天皇元首化めざす安倍政権
東京 式典反対デモで3人逮捕
10月22日におこなわれた天皇即位式典(「即位礼正殿の儀」)で、安倍首相は式典の最後に「万歳」を三唱し、まるで天皇が「元首」であるかのように演出した。政府はこの日を今年限りの「祝日」とし、人びとに「祝賀」を強制した。また55万人を対象に「恩赦」がおこなわれた。これらは明らかに憲法の「主権在民」の原則に違反するものだ。
”代替わりに異議あり”即位式典に反対して大阪市内をデモ行進(10月22日) |
10月22日、天皇即位式典にあわせて、これに反対する集会とデモが全国でおこなわれた。大阪では、「憲法違反の即位式・大嘗祭にNO! だ」(主催:天皇代替わりに異議あり! 関西連絡会)が、中央公会堂前の水上ステージでひらかれた。
政府は「天皇代替わり」式典関係費に160億円を出費して、新天皇を新たに押し出そうとしている。10月22日には、内外に天皇の存在と権威をアピールするため、「即位礼正殿の儀」が皇居でおこなわれた。ナルヒトは参列者よりも一段高い所に立ち、安倍首相は「万歳」を三唱した。政府はこの日を祝日にして、人びとを「祝賀」キャンペーンに動員しようとした。しかし、「日の丸」はほとんど見かけなかった。
文科省は今年4月22日に「通知」を出し、ここで「各学校においては国民こぞって祝意を表する意義について、児童生徒に理解させるようにすることが適当と思われます」と述べている。大阪市大正区の泉尾北小学校では、連休あけの5月8日に全校児童朝会をひらき、小田村校長は「新しい天皇が神武天皇から数えて126代になること」など、皇国史観を児童に講話していた。
また、「天皇代替わり」のなかで、さまざまな弾圧がおきている。北海道、九州で、即位式の事前弾圧であるでっちあげ事件がおきている。東京では、22日のデモで3人が不当逮捕された。また、全日建連帯労組関西地区生コン支部への弾圧は、労働運動にたいする弾圧だけでなく、国家にはむかう者(「反社会集団」)は許さないという治安維持法的な弾圧でもある。こういう情況のなかで、天皇制に疑問をもつ市民、約250人が関西各地から集会に参加した。
主催者あいさつでは、「今日、日本の政治情況はヘイト集団が権力をにぎり、再びアジア侵略をおこなおうとしている。このために天皇・天皇制キャンペーンを強めている。歴史的にも、天皇代替わり過程では、韓国併合がおこなわれ、幸徳秋水(大逆)事件がデッチあげられてきた。ヒロヒトは戦争を遂行した人物だ。戦後も、象徴天皇として生き残った。天皇制は人民の力で廃止する必要がある。ともにたたかおう」とアピール。その後、参加諸団体が報告。特別アピールとして、全日建関生支部弾圧を許さない「11・16全国集会」がよびかけられた。集会後、JR大阪駅付近までデモ行進をした。
危険がいっぱい、夢洲
津波、沈下、水質汚染
大阪万博予定地
大阪へのカジノ誘致に反対する市民集会「カジノあかん! 夢洲あぶない! ここで万博だいじょうぶ?」が10月22日、大阪市内で開催され、あふれんばかりの会場に800人以上が参加した。大阪では来年度中に府・市の議会で「カジノ設置計画」の議決が予定されており、3月には事業者も決定するといわれている。大阪は他の自治体にさきがけ、露払いをしようとしている。大きな山場を迎える今、市民の危機感から予想を上回る参加で盛り上がった。
集会では神戸大学名誉教授の田結庄良昭さんが、夢洲の危険性について講演した。夢洲に対する津波の想定について「大阪市は津波の高さ予想は5・1m、地盤は9・1mで4mの余裕があるとする。しかし護岸は6・5mで余裕は1・4mしかない。液状化で3m沈下する。津波は護岸を軽く越える」と行政の資料のでたらめさを指摘した。
液状化や重さで沈下する圧密沈下、周期数秒の長周期地震動、津波火災なども危惧される。夢洲がカジノ・万博の弱点であることが明らかにされた。
リレートークは多彩な顔ぶれで、防災やギャンブル依存症について、依存症の当該や医学生が問題を提起した。また大阪自然環境保全協会のメンバーは、夢洲が絶滅危惧種の鳥「コアジサシ」の生息地になっているなど、野鳥の楽園としての重要性などを訴えた。
全港湾関西地本委員長大野さんは「大阪の物流拠点を止めるな」と話した。『夢洲ってどんなとこ』という動画が上映され、ごみの処分地=1区から万博予定地=2区に流している水の汚染の実態が明らかにされた。この水は、大阪市が「触れるのにふさわしくない」と認めているしろものだ。集会後、パレードをおこない、カジノ反対を訴えた。
成功!5日間の連続大行動
辺野古新基地 台風が影響、進まない工事
工事車両の搬入に抗議して、キャンプ・シュワブゲート前でデモ(10月28日 名護市内) |
辺野古は止める
名護市辺野古のキャンプ・シュワブゲート前では、毎月第1土曜日に「県民大行動」がおこなわれている。10月5日の大行動には800人が参加した。集会ではオール沖縄会議の共同代表や県選出の国会議員、県議などが発言。
稲嶺進共同代表は「辺野古の新基地建設は仮に進んだとしても20年かかる。軟弱地盤の問題もあり、使えない代物になる」と話した。9月に共同代表になった照屋義実さんは「改めて辺野古を止めるために合流し、皆さんと共に頑張っていきたい」と決意を表明した。
7日にはシュワブゲート前で工事車両の搬入が再開された。海上でも「K8」「K9」護岸から土砂搬入の作業が進められた。
8日は安和と塩川桟橋より土砂搬出が再開。このところ、土日はゲート前から作業車両の搬入が無く、土日のゲート前行動を中止することを決定した。ただし、第1土曜日の「県民大行動」は引き続きおこなわれる。また、土曜日の海上では作業が確認されているため、海上行動は引き続きおこなわれる。浜の座り込みは休みなく年中無休でおこなわれる。
不当な決定に怒り
沖縄県が7月、県の「埋め立て承認撤回」を取り消した国土交通相の裁決取り消しを求めて、国を相手に提起した「国の関与取り消し訴訟」で福岡高裁那覇支部は10月23日、県の訴えを却下した。県は上告する方針だ。
判決では、埋め立て承認は「国の機関と一般私人とを区別することなく同様に扱うことが予定されている」として、国交相の裁決は違法でないと判断した。玉城知事は「憲法が保障する地方自治の本質や主張を全く取り上げていない。誠に残念としか言いようがない」と述べた。
安和桟橋の攻防
10月21日から始まった5日間連続大行動が成功裏に終わった。この間、安和桟橋での行動を中心にシュワブゲート前や海上の行動に連続決起した。連続大行動の期間中、沖縄県警の機動隊は天皇の「即位の礼」警備に動員されていたため、安和桟橋、ゲート前の警備に現れなかった。
