コロナ災害相談会に42万件
弱者に犠牲集中、補償急げ
若者たちが呼びかけた「要請するなら補償しろ!デモ」(4月12日 東京・渋谷ハチ公前) |
4月18日から19日にかけて「コロナ災害を乗り越える いのちとくらしを守る なんでも相談会」が全国31カ所で開かれた。午前10時から午後10時まで100回線に約42万通の電話が殺到。相談件数は5000件に及んだ。電話が開始直後から終了時間まで鳴りっぱなし。取組んだのは貧困問題に取組んできた弁護士、司法書士、社会福祉士、労働組合のメンバー。新型コロナ問題は非正規雇用労働者など社会的弱者に犠牲が集中する構造だ。生活に困窮する人たちの不安や切迫した事情が浮き彫りになった。
店舗閉鎖、補償は
大阪、京都・滋賀、兵庫を中心に活動している関西合同労働組合には次のような相談が寄せられている。大阪の老舗割烹料理店が4月20日でしめる。整理の仕事してもらう、5月の賃金を払うというが不安がある。未払い賃金請求できるのか。パートの人は3月から勤務が半分に。休業補償はない。残業代の未払いもある。運輸会社正規社員は2月から仕事が減っていて、シフト勤務。有給休暇で対応してくれと会社からいわれた。
ある物流会社ではワタミなどの居酒屋の休業で飲料の納入がゼロとなっていて、仕事がない。現在組合では余っているマスクの集中や協力者による布マスク作成も対応するようにしている。関西合同労組への相談は電話078‐652‐8847まで。
団交延期相次ぐ
4月7日の緊急事態宣言以後、あいついでいるのが団交期日の延期である。業務の混乱などもあるが「3密」、会場の閉鎖、企業の休業等を理由とするものが多い。書面回答、人数制限、空間確保や時間短縮など工夫すれば団交は可能だ。「宣言」を口実にした実質的な団交拒否だ。
愛知では県労働委員会が宣言の期間内の全期日が延期された。4月14日、愛知連帯ユニオンとコミュニティーユニオン東海ネットなどは、労働委員会は期日を履行すべきだと申し入れた。
若者たちが呼びかけデモ
要請するなら補償しろ
渋谷
4月12日、渋谷駅ハチ公前で「要請するなら補償しろ! デモ」がおこなわれ、50人が参加した。若者たち4人がツイッターで呼びかけたもの。集会ではデモを呼びかけたヒミコさんがあいさつ。「緊急事態宣言で自粛に従わない業者への個人攻撃とか、市民への警察の圧力など、とんでもない全体主義的な状態、下からのファシズムが巻き起こっている。安倍、麻生、本当に許せない。コロナでたくさんの人が苦しんでいるのは、この社会が貧乏人に優しくない社会だったから。社会のシステムもおかしいものだったから。今日はこのデモでみなさんの怒りを撒き散らし、『金を出さなきゃデモするぞ! 外出するぞ! ストしちゃうぞ!』と訴えよう」と発言。
このほか野宿者を支援する、のじ連や差別・排外主義に反対する連絡会などがアピール。集会後、安倍首相邸、麻生副総理邸を目指してデモに出発した。
自粛強制、ヘイトやめろ
緊急事態下の差別許さず
4月19日
「コロナに乗じたヘイトをやめろ!」(4月19日 東京・新宿) |
4月19日、東京・新宿アルタ前広場で「コロナに乗じたヘイトをやめろ! 緊急アクション」が開かれた。主催は「差別・排外主義に反対する連絡会」。
集会では最初に主催団体が「差別や、排除・排外がこの社会を覆い尽くそうとしている中、自粛を強制され、『すべて政府と東京都の言うことを聞いてろ』、という強権的な環境に抗して私たちは、今日のデモを提起した。
緊急事態下における、一切の差別を許さない、幅広い連携の第一弾としてアクションを成功させよう」とあいさつ。
その後、「無償化連絡会」、「反天皇制運動連絡会」、「茨城反貧困メーデー実行委員会」、「沖縄への偏見をあおる放送をゆるさない市民有志」、「『要請するなら補償しろ』デモ実行委員会」などがスピーチ。
集会後、参加者全員がデモ行進に出発。通常よりも静かな新宿の街に「コロナに乗じたヘイトをやめろ」のコールが響きわたった。
大浦湾側軟弱地盤
政府が設計変更を申請
「なぜ今なのか!」怒りの声
4月14日 オール沖縄会議は、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前の座り込みなどの抗議活動を、4月15日から今月6日まで一時中止する。新型コロナの感染拡大防止が目的。辺野古浜のテント(写真)、ゲート前や名護市安和の琉球セメント桟橋、本部町の塩川港では少人数監視行動は続ける。
17日 新基地建設の工事関係者に新型コロナの感染が確認されたため玉城知事は菅官房長官に「工事の中止」を求めた。沖縄防衛局は、17日の工事は一旦中止、18日以降も移設作業をしないと発表。
21日 政府は軟弱地盤の改良工事に伴う設計変更を県に申請。新基地建設をめぐる攻防は新たな段階に入った。改良工事が必要な地盤は大浦湾側に66・2ヘクタールになる。そこに砂ぐいなど約7万1千本を打ち込む予定。埋め立て工事に着手できても、米軍の使用まで12年かかる見込み。総費用も9300億円に。普天間飛行場の返還はさらに遅れる。政府からの設計変更の承認申請について玉城デニー知事は「新型コロナウイルスの対策に一丸となって取り組む時だ。その中での申請はスケジュールありきで遺憾だ。断じて容認できない」と批判。オール沖縄会議は、防衛局に「設計変更を取り下げるよう」要求し抗議した。
この日沖縄防衛局は、新型コロナ感染停止のため、工事の中断延長を発表した。シュワブゲート前で監視の市民からは「作業中断の一方でこういうことをするのか」と怒りの声が上がった。(杉山)
各地で緊急抗議行動
基地建設は不要不急
21日、オール沖縄会議は沖縄防衛局に抗議、申請の取り下げを要請した。22日、東京で首都圏連絡会議が防衛省に抗議。23日には沖縄で沖縄平和市民連絡会による抗議申入れ。大阪駅前では設計変更NO! 緊急アクションがおこなわれた。(写真)
(発行日変更のお知らせ)
5月の『未来』の発行日は、大型連休のため5月1日(金)と5月21日(木)になります。6月以降は、第1、第3木曜日です。
2面
〈寄稿〉
ルネサンス研究所・関西研究会 世話人 新開純也
新型コロナと世界経済
リーマンショックと比較して
2006年に出た山本太郎『新型インフルエンザ 世界が震える日』(岩波新書)のエピローグは現在を予想したかのような光景の描写で終わっている。専門家≠ノとっては現在の展開は「感染症の常識」の範囲内での進行にすぎない。
