未来・第288号


            未来第288号目次(2019年2月20日発行)

 1面  置き去りにされるフクシマ
     「復興五輪」は認めない

     改憲発議は阻止できる
     新宿で署名 市民に呼びかけ
     1月29日

     自衛艦は中東に行くな
     横須賀で連日の緊急行動
     2月1日〜2日

 2面  第11期 沖縄意見広告運動スタート集会

     安倍政権を退陣させる
     今こそ憲法を取り戻そう
     2月6日 東京

     天皇制をなくすために
     菅孝行さんが問題提起
     2月11日 滋賀

     売り渡される食の安全
     元農水相 山田正彦さんが大阪で講演

 3面  人権意識した原発事故
     住民守らなかった国家とは
     森松明希子さん      

     事故が生んだ死の街
     福島の住民の声を届けたい
     飛田晋秀さん     

     事故あいつぐ伊方原発
     高裁決定 四電は「不服」を表明

     「黒い雨」訴訟 広島地裁で結審

 4面  三・一独立運動100周年が日本人に問いかけるもの(下)
     米村泰輔

     大逆事件サミット神戸で(上)
     幸徳秋水墓前祭に参加
     松田耕典

 5面  「戦争法」違憲訴訟
     憲法判断さけた不当判決

     4月に京丹後市議選
     永井友昭さんが出馬

     (読者の声)
     「連合」組合員の半数近くが自民に投票!
     静岡/一読者

     (読者の声)
     戦争と作詞・作曲家たち
     兵庫県 三木 俊二

 6面  〈連載〉まっちゃん、これでええかな(4)
     広島 被爆と障がい者

     連載 命をみつめて見えてきたものF
     科学的態度とは何か
     有野 まるこ

     新たな市民運動へ討論
     市民デモHYOGO 新春交流会

       

置き去りにされるフクシマ
「復興五輪」は認めない

1月20日、安倍首相はオリンピック一色に塗り固められた施政方針演説をおこなった。このオリンピックにあわせて、福島では「復興」が強調され、昨年3月に常磐自動車道が開通し、今年3月にJR常磐線も全線開通する。福島はいまも放射線があり、風評被害ではなく放射線による実害を被った地域なのだ。このフクシマの現実にたいして、原発事故がなかったことにしてしまうことなど、許されない。

誰のための五輪か

安倍は「日本全体が力を合わせて、世界中に感動を与える最高の大会とする。そして、そこから国民一丸となって、新しい時代へと、皆さん、共に、踏み出していこうではありませんか」「我が国は、もはや、かつての日本ではありません。諦めの壁は、完全に打ち破ることができた」とナショナリズムを煽っている。ここで、安倍はオリンピックで利益を得る側、社会的強者の立場から、社会的弱者にたいして「ともに成功させよう」と言っているのだ。 いっぽう、福島の人びとは「オリンピックではなく、福島の復興に予算を使え」と叫んでいる。年間被曝量20ミリシーベルトの土地が、どうして「復興」と言えるのか。福島の大地には汚染物質がつまったフレコンバッグがあちこちに放置されたままだ。昨年10月の台風19号の際には、こうしたフレコンバッグが大雨によって流出し、汚染を拡大している。このどこが「復興」と言えるのか。また、政府は福島第一原発で増え続ける膨大な汚染水の海洋放出もたくらんでいる。

フクシマの切り捨て

安倍のいう「復興五輪」は、フクシマを忘れさせ、フクシマを切り捨てるためにおこなわれるのだ。安倍政治に反対する人民は、こんな「復興五輪」を断じて認めない。 安倍の「リオデジャネイロ発言」(2013年)を思い起こそう。安倍はIOC総会に乗り込んで、次のように演説した。 「@放射能汚染水は、福島第一原発の港湾の0・3平方キロメーター区域のなかに完全に遮断されている、A福島第一原発は、すべてアンダー・コントロールされている、B事故は東京にはいかなる悪影響も及ぼしたことはなく、今後とも及ぼすことはない、C事故はいかなる問題も引きおこしてはおらず、汚染は狭い地域に限定され、完全に封じ込められている、D健康にたいする問題は、今までも、現在も、これからもまったくない」。 この発言は世界中からひんしゅくをかった。 元・南相馬市長の桜井勝延さんは、『月刊日本』(19年10月号)で、福島の現状を次のように述べている。 「南相馬市では女性と子ども、子育て世代が戻っていない。人口が減少したため高齢者の割合は26%から35%に増加した。年齢構成がいびつになり、生業がなりたたなくなっている。1次産業も立ち直っていない。今、福島が安全だと思っている県民はほとんどいない」(要約は筆者)

資本の論理

オリンピックでは、天皇ナルヒトがはじめて国際社会に登場する。天皇制を強化する場として、このオリンピックが利用されようとしているのだ。 オリンピックをめぐる利害構造の中には資本の利潤追求の論理が貫かれている。オリンピック批判は、安倍政権への批判と同時に、資本主義そのものに批判の矛先を向けなければならない。天皇制の強化と大資本のためのオリンピックに反対しよう。(津田保夫)

改憲発議は阻止できる
新宿で署名 市民に呼びかけ
1月29日

改憲反対署名に応じる男性(1月29日 都内)

2017年秋、「安倍9条改憲NO! 全国市民アクション」が呼びかけた「憲法を生かす全国統一署名」(3000万人署名運動)は、憲法問題を軸にして幅広い陣形を構築するなど大きな成果をあげてきた。「市民アクション」は今年から来年を改憲阻止の正念場と捉え、新たに「改憲発議に反対する全国緊急署名」を呼びかけた。その第一歩として、1月29日、東京・新宿駅前で「緊急署名街頭宣伝」が取り組まれた。1時間の間に約百筆の署名が寄せられた。  街頭宣伝でマイクを握った国会議員や市民は、安倍首相は野党の追及を無視して、何も語ろうとしない。そして改憲をことさらに強調している」「国権の最高機関である国会も主権者である市民もないがしろにされている」「改憲が必要かどうかは市民が決めること。安倍が決めることではない」と口々に訴え、安倍改憲の危険性に警鐘を鳴らした。 同時に「改憲勢力は国会で3分の2を握っているのに改憲発議をできていない。発議は阻止できる。このことに自信を持ってたたかおう」とアピール。改憲阻止の展望を示しながら、「市民と野党で新しい政府を作ろう」と呼びかけた。

自衛艦は中東に行くな
横須賀で連日の緊急行動
2月1日〜2日

横須賀ヴェルー公園で開かれた緊急行動(2月1日)

