安倍退陣へ 全国からうねり
公選法違反の桜を見る会” おごる政権に断を
安倍改憲発議阻止 辺野古新基地建設やめろ国会正門前に1万人が集まって声をあげた(11月3日) |
もうこんな政権は終わりにしよう。菅原経産相、河井法相など重要閣僚の相次ぐ辞任。民間英語試験導入をめぐる業者との癒着。そして「桜を見る会」に安倍晋三後援会850人を招待していた首相自身による公選法違反の犯罪。今度こそ民衆の力で安倍を退陣に追い込もう。11月3日には各地で憲法集会が開かれ、おごる政権へ怒りの声が上がった。
11月3日、午後2時から「安倍改憲発議阻止! 辺野古新基地建設やめろ! 東北アジアに平和と友好! 11・3憲法集会in国会正門前」が開かれ、1万人が集まった。
集会は、主催者挨拶に続いて社会民主党・日本共産党・立憲民主党の国会議員が連帯のあいさつ。
次に、韓国からの代表団が発言。安倍糾弾市民行動のパク・ソグンさんは「韓国大法院の判決に日本政府は日韓条約に違反したと報復措置を取った。アメリカの強要で無理矢理結ばされた日韓協定はすでに死に体となっている。私たちは、新たな日韓関係を作っていかなければならない」「安倍政権は今からでも韓国大法院判決を尊重し、民衆の願う新たな日韓関係のために姿勢を変えるべきだ」「GSOMIAは日韓軍事同盟の出発点となる」「日韓市民の連帯で安倍退陣、平和憲法を守ろう」と力強く訴えた。
東アジア平和会議のイ・ブヨンさんは「日本の安倍政権が狙っているように、平和憲法が廃棄されてしまえば、北朝鮮の核危機とともに東アジアの戦争の危機になるのは火を見るより明らかだ」「朝鮮半島の非核化と日本の平和憲法を守ることは、東アジアと世界の平和を守る偉大な運動だ」「私は、皆さんの運動に対する韓国市民の全面的な支持と連帯の意を伝えたいと思う」と発言した。
歌と演奏をはさんで、作家の北原みのりさん、3・1朝鮮独立運動100周年キャンペーンの矢野秀喜さん、辺野古新基地を作らせないオール沖縄会議の山本隆司さん、安保法制違憲訴訟弁護団の杉浦ひとみさん、安全保障関連法に反対する学者の会・千葉真さん、日本労働弁護団の今泉義竜さんが連帯のアピール。高田健さんが行動提起をおこない、国会に向けて怒りのコールで集会を終了した。
朝鮮幼稚園外しやめろ
差別に抗議 5500人
東京 11月2日
パレードでは子供連れの参加者が目立った(11月2日 都内) |
10月から幼稚園教育・保育の無償化が実施されたが、朝鮮幼稚園や外国人学校付属幼稚園は排除された。2010年から始まった高校無償化から朝鮮高校が排除された件については裁判が続いているが、これに続く差別政策であると抗議・弾劾する「朝鮮幼稚園外しにNO! すべての幼児に教育・保育の権利を! 11・2全国集会&パレード」が11月2日、東京・日比谷野外音楽堂で開かれ5500人が参加。
各発言者からこの制度のさまざまな問題性が暴露され、差別的な運用が批判された。そもそもこれまでの保育料は所得により決まっていた。富裕層は最大約120万円・非課税世帯は無料。これが一律無料になった。あからさまな金持ち優遇政策だ。財源は消費税とのことだが、そうなら無償化適用除外はまさにやらずぼったくり=B認可外保育園やベビーシッターまで適用されるのに一部幼稚園を排除する非論理性。無償化の対象となる300万人のうち除外されるのは千数百人。露骨な朝鮮敵視・差別政策を許してはならない。
9条を守ろう、各地で集会
日韓市民の力で冷戦終結”へ
11月3日
「NO!安倍政治」「9条改憲ストップ!」のメッセージが一斉にかかげられた(11月3日 大阪市内) |
【大阪】3日、大阪市北区の扇町公園で、輝け憲法! いかそう9条! 11・3おおさか総がかり集会が開かれた。参加者は1万2000人。主催は、おおさか総がかり行動実行委員会。
オープニングはMIC SUN LIFE(マイク・サン・ライフ)のラップで盛り上がった。生きづらさを乗り越えていこうというメッセージが会場に響きわたった。
主催者あいさつは、戦争をさせない1000人委員会の米田彰男さん。つづいて、立憲民主党辻元清美衆院議員、日本共産党清水ただし衆院議員、社民党服部良一元衆院議員が登壇してあいさつした。
講演は京都大学教授で〈立憲デモクラシーの会〉呼びかけ人の高山佳奈子さん。高山さんは参院選で改憲勢力3分の2を阻止したことを評価し、1人区で自民党は次々落選し野党の大勝利だったが、複数区では票が割れた。共闘すれば改善の余地がある。投票率がもっと伸びれば立憲勢力はもっと伸びるはずで、若い人に立憲勢力に投票するよう呼びかけようとアピールした。
韓国から韓国市民社会団体連帯会議事務局長の李承勲さんが登壇。この会議は韓国の340余りの団体で構成。発言では「韓国と日本は平和な関係を築かなければならない。安倍政権は昨年の徴用工裁判での韓国最高裁判決を無視し再び歴史を過去に引き戻そうとしている。韓国と日本の市民の力で冷戦体制を終わらせよう」と訴えた。続いて大阪朝鮮高級学校の生徒たちが高校無償化と幼保無償化からの除外とのたたかいを訴えた。沖縄平和運動センターの山城博治さんは特別スピーチで11、12月に大浦湾の海底工事の大幅な変更申請がおこなわれることや、宮古、石垣など沖縄の先島が自衛隊の基地に作り変えられようとしている現状を訴えた。そしてこれらとたたかう沖縄との共闘をよびかけた。
集会ではこのほか、おーまきちまきさんや中川五郎さんが反戦の思いを込めた歌と演奏を披露した。
【京都】2日、京都市内の円山野外音楽堂で「生かそう憲法 守ろう9条 11・2憲法集会・イン・京都」が開かれ、1700人が参加した。集会では松元ヒロさんがソロライブで、安倍政治を徹底的に批判するパフォーマンスを披露した。続いて、憲法9条京都の会世話人・小笠原伸児弁護士の講演。改憲を阻止し安倍政権を打倒する方針を提起した。集会後、四条河原町を通り市役所前までデモ行進をした。
2面
姫路から関電本店へ94キロデモ
反原発訴え兵庫県を横断
JR長田駅近くの鉄人28号の前で (13日) |
福井県にある40年を超えた高浜・美浜の老朽原発稼働の危険性を訴える「老朽原発うごかすな! リレーデモ」が、福井や東海などの行動と連動して、11月2日から兵庫県でも始まった。12月8日、関電本店到着まで94キロを歩いてつなぐ。
