未来・第279号


            未来第279号目次(2019年10月3日発行)

 1面  東電3被告全員無罪
     安全無視、原発運転を最優先
     9月19日 東京地裁

     不当判決に怒り渦巻く
     まだ4万人が避難している

     【定点観測】(9月11日〜18日)
     安倍政権の改憲動向

 2面  強制執行は絶対認めない
     請求異議裁判 控訴審始まる
     9月24日 東京高裁

     東電は事故の責任をとれ
     反原発全国集会に8千人
     9月16日

     辺野古断念=A求め続ける
     玉城知事が現場を海上視察

 3面  請求権協定と8億ドル≠フゆくえ
     第1回 請戸耕市
     「完全かつ最終的な解決」とは      

 4面  甲状腺検査のデメリット強調
     福島県民健康調査の現状

     大飯4号機再稼働に抗議
     9月13日

     伊方原発山口裁判の抗告審 広島地裁
     年内終結、年明け判断へ

 5面  原発は核兵器と表裏一体(下)河合弘之さん
     生涯かけ原発を止める

     (コラム)
     私と天皇制 H
     「北海道」命名150周年と帝国日本の墓泥棒

 6面  国家とグローバル資本の融合
     伊藤公雄さん(京都大学名誉教授)が講演

     労働現場の実態
     8時間カートを引きっぱなし
     倉庫内ピッキング作業

       

東電3被告全員無罪
安全無視、原発運転を最優先
9月19日 東京地裁

東京地裁に向けて怒りのシュプレヒコールをあげる避難者と支援者ら(9月19日)

福島原発事故の責任を問われた東電旧経営陣の3被告にたいして、9月19日、東京地裁は、「無罪」判決を言い渡した。被害や犠牲者よりも、「原発の社会的有用性」がまさると判断した。原発推進路線の死守と、被告の有罪回避のための強引な判決だ。(2、4、5面に関連記事)

判決は第一に、福島原発事故の被害と犠牲者を一顧だにしていない。公判では、避難バスの中で排せつ物にまみれながら床に転がり息絶えた、双葉病院等の入院患者44人の姿、それに付き添いながら、なすすべがなかったスタッフらの無念が証言されている。にもかかわらず、それには一切触れていない。それどころか、「結果の重大性を強調するあまり」と反論し、被害の訴えを非難さえしている。

被害は甘受せよ

第二に、原発事故の被害と「原発の社会的有用性」とをてんびんにかけて、原発の「社会的有用性」の方が大きく、原発停止の「負担」の方が大きい≠ニしている。
判決は、犠牲者・被害者に向かって、「原発の社会的な有用性」がどれほど大きいか、「運転停止がどのような負担を伴うものかも考慮されるべきだ」と説教している。しかしそれは原子力ムラの特殊利害であり、その政治的主張でしかない。判決は原子力ムラの特殊利害に比べて住民の命は小さく軽い。被害は甘受されるべきだ≠ニ言っているに等しい。
第三に、福島原発事故は法令の許容範囲≠ニしている。膨大な放射性物質の放出が現在も続いており、深刻な環境汚染と健康被害を引き起こしているにもかかわらず、「(法令は)放射性物質が外部の環境に放出されることは絶対にないといった、極めて高度の安全性をいうものではな(い)」という。福島原発事故が、法令の許容範囲≠ニいう主張だ。
判決は「原子炉の安全性についての当時の社会通念」が判断基準という。「当時の社会通念」とは、〈絶対に原発事故は起きない〉という〈安全神話〉だった。その〈安全神話〉が福島事故で崩壊すると、「事故は絶対に起きない」から「極めて高度の安全性をいうものではない」へと判断基準をすり替えて、事故は法令の許容範囲≠ニいうのだ。
以上の結論として、判決は、「(事故対策を徹底したら)運転が不可能になる」とし、原発事故を起こしても、「法令上は原発の設置、運転が認められている」と開き直っている。

争点のすりかえ

判決は、「(結局、事故の回避は)原発の運転停止しかなかった」とし、それはできない、経営陣にその判断は無理≠ニいう結論に導いている。しかし原発の停止を本当にできなかったのかについて、何も検討していない。また判決は、あたかも原発停止の是非が裁判の争点であるかのようにいうが、これは公判で明らかにされた東電内の動きに反する。
現場は津波予測に危機感を持ち、対策を実行しようと動いていた。「それに着手していたら確実に事故を回避できたとは言えない」ということをもって、対策を実行しなかったことが正当化されていいはずがない。
同じ津波に襲われた日本原電の東海第二原発(茨城県)では、茨城県庁が04年のスマトラ沖地震を受けて津波の高さの再評価をおこない、それを受けて日本原電が09年に防潮堤のかさ上げ工事に取り掛かっていた。工事は未完成だったが、その効果で電源停止を免れていた。
ところが、判決は、東電内で検討されていた津波対策について検討もせずにその実効性を斥けている。そして、「結局、事故を回避するためには原発を停止するしかない」と問題をすり替えて、津波対策を中止させた東電経営陣を免罪しているのだ。以上のように判決の論理的な破綻は明らかだ。「(事故対策を徹底したら)原発の運転は不可能」という開き直りの論理から見えるのは、このままでは原発の存続が不可能になるという危機感だ。控訴審で、原発事故の責任を取らせよう。

不当判決に怒り渦巻く
まだ4万人が避難している

最初の刑事告訴から強制起訴を経て7年3カ月。ついに東電幹部3人の責任を問う裁判の判決を迎えた。9月19日、午前11時から東京地裁前は多くの人々が詰めかけ、騒然とした雰囲気となった。「3人の責任は公判で明らかになった」「大企業の利益を優先して誰も責任を取らないような社会は変えなければならない」などの訴えがひびく。歴史的な判決をこの目で確かめようと、43枚の傍聴券を求めて832人が列をなした。
午後1時すぎの開廷から2分後、「3名とも無罪・不当判決」の報がもたらされた。周囲に驚きと怒りの声がひろがった。隣接する弁護士会館でひらかれた「報告集会」は急きょ「緊急抗議集会」に変更された。集会は判決の読み上げと並行して続けられた。「まさか、こんな判決は予想もしていなかった」「まだ4万人が避難しているのに」「まわりでは50代の人が何人も死んでいる」「いったい私たちはどこへ連れて行かれようとしているのか」など怒りと無念の思いが口々に語られた。「どちらかが控訴してさらに5〜10年たたかいが続くのはわかっていた。最後に勝とう」。この思いを全員が共有した。

