未来・第275号


            未来第275号目次(2019年8月1日発行)

 1面  参院選結果
     改憲勢力3分の2を阻止
     年金・社会保障が急務

     有志連合に参加するな
     危機の原因はトランプ
     ホルムズ海峡

     G20警備
     デモを理由に入国拒否
     7月22日 大阪入管に厳重抗議

     (発行日変更のお知らせ)

 2面  関生弾圧
     国連人権理事会に申し立て
     組合つぶしの不当拘禁

     関西合同定期大会
     働く者・生活者、新世代
     新たな地域合同労組へ

 3面  故小林圭二さんを偲ぶ
     住民の立場で反原発貫く
     7月14日 大阪      

     「ヒロシマ・ナガサキに戻った」
     福島事故への 小林さんの言葉     

     ともに過ごした少年時代
     温厚だが芯は熱い人
     富田町病院 院長 小西弘泰

     「原発、沖縄、人権がつながる」
     福島原発事故で母子避難
     森松 明希子さん

     (夏期特別カンパのお願い)

 4面  日本軍「慰安婦」
     10周年迎えた関西ネット
     記念行事を豊中市で開催

     どうなってる大阪の学校
     教員を締付け、ゆがむ教育

     自己責任論≠フウソ
     奈良で宇都宮健児さんが講演

 5面  講演 辺野古新基地は頓挫する(下) 北上田 毅さん
     土砂、地盤、工期どれも破綻的

     (おわび)

 6面  南西諸島に自衛隊配備
     住民圧殺とたたかう宮古島

     私と天皇制 F
     講座派も労農派も60年ブントも天皇制をスルー

     (シネマ案内)
     人間の矜持と勇気示す
     映画『新聞記者』
     藤井道人監督 2019年/日本

       

参院選結果
改憲勢力3分の2を阻止
年金・社会保障が急務

7月21日投開票がおこなわれた第25回参議院選挙では、自民党、公明党に日本維新の会を加えた改憲勢力は3分の2議席を割った。安倍政権による憲法改悪の動きを阻む大きな勝利である。開票後の会見で安倍は、任期中の改憲に執念を見せた。野党の一部の切り崩しにも意欲を見せている。予断を許さず、安倍改憲を葬り去るまでたたかい抜こう。

年金払え!辺野古新基地断念!などを掲げておこなわれた国会前行動(7月19日)

今回の参院選で自民は改選議席を9減らし、参院における単独過半数を獲得することもできなかった。安倍は開票日翌日の記者会見で自民・公明の与党が過半数にたっしたことをもって「少なくとも(憲法について)議論をおこなうべきである。これが国民の審判だ」と強弁した。あくまで自分の任期中に改憲を実現するというのである。そのため自民党案を修正しても野党を切り崩すという意向を示した。 しかし、朝日新聞が22日と23日におこなった世論調査では「一番力を入れてほしい政策」のトップは「年金などの社会保障」で、38%を占めた。一方、「憲法改正」と答えた人はわずか3%にすぎなかった。改憲勢力の議席が3分の2に届かなかったことが「よかった」と答えた人が、43%で、「よくなかった」の26%を大きく上まわった。有権者の多数が「安倍政権は改憲議論をストップせよ」と言っているのだ。 参院選で示されたものは何か。それは多くの人びとが老後の生活に不安を覚えており、教育や子育て、仕事の問題などでさまざまな悩みを抱えているということだ。 格差と貧困が拡大していく中で、特に深刻なのはいわゆる「自己責任論」のまん延である。「自己責任論」が登場したのは90年代末、日本が新自由主義政策に転換してからである。労働基準法など労働者の権利を保護する法律を改悪し、企業への規制を撤廃する動きが進められた。そのため非正規雇用や長時間労働がひろがった。貧困が深刻化し、「過労死」が増え続けた。社会保障費が大幅に削減され、国が格差や貧困を是正する責任を放棄し、すべてを個人の責任に帰する風潮がまかり通ってきた。これが社会全体に閉塞感を生み出してきた。

閉塞に風穴をあける

こうした閉塞感に風穴をあける役割を果たしたのが山本太郎代表がひきいる、れいわ新選組であろう。今回の参院選では10人を擁立して東京と比例代表選挙に挑み、2人の当選を実現した。ALS当事者の舩後靖彦氏と重度障害者の木村英子氏である。今回の選挙から導入された比例代表の特定枠を利用しての当選である。そこには「人間の尊厳」という強いメッセージが込められている。2人の当選は国会の改革を促し、政治の在り方を転換させる力となるだろう。 山本代表は次の総選挙で100人を擁立して戦うと宣言している。新自由主義グローバリゼーションに抗する、新たな政治勢力の登場は、日本社会における「下からの大衆反乱」の起爆剤になり得る。それが可能なのは、マスコミなどで評論されているような既成野党にかわる、たんなる「受け皿」的な存在だからではない。民衆が自らの力でかちとった政治の表現形態だからである。 今回の選挙結果でもう一つ注目すべき点は、日本維新の会の動向である。大阪選挙区では2人を擁立して圧勝ししたほか、兵庫選挙区でもトップ当選している。神奈川や東京でも議席を獲得した。新しい政治構造が生まれている。安倍や維新などの権威主義的政治との本格的な対決が始まったのである。

消費税10%は中止に

自民党が議席を減らした原因は、年金問題とともに消費税の10%への引上げである。 10月に10%への引上げを強行すれば、多くの中小企業が大ダメージを避けられない。新制度では年商1千万円以下の免税業者はインボイスが発行できないため、免税業者からの仕入れについては仕入れ税控除ができない。取引を続けるために課税業者になることを迫られる可能性がある。 大企業や富裕層への減税を続けてきた結果、日本の税収の3割を消費税が占めるという異常な状態になっている。貧困層からの収奪に依存する財政構造を抜本的に改革する必要がある。10月消費税10%引上げを中止させ、消費税廃止を求めよう。

有志連合に参加するな
危機の原因はトランプ
ホルムズ海峡

トランプ米政権が、中東のホルムズ海峡の安全確保を理由とした有志連合への参加を同盟国に呼びかけている。7月22日にボルトン大統領補佐官が来日し、岩屋毅防衛相と会談した。この場でボルトンは、提案の趣旨を伝えている。参加国が協力して海域の監視に当たり、連合内に設ける中央指揮所で情報を集約して共有する。自国船舶を守るかどうかは各国の判断に委ねるというものだ。イランとの対立色を薄めるのが狙いのようだ。 そもそもイランとの緊張関係を生み出した原因は、米国がイラン核合意から一方的に離脱し、経済制裁を完全復活させ、イラン人民の生活を窮地に追い込んでいることにある。イランのロウハニ政権は、この1年間、核合意を守り続けてきた。にもかかわらず米国の理不尽な合意離脱と経済制裁を容認にしてきた国際社会の責任は重い。5月に入って、イランが合意を一部破りはじめたのも、原油禁輸解除を要求するメッセージである。 船舶の航行の安全は関係諸国との友好を保つことが基本である。軍事的手段に訴えれば危険性は飛躍的に高まるのは常識である。欧米諸国も「有志連合」に距離をおいている。日本は断じて参加すべきではない。

