検察庁法改悪に抗議殺到
三権分立ゆるがす暴挙
安倍政権が強行しようとしている検察庁法改悪への怒りが爆発している。改悪案では内閣や法務大臣の裁量で検察幹部の定年を延長でき、政権にいいなりの人物を検察のトップにすえることが可能になる。「官邸の守護神」黒川検事長の定年延長をすでに閣議決定し、7月には次期検事総長にすえようとしている。安倍官邸が法改悪を急ぐのは、森友・加計・桜での訴追を恐れているからだ。
「コロナを改憲の口実にするな」東京・新宿の改憲反対デモに130人が参加(3日) |
憲法集会、ネットで中継
「9条変えるな?安倍倒せ」
5月3日、憲法記念日。新型コロナウイルス禍のなかで、憲法集会は開催できなくなり東京の集会も中止になった。これに代わって、国会議事堂正門前でネット中継により、午後1時から「平和と命と人権を! 5・3憲法集会2020」(主催:同実行委員会)がおこなわれた。
はじめに高田健さんが主催者あいさつ。高田さんは、「コロナウイルスがここまで広がったのは安倍政権の失政による。社会的な同調圧力を強め、安倍政権は改憲の動きをさらに強めている。これに屈してはならない。今こそ、安倍政権を倒そう」と訴えた。
その後、浅倉むつ子さん(法学者)と稲政樹さん(憲法学者)が、法律学者を代表してアピールした。浅倉さんは「私たちがめざすのは弱者が生きやすい社会をつくること。安倍政権はこのことに誠意がない。憲法9条を改憲する必要はさらさらない。ほんとうの平和主義を強めていこう」。稲さんは「私たちの命と暮らしを守るために、その政治を実現していく必要がある。平和に生きる権利を国家に要求する権利がある。コロナ禍のなかでも、われわれはこの権利を制限してはならない」と述べた。
また、ジャーナリストの堀潤さんが、取材のなかで感じたことを訴えた。「世界中がコロナウイルスと格闘している。人びとは不安と恐怖のなかで強いリーダーシップを求める風潮がおきてきている。今、民主主義の底力がためされている。一歩まちがえば、民主主義が消滅してしまう。発言することに勇気がいるからこそ、私たち一人ひとりがその人を支えていこう。この国の主役は私であり、私たちなのだ。」
集会には福島から武藤類子さん、沖縄の米軍基地と自衛隊基地建設に反対する女性から、たたかいのメッセージが届けられた。
安倍政権は2021年9月までに改憲をしようと画策している。コロナ情勢のなかで、緊急事態条項の必要性を強調する声もでてきている。安倍政権による改憲を許してはならない。コロナウイルス感染症が終息してからではなく、創意工夫して安倍政権を退陣に追い込む行動を強めていきたい。
コロナと検察で訴え
神戸市内で街頭行動
神戸市三宮のマルイ前で、「コロナ禍から命とくらしを守ろう」の行動がそれまでの市民デモの行動をひきつぎ、4月7日の緊急事態宣言以降も毎週続いている。5月14日(木)と16日(土)は、検察庁法改悪反対の訴えも。特に14日は20人近くが参加し、スタンディング、マイクアピール、音楽、ビラまきがおこなわれた。検察庁問題では市民の怒りも強く、話しかける人やこぶしをあげ「安倍打倒」を叫ぶ人も(写真上)。SNSなども駆使して三権分立の解体反対の声を上げよう。
メーデーは自粛”しない
労働運動の存在、各地で示す
2020年メーデーは新型コロナのパンデミックによってリーマンショックを上回る社会・経済危機が世界を被う中で、労働者の存在感を示す行動が取り組まれた。日本では、100年に及ぶメーデー史上始めて、連合など主要ナショナルセンターや各地メーデーが中止や、オンラインでのアピールに切りかえた。その中でこの情勢に積極的に対応し、問題提起するメーデーが開催された。以下関西の取り組みを報告する。(2・3面に関連記事)
例年よりも規模を縮小して開かれた第91回中之島メーデー(月1日 大阪市内) |
コロナ解雇許さない
大阪・中之島メーデーは規模を縮小した集会と市内で3台の宣伝カーの展開、その後のなんば高島屋前でスタンディング街宣行動が取組まれた。実行委員会参加の各組合の代表など70人の参加となった。市民団体の参加もあった。開会あいさつで実行委員会議長の樋口万浩さん(全港湾大阪支部委員長)は「労働者は自粛しない。論議の中最善を尽くして開催した。コロナ解雇など許されない」とメーデー宣言を読み上げた。争議組合としてケアワーカーズユニオンが「介護現場で悪質経営は組合役員処分を強行しようとしている。利用者と職場を守る」と発言。東リ争議(LIA労組)当該の決意表明。教育合同、全港湾大阪支部はこのコロナ情勢での休校が教育現場を破壊していること、また民間で解雇争議がおこなわれていることを報告。連帯ユニオン関生支部は「弾圧の中、メーデーに立ち上がった。4月28日には、660日を越える不当勾留が続く役員2人の勾留取消、即時釈放を求めて京都地裁行動をおこなった。今後も雇用・職場を守り、反戦・平和の闘いを貫く」と発言。全労協、全港湾、連帯労組の組合宣伝カーが「中之島メーデー万歳」の横断幕をつけて市内3方面へ出発した。なんば街宣では「コロナ解雇ゆるさん」「100%の休業補償」「すぐ10万円支給」をアピール。日比谷メーデー実行委員会など全国、京都、兵庫の仲間からのメッセージが寄せられた。「背後には10倍、20倍以上の仲間がいる。この情勢だからこそ労働組合の声をあげよう」(集会まとめ発言)というたたかいとなった。
【京都】
1日、京都では、地域メーデーが「命を守れ! 雇用と生活を守れ!」「社会的連帯を強化しよう!」を掲げ開催された(写真左)。きょうとユニオン野村副委員長が、「この日に、コロナ情勢のもとでメーデーをやる意義」を訴え、メーデー宣言。連帯労組関生支部からはバード分会の組合員が不当な弾圧とたたかいぬく決意を表明した。参加者は約60人、四条河原町から市役所前までデモ行進をした。
【神戸】
関西合同労組は兵庫支部を中心にメーデーコロナ緊急労働・生活相談行動をおこなった。1日午後、JR神戸駅前に簡易テーブルを出し、注目を集めた。「雇用調整助成金が助成金センターやハローワークの窓口がパンク状態、全国で19万件の相談がある中、4月26日時点で支給は282件、0・1%。緊急時には阪神大震災時のように失業保険の緊急適用をおこなうべき」と訴えた。
2面
【定点観測】安倍政権の改憲動向
コロナ禍に乗じ人権制約
オリンピックとコロナ禍の中で、集会・デモ・表現の自由を制約しようとする動きが強まっている。緊急事態宣言のすべては、憲法が保障する自由と人権を制約する。イベント自粛要請は集会の自由を保障した憲法21条1項に反し、休校要請は教育を受ける権利を保障した26条1項を破る。帰省や旅行の自由を制約することは移動の自由を保障した22条1項を認めていない。休業要請は営業の自由を保障した29条1項に対立する。
