未来・第295号


            未来第295号目次(2020年6月4日発行)

 1面  検察庁法改悪断念
     ツイートが政権追いつめた
     威力示す民衆の主体性

     市民の力で政治を動かす
     5月19日 国会前緊急行動に600人

     老朽原発をとめよう
     9・6大集会を呼びかけ
     5月17日 大阪

 2面  コロナ対策 自治体の課題 北上哲仁さん(兵庫県議)に聞く
     “子どもの最善の利益”守る

     コロナ関連助成金の実際
     煩雑な手続きがネックに

     関生弾圧
     武委員長を保釈・奪還
     京都地裁への連日抗議で

 3面  関東大震災
     朝鮮人犠牲者追悼式典
     都が誓約書の提出求める      

     いま読みたい名著 A
     山代巴『囚われの女たち』
     全10部 径書房     

 4面  連載 命をみつめて見えてきたものM
     地球生態系の中の人間
     有野 まるこ

     コロナに負けず毎週行動
     神戸三宮・マルイ前 シール投票 再開

     介護労働の現場より@
     コロナウイルスと私たち
     唐住 日出男

 5面  〈寄稿〉
     人口動態のメカニズムを解く
     ダリル・ブリッカー
     ジョン・イビットソン 『2050年世界人口大減少』を読む
     愛知連帯ユニオン 佐藤 隆

 6面  (本の紹介)
     『THIS IS JAPAN』〜英国保育士が見た日本〜
     ブレイディみかこ著 新潮文庫

     (本の紹介)
     『スターリンとドイツ共産主義―ドイツ革命はなぜ挫折したのか』
     ルート・フィッシャー著 掛川徹訳

     狭山再審
     「ウェブ5・23」全国で行動
     神戸駅前では座り込み

       

検察庁法改悪断念
ツイートが政権追いつめた
威力示す民衆の主体性

「#検察庁法改正案に抗議します 右も左も関係ありません。犯罪が正しく裁かれない国で生きていきたくありません。…」アカウント名・笛美さん(東京都内在住・30代・会社員)という一人の女性が5月8日夜にツイート。それが拡散され、数日のうちに500万回以上のツイートになり、類似のハッシュタグも含めて11日には900万超に上った。

その中には、著名なタレント、アイドル、アーティスト、アスリート、俳優、モデル、お笑い芸人、作家、演出家、漫画家のツイートも。この巨大なツイートのうねりが大きな成果を生んだ。検察庁法改正案の今国会での成立を断念させ、様々な政治力学と相まって黒川東京高検検事長を辞任に追い込んだ。2012年以来、数々の悪法を強行し不正とその隠蔽を重ねてきた安倍政権が、しかも、コロナ下で、集会や行動が著しく制限されている中で、民衆の声の前に敗れた。
最初にツイートした笛美さんは、各種メディアの取材に次のように答えている。「このままでは民主主義がヤバい」といった危機感が動機で、「私はボールを投げただけで、それがどんどんパスされていったような感覚」とその広がりに本人も驚きを語っている。

「山が少し動いた」

ツイートの大きなうねりの中でも、潮目を変えたと言われているのが小泉今日子さんのツイート。80年代以来、芸能界で常に中心を歩んできた人。その小泉さんが個人事務所のアカウントで繰り返し「#検察庁法改正案に抗議します」とツイート。それが巨大なインフルエンサーとなり、逡巡していた人びとが動いた。
同時に、ネガティブな反応も襲いかかる。「タレントが政治的発言をするな」「勉強してから言え」。それは、物を言う女性を嫌うミソジニー(女性嫌悪)の噴出でもあった。これに小泉さんは「私、更に勉強してみました。読んで、見て、考えた。その上で今日も呟かずにはいられない。#検察庁法改正案に抗議します」とツイート。(12日)
あえて政治的発言をした理由を問われ、「選挙には行くけれど政治にたいして無関心という立場でいた私たちがつくった現実を突きつけられたから」(16日テレビ報道)と答えている。コロナ下で、この社会のあり方を自分の問題として、この政治の惨状を自分たちの責任として受け止めたという多くの人の思いが、語られている。
そして、小泉さんは、一連の過程を総括するように次のようにつぶやいた。「小さな石をたくさん投げつけたら山が少し動いた。が、浮足立っていけない。冷静に誰が何を言い、どんな行動を取るのか見守りたい」(19日)

社会運動の新しい形

ソーシャルメディアの一つであるツイッター上で展開される抗議行動がツイッターデモ。抗議内容のキーワードの前に、ハッシュタグ「#」を付けて投稿することで、同じキーワードの投稿が瞬時に共有される。
2011年「アラブの春」、同年ウォール街占拠、16年韓国ろうそく革命などでソーシャルメディアが威力を発揮しているが、日本では3・11以降の脱原発運動、反安保法制の過程で、街頭行動などのリアルへの参加とともに、ソーシャルメディア上で意見表明する行為もまたデモとして認知されてきた。
ソーシャルメディア(ツイッター、フェイスブックなど)の特徴は「双方向性」。従来のマスメディア(新聞、ラジオ、テレビ)は、「一方向的」に情報を発信し、視聴者は消極的な受け手でしかなかった。ところが、ソーシャルメディアの登場によって、情報の発信がマスメディアの特権ではなくなり、誰もが発信者となり、発信者と受信者が「双方向的」になった(反面、ソーシャルメディアのプラットフォーマーは巨大資本、マーケティング戦略の一環、権力も常時監視・操作、ヘイトの温床でもある)。このソーシャルメディアの特徴を活用して新しい社会運動のスタイルが生まれつつある。
情報発信の主体が個人。そこには、リーダーや組織、主催者はいない。著名人も、無名人も、一人の主体として発信している。そういう大勢の個人が、相互に作用し合い、意見や議論を交し、より多様でありつつ方向性のある見解(集合知)が共有されていく。

変革のきざし

「ネットでデモなんて…。街頭だろ」という声もあろう。しかし次のような指摘もできる。ツイッターデモがかくも威力を発揮した今一つの背景に(コロナ下で、多くの人が社会の問題を自分の問題として考えた点は上述)、コロナ下で、伝統的なスタイルの活動が制限されたことが奇貨となった面も見逃せない。逆言すれば、伝統的なスタイルの活動が、運動の「狭さ」となっていた点である。
伝統的なスタイルの集会・デモでは、主催者が取り仕切る枠内でスローガンや発言があり、一参加者は、あくまで受け身の立場に置かれる。その集団主義的で没主体的な傾向に、多くの人は違和感を覚えている。
伝統的なスタイルにたいして、ソーシャルメディア上の運動では、一人ひとりが発信者であるという形で、個々の主体性が発揚され、民意として顕在化している。だからこそ、政府は、ツイートのうねりを恐れざるを得なかったのだ。もちろん、これが最終形態ではない。韓国のろうそく革命がそうであったように、リアルの運動とソーシャルメディア上の運動とが相乗をなしてこそ、大きな変革に結びつく。2020年5月は新たなステージの始まりである。