G20警備
デモを理由に入国拒否
7月22日 大阪入管に厳重抗議

G20大阪サミットに反対して、6月28日に大阪市港区でおこなわれたデモに参加する予定だった韓国の市民団体が入国を拒否され、強制帰国させられたことへの抗議と申し入れが、7月22日、大阪出入国在留管理局にたいしておこなわれた。申し入れをおこなったのはG20大阪NO! アクション・ウィーク実行委員会。入国を拒否されたのは韓国平和オモニ会の一行7人で、6月28日のデモではパフォーマンスを披露する予定だった。
オモニ会の一行は入管当局から受けた非人道的な仕打ちを次のように訴えている。まず状況説明もなしに24時間出入国管理所に抑留されていた。その際、韓国語の通訳者が短時間ずつしか配置されず、耐え難い苦痛を味わった。入管職員は犯罪の調査をするかのように、12時間かけてひとりひとり呼び出し、何度も取り調べをおこなった。身体検査や手荷物検査が執拗におこなわれ、不快な思いをさせられた。
一行の中には小学生や中学生が含まれており、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンを観光するのを楽しみにしていた。その子どもたちまで犯罪者扱いして空港内の収容施設に一昼夜にわたって監禁したのである。
7月22日の大阪出入国在留管理局での申し入れでは、管理局側の総務課渉外責任者ほか2人が対応した。申し入れ書では、韓国平和オモニ会が来日した6月26日、関西空港の入管によって、デモ参加を理由に入国を拒否され、長時間にわたって空港内に不当に拘束されたことを抗議し、関空入管の不当で非人道的な行為について事情聴取をおこない、謝罪と再発防止措置を取るように申し入れ、回答を7月末までに文書でおこなうよう求めた。
これにたいして管理局側は「個別の問題については、個人情報に関わる問題なので、一切回答しないことになっている」の一点張りで、文書回答もおこなわないと開き直ったのである。実行委員会側は、「これは個別の問題や個人情報に関わる問題ではなく、人権に関わる問題であり、入管行政のあり方の問題についての申し入れである」ことを繰り返し説明した。しかし、管理局側は「仮定の問題には答えられない」とか「庁内の業務については答えない」と門前払いの姿勢を変えなかった。約1時間にわたって申し入れがおこなわれたが、管理局側は最後まで誠意のある態度を示すことはなかった。実行委員会は今後もこの問題についての取り組みを継続することを確認した。

(発行日変更のお知らせ)

発行日変更のお知らせ 『未来』276号の発行日は通常では8月15日(木)ですが、お盆休みの関係で、8月22日(木)に変更します。9月以降は、通常通り第1・第3木曜日発行です。

2面

関生弾圧
国連人権理事会に申し立て
組合つぶしの不当拘禁

1年にわたって続く全日建運輸連帯労組関西地区生コン支部(以下、関生支部)への集中弾圧は、新たな段階に入っている。またこの弾圧への反撃も新たな局面に入った。
7月22日時点で、逮捕人数がのべ85人となった。その中には1人にたいして5回逮捕(武建一関生支部委員長、湯川裕司同副委員長)するなど、複数回の逮捕が多数に及んでいる。保釈した組合員の再逮捕や3カ月ごとの逮捕の繰り返しなど、すでに解決済みの事案を「事件化」するというやり方である。
弾圧は京都や和歌山を加えた関西の全域に広がっており、いずれも組織犯罪対策課が前面にでてきている。労働問題を暴力団対策と同様にあつかい、労働組合を「反社会勢力」とみなして正統な組合活動の非合法化をねらうものだ。それを突破口にして社会運動全体を取り締まりの対象にしようとしている。
事態は関生支部にたいする個別の弾圧事件にとどまるものではない。安倍政権と警察権力による労働組合活動の非合法化、反政府運動の禁止、民主主義の破壊という領域への踏み込みである。共謀罪の適用が本格的に開始されたといってよい。戦前、治安維持法によってあらゆる社会運動が壊滅させられた歴史が、装いを変えて繰り返されようとしている。先の参議院選挙期間中、安倍の演説にヤジを飛ばした市民を警察が排除するという事件が相次いだ。公然たる言論弾圧が始まっている。そのような視点で関生支部への弾圧をとらえる必要がある。
11月には全国規模のたたかいも準備されている。事態の深刻さを共有し、立場を超えて、全人民的な運動を巻き起こそう。「やつらを通すな!」(注1)

国連人権理事会に

7月8日、武委員長ら組合役員6人の長期勾留は、組合弾圧を目的とした「恣意的拘禁」であるという申立書が国連人権理事会の恣意的拘禁ワーキンググループに送付された。国連人権理事会は個人や団体から人権侵害事案の通報を受けると、専門の担当者が調査を実施し、当該政府に対し是正勧告をおこなう機能をもつ。労働組合の団体行動権の行使など正当な権利行使に対する政府機関などによる不当逮捕や長期勾留などが調査の対象になる。武委員長らの勾留期間は10カ月を超える。何度も逮捕が繰り返されたうえに、取り調べでは「組合脱退の勧奨」が執ようにおこなわれており、これが「恣意的拘禁」にあたるとした。通報作業は、「関西生コンを支援する会」共同代表の鎌田慧、佐高信、宮里邦雄、内田雅敏、海渡雄一、藤本泰成の各氏など7人が代理しておこなった。この異常な弾圧問題を社会問題化、国際問題化するうえで重要な取り組みである。国連への申し立てにかんする記者会見が7月26日、参議院会館でおこなわれた。

9月京都で国際シンポ

滋賀県警による集中弾圧では、関生支部が取り組んだ企業コンプライアンス活動(注2)が対象にされた。この問題をめぐって、京都市内で、国際シンポジウム「コンプライアンス活動の意義と労働組合の役割」が開かれる(9月14日午後1時、京都社会福祉会館)。ITF(国際運輸労連)やBWI(国際建設林業労組連盟)などアメリカの労働運動からゲストを招く。関生支部も弾圧についてアピールする。労働法学者も参加予定だ。

大阪府警本部前での抗議行動(7月20日)

異常な弾圧

@街宣車のアピールが犯罪

7月22日に和歌山県警が、関生支部の書記次長と執行委員ら4人に威力業務妨害と強要未遂事件をでっち上げて逮捕した。和歌山県警による弾圧は初めてである。2年前の8月、「労働組合に謝罪せよ」という街宣車を使ったアピールを強要未遂と威力業務妨害とした。逮捕者の中には、他の事件で逮捕され、最近保釈されたばかりの執行委員も含まれている。今回の逮捕で関生支部の執行委員の過半数が獄中に奪われた。まさに組合機能を停止させることをねらった弾圧だ。

