日韓民衆の力で安倍打倒へ
8月15日 ソウルで10万人デモ
15日夕方、「NOアベ」のボードとLEDのロウソクの波で、雨上がりのソウル光化門広場が埋め尽くされた。参加者10万人余(主催者発表)は、16〜17年のキャンドルデモ以降で最大規模だ。「安倍は謝罪せよ」「GSOMIA(秘密軍事情報保護協定)破棄」「反日ではなく反安倍で韓日市民の連帯を」などを叫んだ。集会では日本製品不買運動に参加する若者が思いを語り、強制動員被害者ヤン・クムドクさん(90)が「沈黙するのではなく最後まで勇気を出して」と訴えた。
第二のろうそく革命
朴槿恵を倒したろうそく革命のうねりが、「安倍糾弾」で再結集し、「キャンドル文化祭」の毎週行動から、8・15の大規模なデモとなった。ろうそく革命が第二ステージに突入し、1965年日韓条約体制を打破する第二の独立運動の勢いである。しかし、同時に、日本の世論は排外主義的に流動している。事態の危機と好機を見すえる必要がある。
安倍政権が、韓国にたいして、輸出優遇国リストから除外などの敵対行為を発動している。「安全保障上の問題」「貿易管理に不備」などは方便であり、その目的は、ひとえに韓国・大法院の「徴用工」判決にたいする報復だ。
WTOで争えば、日本の敗北濃厚の乱暴なやり方で、経産省幹部も反対したが、安倍が強行した。この経緯とやり方は、侵略戦争の論理の発動だ。日本は一線を越えた。
他方、安倍政権の措置を受けて、文在寅大統領は次のように発言した。「加害者である日本の『賊反荷杖(道理に合わない)』の立場で、逆に大きく出る状況を決して座視しない」(8/2国務会議)
ハンギョレ新聞は次のように論じた。「今回の事態は…冷戦時期の韓国の軍部独裁政権と日本が締結した1965年韓日協定体制をもはやこれ以上はその古い姿のままで維持できなくなったこと」(8/2社説)
市民社会団体は次のように述べた。「私たちは、今回の貿易報復を屈辱的韓日関係清算の契機にしなければならない。…新しい韓日関係を樹立するための大長征に出なければならない」(7/17記者会見文)
請求権協定の問題点
大法院判決は画期的である。判決は、「韓国併合」以来の日本の植民地支配の不法・無効性を宣言、日本政府と企業による「組織的な欺罔(だまし)による動員」とその強制性を認定、暴力による強制労働を「反人道的な不法行為」と断罪した。さらに、65年日韓条約・請求権協定が、植民地支配の不法・無効性を日本政府が否認し、謝罪・賠償を拒み、あくまで、未払い賃金などの「債権・債務」問題に後退させ、さらに「経済協力金」にすり替えたという請求権協定の問題性を突き出した。そして、請求権協定では、植民地支配による被害にたいする賠償請求権は解決していないと法的に断じた。
こうして、判決は、日韓条約・請求権協定が、日本の侵略戦争と植民支配を隠蔽する構造であったことを突き出した。まさに判決自体が、65年日韓体制を打破している。ろうそく革命の成果である。
安倍は、「協定で解決済みだ」というが、そのウソが判決で暴かれたのだ。「国と国の約束だ」というが、犯罪行為の隠ぺいの「約束」だったことが暴露されたのだ。にもかかわらず「解決済み」と強弁する狙いは、排外主義的な国民結集であり、侵略戦争の論理だ。
韓日の積弊清算
ろうそく革命は、65年日韓条約を結んだ朴正煕の娘・朴槿恵を倒した。朴正煕に象徴される韓国の保守は、一貫して「親日」「反共」「産業化(開発独裁)」であった。そして、65年日韓体制とは、韓国の民衆にとって、米ソ対決体制の下で強制された「和解」、国民的な同意の欠如、日本の謝罪・賠償の拒否をもってする日韓支配層の癒着と利権の構造であった。そういう矛盾を抱えた体制は破綻する。ろうそく革命から大法院判決で、その矛盾が爆発した。ろうそく革命の進める保守支配=積弊の清算は、65年日韓体制打破に向かわざるをえない。
ところで、65年日韓条約締結を日本側で主導したのは、安倍の祖父・岸信介であった。日韓支配層の癒着と利権構造の中心に、岸から安倍に至る日本の保守の系譜がある。65年日韓体制は、日本の戦後体制(安保・沖縄・天皇・憲法)のあり方と不可分一体であり、戦後日本のあり方を大きく規定してきた。ところが、ろうそく革命によって、65年日韓体制の一方の柱が突き崩された。そして、大法院判決が日韓体制の矛盾を顕在化させ、日韓体制のもう一方の柱である安倍に突きつけている。これは東アジア全体の反動体制をも突き崩す威力を持っている。安倍の狼狽と凶暴化は、存立の危機に瀕しているからに他ならない。
新たな韓日関係
韓国の運動は、新しい韓日関係を俎上に乗せた議論をしている。事態は、そういう方向に向かう以外ない。問題は、それを受け止める日本の側にある。さしあたり7割前後の日本の民衆が、政府の措置を支持している。しかし、65年日韓体制を打ち破ろうという動きを後戻りさせることは不可能である。これは朝鮮戦争の終結と南北統一に向けた動きと一体のものである。
日本の民衆にとって新たな日韓関係、日朝関係とは何か。それは今日の南北朝鮮の民衆のたたかいが指し示していることを謙虚に学び、彼らとともに東アジアの平和の実現をめざす運動を作り出すことである。
「優遇対象国除外」は異例
韓国への報復措置やめよ
安倍政権は7日、輸出手続きを簡略化できる輸出優遇国のリストから韓国を除外する政令を公布した。28日に施行される。輸出優遇国の除外は韓国が初めてで、極めて異例のことだ。今回の措置について安倍首相は6日、広島市であった記者会見で「請求権協定に違反する行為を一方的におこない、国際条約を破った」とのべ、韓国の大法院が日本企業に強制動員被害者への賠償を命じたことへの報復措置であることを再度明言した。
不当な内政干渉によって国際法に反しているのは日本政府の方である。
東海第二
首都圏に危険な老朽原発
40年超え再稼働認めない
8月3日、JR新宿駅東口アルタ前広場で「とめよう! 東海第二原発 8・3新宿・夜デモ」がおこなわれ、250人が参加した(写真上)。主催は〈とめよう! 東海第二原発 首都圏連絡会〉。
原子炉等規正法では原発の稼働期間を40年としているが、原子力規制委員会は「例外」と称して20年延長を次々と認めている。東海第二もそのひとつである。同原発から東京駅まで116キロ。途中には遮る山もなく、事故が起これば放射性物質は6時間で届くという原発から200キロ圏内には5千万人が暮らしている。これほどの危険性を抱えた原発を3000億円の工事費をかけて40年超えの延長稼働しようというのだ。