市民の力で政治を動かす
5月19日 国会前緊急行動に600人

「検察庁法改悪許すな!」国会議員会館前に600人が集まって声を上げた(5月19日)

安倍政権は検察庁を意のままに動かすための検察庁法改悪を目論んだが、ネット署名34万、ツイッター1000万、内閣支持率の急落という市民の声に圧倒され、今国会での成立を見送った。こうしたなかで5月19日と20日、国会前行動が取り組まれた。主催は憲法9条を壊すな! 実行委員会ほか。19日は主催者の予想を超える600人が参加し、コロナ情勢下では最大の結集となった。
発言者は、「自粛させておいて、自分はやりたい放題」「改憲を待たずに国の制度を次々と壊していく」と安倍政権を弾劾。「市民が政治を動かした」「世論の力で悪政を阻止できることが分かった」「コロナ対策10万円給付などの施策も、市民が声をあげたから実現した」と運動の力で政治を動かせることを確認した。また「コロナ情勢下での街頭行動は良くないという風潮があるが、目に見える形で示す行動が重要だ」「第一のコロナ対策は安倍打倒」と訴えが続いた。

老朽原発をとめよう
9・6大集会を呼びかけ
5月17日 大阪

9月6日に延期された大集会へ結集がよびかけられた(5月17日 大阪市内)

5月17日、「老朽原発うごかすな! ミニ集会inおおさか」が大阪・中之島公園女性像前でひらかれ60人が参加した。主催は、若狭の原発を考える会有志。
冒頭、主催者発言に立った木原壯林さんは、9月6日に延期された大集会への結集を訴えた。その後、関西各地から集まった人々のリレートークがおこなわれた。滋賀・京都・大阪・兵庫・奈良からそれぞれ、9・6に向けて、全力でたたかうことが報告された。
若狭の原発を考える会事務局から、福井県知事・高浜町長・おおい町長・美浜町長にたいする、要請はがきを集中する行動などが提起された。集会後参加者は関電本店前に移動し、原発停止と工事中断を訴えた。

2面

コロナ対策 自治体の課題 北上哲仁さん(兵庫県議)に聞く

“子どもの最善の利益”守る

―昨年4月に兵庫県議に当選して1年になります 選挙区は川西市と猪名川町で、広い地域から議員は3人で、より多くの人の意見を聴き幅広い課題に取り組んできました。
最初は手探りでしたが、具体的な課題で動くと市議時代よりもスムーズに解決が図れることもあり、手応えを感じています。猪名川流域の災害防止工事など、市議時代にはできなかった住民要望も実現できました。交通、医療、防災、環境等は、市町と県が連携して効果的な政策が展開できます。川西市議16年の経験を活かし、「住民と語り合い一緒に政策を作る」基本姿勢を貫き、一人ひとりの「当たり前の幸せ」に寄り添う政治をめざします。

―2月からコロナ感染症対策が課題になりました

医学や公衆衛生の専門知識が乏しく、初めての経験で戸惑い、的を定めきれない感覚できました。
2月末の唐突な全国一斉休校要請には驚きました。その後の自粛要請と催し等の延期・中止、「緊急事態宣言」。子どもたちの困惑、子育てと仕事の両立が一層難しくなった保護者、小売業者の売上激減や資金難、生活苦やDV被害など、住民の悩みや不安に直面し「今こそ議員の出番だ」と思いました。
「コロナ対策の支援策があるようだが自分に当てはまるのか」「どこの窓口に連絡したらよいのか」との声が寄せられ、支援策や相談窓口を一覧にした県政報告を7万部作成し配布。直後から約50件の相談や意見が届きました。昨秋に開設した川西市役所のそばの個人事務所を拠点に、4月以降は特に多くの要望・相談を受けています。

医療現場の改善

―県議会内ではどのような取り組みを

4月には医療崩壊への不安に直面しました。韓国ではPCR検査を大量におこない、感染者を隔離し拡大阻止に成功している。しかし日本はほとんど検査せず、実態も不明の状況。PCR検査を全面的に拡大し、基礎的データを増やし対処することが感染阻止の土台で、県議会でもPCR検査拡充を求める意見書を国へ提出しました。
兵庫県の感染症指定医療機関で働く医師からメールが届きました(4月19日)。不足する病床や防護具(手袋、マスク、アイシールドなど)の実態、過酷な労働による疲弊、人員確保への切実な要望が綴られ、「お金と医療資源を集中的に投資しないとコロナを乗り切れない」との訴えでした(本紙293号3面参照)。
会派(ひょうご県民連合)の代表質問や知事要望の際、逼迫した医療現場の実態を伝え、防護具確保の強化と、現場職員の士気を保ち看護師等の復職を促すためにも労働環境の改善を訴えました。その甲斐もあり、感染者等への対応業務も県職員(医療従事者など)の手当が日額300円から3000円・4000円にと、防護具の支給などの成果がありました。

―5月県政報告では教育・学校再開がメインでした

私も高2から小学まで3人の子がいますが、学校や幼稚園などが休みになり3カ月、子どもたちは様々な制約でストレスを抱えています。心身の健康保持や「学ぶ権利」の保障等は喫緊の課題です。臨時休校・休園が長びき、事情の異なる子どもたちを家庭・地域・学校・行政の総力で支える必要があります。格差の拡大を生じさせない配慮は極めて重要です。
私は、専門家の知見に基づいた十分な感染防止策を講じたうえで、学校・園の再開を促します。「登校しない期間が長いと不安も強まる。再開前後のいじめや自死が懸念」との指摘もあり、子どもたちをていねいに見守り不安に寄り添う態勢整備が必要です。またその影響は時間を経てからの顕在化も考えられ、中長期的な支援策も県に提言します。コロナ禍における「子どもの最善の利益」とは何か、どんな支援策が必要か、子どもの声をていねいに聴きともに考えることが肝心です。子どもたちの意見表明を支援し、学校運営や自治体の政策等に反映できるよう頑張っていきます。

コロナ関連助成金の実際
煩雑な手続きがネックに

コロナウイルス対策の諸助成金等の実態を聞いた。以下は社員20人、資本金1千万円、年商20億円ほどの小企業の例。労働者と経営者からの話を総合した。(5月22日現在の聞きとり/波多野)

会社は4月半ばから時差出勤、ローテーションで在宅を取り入れ、出勤人数は3分の1となった。5月中はその体制、6月は全員出社になるが時短制、7月から通常に戻される予定。在宅といっても実質休日状態。賃金は満額出されてきたため、その面では現場の不満はなかった。4月の売り上げは前年比60%、5月、6月はさらに悪くなる見込み。
自治体のセーフティネット(無利子での融資)も申請し、受けられる助成金は受け、引当金など使いながら、社会保険料猶予とかも使う。4月が昇給月だが、全員に説明があり見送った。

