未来・第298号


            未来第298号目次(2020年7月16日発行)

 1面  民族差別文書の配布は違法
     フジ住宅ヘイト裁判で勝利
     大阪地裁 堺支部

     辺野古設計変更
     法廷で防衛相を論破する
     土木技師の奥間さんが訴え

     コロナに軍事力は無力
     高良鉄美さんが講演
     6月28日 京都

 2面  【定点観測】(2020年6月)
     安倍政権の改憲動向

     生活保護引き下げ 反動判決
     国の主張を丸飲み
     6月25日 名古屋地裁

     「元の体に戻せ 人生を返せ」
     強制不妊裁判 東京地裁 賠償認めず

 3面  憲法28条(労働基本権)破壊を許さない
     関生弾圧シンポ 産業別運動つぶしが目的

     米軍基地撤去へ集会
     初当選の永井さんが報告
     7月5日 京都

     辺野古新基地
     新たな構造物の設置を確認
     調査団「工事の強行は無謀」

     (短信)
     ●「老朽原発うごかすな」申入れ行動

 4面  ―初期挺対協 先輩たちの立場表明―
     戦時性暴力を歴史に刻む
     被害者から人権活動家へ

     いま読みたい名著D
     石堂清倫『20世紀の意味』平凡社

 5面  被爆75年 8・6ヒロシマ平和の夕べ
     森達也、早志百合子、樋口英明さんら発言

     南北対話と制裁緩和を
     朝鮮戦争70年 金光男さんが講演

     先天性心疾患など放射線の影響も
     伊方差し止め、広島本訴 被爆三世が意見陳述

     7・6ロックアクション 街頭宣伝
     安倍政治を終わらせよう

 6面  連載
     介護労働の現場よりA
     難病者に寄り添って
     唐住 日出男

     連載
     命をみつめて見えてきたものP
     近代医学と生命観
     有野 まるこ

     現代中国社会の内側からB
     世代で違う日本人への感情
     戸川 力

       

民族差別文書の配布は違法
フジ住宅ヘイト裁判で勝利

大阪地裁 堺支部

7月2日、大阪地方裁判所堺支部第1民事部(中垣内健治裁判長)は、フジ住宅株式会社に勤務する在日コリアン3世の女性である原告が、フジ住宅及び同社の今井会長にたいし、損害賠償を求めた裁判において、連帯して110万円を支払うよう命じる判決を言い渡した。

差別文書配布は違法

このヘイトハラスメント裁判は、岸和田に本社を置く東証一部上場企業・フジ住宅が従業員にヘイト本のコピーを配布したり、育鵬社が採択されるよう教科書アンケートに動員したりといったことにたいし、差別的なハラスメントであると訴えたもの。
配布文書の中には「(韓国人は)嘘が蔓延している民族」と侮辱するデマを流したり、日本軍「慰安所」で被害を受けた女性たちを「売春婦」「高級娼婦」と罵倒するものもある。
判決はフジ住宅及び今井会長にたいして以下3点の違法性を認めた。
フジ住宅及び今井会長は、社内で全従業員にたいし、ヘイトスピーチをはじめ人種民族差別的な記載あるいはこれらを助長する記載のある文書や、今井会長の信奉する見解が記載された文書を大量かつ反復継続的に配布した。それは原告のように韓国の国籍や民族的出自を有する者にとっては著しい侮辱と感じ、その名誉感情を害するもので、労働者が国籍によって差別的取扱いを受けない人格的利益である内心の静隠な感情にたいする介入として、社会的に許容できる限度を超え違法であるとした。

「つくる会教科書」

またフジ住宅及び今井会長が、全従業員にたいし、就業時間中に教科書展示会に動員し、アンケートで「新しい歴史教科書をつくる会」の元幹部らが編集した育鵬社の中学教科書に好意的な回答を書くよう求めたことにたいし、業務と関連しない政治活動とした。それは労働者である原告の政治的な思想・信条の自由を侵害する差別的取扱いを伴うもので、その侵害の態様、程度が社会的に許容できる限度を超えるものといわざるをえず、原告の人格的利益を侵害して違法であるとした。
さらに、フジ住宅は、本件訴訟の提訴直後の2015年9月に、社内で、原告を含む全従業員にたいし、原告について「温情を仇で返すバカ者」などと非難する内容の大量の従業員の感想文を配布したことは、被告らがおこなった不法行為についての救済を求めて本件訴えを提起した原告を批判し報復するものであるとした。それは原告を社内で孤立化させる危険の高いものであり、原告の裁判を受ける権利を抑圧するとともに、その職場において自由な人間関係を形成する自由や名誉感情を侵害したとして違法であるとした。

5年間のたたかい

大きな勝利を実現したが、原告にとって決して平たんな道ではなかった。彼女はいきなり裁判に訴えたのではなく、2015年1月、会社にたいして改善を申し入れ、3月には大阪弁護士会への人権救済の申し立てをおこなった。しかし、会社は8月には彼女に退職勧奨をおこなってきた。提訴に際してはヘイトハラスメント裁判を支える会を中心とした支援陣形が形成された。しかし裁判期日にはネット右翼、元在特会、ブルーリボンなどのレイシストが原告支援者を上回るほど動員し圧力をかけてきた。2019年10月31日、今井会長が出廷し原告と直接対峙する日には、会社は全従業員に年休をとって傍聴するよう「呼びかけ」た。その結果、わずか47席の傍聴席をめぐり749枚の傍聴抽選券が配布され、原告側支援者は5〜6名程度しか傍聴することができないという事態まで生み出された。こうした策動に負けず、今回の大きな前進は勝ち取られた。
しかし他方で、判決は、フジ住宅及び今井会長の文書配布行為について、原告個人に向けられた差別的言動とは認めなかった。その結果不当に低い賠償額になっている。
被告は控訴を表明しており、原告も控訴する方針で、たたかいはさらに続く。

辺野古設計変更

法廷で防衛省を論破する
土木技師の奥間さんが訴え

奥間正則さん

「辺野古の現状を知ろう! 奥間さんを囲む会」が40人余りの参加で開かれた(7月4日、神戸市内)。
奥間政則さんは、ハンセン病元患者の両親のもとに生まれ、辺野古・高江をはじめ奄美、宮古、石垣、与那国での自衛隊軍事基地化に反対し運動する1級土木施工管理技士。沖縄ドローンプロジェクトの分析責任者として活躍している。新基地建設と、沖縄の情勢を次のように語った。

人生を変えた手記

2015年に人生が変わった。ハンセン病の元患者である父親の手記を読み、国策によって人生がむちゃくちゃにされた。それは、民意を踏みにじって強行される辺野古新基地建設に通じる。それまでは95年の少女暴行事件すら知らなかった。
今年2月、刑特法によって不当逮捕された。その時、パソコンを押収された。反対運動の側がどのくらい工事の状況を把握しているか、どのくらい調査をしているのかを防衛省が知るためにおこなわれた弾圧でもあった。ドローン規制法は、国民が工事の進捗状況を監視できなくなり、国が勝手放題に工事を進めることにつながる。こうした弾圧に負けず、たたかう。

ドローンの眼

今まで軍事基地(建設)反対に参加したことがあるが、大抵の場合は塀の外から抗議するだけ。実際に塀の中で「何がおこなわれているのか、何をつくっているのか、わからない」もどかしさが残った。ドローンプロジェクトによって、工事の様子を真上から映像によって知ることができる。そして土木技術者として科学の目によって、その問題点をつきだしていく。例えば護岸工事による「濁り水」をドローンがとらえたり、地盤調査船「ポセイドン」の調査位置によって軟弱地盤の存在が確認された。宮古では弾薬庫の建設が明らかになり、国会において防衛省を追及している。