緊急事態条項改憲
緊急事態宣言を出した安倍首相はこの間、4月7日の衆院議院運営委員会の答弁につづき、5月3日の憲法記念日にふたたび、憲法を改正して「緊急事態条項」を創設する必要性を訴えたビデオメッセージを出した(写真)。これは、自民党の衆院憲法審査会筆頭幹事の新藤義孝が言うような、感染が広がって本会議の議決に3分の1の定数が確保できないような場合にどうするかといった類の部分的な改憲案ではない。2012年の自民党の「日本国憲法改正草案」そのままの、フルバージョン(完全版)の改憲案である。
すなわち、「国家非常事態」の内容として、自然災害に限定せず、いやそれ以上に、外部からの武力攻撃や内乱等の場合に、首相が「緊急事態」を宣言し、法律と同一の効力を有する政令を制定することができる。しかも、「何人も国その他の公の機関の指示に従わなければならない」とする。9条改憲と一体の現憲法全面破棄論である。
火事場泥棒的改憲
これは、コロナ禍を改憲のテコに利用するものである。識者はこれを、ナオミ・クラインを援用して「惨事便乗型資本主義」と呼ぶ。しかし日本にはもっと的確な表現がある。「火事場泥棒」である。労働者市民の危機と困窮に付け込んで強権型の国家体制を一挙に確立しようとするのは悪質である。
権利を制約し、自由を抑圧することができるものは既存の法律にも多数ある。例えば、1959年の伊勢湾台風を機につくられた災害対策基本法では内閣が、法律に代わる「緊急政令」を国会の議決を経ずに制定できる。内閣だけの判断で労働者市民の権利を制限できる仕組みは、「武力攻撃から国民を守る」ことを謳った「国民保護法」や2009年の新型インフルエンザ流行を契機につくられた「新型インフルエンザ等対策特別措置法」にも含まれる。このような既存の法律を超えて改憲によって憲法に緊急事態を書き込もうとするのは、憲法の名において憲法を否定して強権的独裁国家を確立しようとするからである。
新型コロナウイルスに対する緊急措置において、安倍政権は「外出自粛要請」や「休業要請」などの半強制措置を連発しながら、それに伴うべき補償や情報は不十分にしか提供していない。「要請」は、人々の納得を得られてはじめて効果を発揮する。しかし安倍政権は、オリンピック・パラリンピックのためにPCR検査を抑制してきた。結果として、労働者市民が、自らうつらないように、うつさないように自覚的に行動することを困難にし、強制隔離と医療崩壊の危機に直面している。それがパニックと恐怖を生み、感染者のみならず医療者に対する差別まで生む。「自粛警察」なる戦前の自警団まがいのものまで出現した。
安倍不信下で改憲
しかも「水際作戦」から「クラスター潰し」などといった措置は的外れのうえに時期遅れである。恐怖と分断、政府不信と安倍嫌悪しか生まない。4月10日過ぎに発表された世論調査では、安倍内閣の支持率が急落し、軒並み、不支持と逆転している(支持:不支持の順で% 産経39:44・3、読売42:47、共同40・4:43)。しかも肝心の改憲について、5月3日の憲法記念日を前にした調査で、安倍政権下で憲法改正をおこなうことには反対が急増している(賛成:反対の順で% 共同40:58、毎日36:46、朝日32:58)。
にもかかわらず安倍政権はあくまで9条改憲を強行し、戦争国家、侵略と差別・排外主義への道を歩もうとしている。
今年になって中東に派遣された護衛艦「たかなみ」とP3C哨戒機は、有志連合8カ国とは独立していると言いながら、緊密に連絡している。しかも有志連合が艦艇を派遣しているのは米・豪の2カ国の3隻に過ぎず、哨戒機は豪州の1機のみで、自衛隊は有志連合の実質的「主力」となっている。
2014年の閣議決定による「解釈改憲」、2015年の新安保法制の暴力的な強行可決に基づいて、コロナ危機のまっただなかで自衛隊の海外軍事行動が現におこなわれているのである。
関生弾圧
京都地裁に抗議申し入れ
命に関わる勾留やめよ
4月28日、「労働組合つぶしの大弾圧を許さない実行委員会」は、武委員長と湯川副委員長の即時釈放を求めて、京都地方裁判所に抗議と申し入れをおこなった。京滋実行委員会も加わり約20人が参加。申し入れの趣旨は、@労働組合運動を犯罪視した弾圧に加担するな、A2年におよぶ長期勾留は人権侵害だ、B大阪地裁、大津地裁も保釈を認めているが京都地裁だけが認めておらず不当、直ちに勾留を取消し、保釈を決定せよ、C大阪拘置所では新型コロナ感染拡大という重大事態が発生、武委員長は高齢で持病もあり、勾留は命に関わるため直ちに釈放せよ、二人の健康状態を早急に掌握して対処せよ、というもの。所轄の刑事2部に参加者全員がおもむき、別室で申し入れ書を受け取らせた。全港湾大阪支部・小林書記長など5人が申し入れ書を読み上げた。関生支部・武洋一書記長は詳細な不当弾圧実態を訴えた。労働法学者声明などの裁判官への伝達を約束させた。
京丹後市議会選挙
永井友昭さん当選
4月26日投開票の京丹後市議会議員選挙で、「米軍基地建設を憂う宇川有志の会」事務局長の永井友昭さん(写真)が、1145票(13位)で初当選した。
米軍]バンドレーダー基地反対・京都連絡会を中心とする永井友昭さんを応援する会は3月8日の結成いらい、ポスティング、郵送、電話で応援。永井さんの当選は、今後の米軍基地反対運動にとって大きな力となる。
新連載 現代中国社会の内側から@
中国人の日常生活
戸川 力
中国(上海・広州等)に十数年間生活し、中国語が話せるようになり、多くの中国人の友人がいる。その中で見聞し、感じた中国の労働者を中心とした中国の現状について私なりに伝えたいと思う。
現代中国社会といっても、場所が変われば個々人も異なるので、私がこれから書くことは「中国はこうだ」というものではない。
コロナウイルスの影響で長い間、隔離生活を余儀なくされた中国国民だが、3月の終わりにきてやっと、街の飲食店も開き始めた。それまでは、テイクアウトだけだった。ただ、客の数は極めて少ない。また、多くの飲食店・美容室などの小規模・中規模の商店がつぶれた。
私はマルクスの弁証法的唯物論を「現在の自分を肯定せず、常に現在の自分の生活・態度を否定し、改善して高めていくもの」ととらえ生きてきた。この連載もそうした視点で書くつもりだ。
生活の現状と価値観
十数年前、中国にはじめて行ったころ、街を歩いていて気になったのが、目につくのが30代までの若い人ばかりで老人と子どもがいないことだった。後になって分かったことだが、老人は住宅区にいて街には通常姿を見せない。40歳を過ぎると仕事がなくなり収入がないので、あまり出歩かなくなるのだ。求人も「35歳まで」というのを多く見かけた。
