消費税10%は中止に
参院選 改憲勢力に2/3を渡さない
7月21日、第25回参議院議員通常選挙の投開票がおこなわれる。この選挙の争点は次の2つである。ひとつは政府が今年10月1日に実施しようとしている消費税率の10%への引き上げを中止させることだ。いまひとつは、改憲勢力に参議院の議席の3分の2をわたさないことだ。消費税引き上げに賛成する候補者を落選させ、民衆の増税反対の強固な意志を示そう。この選挙で改憲勢力をたたき落とし、安倍改憲の野望を最後的に打ち砕こう。
東京・新宿でおこなわれた「最低賃金上げろデモ」。最賃1500円を求めて運動するAEQUITAS(エキタス)が呼びかけた(6月23日) |
消費税は欠陥税制である。国税庁が昨年8月発表した2017年度の租税滞納状況によれば、新規発生の滞納総額6155億円にたいして、消費税の滞納額は3633億円に上っている。税の滞納の実に6割近くを消費税が占めているのだ。
なぜこんなことになっているのか。法人税は事業が赤字ならば課税されない。所得税は課税最低限まで課税されない。しかし、消費税は年商1千万以上の事業者であれば、赤字でも課税される。だから滞納が生じやすい。消費税は中小企業や低所得者層により重い負担を強制する悪税だ。
それだけではない。企業が正社員を減らして、派遣や請負に置き換えれば、それらの経費が消費税の控除の対象となり、納税額が少なくなる。つまり、消費税の増税は、企業の非正規雇用化を促進することになるのだ。その一方、輸出還付金などで輸出大企業には恩恵を与えている。
政府は消費税導入と税率の引き上げとセットで法人三税や所得税・住民税を大幅に引き下げてきた。企業、富裕層への優遇策だ。そのため1989年の導入以来、30年間の消費税収の累計は372兆円に上った。一方、法人三税や所得税・住民税の減収額累計は561兆円に上り、消費税収を大きく上回っている。これで財政が健全化したといえるのか。
まさに消費税は日本社会の格差と貧困を拡大してきた元凶だ。このまま消費増税を強行し、法人税減税を続ければ、財政は悪化の一途をたどるの明らかだ。その先に待っているのは、それを口実にした社会保障を削減という悪循環だけだ。
いまこそ「社会保障とは何か」が問いなおされなければならない。それは、「すべての人びとには、生きるに値する人生を全うする権利がある」ということを認めることだ。それを可能にするために、現物か現金かを問わず、基本的に必要な所得をすべての人びとに等しく保障することである。これは「理想論」ではない。社会の責任である。政治の使命とはその責任を果たすことだ。
安倍自民党は「憲法」を前面に押し立てて、選挙戦を進めている。あくまでも来年の改憲を強行するつもりだ。3分の2をわたさず、断固阻止しよう。
韓国への輸出規制
報復措置の即時撤回を
植民地責任に向きあえ
今月1日、日本政府はスマートフォンなどの製造に必要な材料の韓国向け輸出規制を強化すると発表した。電撃的な南北米3者会談がおこなわれた翌日のことである。直前のG20大阪サミットで自ら議長国として取りまとめたばかりの「G20大阪首脳宣言」では、「自由、公平、無差別で透明性があり予測可能な貿易および投資環境を実現し、われわれの市場を開放的に保つように努力する」という文言が盛り込まれていた。それを安倍は平然と踏みにじったのだ。世界中がこの暴挙に驚きを隠せないでいる。
輸出規制の対象はフッ化ポリイミド、レジスト、フッ化水素の3品目。このため韓国の半導体メーカーは代替的な供給元を探すのが難しい。日本は3品目の対韓輸出について優遇扱いを中止し、輸出業者にその都度の許可申請を義務付ける。審査には約90日間を要するという。また日本は、韓国を安全保障上の友好国である「ホワイト国」のリストからもはずす計画で、日本の輸出業者は軍事転用の恐れがある製品の輸出について許可を求める必要が生じる。
なぜこのような輸出規制を発動するのか。日本政府は「韓国の輸出管理に不十分な点があり、不適切な事案が起きた」と説明しているが、その具体的な内容は示されていない。本当の理由は強制動員被害者への賠償問題(元徴用工問題)にたいする報復である。輸出規制強化によって圧力をかけ、韓国の大法院(最高裁)が判決で認めた日本企業への賠償請求を取り下げさせようというのだ。
韓国の主権を否定する重大な内政干渉だ。安倍は3日夜、「報道ステーション」(テレビ朝日系)の党首討論で韓国をさして「向こう側」と呼んだ。この発言に韓国のマスコミは「これは敵対関係にある相手を称する表現である」として問題視している(中央日報)。日本政府は直ちに韓国に対する報復措置を撤回すべきである。
大飯再稼働に緊急抗議
6月26日
関西電力大飯原発のゲートに向けてデモ行進(6月26日 福井県おおい町) |
〈原発うごかすな!実行委員会@関西・福井〉の緊急の呼びかけで、6月26日、関西電力・大飯原発3号機(福井県おおい町)の再稼働に反対する現地緊急行動がおこなわれ65人が参加した。大飯原発のゲート前まで約3キロをデモ。ゲート前では4時間にわたって抗議行動が続いた。関電は午後9時過ぎに再稼働を強行した。
(定点観測)
安倍政権の改憲動向(7月3日〜4日)
参院選で憲法≠問う
