ市東孝雄さんの農地裁判、関連裁判が重大な局面を迎えている。
新やぐら裁判が結審
7月16日再開された新やぐら裁判(注)では、人事異動で前任となった裁判長が裁判を指揮するという超異例の措置を強行した。千葉地裁は、前回裁判(本年1月)で再三再四求めてきた敵性証人(NAA関係者)の採用を最終的に拒否したうえ、最終弁論を残して結審・判決強行を画策してきた。
さらにこの間のコロナ禍により、成田空港の利用は激減(国際線はほぼゼロ化)、4月12日から7月22日までB滑走路の閉鎖に追いこまれた。再開されたからといって航空需要が増えるわけでもなく、激減状況は変わりない。また全日空・日本航空はともに4〜6月期収支で1000億円前後の損失である。当面危機的というだけでなく、長期にわたって続く危機的状況にあることは明らかである。成田空港は、短期的にはもちろん長期的にみても空港拡張・機能強化はまったく不要というほかない。
市東さんの農地強奪を強行する根拠がないことは、この点からも明らかであり、新やぐら裁判で反対同盟と弁護団が、結審ではなく慎重審理と弁論の再開を求めたのである。
千葉地裁はこの弁護側の訴えを門前払いで拒否、2度にわたって裁判官忌避を却下し閉廷した。そして裁判後、一方的にファックスで判決期日を8月24日午後2時と通告してきた。
請求異議裁判
市東さんの農地裁判・請求異議裁判(控訴審)は、9月2日再開される。「成田空港の完成」を謳い文句にした農地取り上げの強行は、当該農地の存在が空港の運用にまったく支障がないことに加え、コロナ禍の成田空港の現実からも正当性、必要性はまったくない。
裁判当日、口頭弁論に加え市東さん本人の証言などが予定されているが、東京高裁は次々回10月22日を最終弁論とし、結審を強行する構えである。わずか数回の裁判で結審は許されない。慎重審理・口頭弁論の継続を強く求めていこう。
9・27成田現地へ
反対同盟は7月12日の樫の木まつりから活動を「再開」し、秋の陣にむかってたたかいを開始している。9月27日には1年半ぶりとなる成田現地での全国集会が呼びかけられている。安倍政権の失政・無策でのコロナ禍の拡大という困難きわまる状況をふまえ、8〜10月の三里塚裁判闘争を闘い抜き、9・27全国闘争に結集しよう。 (野里 豊)
(注)新やぐら裁判市東さんの天神峰用地に建つ看板・やぐらなどの撤去を求めて、NAA成田空港会社が起こした裁判。市東さんの許可を得た反対同盟の建造物。NAAが原告で、被告は反対同盟。
2面
コロナ禍で求められる政治
日本と韓国を比較する
8月2日大阪
講演する金光男さん |
8月2日、大阪市内で「コロナ禍の今、求められる政治とは 〜日韓の比較を通して〜」と題する集会がひらかれた。主催は、〈戦争あかん! ロックアクション〉、〈ヨンデネット大阪〉。〈大阪平和人権センター〉〈しないさせない戦争協力関西ネットワーク〉が協賛。講師は在日韓国研究所の金光男さん、阪南大学教授の桜田照雄さんの二人。そしてコリアNGOセンター代表理事の郭辰雄さんが「コロナ禍と外国籍住民」と題する報告をおこなった。
日本政府のひどさ
まず金光男さんが「韓国の新型コロナ対策と最近の韓国の政治状況」と題して講演。
韓国の新型コロナ対策は科学(疫学)に基づいた準備と迅速な対応をもっておこなわれた。感染病危機対応は制度化されているところが日本と大きく違う。
警報段階は関心、注意、警戒、深刻の4段階に分かれている。1日2度の情報公開と積極的なPCR検査がおこなわれ、新天地教会会員など必要に応じて全数検査と地域検査がおこなわれた。
そして医療崩壊を防ぐため徹底的な隔離と症状に応じた治療態勢が取られた。重篤・重症・中等症状者は感染症指定病院へ、軽症者・無症状者は生活治療センターへという具合だ。生活治療センターは、国や地方自治体、企業の研修所を利用。そこに医療従事者と行政公務員が派遣され、感染者(韓国では確定診断者という)には体温計と必需医薬品などが含まれた衛生キットと救護キットが配給された。
日本では保健所から感染者に電話をかけていちいち確認をおこない業務がパンク状態だが、韓国では健康管理アプリ(1日2回)で体温等を報告。
濃厚接触者は自宅隔離とし、陰性判定でも14日間隔離した。その場合も衛生キットを支給、自宅隔離者安全アプリを使った。そして家族と同居の場合には救護キット(米、インスタント食品、水、お菓子など)か支援金のどちらかを選択することができるようにした。そしてICTを活用した追跡調査と防疫対策をおこなった。携帯電話やクレジットカード、防犯カメラ等を使って感染者の動線調査をおこない、感染者の動線をアプリで公開した。
災難支援金申請はオンラインで5月11日〜5月31日までおこなわれた。韓国はカードで支払うので、世帯主がカード会社のHPから申請、2日後にはクレジットカードまたはチェックカード(日本のデビットカード)に相当分のポイントがチャージされる。支給額は4人世帯に100万ウォン(約9万円)。
5月18日からはオフライン申請も始まり、銀行の窓口で金額分のポイントがチャージされた。行政機関の窓口では「地域商品券」で受け取ることもできた。チャージされたポイントや地域商品券は住所地のある広域自治体の地域内でのみ使用でき、デパートや大型スーパー、ゴルフ場や射幸業種では使用できない。地域の経済を考えているのである。また、支援が急がれる低所得の285万9492世帯には申請しなくても国から災難支援金が「現金」で振り込まれた。
日本と韓国の差にため息が出る。どちらの政府が国民に寄り添っているかは歴然だ。
カジノは無理
続いて桜田照雄さんが「コロナ禍の下でのカジノビジネス」と題して講演。結論だけ書くと「カジノは無理」ということだった。なぜかというとカジノでやるバカラというゲームはディーラーを入れて10人でおこなわれる。しかしコロナ過で客が3人しか入れられないと収益が得られずビジネスにならない。また、自治体がカジノを誘致するのは憲法違反だと桜田さんは指摘した。なぜなら憲法13条で「すべての国民は、個人として尊重される」とあり、カジノは「公共の福祉に反する」ので、福祉を増進すべき自治体の責務に反するからである。