安和桟橋では10トンダンプ数台が搬出に現れたが、警備の機動隊がいないため、市民の抗議の前に引き返した。
大行動期間中は安和桟橋からの搬出はなかった。ゲート前からの工事車両の搬入もなかった。
車両搬入が再開
10月28日、10日ぶりにキャンプ・シュワブゲート前から工事車両の搬入がおこなわれた。ゲート前では早朝から座り込みがおこなわれた。久しぶりの搬入阻止行動に全員が緊張をもって決起した。機動隊の排除にひるむことなく抗議の声を上げた。市民は車両搬入後のゲート前で「埋め立てやめろ」「美ら海守れ」とシュプレヒコールを上げながら何度もデモ行進した。
海上では、「K8」「K9」護岸から土砂が陸上げされた。
辺野古の埋め立て工事は、8月、9月、10月と台風の影響で遅々として進んでいない。これから本格的に工事が再開される。辺野古新基地建設阻止へ決起しよう。(杉山)
2面
一刻も早く政権打倒
反戦・反差別で共同行動
10月27日 京都
京都・八坂神社の石段下からデモ(10月27日) |
10月27日、「第13回反戦・反貧困・反差別共同行動in京都」〈変えよう! 日本と世界〉が京都市円山公園でおこなわれた。集会では、知花昌一さんと菅孝行さんが講演した。主催は同実行委員会。450人が参加。
知花昌一さんは「非国民の知花です」と自己紹介した後、次のように語った。
「今、沖縄・辺野古で新基地建設に反対するたたかいは、日本政府による構造的暴力にたいするたたかいだ。返還後47年間、沖縄は何も変わっていない。むしろ、より暴力が強化されている。司法、行政、立法、この3権が沖縄に襲いかかってきている。この攻撃に屈しない。沖縄で12月に10万人規模の集会を計画している。辺野古新基地建設に反対するたたかいは沖縄だけのたたかいではない。ともに新しい時代を創っていこう。」
菅孝行さんは安倍政権を全面的に批判した。そのうえで、次のように述べた。
「この野郎自大政権を一刻もはやくやめさせよう。民衆の力で、連続在任期間歴代1位だけは止めなければならない。安倍長期政権のもとで、人と人との関係が崩されてしまうと、たたかう側にあきらめが蔓延し、取り戻しがつかなくなる。歴史無視・現実無視の政権に始末をつけること、これがわれわれ民衆の課題だ。」
その後、全日建連帯労組・関西地区生コン支部から「権力の弾圧は、運動をやめろという攻撃だ。弾圧に屈することなくたたかう」と、アピールがあった。
また、集会では1960年代にコロンビア大学でストライキ闘争をおこなったマーク・ラッドさんが登壇。ラッドさんは、ニューメキシコ州では、「マンハッタン計画」で住民が被ばくし、大地が汚染されたことを語った。
集会後、京都市役所前までデモ行進した。
主権損ねる地位協定
参院議員 屋良朝博さんが訴え
10月20日 大阪
10月20日、大阪市内で「とめよう戦争への道 めざそうアジアの平和 2019関西の集い」がひらかれ720人が参加した。主催は、大阪平和人権センター他2団体。日米地位協定を見直し政権を変えて政治を私たちの手に取り戻そうというもの。講師は、参院議員の屋良朝博さんと東京新聞論説兼編集委員の半田滋さんの2人。
大阪市内をデモ行進(10月20日) |
地位協定見直しを
屋良朝博さんは「日米地位協定の抜本的見直しを」と題した講演で、日米地位協定が日本の主権を損ねているが、一方日本側もそれを行使しようとしていないと問題提起した。
1998年、米軍がイタリアのカバレーゼスキー場で事故を起こした。米戦闘機が低空飛行訓練をしていてスキー場のゴンドラのワイヤーをひっかけ、ゴンドラの乗客全員が谷底に落下し死亡した。このときイタリアは管理権を行使して捜査し、パイロットを証拠隠滅罪と殺人罪で提訴した。
最終的には裁判権は米国に移ったが、この事故のあとイタリアは危険な空域を廃止。最低高度を倍に引き上げ、イタリア軍の司令官が米軍に飛行許可を出すというふうに変え、安全教育を実施した。
一方、沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落したときはどうか? 日本側は捜査もできず、事故の内容を米国の報告書で知る。その後も普天間飛行場は何も変わらず、それどころかオスプレイが配備された。
屋良さんは「冷戦が終わったのにいつまでこの状態を続けるのか。地位協定を考え直すときだ」と話して講演を締めくくった。
安倍改憲のねらい
半田さんは「安保法制下の自衛隊 〜踏み越える専守防衛〜」という題で講演。
日本は米中対立に進んで巻き込まれる意志を示している。安倍改憲の狙いは、自衛隊を憲法に記すことで、違憲との批判が強い安全保障関連法を、改定された憲法によって合憲とする。次の段階では自衛隊を「軍隊」、つまり制限のないフルスペックの集団的自衛権の行使及び多国籍軍への参加に踏み切ることではないかと言う。
今や9条を守ればいいというレベルではない。9条を変えなくても自衛隊は戦争ができる。政権を変えて安倍が登場する前の日本にもどそう。
支えあう仲間、共闘、団結
コミュニティユニオン 姫路で全国交流集会
全国からユニオンの仲間たち530人が集まった(姫路市) |
10月5、6日、第31回コミュニティ・ユニオン全国交流会が姫路市で開かれた。メインスローガンは、「どこかで誰かが声をあげれば、みんなで駆けつける闘うネットワークを!」。ネットワークは1990年に結成され、全国の79ユニオンが参加し、約2万人の組合員を擁する。
全国交流会には530人が集まった。新役員体制を決め、事務局長から「来年度全国一律で千円に引き上げ1500円をめざす全国署名運動を行なう」など活動方針が提案され、採決した。韓国の非正規労働団体ネットワーク(「韓非ネ」)からは14人が参加、「韓国でも非正規・正規の格差が広がっており、問題解決には地域のネットワークが必要」と訴えた。
各地の争議団が報告。韓国の非正規雇用労働者の報告からは、困難を乗り越え全国規模で取り組まれていることがわかった。非常に熱気ある交流集会だった。
翌日は12テーマに分かれ、「労働組合への権力弾圧」「生活できる賃金を」「ロサンゼルスの労働運動と参加型ワークショップ」「外国人労働者と共につくるより良い環境」ほか多彩で充実していた。原則的なたたかいの報告や活発な討論がおこなわれ、大変勉強になった。労働運動はさまざまな争議や事案から、どれだけ学ぶかがたたかう主体の力となる。
