介護労働の現場よりB
ALSをともに生きよう
「安楽死」強制を許さない
ALS(筋萎縮性側索硬化症)を生きていた女性が、昨年11月30日、2人の医師によって殺害された。私はこの事件を新聞で知った。悔しさと怒り。私の介護ヘルパーとしての仕事が土台から崩されてゆく。
私は2008年、呼吸器をつけて生きている人を知った。ALSだった。彼を支えともに生きたいと思い、ヘルパーになった。以来、5人のALSの人を介助し、4人と死別した。彼らは、『死ぬほどつらい』『死にたいほど苦しい』時をも生き抜いて亡くなった。
今回の事件は恐ろしい。医師2人が女性の居宅を訪れ、ヘルパーを別室に移動させ、胃ろう(生きるために栄養や薬を直接胃に注入するもの)から、持ちこんだ鎮静剤を多量に注入し殺害した。
医師のひとり、大久保愉一は、厚生労働省の技官だった。殺された女性のものと見られるツイッターやブログには「こんな姿で生きたくない」「安楽死させてほしい」という言葉がつづられていた。一方、大久保のものとみられる匿名のツイッターアカウントには「死にたい奴に苦痛なく死なせてやることはできるのだが」や「安楽死外来(仮)やりたいなあ」などの投稿がみられた。「安楽死」殺人がこの国で実行されたのだ。
「安楽死」の容認
1991年、東海大学附属病院で末期がん患者を死亡させた医師にたいする95年の横浜地裁判決は安楽死を容認した。容認の要件として、@死が避けられず死期が迫っている、A耐え難い肉体的苦痛がある、B苦痛をのぞく方法をつくした、C患者本人が安楽死を望む意志が明らか―を示した。この判決がALS者殺害の原因ではないか。
ALSの発症が明らかになったとき、人は人生の総決算を迫られる。家族との関係は、財産は、友人はいるか、持病はあるか … 。
私が介助していた男性がALSを発症したとき、彼の妻が言った。「これで、この先の私たちの生き方は決まりました」と。ある年の琵琶湖花火大会のこと。天候は大荒れだった。私が「今回は出掛けない方がいいんじゃないですか」と言うと、妻は「行って体調を崩して亡くなることになったとしても、行かせてあげたい」と。本人もうなずいた。私は腹をくくった。夫婦2人とヘルパーを乗せて車を出した。彼は昨年1月亡くなった。
死と向き合い生きる
私が最初にかかわったALS者とはよく遊んだ。自宅に歌手とピアニストを招いてライブをやった。妻、姉ふたり、非番のヘルパー、歯科衛生士、友人など総勢15人。一昨年は誕生日に開いた。「あなたが生まれて、ありがとう…」歌声が居室にひろがった。
夫婦で映画鑑賞にも行った。事前に映画館に「呼吸器の音がします」と断りを入れると、「どうぞ、おこしください」と支配人。上映終了後、帰って行く人たちは「がんばっているのね」と彼に声をかけ、体をさすった。
病者や障がい者にかかわる時、自分自身がその人の病気や障がいのもうひとりの当事者になっていると感じる。その人が死と向き合いながら、自己を実現するのを介助しつつ、ヘルパーは自分の人格をつくり、生きていると思う。
私は数年前、介護福祉士の国家試験を受けた。筆記試験の最後の問題―設問「ある施設で、老婦人が『つらいから、もう死にたい』と言ったとき、正しい対応はどれか」。答えは5択。正解は「『死にたいくらいつらいのですね』と応じる」。それ以外の対応は不正解だというのだ。
私は正解を選んで試験に合格した。
しかし、「老婦人」のつらそうな顔をした「踏み絵」を踏んでしまったという気持ちにおそわれた。自分が無性に情けなくなった。合格証を破棄し、資格登録の手続きをやめた。
命の選別
この国では、「正解」のような対応を『傾聴と反復』と呼んで介護専門学校で教えている。「つらい」と言う人には「つらいのですね」とおうむ返し。「死にたい」と言う人には「何もするな」。そうして「つらい」と言っていたALSの女性を厚労省元技官の医師が殺害した。
この国では、難病者、病者、障がい者、高齢者には、病気、障がい、高齢の上にいっそう重く、国の制度・施策がのしかかっている。介護ヘルパーはその担い手でもある。国の中枢には、優生思想=生命の選別が厳としてあり、日々、マスコミやネットで社会全体に拡散されている。『安楽』や『尊厳』などで飾っても、他者が死を強制してはならない。日々、生きてゆく…。生命、立ち現れている。
今日私は、昼間はALS者の介護に入り、夜はHIV発症者の泊介護だ。私は護る。ともに生きる。(唐住 日出男)
同盟員による性暴力事件について深くおわびします
革命的共産主義者同盟関西地方委員会(以下、同盟)は7月下旬、臨時総会を開催し、同盟員である八代秀一にたいして、以下述べる理由によって、無期限の資格剥奪処分を決議しました。八代は『未来』および『展望』の編集委員を兼任していました。
2019年12月末、八代は大阪府内に所在する同盟所有の建物(以下、事務所)内において、Aさん(女性)にたいして性暴力を働きました。Aさんは同盟の協力者であり、同盟員の連れ合いでした。事件当時、Aさんは家族の事情で事務所内の個室に一時避難していました。Aさんは重い精神病の症状に苦しんでおり、栄養失調も重なって衰弱した状態でした。八代は、事件当夜、事務所内に人がいなくなったときにAさんが宿泊していた個室に入って、Aさんに襲いかかり性交を迫りました。Aさんがこれに抵抗し拒絶したため、八代は犯行をあきらめ、事務所を出ました。事件直後、Aさんが連れ合いのBさんに電話で連絡し、八代の犯行が明らかになりました。
八代が犯した性暴力事件は人間として到底許すことができない犯罪です。私たちは被害者のAさんに心からおわびします。本件は同盟員による前代未聞の性犯罪であり、女性差別事件であり、障がい者差別事件です。私たちは本件によって、私たちを支持し、共に闘ってきた皆さんを裏切り、深く傷を付けてしまいました。さらには性暴力、女性差別、障がい者差別とたたかう人びとを裏切り、敵対する行為をはたらいてしまいました。私たちは同盟員がこのような重罪を犯したことを深く恥じ入るとともに、すべてのみなさんにおわびします。
本来ならば、本件発生後、速やかに事実を公表すべきところでしたが、実際には7カ月以上もかかってしまいました。地方委員会は、同盟員による犯罪の重大性とその対処が遅れたことの責任を重く受けとめ、同盟の議長および地方委員全員が辞任し、臨時総会において承認されました。
以上、同盟による犯罪行為の事実を報告するとともに、心からの謝罪と反省の意を表明します。
2020年8月1日
革命的共産主義者同盟 関西地方委員会
「黒い雨」訴訟 原告が完全勝訴
「放射能雨の影響、より広範囲」
「全面勝訴」の垂れ幕をかかげる原告ら(7月29日、広島地裁前) |
7月29日、「黒い雨」訴訟で広島地裁(高島義行裁判長)は、判決を待たずに亡くなった9人を含め原告84人全員を被爆者に該当すると認定した。いわゆる「黒い雨」を浴びて健康被害が生じたのに、広島県・広島市が「国による対象区域外として被爆者健康手帳の申請を却下したのは違法」とし、その取り消しを言い渡した。原告側は完全勝訴した。