護岸は震度1で崩壊

最近、新潟大学の立石名誉教授(地質学)の調査チームが、軟弱地盤の広がる名護市辺野古沖で埋め立て、建設を進めた場合、地盤の改良工事をしても一部の護岸は完成後に震度1の地震で崩壊する可能性があるという調査結果をまとめた。立石先生は、沖縄県からもオール沖縄からの要請でもなく自発的におこなっている。過去には巻原発を止めた実績をもつ。軟弱地盤は、中谷元防衛大臣の発言やアメリカ議会でも問題になった。反対闘争は、学者や技術者の知識を持ってたたかうことによって、力を増すことができる。これから、防衛省による設計変更が法廷闘争に入っていくことになるが、かならず論破したい。
6月の沖縄県議選は、コロナの影響で公明党が組織的な支援行動をできず辛勝した。県議会の議長選挙では、無所属議員が「反旗」を翻している。この状況を打ち破り、自治体選挙にも勝利していくことが重要だ。

港湾労働者が決起

最後に報告したいのは、19年9月17日に米軍が伊江島での訓練を行なうために、沖縄の北部にある本部町の漁港から訓練用の大型ボートを搬出すると沖縄県に通告してきた。沖縄県は拒否したが、米軍は予定通りボート運搬を強行した。市民グループや山城博治さんはじめ40人が、港に入る米軍車両を止めた。この時に、辺野古と違うことが起きた。港で働く港湾労働者、全港湾が立ち上がった。市民と全港湾の労働者の阻止行動に、機動隊も排除することができず引き上げた。画期的な勝利だった。これからも市民と労働者、行政と市民が手を取り合ってたたかっていきたい。 (高崎庄二)(3面に関連記事)

コロナに軍事力は無力
参院議員 高良鉄美さんが講演

6月28日 京都

6月28日、「基地のない平和な沖縄・日本・東アジアを! 6・28京都集会」が、円山野外音楽堂でおこなわれ、400人が参加した(写真)。集会では、沖縄から高良鉄美参議院議員、京丹後から永井友昭市議が講演した。高良さんは元々は琉球大学法学部教授で、昨年の参院選挙で沖縄選挙区で初当選した。講演も東アジアと日本の憲法史から話し、大日本帝国憲法から、「大」と「帝」を除いたのが日本国憲法であると説明。「大」とは戦争で領土を大きくする意味で、「帝」とはみかど、天皇を指す。大日本帝国憲法が制定された1889年の5年後から戦争をやり続けた。沖縄は戦後、「大」は米国の軍事戦略であり、「帝」は米国の高等弁務官であった。日本国憲法前文には、人民主権が書かれていて、大も帝もまったく出てこない。私達は日本国憲法型の東アジア社会を求める、アフターコロナは強大な軍事力の無力さと医療関連制度の充実の重要性を示した。沖縄の位置は、福岡・台北・上海、京都・大阪・ソウル、東京・香港・マニラが同距離である。沖縄から東アジアの平和を、と訴えた。
永井さんは4月の市議選で当選後の、6月市議会で5点の一般質問をしたことを報告した。それは、コロナ対策、北都信金のATM閉鎖問題、猿による農作物被害、宇川温泉の問題、米軍基地問題で、この鋭い質問に、宇川の多くの人から支持が表明されていることを報告した。

2面

【定点観測】(2020年6月)
安倍政権の改憲動向

なおも改憲に意欲

安倍首相は6月18日、通常国会会期末の節目の記者会見で、「憲法改正について、(自らの自民党総裁)任期中にやり遂げなければならない」と述べ、野党にたいして「なぜ議論すらしないのか」と挑発的な改憲発言をした。同様の発言は6月20日のインターネット番組でもおこなっている。
5月15日に櫻井よし子のインタビューで質問に応えて、改憲は次の総裁に任せるかのような発言をしたことからの大反転である。モリ・カケ・サクラに続く、黒川検事長問題、河井克行元法相の大規模買収事件、そして何よりもコロナ感染症対策での大失政に追い詰められた安倍首相がコアな支持層だけでもつなぎとめるために打った大バクチである。自民党の中ですら「首相の手で改憲など論外」という声が募り、創価学会婦人部などの突き上げで、「10万円の一律支給がなければ、われわれは断頭台だ」と公明党・山口那津男代表に言わせるような状況での発言である。
同時にこの記者会見では、イージス・アショアの配備の中止を受けて、「敵基地攻撃能力の保持」の検討を始めると発表した。これは違憲も違憲、新たな戦争の危機を高めるものである。改憲ができず、任期切れも迫るなかで、より反動的な選択肢を提示することによって、反動的結集を図る企みである。
この大逆流の記者会見の翌日、自民党広報のツイッターアカウントは、ダーウィンの進化論を援用して、「唯一生き残ることが出来るのは変化できるものである」とし、「これからの日本をより発展させるためにいま憲法改正が必要と考える」と、適者生存、優勝劣敗の「社会ダーウィン」主義そのものの主張をし、関係学会から抗議が殺到した。

悪法と反動判決

安倍政権はコロナ危機情勢を、憲法に緊急事態条項が必要だと主張するために利用してきた。今通常国会で可決されたスーパーシティ法(「国家戦略特区法改正案」)、来年度の「骨太方針」(経済財政運営の指針)の原案に盛られたマイナンバーカードの広範な行政利用は人民管理と監視の手段となる。
コロナへの安倍の無策と放置が生み出す、格差・貧困、差別・分断に棹さす反動裁判が相次いだ。生活保護費の引き下げという憲法25条違反そのものを「国民感情」を理由に「適法」と判示した名古屋地裁の判決(6月25日)、旧優生保護法による強制不妊手術(憲法13条違反の人権侵害)を「除斥期間」を理由に原告敗訴とした東京地裁の判決(6月30日)、集団的自衛権行使を容認した安保法制は違憲だとして戦争体験者らが国を相手に起こした裁判で、憲法判断を回避して原告の訴えを却下した那覇地裁判決(6月30日)などだ。
他方では、職場丸ごとのヘイト攻撃を、外国の民族的出自を持つ者に対する人格権の侵害(13条、14条)、思想・信条の自由の侵害(19条)とした7月2日の大阪地裁堺支部の判決は画期的だ。
辺野古新基地建設強行、老朽原発の再稼働、コロナ危機の中で、失業・失職、給与削減などに苦しむ労働者人民とともに、安倍改憲に引導を渡すたたかいにたとう。6月4日には、安倍改憲発議に反対する「全国緊急署名」約25万筆が野党の国会議員を通して国会に提出された。9条改憲反対の声を強めよう。