【定点観測】(9月11日〜18日)
安倍政権の改憲動向

9月11日 自民党臨時総務会、安倍首相は「わが党の長年の悲願である憲法改正を党一丸となって力強く進めたい」と述べ、12日の記者会見では「自民党主導で憲法改正論議を進める」「困難でも必ず成し遂げる決意だ」と表明した。
9月12日 内閣改造を受けた世論調査(共同通信11、12日)。「安倍政権下での改憲」に反対は47・1%、賛成の38・8%を上回った。自民支持層の反対は25・8%。公明支持層の反対43・5%、賛成45・8%。支持政党なし・無党派層は反対59・2、賛成18・5%。30代以下は反対32・1、賛成49・9%だった。(コンピュータ無作為抽出方式による電話、有権者対象。固定・携帯合わせて1010人からの回答)。
9月13日 安倍首相(自民党総裁)直属の自民党憲法改正推進本部長に、細田博之・元幹事長が再就任。事務総長に根本匠・前厚労相が就いた。事務局長には山下貴司・前法相(石破派)。衆院憲法審査会会長に佐藤勉・元国対委員長、与党筆頭幹事には新田義孝・元総務相を留任させた。
これまでの強硬派、安倍側近の下村博文・元文科相に代えて細田博之・本部長や根本匠・事務総長(岸田派)を配置し、野党抱きこみ≠竦ホ破派懐柔を考えた配置とされている。
9月18日 細田・改憲推進本部長は、公明党が国民投票法の改正を提案(「洋上投票の対象拡大」など)していることに、「国会の審査会で協議することはやぶさかでない。むしろ(国民投票法を)改正すべきところはしようと思っている」と述べた。

2面

強制執行は絶対認めない
請求異議裁判 控訴審始まる
9月24日 東京高裁

東京高裁への要望書提出にのぞむ反対同盟(9月24日 都内)

市東さんが意見陳述

9月24日、市東孝雄さんの農地をめぐる請求異議裁判の控訴審が始まった。
請求異議裁判は、農地取り上げを是とする農地法裁判の確定判決に対し、その強制執行の停止を求めている裁判である。昨年12月、千葉地裁は市東さんのその訴えを退け、仮執行をも認める判決を下した。東京高裁は仮執行の停止を認め、この日から審理が始まった。
裁判冒頭、市東さん本人から控訴審にあたっての意見陳述が行われた。最初に「私の農地はかけがえのない有機農業のための農地」であることを明らかにし、そして成田空港会社(NAA)が強制収用放棄の公約をほごにし、また話し合い解決への努力の事実もないことを明らかにした。また「農業の継続を希望する私にその廃止を押しつけることはできない」と述べ、「小作に権利なし」と耕作者の尊厳を冒とくした一審判決を断罪した。
そして最後に、「農民の生きる意欲をつぶしてしまう強制執行は絶対に認められません」予断をもたず公正で十分な審理をされ、納得のいく判断を強く要請します」と締めくくった。
続いて弁護団各氏から、223ページに及ぶ控訴理由書、一審千葉地裁判決に対する徹底批判が展開された。そして市東さん側、空港会社側双方からの反証等を年内に提出、次回裁判を来年1月16日午後2時とし、第1回裁判を終えた。
控訴審・裁判に先立って、日比谷公園霞門前の打ち合わせ集会、東京高裁にむけたデモが行われた。市東さんをはじめ反対同盟は、台風15号による被害対応・復旧におわれる中での参加だ。またこの間全国から寄せられた1300筆を越える要望書を東京高裁へ提出し、裁判後には報告集会が行われた。
農民にとって農地は命そのものだ。命と生活を根こそぎ奪う農地の強制収用を絶対阻止しよう。市東さん、反対同盟とともに、引き続き徹底審理を求めてたたかおう。

10・13三里塚現地へ

10・13三里塚全国総決起集会は現地からの反撃である。
第一に、控訴審が始まった請求異議裁判の勝利にむけて、東京高裁に怒りの声をたたきつけよう。またもう一つの市東さんの農地裁判である耕作権裁判や市東さん農地に立つ新ヤグラをめぐる裁判などの勝利のために、市東さんと反対同盟を支えよう。

住民無視の機能強化

第二に、「空港機能強化」に反対の声を上げよう。この10月から成田空港の運用時間が、午前0時まで延長される。開港以来航空機の発着は午後11時までとしてきた。これは周辺住民の睡眠を保障し、健康と暮らしを守るための最低限の規制であり、周辺住民との約束事だった。飛行時間延長は、周辺地域を深夜に及ぶ爆音地域と化し、住民をたたきだそうというものだ。政府とNAAは飛行時間延長強行を皮切りに、第3滑走路建設はじめ「空港機能強化」を全面的実施に移そうとしている。その先には成田空港の「24時間空港化」が待ち受けている。
この6月NAAは、2代続いた民間社長に代わって、空港機能強化案の立案責任者で当時国交省航空局長であった田村明比古を社長にすえた。国家の威信をかけた事業として空港機能強化を推進しようとしている。就任会見で田村は、第3滑走路の完成時期を従来の「2030年頃」から前倒しして「2025年完成」と宣言した。
羽田空港では、首都圏空港機能強化の一環として、高層ビルの立ち並ぶ首都圏のど真ん中を、しかも超低空で飛ばそうとしている。その危険性や爆音による環境破壊などを顧みず、周辺住民の合意形成もないまま実施しようとしている。こうしたことが東京オリンピックや観光立国を旗印にして強権的に進められているのだ。
地域住民のいのちと暮らしを守るため必要不可欠な規制やルールを「岩盤規制」と罵倒し、際限のない規制緩和を進めるアベ政治に今こそストップをかけよう。成田空港や羽田空港周辺の住民と共にたたかう三里塚反対同盟を支援しよう。10・13三里塚現地に結集しよう。(野里 豊)