海上自衛隊護衛艦「たかなみ」が中東に派遣された。すでに任務についているP3C哨戒機とともに、安倍政権による米トランプ追随だけのための「派兵」だ。しかも「調査・研究」という国会承認を必要としない防衛省設置法を使ったもの。こうした中東派兵を前にして、神奈川県内では「安倍改憲NO! 横浜・川崎共同アクション」などの市民団体が抗議の駅頭宣伝などをした。 2月1日には、横須賀ヴェルニー公園では「海自護衛艦『たかなみ』の中東派遣の中止を求める緊急行動」が開かれた。主催は地元の神奈川平和運動センターと三浦半島地区労センター、集会には350人が集まった。多くの市民団体や平和フォーラム系の多くの労働組合が参加した。 各中央団体のあいさつの後、「ヨコスカ平和船団」の新倉裕史さんが現地報告。「船上から『自衛艦は中東に行くな』と呼びかけている。多くの自衛官は、戦争に行きたくて自衛隊に入ったのではない。海外派遣の後では自衛官の自殺者が増えている。自衛隊を海外に送るのは憲法違反。自衛官や自衛官の家族のためにも自衛隊を中東に送ってはならない」と強く訴えた。集会後、近くの海上自衛隊横須賀総監部のゲート前に移動。停泊している護衛艦「たかなみ」に向けて「中東に行くな」とコールを続けた。海上では抗議船2隻によるデモもあった。 翌2日は早朝から集会と出航への抗議行動が取り組まれた。(神奈川・深津)

2面

第11期 沖縄意見広告運動スタート集会 空

1月17日、大阪市内で第11期沖縄意見広告運動スタート集会が開かれた。(前号既報)その集会で発言したヘリ基地反対協共同代表の安次富浩さんと参議院議員の伊波洋一さんの発言要旨を掲載する。(見出し/文責とも本紙編集委員会)

基地との共生を拒否 「勝つまでやるよ」 安次富 浩さん(ヘリ基地反対協共同代表)

昨年12月14日、辺野古沿岸側に土砂が投入され始めてから1年が経過したが、昨年10月末で全埋め立ての面積への必要土砂量、2062万立米の1%にも満たない。辺野古土砂量は6・4%に過ぎない。違法な埋め立て工事を遅らせている。ゲート前座り込みは2000日を超えた。月1回の大行動には7〜900名が集まる。毎日の人数は厳しいがゴボウ抜きに30分、40分かかる。船で海からも持ってくるが、水深が浅く埠頭に横付けはできない。安和桟橋、塩川でも積み出しを遅らせる。
昨年末、河野防衛相は「5年、施設に3年かかる」と言わざるを得なかった。工費は当初3500億円、今回は9300億円と修正した。沖縄県の検討、試算では2兆5500億円、13年かかる。
台湾に近い与那国に自衛隊が配備された。宮古には空自の対空レーダー部隊。新設される駐屯地に警備隊380人、地対空・地対艦ミサイル部隊と併せ陸自7〜800人規模が計画されている。奄美には警備隊、対空ミサイル、地対艦、移動警戒隊など計600人規模だ。宮古、石垣首長は自民党系、しかし住民は簡単には引き下がらない。
佐賀県のみなさんは自衛隊のオスプレイ配備を止め、秋田県民はイージス・アショア配備反対に立ち上がった。沖縄のたたかいは点から線に結び、面に広がる。香港、韓国のたたかいに学び、反戦・平和の声を全国に起こそう。
うちなんちゅは非暴力・抵抗闘争を強め、勝利の展望を拓く。

大浦湾の沈下は不均等 「異なる工法」に展望はない 伊波洋一さん(参議院議員)

沖縄県民の新基地建設を断念させようという民意は、より大きくなっている。翁長知事は、命の限りを尽くし前知事による埋め立て承認を撤回した。辺野古新基地建設の工事は大浦湾の軟弱地盤の存在で立ち往生している。技術的問題も未解決だ。
12月24日に防衛省の担当者を呼び、第2回技術検討会(11月29日)の議事録や提出資料について追及した。防衛局は19年1月の報告書、それに基づく鑑定書とは異なる工法(軽量盛土による地盤改良範囲の縮小)を提案しており、護岸の安定性照査の数値が異なることが判明した。翁長知事の承認撤回取り消しの根拠として国が提出した理由を自ら否定したことになる。
第2回検討会のテーマは、大浦湾側の護岸工法の検討。沈下しないとしてきた護岸が1・3メートルも沈下することを明らかにした。大浦湾には90メートルの深い軟弱地盤があり、5メートルの岩場もある。そこを埋め立てるのだから、滑走路がどのくらいのスピードで、どう沈下するか予測できていない。普通の海面埋め立ては、ほぼ均等にゆっくり沈む。大浦湾は谷も山も軟弱地盤もある。計算どおりにいくかどうかはわからない。
第3回検討会は12月25日に開かれ、全工程に係わる施工検討がされた。1700億円もの警備費、パイル打ち込みなど軟弱地盤対策に3000億円など、総工費は当初3500億円から3倍近い9300億円に膨らんだ。
完成予定は22年完成予定から、30年代になると認めた。当初の約3倍、1兆円近い工費を認めた。不等沈下が続くため不完全な滑走路しかできない。1兆円使って欠陥飛行場をつくろうとしている。

安倍政権を退陣させる
今こそ憲法を取り戻そう
2月6日 東京

2月6日、東京北区の北とぴあで「許すな政治の私物化! STОP改憲発議! 新署名スタート! 安倍政権を退陣させる! 2・6市民集会」が開かれ、900人が参加した(写真)。集会では、元内閣審議官の古賀茂明さんと看護師の宮子あずささんが講演。 古賀さんは「自民党は日本を借金大国にし、少子・高齢化を放置し、社会保障の基盤を崩壊させた。原発事故を引き起こして、日本を成長できない国にしてしまった。給料は下がり続けている。アベノミクスで経済がよくなったというのは大嘘。これらを多くの人に訴えていこう」と結んだ。
宮子さんは、看護師の立場から次のように語った。「筋萎縮性側索硬化症(ALS)という病気では発症の初期段階では、人工呼吸器を希望しない人が90%近くだが、最終的にほぼ100%の人が人工呼吸器をつける。人間は、簡単に死んでいいとは思わない。だが今の医療は、お金がかかるとか国家の借金とかばかりが言われ、『助かりたい』という言葉を発することがセーブされている。その果てに津久井やまゆり園のような事件が起こってしまうのではないかと思う。看護師の倫理綱領には、『生命の尊重』がはっきりうたわれている。私は、若い看護師たちにこの原則を語っていきたい。これだけタガが外れた世の中では、自分たちが踏まえるべき原理原則をはっきりさせて、生き・働いていくことが大事なことだということが分かった。憲法という大原則を今こそ取り戻していくことが、生きる権利を奪われず、生き抜くたたかいの手がかりになると思う」と訴えた。

