未来・第277号


            未来第277号目次(2019年9月5日発行)

 1面  原発事故は回避できた
     19日 判決迎える東電刑事裁判

     コンプラ活動は世界の常識
     9月14日 京都で国際シンポジウム

 2面  反核と反原発、一体の運動に
     8・6ヒロシマ 平和の夕べ

     伊方原発広島裁判
     被爆者が安全神話≠告発
     「被ばくの苦しみ与えないで」

     悔しさと怒りを行動へ!たゆまず歩み、次につなごう
     8・14日本軍「慰安婦」メモリアルデー 各地で行動

 3面  悲惨な記憶、次世代へ
     第15回ピースフェスタ明石      

     本当の敵は官邸にいる
     辺野古抗議船船長 金井 創さん     

     天皇制による民衆支配
     仲尾 宏さんが京都で講演 8月15日

     読者の声
     実は危ない! 夏場の家事援助
     兵庫・介護ヘルパー 小柳太郎

 4面  中村猛さん(日韓民主労働者連帯)に聞く(上)
     韓国で非正規職10万人がスト

     巨大化する岩国基地と爆音
     基地強化反対 大阪でスタート集会

     (コラム)
     私と天皇制 G
     「護憲は反革命だ!」と口走って総スカン

 5面  市民レベルで連携の強化を
     統一大会、若い世代が担う
     8・14〜15 韓国・ソウル

     迫られる日米安保の転換
     日朝、日韓関係を考える
     8月4日 大阪

     国境を越え労働者は一つに
     日韓労働者が共同宣言発表

 6面  朝鮮通信使と雨森芳洲
     自国中心を排した誠信外交

     真実とは何かを見極める
     パレスチナ・キリスト者からの言葉

     生きるために抗う地域運動
     第4回 平和祈念のつどい・東大阪

     (夏期特別カンパのお願い)

       

原発事故は回避できた
19日 判決迎える東電刑事裁判

安倍9条改憲NO!安倍政権退陣!

国会前で多数の市民が声をあげた(8月19日)

2011年3月11日の東京電力福島第一原発の過酷事故。その事故にかんする刑事責任を問われた東電旧経営陣の勝俣元会長、武藤元副社長、武黒元副社長の3被告にたいして19日、東京地裁で判決が言い渡される。17年6月にはじまった公判は37回。東電社員や専門家ら計21人の証人尋問や被告人質問がおこなわれ、18年12月26日、指定弁護士が禁錮5年を求刑、今年3月12日に結審した。

業務上過失致死傷罪

福島原発の事故により被害を受けた住民1万4716人(福島原発告訴団)が、責任者の刑事裁判を求めて2012年6月、福島地方検察庁へ告訴。しかし13年9月、全員が不起訴に。それにたいして、検察審査会への申し立てをおこない、14年7月と15年7月の2度にわたり、検察審査会が起訴議決。これによって、裁判所が指定した検察官役の指定弁護士が、16年2月、3人を業務上過失致死傷罪で強制起訴した。
「3被告は、大津波襲来の可能性と過酷事故の危険を予見していた。東電の現場は、津波対策の実施で動いていた。しかし3被告が経営的な判断で、それにストップをかけた。結果、過酷事故を招いた。原発事故によって長時間の避難を強いられた双葉病院(大熊町)の入院患者ら44人が死亡させられた」。これが罪状である。

双葉病院44人死亡

福島原発事故の被害は膨大かつ健康被害などが現在進行形で、全容は確定できないが、避難にともなう双葉病院などの大量死事件は、ひとつの象徴だ。
事故当時、双葉病院には、高齢患者ら338人、系列の介護老人保健施設に98人、そしてスタッフがいた。避難バスが手配されたが、座席が足りず、一度に全員が乗れなかった(最終的に5陣に)。しかも人工透析や痰の吸引を要する患者や、介助を要する患者だった。
1号機、3号機と次々に爆発、線量計の数値が上がり、放射能の塊が接近・通過していく。
避難バスは、原発を大きく迂回するため、通常の数倍の時間がかかった。しかも受け入れ先の病院・施設の確保にさらに時間がかかった。第2陣は10時間以上。その間、バス内の患者は、水分も栄養分も摂取できず、医療ケアもなく排せつもできない状態に置かれ、衰弱していった。そして、バスの床に転がり、排せつ物にまみれた状態で、あるいはようやくたどり着いた避難先の体育館で、1人また1人と亡くなっていった。双葉病院関係だけで44人(原発周辺の7病院の避難で、少なくとも60人が死亡:『国会事故調報告書』)。
必死の避難・救出活動がおこなわれたが、これだけの命が奪われてしまった。

津波対策を中止

〈3被告は、大津波襲来と過酷事故を予見していたが、経営的な判断でストップをかけた〉。この真相が裁判で明らかにされた。ポイントを整理すると以下の通り。
@政府の地震調査研究推進本部が、福島県沖を含む日本海溝寄りの領域における津波地震の発生確率を予測した「長期評価」を02年7月に公表。
A06年9月、原子力安全・保安院(当時)が、事業者にバックチェック(最新の知見をもとに、さかのぼって耐震性などを再評価する調査)実施を指示。
B東電の「土木調査グループ」(原発の津波対策を担当)では、07年頃から長期評価を取り入れてバックチェックを行う必要があるとの認識で一致。
C08年2月18日の「御前会議」(東電内の用語。現場責任者が、「天皇」に見立てた社長や会長に直接報告する会議)において、勝俣社長(当時)らの面前で、福島第一原発のバックチェックにおいて長期評価を取り入れる方針を説明し了承。
D福島県当局に副社長が説明する想定問答集にも、「長期評価を踏まえた対応をする」と記載、会社の方針であることを明記。
E同グループは、長期評価を用いた試算を子会社「東電設計」に委託。08年3月、第一原発敷地(海抜10メートル)を超える最大15・7メートルの津波襲来という計算結果に。
Fそれを受ける形で、4月の社内検討会議の議事録にも、最大15・7メートルの津波に対応できる、防潮壁などの対策工事の議論が記録される。
Gところが、08年7月21日の「御前会議」での「極秘」とされる資料では、耐震工事の金額の後に「津波対策を除く」と注記。津波対策が除外されたとの記載。
Hさらに、08年7月31日の武藤副社長と土木調査グループとの会合で、副社長がこれまでの方針を転換し、津波対策をしないという決定を伝達。それを聞いたグループの一員は、「対策を実施しない結論は予想していなかったので、力が抜けた」(法廷での証言)
I津波対策をやめた理由は、大掛かりな津波対策を始めると、原発が危険だという認識が広がり、対策完了まで運転を止めろという話になり、それは経営的に問題という判断から。そして、津波対策ではなく、逆に、津波水位の試算を引き下げる方向に進んだ。(地震対策の責任者の調書)
原発事故は予見・回避できた。しかし3被告が対策を中止した―その動かぬ証拠の数々。それを突きつけられ、被告らは、「自分らには安全対策の権限も責任もなかった」という苦し紛れのウソに終始した。