判決は「降雨区域は混乱期の乏しい資料に基づく概括的な線引きにすぎない。過去の降雨域を推定する調査は体験者への聞きとりを基にしているが、体験により線引きが大きく異なっている」「降雨は、より広範囲だったと認めることができる」「原告らの被害の陳述に不合理はなく、(診断書などからも)黒い雨の影響を受け病気にかかったと認められる」とし、原告側の陳述を全面的に認め、被告側の無為を批判した。黒い雨が健康被害をもたらすのは、直接に降雨を浴びた外部被ばくや、放射性微粒子が混入した井戸水、食物の摂取による影響がある。判決は「内部被ばくの可能性も加味、検討するべき」とした。
本件「黒い雨」被害者らは、県や広島市に認定を申請し却下されてきた。一方、県や市は「被爆者に寄り添う」立場から、国・厚労省に「降雨域の範囲を被害者の実態に即し見直すべき」と再三求めてきたが、対応してこなかった。国は一刻も早く、置き去りにしてきた被爆者を救済しなければならない。高島裁判長は本件結審の後、広島高裁事務局長に異動していたが、この日は自ら希望し法廷で判決文を読み上げた。その後の原告団よる記者会見では、「被爆者に寄り添った判決だ」と報告された。
2面
時評
コロナ感染拡大と社会主義
利潤のためから?使用のためへ
佐藤 隆
1 感染拡大の原因―グローバリズムと新自由主義
3月11日にWHOがパンデミック宣言をして以降、コロナウイルスの拡大は止まらず、現在も世界で毎日5000人前後の人が死亡し、累積での死者は60万人以上、特に、米国14・5万人、ブラジル8・5万人、イギリス4・5万人、メキシコ4・3万人で4カ国の死者が合計で総数の約半数を占めている(死者数は、検査数に依存する感染者数より実際との誤差が少ない)。中東を除くアジアの人口当たりの死者数は欧米に比して100倍近く低い(6月21日、札幌医大集計等)。それでもアジアでも深刻な打撃を受けている。コロナウイルスは「風邪の一種」として急速に感染を拡大し、無症状の人も多いが、時に呼吸器官などで急激なサイトカインストーム(過剰免疫反応)を引き起こして重症化する非常に危険な病気だ。
21世紀は、動物起源のウイルスによる新興感染症(新型インフル、SARST、U、MERS)の時代となっている。地球温暖化と森林破壊による人間と自然の接触面の拡大、工場的農業による生物多様性の喪失、グローバリズム・新自由主義の下での人の過剰な移動と都市への人口の集中がパンデミックをもたらしていると指摘されている(ロブ・ウォレス、ダニエル・タヌロなど)。WHOも、18年や19年に「パンデミックは来るかどうかではなく、それはいつ来るかだ」と指摘していた。新自由主義による公衆衛生の後退と医療の民営化も社会の安全弁を破壊している。コロナウイルス感染の現状は21世紀の「新常態」だともいえる。
ところで、コロナウイルスのウイルスの由来について、中国の軍事研究所などとする根拠のない憶測が流布されているが、これまでのゲノム解析(遺伝子の連続的な変異)からは、かつて大流行したSARSとMERSの延長上にあることは明らかとなっている(ファウチ・河田昌東など)。一般的には19年11〜12月に中国武漢で発生したという見方が有力であるが、現在問題になっているSARS-CoV―2は既に84年頃にはコウモリで発生しており、これまで何らかの形で潜伏していた可能性があると指摘する論文も発表されている(Maciej F. Boni)。
現在、コロナウイルスに対して、人間へ初めて使用するmRNAワクチンの開発競争が先進国の巨大医療資本によって進められている。しかし、コロナウイルスは抗体を容易に形成しない、あるいは抗体が持続しないという指摘もあり、未だ実用化の目途は立っていない。他方で、既に多くの人がコロナウイルスに対して有効な交差免疫(類似の免疫機能)を所持しているとの指摘もある(米ラホイヤ免疫研究所)。また、細胞レベルでの実験や臨床実験がおこなわれて経験が積まれている既存の抗ウイルス薬をコロナウイルスに対して使用する試みは、利用できれば経済的にも有益だが、抗ウイルス作用のメカニズムが明らかでない場合が多く、混乱のもとになっているのが現状である。
2 明らかになった経済格差
ロックダウンや出入国の禁止で深刻な打撃を受けた各国経済は、米国約320兆円(GDP16%)、日本約108兆円(GDP20%、一般会計予算とほぼ同額)の財政出動や、EU約92兆円の基金の創設などで何とか危機を回避している。だが、それは金利が上がれば国家財政が破綻するという異常な状態となっている。新興国からは既に10兆円超の資金が流失、このような中で米中の対立が深刻化している。08年金融危機以降の「先進国の金融緩和とBRICs等新興国の急成長」という経済循環モデルは終末を迎えたことは明らかだ。
また、コロナウイルスの拡大は、貧富の格差を浮き彫りにした。IT企業が大きな利益を上げ、米国では大学院を出た人は50%以上が在宅勤務ができるが、大学に行っていない労働者で在宅勤務ができるのは13%に過ぎない(米労働省)。日本では年収400万円以下の世帯は70%が「減収となった」が、年収600万以上の世帯は60%が「変わらないか、増えた」としている(朝日新聞デジタルアンケート)。コロナウイルスでの死者の40%近くが介護施設で起きているのも世界で共通する状況のようだ。
3 社会に重要なのは私たちの仕事。利潤のためでなく、使用のための生産を
コロナウイルス拡大の影響が大きかった「運輸・販売・製造・飲食関係・医療介護関係」等の現場労働者は、世界で「エッセンシャルワーカー」(必要不可欠な労働者)と呼ばれるようになった。人々は何が本当に重要なのかをパンデミックの中で理解し始めたのだ。利潤を得るための経済活動から、人々の生活のニーズを満たすための経済活動への転換が必要だ。
資本主義の無際限の拡大再生産が地球の自然的限界と衝突し、地球温暖化や自然災害、パンデミックをも引き起こして人類の生存を脅かしている。これにストップをかけるには、民主的に計画化された経済に転換する以外にない。労働現場、生活現場からの反撃を拡大し、社会主義勢力の大衆的形成を実現しよう。(7月26日記)
「ゼロエミッション電源」は危険
埋め込まれた原発推進の罠
地球温暖化対策が重要な問題になっている。このなかで脱炭素化(CО2ゼロ)、再生可能エネルギーの推進が声高く叫ばれている。ひとびとは自然食と同じように電気についても、環境にいいものは少々割高でも使いたいと思う。そこに「ゼロエミッション電源」という聞きなれない官製用語が紛れこんでくる。
ゼロエミッション電源とは、再生可能エネルギーと原発をひとつに束ねたものだ。そもそもゼロエミッションとは、「環境を汚染し、気候変動をおこす廃棄物を排出しない」ということ。原発は発電時に二酸化炭素は出さないが、放射性物質を大量に放出する。だから、原発はゼロエミッション電源ではない。