私の参加した「組織運営」分科会では、「回転ドア」ともいわれる駆け込み寺ユニオン≠ゥら、組織拡大をめざす、さまざまな努力、苦闘の報告が参考になった。福岡の例では、組合員1人1万円の出資で1500万円を資金に就労支援センターを立ち上げ、精神保健福祉士の資格を持ちメンタルをケアし、労働者が職場に戻っているなどの先進的な報告に正直びっくりした。全国ネットワークの情報交換、相互支援のすばらしさ、必要性を本当に痛感した。
総括集会では、関西生コン支部への弾圧に対する抗議の特別決議が上がった。11月4日、関西合同労組は組合研修会を開き、この交流集会で学んだことを参加した執行委員から提起し、議論を進めた。全国の仲間に少しでも貢献できるたたかいにつなげていければと考える。(関西合同労組副委員長/石田勝啓)
【定点観測】(9月後半〜10月)
安倍政権の改憲動向
改憲論議の活性化ねらう
参院選挙で改憲勢力が3分の2議席を割った結果を受け、安倍晋三首相は、9月の内閣改造・党人事で、二階俊博幹事長と岸田文雄総務会長を留任させた。二階幹事長は10月18日に、全国に先駆け地元の和歌山県で1600人規模の改憲推進集会を開き、改憲が「国の発展につながる」かのごとき演説をおこなった。岸田総務会長は、憲法をテーマにした地方政調会を年内に埼玉・広島(岸田の地元)・福島の3県で開く方針を示し、10月28日にはその第1回を埼玉で開いた。10月19日付産経は岸田が「ポスト安倍を狙うために改憲の姿勢を強く打ち出」したと報じた。
また野党ににらみが利くとして自民党の憲法改正推進本部長に再任された細田博之新本部長は10月11日に開いた会合で、全国各地で改憲論議を活性化させる「遊説・組織委員会」を新設することを決め、全国で改憲の機運を盛り上げることをねらっている。
しかし安倍改憲の入り口となる衆参両院の憲法審査会はなかなか動かせていない。自民・公明は、国民投票法の改正案を先に通し、その後、自民党改憲案を提示する方針である。それに対し、立憲民主をはじめとする野党の中にはCM規制やあいちトリエンナーレへの補助金カットなど、別の論点で審査会の開催に応じようとする動きがある。しかし審査会はそのルールを定めた審査会規定の第1条で、「日本国憲法の改正原案を審査する」と定めている。存在そのものが違憲である。「現行憲法を守らずに変えようとする人間たちは信用するな。怪しいと思え」とする山本太郎(9月22日付東京新聞)が圧倒的に正しい。
この状況に対して、日経は「国民に分かりやすい憲法論議を国会で」と社説で議論を促し(9月17日)、産経は「改憲解散」と題する記事で、「野党が憲法審を動かせない場合は、(安倍首相が)解散に打って出る」、と恫喝した(9月18日)。
安倍首相は臨時国会の所信表明演説で、「令和」「令和」と連呼し、「新時代の憲法を」と改憲をぶち上げ、他方で社会保障改革(という名の社会保障の全面解体)を打ち出した。台風で関東・東北地方に3度の大災害が見舞い、死者が何人かまだ不明、多くの人が現に救助を求めているとき、「復興」という言葉を空叫びしていた首相は、災害救助のためには7億1千万円しか出さない一方、天皇の代替わり儀式のために2019年度予算分だけで166憶円も計上し(前回比30%増)、治安戒厳体制の下、即位関係の諸行事を強行した。
他方で、明らかに違憲の中東への自衛隊派遣の検討を開始した(10月18日国家安全保障会議)。米主導の有志連合とは「別に」と言いながら、「米国などと緊密に連携する」とし、防衛省設置法第4条にもとづく「調査・研究」を名目としながら「必要に応じて電話閣議による『海上警備行動』」に切り替え、「我が国関連船舶の安全確保を行う」としている。電話1本でいつでも武力を発動するのである。憲法9条(平和条項)、憲法25条(生存権)を破壊しながら、「新しい憲法」をいう安倍権力政治を許すな。
3面
改憲阻止へ、維新と対決を
東大阪市議選の総括と課題
松平さん6選支える
9月29日、投開票の東大阪市議選は、投票率が過去最低の38・91%(前回45・52%)となり、大阪維新の会が現有7名に加えて5名の新人を出して全員当選を狙うなど大変厳しい選挙だった。しかし過去最低の投票率でも維新は3000票余も増やしたが、現職2人を含め計4人が落選した。維新は順風満帆ではなく内部で何か異変が起こっているという情報もある。いずれにせよひとまずは維新の勢いは削いだのである。そのほか極右の「NHKから国民を守る党」が最下位で当選ということが起こっている。
しかし、こういう厳しい選挙で松平要候補(新社会党)は3021票を獲得し6期目の当選をかちとった。多くの人たちの支援の賜物である。あらためて感謝したい。
闘いの新たな段階
4月7日の統一地方選で維新は「死んでも死にきれない」と大阪市長と大阪府知事が辞任し相互に入れ替わって立候補するという背水の奇策に出た。こんなことは「地方自治制度に対する二重の背信」(3月5日付毎日新聞)、「住民不在の党利党略」(3月9日付朝日新聞)である。
しかし結果は、大阪市長選は20万票差、知事選はダブルスコアで反維新が敗北した。府議選では定数88に対し維新が51議席をとるなど維新の「圧勝」となった。大石あきこさん、山下けいきさんが府議選に挑戦したがそれぞれ次点で惜敗した。
維新の「圧勝」に恐怖した公明党が屈服し、一度は死んだ都構想がゾンビのように息を吹き返し、来年には再度の住民投票という事態になった。維新政治と対決する新たなたたかいが死活的になったのだ。
住民投票不可避という中、竹山市長が辞任に追い込まれ、6月には堺市長選挙がおこなわれた。維新の圧勝という局面だったが、自民党の野村友昭氏が自民党を離党して立候補。これに呼応して反維新のさまざまな運動体が一体となって野村支援で動き出した。当初はダブルスコアで負けるといわれたが、市民は1000人委員会を立ち上げて連携態勢を築き、運動を巻き起こし若者が自発性に立ち上っていった。
結果は誰もが予想できなかった接戦となり、野村候補が12万3千余票を獲得し、維新の永藤候補に1万4千票差にまで迫った。今日的にとらえ返せば、維新「圧勝」の流れを接戦に持ち込むところまで押し返したといえる。
次の攻防は9月の東大阪の市議選に絞りあげられた。冒頭に述べたように東大阪市議選では維新政治とたたかう松平要候補の当選を3千票を超える得票でかちとった。反撃への橋頭保を築いたと総括できるだろう。
東大阪に次いで反維新を掲げる運動と議員を地域の人たちとともに着実に拡大していくことが我々の課題である。その可能性は十分にある。これらのたたかいに勝利し住民投票の本丸である大阪市内に攻めのぼることが求められている。