被害者が立ち上がる

「町職員や商工会の人はいっしょうけんめいやっています。それでも前に進みません。東京オリンピックで東京は盛り上がっています。大熊の人たちは毎日の生活が大変です」
大熊町の住民が、今年4月安倍首相の被災地訪問に際して「直訴」しようとした文面だ。しかし、復興庁に止められ、その意向に沿った作文に差し替えられた(7/8朝日)。
被災地住民の悔しい思い、しかもその悔しさを言葉にすることすらはばかられる悔しさ。これが、8年目の被災地の現実である。
あえていえば、原発被災地では、いまだに被害者が被害者として認められていない。なぜなら、加害者が加害責任を認めていないからだ。賠償金や復興は「施し」であって、加害責任を認めるものではない。被災地住民は、被害者として堂々と主張できるかどうかの悪戦苦闘の最中にある。被害者が、被害者として自己を確立するための不可欠のステップが東電・刑事裁判なのだ。(請戸耕市)

コンプラ活動は世界の常識
9月14日 京都で国際シンポジウム

大阪地裁前の座り込み集会(6月19日)

警察・検察は、法令違反だらけの建設現場に対する関西地区生コン支部のコンプライアンス活動を、ヤクザ・暴力団による「いやがらせ」やゆすり・たかり行為であるかのように歪曲して弾圧している。これは正当な産業別労働組合の活動に対する重大な挑戦だ。コンプライアンス活動は、海員、港湾、建設などの国際労働組織では労働の安全と適正な雇用条件、産業別労働協約を守るための基本活動となっている。
そこでコンプライアンス活動の必要性と目的、実態とその正当性をあきらかにするため、9月14日京都市内で国際シンポジウムがひられる。主催は全日建運輸連帯労組。フォーラム平和・環境・人権が協賛。ITF(国際運輸労連)やBWI(国際建設林業労組連盟)が報告をおこなう。参加には事前申し込みが必要。
問い合せは、全日建運輸連帯労組(03・5820・0868)まで。

国際シンポジウム 企業のコンプライアンスと産業別労働組合の役割
第1部 各国・各組合の報告 
ITF(国際運輸労連)、BWI(国際建設 林業労組連盟)、アメリカの報告
第2部 パネル討論
とき:9月14日(土) 午後1時〜5時
ところ:京都社会福祉会館ホール(地下鉄東西線「二条城」前駅から徒歩8分)
主催:全日本建設運輸連帯労働組合



2面

反核と反原発、一体の運動に
8・6ヒロシマ 平和の夕べ

全国から270人が参加し、核廃絶に向き合った(8月6日広島WMCA会館)

8月6日、曇り空だったが、今年も暑かった。2008年にスタート、12回目の「8・6ヒロシマ平和の夕べ」に参加した。ヒロシマ・ナガサキを継承し、核廃絶にどう向き合うかをテーマに反戦・平和、沖縄、11年からは「福島」からの報告が加わった。参加者は全国各地から、約270人。
被爆体験・証言は切明千枝子さん(89)。「15歳、女学校3年のとき1・5キロで被爆。ようやく宇品にあった学校にたどり着いた。爆心地に近い所で作業をしていた下級生が致命的なやけどを負って学校に帰ってきた。多くの生徒が次々に死亡。校庭で、この手で焼いた」と、両手のひらを開いて指先を見つめる切明さん。中国、アジアへの戦争、宇品から出港する「兵士と馬」を見送った。「二度と戦争をしてはならない」と訴えた。「平和の夕べ」は毎年、被爆体験・証言が原点に据えられており、数万人が即死、数万人がその後苦悶のうちに亡くなった原爆がどのようなものか、その後を生きてきた被爆証言の重みを受け止めた。
反戦・反基地を最先端で日々たたかっている沖縄からは、高里鈴代さんの報告だった。 毎年、何人もの女性が米兵にレイプされ、命を奪われ捨てられる。何度抗議しても、日米地位協定と日本政府の米軍への忖度により、改善はない。国民を守る義務を負うべき政府に手を振り払われた沖縄。その沖縄に、さらに新基地建設を押し付ける。まともな政治ではない。反戦の最前線であるとともに、安保体制という戦後日本のあり方を問う沖縄が語られた。
福島避難者から、高校3年生の阿部ゆりかさん。子ども脱被ばく裁判にとりくむ現状を報告した水戸喜世子さんと知り合い、韓国の若者と1週間交流した。「自分ひとりの力は小さいが、声を上げ続けることで国を動かすことができるという韓国の若者の主体性に感銘を受けた。私も負けずにともにがんばる。原発事故で失ったものは多いが、不幸のなかから得たものも大きい。支援してくれる多くの人たち、そして今ここにいるみなさんとつながることができた」。このような若者の行動こそ、必ず社会を、世界を変える力となるだろう。若者や海外からきたという参加者も見受けられ、熱心に聞き入る姿が印象的だった。

河合弘之さんが講演

平和講演は、脱原発弁護団全国連絡会共同代表の河合弘之さんだ。原発裁判の傍ら、脱原発をテーマに多くの映画も製作し、世に広めている。気概とユーモアあふれる語り口で、原発や核について初めて聞く人にもわかる言葉で話し、聴きやすい講演だった。「すでに買い込んでいる核燃料」を消費したい電力会社、核兵器開発の道を保持しようとする政府の思惑。彼らは、福島の原発事故を「なかったこと」にしようと企てている。「事故は収束し、放射能による人体への影響は心配ない」と言い放っている。富者たちのための金もうけと権力者たちのより強大な暴力装置への、飽くなき欲望のために、ここまでいびつにされてしまった日本の社会。変えるために、「反核と反原発は一体に運動しなければ」と、『原発訴訟が社会を変える』の著書もある河合さん。「ヒロシマ(ナガサキ)は、核兵器廃絶を訴え続ける権利と義務がある。どちらも必ず止められる。ともに、原発を止めるために生涯をかける」と声を大にした。水戸さんから手書きの「ノーベクレル賞」を贈られると、やや緊張と照れ気味だった。
最初の回に被爆証言をおこない、毎年参加している電車内被爆者・米澤鐵志さんが「ヒロシマ・ナガサキ、福島、沖縄はつながっている。一方で今年、INF(中距離核)全廃条約が破棄された。この深刻な事態に立ち向かっていかねば。核兵器禁止条約に参加しない安倍政権は犯罪者に等しい」とまとめた。(安芸一夫)