天皇制をなくすために
菅孝行さんが問題提起
2月11日 滋賀

2月11日、これでいいのか日本! 2020滋賀県集会が開かれ、120人が参加した。講演は菅孝行さん。菅さんは、「〈反天皇制を叫ぶこと〉と、〈天皇制をなくすたたかいをつくること〉はちがう。ただ叫んでいることを『空論』といい、つくることを『理論的組織的実践』という。天皇制とたたかうには、天皇や政府や資本に幻想をいだき、嫌中・嫌韓・嫌朝で盛り上がる主権者内部の荒廃をただすことから始めるべきだ。すべては主権者の排外主義と天皇への〈とらわれ〉を始末することにかかっている。おのれの傷をいやすために他者を傷つけようとする方へと人びとは誘導される。ヘイトに向かうエネルギーは、権力に組織されて国家暴力とその自己正当化へと向かう。近代日本国家においてこのエネルギーは天皇制に収れんされた。国家の共同性に依拠しないコミュニティーの組織化だけが『対案』たりうる。そのために必要なのは、権力とのたたかいだが、国政への権能を有しない天皇個人への憎悪の組織化ではない。隣人間の相互認識の組織化によって、国家の共同性など何ごとでもなくなる地平を創り出すことだ」とした。

売り渡される食の安全
元農水相 山田正彦さんが大阪で講演

2月8日、元農水大臣で弁護士の山田正彦さんを招いて「日本の食と農が危ない! パート2〜売り渡される食の安全〜」講演会が大阪市内で開かれた。主催は、戦争あかん!ロックアクションなど4団体。以下、講演の一部を紹介する。

種子条例制定の動き

種子法(主要農作物種子法)は17年4月、国会で充分な審議のないまま廃止が可決され、18年4月から廃止になった。種子法が廃止されてもたたかう方法はある。それは自分の住んでいる市町村議会に、「県へ意見書を出すよう」働きかけて、県に条例を制定させること。すでに15の道県で「主要農作物種子生産条例」が制定され、知事が条例制定を明言した県や条例案を準備中の県がたくさんある。大阪もそれに続かねばというわけだ。種子条例制定状況については「日本の種子(たね)を守る会」のホームページに詳しい。
TPP協定に沿って種子法廃止や種苗法改定、農業競争力支援法、など農業破壊の国内法整備に国はとりかかっている。種子法は日本のコメ、麦、大豆など在来種を守る法律だった。種は種子法によって国が管理し、各都道府県に原種・原原種の維持、優良品種の選定、奨励、審査を制度として義務付けてきた。その種子法が廃止され、農業競争力強化支援法によって、これまで日本が蓄積してきたコメの原種、原原種、優良品種の知見をすべて民間(資本)に提供することになっている。日本のコメ農家が米国モンサント等へロイヤリティを支払うことになるかもしれないのだ。

農家に大打撃

種苗法改定案が通れば、登録された品種は自家増殖(種を取って次作につかうこと)が一律禁止になる。登録された品種は育成権者にお金を払って許諾を得るか、1本ずつ苗を購入しなければならない。農家にとっては大変な痛手である。そしてその登録品種はキャベツ、ブロッコリ―、ナス、トマトなどメジャーな野菜にまで拡大され今や387種に及んでいる。違反した場合は懲役10年、1千万円以下の罰金に処せられ、共謀罪の対象にもなっている。
日本では発がん性のあるグリホサートが主成分である農薬「ラウンドアップ」がホームセンターや百円ショップで売られているが、世界では販売禁止が主流である。遺伝子組み換え農産物もTPP批准以降、日本国内では急速に拡大して世界の流れに逆行している。

できることは何でも

しかし、悲観することはない。スーパーに遺伝子組み換え表示を求め、遺伝子組み換えの食品を売らないよう要求するとか、ラウンドアップを売っている店には売らないよう要求するのだ。そして先述した種子条例を県に制定させる方法。私たちにできることは何でもして食の安全を守っていこう。(池内慶子)

3面

人権意識した原発事故
住民守らなかった国家とは
森松明希子さん

国連人権理事会で発言する森松明希子さん(左から2人目)

1月27日、大阪市内で開かれた第31回世直し研究会で森松明希子さん(東日本大震災避難者の会Thanks & Dream代表)が福島第一原発事故から9年間の想いを次のように語った。

国際社会に訴える

この2年、福島第一原発事故について国際レベルで考える機会があった。2018年3月に、国連人権理事会でスピーチができた。国連に行くことがきまったとき、福島に住むお母さんから「森松さんは避難した人だけが正しいといっていない。だから、わたしはあなたが行くことをうれしく思う。わたしたちの存在も国連で訴えてきてください」というメッセージをもらった。だから、県外避難者だけでなく、福島に住んでいる避難者も代表してしゃべった。
国連のスピーチはわずか5分間。わたしは日本国憲法前文の「全世界の国民が、等しく恐怖と欠乏から免れ平和のうちに生存する権利」という言葉をいれた。被ばくを避ける権利は、日本人だけの権利ではないということを示したかった。
19年3月に、私はヨーロッパ(フランス、イギリス、ベルギー、ドイツ)をまわり、27日間で25講演をおこなってきた。東京に避難しているお母さんとその息子さんがいっしょに行った。この少年はバチカンでローマ教皇と会見し、フクシマのことを訴えてきた。昨年、ローマ教皇が日本にきた時、フクシマに関心を寄せていた。それはこの事があったからだ。わたしがフランスに行っていたときに、この少年を主人公にした漫画が少年漫画雑誌に掲載され、駅の売店で売られていた。原発事故にたいする関心の強さに驚いた。このようにヨーロッパでは、小学生から老人まで環境問題に関心が強い。
今回、避難できないで福島に住んでいるお母さん(子どもは中学生になってから北海道に避難)ともいっしょに回ることができ、福島に住む方々の思いも共有することができた。
わたしは、原発事故から大阪に避難するまで郡山市に住んでいた。わたしは(避難するまでの)2カ月の体験を忘れることはないだろう。このとき、最高度に人権を意識した。憲法訴訟をするということを条件に、原発賠償関西訴訟の団長を引き受けた。最近、わたしは「国内避難民」という言葉を使っている。これは紛争や戦争のケースに限られるものではなく、国際社会では幅広く使われている。この言葉を定着させていきたい。
福島では、被害者どうしが分断させられている。この9年間、「補償金というかたちで金をもらったら、ものが言えなくなる」という現実をいやというほど見てきた。避難者がいわき市に家を建てたら「賠償御殿」と落書される。昨年10月に阿武隈川が氾濫したとき、賠償金で建てた家もたくさん流された。このとき、避難者は「天罰が下った」とまわりから言われた。なんともやりきれない思いがする。
原発被害者訴訟では、権利性を主張するか施策・補償を要求するかで、当事者のなかでも争いがある。福島に住む訴訟団から、県外避難者の私たちに「汚染という言葉を使わないでくれ」とも言われている。わたしたちは権利を主張することに遠慮しすぎているように思う。もっと怒るべきだ。もっと権利を主張すべきだ。だから、これからもわたしは声高く叫びつづけたい。
このように、「国家とは何か」を考えさせられ続けた9年でもあった。原発事故で、国は住民を守らなかった。国家は住民の安全と命を守るためにあるのではないのか。「国民主権」と言われるが、これはいかにして確立できるのだろうか。わたしたちが主張しないで、外在的に与えられるものではない。権利はたたかいによって勝ち取るものだ。だから、わたしは主張をやめない。