子どもの登下校は親や祖父母が迎えに行く。小学生だけで、繁華街に出ることはまずない。子どもはさらわれて売られるからだ。
私の友人たちの話からうかがわれる現代中国人の価値観とは、「家族・友人の重視」と「お金を稼ぐこと」。それは労働者の賃金は、生活していくのに精一杯なのに病院代・子どもの教育費は莫大だという事情がある。親や家族が病気になるとすぐに生活が苦しくなる。
医療費・教育費も日本と少し似てるが事情が異なる。国営企業や公務員、外資系企業の、大手企業の大部分は、社会保険で補償される。中には、被保険者数を過少申告して、管轄の役所が検査に来たときに労働者を隠す工場もある。
大部分の中小企業や個人経営のサービス企業などではそれさえない。病気になった時、本人は月額いくらの範囲で積み立て保険を使えるが、それを超えると自己負担になる。特定の大きな病気は保険が使えるが、普通の病気では使えない。教育費についても、地元の戸籍であれば義務教育は無料だが、出稼ぎ労働者(多くがそうである)は完全自己負担だ。
中国ではそれほど親しくない友人でも、困っていればお金を貸したり(ほとんど戻ってこないと知っていても)、食事をおごったりする。そういう姉御肌の人があまり頼られるので、別の地域に移ってしまったという例も見かけた。
私はそういう点は中国人も日本人も同じだと感じている。ただ、歴史的、社会的、経済的環境が先ほど述べた価値観を作り出したのだろうと思う。
ある村長選挙
現状のGDPは世界2位で、日本の3倍程度だ。習近平が国家主席になって、今年で10年だが、今までのどの主席よりも強力に権力を集中させて共産党内外の反対勢力を押さえ込んでいる。国民には相変わらず政治的発言権がなく、低賃金にあえいでいる。
14億の人口の内、共産党員は9000万人。だが、共産党は一般庶民には全く無縁な存在である。普段は共産党のことを話題にしないが、身内だけの酒席などでは、本音を吐露することもある。基本的に誰も共産党を信じていない。中国では、贈与税・相続税がなく、一時あった利息の源泉徴収も現在はない。これが金持ちが代々金持ちであり続ける原因になっている。経済は基本的には資本主義経済である。政治は共産党の一党独裁。政治的自由度は低い。地方政府も含めて国民に選挙権はない。
2012年に広東省烏坎村で、共産党の旧村長の横暴をとがめて村民が決起し、新村長の公選が認められたことがあった。これは極めて異例のことである。その新村長も当局に取り込まれてしまった。(つづく)
3面
寄稿
アメリカ史上に残るメーデー
ジョセフ・エサティエ
(ワールド・ビヨンド・ウォー 日本支部長
愛知連帯ユニオン所属)
米国では5月1日、アマゾンやウォルマートといった大企業の労働者らがゼネラル・ストライキを実施し、行動はロサンゼルス、ニューヨーク、シアトル、ミネアポリス、スタテン島、コロラド州デンバー市、テキサス州オースティン市、フィラデルフィア、ワシントンDCに広がり、20万軒の家賃の支払い停止を求めるストや経済補償を求める行動も合流しました。
家賃ストライキ
アメリカでは、この6週間で3000万人が失業手当を申請し、賃借人の8〜31%は4月1日に家賃を支払うことができませんでした。5月1日の「レントストライキ」では、これらの人々に加え、5月以降も家賃が支払えない人々が参加し、大きなインパクトを与えました。さらに、何千人もの人々が「キャラバン」抗議という、複数の車がキャラバンを結成し、それぞれの車体にストライキについての説明文を取り付け、街を非常にゆっくりと走行し通行人にアピールするという抗議活動を展開しました。ウォルマート、ターゲット、トレーダー・ジョーズ、ホールフーズ・マーケット、およびフェデックスの労働者や多くの市民は、キャラバン抗議、建物や橋に抗議メッセージを表示するバナー抗議、死亡している状態を模倣した抗議、道路の遮断、ボイコット、労働者のストライキなど、さまざまな種類の抗議活動に参加しました。また、今回のコロナ不況により、アマゾンで働く500人のホワイトカラーがブルーカラーと団結し、「シックアウト」(病欠ストライキ)を行うという非常に珍しい現象も起きました。
イリノイ州の介護スタッフ、ニューヨークの看護師らは、メーデーの前からすでにストライキを行っていました。コロナ不況により生まれたこれらの抗議活動は「山猫ストライキ」という組合当局からの承認を得ていない自発的なストライキです。
新型コロナウィルス感染の恐怖が世界中を覆う中、米インターネット通販大手アマゾン・ドット・コムの創業者で最高経営責任者(CEO)のジェフ・ベゾス氏の保有資産はコロナ需要の増大に伴い、1380億ドル(約14・8兆円)に増大したとされています。その反面、労働力を搾取され低賃金で働くアマゾン従業員は、安全対策や賃金アップを求めてストライキを起こしました。
ベゾスへの手紙
ニューヨーク市スタテン島の倉庫でマネージャー業務に従事していた元従業員のクリス・スモールズ氏は、コロナ感染危機による安全対策を会社側に求め、ストライキを主導したことにより3月に解雇されました。同氏がアマゾンのジェフ・ベゾス氏に宛てた手紙がガーディアン新聞に掲載され、アマゾン労働者のストライキ弾圧が表面化しました。 また、アマゾンの元従業員であり、地球温暖化対策に取り組むエミリー・カニンガム氏もホワイトカラーに属していましたが、アマゾンの物流倉庫で働く従業員が感染の危険に晒されているとツイートし、ブルーカラーの劣悪な労働環境を暴露したため、その1時間後に解雇されました。同氏は「新型コロナも気候危機もどこにも行きません。私たちは歴史の中で重要な瞬間にいると感じています。より多くの人々が立ち上がるのを見ることになるでしょう。」と述べています。
米国全土に怒りが
アメリカで働く全ての労働者に最低賃金15ドルの保証を獲得したシアトル市市会議員のクシャマ・スワント氏、そして労働者の安全と地域社会での相互扶助のネットワーク推進を図るコーポレーション・ジャクソンの創始者カリ・アクノ氏は、2020年5月1日の国際労働者の日に、アメリカ国内の労働者に強固な連帯と団結により組織化されたストライキをするよう呼びかけました。また、バーニー・サンダース氏も#MayDay2020ストライキ運動を支持すると表明しました。
アメリカ国民の疲弊と怒りは最高潮に達しています。この波はアメリカ全土を覆い、未曾有のストライキが歴史に記されることになるでしょう。
(2020年5月3日)
維新「身を切る改革」の現実
十三市民病院で起きていること
4月27日に開かれた第33回世直し研究会で大石あきこさんが「大阪都構想」批判を語った。大石さんは、衆議院選挙大阪5区から「れいわ新選組」で出馬を予定している。