伊方原発広島裁判
被爆者が安全神話≠告発
「被ばくの苦しみ与えないで」

広島原爆忌の翌日8月7日、伊方原発運転差止広島裁判(本訴)の口頭弁論がおこなわれた(広島地裁、第16回)。「ふるさと広島を守りたい」。ヒロシマの被爆者と市民が伊方原発の運転差し止めを求め、「過去は変えられないが未来は変えられる」と広島地裁に提訴している。前日「ヒロシマ平和の夕べ」に参加した水戸喜世子さんら多くの人たちが傍聴に加わった。
恒例の「地裁へ乗り込み行進」(写真)。被爆者原告、河合弘之弁護士、水戸喜世子さんらが横断幕「被爆地ヒロシマが被曝を拒否する」「核兵器反対なら原発反対は当然」を掲げる。全国、世界各国からヒロシマを訪れている人々や報道陣の注目を集めた。

即時運転停止を

広島被爆者・原告の伊藤正雄さん(78)が意見陳述。伊藤さんは「『黒い雨』が降った地域で被爆した。袋町小学校6年生だった兄は学校で被爆、夜遅くに父が家に連れ帰ったが8月29日に息を引き取った。3年生だった姉は、爆心地に近い母の実家におり遺骨さえ見つかっていない」と述べた。父は軍命令により何日も救助活動に当たり、被爆5年後から体調を崩し「原爆ぶらぶら病」に。入退院を繰り返した。生活は苦しくなり、伊藤さんも高校を休学して働きに出た。その父は70年に肝臓がんのため原爆病院で亡くなった。
福島第1原発3号機で爆発が起こった翌日の3月15日、妹が甲状腺障害による多臓器不全で亡くなった。妹が亡くなる5年前、上の息子が甲状腺のがんで手術を受けた。数年後、下の息子も甲状腺がんで手術、3人の息子のうち2人までが甲状腺のがんになり、妹は「息子たちが被爆2世だからではないか」と気に病んでいたと。伊藤さんは「これ以上、被爆者に放射線被曝による苦しみを与えないで」と結んだ。
陳述では、家族・親戚の被爆体験と原爆の放射能との因果関係を控えめに述べている。同時に「放射能安全神話」に対する広島からの、原爆被爆者からの鋭い告発にもなっていた。次回は11月20日。(江田 宏)

悔しさと怒りを行動へ!たゆまず歩み、次につなごう
8・14日本軍「慰安婦」メモリアルデー 各地で行動

1991年8月14日、「『慰安婦』にされた私がここに生きている」と韓国の金学順さんが被害者として初めて名乗り出た。その勇気を称えこの日を日本軍「慰安婦」メモリアルデーとして位置づけ、例年、世界各地で解決をめざす取り組みがおこなわれている。
この日は韓国ソウル・日本大使館前での水曜デモがちょうど1400回。それに呼応して日本では北海道から九州まで同時アクションがおこなわれた。

【大阪】

12日、日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク(以下関西ネット)主催の「希望のバトンをつなぐ」集会とパレードが大阪市内でおこなわれた。あいちトリエンナーレ2019企画展「表現の不自由展・その後」が右翼と政治権力による不当な脅迫、圧力で「中止」に追い込まれたこともあって、市民の関心は高く、170人が参加し、熱い集会となった。
はじめにソウル水曜デモ100回の際に製作された「希望へとはばたく蝶〜20年の歴史 ハルモニの平和」を上映。そこには金学順さんと続いて立ち上がった被害者の姿があり、また解決に向かってのとりくみなどが映し出され、たゆまぬ歩みを実感できた。
続くトークは「若者からみた日本軍『慰安婦』問題」と題して、2人の大学生から自分にとって「慰安婦」問題とは何かが語られた。
主催者を代表して関西ネット共同代表の方清子さんは「記憶のバトンを次世代に 記憶と継承」と題して、これまでとこれからのことを語った。
「表現の不自由展・その後」をめぐる維新・松井大阪市長や河村名古屋市長を初めとする「『慰安婦』問題は完全なデマ」、「日本国民を傷つける像」などの発言は、その性暴力容認の風潮を増幅し、何重にも許せない。今、韓国だけ見ても名乗り出た264人中生存者はわずか20人。このまま終わらせていいのか。
最後に「性暴力を許さない女の会」から伊藤詩織さんの裁判のことなどを交えて、日本の社会がいかに男性中心の性暴力容認の社会であるかを告発。会場から怒りと共感の拍手がわいた。集会後、約100人が市内パレードに出た。

【東京】

「8・14日本軍『慰安婦』メモリアル・デー〜水曜デモ1400回 世界同時アクション・イン・トーキョー〜」が都内で開かれた。主催は〈日本軍「慰安婦」問題解決全国行動〉と「戦時性暴力問題連絡協議会」。
全国行動共同代表の梁澄子さんが「水曜デモ1400回の軌跡」を報告した。
1990年11月16日に挺対協結成。当初元「慰安婦」は名乗り出なかったが、91年7月に金学順さんが挺対協を訪ねて「神様が私を今まで生かしてくれたのは、これに対してたたかえという意味だったのだと思う。私に、話す機会を与えてほしい」と名乗り出た。こちらも逡巡があった。8月14日に記者会見がおこなわれ、この日を日本軍「慰安婦」メモリアル・デーとしている。9月18日には元「慰安婦」の申告用の電話が開設された。
同年12月に日本に来て提訴した。慰安所を軍が管理していたという公文書も見つかった。92年1月8日に宮沢首相の訪韓を控えて日本大使館前で第1回デモを開催した。以降、毎週水曜日に定期化した。11年12月14日に第1000回目のデモ。この時に「平和の碑」除幕。このとき彫刻家夫婦が出してきたのが少女像だった。碑文も、少女が腰掛ける椅子も、全部合わせて「平和の碑」。15年4月8日の第1173回デモでは、ベトナム戦争時に韓国軍によって虐殺された被害者の遺族が参加・発言した。挺対協側が(韓国軍の蛮行について)「申し訳ない」と謝罪した。
続いて3人の若者が「慰安婦」についての研究成果を発表。強制連行を否定する論を実証的に批判した。

3面

悲惨な記憶、次世代へ
第15回ピースフェスタ明石

15回目となる真夏の平和イベント、ピースフェスタ明石(兵庫県明石市)に期間中930人が参加した。
8月7日から11日の5日間のギャラリー展示は、安田菜津紀さん「世界と日本の子どもたち―写真で知る東南アジア、インド、中東、アフリカ、陸前高田の子どもたち」と、「憲法、沖縄、フクシマ、明石空襲」など手作りのパネル、あすわか(明日の自由を守る若手弁護士の会)兵庫の弁護士による憲法を解説する展示だった(写真上)。 10日、6人が語る戦争体験談の集いには80人が参加。学徒動員された女学生、元特攻兵、満州からの引き揚げ、神戸と高松での空襲体験、敗戦後の新制中国で14年医療活動に携わったなど多彩な内容だった。元特攻兵の人は「体験を語り、戦争は悲惨だと伝えることは生き残った者の義務」と話した(写真)