郭辰雄さんの報告のあと服部良一さんを交え金光男さんと桜田照雄さんの3人でシンポジウムがおこなわれ、韓国の検察改革など興味深かった。ユーチューブの「金光男チャンネル」で見ることができるのでぜひ見てほしい。(池内慶子)
ICT・オンライン学習の導入
明らかになる教育の大分岐
「コロナ危機で明らかになった教育の大分岐―ICT・オンラインでええのん? 今こそ子どもと向き合う学校を」第10回「日の丸・君が代」問題等全国学習・交流集会が7月24日、大阪市内でひらかれた。毎年この時期に東京・大阪と交互にひらかれ、今年は10回目=10年目をむかえた。
学校の民営化
午前の部、冒頭、主催者を代表して、「日の丸・君が代」強制反対大阪ネットの黒田伊彦さんは、コロナ危機の中で長期休校による緊急対応としてのオンライン学習が日常化され、企業の参入により学校の民営化ともいうべき状況が造られようとしている危険性を指摘した。 政府は全国の小・中学生に1人1台の端末機の整備のため4600億円を計上している。経産省は景気浮揚のため通信情報産業を学校教育に算入させ、EdTech(エドテック=注)を導入しようとしている。提供される学習情報による学習成果はビッグデータとして民間産業に保管され管理される。そしてAIによって個々人に最適な学習プログラムを提供するという「個別最適化学習」が構想されている。これは学校の民営化に他ならない。これによって培われる価値観は、企業が商品として売り出すものであり、子どもらは消費者になるだけであると提起された。
全国一斉臨時休校
次に埼玉大学の高橋哲准教授はオンラインで「新型コロナウィルス臨時休業措置をめぐる教育法的検討」をテーマに講演。
はじめに、2月27日、安倍首相による「全国一斉臨時休校」要請は「法的根拠」も「科学的根拠」もないものであったことを明言。臨時休校をめぐる基本原則は、学校保健安全法では、学校休校措置の権限は自治体の教育委員会にあること、新型インフルエンザ等対策特別措置法では都道府県知事が「要請」「指示」ができることが示された。
そして首相「要請」がもたらしたものとして@現行教育法体系が備えていた「適切な対応」を「台無し」にした、A各地域における休業措置の政治利用があった(大阪府、北海道、奈良市…)、B教育の「不当な支配禁止」の意義が鮮明になったと述べた。
特にBに関して、第二波への対応においても、保健所の科学的・専門的支援を前提に、教育の地方自治、学校自治をいかに発揮できるかが鍵と述べた。
また、教員の「働き方改革」の問題では、新型コロナウィルス対応のもとで動き出した「一年単位変形労働時間制」について詳しく言及した。7月2日の中央教育審議会で示された省令案、指針案、モデル条例等を元に、各自治体の9月議会で導入し、来年4月から実施予定である。これは実質的には、サービス残業を認めるもので、その上限が、@1カ月の合計時間が45時間→特別な事情がある場合は100時間未満、A1年間の合計時間が360時間→特別な事情がある場合は720時間未満というもの。
その問題点として、@労使協定締結義務の不在、A割増賃金支払い義務の不在、B臨時的な特別な事情の上限超過への罰則不在をあげ、今後、自治体レベルの交渉、学校レベルでの交渉が重要であると指摘した。この制度が導入されると教育現場の教員は、無権利のまま長時間労働を強いられ、過労死が現実問題化するだろう。(佐野裕子)
(注)EdTech Education(教育)とTechnology(テクノロジー)を組み合わせた造語。教育分野に企業が参入し、ITやテクノロジーの活用を進めていくこと。
被爆75周年8・6大阪集会
「核の傘」政策からの脱却へ
梅林宏道さん |
被爆75周年にあたる今年8月6日、大阪市内で「核軍拡競争から核軍縮へ流れを変えよう! 被爆75周年8・6大阪集会」が開催された。主催は大阪平和人権センター・各地域平和連帯会議。
司会は府立桜塚高校生で第23代高校生平和大使の篠田悠葵さん。とても落ち着いた司会ぶりだった。
大阪平和人権センター理事長の米田彰男さんが開会あいさつ。講演は、「新段階に入った核軍備競争〜問われる日本」と題して梅林宏道さん。梅林さんはピースデポ特別顧問、長崎大学核兵器廃絶研究センター初代センター長であり現在は長崎大学客員教授。
梅林さんは世界のアメリカ、ロシア、中国などの主要国の核兵器の動向、多国間の核軍縮にかかわる条約の協議と協力の混迷と日本の現状と果たすべき役割に言及した。
2017年7月7日核兵器禁止条約が成立した。2020年7月30日現在の署名国は82、批准国は40である。50番目の国が批准書を届けたあと、90日後に発効する。被爆国であり一番最初に署名してもいいはずの日本が、これに未だに署名していない。核兵器禁止条約には7つの禁止事項がある。そのうちの一つに、禁止事項をおこなうことの援助、奨励、あるいは誘導という項目がある。日本は「アメリカの核の傘」政策を変えない限り条約に参加できないのだ。
「核の傘」政策から脱却するために日本は非核兵器地帯になるべきという。非核兵器地帯とは、@核兵器の開発・製造・実験・入手・保有・配備などを禁止(核兵器の不存在)、A核兵器による攻撃・威嚇の禁止(消極的安全保証)〜これによって「核の傘」は不要になる、B監視・検証・協議制度の設置の3要件を備えた国であり北半球に多い。
そして「スリー・プラス・スリー」北東アジア非核兵器地帯案を提案した。それには北東アジア非核兵器地帯が鍵となる。日本、南北朝鮮、3つの非核兵器国による非核兵器の誓約、アメリカ、中国、ロシアの3つの核兵器国による法的拘束力のある消極的安全保証によって「核の傘」政策から脱却できるという。