昨年12月、いち早く新型コロナの発生を知った台湾は、WHOに警告を発するとともに自国の防衛体制を整えた。それに比べ欧米の反応は遅く、また中国も当初は明らかに情報を隠蔽しようとした形跡がある。言うまでもなく経済への影響をおもんぱかったからである。日本も例外ではなかった。東京オリンピックと習近平訪日という、安倍のレジェンド″りのための政治日程へのこだわりが遅れを生んだ。オリンピック延期が決まるまでほとんどダンマリを決め込んでいた小池都知事も同様に犯罪的だ。
感染症対策の欠陥
問題はそれだけではない。感染症対策の体制に構造的な問題があるように思われる。
第一に、専門家にとっての常識であるはずの初動対応がなされていない問題だ。専門家の中軸が御用専門家≠ノ成り下がっている。原発事故の時と全く同じである。その証左として舛添要一が『文藝春秋』5月号で、自分が厚労大臣だった2009年、新型インフルエンザ対策で厚労省内部の専門家の提言が的確でなかったと述べている。そのため、彼は現場をよく知る外部の若い医者たちからの提言を聞いて対応したというのだ。
第二に、新自由主義政策で医療体制が著しく劣化していることである。特に保健所や公立病院など公共性≠ェ問われる分野を縮小してしまった。これらは新自由主義者にとって「不要不急な領域」にすぎなかったのだ。橋下徹も今更ながらに認めている。
第三に、またしても無責任体制=一億総ざんげ、つまり「国民の自覚」への丸投げが進行している。第二次大戦の敗戦しかり、3・11福島原発事故しかりだ。4月11日に放映されたNHKスペシャルでは厚労省対策班の奮闘≠ヤりが報道されたが、その対策のおそまつさとピント外れぶりがかえって浮き彫りになっていた。体制の恐るべき貧弱さと彼らの頭の固さにゾットせずにはおれなかった。やっていることはクラスター対策にすぎず、PCR検査と病床の確保・振り分け、医療品をはじめとする物資の調達、医薬品とワクチン開発などのプロジェクトを総合的に指揮する人と体制がないままで進行しているのだ。
過去の経験を
PCR検査の拡大の必要性は早くから言われていたにもかかわらず、遅々として進行していない。その理由は、第一に、日本がSARSやMERSの発生を軽視し、その対策が著しく遅れていたことである。台湾や韓国ではMERS、SARSの経験から検査体制の重要性が認識され、以降も体制を維持強化していた。
第二に、これが重要なのだが、検査の立ち遅れを率直に認めず、「今はクラスターつぶしが重要だ」とか「検査しても患者を収容する能力がない」とか、あれこれできない理由を並べ立てて、ほかならぬ厚労省対策班が検査拡大を妨害してきたことだ。遅れを認めれば政策責任が問われるという官僚的発想と専門家の保身からであろう。また台湾、特に韓国に後れを取っていることを認めたくないという心理だろう。まことに唾棄すべき態度だ。
どこを優先すべきか
第三は、経済対策、補償対策の問題である。そこには二つの問題がある。一つは、新型コロナ対策責任者は西村経済再生大臣であるが、経済再生とコロナ撲滅はいわば利益相反だ。このような兼任はダメである。両者の上位に立って判断できる人と体制が必要だ。
二つは、緊急経済対策費のショボさである。総額108兆円というが、真水は20兆円に満たない。当初の一世帯当たり30万円支給の事業費は4兆円に過ぎない。ここにきて緊急事態宣言の全国への拡大と一人10万円の支給(事業費12兆円)に転換した。宣言の拡大は10万円一律支給のためのつじつま合わせに過ぎない。10万円支給はいったんよしとしよう。その上で急を要するのは、非正規雇用労働者や中小零細のサービス業やフリーランスなど弱者やダメージの大きな人たちへの補償や対策である。ここに十分な資金を投入すべきだ。さらに基本税制の累進制の強化と法人税率の引き上げは必須である。
コロナショック
世界経済はほぼ10年周期の調整過程がいわば新型コロナウイルス感染拡大という経済外的強制を契機に開始されたと捉えることができるだろう。
2008年のリーマンショックは金融恐慌だった。それは1987年ブラックマンデイ→1997年アジア通貨危機、1998年ロシア財政危機→2008年リーマンショックとほぼ10年周期で現象している。つまり先進資本主義国家では実態経済による経済成長が望めず、金融によってバブル(成長)をつくっては崩壊させるという病理に資本主義が陥っている証左である。
新型コロナ発生時点の異常な株価の高騰や、リーマンショック前の1・6倍といわれる国・企業・家計の負債の膨張はすでにピークに達しており、その崩落は時間の問題であったともいえる。
実体経済にダメージ
だが、リーマンショックが自律的な′o済の論理によってもたらされたのにたいして、今回は新型コロナという経済外的@ヘによってもたらされている。従って感染が収束に向かえば、急速に経済の自立的復元力が働くとみる向きもある。はたしてそうであろうか。それは収束する時期や、その過程のダメージの大きさに左右されるが、現時点では誰も予測できない。また、コロナ自体は経済外的であったとしても、リーマンショック以降蓄積されていた諸矛盾がそのショックによって顕在化し複合化したとするならば、コロナが収束したとしても急回復するとは言えまい。
現在進行しているのは、インバウンド依存の高かった外食、ツーリズム等のサービス産業を中心とする極度の消費の落ち込み。「世界の工場」たる中国の経済活動が極端に縮小したことによる製造業でのサプライチェーンの寸断と生産の停滞。そして大幅な雇用調整である。さらに株価の崩落と原油価格の1バレル20ドル割れ。つまりリーマンショックと異なり実体経済からダメージが進行しているのだ。
処方箋はあるか
これにたいして各国はお定まりのゼロ金利をはじめとする金融緩和を強化し、リーマンショック並みかそれ以上の財政出動を準備しつつある。しかし、リーマンショックからの回復過程でいずれの国も「超」のつく金融緩和をおこなっており、そこからの出口戦略をようやく模索していた段階だった。日本にいたってはその出口さえ見つけられないのだが。そのような状況でさらなる金融緩和の手段は限定的である。
また財政出動の方もドイツを除く多くの国が負債を増加させており傷んでいる。特に日本やイタリア、スペイン、フランスなどの南欧諸国は深刻である。にもかかわらず更なる負債を積み上げざるを得なくなっている。
これはいずれ緊縮へ転じてデフレスパイラルに陥るか、逆に通貨の信認をなくしてハイパーインフレを引き起こすかのどちらかしかないだろう。「インフレになればその時財政を締めればよい」というような都合の良いものではない。経済は生き物なのだ。