三里塚全国総決起集会
とき:10月13日(日) 正午
ところ:成田市東峰 反対同盟員所有畑
主催:三里塚芝山連合空港反対同盟



東電は事故の責任をとれ
反原発全国集会に8千人
9月16日

9月16日、さようなら原発全国集会が都内・代々木公園でひらかれ8千人が集まった。〈「さようなら原発」一千万署名 市民の会〉が主催し、〈戦争させない・9条壊すな! 総がかり行動実行委員会〉が協力。
福島原発事故刑事告訴支援団の千脇美和さんは「東電元幹部3人を業務上過失致死傷罪で起訴した。大津波を予見できたのに対策をせず事故を引き起こし死傷者を出した罪だ。被告人らは08年4月に、経済的理由で津波対策を先送りすることを決め、他の電力会社がやろうとしていた津波対策に口出しをしていたことも明らかになった。原子力安全保安委は、福島第一原発が津波に一番弱い原発と認識していたが東電の対策を数年にわたって先延ばししていた。絶対に許すことはできない」と訴えた。
続いて福島原発訴訟団のが登壇、避難の共同センターから、熊本美也子さん・村田弘さんが発言。
次に飯舘村被ばく労働裁判原告が発言。「飯舘村の仮設焼却場では、福島県内20カ所ある仮設焼却場と共に、原発事故で発生した放射性廃棄物の焼却処分をおこなっている。放射能やダイオキシンが凝縮した灰に触ることはないとされているが、機械のトラブルが頻繁にあるため、付着した灰に触れなければならなかった。危険な労働環境を改善しようともしない日揮に対して慰謝料を請求するのは、被ばく労働現場の改善を図り、労働者の健康を守るため。多くの人に復興事業の現場で起きた問題を知ってもらいたい」と述べた。
東海第二原発差し止め訴訟原告団・木本さゆりさんは「東海第二は40年を超える老朽原発、30キロ圏内には96万人が住んでいる。150キロ圏内には首都圏が入る、日本で唯一の首都圏型原発。12年1月、日本原子力発電を提訴した。原電側の書面では、事故で放射能が住民に到達するなど考えられないと書かれている。判決は21年春ごろの見込み。注目を」と述べた。
このあと高校生一万人署名活動についての報告などが続き、閉会あいさつを呼びかけ人のルポライター・鎌田慧さんがおこなった。
行動提起のあと、渋谷と原宿の二手に分かれてデモ行進に出発(写真上)。沿道の市民に反原発を訴えた。

辺野古断念=A求め続ける 玉城知事が現場を海上視察

キャンプ・シュワブゲート前のすわり込み(9月24日)

県民大行動

毎月第1土曜日、名護市辺野古のキャンプ・シュワブゲート前でおこなわれる「県民大行動」。9月7日の大行動には750人が参加し、新基地建設を強行する政府に抗議の声を上げた。
集会では、沖縄県選出の国会議員や県会議員がマイクを握り、繰り返される米軍ヘリの部品落下事故や米兵による事件を口々に非難。
抗議船の船長で土木技術者の北上田毅さんは「政府がいくら工事を強行しても20年かかる、辺野古にこだわれば普天間の危険性は20年以上も放置される」と語気を強めた。

K1で作業始まる

名護市安和の琉球セメント桟橋で9月10日、早朝から抗議活動が展開された。この日は創意工夫をこらした抗議活動で、トラックの搬入を通常の半分に減らすことに成功した。辺野古のキャンプ・シュワブゲート前では70人が座り込んだ。
海上では消波ブロックを設置する作業が「K1護岸」で始まった。工区「2―1」のN3、N5に囲まれたK4護岸側の作業が終わったことによる。そのため生コンクリートを積載したミキサー車の搬入が増加している。
玉城デニー知事は11日、名護市辺野古新基地建設の海上工事現場を視察した。海上視察は知事就任後初めて。玉城知事は軟弱地盤の存在が明らかになっている大浦湾側の海底などを確認。視察を終えた玉城知事は「辺野古新基地建設断念を求め、これからも政府に根気強く対話を求めていきたい」と話した。

法の悪用許さない

沖縄県が7月、県の「埋め立て承認撤回」を取り消した国土交通相の採決の取り消しを求めて、国を相手に提起した「国の関与取り消し訴訟」。その第1回口頭弁論が9月18日、那覇市の福岡高裁那覇支部で開かれた。玉城知事が法廷で意見陳述した。裁判所前の公園でひらかれた裁判支援集会に200人が参加。参加者は意見陳述に臨む玉城知事を「デニー」コールと拍手で激励した。
法廷で知事は、「行政機関によって権利侵害を受けた国民を救済するのが行政不服審査法。それを国が『私人』になりすまして悪用した」と強く批判した。裁判は即日結審し、判決は10月23日に言い渡される。

海と陸で抗議

台風明けの9月24日、工事が再開された。キャンプ・シュワブゲート前には早朝より市民らが座り込んだ。午前9時過ぎ、ゲート前にミキサー車が到着。市民らはスクラムを組んで抗議の声を上げる。やがて機動隊のごぼう抜きが始まった。市民らはそれにひるむことなく怒りのこぶしを突き上げた。この日は、ミキサー車のほか空の10トントラックなどが入った。 
海上では、工事再開に向けての準備が始まった。フロートが張り巡らされ、大浦湾には土砂搬入のための台船などが入った。抗議船2隻、カヌー14艇による抗議活動が展開。この日、土砂搬入の作業は確認されなかった。(杉山)

3面

請求権協定と8億ドル≠フゆくえ 第1回 請戸耕市
「完全かつ最終的な解決」とは

昨秋の元徴用工判決にたいして、安倍政権とメディアは、「解決済み」「8億ドルも支払った」という主張を繰り返している。では、何がどう「解決」されたというのか。「8億ドル」はどういう性格で、誰にわたったのか。このシリーズでは、これらを検証し、政府・メディアの主張を突き崩していく。第1回は、「完全かつ最終的な解決」という見解そのものを検討する。(サンフランシスコ講和条約=サ条約、日韓基本条約=条約、日韓請求権協定=協定、18年10月30日大法院判決=大法院判決と略記/傍線は引用者)

大法院判決と日本政府見解

まず両者の見解を対照する。

大法院「報道資料」

「本件の核心争点は、1965年韓日請求権協定により原告らの損害賠償請求権が消滅したと言い得るか否かである。これについて…原告らの損害賠償請求権は『日本政府の韓半島に対する不法的な植民支配及び侵略戦争の遂行と直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とする強制動員被害者の日本企業に対する慰謝料請求権』であって請求権協定の適用対象に含まれないとした」

日本政府見解

対する日本政府見解は、「請求権協定で完全かつ最終的に解決している。国際法上ありえない」「国と国との約束を守れ」。その根拠は協定第2条だ。
「両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、1951年9月8日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第4条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」
協定では確かに「請求権に関する問題が…解決された」とある。その「請求権」とは何かが問題だが、協定の条文では定かではない。さらに、判決の「原告らの損害賠償請求権」が、協定の「請求権」に含まれるか否かが争点である。
そこで、協定について@〜Bで検討する。