A 解決済みを「恐喝」

7月17日、京都府警と滋賀県警による弾圧が立て続けに発生した。京都府警組織犯罪対策1課は、3年前、工場閉鎖に伴う雇用保障をめぐる労働争議で、関生支部が工場占拠闘争によって勝利し解決したことを「恐喝」として、現場にいなかった武委員長と湯川副委員長を逮捕した(近畿生コン事件)。ふたりはひと月前の6月19日に再逮捕されたばかり。昨年8月いらい5回目の逮捕となる。このほか組合役員など多くの組合員の自宅などが強制捜索を受け、任意出頭による呼び出しがくりかえされている。
同日、滋賀県警組織犯罪対策課は組合員4人を逮捕した。理由はコンプライアンス活動。建設現場などで労働基準法違反や道路交通法違反などを摘発する活動が弾圧の対象にされている。2人はこの3月に別件で保釈されたばかりである。

B 正社員化が「不当要求」

滋賀県警は6月18日に大津市内の店舗建設工事で摘発活動をしたことを理由に4人を逮捕した。2人は保釈中の逮捕、1人は勾留中の再逮捕。19日には、京都府警が日々雇用の生コン車の運転手が社会保険や労働保険の加入、残業代の支払いなど正社員化を要求して団体交渉を申し入れたことを、「不当要求」として武委員長、湯川副委員長ら5人の組合役員および組合員、それに協同組合の理事長ら2人が逮捕された。
この事件は不当労働行為事件として大阪府労働委員会で係争中であり、20日に和解する予定だった。その前日に今回の逮捕がおこなわれたのである。警察がここまで露骨に労働事件に介入した例は聞いたことがない。
さらに組合員が保育園に提出する「就労証明書」に会社が押印しなかったことに抗議したことが「強要未遂」だとされた。7月10日、京都地検は「強要未遂」と「恐喝未遂」で現場にいなかった武委員長ら5人を起訴。保釈請求も却下した。共謀したとされる協同組合役員2人は不起訴となった。これも異常な事態である。(森川数馬)

 

(注1)「やつらを通すな!」は、戦前の反ファッショ運動のスローガン。スペイン内戦で人民戦線政府が使ったことが有名。
(注2)「コンプライアンス」は法令順守のこと。1990年代、法令を無視した企業の利潤追求活動を批判する市民運動や世論の高まりのなかで一般的に使われるようになった。関生支部は、90年代から、重大な交通事故につながる過積載、欠陥生コン、生コン車の路上洗車などを追放する運動に取り組んできた。コンプライアンス活動は多くの国で日常的におこなわれているが、企業内組合中心の日本ではなじみが薄い。今回の弾圧の特徴は違法だらけの建設現場におけるコンプライアンス活動を「威力業務妨害」「強喝、強要」として暴力団による「いやがらせ」や「ゆすり・たかり」行為のように描いて刑事弾圧の口実にしていること。

関西合同定期大会
働く者・生活者、新世代
新たな地域合同労組へ

関西合同労働組合第26回大会が開催された(7月14日、西宮市内=写真左)。95年以来、地域合同労組としてたたかってきた関西合同労組が新たな労働組合像の形成へ挑戦する大会となった。
5年にわたる争議に勝利した大豊運輸倉庫分会の分会長が議長、細見分会など争議勝利分会員が大会の任務を各所で担った。佐々木委員長が、「@統一地方選挙で、兵庫県議に弘川よしえさん、神戸市議に高橋秀典さん、参議院比例区に大椿ゆうこさんを推薦し、選挙闘争をこれまで以上に重視。A連帯ユニオンへの弾圧は労働運動を『犯罪』扱いする重大な事態。B委員長就任の1年を振り返り、責務の大きさを考えている。今後も関西合同労組の役割は重要となる」とあいさつ。
来賓として関西生コン・武谷書記次長が、「75人の逮捕、40人の起訴という弾圧の激しさ、今回の弾圧の異常さ、保釈条件の厳しさ(組合活動が出来ないような条件)、弾圧をはね返す支援を」と訴えた。組合からは支援カンパを送った(武谷さんは22日に和歌山県警に不当逮捕された)。神戸市議に無所属・市民派として初当選した高橋さんは、「政治を変えたいと考えている人たちの風が吹いた。阪神大震災からの市職員としてのとりくみ、市民運動でも合同労組との共闘を広げたい」と話した。若狭の原発を考える会・木原壯林さんのあいさつ。
連帯ユニオントラック支部、全港湾関西地方大阪支部、全国金属機械港合同、釜ヶ崎日雇労働組合、武庫川ユニオン、被災地、など共闘労組、協力弁護士、諸団体などからメッセージが寄せられた。
18年度総括、各支部総括、情勢案、19年度方針が提案され採択された。総括では、いくつもの争議の勝利と前進を確認し、「2桁分会の2桁実現」「運輸部会などの職種別部会の建設」「社会的労働運動」などの課題や執行委員の若返りなど、5年、10年先を見据えた組織運動づくりを新たに打ち出した。阪神淡路大震災以来の執行委員からは、働く者と生活者が一体となった執行部への改革が提案された。
神戸の運輸職場の勝利報告は、関西合同労組運動のあり方を示す報告だった。劣悪職場でたたかい、裁判提訴、家族の支援と激励、関西合同労組とのめぐり合いと、10年近い報告は、参加者全体を引きつけた。今回退任する執行部の一人からは、数年の総括として「執行部請負ではなく当該の職場でのたたかいを」と訴えがあった。いずれも佐々木委員長体制の今後の労組像と方向性を象徴する問題提起であった。関生支部弾圧へのカンパが会場で組合員に呼びかけられ、多くの参加者が応じた。懇親会では職場報告や組合への思いなど、職場や地域をこえ、発言や討論が1時間近く続いた。

3面

故小林圭二さんを偲ぶ
住民の立場で反原発貫く
7月14日 大阪

去る5月27日に逝去された小林圭二さん(享年80)の偲ぶ会が、7月14日、大阪市内で開かれ、150人が参加した。司会は小林さんと共に京大熊取原子炉実験所で反原発運動に取り組んできた今中哲二さん。ゆかりの人たちから、「旧満州国」の大連で過ごした幼少期、60年安保闘争、原子炉実験所時代、伊方原発建設反対の住民訴訟やもんじゅ訴訟の思い出を語った。兄の小林修平さんはユーモアを交えて弟圭二さんの思い出を語り、参加者へのお礼を述べた。

