日韓の協力、市民の手で
東アジアの平和を目標に
安倍政権による韓国敵視の政策が激しさを増すなか、日韓関係は過去最悪といわれるほど悪化している。こうした「日韓対立」を乗り越えていく道はあるのか。7日、京都市内で「韓国の現状・日韓関係の今後」をテーマに緊急学習会が開かれた。報告は、在日韓国研究所の金光男さん。
検察のクーデター
まず゙国氏をめぐる「疑惑」の本質は、文在寅政権が進めようとしている司法改革を阻止するための韓国の検察によるクーデターであると、金さんは断じた。韓国の検察権力は、1987年の韓国の民主化以前は、独裁政権の手先としてその強大な権力をふるってきた。民主化以降もその権力は維持され、改革のメスが入らなかった唯一の官庁であった。文在寅は9月の韓国国会で成立をめざしている司法改革の関連法案によって、検察の権限を縮小しようとしている。その改革の旗手としで国氏を法相に指名したのである。 これに猛反発した検察権力が、゙国氏の法相任命を阻止するために大々的な「疑惑」キャンペーンを張ったのである。数々の「疑惑」が取り沙汰されているが、いずれも根拠のないものばかり。そのなかでも゙国氏が直接関係しているものは唯一、実娘の「不正入学疑惑」だけだ。゙国氏は学生運動出身のソウル大学教授で、韓国の若者たちにとっては「進歩のアイコン(象徴)」だった。その彼が実は特権層に属する人物であったことに失望が広がっている。 問題は、日本のマスコミだ。「タマネギ男」などと茶化して、隣国で生じている民主主義の根幹にかかわる重大事を、バラエティ扱いしているのは憂慮すべき事態だ。
原因は安倍政権
8月22日、韓国は軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄を決定した。その直接の原因は、経済産業省が7月1日に発表した韓国にたいする「半導体材料3品目」の輸出規制の発表である。日本政府は、韓国との間で事前協議もおこなわず、一方的に韓国・大法院判決にたいする事実上の制裁措置を発表した。続いて8月2日には、韓国を輸出優遇対象国から除外することを閣議決定した。これが韓日間の信頼関係を著しく損なうことになった。日本政府が「韓国を安全保障上の友好国ではない」と主張している以上、文在寅政権がGSOMIAを延長する理由はない。この問題の責任は、安倍政権の韓国敵視政策にある。
日韓の市民連帯を
韓国・大法院判決の核心は、日本による「朝鮮植民地支配は不法である」ということだ。判決は日韓請求権協定を否定していない。「個人請求権は消滅していない」と主張しているのであって、これは日本政府も認めている。
最後に金光男さんは報告を次のように締め括った。いま必要なのは日韓両国の市民による連帯・協力の展望を示すことだ。それは平和憲法を東アジア平和の礎とすることと、「朝鮮半島平和プロセスによる東アジア平和秩序の構築」を共通目標にした、日韓市民連帯である。
辺野古問題、議論広げて
玉城沖縄県知事 大阪でトークキャラバン
9月8日
9月8日、大阪市内で玉城デニー沖縄県知事の講演がおこなわれた。主催は沖縄県で、辺野古への新基地建設をはじめとする沖縄の基地過重負担問題を日本各地の人びとに自分の問題として考えてもらうことが目的だ。6月東京、8月名古屋、そして9月大阪で3回目となる。今後、広島、福岡などで開催予定。
タイトルはデニー知事トークキャラバン・イン・大阪=B会場は300人程で超満員となり、入りきれない人であふれた。
玉城知事は講演のなかで、今年2月の県民投票で投票者の7割以上が「辺野古新基地建設NO!」という強固な県民の意志を示したにもかかわらず、投票直後から工事を強行してきた安倍政権への心底からの怒りを表明した。そして、「新基地建設に賛成であれ、反対であれ、お互いに真剣に話し合って相互に納得のいく解決策を探っていこう」という玉城知事の提案を無視し、問答無用で工事を強行している安倍政権への怒りである。それは強権をふりかざし、地方自治法も無視する民主主義破壊の独裁的政治への危機感である。
強権政治に負けない
実践的な結論として玉城知事は、各地で基地問題にかんする論議を広げ、深めることで強権政治を打ち破っていこうと訴えた。
辺野古新基地建設、沖縄の基地の過重負担、諸外国と比較しても不平等性がきわだつ日米法的地位協定の見直しなどの諸問題を解決するには、一人ひとりが、沖縄の問題を「自分事」として受けとめることができるかどうかにかかっている。そのために無理する必要ない。自分ができる範囲で、まわりの人に問題をなげかけ、論議の輪を広げてほしい、と強調した。
この提起を受けて、この日のトークキャラバンを担った「玉城デニーさん『トークキャラバン・イン・大阪』を支援する有志の会」は、「玉城デニーさんトークキャラバン津々浦々の会」に名称変更して、活動を継続する。
玉城知事のモチーフである「誰一人取り残されることない沖縄」、「安心・安全・平和な社会」は、万人に共通する普遍的な課題である。辺野古新基地建設問題をとおして基本的人権や平和的生存権が脅かされている現状に人びとが目を向けていくことによって強権政治に負けない土台を形成していくことができる。玉城知事の訴えは参加した人たちにそのことを確信させた。
琉球遺骨返還訴訟
遺骨には魂が存在する
京都地裁 金城実さんが意見陳述
学会が返還拒否促す
戦前、京都帝国大学の助教授・金関丈夫が沖縄県今帰仁村の百按司墓から盗掘した遺骨の返還を求める裁判が京都地裁でおこなわれている。この裁判に関連して、日本人類学会が今年7月22日に京都大学の山際壽一総長宛てに要望書を提出していたことが明らかになった。それは琉球遺骨の返還要求に京大が応じるようなことがあれば、「古人骨を扱った研究が著しく阻害」されるとして、京都大学に、どのようなことがあろうと遺骨の返還には応じるなと強く促すものだ。
この要望書に対して原告団が日本人類学会に抗議文を提出した。亀谷正子さんは学会が「返還拒否」を促す要望書を出したことに対して、「知識人としての良識はないのか」ときびしく批判した。 松島泰勝さんは盗掘した琉球遺骨を「国民共有の財産」と言い張る学会の姿勢は「琉球の歴史を軽視した支配者の『奢り』」が感じられるとして、要望書全体を貫く植民主義を糾弾し、謝罪を求めた。
京大は早急に決断を
8月30日、京都地裁で琉球遺骨返還請求訴訟の第3回口頭弁論が開かれ、原告の金城実さん(写真)が、次のように意見陳述した。