集会では、地元の状況や取り組みが報告された。反原発運動への市民の参加が広がれば、延長阻止の大きな力となる。
2面
安倍政権の改憲動向
【定点観測(7月下旬〜8月初旬)】
新たな改憲攻撃を見すえる
参院選結果を受けて
参院選では、「改憲勢力」が議席の3分の2を割った。4議席の差とは言え、告示までこの争点を隠して乗り切ろうとした安倍自民党の敗北は大きい。しかも自民党は議席を選挙前に比し9議席減らし、単独過半数でなくなった。「1人区」では野党共闘が10議席を確保した。改選議席はわずか2議席だったからこれも大きい。消費税廃止や原発即時禁止を掲げた「れいわ新選組」は比例で228万票を越え2議席を確保した。
全有権者に占める自民党の絶対得票率は第2次安倍内閣になって最低で、比例代表では16・7%、選挙区でも18・97%といずれも2割を切っている。安倍首相が、「改憲論議の促進」に有権者の支持を得られたとか、「しっかり議論していけという国民の声を頂いた」などというのは詭弁である。
それでも改憲へ
安倍首相はこの結果を受けて、2020年中としていた改憲時期の目標を2021年9月の自民党総裁任期までと設定し直し、「今後1年が勝負の年になる」との認識を示した。さらに「国民民主党のみなさんの中にも憲法議論をしっかりしたいと言っておられる方がおられる」と、野党をぶっかく趣旨の発言をおこなった。
さらに7月26日には、最側近とされる萩生田光一自民党幹事長代行をして、インターネット番組で、大島理森衆院議長を交代させて、「有力な方を議長に置き、改憲シフトを国会が敷く」との発言をおこなわせた。
これは、単に議長交代の話ではない。司会の櫻井よし子は、「総理が衆院議長を二階さんにお願いするとしたら、それは安倍さんが絶対に憲法改正をやり遂げるという意志と解釈していいですかね」と発言した。この意味は、9月の自民党人事で、改憲よりも自民党の権力維持に執着する二階俊博幹事長を衆院議長に祭り上げ、より強硬な改憲派を幹事長に据えて、国会発議まで強行しようとする目論見である。
有志連合参加許すな
安倍政権は中東・アフリカへの自衛隊派兵を改憲の実質的突破口にすべく、この間策動してきた。トランプの米国が提唱しているイランの軍事的圧殺のための「有志連合」への参加が問題となる。トランプの米国に先駆けて安倍が2016年に提唱した「インド太平洋戦略」なるものは、アフリカの東海岸までを勢力圏化する夜郎自大な構想である。安倍はこの間、この「構想」に米国を巻き込むことを策動し、トランプをして飲ましている。戦争法(安保法制)のどの条項をとっても不可能な攻撃的な集団的自衛権の行使にむけ、安倍は現在あらゆる策動をおこなっている。とりあえず有志連合への参加はあいまいにしたまま、有志連合の軍隊の「後方支援」(という名の兵站補給活動)か、有志連合の司令部に自衛隊の将官を送り込む目論見である(毎日8月2日付)。
10月には消費税を10%に引き上げ、大企業と富裕層の支持をバックに、対韓国の排外主義を振りかざし(植民地支配の歴史に向き合わずに輸出規制し、ASEANなどアジア諸国全体を「敵国」扱いする)、沖縄では県民投票で新基地建設反対が43万票、72%を獲得したその翌日に新たな海域での埋め立てを開始した。個人の不可侵の人権も、住民自治も認めず、表現の自由を圧殺し(あいちトリエンナーレ)、改憲に突っ走る安倍政権を打倒しよう。
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カヌー隊で抗議に参加
体を張って土砂投入を阻む
7月末、辺野古に行ってきた。今回は、辺野古ブルー・カヌー隊の一員として海上抗議行動に参加した。
28日、カヌー教室で実技指導を受ける。前回の課題だった「カヌーを転覆させ、起こし、乗り込む」という一連の動作を何とかできるようになった。これで実践行動への参加が認められた。
カヌー教室ではこのほか、カヌーの乗り降り、オールの漕ぎ方、抗議船・平和丸への接岸訓練などがおこなわれた。カヌーの降り方を簡単に考えているとカヌーが流されてしまう。反対に岸側に降りるとカヌーと衝突してケガをするなど、いろんなことを教わった。
29日は、辺野古新基地建設の現場、大浦湾での行動だった。琉球セメント安和桟橋、本部町塩川港から運ばれてくる土砂運搬船、台船がK8、K9護岸に接岸するのを抗議活動で、押しとどめるという行動だ。早朝テント村に集合し、グループ編成とミーティングをおこない、カヌーを車に積んで出発。「松田ぬ浜」からカヌーを出して抗議現場に向かう。グループのひとつは、平和丸に曳航されてオイルフェンスの開口部に急行する。オイルフェンスにカヌーを括り付けて土砂運搬船の進路をふさぐ予定であったが、タッチの差でできなかった。
もう一つのグループは、カヌーを漕いで長島、大浦湾をめざす。長島付近で平和丸とカヌー隊が集結して土砂運搬船、台船が接岸するK8護岸を監視する。途中で休憩を入れ、長島のサンゴの切れ間から大浦湾へ。平島に上がって昼食をとった。美ら海を実感した。
土砂運搬船、台船が近づいてきたとの連絡を受けて出動。オイルフェンスの隙間から工事区域に侵入し、ボードを掲げて抗議活動をする(写真上)。海上保安庁のGBボートに迫る。海上保安官が海に飛び込む。カヌーが確保された。GBで「松田ぬ浜」まで戻されたところで、この日の行動は終了。
30日は、安和港で、土砂運搬船出港を阻止する抗議行動。安和桟橋に土砂運搬船が接岸。ダンプカーから赤土が降ろされ、ベルトコンベアで運搬船に積み込まれる。この日はなんとダンプ387台分のの土砂が積み込まれた。
安和桟橋は鉄柱の上につくられており、土砂運搬船と桟橋の間にネットを張りめぐらしている。カヌー隊は、二手に分かれた。一隊は、ネットにカヌーと体をひもで括り付けて船を出港させないようにする。もう一隊は、桟橋内をカヌーで遊泳して出港をおくらせるという作戦だ。
桟橋の下で昼食を取り準備を整える。出港時間になった。海保のGBから海上保安官が一斉に飛び込んでくる。一つのカヌーに、5〜6人がおそいかかり、ひもをほどきにかかる。非暴力の抵抗がつづく。その後、桟橋内のカヌー隊を海上保安官が両サイドから挟み撃ちにして確保する。GBに乗せられて浜に連れ戻された。テント村に帰ったのは18時30分なっていた。この日は、1時間10分出港を遅らせたと報告を受けた。(高)
れいわ祭≠ノ行ってみた!