東大阪での勝因
従来の松平陣営の票に加えてオール東大阪市民実行委員会の人たちが大きな力を発揮した。これが松平票を底上げしたのである。
オール東大阪市民実行委員会の運動は2011年にさかのぼる。同年、クーデタ的に育鵬社の教科書が東大阪で採択されるという事態に直面し、これに危機感を持った東大阪の人たちが立場の違いを超えてたたかいを開始した。
以来8年、オール東大阪市民実行委員会のたたかいは教科書、沖縄・辺野古、反原発等々と取り組みは続いた。7月には中山千夏さんを講師に呼んで他の政党・会派の力を借りずに自力で160人を集めることができるまでになった。4年前にはわずか70名余を集めるのが限界だったことを考えると隔世の感がある。
今回もオール東大阪市民実行委員会の人たちがポスター貼り、ウグイス、ドライバー、集票、さらにはデータ整理や事務局活動の中心を担うなど松平勝利のための下支えをしたのだ。
どこに勝算があるか
我々は、地域の中やさまざまな運動の中に入っていくとき、実に多くの人たちが危機感を持ち、たたかいを続けているのを知る。そこには本質的にこの社会を変えていく人間の息吹がある。ダブルスコアで負けるといわれた堺市長選挙を接戦にまで持ち込んだ力をきちんと対象化することだろう。東大阪や堺だけでなく、この力は大阪市内にこそぼう大に存在しているはずだ。こういう人たちとしっかり繋がり、連携していくことである。課題は、その中でこれをやれる主体に我々自身が飛躍することである。
維新は、改憲を狙う安倍政権をさらに右から主導≠キるような存在となっている。維新とのたたかいの次の課題は「都構想」の住民投票に勝つことである。そのためには主戦場の大阪市内にさらにわけいって多くの人たちとつながり、結合することである。維新とのたたかいは同時に安倍改憲を阻止することであることを強く自覚してさらにたたかっていきたい。(布施三郎)
原発には未来がない
関電に運転の資格なし
滋賀・米原
10月12日、滋賀県米原市内で「老朽原発うごかすな! 米原集会」が開かれた。地元滋賀を中心に50数人が参加した(写真上)。集会では、「彦根・愛知・犬上原発のない社会をつくる会」が主催者あいさつ。平尾道雄・米原市長が激励のあいさつをした。
つづいて、福井原発訴訟(滋賀)弁護団長の井戸謙一弁護士が、「原発には未来がない」と題して講演した。井戸さんは冒頭、関電幹部に「原発マネー」が還流していた問題を取り上げ、今回の問題は会社法にいう「特別背任罪」「収賄罪」に当たり、市民の力で告訴し、検察に捜査させるべきだと強調した。その上で、現在、政府は着々と被曝隠しをおこなっていることを、避難者住宅の追い出しや放射能空間線量の問題などを使って具体的に暴露した。最後に、老朽原発である高浜1、2号機、美浜3号機の再稼動を阻止すれば、全国でどんどん廃炉が進んでいく。これは天下分け目のたたかいであると訴えた。
40年廃炉訴訟(名古屋)弁護団事務局長・藤川誠二弁護士による「40年超え老朽原発の運転延長は認めない」の講演は、台風により参加できず中止となった。
参加団体のアピールがおこなわれた。台風で参加できなかった(名古屋)40年廃炉訴訟市民の会からのメッセージが代読された。オール福井反原発連絡会・林広員さんは、福井で10・7〜10・11におこなわれた、福井県下17市町をつなぐリレーデモの成功を報告した。
閉会あいさつは、〈原発うごかすな! 実行委員会@関西・福井〉木原壯林さんがおこなった。木原さんは「関電不祥事を、原発全廃の好機にしよう」「カネまみれの関電に原発を動かす能力も資格もない」と断罪し、老朽原発の再稼動を阻止しようと訴えた。台風に直撃された集会であったが、なんとしても老朽原発の再稼働は止めようと誓い合った。
40年超えの原発は廃炉へ
10月16日 名古屋地裁で口頭弁論
10月16日、名古屋地裁で「老朽原発40年廃炉訴訟」の口頭弁論がおこなわれた。この裁判は、運転40年を超える高浜原発1、2号機、美浜原発3号機に対して、さらなる運転延長を認めた国(規制委員会)に対して、名古屋などの市民が国(規制委員会)に対して、延長運転認可の取り消しを求めた行政訴訟として、高浜1、2号機については12回、美浜3号機については10回の審理がおこなわれている。
この日は、この裁判を「老朽原発うごかすな! キャンペーン」の一環として、関西や福井県からも多くの人が参加した。12日の米原集会で、名古屋、福井、関西の「老朽原発うごかすな!」の思いが合流するはずであったが、台風19号が直撃し、名古屋の人々が集会に参加できず、この日あらためて名古屋、福井、関西が合流を果たした。
正午、愛知県庁前でミニ集会。「原発うごかすな! 実行委員会@関西・福井」から木原壯林さんが、「老朽原発を止めるためにともにたたかおう」とキャンぺーンとリレーデモの訴え。裁判を闘う当該から裁判費用を調達するために、クラウドファンディングの取り組みと協力の訴えがなされた。
その後、リレーデモの名古屋からのスタートをかねて地裁まで入廷行進をおこなった(写真上)。この日の裁判では、高浜1、2号機では、火山影響評価に関する主張、美浜3号機では、原発関連の新聞記事のまとめから社会通念に関する主張が展開された。閉廷後、近くの会場で報告集会が開かれ、弁護団が本日の裁判のポイントを解説した。
4面
関生弾圧
正当な組合活動を犯罪視
共謀罪”での立件も視野
10月19日、学習会「共謀罪成立と市民運動〜関西生コン弾圧〜」が神戸市内で開かれ50人を超える参加があった。講師は、関西生コン弾圧事件弁護団の太田健義弁護士。
狭い会場で50人が太田弁護士の話に聞き入った(10月19日 神戸) |
あり得ない起訴事実
太田弁護士は関西生コン弾圧の概要を次のように話した。2018年7月18日から現在までのべ逮捕者数は87人、のべ起訴数は72人。のべという意味は、武委員長をはじめ複数回逮捕・起訴されている組合員がいるため。まだ保釈されていない組合員は4人いる。
また、起訴事実が無茶苦茶である。コンプライアンス活動(法令順守)が恐喝の手段、威力業務妨害。組合員のビラまき活動が威力業務妨害。組合員の正社員化要求、就学証明書の発行要求が強要。通常では考えられない。
「共謀」の立証
今回は「組織犯罪処罰法」で起訴されていないが、組合活動が犯罪とされていることから共謀罪での立件もありうる。組合での会議やコンプラ前の意思統一が「共謀」の材料となり、組合の内部の者が、状況を証言すれば「共謀」が立証される可能性がある。