11日はミニ平和の集い。音楽演奏とダンス、劇団「あすわかひょうご」の憲法寸劇、ケンポー悩み相談室もにぎわった。ソーリとカンボー長官がケンポー改正を訴えたくて、町の弁護士に相談をする。3人の弁護士が出演する寸劇は、堅苦しい解説でなく普通の会話を通し「憲法改正」の不自然さを示した。 安田菜津紀さんによる記念講演。フォトジャーナリストという仕事について、高校生の時、カンボジアに行って出会った人身売買された子どもたち。自分のことより家族を心配する思いに触れたことが原点だったと。写真は人によってとらえ方が全く違う。陸前高田の「1本残った希望の松」が例に。松は全国に知られたが、義父に「親しんだ松原、7万本もの松が、たった1本になった。残念以外ない」と言われたこと。地元の人の思いを大切にすることが第一だと思い知った。「明石でみなさんに聞いてもらえることで、私の仕事が成り立つ」とも。シリアなど中東、インド、アフリカなどで撮った写真を映写しながら、「カンボジアに行ったことがある人は手を挙げて」と、会場との会話が弾んだ。(江戸)

本当の敵は官邸にいる
辺野古抗議船船長 金井 創さん

8月11日、「敗戦記念日を覚え、平和を求める集い」が大津市内の教会でひらかれ、80人が参加した。主催は、日本基督教団滋賀地区社会委員会、戦争をさせない1000人委員会しが、など。
沖縄辺野古の抗議船「不屈」船長の金井創牧師が「沖縄・辺野古の抗議船『不屈』から平和を問う」と題して講演。金井牧師は東京神学大学大学院を出て牧師になり、2006年から沖縄の佐敷教会牧師として辺野古新基地建設抗議の海上行動で活動。14年からは抗議船「不屈」の船長をつとめている。抗議船の名前を、瀬長亀次郎さんの闘いに学んで「不屈」にした経緯や、非暴力を信念に海上行動をしていることなどを話した。海上行動では進入禁止区域に入ったからといって逮捕されたことはない。当初、海上保安庁は「入ったら逮捕するぞ」と言っていたが。
海保の職員に個人的に「なぜ逮捕しないのか」と理由を聞くと、「海上で逮捕したら海上保安庁としては終わり」なのだと答えた。また「海上で何かあったら必ず連絡してください、海難事故には私たちは命がけで守ります、それが私たちの任務です」と話した。
本当の敵は官邸にいる。現場の海上保安官や警備員は仲間にすべき人たちだ。朝はあいさつをする。コーヒータイムにはいっしょに休まないかと呼びかけている。にっこりしながら、「今は勤務中なので」と断られるが、今はそういう関係になっている。
会場からの質疑応答では、参加していた中学生が「学校でも講演してほしい」と要望する場面も。金井さんは「要請があればどこにでも講演に行きますよ」と答えた。
会場では小型の抗議船購入のためのカンパが集められた。

天皇制による民衆支配
仲尾 宏さんが京都で講演 8月15日

8月15日、第40回「8・15」を問い続ける京都集会が京都市内でひらかれ、台風のなかだったが30人が参加した。主催は、京都「天皇制を問う」講座実行委員会など。 講演は京都造形芸術大客員教授の仲尾宏さん。仲尾さんは、天皇制の歴史を詳しく説明。万世一系というのはまったくの嘘である。江戸時代では、天皇を知っているのは徳川政権の中枢と京都周辺の人びとだけだった。だから明治天皇は全国巡幸をして国民に天皇制を知らしめようとした。昭和天皇の地方巡幸もこれを真似して人間天皇を周知しようとした。ところが京大を訪問した1951年、2000人の学生がこれを取り囲んで天皇を糾弾した。

民衆と天皇制

質疑応答では、「武家政権も明治政府も天皇を利用しようとした。民衆はどうだったのか」と質問。仲尾さんは、「天皇の全国巡幸で民衆は歓迎しているが、よくわかってない面が大きいと思う。京大天皇事件では学生が糾弾している。江戸時代の12回の朝鮮通信使も民衆は歓迎している。日本の民衆がどうなのかはむつかしい問題」と答えた。支配者が天皇制を民衆支配に使っていることを批判的に見すえることの重要性を確認した。

読者の声
実は危ない! 夏場の家事援助
兵庫・介護ヘルパー 小柳太郎

『未来』読者のみなさん、猛暑の8月をいかがお過ごしでしたでしょうか。とくに、土木や郵便など外仕事のみなさんお疲れさまです。昨今の夏は、熱中症とのたたかいでしたね。
世間では、介護というと在宅での仕事がほとんどで暑い寒いにあまり影響されない仕事と思われがちですが、じつは私たちヘルパーは、人目にふれないところで熱中症とたたかっています。東京消防庁のデータによると、昨年救急搬送された高齢者の半数以上が住宅内で熱中症になっています。場所別にみると意外と多いのがトイレと浴室。私が仕事としている居宅介護での家事援助サービス(掃除、調理など)は、ここが「主戦場」となります。
毎年猛暑が続くので、今は行政が生活保護世帯へのクーラー設置にほとんど文句はつけませんが、それでも経済的事情から1台のクーラー(おおむね6畳対応)でご本人の寝室を冷やすのが精一杯の場合が多く、それ以外の場所の体感温度は気温プラス1〜3度という感じです。1時間から2時間ぶっ通しで作業、すぐに汗だくに。けっこう身体にこたえます。なお施設系でも入浴介助中、「みっともないから水を飲むな」と指示され、介護スタッフが熱中症になるケースが報告されています。
熱中症対策については09年にも厚生労働省から「屋外作業における休憩のとり方」などガイドラインが出ていますが、介護ヘルパーについては放置されています。これは障害者、高齢利用者さんの普段の生活が基本的人権以下におかれていることが原因になっていると思われます。利用者さんの劣悪な生活環境そのものをどうにかしないと、介護ヘルパーの職場環境も向上しません。介護総行動のような、利用者さんとヘルパーとの共同のたたかいが求められています。
その上で、厚生労働省を動かすまでには時間がかかり日常的な対策も必要です。会社は何もしないので、私は自腹で塩飴とかアイスバーとか会社の事務所に買い込み、職場の仲間に配っています。もちろん、これでなにか解決するわけではないですが、「熱中症に気を付けて、今日も仕事がんばろうな」という気持ちは伝わります。大事なのは気持ち、気持ちはモノにした方が確実に伝わります。
熱中症は自分だけでは気づきにくく、お互いの声かけが大事です。普段からの職場コミュニケーションこそ対策として重要だと感じています。

4面

中村猛さん(日韓民主労働者連帯)に聞く(上)
韓国で非正規職10万人がスト

7月3日から5日、韓国の公共部門非正規職労働者10万人が、正規職への転換と差別の解消を要求して、大規模なストライキに立ち上がった。
ストライキにいたる経緯とその意義について、中村猛さん(日韓民主労働者連帯)から話を聞いた。今回はストライキに至る経緯について。次回はストライキの意義について、2回に分けて掲載する。