長崎で被爆し原水禁運動を闘ってこられた、非核・平和のひろばの稲岡宏蔵さんの話、チェルノブイリ・ヒバクシャ救援関西の振津かつみさんの話のあと、退女教の米田由紀子さんがアカペラで「一本の鉛筆」(1974年第1回広島平和音楽祭で美空ひばりが歌った反戦歌)を独唱。泉州地域の田中一吉さんによるあいさつで閉会した。
3面
京大は琉球人遺骨を返せ
大学に残る植民地主義
京都御苑で報告集会(7月30日) |
7月30日、京都地方裁判所の101大法廷で、琉球人遺骨返還請求裁判の第6回弁論が開かれた。コロナウイルスの影響で、京都地裁は大法廷の傍聴席88席を29席に制限した。
裁判では原告の陳述を支える学者鑑定意見書と準備書面が提出された。鑑定意見書は「植民地支配および歴史的・構造的差別論」(波平恒男)、「琉球/台湾における組織的な盗掘」(板垣竜太)、「学知の植民地主義」(松島泰勝)である。準備書面は原告弁護団が執筆。法廷ではその中の「本件において判断されるべき本質的事項および戦後も継続する学知植民地主義の実態について」、「琉球固有の精神文化における遺骨の存在」、「琉球民族の先住民族性について」、「三宅宗悦による百按司墓からの遺骨盗取」の要旨を陳述した。次回弁論は、11月19日に開かれる。
琉球人遺骨返還請求裁判は、1930年前後に京都帝国大学助教授の金関丈夫と三宅宗悦が沖縄県今帰仁村の百按司墓から盗掘した遺骨の返還を、京都大学にたいして求めている裁判である。被告の京都大学は、百按司墓の祭祀継承者ら5人の原告の遺骨返還請求に対して「正統な手続きを踏んで収集した遺骨であり、人類学にとって貴重な研究資料であるから返還には応じられない」という態度をとり続けている。
金関らの琉球人遺骨の盗掘は、日本帝国主義による国内植民地として琉球を支配するなかで、沖縄県庁、沖縄県立図書館、沖縄県警の要職を占めていたヤマトンチュ(日本人)の承認を得たことだけを根拠におこなわれた。その過程で百按司墓の祭祀継承者であるウチナンチュ(沖縄人)の承認はとっていなかった。これは当時の法律に照らしても正当な手続きとは言えない。まさに盗掘そのものだ。
金関は、「ナチスが北欧種の純潔を護ろうというのは当然のことと云わなければならない。且つ、之は種族の優秀性を確保する上に必要な手段であるのみならず国家の統一の上に最も有効な方法でもある」と盗掘を正当化していた。ナチス同様の人種主義や優生思想に基づく「人類学」が、正当な学や研究と言えるのだろうか。
遺骨返還を拒否する京都大学は戦前の帝国主義大学で、いまでも琉球民族を「植民地の民族」として見下している。いま世界各地でアジアやアフリカ諸国から盗掘された遺骨の返還運動が取り組まれている。琉球人遺骨返還裁判もその一環である。(島袋純二)
育鵬社教科書の不採択へ
FAXで声をとどけよう
来年4月から全国の中学校で使用される教科書の採択が今夏始まっている。
各地で育鵬社不採択
東京都教育委員会は育鵬社を不採択とした。そのため「直轄校」の中高一貫校10校、特別支援10校から育鵬社教科書が一掃された。都教委は2000年代はじめからいち早くつくる会′nの教科書を採択し、昨年は前記20校すべてで育鵬社を採択してきた。それがゼロになったのだ。
さらに、育鵬社のシェアを押し上げてきた全国最大の横浜市が育鵬社を不採択にした。横浜市の146の市立中学校(2万7000部)でゼロとなったのだから育鵬社にとって大打撃である。
名古屋市では激しい攻防がおこなわれた。育鵬社を採択させようとする河村市長たちに対し、市民のねばりつよい批判を受けとめた教育委員たちは最終的に育鵬社を拒否した。市民による最後の一週間あまりの集中ファックスが大きく事態を動かした。
いままで育鵬社を採択してきた神奈川県藤沢市、大阪府四条畷市、河内長野市でも今年、育鵬社が不採択となった。
東京都、横浜市、名古屋市、藤沢市、四条畷市、河内長野市では育鵬社採択以来、ねばりつよい市民の抗議行動が地域でつくられてきた。今回の大きな前進は地域にねざした運動、市民の力の勝利である。
大阪が最後の焦点に
大阪府下では、残る泉佐野市(採択日8月18日)、東大阪市(同8月24日)、大阪市(同8月25日、18500部)が前回育鵬社採択地域だ。名古屋市での採択を止めた市民の力は最後の一週間に集中した抗議ファックスだった。市民の声はかならず教育委員を動かす。本紙が発行されるときには泉佐野市(8月18日)の採択は終わっているが、残る東大阪市と大阪市に「育鵬社を採択するな」という市民の声をファックスで届けよう。
ファックス送付先
【大阪市】
大阪市教育委員会教育政策課
FAX:06−6202−7052
【東大阪市】
東大阪市教育委員会
教育長・土屋宝土 様
FAX: 06−4309−3837
(教育委員会)
関電の原発マネー不正還流
大阪地検は捜査の開始を
7月27日、起訴を求める大阪地検前行動がおこなわれた(写真)。
〈関電の原発マネー不正還流を告発する会〉によれば、これまでに以下の事実が明らかになっている。
@関電役員ら20人が、森山栄治高浜町元助役から3億6000万円の金品を受領、A年間ノルマの工事高まで森山氏関連会社に随意契約で不正発注、B関電は2018年に社内調査をおこなうも、その結果を取締役会に報告せず隠蔽、C退任した役員に対し、過去の役員報酬減額分や、わいろ発覚時の追加納税分を闇で補填していた。
刑事告発
昨年12月と今年1月に関電役員12人を特別背任罪、贈収賄罪、所得税法違反で刑事告発。告発人3371人。
今年6月には、闇補填は業務上横領、特別背任罪にあたるとしてして八木前会長ら3人を告発した。告発人2193人。ところが、大阪地検はいまだに告発状を受理せず、捜査を開始していない。告発する会は、このかん定期的に「起訴を求める大阪地検前行動」をくり返してきた。関電に原発を運転する資格はない。原発は不正な金品による工作なしには動かない。再稼働を望んでいるのは、利権で私服を肥やす連中だ。大阪地検は、ただちに告発を受理し、捜査を開始せよ。