しかし、経産省は廃棄物の定義を二酸化炭素に限定して、発電時に二酸化炭素を出さないエネルギーとして使用している。経産省の思惑は、原発を推進するところにある。再生可能エネルギーとセットにすることで、原発をクリーンなエネルギーであるかのように装い、再稼動を狙っているのだ。こうして「原発は二酸化炭素を出さないクリーンなエネルギー」というキャンペーンが、いたる所でおこなわれている。
経産省は(その前身を含めて)戦後一貫して原発を推進してきた。福島第一原発事故後も、いち早く再稼働をおしすすめたが、九州電力やらせメールが発覚して実現しなかった。その後も原発推進政策にたいして何の反省もなく、福島原発事故をおこした一方の責任者であるにもかかわらず、原発を推進し続けている。
非化石価値取引市場
福島原発事故後、経産省は一連の電力システム改革をおこなってきた。このなかで、2018年から「非化石価値取引市場」というものを作っている。このねらいは化石燃料を使わずに発電したことを示す「証書」を取引することで、温暖化防止や脱炭素化を促すところにある。
今年度から、この証書にゼロエミッション電源が加わった。この証書があれば、小売電気事業者は原発の電気を「ゼロエミッション」とか「CО2ゼロ」と表記して、賦課金を上乗せして売ることができるのだ。この賦課金は原発の補助金に使われる。これでは消費者が「環境にいい」と思って買った電気に、原発の電気が入っていることになってしまう。さらに原発推進のための補助金を払っていることになる。また、「第5次エネルギー基本計画」(18年)には、「2030年までにゼロエミッション電源44%達成」目標が掲げられており、小売電気事業者は無理に証書を買わされる可能性もある。このしわ寄せは、すべて需要側(消費者、企業)にまわってくる。
「CО2ゼロ」電気には経産省の原発推進が埋め込まれている。経産省は地球環境にたいする人々の良心を利用し、消費者をだましている。「ゼロエミッション」「CО2ゼロ」の表示には注意が必要だ。(津田保夫)
7・4斎藤幸平講演会 資本主義の終わりか、人間の終焉か? コモンを基礎にエコ社会主義へ
7月4日尼崎市内で「資本主義の終わりか、人間の終焉か?」と題する斎藤幸平講演会が開かれた。斎藤幸平さんは昨年『未来への大分岐〜資本主義の終わりか、人間の終焉か?』(集英社新書)を上梓した大阪市大准教授。会場150人、ネットで50人が参加(写真)。以下は講演要旨。
『未来への大分岐』
1991年にソ連が崩壊した。日本でも左翼・社会運動に若い人の関心が薄れたが、アメリカの若い世代にサンダースと社会主義を支持する人が膨大にいる。新自由主義グローバリズムの時代は、若者たちを使いつぶす形で貧富の格差が広がった。資本主義は良かったのかということだ。
気候変動でも、オーストラリアの大火災、日本でも台風や豪雨が毎年襲う。この中でコロナが発生した。世界中の森林を伐採し生態系を壊してきた。自然と共存し持続可能な社会を作るのか、自然を破壊し人類も滅ぶのか。
新自由主義はフリードマンが提唱し、1970年代のオイルショックの時、危機の解決策として浸透した。いま新自由主義の危機に、思想家・政治家、左派・リベラルが何を提起するのか。ベーシック・インカムが、コロナ禍では10万円給付で現実問題となった。「買い物は通販で商店街はつぶれる」でいいのか。
アメリカの20代・30代の若者は社会主義を求めている。彼らの世代は、大学ローンや卒業しても仕事がなく、医療保険もないなど、資本主義社会に生きて良かったことはない。だから社会主義で、若者の多数がサンダースに投票し、イギリスではコービンが人気だ。BLM(黒人の命は大切だ)運動、香港の雨傘運動、ツイッターデモなどの若者の運動からどう学ぶかだ。資本主義をのりこえ、社会主義をめざすが、技術で生産力を上げるソ連型社会主義や、北欧型福祉国家でもない。資本主義の先にある持続可能なエコ社会主義だ。
シベリアの気温が38度になるなど気候変動が地球を壊している。二酸化炭素の排出量を半分にしないと2100年までに4度上がる。海面が上昇し億単位の難民が発生する。単なる経済成長ではなく、再生可能エネルギーを基礎にした新しい社会のビジョンが必要だ。その運動の中からコモン・コミュニズムが生まれてくる。経済の目的を抜本的に変え、既存のシステムの矛盾を根底的に変革していく必要がある。(岸本耕志)
3面
投稿
闘い続ける米労働者階級
黒人の生活のためスト
愛知連帯ユニオン ジョセフ・エサティエ
ストに2万人参加
7月20日、ニューヨーク、ロサンゼルス、サンフランシスコ、デトロイト、フィラデルフィア、シカゴ、ボストンを含む160の都市でService Employees International Union(SEIU)という労働組合とM4BL(Movement for Black Lives)という人種差別に反対する市民団体連合が主導し、「黒人生活のためのストライキ」をおこなった。 今回のストライキは、5月1日のメーデーにおこなわれたストライキに始まり、6月19日のジューンティーンス、そして7月4日の独立記念日に続き、コロナ・ロックダウン以降の4回目のストライキとなった。参加者のプラカードには、「エッセンシャルワーカーのための正義」、「エッセンシャルワーカーもブラックライブズマターと共に」、そして「警察の予算を打ち切れ」などと書かれていた。一部の新聞では、今回のストライキには少なくとも2万人が参加したと報告している。
「息ができない」
絞り出すような声で「息ができない」と言ったジョージ・フロイド氏の言葉はアメリカ社会の貧困層に響き渡った。新型コロナウイルスの感染に怯える富裕層は郊外の別荘地へ避難したが、生計を維持するためにコロナ禍で働かざるを得ない貧困層には避難するという選択肢はない。
彼らの多くは女性や若者、黒人やラティニクス(=ヒスパニック)などの非白人であり、コロナ禍においても社会に必要不可欠なエッセンシャルワーカーと呼ばれる介護、運送業、食料品店などに就業し、低賃金、非正規雇用、ハイリスクの三重苦に首を絞められている。フィラデルフィア市のエッセンシャルワーカーの年収の中央値はわずか2万5千ドル(約270万円)。ジョージ・フロイド氏の「I can't breathe(息ができない)」という言葉と貧困格差、人種差別、労働問題などに喘ぐ人々の苦しみが重なり、アメリカ社会に大きなデモの波を引き起こした。
Amalgamated Transit Union(ATU)という鉄道組合のジョン・コスタ氏は「コロナのパンデミック、経済不況、そして根強い人種差別が巻き起こした嵐は、非白人労働者の人々の生活をこれほど危険な状況にさらしたことはなかった」と語った。また、「貧しい人々のキャンペーン」の代表であり牧師であるウィリアム・バーバーU氏は、「ストライク・フォー・ブラック・ライブ運動は元々警察の暴力に対する怒りから始まったが、労働者の生活を脅かすような劣悪な労働条件に抵抗する運動も含まれるようにになった」と述べている。
海外へのひろがり