最近、大石さんは『「都構想」を止めて大阪を豊かにする5つの方法』を出版した。その内容について講演してもらった。ここでは、大石あきこさんの取り組みのなかで、新型コロナウイルス問題に関して大阪市立十三市民病院でおきていることを紹介する。
コロナ専門病院に指定
4月14日、記者会見の場で、松井一郎大阪市長が突然に「十三市民病院をコロナ専門病院にする」と言いました。現場の多くの職員は、ニュースを見て初めて知ったといいます。全国的にもそうですが、1990年代以降から新自由主義政策のなかで医療予算が節約され、病床数も減っています。また、公立病院が民営化されました。大阪維新はそれを貫徹するものとして「身を切る改革」をやってきました。
もともと市立病院であった十三市民病院も、今は地方独立行政法人が運営しています。こういうなかで、今回の新型コロナウイルスに関して医療崩壊の問題がおきています。
4月23日に、十三市民病院で働く契約社員の方から、わたし宛てに情報提供がありました。「病院を回している労働者と認めてほしいからこそ危険手当を」という切実なものでした。次のような内容です。
「大石さん、はじめまして。…… 病院には医師と看護師だけが働いているわけではありません。リネン・滅菌・受付・警備の私たちも毎日危険にさらされて、心が磨り減っています。テレワークや時差出勤など出来ない状況で、毎日必死で働いています。委託の社員や契約社員は狭い更衣室や休憩室で市民病院の職員よりも酷い扱いです。給料も安いです。…… 委託会社の契約社員などは存在もないくらいの扱いです。マスクは一日一人1枚と決められて、何の補償もありません。どうか、すこしでもいい、危険手当を支払うように追及してください。御願いします。」
私はこの方と相談してこの内容をツイッターにとりあげました(4月25日)。これにたいしてすごく反響があり、後にMBSも放映しています。労働組合が弱体化する中で、なんとか1人1人の労働者が生きるために声をあげようとしています。これをつないで、大きな力に変えたい。私は「国に財源はある」という反緊縮の運動に参加していますが、「国に財源がある」かどうか以前に、人々が尊厳をもって生きられる社会をあきらめず、広範な人々の力でそれを実現していきたいです。
コロナ後の世界を主導しよう
2020年メーデー 韓国民主労総宣言(抄)
全世界をパンデミックに陥れた新型コロナで、320万人の感染者と23万人に近い死亡者が出ています。先ず、新型コロナの感染と拡散を防ぐために、今も第一線で奮闘している韓国を含む全世界の防疫当局、保健医療と公共部門、公務員労働者に深い感謝のご挨拶を申し上げます。
新型コロナ災難の時期に、民主労総は核心議題として「すべての解雇禁止と脆弱階層に対する生計所得保障、社会安全ネットの全面拡大」を決めました。これは130年前に、シカゴの労働者が8時間労働制を叫んで激しいストライキ闘争を展開したその時の、その切実さと同じです。50年前に全泰壱烈士が勤労基準法を遵守せよと全身を燃やした、その精神と一致します。民主労総は経済難局を突破する方案として、政府に『新型コロナ危機克服のための労使政非常協議』を提案しました。そしてすべての企業に対する金融支援の時に、解雇禁止を前提とすることを要求しています。民主労総は5月、6月に連帯と協同の場を準備して、解雇禁止と生計を保障せよという国民的世論を作り、7月4日に全国の労働者が結集し、10万全国労働者大会を開催します。
民主労総は雇用保険法、制度を全面的に再改正することを要求し、立法化されるまでは『一時的な失業基金』を作るように、政府に強く要請します。民主労総もまた社会的な連帯を強化して、多様な方法で参加します。
今、世界は『価値観と経済体制、そして社会文化体制』の再確立を要求されています。新自由主義の世界化に対する破産宣告が下され、帝国主義グローバル資本の利潤搾取構造も崩れ落ちています。
財閥主導の輸出中心経済システムでは、持続可能な成長が不可能だということが証明されています。中小企業と創意的な経済主体が結びついた、内需中心の自立的経済システムが構築されなければなりません。そのためには『賃金主導、所得主導成長』という労働尊重経済政策が、より一層確かな位置を占めなければなりません。民主労総は人間中心の新しい労働尊重社会、不平等と両極化のない新しい世の中を主導的に準備します。
『万国の労働者よ 団結せよ!』新型コロナ以後の新しい世界変革を主導する全世界の労働者の闘いと国際連帯に共に奮い立ちましょう。民主労総は国際労総、各国のナショナルセンターに『代表者テレビ会議』を定例化しようと公式に提案します。
―『死角地帯ゼロ時代』を切り拓いて、新型コロナ以後の不平等・両極化のない新しい世の中を主導していくことを宣言します。
―非正規職と未組織労働者、社会的弱者を包み込んだ『すべての労働者の民主労総』として、新たに生まれ変わることを宣言します。
―階級連帯、社会連帯を実践的な価値として再確立し、『名実共に2500万労働者の代表組織』として、強固にそびえ立つことを堂々と宣言します。
4面
私の一言
教育の権利奪う政府
安芸一夫(中学校教員)
2月27日、突如として全国一斉休校要請の報道。首相の要請による休校は前代未聞。また、事前に休校措置があり得るという事前通告なしの要請で混乱は避けられなかった。
3月2日より春休みまでの期間、休校の要請を受けたが、卒業式、終業式をどうするのか、健康観察や諸連絡のための登校日が認められるのか、何もかもが不確定だ。打ち合わせの内容がその日のうちに覆されることもあり、電話対応にも忙殺され、混乱を極めるなか、とにかく学校と家庭との連絡体制を確認。ネットで連絡がとれない家庭には、学級担任から電話連絡。とにかく当面、打ち合わせの合い間に当面の課題(宿題)作成が必要だ。そして期末考査の採点、成績・年度末の諸帳簿・会計・進路関係の処理等、通常であれば部活動終了後に取り掛かる業務を勤務時間内にこなせるので、時間外勤務の必要がない。年内で最も忙しいこの時期に、ゆとりがあるのはありがたいのだが、一方で授業の遅れが気になる。卒業式は「登校日」の扱いで卒業生と教職員だけの寂しいものに。まだ式ができただけましなのだろうか。
緊急事態宣言
4月7日、春休みは明けたが、感染者は増え、ついに大阪・兵庫も緊急事態宣言。
入学式も卒業式同様、入学生と教職員のみ。いきなり教科書と2週間分の宿題を渡され、自宅待機の指示。子どもたちもたまったものではない。「公園に大勢子どもが集まっている」と連絡を受けては現場に駆けつけて「遊ぶための休みではない」と帰宅を促す。校区内パトロールで子どもたちを見つけては「緊急事態宣言のための休校中に出歩くな」と追い返す。地域からの苦情を受けて自粛警察行為をせざるを得ないのはつらい限り。