非正規ゼロを反故

2017年5月、文在寅がロウソク革命の成果として大統領に就任した、文在寅大統領の労働公約は改革的だった。最低賃金1万ウォンへの引き上げ、常時・持続的な職場の正規職としての雇用慣行の確立、労働時間短縮で50万人の雇用創出、不払い賃金ゼロ時代、ILOの核心協約批准などが代表的な例で、これら労働公約は、労働界がこの間粘り強く要求してきた内容と大同小異だった。
17年5月12日、文在寅大統領は非正規職1万人が働く公共部門である仁川空港公社を訪問し、「任期内に公共部門非正規職ゼロ時代を開く」と約束した。公共機関から「良質の雇用を作る」という公約を履行する第一歩だった。5月末には各地方自治体に「非正規職ゼロ」を注文した。大統領直属の雇用委員会は「年内に非正規職ゼロ」を達成すると約束した。
しかし10月になると雇用労働部が、41万6千人いると推定される公共部門非正規職を20年までに20万人にすると発表、約束は大幅に後退した。この年の12月には6万1千人が非正規職に転換されたと明らかにした。
18年4月、雇用労働部は3月末基準で10万1千人を正規職に転換すると発表した。しかし、6月末には、非正規職を政府出資機関の非正規職と、子会社の非正規職の2段階に分けて、正規職化する方式を新たに発表した。

失望から怒り

徐々に後退を重ねる労働部の方針に、労働陣営は「希望より絶望が大きい」と不満を明らかにするようになり、年末には民主労総が「子会社で正規職として採用する」方式を拒否することを宣言した。
19年2月、労働部は公共部門非正規職の内、民間委託の労働者は第3段階として、各委託機関が自立的に非正規職化を実施する方針を発表した。
4月、こうしたあれこれの口実を設けて遅々として進まない公共部門の正規職転換に、民主労総は「これ以上は待てない」と宣言して、7月に公共部門非正規職の共同ストライキを警告し、準備に入ることにした。
6月には学校非正規職連帯会議がストライキ賛否投票を89・4%で可決し、大統領公約である「公共部門非正規ゼロ時代」は、組織人員20万人の非正規職の労働組合による史上初の共同ストライキに発展していった。
6月23日、民主労総は7月3日から3日間の非正規職全面ストライキを発表し、28日には共同ストライキ実行委員会が、公共部門の非正規職10万人が共同ストライキに参加すると明らかにした。
7月に入ると公共部門の労働組合に激励のメッセージが届けられるようになり、2日には実行委員会は「労政交渉」を提案したが受け容れられず、遂に3日、公共部門非正規職労働者の共同ストライキが実施された。ストライキの間中、市民社会団体は労働者のストライキに激励の声援を惜しまなかった。
7日までの3日間のストライキを終えて労働者たちは業務に復帰したが、多くの火種は残ったままで何も解決していない。11日に、政府は「経済危機」を理由に、民主労総にたいして、「ストの自粛」を訴え、さらには「スト権の制限」を議論するなど、未だに予断を許さない状況は継続している。(続)

【解説】
共同ストライキ

今回、ストライキに突入したのは、幼稚園・小中高などの学校非正規職の労働者、および地方自治体・公共機関の清掃・施設管理などの非正規職の労働者など。民主労総傘下の公共運輸労組、サービス連盟、民主一般連盟、女性連盟などが共同でストライキ。

広がる支援と連帯

学校職場の給食調理員のストライキで、学校給食が停止し、各家庭に影響が出るが、同じ職場の正規職である教員が、家庭通信を父母に発送し、理解と支援を訴えた。それを受けて、多くの生徒や父母らがスト支持を表明。「心配なく行ってらっしゃい」「不便でも平気」「卒業したら自分たちも非正規職になるから」と。さらに、市民社会団体が支持表明「非正規職のない世の中の扉を開く歴史的なストライキにするために連帯する」。
今回のストライキの特徴は、非正規職と正規職の労働者、あるいは、組合と社会が連帯する構図が実現していることだ。

非正規職のデパート

学校会計職員、調理員、助務員、ケア専門士、司書補助、警備員から、放課後講師、期間制教師まで、あらゆる職種の非正規職の労働者によって、学校職場は担われている。
雇用形態も様々。週15時間未満の超短期契約から、定年まで働ける無期契約まで。平均賃金は正規職の約6割。もっとも、無期契約といっても、どんなに一生懸命働いても昇進・昇給もなく、1年目と同じ職級。これは決して正規職ではない、と訴えている。そして、学校非正規職の多くが主たる生計者。しかも、30倍、40倍という競争を経て採用にこぎつけている。しかし学校の休業期間は無給。だから多くの学校非正規職は、生計のためにダブルジョブを余儀なくされている。
非正規職の労働者は、不可欠の労働を担い、また、多くが主たる生計者でありながら、生活できない低賃金の上に、不当な差別と冷遇を受けている。(つづく)

巨大化する岩国基地と爆音
基地強化反対 大阪でスタート集会

8月23日、「岩国米軍基地強化を許すな!2019岩国行動スタート集会」が大阪市内で開かれ、40人が参加した。主催は岩国労働者反戦交流集会実行委員会。前岩国市会議員であたごやま平和研究所の田村順玄さんが岩国基地をめぐる現状を詳しく報告した。
田村さんはこの日の午後、中国四国防衛局に米軍機による爆音被害をなくすよう求める請願署名2万6075筆を提出したとのこと。
昨年3月、厚木基地から米空母艦載機が岩国基地に移って以降の爆音被害は岩国市周辺だけでなく、広島市近辺にもおよぶすさまじいもの。この爆音問題にかんして岩国市長は集会実行委員会の求めに応じて面会する予定で、その場で請願書に署名するとのことである。この市長は昨年3月の宜野湾市長選に公費を使って応援演説に行ったことが問題にされており、現在住民監査の請求中だ。このような市長でも爆音被害には抗議せざるを得ないのだ。
岩国基地の前司令官・リチャード・ファースト大佐は昨年、当時はまだ市会議員だった田村さんに直接つぎのようなことを話していた。米軍住宅アタゴヒルズの入居数は全263戸のうちの50〜60戸にすぎず、570戸が岩国の市街地に居住していることや、空母艦載機の移転にともなって米軍関係者3800人が岩国に移ってきたたことなどである。こうした事実を防衛局は一切明らかにしていなかった。