「ヒロシマ・ナガサキに戻った」
福島事故への 小林さんの言葉

小林圭二さんには、「8・6ヒロシマ平和の夕べ」に09年、11年、15年と来ていただいた。とくに3・11福島第一原発大事故の11年の1月に、「8月、広島で話してもらう」ことを快諾してもらっていた。その3月に福島の大事故。8・6ヒロシマの打ち合わせ兼ね、6月ころにインタビューをお願いした(『未来』84号掲載)。
「70年代から伊方など原発反対の住民運動、訴訟、その後『もんじゅ』廃炉に力を注がれ、いま福島事故に何をいちばん思われますか」と尋ねたところ、「ぼくは、ヒロシマ・ナガサキに戻ったと考えました」と言われたのが印象に残っている。「核はもともと軍事、原爆として研究開発された。核分裂は巨大な爆弾に最適。『平和利用』というのは、その1面です。軍事、平和と区別できません」「今回の事故は、核が持つ、生命に対する本質的な敵対性を明らかにしました」と静かに話された。
その上で「ぼくは広島・長崎が、あの不条理きわまる過酷な夥しい死とその後の苦難を体験し、せめて平和利用ならという、それはわかるけれどやはり原発反対の声が少し弱かったのではと思う。それを8月6日、話してもいいでしょうか」と。「ぜひ話してください」とお願いしたが、当日はそのことには触れられなかった。
すぐ後の8月15日「敗戦の日」の催しに講演されたとき、テーマは別だったのに「6日に広島で(そういうことも)話そうとしたが、被爆者の体験を聞いているうちに、どうしても話せなかった」と切り出された。そのときの被爆証言は『はだしのゲン』の中沢啓治さんだった。
7月14日の偲ぶ会に参加させてもらいました。映像の中で「もんじゅ」の廃炉が決定したことに触れ、「早くプルトニウム、ナトリウムを取り出せばという声があるが、危険で簡単ではない。50年、100年かかる、それが核でありプルトニウムだ」と話されていた。訃報に「誠実を人格化したような人」と記されていた。その通りの方だった。インタビューの最後に「写真をお願いします」と言うと、穏やかだった顔が急に真面目というか硬い表情になり、何枚とっても怒ったような写真になって困ったことを思い出した。(竹田雅博)

ともに過ごした少年時代
温厚だが芯は熱い人
富田町病院 院長 小西弘泰

京大原子炉実験所元講師の小林圭二さんが亡くなられた。享年80歳だった。3月ごろお見舞いに伺った時には顔色もよくお元気そうだったので、突然の訃報に言葉もない。パーキンソン病やすい臓がん、糖尿病、緑内障など難病を抱えて闘病中ではあったが、すい臓がんは術後の再発もなく「無罪放免」になったそうだし、全身状態は安定していたのになぜ急変したのか腑に落ちないが、あの元気な圭二さんにもう会うことができないと思うと残念でならない。

大連病院で

圭二さん一家と私の一家とは父親がどちらも中国の大連病院(旧満鉄病院)で医師をしており、敗戦は大連で迎えた。私の一家は父が結核で倒れたので一足先に1948年に引き揚げてきたが、圭二さん一家はその後北京などの病院を経て1953年に引き揚げてこられた。
敗戦から1948年の引き揚げまでの3年間は、引き揚げで空いた大連病院の看護婦寄宿舎の一室を住居としてあてがわれ、おなじ建物の中で少年時代を過ごした。両家とも家族構成が似ており(私の弟が圭二さんと同級生、姉がお兄さんの修平さんと同級生)、学校へ行くのも帰ってからもずっと一緒に遊びまわっていた。圭二さんはやんちゃで快活な典型的な次男坊タイプで、みんなから「圭ちゃん、圭ちゃん」と、かわいがられていた。

60年安保闘争

引き揚げてからは私は京大医学部へ、圭二さんは工学部原子核工学科へ進学。私のほうが学年が上で学部も違っていたので日常的な接触はなかったが、60年安保闘争の渦中で再び彼の姿を見かけるようになった。彼は急進派で、安保闘争のピークが過ぎた後も工学部でグループをつくり旗を振っていた。
京大を卒業した後は熊取の原子炉実験所に入られたが、そこで原子力発電とりわけ高速増殖炉もんじゅの危険性、反人類性に気づき、「熊取6人衆」と言われる反原発の立場に立つ6名の研究者グループのリーダーとして、各地の裁判闘争を支援し、講演や著述、闘争への参加など休む間もなく活躍されたことは記憶に新しい。私の勤務する富田町病院へも多忙な中を学習会に来ていただき、とても分かりやすいお話だったと好評であった。人柄も子どもの頃に比べ温厚になっておられたが、芯は熱い人であった。

国立大で国策に反対

国立大学の組織の中にあって、国策に反対する運動を公然と支持し行動することはなかなか勇気のいることだろうと推察されるが、圭二さんをはじめ6人衆の方々が皆さん万年助手、万年講師の報復に屈せず、住民の側に立ってたたかい続けておられることは多くの人に感銘を与えていることは確かである。
今全国各地で世論を無視してあくまで原発を推進しようとする国および電力資本とのたたかいが前進しているが、何としても圭二さんの墓前に勝利の報告をしたいものである。ご冥福を心からお祈り申し上げます。

「原発、沖縄、人権がつながる」
福島原発事故で母子避難
森松 明希子さん

福島第1原発事故から8年。母子避難している森松明希子さんの話を聞いた。福島事故、放射線災害からは災害全般とともに子育て、教育、仕事、医療、老後など毎日の普通の暮らしが、この国では大切にされないことがわかった。8年間を2時間で語ろうとする森松さんの意気込みが伝わってきた。(ききたい つなげたい 8・6ヒロシマを 実行委員会主催、7月7日、尼崎市内)

森松さんは、日本国憲法前文「全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する」ということから、生きる権利を説明する。「恐怖から免かれ、平和のうちに生きる。それは、戦争はもちろん災害や放射線被害から命を守ること」と、福島事故の経験を話してきた。

行政区域で線引き、分断

原発は立地自治体の問題であると同時に、それを利用し推進してきた国と電力資本の存在がある。あれから8年、国は何をやってきたのか、やらなかったのか。国は避難の範囲を同心円や行政区域によって線引きし、「強制避難」(それも次々に解除)と「自主避難、つまり勝手に逃げている人」とに分断してきた。避難者の実態、数の調査すらおざなり。避難地域解除、帰還政策だけは熱心に。単に放射線の数値だけでなく、人はさまざまな事情により「避難する」「とどまる」選択をせざるをえない。そして、声をあげれば「気にしすぎ、放射脳=Aお金をもらっている」と非難され、バッシングされる。
「私は、原発事故には遭わないよね」とは誰も言えない。関西に育ち、たまたま東京に住み結婚した相手が福島で働くことになり、原発事故にあった。シーベルトもベクレルも知らなかった。普通の市民である私が、そのとき子育て中の母親だったということ。一つの問題の当事者としてだけでなく、ひとりの主権者として考えたとき、さまざまな問題はつながってくる。
国連やヨーロッパに行って訴える機会も増えた。ドイツや、原発立国のフランスでも福島事故への人々の関心は高い。福島の避難者は、国際的には「国内避難民」と呼ばれる。各国政府が「国内避難民に関する勧告」を出している。例えばオーストリア、「福島の高放射線地域からの自主避難者に住宅、金銭その他の生活援助や、とくに事故当時子どもだった人への定期的健康モニタリングなどの支援提供を継続すること」としている。日本政府は「風評被害を煽るな」と、「住んでいる人たちがいるから大丈夫、オリンピックもできる」など、対策はとらず避難解除を拡げる一方、「強制、自主」と線引きをする。自主避難者の人数統計すらいいかげん。
賠償請求裁判は、お金を要求するためではない。この事故がどうして起きたのか、国も東電も責任をとらないあり方、そういう社会の問題を明らかにしたい。資料を隠したり改ざんしたりするこの国で、裁判なら記録に残る。原告団の横断幕「ふつうの暮らし、安心の未来」はすぐに決まった。原告代表を引き受けるとき、「避難の権利(被ばくからの自由)を訴え、憲法訴訟としたい」と訴えた。森松さんは「参院選、衆院選も、そういうことから考えてほしい」と結んだ。(た)