持続化給付金

(中小最大200万円、個人事業主最大100万円) 申請は簡単だった。ただし受付は原則オンラインのみ。くわしくない担当者は難しいかも。申請サポート会場もあるが完全予約制。コールセンターもつながりにくい。5月8日に申請し、25日現在、音沙汰なし。

雇用調整助成金

 必要書類が多すぎるのと、記入例を見ても書き方がわかりにくい。上限8330円が1万5千円になるとか、いつ決まるのか。概要が変わるたびに「簡素化された」とかアピールされるが、あまり実感がない。それをもって以前に苦労して申請した事業主もいただろうに。通常業務をこなしながら自力では無理。税理士に依頼した。

東京都事業継続緊急対策(テレワーク)助成金

 東京事務所用ノートPCを買い、在宅で仕事ができる環境をつくるため、申請した。もともとオリンピック向けのテレワーク推進事業。こちらも必要書類がかなり多く、難儀した。都税の納税証明書が必要、東京事務所から取りに行ってもらった。納税は4月20日すぎに完了しており、30日に取りに行くと「データが反映されていない。納付領収証の原本を持ってくるよう」と。別の日に再び窓口に行く羽目に。5月12日に申請完了、22日現在、連絡なし。
テレワークのための助成金制度は多数あるが、ほとんどがテレワーク対応のパソコンが対象。システム構築に費用がかかる。中小零細には、負担感が大きい。危なくなる事業者も出るだろう。

関生弾圧
武委員長を保釈・奪還
京都地裁への連日抗議で

5月29日夜遅く、関西生コン支部・武建一委員長が保釈奪還された。湯川副委員長の勾留は続いている。

12日間連続で

4月28日の大阪の反弾圧実行委の申入れ、地裁内行動、記者会見に続いて、〈労働組合つぶしの大弾圧を許さない! 京滋実行委員会〉を中心に5月18日から29日の連日、京都地裁に対する即時釈放要求連続行動が取り組まれている。午前11時45分から午後1時まで、昼休みの時間帯に、丸太町通に面した京都地裁正面玄関前の歩道に毎回30人ほどが参加。スタンディングを中心とした抗議行動やマイク宣伝などを続けている。
釈放要求はがき配布や公正裁判要求署名のよびかけとビラまきなどで市民にアピールし、注目を集めている。参加者は京都・滋賀の仲間だけでなく大阪や東海の仲間なども。

600日超える勾留

5月25日は60人が参加し、地裁玄関前の歩道を埋め尽くした。〈関西生コン労組つぶしの弾圧を許さない東海の会〉が合流し、関生支部の武洋一書記長とともに京都地裁に申し入れ。「一、武建一委員長、湯川裕司副委員長の両名の勾留を即時取り消すこと。現時点では少なくとも、すみやかに保釈を認めること。二、京都地裁は、両名の健康を把握し、その健康保持と生命の危機から身を守るための措置をすぐに講ずること」を申し入れた。
この日は〈関西生コンを支援する会〉が、早期保釈を求め、鎌田慧さん(ルポライター)、佐高信さん(評論家)、宮里邦雄さん(弁護士)による直筆署名の要請書をもって、630日を超す勾留は労働基本権蹂躙の暴挙であり、重大な人権侵害であることを刑事部に対して抗議した。司法記者クラブで記者会見し、朝日、読売、京都新聞、NHKが取材した。
昨年12月に労働法学者有志の声明を公表した呼びかけ人のひとり、吉田美喜夫さん(立命館大学名誉教授)や関西生コン弁護団が同席した。吉田さんは「600日も拘束しないと明らかにできないような真実などありえない」と訴えた。この行動には全日建連帯中央本部の菊池委員長、小谷野書記長、平和フォーラムの藤本泰成さん、永嶋弁護士や小田弁護士など弁護団も合流し、参加者は、60余人となった。「長期勾留をすぐやめろ」「人権侵害・不当弾圧をすぐやめろ」と抗議のシュプレヒコールがあがった。

3面

関東大震災
朝鮮人犠牲者追悼式典
都が誓約書の提出求める

毎年9月1日、東京都墨田区の横網町公園に建立されている朝鮮人犠牲者追悼碑の前で関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典がおこなわれている。1973年から毎年続けられているこの追悼式典に対して東京都は、「公園利用者の安全のために条件を付す」として主催者に「条件を遵守する旨の都知事宛ての誓約書」の提出を求めてきた。この背景には2017年から右翼団体「そよ風」が同日同時刻に横網町公園で開いてきたヘイト集会がある。9・1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員会は声明を発表して、協力・支援と賛同を呼びかけている。
宛先は千代田区神田三崎町2―11―13―501 電話・ファックス03・3230・2382

声明(2020年5月18日)
9・1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員会
             実行委員長 宮川泰彦