生活保護引き下げ 反動判決
国の主張を丸飲み
6月25日 名古屋地裁

6月25日、名古屋地裁で「生活保護基準引き下げ違憲訴訟」の全国最初の判決があった。判決内容は、国の主張を丸飲みした極悪の不当判決だった。同日、生存権訴訟愛知県原告団、同弁護団、いのちのとりで裁判全国アクション、生活保護基準引き下げにNO! 全国争訟ネット等は声明を出し、「引き下げられた全ての生活保護利用者に対して国が真摯に謝罪し、2013年引き下げ前の生活保護基準に戻し、生活保護利用者の健康で文化的な生活を保障するまで断固としてたたかい続ける決意」を示した。
判決批判の詳細は全国弁護団会議等で出されるが、現時点での同判決の内容のおぞましさを指摘しておく。
同判決は国の主張を全ての論点で丸飲みしたもの。曰く、厚生労働大臣による引き下げは従来「審議会等を踏まえて行うことが通例」だったが、今回そうしなかったからといって「審議会等を経ることを義務付ける法令上の根拠は見当たら」ないため違法とはいえない。曰く、本件引き下げは「自民党の政策の影響を受けていた可能性を否定することはできない」。しかし「自民党の政策は、国民感情や国の財政事情を踏まえたものであって」「当時の自民党の影響を受けたものであるとしても、それをもって本件各告示による生活扶助基準の改定が違法であることはできない」とした。
2013年から開始された今回の生活保護基準の引き下げは、ある芸能人にたいする自民党等による激しいバッシングから開始されたことを想起すべきである。同判決は、このような生活保護利用者にたいする激しいバッシングを実質的に認めるものであり、自民党等によるでたらめな引き下げを合理化するものだ。
弁護団が血のにじむような努力で指摘した数々の国側主張の致命的矛盾についても、だからといって「違法とまではいえない」となで切りにし、「基準部会の検証結果」を国が勝手に2分の1にしたことについても「基準部会の検証結果をそのまま生活扶助基準に反映させないとすることも合理性を欠くということはできない」とまでいうのである。このような見解は全国の原告団や弁護団のたたかいで破たんするだろう。
判決は「原告らは」「不自由を感じながら生活していることは認められるものの」「1日3食取っており」「許容し難い程度に乏しいものとまでは認められない」と言い放っている。3食取れるかどうかが「健康で文化的な最低限度」ではない。人間は社会的存在である。それは人と人とのつながりである。13年からの引き下げはこれを全面的に否定した。そのため多くの人たちが死に追いやられた。人らしく生きる、生存権の原点からたたかいが求められている。(三船二郎)

「元の体に戻せ 人生を返せ」
強制不妊裁判 東京地裁 賠償認めず

東京地裁(伊藤正晴裁判長)は6月30日、北三郎さん(仮名、77歳、東京都)が旧優生保護法(以下、旧法)のもとで不妊手術を強制されたことをめぐって国に三千万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、請求を棄却した。手術は憲法第13条で保護された、子を持つかどうかを決める自由を侵害したとしつつ、手術から20年以上が経過したという理由で「除斥期間」を適用し、賠償請求権は消滅したと判断。旧法自体の違憲性についても言及を回避した。また被害者救済のための国と国会の立法不作為についても認めなかった。

 

体が震え、泣きたい…国は謝れ 命ある限りたたかう

「20年たっているから賠償請求できないと言われて体が震えてくる。泣きたい。裁判でも、こんなつらい思いをさせられるとは思っていなかった」「(請求を認めないなら)元の体に戻してください。人生を返してください」「妻や親の墓に、どのように報告したらいいのか整理がつかない。私もあと僅かな人生。墓場までこの苦しみを持って行きたくない」「国は悪かったことを認めて謝ってほしい。お金じゃないんだ。国が間違ったことをしたのだから誤ってほしいだけなのです。人の体に勝手にメスを入れても『責任がない』。そんなことを許せるわけがない」「私以上に苦しんでいる人は大勢いる。その人たちのためにも、何が何でも裁判に勝ちたい。命の限りたたかいます。これからも応援をよろしくお願いします」
全国優生保護法被害弁護団(共同代表 新里宏二弁護士、同 西村武彦弁護士)の声明――「現在に至るまで障害者に対する差別を生み続けてきたことに真摯に向き合わないものであり、言語道断だ。優生保護法の違憲性について何らの判断もしなかった。仙台地裁判決からも後退した」。さらに被害者の被害回復と、優生思想を克服し、誰もが等しく個人として尊重される社会を目指し、全力で活動すると続けた。

北三郎さんとその家族―回復不能の甚大な被害

北さんは、複雑な家庭環境から生活が荒れ、宮城県の児童自立支援施設(当時の教護院)に入所していた14歳のとき、診断も説明もないまま産婦人科病院で手術を強いられた。1週間ほど、歩くことができないほどの痛みが続いた。施設の先輩から「子どもを産めなくする手術だ」と聞かされた。結婚を諦め「生涯独身でいるしかない」と思っていたが、都内の運送会社で働いていたとき縁談があり、1972年28歳で4歳年下の女性と結婚した。
しかし、子を望む妻には手術のことは言えず、子どもができないのは自分が小さい頃にかかった病気のせいだと嘘をついた。一方で妻には内緒で受診し、「元の体に戻してほしい」と相談したが、医師は首を振るばかりだった。
それでも妻と二人三脚で人生をともにしてきた。2013年5月、白血病で余命僅かとなった妻に病室で初めて不妊手術を受けたことを打ち明け、謝った。「責められると思いましたが、妻は何かを言いかけて『ご飯だけはしっかり食べてね』と言いました。私が苦しんでいたことを、悟っていたのでしょうか」。妻は北さんのこれからの暮らしを気遣いつつ数日後に息を引き取った。
北さんは、親と施設が手術を受けさせたと思い、その時以来両親を心底憎み恨んでいた。2018年1月、強制不妊手術を強いられた佐藤由美さん(仮名、宮城県の60代女性)が全国初の国賠訴訟を起こしたと報じる新聞の記事にくぎ付けになった。「『これは俺のことだ』と思いました。法律に基づく国の施策だったことを知り、おやじや施設のせいではなかったと気づきました」。初めて旧法の存在を知った。手術は両親ではなく国が強制したものだと判った。宮城県に手術記録の公開を求めた。その前日、姉から「手術したことは知っていた」と初めて打ち明けられた。姉もまた60年以上誰にも口外できず、苦しみ続けてきたのだった。
同年5月提訴した。そして、その年の秋44年ぶりに両親の墓に参り、長年恨み続けてきたことを謝った。妻の七回忌で集まった親族の人々にも隠し続けてきたことを謝った。
2018年12月、第3回口頭弁論を前に、初めて顔を出してのインタビューに応じた。「救済法」(※のちの「一時金支給法」)の基本案は国の責任をごまかしている、多くの被害者が泣き寝入りしていることにつけこんでいると憤りを覚え、「顔を見せてたたかう」と決意した。そして、苦しんでいる被害者が一人でも多く声を上げてほしいと願って、顔を出して裁判をたたかい続け今次判決に至った。
北さんとその家族が受けた「人生被害」とも言うべき諸事実。それは、今次判決における「除斥期間」の機械的適用と、国と国会の立法不作為にたいする免罪の不当性を余すところなく物語っている。不当判決をはね返し、北さんをはじめとする国賠訴訟原告、被害者の方々の人生とたたかいに学び、連帯し、「強制不妊手術 国は謝罪と補償を!」の勝利に向かってともに前進しよう。(山本一郎)