そして、保釈の問題がある。仮に保釈がみとめられても、「通謀」のおそれがあるとして、接触禁止の範囲が広範囲になる。和歌山事件の組合員の一人は、専従であるにもかかわらず、すべての(元)組合員との接触が禁止されているので、何も出来ない状態だ。
ナチス時代の再来
もし組合活動が犯罪とされれば今後、これまで正当な活動としておこなってきたことが犯罪とされるおそれがある。ナチス・ドイツに迫害、強制収容所に入れられたニーメラー牧師の言葉のように「自らが共産主義者でも労働組合員でもなかったとしても、自らが迫害された時は遅かった」となりかねない。萎縮することなく、この問題を広く共有して、反対の声を上げることが重要だ。
組合員・家族を支援
質疑応答で太田弁護士は、権力側は「関西生コンを弾圧し、つぶしても誰も反対しないと思っている。メディアは報道しないし、フェイクニュースやユーチューブなどで一部だけ切り取って流している。関生の組合員・家族はそういうプレッシャー、組織破壊とたたかっている」「こういう学習会、集会をどんどんやってほしい」と訴えた。
参加者からは、「阪神大震災のときに関西生コン支部から支援を受けた。忘れられない」。「関西生コン支部に署名をお願いしたらすぐに1000筆してくれた。感謝している。裁判闘争を全力で支援する」と声が上がった。
市民デモHYOGOの世話人から辺野古新基地建設反対の取組み、老朽原発うごかすな! 高浜原発から関電本店までのリレーデモ兵庫コースについて提起があった。さいごに「関西生コン支部 労働組合つぶしを許さない! 10・23兵庫集会」、「声をあげよう! 弾圧許すな! 11・16全国集会」に参加しようとよびかけられた。(高)
私たちは花ではない、火花だ
「慰安婦」とつながる #MeToo
10月8日、韓国を代表するフェミニストの一人である李ナヨンさんの講演会が大阪市内で開かれた。主催は日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク。参加者は約100人で、、若者が4分の1を占め、日本軍「慰安婦」運動の新しい幕開けを示した。集会冒頭、文オクチュさんの郵便貯金取戻の運動を中心に担ってきた森川万智子さんが10月5日、急性白血病で72歳で亡くなったことに参加者全員で黙祷を捧げた。
女性検事の告発
つづいて、李ナヨンさんが講演。李ナヨンさんは、韓国の#MeToo運動登場と展開について話した。それは1人の検事の告発がターニングポイントになった。ソジヒョン検事は、検察庁の次長だった幹部からセクハラを受け、抗議しても解決しなかったので、予告なくテレビに出て告発した。最高機関の女性が内部告発したので、韓国では衝撃が走った。しかも、検事を辞めず、フェミニズム運動と連帯し続けている事がすごい。セクハラは進歩陣営の中で加害者が多く出ている。保守陣営はこれを批判したが、逆に、自らの男性の低いジェンダー意識を暴露する羽目になった。
今まで辛くて口を閉ざしていた人たちが立ち上がり、これ以上黙らないと動いた。ある大学では、セクハラ教授の研究室のドアも廊下もポストイットが貼られ、抗議が広がった。この運動は大学のみならず、中学、高校に拡散している。そして逆に、この子ども達の運動が、母や祖母の世代にセクハラを自覚させた。今や韓国のフェミニズム運動は、ろうそくデモでは足りず、たいまつデモとなった。
「慰安婦」問題
次に、#MeToo運動と日本軍「慰安婦」解決運動がどうつながったかを話した。韓国は、ひどい男性中心社会だったが、1993年に性暴力取締の法律ができた。その媒体となったのが少女像だった。隣に座って少女の手をそっと握る事で、若い女性が当事者のハルモニの力を貰って立ち上がっている。日本軍「慰安婦」問題は、古い話ではなく、今の若い女性が自分の体験したものと同じと思っている。時空を超えてつながった。安倍首相の「慰安婦」問題否定は、世の開き直る男性とまったく同じと韓国社会の女性たちが怒っている。水曜デモに集まった女性たちはとても明るい、暗くない。まるでお祭り騒ぎである。ここに運動の未来がある。ハルモニ達は、「慰安婦」問題解決運動の中で、人権活動家となり、米軍基地村の被害女性ともつながった。吉元玉ハルモニは、基地村の女性達に「自分が恥ずかしいのではなく、韓国政府が恥ずかしい事をしている」と言って元気づけた。基地村の122人の女性達は韓国政府に対して、損害賠償の裁判をし、高等法院で人権蹂躙を認めさせ、勝利した。女性達はこうして大きく成長した。
2016年、トイレで女性が殺された江南駅殺人事件をもって、韓国の女性達は、「あなたの死は私の死」と捉え、生きるために闘うと「私たちは花ではない! 火花である!女性が歴史を作る!」と大きく成長している。
ハリウッドの女優のセクハラの告発から始まった#MeToo運動は、韓国では金学順ハルモニのカミングアウトとフェミニズムが結びついた運動となっている。(村野良子)
京都に米軍基地はいらない Xバンドレーダーの撤去を
永井友昭さんが現地報告(10月19日 京都市) |
10月19日、「米軍X バンドレーダー基地撤去! 10・19京都集会」が、京都市内でひらかれ45人が参加した。集会には京丹後現地から、〈米軍基地建設を憂う宇川有志の会〉事務局長・永井友昭さんが参加。永井さんは、米軍と防衛省がこの間の約束をことごとく破っていることへの怒りを表明した。また二期工事では新たに取得した三角地をゲートにしないため、当面基地のゲートは文殊さんの入り口近くの第二ゲートのみとなる。このゲートはカーブに近いため、今までより危険になっている。このように米軍・防衛省の説明は矛盾している。また京丹後市の米軍・防衛省への対応の不十分さに保守系の議員からも抗議の声が上がっている。
(コラム)
私と天皇制 I
自分たちの手で〈天皇の世紀〉の真実を若者に
こんな話を友人から聞いた。韓国や中国、東南アジアの国に赴任した人が、その国の人たちの歴史認識とのギャップに大変ショックを受けている。その結果、仕事にも支障を来す例さえあるという。
1979年、大学入試に共通一次テストが導入された。そのとき文部省(現文部科学省)は各都道府県教育委員会に、日本史科目では近現代から出題しないと通達したらしい。
ウラを取るため、教育委員会に問い合わせた。1日たって返ってきた回答は「調べてみたが何分にも古い話なので、資料が残っていなくて分からない」とのこと。お得意の隠蔽か?