関東「障害者」解放委員会 町田 純
山本太郎さんが非常にまじめな方であることは知っていた。参加した集会では、できるだけ学ぼうとして聞いている姿を知っていたからだ。しかし、「れいわ新選組」とは。なんでそんな名前をという思いでいた。ひらがなにしたとはいえ、元号は、天皇制に民衆をしばりつけるためのものであり、江戸末期の新選組と言えば、反動派のテロリスト集団ではないか。
参議院選挙が近づいた6月末になって、そのれいわ新選組の「重度障害者」の二人が比例代表の特別枠に入ったことを知った。この「障害者」の候補者も出るとのことで、7月12日の品川(写真左)、20日の新宿の行動に行ってみた。
3000人とも言われる大勢の様々な世代の人々がそこには結集していた。ペンキの付いた作業服姿で聞いている人、車いすの「障害者」、あちこちで振られる創価学会の旗。発言者からは口々に、生産性で人の価値を図る社会を批判し、一人一人の存在そのものを肯定する社会にしようと熱烈に語られた。そこには政府の政策を批判し、守るべき市民生活を語る野党の姿ではなく、社会変革をやろうという熱情があった。
山本太郎さんは、消費税の廃止を主張している。逆進性によって経済的な貧困層を苦しめるからだ。そして、働いたことで得られる収入にかかる所得税と金融取引で得られる利益にかかる税金を一本化し、個人に対する税金も法人に対する税金も、累進課税で徴収することを主張している。大企業ほど、課税特別措置で税金が軽くなっていることを批判し、累進制ならば、労働者の7割が働く中小企業の税金を軽くすることができることを述べている。この課税方式にすれば、消費税を上回る税収を確保できると計算し、その分を、奨学金による借金に苦しむ人々の返済の棒引きに使うことを主張している。
三井よしふみさんは、銀行をやめて、セブンイレブンを経営していた人だ。コンビニを経営して初めて、様々な階層の人々の生活が見えてきたと言う。そのコンビニ経営者に対しても、本社は容赦なく24時間の経営を強いて、不必要と判断すればつぶし、自殺に追い込んでいる。金融資本が牛耳る社会の非人間性が語られた。
東京選挙区から立候補した野原よしまささんは、沖縄の創価学会壮年部の方だ。辺野古新基地建設絶対反対を主張し、安倍政権を支える公明党を批判した。そして「平和の党でも福祉の党でもなくなった公明党はつぶすべきだ」と主張し、「創価大学の学生や池田門下生は、今こそ立ち上がれ」と呼びかけた。
れいわの候補者一人ひとりの強烈な個性、SUGIZOさんをはじめとしたミュージシャン、元文科省事務次官の前川喜平さんなど、引き付けられる発言が最後まで続いた。身動きも取れないほどの結集の中で、候補者となった「障害者」の発言の際には、全体が集中して聞き入るのだった。
3面
「日の丸・君が代」強制の問題性
こどもの人格≠ゥら考える
7月21日 東京
7月21日、「第9回『日の丸・君が代』問題等全国学習・交流集会」が東京・日比谷図書文化館で開かれ、122人が参加した。新潟大准教授の世取山洋介さんが「『日の丸・君が代』と子どもの良心形成」と題して記念講演をおこなった。以下は講演要旨。
世取山洋介さん(7月21日 都内) |
安倍の「教育改革」
2012年に第2次安倍政権が発足後、「教育改革」が実行されたが、その中で「日の丸・君が代」が強制されている。学習の主体である子ども・学生の「人格」の発達という観点から「日の丸・君が代」強制の問題を考えてみたい。
現在、学校体系の複線化が進められている。@効率的なエリート選抜のために、小中一貫校や中高一貫校が作られ、6・3・3制が相当浸食されている。A非エリート向けの教育が陳腐化している。Bいずれにも適応できない者の排除が進んでいる。小中一貫校では全校生徒が1500人程度。服に番号が表示されており、生徒がお互いを番号で呼び合っている。教師と生徒との関係が形成できないとまともな教育はできない。「地域経済に貢献」する教育活動によって画期的な製品開発をしたという報道をよく見るが、何の意味があるのだろうか。
電子黒板や学習アプリの導入などのIT化で教育産業による学校教育の乗っ取りが進行している。葛藤も矛盾もない「美しい」教育。それは、児童や生徒の人格形成にとって何の意味もない。
道徳教育では「恥」の概念が持ち込まれている。「恥を知るという」という考え方の中には、「自分の人格を入れ替えなさい」という発想がある。
生徒を一人の人間として全体的に把握する教員がいなくなっている。問題に直面した生徒には「スクールカウンセラーに相談して」と言われている。「先生は授業をやるだけ」となれば子どもたちは不信感を抱くだけだ。
校長独裁制
都教委の03年10・23通達は東京都の教育改革の目玉の一つである校長独裁制の確立をめざすものだった。その手段が「日の丸・君が代」強制。国家主義イデオロギーによる教化は副次的なものだ。論争的主題を教師が子どもたちに提起し、そこから考えることの意味を教えるという教育活動を排除することが目的だった。
安倍政権がめざすイメージは単なる「国家を愛せ」ではなく「国が作る共同体を愛せ」だ。それはまだ達成されていない。そこで「ショックドクトリン」的な手法として、天皇代替わりに伴う「日の丸」掲揚の要請と「国民こぞって祝意を表する意義について、児童生徒に理解させるようにすること」という要請を各学校におこなっている。
日の丸・君が代強制の中止を勧告させるために、国連の子ども権利委員会に訴えている。「強制があれば日本政府に言います」という返事をもらっている。
「自己責任論」
世取山さんの記念講演に続いて、東京都教育委員会とのたび重なる裁判をたたかい抜いている根津公子さんなど、全国で「日の丸・君が代」強制とたたかう人びとが発言した。 多摩教組委員長の宮澤弘道さんは道徳の教科化そのものに反対すると発言した。「道徳の『大義』はその時々で変わる。道徳ではなく、『人権』教育によって初めて、その子のあり方にスポットが当たる。すべての教材で『自己責任』論が貫かれている。行き着く先は『隣組』。道徳を学校からなくすことを目指す」と話した。(向井信一)
主張
最賃1500円の実現へ
闘いの課題はなにか
最賃901円の実態
新聞各紙は、7月31日夕刊および8月1日朝刊で、最低賃金が全国平均で901円となり、東京と神奈川では1000円を超えると報じた。31日に厚生労働省の中央最低賃金審議会の目安に関する小委員会が、2019年度の最低賃金引き上げ額の目安を加重平均で27円引き上げるときめたことによる。3・09%のアップとなる。これに基づいて各都道府県の審議会で各地の最低賃金が決まる。このペースでいけば、政府が6月にまとめた「骨太の方針」で早期達成目標として盛り込んだ「全国平均1000円」になるのは2023年度まで待たなければならない。今回の改定でも17の県が700円台にとどまっている。最高の東京と最低の鹿児島の差額は昨年の224円から226円へと拡大する。格差が是正されないばかりか拡大されるという結果となった。全国平均の901円で1日8時間、週40時間働いても年収は200万円以下にしかならず、「ワーキングプア」の水準である。ここに消費税10%アップが襲いかかれば、わずかな引き上げ額は帳消しとなる。各種公共料金の値上げが重なり、実質上「賃下げ」となる。「経営者の支払い能力」や地域格差を前提にした「目安額」の設定という最低賃金制度とその審議会のあり方の根本的な問題性が突きだされている。