「遺骨はかつて生きていたことの証しである。沖縄では生まれるときは潮の満ちるときであり、死ぬときは潮が引くときである。沖縄の人びとにとってお墓とは、守護神としての祖霊が住まう神聖な場所である。沖縄の墓の形は母親が子どもを産むときの体形である。私の父は19歳で志願兵として熊本連隊に入隊し、靖国神社に合祀されている。遺族に無断で合祀された父の魂は、いまだに戻ってきていない。これは沖縄の『子宮回帰』思想の否定である。京都大学に保管されている遺骨には、魂は存在しないと思っているのか。そこには天皇制を中心とした植民主義がかかわっている。京都大学は琉球人の祖先の遺骨をあまりにも軽々しく考えているように思えてならない。どうして遺骨を返還しないのか。遺骨返還に応じないとする京都大学は、戦前日本国家が推し進めたアジアへの植民地政策をも、正当化することになるのではないか。京大は早急に決断すべきだ」。
次回第4回口頭弁論は11月29日(金)午後2時より、京都地裁101号法廷(大法廷)で開かれる。
(お知らせ)
お知らせ
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9月30日まで200円(本体186円)
10月1日から200円(本体182円)
2面
朝鮮学校 高校無償化裁判で上告棄却
野放しにされる民族差別
8月27日
すべての意志ある高校生が経済状況にかかわらず、安心して勉学に打ち込めるような社会をつくるという趣旨のもと制定された高校無償化法。当初、各種学校扱いの外国人学校も対象にした画期的な制度であった。それを第2次安倍自公政権は全国にたった10校の朝鮮学校のみを対象から除外した。
学校法人大阪朝鮮学園が国を相手取り、いわゆる「高校無償化」制度にもとづく就学支援金支給の不指定処分取消しと、同学園の指定義務づけを求めた裁判において、2019年8月27日、最高裁判所第3小法廷(山崎敏充裁判長)は大阪朝鮮学園の上告を棄却し、また上告審として受理しないと決定した。さらに同日、東京朝鮮中高級学校の生徒61人(提訴時62人)が起こした国家賠償訴訟においても、最高裁同小法廷は上告棄却、上告受理申立て不受理の決定を下した。安倍政権に忖度し、司法の三権分立も形骸化し、日本の司法が時の政治権力におもねる存在に成り下がった。断固抗議する。
さる2017年7月28日に大阪地方裁判所が言い渡した第一審判決は、大阪朝鮮高級学校に対する不指定処分について、当時の下村博文文部科学大臣が裁量権を逸脱、濫用したもので違法、無効であり、同校は法令に基づき適正に運営されていると認めた。大阪地裁での全面敗訴に慌てた国は、控訴理由書で朝鮮総聯の「反社会的組織」としての性格を強調し、総聯の「不当な支配」を受けている疑いがある朝鮮高級学校の教育内容は、教育基本法の理念に反するとの主張を執拗に展開した。そして大阪高等裁判所は、およそ教育行政とは無関係な、一部の報道や公安調査庁の資料などをもとに、朝鮮学校に対する差別を正当化しようとした主張を受け入れ、2018年9月27日に国側逆転勝訴の不当判決を言い渡した。そして今回の最高裁決定により、国側勝訴が確定することとなった。
植民地主義政策
この間、国際人権機関は日本政府に対して朝鮮学校に「高校無償化」制度を適用するよう、再三勧告してきた。今年(2019年)に入っても、3月5日に国連子どもの権利委員会が、朝鮮学校に制度を適用するために、基準そのものを見直すよう勧告している。ところが日本政府はこれらの勧告を無視するばかりか、地方公共団体の補助金交付に圧力をかけ(2016年3月29日付文科大臣通知)、来る10月1日から実施予定の「幼保無償化」においても、朝鮮学校を含む外国人学校(各種学校)の幼稚園を除外するという露骨な差別政策を取り続けている。
このような朝鮮学校に対して繰り返される差別は、この間、朝鮮半島の平和的動向に反して、日韓関係を悪化させてきた安倍政権の、国家権力による朝鮮民族に対する植民地主義的政策が明確になったものだ。
問われる日本社会
敗訴ニュース直後、毎週おこなわれている大阪府庁前の火曜日行動で、朝鮮高級学校のオモニ会代表は、「大阪の上告棄却のニュースを聞いたとき、怒りよりも私たちの置かれている現実を目の前に突き付けられ、この歪んだ日本社会で、民族教育・ウリハッキョを守っていく覚悟が問われた気がしました。我が子が朝鮮人としてのアイデンティティーを育み、ありのままの自分で生き生きと学校生活を謳歌できる権利を勝ち取ること、これは私たちに課せられた最大の責務であり、使命ではないでしょうか。先の見えた闘いだろうが、何年かかろうが、敵が巨大なモンスターであろうが、子どもたちの笑顔、学ぶ権利を取り戻すまで、このたたかいから一歩も引き下がることはないでしょう」と決意を述べた。今問われているのは、このような差別判決を出させた、安倍政権を野放しにしている日本人の有り様だ。共にたたかい続けよう。(佐野裕子)
投稿
最高裁抗議行動に参加
東京 大田和弘
朝鮮高校生が原告となって起こしていた、東京の朝鮮高校を無償化から排除するのは不当とする裁判で、8月27日最高裁は上告棄却の決定を下した。 8月30日、虎ノ門駅から文科省までの道を埋め尽くす実に大勢の人たちによる抗議が展開された。あまりの人の多さに原告の人たちの発言も聞き取れないほどだった。
政府の主張を丸のみ
今回の最高裁判決は、政府側の主張を丸のみにしただけで、裁判所としての見解をなんら表すこともできないという、実にお粗末極まりないものであった。原告となった高校生やそのご家族、全力を挙げて支援して来た方々の悔しさを思う時、こんな決定がたった10カ月で出されたという日本の民衆のふがいなさをおわびしなければならないと、心の底から思わずにはいられない。そして司法も巻き込んで進んでいる、安倍政権の反動性への怒りを新たにする思いである。
最高裁はなぜこのようなスピード判決を出さなければならなかったのか。他の4つの裁判所でたたかわれている裁判の判決がそろそろ近づいていると思われること、また来年のオリンピック・パラリンピックを前に、世界中から訪れる人たちにこの裁判をさらしたくなかったということか。
これで終わらない
逆に言えば、この裁判は今回の最高裁決定をもって終わりと考えては断じてならず、来年世界中から来る人たちに日本の安倍政権そして司法のひどさをさらにさらに知らしめていき、「絶対にあきらめない」と食らいついていくことが勝利の道だと、今日あらためて感じたしだいである。
4・24阪神教育事件にも負けずにこれまでたたかって来た在日朝鮮人、高校生の発言にはその強さがはっきりと込められていた。
この人たちのみが立ちはだかるのではなく、今回の最高裁決定で、こちらが負けなければ後は勝利しかないんだという足場を固めてきたこのたたかいに、これからはそして今度こそは日本人が日本人社会を作り直す決意でたたかっていかなければならないと強く感じた。