9・1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員会(以下、当実行委)は、東京都立横網町公園内に建立されている朝鮮人犠牲者追悼碑前で、毎年9月1日、関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典を執り行っている。
横網町公園は、1930年に関東大震災の犠牲者を追悼することを目的として開園した「慰霊の公園」である。朝鮮人犠牲者追悼碑も、こうした公園の趣旨に合致するものとして、関東大震災50年を迎えた1973年(昭和48年)に当時の都議会全会派の幹事長も参加する建立実行委員会によって建立され、都に寄贈されたものである。
当実行委は、碑が建立された1973年以降、毎年、都との事前打ち合わせを踏まえ使用許可を得て、厳粛且つ平穏に追悼式典を執り行ってきた。式典には、小池都知事が取り止めるまでは歴代の都知事から追悼文が送付され、近年では総理大臣経験者やソウル市長、宗教者や学者などからもメッセージが寄せられるようになった。また昨年(2019年)は700人が参列するなど、虐殺犠牲者を悼み、二度と繰り返すまいと誓う場として、広く認められるようになっている。
そして、この追悼式典が、公園管理に関わる大きな問題を指摘されるようなことは、これまでなかった。
ところが昨年9月以降、東京都は、2020年の追悼式典使用許可申請に対して、使用許可条件について整備中だとして、当実行委の申請受理を3回にわたり拒否し、12月24日には、「横網町公園において9月1日に集会を開催する場合の占有許可条件について」(以下、「条件」)と題する文書を当実行委に示してきた。
それによると、毎年9月1日の横網町公園では、「関東大震災に関連した追悼行事等の集会に関する占有許可申請が複数」あり、昨年は「集会参加者によるトラブルが発生」したため、公園利用者の安全のために条件を付すこととしたという。「複数」とあるように、「条件」は、9月1日に横網町公園で式典や集会を行うすべての団体に向けられたものである(詳しくは後述)。
「条件」の具体的な内容は、「公園管理上支障となる行為は行わない」「(都の大法要と重なる時間は)拡声音量装置は使用しない」「(集会で使う拡声器は)当該参加者に聞こえるための必要最小限の音量とすること」などである。 
問題なのは、東京都が、これを遵守する旨の都知事宛ての誓約書を提出することを求めていることである。しかも、この誓約書には「下記事項が遵守されないことにより公園管理者が集会の中止等、公園管理上の必要な措置を指示した場合は、その指示に従います。また、公園管理者の指示に従わなかったことにより、次年度以降、公園地の占用が許可されない場合があることに異存ありません」とある。
こうした内容の誓約を求めることは、本来自由・自主である集会運営を萎縮させる恐れがある。そもそも一般通念上、誓約書を書かせるというのは非常に重い要求である。まして、式典を中止させられたり不許可にされたりしても「異存ありません」との誓約を求めるのは、よほどのことである。ところが当実行委は、都が示したような「公園管理上支障となる行為」等を行ったことはないのである。
当実行委は、今年2月、「条件」が示す一つ一つの内容について、朝鮮人犠牲者追悼式典がそれに反する行いをしたことはあるかと文書で質した。すると、都は、そのすべてについて「今回設けた条件に概ね合致している」として、「今後も、概ね昨年同様の式典を開催いただけると考えております」と、文書で回答した。追悼式典のあり方には従来のままで基本的に問題がないというのである。だとすればなおさら、当実行委に誓約書の提出を求める必要性も合理的理由も見当たらない。なぜ当実行委が、このような誓約を、都知事に対して行わなければならないのか。
都の要請の背景には、2017年より、朝鮮人犠牲者追悼式典と「同日同時刻」にあえてぶつけるかたちで、同じ横網町公園内で行われている、右翼団体「そよ風」主催の「真実の関東大震災石原町犠牲者慰霊祭」と称する集会がある。毎日新聞動画ニュースサイトが「追悼の場に『ヘイトスピーチ』 9月1日、朝鮮人犠牲者追悼式典」と伝えたように、この集会では、「不逞朝鮮人」が「震災に乗じて略奪、暴行、強姦」を行い、「日本人が虐殺されたのが真相」だなどと演説し、さらに拡声器を故意に朝鮮人犠牲者追悼式典の方向に向け、それを大音量で流すといった、まさに「トラブル」を引き起こしている。
東京都が示した「条件」の内容は、東京都自らが文書で回答したとおり、追悼式典については全く問題にならないものだが、一方、「そよ風」の行動についてはその多くが当てはまる。この「条件」は、「そよ風」主催の集会を念頭に置いたものだと理解できなくもない。
しかし、だとすればなぜ「そよ風」に対して個別に問題行動について注意するのではなく、何の瑕疵もない当実行委とセットにして、双方に誓約書を書くことを求めるのか。
なぜ、震災時の虐殺犠牲者を「不逞朝鮮人」と貶めることを目的として現にトラブルを惹起している集会と、震災時の朝鮮人虐殺犠牲者を厳粛に追悼してきた式典を同列に扱い、集会を中止させられたり不許可にされたりしても「異存ありません」などと誓わせるのか。「慰霊の公園」という横網町公園の趣旨に照らして、都の意図に対する疑念は膨らむばかりである。
当実行委は、今後も毎年、関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典を厳粛に執り行っていく。東京都に対しては、2020年9月1日関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典開催に関する当実行委の占有許可申請を直ちに受理すること、および、当実行委に対する前記誓約書要請を撤回し昨年までと同様の占有許可を速やかに行うことを、強く求めるものである。

いま読みたい名著 A

山代巴『囚われの女たち』
全10部 径書房

この小説の主人公は独りよがりの運動の失敗を反省し、自ら労働者になって労働者階級と共に歩む道を選びます。
連れ合いは常磐炭鉱の大争議の「英雄」でした。しかし1929年の4・16事件(共産党の全国一斉検挙)で捕われ、獄中で朝鮮人共産主義者から日本のインテリの欠点を指摘されます。日常生活に人権を折り込むことの大切さです。
主人公は在日朝鮮人の少女から差別意識を鋭く批判されて、人権意識が不徹底であることを思い知らされます。
2人は京浜工業地帯で工場労働者になります。毎朝早起きして『資本論』を読んでから出勤する連れ合いと、権力の監視下で身動きのとれない日々を送ります。
「あら、あの星よく光ってる。あれ何という星かしら」。同じ工場で働く少女が残業帰りの夜道でつぶやきました。少女の疑問に答えるため、2人で協力して図解入りの「星の世界」というノートをつくりました。
少女たちは目を丸くして回し読み、「お嫁さんに行くときに持っていくんだ」と写し書きしました。他の工場で働く若い男女のなかにも、「星の世界」ノートの輪ができていきます。
彼らの興味が広がっていくにしたがって、「太陽系の世界」から「地球の歴史」、さらに「人間の歩み」へと展開していきます。ついに「現人神であらせられる皇統連綿の、日本の皇室は絶対に滅びないってことは、人類の長い歴史から見てウソだと思うの」という声が、ある少女の口から出されました。
天皇制イデオロギーが社会の隅々や人びとの心まで支配していたなかでは、とても考えられない出来事でした。
戦時下の軍需工場で働く若い労働者たちの成長を、山代夫妻は暖かい目でサポートし、触媒の役割を果たします。ここには、反スターリン主義の実践的萌芽を見てとることができます。
しかし教条主義的で警戒心を欠く共産党員の介入で、山代夫妻は百数十人の若者と共に検挙され、主人公は警察署で流産します。
そして、囚われた獄中、社会の最底辺で差別されながらもしたたかに生きる女性たちと接し、改めて社会の矛盾に目を開きます。彼女たちと励まし合って苦境をのりこえていく姿は感動的です。
この書は社会の根本的変革(=革命)に一生を捧げることを決意した人間の内面を綴った、日本文学史の金字塔です。(Q生)

4面

連載 命をみつめて見えてきたものM
地球生態系の中の人間
有野 まるこ

前回までふれてきた世界は、数十億年という単位まで時間軸をググーッと拡大した地球と生命。同時に、目に見えない微生物やウィルスが、数においても種類においても多細胞生物をはるかに凌駕する地球。人間は、その目のくらむような時空に、ついこの前、生まれ落ちたばかりの生命体。自然界だけではなく、人の身体内には1000〜4000種類にもおよぶ常在細菌が存在し、重量は数キログラム(肝臓や腎臓、心臓に匹敵)、数は100兆個、遺伝子総数は300万個ーヒト遺伝子の百倍以上の遺伝子が常時発現し、私たちの生命活動の基礎となっているという。こうした身体の内と外に張りめぐらされた、微生物を含む複雑で精巧な生態系の中で「生かされてきた」人間。