「日本は低賃金」
日本の最低賃金が先進国最低水準であることは度々指摘されてきた。フランス、英国、ドイツは1100円を超えており、アメリカでは15ドルへの引き上げが各州で実現されている。それが先の米中間選挙で民主党勝利の要因ともなった。13年5月には日本政府は国連社会権規約委員会から「最低生存基準を下回っている」と是正勧告を受けている。日本弁護士連合会は11年から毎年、「最低賃金額の大幅引き上げをもとめる会長声明」を出している。今年は4月25日に出した。最低賃金引き上げは〈格差貧困のニッポン〉の最重要課題なのである。
さらに指摘しておきたいのは、九州、四国、山陰、東北などの「最賃700円地帯」に自動車や電機の下請けやNTTなどのコールセンターが集中していることだ。グローバル企業がこうした地域を「国内植民地」にして強搾取しているのだ。
先の参院選挙で野党各党はニュアンスの違いはあるが「増税よりも賃上げを!」「最低賃金1000円」「1500円」を掲げていた。最低賃金1500円問題はこの選挙の争点でもあった。「平成」は平和の時代ではなく、「貧困」が拡大し、多くの人びとを将来不安へ追い込んだ時代であった。このことこそ参院選挙で問われるべきことだったのだ。
全国一律
今回の選挙で最低賃金1500円を鮮明に打ち出したのは比例代表で2議席を獲得した「れいわ新選組」(山本太郎代表)であった。同党は八つの緊急政策の2番目に「全国一律! 最低賃金1500円―政府が補償」を掲げた。「消費税廃止と法人税の累進化(中小企業事業者の大減税)、それでも赤字の事業主は政府が補償。生活保護基準も引き上げ、年収200万円以下世代をゼロ」である。これは緊急かつ切実な人民的課題である。2人の障がい者の当選は、「生産性」によって人間の価値を判断し、「自己責任論」で人びとを追いつめている新自由主義を真っ向から弾劾するたたかいそのものである。このうねりの中で日本における最低賃金1500円運動を大きく発展させる必要がある。そのためにはアメリカや韓国のたたかいから数々の教訓を学び取らねばならない。それが日本の労働運動に求められていることだと強く感じる。(森川数馬)
安心できる介護≠フために
良心的なケアマネを守ろう
7月26日、「良心的ケアマネ学習会」が大阪市内で開催された。主催は、関西の介護に関わる団体・個人が立場をこえて立ち上げた(17年5月)「介護・福祉総がかり行動」。
現在、「ケアマネジャー」を攻撃の的にして介護保険制度のさらなる本格的改悪(来年通常国会)が準備されている。厚生労働省・保険者(各自治体)はすでに安上がり、介護を受けさせない、介護サービスから「卒業」させる等の無理な介護計画づくりをケアマネジャーに強制し、そのため現場では介護サービスが著しく劣化している。「ケアプラン(介護計画)の有料化」も狙われている。そんな中、とりわけケアマネジャーに「安心できる介護を守ろう」と呼びかけられたのが今回の学習会である。
メイン講師の日下部雅喜さんは次のように話した。
介護保険サービスの目的は利用者が日常生活を営むための「手段」となること。憲法25条に定められている「最低限の生活を営む権利」を実現するための援助をおこなうこと。ケアマネジャーは介護保険制度の管理者であり、利用者の権利擁護者である。利用者の「尊厳保持」「能力に応じた自立した日常生活」に必要なサービスとケアマネジャーが判断したものはすべて給付対象であることを行政に認知させてきた。これが曲がりなりにもこれまでの介護保険制度だった。次の法「改正」は2020年。今年中に検討して結論をだし、21年4月に実施されようとしている中身は20年前に介護保険制度が成立した当初の理念からますますかけ離れたものになろうとしている。
「自立」の意味
まず「自立」の意味が変質している。介護サービスからの自立にすり替えられている。「介護が要らない状態までの回復をめざす」「これからは高齢者が自分でできるようになることを助ける『自立支援』に軸足を置く」、16年に安倍総理が言った言葉だ。いったい人はどのように年老いていけばいいというのだろう。自分の言葉を自分に当てはめて言っているのだろうか。
介護保険の宝物
そして、10年に見送られた「ケアプランの有料化」。「ケアマネが生き生き、思いっきり働けてこそよりよい介護は実現する」、在宅利用者500万人の生活を支え、一人暮らしの認知症の人の生活を支援し、行政が放置している「支援困難」な高齢者を支えるネットワークを作ってきた。ケアマネジャーは介護保険の宝物。
良心的ケアマネを守り増やそうと熱く呼びかけた講演のあと、ケアマネなど現場からの様々な報告があり、秋にむけての行動提起がおこなわれた。
11月「いい介護の日」へのカウンター集会などの取組み、厚労省・財務省交渉を共に成功させよう。(TB 介護労働者)
4面
寄稿
老朽原発は即時廃炉へ
原発のない社会の実現を
若狭の原発を考える会・木原壯林
関電本店前で発言する木原壯林さん(5月19日) |
原発は、事故の多さ、事故被害の深刻さ、使用済み燃料の処理や保管の困難さなど、あらゆる視点から、人類の手に負える装置ではない。また、重大事故を起こせば、農地を奪い、海を奪い、職場を奪い、故郷を奪い、人の命と尊厳を奪い去る装置であることを、福島原発事故が大きな犠牲の上に教えている。一方、福島事故以降の経験によって、原発は無くても何の支障もないことが実証された。そのため、今、脱原発、反原発は圧倒的な民意となっている。
それでも政府と電力会社は、この民意を蹂躙して、原発の再稼働を強行し、老朽原発の運転まで画策している。
規制委審査の無責任
原発の再稼働を進める電力会社は、傲慢で、トラブル続きの企業である。原発再稼働時にも、復水器冷却細管破損(2015年、川内原発1号機)、1次冷却系・脱塩塔周辺での水漏れ(16年、高浜4号機)、1次冷却水系ポンプで水漏れ(16年、伊方3号機)、脱気装置からの蒸気漏れ(18年、玄海3号機)、事故時に原子炉に冷却水を供給するポンプの油漏れ(18年、高浜4号機)、温度計差込部から噴出した放射性物質を含む蒸気の原子炉上蓋からの放出(18年高浜4号機)などトラブルを頻発させている。 原発再稼働時のトラブル多発は、原発の安全維持の困難さを示唆し、運転開始後40年に満たない原発でさえ、配管の腐食や減肉、部品の摩耗などが深刻であることを示している。また、傲慢で安全性を軽視することに慣れ切った電力会社に原発を運転する能力がないことを実証している。さらに、原子力規制委員会(規制委)が適合とした原発の多くが再稼働前後にトラブルを起こした事実は、原発の再稼働にお墨付きを与えた「新規制基準」が極めていい加減な基準であり、規制委の審査が無責任極まりないことを物語っている。 ところで、トラブルは電力会社に限ったものではなく、大企業や大組織のトラブル、データ改ざん、不正検査などは、枚挙のいとまがない。金儲けのみに突っ走る、日本資本主義の倫理や技術は崩壊し、地に落ちていることを物語っている。岸、佐藤、中曽根、小泉、安倍らが続けた人間性無視の政策、すなわち、極端な合理化、派遣労働、非正規雇用の助長、過剰な科学技術依存、後先考えぬ教育破壊、労働組合破壊、農業破壊、社会構造破壊の付けが回ってきたのである。このような社会構造の下で、原発を安全に運転できるはずがない。