7月3日 党首討論。「9条に1項、2項で制約を受けるなかで自衛隊を明記する。自衛隊の存在を憲法に位置づけるのは、防衛の根本だ」(安倍・自民党総裁)、「改憲について議論が十分でない。議論を深める努力が必要だ」(山口・公明党代表)、「与党は憲法審査会を結論ありきで進めようとしている。国民投票法改正案も、与党だけで採決しようとしている。違憲の安保法制を元に戻さないと9条の議論はできない」(枝野・立憲民主党代表)、「しっかり議論しようという立場だ。CM広告規制を入れた改正案を成立させてほしい」(玉木・国民民主党代表)、「国民の5割以上は改憲を望んでいない。憲法審を動かす必要はない」(志位・共産党委員長)、「憲法を変えるのではなく、活かすことだ」(吉川・社民党幹事長)、「憲法審で議論するのは政治家の仕事、参加しない志位氏や枝野氏は無責任きわまりない」(松井・日本維新の会代表)。
7月4日 「国会議員として責任を果たして(憲法を)議論する政党を選ぶのか、責任を果たさず審議をまったくしない政党を選ぶのかの選挙だ」(安倍首相の参院選第一声)。もちろん「議論する政党」とは、憲法解釈を一内閣、首相の独断でひっくり返し集団的自衛権の行使を容認、安保法制を強行したことを「9条に自衛隊を明記」することによって、合憲化しようという「議論」である。国会で質問をすべてはぐらかし議論に応じず、ごまかしてきた安倍首相、それにべったりの山口代表、市長・知事ダブル選で選挙を私物化した松井代表らに、「議論」を言う資格はない。
2面
熊本地裁で歴史的な勝利
6月28日 ハンセン病家族訴訟で判決
熊本地裁はハンセン病家族561人の集団訴訟にたいし、国による家族にたいする差別加害を認め、総計3億7675万円の賠償を命じた。ハンセン病家族にたいする初めての勝利判決に、詰めかけた原告・支持者400人以上は歓声に沸いた。
それ以降、原告・弁護団・支援者の連日の要請行動を受け、政府は7月9日、控訴しないことを表明した。原告側はこれにたいしただちに、安倍首相が直接被害者に面会して謝罪すること、および地裁が請求を棄却した20人を含め、一括一律に被害を回復する制度の創設の協議を始めることを要求した。
苦難の歴史を学ぶ
国の隔離政策は1907年の「癩予防ニ関スル件」の制定に始まり、1931年に全患者を対象にした「癩予防法」(旧法)が制定され、世界で最も過酷な完全隔離政策が進められた。これは戦後、「らい予防法」(新法)に引き継がれ、1996年に新法が廃止されるまで続いた。同時に30年代から戦後60年代まで「無らい県運動」が展開された。皇室(貞明皇后)・内務省が旗を振り、各県単位に「県内から癩をなくそう」を合言葉に、患者収容と患者をしらみつぶしに探す運動が全国展開され、国民を総動員したのである。 2001年5月熊本地裁はハンセン病患者・元患者にたいする国の隔離政策を違憲とし、国に約18億2千万円の賠償を命令した。当時の小泉首相は控訴を断念し、国として謝罪した。その後創設された補償の対象は本人だけで、家族は含まれなかった。今回の訴訟は2016年2月に元患者の家族59人が熊本地裁に提訴したことに始まる、翌月の3月には家族500人以上が追加提訴して今回の歴史的勝訴に至った。
原告の状況と構成
原告は20歳代から90歳代の人まで、住居は北海道から沖縄県に及ぶ。実名を名のって提訴した原告が数人しかおらず、原告となったことによって離婚された人もいる。この中に、今も続く家族の置かれた苛酷な状況を見ることができる。原告団長の林力さん(94)は13歳の時、父が収容され、その後家族にも隠して名字まで変えた。副団長の黄光男さん(63)は幼いころ両親が療養所に入り、家族関係を奪われて育った。赤塚興一さん(81)は奄美在住、28年間旧名瀬市議を務めたが、3歳の時、父が発病し収容される。1990年に父が亡くなった後も2001年まで周辺にも父のことは一切明らかにできなかったという。
このように原告・家族が体験したことはまさに「人生被害」というべきものであったことを、裁判所も認めざるを得なかった。
国の責任を徹底追及
原告団の命がけの意見陳述によって、判決は国の責任を徹底追及している。厚生相(厚労相)は、遅くとも1960年で隔離政策を止め、家族への偏見・差別を取り除く義務があった。ハンセン病はもともと感染力が弱く、戦後は特効薬により、原因菌は完全除去することが可能になった。それにもかかわらず、1996年らい予防法廃止以降も長年の被害放置を受けて差別除去への強い義務があったとした。国会議員は、国会で家族が差別を受けていることが議題になり、その後も数次に及ぶ国際会議での家族への差別の解消の提案がなされ、陳情まで行われている中で、1965年から1996年までの期間にわたる立法不作為の責任が認定された。判決はこの両機関の責任追及にとどまらず、法務大臣・法務省が、偏見差別除去のための人権啓発活動を実施する義務を果たしていないこと、文部大臣(文科相)は、正しい知識の教育、家族に対する偏見差別の是正を含む人権啓発教育の義務を怠ったと認定した。
家族にも「人生被害」
家族の被害を巡って、国は「隔離政策は家族を対象としておらず、差別や偏見を除去する義務は負わない」と主張した。そして「家族も加害者」論というべき暴論を展開した。それにたいし今回の判決は、「ハンセン病隔離政策等により、ハンセン病患者(元患者を含む。以下同じ)の家族が大多数の国民による差別偏見を受ける一種の社会構造を形成し」た(判決要旨)と断じた。そしてさらに具体的に、家族の被害の内容を次のように明らかにした。