4月16日、緊急事態宣言が全国に拡大。三密を避けるために、会議もできなくなった。教職員の多忙化が問題となっていたが、部活動がない、会議がない、授業がない。いつもの状態とは打って変わって、することがなくなってきたのだが、周りを見ると、無駄話をして時間をつぶすものなど誰もいない。会話や談笑はあるが、手を休めない。いつもの仕事風景だ。日常を多忙にすることが染みついてしまい、動いていないとかえって気が休まらないのだ。準備室の整理整頓をする者、先々のプリントづくりをする者、教材研究にいそしむ者。この体質が今日の多忙化を招いた元凶なのだが・・・。ともかく勤務時間終了時に帰ることができていること、在宅勤務の時間が与えられたことで、しばらくは健康的な生活ができている。
最大の問題は、授業の遅れをどう取り返すのか。夏休みが授業で埋まるのは今年の事情が事情だけにやむを得ない。しかしこれが先例となり、先々、夏休みの補充学習が当たり前とならないかが心配だ。また、夏休みだけで授業の遅れが取り戻せるのかどうか。
9月入学について、現場からは否定的な意見が多い。現場サイドからそのような要望を出したものではないこと。変えるメリットがよくわからないこと。これまでなじんできた学校行事が大きく変化することに戸惑うことになりそうだ。理屈はともかく、上からの無茶な指示に対し、現場がこれ以上振り回されるのはたまったものではないという感情が先に立つ。そんなことより、全国的に児童生徒の学習の保障をどうするのか、それが最優先のはずだ。本来、教育をうける権利を保障すべき政府が3カ月もの期間、逆に奪っていることを「責任は私にある」という安倍首相は理解しているのだろうか。
10万円では暮らせない 4月26日 安倍・麻生邸にデモ
渋谷から安部・麻生の私邸がある住宅街へ怒りのデモ行進(4月26日 東京) |
4月26日、都内で「要請するならもっと補償しろ! デモ」がおこなわれ、約60人が安倍首相や麻生財務相の私邸がある住宅街で「マスク2枚じゃ食えねぇぞ」「カビノマスクを着けてみろ」怒りの声を上げた。4月12日に続いて2回目。
午後2時半から渋谷駅ハチ公前でスピーチが始まり、参加者が次々にマイクを手に「大学はオンライン授業になっているが、全員がパソコンを持っているわけではない。年間100万円の学費も払えない。10万円もまだ支給されていないし、1回きりでは食べていけない」「マスク2枚じゃ食えないぞと思っている人は大勢いる。コロナが感染拡大する前から非正規労働者は貯金もなく資産もない。誰がこんな世の中にしたのか」と訴えた。
読者の声
ちいさな子どもたちのこえを
兵庫 西本 玲奈(保育士)
3月末から新型コロナ感染拡大防止のため、兵庫県でも、年度末の子どもにとって大切な節目の行事などが縮小、中止になり、心が痛むこととなりました。
4月に入り、少し落ち着き新学期が始まったと思ったとたんの「緊急事態宣言」。
小学校の入学式もなくなり、幼稚園、こども園の1号認定の子どもは、まだ入園もしておらず一度も登園することなく、春休みを延長しています。
保育所・認定こども園の2号、3号認定の子どもたちも、市町村によって多少の差はあっても「休園」あるいは「特別保育」になり、保護者の仕事などでどうしても都合のつかない方や、一人親などで預ける人がなく子どもを見ることのできない方などに限っての保育、約1〜2割の子どもたちだけがひっそり保育されています。
現場も、大っぴらに戸外で遊ばせるわけにいかず、室内で窓を開け放し、子ども同士が密集しないよう気を使い、給食も離れて食べ、午睡も離れて寝る現状です。8月までの子どもの行事はすべて中止。このままいけば夏のプール遊びもできないとされています(1学期の健康診断ができないため)。
保育者はまず自分たちが感染源にならないか、子どもや保護者からの感染が出たらどうしようと日々不安。働く保護者を応援したくても、どなたにも「どうぞ」ということができない葛藤があります。各園所では、職員も密にならないよう人数を必要最低限にしぼって出勤。今は家庭訪問もできないためメールやホームページでお知らせ、電話での安否確認です。長引く家庭生活でしんどくなった保護者による虐待やDV、子どもだけの留守番でケガなど起きていないか、食事はとれているか ……。新学期ゆえに、まだ家庭環境を把握できていない家庭も多いので心配は尽きません。今後、開園したとしてもマスク、アルコール消毒液、手洗い用の液体せっけんも底をつくなか、三密を避けながらの保育ができるのか。不安をぬぐえる状況は一つもありません。
本来、就学前の子どもに保障するべき身体を使ってのびのびと遊ぶこと、友だちと群れて遊ぶこと、そして私たちが大切にしていた人との関係、友だちとの関係も保てず3か月目になろうとしています。子どもは遊んで学ぶ、身体を使って学んでいく、そして人との関係の中で学び、育っていくものなのに ……。
なにを置いても、1日でも早く子どもたちが笑顔で、のびのびと自由に過ごせるようあらゆる力を集結して医療を援助し、コロナ終息へ向かってほしいと切に願っています。
(注)認定こども園は、1号(=満3歳以上の保育の必要な事由に該当しない家庭の子どもたち教育標準時間)、2号(=満3歳以上で保育に必要な事由に該当する家庭の子どもたち保育認定で標準時間・短時間どちらか)、3号(=満3歳未満で保育に必要な事由に該当する家庭の子どもたち保育認定で標準時間・短時間どちらか)の子どもたちが一緒に教育・保育される施設です。兵庫は認定こども園化を進めています。
投稿 コロナ禍とスポット派遣
コロナウィルス流行拡大を防ぐための「自粛」強制によって派遣切りが各地でおこなわれているが、多くは自己都合扱いのため、雇用保険の失業給付が申請できず、泣き寝入りしている。さらに深刻なのはスポット派遣と呼ばれる日雇いのケースだ。私は二年前までスポット派遣で食いつないでいたが、当時の友人、知人が困っているので実態を報告したい。
人間のカンバン方式
スポット派遣は人間のカンバン方式だ。派遣先が必要に応じて発注人数を決めるため、例えば普段から派遣会社に登録されている100人全員に仕事がある訳でなく、交代で90人くらいが就労していた。ところが今は20〜30人分の仕事しかない。百貨店の売場模様替えは棚什器などをレンタルする業者が毎週請け負うのだが、直接雇用はリーダー格だけで、あとは派遣である。
安倍政権の緊急事態宣言当日、店まで運んでいた資材すべてキャンセルで持ち帰り、食品売場のみ実施となった。その後、派遣元は約ひと月仕事の斡旋をしなくなった。