中国経済の減速
リーマンショックからの回復過程で重要な役割を果たしたのは中国を中心とする途上国だった。特に中国は4兆元(約60兆円)の財政出動をおこなうことをテコに、急回復と急成長で世界的な回復過程を牽引した。2009年時、中国のGDPは400兆円強だったが、現在1350兆円にのぼる。おそらく中国は今回も幾分かの牽引はするとしても当時の勢いはない。中国は成長率を鈍化させており、いわゆる新常態(ニューノーマル)に移行している。地方政権の財政の傷みも回復していない。さらに、金融規制や貿易面で曲がりなりにも存在していた国際協調≠ェトランプ政権の登場をはじめとして崩壊している。こうした傾向は新型コロナ危機によってより一層拍車がかかっている。
金融危機の可能性
日本について言えば、中小企業の破綻や株価、土地・不動産の低迷が続くならば、この間の異次元金融緩和でただでさえ経営基盤が弱化している地方銀行への波及は避けられない。
EUはどうか。財政規律の徳政≠ヘあっても、いずれ均衡・緊縮が求められる。それはEUとの距離の取り方や離脱問題という政治的対立を生み出さずにはおかない。
南米などでは既に先進国資本・資金の引き上げによる通貨安・インフレが始まっている。また、アメリカのシェールガス価格が損益分岐点である50ドル割れが続けば、企業破綻から金融危機へ波及する可能性がある。
コロナ後の世界
ウイルスとの戦い(=共生)は、死者となるか免疫を獲得して生き残るかのどちらかであると言われる。近代の科学はウイルスへの対抗として薬剤の開発とワクチン(免疫)をつくった。またフランス・パリのナポレオン3世のように近代都市計画=公衆衛生概念をつくった。それ以外はひたすら引き籠る=封鎖と隔離以外にない。
上記したような短期的な経済政治の結果とは相対的に別個にコロナの後にどのような風景=世界が展開されるのだろうか。
国際協調か自国ファーストの高まりか?―おそらく後者だろう。そこで人民の連帯はどうなっていくのか。危機に際しての強制(統制)か共生か?―おそらく前者が強まる。それにどう抵抗するのか。
オリンピックや万博はますます都市への集中を促す。こうした都市のあり方の根本的逆転が必要だ。ミュニシパリズム(注)や都市≠ゥらの反乱に注目しよう。経済の過度なグローバル化への歯止めがかかるのか。米中の囲い込みによる姿を変えたグローバリズムが進展するのか。引き続き議論を深めよう。
(注)ミュニシパリズム 地方自治体を意味するミュニシパリティに由来。地域に根付いた自治的な合意形成をめざす地域主権の立場。公共サービスや公的所有の拡充を重視。
3面
読者の声
いま、地域や現場では
新型コロナ感染拡大の中、読者の皆さんのご意見や身近な体験談などを募集しています
新型コロナ感染拡大の中、読者の皆さんのご意見や身近な体験談などを募集しています
医療崩壊前夜、現場を見て
大阪 西脇久子(医師)
兵庫県感染症対策の指定三医療機関の一つ(730床、元から感染症病棟あり)で働く医師です。コロナ専用病棟はほぼ満床、専用ICUは数床の余裕しかありません。現場はとにかくマスクが足りません。職員は週2枚の配布のみ、外来スタッフには布マスクの配布のみ。もはや誰が感染していてもおかしくない中で通勤し、患者と接し、自分たちも防衛するのにこれでは少なすぎます。ネットには1枚60円前後で流通していますが、それを大量に買い上げてでも医療機関に優先的に配布して欲しい。
医療スタッフは毎日の検温・体調管理はもちろん、通勤〜更衣室〜職場〜昼食・休憩中もマスク着用し、私語もつつしみ、感染リスクを下げることを徹底してやっています。これらのことに気をつかいながら、小学1年生(休校中で学童保育)と2人の保育園児をかかえ、毎日勤務するだけでももの凄く疲れることです。
医師のコロナ手当は300円です。もっと多く出してもいいのではないでしょうか。
マスク以外の個人防護具(手袋、エプロン、ガウン、帽子、アイシールドなど)やアルコール消毒のストックも底をつきかけています。ビニール袋などを買い集め、自分達で防護策をあれこれ考えていますが、県からの支給は無いのですか。
軽症者はホテルや宿泊施設にし、入院しないようにしないと、他の患者の診察や入院ができず、救急医療なども立ちゆかなくなります。知事は病床に余裕があると言っていましたが、コロナ患者によって病床が埋められ、他の患者の治療ができない、院内感染のため外来停止を迫られる、医療スタッフが疲弊するなど、これが医療崩壊であり、もう始まっていることを強く認識してください。
重症患者をみるためには医師の数もそうですが、看護師の数がもっともっと必要となります。離職や休職中の看護師は沢山いると思いますが、その方々を再雇用し、マンパワーを増やす策を考えて欲しいです。その時は危険職場に戻るに足りる賃金が必要です。お金と医療資源を集中的に投資しないとコロナを乗り切ることはできません。
兵庫県は広く、北部と阪神間ではコロナ事情も大きく変わってきます。知事の発言は北部を意識している印象を受けますが、神戸より東の感染状況は大阪とほぼ同じです。大阪といがみ合うのではなく、互いに協力して、むしろ支援を差し伸べるぐらいの気持ちを持って欲しい。
県の管理者の皆さんは、一度病院に足を運んで現場を実際にみてください! 医療現場の逼迫した様子を肌で感じて欲しいと思います。
医療を支える介護労働者
兵庫 小柳太郎(ヘルパー)
4月中旬の原稿ですが、すでに関西でも救急病院での受け入れ拒否、医療崩壊が始まっています。介護の現場でも、ひたひたとコロナウイルスの影響が広がり、高齢者と障がい者、そしてヘルパーへの負担が日々に強まっています。
第二次世界大戦以来、最大規模での人類危機が始まったこの時代に、わたしたち労働者人民は一日一日を生き抜かねばなりません。
わたしたち介護ヘルパーは、直接に医療体制を支えています。急増するコロナウイルス感染者に対応するためには、病院のベッドがどれだけ空いているかが勝負です。ベッドを空けるためには、これまで入院していた患者さんをどこかで受け入れなければなりません。これまでも、病院は早めに退院させることが多かったのですが、最近ではさらに早くなっている感じです。
特に、私が仕事の訪問介護の部門は、病院からの退院だけではなく、デイサービスが閉鎖になると「自宅で対応してくれ」と言われ、訪問看護が手が回らなくなると「訪問介護でよく見てほしい」と言われ、急速に矛盾が集中しています。
私は管理職の立場ということもあり、以下のように現場の介護スタッフへの意思統一をしています。