また、ジョージ・フロイド氏暴行死事件の波紋は海外にも広がりを見せた。韓国の運輸労働組合ではストライキに賛同する決議が可決された。彼らは拳を上げ、韓国語で「ブラック・ライブズ・マター」そして英語で「No Justice, No Peace」と声を上げてデモをおこなった。ブラジルでは、マクドナルドの労働者らがサンパウロ本部に集まりスタンディングを実施した。また、2400万人が加盟する労働組合連盟の代表は、マクドナルドの構造的な人種差別を検事に訴えた。医療保険の整備、人種差別の撤廃、労働組合に加入する権利、労働環境の安全対策など、人間が生活する上で当然の権利が未だ認められないことへの不満と怒りは世界へも波及した。
天皇代替わりに異議あり
共和制の意義を堀内哲さんが講演
7月23日、「天皇代替わりに異議あり! 関西集会」(主催:天皇代替わりに異議あり! 関西連絡会)が、大阪市内でおこなわれた。右翼が「集会を中止しろ」と叫び、車両パレードをおこなうなか90人が参加した。堀内哲さん(共和主義研究家)が「今だからこそ共和制移行を提起する」というテーマで講演した。
昨年、天皇代替わりのなかで「奉祝」キャンペーンがおこなわれた。あれから、ちょうど1年。2月23日、天皇誕生日の一般参賀がコロナ蔓延を考慮して中止された。「国民に寄り添う天皇」ならば、このコロナ禍にたいして発言をすると思ったがしなかった。
堀内さんは、「天皇制を廃止し、日本を共和国にする」市民運動をずっとおこなってきた。「天皇制は〈人は生まれながらにして平等〉という人権思想にまったく矛盾する。民主主義の現代で君主制は廃止されるべき」と提起する。
「日本共和国」構想
天皇制をなくした後、どういう社会を構想するのか。堀内さんは、「新左翼は一段階革命論に固執し、ブルジョア共和制の意義を理解しようとしなかった。新左翼は共和制論議を意識的に回避してきた」と述べる。この議論はわれわれのなかでも希薄だったような気がする。天皇制廃止後の社会は社会主義社会(または国民国家の解体)の中に解消してきたのではない。
堀内さんの「日本共和国」構想は、次のとおり。「@安倍政権をストップさせる、A改憲を提起する。天皇制を廃止し、共和主義にする国民的論議をまきおこす、B共和主義勢力が日本の多数をしめる、C民主共和制を樹立する、D改憲をおこない、第1条から8条までを廃止する、E人民投票で脱原発・自衛隊基地を撤去する」。現在の「主権在民・平和主義・基本的人権の尊重」の3原則に、あらたに「民主共和主義・直接民主主義・人民社会主義」を加える事を提案している。
ここでは「共和制にしたのちに、社会主義体制への移行などを考えていけばよい」と語っているように、二段階革命論を考えている。では、天皇制に関する国民的論議をどのように巻き起こしていけばよいのか。「〈天皇制を廃止し共和制に〉のスローガンで、具体的に提起したほうが論議になる」と言う。
今改めて廃止運動を
今まで「天皇制廃止」論がどうして大きな声にならなかったのだろうか。ひとつは象徴天皇制への幻想(主権在民の日本は実質的に共和制)ともうひとつ、支配する側(右翼も含む)は天皇制に関する論議を暴力的に潰してきたのではないか。ここに権力問題が出てくる。天皇制とたたかうとき、これを無視することはできない。むしろ、ここに困難性があると思う。
一段階・二段階の革命論はさておいて、いろんな角度から天皇制を廃止するための運動を作り出すことが問われている。
「1970年(前後)問題から現在へ」 京都大学名誉教授 伊藤公雄さん
7月13日、大阪市内で第34回世直し研究会がおこなわれ、伊藤公雄さん(京都大学名誉教授)が「1970年(前後)問題から現在へ」をテーマに講演した。以下、講演要旨。
70年問題とは
1960年代後半から70年代にかけて、時代がおおきく変化した。ベトナム反戦闘争を軸にしながら、世界的な規模でさまざまな要求をかかげて民衆反乱がおきた。確かに社会がリベラル化していった。
71年に「ニクソン・ショック」(金―ドル交換停止)がおこり、戦後のアメリカ支配体制は崩壊していく。過剰生産状態のなかで、産業構造がおおきく変化した。70年代以降、製造業から情報産業が中心になっていった。
日本では、70年から90年の20年間で、サラリーマンの平均賃金は年収が85万から440万に増えている。ひとびとの生活は豊かになった。この消費文化は、もっぱら若者と女性が担った。一方で、格差も広がっている。
世界的な革命情勢のなかで、保守・反動勢力のほうが新自由主義という形で生き延びてしまった。新左翼は、運動的に時代を切り開きながら、時代の変化をじゅうぶん把握できなかったのではないか。
新自由主義の登場
新自由主義を考えるうえで、二つの事件が重要だ。ひとつは73年のチリ反革命クーデター。アジェンデ政権は選挙で成立した初の社会主義政権であったが、軍事クーデターでつぶされた。チリが新自由主義の実験場として使われた。以後、IMFの「構造調整プログラム」(緊縮財政)が、ラテンアメリカをはじめ世界中の国々に適用されていった。 もう一つ、69年のイタリアのフォンターナ広場爆破事件。当時、イタリア共産党は選挙で政権がとれるような階級情勢にあった。政府と支配層は右派のテロ事件を口実とした「緊張戦略」を使いながら、「赤い旅団」などの新左翼武装闘争勢力を弾圧していった。このなかで、イタリア共産党は「歴史的=i一時的という意味)妥協」路線をとった。ソ連の崩壊以降、イタリア共産党は消滅する。
新左翼の財産目録
世界的な規模で広がった新左翼運動とは何だったのか。今後の課題や失敗もふくめて、新左翼の「財産目録」を作っておきたい。
@ 上部構造(社会・文化など)の革命が必要であることを強調し、これを自前で作り出していった。しかし、そのカウンター・カルチャーは、消費文化の波のなかに吸収され、商品化されてしまった。
A 既成左翼の「民主集中制」にたいして、個人の自発性と共闘型のネットワーク型組織を模索していった。しかし、「民主集中制」の悪しき再生産か、アナーキーな「分裂」に至ってしまった。
B 複数の社会的対抗軸を発見していった。女性、障がい者、外国人、被差別部落など社会的マイノリティの権利を積極的に闘った。日本では、70年「7・7」の提起が重要だった。しかし、人倫主義的に差別者を追い込んでいく傾向も生じた。
C 資本主義の暴走がもたらす環境問題を革命の課題としてとらえ、積極的にかかわっていった。BCは、その後の「新しい社会運動」になっていった。
D 下からの自発的な大衆運動を重視し、その盛り上がりをつくっていった。しかし、軍事主義・武装蜂起主義を自己目的化していくなかで、民衆との距離が拡大してしまった。
この「財産目録」は、新左翼運動が作り出したものだ。このプラス面を生かしつつ、21世紀革命を展望していきたい。
次回(9月28日)は、「現代の革命主体をどこに求めるか」というテーマを考えていく。
4面
論考
米政治文化とトランプ政権(上)
介入主義と孤立主義
秋田 勝