ライブなどのイベント運営会社は、数十人から数百人の派遣を使って会場設営や撤去を昼夜ぶっ通しでおこなうが、中止されたイベントがほとんどとなった。派遣元への発注は当然無くなるが、週20時間以上働いていると社保各種に加入なので、賃金から控除され、仕事が無くても負担分は払わなければいけない。
スポットにしわ寄せ
大手のコールセンターは、現在一時閉鎖や少人数体制にして運営されているが、働いているのはほとんど派遣で、レギュラーとスポットが混在している。派遣先と派遣元との関係、契約次第で労働者は無給で自宅待機になる。運輸業でも引越関係は転居を控えたために案件が少なく、レギュラーが暇にしている。当然スポットに仕事は回ってこない。そしてスポットでも週3日以上働けば社保各種の控除がある。
コロナ禍より前の話になるが、ある企業は大手家電メーカーの部品製造を請け負っていたものの、メーカーが海外に工場を移転したために受注額が減り、スポットの発注が無くなった。レギュラーで働いている労働者の中でも一部だけが残り、あとはスポットになるか別にレギュラーを探すかしなければならなくなった。
日雇い保険の適用を
スポット派遣では仕事がなくなっても、雇用主は派遣元なので労働者は解雇されておらず、「失業」とはならない。労働者のシフトが埋まらないだけである。通常の雇用保険では補償の対象外で、逆に社会保険料などは会社から請求される。山谷や釜ヶ崎、寿町の日雇い労働者が月に15日だか20日働いた翌月に、5日とか10日しか仕事が無い場合に給付される「日雇い雇用保険」を適用するなどの改善が必要だ。制度を変えないとどうにもならないが、何とか世論を動かしたいと思う。(とし)
5面
検証 「新たな検査制度」の問題点
原発の安全性は事業者任せ
津田保夫
2020年4月1日から、原発に「新しい検査制度」が導入された。定期検査制度が規制緩和され、その内容がおおきく変更した。
NHKテレビは、「抜き打ち検査などを導入した新しい検査制度の運用を今日からはじめます」と報じ、原子力規制委の更田豊志委員長の声を次のように紹介している。「新たな検査で実効性がかなり高まる。原発の設備をくまなく把握し、安全を確かめていきたい」。
このように、メディアは「新制度によって抜き打ち検査ができるようになり、検査がきびしくなった」という認識で一致している。これはとんでもないまちがいだ。以下、この「新たな検査制度」について具体的に見ていきたい。
1980年代、アメリカの原発情況
1979年にアメリカではスリーマイル島原発事故がおき、原発の安全基準が引き上げられた。その結果、1980年代に設備利用率は50〜60%に低迷していた。原発事業の採算があわなくなり、事業者は原発に投資しなくなってしまったのだ。
そこで、1990年代に米原子力規制委員会(NRC)は規制緩和をおこなった。NRCは1997年頃から検査制度の刷新にとりかかり、2000年に原子炉監督プロセス(ROP)を採用している。これは「できるだけ運転中に保守・点検をおこない、確率論的安全評価を導入して、壊れそうなところを優先的に点検する」という発想に基づく。要するに、「手抜き」をやるということだ。その核心は、定期検査期間を短くして、稼働率をあげるところにある。2002年以降に、設備利用率は90%を超えている。
日本の検査制度見直しは、この米国ROPの考えを取り入れようとするものだ。
日本における原発事業の規制緩和
つぎに、日本の検査制度見直しについてみていこう。
1996年 4月
『高経年化に関する基本的な考え方』(資源エネルギー庁報告書)
2002年 8月
東電は原発に関する29件の検査記録改ざん・隠ぺいを認めた
2003年 10月
新しい安全性評価基準が導入された
2009年 1月
このもとで「新検査制度」が施行された。また、省令の改訂をおこない、最大24カ月連続運転が可能になった
2010年 11月
東北電力東通1号機が「連続運転の13カ月から16カ月への延長申請」を提出した
2011年 3月
福島第一原発事故
2011年 6月
東北電力は「13カ月運転に戻す」と発表
2017年 4月
原子炉等規制法の改訂がなされた
2020年 4月
このもとで「新たな検査制度」が導入された
2000年7月、東電のデータ改ざんが暴露された。これは自主点検作業をおこなっていたゼネラル・エレクトリック・インターナショナル・インク(GEII)社のアメリカ人技術者が内部告発をしたことによる。2002年8月になって、やっと東電はその事実を認めた。
その後、東電が過去の自主点検記録を調査した結果、シュラウドのひび割れなどの検査結果や修理記録に改ざん・隠ぺいが見つかった。これが東電の原発13基(17基中)において、29件もあった。シュラウドの交換には1年以上の期間を要する。東電は原発を止めたくないため、事故をずっと隠ぺいしてきたのだ。
また、東電以外の電力会社も同じようなデータの改ざん・隠ぺいをおこなっていた。2002年には、定期検査をふくめて19基(52基中)の原発が止まることになり、日本の原発稼働率は60%に下がった(2003年)。
国は原発の稼働率を上げるために、アメリカの手法(ROP)を取り入れた。2003年10月に、「維持基準」という概念を導入している。これは欠陥が見つかっても、基準を満たしているならば交換する必要はなく、運転継続をしてもよいというもの。ここには「国が規制を強めると、電力会社は規制をクリアーするために、データ改ざんや事故の隠ぺいに走るから、むしろ規制を緩和するべきだ」という新自由主義思想がある。こんなことはあり得ないが、国はこのような屁理屈をつくりあげた。真の目的は原発の稼働率をあげることだった。
2009年、この「新検査制度」が施行された。この時、省令の改訂がおこなわれ、最大24カ月まで連続運転が可能になった。しかし、福島第一原発事故によって、「新検査制度」はずっと中断し、棚上げ状態になっていた。
2013年、「新検査制度」は電気事業法から原子炉等規制法に統合され、原子力規制委に引き継がれた。2017年に、原子炉等規制法が抜本改訂されている。ほとんどの人はこの改悪点に気付かなかった。こうして、今年4月1日に「新たな検査制度」が実施されるに至った。(ここで、2009年導入の「新検査制度」と2020年導入の「新たな検査制度」は異なる事に注意されたい。)
「新たな検査制度」での定期検査
今まで、原発の検査は、国がおこなう「施設定期検査」と電力会社がおこなう「施設定期自主検査」にわけられていた。「施設定期検査」の対象にされていないものは、すべて自主検査の対象となっていた。今回、「新しい検査制度」が導入されることによって、次のようにかわった。