高校はかなり昔から大学受験の予備校化している。問題意識を持った教師に恵まれるか、本人が関心を抱かなければ、ほとんどの日本の若者は近現代史を学ぶことなく、社会に出ているわけである。
「変革のための総合誌」に長期連載された新左翼の有名な哲学「青年」の対談で、石橋湛山を「大蔵官僚出身」と語っているのに、あ然とした記憶がある。
そんななかで「反韓」「嫌中」キャンペーンの影響を受けて、アジア諸国に赴任し、向こうの人びとに接しているのだ。
当然、それらの国の学校では近現代史を教えている。そこで「皇軍」による侵略と、それに対する民衆の抵抗が語られていることは言うまでもない。
天皇を戴く日本は勝手に「アジアの盟主」を名乗り、「聖戦」と称して侵略を重ね、多くの人を殺害し、略奪をほしいままにした。
「皇軍」が支配・占領した地には、天皇の祖を祀る神社を建て、参拝を強要した。拉致されて軍需工場などで強制労働に従事した人も多数にのぼる。「皇軍」将兵の性奴隷にされた若い女性も少なくなかった。
今、朝鮮半島や中国、東南アジアに住む人の多くは、そのような犠牲と屈辱を強いられた人びとの子孫である。
彼や彼女たちは、それらの行為がすべて天皇の名のもとにおこなわれ、今なお日本人のほとんどが天皇を崇拝していることを知っている。
近現代の真実を、多くの日本人とりわけ若者に、正しく伝えていく作業は決定的に重要である。
天皇や皇后を平和愛好家と持ち上げる「リベラル派」知識人に、それを期待しても無駄である。
史実に忠実で腰の据わった学者・研究者の協力を得つつ、私たち自身が担っていくしかない。本気で世の中を引っ繰り返す意志を持っているのならば―。(Q生)
5面
請求権協定と8億ドル≠フゆくえ 第3回 請戸耕市
請求権名目のひも付きODA
さて、8億ドルのゆくえである。たしかに協定には無償供与3億ドル、有償貸付2億ドルと明記されている。この5億ドルがいわゆる「請求権資金」。さらに、別文書に民間借款3億ドル以上とある。
日本政府は、「協定にもとづいて日本が供与した無償3億ドルには個人補償金が含まれている」(河野外相・当時HP)と主張している。
「含まれている」というと大きく聞こえるが、問題の植民地支配の被害補償は、強制動員被害の死亡者8552人に限定され、その総額は530万ドル、無償3億ドルのわずか1・8%。しかも、後述のように、種々の民間の債権・債務関係の中で相殺され、名目でしかないのだ。
どうしてそうなるのか? 残りの金はどうなったのか? 以下、詳しく見て行こう。
被害補償の実態
被害補償の実態面から見る。
日韓条約の調印が65年。実際に個人への補償が行われたのは、10年後の75年から77年の2年間。その数字を見てみよう。
【表2】 次に個人補償についてだが、注意したいのは、個人補償とは、個人や企業が債権・債務の支払いを受けていないなどの被害の弁済が主要な内容。件数としてもそれがほとんど。この個人補償額が、無償3億ドルの約6%。
実は、植民地支配の被害補償もここに含まれている。しかし、補償対象は、強制動員被害の死亡者のみに限定され、「従軍慰安婦」などの他の膨大な被害者は対象外。その強制動員被害者で実際に補償を受けたのは8552人。強制動員被害者総数のわずか0・8%。また、遺族らの補償要求は1千万ウォンだったが、実際の補償額は1人当たり30万ウォン。国軍兵士の任務中死亡時の補償額と同基準だが、約18万円(当時のレート)。その総額は530万ドル、無償3億ドルのわずか1・8%。
以上から、大多数の被害者が補償金を受け取っていないことは明らか。どうしてそうなったのか?そして、個人補償以外、無償3億ドルの94%はどうなったのか?