老朽化で重大事故の確率急増
原発は事故の確率が高い装置であるが、老朽化すると、重大事故の確率が急増する。例えば、次のような理由による。
@ 高温、高圧、高放射線(とくに中性子)に長年さらされた圧力容器、配管等では、脆化、金属疲労、腐食が進んでいる。中でも、交換することが出来ない圧力容器の老朽化は深刻。電気配線の老朽化も問題。
A 建設時には適当とされたが、現在の基準では不適当と考えられる部分が多数あるが、全てが見直され、改善されているとは言えない。例えば、地震の大きさを過小評価していた時代に作られた構造物、配管の中で交換不可能なもの(圧力容器など)。
B 老朽化が進むと、建設当時を知っている技術者は殆どいなくなり、非常時、事故時の対応に困難を生じる。また、建設当時の記録(図面など)が散逸している可能性があり、原発の安全管理の支障となる。
大資本に奉仕戦争できる国づくり
関電は、来年以降、45年超えにもなろうとする老朽原発・高浜1、2号機と美浜3号機を再稼働させようとしている。原発の40年超え運転延長は「例外中の例外」としていた政府はこの約束も平気で反故にしようとしている。それは、全ての既存原発の運転を60年まで延長し、2030年に原発電力を全電力の20〜22%にしようとする安倍政権のエネルギー基本計画に迎合するためである。関電はその露払いをしようとしている。 エネルギー基本計画は、@使用済み核燃料、核廃棄物の保管費や事故による損失を度外視すれば、安上がりな原発電力によって、電力会社や大企業を儲けさせ、A原発関連事業で原発産業に暴利を与え、B核兵器の原料プルトニウムを生産するための計画である。注意しなければならないのは、この基本計画では、原発の他に、再生可能エネルギーを22〜24%にし、二酸化炭素(CO2)排出量の多い石炭火力まで26%にしようとしていることである。これは、C戦争になり、天然ガスや石油の輸入が途絶えたときの基盤電力を国内で調達できる電源である原発、再生可能エネルギー、石炭火力で確保するためである。すなわち老朽原発の再稼働は「巨大資本に奉仕する国造り、戦争できる国造り」の一環として行われている。許してはならない。
科学とは縁遠い審査
老朽高浜原発1、2号機運転延長認可の発表にあたって、当時の規制委員長は、「科学的に安全上問題ないかを判断するのが我々の使命だ」と述べている。しかし、科学とは、実際に起こった事実を冷静に受け入れ、丁寧に調査し、検証・考察して、その上に多くの議論を重ねて、結論を導くものである。規制委の審査は、この過程を無視しており、科学とは縁遠い。
実際に起こった最も重大な事実は福島原発事故であるが、福島原発に関して、事故炉内部の詳細は今でも分からず、事故の原因究明が終わったとするには程遠い状態にある。「科学」を標榜するなら、福島事故の原因を徹底的に解明して、その結果を参照して、原発の安全性を議論・考察するのが当然である。
しかも、老朽高浜原発の再稼働審査は、無責任かつ杜撰であった。それを高浜1、2号機審査を例に紹介する。
@ 関電が、新規制基準への適合審査を申請したのは15年3月であるが、16年4月に設置許可、6月に工事計画認可、運転延長認可と、他の原発の審査に比べて、異例の短期で審査を終えている。審査会合も27回と通常審査の約半分であった。認可取得期限が16年7月7日に設定されていたために、審査を早めて、この期限に間に合わせたのである。規制委には、特に慎重であるべき老朽原発審査に対する誠意はない。
A 審査の手抜きも目立つ。例えば、この審査では、ケーブル、コンクリート、目視可能な鉄筋など、簡単に点検や補修できる箇所については審査しても、点検が困難な冷却細管、点検・交換が不可能な圧力容器については、十分審査しているとは言えない。また、通常なら審査段階で行う耐震安全性の詳細評価を審査後で可とし、実証試験を使用前検査時に先延ばしにした。
使用済み核燃料の処分法はない
原発を運転し続けると、核燃料中に運転に不都合な核分裂生成物(中性子を吸収する希ガスや希土類など)が蓄積し、制御棒などによる核分裂反応の制御が困難になる。さらに、核燃料被覆材は、腐食などによって損傷する。したがって、核燃料を一定期間燃焼させると、燃焼可能なウランは十分残っていても、新燃料と交換せざるを得なくなる。そのため、使用済み核燃料がたまる。
使用済み核燃料は、交換直後には高放射線、高発熱量であるから、原発外に移動させることはできず、原子炉に直結した燃料プールで5年以上保管・冷却される(MOX燃料では、さらに長期の水冷保管が必要)。
水冷期間が過ぎて、放射線量、発熱量が低下した使用済み核燃料は、乾式貯蔵容器(キャスク)に保管することになっている。このキャスクの取りあえずの保管場所が中間保管地である。
国の核燃料サイクル計画では、中間保管地の使用済み核燃料は、核燃料再処理工場に移送して、高濃度・高温の硝酸で溶解した後、化学的分離法によってウラン、プルトニウムを取り出し、混合酸化物(MOX)燃料として再利用し、ウラン、プルトニウム以外の放射性物質はガラス状固化体の高レベル放射性廃棄物とした後、地層中に処分することになっていたが、再処理工場の建設はトラブル続きで、2兆2千億円をつぎ込んだにもかかわらず、完成の目途は立っていない。そのため、使用済み核燃料の多くは、各原発の燃料プールに溜めおかれている。ただし、各原発の燃料プールは、貯蔵容量の70%以上がすでに埋まっていて、原発が順次再稼働した場合、数年後には満杯に。
なお、燃料プールは、上部が解放されたプールで、閉じ込め効果はなく、極めて脆弱で、メルトダウンする危険性が高く、「むき出しの原子炉」とも言われる。したがって、一刻も早く空にしなければならないが、使用済み核燃料を乾式貯蔵に移して、空いた燃料プールに新しく発生した使用済み核燃料を入れて、原発を継続運転しようとする企みがある。燃料プールの危険性は、発熱量や放射線量が大きい新使用済み燃料を入れれば、さらに高まる。燃料プールを空にするためにも、使用済み燃料を増やす原発を廃止しなければならない。また、核燃料再処理工場は、1300キロメートルもの配管を持つ、きわめて危険な化学工場で、重大事故が起これば、原発事故とは比較にならない多量の放射性物質を放出する。再処理工場の運転を許してはならない。
上述のように、老朽化が進む原発の危険度は急増している。しかも、原発運転によって増加し続ける使用済み核燃料の行き場もなく、核燃料サイクルは完全に破綻している。老朽原発の即時廃炉を突破口に、原発のない社会を実現しよう!