(編集部注)朝鮮学校の高校無償化からの排除の取消しを求める大阪の裁判では、8月27日、最高裁が上告を棄却した。この他、名古屋、広島、小倉の裁判は現在継続中である。
米軍基地の実態を視察
京丹後でフィールドワーク
9月7日〜8日
9月7日〜8日、米軍Xバンドレーダー基地反対京都連絡会は、京丹後フィールドワークをおこなった。14人の参加があり、うち3人は京丹後現地を初めて訪れる方だった。地元の〈米軍基地建設を憂う宇川有志の会〉永井友昭さんらの説明に、参加者は大きくうなずいていた。
京丹後市に着いてまず、網野町島津の米軍属の宿舎に行った。宿舎横にある基地反対の立て看板を見た。「道の駅てんきてんき丹後」で昼食をとり、観光地である立岩、屏風岩、大成古墳群、丹後松島、経ヶ岬を見学した。そのあと穴文殊で永井さんと落ち合い、米軍基地を見ながら永井さんの説明を受けた(写真上)。その後、区民会館で永井さんらから、最近の現地状況の説明を受けた。宇川温泉で入浴。永井さんらと夜遅くまで交流を深めた。
翌8日は伊根の町並みを見学したあと、舞鶴市へ行き、浮島丸殉難の碑や舞鶴引揚記念館、舞鶴赤れんがパークなどを見学し帰路に就いた。(多賀信介)
原発事故
警告無視した東電幹部
東電刑事裁判 有罪判決求め集会
19日の東電刑事裁判の判決公判を前にした8日、都内で「真実は隠せない―有罪判決を求める東電刑事裁判判決直前集会」(主催・福島原発刑事訴訟支援団)が開かれた(写真)。
はじめに支援団の佐藤和良団長が「まだ10万人余りが県内外で避難生活している。甲状腺がんが増加する中で東京オリンピックにかまけて帰還を進めるのはまちがっている。有罪を勝ち取るため、心を一つにしていただきたい」とあいさつ。
海渡雄一弁護士は、「隠された事実を引っ張り出してきたのがこの裁判の意義だ。有罪判決が出るまで頑張りたい」と話した。
河合弘之弁護士は「最終目標は原発を日本からなくすことだ。そのたたかいの一部としてこの裁判がたたかわれている。まだ10年間がんばりましょう」と訴えた。
大河陽子弁護士は「双葉病院で44人が亡くなったが、原発で人びとの健康や生命が犠牲になったのは初めてではない。中越地震の時、自然災害が設計の想定を超えることを東電は経験していた。第一線の研究者たちの警告を東電の幹部たちは無視したのだ。有罪判決を望む」と話した。
NPO法人いわき放射能市民測定室たらちねで放射能測定を担当する木村亜衣さんは 「今日も、汚染された地で芝生に寝ころがる子どもたちがいます。砂場で泥だんごを作る親子がいます。測定結果をみながら、放射能の存在にいまだ恐怖を感じる私がいます。あれから8年。被災地に住む私たちはまだ8年であり、これから何十年『目に見えない におわない 感じない放射能』と戦っていかなければなりません。起こしてしまった事故の責任を明確にし、私たちを一日も早く新たなスタートラインに立たせてください」被災地の現状を訴えた。
双葉病院患者遺族の菅野正克さんは「東京電力には原発を動かす資格がない。想定外の津波による事故だとの主張は極めて疑わしい。3被告の、犠牲者、被害者を無視した態度には怒りを禁じえない。後世に恥じない判決を望む」と怒りをにじませた。最後に、シンガー・ソングライターの長谷川光志さんの「真実は隠せない」で集会を締めくくった。
3面
原発は核兵器と表裏一体(上)河合弘之さん
反核・反原発運動は共同を
「8・6ヒロシマ平和の夕べ」(8月6日、広島市内)で、河合弘之さん>b>(写真左)が講演した。演題は「ヒロシマ、フクシマ、原発再稼働」。河合さんは脱原発弁護団全国連絡会・共同代表。全国の反原発訴訟を支え、広島では伊方原発運転差止広島裁判の弁護団長を務めている。(2回連載 要旨/見出し、文責とも本紙編集委員会)
私は弁護士になってから、いわゆる企業弁護士としてやっていた。しかし、一生それでいいのかと反省した。社会に貢献できることは何か、よりよい環境を後世に残すには。そう考えたとき原発の深刻さにたどり着いた。原発は、処理できない膨大な使用済み燃料を残し続ける。一たび事故を起こせば、大変なことになる。そう考え、25年ほど前から原発問題にとりくんできた。さまざま裁判もやったが、負けばかりの20連敗。もうだめかなと思い始めたとき3・11だった。
全国で反原発、運転差止裁判
やっぱりそうだった、大変な事態だ。脱原発訴訟をやっていた弁護士に「事故をみた裁判官も変わるはずだ、やろう」と呼びかけると、「そうだ」という300人ほどから返事があり、脱原発弁護団全国連絡会を立ち上げることができた。もう一度、日本全国の原発運転差止裁判をやろうということになった。いま、ほぼすべての原発に差止裁判をおこなっている。
しかし裁判は、始めたときと判決のときしか報道されない。なかなか知られない。そこで「原発のこと、なぜやめなければいけないか」がわかる、映画『日本と原発』『日本と原発、4年後』を連作した。10数万人の人が見た。まだの方は、ぜひ見てほしい。見た人たちの多くが、異口同音に「危険はよくわかった。でも電気はどうする」と聞く。では、世界の自然エネルギーへの流れがわかる続編『日本と再生』をつくった。
3・11以降、みなさんといっしょに大飯原発差止の本訴、高浜、伊方仮処分をやり、伊方広島裁判では差止めの地裁決定をかちとった。負け続きだったのから、勝つ裁判もできてきた。
なぜ広島、長崎だったのか
アメリカは、なぜ広島・長崎に原爆を落としたか。検証してみると、アメリカは世界に先駆けて原爆を使い、その威力を世界に見せたかったということだ。ソ連の参戦前に日本を降伏させるという理由もあった。ヨーロッパでは使えないから、日本しかない。戦後世界の軍事的支配権のため、原爆の開発はぎりぎりだった。日本が早く降伏すると使えなくなる。「天皇制、国体護持」をちらつかせ、戦争を長引かせる画策もあった。広島という必然性はなかったと思う。残っていた都市として選択したというのが事実だろう。アメリカは、いまも反省していない。「降伏させるには原爆使用しかなかった。それにより日本の敗戦を早め、多くのアメリカ兵の命が助かった」と言う。オバマ元大統領は「核なき世界」を言ったけども、明示の内容はない。原爆の恐怖、悲惨は、きょうの被爆者のお話でも痛感する。しかし、いまや核兵器は広島の何10倍、何百倍の威力を持つ。それが核兵器の世界標準だ。だからこそ、ヒロシマ・ナガサキを世界に発信、伝え続けなければならない。
原爆開発、製造から始まった
そして原爆から原発の開発は、どのようだったのか。原理的には、瞬時に核分裂を起こさせるか、押さえながらゆっくり分裂させるかだけ。原発とは「核分裂のエネルギー」の高熱で蒸気を発生させ、タービンを回す巨大な装置。はじめに原発があったのではなく、まず原爆が開発、製造された。その派生的な技術で「原子力発電」ができた。原理、根本は同じであり、原爆と原発を別物という認識は誤りだ。