3面

憲法28条(労働基本権)破壊を許さない

関生弾圧シンポ

 産業別運動つぶしが目的

〈反転攻勢〉示す

6月21日、シンポジウム 「今、見逃せない 労働組合弾圧」が大阪・関生学働館で開かれた。この2年間、戦後労働組合運動が経験したことのない大弾圧をくぐりぬけ武建一委員長・湯川裕司副委員長を始め被逮捕者、「被告」の全員を奪還しての取り組みだった。主催は労働組合つぶしの大弾圧を許さない実行委員会(全港湾大阪支部気付)。関生弾圧弁護団の永嶋靖久弁護士、GPS違法捜査や冤罪事件とたたかう亀石倫子弁護士、ジャーナリストで和光大名誉教授の竹信三恵子さんと立命館大名誉教授の吉田美喜夫さんがパネリストとなり、解雇撤回闘争をたたかった元非正規労働者の大椿ゆうこさんがコーディネーターを務めた(写真)
関生支部の産業別労働運動とそれへの弾圧の経緯。今回の弾圧における国家権力のねらい。そして弾圧を食い止め、無罪をかちとり、職場と運動を取り戻すたたかいの展望が語られた。コロナ禍という情勢で〈反転攻勢〉を共有し、発信するものとなった。会場参加を申し込み先着100人にしぼり、スマホやPCで視聴できるライブ配信をおこなった。不当な保釈条件を付けられている武委員長と湯川副委員長はビデオレターで参加した。

運動路線を弾圧

はじめに主催者を代表して全港湾大阪支部の小林勝彦書記長が「正当な労働組合活動が事件扱いされている。人ごとではない。民主主義の根幹に関わる問題だ」と提起。
シンポジウムでは永嶋靖久弁護士が18年7月18日の業者4人にたいする「恐喝未遂」容疑(フジタ事件)の逮捕から始まった関生弾圧の経過と裁判の状況を詳細に説明。裁判が進行中の同一事件で5回にわたって逮捕を繰り返した警察・検察のやり方には、裁判所もあきれるほどであった。
警察・検察は「関西全域で、労使が協力して生コン価格の『値戻し』を進めたこと」を弾圧するために、「憲法や労働三権を盾に企業に不都合な要求を押し通そうとするのは、ヤクザよりたちが悪い」として事件化したのだ。セメントメーカーとゼネコンが一体となった安売り競争に労使が協力して生コン業界の民主化と産業政策に取り組むという運動路線をつぶすために周到に準備された弾圧だったことが明らかにされた。

正しく知らせる

亀石倫子弁護士は、「排除しやすい人への攻撃から始まる」と、自身が関与したダンスクラブや彫師への弾圧を例にあげ、今回の関生弾圧事件にも共通していると述べた。警察は労働組合の組織率の低さや無知無理解につけこんでいる。クラウドファンディングの立ち上げや日弁連を動かした経験から「正しく知ってもらうこと。メディアの役割も問いたい」と提起をした。
亀石さんの提起を受けて、竹信さんはジャーナリストの立場から、日々雇用労働者の保育所への就労証明の提出や正規雇用化への要求が「強要未遂」とされた加茂生コン事件を聞いて、「がまんの限界をこえた」と。その後の精力的な取材で女性労働者の労働条件の改善に取り組んだことなどを知る。「このような労働組合のユニークな実践を調べようとしないのがメディアの現状だ。今それが変わろうとしている。労働者、労働法の立場に立ったしっかりとした知見としっかりした物語を私たちがつくり、発信することが重要だ」と締めくくった。

人類の努力を破壊

労働法の吉田美喜夫さんは弾圧の性格について次のように話した。「時代の基調である『同調圧力』、『お前の努力が足りない』となんでも自己責任にする新自由主義政策と対決したのが『関生の産業別運動』だ。それが弾圧の対象にされた。『労働基本権保障』に基づいて労働組合に与えられた刑事免責と民事免責は『人類の努力』の結晶である。それが今回の弾圧でなきものにされようとしていることへの危機感で立ち上がった。企業別組合とそれに適合的な法理論だけでは不十分である」と訴えた。

無罪戦取へ

ビデオレターで参加した武委員長は「あきらめずにやれば必ずできる」と訴え、大椿さんは「コロナ禍という状況で労働者が団結して運動する条件ができつつある」とまとめをおこなった。
当面の課題は、「この弾圧を絶対食い止める! 憲法28条破壊を許さない」の一点で立場の違いを超え、労働者と市民が連携して反弾圧の全国ネットワークを形成することだ。この日は名古屋市内で「関生弾圧許すな東海の会総会」が開かれた。関西から被弾圧者で関生支部執行委員の西山直洋さんが参加し、今後の方針が論議された。10月8日には大阪地裁で大阪ストライキ弾圧への初めての判決が予定されている。「裁判所は憲法28条を守れ! 無罪判決を!」の声で大阪地裁を包囲しよう。(森川数馬)

米軍基地撤去へ集会
初当選の永井さんが報告

7月5日 京都

7月5日、米軍Xバンドレーダー基地撤去! 京都集会(京都連絡会主権)と永井友昭さんの京丹後市議選勝利を祝う京都のつどい(応援する会主権)が同会場で連続して開かれ、50人を超える人々が参加した(写真)
ふたつの集会で、永井さんは選挙戦での状況や苦労したこと、当選後の市議会での早速の活動の報告をおこなった。1145票で高位当選した永井さん。丹後町の中心である間人で、1軒1軒を回って「(これまで2人だった)丹後町から3人の市議を」と訴えて手応えを感じたと話した。政治団体〈京丹後宇川の風〉の政策ビラや、新聞折り込みに多くの反響があったことも紹介した。
市議会での質問についても詳しく話し、宇川地域で多くの人から応援されたこと、支持する人は左から保守まで多くの人に渡っていること、いっしょに会派を組む保守の浜岡議員が、米軍関係の交通事故について、京丹後市はなぜ京都府警に聞かないのかと詰め寄ると、基地対策室長が「私が聞きます」と答えたこと、返り咲いた中山市長も、基地の騒音について何度も米軍に申し入れをしたこと、近畿中部防衛局長になって戻ってきた桝賀が何度も京丹後現地に来ていて、基地受け入れを決めた時の市長(今回返り咲いた中山市長)と、当時の防衛省の担当者(桝賀)と、反対派の中心だった者(永井さん)の3人が今新たにあいまみえていることを報告。会場は永井さんの活躍に拍手喝采を送った。

辺野古新基地
新たな構造物の設置を確認
調査団「工事の強行は無謀」

新たな護岸の上に積まれた構造物

6月12日 名護市辺野古の新基地建設工事が約2カ月ぶりに再開された。基地建設に反対する市民は、辺野古の海上や米軍キャンプ・シュワブゲート前で抗議の声を上げた。
7日投開票の県議選では、辺野古新基地建設に反対する民意が改めて示された中、工事を強行する政府の姿勢に市民は「コロナから命を守る態勢が整わない中、工事を再開した。市民の命をどう考えているのか」と怒りの声が上がった。
この日海上では、抗議船2隻、カヌー7艇で「工事をやめろ」「海を壊すな」と抗議した。シュワブゲート前では市民数十人が座り込んだ。機動隊の強制排除にはコロナ感染予防のため接触を避ける工夫で対応した。
17日 名護市安和の琉球セメント桟橋では、海上行動隊が阻止行動に決起した。ゴムボート1隻とカヌー9艇で土砂を運び出す運搬船に海上で抗議した。
25日 キャンプ・シュワブゲート前では工事車両が連日200台前後がゲートに入っていく。海上では、K8、K9護岸から連日土砂を搬入している。安和の琉球セメント桟橋、塩川港からも連日1000台前後のダンプが土砂を運搬船に搬入している。護岸を囲む消波ブロック設置がまもなく完了しようとしている。防衛局は次の工事に進む模様だ。
7月2日 辺野古の新基地建設で、護岸上に鉄筋で組まれた構造物が新たに設置されているのが確認された。(写真上 設置されたのはK3護岸上で、浜テントから確認できる)
既に建設が完了している外周護岸を下部とし、その上に新たな護岸を建設する工事とみられる。外周護岸は上部の工事が完了することで、完了する。 
抗議船船長で土木技師の北上田毅さんによると、新基地建設は当初から護岸を上部と下部に分けて建設する計画で2日の工事は「上部護岸はL字型になるのでL字の底の部分にコンクリートを流す作業をしているのではないか」と推測した。
またこの日、沖縄辺野古調査団(代表立石雅昭新潟大名誉教授)は、大浦湾に軟弱地盤が広がっていることから、震度1以上の地震が発生すれば、護岸が崩壊する危険性が高いという解析結果を発表した。調査団は「辺野古・大浦湾で工事を強行するのは無謀だ」と指摘している。
3日 シュワブゲート前で座りこんだ市民は、前日の沖縄辺野古調査団の解析結果が出たことを受け、「改めて新基地建設の危険性が明らかになった、工事を中止せよ」と抗議の声を上げた。(杉山)