事故が生んだ死の街
福島の住民の声を届けたい
飛田晋秀さん

2月9日、「東京五輪で福島は復興するのか」(主催 西成青い空カンパ)と題する集会が大阪市内であった。写真家の飛田晋秀さんが講演した。飛田さんは、福島県三春町に住み、被災地を撮りつづけている。写真集『福島の記憶』(旬報社)を出版し、全国で講演活動を続けている。飛田さんは福島の現実を次のように語った。

被災の記憶を残す

原発事故までは、わたしは職人を撮るカメラマンをしており、報道カメラマンではない。フクシマの被災が風化していくなかで、未来の子どもたちにこの記憶を記録として残しておくべきだと考えるようになり、被災地の写真を撮るようになった。さまざまな葛藤のなかで、わたしはこの作業を第2のライフワークにすることを選んだ。
帰還困難区域の街の中には、だれひとり住んでいない。人の声がまったくしないなかで、線量計の音、風の音と壊れたシャッターの音だけが不気味に聞こえてくる。この恐怖のなかで、最初はなかなかカメラのシャッターをきれなかった。
双葉町の帰還困難区域では、今でも1〜10マイクロシーベルト/時(μSv/h)くらいの放射線量がある。車の中でも2〜3μSv/hくらいはあるだろう。国道6号線は、この帰還困難区域のなかを通っている。この国道がすでに開通し、車が走っている。人はその道路の両側に入ってはいけないのだ。
大熊町の一部で、昨年4月に避難指示が解除された。映画のセットのように、この区域はカメラに映るところはきれいになっている。しかし、一歩街の中に入れば、家屋は震災当日のままに放置され、この9年間で家は朽ち果てている。街はまるで時間が止まったかのようで、死の街≠ニいってもおかしくない。住宅のなかは当時のままに残されている。ここでは人間はよそ者で、いのししの住み家になっている。夜になれば、いのししの運動会で地鳴りが聞こえてくるとのことだ。
こんな高線量であるにもかかわらず、除染作業員や警備員は普通のマスクと作業着のまま、仕事をしている。十分な指導も受けないで、作業員は被ばくにさらされている。これから、作業員の被ばくが問題になってくる。
昨年の末に、「アメリカから7人くらいで調査団がやってきた。オリンピックをやるといっているがほんとうに大丈夫なのか。メディアで福島のことは何も語られないが、どうなっているのか。心配だから自分たちで取材にきた」といって、放射線量を調べにきた。この時、道路わきを測定していったら2〜45μSv/hあった。この地域は、どこでも30μSv/hはある。放射線量はけっして低くなっていない。事故当初とは、ほとんど変わっていないのだ。
大熊町役場の新築に31億の金を使っている。役場のなかは、職員だけで住民はひとりもいない。戻ってきている住民は100人もいないのだ。国は「箱もの」を造って、ゼネコンに金をばらまき、「除染したから大丈夫」「福島は復興した」と言っている。

放射能安全神話

今、国は「オリンピックで盛りあげよう」、「福島の食べものがおいしい」など、復興キャンペーンをしている。福島ではオリンピックのために被ばくの話ができない。放射能の言葉がタブー化されている。「原子力安全神話」ではなく、「放射能安全神話」が叫ばれている。
被災した住民は、「金などはいらない。元の生活を返してくれ」「オリンピックをやっている場合ではないだろう」といっている。このような声は、メディアには取り上げられない。わたしは、福島の住民の声を全国にとどけ、国の棄民政策を批判していく。

事故あいつぐ伊方原発
高裁決定 四電は「不服」を表明

広島高裁が1月17日、「山口地裁岩国支部による伊方3号機運転差し止め却下」を取り消し、住民らの申し立てを認め、運転差止を命ずる決定をおこなった。四国電力は「速やかに不服申し立てをおこなう」と表明したが、伊方原発は事故やトラブルが頻発した。
今年に入ってからも1月7日、前回検査時に中央制御室非常用循環系の点検作業が保安規定に反していたことを公表した。1月12日には、原子炉からの核燃料取り出し作業中に誤って制御棒1本を引き抜くという重大なミスを犯している。1月20日、伊方3号機原子炉建屋で核燃料集合体を点検するため、使用済み燃料ピット内を移動させていたところ燃料集合体の落下を示す信号が発信された。燃料集合体を点検用ラックに挿入する際、ラック枠に乗り上げ信号が発信された(1月21日公表)。
1月25日、原発内にある送電線が遮断され電源を一時喪失した。廃炉が決定している1、2号機は別の送電線から受電し、3号機は非常用ディーゼル発電機が自動起動したという。四電は「受電停止は1、2号機が3秒間、3号機は9秒間だった」「バックアップ電源が正常に作動し、福島第一原発のように全交流電源を喪失したわけではない」と説明した。
「数秒間」とされた3号機の燃料プール冷却停止は、すぐに再開されたのではなく、水を循環させるポンプ電源を起動したのは43分後。冷却が停止したままだったことがわかった(2月5日)。3号機プールには、定期検査で取り出したばかりの燃料157体がある。核燃料は原子炉停止後も「崩壊熱」を出し、冷却し続ける必要がある。一時的とはいえ冷却が停止した事実は、極めて危険な状態であった。四電は「なぜ1月27日の記者会見で公表しなかったのか」と問われ、「説明資料は用意していたが、3号機の循環ポンプについては質問が無かったから」と答えた。
トラブル、事故は四電、伊方原発に限らない。廃炉作業中の福一でもあり、敦賀原発では断層「生データ」書き換えなどがあった。全原発・関連事業に共通する。核を扱う能力も資格もない事態である。「原発廃炉の声は社会通念」を訴えたい。(江田宏)

「黒い雨」訴訟 広島地裁で結審

原爆投下後、放射能を含んだ「黒い雨」を浴びたにもかかわらず、被爆者健康手帳の交付申請を却下された広島市などの70代から90代の被爆者85人(うち8人は死亡)が、広島市と広島県に却下処分の取り消しと手帳の交付を求めている訴訟が1月20日、広島地裁で結審した。 国が定めた援護対象区域の妥当性について争う全国初の訴訟。1月20日の裁判には法廷に入りきれない多数の傍聴者が詰めかけた。高齢の被爆者から「私たちに残された時間は少ない」「司法の正しい判断を求める」との訴えが相次いだ。8月6日の約1週間前に判決となる。

4面

三・一独立運動100周年が日本人に問いかけるもの(下)
米村泰輔

三・一三反日義士陵(2019年10月16日撮影)