アメリカは原爆を独占しようとしたが、ソ連も戦後いち早く原爆をつくった。そこでアメリカは、核兵器は一部の「大国」で独占しながら、核兵器は持たない代わりに原発技術は認めるという世界戦略を示した。いわゆるアトムズ・フォー・ピースだった。本当に「平和のために」核を使おうとしたわけではなく、冷戦の下での自由主義陣営つなぎとめであり、核兵器だけでなく核産業で経済的な「発展」を独占しようという目論見があった。
原爆と原発は技術的にも、歴史的にも表裏一体だ。だから「原発には関心があるが、原爆のことはしらない。原爆、核兵器には反対するが、原発には関心がない」というのは、事の1面になってしまう。原発にも原爆にも反対し、なくさなければならない。いま残念ながら、そうなっていない。反核(兵器)と反原発の運動の違いは何か。本当は一体であり、共同してしかるべき。表現が難しいが大国、保有国への核軍縮は難航していても、反核運動が敵視されることは、あまりない。大方が賛成し、共感がある。(つづく)
読者の声
ホントは恐ろしい五輪被曝
不溶性微粒子の危険性
大阪 藤堂恒夫
来年7月下旬から8月初旬にかけて東京オリンピック・パラリンピックが開催される予定だ。さかんに「アスリートファースト」が言われる。それなら、なぜ日本が最も暑い時期を開催時期に選んだのか。昨年7月23日に、観測史上最高気温となる41・1度を記録した埼玉県熊谷市ではゴルフ競技がおこなわれる予定だ。ちなみに熊谷市では今年の8月6日には38・4を記録し、関東地方では最高気温となっている。都の条例で遊泳禁止のお台場海浜公園がトライアスロンやマラソン水泳の会場である。選手たちに殺人的猛暑のなかでの屋外競技をやり、大腸菌レベルが基準値の2倍という汚染された環境で泳がせて、「最高のパフォーマンス」が期待できるのか。さまざまな疑問を呈されている東京オリ・パラだが、もっと深刻で重大な問題がある。福島原発事故由来の放射性物質による被ばくリスクである。
先日、大阪の茨木市で「東京オリンピックがもたらすこれだけの危険」という学習会があったので話を聞きにいった。講師の渡辺悦司さんは、原発事故後、論文翻訳の仕事をしながら政府側の専門家が事故による健康被害を全否定していることに気がつき、原発や放射線被ばくについて学びはじめたという。
渡辺さんによれば、東京オリ・パラは、アメリカのネバダ核実験場や、原発事故があったチェルノブイリの近傍で開催するのと同じリスクがあるという。
政府発表によれば福島原発事故で放出された放射能の量は、広島型原発の168・5発分だという。実際にはそれをはるかに上回る400発から600発程度ではないかと言われている。これだけ膨大な放射能が放出されれば、人体に重大な影響があるのは明らかだ。特に危険なのが、「不溶性放射性微粒子」だ。原発事故による放射能の放出形態は、ガス、液体、粉じん・がれきなどに加えて、放射性微粒子がある。直径は2ミクロン程度で、容易に人体内部に吸収される。放射性微粒子には可溶性と不溶性の2種類がある。水に溶ける可溶性微粒子は、体内に入っても生物学的半減期によって排出される。しかし、不溶性放射性微粒子は、一度体内に入ってしまうとそこにとどまって放射線を出し続ける。
不溶性放射性セシウム粒子の危険度は、可溶性に比べて70倍から180倍になるという。にもかかわらず政府は、被ばくによる被害は「ゼロ」という宣伝を続けている。そうした宣伝のために東京オリ・パラが利用されているという。世界のトップアスリートたちを被ばくリスクにさらすことは、人権侵害であり、人道への犯罪であると渡辺さんは強調したが、もっともなことだと思う。
消費税いらん!御堂筋デモ
9月6日 ロックアクション
9月6日、大阪市内で「戦争あかん! ロックアクション」がおこなわれ、「日韓関係の正常化」、「消費税は、いらん」などが訴えられた。御堂筋を行くデモ隊は注目を集め「イムジン河」を歌っている時、頭を下げる人もいた。 集会冒頭、あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」が中止に追い込まれた事態と、神戸市が開こうとしたシンポジウムも中止になった事態について問題提起があった。
消費税は廃止
消費税廃止デモを8月10日に実施した女性が発言。消費税を上げて高所得者や大企業の税金を下げるカラクリを知ればまともな政治をしていないのはあきらかだ。私たちのための政治を取り戻すため各地で消費税廃止の声を上げ、消費税廃止をたたかう議員を国会に送りこもうと訴えた。
豊中市議の木村真さんは、森友学園問題にかかわった財務官僚の不起訴が確定したことについて、「これで幕引きにはさせない。証言を拒否していた当時理財局長の佐川氏にたいして改めて国会での証人喚問を求めていきたい」と決意を語った。
公立校で天皇制教育
「君が代」教育とたたかっている大阪市の教員は、大阪市立泉尾北小学校での天皇制教育にたいする抗議活動の報告をおこなった。小田村直昌校長は5月8日の全校児童朝礼で、天皇が(神武天皇から数えて)126代目であることや元号が日本古来から続いていることなどを話し、また、「愛国の歌姫」こと山口あやき氏を招いて、明治時代の唱歌やオリジナル曲「行くぞ! 日の丸!」などを歌わせ愛国教育をおこなっている。電話や面談を、校長は拒否し続けている。市教委は4月文科省通知「元号について子どもたちの理解をはかるように」をたてに開き直り、校長をよう護している。抗議の輪を広げ、校区内ビラまき等への協力が訴えられた。(池内慶子)
短信
●高速炉を断念 フランス
日本が「核燃料サイクル」の頼みの綱としていた高速炉ASTRIDの開発計画中止を8月31日付ルモンドが報じた。すでに昨年11月、ASTRIDの規模を60万キロワット実証炉から10〜20万キロワットに縮小しており、今年4月には計画を担当する25人の部署も解散している。
日本は、プルトニウム保持目的で「核燃料サイクル」を掲げているが、高速増殖炉もんじゅが破綻し、廃炉決定。その結果、サイクルは成り立たないことが明白に。そこで、ASTRIDにしがみつき、「核燃料サイクル」維持を狙ったが、これも破綻。そうなると青森県六カ所村の再処理工場も存立する根拠(必要性)がなくなる。青森県は「再処理しないなら、全国から集めた使用済核燃料は、すべて元の原発に持ち帰ってほしい」と言っている。
4面
投稿
治安維持法下でもなかった大弾圧
〈関生〉に私たちができることは何か
静岡・元全日建組合員 大庭 伸介