・医療を支える直接の力が、われわれ訪問介護(在宅介護)だ。病院からの退院要請には苦労するが、そこでベッドを一つ空けられるかどうかは、われわれの介護の力にかかっている。これまで積み上げた力を発揮してほしい。 ・同時に、日々の介護で高齢者、障がい者のみなさんの健康と生活を守り抜き、入院や通院が少しでも減るようにしてほしい。 ・もうひとつ大事なのは、介護の現場で高齢者、障がい者のみなさんに不安を与えないことだ。警戒心と不安はちがう。コロナウイルスにきちんとした科学的な警戒心をもち、利用者さんの不安に正確に対応してほしい。細かい話になったら私が対応するから。
コロナウイルス感染の拡大によって、すでに他の事業所では「こんな安いお金で、危険な仕事はやっていられない」とヘルパーをやめる人が出ていると聞きます。われわれは、安倍首相が自宅で飼っている犬のエサ代ほどの危険手当ももらっていません。マスク、消毒薬などの衛生物資とならんで、仕事に見合った賃金を国と会社に要求していきたいと思います。
近所の高齢者が急病に
兵庫 波多野 博
4月半ば、近所の80代のお年寄り夫婦が体調不良に。午後3時ころ、おばあさんが、「おじいさんが、嘔吐下痢がひどく、行きつけの医院につれていきたい。2階から降ろしてほしい」と頼まれた。「熱は」と聞くと「計っていない」。
こういう時期であり「いったん測って」と言う。お宅には入らず、外からやりとり。「38℃超ある。医院につれていきたい。介助してほしい」と。医院は10分くらいのところだが、「この症状で素人が介助できないし、発熱の場合は受け付けてくれませんよ」と話した。
今の事情をほとんど理解できていないというか、早く医者へという焦りが先になる。「ちょっと待って」とコールセンターに電話すると話し中ばかりでつながらない。「救急に聞いてみます」と119番に連絡。症状を話し相談すると「行きましょうか」と言ってすぐに来てくれた。
救急隊員をみるとマスク、手袋は医療用のようだったが、防護服とかではなく通常の制服のタイプに見えた。受けてくれる病院がなく1時間余りかかった。ようやく受けてくれた病院も点滴だけで入院はできず。
仕方なく午後10時ころタクシーで帰宅したとのこと。PCR検査はしていないだろう。翌日、知人に介助され再びタクシーで以前に入院したことのある病院に行き、運良く入院できた(面会はできない)。
高齢者とコロナ情勢でいくつか感じたこと。@急を要する病状の対応、サポートが厳しい。どこへ相談し、どうすればいいのか。とくに1人住まい、高齢者には意外と難しい。対応方法が理解されていない。A後で消防支署に聞くと、「いちおう防護服等、準備はあります。たまたま不要という判断だったかも。検証してみる」とのことだった。Bこれほどの大量生産社会をつくりながら、一方で「国難」などと言う政治の貧困、無策を思った。今急病になったら、とくに救急搬送で、受け入れる病院の大変さ。Cテレビなどで大量の情報≠垂れ流しながら、お年寄りにも「わかる、できる」対応が周知されていない。Dそれらを含めた臨時的、傾斜的な物資、マンパワーが投入されなければ、今回の感染症では日ごろの近隣の「声かけ」くらいでは対応できない。
救急車以外はタクシー利用しかないというのもどうか。もしコロナだとタクシー側も危険。発熱や他の急性疾患でも、いちおうの防護ができ病院へ行ける対策が必要だ。それが医療・救急関係者の負担を低めるのではないかと思った。
〈寄稿〉
辺野古、監視行動続ける
沖縄・読谷村 富樫 守
コロナウイルス感染者が120人(4月20日現在)を超えた沖縄から、辺野古新基地反対の運動の一端をお伝えします。
辺野古新基地に反対する組織、オール沖縄会議は新型コロナウイルス蔓延のため、ゲート前座り込みを5月6日まで休止すると決定しました。請負業者側にコロナ感染者が出たため、17日のゲート前工事は無い、との連絡が入りました。防衛局の休止措置がいつまで続くのやらわかりませんが、オール沖縄会議は監視行動を続けるとしています。16日の例を見ますと、自発的に監視行動をする方、あるいは様子を見に来た方などがゲート前に来ていました。座り込む場合は一定の間隔を置いて座っています。機動隊との濃密接触は避け、いざ排除というときは立ち上がり、向かいの歩道で声を上げていました。
防衛局が工事を止めない限りはこちらも抗議するという思いがあり、どう行動したらよいのか、もがいている時期です。
知恵と工夫で
それでも、しだいにたたかい方の工夫が生み出されていくはずです。例えばこちらでは、これから6月の県議選が重要だと認識し、スタンディング、チラシ配り、ハガキ書きなど少人数でもやれる運動に切り替えるとかもあります。とかく知恵が出てくるものです。
ところで、この新型コロナウイルスの攻撃を受けて、人類は絶えずウイルスからの挑戦を受けて来たということを再確認させられました。そしてその間隔が近年短くなっていることが不気味に感じられます。これらの原因は自然破壊、温暖化、グローバルな物や人の行動の進行速度にあると警告されています。そういえば、新型コロナが顕著になる前、オーストラリアの大火災がありました。昨年はシベリア(19年8月)で大火災がありました。地球は、確実にサインを出しています。
さらなるウイルスの出現を阻むために、私たちはまず身近な出来ることからと心がけますが、その延長線上にあるのが無駄な自然破壊を伴う辺野古埋め立てです。海の炭素吸収力は大きいのです。このような点を確かめれば、辺野古と新型コロナとの闘いは繋がり、より新鮮な目で辺野古を振り返ることが出来ます。
諦めないこと
最後に、私たちが行動を休止しても防衛局がほくそ笑むばかりにはならないでしょう。彼らにも感染者が出ています。今後も湯水のようにお金を使うことが可能なのか、などなど問題が出てきます。それ故に、今は踏ん張りどころ。「勝つことは諦めないこと」です。
4面
津久井やまゆり園事件
「障害者」解放運動は、どう闘うべきか(下)
関東「障害者」解放委員会 町田幸男
津久井やまゆり園事件は終わらない
植松の死刑判決をもって、この事件が終わることはない。なぜならば、実際に負傷させられた人、襲撃の恐怖を経験した多くの利用者が同じ社会福祉法人の管理下にあり、その大部分が同敷地に建てられる津久井やまゆり園と横浜市に建てられる芹が谷やまゆり園に入れられるからだ。それぞれ定員は66人。別法人のグループホームなどに移った人は5人にすぎない。