11月、200キロのリレーデモ
高浜原発から関電本店まで
「原発うごかすな実行委員会@関西・福井」は、10月1日から11月22日を「老朽原発うごかすな! キャンペーン」期間とし、@各地で集会、学習会、デモなど、多様な催しを繰り広げ、A若狭全域での大規模なチラシ配布と宣伝行動(通称、拡大アメーバデモ)を繰り返して行ない、B若狭、関西一円に街宣車を出して、老朽原発運転反対を訴え、また、C名古屋地裁での老朽原発裁判と連携した行動を行います。一方、11月23日に高浜原発を出発し、琵琶湖西岸を通って12月8日に関電本店に到達するコースを本流とするリレーデモを計画しています。この本流の他、名古屋市、姫路市あるいは奈良市を出発し、各地を経由して、大阪での大集会に合流するコースなど5つの支流も企画中です。多数の皆様のご賛同、ご参加、ご支援をお願いします。
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防衛出動命令は拒否できるか
戦争法の違憲性を裁く
6月27日最高裁第1小法廷(山口厚裁判長)は、自衛官の「命令服従義務不存在確認請求事件」(平成30年行ヒ第195号)について、昨年1月31日の控訴審判決を破棄し、東京高裁に差し戻すという反動判決を下した。
東京高裁(杉原則彦裁判長)の判決は、存立危機事態を理由とした集団的自衛権の行使=防衛出動命令は、全ての自衛官に対して下令される可能性があり、「同出動命令が違憲である」とし裁判に訴える権利が全ての自衛官にあるとして1審東京地裁に裁判のやり直しを命じて差し戻していた。しかし、安倍政権はそれを不服として2月14日に最高裁に上告した。上告が受理された段階でこの判決内容は予想されていた。現職自衛官によるこの裁判の意義と経過を、『反軍通信312号2018年4月号』の記事をもとにまとめた。
東京地裁は却下
2016年、「存立危機事態を理由とした集団的自衛権の行使は違憲であり、(その)防衛出動命令には従う義務はない」として、茨城県の陸自・施設科部隊に所属する現職自衛官が裁判に訴えた。
翌17年3月、東京地裁は「原告が防衛出動命令の発令される事態に現実的に直面しているとはいえず、また現時点において原告または原告が所属する部署に対して防衛出動命令が発令される具体的・現実的可能性があるということはできない」「(したがって)原告の有する権利又は法的地位に危険や不安が存在するとは認められず、訴えの利益はない」として却下した。
高裁で画期的判決
18年1月31日、その控訴審判決が東京高裁(杉原則彦裁判長)で言い渡された。
「後方業務を担う部隊も含め、全ての現職自衛官が命令の対象になる可能性が非常に高い」「出動命令に従わなければ、免職を含む懲戒処分や刑事罰、厳しい社会的非難が想定され、重大な損害を受ける恐れがある」「損害を避けるには命令に従う義務がないことの確認を求める訴訟以外に方法はなく、訴えは適法である」とし「原審破棄、東京地裁への差し戻し」を命じた。
すべての自衛官に、具体的に出動命令が出ていない段階でも「存立危機事態にもとづく防衛出動命令に対しては服従しない権利を求めて裁判に訴えることができる」ことを認めたのである。存立危機事態における防衛出動の実質的無効化につながる画期内容であった。
地裁でのやり直し裁判では門前払いの余地はなく、憲法・集団的自衛権および、自衛官の基本的人権(命令拒否権、賭命義務)が真っ向から争われる本格的な憲法裁判になるはずだった。しかし、2月14日安倍政権は、「差し戻し判決の破棄」を求めて最高裁に上告した。憲法裁判から逃亡したのである。
この裁判で原告・自衛官が問題にしたのは、日本に対する攻撃は生じておらず、米国が世界のどこかで戦争を始めたさいに、米国の要請で日本政府が「存立危機事態」を宣言し、集団的自衛権の行使として「防衛出動命令」が発せられるというケースである。
国の主張が一変
安倍首相は、安全保障関連法(戦争法)の国会審理の過程で何と主張してきたか。「北朝鮮の弾道ミサイルを撃ち込まれたらどうする」と、朝鮮民主主義人民共和国の脅威をあおり、「存立危機事態」どころか、日本が直接攻撃される「武力攻撃事態」が差し迫っているかのように大騒ぎしてこの同法を成立させたのだった。ところが、東京地裁で裁判が始まるとこのような国の主張は一変した。「現時点で存立危機事態は発生しておらず、国際情勢に鑑みても、将来的に発生することを具体的に想定しうる状況にはない」と。 こうしたご都合主義的な国の態度は、かつての大日本帝国の姿に通じる。上映中の映画『東京裁判』では、戦争指導したA級戦犯たち被告28名は1人の例外もなく全員が「私には責任はなかった」と法廷で言い切った。安倍首相は、常々「私が自衛隊の最高指揮官だ」と胸を張り、自衛官に対して「身の危険を顧みるな」と威勢のいいことを言っているが、「命令」を下される自衛官の側にいる私には、安倍首相の姿がA級戦犯たちの無責任さと重なって見える。
有志連合参戦阻止
ホルムズ海峡における対イラン「有志連合」への参加が準備される中、この裁判の高裁差し戻し審は、きわめて重要な位置を有している。戦地へ送られる自衛官と気持ちをつなぎ、派兵―参戦阻止の立場から差し戻し審をたたかおう。(小多基実夫)
電車内被爆者・米澤鐡志さん
核と人類は共存できない
7月28日、「第20回奈良からつながる市民の集い」が奈良市内でひらかれた。主催は〈市民ひろば・なら小草〉。宇治市に住む米澤鐡志さんが「核と人類は共存できない」というテーマで、被爆体験を語った。
戦時下での生活
わたしは1934年8月7日に生まれ、今年で85歳になる。国民学校5年生の時に、広島市内で被爆した。
日本は1931年から中国を侵略した。その頃、食事はコメを食べるだけで、夕食にせいぜい魚がでる程度だった。そのコメもなくなってきた。こどもはいつも飢えていた。