それは、@社会生活の喪失、A教育からの排除、B結婚差別、C就労拒否、D人生の選択肢の制限、E家族関係の形成疎外、などである。
そして、「憲法が認める人格権(第13条)や婚姻の自由(第24条1項)を侵害した」として違憲判断にまで踏み込んだ。
画期的な消滅時効判断
被告である国側は、家族に差別被害はないと主張したうえに、国に不法行為があったとしても、隔離政策の廃止やその後の元患者への救済決定から3年以上過ぎ、すでに時効が成立していると主張した。それにたいして判決は、2015年9月9日に、原告家族が代理人弁護士から、指摘を受ける以前には、「被告が加害者であること及び被告の加害行為が不法行為を構成すると認識することは困難であった」として、消滅時効の起算点を2015年のこの日に置いた(原告であるすべての家族が提訴の日である2016年3月までは3年は経っていない)。
さらに、具体的な差別体験がない人に関しても、差別されることの認識に伴う「心理的負担」や「恐怖」から「共通の権利侵害が認められる」と判示している。ハンセン病と同じく優生思想に基づく国による人権侵害である強制不妊に対して、仙台地裁は5月28日、旧優生保護法を違憲と判断しながら、除斥期間を理由に国の賠償責任を認めなかった。これにたいし、ハンセン病家族訴訟の熊本地裁判決は、家族、被害者の具体的救済に道を開いた点で重要な意義を有している。
しかしこの判決は、原告のうち20人については、2002年以降に被害が明らかになったなどとして、賠償を認めなかった。個々人への賠償額も33万円から143万円と、全体として不当に少ない。しかも、「被害の程度」を査定し、相当の区別をつけている。不当極まりない。
われわれは、元患者・家族・弁護団のたたかいに学び、支持し、連帯してたたかう決意を固めよう。
関生弾圧弁護士声明
共謀罪のリハーサル
ストライキしたら逮捕
6月15日、全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部弾圧に抗議する全国弁護士共同アピールが発表されました。全文を掲載します。
労働組合または労働組合員が行なうストライキやビラまきなどは、正当な組合活動として、憲法28条とそれを確認し明文化した労働組合法1 条2 項(刑事免責)、8条(民事免責)で保障された労働者の権利です。
ところが、そうした活動が今、「威力業務妨害」「恐喝未遂」とされ、刑事弾圧が繰り返されています。大手ゼネコンに対抗して中小生コン事業の安定を求めて産別労働組合として行動してきた全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部に対して、滋賀県警察本部、大阪府警察本部による近年まれにみる大掛かりな刑事弾圧が加えられているのです。
2018年8月から現在までに恐喝未遂、威力業務妨害などの事件で逮捕された組合員はのべ67人に達しており、そのうち42人が大津地裁、大阪地裁に起訴されています。主な組合役員らについては逮捕、再逮捕が繰り返され、弁護士以外との接見が禁止されたまま、勾留期間は既に10か月に及んでいます。
しかも、警察や検察は更なる逮捕、追起訴を予告しており、弾圧が終息する見込みは立っていません。
一連の弾圧は、労働組合をあたかも犯罪集団と同視するかのような偏見に満ちたものであり、労働基本権保障の核心たる刑事免責への重大な挑戦です。しかも担当弁護団の報告によれば、今回の弾圧においては、スマートフォンのデータを押収して共謀を問題として逮捕するなど共謀罪の捜査手法を確立することが意識されているとのことです。
こうした弾圧手法は許されません。憲法、労働組合法の遵守、および刑事捜査の濫用を止めることを求めます。
【よびかけ人】(23人)
【賛同人】(106人)2019年6月15日現在
3面
講演 辺野古新基地は頓挫する(上)北上田 毅さん
無計画な工事、展望はない
辺野古新基地建設に対する、北上田毅さんのお話を聴いた(6月、兵庫県弁護士9条の会/神戸市内)。北上田さんは土木技術者として京都で働いた後、08年に家族で沖縄に移住し、高江・辺野古の基地建設反対運動に参加。情報公開制度を利用し18年に、大浦湾の軟弱地盤を発見、究明した。抗議船の船長も務める。概要を投稿する。
『辺野古新基地は頓挫する』という講演だったが、前半は「昨年12月から土砂投入という新しい段階に入った。楽観はできないが、政府やマスコミがいうように順調に進捗しているわけではない。あきらめない、県民の圧倒的民意、そして工事の無計画さ、展望の無さ」を明らかにした。後半は、軟弱地盤が困難どころか無展望な条件として立ちはだかっている。そして「費用、工期、普天間の危険性の除去という口実、海兵隊駐留理由の疑問と不存在」などに及んだ。いまの安倍政権の「やりたい放題。結果は誰も知らない。責任もとらない」に共通する。その最たるものだということだった。
『世界』7月号の北上田さんの論考、山城博治さんとの共著『辺野古に基地はつくれない』(岩波ブックレット)も参照されたい。以下、北上田さんの講演要旨。(た)
12年前に移住し運動に参加したが、私が沖縄の人たちの思い、苦しみ、悲しみを代弁できるわけではない。37年間、土木技術者として働いてきた。18年に情報公開制度を利用し、工事資料をとり寄せ検討して「工事は頓挫する」とわかった。もちろん自動的にではない。県民の民意、知事の毅然とした対応、さまざま状況の上に技術的困難と破綻がある。