全日本建設運輸連帯労組関西地区生コン支部(以下、関生と略す)にたいして、全く異常としか言い様のない弾圧が加えられている。 弾圧の実態や背景・本質については、本紙の記事にゆだねるが、関西から遠く離れた地にあって、日頃感じていることを記したい。 弾圧事件が起きると、必ず治安維持法が引き合いにだされる。しかし治安維持法下にあっても、一労働組合に対して、これほどまでに悪質で大がかり、かつ執ような弾圧が加えられた例はない。
「頂上決戦」を挑んできた国家権力
この現実は、とりもなおさず、国家権力が関生を労働運動をはじめとする反戦・反貧困・反差別などのあらゆるたたかいの砦として位置づけ、その根絶を意図していることを示している。いわば「頂上決戦」を挑んでいるのだ。
また、今回の大弾圧を「共謀罪のリハーサル」ととらえている向きもあるが、現実の事態は共謀罪攻撃そのものである。
10年以上前に、関生は「協同会館・アソシエ」を建設した。小・零細企業の生コン経営者との協働を推進するための研究・協議の施設である。建設に当って労働金庫に融資を申し入れたところ、担保能力があることを十分に承知の上で断られたと、武委員長から聞いた。労働金庫が会員である労働組合からの融資の申し入れに応じないなど、全く信じられないような話である。すでに、この時点で国家権力は関生つぶしの方針を固めていて、労働金庫に不当な圧力をかけた結果としか考えられない。
オウム真理教への破防法の団体適用阻止のたたかい以降、組対法や盗聴法など治安弾圧立法の策動が目白押しに続いた。このとき、関生は一貫して労働組合としてたたかいの先頭にたち、国会前行動にも自らのバスで大量に参加した。
それに先立って、暴対法阻止のために公然と行動した。労働組合や市民団体で暴対法に反対してたたかったのは、唯一関生だけである。同法の本当の狙いが暴力団対策に名を借りたたたかう労働組合つぶしであると、見抜いていたからである。「暴力団を徹底的に取り締れ」という世論の風圧に抗してたたかった関生の仲間たち、とりわけ武委員長の勇気と決断に、今更ながら頭の下がる思いである。
沖縄の辺野古新基地建設反対闘争では、関生が組合員を現地に常駐させ、意見広告運動を提唱し、推進の中心を担ってきたことを知らない者はいないだろう。
関西ではヘイト集団の街頭行動を労働組合が実力で粉砕したが、その主力は関生の部隊であった。
低迷する労働運動の中で突出した行動を展開する関生にたいして、国家権力の弾圧が集中して加えられている現状を憂い、何とかしなければ…と思っている人は少なくない。しかし、その一方で、では一体何ができるのだろうかと思いあぐね、一歩踏みだすことをためらっている人も少なくない。
弾圧抗議の意思表示と資金カンパを
過去の労働運動の蓄積と経験にふまえて、最小限できること、ヤル気さえあれば、だれにでも、どの労働組合や市民団体でもできることを列挙してみよう(順不同)。
1.自分が属する職場や労働組合・市民団体の集まりや会議の場で、〈反対〉の申し合わせや決議をしよう。その申し合わせや決議を「労働組合つぶしの大弾圧を許さない実行委員会」(大阪市港区築港1―12―27全港湾関西地方大阪支部気付.電話06・6575・3131)に集中しよう。
3月4日時点で集約された緊急カンパの「団体賛同」のリストを見る限り、ほとんど関西エリアに集中しているのが気がかりだ。
関生の不当弾圧とのたたかいを、これだけ多くの全国の仲間が注目し、支持しているんだという事実を公然と表明することは、裁判闘争を有利に展開する状況をつくりだす。組合員や家族を励ます力になることも、敢えて強調する必要はあるまい。
2.資金カンパに積極的に取り組もう。すでに法外な保釈金だけでも、かなりの金額に達している。たとえ少額でもいいから、より多くの仲間に訴えてカンパを集めて、前記の実行委員会に送金しよう。
この弾圧の過程で、全く不当な脱退強要と解雇が続出していると聞く。経営者がドサクサに紛れて攻勢に出ているのだ。あるいは国家権力の意志を「忖度」し、「削る」という言葉を使って、組合からの脱退を迫り、応じなければ不当な言いがかりをつけて解雇する事態が進行している。警察は家族にまで露骨に圧力をかけ、脱退を迫っている。
関生の組合員といえども、ごく普通の労働者である。解雇されることは、直ちに明日からの生活にひびく根本的な大問題であり、これ以上の脅威はない。
こんなとき、全国の仲間からの資金カンパは、組合員と家族にとって何よりの励ましであり、助けである。
3.仲間の代表を関生に派遣し、場合によっては数日間現地に「留学」するつもりで、関生の仲間と行動を共にし、交流を深めよう。そして弾圧の生々しい実態や本質について主体的に受けとめよう。
また、現地の攻防に忙殺されているなかではあるが、できれば関生からの「逆オルグ」を迎え入れ、それぞれの職場や労組・団体でヒザをつき合わせて交流しよう。効率よく行動するために、各地で連鎖集会を開き、一緒に街宣行動をすることも追求しよう。
関生の仲間たちとの交流と共同行動は、地域の労働運動や市民運動に刺激と活性化をもたらし得るところが大きいことは間違いない。
4.各地(県単位・主要都市単位)で「支援する会」を立ち上げ、地域のさまざまな課題や取組みと結びつけて、たたかいの輪を広げていこう。
5.「声をあげよう! 弾圧許すな! 11・16全国集会」に賛同して参加者を募ろう。
6.大阪・滋賀・京都・和歌山の裁判に傍聴参加しよう。
焦点
「思想、表現の自由」に政治権力・行政が介入
愛知、神戸で抗議の声
津田大介さんのシンポ中止に抗議して160人が集会(8月31日 神戸) |
「あいちトリエンナーレ2019」(国際芸術祭、愛知県主催)の企画の一部、「表現の不自由展・その後」が開幕から3日目に中止された(8月3日)。
その直後に、津田大介さんを招くシンポジウム「8・18アートは異物を受け入れるのか」が突然の中止となった。シンポは「アート・プロジェクトKOBE2019TRANS―」(略称TRANS―、実行委・神戸市主催)のプレイベントとして企画されていた。「TRANS―」は9月から11月10日まで約50日間、神戸の古くからの市街地が会場となる芸術祭。
「あいちトリエンナーレ」は、慰安婦を象徴する平和の少女像など各地の美術館で展示不許可になった作品を展示する「表現の不自由」展として企画。
これにたいし電話やメールで抗議が集中し、河村たかし・名古屋市長が「日本国全体が、これ(少女像)を認めたように見える」と述べ、像の撤去を求めた。展示会に作品が展示されることが、どうして「日本全体が認めた」ことになるのか。菅官房長官は「補助金交付の差し止め」を示唆し、松井大阪市長、吉村大阪府知事も同様の発言をおこなった。憲法が保障する「表現の自由」への、あからさまな政治介入、弾圧だ。