41年、アメリカとの戦争に突入した。44年に、集団疎開がはじまる。わたしも集団疎開組だった。ここで教師からいじめられ、わたしと妹は母が疎開していた親戚の家に移った。45年6月、ここで親子6人の生活がはじまった。野菜が豊富にあったので、飢えることはなかった。
8月6日の被爆
わたしは広島市内の実家に行くため、8月6日、母に連れられて広島市にむかっていた。志和田駅で朝6時30分の列車に乗り、7時30分に広島駅についた。広島駅から己斐行きの市電にのった。電車の中は身動きもできない状態だった。電車がちょうど八丁堀の中国新聞社前を通過したとき、強烈な閃光があった。まもなく、ものすごい音がしてきた。原爆がさく裂したのだ。爆心地から750mのところだった。
わたしたちは親戚の家がある北の方にむかった。やがて、京橋川の河川敷についた。このとき急に嘔吐した。放射線被爆による急性症状だった。母も同じ症状だった。
饒津神社の境内で休んでいた時、「黒い雨」が降ってきた。雨は5分ぐらいしか降らなかったので、幸いにもほとんど濡れなかった。わたしたちは救護車に乗せてもらい、国鉄の駅に着いた。
その後、疎開先の志和田駅に着いたのは午後5時頃。駅には親戚の叔父さんが私たちを探しにきていた。こうして8月6日の長い1日は終わった。
8月16日、朝起きると枕に髪の毛がついていた。びっくりして、頭を触ったら、そのまま毛が抜けた。頭髪はすべて抜けてしまった。その後、熱が出て、嘔吐を繰り返した。母・静子は9月1日、原爆症で亡くなった。母が死んだ時、医者の祖父がわたしを診察して、「鐡志も助からない」と言ったが奇跡的に助かった。母の死から49日後に、いちばん下の妹、都子(2歳)も亡くなった。
福島のこと
長女は妹の死について「母親の乳をのんだからや」とよく言っていた。真相はわからないが、妹は内部被ばくが原因で死んだのだと思う。
福島の原発事故で、政府は1ミリシーベルトから20ミリシーベルトに基準を引き上げた。戦争中も政府は大本営発表でうそをついてきた。同じことが福島でおこなわれている。いつも政府はうそをつく。だまされてはいけない。
朝鮮人被爆者のこと
当時、広島には朝鮮人約8万人が住んでいた。軍需工場があったので、強制連行されてきていた。朝鮮人被爆者は約5万人で、そのうち6割にあたる3万人が被爆死している。死亡率を比較すると、日本人にくらべて朝鮮人のほうがおおきい。朝鮮人は避難するところがなく、被爆後もずっと市内で住んでいた。この残留放射線による被ばくが原因ではないかと思う。
元徴用工問題で、日本人のなかには韓国を非難する意見もあるが、日本が植民地支配をしていた歴史を忘れてはならない。
今日まで生きることができたのが奇蹟のようなもの。このように生かされた命であるから、あと10年くらいは被爆体験を語っていきたい。
『展望』23号紹介
安倍改憲攻撃との闘い
巻頭論文は、天皇代替わりと安倍政治の狙いを弾劾する。安倍政治―維新政治と対決した統一地方選報告は、参議院選総括にもつながる。
「自衛隊明記の9条改憲」論文は、解釈改憲から本格改憲への道筋を批判するものだ。安倍政権は、9条2項廃止をゴールとして戦後の根本を正面突破する狙いを隠していない。また、アメリカは日米間は不平等だとして駐留米軍費の現行比5倍増額を要求したという。日米安保は盾と矛の関係になぞらえられるが、「片務条約」「安保ただ乗り論」にのっかったトランプの言辞とは逆に、盾たる自衛隊は(国民ではなく)在日米軍を守ることで米アジア支配・世界支配に組み込まれていると述べている。
改憲に先駆けて戦争国家への大改造が進行している自衛隊の現状・南西配備に危機感をもって自衛官とその家族の立場に立って闘いを訴える。
福島第二原発の廃炉が決まり、福島原発事故以降、日本の全原発の半数近くの廃炉が決まった。反原発論文は、世界でも突出して原発に固執し、再稼働の先頭を切っている関電―安倍政治と対峙し、老朽原発再稼働阻止闘争で、原発ゼロの展望が開けることを述べている。現地闘争と夏以降の反原発闘争にたとう。
「革共同の闘い方の総括―私見」は、暴力革命論の本質規定からして、軍事主義的な印象を受けたが、長年の問題意識の提起でもあるので、向き合いたい。
飛田論文は、旧優生保護法と強制不妊手術―優生思想とのたたかいを訴える。
トランプ政権論はその強烈な排外主義・差別主義は、むしろ人種差別国家としてのアメリカの歴史として暴露している。
6面
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『強制不妊手術を許さない尼崎集会』を読んで
強制不妊手術と優生思想
3月24日に開かれた尼崎集会の企画がこのたび、パンフレットにまとめられ、出版されました。50ページのコンパクトな冊子ですが、旧優生保護法(以下、旧法)―強制不妊手術の被害実態とそこにつらぬかれる優生思想の本質について、あらためて深く考えさせるすぐれた内容だと思います。
兵庫県訴訟原告の高尾辰夫さん・奈美恵さん(仮名)は、そのことを我が身に受けた実体験とお二人の人生の歩みに基づいて生々しく証言しています。
利光恵子さん(優生手術に対する謝罪を求める会)の講演「優生保護法が奪ったもの」は、それを研究者かつ運動家の視点と感覚から鋭く分析的に語っています。強制不妊手術をめぐる歴史的経緯、旧法の下での優生手術の諸類型と特徴、手術が被害者の心身に与える多大な影響、優生保護審査会の運用上の無責任と乱脈、旧法廃止後の優生手術やいのちの選別の諸動向などを、事実と数字に基づき、図表とグラフを使って、大変説得的な提起です。
また兵庫弁護団の指摘や障がい当事者の方々の意見は、高尾さん夫妻のお話と利光さんの提起をより深く受け止めるうえで、大事な内容だと思います。
原告の高尾さん夫妻が証言
高尾さん夫妻は、その飾り気のない抑制した語り口のうちに、しかし旧法と強制不妊手術がどんなに許しがたい国家犯罪であったかを、深い憤りを込めて告発しておられます。