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4面

日本軍「慰安婦」
10周年迎えた関西ネット
記念行事を豊中市で開催

日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワークの10周年記念行事が7月13日、大阪府豊中市で開催され、120人を超える参加があった。3部構成でT部はミニ・コンサートと講演、U部は若者たちの本音トーク、V部は交流会。
1部では、関西ネットの代表が、「2009年、関西の市町村議会で『慰安婦』問題の意見書可決をめざす取り組みからたたかいが始まった。この運動を次世代につなげたい」と発言。
吉元玉ハルモニのミニ・コンサートでは、すてきな歌声と30年にわたるハルモニの映像が流された。ハルモニは「今日は、初めての海外コンサート。歌手の夢を実現できて感激した」と話した。
講演では〈日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯〉代表の尹美香さんが次のように話した。

私たちは勝った

1993年に大阪に初めて来た。家族の問題で来たが、「慰安婦」問題の事ばかり話した。その後、多くの関西のメンバーと出会い共にたたかってきた。生存者があきらめないでほしいというメッセージを実現するため、女性の人権が生かされる社会のため。分断された韓国の民主化運動の中で青年時代を過ごしたからたたかえた。
「慰安婦」問題解決の30年は、今、#ウィズ・ユーにつながっている。今年、1400回の水曜デモを迎える。世界で戦争を作り出すシステムの変更をめざす運動を継続してきた30年間の活動は目を見張るものがある。
ハルモニたちの「二度と繰り返させない」、「性奴隷被害者を作り出さない」というメッセージをたずさえて、人びとと交わることで、世界を変えることができる。2018年、私たちが勝利したと宣言したのは、一方的なものではない。日本政府は30年間変わることなかったが、あきらめずにたたかい日本政府を追いつめている。
なぜ私たちが楽天的に「勝った」と言えるのか。日本軍「慰安婦」問題解決の運動は、1988年の韓国女性によるキーセン観光反対運動が出発点だ。挺身隊協議会ができ、1990年5月、本岡議員が国会で質問し、被害者が沈黙を破り、金学順の#ミー・ツーが始まった。そして、他のハルモニの#ウィズ・ユーとなり、韓国で240人、朝鮮で219人の被害者が名乗り出た。それが基地村の女性人権運動につながり広がった。
吉元玉ハルモニは、基地村で「あなたたちは間違っていない。韓国政府が間違っている」と助言した。さらにコンゴ、ウガンダ、イラク、ナイジェリア、ベトナムなどで、戦争被害女性たちのためのナビ基金支援の輪が広がっていった。
挺対協は来年30年を迎える。連帯が希望であり、人が希望だ。関西ネットの10年もあきらめずにきたから、今がある。ひどい状況にある日本社会を変化させていくため、一緒にたたかいましょう。

次世代トーク

U部では若者たちが今、何を感じているかを話した。戦時性暴力問題にかかわった時、日本でそれをつぶす勢力がいるのに驚いた。自分と同世代の人が連行されたという事実にショックを受け、こんな日本社会で生きていくのは嫌だと思った。日本の学生は日本軍「慰安婦」問題を知らなさ過ぎる。名前しか知らない。加害国の国民として運動に参加できるのか考えていたら、挺対協の人がどこの国に関係なくたたかうと言った。ニュースを見て無力感で頭痛くなることもあるが、緩やかな連帯が大きくなってる。世代の違いをこえて繋がっていきたいと話した。(村野良子)

どうなってる大阪の学校
教員を締付け、ゆがむ教育

7月10日、大阪市内で「君が代」不起立処分取り消し共同訴訟上告報告集会がひらかれた。いま大阪においては「君が代」強制の攻撃だけでなく、テストの点数で学校をランク付けして、教員の給与に反映させるという、一体学校はどうなってんのというテーマで開催された。

最高裁で争う

第1部では「君が代」不起立処分撤回共同訴訟上告の報告がおこなわれた。5月23日の大阪高裁控訴審判決で一部勝訴(原告7人のうち、ひとりが戒告処分取り消し)の判決を勝ち取ったことが報告された。原告に対する校長からの職務命令はなかったということで戒告処分の取り消しが出されたのだ。大阪高裁は、事実上、「教育長通達違反」だけでの処分は違法であることを認めたのだ。
しかし「他の6人の処分撤回」と「賠償責任について7人全員の請求」については棄却。そして大阪府の「国旗国歌条例」「職員基本条例」や教育長通達・職務命令の違憲・違法性については判断を回避した。原告団は最高裁へ舞台を移して、法律上の問題として闘いを継続すると表明した。

いま大阪は

第2部では、高校卒業生・小学生の保護者・小学校教員のパネルディスカッション「子どもも教師も型にはめ規格化していく学校の今」のテーマで、高校教員のコーディネートで進められた。高校の卒業式で不起立して社会人となった高校卒業生は、立つかどうか迷っていたときに先生から、「立つ立たないは個人の自由。もし立たなかった人がいてもそれを責めてはいけない」という言葉を聞いて、少数多数関係なくみんなを尊重してくれた言葉に立たない決意を固めた。後で、立たないと生徒の名前の読み上げができないから立たざるを得なかった先生がいたということを聞いて、くやしくて、早く何とかならないかと思っている。
小学生の子どもを持つ保護者からは、自身が府の職員として働いていたとき、「職員基本条例」の下、チャレンジシートを出さなかった。文書で職務命令が出され、屈辱の中でシートを提出したことがある。君が代の強制と同じだと感じた。不起立に戦争を繰り返させないという意味を感じて、子どもの入学式では不起立した。府議選に出るため退職したので現在無職。地域のなかで学校の先生たちが査定給で判断されるのはおかしいと思っている父母とつながっていこうと思うと話した。
現職の小学校教員は、台湾出身の3世で、「日の丸・君が代」については子どもたちと一緒に考える時間を持ち、多様な考え・人権感覚を大切にしたいと思っているが、強制するのは許しがたいと思っていると語った。
次に今日のテーマ、「今、大阪の学校どうなってんの」で、話題になったのが「みんな遊び」。仲間外れを作らないということで、長い休み時間に全員で遊ぶことを多数決で決めて、皆で決めたから従わなければならないという。学校自体が子どもたちにとって非人権的場所になっている。名前の呼び方、服装、土曜授業問題など意見交換がされた。
最後に元高校生から、選択できる自由がある学校になってほしい。保護者の立場から、戦争を正当化するような場として学校を使うことは変えたい、全体のために子どもを犠牲にすることはいやだ。教員の立場から、子どもたちに身に着けたい力、その子らしく生きる力、お互いの違いを認め合える力が必要だと思う。そのための支援者でありたいという思いが語られた。
最後にコーディネーターが、大阪府条例の下で服務規律に従わなければならないとなっていて、それに違反すれば処分され、それが重なれば免職となっていく、これが今の大阪の教育を窮屈にしている。保護者・元生徒などとつながって動きをつくっていけたらいいなとまとめ、集会を終えた。(佐野裕子)