沖縄県民の民意は昨年の知事選、2月県民投票、4月衆院補選と圧倒的に示された。はっきりした。一方で政府は、かたくなに工事を強行する。昨年12月からの土砂投入、N4、K8護岸を造成し、3月末から辺野古の「広い区域」に土砂投入を始めた。4月には県の埋立承認撤回処分を不服とした案件も、国交相、防衛局が右手で出し左手で受けとるようなものだが、撤回をとり消した。仲井真・元知事による埋立承認から5年、遅れてはいるが新しい局面に入ったことは間違いない。工事にひた走っている。マスコミも「工事加速か」などという見出しで、あきらめを誘う。
しかし、実際には工事は遅々として進んでいない。当初の計画は、辺野古ダム周辺の山30ヘクタールからベルトコンベアで土砂を搬出、大浦湾のK9護岸側の浅いところから始め、深い海域を埋めるというもの。これが、沖縄県が「承認」した計画だった。K9を護岸ではなく陸揚げ岸壁に使用している。工程変更なら、公有水面埋立法により設計変更計画を県に申請、知事の承認を受けなければならない。工事にフリーハンドは与えられていない。埋立承認には留意事項が付けられ、工事変更の場合は環境保全など県と協議しなければならない。県は行政指導を繰り返しているが国は、すべて無視している。
K9護岸から土砂を揚げているが、追いつかない。新たにK8を加え2カ所になり、「2倍になるのでは」というマスコミ報道もあった。そうでもない。辺野古側は浅瀬が多く、干潮時には台船が着けられない。辺野古側の埋立には2100万立米の土砂が必要な上、面積は全体の約4分の1。3月と5月にドローン撮影した。そんなに広がってはいない。もちろん、やはり少しづつでも進捗するが。もう一つ大きな問題は護岸によって潮流が止まり、サンゴなど生態系に大きな影響を与えること。
政府、岩屋防衛相も「普天間の危険性除去のため、一刻も早く辺野古の完成が必要。できるところからやっていく」と述べる。昨年12月から辺野古側に土砂を投入しながら、6カ月でこれだけ。防衛局にとってかなり深刻な事態である。ほんらいは陸揚げ岸壁をつくり、県外からの土砂も搬入し投入する予定。それをK8、K9で代用しているから遅れるのは当たり前。さらに大浦湾側のケーソン護岸は軟弱地盤のため、まったく予定が立っていない。設計変更申請をしていないツケもある。辺野古新基地建設の帰趨は大浦湾の埋立いかんによる。
採石場の入口で女性たちがダンプの前に立ちはだかって阻止しようとする。そうすると、ゆっくりダンプを動かす。一つ間違えば大変なことになる。名護市の西側の砕石、土砂の積み出し港でも週1回はカヌーを出し、船のアンカーに結び付けて抗議している。海保はナイフを持ち出してロープを切ろうとしますね。
軟弱地盤の問題が明らかになり、知事が設計変更を承認しない限り工事は頓挫する。だから、県民の民意が示されれば示されるほど政府はかたくなに工事を強行し、何とか「あきらめ」に追い込もうとしている。それが、政府にとって唯一の方法になっている。現状は、そのようにまとめられると思う。(つづく)
選挙に行って政治変えよう
6日 戦争あかん! ロックアクション
参院選挙公示直後の7月6日夕方、「戦争あかん! ロックアクション」が大阪市内で開催された(写真)。
集会は、こかく壮八・共同代表の主催者あいさつで始まった。彼は『新聞記者』という今話題の映画について、プロデューサーのやり方がすごいと話した。映画の公開が6月28日という参院選直前であることや内閣情報調査室にかなり焦点を当てて描いていること、主役に人気俳優を配し、自民党の人や若い人に見てもらうことを念頭に置いて映画を作っている。私たちの運動のあり方も考えなければならないと話した。
続いて「G20大阪NO! アクション」の報告が同実行委員会から。6月23日と28日にデモをした。成果は2つ。一つは世界の運動と繋がりながら日本での運動を作りなおすことを確認できたこと、もう一つは(私たちとは別の)「市民サミット」と課題的に連携して、運動を作りなおす手がかりを得たことだと語った。
次に年金に詳しい方が、年金問題について。年金は年を取ったり障がい者になったりして、働けなくなったときに食べていけるように出るもの。これは憲法25条の生存権に基づいて政府が絶対にしなくてはいけないこと。財源は関係ない。政治の力で何とでもなると熱く語った。
続いて「戦争法」違憲訴訟の会の事務局から裁判の進行状況と9月9日結審についての報告があった。
さらに〈わたしたちの内なる優生思想を考える会〉古井正代さんが発言。古井さんは強制不妊訴訟の判決が出る前に、国が強制不妊救済法を制定し一時金320万円を支払うとしたのは差別だと憤った。普通は交通事故などで生殖機能が損傷すると最低でも1000万円。それに事情を考慮して上乗せすると二千万、三千万円になる。今回、一時金で終わらせようというのは「障がい者は早く死ね」ということ。国が作った法律で生殖機能を取られたのだから一生補償し続けなければならない。救済ではなく謝罪をと訴えた。
その後、音楽をはさんで各集会の案内があり、御堂筋デモに出発。「選挙に行こう、政治を変えよう」と沿道の人々に訴えた。(池内慶子)
生かそう憲法 市民の力で
中山千夏さんと松平要さんが語る