表現の自由を守る市民の会(醍醐聰・東大名誉教授、池住義憲氏ほか呼びかけ)は、東京都内で集会を開き「日本が表現の不自由な社会であることを示した。問われるべきは、ヘイトクライムやガソリン携行などの脅迫行為。憲法21条、検閲の禁止に他ならない」とアピール(8月7日)。
シンポ中止に抗議
神戸のシンポ中止は、さらに問題の重大さを浮かび上がらせた。愛知の芸術監督の津田大介さんや建築家らを招いて話し合う企画だった。中止が発表されたのは、愛知中止1週間後の8月9日。急きょ、週明けに新社会党が県本部名で神戸市・実行委事務局に抗議と中止撤回の申し入れを決め、市民ら30人近くがかけつけた(8月13日)。
事務局によると「7日、自民・上畠寛弘、維新・外海開三の2人の市議がツイッターに『津田さんのシンポジスト登壇反対』を書いた。8日、2人が事務局に面談、講師の見直し追加を求められた」「事務局などに(開催への)抗議や問い合わせの電話、メールが100件以上あった」というが、「脅迫されたわけではない。津田さん参加で愛知のことばかり注目される。トランスの宣伝の意味がない」というものだった。中止は会議も開かれず、「持ち回り決定」だった。
「すべての人に尊厳と人権を! ヘイトクライムをなくそう! 神戸連絡会」が神戸市と事務局へ、中止に抗議しTRANS―会期中にシンポを開催するよう要請した(8月18日)。「河村発言には、被害当事者への配慮はまったくない。市長(名古屋)や市議(神戸)が圧力をかけ、中止に追い込む。これは民主主義の『死』だ」と申し入れた。
8月31日、「津田大介さんの神戸シンポ中止問題を考える集い」が開かれた(主催は市民デモHYOGO/兵庫県共同センター)。あわはら富夫・神戸市議らが神戸市・事務局との交渉経過を報告、「多様性を大切にする集まりは、大きな進歩になる。それを行政自らがつぶした」。反ヘイトデモに参加してきた伊藤健一郎・立命館大講師は、「今回のことは90年代からの村山・河野談話の到達点をターンバックさせる。彼らはアンチ戦後という意識がある。歴史を認識し戦争責任を学び、伝えていくこと」と話した。
差別と排外許さず
「神戸の例は、愛知よりも重大」「津田さんは、表現していない段階。集会・結社・表現の自由、検閲の禁止から、思想・良心の自由の排除に踏み込んだ」など意見が出され、「表現の自由を守り歴史修正主義を許さない」決議を採択した。
7年近い安倍政権が排外主義をあおり立て、テレビが追随する。今回の「表現の不自由」は、この社会が「差別と排外」に進むのか、大きな岐路に差しかかっていることを示した。「安倍政権を辞めさせる」ため立ち上がることが急務である。
5面
追悼 星野文昭さん
人間らしく生きる社会へ
71年11月14日渋谷暴動闘争被告 米村泰輔
2019年5月30日、星野文昭さんは国家権力によって虐殺された。享年73。国家権力は、星野さんが71年11月14日渋谷の機動隊せん滅の現場にいなかったことを百も承知で、ただただ報復として星野さんを獄死させた。 私は、星野さんの分身としての自己をみすえたとき、星野さんの「人生をかけてすべての人間が人間らしく生きられる社会をつくるために自らの生を貫」くという共産主義者のたたかい方を学び、星野さんとともに最後の勝利まで進んでいきたい。
根底にあるもの
星野さんは「人間の本質を他者との共同性と位置付けていた」というつれあいの暁子さんの言葉にあるとおり、星野さんの根底にあるのはこの思想である。
彼はたたかいに決起した理由を「すべての人間が人間らしく生きられない限り、自分も人間らしく生きることはできない。私は人生をかけてすべての人間が人間らしく生きられる社会をつくるために自らの生を貫きたい」(ジャパンタイムズ2013年11月19日号)と裁判の中で述べている。無期懲役攻撃を受けながらも星野さんは共産主義者として「自らの生を貫」くことを堂々と述べたのである。つれあいの暁子さんはこの星野さんのたたかう生き方に「すごく感動し」(同ジャパンタイムズ)たと述べている。無期懲役とされても星野さんは共産主義者として自己を貫き、完黙・非転向を貫いたのである。
革共同の核心的思想
革命的共産主義者同盟は本多延嘉書記長を先頭にして従来のスターリン主義的な共産主義論や共産主義者像を根底から覆し、マルクスをあらためて学び直し、「プロレタリアート解放の事業は全世界的な普遍性においてのみ保障されるということ。つまりこの地球上において一人の人間でも抑圧されているかぎりわれわれは誰一人解放されることはないというのが、プロレタリア自己解放の立場である」(本多著作選第6巻68頁)という思想を貫いてきた。この生き方が反スターリン主義というわれわれの立場の核心にあるのだ。
これは星野さんを先頭とする渋谷暴動闘争(1971年)に決起した人々の根底にあった。だからこそ星野さんは同年9月の三里塚のたたかいにも決起し、それにより指名手配を受けながらも、さらに敢然と沖縄闘争としての渋谷暴動闘争にも決起したのである。
人間性に根差す
71年夏の全学連大会で、人間の人間的解放をたたかうはずの革命党の中に女性差別があってよいのか、という根底的な糾弾を契機にすべての参加者が熱く議論する中、革命的共産主義者同盟は女性解放を根底にすえた人間の人間的解放をたたかう党として思想的実践的飛躍を実現していった。このときの鮮烈な議論の様子は今も忘れることはできない。その実践として直後の三里塚闘争で多くの女性が先頭で決起していった。私が今日まで共産主義者として自己を貫けているのはこのときの体験が基礎となっている。星野さんも同じ思いだっただろう。
革共同の提起に呼応
同年11月10日、国家権力は革命的共産主義者同盟を抑え込むため全学連委員長に破防法を適用し逮捕した。
しかし、それをものともせず革共同は11月14日、機動隊せん滅を掲げ、これを実行するために渋谷暴動闘争を提起し、これに多くの人たちが呼応した。
300人以上が逮捕され、200人以上が起訴されたが、機動隊せん滅という目標を達成したのである。
沖縄に基地を押しつけ続ける、非人間的な沖縄返還協定の批准を許していいのか。この問いかけに本土の1000人を超える人たちが呼応して決起したのである。
渋谷暴動闘争を軍事主義的にとらえるのは間違っている。これまでの日本階級闘争は何があっても議会主義の枠を超えられなかったが、渋谷暴動闘争はこの限界を超えることに挑戦し勝利した。
同時に忘れてならないのは大阪府吹田市の教育労働者だった永田典子さんが11月14日、渋谷に向かう中、池袋駅で機動隊に襲撃され全身やけどを負い、11月27日、亡くなったことである。享年27。多くの人たちが生死をかけて決起した。
機動隊せん滅を掲げて決起した以上、私が星野≠ニなっていてもおかしくない状況だった。私は京王電鉄井の頭線で多くの人たちとともに渋谷に向かうはずだった。しかし、たたかいの中で渋谷に到達できず逮捕・起訴されるに至った。