姫路駅から出発
午前10時、JR姫路駅前には、全体統括の〈若狭の原発を考える会〉木原壯林さんや、地元姫路・加古川などの〈さよなら原発はりまアクション〉などから50人の仲間が集まった。出発集会では木原さんがこの行動の意義を訴え、地元の市会議員がアピール。この日は姫路を出発し国道2号線沿いに高砂市曽根までの10キロコース。国道と言っても独立した歩道もなく大型トラックが通る道も多いが、途中関電営業所前で抗議のシュプレヒコールを上げ、各所で手を振ってもらう激励を受けて、午後2時前に曽根駅に着いた。
翌3日は曽根駅からJR加古川駅前までの9キロ。ここでも多くの市民の激励を受け約40人が歩いた。
4日は、全行程最大の難関、「加古川駅から明石駅までの20キロ」を歩く。年配者が多い中で誰しも1日20キロも歩けるのかと心配したが、途中事故もなく走破。3日連続で40キロを歩くという「魔の3日間」であったが、日頃の地域の反原発・脱原発運動の蓄積の上に、各地の市会議員なども駆けつけてくれて、運動を点から線へとつなぐリレーデモとなった。
8月から兵庫県下の脱原発・反原発団体や市民デモHYOGOに参加の人たちが〈若狭の原発を考える会〉の人にも来てもらい実行委員会を作り計画をすすめた。最初は無謀な計画が、徐々に反響が広がり、地元団体がコースの事前調査をおこない、実行。老朽原発うごかすな! リレーデモ兵庫コースは、11月6日には神戸市内に入り、13日には長田を経てJR神戸駅に到着した。このあと毎週水曜日に10キロ程度を東に向かい、12月8日に関電本店前に到着する。
キックオフ集会
兵庫県内リレーデモの初日、11月2日の夕方から神戸市内でキックオフ集会が開かれ、80人が参加。姫路から曽根までを歩いた菅野逸雄さんが主催者あいさつ。木原壯林さんが講演。「老朽原発をこれから動かさないことが、原発をゼロにしていく道」と確認した。
質疑応答を通じて、若狭の現地住民の様子や、関電の原発マネー不正還流を告発する運動にも触れ、9・19東電経営陣無罪判決への怒りなどと一体となって原発ゼロをかちとろうと確認された。
集会には兵庫県議や神戸市議も参加し、リレーデモをともにたたかうことを表明した。アピールでは1日目を担ったさよなら原発はりまアクションをはじめ、今後参加の明石、神戸、芦屋、宝塚、尼崎の団体がそれぞれ決意表明。
兵庫県下の運動は12月8日の関電本店前までそれぞれ地域に責任を持ちながら全体で一つになり、老朽原発廃炉から全原発の廃炉へ運動を広げていく。(M)
狭山事件
今度こそ間違いなく無罪に
10月31日 石川一雄さんが訴え
10月31日、日比谷野外音楽堂で「狭山事件の再審を求める市民集会」がひらかれた。、
石川一雄さんの自宅から発見されたとする万年筆が、被害者のものではなく偽物であるとした下山第2鑑定が昨年8月、新証拠として提出された。それからすでに1年3カ月が経過している。検察は昨年末に反論反証をおこなうと明言しており、今年9月の三者協議を前にその提出が期待されたが、またも見送られた。検察の反論を待って再反論し、あわせて証拠調べ請求に踏み込むとしてきた弁護団およびわれわれの見通しは裏切られた形となった。
集会で、部落解放同盟中央本部副委員長の片岡明幸さんは次のように述べた。「できるだけ早く決着をつける。今の後藤眞理子裁判長の任期中(来年6月退官)に今後の見通しをつける。下山第2鑑定の事実調べを実現したい。しかし検察の反論引き伸ばしで行き詰まっている。鑑定人がいないのか、実験をやったが崩せないのか、退官まで引き延ばす作戦なのか。石川さんは被害者のものとされた万年筆で有罪になったが、この万年筆で無罪を勝ちとれると信じています。そのために下山第2鑑定の事実調べをおこなわせることを最大の目標としてがんばっていきましょう」。
石川一雄さんは、「私は自分の信念を曲げずに今日まできましたけど、今度こそ間違いなく無罪に、あるいは新証拠が出て、それらを証人として呼んでいただけるものと思っております。そうすることによって、石川一雄の無実が明らかになるんじゃないかと思います。私自身も忍耐は限度だと思っておりましたけど、先ほどの(鈴木)宗男先生の話を聞いて、これからも忍耐強くたたかっていこうと決意をしたところです。毎年、歌を詠んできましたが、今回はこういう歌です。『確定の 差別判決 看過せず 皆の糾弾 心強かし』」と話した。石川一雄さんの声は、いつものように力強かった。
「反論する」と言いながら、反論を出さない。いつ出すとも言わない。そうすることで再審決定を引き延ばし、石川さんの命を削っていく。こんな卑劣な行為が許されるのか。
どうしたら裁判所をして事実調べをおこなわせる世論を形成できるのか。様々な議論が重ねられてきたが、王道はない。人から人へ、街から街へ、真実を伝えていくその行為を、いかに強大な権力といえども止めることはできない。
来年2月24日に大阪市内で開催される「第4回・狭山事件の再審を実現しよう市民のつどいin関西」(午後1時・エルシアター/HP:sayamakansai.com)を石川さんと多くの市民の出会いの場として成功させよう。この集会に向かって進められている関西キャラバンに合流しよう。検察の卑劣な反証引き延ばしを逆手にとって、狭山事件の事実調べ・再審を求める世論を、今この時に圧倒的に形成していこう。
極めて危険 新検査制度
老朽原発うごかすな
11月4日 舞鶴
講演する長沢啓行さん(11月4日 舞鶴市内) |
11月4日、京都府舞鶴市で「老朽原発うごかすな! キャンペーン京都北部集会in舞鶴」が同集会実行委員会主催で開かれ、80人が参加した。
冒頭、主催者あいさつに立った〈原発うごかすな! 実行委員会@関西・福井〉木原壯林さんが、老朽原発うごかすな! キャンペーン&リレーデモの成功を熱烈に訴えた。