辰夫さんはある日突然、何の説明もなく、病院に連れて行かれました。一番信頼していたはずの母親によってです。母親の挙動からは、医師が騙してでもいいから連れてきなさい≠ネどと使嗾されていたことが想像されます。手術室では、医師から説明も何もないまま、ズボンを脱がされ、麻酔を打たれ不妊手術を強制されました。こんな仕打ちが、結婚を間近にしていた一人の聴覚障がいを持つ青年に襲いかかってきたのです。慄然とする光景です。
手術は、旧法第3条(医師の認定による優生手術)の第1項第1号に基づくものだと思われます。対象者が遺伝性身体疾患を持つ場合に、本人の同意を得て行うというのに当ります。辰夫さんは3歳のとき中耳炎で聴覚を失ったのですから、遺伝性疾患ではありません。また、医師は手話通訳や筆談で手術を説明し同意を得るという最低限のこともしていません。このように、手術は旧法自体にさえことごとく違反しています。人を人とも思わぬ所業です。
昨年3月に全日本ろうあ連盟が実態調査を開始、夫妻はそのとき初めて手術が旧法にもとづいて行われたことを知り、同年9月に神戸地裁に国賠訴訟を提訴しました。そして、辰夫さんは手術から50年も経って初めて、奈美恵さん以外の誰にも言えなかった自らの体験と人生を公衆の前で語ったのです。
旧法とそれに基づく強制不妊手術―優生思想が、どんなに人道にもとる残忍なものであるか。そして、それが、医師のあり方をナチスのそれと変わらないものにし、社会全体を障がい当事者の親たちを含む差別社会にしてしまう、どんなに恐ろしいものか。それらを許してきた私たちの責任がどれほど大きなものか。過ちを二度と繰り返さないためにどうすべきか。高尾さん夫妻のお話と利光さんの講演から、これらのことをともに考えてゆきたいと思います。
国に謝罪と補償を求める国賠訴訟の勝利に向けて、高尾さん夫妻をはじめとした原告、被害当事者の方々の声を一人でも多くの人に届け、運動を広げましょう。そのために、パンフレットを最大限活用されるよう心から訴えます。(山本一郎)
やまゆり園事件を忘れない
神戸でデモ 障がい者を殺すな
「障害者を殺すな7・28神戸デモ―やまゆり園事件を忘れない」に参加しました。今年で3年目を迎える神奈川県相模原市の重度障害者施設、津久井やまゆり園で19人の障害者が殺害された事件(16年7月26日)への追悼とこれからの障害者殺しを許さない決意を示すデモンストレーションです。主催は毎月ねばり強く神戸市内で追悼と抗議のスタンディングを継続している〈リメンバー7・26神戸アクション〉。
神戸最大の繁華街を2時間歩きました。それぞれの体調に合わせて無理のない範囲で歩きました。この日を前後して、全国各地で津久井やまゆり園事件を忘れない、障害者を殺すなという行動がおこなわれました。この神戸デモの参加者は130人。3年目にして少しづつ参加者は少なくなっていますが、その分、固い絆で結ばれて来ていると感じます。
出発集会と終了集会では、知的障害者の全国団体である〈兵庫ピープルファースト〉の仲間、友人達5人が発言し、障害者を殺すな、施設に入れるな等と訴えました。
参議院選で、〈「骨格提言」の完全実現を求める大フォーラム実行委員会〉のメンバーである木村英子さんやALSの舩後靖彦さんという重度障害者の国会議員が生まれ、ヘイトスピーチとバリアーを乗り越え前へ進んで行こうとしています。
これにたいし日本維新の会代表・松井一郎大阪市長の「その人たちだけが特別扱い?」や、吉村洋文大阪府知事の「税金で国会議員だけは不公平だ」という差別発言などヘイトスピーチが様々始まっています。木村さん達の前進とはこういうヘイトスピーチとのたたかいの前進とイコールなのでしょう。2人の重度障害者の国会議員の前進に伴って、新たな次元が開示される、そんな時代の感触があります。(元)
(シネマ案内)
文革下、誠実に生きた人々
中国映画『芳 華』
監督:フォン・シャオガン
2017年制作
中国「文化大革命」の時代、人民解放軍のなかに文芸工作団(文工団)が存在した。バレエと京劇を融合した歌劇団で、全国から青年男女が集まっていた。
監督のフォン・シャオガンは、かつて文工団で美術を担当していた。原作者で脚本を担当するゲリン・ヤンは、女性ダンサーとして青春時代をすごした。映画は原作者を連想するシャオ・スイツの回想という形ですすむ。
街の中を紅衛兵が行進をしている時代(1976年)、ダンスのうまいシャオピンが文工団にスカウトされ、入団するところから映画ははじまる。
オープニングは、「草原女民兵」の練習シーン。若者たちは社会主義建設にむかって夢をいだき、「自分たちが立ちあがって世界を変えていく」という希望にもえていた。しかし、その裏には「反動勢力」のレッテルをはられ、労働改造所に送られ、思想教育を受けている人々も存在した。シャオピンの父もそのひとりだった。
毛沢東の死(76年9月)と文化大革命の終焉。78年、文工団のなかにも香港から新しい文化がひそかに入ってきていた。団員たちはテレサ・テンが歌う「儂情萬縷」のカセットテープを手に入れ、この歌に聞き入っていた。ある女性は「こんな歌い方もあるのね」と言う。このシーンも印象的だ。
79年2月、中越戦争の勃発とその軍事的大敗北。リウ・フォンはこの最前線で副中隊長としてたたかい、右腕を失う。シャオピンは従軍看護婦として、野戦病院ではたらく。阿鼻叫喚の現実に、彼女はついに精神の病にかかる。
80年12月、文工団も解散する。その後、時代は改革・開放経済路線へと変遷していく。時代の波にのって成功し金持ちになっていく者、時代の変化についていけない人々。社会には格差がうまれた。
今日、確かに物質的に豊かになった。だが、何かが失われてしまった。人間の共同性と連帯感、希望と解放感。ふたりの生きざまを通じて、時代に翻弄されながらも人間として誠実に生きる姿が感動を呼ぶ。(鹿田研三)
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