自己責任論≠フウソ
奈良で宇都宮健児さんが講演

6月30日、「第19回奈良からつながる市民の集い」が奈良市内で開かれ、弁護士の宇都宮健児さんが「自己責任論のうそ」の題で講演した。主催は〈特定非営利活動法人市民ひろば/なら小草〉。

【講演要旨】

ひろがる格差・貧困

現在の日本では、貧困がますます広がっており、格差が固定化されている状況にある。労働者の賃金は1997年をピークに、それ以降は下がりつづけている。これは非正規労働者が増えている事と関係している。「平成」は「平和な時代」であったのではなく、じつは貧困が拡大していく時代であった。
社会保障費が財政難を理由に、切り下げられている。2012年に、生活保護バッシングがあった。生活保護を受ける権利は憲法で保障されているにもかかわらず、マスコミも一体でこの権利を行使させない風潮がつくられていった。生活扶助基準が一方的に切り下げられ、当事者の声がまったく反映されない。国は人々の人権を守るためにあるが、国としての役割を果たしていない。
安倍政権がこれらのことを政策としておこなっている。ほんらい、政治は人々の人権を守るためにおこなわれる。これを隠し、人々の怒りを政治ではなく個人の問題に転化するために、「自己責任」論が上から組織されている。

自己責任論について

イラク戦争の時に、日本人3人がイラク武装勢力によって拘束された。「自己責任」という言葉は、この時使われた。今では、この言葉がまかりとおっている。時の政権がこれをあおっている。政権が弱者を切り捨てる際に、この言葉で正当化している。また政権が市民を分断する論理にも使われている。
憲法には高らかに基本的人権がうたわれている。しかし、社会のなかで権利として行使されているかというと、お寒い状況にある。学校では、理念だけではなく、行使の仕方も教える必要がある。
民主主義の成熟度は、その取り組みとたたかいによって推し量られるものだ。中央政治を変えるには、地方から政治を変えていくことが重要だ。ひとびとのたたかいによって、政治は変えられる。

韓国の闘いから学ぶ

韓国では、「ろうそく市民革命」によって、文在寅政権が誕生した。また、ソウル市では、朴元淳市長がソウル市の改革をおこなっている。この「ろうそく市民革命」の背景には、光州事件以降、市民が血を流して、民主化を実現してきた歴史と経験があった。世界の人民は血を流し、自由や人権をたたかい取ってきた。今日、このたたかいは日本でもおこなわれている。このなかに、「自己責任」社会を克服していく道がある。(津田保夫)

5面

講演 辺野古新基地は頓挫する(下) 北上田 毅さん
土砂、地盤、工期どれも破綻的

違法だらけの土砂投入

琉球セメントの採石場から護岸工事の石材、埋立てに使われている土砂が運ばれている。積み出しは近くの本部港から。防衛局は昨年の秋から搬送しようとしたが、台風被害により3つのバースが使えなくなった。そのため別の桟橋を使い始めた。
公共の海に民間企業が桟橋をつくっており公共財産使用規則による使用条件、規制がある。もともとセメント製造のための資材・製品の搬入出用だった。そのために知事の承認を得た桟橋を、辺野古埋立の土砂搬出に使うのは明らかに目的外使用。使用規則(第3者、防衛局へのまた貸し禁止)に反している。そこへ土砂をベルトコンベアで運び仮置きする。1000平米以上の土砂の堆積、仮置きは海の環境保全のため、赤土流出防止条例がある。大気汚染防止法は一応の手続きがされていたが、赤土条例はまったく手続きされていない。私たちが沖縄県に抗議し、いったん止まった。ふつう届出から45日間は事業ができない。ところが防衛局もいろいろ考え、一時堆積をやめコンベアから直接ダンプに積み、「堆積していない」と再開した。
いろいろ対抗したが、運ばれている。琉球セメントの親会社は宇部興産、宇部セメント。麻生、安倍さんの系列でしょう。ふつうは県が指導したら従うが、土砂の横に石を積んで「土砂ではなく、石材だ」と本当に高飛車な態度だ。
土砂の形状で埋立てに運ばれているのは、実際は石材どころか赤土を大量に含んだ土砂。土砂には細粒分含有率という微粒子の割合がある。細粒0・075ミリ、これが15%未満は砂、50%を超えると粘土になる。今回の事業で沖縄県に出された願書では含有率10%になっていた。海への影響は10%という計算だった。ところが防衛局は40%で発注している。粘土に近い。県に提出された土砂の洗浄検査の結果では10%とされている。赤土を含んだ土砂が10%ということはあり得ない。沖縄県は昨年12月から4回、行政指導をおこなっているが、防衛局が県に提出した形状が実際の投入土砂と同一か、重大な疑義が生じている。県が調査するというと、「県が採石場に立ち入る権限はない」と拒否する。
防衛局は「護岸で締め切っているから、どんな土砂でも可」と。環境保全図書には書かれていない、とんでもない言い分だ。外周護岸は中央部に捨石を置き、両側を被覆しただけ。締切りではなく水は抜けている。2月にドローンで撮った写真でも、外側に汚濁が広がっているのがわかる。
海に投入する石材は事前に洗浄することが義務づけされている。もし規則どおりに洗浄されていたらこんなに濁ることはない。この立ち入り調査も拒否している。環境保全対策はまったくされていないと言っていい。

マヨネーズ状の地盤

18年3月、私たちが公文書公開請求。防衛局が14年から実施した2件の土質調査が初めて開示され、明らかになった。大浦湾の海底と辺野古に活断層があることがわかっていた。当初は、軟弱地盤があるだろうということではなく、活断層の問題を少しでも明らかにしようとした。ところが大浦湾にマヨネーズのような軟弱地盤があることがわかった。
   14年当時、なぜ大型調査船ポセイドンによる大がかりな調査がおこなわれるのか、よくわからなかったが、開示された報告書によると24カ所のボーリングの結果、N値ゼロというような地盤が広がっていた。私は取材の記者に「豆腐のような」と言ったけど、記者が地盤工学の専門家を探し聞くと、「マヨネーズのような」ということになった。N値ゼロというのは杭などを打ち込むとき、置いただけでずぶずぶと沈む地盤。辺野古で使われようとするケーソンは高さ24メートル、長さ52メートル、一つの重量が7千トンだ。そんな巨大なケーソンをN値ゼロというところに置けるはずがない。国は「地質調査は室内試験などを続けている。いまのデータだけで総合的な地盤強度は判断できない」と逃げ続けてきた。昨年9月の知事選の際、政府は辺野古を争点から外した。軟弱地盤を認めると改良工事が必要とされ、設計変更を知事に申請し承認を得なければならなくなる。辺野古新基地建設の事業の帰趨を沖縄県知事が握っていることがわかってしまう。だから資料を公開しておきながら「軟弱地盤については、まだわからない」と逃げた。