長沢啓行さん(若狭ネット資料室長・大阪府立大学名誉教授)が「なぜ老朽原発をうごかしてはならないのか?!」と題して講演。2020年4月に施行されようとしている新検査制度について、詳しく説明した。新検査制度は、事業者(電力会社)が点検し、国(規制委員会)は報告を受けるだけであり、仮にひび割れが発見されても、事業者が次の点検まで大丈夫と判断すれば最大24カ月運転できることになる。電力会社に安全確保の一義的責任を課し、フリーハンドを与えることになる。40年超え延長運転のための「特別点検」は、この新検査制度の先取りであり、60年運転の健全性評価(亀裂・劣化があっても事業者が保全方針を策定し、補修、取替え工事計画を策定すればよい)というとんでもない基準で認可されており、重大事故を引き起こす危険性が極めて高く、特に高浜原発1、2号機は最も危険性の高い原発であると強調した。
京都府北部の、舞鶴、宮津、綾部の住民団体が、それぞれの地元での取り組みの報告をおこない、福井県高浜町の町議会議員・渡辺孝さんは高浜町を含む若狭一帯の状況を報告した。
閉会のあいさつで中嶌哲演さん(福井県小浜市・明通寺住職)が登壇し、老朽原発をうごかしてはならないと訴えた。集会後、JR西舞鶴駅まで、「老朽原発うごかすな!」を訴えて元気よくデモ行進した。老朽原発=高浜1、2号、美浜3号の再稼動をわれわれの力で止めよう。(仰木)
京都から米軍基地の撤去を
いらんちゃフェスタ in丹後
11月10日
11月10日、関西で唯一の米軍基地(Xバンドレーダー基地)がある京都府京丹後市内で「米軍基地いらんちゃフェスタin 丹後2019」がひらかれた。会場となった丹後文化会館には、秋晴れのなか700人が集まった。
本集会に先立ち、米軍基地ゲート前に、近畿連絡会を中心に200人が集まり、抗議行動をおこなった。
午後1時過ぎから始まった本集会では、〈米軍基地建設を憂う宇川有志の会〉事務局長の永井友昭さんが現地状況を説明。二期工事開始以降の米軍と防衛省による嘘と約束破りにたいする怒りを表明。地元の京丹後市当局が京都府よりも後退した対応をしていることに、来年4月の市長選・市議選で対応しようと訴え、さらに安倍政権を倒し日米地位協定を改定させようと強調した。集会後、京丹後市内をデモ行進した(写真)。
3面
営農破壊・空港強化と対決
11月9日 市東さんの会がシンポ
質問に答える市東孝雄さんと小川浩さん(11月9日 東京) |
11月9日、都内で、〈市東さんの農地取り上げに反対する会〉恒例のシンポジウムが開催された。
9月24日、市東孝雄さんの農地強制収用を止めさせるための請求異議裁判・控訴審が始まった。またその日を前後する9月〜10月には、台風や豪雨により千葉県下は大きな被害を受け、三里塚芝山連合空港反対同盟が10月13日に予定した全国集会もやむなく中止となった。気候変動、人口の都心への極度の集中と農村の疲弊・衰退など、「自然災害」では済まされない多くの政治的・社会的問題を突きだされることとなった。そんな中で当シンポは、市東さんの農地取り上げ問題、農業問題を基底にすえて多角的に検証するとともに、市東さんのたたかいの重要性を再確認する集いとなった。
シンポの冒頭、市東さんの会・共同代表を務める坂本進一郎さんからのメッセージが読み上げられた。坂本さんは「軽農」思想の蔓延に警鐘を鳴らし、市東さんが頑張ることは軽農思想がぶっ飛ぶことであり、守るべきは守らねばならないと檄を発した。
基調報告に立った小川正治さんは、請求異議裁判を中心にする闘いの現状報告と今後の活動の要点を提起した。何よりも来年1月16日の請求異議裁判・控訴審第2回期日への傍聴参加、そしてNAA東京事務所のある霞が関一帯での活動や、市東さんのたたかいを広く知らせる活動の強化、三里塚現地調査や交流、裁判闘争を支えるための財政強化などを訴えた。
続いて市東さんが登壇。会事務局の林伸子さんとの対談形式で「土との対話、日々の営み 〜農民が土地を失えば陸に上がった魚」と題して話した。合わせて台風被害の状況も含めた現地の状況が上映された。無農薬・有機の農業にかける思い、父親の東市さんからの農業・農地の継承、生産者・消費者との家族的な一体的関係、誠意のカケラもない公団・空港会社の対応などなど。
当初予定された石原健二さん(農業経済学者)が体調不良のため、代わって千葉県内のコメ農家である小川浩さんが、農家の置かれた厳しい現状を報告した。さらに沖縄からの特別報告として安次富浩さんが、辺野古の米軍新基地建設阻止闘争の報告をおこなった。
反対同盟顧問弁護団の遠藤憲一弁護士が「制度改革のもとでの司法反動と三里塚農地裁判の位置・重要性」と題して講演した。遠藤弁護士は、「司法の反動化」の歴史的経過をたどるとともに、しかし三権分立と言われながら、司法は支配階級の意思を貫徹するための権力機関であり続け、判決は科学的判断を拒否した価値判断をおこなっていること、そしてそれを可能としているのが最高裁による人事・裁判統制と裁判官のヒラメ化と断じた。そして三里塚裁判は日々この司法権力・資本の意思を打ち砕く闘いとして貫徹していると訴えた。
弁護団から続いて、葉山岳夫弁護団長、大口昭彦弁護士からも報告と決意が表明された。
最後に、1・16請求異議裁判への結集を確認してシンポジウムを終えた。
空港機能強化実施へ
10月27日より成田空港の機能強化が実施に移され、開港から42年間続いてきた午後時までの夜間飛行制限が解除され、0時までに延長された(A滑走路のみ)。さらに11月7日、NAA(成田空港会社)は、暫定B滑走路の北延伸(2500m→3500m化)、第3滑走路新設(3500m)の許可申請を、国土交通省におこなった。
住民無視の空港機能強化が全面的に始まった。多くの周辺地域住民、農民が反対の意思を表明している中での強行である。市東さんの農地を守る闘いを突破口に、反対同盟、地域住民と力を合わせ「営農破壊、生活破壊」の空港機能強化を阻止しよう。(野里 豊)
よりよい社会へ人を育む
前川喜平さん講演会 丹波で400人『
講演する前川喜平さん |
前川喜平さんの講演会が兵庫県丹波市で開かれた(10月25日、丹波の森公苑ホール/写真)。主催は集会実行委で約400人が参加、熱気に溢れた。講演会には、ひょうご夜間中学をひろげる会、丹波・篠山自主夜間中学が協賛し、地元の丹波新聞、神戸新聞、朝日新聞(神戸総局)、毎日新聞(神戸支局)が後援。