協定批判@
サ条約と請求権

協定の条文にもあるように、協定は、サ条約に基づいており、それに性格規定されている。サ条約は、第2次大戦の戦勝国(の内の48カ国)と敗戦国・日本との間で結ばれた条約。行論との関連で見ると、〈植民地支配は正当・合法〉とする考えに貫かれており、植民地支配に関する言及が全くないことがサ条約の特徴的な問題点。
サ条約に「請求権」という言葉がある。その「請求権」とは、一つに戦勝国と敗戦国の間の戦時賠償、今一つは民事的な債権・債務関係。そして、対日戦時賠償の放棄と、日本が戦勝国や占領地に有する民事請求権の放棄がうたわれている。しかし、サ条約の「請求権」の中に、植民地支配の清算に関する問題は全く含まれていない。協定の「請求権」もこれに規定されている。
しかも、解放・独立を勝ち取った韓国は、サ条約の署名への参加を要求したが、植民地支配問題を問題化させたくない英・米が反対し、それに乗じて日本も難色を示し、署名から排除された。
このようなサ条約による戦後体制の下で、韓国は、日本にたいして植民地支配の清算を求めることが困難な状況を強いられた。 

協定批判A
「植民地支配は正当・合法」

1951年からはじまる日韓の交渉過程で、日本政府の最大の眼目は、〈植民地支配は正当・合法〉の立場を押し通すことだった。それは、近代国家〈日本〉の形成・存立そのものに関わる問題だったからだ。
交渉過程で日韓政府の激しい論争があり、韓国民衆は「屈辱的だ」と大反対したが、米国の対ソ連対決の圧力と、それに乗じた日本側の反動攻勢、クーデターで登場した朴正煕政権の買弁独裁的性格という状況下で、日本政府は、植民地支配の不法性を認めず、強制動員をはじめとする不法行為にたいする賠償を一切拒否した上で、以下の条文に〈植民地支配は正当・合法〉の立場を込めた。
1点目。条約に「両国間の関係の歴史的背景…を考慮し」とあるが、その「両国間の関係の歴史的背景」が何であったのかについては、全く語られていない。日本による朝鮮侵略と植民地支配であった。にもかかわらず、反省や謝罪がないどころか、植民地支配を終わらせるとも言っていない。
2点目は「(1910年韓国併合以前の条約は)もはや無効」という文言。「もはや」とは1965年の日韓条約締結時を指す。つまり、65年まで「韓国併合条約」は「有効」ということがこの文言の真意である。〈植民地支配は正当・合法〉という立場だ。
しかも、「もはや無効」には、もう一つの仕掛けがあった。韓国政府が、国内向けに、〈「もはや無効」は最初から無効≠ニいう意味だ〉と虚偽の説明をする仕掛けである。
条約・協定は、憲法の天皇条項・国民条項と並んで、戦前と戦後の植民地主義の継承点、「大日本帝国」との接続点なのだ。

協定批判B
民事的な債権・債務の処理

協定の「請求権」とは何かである。〈植民地支配は正当・合法〉論に貫かれていることが核心。すなわち、協定の「請求権」とは、〈正当・合法な植民地支配〉の下での取引・契約で生じた〈民事的な債権・債務の処理〉を指している。〈植民地支配正当・合法〉論に立つ協定は、武力と脅し、警察の暴力、その下での日本による、日本のための開発と独占、甘言と強制による詐取・供出・動員といった〈不法行為はあるはずがない〉として否認し、不法行為に関わる賠償請求権は協定から除外した。
したがって、「両締約国及びその国民の間の請求権」とあるように、協定の「請求権」は、韓国の対日請求権だけでなく、日本の対韓国請求権でもあり、いずれも植民地支配責任を問わない〈単なる領土分離に伴う民事的な債権・債務の処理〉であり、それはともに協定で「解決」したとしている。
しかし、協定が除外した〈不法な植民地支配とその下での不法行為〉にたいする賠償請求権という問題にこそ、真実の告発と膨大な請求が存在する。日本政府は、その告発と請求の噴出を恐れ、協定の交渉過程、その封殺と切り捨てに躍起になった。
それが「完全かつ最終的に」というレトリックである。交渉の実務では、「請求権」を〈単なる民事的な債権・債務の処理〉に限定しながら、条文の表現では、包括的全面的であるかのごとく「完全」「最終」という強い文言で封印した。それは単なる言葉ではなく、サ条約的戦後体制と植民地主義の重しによる封殺であった。

封印を解いた判決

以上@〜Bで協定の構造を見たが、被害者とそれを支援する韓日の市民運動と裁判闘争がついにこの封殺を突き破った。大法院判決はその成果である。
その意義は、第一に、真っ向から〈植民地支配は不当・不法〉と断じたことである。
それは、同時に、条約・協定および日本政府の立場が、〈植民地支配は正当・合法〉論で貫かれているということを突き出すものである。それは朴正煕政権がもたらした、屈辱的な虚偽説明の否定・拒否である。条約・協定を否定しているのではない。否定したのは、虚偽の説明である。むしろ、日本政府の主張に沿った解釈に逆説的に徹底した。
第二に、大法院判決は、「請求権」には、二つの概念があることを明確にした。すなわち、一つは、〈植民地は正当・合法〉の立場にもとづく〈民事的な債権・債務を処理する請求権〉。今一つは、〈不法な植民地支配とそれに直結する不法行為〉という事実認識にもとづく〈不法行為にたいする賠償請求権〉。両者ともに「請求権」だが、全くの別概念だ。
そして、原告の訴えを、「日本政府の不法的な植民支配と直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とする強制動員被害者の慰謝料請求権」として明確にした。すなわち、賠償請求が、〈植民地支配正当・合法〉論を土台とする条約・協定の枠外であり、協定には拘束されない。
かかる論理をもって、「完全かつ最終的に解決」の封印を解いた。植民地支配の清算を要求する膨大な訴えに道を開いた。
第三に、判決は、条約・協定をなんら否定していないが、〈《植民地支配正当・合法》の立場の条約・協定を継続するのか〉という重大な議論を当然にも呼び起こしている。それは、朝鮮の植民地化を土台にしてしか成立しえなかった近代国家〈日本〉という枠組みを、解体する議論である。安倍政権の対応の異常さ・凶暴さの根拠もここにある。

国際法と約束

「国際法上ありえない」。それを言うなら、1960年代の国連の宣言や決議を経た21世紀の今日、植民地支配は国際法上もはや不法である。今日なお、〈植民地支配正当・合法〉とする条約を維持していること自体が国際法違反である。グローバリズム下での形を変えた植民地主義の継続という事実の上でも、法の建前上は「国際法上ありえない」。