(コラム)
私と天皇制 G
「護憲は反革命だ!」と口走って総スカン

1962年、憲法改悪をめざす政府が、全国の主要都市で憲法公聴会を開催した。
私は日本社会主義青年同盟(社青同)の一員として、名古屋の公聴会阻止闘争に参加した。
その前夜、東海4県から集まった100人程の仲間と寺の本堂に泊まり、「絶対に公聴会を阻止するぞ」と気勢を上げた。
そんななか、関西ブントの中心メンバーがマル学同全学連に拉致され、リンチを受けているという情報が伝わってきて、緊張感が走った。 当日はものすごく蒸し暑く、阻止線を張る警官隊と激突を繰り返した。
その日の行動の参加者から感想文を募り、パンフを作成して旅費に充てた。
翌年の社青同全国大会で、私は「憲法擁護を主張することは客観的に反革命を意味する」と発言して、総スカンをくらった。
会場が騒然となり、野次が飛び交い、何人かが私めがけて突進してきた。
象徴天皇制であれ天皇制を認めている現憲法を擁護しようとするのは、社会主義革命をめざす立場と矛盾する。当面のスローガンとしては「改憲阻止」こそふさわしい、というのが私の発言の趣旨であった。
しかし、何よりも護憲≠愛する人たちには、絶対に許せない暴言としか受けとめられなかった。
その夜、左派諸グループの合同フラクション会議があった。「あの発言を取り消せ」「全員の前で謝罪せよ」などの発言が相次いだ。
私は終始狸寝入りを決め込んだ。生硬で舌足らずの発言をしたという思いと同時に、非生産的な議論に付き合いたくなかったからである。
なのに誰一人として、私を叩き起こそうとしなかった。この信じられないような現象はナゼだろうかと考え、シャミンだからではないかと思った。
シャミンつまり社会民主主義は、何ごとにつけ徹底性を欠くのが特徴である。トコトン自己批判を迫るのは社民の流儀に反する。
しかし、このユルさは、国民のほとんどが天皇制を支持している現状を肯定することにつながる。
その後しばらくして、私はこの組織から離れた。(Q生)

市民レベルで連携の強化を
統一大会、若い世代が担う
8・14〜15 韓国・ソウル

8月14日から15日にかけて「コリア国際平和フェスティバル」に参加した。
14日、11時過ぎに仁川空港に到着。昼食後、国会議事堂横の議員会館でおこなわれた「コリア平和体制移行に際し、米国の戦争犯罪を告発する国際討論会」に参加した。自らを「世界の警察」と称して、アメリカ帝国主義が世界各地でおこなってきた戦争犯罪や朝鮮戦争の民間人虐殺など、具体的な調査に基づく報告は衝撃だった。
夕食後、光化門前広場での「2019自主統一大会」へ。会場に到着するや、直ちに日本から訪韓団が登壇。代表して全港湾大阪支部顧問の山元一英さんが発言。発言は演壇背後に設置された巨大モニターで韓国語に翻訳され、参加者から大きな拍手が(写真)。 翌15日は朝10時から、ソウル市立グローバルセンター国際会議場でおこなわれた「安倍政権に立ち向かう日韓市民団体の平和行動模索に向けた緊急討論会」に参加。東アジア市民の共通の敵である安倍政権を打倒するため「日韓の市民レベルでのネットワークを強化していこう」という内容の、中身の濃い討論だった。日本からは日韓民衆連帯全国ネットワーク共同代表の渡辺健樹さんが発言。「日本の平和運動の現状と課題」をテーマに、7月参院選で改憲派3分の2議席を阻止したこと、沖縄・辺野古の米軍新基地建設反対運動、朝鮮半島の平和統一を求める取り組みなどを報告した。午後は日本大使館前で開かれた「8・15平和の手つなぎ市民大行進」。日本大使館は現在取り壊されており、移転するとのこと。近所のビルの中に仮の大使館が設置されていた。集会は「平和の碑」(少女像)前の路上で開かれ、日本から朝鮮学校無償化裁判闘争をたたかう女性が報告した。
その後、光化門前広場に移動し「8・15民族統一大会」会場へ。移動トイレを警察が提供していることに驚きながら、会場に展示されていた「米国の戦争犯罪告発、国際写真展示会」などを見学。大会では平和フォーラム共同代表の藤本泰成さんが発言。仮住まいの日本大使館ビル前に参加者全員で移動し、巨大な日章旗を破り捨て、日本の軍国主義化に抗議するパフォーマンス。また徴用工の像を機動隊の阻止線を突破して押し込もうとする行動があり、参加者の一体感が高まった。
14日の自主統一大会と15日の民族統一大会は合唱、寸劇、ロックバンドの演奏などが盛り込まれていた。集会運営は南北統一後の主人公となる若い世代によってなされており、頼もしい限りだった。(関西合同労働組合・佐々木伸良)

迫られる日米安保の転換
日朝、日韓関係を考える
8月4日 大阪

8月4日、大阪市内で「どうなる米朝 どうする日本 朝鮮半島のいま」講演集会がひらかれた(写真)。ゲストは、韓国から東アジア平和会議運営委員長・李富栄さん、日本から雑誌『世界』元編集長・岡本厚さん。主催は、戦争あかん! ロックアクションとヨンデネット大阪。
李富栄さんは、軍事独裁政権の言論弾圧と戦った元東亜日報の解職記者。民主化運動で収監中にソウル大生の拷問死の真相を知り、看守を通じて韓国中に知らしめた。それが軍事独裁政権を打倒した87年6月の民主化大抗争につながった。李さんは「韓半島の自律空間の拡大と日本の望ましい役割」と題して講演。
「民主主義破壊の脅威が大きくなっている。だからこそ韓国の市民運動と日本の市民運動は互いに協力し、連帯しなければならない」と強調した。65年、韓日協定時、日本企業6社から6600万ドルもの大金が朴正煕政権の民主共和党に提供され、共和党の立ち上げ資金、大統領選挙、総選挙の資金にあてられていた。
日本の歴代総理は日本軍の慰安婦強制連行を認めて謝罪してきたが、安倍政権はこれを簡単に覆した。安倍政権の強硬措置は、「『戦争のできる国』日本に移行する過程で韓国を親日国家として手なずけようとするのが目的。長期的な対朝鮮半島政策の転換だ」と分析。最後に鳩山由紀夫元総理などによる「韓国は果たして敵なのか」という声明に触れ、日本の知識人への期待を表明した。
続いて岡本厚さんが「今求められる日朝、日韓関係のあるべき姿」と題し、「安倍政権は他者がない政治。対話がない異常な政権で、そういう態度が国外にも向けられている」と批判。20世紀後半の体制であった「冷戦」が終結し、「日米安保体制」の転換が迫られているなかで、日本は朝鮮半島の統一・平和を望むのか、それとも対立・分断を支持するのか。考えないといけないのは憲法ではなく日米安保条約。安倍の外交がおかしいと思ったらわれわれが声をあげよう」と話した。(池内慶子)