(短信)
●「老朽原発うごかすな」申入れ行動

6月23日、〈老朽原発うごかすな! 大集会 in おおさか実行委員会〉は、原子力規制庁敦賀事務所、関西電力原子力事業本部、美浜町役場に申入れをおこなった。申入れ内容は、「原子力規制委員会は老朽原発(高浜1・2号、美浜3号)の運転期間延長認可を取り消すこと、関西電力は同3機を再稼働しないこと、再稼働にむけての工事をただちに停止すること、現在稼働中の原発をただちに止めること、美浜町は再稼働に同意しないこと」。規制庁敦賀事務所は事前に「申入れ者は10人まで」と人数制限。美浜原発は原発に来ても受け取らない、原子力事業本部(美浜町内)に行け。美浜町役場はコロナ感染予防を口実に福井県外の人は入庁を認めないなど不当な制限をかけてきたが、当日参加した県内外からの約20人は申入れと抗議をやり抜いた。

4面

―初期挺対協 先輩たちの立場表明―

戦時性暴力を歴史に刻む
被害者から人権活動家へ

「慰安婦」被害者李容洙さんの記者会見を端に発した、正義記憶連帯(前挺対協)とその前理事長の尹美香氏に対する「不正会計」などを理由とした非難と誹謗中傷にたいして、初期挺対協の立ち上げに携わった尹貞玉氏ら12人の女性たちが声明を発表した。その全文を掲載する。

私たちは 1990年韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)設立を準備して以後代表、あるいは実行委員としてその活動に力を傾けた者たちです。すでに高齢になってしまわれた被害者たちを一人ひとり探しながら、胸が張り裂けそうに辛かったものです。50年余りも息を殺して生きてこられたハルモニたちに出会ったことは、私たちの社会が目を背けてきた歴史に向き合うことでもありました。ハルモニと私たち活動家、研究者は一つの塊になって泣いて笑って、そんな風に韓国の歴史を新たに書き加えてきました。
文献を探してハルモニたちの証言を収録する歴史発掘作業は開始から国際的な活動になりました。韓国と日本を越えて、中国と台湾、フィリピン、オランダまで途方もない数の被害者が存在するという事実と、ハルモニたちの被害と 50余年間の沈黙には全世界の葛藤と冷戦が作用していたという事実を知ることになりました。被害者はこの巨大なメカニズムの犠牲者です。そして、被害者だけでなく女性の人権と平和が脅威を受ける世界のすべての市民が犠牲者であることを自覚することにもなりました。被害者の大部分が亡くなられた今なおこの運動が続いている理由です。今日の挺対協運動はこのように長い時間、様々な地域で被害者と活動家、研究者が共に積み重ねてきたものです。
最近、尹美香正義記憶連帯前理事長を取り巻く報道が私たちを慌てさせ、沈鬱にします。彼女は挺対協設立時に幹事としてスタート、事務総長、代表職までひたすら挺対協運動に生涯を捧げた人です。私たちはもう活動の一線から退きましたが、後輩たちの研究と運動について関心を持たなかったことはありません。もし問題があるとしたら、どうして尹美香個人に限定されるでしょうか。私たち初期の活動家や研究者すべてに責任があるのであって、それは挺対協 30年の歴史と、挺対協と連帯したアジアおよび世界の女性の人権と平和運動の問題であるといえるでしょう。メディアが連日提起している問題のうち次のいくつかのことに関して私たちの考えを申し上げます。
最初に、ハルモニたちは単に受け身としての被害者にとどまらない活発な人権運動家になりました。挺対協運動が全世界の女性人権運動モデルになっている理由がまさにここにあります。挺対協の財政が被害者の生活支援に全部使われなかったという批判はハルモニたちをむしろ切なくするでしょう。初めから被害者と活動家は共に運動してきました。水曜デモはハルモニと活動家が市民らと出会う場としてありました。今ともにアフリカ、アジアの紛争地域の女性被害者のために仕事をしていて、被害者の痛みを記録して展示することも一緒にしています。 私たちはこのすべての仕事が被害者のためのものであると考えてきました。 私たちの歴史が正しく立て直されないなら、世界に戦争と女性の人権侵害が絶えないならば、被害者が深い沈黙のトンネルを突き破り、私たちの前に姿を現わした意味はどこにあるというのでしょう。
二番目、すでに活動家になった被害者とともに築いてきた挺対協で、2015年12月28日韓日外交長官合意の情報を活動家が独占したというのは有り得ないことです。和解癒し財団の被害者支援金を挺対協が受け取れないようにしたということも事実ではありません。私たちは日本政府が 1994年8月に発表した国民基金を挺対協が受けとれないようにしたという批判を受けたことがあります。法的賠償の回避のために作られた国民基金をとりまいて韓国と日本、台湾、フィリピンの活動家、被害者の間に非常に深刻な論争がありました。どのように対応するべきか真摯に悩みました。しかし、被害者に受けとるなと勧めたというのは一抹の真実もない歪曲です。2015年 12・28合意問題でもこのような歪曲が繰り返されています。この合意によって韓国政府は国連など国際社会で「慰安婦」関連発言を中断したし、撤去の危険に直面した平和の少女像を守ろうと幼い学生たちが寒い冬に道路で夜を明かしました。審査を終えた研究費が政府の措置で撤回されて、「慰安婦」記録物ユネスコ登載事業が中断されるということも起こりました。その時の不正義な状況と挫折感を私たちは忘れることができません。その渦中にあって、ハルモニたちに支援金を受けとるなという原則に背くようなことを挺対協がするでしょうか。むしろ日本政府が支援金の受け取りをめぐって被害者間に緊張と反目を起こさせ、二次加害を犯したのです。その重い責任を挺対協に回すようなことをなぜ私たちの社会はするのでしょうか。
三番目、あまりにも辛くて見ていることさえできない会計問題です。私たちは金学順ハルモニの初めての申告を教会女性連合会事務室で受けました。その後挺対協実行委員の家族の事務室で申告を受けて活動をしました。その後も阿?洞、獎忠洞、西大門、鍾路5街などの地に引越しをしました。財政が窮乏していたからです。冷暖房や風通しが思うようにできない事務室で総務と幹事二人が夜遅くまで仕事をしました。最近になってようやくましになってきたものの、決して財政を放漫に運営することはできませんでした。ひとつの団体が日本政府と韓国政府、国際社会と、みんなを相手に活動し、被害者支援と水曜デモなどすべてのことをやりとげねばならない現在も常勤活動家は8人だけです。不足した人員で会計整理に隙間が生じることがあったかも知れません。しかし、挺対協の長い活動の間、会計不正という状況に接したことはただの一度もなく、正義連でも会計不正は絶対に有り得ないことだと私たちは確信します。多くの市民の支持と応援の中で受け継いできた団体であり活動であるため、正義連は外部会計機関から透明な検証を受けることに決めました。その手続きは速かに進行されるため、ぜひ、少しだけお待ちくださるようお願いします。
どうか被害者の人権と30年の挺対協活動を考えてください。いまや世界で女性の人権と平和についてリーダーシップを持ち始めた韓国の国際的地位も考慮してください。誤った点があるならば正さなければならないでしょう。しかし、根拠のない批判と罵倒は何の助けにもなりません。挺対協設立から心を尽くして研究と活動をしてきた私たちが意思をあつめて切にお願い申し上げます。
2020年5月20日