高崎経済大学の闘い
星野さんは1966年、高崎経済大学に入学した。翌67年、10年に及ぶ不正入学が暴露され学生の怒りは全学ストにまで発展した。当局はこれを押さえつけるために政治活動の禁止や無期停学等の乱発をおこなった。この状況は彼も出てくる映画『圧殺の森』に詳しい。自治会執行部の中でも激しい議論が起こり、「屈するかたたかうかは、人間であることをやめるか否か」であるとする自治会執行部が悩みながらも当局とたたかおうとする真摯な姿が描かれている。しかし同年9月、ついに当局は警察を導入して自治会執行部を逮捕し警棒を抜いて学内に乱入した。67年10・8羽田の1週間前である。以降、抑えに抑えてきた学生の怒りは燃え上がっていった。彼の原点の一つには『圧殺の森』に対する根底的怒りがあるだろう。
私が星野だったかもしれない∴ネ上、星野さんは常に私の中にいる。人間の人間的解放を掲げつづけた彼の姿に「人間的なことで自分に関係ないものはない」としてたたかい続けたマルクスの生き方が重なる。
私は、星野さんとともに人間の人間的解放を掲げて行動する共産主義者としてたたかい続けたいと思う。
「自助・共助」に潜む危うさ
「防災訓練」を監視して 小多基実夫
9月1日、今年も全国各地で「防災訓練」がおこなわれた。
首都圏「9都県市合同防災訓練」は、安倍首相視察のもと船橋市でおこなわれ、千葉県はじめ各自治体や警察、消防、自衛隊など約110機関の約5千人が動員された。マグニチュード7・3の首都直下型地震で1万9千棟が倒壊、約12万人が避難所に避難したという想定での訓練である(写真左)。
一方、「東京都防災訓練」は多摩市との合同で、多摩センター駅周辺および多摩中央公園を主会場として実施された。この監視行動に「自衛隊米軍参加の東京都総合防災訓練に反対する実行委員会」の一員として参加した。
防災訓練の参加者総数は2万0716人(うち、都・国交省・市・警察・消防・自衛隊など2000人)。車両157台、航空機8機。
主な訓練内容は、@住民による自助・共助、A避難所運営、B救出救助活動等、C医療救護活動、D緊急支援物資搬送、E検視・身元確認、F応急復旧、緊急交通路確保、Gブースでの各種展示、H自衛隊・警察・消防の各音楽隊による演奏パレードだった。
自衛隊が一元指揮?
かつて石原都政の時代に「ビッグレスキュー」と称して都庁と都心を制圧して自衛隊の一大治安出動を演出したような陣形はほとんど見られない。特に東日本災害以後は年々自衛隊の影が薄くなっている。自衛隊のもとで自治体・警察・消防・日赤・運輸・インフラ等を一元指揮する体制が形成されているということであろうか。
今回自衛隊の参加は、陸自が第1後方支援連隊(練馬)、空自が航空気象群本部(府中)、作戦システム運用隊(横田)など80人。
また、被災の想定自体がリアルになってきたというべきか、かつての「政府―行政の指示に従え」的なものから「@住民による自助・共助=すなわち災害時には公助は期待するな!自力で生き延びろ!」と言わんばかりのものに変化している印象だ。
実際、都市直下型地震であった阪神大震災における死者は建物の倒壊による閉じ込め、生き埋めが最大であったが、その閉じ込め、生き埋め状況からの生還者は、97・5%が自力脱出、家族・友人・隣人・通行人らによる救助だった。警察・消防・自衛隊などの公的救助隊による救助は合計で1・7%に過ぎなかった。つまり48時間以内といわれる被災者の人命救助では警察・自衛隊などはほとんど役に立たない。むしろ金融機関や政府機関の警備などの治安任務に専念しているというのが現実なのである。
東京都は、危機管理監・小林茂(初代陸自総隊司令官)の指揮下、この実動訓練に先行して6月におこなわれた自衛隊の統合防災図上訓練「JXR」に連動させて、都庁において同一の想定・状況で訓練をおこななっている。その内容たるや、M7の首都直下地震が30年以内に70%の確率で発生すると言いながら、具体的な公的救助はない。その一方で都民に対する啓発として、テロ対処のために「不審情報の提供」を求め、町会・自主防災組織など防災への人材育成をかかげている。(9月5日付朝雲新聞)
そこには石原―志方の「ビッグレスキュー」で埋め込まれた96年前の「関東大震災での朝鮮人大虐殺」に通底する危険を感じざるを得ない。ちなみにその石原も含めて歴代の都知事がおこなってきた朝鮮人犠牲者を追悼する式典への追悼文の送付を現知事の小池百合子が3年連続で拒否し続けていることも不気味だ。
こどもの動員・組織
今回は「自助・共助」が前提になっているためか、中学生の動員が印象深かった。多摩中学校(多摩市立)の生徒140人が総合学習の授業として動員されていた。また多摩市とは平素より協定を結んでいる国士舘大学からも救命救助の学科に属する学生180人が参加。中学生は3人1組の班に編成され、2組6人のチームに国士舘大生2人がついて会場を引率していた。
「自助・共助」での実演では、M7・3の地震が発生した直後、出火中の倒壊現場(おそらく余震を繰り返す最も危険な被災現場)に中学生が駆けつけて被災者の発見―通報を担うという内容だった。
多摩市が事前におこなった説明でも「中学生は防災の担い手」となっていた。中学生は保護の対象でなく、発見―救助―初期消火等の「戦力」とする方向で実際に進んでいるようである。
他にも地元の都立永山高校、都立多摩桜の丘学園(特別支援学校)の生徒計20人。その他にも小学1年生〜高校生を消防署が直接指導する「消防少年団」(通常の消防団とは別)が編成されていた。戦時中の学徒動員を連想させる防災訓練であった。
(お礼)
夏期特別カンパへのご協力ありがとうございました
6面
中村猛さん(日韓民主労働者連帯)に聞く(下)
ろうそく集会で変わった
8月14日、ソウルの自主統一大会(本文とは関係ありません) |
今回のストライキの場合、特に学校非正規職が前面に出た。例えば給食調理員。当然、給食が止まり、各家庭に影響が出る。そこで、今回、給食調理員(非正規職)がストに入るとき、学校の先生(正規職)らが父母に手紙を書いている。「教育労働者にも労働基本権があります。国民としての権利・義務があります。不便をかけますが、労働基本権について学ぶいい機会だとご理解ください」と。そして、「弁当を持たせられない家庭については、学校の方で準備しますから」と。それにたいして、多くの生徒や父母らがスト支持を表明している。
ここまで言っているのがすごい。労働者とは何か、何でストをするのか、労働者にはストをする権利がある、といったことが訴えられ、それを子どもたちも受け止めている。日本とはだいぶん違う景色が広がっている。
社会正義