@今まで原子力規制委員会がおこなっていた「施設定期検査」は廃止され、事業者が検査を行なう「定期事業者検査」に変わった。原子力規制委は報告を受けるだけで、責任はすべて電力会社にまかせている。
A今まで、連続運転期間は13カ月ごとにおこなわれてきたが、法令的にはすでに最長で24カ月まで延長できる。今回、電力会社の判断だけで、24カ月以内ならば好きなように期間を決めることができるようになった。
B定期検査期間を大幅に短縮できるようになった。今まで原発を止めておこなっていた保守点検は運転中におこなえるようになった。
C機器・配管等が劣化(ひび割れの発生など)していても、すぐに交換・補修しないで、そのまま運転することができる。
このように、「新しい検査制度」は「安全確保の一義責任は電力会社にある」という美名のもとに、規制を緩和するものだ。電力会社は利潤の追求のためだけに原発を動かす。安全性をすべて事業者まかせにしておけば、原発事故は必ず起きる。
連載
命をみつめて見えてきたものL
地球の片隅に生きるヒト
有野まるこ
「人と自然の関係」について今ほど深い反省と洞察が求められている時はない。3・11東日本大震災後、「人間も自然の一部」と、深い気づきを発信してきた坂本龍一さんは前回紹介したインタビューでこんなことも言っている。「人間って、勝手に自分でつくったものに縛られていることがままある。時間も、お金や法律も。国だって、空から見ると国境なんてないのに、少しでも越えたら殺すみたいなことやってるわけでしょ。だから本当に変わった動物だと思いますね。不思議な動物。周りの動物たちはみんな『不思議な奴らだなぁ』と思って見てるに決まってるんですよ。たぶん『早く消えてなくなれ』って思ってるとも思うけど。勝手な理屈で自分たちの自然を壊してるわけだから」
前々回、紹介した『抗生物質と人間』(山本太郎著)には奥深い論証が展開されている。以下、要約する。17世紀半ば、オランダの織物商レーウェンフックは倍率の高い顕微鏡をつくって微生物を発見した。それは後の世界を変える出来事だった。生物学などが目覚ましく進展した現在の理解で言えば、私たちの周囲にある生物のうち微生物でないものは、大型の多細胞生物(※ふつう見られる動植物が属する)だけということになる。まさにこの地球は「微生物の惑星」。そんな惑星を新たな自然体系の中で再分類したのがアメリカの微生物学者・ウーズ。それまで生物の分類は、18世紀にリンネが行った形態などによる物理分類を基礎に、代謝などの科学的分類を加えたものだった。リンネの時代、自然には動物界と植物界しかなく、微生物は生物界の下層の一員と考えられていた。
ウーズは全ての生物の細胞に存在するリボゾームRNAの遺伝子配列を使って比べる方法で生物を再分類した。この手法によって進化の過程を読み解き、全ての生物を3つのドメイン(領域)に分類した。即ち、@真正細菌 A古細菌(メタン菌など)B真核生物である。@とAとBの一部はすべて微生物である。Aは地球上の生物重量の5分の1を占めるとも言われる。人間を含む動植物はBの一部である。真正細菌(いわゆる細菌)と古細菌の距離よりも、古細菌と真核生物の―即ち人間の距離の方が近いこと、人間は真核生物として、真菌・カビ・酵母・アメーバーなどと同じドメインの住人であることが明らかにされた。これが20世紀以降の新たな自然体系となった。つまり微生物は種類・量において動植物をはるかに凌いでおり、ヒトは「微生物に満ちあふれた惑星の片隅にくらす住人」にすぎない。
さらにパスツールの言葉が紹介されている。「目に見えない微生物は、私たちと一緒に暮らし、死んだものをミネラルやガスに変化させるという重要な役割を果たしている。もし微生物がいなければ、たちまち世界は死んだ有機物で一杯になり、私たちは生きていけなくなるだろう」。個々の微生物は、他の生物と複雑なネットワークを構成し、生態系の一部を構成する。人間の体内でもヒトと巨大なネットワークを構成している。微生物が、30億年にわたって地球上唯一の生物として構築してきた複雑で強固なネットワークは、地球上のすべての命を支える基本構造ともなっているというのである。
その上に、件のウイルス(非生物)の存在がある。生物がいるすべてのところに存在し、その数や多様性は驚異的という。まったく私たち人間というヤツは、目に見えないものだらけの世界で生かされているのだ。なのに! わずか数千年の文明の歴史、数百年の科学技術の発展で30億年の歴史を消し去り、塗りかえることができるかの錯覚に陥ってきたのではないか。人間が「悪」と決めつけたものだけを撲滅して安全にすごす、そんな都合のいい話は通用しないのだ。新型コロナパンデミックは、気候変動とともに、地球をわがもの顔に荒らし続けてきた人間に告げている。自らの存在を限りなく謙虚に根底的にとらえかえさなければ、もはや生存することができない地点まできていることを。(つづく)
6面
書評
人類と感染症A
山本太郎『感染症と文明』/岡田晴恵『人類vs感染症』
落合 薫
落合 薫
山本太郎『感染症と文明―共生への道―』岩波新書
著者は、人類発生以来の感染症の歴史を見るとき、定住農業と野生動物の家畜化が感染症の決定的原因となったとし、これを「疫学的転換」と呼ぶ。たとえば感染症の伝播経路となる糞尿や死体(人間と食料となった動物)について考察すると、狩猟採取段階の人類は小集団でたえず移動しているため、これらを放置して移動するから、その後、直接・間接に触れることは少ない。したがって初期人類は案外清潔であり、強壮であったという。
また、「各文明は固有の疾病を有する」(原始疾病)とする。文明が交差するとき、感染症が爆発し、社会の構造を変容させる。その例として、14世紀のペストの流行がヨーロッパで農民人口を激減させ、封建制の基礎となる農奴制を崩壊させた。さらに近代の初頭、新大陸に天然痘や麻疹が持ち込まれ、16世紀には南北アメリカの巨大帝国が滅亡している(コルテスがアステカ帝国を、ピサロがインカ帝国をわずか数百名の部隊で、数百万の人口を有する両帝国を滅ぼした)。18・19世紀のアフリカへの探検、宣教、軍隊による征服のために感染対策として帝国医療、植民地医学が発展している。