第4回「止めよう戦争の道。生かそう平和憲法!」が7日東大阪市で開かれ、160人の参加で大成功した。
松平要さん(右)と中山千夏さん(左)が対談(7日 東大阪市) |
中山千夏さんが講演
中山千夏さんは、幼稚園から小学校まで東大阪の布施に住んでいた。布施には公設市場や映画館があり、よく遊んだ同級生の兄の子が歌手のツンクだということを後で知った。選挙のときはペコペコ頭を下げるが、国会に入ったとたんにふんぞり返るのが日本の国会議員。国会の中は本当にひどい差別社会だとも指摘した。さらに国と軍隊の関係について軍隊は国民を守らない、そんな国や軍隊のある社会を変えなければならないと指摘した。 千夏さんとの対談で東大阪市議の松平要さんは「自治体の主人公は住民そのもの。市職員はそれを忘れている。沖縄が典型だが、住民自治がないがしろにされている今、この国の自治を取りもどすことが必要だ」と訴えた。また「小さな声を聴く力」という政党もあるが、沖縄のあんな大きな声が聞こえないのだろうか。「大阪の成長を止めるな」という政党もあるが、「大阪の成長」などどこにあるのかと辛口の批判。
各団体が発言
東大阪国保と健康を守る会(国健会)は「必要な医療や介護を求め、さまざまな生活要求を実現するための組織」である。松平さんは「芸人9条の会」、「8・6ヒロシマ行動」をはじめ反戦・反核の取り組みにも参加している。「困った人をひとりにしない」のがモットーの国健会にとって松平市議はなくてはならない存在だ。国健会は前回の選挙以上に取り組みを強め、「すべての人々が、人間としての尊厳を保障され、安心して生きていける社会をつくりあげる」ために力を合わせようと提起した。
「公立保育所をなくさんといて」という運動をしている4人の子どもを持つ父親のAさんは「市との交渉では、市を罵倒せず、対話とコミュニケーションできる人が必要だ」と指摘する。昨年の公立保育所廃止の動きに対し3カ月で7万筆の署名が集まり、これを背景に市と交渉し、撤回させることはできなかったが、見送ることを市に約束させた。また、友井保育所廃止の動きにもすぐ2万6千筆が集まった。松平市議が質問し、副市長が答弁して「もう一度スタートラインに戻す」という回答を勝ち取った。
部落解放同盟全国連荒本支部は、参院比例区で維新から立候補予定だった元フジテレビアナウンサー・長谷川豊の差別発言に6月3日、糾弾状を叩きつけたと報告。東大阪で教育を考える会は、教科書をめぐるたたかいは平和と人権を回復し本当の地方自治を回復することだと提起した。
4面
4回連載 マルクス革命論をあらためて学ぶ 三船 二郎
第三章 アソシエーション批判 (最終回)
アソシエ論の致命的欠陥
「潜在」しているものを「顕在化」させるのがアソシエ論とのことであるが(『未来』261号)、しかしアソシエ論は賃金奴隷たる労働者を対象化するときその観念性が白日の下に明らかになる。賃金奴隷からの労働者の解放は「顕在化」などの抽象的な概念操作では解放されない。労働者の資本家に対する生死をかけた階級闘争、しかもその勝利によってしか労働者は賃金奴隷から自己を解放することはできない。これは唯物論的事実である。
賃金奴隷たる労働者が生産するものは自分を搾取する資本である(『賃労働と資本』国民文庫50p)。したがって労働者は労働すればするほど資本を強大にするのである。われわれはこれをしっかりみすえなければならない。資本は賃金奴隷たる労働者が存在することが絶対条件なのである。だから労働者の賃金奴隷からの解放を資本は絶対認めないのである。認めた途端、資本は資本として存在できなくなるからである。ここに労働者と資本家との階級闘争が妥協を許さない生死をかけた闘いとなる根拠がある。だから資本は、パリコミューンがそうだったように労働者の賃金奴隷からの解放を撲滅するためであれば、労働者を血の海に沈め、どんな殺りくでもおこなうのである。
請戸論文(『未来』263号)は「階級闘争激化論」には「無理」があると主張している。では、パリコミューンで自ら血を流してブルジョアジーとの階級闘争を闘っているプロレタリアートに「階級闘争」を「激化」することには「無理」があるとよびかけるのだろうか。
アソシエ論の誤りは、パリコミューンがそうだったように労働者の賃金奴隷からの解放が資本家階級との生死をかけた階級闘争とその勝利によってしか実現しないことを塗り隠し、階級闘争抜きで共産主義が可能であるかのようによそおうことにある。同じことだが、労働者の賃金奴隷からの解放こそが資本家階級をも解放することを塗り隠すものなのである。
資本主義の下ではアソシエーションはあり得ない
請戸論文は「社会革命は、〈国家権力の転換を画する政治革命があって、しかる後に始まる〉のではない」(『未来』261号)と主張しているが、マルクスはプロレタリア革命なしにはアソシエーションはあり得ないことについて以下のようにきっぱりと述べている。
「交換価値、貨幣の基礎のうえで、アソシエイトした諸個人による自分たちの全生産の制御を前提することほど誤った、ばかげた(ママ)ことはない」(マルクス『経済学批判要綱』MEGAU/1・1・S91)
「交換価値」とは商品と商品が交換される割合のことをいい、「貨幣」とは商品生産の結果、生成される貨幣商品をいうのだから、「交換価値、貨幣の基礎のうえ」とは商品生産を前提とした社会、つまり資本主義社会を指している。