〈汚い約束〉

「国と国との約束」「約束は約束」「約束は守れ」。そういう道徳話にすり替えるのではなく、〈誰と誰が何を約束したのか〉を明確にすべきだ。〈約束〉とは少なくとも以下のものだ。
@〈植民地支配は正当・合法〉とする日本政府の主張を、韓国政府が飲む。しかも、韓国国内向けには虚偽の説明をする。
A〈植民地支配は正当・合法〉だから、不法行為にたいする賠償請求は受け入れないが、もし請求がなされたら、日韓政府が協力して抑え込む。
B以上を前提に、日本政府が、買弁独裁の朴正煕政権を支える経済協力を供与する約束。しかも戦犯企業と戦犯政治家に巨利を還流させる。
この〈汚い約束〉を交わしたのは、植民地支配者のままの日本政府と、独裁・買弁の朴正煕政権だ。韓日の民衆、特に韓国の民衆の強い反対を圧して強行した。〈汚い約束〉を守り続けることは法的道義的に犯罪だろう。韓国の民衆は、長い運動を通して、民主主義を大きく前進させた。条約・協定の破棄、日本の謝罪と反省にもとづく再締結が当面の課題である。(つづく)

4面

甲状腺検査のデメリット強調
福島県民健康調査の現状

甲状腺検査の怪

第35回福島県民健康調査検討委員会(7月8日)において、小児甲状腺がんにおける悪性の疑いは218人(2019年3月現在)になった。にもかかわらず、検討委員会の結論は「被ばく線量と小児甲状腺がんの因果関係はみられない」である。
2011年3月11日時点で0〜18歳であった子ども約38万人を対象に、甲状腺検査は11年10月から開始された。1巡目検査(11年10月〜14年3月)、2巡目検査(14年4月〜16年3月)、3巡目検査(16年4月〜18年3月)、4巡目検査(18年4月〜)となっている。ここに福島県民健康調査の怪がある。
当初、甲状腺検査の目的は@子どもたちの健康を長期に見守るため、A現時点での甲状腺の状態を把握するため、この2つであった。しかし、18年からAが削除されている。 1巡目のまとめは16年3月に「中間とりまとめ」として出された。それは「被ばく線量と小児甲状腺がんに因果関係はみられない」という内容であった。現在、検討委員会で問題になっているのは、2巡目検査の総括にかかわる内容だ。

2巡目検査の結果

2巡目検査(14年4月〜16年3月)に対する検討は「甲状腺評価部会」(以下、部会とする)において、17年6月〜19年7月にかけておこなわれている。
第8回部会(17年11月30日)で、重要なデータが発表された。1巡目検査では「地域差はみられない」としていたが、2巡目検査では地域差が明確になったのだ。人口10万人あたりの人数は、会津地方(15・5)、浜通り(19・6)、中通り(25・5)、13市町村(49・3)と報告されている。
しかし、第12回部会(19年2月22日)で、わざわざ統計処理方法を変更し、UNSCEAR推計甲状腺吸収線量を持ちだしてきて、「地域差はみられない」との結論をひきだした。その後、この統計処理のさいにプログラムミスがあったこともわかった。

「甲状腺検査中止」

16年頃から、専門家の中から「甲状腺検査は中止すべき」という意見が出てきている。この意見は、今日でも検討委員の中に根強く存在している。この人たちは「福島原発事故と小児甲状腺がんに因果関係はない」という方向に誘導している人たちだ。長崎大学、広島大学、福島県立医科大学、放射線医学総合研究所(放医研)が強いネットワークを形成している。今日、ここに大阪大学も加担している。原爆被爆地にある大学がこれを牽引していることは、放射線研究が何のためにあるのかを示している。
中止したい理由は、はっきりしている。甲状腺検査において、彼らにとって「不都合な真実」が現れているからだ。甲状腺評価部会長の鈴木元は「放射線の影響でないことがわかるまで調べる」と言っている。彼が言いたいのは、放射線の影響でないことがわかれば、すぐにやめるということだ。

デメリットを強調

いっぽう、来年4月からおこなわれる5巡目検査の「おしらせ」文案が大幅に改訂されようとしている。改定案は「この検査では、甲状腺の状態を超音波診断装置で調べますが、個別に放射線被ばくの影響がわかるものではありません。検査にはメリットとデメリットの両面があります」と書いたうえで、次のようになっている。
「県民健康調査」甲状腺検査を受診することで想定されるメリットとしては、検査の結果、問題がなければ、放射線の健康影響を心配されている方の安心につながることや、問題があれば(治療を必要とする変化が発見されれば)、早期診断早期治療につながる可能性があります。/デメリットとしては、一生気づかずに過ごすかもしれない無害の甲状腺がんを診断・治療する可能性や、治療に伴う合併症が発生する可能性、結節やのう胞が発見されることにより不安になるなどの心への影響が考えられます。/一般的には、がん検診として甲状腺超音波検査による甲状腺がんの集団スクリーニングをおこなうことは、メリットよりデメリットが上回るため推奨されておりません。県民の不安を受けて開始した「県民健康調査」甲状腺検査においては、引き続き県民の不安に寄り添うとともに、メリットとデメリットを理解し希望される方に検査を実施しております。なお、「県民健康調査」甲状腺検査では、検査に伴うデメリットを可能な限り少なくする方策をとっております。
このように、福島県立医科大学は甲状腺検査のデメリットを強調して、できるだけ受診しないように誘導しているのだ。

検討委員会「見解」

甲状腺がんと診断された当事者におこなったアンケート調査(17年に実施)では、甲状腺検査の維持、拡充を望む人は92%、縮小を望む人は0%になっている。住民は甲状腺検査の継続を真に願っている。自らの利益に立った「専門家」が、とやかく言うべきではない。7月24日に出された2巡目検査について検討委員会の「見解」で星北斗座長は「UNSCEAR推計甲状腺吸収線量を用いていることは妥当」とし、一言の修正もなく「因果関係はみられない」と結論付けた。
しかし、これによって「原発事故によって小児甲状腺がんが多発している事実」をぬぐい去ることはできない。福島県民健康調査検討委員会は「因果関係がない」という結論を引き出すことを前提に、議論が進行している。全国から抗議の声をあげていこう。(津田保夫)