コロナ禍で原発うごかすな
仮処分の審尋はじまる
横断幕を先頭に裁判所に向かう住民ら(7月21日、大阪市内) |
5月18日、福井県、京都府、大阪府、兵庫県の住人6人が、大阪地裁に「関西電力の高浜原発1号機〜4号機、大飯原発3・4号機、美浜原発3号機の運転差し止め仮処分」を申し立てた。新型コロナウイルス感染症が拡大している現在、もし原発過酷事故が起きれば、原子力災害対策指針や地方自治体の定める避難計画どおりに避難することによって、ウイルスの感染拡大を招くため、安全に避難はできないことが主な理由。弁護団は、河合弘之、海渡雄一、井戸謙一さんなど6弁護士。
7月21日、その第1回審尋(非公開)が大阪地裁でおこなわれた。
審尋の前に原告、弁護団、支援者らが裁判所前の公園で審尋前集会をひらいた。原告の1人、水戸喜世子さんは、「日本の子ども何千万人に代わって原告になった」と語った。
その後、入廷行進をおこない原告団を送り出した。
審尋終了後、再び公園で報告集会。井戸謙一弁護士は「この申し立ては、原発過酷事故がおこっても、実際には避難できない状態であると主張している。例えば、非常時用酸素マスクが上から降りてこない飛行機が乗客を乗せて運航したり、救命ボートを積んでない船が客を乗せて運航するのと同じで、ありえない話だ」と解説。裁判官は神妙な顔つきで聞いていたという。
次回審尋は9月14日、11時から。
4面
論考
米政治文化とトランプ政権(下)
国内矛盾が高まるアメリカ
秋田 勝
トランプ政権の中東政策
中東情勢について言えば、トランプの方針は、全体としての米軍の撤収であるように見える。それは大統領選の頃から一貫している考え方のようだ。現在の中東についての混乱は、あの2001年の9・11以来、アメリカの軍産複合体が作り出したものだ。この中東の現状を、トランプは一言で言えば、下手な関わりを続けながら、最終的には放り投げようとしている。それもアメリカ支配層内部における「意思一致」もおこなわないままにである。結論的には、ロシアと中国に任せようと考えているのではないか。
2003年にイラク戦争を開始したアメリカの軍産複合体は、歴史的には1980年代からアルカイダを育てつづけ、そしてイラク戦争突入で中東に大混乱をもたらし、そしてこの10年ではIslamic State(IS)を隠然と「育て」て、戦争状態を「マッチポンプ」のように繰り返してきた。中東を混乱させるためだけに、時にはクルド人勢力を利用し、時には見放してきた。こうした軍産複合体による介入主義は、時にイデオロギー的にはリベラル的人権主義を身にまとうので一層根が深い問題を残し、世界を幻惑させてきた。
アメリカのアジア政策も同様
また東アジア情勢でも同様である。朝鮮半島における南北分断問題をどうするかについて、トランプはまちがいなく自分で解決しようとはしていない。外交的成果を求めているようにも思えない。緩和と危機をもてあそびながら、最終的にはロシアと中国に朝鮮半島問題を引き受けさせるという戦術を、時間をかけて進めている。一言で言えば、「東アジアのことは東アジアで決めろ」ということである。しかし在韓米軍と在日米軍は巨大な存在であり、巨大な利権である。アメリカ軍にとってもそう簡単には撤収できない。関係者が多すぎる。だからこそ金正恩との「仲良し」と「仲たがい」を繰り返しながら、同時にアメリカと中国との対立を演じ、中国とロシアが出てくる舞台を整えてきているのである。中国とロシアが動かない限り、トランプは朝鮮との関係改善を責任もっておこなうことはしないだろう。中国をひきだすためにだけ、金正恩と仲良くしたり、仲たがいしたりというポーズをみせるだろう。
現在のトランプ政権の中国敵視政策も、アメリカ的孤立主義の表現である。アメリカ支配層の総意として、現在の中国の政治的・経済的・軍事的力の現実を見て、アジアの地域覇権国として承認せざるをえないし、今後も巨大な貿易取引の相手になることは誰もがわかっている。ところが、戦後70年のアメリカの覇権に慣れすぎたがために、当の中国にも周辺国にもその自覚が乏しい。アメリカが世界の秩序の番人として存在してほしいという政権ばかりだ(特に日本政府は著しい)。
今、眼前で展開している日韓対立もよく見ると、対アメリカ、対中国をめぐる駆け引きがその基底にある。その基盤の上で、安倍政権も文在寅政権もボールを投げ合っている。文政権は少なくとも朝鮮半島の統一を意識し、対米関係でも独自の立場で東アジアの中長期的な安全保障体制を考えているが、安倍政権は対米従属のままであり、その戦略もない。
中止にはなったが、今年、習近平を国賓として訪日させようとした安倍政権は、一方でトランプにしっかりと従属している。日本はアメリカが中国との貿易戦争の雄たけびを上げるたびに、日本と中国との関係の修復と接近に力を入れる関係にはいっている。トランプとしては、そういう回り道をして自分の信念であるアメリカ的孤立主義=「アメリカ・ファースト」を貫いているのである。どこにも矛盾はない。
トランプ政権の今後
ところで長年にわたってアメリカの政治支配中枢であった金融資本と軍需産業=軍産複合体は、これまでの国際介入主義を否定し、トランプの孤立主義的回帰に従うのかという問題がある。それについては、今のところ、たしかに予断を許さないだろう。トランプが暗殺される可能性は、いまだにゼロではない。しかし大切なことはアメリカの支配階級の中に根強く存在してきた政治文化=孤立主義を体現するトランプであることは、自らの政治生命を守ることになっている。