丹波地域の集会は、2017年に木村草太さん、18年の望月衣塑子さん講演会に続く3回目。実行委員会は前川さんの知名度に頼ることなく、懸命に宣伝した。丹波市教委にも後援を要請したが、市教委は「拒否」を通知してきた。この問題は、11月に入ってもたたかいが続いている。
講演90分という企画だったが予定時間を遙かにオーバー、質疑の時間がほとんどとれなかった。前川さんは、教育とは「今の世代の人々が、次世代の人々の生活と社会をより豊かに形成していけるように、人々を育んでいくこと」という基本理念に立ち、「それを支え保障していくことが国の役割」と、様々な角度から分かりやすく説明した。「現行憲法・教基法の、個人の人格形成、知徳の涵養、助け合いの心を育む教育は、国家主義教育とは相容れない」とし、修身・教育勅語の復活をもくろみ、「国の為の人づくり」という安倍政権の道徳教育教科化を根底から批判した。貧富の格差の拡大、「今だけ、金だけ、自分だけ」という新自由主義の風潮が蔓延し、ホームレスの人を避難所から追い返す社会とは、およそ人がまともに暮らせる社会ではない。前川さんの噛んで含めるような講演は、私たちの運動に豊かな内容を提起してくれた。
市教委との話し合い
後援要請を拒否した丹波市教委との話し合いは、実行委員会有志としておこなうことになった。7月から10月、4回に亘る話し合いで「講師や内容は問題ない」と市教委は認めた。しかし、実行委員会の構成団体の中に「9条を守る会」と「憲法を生かす会」が入っており、「同団体は特定政党支持の活動」「政治活動の恐れ」があり、市教委が後援すれば政治的中立性を損なうと言う。この判断は市教委の「後援等名義使用許可に関する要綱」に照らしておこなったと主張した。しかし私たちが「両団体が特定政党支持の活動をしているというなら、その根拠を示せ」と迫ると、結局何一つ根拠を示せず、「市教委の主観的判断」と、開き直りともとれる回答を最後の4回目に出してきた。6月の書面による正式拒否理由を4回目の話し合いの席上で突如変え、上記要綱の別の項目「その他適当でないもの」を加えた「総合的判断」とした。
市教委の本音は、政権にたて突く前川さんの講演会を後援すれば、どこから文句を言われるか分からないと恐れたのであろう。その拒否理由は完全に破綻し、まともに検討したとは思われない惨憺たるものだった。山間の一地方都市での出来事とはいえ、そのような形で広がる忖度の波を放置すれば、安倍政権の延命に手を貸すことになりかねない。(丹波地域通信員)
「調査・研究」でホルムズ海峡へ派兵
元自衛官 井筒孝雄さん 「自衛官のことも考えて」
11月9日、「第22回奈良からつながる市民の集い」が奈良文化会館でおこなわれた。井筒高雄さん(元自衛官、ベテランズ・フォー・ピース・ジャパン代表)が講演した。井筒さんは「政府は自衛隊員のことは何も考えず、ただ海外で戦争をしたいと考えている。反対する側もたんに戦争反対を叫ぶだけではなく、自衛官のことも考えて安倍政権に対抗していく必要がある」と述べた。以下、講演要旨。
現場無視の派遣
6月13日、日本の海運会社が運航するタンカーが偶然に攻撃された。7月17日、米国務省はホルムズ海峡など中東海域を航行する船舶の安全確保のために、多国籍の「有志連合」を結成する方針を明らかにした。現在、7カ国しか参加表明をしていない。10月18日、日本政府は「調査・研究」のためと称して、アラビア半島南東部海域に単独で派遣する方針を打ち出した。
この法的根拠は、自衛隊法ではなく、防衛省設置法の第4条18項「所掌事務の遂行に必要な調査及び研究を行なうこと」にある。これは国会承認の必要がなく、自衛隊を速やかに派遣できる。しかし、この法律は防衛省の組織や担当事務を定めたもので、このための定員や編成などを決めるために「調査・研究」をおこなうといっているのだ。現場を無視して、官邸は「派遣ありき」で動いている。国家安全保障会議(NSC)の数人だけで決めている。中東に行ったとしても、他国の船舶を護衛することもできない。攻撃されても、なにもできない。
政府は、必要に応じて「海上警備行動」(自衛隊法)に切り替えると言っている。これも国会の承認はいらない。しかし、こんなことをしたら、現場は混乱するだけだ。自衛隊員のことはなにも考えていない。こんな手法を許せば、自衛隊海外派遣は歯止めを失う。
殉職自衛官の補償
自衛官が殉職した場合、賞恤金(いわゆる弔慰金のこと)が支払われるようになっている。現在、国内の訓練では6000万円(最高限度額)、海外派兵では9000万円(最高限度額)となっている。安部首相は2015年に「殉職自衛官は1800人いる」と述べているが、02年までに賞恤金が支払われた自衛官は332人にすぎない。また、支払われていても名目の場合が多く、現実にはほとんど支払われていないのだ。
自衛官はみんな「防衛省職員団体生命保険」に入っている。これは任意保険だが、ほぼ強制されている。しかし「戦争、その他の変乱」では保険金は支払われない。防衛官僚が保険会社に天下りしており、彼らのために現場自衛隊員はこんな保険に加入させられているのだ。(津田保夫)
4面
請求権協定と8億ドル≠フゆくえ 最終回
請戸 耕市
日韓の政治家にリベート
5億ドルの名目は請求権資金だが、実態はひも付きODAだった。しかも、それを岸ら満州人脈による日韓協力委員会が取り仕切り、インフラ建設などを受注した日本企業に巨額の利益がもたらされ、しかも日本企業の水増し請求などで日韓の政治家にリベートが還流した。その不正の実態を、浦項製鉄所とソウル地下鉄の建設事業で見る。
浦項製鉄所とソウル地下鉄の計画は、ともに日韓協力委員会で話が進められた。そして、浦項製鉄所には有償・無償・請求権資金が、ソウル地下鉄には有償・請求権資金が投入された。
岸の片腕の矢次の言によれば、「極秘というか、忍者的方法でよきタイミングをとらえつつ話を進め、47年(1972)5月、日韓協常任委員会がソウルで開かれた際、うまいチャンスがあったので、私が政府首脳者に話を持ち込み、これがトントン拍子にまとまった」(『新国策』1979年6月15日号)「極秘」「忍者的方法」をもっておこなわれたことを以下に見る。
請求権資金による製鉄所建設