ガイア理論

さらに紹介すれば、地球を生きている生命体ととらえる英のジェームズ・ラブロックの「ガイア理論」がある(1960年代提唱・ガイアとはギリシャ神話に登場する地球の女神)。地球上においては、大気や地殻などの自然環境と、動植物や微生物などを含む生物が互いに影響しあうことで、地球そのものがひとつの生命体のように活動しているとする学説だ。故高木仁三郎氏(理学博士・元原子力資料情報室代表)の論文『自然観の解放と解放の自然観』(1985年)の中では次のように解説されている。「その意味は、地球は決して生物にとって単に外的な地球物理学的条件によって、生命の惑星となっているわけではなくて、むしろ生命の条件は生物自身がつくり出しているととらえるのである。初期の地球に微生物が生まれたときには、かなり生物には困難な条件があった。しかし、微生物から始まって生物が進化し、生物界が多様化していく過程は、生物自身が自らに適した大気の条件とか海の条件をつくり出し、気温の調整すらも行って生命の条件を安定化させ、豊富にさせた。ガイアの理論によれば、生物の共生とは、多様な生物が共存しあうことによって総体として、ひとつの生物のように自己調整し、成熟していく地球を生み出すことである。そこでは、生物界が多様であればあるほど、安定的に寄与するのである。ラブロックはこのような、ガイア・モデルを地球科学的データを主として頼りながら推論し、提起してみせた。」
そして高木氏は、「人間の役割もむしろこの共生システムに合流していくことでなくてはならない。ところが現代文明はその生命の流れ=循環にのらない廃棄物を蓄積させ、生態系を破壊させてこの安定性をこわしてしまうのである。」と述べ、「自然観の転換」を提起している。この時、高木氏が見ていた地球の生態系破壊は、35年を経た今日、予測をはるかに超える規模と様相を呈している。

体内の生態系

「新型コロナ」も、気候変動と大規模災害も、それによる暮らしと命の不安や危機も、「生態系の破壊」と深く関連していることを多くの人々が日常生活のレベルで、皮膚感覚で感じ始めている。新自由主義的グローバル経済がこれを加速度的に促進してきたことは、多くの識者や環境活動家が身を挺した闘いで鋭く告発している通りだ。
加えて、体内の生態系撹乱について、山本太郎教授の警鐘をくり返しておきたい。抗生物質の過剰投与による耐性菌の発生、その感染が死をも招くこと(仲間もこれで死亡)、院内感染が発生すれば医療機関は崩壊の危機にも直面しかねないこと等は知られている。その上で、山本氏は多くの研究者が、肥満、アレルギー、糖尿病が凄まじい勢いで増加している現実について、ヒト常在細菌、なかでも腸内細菌の撹乱が原因ではないかと考え始めていると指摘する。抗生物質の使用は、感染症を抑制するが同時に、共生細菌をも排除する。常在細菌の撹乱は免疫機能の異常亢進をもたらし、こうした病を引き起こす可能性があるという。何万年、何十万年にわたって、抗生物質と触れることのなかった人類が、わずか50年で、ほとんどの乳幼児までが抗生物質の投与を受ける時代になってしまったのだ。さらに人間医療用をはるかに上回る量の抗生物質が家畜の成長促進と医療用として投与されており、これを食べている。山本教授は、これらの乱用による身体内の生態系撹乱が何世代にもわたって人類に損失をもたらすと警鐘を鳴らしている(決して抗生物質の利用を否定しているのではない点は強調されている)。

自然観の転換

「自然観の転換」はマルクス以来の古くて、同時にのっぴきならない現在的大テーマだ。自然を、人間の利用、支配、征服の対象としてきた自然観。人間の「知」を絶対化し、そこに裏付けられた科学技術の発展と経済成長、それと自然を調和させて折り合いをつけるという考え方や立場。いずれも人間中心主義だ。今やグローバル資本も後者を喧伝している。これらの起点にある西洋近代の合理主義。その延長上に措定され「実現」された「社会主義」。その末路が現代中国やロシアの姿ではないだろうか。旧来の「スターリン主義」という規定と批判だけでは分析と変革の理論にはならない。マルクスは人間を自然生態系の一部ととらえ、自然の中に相対化した。そこに立脚して、創る社会を、残す地球を考えていかなければと、自分の命をみつめながらしみじみと想うのである。(つづく)

コロナに負けず毎週行動
神戸三宮・マルイ前 シール投票 再開

「緊急事態宣言」下でも有志で途切れることなく毎週2回続けられてきた、神戸・三宮のマルイ前行動。
5月21日は、飛び入りの高校生4人組も含め、20人が参加。横断幕・メッセージボードには検察庁問題=黒川辞任要求に加えて河井案里・克行夫妻逮捕を求めるものも。マイクアピールとウクレレ、アコーディオン、太鼓の三重奏で、通行する市民の注目を集めた。
5月23日は「命とくらしを守る」マルイ前行動に19人が参加。兵庫県は21日に「緊急事態宣言」が解除され、通行人もいつもの6割ほどに戻った。この日は兵庫県議会で医療・教育問題で頑張る北上哲仁県会議員が参加。県会で医療の課題を取り上げて成果をあげ、今は学校再開へ取り組んでいるとのこと。
毎回更新される横断幕・メッセージボードへの注目度は高い。自転車をとめてアピールを熱心に聞いている人も。
5月28日から「こわすな憲法! いのちとくらし! 市民デモHYOGO」としての木曜行動が再開され、24人が参加。所狭しと横断幕がならび、久方ぶりに再開の「シール投票」は、「あなたは安倍政権に今後もまかせますか」。67人が否で、まかせるは3人。ここでも安倍不信任の声が圧倒的だった(写真上)

介護労働の現場より@
コロナウイルスと私たち
唐住 日出男

コロナウイルスの全世界的感染拡大は、勢いが衰えていない。5月24日現在、世界で521万人が感染、33万人が死亡した。1日で感染者が10万人、死者は5200人増加した。そう報じられている。
私は介護ヘルパーだ。この職に就いて11年になる。重度や重症者の居宅を訪問し、その生活と闘病をともになしてきた。だから「ダイアモンド・プリンセス」や各地の病院や介護施設での集団感染と医療・介護などのスタッフたちの苦戦は、そのまま私自身のこととしてつきつけられた。介護現場において、介護相手をまもりきれるのかと。
私の結論。まず自分が感染しないこと。自分の体、衣類、生活の場をウイルスから遮断された「清潔なもの」として確保すること。ここから始めた。2カ月で生活は大きく変わった。