今年にはいって、米トランプ政権による対中強硬策がエスカレートしている。香港国家安全維持法施行への制裁、台湾への武器供与レベルの格上げ、ファーウェイ排除の強化、中国製アプリ「ティックトック」使用禁止の検討などだ。7月22日にはヒューストンの中国総領事館閉鎖に踏み切った。このようなトランプ政権は米国政治の中で特異な存在なのだろうか。
アメリカ帝国主義の二つの政治潮流
アメリカ帝国主義は、20世紀初頭以来、独特な巨大覇権国としての存在感を示しているが、百数十年前の政治的立ち居振る舞いは、現在と相当違っていた。巨大な国内市場をもち、周辺の中南米諸国を自らの勢力圏として確保していくベクトルから、ヨーロッパの政治にはほとんど介入していなかった。第1次大戦の参戦もイギリス帝国主義の巧みな戦略のなせる技であったし、アメリカ大統領のウッドロー・ウィルソンが第1次大戦に参戦するのも本当に無理やりのようなやり方であった。それは第2次大戦のフランクリン・ルーズベルトにも言える。1941年12月の日本軍による真珠湾攻撃直前までは、大きく戦争忌避の空気が全米を覆っていたという。
もともとアメリカの政治文化には、「国際的介入主義」と「孤立主義」の二つの大きな流れがあり、共和党・民主党にかかわらず、アメリカの政治文化は、この二つの流れがせめぎ合う中にあった。今日においても同様。ただし第2次世界大戦の勝利で名実ともに世界の覇権国となったアメリカは、イギリスの巧みな情報・諜報戦略のあと押しも受けて、「国際的な介入主義」を主たる路線にとり続けてきた。その覇権戦略に基づいてイギリスと共に冷戦体制を作り上げてきた。「鉄のカーテン」演説以後は、ソ連と中国共産党を封じ込め政策で世界経済から締め出してきた。
アメリカ政治の一方の流れとしてあった国際的な孤立主義は100年近くにわたって雌伏していたが、もともとアメリカの政治文化として大きく太い流れがあるもの。単なる繰り返しとは言えないが、この孤立主義の「21世紀的な現れ」がトランプの登場として見ることができる。
「アメリカ・ファースト」というのは、そうした孤立主義の政治的な表現。アメリカの建国時におけるワシントン大統領から19世紀半ばまでの外交政策としての孤立主義を明らかに意識している。トランプのもつ個人的特性の特異さを強調することによって、アメリカ政治の底流に流れる孤立主義的な政治文化を無視することはできない。また一方でアメリカ帝国主義はあくまでもアメリカ帝国主義であって、トランプ的変容はたいしたことではないと無視することもできない。
アメリカの支配層の大多数は、約100年にわたる国際介入主義の下にあったとはいえ、トランプ的な孤立主義を支持する層が莫大に存在することもたしか。アメリカ中西部の旧工業地帯(ラスト・ベルト)の白人労働者層や地方の疲弊した街々でトランプ支持の声があがったことの原因も、トランプのポピュリズム的な言質だけを理由にあげるのは誤解をまねく。アメリカの根深い政治文化としてとらえた時に、その歴史的な意味合いも見えてくる。
そもそもアメリカの国際的な介入主義は、第2次世界大戦後の世界の覇権が、イギリス帝国主義からアメリカ帝国主義に移ったことによるもの。長年にわたってイギリス支配階級による熟練した国際政治の統制技術を、アメリカはとても下手くそな形で引き継いでいる。イギリス帝国主義は、世界的な植民地大国として約300年間にわたる国際政治で鍛えられてきた。アラブ世界での三枚舌外交はよく知られているが、インドなどでの分割統治、現地人による統治などを「巧み」にこらしてきた。いわゆる植民地経営会社にすぎない東インド会社自体が軍隊をもち、兵器商人をうまく使い、インドを植民地支配していた。またジャーディン・マセソン商会のように日本の明治維新期に多大な影響力を持った東アジアの植民地経営会社があった。こうしたやり方を、イギリスは長年にわたって実行してきたし、それは今も続いている。
しかしアメリカの場合は、イギリスのそうした覇権国としての経験を引き継ぎながらも、ある種の理想主義と孤立主義の政治文化が邪魔をして、すべての戦争を自分たちのイニシアチブでハチャメチャに一直線に実行するスタイルを続けてきた。最近20年間の中東におけるアメリカ軍のふるまいは、本当に底の浅いシナリオが多すぎる。しかしそのために何十万人ものアラブの人民が犠牲になってきた。ベトナム戦争もそうだ。本当に許しがたいことだ。
アメリカ帝国主義が孤立主義へ回帰せざるをえない世界情勢
世界経済の基盤的統計を見ると、もはやアメリカが単独の覇権をもつことは、非常に困難になってきていることは誰の目からもわかる。
2018年の世界統計をみると名目国内総生産(GDP)で並べると右下の表のようになる。
中国の経済規模が世界第2位になったことは知られているが、実は購買力平価で見ると、すでにアメリカを抜き、中国の経済規模は世界第1位になっている。もはや第2次大戦直後の世界経済の約半分をアメリカ経済がしめていたような時代は遠い過去になっている。
もはや経済規模からしても、購買力平価だけからすると中国、インド、ロシアの3カ国の総和でアメリカの2倍をしめる経済規模になっている。
すでにアメリカの世界経済におけるシェアは相当程度に低下している。たしかに単純な比較はできないが、もはやアメリカ帝国主義が70年間続けてきた国際的な介入主義を継続できるかどうかは厳しい現実が突きつけられている。こうした歴史的な基盤の変化が、トランプを生み出し、現在の国際政治の動力になっている。
孤立主義の本音
トランプは、本音ではシリアからの米軍の撤兵を実行したいと心から思っているだろうし、さらに言えば現実問題として在韓米軍も在日米軍も同様に思っているようだ。それは大統領選挙の頃からのツイッターでの表明でもよく出てきた。「なぜアメリカの軍隊を全世界に派遣する必要があるのか?」ということを真剣に疑っていることはまちがいない。それはいわゆる平和主義とも全く違う意識だ。要するに「アメリカが世界の政治に介入する必要があるのか?」という素朴な政治意識である。それでも現在は貿易などを通して世界がつながっている。それに対しては2国間交渉で解決するべきだという非常に単純かつ簡明な視点がトランプにはある。
しかしアメリカの大統領だからと言って、70年にわたって支配中枢に君臨してきた国際的な介入主義をつかさどってきた政治家・軍人・官僚たち・軍需産業(いわゆる軍産複合体)を無視できないし、彼らの言い分ともトランプは当面は共存しないといけない。だから政権発足直後の重要閣僚のほとんどは軍人出身者ばかりだった。しかしトランプの孤立主義と軍人出身閣僚との共存はさすがにむずかしく、絶えず任用と更迭をくりかえしてきた。しかしこの繰り返しの中で、アメリカ支配層の底流に潜む孤立主義的な政治潮流が、以前とは比較にならない形で、この3年間で頭をもたげてきている。そして現在のトランプ政権の基盤を作り上げてきている。この事実を決して軽く見るべきではない。トランプは極めてしたたか。(つづく)
いま読みたい名著E