設計変更の必要

知事選の結果のあと、今年1月に安倍首相が衆院代表質問で「軟弱地盤の存在と地盤改良工事、沖縄県に変更承認の必要がある」ことを初めて認めた。国は、首相が認めながら資料提出請求に「まだ最終裁決が出ていない。国交相の裁決に影響する」と出さない。ところが資料はマスコミにも私たちにもわかっていた。昨年の3月に公表された資料には、大浦湾(予定滑走路Vの2先端を結ぶ予定地)側の護岸C1地点では海面から70メートルとされていたが、今回さらに下に20メートル、計90メートルあることがわかった。護岸基礎部分だけではなく、埋立区域全体に軟弱地盤が続いていることが明らかになった。相当に深刻である。いま政府が認めている地盤改良工事は、二つ。一つはサンドコンパクションパイル工法(SCP)。パイプに砂を詰め、振動させ柔らかい地盤に詰め上から固め海底面一面に「砂の杭」をつくる。もう一つは、サンドドレーン工法(SD)。砂をパイプで所定の深度まで貫入させ、粘土地盤の圧密沈下を促進させる。そこを通して水分を抜く。
護岸は幅20メートルあるが、影響範囲があり幅100メートルにわたってSCP、それ以外の中の面はSD工法でやろうという。合わせると73ヘクタールになる。大浦湾側の埋立面積の6割を超える。90メートルという深さに、大規模な範囲の工事が必要になる。N値ゼロの調査は15年4月には終わっている。国は3年間、隠してきた。
もう一つ大きな問題は、国の報告書にも「業者にヒアリング。作業船の能力等から70メートルまでしか工事ができない」と書かれている。SCP工事船は日本に15隻あるが、70メートルまで工事できる船は2隻しかない。90メートルはない。防衛省は「工事は50まででも所定の強度は保てる」「データを精査した結果、70以下の粘土は非常に硬い」などと言い始めている。SCP工法は確かに、よくおこなわれている。それでも20、30メートルであり、横浜港の65メートルの実績が1例あるだけ。大浦湾の6割の面積に7万7千本の砂柱、杭、650万立米の砂が必要になる。汚濁防止用の敷き砂も要る。埋立て土砂とは別に砂をどうするか。護岸工事も、まだこれから。不等沈下、その対策工事(関空の場合のジャッキアップなど)も起こる。
西日本から土砂を持ち込む場合、沖縄県にはヒアリ等の特定外来生物の侵入を阻止する土砂条例がある。90日以前に申請し、県は現地立ち入り調査をおこない、見つかれば駆除策を指示する。石材は洗浄できるが、土砂は洗浄すれば流れる。防衛省は200度20分加熱で死ぬ、と。実験室ならともかく1000万立米にそんなことできますか。
地盤改良工事のためには、当然、公有水面埋立法による知事への設計変更申請を提出し、承認されなければならない。民意からして知事が承認することはあり得ない。審査期間も長期になるが、政府は不承認に対して司法手続きを起こすだろう。サンゴ群の移植手続きも必要、これも不許可だろう。

工事は15年、20年

工期の問題もある。防衛局は当初、護岸と埋立に5年程度としていたが地盤改良が加わると、その前にさらに5年程度かかる。工事船はSCP船だけでなく砂運搬、敷設など船団を組んでおこなう。日本にある15隻の工事船を11隻、辺野古に集中できるのか。
強引に進めても15年、20年を要するだろう。費用はどうか。当初、埋立承認を求めたときの資金計画書は2310億円とか、3500億円と言った。その後まったく言わない。地盤改良工事費用もわからない。沖縄県は工期13年、費用は2兆6千500億円と試算している。いま警備の費用だけでも1日2千万円。国会の予算委員会でも、予算規模は示されない。
仮に辺野古ができても普天間が返還されるのか。稲田防衛相(16年当時)「わかりません」と言った。海兵隊は大半がグァムに移転するとされる。政府は「普天間の危険性の除去、唯一の手段」を繰り返すが、辺野古に固執し続けることこそ普天間を長期に固定化することに他ならない。
本土のみなさんが関心を持ち、声をあげてほしい。(講演は6月・神戸市内、投稿・文責/た)

(おわび)

おわび 本紙273号6面の請戸耕市「ワンクリックの向こう側―アマゾン搾取倉庫(上)」に掲載した本の表紙画像の一部に差別的な表現がありました。おわびします。

6面

南西諸島に自衛隊配備
住民圧殺とたたかう宮古島

「7・9宮古島の軍事基地化反対の集い」が大阪市内で開かれた。〈南西諸島への自衛隊の配備に反対する会(準備会)〉が主催。
最初に軍事基地化が進む宮古島のビデオが上映された。代表のあいさつの後、ミサイル基地いらない宮古島住民連絡会・事務局長の清水早子さんのお話があった。
自衛隊の島しょ奪回作戦は宮古島と石垣島で想定されおり、海上自衛隊の空母いずもやステレス戦闘機F35Bの配備が宮古群島ですすめられようとしている。

ミサイル攻撃も想定

清水さんのお話は、宮古の歴史を簡単にふれた後、奄美大島では自衛隊と米軍が一体となって水陸両用車を使った上陸作戦の訓練がおこなわれているが、自衛隊の基地建設の全体像をみれば宮古島の地下に司令部を置き、奄美大島を兵たん基地にしようとしている。また、島が占領されたときは宮古と石垣島間で新型ミサイルによる攻撃も想定されている。
2015年5月にミサイル基地の建設が発表され、戦後74年たって19年3月に自衛隊が再び上陸した。清水さんはこの4年間にわたる住民のたたかいを報告した。
宮古島・千代田の陸自基地に小火器や小銃を置く「保管庫」をつくると言っていたが、実態は迫撃砲や多目的誘導弾をいれる弾薬庫であり、住民をだまし討ちにするものだ。17年3月に起こったウクライナの弾薬庫の爆発をみれば、その危険性はあきらかだ。自衛隊のマニュアルでは「弾薬庫で火災があれば2分間で1キロ逃げろ」となっているが住民には伏せている。

飲料水の汚染

また、給油所が建設されようとしているがその下の地盤は、空洞があり、軟弱でありさらに活断層が走っていることもあきらかにした。宮古島は山も川ない島で飲料水は地下水にたよっているが、その地下水が汚染されたら島の死活問題だ。
防衛省は海水を真水に変えるといっているが5万5千人いる島民に用意できるのは5千人分しかない。秋田に建設されようとしているイージス・アショアをめぐってあきらかになったように防衛省は平気でウソをつく。安倍政権は住民の民意を無視し踏みにじる。

隊員宿舎は億ション

自衛隊員家族の生活も始まっているが隊員宿舎は1軒あたり1億円する億ション。また、自衛隊員との集団見合いがおこなわれた。そして、市内の歓楽街には「夜の観光案内所」なるものができていると報告された。
「基地建設を止めるたたかい」から「基地を無くすたたかい」へとつなげていかなければならない。辺野古だけでなく、南西諸島の島々に新基地をつくらせないたたかいに注目してほしいと訴えた。(高原真人)