変わる介護の現場

そして介護のあり方は大きく変わった。介護現場である個人宅において、「清潔の確保」は次のようにおこなわれている。
ヘルパーは家に入る前に上衣を脱ぐ。つぎに手洗い場でズボンを脱ぎ、マスクを外し、それらをビニール袋につめる。手、腕、顔を洗い、口をすすぐ。メガネや腕時計を洗う。そして別のビニール袋から出した清潔なタオルで手や顔をぬぐう。頭を清潔な手ぬぐいでおおい、新しいマスクをつける。こうしてはじめて、介護相手のところに行き、「よろしくお願いします」と言葉をかわすのである。
すぐに入室の際に自分がふれたドアノブなどを、アルコール綿でふく。以上で大体10分かかるが、ウイルス感染の不安はかなり軽減される。
ウイルスの感染拡大を自分の前で止め、介護相手の前で止めることが介護者の仕事の土台であり絶対的な課題だと思う。

巨大資本と都市

4月5月、新聞、テレビは「新型コロナウイルス」に占領された感がある。一方で多くの民衆は、資本の救済と自己保身いがいに手を打たず、打とうともしない日本政府はまったくあてにできなし、あてにしてもいない。
私はウイルスは自然のものだが、感染拡大は社会的歴史的なものだと思う。ここまで感染が拡大したのは、帝国主義とグローバリズムによるものと思う。巨大資本は国境を越えて世界をかけめぐり、金、人、モノを動かしている。都市における過度の人口集中と高度な消費・浪費生活。そこで資本は巨大な利潤を得ているのだ。グローバル金融資本の総本山であるニューヨークが、そして東京がウイルス感染拡大に直撃されたのはこのような背景があるのではないか。私も都市の労働者であり生活者である。私の労働や生活がこの国と資本に与しているのもまた事実であろう。

精神的なヘルプ

ある重症者の介護現場にヘルパーの「補助」として働きだして、11カ月になる。ある日、介護が一段落した24時すぎに同僚と二人で「いかにして、介護相手をいためず、自分の体をこわさず仕事をやるか」「いかにして、相手とヘルパーとの関係を築くか」を話あった。この先、コロナウイルスの感染が続いたとしても、こうして話し合い、共同で生活の場を持ち、みんなで生きていく。
同僚が「あなたの家をかつてのように『障がい者』やヘルパー、友人たちが集まる場にできないか」と持ちかけてきた。「できるよ」と私は答えた。
その5日後、私の家で食事会をもった。「重症者の体をうごかす時、密着し、2人で一つの重心をつくり、その重心を、介護者がうごかす。結果その人の体はうごくと思う」と私が言うと、先輩が「うごかす前に『待つ、感じとる、応じる』という間が必要だ」とアドバイスしてくれた。この日の結論―「ヘルパーには、時として、精神的ヘルプが必要な時がある。いちばん近いところで仕事をしている同僚ならやれる。それはカウンセラー以上の存在ではないか」。次は悩んでいる別の同僚をまじえて、1カ月後に食事会をやることになった。 (つづく)
※不定期で連載します。

5面

〈寄稿〉

人口動態のメカニズムを解く

ダリル・ブリッカー
ジョン・イビットソン 『2050年世界人口大減少』を読む
愛知連帯ユニオン 佐藤 隆

『2050年世界人口大減少』(以下、『人口大減少』)の著者の2人は、マーケティング会社のCEO(最高経営責任者)とカナダの保守系新聞社のベテランジャーナリストである。本書は、その驚くべき豊富な知識と抜群の解析力でこれまでの人類の人口動態のデータ及び現在の出生率の低下と高齢化の現状を明快に伝えてくれている。他方で著者たちは、この根底的な歴史的事実に対して、現状の北米の生活観から、経済成長とそれには人口増加が欠かせないという前提で人口減少を心配し、せいぜい移民の積極的導入の提案をおこなっている。そのアンバランスが何とも面白い。

(1)人類史の人口動態

約200万年前に誕生したとされる私たちホモサピエンスは、7万年前のスマトラ島ドバ火山の噴火で人口が数千人に落ち込んだこともあったが生存を続け、農業の始まりで500万人から1000万人くらいに増加し、西暦1年には3億人くらいになった。
14世紀、黒死病(ペスト)パンデミックでヨーロッパの人口の40〜60%が消えたが、それをも契機に封建制は崩壊し、大航海時代が資本主義と植民地化の扉を開いた。
次のグラフをこの著書の補足として掲げておきたい。

(2)資本主義での人口爆発

18世紀末には人口は10億人に達し、18世紀の100年でその前の400年を上回る人口増加を実現した。
(因みに、1776年ワットの発明した蒸気機関の商業利用に始まった綿織物と製鉄業の技術革新を、1844年のエンゲルスは「産業革命」と呼んだ。1811年〜1817年、失業のおそれを感じた手工業者・労働者により、ラッダイト運動=イギリス中・北部の織物工業地帯の機械破壊運動が起こった。しかし、労働人口自体はその後、増え続けた。)
しかし、その後さらに、19世紀初頭から200年余で人口は80億に達している。200万年かかった人口増加の10倍を200年で実現、すなわち10万倍のスピードによる人口爆発が生じたと言ってもいい。
この間、死亡率の低下が公衆衛生の革命によってもたらされた。19世紀のコレラのパンデミックを乗り超えたのは、ジョン・スノーによる都市型下水道の整備だ。20世紀初頭、ジョン・リールの水道水への塩素消毒の導入により腸チフスは一掃された。
他方、20世紀前半は大量の人が殺された時代でもある。第1次大戦で1600万人が死に、その後のスペイン風邪で2000〜4000万人が、そして第2次大戦で5500万人が死亡した。それでも人口は増え続けた。