浦項総合製鉄は現在のポスコ。1968年に国営企業として設立、73年に操業開始。(00年に完全民営化、02年にポスコに社名変更)第1期工事の総額の約60%が外資。その外資の約87%が日本資本。請求権資金からは、無償3億ドルの10・3%、有償2億ドルの23・2%が投入された。無償3億ドルの10・3%というのは、単一の事業として最大。
請求権資金について、日本政府は当初から「賠償ではなく経済協力」と公言していた。とは言え、韓国政府は、国内に向けては名目上、「請求権に対する補償」という虚偽説明をしてきた。またその名目上、韓国政府の当初の決定では、無償資金は、農林水産の近代化へ投入し、有償資金は、中小企業の育成や道路港湾などの社会資本の整備に投入するとしていた。
ところが、その決定を反故にして製鉄所建設に投入された。
軍需産業の基盤
「重工業を育てる中心産業として、国防上の軍需産業を育てるために鉄鋼工業を優先的に開発するべきだ」(朴正煕大統領)
浦項製鉄所建設は、経済政策という範疇を超えて、反共軍事独裁国家の体制存亡をかけた国家プロジェクト。ベトナム撤退の流れの中で、アメリカの対韓軍事援助の打ち切りが決まっており、その危機を日韓連携による軍需産業の強化で突破する狙いがあった。その軍需産業強化の基盤が浦項製鉄所であった。
だから、韓国政府が最大の株主となり、社長の朴泰俊も朴正煕側近の元軍人。浦項製鉄所の建設は、軍事独裁政権の基盤の確立に多大な貢献をしている。
群がる日本企業
浦項製鉄所の設備の導入は、三井物産、三菱商事、伊藤忠商事、丸紅飯田、東洋綿花などの商社が主導し、八幡製鐵と富士製鐵、日本鋼管が技術を供与、そして、三菱重工業、三菱電気、富士電気、富士通、日立製作所などが製作した。
請求権資金が、大規模に投入される国家プロジェクトであり、日本企業に大きな利益をもたらすプロジェクトであった。しかも、日本の資本や技術を必要とする産業構造が形成され、日本の設備の恒常的な輸出先として大きなウエイトを占めていくことになった。さらに、50〜60年代、日本で大きな社会問題となり、日本で使えなくなった公害排出の設備を、韓国に押しつけるという意図もあった。
また、アメリカのベトナム撤退後をにらんで、アジアでの日本の勢力圏拡大を狙った国策でもあった。
その上、請求権資金から、日韓の政治家にリベートが流れた。受注競争の際、住友商事は、韓国政府から次のように要請されたという。「浦項の事業費から1割以上の金を作りだして、韓国政府に献金してほしい」(衆院決算員会議事録 77年5月19日)。水増し請求で裏金をねん出し政治資金にするという話だ。これを断った住友商事は三菱商事との受注競争で敗れることになるのだが。
社会の歪み
当初の決定を反故にしてまで、浦項製鉄所建設に請求権資金が投入されたわけだが、そのことが、「漢江の奇跡」という表面的な成功とは裏腹に、韓国の経済成長に大きな歪みをもたらした。農林水産業の近代化への資金が不足し、農業不振を招いた。また、海外依存の高い経済が構造化した。そして、社会全体の近代化は立ち遅れる結果となった。
さらに、軍事独裁政権が、莫大な資金を恣意的に運用することによって、政府と癒着した一部の企業に特別な融資がおこなわれ、市場を寡占する財閥が形成されて行った。朴正煕の娘・朴槿恵大統領を辞任に追い込んだ崔順実ゲート(16年)は、請求権資金をはじめとする日韓条約体制がもたらした社会の歪みそのものである。
ソウル地下鉄疑惑
1971年に着工したソウル地下鉄の車両は当時1台6300万円。同時期の東京の地下鉄は1台3500万円。1台当たり2800万円が水増しされていた。水増し分の総額53億円は日本と韓国の政治家で山分けしていた。 |
ソウル地下鉄1号線は、1971年に着工、74年に開通。日本の政府借款8千万ドルがあてられた。三菱商事、丸紅、日商岩井、三井物産の4商社と日立製作所、日本車両など車両メーカーなどが参加した。
このソウル地下鉄建設事業における不正な資金の流れについて、米国議会が調査し、日本の国会でも、次のような追及が行われた。
「ソウル地下鉄建設に関して三菱商事など日本連合4商社が米国に送金した250万ドルの一部である100万ドルが、韓国外換銀行東京支店に還流されたうえ、スイス・バンク・コーポレーションの日本人の口座に送金された」「さらに、日本に還流された130万ドルの一部である1億数千万円が、日本の首相経験者2名に支払われた」(衆議院・質問主意書79年6月30日)
リベートの捻出方法
日立製作所が製作した車両が、商社にわたされる段階で大幅な水増しがおこなわれた(下表)。
ソウル地下鉄の車両186台の総額は約118億円、1台あたり6300万円。ところが、同時期に東京の地下鉄に納品した同種の車両は、1台あたり3500万円。こうして総額53億円の資金が水増しされたことになる。その水増し分は、日韓の政治家に還流し、折半された。
韓国側では、大統領選と国会議員選挙の選挙資金となった。71年の大統領選では、朴正煕がその政敵・金大中と争い、大規模な不正選挙によって、朴正煕が僅差で勝利している。この資金の流れに関わった韓国の高官の言葉が次にように記録されている。
「資金協力が日本から得られなかったら、私の政治生命はおろか身の安全も脅かされます」(天木直人『さらば外務省』)
日本側については、上述のように少なくとも、「日本の首相経験者2名に支払われた」わけだが、それを捜査した警察庁幹部の言葉が次のように記録されている。
「東京の韓国外国為替銀行の書類を調査したら、ある期間の記録がすっぽり抜けていることを発見した。その理由を質そうとしたら韓国外換銀行の幹部が、『これ以上調査をすると、自民党政権が潰れるようなことになるかもしれませんよ』と脅迫まがいの対応をしてきた」(同上)
警察の捜査も国会の追及もうやむやのまま、巨大な不正がいまなお隠されているのだ。
ウソと不正暴く言論戦を
4回シリーズで日本政府のいう「完全かつ最終的な解決」の巨大なウソと不正の実態を見てきた。
恐らく、日韓条約・請求権協定にかかわる常識的な認識を一変する事実があったと思う。というのも、ここには、日韓両政府によって長らく隠蔽されてきた新事実があるからだ。日韓の運動の力と研究者の努力によって、条約・協定に関わる外交文書の公開(韓国05年、日本08年以降)が大きく前進し、例えば、強制動員被害の補償が8552人に限られ、94%が経済開発に投入された事実が新たに「発見」され、韓国で大きな問題になり、裁判闘争においても重要な役割を果し、そして、廬武鉉政権をして、朴正煕政権当時の施策の見直しに踏み切らせた。18年大法院判決もそういう流れの中でかちとられた。