 抗日義士の墓の前で

今回、私たちは延辺朝鮮族自治州の龍井市内にある抗日義士の墓に黙とうをささげにいった。写真にあるとおり、抗日を記念する塔と犠牲となった14人の抗日義士の墓がみえる。100年前、決死の決意で独立運動に立ちあがった朝鮮民衆は今日のような分断された朝鮮など思ってもいなかったはずである。だとしたら今を生きる私たち日本人がなすべきことは何だろうか。分断された朝鮮ではなく、統一された朝鮮が実現するまで、それがどのような道筋をたどろうと在日を含む朝鮮民衆と連帯してたたかいぬいていくことではないだろうか。 このたたかいと運動は日本、朝鮮、中国のそれぞれの運動と連動していくものとならざるをえない。我々はかつて『日本・朝鮮・中国』という雑誌を発行していたことがあるが、このたたかいは日本、朝鮮(韓国、朝鮮民主主義人民共和国)、中国(香港、台湾を含む)の全体を視野にいれた運動を我々に鋭く問いかけてくる。 私たちが訪れたとき香港では激しいデモがたたかわれていた。宿泊していた吉林省の延吉のホテルでは香港の国営放送のテレビが電波が微弱なためかカラーではなく白黒になって切れ切れになって届いていた。詳述は避けるが、香港のたたかいの中に中国共産党は天安門事件の影をみて恐怖しているのである。100年前、発砲も恐れず独立を求めて日本領事館に向かった3万人の朝鮮民衆の姿と香港の現在とがオーバーラップしてきた。

継続している日本の植民地主義とその政治

1945年8月14日、日本帝国主義はポツダム宣言を受諾し連合国に無条件降伏した。47年5月3日、日本国憲法が施行されたが同憲法前文には「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し」として戦争にたいする自己否定はあるが、植民地支配にたいする反省や謝罪はまったくない。 同憲法施行の1日前の5月2日、ヒロヒトの最後の勅令207号=外国人登録令が出され、朝鮮人は「当分の間、外国人とみなす」とされ、強制的に「日本人」とされてきた朝鮮人は一夜にして外国人とされた。 52年4月28日、サンフランシスコ条約が発効し日本は独立を遂げ、本土は戦後「復興」の道に進んだ。しかし、その「復興」は沖縄を犠牲にしてのものであった。それだけではない。同日、勅令207号の後身である出入国管理令が在日朝鮮人に適用されはじめた。つまり、日本の戦後「復興」は沖縄を犠牲にし、在日朝鮮人を弾圧の対象としてはじめて存在したのである。 植民地主義とその政治は日本の敗戦によっても日本の支配階級においては消滅することはなかったのである。また、サンフランシスコ講和会議に韓国は参加を求めたが拒否され、共和国は呼ばれなかった。したがって朝鮮民衆の要求、さらには日本が侵略した中国、台湾等アジア諸国の民衆の要求は同条約には一切反映されていないのである。 日本を占領したアメリカも帝国主義としては日本と同じであり、GHQは「朝鮮人は、軍事上許す限り解放民族として扱うが、必要な場合は、敵国人として扱われる」(「日本占領及び管理のための指令」45年11月3日)とした。アメリカは同じ帝国主義として植民地主義とその政治の継続、とりわけ朝鮮人の民族教育をことごとく敵視し弾圧した。48年1月、GHQは朝鮮学校閉鎖令を出し、同年4月、阪神教育闘争がそれに抗してたたかわれた。帝国主義によるこの敵視政策は今も続いている。

帝国主義と植民地主義について

ドイツはユダヤ人虐殺に謝罪したとされているが、植民地支配には謝罪も反省も一切していない。イギリスもフランスもアメリカもそして日本もこの点では同じである。第二次大戦以後、世界的に旧植民地は独立したが帝国主義の側からの謝罪や反省は一切ない。それどころか、いずれの帝国主義においてもその底流において植民地主義とその政治を今も継続させているのである。

我々に問われているものはなにか

(1)日本・朝鮮・中国の一体となったたたかい

我々の力量がどうであろうとも、我々のたたかいは不可避に日本、朝鮮、中国のたたかいと深く連動していくものとならざるをえない。また、そのようにしていくことが求められるだろう。

(2) 植民地主義とその政治とたたかうこと

帝国主義と植民地の問題を我々は本当にひっくり返せているのか、我々は自分自身に厳しく問わなければならない。植民地主義とその政治の根源は帝国主義である。今も底流にある植民地主義とその政治とのたたかいは世界的レベルで帝国主義そのものを打倒することでなくてはならないだろう。 打倒されていないがゆえに、日帝支配階級の底流には植民地主義とその政治は生き続けているのである。これが底流にあるからこそ、日帝は軍隊「慰安婦」、「強制徴用工」、さらには植民地支配そのものに対する謝罪も補償も一切拒否しているのである。さらにこれに呼応してヘイト集団も現われてきている。これは植民地支配した台湾、その他侵略したアジア諸国についても同じことがいえる。 今回、龍井市の日本領事館跡の拷問室等をみて考えることは、帝国主義本国の人間として自分がどのような存在なのかをあらためて突きつけられたということである。とくに強く感じたことは植民地支配とはどういうことだったのかをきちんと対象化することが今の我々には必要なのではないかということである。 今、加害のことを問題にしない風潮が現れているが、加害のことを不問にすることは誤りである。とくに、日本の支配階級が植民地支配にほおかむりして居直り、植民地主義的考え方が復活・強化されようとしている現在、とくに重要である。この視点は今の日韓関係を考えるとき、我々の主体の問題として強く見すえなければならない。 加害の問題はけっして過去のことではない。新自由主義の下、差別主義・排外主義が世界的にはびころうとしている今こそ、加害の歴史と現在を直視して民衆レベルでの連帯を作り出していくことが問われていると私は考える。このたたかいは言うは易く行うは難し≠ナある。これは地域に根差した運動のなかで日々試されていくのである。(おわり)

大逆事件サミット神戸で(上)
幸徳秋水墓前祭に参加
松田耕典

今年10月17日から18日にかけて神戸で開催される第5回大逆事件サミット。その準備の一環として、1月23日の高知市内の岡林寅松と小松丑次の墓参と、24日の高知県四万十市での幸徳秋水墓前祭に、神戸から8人が参加した。