(3)先進国と途上国における人口減少と高齢化

 『人口大減少』の著者たちは、以下の人口置換モデルを置く。
【第1ステージ】出生率・死亡率が共に高い
【第2ステージ】出生率は高く死亡率は低い
【第3ステージ】 出生率・死亡率共に低い
【第4ステージ】出生率は人口置換率に等しく、死亡率は低い
【第5ステージ】出生率は人口置換率を下回り、平均寿命は延び続ける 
(注)「出生率」は合計特殊出生率(女性が一生で産む子供の数、人口置換率2・1)
著者たちは、様々な統計的データと現場の取材から、国連人口推計の中位予想「21世紀末の人口は100億を超える」ではなく、低位予想「人口は2050年90億でピークを迎え、その後、減少する」が正しいと結論づける。
既に日本・イタリアなど25カ国で人口が減り始め、2050年までに中国、ブラジル、インドネシアで人口が減少に転じ、人口減少は35カ国になる。インドも50年には人口は横ばいになるであろう。
多くの国(G7とロシア、中国、ブラジル、カタールなど)の出生率が人口維持に必要な「2・1」を割り込んでいる。出生率が低いトップ3の韓国・シンガポール・香港は1・2以下、EUは平均で1・6だ。スウェーデンの出生率1・9は、社会政策では出生率は大きくは回復しないことを示している。
出生率低下は先進国だけに起きているわけではない。ブラジルの出生率は1960年代6であったが、現在1・8。インドは2・2。フィリピンは1965年の出生率は7であったが現在は2・64。2045年にはフィリピンも人口減少へと向かうと思われる。現在、出生率が3・0を超えている諸国のほとんどはアフリカである。(別表)
また、移民やマイノリティー、先住民族の出生率も高いままであるというわけではない。欧州に住むイスラム教徒の出生率は2030年に2・0へ向かうと予想されている(ビュー・リサーチ・センター)。
米国の「人種構成」は、2044年には、白人は46%のマイノリティーになり、ラティーノが25%に拡大する(ただし移民の15%は複数の民族的アイデンティティーを持つ)。しかし、2008年以降の出生率の低下率は、白人11%、アフリカ系14%、ラテン系26%と低位に収れんする傾向で、ティーンエージャーの低下が著しい。
イスラエルのパレスチナ人とイスラエル人の出生率は全く同じ3・1。先住民族のアボリジナル2・3、ネイティブアメリカ1・3、ネイティブカナダ2・2となっている。
出生率が低下してもすぐに人口が減少しないのは寿命が延びているから。20世紀は世界の平均寿命は概ね2倍に伸びた。英国は1960年68歳から2010年79歳になっている。高齢化が進み、非生産年齢は、日本65% 米国52% 中国39%に達している。米国ではベビーブーマーが可処分所得の70%を握り、親から15兆ドルの遺産を受け取る最中である(「ブーメサンス」現象)。出生率と平均年齢が先進国と途上国で接近しつつある。

(4)出生率低下の要因

『人口大減少』の著者たちは、出生率低下の要因として、@都市化 A女性の教育と権利(避妊の自己決定権を含む)の向上 B結婚と出産を奨励する宗教の影響力の後退を挙げる。
都市化が出生率を減少させるのは、「子どもは農業では働き手を作る『投資』だが、都市では子育てに費用が嵩む『負債』であるから」だとする。核心を突いているが、児童労働を忘れている。イギリスで資本主義が勃興した当時は児童労働の悲惨が深刻な問題であった(『イギリスにおける労働者階級の状態』)。2018年国際労働機関(ILO)の報告書によると、世界では約1億5200万人の子どもたちが、十分な教育を受けずに働いており(男子 約8800万人、女子 約6400万人)、産業別でみると、農業の児童労働が約1億800万人で約70%を占めている。@の「都市化」は「都市化及び児童労働の制限」とするのが正確であろう。
現在、米国では子どもが成人するまでに25万ドル必要であり、家計に大きな負担となる。学部卒業生の70%が借金をしており、平均は2万9000ドルに及ぶ。現在、婚姻年齢26歳、初出産は25・4歳だが、学生ローンを返すまでは結婚ができず、晩婚化はますます進むであろう。
都市化が進み、女性の地位が向上すると、第2ステージの「出生率は高く、死亡率は低い」状況から第3ステージの「出生率・死亡率が共に低い」状況に移行し、さらに「出生率が人口置換率以下」(第4から第5ステージ)まで低下していく。
スウェーデンは1800年頃まで第1ステージに留まっていたが、19世紀に入って第2ステージへ移行し、20世紀には第3ステージへ、1930年までに第4ステージへ移行していた。米英ではこれより早く、19世紀初頭に第3ステージへ移行しており、先進国は20世紀前半には第4ステージへ進んでいた。1904年の米国出生率は2・2、 出生率減少は第二次大戦後ベビーブームの後に起きたのではなく、ベビーブームの出生率上昇が例外であったのだ。したがって、『人口大減少』の著者たちは、「発展途上国が第2ステージを抜け出せずにいたことこそが、第2次大戦後の人口爆発の理由であった」と喝破する。
だが、ブランコ・ミラノビッチは、「1988年から、産業革命以後にしてはじめて各国間の不平等が縮まっている」と指摘する。途上国が発展の軌道に引き込まれ始めたのだ。そのことが前記(3)の途上国での出生率の低下の要因といえる。
絶対的貧困層(1日1・25ドル以下)は1990年19億人から2015年8億3600万人に。1人当たりのGDPは、中国では1980年205ドルから2016年8523ドルに。インドでは、1960年304ドルが2016年1860ドルになっている。
世界の都市人口は1950年30%から2007年50%を超えて現在55%、2050年66%となり、100年で農村と都市の人口比率が逆転することになる。これも少子化を促進するものである。
『人口大減少』の著者たちは、先進国の中心だけでなく、ベルギーの移民地区スカールべークで、韓国で、ケニアで、ブラジルで、インドの都市スラム・スリニワスプーリで、若い女性たちを取材する。スマホを手にした彼女たちは「母親と違う人生を歩みたい」として、多くの子どもを産むことを望むものはいない。まだ貧困から抜け出せていない地域でも、彼女たちは現状を受け入れるだけの受動的な存在ではないのだ。

6面

(本の紹介)

『THIS IS JAPAN』〜英国保育士が見た日本〜

ブレイディみかこ著 新潮文庫

「英国保育士が見た日本」とブックカバーにある。キャバクラユニオンの組合通告の現場攻防への同行取材から始まる。
「大切な誰かの幸せひとつ守れやしない私に、守りたい平和なんてない。戦争したいって言ってんじゃない。誰のしんどさにも間にあわないんだよ。」と最低賃金1500円デモでアピールする若い女性の発言に、「2015年の反安保運動は、誰のしんどさにも間に合わなかった」と手厳しい。
スペインのポデモスやコービンのイギリスなど、ヨーロッパの反緊縮運動を紹介しながら、「ミクロからマクロに向かわない考え方に慣れると、生活に根差した問題を政治に結びつける思考回路が失われてしまいそうだ。」「国民が最優先しているのは暮らしなんですよね。なのに、暮らしを何とかしてほしいという運動が日本にはなくて。」「半径5メートル内で起きていることを国会に持ち込め。」安保法制も暮らし自体を見させないという政府の思惑だとさえ言う。
「日本のNPOはミクロの支援は丁寧にやるけど、政治的な考え方が成熟していないし、議論もしていない。」 日本は草の根のアクティビストが育たない国、と厳しい。日本の弁護士法には「誠実にその業務を行ない、社会秩序の維持及び法制度の改善に努力しなければならない(第2条)」とあるのに、ソーシャルワーカーの法(社会福祉士や精神保健福祉士の法)には、社会変革から切断され技術的なことに枠が縮められていると何かに書いてあったが、そういう文化・教育・制度が張りめぐらされているのだと思う。
ヨーロッパの若者が、「彼らは(政治を)どうでもいいなんて思っていない。ただ政治と彼らの夢や心配事をリンクさせることができなくて、(生活のことと政治が)まったく無関係のものに思えるのだ。」という状況から「経済にデモクラシーを」と結び始めた、とし「デモクラシーとは、ピープルがパワーを持つこと」だし、「デモクラシーが必要なのは経済である。」と。さらに「ブレアの幼児教育改革は、経済政策だった。」と英日の幼児教育を比較。著者の専門分野でなかなか読みごたえがある。
ポデモスがムーブメントになったのは、さまざまな地べたの市民運動や、そこから生まれた地域政党が合体した政党であることの中にあるようだ。さらに「日本では、『貧困問題』」が人権課題に入っていない」と指摘する。
イギリスの学校では、ヴィクトリア朝時代の格差社会について必ず学ぶようになっていて、貧困は人間からヒューマンライツを奪うものであり、自分たちが煙突掃除やメイドをせずに学校に行けるのも不衛生なスラムで暮らさずに済むのも、現代社会が人権を守っているからと教わるという。日本には人権政策がなく、政府から独立した人権機関がない。国連は「国内機構の地位に関する原則(パリ原則)」で国内人権機関の設立を義務付け、世界には120以上の国が設置しているのに、日本にはまだない(拒否している)。
政治を貧困・格差の問題を通じて取り戻すという、その構造や手立てを探るために、大変参考になった。(村)