大飯4号機再稼働に抗議
9月13日

7月4日から定期点検のため停止していた大飯原発4号機の再稼動を、関西電力は9月13日に強行した。〈原発うごかすな! 実行委員会@関西・福井〉は緊急抗議行動を呼びかけ、福井県おおい町に、福井や京阪神から50人がかけつけた。
正午、おおい町大島の南浜バス停に集まり、〈若狭の原発を考える会〉木原壯林さんが、「先日も高浜原発4号機で蒸気漏れのトラブルが発生。トラブルを頻発させる関電に原発を動かす資格はない。大飯原発4号機再稼働を止めよう」とアピール。ただちにデモに出発。デモ隊は大島を縦断するかたちで町内を進み、原発ゲート前へ(写真上)
ゲート前に到着後、再稼働に反対する抗議行動を展開。小浜市の明通寺で住職を担う中嶌哲演さんがマイクを握りアピール。続いて、高浜町の住民や、滋賀県から参加した人が、10月1日からの「老朽原発うごかすな! キャンペーン」とリレーデモについて報告した。午後2時、関電にたいして、大飯原発4号機を再稼動するなという申し入れ。さらに抗議行動は続き、福井県各地や、関西から参加した人々が、各地での取り組みや、各自の思いを発言した。
関電は2020年夏以降、40年を超える高浜1・2号機(来年で46、45年を迎える)、美浜原発3号機(44年を迎える)の再稼動を狙っている。これを阻止すれば、原発銀座といわれる若狭の原発は順次止まっていく。この秋が正念場だ。「老朽原発うごかすな! キャンペーン」と「老朽原発うごかすな! リレーデモ」を成功させよう。(仰木 明)

伊方原発山口裁判の抗告審 広島地裁 年内終結、年明け判断へ

山口県の住民が四国電力伊方原発3号機の運転差し止めを求めた仮処分申請の即時抗告審の第1回審尋が、9月11日広島高裁(森一岳裁判長)で開かれた。
〈伊方原発をとめる山口裁判の会〉の住民・弁護団は、「子どもたちが安心して暮らせる未来を!」の横断幕をかかげ広島高裁へ乗り込み行進。高裁前で集会をしたのち、審尋出席者を送り出した。審尋は非公開でおこなわれ、抗告人側、四電・国側双方がそれぞれ地震・火山・避難・司法審査のあり方など、それぞれ約90分のプレゼンテーションをおこなった。
各地の反原発の仲間と支援者は、広島弁護士会館大ホールに集まり、写真パネル展示『福島・もうひとつの時間』(山口県在住のフォトジャーナリスト・那須圭子さん)を見たり、映画『日本と原発4年後・法廷版』(河合弘之弁護士・監督)のビデオを鑑賞しながら抗告人、弁護団の到着を待った。
審尋に参加したメンバーらによる報告、質疑応答が始まった。中村覚、海渡雄一弁護士ら弁護団と広島大学大学院理学研究科の早坂康隆准教授から「火花が散るような法廷だった」「伊方原発敷地前の地層など裁判長からの質問もあった」と報告があった。
今後、10月15日まで追加の書類を受け付けてのち審尋は終了。年明けにも決定が出る見通しになった。勝てば直ちに原発が止まる仮処分抗告審に注目したい。

福島避難者、上関、黒い雨訴訟の裁判も

前の週には福島原発事故からの避難者が賠償を求めている「福島原発ひろしま訴訟」と、原爆後に降った「黒い雨」を浴びた人たちが被爆者健康手帳などの交付を求める「黒い雨」裁判、さらに上関原発建設のための埋め立て免許の延長にたいする裁判などがおこなわれた。広島では、被爆二世への援護措置を国に求める「被爆二世集団訴訟」もたたかわれている。
これらに共通するのは、直接の高線量被ばくだけでなく、長期にわたる低線量被ばくの影響とそれによる健康被害である。「低レベル、低線量だから」と放射線被害を軽視しようとする企みを許してはならない。
原告、市民は「核と人類は共存できない」を根本に、すべての核の廃絶を求め続ける。(江田 宏)

原発は核兵器と表裏一体(下)河合弘之さん
生涯かけ原発を止める

水戸喜世子さんからノーベクレル賞を授与される河合弘之さん(8月6日 広島)

反原発運動は悪意に囲まれる

反原発には共感もあるが、無視、悪意、敵意、憎悪にも囲まれてもいる。「原子力ムラ」という推進しようとする巨大な勢力があり、凄まじい示威、利権構造を進めている。政府、それに結びつく経済界、投下した資本や巨大な設備を有する電力会社、そこに従う科学・研究、マスメディアがある。これらは、日本の社会の7割以上を押さえているのではないか。だから反・脱原発に敵意や憎悪が向けられる。
本来は一体であるはずの運動がつながらない社会的構造になっている。それを感じる反核運動は、なるべく反原発運動と交わらないようにしてきた。もちろん両方やっている人たちも多いが、基本的にそういう構造がある。20年ほど前に、ある集会で原発を話したことがあるが、労組から動員された人たちが退屈そうに聞いていた。いまは克服されつつあるが、敵は一体なのだから、こちらも共同しなければ。

「いまだけ、金だけ」の原子力ムラ

みなさん、「なぜ再稼働が止まらないのか」と思うでしょう。「いまだけ、金だけ、自分(の会社)だけ」というのが原子力ムラだから。電力会社は、とくにそうだ。核燃料は余っているが、原発を化石燃料その他に置き換えると年間500億円の差が出る。関電は再稼働までの5年間、無配、ボーナスほとんどなし、債務超過、無能経営と謗られた。福島の後さすがに「総懺悔」の雰囲気だったとき、自民党の石破さん、読売などが「やめてはいけない。核兵器開発の潜在的能力を維持する」と言った。政権の腹黒い部分は常にそう言ってきた。
それまで国民は、「安心、安全、安い、CO2を出さない」キャンペーンに慣らされてきたが、福島の大事故で「原発は危険」となったとき、こういう発言がむくむくと出てくる。ここにも原爆と原発の関係が明らかだ。しかし日本は核実験できる場所もない、不拡散条約すら吹っ飛んでしまう。それなのに、手放したくないという政権だ。途上国などに原発を、コストを無視し輸出しようとしているのはロシア、中国だけ。他はコストが上がり過ぎ破綻している。