大逆事件とは

大逆事件サミットは、2012年に第1回が幸徳秋水の生地・四万十市中村で開かれて以降、隔年ごとに福岡、大阪、和歌山県新宮とゆかりの地で開催されてきた。神戸で開かれることになったのは、神戸海民病院に勤務していた岡林寅松と小松丑次が大逆事件の犠牲になった事に由来する。 大逆事件は周知のとおり、明治の天皇制と長州閥政権の山県有朋・桂太郎が初期社会主義運動を撲滅するために、「天皇の暗殺を企てた」として幸徳秋水ら26人を逮捕し、1911年1月24日・25日、12人の死刑を執行した近代日本の歴史でも特筆すべき権力犯罪に他ならない。このなかに無期懲役となった神戸の岡林寅松と小松丑次がいた。彼らは1931年の特赦で釈放され、神戸や高知に住むが、その墓は生地の高知市にある。この墓参が四万十市の幸徳秋水を顕彰する会・田中全事務局長(前四万十市市長)の案内でおこなわれた。 小松と岡林の足跡については、自由民権運動の顕彰が今日も続く高知(市立の自由民権記念館がある)でもほとんど知られていない。2人の足跡をたどる研究は、田中全さんらと神戸で進められてきた。小松は釈放後に神戸市兵庫区に住んだが、研究によって妻が平野橋付近で養鶏をして生計を支え、多聞教会の信者であったことがわかってきた。今回の墓参には多聞教会と関係の深い飛田雄一さん(神戸学生青年センター理事長)や、神戸サミット実行委と事務局を束ねる津野公男さんらが参加した。

岡林、小松の墓参

23日昼過ぎ、高知市についた一行は、田中全さんらの案内で墓参した。親類縁者はほとんどいないと言われていた岡林と小松だったが、この日の墓参には岡林寅松の妹の孫にあたる方に同行していただいた。 墓は高知城の西方1キロの小高坂山の麓にある。事前に田中さんらの手で掃除と献花がされていた。そこで墓参と記念撮影をした(写真)。この小高坂山の周辺には、明治の自由民権運動家・植木枝盛や、「間島パルチザンの歌」で知られる槇村浩の墓もあり、併せてお参りした。 ついで、ここから南方3キロほどの筆山へ向かった。ここは土佐藩主山内家の墓所もある一大墓地群で、「墓を作るな」と遺言した中江兆民の記念碑もある。その山の奥まった所に小松丑次の墓がある。ここは縁者もないようで、自由民権運動や大逆事件関係者が案内板を作っていて、時おり墓掃除をしているとのことで、この日も地元運動家が掃除装具を持参しての墓参となった。 ここには米騒動で焼き討ちされた神戸の鈴木商店の大番頭・金子直吉の墓もある。戦前高知の人たちは、岡林や小松も、金子や片岡直温(日本生命社長、昭和恐慌時の大蔵大臣)らも険しい四国山脈を越えるのではなく、海路で神戸・大阪に向かったようだ。(つづく)

5面

「戦争法」違憲訴訟
憲法判断さけた不当判決

1月28日大阪地裁(三輪方大裁判長)で、大阪府民など1011人(判決時992人)が国を訴えた戦争法違憲訴訟の判決があった。判決は、憲法判断を回避し平和的生存権をただの理念で具体的権利ではないとした。
本裁判は自衛隊を海外派遣するなという行政訴訟と、「戦争法」強行成立によって平和が脅かされ、@平和的生存権、A人格権、B憲法制定権が侵害されていると訴えた国賠訴訟からなり、憲法制定権は国民の側にあるのに、政府が憲法改正手続きを経ずに集団的自衛権の行使を認めたのはその権利を侵害しているとの主張である。
しかし、三輪裁判長は実害がないからと行政訴訟は却下、国賠訴訟は棄却した。東京の違憲訴訟の判決を丸写ししたようなひどい内容であった。
行政訴訟については、上級の内閣総理大臣、防衛大臣が下級の自衛隊に出動命令を出すのは行政機関相互の行為であって、処分性が認められない。国民がどうこう言えるものではないと却下。
国賠訴訟については@平和的生存権は理念的なもので具体的権利侵害はない、A人格権は原告の感じている不安、苦痛は具体性がなく、安保法制定から4年経っても武力攻撃の危険はないから侵害されたといえない、B憲法制定権は、96条1項は、手続きを規定しているだけで、憲法が、個々の国民に対し、閣議において憲法に違反する決定をされない権利ないし利益を具体的に保障しているものと解することはできない、だから憲法改正決定権は法律上保護される権利または利益に当たらないとした。
これでは安倍はやりたい放題、まさに安倍に忖度した判決である。中東に派遣された自衛隊員の中から死傷者が出てからでは遅いのだ。 
判決を聞いて傍聴席からは怒りの声が上がり、裁判所の外で「司法は憲法擁護義務を果たせ」「『戦争法』は違憲だ」というプラカードを掲げながら抗議を続けた。中村哲さんが殺されたのは明らかにアメリカに追随する安倍のせいだと憤る原告もいた。原告団は2月7日、控訴した。
同様の裁判は全国22地裁・支部で起こされ、今回は札幌、東京につづく3例目の判決。いずれも原告の請求は退けられている。

4月に京丹後市議選
永井友昭さんが出馬

9日、米軍Xバンドレーダー基地反対京都連絡会の総会と近畿連絡会の旗開きに60人が参加した(写真)。京丹後から宇川憂う会の永井友昭事務局長が参加し、4月26日投開票の京丹後市議会選挙に立候補することを表明。総会と旗開きは永井さんを市議会に送り出す総決起集会となった。京都連絡会も近畿連絡会も、支援することを全体で確認した。

(読者の声)
「連合」組合員の半数近くが自民に投票!
静岡/一読者

1月22日付『東京新聞』の静岡版に、「組合員45%、比例は『自民』/19年参院選で連合静岡調査」という見出しの記事が載った。
それによると、昨夏の参院選で連合静岡は、選挙区は国民現職を、比例代表は各組合が立民と国民の候補者を推薦。選挙後の調査で、比例代表で政党名を書いた人の内訳は自民45%、国民21%、立民17%、維新5%という結果だったという。おそらく連合の全国的状況と大きくズレてはいないだろう。
連合は1989年の結成と同時に、「国際労働財団」を立ち上げた。大企業が発展途上国に進出する露払いの役割を果たす機関である。連合傘下のすべての組合員は、毎月5円をこの機関に上納している(詳しくは大庭伸介著『レフト 資本主義と対決する労働者たち』参照)。
電力会社の労働組合が原発再稼働を容認していることはよく知られている。これがネックで、全野党共闘が実現できない。この現実にわれわれはどう立ち向かうべきか。
連合のなかでも、関生不当弾圧反対の声を上げている地方組織がある。沖縄・辺野古新基地建設反対に取組んでいる連合傘下の組合員も少なくない。
まず、こうした組織や個人が、自らを連合内の〈反対派〉であると明確に位置づけることが求められる。そして、それぞれの持場で独自の方針を掲げて行動することである。
さらに、消費税や最低賃金制など生活に密着したテーマで、連合傘下に属さない活動家と歩調を合わせて行動していく。連合の内≠ニ外≠ナ相呼応して闘い、連合をガタガタに揺さぶっていくという目的意識の下に行動するのである。
大企業と官公庁の正規労働者の大半を傘下におさめ、700万近い組合員を擁する連合を何とかしなければ、日本社会をひっくり返すことや、具体的日程に上ろうとしている憲法改悪阻止もむつかしい。連合はかつての産業報国会(官製の労務統制機構)とは本質的に異なる。労働組合である以上、組合員の声を完全に無視することはできない。役員は組合員のなかから選ばれる。こうした労働組合としてのタテマエと大企業の先兵という実体=ホンネとは、解決できない矛盾である。この矛盾点を、様々な具体的課題をとらえて、粘り強く徹底的に衝く行動が今求められているのではないだろか。