商品生産を前提するということは、労働者が賃金奴隷となっていることを意味する。賃金奴隷たる労働者に着目すれば、マルクスは、労働者が賃金奴隷となっているところでは共産主義、つまりアソシエーションなどあり得ないといっているのである。つまり、上記のマルクスの指摘は請戸論文の見解を根底から否定しているのである。
共産主義とアソシエーションの関係
前述のとおり、マルクスによれば商品生産の基礎、つまり労働者が賃金奴隷のままではアソシエーションは成立しないのだから、アソシエーションと共産主義は同義である。
共産主義とは簡単にいえば賃金奴隷から自己を解放し「労働の本質」である「人間と自然とのあいだの物質代謝」を人間的なものにすることであり、そうすることによって人間が自分の本史をつくりだすことである。だから共産主義は「エネルギッシュな原理」(『経済学・哲学草稿』)となり、自己を解放した人間がつくりだす共産主義は敢えていえば、アソシエーションというドイツ語の制約すら超えていくのである。
したがって、アソシエーション等のドイツ語の意味をいくら分析してもそれは現象論にすぎない。本質はマルクスが指摘するところの人間の類としての解放なのである。それをマルクスはドイツ語でアソシエーションという用語を使って表現しただけなのである。
全世界で人間の類としての解放が実現されれば、人間は全世界で、ドイツ語だけでなく、例えばペルシャ人はペルシャ語で、アラビア人はアラビア語などで共産主義を表現するだけなのである。
協同組合を価値論のレベルから考える
次に協同組合を価値論のレベルで考えてみる。
協同組合は大きくいって生産協同組合と消費協同組合がある。生産協同組合も消費協同組合も価値論の視点からいえば同じであるが、わかりやすくするために生産協同組合について考える。
(1)生産協同組合は商品を生産する
これは当たり前のことだが、重要なことである。商品を生産するということは商品交換を前提にしているということである。前述したマルクスの指摘からいえば、協同組合は「交換価値、貨幣の基礎のうえ」で商品を生産するのだから、協同組合が商品を生産するかぎり、それはどこまでいってもアソシエーションにはなりえないのである。
(2)自給自足社会について
マルクスは『資本論』で、使用価値をつくるが商品はつくらない人たちもいるとし、それは自給自足社会であるとしている。
「自分の生産物によって自分自身の欲望を満足させる人は、使用価値はつくるが、商品はつくらない。商品を生産するためには、彼は使用価値を生産するだけではなく、他人のための使用価値、社会的使用価値を生産しなければならない」(『資本論』第1巻第1分冊82p)(下線は筆者)。
つまり、協同組合を自給自足社会と規定するなら別だが、そうではない以上、価値論からいえば協同組合が商品を生産するかぎり、どこまでいってもアソシエーションにはなりえないのである。
請戸論文は『未来』267号で協同組合を〈アソシエーションの萌芽〉としているが、協同組合が生産するものが商品であるかぎり、それはどこまでいってもアソシエーションなどにはなり得ない。したがって、これを〈アソシエーションの萌芽〉というのは賃金奴隷としての労働者の解放を措定しないという点で過大評価であり観念論の極みである。
(3) マルクスの指摘
マルクスは1864年に国際労働者協会(第一インターナショナル)創立宣言を起草してから3年後の1867年2月、『個々の問題についての暫定中央評議会代議員への指示』(全集16巻194p)を作成し、その第5項目で「協同組合労働」について触れている。
この中でマルクスは概略、労働者が資本による激しい搾取と貧困の中で生きていくためには協同組合や労働組合は必要不可欠であり大切であるが、それだけでは致命的に足りないこと、つまり、「国家権力」を「資本家と地主の手から生産者自身の手に移す」ことが必要不可欠であり、それ「以外の方法では、けっして実現することができない」として「国家権力」をその手に握る必要性をプロレタリアートにくりかえし説得していたのである。
なぜか。マルクスは、協同組合はどこまでいっても協同組合でしかないことを痛いほど自覚していたからである。
(4) 第一インターナショナルの見解
翌1868年9月、国際労働者協会(第一インターナショナル)第三回大会が開かれたが、協同組合をあたかもすべての「社会的問題を解決する」かのように高く持ち上げるプルードン主義者やラッサール派との激しい論争となった。しかし、第三回大会は以下のように決定した。
「協同組合そのものは、本来現存制度の条件のもとでは、労働者階級を解放する手段とはなりえないことを強調したが、協同組合運動への参加は有益だと認められた」(『第一インターナショナル史』169p国際労働者協会第三回大会。公式記録)。
このように協同組合をめぐる議論は、第一インターナショナル第三回大会でマルクスを含めてすでに決着がついているのである。にもかかわらず、プロ独否定論者たちが今、協同組合を持ちだすのは、プロ独に代わる流血や暴力を伴わないものとしては、これしか思いつかないからである。請戸論文はプロ独を否定するだけでなく、協同組合が「労働者階級を解放する手段とはなりえない」のに、あたかもなりえるかのように主張するという点で観念論そのものである。
「労働する諸個人」批判