挺対協を作った人々 ユン・ジョンオク、イ・ヒョジェ、キム・ヘウォン、キム・ユンオク、チ・ウニ、アン・サンニム、ユ・チュンジャ、シン・ヘス、チョン・スクチャ、ハン・グギョン、チョン・ジンソン、クォン・ヒスン
(日本語訳:方清子)

いま読みたい名著D
石堂清倫『20世紀の意味』平凡社

著者は社会運動の思想と歴史について、最も信頼すべき研究者です。2001年97歳で、次世代へのメッセージとして本書を世に問いました。
「社会主義の社会は、短期決戦的行動によって生活の外からつくられるものではなく、生活の中からつくられるものでなければならない。20世紀は前衛やエリートの考えた運動であったとするならば、21世紀は民衆自身を主体とする運動に転換できるかどうかということが重要である」と書いています。
ろうそく革命など国際的な新しい波は、著者の先見性を証明するものと言えましょう。これはイタリアの共産主義者グラムシの思想に共鳴する考え方です。
しかし、著者は決してレーニンを否定してはいません。
1921年3月、ドイツ革命の失敗によって世界革命の波が引きました。その年のコミンテルン(国際共産党)第3回大会で、レーニンは戦術を根本的に立て直そうと提案しました。しかし各国の代表者はついてきませんでした。直接的急襲の方針でまだやれる、と思っていたのです。そこでレーニンは、強行派の5カ国の代表を自室に招いて説得します。
「諸君は国に帰ったら、自分たちは変わったんだと労働者たちに訴えよ。これからはもう少し慎重にもっと右寄りにやる。もっと日和見主義的にやると公言せよ」と。
だが、この事実はスターリンによって秘匿されたのです。
1922年のコミンテルン第4回大会で、病中のレーニンは生涯最後の演説をします。そこで彼は、それぞれのおかれている条件を自分の目で見て学び直すことができれば、世界革命は可能であるかもしれないと説いたのです。しかしレーニンには、最早この考え方を理論的に深める余裕がありませんでした。1921年のレーニンは、それ以前と区別すべきであり、それ以降のものは新しい光のもとで理解すべきであると、著者は言っています。
本書では、「反スターリン主義」を唱える運動も含めて、日本の社会主義運動が多数の民衆を組織できなかった理由についても、わかりやすく解き明かしています。
さらに著者が中心になって編集した『運動史研究』(全17巻、三一書房)は、セクトにとらわれない立場から、戦前・戦後の社会運動を担った主体の内側に光を当て、埋もれていた貴重な経験を数多く発掘しました。その教訓を私たちの共有財産として継承し、運動に活かしていきたいものです。(つづく)(Q生)

5面

被爆75年 8・6ヒロシマ平和の夕べ
森達也、早志百合子、樋口英明さんら発言

森達也さん
早志百合子さん
樋口英明さん

被爆75年、「8・6ヒロシマ平和の夕べ」が今年も呼びかけられている。案内フライヤーから要旨を紹介する。
平和講演は、森達也さん。映画監督・作家としてドキュメンタリー映画『FAKE』『@―新聞記者ドキュメント』などを発表。核問題に迫り「原爆は戦争を終わらせるためだったのか」と、その支配の根源を読み解いている。戦後、アメリカの核による世界支配のため自国民へのプロパガンダ、「放射能は怖くない。傷から放射能が入るから、ミサイルが落ちてくる前にケガや傷には絆創膏を貼る」と大真面目にキャンペーンした映画『アトミック・カフェ』(1982年公開)などを紹介。ベトナム、イラク、アフガニスタン、シリア…自国にとっての「正当な戦争行為の延長」、つまり「広島・長崎は終わらない。焼け爛れ、放射能による苦しみ、悲しみ。世代を超え、世界に伝えなければ」。
被爆証言の早志百合子さんは、9歳のとき爆心地から1・9キロで被爆した。『原爆の子』に作文を書いた1人、「思い出し、作文にするのが苦痛だった」。福島事故後の13年、『「原爆の子」その後』を出版した。
大飯原発運転差し止め判決、高浜3・4号機再稼働差し止め仮処分決定を下した樋口英明さんが、原発の危険について地震動や、自身の判例から語る。
福島避難者の宇野朗子さん、鴨下全生さん。宇野さんは京都へ避難、「避難の権利」を求める全国避難者の会共同代表。鴨下さんは8歳のときに原発事故、東京へ避難する。19年、バチカンに行きローマ教皇に事故被害の実相を訴えた。
岡内章二郎さん。原爆後の広島の地に草木が芽吹いたこと、そのいのちの尊さに感銘をうけ「核廃絶、平和」を草笛に託し演奏している。沖縄からは、県議に再選された仲村未央さん。復帰後の世代として「沖縄戦と辺野古の今」を訴える。

※主催者・実行委員会は、「被爆75年の夏であり、多くの発言者をお願いした。予想しなかった新型コロナ感染の影響が拡がったが、それらを考慮、運営に留意し開催します」と、次のように要請している。@対面の受付を行なわずセルフ方式とする。参加者はあらかじめ「参加票」に名前、連絡先(住所または電話・メールを記入。「参加票」がなければ適宜の用紙に記入し、持参してほしい(主催者が管理、後日廃棄する)、A「マスク着用」(受付にも準備)、B集会中も適宜に室外で休憩してほしい。(問い合わせ=メール:86h@heiwayube.org 電話090―2063―9452)

南北対話と制裁緩和を
朝鮮戦争70年 金光男さんが講演

6月25日、朝鮮戦争勃発70年のこの日、日朝日韓連帯大阪連絡会議(ヨンデネット大阪)主催による「南北対話を求める緊急集会」が開催された。歴史的な「4・27板門店宣言」「6・12シンガポール声明」から2年、事態は進まず朝鮮半島情勢は危機に面している。この情勢下で日本人である私たちはどう向き合い、どう声を上げるべきか。この集会の意義は大きい。
集会では在日韓国研究所・金光男さんが「朝鮮半島の危機を読み解く…金正恩、文在寅、トランプ」と題して講演した。以下、講演要旨。

「言葉の爆弾」

まず朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)の言葉の文化について。非難するときには過激な「言葉の爆弾」を相手に投げつける。そういう文化なので、その真意、背景を汲み取らなければならない。
では、なぜ朝鮮は態度を硬化し韓国に「言葉の爆弾」を投げつけるようになったのか。それは韓国が4・27板門店宣言の合意を守らないからである。4・27板門店宣言2条1項には「南と北は、地上と海上、空中を始め全ての空間で軍事的緊張と衝突の原因になる相手方に対する一切の敵対行為を全面的に中止する」「当面、2018年5月1日から軍事境界線一帯で拡声器放送とビラ散布を始め、全ての敵対行為を中止して、その手段を撤廃し、今後、非武装地帯を実質的な平和地帯にして行く」とある。
それなのに脱北者団体の自由北韓運動連合(米国の保守団体である国立民主主義基金や韓国の保守キリスト団体が資金援助)は、昨年10回、今年も3回ビラ散布をおこない、韓国政府は何の手も打たなかった。法律を作ってこのようなことが起こらないようにすべきだというのが朝鮮の真意である。