日韓対立の根本
65年日韓条約体制とは、まさに、巨大なウソと不正を抱え、それを隠蔽する体制だった。そして、以降の韓国の歴史は、そのウソと不正を隠ぺいする軍事独裁とのたたかいの歴史であった。長く過酷な民主化闘争があり、それは現在も、「積弊清算」として継続している。「積弊」とは、植民地支配から日韓体制に連なる支配・特権・腐敗の構造とその闇である。「積弊清算」とは、そういうウソと不正を暴き、突き崩していくたたかいである。朴正煕の娘・朴槿恵の打倒はその一里塚である。
他方、日本の戦後発展、アジア再勢力圏化の橋頭保として65年日韓体制が存在した。岸から安倍晋三に連なる系譜は、植民地支配と戦争の歴史を戦前から戦後へと牢固として継続するものである。しかし、牢固に見えていた日韓体制のウソと不正が、韓国側からのたたかいによって暴かれ、突き崩されつつある。
現下の日韓対立の根拠もある。韓国側からのウソと不正の暴露にたいして、日本政府がそのウソと不正の日韓体制を必死に護持しようとしている。〈植民地支配は正当・合法だった〉と嘯き、植民地支配の被害告発と賠償請求を徹底的に封殺、その上に、請求権を語って引き出したお金で、大企業が大儲け、政治家たちが私腹を肥やしてきたという事実。日本政府が繰り返す、「完全かつ最終的な解決」「国と国との約束」とは、そういうウソと不正の体制を護持し、隠ぺいするというものでしかなかった。
負の歴史をこえて
いまこそ、日韓の双方から、日韓体制のウソと不正を暴き、突き崩そう。65年の条約締結当時、日韓で大きな反対運動が起きたが、しかし日韓の連帯にはならなかった。韓国の反対運動が、日本の植民地支配を問題にしたのに、日本の反対運動は、植民地支配にたいする反省を欠落させていたからだった。いまこそ、この負の歴史を乗りこえるときだ。
巷間に溢れる嫌韓的な議論は、日韓体制が隠蔽してきたウソと不正の事実を認識しないままでなされている。事実を暴く言論戦が必要である。それは、戦前・戦後を貫く日本の〈国体〉の解体を迫り、南北分断体制と東アジアの軍事態勢の打破に至るようなたたかいである。それはまだごく限られた範囲にしか届いていない。巷間の議論を180度塗り替える言論戦を展開することが、日本の運動の責務である。それこそが、被害当事者の訴えに向き合い、日韓民衆が真に連帯する道である。(おわり)
5面
関生弾圧 共謀罪慣らし°魔ウない
学習会や集会を連続開催 兵庫
「労働組合つぶしを許さない兵庫集会」が10月23日、神戸市内で開かれた。ひょうごユニオンの各労組や全港湾神戸支部ほか、関西合同労組兵庫支部や市民運動の仲間120人が参加した(写真)。
岩佐卓也・神戸大学准教授、森博行・弁護士、関生支部・坂田冬樹副委員長から訴えがあり、質疑応答で「関生弾圧の内容、なぜ今大弾圧なのか」など分かりやすい解説があった。
岩佐さんは、生コン業界と関生の闘いの歴史に触れ、「協同組合と労働組合の共闘の中から、ゼネコンとセメントメーカーの挟み撃ちの収奪、1立米1万円から1万5千円、2万円へ上げさせ、労働者の生活を守る賃金を保障するだけでなく、低価格競争をストップさせ生コンの品質悪化を防ぐことにもつながった」こと。「広域協が目先の利益欲しさに、関生労組を排除してきたこと」を明らかにした。これは長期的に見れば、「協同組合と労組の団結を破壊分断し、結局再び低価格競争・品質悪化とゼネコン・セメントメーカーの収奪に叩き込まれる」と断罪した。
弾圧裁判の弁護団である森弁護士は、各事件の酷いでっちあげ内容を具体的に明らかにした。加茂生コンでは、実質月20日働いている日々雇用(手帳を持っている)の労働者が組合に入り、全く当然の要求である正社員化を要求したら「強要未遂」。保育所に提出する就労証明書を会社は過去4回も出しているのに、組合に入ったら拒否され、その要求行為が「強要未遂」。「こんなんで無罪かちとれなかったら、絶対あかん!」と声をあらげた。
坂田副委員長は、「阪神淡路大震災で阪神高速やビルなどコンクリート建造物の手抜き工事、処理不充分な海砂を使い(鉄筋が腐食する)、シャブコン(工事効率あげるため加水、強度が弱いコンクリート)によって倒壊し犠牲者が多く出た。そこからコンプライアンス活動を打ち出した」「大山崎インターチェンジでは業者・中央行政に申入れを行ない、工事をやり直させた」など、コンプライアンス活動の大切さを分かりやすく話した。坂田さんは、連合の幹部から「今時、ストやる組合ないでと言われた。こうやって働く者の権利が奪われていく!」と憤懣やるかたない様子だった。その一方で武委員長からは、頑固に「働いている人が権利を奪われたら、会社に電撃的反撃をやれ。目の前の労働者を救済できないのなら、組合辞めろ」と言われたと。
質疑討論の後、「あいちトリエンナーレの表現の自由・民主主義の破壊や、労働者の権利が剥奪される。安倍政権が元凶だ」と司会がまとめた。
10月19日に市民デモHYOGОがおこななった学習会(太田健義・弁護士)とともに、重要な集会となった。関生弾圧から1年、兵庫でも集会や学習会が連続し、労働者や市民が「弾圧を許してはならない! 共謀罪への慣らし≠させない」機運が高まりつつある。「11・16声をあげよう! 弾圧許すな! 全国集会」(大阪)を機に、反撃に転じよう。(石田勝啓)
憲法25条を守り、活かそう
宇都宮健児さんが講演
11月3日 滋 賀
11月3日、9条改憲を許さない滋賀県民集会が大津市内でひらかれ180人が参加した(写真)。主催は、安倍9条改憲NO! 市民アクション滋賀。
宇都宮健児弁護士が講演。貧困格差の問題、嫌韓扇動の問題、皇位継承行事の利用問題等、安倍政権の問題を厳しく批判し、民主主義の足腰を鍛えることの重要性を訴えた。