荒畑寒村『寒村自伝』上・下 岩波文庫
1970年2月28日、東京の九段会館は通路もステージも青年労働者で埋め尽くされました。70年安保闘争の主役を担った全国反戦青年委員会主催の集会です。82歳の荒畑寒村の気魄のこもった講演を一言半句も聞きもらすまいと、会場は水を打ったように静まり返っていました。
当時、反戦派労働者をはじめ千余の被告が獄中にありました。寒村は蔵書を売り払って、全国反戦青年委員会にカンパしました。彼は反戦派労働者を自らの後継者、日本革命運動の新しい担い手と認め、熱いエールを贈ったのです。聞く者すべてが深く感動し、心を揺さぶられました。
寒村(本名勝三)は1887年、横浜に生まれ、小学校を卒業して、15歳で横須賀海軍造船工廠の見習工になりました。日露開戦を前に昼夜兼行で働き、深夜2時間の仮眠を取る日々を送ります。
ある日、昼食の弁当箱を包んだ『万朝報』を見て衝撃を受けます。幸徳秋水と堺利彦の「退社の辞」が載っていたのです。「ロシア撃つべし」の声が世を覆う中で、『万朝報』が非戦論から開戦論に転換したことへの抗議の表明でした。
荒畑少年はその反戦論に感激して、社会主義者になる志を立てました。17歳で単身、東北地方への社会主義伝道行商を始めます。社会主義の書を積んだ赤い箱車をひいて、諸所で演説しながら書籍を販売する旅です。
途中で田中正造に会い、足尾銅山の鉱毒問題を取材して『谷中村滅亡史』を著しました。即日発売禁止になりましたが、戦後復刻されて公害反対運動のバイブルとして愛読されました。
彼は幾度となく逮捕・投獄され、獄中で英語を独習し、ウェッブ夫妻の名著『労働組合運動史』など多くの翻訳を手掛けました。
日本共産党の創立に加わり、自ら希望して労働運動が最も盛んな関西地方の組織担当になります。彼がオルグしたひとり平井重太郎は戦後、全港湾労組を結成して中央本部書記長になり、後に大阪地本委員長として朝鮮戦争下、反戦ストを組織しました。
寒村は一貫して、ソ連・スターリン主義の批判者でした。そして人間的魅力に満ちた人格者でした。本書はエリートではない普通の庶民による、自他を欺くことが全くない自伝で、現代史への証言です。
寒村が反戦派労働者に託した期待に応えていくことは、私たちの今日的課題であると思います。 おわり(Q生)
5面
〈投稿〉前川講演会の後援拒否問題(上)江渡 績
丹波市教委、「9条の会」理由に
昨年10月、兵庫県丹波市で開かれた前川喜平さん講演会でのこと。市教委に後援を求めたが不許可となり、その経緯は教育基本法にも憲法にも抵触し、しかも教育長の独断だったことが明らかになった。講演会の後、市民有志が1年間にわたり市教委を追及した結果だった。
前川さん講演会は人口約6万人余の丹波市の内外から400人が参加し盛会だった。市民・市民団体による集会実行委員会は17年におこなった木村草太さん講演会の際に結成され、18年に望月衣塑子さん、19年2月には三上智恵さんと続けられ、昨年の前川さんで4回目の講演会だった。
「どれくらい参加があるか」という先の読めない不安もあり、「講師の著名さに頼らず広く後援を求め、宣伝していこう」となった。メンバーの1人が「前川さんは前文科省の事務次官であり、市教委にも要請しよう」と提案、6月20日に後援申請を出した。しかし市教委は26日、早々に「不許可」を通知してきた。「まさか」「やっぱり」と受け止めは様々だったが、これが1年間に及ぶたたかいの始まりになるとは、誰も思ってもみなかった。
実行委の有志7人が、「やはり納得いかない。市教委にきちんと訴え考え直してもらおう」と話し合った。7月5日から10月8日まで市教委と4回の話し合いを持った。18年2月、前川さんの講演会を開催した名古屋市の中学校に、文科省による常軌を逸した対応の記憶が生々しいころだった。「丹波市教委もやっぱりか」と思ったが、直接聞いてみなければ真意はわからない。
第1回の話し合いのとき、「丹波市教委後援等名義使用の許可に関する要綱」(以下、要綱)のコピーを渡された。その第3条1項に「教育委員会は次のいずれかに該当する場合は後援等の名義を許可しない。@政治活動、宗教活動又は営利を目的とする事業と認められるもの」とあり、これに該当するという説明だった。席上、1人が「仮に担当のあなたたちが、後援を許可するべしと意見を提案したら、どうなるのか」と尋ねると、担当課長は「そんなもん上に上げたら、ひっくり返されるに決まっとる」と言下に否定した。私たちは「市教委の組織的体質に問題あり」と思わざるを得なかった。
特定政党の支持活動?
その後、話し合いを重ねていくと市教委の言い分は概ね次のようになった。「政治活動のおそれとは、集会実行委のなかに9条の会≠ニ憲法を生かす会≠フ2団体が入っているから」「この2団体は、特定政党の支持を拡大する活動を行なっているため」「前川氏の主張や講演会自体には何の問題もない」「この2団体がなければ後援を許可した」「このような講演会に市教委が後援し名前を出せば政治的中立性が損なわれる」云々だった。9条の会、憲法を生かす会の正式名称はそれぞれ、丹波市9条の会連絡会、ひょうご丹波・憲法を生かす会であり、6月20日に申請者が提出した「実行委員会の構成」に記載された6団体のうちの2団体である。面と向かって「あなたたちさえ居なければ後援した」と言われ、「はい、そうですか」という人はいないだろう。
なお、専決処分とは要綱5条3項に、「第1項の申請のうち公共性又は公益性の高い団体の場合で軽易な事項については、これを専決処分にすることができる」と記載されている。なぜ専決かといえば、本来後援名義使用の許可・不許可は、丹波市の場合は5人の教育委員が集まる委員会で討議、決定されるべきであるが、それを教育長1人の判断でおこなえるとする規定である。どう読んでも「許可」を前提とした条文としか読めないし、当初は担当課長も「然り」と認めていた。3回目のとき突然「不許可は、直後の定例委員会に報告されており、何の問題もない」と前言を翻し居直り続けた。この「何の問題もない」はずだった専決処分≠ェ彼らの命取りとなった。
不許可の理由は「主観的判断」
丹波市教委の場合、「前川氏の講演会は、安倍政権批判の応援となるので後援したくない」という本音を2団体名を名指しし、口実に使ったことが特徴的である。隣の丹波篠山市教委も同じ理由で不許可にしたが、主導したのは丹波市教委のようである。丹波篠山市の教育長は前川さん講演会を聴きに来ている、真面目な教育者である。丹波市の場合、9条の会は活発に活動を展開している。7人の有志は「特定政党とは何党のことか」「何を根拠に特定政党の支持拡大をやっていると認定したのか」と説明を求め続けた。
4回目になり、「それは市教委の主観的判断による」と回答がされ、また不許可理由に3条4項の「その他、教育委員会が適当でないと認めたもの」が追加され、話し合いは決裂した。以後、市教委は一切の話し合いを拒否するに至った。