隠される健康被害

いま福島原発で深刻な問題は放射線による健康被害、小児甲状腺ガンの増加。小児甲状腺ガンは100万人に1人、2人という非常に稀な病気。ところが福島で18歳以下、約36万7千人を調査したら、最初は50人、100人、いま200人を超えた。比較すると何百倍だ、福島事故との因果関係は明らか。しかし、政府や県はさまざま理屈をつけて認めようとしない。いちばんの理屈は「過剰な検査による」としている。多少の差異はあるかも知れないが何10倍、何百倍というのは説明できない。県や政府は「因果関係があるとは言えない」とし、「ない」とは言いきっていない。因果関係を認めた判例もない。こういう言説で「怖くない、再稼働も可」という方向に導く。原子力ムラは、「原発安全神話」は崩れたから、今度は「放射能安全神話」に導こうとしている。スリーマイル、チェルノブイリ、JCО、福島第一の大事故が起きてしまった。それなら「起きても大丈夫だ」にしようと。ガンが見つかった子どもたちや母親は、「風評被害を広げるな、復興が遅れる」という圧力に声をあげられない状態に置かれている。県に情報開示を求めてもまったく出さない。それで3・11甲状腺ガン子ども基金をつくり支援を呼びかけ、いま132人が名乗り、支援を受け相談を続けている。
どうして被害者が差別され、声をあげられないのか。それは「福島事故で健康被害はなかったことにしよう」という政策の裏返しにあるから。

原発は自国に向けた核兵器

原発は核兵器と表裏、自国に向けられた核兵器と言ってもいい。原発1基を1年間動かすと、広島原爆の1000倍の放射能を持つ使用済み燃料が出る。何かの要因での事故やあるいは他国から通常ミサイル攻撃が行なわれると、拡散される放射能は核兵器以上になる。あえて言うと「国防上も最も危険なもの」を50カ所以上もつくっている。私は北朝鮮や民族を差別するつもりはないが、ミサイルを理由とする原発事故、災害を想定した差止訴訟も起こした。
福島事故がまったくどう推移、収束できるのかわからないとき当時の菅首相は、原子力委員会のトップ、東大教授の近藤氏に「このまま最悪の事態を迎えたらどうなるのか」と、シュミレーションを依頼した。結果は「最悪の場合、250キロ圏内は強制または任意退去になる」だった。東京を含む日本の中枢部が壊滅する、それくらい恐怖の事故だった。近藤氏がいちばん怖れたのは、使用済み核燃料プールの水が洩れてのメルトダウン。たまたま偶然により4号炉のプールは水を維持できた。原発事故は国、社会を滅ぼす。地震国の日本は、その確率が格段に高い。地震の多さは世界の面積比率で130倍だ。伊方原発が事故を起こすと、瀬戸内海は全滅する。

広島・長崎は、訴える権利と義務が

そうさせてはならない。自然エネルギーは世界の流れだ。環境だけではなく経済的にも大きな問題になっている。風力、太陽光などで海外、中国にもはるかに遅れている。新規の原発建設などコスト面でも論外だ。安倍政権は原発輸出を目論んだがベトナム、トルコ、イギリスとすべて失敗した。「安全基準」が高くなり、コストが釣り合わなくなったから。世界は大きく原発衰退に向かっている。しかし、安心して反対運動をしないで待っていてはダメ。その間に事故が起こったらお終まいだ。
核兵器は人間の本性に対立する。広島・長崎、みなさんは世界に訴える権利と義務がある。同時に、原発をやめろと運動していこう。私は原発をとめるために、生涯をかける。(おわり)

(コラム)
私と天皇制 H
「北海道」命名150周年と帝国日本の墓泥棒

今年はアイヌモシリ(アイヌの静かな大地)が「北海道」とされて150年。
明治政府は北海道土地売貸契約規則を制定し、アイヌに土地所有を認めず、辺境の地に強制移住させた。アイヌモシリは「和人」たちの奪い放題になった。
天皇は200万町歩もの土地を手に入れた。全国にある天皇領の55%にも当る。そのうち農地は1・4%に過ぎない。
多くの農奴を抱えて、たびたびその反乱に悩まされたロシアのロマノフ王朝の轍を踏むまいと、岩倉具視が考えたのだ。
1903年に大阪で第5回内国勧業博覧会が開催された。そのときアイヌは琉球や台湾の人たちと同じように、民族衣装を着て檻に入れられ、「和人」たちの見せ物にされた。 北海道帝国大学などの全国の大学や研究機関が、2000体ものアイヌの遺骨を「研究資料」として盗掘した。遺族の了解を得ずに、行政当局の協力のもとでおこなわれたのである。東京帝国大学は、土葬された遺骨から血液も盗んだ。京都帝大や大阪帝大もやっている。
アイヌの人たちが長い間返還要求をしてきたが、拒否され続けた。裁判の結果ようやく一部が返還された。しかし北大はわずかな移送費と埋葬費を負担しただけで、謝罪はしなかった。
1928年から29年にかけて、京都帝大の助教授が警察と行政当局(いずれも本土出身者)の協力を得て、琉球の旧王族らの遺骨を多数盗掘した。遺族や民法上の遺骨の所有者らが、京大に返還を求めているが、けんもほろろの扱いを受けている。ゴリラと会話できる山際総長は、琉球人とは会話できないのか。
今年7月、大阪府南部の古墳群が世界文化遺産に認定された。そのうち最大の「仁徳天皇陵」について日本考古学会は疑問視し、呼称の見直しを求めている。しかし宮内庁は調査を拒んでいる。
天皇陵においてはその立ち入りや、公開、学術調査全般を厳しく制限する一方で、琉球王族の墓泥棒を権力公認でおこない、抗議に耳を傾けようとしないとは!
私は数十年前、北海道を訪れた。ある労働組合の全国大会で、青年部長の解雇反対闘争に敵対する幹部糾弾のビラを配るためである。その後道内を旅したが、空気が澄み、食べ物がうまく、雄大な自然は魅力的であった。しかし、観光客目当てのアイヌの踊りを見物する気には、到底なれなかった。アイヌの人びとから土地だけでなく、言語と文化を奪い「創氏改名」を強制した「和人」の末裔の一人として。(Q生)

6面

国家とグローバル資本の融合
伊藤公雄さん(京都大学名誉教授)が講演

9月15日、伊藤公雄さん(京大名誉教授)を招いた講演集会が大阪市内でひらかれ、100人が参加した。主催は同実行委員会。集会後、難波までデモをおこなった。
伊藤さんは〈格差・貧困・戦争の流れにストップを〜新自由主義と「国家」・グローバル資本複合体〜〉というテーマで講演した。伊藤さんの講演は1970年以降の資本主義体制を解明しようとするものであった。新自由主義とは何か、どのようにたたかうのか、示唆に富んだ非常に興味深い内容であった。講演要旨は以下のとおり。