本質的な結論は、アメリカの労働者階級と多くのアメリカの民衆(有色人種を含めた総体)はどう考えるかということだ。アメリカの人口構成は、1980年代には白人2億人、その他の有色人種5000万人というくらいの比率だったが、現在は2億人の白人に対して有色人種が1億6000万人くらいになっている。アメリカは、歴史的に安価な労働力を移民として受け入れてきたが、これこそ「隠された奴隷制」の典型。国内矛盾の高まりはアメリカの民衆の中に多くの分岐を生み出しながら、国内矛盾を高めていくだろう。今でも、アメリカの国内矛盾の大きさは目を覆うばかりだ。そうすると、ますます世界大的な軍事展開は不可能化していくのではないか。
一方でアメリカ生まれのグローバルな金融資本は、これからも全世界中をどこへでも無政府的に動き回るであろう。インターネットの技術を利用した資本主義の延命策は日々日々造られている。GAFAと呼ばれる新しい通信インフラ産業は、単に巨大なマーケットを支配するにとどまらず、人々の個人情報を巨大な量のデータで保有し、それを日々活用している。この産業の今後の動向は大きく世界を変えていくだろう。しかしそれがどういう方向に変化していくかは、まだ不明である。
この論の目的はトランプの擁護を目的とはしているわけでない。そうではなくて、トランプがアメリカの歴史的な政治潮流の一典型として、この21世紀初頭にアメリカ大統領として登場している意味をしっかりと見る必要があることを述べたいためである。
「自由」と「民主主義」の国=アメリカは、もっとも遅くまで奴隷制を護持していた国であることを忘れてはならない。国際的な介入主義は、二つの世界大戦をへて、世界中の生産力が破壊された直後に、世界の鉱工業生産の大部分をアメリカが占めていた時代に始まったものだ。しかし今やそうした時代は過去のものになった。
アメリカの孤立主義の政治文化は、17〜18世紀以来、白人入植者によるアメリカ原住民の生活基盤をねこそぎ侵略し、奴隷制度を長い期間にわたって維持してきた歴史とも重なっている。その国内植民地を拡大してきた300年前から、アメリカ支配層の原理的イデオロギーでもある。こうした現実を前にして、私たちは21世紀の世界を俯瞰する必要があるのではないか。しかしトランプの時代だからこそ、困難はあっても、社会変革の大きな可能性が私たちの眼前にはある。(おわり)
【定点観測】(7月〜8月6日)
安倍政権の改憲動向
敵基地攻撃能力
7月 河野防衛相によるイージス・アショアの配備停止発表(6月15日)以降、安倍政権と自民党は「安全保障は中断させない」と敵基地攻撃能力の保有を巡る議論を本格化させた。過去にも、政府見解・国会答弁は「座して自滅を待つのが憲法の趣旨ではない」(鳩山一郎・首相、56年)、「被害が発生していない時点でも自衛権発動、敵基地攻撃は法理的には可能」(野呂田防衛庁長官、99年)、「(ミサイルに)燃料を注入し始めた場合は、着手(と判断)」(石破防衛庁長官、03年)など、敵基地攻撃(先制)を容認してきている。戦争は、常に自衛という名目の攻撃から始まる。さらに敵基地攻撃の定義はあいまいだ。どの段階で反撃するのかというよりも、自衛権の名のもと先制攻撃ありきが基本になる。安全保障を口実にした敵基地攻撃論の再燃は、安倍政権による9条改憲への衝動をいっそう強めるものとなる。
「専守防衛」76%
8月2日 敗戦から75年。日本が戦後、基本的に他国と「戦争」をしなかった理由に、「憲法9条があったから」と答えた人は47%(以下%省略)だった。そのうち30代以下は42、40代〜50代47、60代以上51。「戦争の悲惨さを訴えてきたから」23、「日米同盟があったから」14、「日本の外交力」はわずか1。日中・日米戦争を「侵略戦争」と答えた人は46。自衛隊のあり方について「専守防衛」が76に対し、「9条を改正し、軍を明記」は17。一方、「今後、戦争をする可能性がある」とした人は、「大いに、ある程度」を合わせ32だった。「戦争で核兵器が使われる可能性がある」は、「大いに、ある程度」を合わせ72。「核兵器禁止条約に日本も参加するべき」は71、不参加を表明する人は21。その理由は「廃絶につながらないから」42、「抑止力が必要」36、「日本も保有するべき」も10あった。(共同通信系、6〜7月の調査。約3千人対象)
8月6日 被爆75年の8・6ヒロシマで見た光景から。慰霊碑前の式典はコロナ状況を理由に例年の1割以下の縮小開催となった。さらに、平和公園への立ち入りが全面的に規制された。例年は数万人が公園内に集まる。動員学徒や町内会など、それぞれ慰霊碑前の集まりも今年は数少なかった。ある石碑前の追悼の集まりに参加しようとすると、規制線で阻止された。警察官が体当たりするように阻止してきた。抗議の末に通ったが、別の人によると原爆ドーム前の座り込みも対象とされたとのこと。周辺を警察が囲む管理区域のような扱いだったという。今年の広島は、駅も公園も資料館も混雑による事故のおそれなど、規制すべき状況はなかった。コロナを口実に被爆地ヒロシマの式典を利用し、統制、規制、管理に加え自制の押しつけが始まったと感じたのは杞憂だろうか。
5面
〈投稿〉前川講演会の後援拒否問題(下)江渡 績
「政治的中立論」を揺がした
昨年10月、兵庫県丹波市で開かれた前川喜平さんの講演会で、主催者が丹波市教育委員会に後援を求めたところ不許可となった。疑問に感じた市民の有志が、市教委を1年間にわたって追及した結果、不許可となった経緯が教育基本法にも抵触するものであった。しかも、それが教育長の独断で決定されていた。
昨年10月、兵庫・丹波市民の会の結成後は、市長への公開質問状へと動き、12月6日に提出した。マスコミ4社が報道し、地元では注目された。1月22日、市長から回答をもらうことになった説明の場でのやりとりは予想もしないものだった。