正規職と非正規職が垣根を越えて、あるいは、組合の枠を超えて社会がストライキに連帯している。あるいは、現代重工業では、元請けと下請けの労働者の共闘(注)が実現している。表面だけを見て、スゴイ、スゴイといっているのではやはりいけないと思う。どうしてそういうことができるのか。戦術のレベルの話ではない。
全泰壱さんが焼身決起して50年、それ以来ずっと培われてきた民主労組運動の力が、ついにこういう形になって現れているということだと思う。
「全泰壱精神継承」ということを掲げて、全国労働者大会をやってきた。全泰壱さんの映画もつくった。さらに、全泰壱橋をつくった。そして、全泰壱を教科書に載せた。そうやって、「労働界の全泰壱」から「国民の全泰壱」に押し上げてきた。全泰壱精神をいかに国民の精神にするか。そういう運動を延々とやってきているわけだ。いまや全泰壱のことを知らない韓国人はいない。それがろうそく革命を準備してきたということもできるね。
全泰壱精神とは何か。目の前に、自分よりも苦しんでいる者がいれば、その場で、自分の全力を傾けて、その人の力になるという精神だよね。一方で、新自由主義のイデオロギーの攻勢があって、そういう中で、正規職と非正規職、元請けと下請け、組合と社会がともにたたかうには、全泰壱精神に示される価値観、社会正義といったものが、運動のどだいにしっかりと根づいていないとダメなんだ。
変革のイメージ
今の民主労総の動きを見ていると、組合員がどれだけ増えたかといったレベルではない大きな変化を感じる。
変化の契機はやはりろうそく集会だね。「朴槿恵政権退陣非常国民行動」という600もの団体が参加して、全会一致で方針を決める場。そういう場を民主労総が主導した。そして何百万人もの人びとが動いた。そういう中で民主労総も大きく変化した。ろうそく集会を経験した民主労組運動は何かを獲得した。それは、民主労総が目指してきた社会のイメージ、財閥中心の社会から労働者を尊重する社会へ、人間らしく生きる社会へと変えるというイメージが、非常にはっきりと見えてきて、それが人びとの求めるイメージにぐっと近づいてきている。そして、人びとの共感を得ているという自信になっている。そしてその自信が労働者を説得している。
それが、例えば、正規職と非正規職、元請けと下請けの労働者の連帯闘争という形で現れている。
こうして見ると、やはり大変なことが実は起ころうとしていると思う。ろうそく革命の意義について何度も話してきたけど、そのろうそく革命の継続ということをいま見ているのだと思う。
社会正義を訴える
イ・ジョング先生の本〔原題『日本労働運動の理解』翻訳中〕では、戦後日本の労働運動が、出発点的に問題を抱えていて、そのことを自覚しないまま来たことが、戦後の労働運動の後退に次ぐ後退の歴史になっていると総括しているのだけれども、そういう意味で、戦後の労働運動の延長線に、いま韓国で始まっているようなことはない。形だけいくらまねをしてもそうはならない。ユニオン運動が日本の労働運動を変えるのでは、という論者もいるけど、そう単純ではない。
じゃ、どうすればいいの? 例えば、日本の労働運動には、社会正義を訴える力や内容がまったくないよね。組合運動に関わっているかいないかに関わりなく、すべての人が共感できる社会正義。そういう社会正義に訴えたとき、労働組合がつぶされようとしていることにたいして、「つぶしたら、あかんやろ!」という声があがる。そういう勝負をしないといけないのではないだろうか。
(注)現代重工業労組が、元請けの労働者と下請けの労働者が共同総会を開催、会社分割に反対するスト権を確立、7月18日、時限ストライキを行った。同労組は「下請け組織化闘争」を宣言し、元・下請けの共闘という画期的な取り組みを行っている。(おわり)
(シネマ案内)
ある中国人「慰安婦」の闘い
ドキュメンタリー映画『太陽がほしい』
監督 班忠義 2018年制作
この映画は、戦時「性奴隷」とされた、中国女性たちの人生の記録である。92年に、「日本の戦後補償に関する国際公聴会」が東京でおこなわれた。この時、中国山西省からやってきた万愛花さんが証言にたった。これがきっかけで、中国人「慰安婦」の存在が日本でも知られるようになった。東京に留学していた班忠義さんは、この時に万愛花さんの存在を初めて知り、95年から取材をはじめた。「太陽がほしい」は、この20年余りの記録を集大成したものだ。
この映画には、6人の被害女性が登場する。彼女たちは自らの体験をカメラの前で語っているが、長い交流を通して彼女たちに信用されているからなのだ。
1940年秋から、中国共産党八路軍の根拠地を根こそぎにするために、日本軍は山西省で「三光作戦」を実施した。村を襲い、住民を皆殺し、女性を強姦した。山西省では、現地女性の多くはヤオトンに監禁されて、兵士の相手をさせられた。この実態は、むしろ戦時「性奴隷」と言ったほうがよい。そのひとり劉面換さんは「ともかく太陽の光をあびたかった」と述べる。この映画の題名はここから取ったものだが、「希望(太陽)の光がほしい」という彼女たちの願いもこめられている。しかし、映画に登場する女性たちはその希望をかなえられることなく、みんなこの世を去ってしまった。
万愛花さんの場合
万愛花さんは15歳で中国共産党の幹部になり、抗日運動をおこなっていた。この事を知っていた日本軍は万さんを捕まえて強姦し、党員名簿を出させるために拷問を繰り返した。万さんは失神しながらも拷問に耐え抜いてきた。このような事情から、万愛花さんは「私は慰安婦ではない」と主張する。
元日本軍兵士の金子安次さんは「女性や子どもを見たら殺してしまえ。子どもが大きくなったら日本軍に抵抗するから殺してしまえ。当時、こういう指示が小隊長からわれわれに与えられていた」と述べている。日本軍の目的は民族の抹殺にあった。
98年、万愛花さんは山西省性暴力被害損害賠償請求訴訟を東京地裁に提訴した。しかし、2005年に国家無答責により最高裁で敗訴が確定した。中国政府の対応も彼女たちには冷たかった。中国政府は、やっかいな存在として、ずっと放置したままであった。
13年に撮影されたシーンが印象的だ。万愛花さんは病気のため衰弱し、すでに起き上がれなくなっていた。最後の力を振り絞って「日本政府に謝罪してほしい。罪を認めて、頭を下げて、賠償をするべきです」「中国政府は頼りにならない。日本でもう一度、訴訟をおこしたい。死ぬ前に、真実がほしい。死んでも鬼になってたたかう。魂となって、奪われた真理をとりもどすために、皆さんと共にたたかう」と語っている。その後、万愛花さんは亡くなった。
この迫力に圧倒される。彼女は、人間としての尊厳をかけてたたかった。加害をした側は忘れても、被害を受けた側が忘れることはない。