資金の使用実態
次に、請求権資金の使用実態の面から見る。
前提的に、誤解が多いと思うが、請求権資金は現金ではない。協定に明記の通り「(5億ドル相当の)日本国の生産物及び日本人の役務」。つまり、日本製機械、日本製原資材、日本の労働力など。しかも役務の実質は銀行手数料。5億ドルの現金が韓国に支払われたというのは錯覚だ。韓国政府は、公式には現金は1ドルも受け取っていない。
さて、請求権資金の使用実態を、韓国政府公表の数字で見る。
【表3】 無償資金の84・7%が資本財・原資材に投入されている。資本財の中身は、製鉄所建設用機材、繊維機械、自動車部品、農業用水用機材など。原資材の中身は、繊維品、建設資材、肥料など。
請求権資金は名目に過ぎず、実態は経済開発の資材なのだ。
最後にある「清算勘定」とは何か。植民地時代から協定当時までの日韓の民間(個人・企業)の債権・債務の清算である。そして、ここに強制動員死亡者への補償額が、債権の一つとして含まれている。
債権・債務の清算の結果、何と、韓国側が日本にたいして約4586万ドルを支払うことになり、その決済に請求権資金が使われ、請求権資金の15・3%相当の金額が、日本政府から出て、韓国ではなく、日本の民間の債権者に支払われた。
そして、強制動員死亡者の被害補償は、日本の韓国にたいする請求によって相殺されてしまっている。
以上が無償3億ドルの使途のすべて。
韓国政府は、被害補償を切り捨て、経済開発を優先した。そのために、被害補償の開始を遅らせ、対象者も狭く限定した。しかも、債権・債務の成算の結果、被害補償は相殺されてしまったので、1人30万ウォンの補償は、韓国政府が別途ねん出したことになる。
以上のやり方は、韓国政府の一存ではなく、以下で見るように、協定によって規定され、日本政府によって縛られた計画であった。
騙すための「名目」
「協定は純然たる経済協力。賠償の意味を持っているというような法律上の関係は何らございません」(条約に調印した椎名外相の国会答弁 65年11月)
本稿で見てきたように、日本政府は、植民地支配を正当化し、賠償を一切拒否した。その上で、「(賠償の性格ではなく)韓国独立に対する祝い金及び旧宗主国の新独立国に対する経済自立のための協力」(大平外相/大平・金会談 62年10月)という性格ならば、資金提供できるという居丈高な提案をしている。
これにたいして、危機にあった韓国側の態度は、「支払い名目に関してはわが国民が、請求権に対する弁済ないし補償として支払われるという点を納得させられる表現になるように」(62年10月 韓国政府・内部文書)であった。つまり、実質は「祝い金」「経済協力」でいいから、国民を騙す「名目」「表現」を入れてくれという懇願だ。朴正煕政権は、民衆の反対を弾圧と虚偽説明で乗り切り、日本の資金による経済開発で危機突破を図ろうとしていた。
ひも付き援助
請求権資金の正体は経済開発、しかもタチの悪い「ひも付き」だった。
一般に、ODA(政府開発援助)などで問題になる「ひも付き」とは、財政援助の条件として、開発用の資材・機材および労働力の調達先を、援助供与国に限定するよう求めたもの。これにより供与国は、国内産業を守るとともに輸出も促進でき、さらに被援助国の経済を供与国の経済の下に従属させることができる。よって援助支出を上回る利益を回収・享受できる。対して、被援助国は、自立的な産業育成を阻害され、供与国の下請けの産業構造となり、援助がむしろ従属を強める結果になる。
協定は典型的なひも付きODAだった。
上述のように、供与されたのは現金ではなく、日本の機械や原資材など。つまり、日本政府が、日本企業の製品・サービスを日本円で買い取り、それを韓国側に提供したということ。韓国は、日本から製品・サービスを受けてインフラ建設などを行ったわけだが、そのことで巨額の支払いを受けた最大の受益者は日本企業であり、5億ドルは、韓国政府でもなく、被害者でもなく、日本企業に支払われたのだ。
日韓協力委員会と満州国人脈
さらに、協定は、経済開発の「実施計画」の提出を韓国政府に義務づけた。しかも、それを実質的に決めていたのは、「日韓協力委員会」という民間組織。
「日韓協力委員会」は1969年設立。日韓政府による閣僚会議とは別で、国会のチェックも受けない民間組織。名目は政財界関係者の交流だが、65年日韓条約体制を裏で取り仕切った。
日本側の初代会長は、満州国総務庁次長、東条内閣商工大臣でA級戦犯だった岸信介。さらに椎名悦三郎元外相(元満州国事業部次長)、事務総長には田中龍夫元通産相(元満鉄社員)。また三菱商事社長、三井物産社長など、徴用工を酷使した戦犯企業が並んだ。
この委員会は、岸を頂点に、満州国で活動した人脈が中心になっている。
韓国側もまた、大統領の朴正煕が満州国陸軍の元将校で、その縁でクーデタ後に岸と親交を深めるなど、その中心は日本統治時代の対日協力者たちだった。
満州国とのつながりは単に人脈だけではなかった。
新共栄圏と韓国
満州国とは、中国侵略の前進基地、中国の民衆の抵抗圧殺の拠点として、日本がつくった傀儡国家。議会がなく、実権は関東軍司令官が掌握、ソ連の計画経済を手本にした統制経済を追求した。またアヘンの専売制―密売ではない―によってつくった資金を、満洲国経営の基礎とするばかりか、それにより数々の謀略を敢行した。
岸は、この満州国を「自らの作品」と豪語して憚らない。そして、岸ら満州国人脈の野望は、満州国のモデルを、韓国において再現することであった。そして、朴正煕政権の開発独裁のモデルも満州国にあった。
岸の片腕でフィクサーの矢次一夫が出した経済開発計画「矢次試案」は、重化学など日本と競合する産業を韓国では育成させず、韓国経済を日本の経済圏に組み入れることを公然とうち出した。そして、免税地域と自由港をつくり、そこで、無権利・低賃金の労働力を酷使して、日本製品を加工する。さながら新たな「共栄圏」構想だった。
こうして70年代、日本による韓国の下請構造化が急速に進んだ。(それにたいするたたかいが、全泰壱氏らの民主労組運動であった)
8億ドルは、被害者のためには使われていない。名目は請求権資金だが、実態はひも付きODAだ。それを岸ら満州人脈による日韓協力委員会が取り仕切り、インフラ建設などを受注した日本企業に支払われ、しかも日本企業の水増し請求などで日韓の政治家にリベートが還流した(次回)。こうして、朴正煕の軍事独裁を支えるとともに、韓国経済を日本経済の下請化する構想が推進された。
これが、日本政府のいう「完全かつ最終的な解決」の実態なのだ。(つづく)
6面
焦点
支配階級の要請で変化
天皇制を終わりにするために
津田保夫
はじめに
天皇の「代替わり」攻撃が1年間におよび続いている。4月30日アキヒト「退位」、5月1日ナルヒト「即位」に続き、10月22日「即位礼正殿の儀」と「饗宴の儀」(25、29、31日も実施)という一連の儀式がおこなわれた。11月14〜15日には、大嘗祭(「大嘗宮の儀」)がおこなわれる。今年から来年にかけて、約40におよぶ「代替わり」儀式がおこなわれるのだ。
天皇制について、何がおきているのだろうか。人民にどのような行動が求められているのだろうか。天皇「代替わり」儀式のなかで、天皇・天皇制問題について考える。
即位儀式(10月22日)について