国境を越え労働者は一つに 日韓労働者が共同宣言発表

1、日本と韓国の労働者交流は、1989年のアジアスワニー資本の一方的な廃業と資本撤収に反対するために、日本遠征闘争を展開したアジアスワニー労働者と日本の労働者の連帯闘争を契機として始まった。91年の日本の労働者の初めての韓国訪問以後、両国の労働者交流は29年間続いており、96年の民主労総全北本部の結成後は、民主労総全北本部―日韓民主労働者連帯の交流として定着し、現在に至っている。
2、この間、両国の労働者は共同宣言文を採択して発表してきた。共同宣言文の共通した主な内容は「@軍国主義化の流れに積極的に対応し、東北アジアの戦争の危機の高揚に反対して平和の定着のために努力する。A各種労働改悪と労働人権侵害に反対し、労働者の権利拡大のために努力する。B労働者・民衆の普遍的な人権の強化のために努力する。C『すべての労働者は一つだ』という連帯意識を強化し、すべての労働者の差別撤廃のために努力する。D両国間の正しい過去の歴史清算・解決と、歴史歪曲に共同対応する」である。2019年6月13日にも両国の労働者は民主労総全北本部会議室で両国の労働運動の現況に対する討論を行い、労働者階級の立場で労働者の連帯を強化し、労働運動を弾圧する両国政府に対する断固たる闘いと、東北アジアの平和定着に向かう実践を決議した。
3、安倍政権は7月4日、フッ化水素など3製品に対する韓国への輸出規制措置に続き、8月2日には韓国のホワイトリスト国(輸出審査優待国)からの排除を一方的に発表した。これは強制徴用被害者に関する韓国大法院の賠償判決に対抗する、安倍政権による明白な経済報復であり、両国間の関係を深刻に悪化させている。これを契機に両国の政権は排他的民族主義を強化し、財閥支援強化、労働者・民衆運動の弾圧と、東北アジア全体の平和に深刻な脅威を与えている。排他的民族主義は自民族の利益に同調しないすべての個人と集団を、敵と看做すものである。
4、排他的民族主義が更に一歩進めば、自国の利益のための膨張的、侵略的な性格を持った軍国主義に進展する。安倍政権は植民支配した過去の歴史に対しては歪曲と不正で対応し、朝鮮民主主義人民共和国を口実に、平和憲法を改悪して戦争可能な国造りを推進してきた。そして、今、安倍政権は韓国を踏み台として、帝国主義的な意図を露骨に現している。また、労働基本権争奪のために、大資本の横暴に対抗して闘い、安倍政権の反歴史的な行状に強く反対し、沖縄辺野古の米軍基地反対など、反戦、反基地、反原発などの闘いを主体的に展開している産別労組とその組合員の正当な闘いを弾圧し、組合員を今も拘束し続けている。
5、文在寅政府もやはり、愛国主義を基調に、韓国内部の問題とすべての社会的な懸案を『国益の前の団結』という美名の下に、希釈しようとしている。これによって、政権の位置付けを強化し、資本の利潤創出の基盤を作るための機会に利用しようとしている。また、経済報復を口実に、文在寅政府は現状を『国家的災難』称して、労働者・民衆に犠牲を強要している。環境規制、産業安全保健法、労働基本権などを改悪して、財閥の位置付けと言い分を強化している。
6、これに対し日本と韓国の労働者は、両国政権に次の通り要求する。@労働者・民衆だけに苦痛を転嫁する経済紛争を中止せよ。A民族イデオロギー的な対決構図を利用した支配権力の位相強化という、政治的な策略を中止せよ。Bこの機会を利用した財閥と資本の利潤創出のための規制緩和、労働基本権の改悪を直ちに中止し、すべての労働者の労働基本権を保障し、労働弾圧を中止せよ。
また、安倍政権に強く要求する。@韓国に対する輸出規制とホワイトリストからの排除を直ちに撤回せよ。A軍国主義への回帰によって東北アジアの平和を脅かす歩みを直ちに中止せよ。B植民支配した過去の歴史に対して、心から謝罪し、被害者に賠償せよ。
7、私たち日本と韓国の労働者は、韓国と日本という国籍の異質感を克服し「労働者は一つだ!」という同質感と、「労働者の力で世の中を変えよう!」という闘争意識を高めて30年を連帯してきた。連帯の過程で私たちは、お互いを敵視することは現実にはあり得ないことをよく知っている。「嫌韓」、「反日」感情を煽り立てているのは、むしろ報道機関と一部政界だ。
私たちは今後も団結と連帯をより一層強化するために最善を尽くして努力する。そして両国の労働者・民衆の労働基本権と幸福追求権、平和の内に生存する権利を侵害するいかなる策動も容認することなく、両国の労働者・民衆と共に断固として闘うことをここに宣言する。

2019年8月21日
民主労総全北本部―日韓民主労働者連帯

6面

朝鮮通信使と雨森芳洲
自国中心を排した誠信外交

7月29日、第28回世直し研究会が大阪市内でひらかれた。仲尾宏さん(京都造形芸術大学・客員教授)が「朝鮮通信使と雨森芳洲−多文化共生をめざして」というテーマで講演した。

雨森芳洲の生涯

1668年、雨森芳洲は近江の雨森に生まれた(京都市内で生まれたとの説もある)。芳洲の父は医者で、その影響からか医学を志すが、18歳の時に江戸に移り、木下順庵から儒学を学ぶ。その後、芳洲は外交官として対馬藩に就職した後、長崎で中国語を学んだ。また、朝鮮語を学ぶために釜山に渡っている。芳洲は語学研修で3回、生涯に7回、釜山に行っている。1711年と1719年には、朝鮮通信使に伴って江戸まで同行している。芳洲は88歳のときに対馬府中で亡くなった。
芳洲は対馬藩にたいして、次のような提言をしている。@駆け引きを排して「実意」で交渉する、A真に対等な立場に立つ。それが無理ならば、実意=信頼を失わないことを大原則とする、B浮言雑説をやめ、相手をよく知ること、その上で政策を立案すること。
この「誠信外交」は、外交の基本的在り方。立派なのは、理念にとどめずに実践したことだ。その上で、仲尾さんは芳洲の思想を次の3点にまとめた。
第1に、相手の立場、歴史と文化の理解につとめようとしていること。芳洲は「日本、朝鮮、嗜好風義の違い候所に、日本の嗜好風義を以て、朝鮮の事を察してハ、必ずハ簡違いに成り申すべく候」(『交隣提醒』)と述べている。
第2に、自国の立場、自国の歴史や文化を相対的に見ようとしていること。彼は「耳塚とても豊臣家無名の師を起し、両国無数の人民を殺害せられたる事に候ヘバ、其の暴悪をかさねて申し出すべき事に候とて」(「交隣提醒」)と記しているように、秀吉の朝鮮侵略を弾劾している。みずから「誠信外交」を実践するために、歴史をしっかり学んでいるのだ。
第3に、東アジアの中の日本という立ち位置を認識しようとしていること。芳洲は「日本人は却って我が国の事を自慢致し」(「交隣提醒」)と書いており、自国中心主義を批判している。