宇都宮さんは日弁連として、日本の若者の死亡原因の一位が自殺で、18〜19才の選挙投票率は30%代であることに危機感を持ち、韓国、スウェーデン、デンマークを訪問した。若者に「民主主義は何か」と聞くと、日本では「多数決」と答えるが、韓国では「民衆が主人公」と答える。87年の民主革命を自分達でやった経験が大きい。
デンマークでは学校には学校運営委員会というのがあり、生徒代表、保護者代表、教師代表の3者で話し合って学校の方針を決める。校長は運営委員会には出られない。運営委員会で決まったことを実行するのが校長である。
スウェーデンでは一般的に社会に出たあと自分で考えて大学に行く。高等教育が無償で大学は無料だからそうなる。グレタ・トゥーンベリさんのように16才の高校生が相手がトランプだろうがプーチンだろうが平気で真正面から批判する。環境スト、金曜ストというのが当たり前になり小学生中学生を含め多くが参加している。小学生が参加するストに引率して参加していた教師に聞くと、これはよい社会勉強だと言っていた。
スウェーデンの若者の選挙投票率は80%代後半である。日本の若者の現状をスウェーデンの若者に話したら、びっくりして日本の若者と話をしたいと実際に16才と19才の若者が今年の日弁連の大会にやって来た。20代の日本の若者と話していたがどちらが年上か分からない。日本の若者は一本のレールがあり、そこから外れると絶望しかない。しかしスウェーデンの若者は自分の生き方は自分自身が決めるもので、それぞれ違い、それが当たり前である。彼らが日本に来るのも学校や社会が援助している。
護憲派こそ関生弾圧に反撃
熊沢誠さん 「産業民主主義の確立を」
講演する熊沢誠さん (9日 尼崎) |
11月9日尼崎市内で、「市民の力で社会を変えよう!連続市民講座」の企画として熊沢誠甲南大学名誉教授の「労働運動の現状飛躍のための提言」と題した講演会が開かれた。
主催者を代表して小柳久嗣さんがあいさつ。地域で民主主義をたたかい取る運動を8年してきたが、労働問題を取り上げるのは初めて。それほど労働運動や知識人・学者の発言が後退している。その中で、50年にわたり労使関係論を研究してきて、連帯ユニオン関西生コン支部(関生支部)への弾圧にも発言している熊沢誠さんを迎えての講座となった、と話した。
熊沢誠さんは「飛躍のための提言」などとてもできないと言いながら、1時間半にわたり、現在の労働運動の危機、への弾圧の意味するもの、そしてこれに反撃できない「護憲派」の危機と問題点を明らかにした。
初めに企業別労働運動の空洞化を、非正規社員差別の問題から解き明かした。そのうえで正社員の労働組合員も能力主義的選別で個人主義的に責任を負わされ、労働組合は団体交渉ではなく労使協議の泥沼にはまっていると指摘。そのため交渉決裂によるストライキが、欧米に比して極めて少ない。ピケにいたっては皆無である。
このような現状の中で、ストライキやピケなどまっとうな労働運動を実践している関生支部がいま、一組合としては類例のない弾圧を受けている事を指摘した。
関生支部こそは同一職種で働く産業別の労働組合として、企業別でなく産業別に労使交渉をおこない高水準の労働条件を作りだしてきた。この労働運動が、威力業務妨害や強要未遂で逮捕・投獄され、労働運動そのものが犯罪視されていくことの恐ろしさを訴えた。
この弾圧に反撃すべき時に、なぜか「護憲派」は鈍感。労組全国組織や「リベラルな市民運動」、共産党、立憲民主党はなお無関心である。ここに戦後民主主義が、職場の人権を基礎に産業民主主義を闘い取らず、街頭デモや春闘(賃金闘争)にたたかいをずらしていった結果が今日の労働運動の弱体化と、関生弾圧への反撃に鈍さとなっていると指摘した。そして最後に、憲法が大切ならば、関西全域の港湾で働くブルーカラーの運動の壊滅をねらうこの弾圧見過ごしてはならない。今こそ反撃しようと結んだ。
質疑応答では、コミュニティユニオン全国交流会で特別決議が上がった話や、なぜ関生への弾圧にマスコミの反応が悪いのかなどの意見や質問が出された。また『世界』がこの弾圧を取り上げ、100人を超す自治体議員声明をきっかけに朝日新聞も報道を始めたことがと参加した市会議員や県会議員が報告した。集会後の交流会では、都築徳昭尼崎市議から今日の講演を皮切りに、関生弾圧を許さない運動をつくろうとまとめた。
広がる関生弾圧への怒り
「静岡の会」結成に向け集会
11月9日、静岡市で関生弾圧に抗議する集会が開催された。浜松市や三島市からの参加者も含めて60人近くが参加した。主催は県労組共闘会議・中部地区労・県ユニオンネット。
冒頭、コンプライアンス活動とそれに対する不当弾圧にかんするビデオが上映され、今回の弾圧劇の本質がよくわかったという声が聞かれた。
関生からは七牟礼副委員長と西島北大阪ブロック長から生々しい弾圧の報告があった。
県内で労働問題に最も熱心に取り組んでいる弁護士が、10月末に大阪へ行き関生弁護団の一人と意見交換してきたが、こちらから弁護士を送り込む必要があると発言した。平和センターの代表は12月14日に「関生弾圧を許さない静岡の会」を発足させるので賛同人を募るとアピールした。
なお会場では多くのカンパが参加者から寄せられた。
6面
アウシュヴィッツへのひとり旅 第1回
加害と被害の歴史を訪ねて
山路 道夫
私はこの夏、定年退職を迎えて、自分へのご褒美をと思い、かねてよりヨーロッパを訪ねてみたい気持ちもあったので決断した。イタリアやイギリスを候補としていたが、私などが一般の方々と同様に単に観光するのは憚れると思い、ナチスとユダヤ人を始めとする〈加害と被害〉の歴史に触れることが出来るドイツ・ポーランドを選んだ。
英語のスピーチができないのに、少し無謀かなと思ったが、9月初旬、ヘルシンキ経由でベルリンへ。乗換後の機内で、1時間強で到着のはずがなかなか到着しないので、乗る飛行機を間違ったのではないかと不安になり、乗務員に尋ねたところ到着は現地時間の午後10時というので、ますます焦った(ホテルを見つけるのが難しくなるので)。ところが、しばらくすると、機は徐々に降下し始めたので一安心。間違ってはいなかったのだ。
テーゲル空港でベルリン中央駅行きバスに乗る。若い男性運転手の「いい加減さ」というか「鷹揚さ」というかには驚いた。彼の「料金は要らないよ。バイバイ」には、つい笑ってしまった。言葉が通じないので、面倒だったのだろうか?