公開質問状への回答のほとんどは、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律(地教行法)第21条の規定に関するから、市長としての回答はできかねます」というゼロ回答の繰り返しだった。教育行政にたいする不当な政治介入を防ぐための法律が、教育長のやりたい放題への批判を封じるものとして使われたのだ。
型どおりの説明で終わろうとする市長部局の担当者に6月25日付の決裁伺書のコピーを見せ、市教委が市民をだまし続けてきたことを懸命に訴えた。
担当者はコピーをじっと見ていたが、「この件については調査し、後日あらためて返事をする」と説明し交渉を終わった。その後1カ月、何の連絡もなし。決裁伺書は、市長への公開質問状提出の後、情報公開請求にもとづいて開示された文書である。そこには「本行事については政治活動に関わっているおそれが非常に強いと推察される」から不許可とするとはっきり書かれていた。
6月25日付の伺書の翌日に不許可通知が発送されていた。市教委事務局内では当初から講演会自体を政治活動とみなし、不許可と判断していたのだ。「実行委構成団体云々」は、その本音を隠す口実だった。
教委の説得不調を市長部局が謝罪
3月議会はコロナ禍のため書面のやりとりで終わる。その最中の3月9日、企画総務部長らが突然、代表宅にお詫びに訪れた。教育委員会の説得が不調に終わったことを詫びるものだったが、専決処分問題が市長部局ではいちばんの問題とされていることを初めて知った。市長部局の誠意を市民の会7人は心から喜んだ。
先の見えない苦しい時期を乗りこえ、4月17日に、教育長へ2回目の質問状を提出した。提出後に、すぐに裁判になることも念頭に弁護士にも相談に行く。資料を読み込んだ弁護士から、「いちばんの問題は専決処分。教育長の謝罪しかない」と的確なアドバイスをもらった。相談に同席した市議も「6月議会の質問を考えるのに非常に役立った」と。
5月27日に、同市議の質問項目提出に合わせ、共同代表2人が市教委に回答の督促におもむいた。「過去の誤りをとやかく言うつもりはない。今後は9条の会≠理由に拒否しないことだけを求める」。担当部長は20分間ほど元気なくうなだれていた。
教育長、市議会で謝罪
「手続の誤り」で本質を隠蔽
6月3日午後、市議から「教育長から一般質問への答弁で手続きの誤りについて謝罪したいとの連絡」があり、6月4日市教委の担当部長と課長が代表宅を訪れ「5月27日の申し入れを受けて検討した結果、手続きの誤りを認め謝罪することになった。今までの不誠実な対応を心からお詫びしたい。6月9日市議会で教育長が誤りを認め謝罪する。どうか『今まで言ってきたことと違うやないか』と野次らないでほしい」と言う。「野次云々」には、吹き出してしまったが。
市議会一般質問での謝罪答弁(2紙が報道)、6月17日、市議立会いのもと双方から5人の謝罪会見、その後、記者会見、18日4紙がいっせい報道となった。「手続き上の誤り」での謝罪を、どう受け止めればいいのか。とくに、教育長が記者の取材に「不許可判断は誤りではなかった。あくまで手続上のミス」と言い、「憲法を守ろう≠ヘ、その通りでいいが改憲に反対≠ヘ賛成の人もおり政治的である」と言い続けている。7人の評価も割れていたが、一区切りとなった。
「手続き上の誤り」は行政組織としてはいわば致命的ミスである。「不許可は正しかった」「改憲云々」などの主張は手続きが適正に行なわれたことを前提に展開されるべきことである。その手続きに「誤り」があったとを認めたということは、相手側の主張の土台が崩壊したものと筆者は認識した。
次の講演会が本番
世間の目には、このような致命的なミスを犯した教育長が「改憲云々」という主張をおこなうことはおこがましい≠ニ映るだろう。
したがって教育長は「不快な思いをさせ」「さまざまな不信を招いてしまった」こととして全面謝罪ともいえる謝罪に追い込まれてしまったのだ。市議会では「教育長があそこまで謝罪したのを初めて見た」との評価が広まったという。
市教委の政治的中立論≠ヘ、その主張の中心部分である。これを打ち破るには、さらに広い陣形が求められる。次の講演会での後援問題は、双方の主張が真っ向からぶつかりあう本番となるだろう。それを見据えた活動が始まっている。
抵抗の意思 草の根に
前川喜平講演会に参加して
講演する前川喜平さん |
7月24日、東大阪市内で教科書を考える運動の一環として、元文部科学事務次官の前川喜平さんの講演がおこなわれた。コロナ情勢のため施設側から入場者数を定員の半分に制限されたが、250人が参加した。当日もチラシをみたといって参加できないかといってきた人もたくさんいた。コロナ情勢がなかったら500人を超えていただろう。
前川さんは官邸政治によって三権分立が壊されてきていることを危機感をもって訴えた。人事権で権力を拡大し安倍政権に刃向かえない状況がつくられ、それはマスコミにまで及んでいると指摘した。
政治が教育に介入
教育とは真理を教えることであり、多数決で教育を決めてはいけない。たとえば2+2が4になるという真理を2+2が6になるように変えてはいけないということである。だから政治が教育に介入して真理をゆがめてはならないという説明はわかりやすかった。
奈良県御所市出身の同氏は古代史が大好きで教育勅語を暗唱できるほどである。しかし教育勅語を復活させようとする動きには大反対で、教育勅語を教育現場で使えるようにするための質問が国会でおこなわれたとき、答弁に立った初等教育長の前川さんが思い悩んだ話はリアルで会場の参加者は聞き入った。
同氏は、安倍首相をはじめとする歴史修正主義者が目の敵にしているのが沖縄の集団自決、軍隊「慰安婦」、南京大虐殺だが、いずれも事実であり否定することはできないと指摘した。
さらに東大阪でたたかっている私たちのために、各自治体の首長は教育に介入してはならないことを強調した。市長には教育長の任命権があっても教育への介入は許されない。これは首相に最高裁長官の任命権があっても裁判に介入できないのと同じだとわかりやすく話してくれた。講演会終了後、同氏に市役所の展望階から花園ラグビー場など東大阪の街をみていただいた。今、教育の独立を守るために全国でさまざまなたたかいがおこなわれているが、東大阪でたたかう私たちの思いも同氏に伝えられたと思う。