10月22日に、天皇即位式典(「即位礼正殿の儀」)がおこなわれた。当初予定されていた「祝賀御列の儀」(パレード)は、台風19号による被害者の心情を配慮するとして、11月10日に延期された。これらはナルヒトの存在を内外にアピールすることによって、天皇の権威を示すためにおこなわれるものだ。
写真左からわかるように、高御座に立つナルヒトは、まわりの人々よりも一段高くなっており、臣下を見降ろす構図になっている。式典の最後に、安倍首相が「万歳」を三唱した。まるで天皇が「元首」であるかのように演出している。これらの行為は明らかに「主権在民」の原則に違反している。
10月22日は今年限りの「祝日」になった。政府は学校現場や自治体などに「日の丸」掲揚を通知し、人びとに「祝賀」を強制した。この日にあわせて、天皇の国事行為として55万人を対象に「恩赦」がおこなわれた。いっぽう、即位式典に反対する集会が全国でおこなわれた(本紙1面)。
大嘗祭(11月14〜15日)について
11月14〜15日には、大嘗祭(「大嘗宮の儀」)がおこなわれる。これは、今日でも天皇の神聖性をかもしだすために、天皇が神の末裔であることを示す儀式なのだ。
大嘗祭は天皇即位の年にかぎり、新嘗祭に替わっておこなわれる。新嘗祭は稲の収穫を祝うきわめて宗教的な儀式であり、皇室祭祀のひとつとして毎年11月におこなわれている。大嘗祭は天皇が現人神になり、新穀を共食する儀式であり、その内容は神話にもとづいており、荒唐無稽でおどろおどろしいものだ。
大嘗祭について、政府は「古くから伝承されてきた収穫儀礼に根ざしたもので…皇祖及び天神地祇に対し安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに、国家・国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念される儀式」であると説明し、神格化秘儀説を否定している。1990年、宮内庁次長は国会答弁で「神と一体になるとか、神性を得るとかいうことは…ありません」と述べている。しかし、これは憲法と整合性をとるために理由付けたにすぎない。戦後憲法下において、天皇の神格性は否定されている。憲法(政教分離の原則)にも違反する。
大嘗祭は政府解釈においてさえも「国事行為」にできず、「皇室行事」としておこなわれる。大嘗宮は約19億円をかけて、この儀式のためにのみ造られる。大嘗祭終了後に、大嘗宮はすぐに取り壊されるのだ。この費用は宮廷費(皇室費のひとつ)から出しているが、公費であることに変わりない。政府の勝手な行為を許さないために、人びとは反対の声をあげていくべきだ。
初代宮内庁長官・田島道治の日記
今年8月、NHKドキュメンタリー番組で、「拝謁記」(田島道治の日記)の内容が公開された。ヒロヒトが語った内容はすでに知られていたことではあるが、記録として残されていたことは重要だ。
1952年におこなわれる独立式典でのあいさつに、ヒロヒトは戦争にたいする「反省」の言葉を入れる事を要望していた。田島日記には、これに関わる詳しい経緯が記されていた。テレビ放映では、この部分を強調していたが、このとき天皇は何を「反省」しようとしたのだろうか。
ヒロヒトは戦争を直接に指導していた。戦後、ヒロヒトは当時の状況を何度か語っている。これは『昭和天皇独白録』や『昭和天皇実録』においても知ることができる。戦後、ヒロヒトはなにを語ったのか。
ヒロヒトが戦争に責任を感じておこなったものではない。この目的はヒロヒトに戦争責任がないこと、これを弁明するためであった。ヒロヒトはきわめて政治的にふるまっている。このことはしっかりと押さえておくべきだろう。
アキヒトは、戦没者にたいして「慰霊の旅」を象徴的行為としておこない、戦争に反対するかのようにふるまった。しかし、これは民衆を味方にするために、民衆の意志を代弁しておこなったにすぎない。
現在、安倍政権のもとで「戦争する国」がつくられているなかで、ナルヒトは再びヒロヒトの姿に回帰していくであろう。象徴天皇制は、時代の要請をうけて、カメレオンのように変化していくのだ。
「あいちトリエンナーレ2019」
8月1日からおこなわれた「あいちトリエンナーレ2019」で、企画展「表現の不自由展・その後」がいったん中止になった(その後、10月8日に再開された)。その原因のひとつに、「遠近を抱えて」(大浦信行)があった。この映像作品のなかに、ヒロヒトの肖像が焼けるシーンがある。これにたいして、不特定多数からはげしい抗議がおきた。「不敬だ」というものであった。
1960年11月に、天皇をパロディー化した深沢七郎の小説『風流夢譚』が雑誌に掲載された。これにたいして、「不敬だ」と言って、右翼が出版社にたいしてはげしい抗議をはじめた。出版社は宮内庁に陳謝した。この弱腰がいけなかった。翌年、右翼少年が出版社社長宅を襲撃し、2人を殺傷する事件がおきた。
右翼やヘイト集団の力に屈服すれば、また同じことが繰り返されるのだ。今日、同じような状況になっている。
毎年、東京では天皇制に反対するデモが民間右翼によるはげしい暴力にさらされている。国家権力による暴力と民間右翼による暴力は一体の関係にある。われわれはこのことを恐れることなく見据える必要がある。
「人民主権」確立のために
天皇の神権化は戦後憲法のなか(第1条から8条までの条項)に宿っている。1条の天皇条項と10条の国民規定によって、天皇制を認めるものだけが「国民」だと言っているのだ。天皇制を認めない者や国策に反対する者は、「非国民」とされる。また、日本国憲法は、「国民」から旧植民地出身者を排除している。「国民」とは、「いったん戦争になれば、よろこんで戦場におもむく」人間でなければならない。その「国民統合の象徴」が天皇なのだ。
このように、象徴天皇制のなかに、すでに神権天皇が埋め込まれている。人民の民主主義は、人民の自己決定権による人民の統治によって実現される。われわれは天皇の権威に頼る必要はない。血のつながりによる天皇制は、そもそも民主主義とは相いれないものなのだ。
支配者を打倒する闘いと一体
天皇制を廃止するたたかいは、支配階級を打倒するたたかいと一体だ。沖縄では新基地建設に反対して、はげしくたたかっている。沖縄県民は沖縄戦の経験によって、「軍隊は住民を守らない」ことを知っている。政府のおこなう戦争に反対しているのだ。原発に反対するたたかいは核武装という問題を根底にかかえている。政府の原発政策が核武装にある以上、核がもつ根本的問題がかならず現れてくる。植民地主義・排外主義に反対するたたかいは、侵略の歴史を学び、反省し、今日に生かすたたかいだ。
なによりも、現在においては安倍政権を人民の力で打倒することが重要だ。これらはすべて天皇制に反対するたたかいと一体なのだ。このたたかいぬきに、天皇制に反対するたたかいはありえない。
11月14〜15日大嘗祭に反対しよう
11月14〜15日に大嘗祭がおこなわれる。これにたいして、大嘗祭に抗議する集会・デモが各地でおこなわれる。天皇制の強化に異議を申し立てる意志表示と行動が重要だ。
これとともに、われわれは天皇制そのものを近・現代史のなかで捕え返す作業をはじめよう。「天皇代替わり儀式」に反対する行動をとおして、天皇制のない「人民の歴史」をつくりだしていこう。