事件直後の神奈川県の構想では、元の敷地に元の定数の「障害者」を収容する施設を造るとしていたが、これに反対する「障害者」の声により、利用者にどこで住みたいかの「意思決定支援」をすることで、上述の二つの敷地に施設を建てることが決められた。その「意思決定支援」とは、利用者1人に自治体も含む福祉関係者十数人が集まり会議をするというのだ。家族との生活以外には施設での生活しか経験のない利用者にとって、こんな会議で、どのように意思表示できるのだろうか。神奈川県は、事件の後、「ともに生きる社会かながわ憲章」を取りまとめているが、ともに生きるならば、どうして施設ではなく地域で生きることを呼びかけないのか。
昨年12月、神奈川県知事は、指定管理をしてきたかながわ共同会の指定管理期間を短縮させる意向を示した。同法人の不祥事があり、また別法人のグループホームなどに移った方々が置かれていた状況を知り、植松の裁判の中でさらに支援の実態が明らかになる、との危機感からだった。支援実態の検証を進めていくと知事の方針に、県議会の与野党が反対している。この背景には、県の官僚の天下り先としてあり続けた同法人の力があるのだろう。
また全国の入所施設では、防犯体制が強められたことにより、ますます社会から隔離され、福祉施設の職員による虐待の件数は増え続けている。2017年18年には、利用者のいのちを奪う虐待さえ相次いだ。
そして政府は、「健康寿命延伸」キャンペーンと「健康管理」、「尊厳死」推進、これらを通しての優生思想をあおる政策を展開し、医学会の中では、出生前診断の対象を拡大する方向が進められている。こうした中で第2第3の植松が現れる状況も強まっているのではないだろうか。
「障害者」解放運動に問われるもの
3月16日の判決後、裁判員の1人は、記者の取材にたいして、次のように答えている。
「今の世の中自体が、資本主義なので生産性、効率よくやれ、という風潮になっている。それも被告の考えを形成した一因になっているのかなと思う」(朝日新聞)
20世紀を通じて、優生思想は政策として展開され、多くの人々の体と人生を傷つけ、いのちをも奪った。20世紀の後半には、「脳死」を人の死とすること、「尊厳死・安楽死」の推進、出生前診断の拡大、「無益な医療論」によるいのちの切り捨てなどが強められてきた。労働力を商品とする社会は、優生思想を生み出し続けるだろう。社会主義革命をおこなったソ連、そしてソ連体制を批判して労働者自主管理を実行したユーゴスラヴィアにおいても、「重度の障害者」は施設に入れられ、これらの国の体制が崩壊する過程で悲惨な状況に追い込まれた。社会の成員がお互いに向き合い、それぞれの力に応じて働き、それぞれの必要に応じて分配し、ともに生きる社会=世界をどのように作るのか、仮説としてでもこのことを私たちは提起しなければならない。
もっと日常的な課題としても、津久井やまゆり園事件は、運動に大きな課題を突き付けている。
70年代の前半から隔離教育ではなく、「どの子も地域の学校へ」との提起と運動が展開され、粘り強くたたかい続けられてきた。ともに学び、生活することが差別をなくしていく、ということが世界的にも語られてきた。しかし植松は、ある意味でそのような環境の教育を受けた。昨年10月30日に東京でおこなわれた大フォーラム実行委員会の集会では、学校での介助を担う支援員に差別的仕打ちを受けた報告がなされた。「障害者」解放運動は、学校教育の実際の内実に介入し、その「ともに」の在り方を問うていかなければならないのではないだろうか。
津久井やまゆり園の多くの利用者は、このままでは来年中には、入所施設収容の中に収まってしまう。入所施設が隔離の場であるだけでなく、虐待や人間性の否定に行きつくことはこれまでも語られてきた。入所施設の「障害者」、精神科病院の長期入院者、高齢者施設にいる人々も含めて、ともに生きる社会のための運動を強力に強めなければならない。
安倍政権がこの事件にたいしておこなったことは、施設の防犯体制強化のための予算を確保することを除けば、精神科病院への措置入院体制を強化しようとすることだった。入院後も、警察も含めた管理体制に置く法案は、全国の「精神障害者」と連帯する人々との共闘の力で、廃案まで追い込んだ。しかし、世界でも飛びぬけて強い精神科病院の長期入院体制を護持している日本は、行政から司法に至るまで、「精神障害者」への差別思想に染まっている。そのもとで、強制入院体制の強化は強められており、これとのたたかいも強化していかなければならない。
焦眉の課題である社会保障の解体と優生政策の強化を許さず、ともに生きる社会=世界を作る運動の強化こそ、新たなやまゆり園事件を許さない力となるものである。(おわり)
〈寄稿〉
関生支部の計画的集約化事業
産業政策運動と「脱成長論」
ベストライナー・近畿生コン・加茂生コンの京都3事件の公判がようやく始まりましたが、解り難い内容があると思います。しかし、この弾圧の対象となった関西生コン支部の「計画的集約化事業」「生コンプラント新増設反対闘争」とは、「少なく作って、多く分かち合う」という「脱成長理論」にも通底する創造的な取り組みであったのです。
協同組合が雇用責任
京都3事件では、「ベストライナー倒産解雇の解決金を京都協組に支払わせたこと」が恐喝、「近畿生コン倒産に伴い、納入シェアが京都協組に分配されたことの解決金を京都協組に支払わせたこと」が恐喝、「加茂生コン閉鎖に伴い、生コンプラントの解体とミキサー車の洛南協組への引き渡しを要求したこと」が強要未遂・恐喝未遂とされています。
ところで、関西生コン支部が取り組んできた「計画的集約化事業」「生コンプラント新増設反対闘争」とは、不況業種である生コン産業で、事業主体の中小企業が協同組合に結集することを促しつつ、過当競争による経営悪化と労働条件の切り下げを起こさないため、外部からの新規参入に反対し、さらに需要総体が落ち込む中でも清算される企業の商権とそれに伴う雇用責任を協同組合が引き継ぐ取り組みです。
もって、関生支部は「競争から共存へ」「会社は潰れても労働組合は残る」の旗を掲げ、不況業種であっても安定した労働条件を作り出してきたのです。
これは企業内労組の「成果配分論」の真逆に位置します。「企業は救済しても労働者は切り捨てる」という新自由主義と真っ向から対決するものです。
「脱成長理論」
この「計画的集約化事業」「生コンプラント新増設反対闘争」が新自由主義の市場原理と全く異質なものとして、「事業活動への干渉が健全な経済活動に重大な悪影響を与えるとして」(組織犯罪対策法第1条)、その断片を捉えて、「恐喝だ」「強要だ」としているのが京都3事件の弾圧なのです。