(読者の声)
戦争と作詞・作曲家たち
兵庫県 三木 俊二

前号で北村小夜さんの記事を読み、思い出した。もう10年以上前に終刊になった、知人が加わっていた詩の同人誌に「歌物語」という詩が連載されていた。そのなかに「里の秋」「新雪」「同期の桜」「若鷲の歌(予科練の歌)」などがあった。「里の秋」(1940年)は、戦後の小学校音楽教科書にも載っていたのか、ラジオからもよく流れていた。ただし1番、2番のみ。
「歌物語」の作者は書く。「おどろいたのは…3番。『さよなら、さよなら椰子の島、お船にゆられ帰られる…』、椰子の島の兵士たちは餓死に近い死に方だった。」 ちなみに元歌となった「星月夜」には、「ああ、父さんのご武運を〜」とも歌われている。若い血潮のヨカレンの〜≠ニいう「若鷲の歌(予科練の歌)」(43年、西条八十作詞、古関裕而作曲)。「いのち惜しまぬ予科練の、七つボタンは〜」の歌に奮い立ち、あるいは割り当てられ2万8千余名の中学生たちが海軍飛行予備学生に入隊した(戦死、殉職、約1千人)。

断絶のない『青い山脈』ほか

「歌物語」の作者は、続ける。「少年たちの魂を揺さぶったあの歌、あの曲はどこへ…。終戦、戦後とこともなげに人は言い、歌は甦り『若く明るい歌声に…』と若者たちを賛美する。詩人・西条八十は『青い山脈』に照り映える青春を再び作詞、(そこには)帰らぬ若者たちの残像すらもなかった。」 
西条八十は「同期の桜」も作詞した。「真白き富士のけだかさに〜」と銃後の若い女性たちに愛唱され、映画にもなった「愛国の花」(福田正夫・作詞、38年)も小関の作曲である。作詞の福田は、民衆詩運動を進めた一人という。「海ゆかば」で有名な信時潔は戦前戦後、数多くの高校・大学校歌を作曲した。
もちろん、これらの歌、作詞・作曲家だけの問題ではない。中国への出兵、日米戦争に至るころの歌謡、童謡、そして軍歌。哀調を帯びた軍歌もある。翼賛、検閲、弾圧という当時の状況からは、言うほど易くはないだろう。たとえそうでも、豊かな才能あふれる音楽家たちが「翼賛、高揚」に与した役割は重い。
元美術教師だった女性が、退職者の小さなニュースの表紙絵にとり上げた、「國之楯」(44年、小早川秋聲)という絵がある。寄せ書きの「日の丸」を顔にかけられ、横たわる兵士が描かれている。ネットにカラーで出ているので見てほしい。元教師は、勤めていた市の小中学校に連日「日の丸」が掲げられることになると聞き、この絵を表紙に選んだ。その解説によると、陸軍省が従軍画家である作者に描かせた。しかし、出来上がった絵を陸軍は「天覧」展示させなかったという。
2月2日、国会での議論も承認もなく自衛隊の護衛艦がアラビア海に出航した。

(読者の声)
話題の映画と政治状況
東京都 田中和夫

最近話題の社会派映画は、とどまるところ知らない格差の拡大が、労働者にとっては絶望的な資本主義社会を描いている。ポン・ジュノ『パラサイト―半地下の家族』、是枝裕和『万引き家族』、ケン・ローチ『私は、ダニエル・ブレイク』『家族を想う時』、トッド・フィリップス『ジョーカー』。  1960年代は労働者、貧困層に対する一定の分配の是正や総中流化の流れがあった。しかし、80年代のサッチャーやレーガンらの新自由主義政策により労働者階級は激しい攻撃にさらされ、労働者の組織は破壊された。その屍の上に、現代の資本主義社会の「繁栄」が築かれている。
下層労働者にたいする徹底的な攻撃の中で、ファシズムまがいの政権が目立ってきている。英国のブレグジット、米国のトランプ政権、そして日本の安倍政権。一連の作品を見て私が感じたのは、「ひょっとしてこれらの政権を支持する大衆は、映画に登場する怒れる主人公達に重なるのではないか」ということだ。彼らのやり場のない怒りを「上品な」「リベラル」は受け止めようとはしない。「下層労働者階級は充分な教育も受けることが出来ず、自分たちを表現する能力も持ち合わせていない。だから階級意識は外部から注入せざるを得ない」という論理がレーニンの『なにをなすべきか』に依拠して展開されてきた。しかし、生活の苦労をせずに充分な教育を受けてきたインテリ層の展開する理想論には、生活体験が伴っていない。彼らが口にする「エコ生活」は、現実の下層労働者の生活から乖離している。その乖離をついて怒れる大衆を獲得することに成功したのが、かつてのファシズムでありナチズムだった。同じことが繰り返されようとしている。
もちろん、怒れる下層労働者によるトランプの支持やブレグジット支持は矛盾に満ちたものだ。トランプを支持しても、困窮する米国の下層労働者の生活が改善されるわけではない。ダウ平均株価が史上最高値を更新しても、それが下層の懐を潤すことはない。アベノミックスも同様で、いくら安倍が「経済の好循環」をまくし立てても、貧困層の収入は改善しない。それどころか、いっそう自分たちの首を締めるだけだ。
いま必要なのは、「大衆はなぜ矛盾した支持をファシストに与えるのか」を考え、大衆の怒りをファシストから取り戻すために「われわれが何を間違っていたのか」を理解することだと考える。

6面

〈連載〉まっちゃん、これでええかな(4)
広島 被爆と障がい者
脳性まひ者の生活と健康を考える会
元関西青い芝の会連合会会長 古井正代さん

せっかく広島のここで話しさせてもらうから、広島ならではの話をしようと思います。それは、6年前に亡くなった広島青い芝の会の佐々木千津子さんの話です。
実はこれは、大阪であった千津子さんの一周忌の時に、私の家にまっちゃんが泊りに来はって、二人で千津子さんの件で何がほんまの問題なんかと話をしたんですよ。その時千津子さんが、何年前どういう暮らしやったという話でね。まっちゃんと二人で文章を書いたんです、連名でね。その文章はこういう内容だったの。