今日の日韓関係

1719年、朝鮮通信使の一行が京都の大仏を見学している。この時のエピソードを仲尾さんは次のように語った。「京都の大仏は耳塚のある豊国神社・芳広寺にあった。以前にも行っていたので、どういう場所なのかを知っていたのだろう。通信使の一部は行きたくないと言いだした。これでたいへんもめた。これ以降、大仏見学はしていない。芳洲が対馬藩に提言したのだろう」。朝鮮人にとって、豊国神社に行くことは気持ちのよいことではない。相手を思い知る配慮が必要なのだ。これは今日でも同じこと。 安倍政権の対応は芳洲の精神を忘れている。日本政府は宗主国たるような傲慢で、相手を見下すような態度をとるべきではない。(津田保夫)

真実とは何かを見極める
パレスチナ・キリスト者からの言葉

7月15日、奈良県伝道会・社会部主催の講演会が奈良市内の日本基督教団奈良教会でおこなわれた。講師は村山盛忠さん(大阪生野教会協力牧師)。「パレスチナ・キリスト者からの言葉」というテーマで講演した。
1967年、村山さんがエジプトに留学しているときに、突如として第3次中東戦争が勃発した。この経験があって、ずっとパレスチナ問題にかかわってきたという。
村山さんは「パレスチナ問題の原点は1948年デイル・ヤシーン村の虐殺にある」という。この事件はイスラエル建国の1カ月前におこなわれた。周辺住民に恐怖心をあおることにより、パレスチナ人を村から追放したのだ。今日に至るも、その人たちと家族は帰還できていない。
戦争状態は今日も継続している。パレスチナ人は現在もイスラエルの占領下で生活しており、植民地状態におかれている。その歴史的背景には、西欧諸国のユダヤ人差別があることも忘れてはならないだろう。

「サビールの祈り」

講演では毎週発信されるブログ「サビールの祈り」(眞野玄範:訳)を引用しながら、現在のパレスチナの状況が紹介された。以下は、7月11日の声。
「金曜日、(ガザで)〈帰還の権利と封鎖解除を求める大行進〉が続けられました。95人がイスラエル軍によって負傷させられました。うち、33人は子ども、4人は女性、1人はジャーナリスト、1人は救急隊員でした。大行進が始まった2018年3月30日以来、イスラエル兵は207人のパレスチナ人を殺害しました」「ジュネーブ条約は市民を標的にすることを禁じていますが、イスラエルはデモが始まって以来、市民に対する発砲を続けています。」

真実とは何か

こんなことが日々起きているにもかかわらず、パレスチナの声は世界に届いていない。「キリスト者としての責任がことさら大きい」と村山さんは指摘。そしてパレスチナに生まれ難民となったアラブ人司祭・ナイム・アティークの著書『サビールの祈り―パレスチナ解放の神学』を参照しながら、イスラエルを支持するキリスト者の旧約聖書解釈について批判した。
旧約聖書の一部分を持ちだして、イスラエルの行為を正当化する。たとえば『申命記』には、「あなたたちがエジプトを出たとき、旅路でアマレクがしたことを思い起こしなさい。彼は道であなたに出会い、あなたが疲れきっているとき、あなたのしんがりにいた落伍者をすべて攻め滅ぼし、神を畏れることはなかった」と書かれている。「アマレク人」を「パレスチナ人」に置き換えて、パレスチナの占領政策を合理化する。
パレスチナの現実から「事実とは何であるか」を見ていくことこそが重要なのだ。
「アウシュビッツを経験したユダヤ人が、パレスチナで同じ事をおこなっている。どうしてなのか」とよく質問されるという村山さん。岡真理さんの言葉を引用して「イスラエルだけではなく、世界中で同じことが何度も繰り返されている。政治的な動きがどういう形でなされているのか、それを把握することが重要だ。われわれの政治的感性が問われているのではないか」と述べた。(生田信夫)

生きるために抗う地域運動
第4回 平和祈念のつどい・東大阪

第4回「平和祈念のつどい・東大阪」が8月10日、荒本人権文化センターでひらかれ、100人を超える参加があり、集会後平和祈念公園までデモ行進をおこなった(写真)。主催は、平和祈念のつどい・東大阪実行委員会。
くるみざわ代表はあいさつで「あいちトリエンナーレ展を見ていて本当に危機感を覚えた。都合の悪い歴史を消して自分たちの主張をよいものだとすり替える。こんな願望を持つ人たちが政治を乗っ取ろうとしている。私たちはこれに抗うために平和祈念のつどいをやっている」と宣言した。

私たちの思い

今、徴用工訴訟をめぐって安倍政権が韓国に輸出規制をかけるなどして日韓関係が激しく動いているが、司会の丁章さんは「こういうときだからこそ東大阪から平和と日韓の和解を祈る言葉を発していきたい」と述べた。
今回、私が注目したのは公立保育所廃止に反対して7万筆を集めた山本隆二さんである。山本さんは9月の東大阪市議会議員選挙に立候補する予定である。山本さんは東大阪市で公立保育所廃止が公表されたとき、公立保育所がなぜ地域に設立されたのかをまず調べたという。当時、保育所を設立するために頑張った人たち、保護者の方々、保育所の先生たちに話を聞くと今と事情はまったく変わらなかった。共働き等々の困難のため保育所がどうしても欲しかったという。だからこそ各地域に保育所が設立されたことを知った山本さんは「そしたらこの保育所は絶対いるやないか。理屈ではない。絶対いるものは私たちが守らなあかん」と思い、署名運動に立ち上がった。署名の輪は広がり、3カ月で7万筆が集まった。
署名提出後、東大阪市は2015年9月22日、「4園の廃止は見送る」と発表した。山本さんは涙が止まらなかった。しかし、公立保育所廃止計画は撤回されたわけではい。山本さんは、公立保育所の存続を求めていくことを表明した。

日韓関係

つづいて東大阪で多文化共生に長年とりくんできた鄭貴美さんが「日韓和解と平和」についてアピール。
鄭貴美さんは在日一世、二世のハルモニのためのデイサービスを始めて20年になる。今回の徴用工問題、輸出規制問題に「大きく心が揺さぶられている」という。韓国の不買運動のテレビを見ていた95歳のハルモニがポツンと「なんで仲ようできひんの」と言った言葉が突き刺さっている。
何十年にも及ぶたたかいで「日本社会の中で多くの仲間を作れるような時代を私たちはつくってきた」という鄭貴美さんは、「こんな日本社会に不買運動をして何が伝わるんだろう」と問題提起をした。「日韓の平和と和解」には本気でたたかう運動が必要ではないかという。
「東大阪の1日20人の小さなデイサービスだがいろんな人たちが私たちのところに来る。大学の福祉学科の学生が毎年私たちの施設でフィールドワークをする。来週はネパール人の高校生が介護実習にくる。こんな小さな私たちでもできることがたくさんある。本気でたたかう人たちの力が最後には勝つ」と結んだ。 東大阪に根差した生きるための抗う運動の姿がこの4年間でしっかり見えてきたことが私には一番大きな収穫だった。(布施三郎)

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