なお、本集会を含めてMBS(毎日放送)のテレビ取材が継続しておこなわれ、東大阪市への私たちの申し入れ行動等にも取材チームが来ている。東大阪を含めた大阪での教科書問題に関する特集番組が8月31日深夜0時30分から放送される予定である。ちなみに野田市長に対する取材申し込みもおこなわれている。また、8月4日の毎日新聞朝刊では4面で前川さんのことが大きく取り上げられた。
翌7月25日、四条畷市で来年から中学校で使用される教科書採択がおこなわれたが育鵬社教科書は不採択となった。同市では市長が交代した後の採択であり、同市の育鵬社教科書の採択(前回)は市長による政治介入だったことを裏づけた。
東大阪市の教科書採択は8月24日におこなわれる。私たちは多くの仲間とともに育鵬社教科書不採択にむけて行動していく。それに先立ち、8月8日、5回目になる平和祈念のつどい・東大阪≠ェおこなわれ、真宗大谷派僧侶の鈴木君代さんのミニライブや、シリーズとなったくるみざわしん脚本の「あの灯を導きに」の寸劇もおこなわれた。今回の寸劇はコロナ情勢を題材にしている。少しずつだが、地域に根差す抵抗の意思は着実に草の根のようにひろがっている。(三船二郎)
(短信)
●原発以外の電気料金に、原発賠償費など上乗せ
沖縄電力を除く電力大手9社は、今年10月「託送料」改定し、来年10月に実施する。新規発電会社(自然エネルギーなど)が発電・売電する際、送電網は各地の大手9社が独占しているので、その送電網を利用することを強いられる。その利用料金が託送料である。
したがって、託送料は消費者が払う電気代に含まれる。
ところが、この託送料に「原発事故に備える費用や廃炉費」を転嫁するのが改定の内容だ。原発とは何の関係もない電気の料金に原発関連費用を上乗せするのである。託送料に上乗せされる「原発賠償費用」の総額は2兆4000億円にのぼり、今後40年間にわたって上乗せされる。
原発関連費用は原発由来の電気代に含めるのが当たり前で、なぜ原発と関係ない電気代にそれを上乗せするのか。それは、原発以外の電気代にも転嫁しないと、原発由来電気が割高になり、ますます原発離れが進むからに他ならない。自分の意思として原発電気を拒否している人だけでなく、料金面からも「もう原発はいらない」という世論が拡大するのはまちがいない。こうした非常識を経産省が主導し、国ぐるみで「原発の維持、潜在的核武装能力の維持」に固執しているのだ。
6面
連載 命をみつめて見えてきたものR
医療の選択は民主的権利
有野 まるこ
近代医学の導入
前回紹介したのは近代西洋医学の誕生、そして代替医療との確執の歴史。では日本の医療の歴史はどうだったのだろう? もともと日本には、奈良時代に伝来した中国伝統医療(針灸・漢方薬など)があった。千年をこえる歴史により、日本の伝統医療といってもいいほどにみがかれ親しまれてきた。西洋医学がオランダ経由で導入されたのは江戸時代。蘭方・洋法とよばれた。これが人気をあつめはじめた幕末、中国医療は漢方とよばれるようになった。漢方には外科はない。江戸時代には入院治療という考え方はなかったので、いわゆる病院はなかった。
最初の西洋式病院は、オランダから派遣されていた海軍軍医ポンぺが、1861年開設した「長崎養生所」。ここでは日本人向けの西洋医学教育もおこなっていた。戊辰戦争(1868―69年)ではおおくの戦傷病者がでたが、漢方医では救急現場の対応はできなかった。西洋医学を学んだ医師が外科的処置をおこなう臨時の戦時病院が各地に設置され、明治になると陸軍病院・海軍病院が開設されていく。
1875年明治政府は「医制」を発布。これが近代医療制度の枠組みをつくった。@病院には行政の開設許可が必要になり、A西洋医学の試験に合格したものしか開業できない、ということが定められた。ベースにあったのは「医療の一元主義」。国が認める正統的な医学システムを近代西洋医学に限定し、以降、医療行為を規制する法律(医療法・医師法・薬事法など)がつくられていった。
医制発布当時、漢方医8人にたいし西洋医は2人。従来からの漢方医は開業を継続できるとの経過措置がとられたものの「正統な医療は西洋医学」とされたのだ。1883年「医師免許規則」では医師をなのれるのは西洋医学の試験に合格したもののみとされ、漢方医は大打撃をうけた。
その後、針灸・あんまは営業許可制となり、戦後には針灸・あんま・マッサージ・指圧・柔道整復術を「医療類似行為」と規定する法律や国による免許制度が導入された。「類似」のことばに差別的で排他的な認識がうかがえる。健康保険適用は基本的には西洋医療のみ。針灸などが医師の同意をふくむさまざまな制約をうけるのも医療一元主義にもとづいている。
医師免許さえあれば、、中国医学の専門知識や技能の履修なしに針灸施術や漢方薬処方がOKとなる。その結果、漢方の知識がまったくない医師が製薬会社のマニュアル通りに漢方薬を処方する、他方、漢方を専門的に学んだのに実際の処方はできないなどの矛盾した現実がうみだされてきた。
こうして「西洋医学こそ唯一の正統な科学的・普遍的医療」「それいがいはウサンくさい」という偏見や固定観念が社会的に形成されてきた。
西欧近代科学技術万能のイデオロギーを浸透させ、国家的力を総動員して富国強兵策をとり、侵略と経済成長至上主義の国へとつきすすんだ明治以降の歴史を想起されたい。西洋医学こそ是とする医療一元主義をかさねあわせてみよう。西洋医学の強みは外科医療と感染症医療であり、国の政策の中心軸は軍事病院設置と感染症対策(差別的隔離政策など)であった。戦争と社会防衛のための医療という歴史的役割がうきぼりになってくる。
医療の多元主義