原爆、黒い雨

千津子さんはね、当時は今の広島市内に実家があってね。お父さんは広島に原爆が落ちた後、黒い雨が降った最中に妹さんが行方不明やいうて捜しに歩かれたそうでね。今の平和公園の辺りをずっと探されたらしいんや。その後、子どもができて、その後千津子さんが生まれたわけ。
千津子さんは、1947年生まれで、学校は就学免除になって全然行ってない。家の中のことしか解らないような生活を送ってたん。そのうち、お姉さんが見合いをするようになって、でも見合いする度に破談になって、その破談の原因が被爆したお父さんの娘に千津子さんがおるわけでしょ? 被爆の後にあんな子ができて、その姉妹を嫁にするとあんな子ができると、そうなったわけや。だから見合いは破談になる。当時は、被爆は関係無いところでも脳性マヒができると「こんなもんできたん、誰の血や、嫁の血や」と言うててん。だから、広島やったらもっと酷かったやろなあと思いますわ。
家族とお姉さんの、そんな話を聞けば聞くほど、針のむしろに座っていて、千津子さんいたたまれなくなって、もともと学校も行ってないから、千津子さんが行くとこいうて考えられるのは施設しかなかったわけ。だから施設に入るって決めたわけ。ほんなら、施設側は生理があるようなんは、生理の始末も自分でできんようやったら施設に入ることはできんいうこといいよった。ほんで、施設側から生理なくすには痛くも痒くもない方法があると言われてOKしてしもうてん。

コバルトで不妊手術

原爆落とされた地元の広島の市民病院で千津子さんはコバルトを一週間もあてられてん。原爆の後遺症で苦しんだ所で、コバルトを、何ともない子宮に当てるか? 本人はホルモンバランスは崩れるし、体の調子もメチャクチャになって、一生涯薬漬けの生活を余儀なくされてん。千津子さんは、生理がなくなると子どもができなくなる、いうことも知らされなかったんやて。
後になって広島青い芝の会に入って仲間がこどもを産んでいるのを知って、自分に何も知らされないまま行われたことに腹が立ったり、悔やんだりしてたのも、ほんま悔しかったやろなあと思いますわ。そいで、施設に入ったはいいけど、身体の調子がコバルト当てられた後遺症で、ホルモンのバランスが悪くてなにもできない状態になったんですって。そんな状態のことを、「甘えとる」とか何とかいじめられて。 そういう役に立たんことを施設では「甘え」と言うねん。(つづく)

連載 命をみつめて見えてきたものF
科学的態度とは何か
有野 まるこ

前回紹介したケリー・ターナー博士の話を続ける。彼女がとりかかったのが、医学雑誌に掲載されていたガンが「劇的に寛解」(自然退縮)した、1000件以上の症例報告の発掘と分析。これは黙殺されてきた事実だった。さらに驚いたのは当事者が何をして劇的寛解に至ったのか、どの医師も関心をもたず患者に聞いてなかったこと。
そこで彼女は国内のみならず、10カ国へ出かけ奇跡的な生還を遂げたガン患者と彼らを治療した代替医療の治療者を対象に、治癒に至る過程についてインタビューをおこなった。
そこから得られた知見を論文として発表すると同時に、普通の人にも分かりやすくまとめたのが彼女の本だ。生還を遂げた人々は様々な実践をしていたが、全員に共通していたのがこの本にまとめた9項目。当事者の報告、その科学的裏づけをできる限り記し、読者の参考になる具体的実践方法を示している。具体的には抜本的に食事を変える、治療法は自分で決める、直感に従う、ハーブとサプリメント、抑圧された感情を解き放つ、前向きに生きる、周りの支援を受け入れるなど等の章だてだ。
彼女は「劇的寛解」という「逸脱した事例」を黙殺する姿勢にたいして「科学的態度ではない」と批判。「私は9項目を実践したらあなたのガンは治ると言っているのではない、仮説を検出したというだけ」「願っているのは研究者たちの手でこれを検証すること」「黙殺からは何も得られない。真摯に研究していけば、少なくとも人間の自然治癒力について何らかの知見を得ることができるでしょう」と述べ、患者や家族が治癒した人々の体験談から勇気を得てほしいという強い思いを語っている。
彼女のベースにある、大学院で学んだ研究方法について、初回の授業で教授が言った言葉は、私たちの運動や理論にとっても大いに教訓となる教えだ。「仮説から逸脱した事例に遭遇したとき、研究者にはそれを吟味する科学的責務がある。その逸脱事例からとるべき道は二つ。一つ目はなぜ仮説に合わない事例が生じたのかを公に説明すること。二つ目は、その事例を説明できる新しい仮説を考えだすこと」。「要するに仮説に合わない事例は無視してよい、という選択肢は存在しないのです」。(つづく)

新たな市民運動へ討論
市民デモHYOGO 新春交流会

1月19日、こわすな憲法!いのちとくらし! 市民デモHYOGO(44団体)は、恒例となった新春交流会を開いた。参加団体の運動経験の交流と、各種課題などを話し合う交流会で、毎回参加者が増え今回は67人。さよなら原発神戸アクションの小橋さんが司会。経過報告を事務局・中村さんがおこない、羽柴修弁護士(弁護士9条の会)と、連帯兵庫みなせんの松本誠代表、市民運動から神戸市議になった高橋秀典さんから、それぞれ課題への提言を受けた(写真)
その後、憲法、沖縄、原発、貧困の4テーマ、それぞれ15人〜20人に別れ分科会を開いた。憲法分科会は、片岡さん(芦屋9条の会)のレポートを中心に、安倍政権の憲法改悪をめぐる動向、これからの運動の課題を討論。沖縄は、毎年3回はチームで辺野古海上行動に参加する小野さんを座長に、現地の動向と兵庫の運動に何が必要かを討論。6月神戸市議会への決議採択運動を確認した。原発では、昨年末のリレーデモの中心を担った高橋精巧さんを座長に、姫路〜神戸〜尼崎のデモ参加者の感想・意見、福島避難者支援運動・保養キャンプ、放射線の危険性との取り組み報告など。反貧困分科会では、関西合同労組の石田さんを座長に、生協関係者が主催した12月の湯浅誠講演会の感想・総括、神戸市の「敬老パス・福祉パス」改悪に反対する署名運動、子どもの貧困と「子ども食堂」の役割などを討論した。
休憩をはさみ4分科会の報告の後、「新しい市民運動の展望」について畑中さん(安保法制に反対する市民の集い)と、長年生協運動をおこなってきた寺嶋さんから、韓国「参与連帯」に学ぶ市民運動のローカルセンターの考え方、「いのちとくらし」分野の運動を強めることが訴えられた。市民運動がそれぞれの課題で頑張るとともに、大きな力にするには課題を持ちよるプラットホームが必要で、人々の暮らしに寄り添った課題を地域で取り組む必要が語られた。質疑応答も活発な討論となり時間不足。最後に参加していた衆議院予定候補も含め5人が意見表明。西信夫さんがまとめ、3時間半の交流会を終えた。 その後、JR元町駅前に移動し、駅前を通る人々に「自衛隊員を戦地に送るな!」「モリ・カケ、桜の安倍政権の退陣」「辺野古新基地に反対」などを訴えた。(耕)