消費を煽って「稼げるだけ稼ぐ」グローバリズムが、自然破壊とヒト・モノの過剰流動性を生み出し、それが恐るべきパンデミックを引き起こしている現在があります。「少なく作って、多く分かち合う、ツケは富めるものに支払わせる」という関生支部「計画的集約化事業」「生コンプラント新増設反対闘争」の「脱成長理論」としての創造的な意義について理解を広める時だと思います。 (佐藤 隆)
私の一言
コロナ禍にも無策、現場にしわ寄せ
郵政労働者 浅田洋二
新型コロナ蔓延のもと、日本郵政は「三密を避ける」ポスターを貼りだしているが、郵政業務は休業対象にならない。労働者側が繰り返し「やめろ」と申し入れても、集配社員全員を一か所に集めた全体ミーティングをやめようとしなかった。感染リスクを避けるために何をするべきなのかを現場の管理者が判断ができず、会社方針を待っているだけだ。
集配の黄緑タスキ
集配労働者が、配達中、黄緑やオレンジのタスキをかけていることに気づいた人があるだろうか。ジョギング中の人などが、交通事故に巻き込まれないためのものだが、6、7年前から集配労働者も安全のためと着けさせられている。しかしこのタスキ、バイクのハンドルなどに引っかかって、かえって危ない。着けない労働者も少なくなかったが最近は労働者への締め付けがきつくなっている。
「危険なタスキを着けさせるな」と異議を申し立てただけで2年以上賃金カットを続けられている労働者2人が、今年2月、賃金カットは不当として損害賠償などを求めて神戸地裁に提訴している。
現場から抵抗の声を
3月に、尼崎北郵便局(兵庫)の集配労働者が、部長から「切手を売ってくるまで帰ってくるなという趣旨のメールによる業務命令があった」とツイートした。これが「パワハラメール」として、テレビでも取り上げられ大きなニュースとなった。日本郵便は、即日管理者を解任する措置をとった。しかし現場を知っている者は、「局長こそが黒幕だ」と話している。
かんぽ不正販売などで経営陣が変わり、表向きは従来のやり方をあらためると表明してきたが、この件で現場では依然としてパワハラが横行していることが明らかになった。
上意下達が徹底され、何も考えない中間管理職が多く存在する郵政という組織に、自浄作用など望むべくもない。労働者が積極的に声を掲げなければと、あらためて感じている。
5面
焦点
韓国のコロナ対策と社会運動
大量の検査・患者選別で抑制
請戸 耕市
新型コロナウイルスへの対処で、韓国が世界から注目されている。
各国が感染拡大を抑えられていない中で、韓国(と中国)は、大規模な感染爆発を経験しながら3月末で1万人弱に抑え、その抑制に成功しつつある(韓国の新規感染者数は、4月12日の週が20人台で推移、18日の新規感染者が8人と一桁に)。しかも、中国、欧州、アメリカなどが、都市封鎖などの強硬措置に訴えざるをえなかったのと対照的に、韓国では、緊急事態宣言も、都市封鎖もなく、外出自粛要請はあるものの、飲食店の休業要請もおこなわれていない。
もちろん、「危険は未だ残っている」(4月6日政府会見)状況だが、現段階の成功の要因を学ぶ意義は十分にあるだろう。
成功の実践的な要因としては、迅速な初動、簡易・大量の検査、患者選別と受け入れ態勢、接触者追跡、ソーシャルディスタンス運動などが挙げられる。またそれを可能にした背景的な要因としては、マーズ(中東呼吸器症候群)の教訓とろうそく革命の成果ということが言えるだろう。
成功の実践的要因
迅速な初動
まずは初動の速さである。韓国で最初に感染が確認されたのは、1月20日(日本は16日)だったが、その1週間後には、政府が、製薬会社数社に検査キットの開発と量産を要請、2週間後(通常1年かかるとされる)には数千規模の検査キットが出荷されている。(現在、1日に10万キットを生産し輸出へ)
さらに、大邱の宗教団体を中心にした感染拡大が明らかになるのが2月18日以降だが、21日には、「国民安心病院」(後述)の指定・設置を決定し、また、24日の専門家懇談会からの「ドライブスルー検査」の提案を受けて、その2日後には実施に踏み出している。
簡易・大量の検査
新型コロナウイルスの特徴からして、無症状と軽症の感染者の早期発見が、拡大を抑制し、重症率・死亡率を抑制するカギになる。だから検査数と検査方式が問題になる。
韓国の主な検査方式は、【表3】のように、選別診療所、国民安心病院、ドライブスルー検査、ウォーキングスルー検査、移動検診などだ。
このように多様な検査方式を用意し、簡易かつ大量に検査を行っている。しかも、院内感染の防止に配慮されている。なお移動検査は、大邱での巨大クラスターへの対処で威力を発揮している。
患者の受け入れ
検査数が膨大になれば、医療体制のキャパシティを超えて医療崩壊が起きるということが当然危惧される。
そこで重要なのは、検査結果から症状を4段階(無症状・軽症・重症・重篤)に分類し、全体の約8割にあたる無症状・軽症の患者と、重症・重篤の患者とを区別したことだ。
無症状・軽症の患者は、自宅隔離か、病院とは別の隔離施設「生活治療センター」へ移送される。生活治療センターは、企業から提供された研修所や保養所だが、医師や看護師が常駐しており、全国に16カ所、約4千人の収容能力がある。
重症・重篤の患者は、陰圧集中治療室を備えた国指定の専門病院で入院・治療を受ける。こうすることで、専門病院は、重症患者にたいする治療に集中でき、膨大な感染者が判明しても医療崩壊は起きていない。
接触者追跡
陽性の患者が出ると、患者の直近の動きを追跡し、接触の可能性のある人を特定、検査し、必要があれば隔離する。接触者追跡である。
韓国では、マーズの感染爆発の際に、接触者追跡のためのツールと方法が開発された。保健所の職員が、セキュリティーカメラの映像や、携帯電話の位置情報などを駆使して患者の動きをたどる。
また、居住地域で新規感染者が確認される度に、地域在住者の携帯電話の緊急警報が鳴る(これには国家権力による監視という問題があるが、ここでは論及しない)。
ソーシャルディスタンスとは、他人との身体接触を避け、2メートルの健康距離を置くように呼びかける運動。大邱の集団感染直後の2月末から当局より呼びかけられ、成果を上げている。
マーズとろうそく革命
以上のような実践的な対処によって、感染拡大の抑制に成功しつつあるわけだが、問題は、それを可能にしたものが何かだ。