ベルリン中央駅(写真上)では、現地に住んでいるという日本人女性に声をかけて、切符の買い方と乗り方を教えてもらった。驚いたのはのは、改札口がなくて駅員さんも見当たらないこと。これをカルチャーショック、というのだろう。乗り継いで午後8時をまわった頃、やっとホテルの最寄り駅に到着。すぐさま、行き交う人にホテルの場所を誰かれなく教えてもらった。街路は薄暗くて、なかなか見つからないので野宿も頭に浮かんだ。意識を変えて目印になる場所を教えてもらうことができて、9時半過ぎてやっと見つけた。まさに、ミラクルのようなもの。
くたくたになって探し当てたホテルは、ドミトリー形式で、ドイツの高校生が大勢泊まっていた。部屋へ案内されたが、非常扉の外側に1部屋だけ孤立したようにあったので、不安になった(普通内側にしかないだろう)。部屋の内カギが壊れていたので、フロントに行こうとしたが、今度は非常扉が開かず、またもやドキリとした。部屋には、電話もなく翌朝まで孤立状態か、と緊張状態に見舞われた。別の階に行きなんとか抜け出した。フロントでも私の要望をなかなか理解してもらえなくて難儀した。
ホテル内はどこか胡散臭いガードマンが巡回していた。2人組の警察官も、拳銃と警棒を身に着けて巡回。
一息ついてやっと、あれやこれやでぬるくなったドイツビールを飲んで就寝。
翌朝は午前4時に目が覚める。あと1〜2時間は目を覚ましたくなかった。
最初に対応してくれたフロントの若い女性は好感が持てた。勤務を始めてまだ2日だという。容姿からすると移民系だろう。
朝のホテルの朝食は、前夜のことがあったので期待はしていなかったが、豪華なものはなかったのだが、意外とリーズナブルで満足できた。ホテル(ひと)は見かけによらない、のだ。
9月初旬のベルリンの朝の外気は肌寒かった。(つづく)
連載
命をみつめて見えてきたもの(上)
医療は進歩しているのか
有野 まるこ
はじめに
誰でも生きていればそれでいい、死にたくなる社会を変えよう!参院選挙での山本太郎氏の訴えは人々の心に刺さり、大きなエネルギーを動かした。結果は衝撃的だった。抜本的に障害者差別をなくす事業への挑戦を開始した舩後・木村両議員に心から感謝と激励を送りたい。
集会やデモに参加できなくなって10カ月が過ぎた。『未来』読者の中にも病や老い、障害などで日々、苦痛や不安を抱えながら日常生活を送るのが精一杯の方もおられると思う。あるいは「活動」に参加できなくなった自分を「敗者」と感じ自責の念を抱えている「昔の仲間」もいるかもしれない。
『未来』を読むと頑張っている方々の姿が浮かび、ひたすら頭が下がる。たたかいの息吹を感じ、知らない事を学べて励まされる。反面、一人何役でたたかいつづける皆さんへの申し訳なさ、「何もできない」自分を受容しがたい思いから、今も完全には抜けきれていない。
そんな私の心に、「何がやれるか」ではなく、誰もが「存在しているだけでいい」「生きてきてよかった」と実感できる社会を、という訴えは染み入る。病も障害、老いも死も《否定的》なことではなく、命の必然。「まるごと」でいのち。心の底から「まるごと」のいのちを素晴らしいと叫べるようになりたい。命をみつめて感じたこと、学んだことを少しでも共有できれば、という思いで紙面を割いて頂いた。内容はアチコチ飛ぶし、まとまった「論」もないが、興味を引くこと、参考になることあれば、しばしおつき合いを。
ガンは増え続ける
ガンが判明してから6年近くたつ。日本ではガンを最大限に大きく切り取る手術、毒殺する抗がん剤治療、焼き殺す放射線治療の三大療法が主な健康保険医療だ。日進月歩の先端医療には莫大な金が投じられているが、ガンは増え続ける。2人に1人がガンになると言われ、ガンで死ぬ人は年間38万人。高齢化が進んでいるからというが、否だ。国立がんセンターが発表している年齢調整死亡率(年齢構成を調整した死亡率)によると、1960年代と2010年代と比較して10万人あたりの死亡数はほとんど変わっていないという。これで本当に医療が進歩しているって言えるのか?
厚労省は2020年の保険外も含めたがん治療・介護費用の総額を6兆6千億円と試算している。今日、多くのガンは生活習慣や心身への強いストレスに起因していると認識され始めている。どこにも逃げ場がないストレス社会、環境汚染・地球破壊によって病気にされ、保険料と医療費を目一杯ふんだくられ、巨額のマネーが医療を「成長戦略」とする強欲な連中の懐に入っていくのかって考えるとなんとも腹立たしい。(つづく)
(本の紹介)
『国家機密と良心』
(ダニエル・エルズバーグ/岩波ブックレット)
エドワード・スノーデンが「ダニエル・エルズバーグがいなかったなら、自分の存在はなかった」と話し、そのエルズバーグは「ランディ・ケーラー(徴兵拒否・平和運動家)との出会いが、私の人生を変えた」と語る。
エルズバーグは1971年、命がけでペンタゴン・ペーパーズ(米国防総省秘密報告書)を内部告発し、ベトナム戦争の真の目的と実態を暴いた。ジョンソン大統領の2期出馬を阻み、ニクソンをウォーターゲート事件に追い込み失脚させた。75年、ベトナム戦争は小国ベトナムが世界最強のアメリカ帝国主義に打ち勝って終わった。彼は国防機密漏洩罪により告発、起訴され計115年を求刑されるが、公訴棄却を受けた。スピルバーグ監督が映画化している。
このブックレットは、2016年3月のインタビュー記録である。彼は、マクナマラ国防長官の顧問に就任、核兵器の運用と制御の研究に携わる。そこで、アメリカの国防総省が対ソ核戦争の想定死者数を6億人と想定していることに驚愕し、起ち上がる。ドラマチックな紆余曲折が、自身の言葉で語られる…。
@「核の冬」という現象。1億5千万トンの核爆弾で炎上する都市からの煤煙が、核爆発の旋風で成層圏まで巻き上げられると地球全体を覆い尽くし、太陽の光を遮断。湖沼や河川が凍結し、農作物・植物が壊滅する。
A東京空襲で一夜にして8万人以上の死者が出たのは、「火災旋風」により(熱せられた大気の上昇気流が、地表を真空状態にし、防空壕に非難した人も窒息死)、周辺のあらゆるものが強風に巻き込まれ、路上が溶け炎を上げるアスファルトに足をとられ、人々自身が火柱と化した。都市への空爆は、日本軍の(九州の基地から)上海渡洋爆撃が最初である。これを手本にドイツはゲルニカやロンドンを、アメリカはドイツや東京空襲を敢行した。だからアメリカは、東京裁判で日本の上海空爆の罪を問うことができなかった。
B技術の発展は、人間の社会的・歴史的進歩の分野においては、より広範囲により速く進む「文化的遅滞」現象をともなう。技術への社会的適合が、立ち遅れる。
C第5福竜丸は水爆実験現場から150キロ離れていた。この水爆は、広島型の1000倍の破壊力だ。
1944年、エルズバーグは中学生だった。マンハッタン計画を知るよしもなかったが、授業で「ウラン235を応用する爆弾の可能性は悪いものか、善いものか、平和への力になるのか、破壊の力か」という短い作文テーマが出された。その翌年の8月6日、ほかならぬ「アメリカがそれを手にし、ある都市に使用した」と知った衝撃。ジョン・ハーシー『ヒロシマ』(1946年刊)は、発刊後すぐに読んだ。エルズバーグの思惟は、それらに遡る。
恥ずかしいが、初めて知ることも多い。圧巻はベトナム反戦運動が徐々に広がり、息子の徴兵拒否を知らされ、徴兵拒否が10万人を超える中、ランディ・ケーラーたちに励まされ決起するエルズバーグの変容だ。本書は、たたかう火の手が次々とバトンタッチされていく時代、人間がすばらしい自己変革を為し、社会変革の連綿たる炎が上がることを教えてくれる。
最後に、エルズバーグは日本の読者に秘密保護法への警告や憲法9条の世界的役割、意義を強調し、日本の官僚の中からもエドワード・スノーデンやチェルシー・マニング(米軍ヘリ、アパッチがイラク民間人を射撃、殺戮したVTRをウィキリークスで暴露)が出てくることを予言する。日本の憲法・反戦運動、たたかう仲間へ88歳の熱いメッセージである。(村)