著者は、ウイルスなどの病原体は宿主を離れては生きられないから、宿主に病気を起こすことは自らの生存のために不利となる。したがってウイルスが宿主と安定的な関係を築くために自ら変異して弱毒化ないし無毒化する傾向があることに期待し、ウイルスとの「共生」を説く。ただし、現在、致死性がある病原体が人間と「共生」関係に至るには、どれだけの犠牲が必要か、またたとえ「共生」関係が実現されてもおそらく「心地よいとは言えない」妥協の産物かもしれないとも述べている。今もてはやされている「集団免疫」論(国民の6割から9割が感染して抗体を有する「社会的免疫」が成立して、感染がもはや拡大しなくなった状態)についても著者は言及している。その説明を読むと、誰ひとり犠牲にしないという医学・医療の原点(ヒポクラテスの誓い)の重要性を再確認させられる。統計や数値操作は往々にして1人ひとりの生命や運命に関する軽視を生み出す。疫学はそういう危険を持っていることを認識しなければいけないと思う。
岡田晴恵『人類vs感染症』岩波ジュニア新書
テレビに連日登場して、政府の施策の欠陥と誤りを穏やかに指摘している本人の著作である。印象深いことに、冒頭で、ハンセン病者への差別・迫害の歴史から叙述を始めている。青少年向けの本書で、エイズに感染した同性愛者への社会的差別とのたたかいや、風疹により「聴覚障害」を持つ沖縄の高校野球児が野球憲章における「障害者」差別と粘り強くたたかった姿をも紹介している。
歴史的には「地球はすべての生物の共同体であり、住処である」という立場から、人類が地球の生態系のバランスを壊してきたこと、交通、流通の発達が地域的風土病を世界的疫病にしてきたことなどを説いている。何よりも近代の大航海時代以降の産業革命と帝国主義・植民地政策が新たな感染症をたえず生み出してきていることが理解できる。
第二章以降は、人類にとって死活的だった疫病の歴史にあて、天然痘・ペスト・エイズ・風疹と麻疹・新型インフルエンザに各々1章をあてている。2004年に発行された本書で、結論が新型インフルエンザを焦点にしたことは時宜を得たことと思う。
ここで著者は、インフルエンザ・ウイルスの特徴として、変異が激しいこと、トリとくに渡り鳥などが最初の媒介動物(しかしほとんど発病しない)として、その後、どんどん変異してあらゆる動物に感染することを明らかにしている。今回の新型コロナウイルスの危険性を予告しているというべきである。
著者は、とくにこの新型インフルエンザとのたたかいについて、自らの信念を語っている。1つは「健康は与えられるものではなく、自分自身で得るもの」ということであり、感染症への対応は全地球規模でおこなわなければならないとする。先進国で対策を立てるだけではダメで、途上国での対策への援助の必要性を強調している。さらに南北経済問題、自然破壊の問題の解決を含めた「調和の取れた地球レベルの対策プロジェクト」の必要性を説いている。
国家と資本の延命に反対
資本主義は民衆の生存の権利よりも資本と国家の再生産を優先させる。その迂回路を通してしか民衆の生存は維持できない。戦争や疫病のような危機が起こったとき、民衆の生存の保証よりも資本と国家の利害がぎりぎり優先される。
パンデミックは資本主義が生み出した。しかも生命を維持するための医療関連産業は市場経済に委ねられ、投資効率によって運用される。現在の特措法(新型インフルエンザ等対策特別措置法の一部を改正する法律)には、自治体を含めた権力が労働者人民に命令・指示・要請(同調圧力の下での実質的強制)できる内容が盛られているが、権力の義務や補償については何も記されていない。
感染病学者の多くは「ウイルスとの共生」を説く。巨視的には正しいが、英ジョンソン首相が初期にやったような、命を救うための措置を一切放棄して国民の7割が「集団免疫」を獲得するまで、検査も治療も放棄するなどということを許してはいけない。資本主義とたたかわない「ウイルスとの共生」論や、新自由主義の政権が振りまく「集団免疫」論ではパンデミックに敗北する。これらの論を排し検査も治療も、補償も給付も民衆自身の連帯で勝ち取ろう。
最後に2冊の参考文献を追加しておく。
ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』(上)草思社文庫
アルベール・カミュ『ペスト』新潮文庫(おわり)
いま読みたい名著 @
大竹一燈子『母と私 九津見房子との日々』築地書館
新型コロナのパンデミックによって、私たちはこれまで経験したことがない状況の中へと足を踏み入れています。そういうときこそ、時代に挑戦してきた先人たちの足跡から得るものは大きいのではないでしょうか。世代を超えて、今だからこそ読みたい名著を紹介します。いずれも公立図書館においてあります。
九津見房子は治安維持法違反の罪に問われた女性第1号の被告です。
房子は1890年、岡山市に生まれました。16歳のとき社会主義者の演説会場をのぞいて以来、日常生活が警察の監視下におかれるようになります。やがて大阪で自由主義のキリスト者と結婚して、一燈子を産みます。
夫は「大正の奇人」と呼ばれたように、現実の生活を全く省みない人だったので離別します。
東京に移って社会主義のパンフレットを街頭で販売したり、地下出版の『共産党宣言』のガリ版切りなどの活動に打ち込みます。数人の同志と共に女性最初の社会主義団体・赤瀾会をつくり、第2回メーデーに女性として初めて参加しました。
そして社会主義者と結ばれ、2人は大阪で印刷工になり大阪印刷労働組合を結成します。そのころストライキが頻発しましたが、子沢山の労働者は収入が途絶えて脱落するケースも少なくありませんでした。そこで同志社大学や京都大学で性科学を研究していた山本宣治に協力を求めて、産児調節研究所を立ち上げました。
組合事務所と産児調節研究所の看板を掲げた房子たちの自宅には、若い労働者や学生が沢山出入りして、なかには長期間泊まっていく人もいました。一燈子は彼らの話を聞いて、社会主義の世の中になればいいなと思うようになりました。インターナショナルを一緒に歌い、最後のリフレインを涙と共に合唱した。
しかし両親の生活基盤が安定せず、長期争議の時は現地に赴いて家を空けます。そのため一燈子は、実父や知人の家に預けられたり、転々とした生活を送りました。義務教育もまともに受けられず、不安の日々でした。
やがて共産党の幹部になった夫と共に、房子は一燈子を伴って地下生活に入ります。そして1928年、3・15事件(共産党に対する全国一斉検挙)で、母子は札幌警察署に連行されます。
房子は裸にされて下ばきが真っ赤に染まるテロを受けましたが、転向しませんでした。14歳になって間もない一燈子も、壁一つ隔てた部屋で拷問されました。
困苦の中で健気に生きようとする感受性豊かな少女の姿が、抑えた筆致で、ときにユーモアをまじえながら描かれています。
明るい未来を展望しにくい不安定な現在を生きる者に、無言のエールを贈る書です。(Q生)
(つづく)
訂正とおわび
本紙前号6面、「書評 人類と感染症@」の記事中でウィリアム・マクニールの書名が『疾病と世界史』とあるのは誤りで、正しくは『疫病と世界史』でした。訂正しておわびします。