私と天皇制 F
講座派も労農派も60年ブントも天皇制をスルー

私は20歳前後のころ、1930年代前半に展開された日本資本主義論争に関する書を集中して読んだ。
この論争は日本社会の構造を分析し、それを変革する戦略を巡っておこなわれた。マルクス主義者を自認する学者が総がかりで、論壇を大いににぎわせた。
その頃の日本は「マルクス主義」花盛りで、「マルクス主義者でなければ知識人にあらず」の感さえあった。
この論争の一方は岩波書店の『日本資本主義発達史講座』の執筆陣が中心で「講座派」、片方は雑誌『労農』によるグループで「労農派」。
コミンテルン(共産主義インターナショナル)の支部である日本共産党は、知識人に絶大な権威を誇っていた。講座派は共産党の綱領的文書である32年テーゼの正当性を裏付けることを主眼とした。
1931年の「満州事変」で、ソ連(現ロシア)は、「皇軍」の支配圏と国境を接するようになった。尻に火がついたソ連の独裁者スターリンが、御用理論家に書かせたのが32年テーゼであった。
それは日本を天皇制絶対主義国家と規定し、天皇制打倒を戦略目標とした。そして日本を帝政ロシアよりも後れた社会とみなした。
そのため講座派の先生たちは、日本社会に残存する前近代的要素を必死にかき集め、天皇制を封建時代の遺制とするトンチンカンな主張を展開した。
労農派は日本経済の実証的分析に終始し、その限りでは説得力があった。
治安維持法下で、双方とも天皇制を明示的に批判することを避けた。しかも国民の意識に深く浸透し、侵略戦争に駆り立てた天皇制イデオロギーの2大支柱、軍人勅諭と教育勅語に全く触れていない。
共産党は非合法の地下出版物・パンフをたくさん発行したが、天皇制を×××と伏字で表記。2大「聖典」批判のパンフは作成しなかった。
両派とも「資本主義の墓掘り人」労働者階級の生活や意識に分析のメスをほとんど加えていない。
そのため、日本人の圧倒的多数が天皇制イデオロギーの虜になっている理由が、全く解明されなかった。これでは革命の主体形成に役立つはずがない。
双方とも、天皇制と日本資本主義発展の関連性や労働者階級の分析をなおざりにし、下部構造が上部構造を規定するという公式を機械的に当てはめた経済決定論に陥っている。 その点では60年安保ブントも同様であった。私がそれに気付いたのは、かなり後のことで、あまり大きなことは言えない。(Q生)

(シネマ案内)
人間の矜持と勇気示す
映画『新聞記者』
藤井道人監督 2019年/日本

長い廊下の奥、光を落としたオフィス、居並ぶPCの放つブルーライト、キーボードを叩く乾いた音、そして、無表情にPCに向かい、情報の収集と操作に専心する内調職員たち。
内調(内閣情報調査室):400人の職員が「安倍首相の私兵」(前川喜平前文科事務次官)として日夜活動している実在の組織。
タイトルは『新聞記者』だが、「内調」の闇に切り込んだ映画とさえいえる。

官僚の反乱

「東都新聞」に、医療系大学新設計画に関する極秘資料が匿名のFAXで届く。やがてそれは医療系大学を隠れ蓑とした生物兵器研究施設であるという真相が見えてくる。
真相を追及する記者・吉岡(シム・ウンギョン)は、新聞社内外の圧力、上司の逡巡と格闘しながら、強いパッションで迫って行く。吉岡の父親もジャーナリストだったが、政府・官僚の不正を追及する最中、内調によって「自殺」という形で謀殺されていた。
他方、外務省から内調に出向した若手官僚・杉原(松坂桃李)は葛藤する。「国民のため」というタテマエとは裏腹に、日々の任務は、「政権のため」の不都合な事実のもみ消し、情報操作と世論誘導、反政権の動きの封殺だった。
そして外務省時代に懇意にした杉原の先輩・神崎(高橋和也)が、出向先の内閣府で件の医療系大学新設計画を担当していた。神崎は「国民のため」を信念とした官僚だが、文書改ざんなどの不正に動員され、責任を被せられ、やる方のない思いを重ねてきた。そしてついに不正義にこれ以上与することをよしとせず、生物兵器研究施設の極秘資料を新聞社にリークする。そのために、内調が、神崎の調査に動いた。そして、神崎は自殺する。
神崎の自殺を機に、記者・吉岡と内調・杉原が出会う。
杉原は、内調の調査と神崎の自殺について、内調の上司・多田参事官(田中哲司)に詰め寄る。しかし、多田は、「国の平和と繁栄には政権の安定が必要」と内調の活動を正当化するとともに、杉原の家族を気遣う言葉をかけてやんわりと恫喝する。杉原は、多田の言葉に恐怖を覚え、動揺し、葛藤する。
しかし、記者・吉岡が、内調・杉原に、真相究明への協力を強く求める。それに突き動かされて、杉原はついに決断する。神崎の遺志を引き継いで、内閣府の内部情報を危険な手段まで使って入手し、それを吉岡にわたす。さらにこれを暴露しても政府が事実を否定したら、自らの実名で記事にしていいとまで決意する。
記事が出て、激震が走る。
杉原は、再び多田に呼び出される。海外転出の沙汰、「いっさい忘れろ」という厳命と、さもなくば、「吉岡の父親のように…」という最大級の脅しを受ける。そして杉原の背中に向かって多田は言う。「この国の民主主義は形だけでいいんだ」

閉塞と抑圧

痛快さどころか、全編を貫くのは閉塞と抑圧だ。しかしそれがリアリティをかもしている。
杉原役の松坂桃李がその表情で、権力の悪辣さ、それに立ち向かうことへの煩悶や葛藤を好演し、多田役の田中哲司が、笑顔なのに笑っていないメガネの奥の目が冷酷な治安官僚を怪演、吉岡役のシム・ウンギョンは、人間的な誠実さと真実を求める執念と不器用さを、スクリーンを超えて迫る目力で表現した。
ぬるいドラマや映画に辟易していた昨今、ようやく出会った硬派なポリティカル・ムービーだ。現在進行形で政権が生み出す異常な政治的事件の数々をモデルに、フィクションという形で支配の仕組みの一端を可視化し、エンタメという形で、上から下まで同調圧力によって自己規制してしまっている人びとに向かって、人間としての矜持と勇気とはなんたるかを示そうとしているところに、映画を超えた意志を感じる。
「(関わると)『干される』と、2つのプロダクションに断られた」(河村光庸プロデューサー)という同調圧力を超えて、この映画に関わったスタッフとキャストに喝采を送りたい。なお、藤井道人監督(32)は、依頼を受けた当初、「すぐに断った。政治も勉強してないし、新聞も取ったことがなかったから」と。
映画のラスト。多田の脅しにボロボロ、フラフラになりながら、杉原は、かすかな言葉を吉岡に向かって発する。それは、「ゴメン(もう、無理だ)」ともとれるし、「なまえ(実名で報道してくれ)」ともとれる。どう解釈するか。(請戸耕市)