共同連絡所の爆破

シンガポール朝米首脳会談2周年にあたる6月12日に李善権外相談話とチャン・グムチョル統一戦線部長の談話が発表されたが、アメリカにたいしても韓国にたいしても朝鮮は絶望している。シンガポール朝米首脳会談で朝鮮は何も得ることがなかったし、板門店宣言から2年経っても、韓国政府は何も約束を守らなかったからだ。
翌13日、金与正第一副部長が統一戦線部長の談話に全面的に共感するとし、北南共同連絡事務所の爆破を予告。その言葉通り6月16日に爆破された。
6月17日、金与正第一副部長が談話を発表。「北南合意が一歩も履行できなかったのは、南側が自分の首に掛けた親米事大のためだ。」「根深い事大主義根性に虐げられ、汚辱と自滅へ突っ走っている卑屈で屈辱的な相手と、これ以上、北南関係を論じられない」と非難した。そして、同日、朝鮮軍総参謀部報道官談話では、非武装地帯など一旦解除された軍事警戒行動を陸海空にわたって復活させるとした。

「ボールを投げた」

一気に緊張関係に入ったが、金正恩委員長は6月23日の中央軍事委員会予備会議で対南軍事行動の保留を決定した。これは韓国にボールを投げたということだ。朝鮮が一貫して主張しているのは南北首脳会談の合意を履行することである。これは文在寅政権の課題だ。朝鮮半島非核化を願う勢力は「制裁緩和」の国際世論を喚起しよう。朝鮮半島の平和のためには日本の協力が必要だ。

先天性心疾患など放射線の影響も
伊方差し止め、広島本訴 被爆三世が意見陳述

弁護士会館で記者会見

7月1日、伊方原発運転差止広島裁判本訴の第19回口頭弁論が開かれた。午後、意見陳述の原告、弁護団、広島裁判原告団・応援団らが広島地裁へ「乗り込み行進」をおこなった。地裁はコロナ対策を口実に傍聴を10人に制限した。弁護団からシビア・アクシデント対策の不備、火山事象に関する補充(おもに火山灰)、震源極近傍の地震動評価にかんする準備書面が提出された。原告の綱崎健太さんは、祖母が被爆している被爆三世。自らの先天性心臓疾患について原爆や核実験、原発事故の影響が無いとは言い切れないと感じていること、「安全で平和に暮らし、未来に希望を持っていたい。原発の運転はしないで欲しい」と訴えた。
その後、広島弁護士会館で記者会見と報告会。弁護団が準備書面の概要を説明し、質疑応答をおこなった。伊方原発敷地極近傍(2q以内)の活断層をめぐる四国電力側調査が極めて不十分である。各地の裁判所が法律に基づかない「社会通念」(巨大カルデラ噴火などはめったに起きないのは「社会通念」だ)や「国民感情」(生活保護をめぐる不当判決で持ち出された)を持ち出し、不当な判決を下していることを批判した。電力会社の不十分な調査や過小な評価の実態、規制委員会の誤り、見落としだらけの審査実態を裁判所に対して明らかにしていくことが重要だと確認した。7月15日には伊方広島裁判の新規仮処分の第1回審尋、福島原発ひろしま訴訟が、7月29日には「黒い雨」裁判の判決が広島地裁で予定されている。

7・6ロックアクション 街頭宣伝
安倍政治を終わらせよう

7月6日、雨天ではあったが、大阪市内で「さよなら安倍政権街頭宣伝@京橋」がおこなわれた(写真)。呼びかけたのは、戦争あかん! ロックアクション有志。「不正だらけの安倍政治を終わらせよう」「老朽原発うごかすな!」「さよなら! 安倍政権」などの横断幕がアピールする人の後ろを彩る。
アピールの最初は大阪市廃止構想(都構想)について、〈どないする大阪の未来ネット〉。「大阪維新は、11月1日に再度住民投票をやろうとしている。維新はカジノ、万博など巨大開発の財源のために大阪市を解体し、その財源を大阪府に移したいだけ」と訴えた。
〈原発ゼロの会・大阪〉は、「『老朽原発うごかすな』の声を大にして福井といっしょに歩もう」と訴えた。
〈戦争あかん! ロックアクション〉は、「持続化給付金事業などコロナ対策の陰で税金が食い物にされている」「PCR検査の予算は400億円だが、マイナンバーカードには2500億円もの予算をつけた。この裏に国民統制の政治的意図がある」と指摘した。
〈辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動〉は「辺野古の海には軟弱地盤が広がっている。防衛局は沖縄県に設計変更申請をしているが、専門家はいくら埋め立てても、また沈むのではないかと懸念している。コロナで工事が中断するとジュゴンが帰ってきた。今やめれば海を守ることができる。沖縄では毎日ゲート前に座りこみ、沖にカヌーを出し、港で漁をして工事を止めようとしている。私たちもいっしょに声をあげよう。沖縄の民意を踏みにじる安倍政権を倒そう」と訴えた。

6面

連載

介護労働の現場よりA
難病者に寄り添って

唐住 日出男

私がヘルパーになって10年余りがたった昨年2月、介護という関係の中で、ともに生きてきたALS(筋萎縮性側索硬化症)の方が亡くなった。体がまったく動かなくなった彼は、自宅で呼吸器をつけて家族と共に生き抜いた。私はほぼ毎日毎夜、その傍らにいた。医師の看護方針の冒頭には、『意思表示不可』と書かれてあった。
最後の夜、私は病院で彼の介護をした。「あなたが生き抜いてこられたから私たちヘルパーもやってこられました。私たちは新しい介護現場に行くことができます。あなたのことは忘れません。本当にありがとうございます」と私。彼のまばたきがかえってきた。
その翌月から私の仕事は40時間になり、賃金は6万円まで落ちこんだ。子どもたちの放課後デイサービスで働くことに。これで5万円余りになった。貧窮生活とトレーニングの日々。
かつて介護の専門学校の授業で教わったことがある。「介護の現場は『戦場』です。人がバタバタと死にます。ヘルパーが倒れ、いなくなります」と。
昨年7月、私は新しい介護現場(=戦場)に入った。HIV発症者、筋ジストロフィーの方、脳性まひの方。家を訪ね、日中・夜間の介護。気がつけば、月140時間余りになっていた。命がけで生きている人達の生命を支えている。こちらも必死だ。
そうした彼らの生きざまを、コロナウイルスが直撃したのだ。
HIVの方は「コロナは恐ろしい。感染すれば私は死ぬ」。脳性まひの方は「この国がこわい。生命の選別がある。コロナで一層ひどくなった。隔離されたくない」「僕は感染したくない。あなたも感染しないで」。筋ジストロフィーの方は「ずっと、傍らに居てほしい」。
この筋ジストロフィーの方の『体位変換』で多くのヘルパーが挫折し、体を壊し、現場を去った。彼は筋肉が極度に減っている。体は太り、浮腫が強い。『私はこわれもの、優しくあつかうように』と注意書きが貼られてある。私の力技は彼には激痛となる。2カ月もすると私は『歩く凶器』と呼ばれていた。
私が研修を受けていた先輩は悩みながらこう言った。「体を一体化すること。一瞬の間に彼の動こうとする力を感じとってそれに応じる。彼の動きと同時に動かす」と。
ご本人が浅い眠りの中にいる時、先輩と私は別室で呼吸器の音を聞き、私たちを呼ぶ声を待ちながら話し合った。話題は、介護技術にはじまり、コロナウイルス、「障がい者」差別、先輩の「自閉症」のこどものこと、先輩自身のこと、そして狭山現地調査の経験にまでおよんだ。
7月3日深夜、私がひとりで介護しているとき、「唐住さん、私の体を引き上げてください」と声をかけられた。私は「ハイ」と返事をして、ベッドにあおむけで横たわる彼の頭の方にまわりこんだ。「失礼」と声をかけて彼におおいかぶさり、両手を背中にまわして背骨に沿わせる。手のひらを広げて腰骨全体を受けとめ、自分の肩と脇を引きしめる。一息ついて、「いきます。ハイ」と腰を引く。彼が体をゆすった。彼の体は動いた。できなかった最後の課題の『引き上げ』ができた。彼のむくんだ足とふくらはぎを軽くマッサージする。1時間、ゆったりと見守った後、書類に記入を済ませた。
次のヘルパーに引きついで交代する。室内用マスクと頭の手ぬぐいを外す。手、腕、顔を洗い、口をすすぐ。ズボンを外用にはきかえて、荷物をまとめる。忘れ物の確認。そしてもう一度、彼の様子を見に行った。安らかな寝顔と呼吸器の音。無言で頭を下げて外に出る。上着を着て、帽子かぶり、この日の私の介護は終了した。
新聞では吉村大阪府知事が「感染症対策をやりながら社会経済活動を動かす。両立が必要」と言っている。東京都知事選で大勝した小池は、「命と経済を守っていく。世界の都市間競争に打ち勝つ東京にする」と。資本の救済だ。
この国の政治家は、なおも民衆の生命をかえりみない。ならば、私たちは、皆とともに生きよう。(つづく)