資本主義の暴走

今日、資本主義が暴走を続けている。世界では格差が広がり排外主義の政治が広がっている。ヨーロッパで、社会民主主義政党と共産党の時代は終わってしまい、新しい勢力が各地で生まれている。
1970年前後に社会は変わった。アメリカが金本位制をすて、金による裏づけがなくなり、紙のドル支配となった。情報化社会のなかで労働者は個人化してゆき、従来の労働運動が衰退していった。日本では「スト権スト」を最後にして、社会が変わっていった。
1980年前後から、新自由主義が登場してくる。73年、チリのアジェンデ政権が軍のクーデターで崩壊した。これはCIAとチリ右派軍部の結託によっておこなわれた。以後、これが新自由主義のモデルケースになっていった。ここで用いられた「構造調整プログラム」が、欧米の資本主義国にも持ち込まれていく。

国家の変質

91年、ソ連の崩壊とともに、国家とグローバル資本が一体になっていき、ここに関わる人たちの利益だけが優先されるようになった。あたらしく「自己責任」論が叫ばれ、国はすべて個人に責任を転嫁させていった。国家は国民を生きさせる存在ではなくなり、グローバル資本を保護するものへと変わった。国家権力は資本主義体制による利益者集団の集まりであり、国家はこれを調整する。これは「原子力ムラ」をみればよくわかる。
資本はあくなき増殖を求めて自己運動をしていく。いっぽう、「社会主義」はソ連が崩壊するなかで、計画経済のもつ問題性が浮きぼりになっていった。現在、資本の支配が全世界化・全社会化するなかで、資本の暴走がおきている。これにたいして、社会的労働者(生産労働者、主婦、学生、失業者、障がい者など)が変革の主体をにぎっていくべき。
安倍政権はまさに「コネと利権のネットワーク」だ。安倍政権はけっしてアメリカに逆らわないように立ちまわり、軍事産業と結合して「富国強兵」を実現していく路線だ。ここでは電通と警察と経産省がヘゲモニーをにぎり、官邸独裁によって官僚を統制している。

安倍政権のもろさ

このように、人びとの生活に目をむけない安倍政権は、民衆の力を軽視しているがゆえに、非常にもろい存在でもある。民衆がたちあがり、韓国のような闘いをおこなえば、「一網打尽」になってしまう権力なのだ。だからこそ、警察官僚が権力のヘゲモニーをにぎり、安倍政権に反対する勢力を暴力で解体しようとしている。
全日本建設運輸連帯労組関西地区生コン支部は、労働者と中小企業が団結して、労働組合の力でゼネコン支配を打ち破ろうとしている。「関西生コン弾圧」の本質は、ゼネコン企業の利益を確保するために、組合の交渉能力をうばうところにある。
こういう情況のなかで、資本の支配から解放されるために、社会運動勢力も変わっていく必要がある。多様なうねりが出てきているなかで、これを調整し水路づけていくことが求められており、この能力をつけることがわれわれにつきつけられている。

労働現場の実態
8時間カートを引きっぱなし
倉庫内ピッキング作業

今回話を聞いたAさんは、日中の仕事と別に臨時に夜の仕事が必要となり、派遣会社を通して大型物流施設の深夜のピッキング作業に入ったという。ピッキングとはあらかじめ渡されたリストをもとに倉庫内の指定の品物を集める作業である。以下はAさんが語った、ピッキングの現場の様子である。(請戸)

現場は、大阪府高槻市にある5階建ての大きな物流施設。その3階と4階が仕事場だ。事務所に入ると派遣会社ごとに名簿があり、出勤時間を書いたあと、簡単な作業説明を受ける。靴の上からつけるつま先保護カバーを履くように指示された。
集まっていたのは10代後半から60代とさまざまな男女が30人くらいだ。ほとんどの人が自転車かバイクで近隣から来ているようだった。
作業開始は21時。事務所をでると、だだっ広いフロアに商品棚が並ぶ。フロアの面積は約4000坪で、甲子園球場のグラウンドの面積に匹敵する。トラックの積み下ろしをするエリアは一面壁がなく、吹きさらしになっている。
フロア内の商品は、Aゾーンは電化製品、Bゾーンはキッチン関係というように区分されて置かれている。センターと呼ばれる場所が2、3カ所あり、そこでパソコンから次々打ち出されるA4の紙を1枚ずつ受け取って、ピッキング作業に入る。30代のベテラン風の女性に仕事のやり方を教わった。
A4の紙には、3D―15―1といった場所、商品名と個数、商品説明が書かれている。その紙をもって、自分の背丈くらいあるカートをひいて、指定の商品を集めて回り、積み込み場所近辺までもっていく。そしてまた新しい紙とカートで商品を集めて回る。その繰り返しだ。棚の高さは2メートルを超えており、上の商品は踏み台に乗ってとることになる。
物珍しさで最初はおもしろかったけど、作業はきつい。作業に入るとほとんど人に会うことがない。それくらいフロアが広いのだ。フロアの3分の2程を行ったり来たりしながら、延べ8時間歩き通しになる。ノルマやうるさい指示などはなかったが、手を抜ける雰囲気ではない。
15カートくらいはつくったと思う。自分の横でカートを引きながら広い倉庫の中を歩き続けるので、足が疲れるし、腰もやられる。休憩時間には靴を脱いで、足の裏をもんだ。
トイレは行きたいときに行けた。給水器は所々にあった。とにかく給水だ。一気に3杯、何回も飲んだ。塩あめもあった。
勤務時間は午後9時から翌朝6時まで。午前1時から2時までの1時間が休憩時間だが、この分の時給は出ない。休憩室は会議室のようなところで、給水器と自販機があるだけだ。横になれる場所はなく、椅子に足を伸ばしてウトウトするのが関の山だ。時給は基本が1100円で、午後10時から午前5時までが深夜給で1370円になる。一晩働いて計1万0420円だ。
最初は週に2回くらい入ろうと思っていたが、一晩でとても無理だとわかった。テレビで、ロボットが荷物を仕分けして、ベルトコンベヤーに載せているのを見たことがあるが、ここではほとんどが人力だ。自分も通販を利用するが、荷物1個のためにこんなに大変な作業をしているとは知らなかった。

ヤマトの倉庫

ヤマトの関西ゲートウェイにも面接に行った。こっちはもっとすごかった。
「ランドポート高槻で1回働いた経験があります」と言うと、「いえ、比較になりません」と言われた。隣で説明を受けていた高校生は、「とにかく根気と忍耐の仕事です」と言われていた。延々と途切れることのない荷物をベルトコンベヤーに載せる仕事のようだ。水を飲むために席を外すこともままならない感じだった。そのためか作業員たちは腰にペットボトルを下げていた。外国人労働者が多数で、たぶんベトナムの人たちだろうか。まとまって働きに来ている様子だった。「今から救急車、呼ぶから!」という声が聞こえた。けが人が出たのかもしれない。(了)