決裂後、「記者会見を開き市教委の対応を批判するべき」という9条の会の人たちと、「保守系の人たちや幅広い人たちにも呼びかけた講演会であり、記者会見などやめてくれ」という、憲法を生かす会との意見がわかれたまま講演会終了とともに実行委は解散することとなった。
有志グループは、実行委解散後も追及を続けようと憲法を生かす会の人たちにも呼びかけたが、参加者は集まらなかった。やむなく有志7人で「丹波市教委のあり方に疑問を持つ市民の会」を立ち上げた。平均年齢70歳を超える高齢者の集まり、最高齢は82歳の方である。
市民の会結成の際、代表はすぐに決まったが、当の代表がもう1人、共同代表制を提案したがなかなか決まらず、私が引き受けることに。有志の多くは、地元では共産党の著名な活動家であり、共同代表は2人がやるしかなかった。丹波のような田舎の共産党の方々は、皆まじめで献身的な人たちばかりである。市教委の言う「特定政党云々」は、この地域では明らかに当てこすった言い方である。本音を隠し、このような言い分でごまかし、すり抜けようとするやり方が、個人的にはいちばん許せなかった。市教委の拒否対応に苦慮し、共産党市議団長の市議にも相談した。(つづく)
辺野古新基地
ゲート前座り込み、満6年
市民ら粘り強く抗議
キャンプ・シュワブゲート前で抗議する市民ら(7月22日、名護市内) |
7月6日 キャンプ・シュワブゲート前で、2014年7月6日から抗議座り込みを始めて満6年、7日から7年目に突入する。沖縄平和運動センター議長山城博治さんは「今でも老骨にむち打ちながら現場に来ている人たちがいる。工事が止まらないもどかしさもあるが粘り強く抗議を続けていく」と語った。
この日もゲート前では30人の市民が座り込み「違法工事を止めろ」と声を上げた。安和の琉球セメント桟橋、塩川港でも運搬船への土砂搬入が続けられた。
7日 米軍普天間飛行場に住む米軍属複数人が、新型コロナウイルスに感染したことが判明した。基地に働く従業員は、基地内に数時間足止めされた。
9日 米軍は本島北部のキャンプ・ハンセンでも複数人が新型コロナウイルスに感染したと発表した。キャンプ・ハンセンはキャンプ・シュワブの隣の基地で、拡大が懸念される。
10日 キャンプ・シュワブゲート前で30人が座り込み。米軍に新型コロナウイルスが感染したが、米軍は情報を公開していない。抗議行動の市民は「米軍は不要な外出を控えてほしい」と訴えた。
11日 米軍普天間飛行場とキャンプ・ハンセンで7日から11日まで61人の米軍関係者が新型コロナウイルスに感染していることがわかった。県民の間に動揺が走った。
13日 辺野古海上で、カヌー11艇、抗議船3隻で抗議の声を上げた。K9護岸より土砂搬入がおこなわれた。シュワブゲート前でも座り込みがおこなわれた。市民からは「キャンプ・シャワブ内でもコロナ感染者がいるかもしれない。拡大しないか心配だ」と不安の声が上がった。
22日 キャンプ・シュワブゲート前で30人が座り込み、抗議の声を上げた。米軍関係者のコロナ感染が拡大していることに、市民は「米軍は全基地を封鎖しろ」「工事を今すぐやめろ」と怒りの声を上げた。(杉山)
あまりにも脆弱、危険
伊方原発の耐震性
伊方原発3号機の運転差止を求める新規仮処分の第1回審尋が7月15日、広島地裁で開かれた。申立人側から広島裁判原告団、哲野イサクさんがプレゼンテーション。
哲野さんは@伊方3号機は、1年間で広島原発の約1千倍の「死の灰」を生成していた、A本件原子炉の基準地震動は650ガルで岩手・宮城内陸地震(震度6強・M7・2)4022ガルのおよそ6分の1の耐震性しかない、B南海トラフ地震では伊方町の震度は7、地震動は1531・7ガルが予想される、C放射性物質を大量に抱える原発には「格別に高い安全性が求められる」(92年、原告敗訴の伊方原発最高裁判決)という、日本の反原発訴訟で積み重ねられてきた法理があると述べた。(江田)
関生弾圧を許さない 静岡の会が集会
7月17日、「警察・検察・裁判所の責任を問う静岡集会」が開かれた。関西生コン労組への弾圧を許さない静岡の会の主催で、雨の中、約60人の仲間が結集。
開会に先立って、保釈をかちとった武委員長がインタビューにこたえるビデオが上映された。長期勾留にもかかわらず、にこやかな表情で「あきらめずに闘うことですよ。そうすれば必ず世の中を変えることができる」と語っていたのが印象的だった。
記念講演の海渡弁護士は、「イギリスやアメリカ、フランスなどで新しい労働運動が活発化し、社会にアピールするさまざまな活動が工夫され、若い活動家が育ってきている」と報告。
続いて関生支部執行委員の松村憲一さんが、滋賀・和歌山で相次いで逮捕・起訴され公判中の自らの経験をふまえて、「産別運動をもっと深く知ってほしい」と訴えた。
集会では警察・検察・裁判所に抗議する団体署名をおこなうことを全員で確認した。なお約6万円の会場カンパが寄せられた。(一読者)
6面
連載
命をみつめて見えてきたものQ
代替医療と統合医療
有野 まるこ
医療=科学ではない
医療=科学、西洋医学こそ唯一の正しい普遍的医療。実はこれは、科学至上主義、科学技術信仰と同様、明治以降に徹底的に刷り込まれてきたドグマだったのではないのか? そんな問題意識から学んだ医療の歴史を紹介したい。
人類は誕生以来、ケガや病を癒すためにさまざまな方法を考えだし伝承してきた。神霊への祈り、患部や他の部位に手を当て、かざす、押す、焼灼する、切開する。動物のまねをする。意図的な嘔吐・下痢・発汗、瀉血、沐浴、植物・鉱物・動物の一部の摂取、飲尿など等。
近代西洋医学は、西欧近代自然科学の誕生以降、こうしたさまざまな「癒しの技法」のごく一部を取り入れて成立した。採用の基準は「効く」だけではなく、むしろ近代科学的な説明、裏づけができるか否か。背景には、自然を機械としてみる自然観の転換をベースにした近代科学。
それと軌を一にした「原子論」(人間を機械に見立てる唯物的生命観)による古代ギリシャ以来の「生気論」の転覆があった。必然的に、近代医学はもっぱら目に見える身体性を対象にする医学として発展していく。裏を返せば効くものでも「科学的でない」療法は切り捨てられた。
今日的には、近代医学として採用されなかった療法を総称して代替医療、補完代替医学=CAMなどと呼び、世界人口の65%から80%が利用している。
ホメオパシー
代替医療の中でも緻密に体系化・理論化されたものには二つある。ひとつは近代医学の初期隆盛期の19世紀に、近代医学を学んだ医師自身が対抗的に創案したホメオパシーとオステオパシー。他は中国、インドなどの伝統医療。両者は代替医療の代表格として欧米で高く評価されている。
ホメオパシーは、当時の近代医療がおこなっていた攻撃的な薬物や器具を使った濃厚療法に疑問をもったドイツ人医師ハーネマンが創案。薬草を限りなく希釈・振盪した薬が副作用を与えずに絶妙に生命力に働きかけ最大の効果を引き出すという実証に基づく療法だ。効果の高さで尊敬と人気をあつめ西欧各国に広まりアメリカにも移入される。ドイツには5年制大学や病院があり過半の国民が利用。オステオパシーはアメリカ人医師スティルが考えだした、薬を使わず骨格調整により病を癒す療法。