連載
命をみつめて見えてきたものP
近代医学と生命観

有野 まるこ

人間は自然をどう見てきたか、その歴史的変遷を紹介してきた。自然を支配と征服の対象とみる自然観をベースにした、17世紀西欧で誕生した近代自然科学。これが現在の際限なき自然・地球破壊へと至る資本主義発展の推進力となってきた。では、医療・医学はどのように変遷・発展してきたのだろうか。換言すれば、そもそも自然の一部である人間、人はその生命をどうとらえ、病を癒やし、学問として発展させてきたのだろう?

「癒やしの技法」

今日、日本で「科学的根拠」のある「正しい医療」として健康保険が適用されているのは一部を除き現代西洋医療だ。なので、もともとそれがグローバルスタンダードだと思っている人も多いがちょっと違う。現代の最先端医療も含めて、世界中には数多くの「癒やしの技法」が存在する。その源流をたどっていけば、多くは石器時代から今日まで、脈々と続いているシャーマニズムにいきつくという。今、新型コロナに凍りつく世界では最先端の学問、医療、技術を駆使したワクチン開発の熾烈な競争が加速している。他方で、すがる思いでお払いや祈祷をする人々がいる。両者の併存は凝縮された歴史の足跡をみているようだ。
シャーマニズムは時をへて精霊崇拝の要素が次第に後退し洗練されて、理論化・体系化されてインド、中国、チベット、イスラム、ギリシャ・ローマなどの伝統医療となった。さらに、衰退したギリシャ・ローマ医学を丹念に翻訳してきたイスラム圏のアラビア語文献をもとにして、すなわちギリシャ・ローマ医学とイスラム医学(ユナニ医学)の混交を背景として近代医学が誕生する。それは近代科学を手本にして自然科学としての立場を確立していく。
古代ギリシャ時から、生命観には異なる二つの流れ―生気論と原子論―があり今日まで続いている。生気論は、自発的な活動力をもつ生きものに特有の「生気」の存在を認める立場。不可視の非物質的な生命エネルギーの存在を生命観の中心にすえている。中国では「気」、インドでは「プラーナ」、イスラムでは「バラカ」、ギリシャでは「プレウマ」と呼ぶなど、生命エネルギーは世界各地でさまざまな呼称がある。原子論は「生気」の存在を認めない唯物的な生命観。古代ギリシャではマイナーであり、生物研究においては生気論が圧倒的優位を占めつづけてきたが、ルネサンス期に復活。17世紀デカルトは心身二元論を唱え、人体も機械と同じ物体にほかならず、物理学の法則にしたがうものと主張した。18世紀には、人間も完全な機械であり、思考も頭脳の働きにすぎないと主張する『人間機械論』が出され、近代医学の生命観の基礎を築いた。

機械的医学

こうして近代医学は非物質的な生命エネルギーの存在を否定し、もっぱら目に見える身体性を対象に発展してきた。身体を細かく割って臓器、組織、細胞などに分けてとらえる見方(要素還元論)、その部分の病変を検討し、部品のように修理・交換すれば治るという見方(機械論)が特徴とされる。近現代医学の第一期は「機械的医学」とも命名されている。身体医学が最も成果を発揮した代表例が急性の伝染病の解決だった。また戦傷兵への外科治療(いわば戦争の道具の修理)や細菌戦などを思い浮かべると分かりやすいが、戦争・軍事と深く結びついて発展してきた。その後、身心医学、非局在的医学の方向へも発展してきたが、いまも医学界で圧倒的地位を占めているのは「機械的医学」だ。ちなみに今日的には、「不可視の生命エネルギー」の可視化が、徐々に、部分的に可能となりつつある。20世紀には考えられなかった進歩だが、今、根本的に求められているのは自然観と一体不可分の生命観のとらえ返しではないだろうか。(つづく)

現代中国社会の内側からB
世代で違う日本人への感情
戸川 力

日本人への日常感

多くの中国人は、普通に生活をしている中で、相手が日本人だと分かっても、特別な排外意識を示さない。
十数年間の中国生活の中で、日本人だということで嫌な顔をされたのは2回ほどだ。タクシーの運転手から、第二次世界大戦での日本人の行為をどう思う、と聞かれたことが一度あった。そのときは、「侵略行為はあったし、反省している」と答えたが、それ以上聞いてはこなかった。
中国人の友達に聞くと、60歳以上の人は、酒の場でそういう話題が出てくれば、日本人の悪口を言うのは当たり前で、誰も異をとなえないという。
テレビでは、日本との戦争ドラマを毎週一度はやっている。若い人でも、日本人にとっての「水戸黄門」のような感覚で見ている。意図せず、私の前でそのチャンネルに合わせる友達もいる。多くの若い人は戦争ドラマよりも、恋愛ものや複雑な家族関係のドラマとか、明朝を舞台にした、忍者のように登場人物が空を飛ぶ時代劇を好んで見ているようだ。

人としての交流とは

若い世代とも接してきたが、彼らは私が日本人だと知ると、むしろ興味を示す。小学生などは「日本語ではどう表現するのか」といろんなことを聞いてくる。日本と中国が対立した時、世論調査でお互いに不人気度が上がるのは、マスメディアのせいだろう。
日中間の所得格差のせいで、日本人の留学生や駐在員のなかでは、中国人を「格下」とみる人が多いと思う。
人対人として接していかなければ決して友達にはなれない。だから中国では本音をぶつけ合って、「言いあい」や「喧嘩」をやる。飲食もその手段だ。そうして、つき合いと交流が始まる。いったん友達になれば、日本人の友達より信頼しあえる。(つづく)