韓国は、2015年のマーズの感染爆発により、国内で186人が感染、38人の死者を出した経験を持つため、新型感染症への対処準備をしていた。〈準備していないことはできない〉という災害対策の原則からすれば、これはたしかだ。
しかし単に準備があったからだけでも、また政府が機動的だったというだけでもない。むしろ、この間の政治的・社会的な転換が大きい。
2015年のマーズの前には、14年4月のセウォル号沈没事故があった。この2つの事件を通して突き出された構造的な問題が、ろうそく革命への大きな契機となった。
「積弊」と言われる問題である。特権層による利権の独占、経済成長のために民衆への犠牲の強制、政・官・財の癒着と腐敗、情報の隠蔽と不正、反対者の排除と弾圧…。そして、「北の脅威」を叫ぶクセに、目前の人命危機には対応能力がなく、失敗と不手際を繰り返す―そういう「積弊」の一掃の必要を、民衆に痛感させた事件だった。
民衆のヘゲモニー
民衆は、「積弊一掃」を掲げたろうそく革命をもって文在寅政権を誕生させた。それは、もちろん革命政権ではない。また独裁政権やポピュリズム政権でもない。ポイントは、民衆の社会運動・労働運動の力によって一定程度統制されていることだ。活動家が、各級の行政機関に送り込まれ、あるいは関わりながら、民衆のヘゲモニーを追求している。そして、民衆は、「自分たちがつくった政権であり、間違えれば批判するし、ダメなら取り換える」という姿勢で、様々な課題を主体的に考え、自信をもって発言し、SNSなどを通して集合知を形成している。そういう民衆の姿勢が、政府をして的確なコロナ対策に向かわせていることは間違いない(4月総選挙の与党勝利もこの民衆の姿勢の現れだろう)。
前線での奮闘
それだけではない。民衆自身が差し迫る必要を理解し、率先してコロナ対策の前線に立ち、奮闘している。そういう報告が、日韓連帯運動の仲間の労働者から寄せられている。
「2月中旬から感染者が急増し、大邱地域に医療のスタッフと装備が不足しているという知らせを聞いて、全国から500人の医師、看護師、消防隊員、ボランティアが支援に駆け付けました。国軍看護士官学校の学生75人も、卒業後ただちに大邱に向かいました。患者の移送手段も不足したため、全国から200人の救急隊員が救急車を走らせて大邱に集結しました。
経済が困難な状況でも、地域社会、市民、地域連帯団体からの寄付や救援物資などで困窮者を支援しています。また、医療スタッフにも応援と激励が寄せられています。
医療スタッフは、感染の不安、人員の不足、防護服着用の長時間勤務による疲労など、困難を極めていますが、使命感を持って働いています。
しかし、残念なことに、感染症の支援業務を担当していた全州市庁の公務員(民主労総傘下の組合員)が過労死するということがありました。
今回の事態で、陰圧病床や専門病院の確保、公共医療や保健医療体制の拡充の必要を切実に感じています。このために労働団体も多くの努力をしています」(要旨)。韓国社会は、コロナ対処を通して、さらに社会的連帯を強めているようだ。
日本の現状
対照的に日本では、五輪に固執した安倍政権がコロナ対処で後手と失策を重ね、社会に、命の危機、医療の危機、雇用と生活の危機をもたらしている。民衆は不安・不信と怒りを募らせている一方、より独裁的な政治家への期待や同調と排除の圧力の高まりともなっている。しかし、それは危機を何ら解決しない。必要なのは、職場や地域や事業者の間でつながり助け合うことであり(それは始まっている)、それをもって民衆自身の力を取り戻し、民衆のヘゲモニーで一つ一つの危機に具体的に対処していくことだろう。
6面
書評
人類と感染症 @
『感染症の世界史』『疾病と世界史』
落合 薫
安倍首相は新型コロナウイルス(COVID―19)への対応を「第3次世界大戦」と表現した。「戦争だ」と叫ぶことによって、排外主義ともろもろの差別を煽りたて、自らの延命と強権化を図ろうとしている。
感染症対策で第1になすべきことは全数検査である。感染の疑いがある人だけ、あるいは希望者だけでなく、すべての人の検査を実施することだ。
第2に、検査で陽性だった人に手厚い治療を保障することだ。
第3に、第1、第2を完全に実施すれば、陰性であった人は通常の生活を送ることができる。生産活動も研究・勉学も、リクレーションも自由になる。隔離と切り捨て、差別の煽りたては無要になる。陽性者も完全治癒すれば市民生活に復帰できる。失業した人は高給でこの感染症の医療活動に参加してもらえばいい。免疫が形成されているから安全に有効に活動できる。検査結果も抗体の持続期間も不確かであるから難しい面はある。しかし少しでも全数検査に近づけることがパンデミックを一刻も早く収束する道である。
全数検査は日本の生産機構の全力を挙げれば容易にできる。しかし現在は個人にとって必要なマスクとアルコール消毒液すら入手できない。マスクに至ってはいまだに8割以上を中国からの輸入に頼っている。全数検査に要する費用は、休業費用より少なくて済む。しかし現在の短慮で貪欲な資本主義とその政権では解決できない。憲法に緊急事態条項を盛り込もうとしている安倍政権退陣を民衆が連帯してたたかいとるしかない。
石弘之『感染症の世界史』角川文庫
20万年の現生人類の歴史は、病原体(細菌・ウイルス・菌類・原虫・寄生虫など)と相互に影響しあって進化する共進化の歴史である。本書はこの認識から20万年史を総括している。人類は病原体に対する対抗手段として、上下水道の整備や、医学・医療の発展、栄養の向上などを図ってきた。これに対して病原体の微生物も、薬剤耐性の獲得や、強毒性への変異などの対抗手段を獲得してきた。これを著者は「軍拡競争」にたとえる。
現代では、畜産もモノカルチャー化して、単一品種の工場的大量生産となっている。トリ・ブタ・ウシなどの食肉の大量生産により動物由来の感染症の発生条件が増大する。他方で、現代では大量・高速移動を可能にする交通機関の発達、性行動の変化により新しい感染症が登場している。
著者によれば、宿主であるヒトと病原体である微生物との関係は以下の4通りになる。
1.宿主が微生物の攻撃で敗北して死滅する。この場合、微生物は他の宿主に移らない限り、宿主と運命をともにするため、致死率は高いが局地的流行にとどまる(ラッサ熱やエボラ出血熱など)。
2.宿主の攻撃が成功して微生物が敗北して死滅する場合(天然痘)。
3.宿主と微生物が「和平関係」を築く。この場合、微生物は宿主の体内で有益な役割を果たすことがある(多くの腸内細菌)が、免疫が低下した場合に牙をむき、「日和見感染」が起こる。