アメリカでは19世紀半ば、治療の有効性によりホメオパシーに走る医師が激増。近代医学(アロパシーと呼ばれた)の医師たちは既得権益を侵されると危機感をもち、政治的圧力団体としてアメリカ医師会を組織、ホメオパシー医を除名、告訴するなど激しく排斥、ホメオパシー陣営は空中分解する。
オステオパシー
次にはオステオパシーの人気が高まるにつれ、「にせ医学」と排斥運動を展開。第一次大戦時には「オステオパシー医を軍医として出兵させるのなら医師を戦地に派遣しない」と政府に圧力をかけた。米でふたつの医療が再び正当な立場を得たのは第二次大戦後、とりわけ60年代以降の反体制〜オルタナティブ運動の広がりの中でだ。
生命観のちがい
最初に戻るが深い溝の根底にあるのが自然観―生命観の違い。とはいえ両者を同じ土俵に置き、勝敗や正否を判断することはできない。得意とする分野がそれぞれ異なっているのだ。しかし資本主義は必然的、積極的に対立・バトルを煽ってきた。多くの代替医療に共通するのは「生命力の存在を認め、自然治癒力を高めることを目標としている」こと。それは多くの資源・資金を使うことなく、主役は患者であり、持続可能性がある医療―すなわち資本の論理と鋭く対立するからだ。
欧米では約半世紀、統合医療やホリスティック医学と呼ばれるものが、両者の利点を集めてひとつに再構築する試みを臨床的・理論的につづけてきた。
近年そこに登場しているのが発展する量子物理学。私には難しくて???だが、いずれにせよ代替医療―統合医療の領域で日本が立ち遅れてきたのは確かだ。(つづく)
シネマ案内
「娘は戦場で生まれた」
監督 ワアド・アルカティーブ/エドワード・ワッツ(2019年制作)
シリア内戦、アレッポ東部。ここは反体制派の拠点だ。2011年、女子大生だったワアドは、アレッポ大学で「アラブの春」をたたかった。12年、シリアが内戦に突入した後も、彼女はアレッポに残り、この戦いの道を選んだ。この地に仲間と私設の病院をつくり、空爆の犠牲になる市民を助けた。ワアドはこの病院で医師をする仲間のハムザと結婚し、16年1月1日、戦場で娘サマが生まれる。
この映画は12年から16年12月まで、シリア内戦下での個人的な生活の記録だ。彼女の生活圏で起きていることを記録したもので、シリア内戦をトータルに描いたものではない。あくまで私的な記録なのだが、その記録は普遍性をもっている。
シリア反体制派と言っても、その政治主張はさまざまだ。反体制派の拠点アレッポにおいても、住民がみんな武装して戦っているわけではない。住民はここで仕事をしながら、空爆があれば逃げている。しかし、アレッポ市民はいったいどうしてここに残り続けるのだろうか。
アレッポに残り続ける市民はアサド体制に批判的だ。かれらは内戦下のなかで、あえてここで生きることを決断している。かれらは「アラブの春」の継続と貫徹をもとめて、あえてアレッポに残っている。アレッポ市民にとっては、ここに住み続けることが戦いなのだ。アレッポ市民はもうひとつの「反体制派」といっていい。
16年。病院が空爆にあい、爆弾の破裂音がけたたましく響きわたる。人々が急いでビルの地下に逃げる。ロシア軍が病院も空爆の標的にするようになったのだ。やがて、空爆にあった死傷者が運び込まれてくる。ここはまさに野戦病院だ。
砲撃と空爆にさらされる日々。しかし、日常生活が営まれる時、住民は陽気で明るい。人びとは「アラブの春」の理念を追い求めて、前向きに生きている。子どもたちは無邪気に遊んでいる。空爆でできた大きなクレーターに水をためて、水泳をする。破壊され骨組みだけのバスにのって、楽しそうに運転手ごっこをしている。
いっぽう、日本に住む私たちはどうか。シリアから遠く離れて≠オまっている。シリアの現実にあまりにも無関心なのだ。知らないがゆえに、アレッポ市民には想いをよせることができない。アレッポが「解放」されたというニュースに接し、「ああ、よかった」と思ってしまう。だからと言って、何ができるのか。なにもできない。しかし、少なくとも現実を知ることが必要なのではないか。
16年12月、政府軍に包囲された。抵抗する市民は東アレッポから退去する。ワアドたちも検問を無事に通過した。映像では、「生き延びた」という解放感がただよっている。ワアドはアレッポを去ることになったが、新たなたたかいは継続されている。この映画の製作も、このたたかいの一環なのだ。(鹿田研三)
読者の声
今なお続く核兵器競争
被爆75年、私たちは問われる
ヒロシマ・ナガサキから75年。1945年7月、アメリカは人類初の3発の核爆弾を製造し、うち1発を実験に使用した。その2週間後には、30万人が暮らしていた広島に、続いて長崎に投下する。核爆弾の後、核発電と原子炉動力の潜水艦や空母が加わった。「核の時代」の始まりだった。
広島・長崎はもとより世界の被ばく者、原発事故の被災者をはじめ、核兵器禁止・核発電を廃絶しようとする世界の人々の、営々たる行為が始まった。これまで世界の核実験回数は、約2380回。うち大気圏内500回、実験総量はTNT火薬換算530Mトンである。世界には、なお1万5千発の核爆弾と450基の原発が設置されており、核爆弾使用の危険、原発の事故、大事故を繰り返している。
「人間は核エネルギーを制御できない。核と人類は共存できない」という認識は、遠い将来の課題であってはならない。17年7月、世界中の人たちのたゆまぬ営為、努力により核兵器禁止条約が国連で採択された。今年7月7日、南太平洋のフィジーが批准書を送付し、批准は39カ国・地域となった。条約発効に必要な50に残り11である。3年前、日本政府は会議を欠席し、誰が置いたのか折鶴だけの「JAPAN」席の写真を見た人も多いだろう。もとより国際条約だけで核兵器の縮小や廃絶はできないが、「非人道・非合法化」要求とともに大きな一歩である。生き残り、75年間「核なき世界」を訴えてきた被爆者の存在と声は、3発目の熱核兵器使用を押しとどめてきた力だった。彼ら、彼女らの世代が過ぎ去るまで残された時間は多くない。被爆75年は、次の展望を拓く節目の年となる。
米のINF破棄
米軍は、昨年7月「核戦力と通常兵力を共同運用することが重要だ。陸上作戦部隊は核爆発後の放射線影響下でもすべての作戦を遂行する能力を保持する」との要綱を示した。79年、ソ連の新型ミサイルに対抗しアメリカが核ミサイル・パーシングUの欧州配備を決め、世界各地で数十万人、数百万人の集会やデモ、日本でも20万人集会など抗議が広がった。米・ソ間に中距離核戦力(INF)廃棄条約が結ばれる契機となった。昨年、そのINFすら米トランプ大統領が破棄、ロシアは対抗的に効力停止を宣言し、中国も中距離核ミサイルを増強している。日本のイージスアショア頓挫により、防衛省・自民党からは敵基地攻撃論へ転換がとりざたされている。「被爆75年」の節目をどう考え行動するか。私たちは問われる。(俊)