請戸論文は『未来』261号でアソシエーションは「労働する諸個人」で構成される≠ニ主張している。
では「労働できない人たち」、たとえば「障がい者」はどうなるのかという疑問が出てくる。
いうまでもなく「労働」の本質は「労働者自身の生命活動」(『賃労働と資本』国民文庫30p)であり、労働者の「生命の発現」(同31p)なのである。賃金奴隷制を基礎とした資本主義社会では人間労働は「価値」という歪んだ形をとるが、賃金奴隷から自己を解放した共産主義社会においては元の人間の「生命の発現」に戻るのであり、「人間と自然とのあいだの物質代謝」はそのとき初めて人間的なものになるのである。
「障がい者」は資本主義においてもそれ以前においても、「利潤を生まないよけいな存在」として殺され差別されてきたのだ。人間の「生命の発現」に「障がい」を理由とする差別などあり得るはずがない。いわゆる「労働」できるかどうかは共産主義においては一切関係ないのだ。
「障がい」の有無に関わらず、マルクス革命論はそのすべてを人間という共通性においてその全体を解放するのである。これが人間的共産主義であり、そのためのプロ独なのだ。
「障がい者」という差別的概念は共産主義社会においては廃絶させなければならないのだ。これは優生思想、差別主義から決別したプロレタリアートによる階級的独裁によって初めて実現できるのである。
したがって、アソシエーションは「労働する諸個人」で構成される≠ニいう主張は「障がい者」が殺され差別されてきた歴史を全く措定していないという意味で観念論であり根本的に間違っている。
結語
今、理論に求められているのは机上の空論ではない。階級の中に分け入る意志と実践としての理論なのである。私はさらに階級の中に入り、階級政党をつくるために多くの人たちとともに努力していきたい。(おわり)
5面
問われる日本の労働組合
日韓民主労働者連帯 中村猛さんに聞く
「日韓民主労働者連帯」の中村猛さんが、6月中旬に韓国を訪問し、民主労総全北本部のみなさんとの交流をもった。そのときのお話をうかがった。(文責、見出しとも本紙編集委員会)
全教組CM
6月訪韓の日韓交流の場で、スピーチをする機会がありました。通訳も含めて、2分半ぐらいと、与えられた時間は短かったので、こんな話をしました。
全教組(全国教職員労働組合)のラジオCMの話です。全教組が、お金を出してCM枠を買って自分たちの運動について広報しているのです。その内容が素晴らしい。
真の教育とは
カナダの学校での話です。
教室には、白人系の生徒も、先住民の生徒もいます。
先生が、「今日は、ちょっと難しい試験をします」と言います。
すると、白人系の生徒たちは、机の上を片付けて、かばんにしまって、一人ひとり、黙って、緊張した面持ちで、試験開始を待ちます。普通、そうですよね。
ところが、先住民の生徒たちは、一斉に席を立って、輪になって、「さあ来い」みたいに構えているのです。
先生は、「あなたたち! なにやっているの?」と。
すると、先住民の生徒が言いました。「今日の試験は難しいんでしょ。難しい問題に直面したときは、みんなで知恵を出し合って、議論して答えを見つけるんです。私たちは、小さいときからそういう風に教えられてきました」。
これが真の教育ですよ―という趣旨で、全教組がCMを流しているんですよ。
協同の力
僕は、このCMを何度も聞いて、空で言えるぐらいになりました。
個人同士が競争していて、その競争に勝ち抜ける能力を付けよというのが、資本主義社会の要請でしょう。それにたいして、先住民の人びとが示しているあり方こそ、真の教育の姿だということです。
難しい問題を解決する最高の知恵は、優れた個人の知恵ではなく、民衆の話し合いの中から出てきた知恵なんだということですね。必要なのは、競争に勝ち抜く力ではなく、知恵を出し合い、力を出し合って協同する力ということです。競争とか個人といった価値観に対して、真っ向から別の価値観を提示していると思います。
全教組は、競争とか、有名大学を目指すとかではなく、みんなで知恵を出し合って、一人ひとりが生かされる、そういう教育を目指している、ということですね。
僕は、こういう全教組の理念について、機会あるごとに、日本で紹介しているという話を、日韓交流の場で話したところ、会場から拍手をいただきました。
労働組合と市民運動
こういう理念で運動をしている全教組だからこそ、法外労組問題(注1)にたいして、「法外労組化をやめなさい」という市民運動が出てきているわけです。「こういう素晴らしい理念を掲げる労働組合を何で認めないのか」、という市民社会の声が沸き起こってきている。地域住民や親たちの運動ですよ。
韓国の場合、日本と違うところは、労働問題が起ると、市民を巻き込んだ運動が起こってくるところですね。それは、やはり労働組合が、利己主義ではなく、労働者全体が働きやすい世の中にするんだ、市民全体が生活しやすい社会にするんだ、そのために職場でこの闘いをやっていますよ、ということを前面に掲げて運動をしているからでしょう。
全教組のCMも、その一端なんだと思います。
翻って、日本の教育労働運動に限らず、日本の労働組合運動は、どうだったのかということを考えざるを得ませんね。
訪韓と関生弾圧
韓国訪問は、いつも課題別交流をして、日韓労働者共同宣言文を出して、それを記者会見で、いろいろなところにアピールするということをしてきました。今回もそのつもりだったけど、訪韓団が組織できませんでした。