4.宿主と微生物が果てしない「戦争」を繰り広げる場合(水痘)。
著者は、1900年から2005年の間の災害の統計を取り上げ、生物災害(感染症・病虫害)は84倍に、気象災害(洪水・干ばつ)は76倍、地質災害(地震など)は約6倍になっているという。また戦争において軍隊では若者が均一的で長期の集団生活を送ることによって感染症問題が先鋭化する。紀元前5世紀のペロポネソス戦争から第1次世界大戦まで、大戦争ではつねに感染症による戦病死者は戦闘による死者より多かった。第2次大戦の日本軍もそうである。人類は、感染病に対し「敗北」しつづけてきたのである。
ウィリアム・マクニール
『疾病と世界史 上・下』中公文庫
歴史学者である著者は、疾病の歴史を見る2つの視点軸を提起。
1つ目は、ミクロ寄生とマクロ寄生の関係(「A」)であり、2つ目は、中心(文明化した都市)と周辺(様々な共同体)の関係(「B」)である。
ミクロ寄生とは病原体による人(と動物)への寄生である。マクロ寄生とは軍事行動と略奪による支配階級の被支配階級への寄生である。著者はこのA関係とB関係の絡み合いを通して人類史を考察しようとする。
人類は地球の寒冷化に適応し、定着農耕と牧畜に移行することで都市と文明を発展させてきた。近代以前の都市は、いわば悪疫の巣窟であって、新しい感染症が絶えず流入し、かなりの人口を滅亡させるとともに、免疫による抵抗の中心ともなった。またそれはマクロ寄生の拠点として軍事行動と略奪・収奪の拠点ともなってきた。全地球的に1900年以前には都市は、感染症による損耗率が高く、たえず農村から補充することぬきには人口は減少する状態にあった。今日でもアジア・アフリカ・ラテンアメリカでは農村人口は都市周辺のスラムに絶えず流入し、都市が悪疫の集中地となっている。
紀元前には、中国・インド・西アジア・地中海の各文明中心地は、お互いに交流がなく、感染症が広がることはまれであったが、紀元後は相互の交易により感染症が一気に広がった(シルクロードを通じた東西交易とモンゴルの征服)。
1884年にロベルト・コッホによるコレラ菌の発見・特定から1976年の天然痘の根絶までの1世紀は、「人類による感染症制圧の期間」と見えたが、実は人類による生物学的均衡の混乱の期間であった。一般に病原体生物は、毒性を次第に失って人類と共存に至る場合が多い(動物を媒介する感染症は複雑で、逆に強毒化も)。とくに第2次大戦後は科学としての医学と公衆衛生行政が発展したが、軍事と結合したこの発展が逆に新しい危機を発生させた。すなわち、@清潔さが逆に小児麻痺など新しい感染症を発生させた。A感染速度が速く、免疫の持続期間が短く、病原ウイルスが変異しやすいインフルエンザの出現。B戦争のための細菌兵器などの登場などである。(つづく)
連載
命をみつめて見えてきたものK
感染対策のジレンマ
有野 まるこ
気づけば、新型コロナ感染リスクの高い「基礎疾患のある高齢者」の一員である私。ガン判明から7年目、泌尿器系疾患と内部障害もあり、救急医療の助けがなければヤバイ事態もありうる。なので、進行する医療崩壊は自分の命にも直結する問題、こわい。感染予防を怠らず、何より免疫系と体内環境を整えて自己防衛しなければと過ごす日々だ。もう一つ気をつけているのが、情報や報道でいたずらに不安感を募らせないこと。誰しも強い不安は心身へのストレスとなり体調悪化につながる。
移動や接触機会を極端に減らすことで感染リスクを極小化する政策は、そもそもの矛盾を孕んでいると思う。感染者が減れば重症化リスクと死亡者も減る(一定水準の医療体制が保持されていることが前提)。弱毒化効果もあるという。医療崩壊のスピードもましになるかもしれない(根本的には政策の問題だが)。他方、流行終息のためには社会の中で一定割合の人々が免疫を獲得する必要がある。ワクチンは無いから、感染して無症状あるいは発症によって自然免疫を獲得するしかない。重症化と死亡の犠牲を最小限に抑えながら、一定数の人が免疫を獲得していくことが必要なのだ。だから新型コロナウィルスの、症状が出ないか軽くすむ場合が多いという特徴は「ホッさせてくれる」要素でもある。現実は「基礎疾患ある人」と「高齢者」を合わせたら人口の3分の1を占めるかもしれないという日本社会。劣悪な労働環境に置かれている健康弱者も多い。従って「知らずにウィルスをばらまいてしまう」という「恐さ」の面が強調されることは理解できるし必要でもある。とは言ってもそれが事の一面であるのも事実。そんなジレンマを頭に巡らせながらニュースにむきあっている。
加えて言えば、ワクチンは製造までに早くても一年、ふつうは数年単位かかるという。しかも万能ではない。今までも効果や副作用に様々な疑問符がつけられ、多くの被害者も生んできた。グローバル資本の巨大な利潤争奪戦の戦場でもある。
歴史の変わり目
十分な生活保障・休業補償のない休業・休校という卑劣で強権的な制限がどれほど多くの人々の食、職、住居、安全な居場所、必要なケアを奪い、孤立とストレスを高めていることか。労働者を感染リスクと過重な長時間労働に追いやっていることか。悪政が健康を脅かし、命を断ち切る。今こそ、長い間大手をふってきた「自己責任」論を覆そう。「国は人々の暮らしと命を守るためにこそある」ことを共通認識とする社会へ!
「緊急事態宣言」が当たり前のように社会に浸透していく現実。坂本龍一さんはインタビュー記事(3月28日付朝日新聞)で次のように語っている。「危機は権力に利用されやすい。最近、亡くなった(忌野)清志郎が言ってた言葉をよく思い出すんですよ。『地震の後には戦争が来る』って。『気をつけろ』と彼は警告を発してた」。そして緊急事態宣言の状況について「世界全体で、テクノロジーを駆使した全体主義的な傾向が強まってしまうのか。それとも、ウイルスや疫病とも共存しながらも民主的な世界を作っていけるのか。大きな歴史の分岐点…誰もが試されていると感じます」。
韓国のコロナ対策について、康京和外交部長はフランスのネットニュースインタビューに答えて次のように語っていた。政府の基本原則は透明性と最大限の開放性を維持すること。厳格に社会的距離を置くガイドラインをつくり国民に訴えてきたが、封鎖や遮断はしていない。感染ピーク時でも人々の移動の自由は尊重された。成功の核心は、広範囲の診断検査を実施し、追跡し、感染者および密接な接触者にだけ例外的に移動をコントロールし、治療をおこなったこと(※すべて国家責任で)。キャンドル市民革命を勝利させた韓国民衆の民意と民度の高さが鮮やかに映しだされている気がした。(つづく)