庶民にとって西洋医療や病院が身近となったのは戦後、とくに1960年の皆保険制度以降だろう。昔はおおくの家庭で、民間療法や伝統的な知恵、針灸や和漢薬、薬草など、いまでいう代替医療によって病やケガをいやしてきた。こうした社会の実相にてらしても、医療一元主義は国家的イデオロギー・体制であったと実感する。
さまざまな医学システムが併存し、人びとが必要におうじて自由に選択できる環境でなければならないという「医療多元主義」の思想がある。「宗教の多元主義」とならび、民主国家に不可欠な原理のひとつともいわれる。現在の欧米に代替医療が定着し、医療の選択肢が飛躍的にふえてきたことの背景にある思想だ。たとえばドイツでは、19世紀でもホメオパシーと医師会との確執ははげしくなかった。日本の医療・医学界のかたくなな医療一元主義、代替医療の無視や否定は、民主主義の社会的未成熟と通底しているのではないだろうか。(つづく)
(寄稿)
助け合って生きられる事は素晴らしいこと
脳性まひ者の生活と健康を考える会 古井正代
最近、ALSの方が亡くなったことに対する報道が出ました。その報道では生きることへの自信のないことがクローズアップされていました。ALSの方も私たち障害者も介護無しでは生きられない。生きるための介護が、人に迷惑をかけると思い恐縮している人がどれだけいるだろう。実際にヒットラーは障害者が生きてるだけで当時のお金で6万マルク国民の税金かかる、我々の重荷でしかないというポスターを貼って啓発してT4作戦を実行しています。
日本でも学校教育において、人に迷惑をかけてはいけないという事を教えます。私達が行かされている養護学校、支援学校、施設においても、介護される仲間は迷惑をかけることになる、それは悪と教えられます。だから、私の仲間は無理をして体にダメージを与えてでも自力でしようと思ってしまっています。自分で無理をしてでもやろうと思うことに意義があると思わされているのが障害者の現状です。介護を受ける=一生迷惑をかけるくらいなら死んだほうがましだという事に繋がってしまいます。
助け合って生きられる事は素晴らしいことだと言う価値観が一般的に広がらないのは、学校教育においても健全児と障害児を別けて、助け合うことがお互いに必要だと教えていないことの弊害だと思います。
今年で植松被告の起こした殺人事件から4年目ですが、彼の価値観も同じで、迷惑をかけるしかない存在は生きる価値がないと言っています。私たち障害者は、旧優生保護法のもと、優生者の社会を守るため障害者の存在を「あってはならない存在」として、迷惑だと私たちは自身のことを思い、親や世間からも思われて来ました。優生保護法が無くなっても迷惑かけるという存在感は人々の根底にしっかり生きています。植松被告を生んだ社会が何よりの証拠です。私たちが生きていけるような社会が全ての人も最後まで自分らしく生きていける社会だと思います。
(シネマ案内)
『マルモイ ことばあつめ』
監督:オム・コナ
韓国映画/2019年/135分
現在、韓国では『タクシー運転手〜約束は海をこえて』、『1987、ある闘いの真実』、『国家が破産する日』など、現代史を民衆の視点で見直す映画が作られている。この映画もこの流れのなかにある作品で、女性監督オム・コナの初監督作品。
1941年、京城(現在のソウル)市街。パンスは映画館のモギリなどで生計をたてるが、生活に困っている。息子の授業料を払うためにスリをたくらむ。ジョンファンは、大切そうにかばんをかかえて歩いている。かばんには秘密裏に編集をすすめている朝鮮語辞典の原稿が入っていた。パンスは大金が入っているものとにらむ。二人の物語は、ここからはじまる。
ここで史実を確認しておく。植民地支配下の朝鮮では、皇民化教育がおこなわれていくなかで、朝鮮語がうばわれていった。学校は日本語で教育がおこなわれ、子どもは朝鮮語が話せなくなりつつあった。学校では、子どもに日本名が付けられた(1939年から「創氏改名」)。
民族の言語が消滅していく危機のなかで、1929年10月に「朝鮮語辞典編纂会」が結成され、朝鮮人の手で朝鮮語辞典を作ろうという運動がはじまる。この抵抗運動をつぶすために、1942年10月「朝鮮語学会事件」がでっちあげられた。ハングル学者33人が治安維持法違反で逮捕され、過酷な拷問がおこなわれた。2人が獄中で拷問死、8人が有罪判決をうけた。その後、朝鮮語学会のすべての会員を検挙し、朝鮮語辞典編纂を中止させ、朝鮮語学会を解散させた。なお、「朝鮮語大辞典」の草稿は、1945年9月にソウル駅朝鮮通運倉庫で発見されている。
映画はこの事件に基づいているが、登場人物などはフィクションだ。当時、かなりの朝鮮人は朝鮮語をしゃべれても、ハングルを読み・書きすることはできなかった。パンスもそうだった。「ミンドゥルレ(たんぽぽ)」は門の際に咲く雑草。この言葉の語源には「たんぽぽの綿毛が飛んでいくように、知識が広がればきっと民族の独立はできる」という想いが込められている。パンスはこのことをジョンファンに教えられた。言葉の語源を知り、文字を獲得していく。こうして、パンスはマルモイ(辞書)づくりの意義を認識していく。「一人の10歩より、10人の1歩」によって、朝鮮語辞典がつくられていく。「ミンドゥルレ(たんぽぽ)」は、この映画を理解するキーワードになっている。
映画に登場する日本人は、植民地支配の側の「悪」ばかり。日本の観客はこれに不満をいだくかもしれない。言語が奪われることは、その民族の歴史、文化、思想が奪われるということであり、わが身が奪われることに等しい。日本は朝鮮を植民地支配したが、敗戦後も国家としてそのことを反省していない。また、日本人はわが身になって植民地主義の歴史を反省的に捉えなおすべきであったが、自らの過去とじゅうぶんに向かい合ってこなかった。朝鮮を植民地支配した側の人民として、是非とも観ておきたい映画だ。(鹿田研三)