(本の紹介)

『スターリンとドイツ共産主義―ドイツ革命はなぜ挫折したのか』

ルート・フィッシャー著 掛川徹訳

2カ月かけて、この本を読んだ。700頁近い大作である。まず、この本を日本語に訳した掛川徹氏に心からの敬意を表したい。
以前から掛川氏がこの本の翻訳を進めていたことは知っていたが、これほどの大作とは思わなかった。その翻訳は原著の英語版とドイツ語版を参考にしながら、ルート・フィッシャーの注釈のほかに現代の読者にもわかるように訳者自身の注釈を加えてある。渾身の力を込めた力作である。
なぜ今までこの本の日本語訳がなかったのか。掛川氏は「偶然、そうなったわけではないだろう」(「訳者あとがき」)と言う。レーニンと並ぶ革命指導者の双璧としてスターリンを最大限評価していた日本共産党の意向であることは間違いないと思われる。
そしてスターリン主義を乗り越えたはずの革命的共産主義者同盟全国委・中核派もまた、スターリン主義の亜流にすぎなかった。1995年の阪神淡路大震災以降、2006年の「党の革命」に至る経過のなかで、「党」とは何かが問われたが、その明確な答えは未だに出ているわけではない。
私は「共産主義者の組織」は必要だと思う。どのような組織として「党」を作るのか。それまで私は「一枚岩の党」、「民主集中制」という理念のもと、機関紙・誌に書いてあることを一言一句覚えてそれを「念仏」のように唱え、他の人に伝えてきた。
すべてのことが上意下達で、党員は一兵卒として指導部の言うことを聞いていればよいという世界から、私にとって1995年以降の営為は、自分の頭で考えて、労働者や民衆とともにたたかいや運動を進めていく立場への移行であった。このルート・フィッシャーの著作は「共産主義者の組織」のあり方の大きなヒントになるのではないかと思う。
この著作では、共産主義者ルート・フィッシャーが、1917年ロシア革命前後のドイツやロシアで経験し、見聞したことをもとに、ドイツ革命の敗北とロシア共産党のスターリン主義への変節を克明に分析している。
これまで私はドイツ革命について、「社会ファシズム論」によってナチスよりも社会民主党を敵視したことによって敗北したのだというぐらいの認識しかなかった。本書を読むと、ロシア「共産党」の介入によってドイツ革命が敗北を強制されていったということが分かる。ロシア「共産党」は、「民族ボルシェビズム」という外交政策で、ドイツ軍部と協力関係をもって、ルート・フィッシャーやマスローらの左派を排除し、ハンブルグ蜂起をはじめドイツ革命を失敗に追い込んだ。
その後も「共産主義国家」ロシアを守るための「生贄」とされた。しかも、スターリン主義成立後のロシアのGPU(ゲーペーウー)とナチス突撃隊が共同でドイツ共産党の左派を、文字通り抹殺していく。
2006年の「党の革命」にいたる革命的共産主義者同盟・中央「党」の所業は、「ロシア共産党」がおこなったことと本質的にはまったく同じである。けっして一部の幹部が腐敗していたという問題ではないのだ。絶対に、二度とこんな組織をつくってはならない。「私が組織を指導したのでなく、組織が私を指導した」(ルート・フイッシャー)という、民主的な「共産主義者の組織」を目指さなければならないと思う。(阿久根 弘)

狭山再審
「ウェブ5・23」全国で行動
神戸駅前では座り込み

JR神戸駅前での座り込み(5月24日)

5月24日、毎年恒例の狭山事件の再審を求める座り込み行動がJR神戸駅前でおこなわれました。主催は狭山事件の再審を求める市民の会・こうべ。今年で8回目となるとりくみです。今年の行動は、朝10時から午後1時までと時間を短縮し、チラシ配布など接触行動を控えるなど、新型コロナウィルスの感染予防に留意したとりくみとなりました。
人通りは閑散、例年100筆前後寄せられる署名も5筆と少なかったものの、ご無沙汰だった多くの仲間と再会し、元気をもらいました。初参加者も3名。うち一人は、フェイスブックを見ての参加で、「久しぶりに『差別裁判打ち砕こう』を歌った」と話していました。
石川一雄さん不当逮捕を糾弾して毎年開かれてきた「5・23全国集会」は今年、はじめて中止となりました。石川さんは57年目の「5・23」に向けたアピールに「仮住まい隙間風が入らぬ様に自己を戒め一日暮れたり」と歌を寄せ、「たたかいの中で倒れるのは本望だが、コロナで倒れるわけには参りません」と外出自粛を強いられた思いを語っています。
「5・23集会」の中止を受け熊本、神戸、釜ヶ崎、茨木・高槻、大阪、愛媛、北埼玉、東京、神奈川などの市民の会が写真やメッセージを寄せ「ウェブ5・23」「コラボだ! 差別裁判打ち砕こう」などの動画が作成され、フェイスブックに掲載されました。
石川早智子さんは、ブログで「ウェブ5・23」や熊本・神戸の座り込み行動ほか各地の行動を紹介し、「狭山のたたかいはけっしてとどまってはいない。悲しみも、くやしさも、怒りも、喜びも、絶望も、希望も、すべてを包括して前に向く」と記しています。
新証拠もほぼ出そろい、いよいよ事実調べ、再審開始へ最後の山場にさしかかろうという矢先に新型コロナウィルスの感染が拡大し、足踏みを強いられてきましたが、5・23を機に狭山再審闘争は新たな活路に向かって歩みだしました。読者の皆さん。各地の狭山再審運動にぜひ力を貸してください。(さ)