参加したのは、結局、僕と兵庫県職2人の計3人。
韓国側でも、「これで、労働者共同宣言文とはいいにくいかな」ということで、11月にもう一回、再挑戦することになりました。11月に、東アジア情勢も含めて、労働者として、事態をどう見るのか、どう対応すべきか、という共同宣言を出しましょうということにしたんですけどね。
ボディーブロー
訪問団を作れなかった最大の原因は、関生(全日建関西地区生コン支部)弾圧ですよ。いつも関生から2人、本部から1人、全港湾も何人とかで、だいたい7、8人の訪問団を出すんだけど、今回は3人。
とういうことは、関生弾圧が完全にボディーブローとして、大阪の労働運動の足腰を弱めているんですね。
今度の8月15日、韓国の解放節に毎年、バスを出してフェリーで釜山に行って、ずっと走って、8月15日にソウルへという訪問団を出していたのですが、今年は出せなくなりました。これも、事務局がパクられているから。
そうすると、全港湾と全日建が関西の労働運動をけん引してきたという自負心もあり、現実にそうなんですが、それに対する弾圧がボディーブローとして効いてきて、日本労働運動全体の足腰が弱っていきかねない。
だから、前にも話しましたが、金を集める形の支援とか、そういうことを考えたいと思っているのですが、「それをやると、また弾圧が激しくなるのではないか」という心配する意見もあります。
でも、そんなことを言いだしたらひたすら萎縮するしかないですよ。
支援
韓国で関生弾圧の話をすると、みんな応援です。
そして、「なんで日本の労働組合は関生を孤立させているのか?」という質問・批判です。今回の訪韓で、一番たくさん出た質問はこれですよ。関生を支援しきれていない、日本の運動が批判されるわけです。
結局、今回、全北では、日本大使館に抗議をするなり、韓国でも生コン労働者のたたかいを支援する形で、間接的に日本の労働組合を支援するという話にひとまずなりましたが。 弾圧を受けている当該の頑張りはもう、これ以上、何を要求するのかということです。いま必死に堪えているわけでしょ。それにたいして支援陣形がどうするのか。
このままでは、歴史のエピソードになりかねない。むかし国労はすごかったとか、東芝労組はすごかったとか。
外の人、若い人に、この弾圧の意味とか、関生の労働組合運動の大きな意味とかが伝わる言葉にできていないよね。いろいろ本とかでているけど、読まれていないよね。
30年
もうすぐ民主労総ができて30年、アジアスワニー支援が今年で30年、僕が韓国に行きだして30年ですね、いま、全北本部創立30年の記念誌をつくろうとしています。
そういう企画で、労働組合だけでなく、全北大学の先生とか、そういう外部の人間も入れて、歴史編纂委員会みたいのをつくっています。
この辺が違う。自分たちだけでまとめてしまうのではなく、ちゃんと外部の人間に頼んで、歴史を客観的に見て、評価してもらおうとしています。
その一環として僕も3時間のインタビュー。
外部の目を入れながら、自分たちの歴史を総括する。こういう思考回路ですよ。
そして、それに応じる周りの人びとがいるわけです。
それだけでパワーが違うと感じます。(了)
(注1)2013年10月、朴槿恵政権下の雇用労働部が、「解雇教員を組合員として認める規約を改正しなかった」として、全教組に対して「法外労組」通告を行い、1997年の合法化から一転、非合法化した。文在寅政権になっても続いている。
ポーランド紀行2019(最終回)
アウシュヴィッツへ、そしてローザ
平 和好
アウシュヴィッツ・ビルケナウ絶滅収容所がポーランド最南端のへき地にある理由を考えると、未検証ながら試論が提出できる。絶滅収容所に何日も立ったままスシ詰めで貨車輸送されたのはユダヤ人だけではない。最初に精神障がい者、やがてソ連人捕虜、ロマ、レジスタンスなどが広範囲から送り込まれたのだ。だから諸国に囲まれたポーランドのこの地が選ばれたのだろう。しかもドイツ人とヨーロッパ人の目に触れない超へき地に作る必要があったはずだ。
膨大で画一的な建物群や設備を実際に見て「自動絶滅装置」のち密さに驚く。鉄条網は2重に高圧電流付きで設置、皆が通る位置に見せしめの集団絞首台、ガス室で殺した後はレールトロッコで平行移動焼却。収容者名簿は氏名・年齢・職業・収容と死亡の年月日・収容番号が写真付きで整備されていた。
ワルシャワ蜂起が1944年にあった。ワルシャワ・ゲットーで生命の危機に立ったポーランド人・ユダヤ人が数万人決起した市街戦だ。圧倒的な武力のドイツ軍に根こそぎ鎮圧された。記念館では「ソ連が助けてくれなかった」という説明に重点が置かれていたが、それはおかしい。ソ連はモスクワまで占領されかねない状況をようやくはね返したところで疲弊しきっていたし、伝統的に反共のポーランドが積極的に連携を求めた様子はうかがえない。反共だから米英に援助を求めるのが自然だが、そういう外交戦も成功していない。またユダヤ人への民族排外はきつく、命がけで決起したユダヤ人と、はすに構えるポーランド軍残存部隊の連携は十分でなかった。ソ連軍との共同作戦や信頼と血盟と思想で結ばれた「抗日連軍」ならぬ「抗ナチ連軍」が作れていない。ユダヤ人の資金で武器商人から買い付けるのがせいぜいであり、それも期待はずれの旧式小火器しか売ってもらえず、シュマイザー自動小銃・大砲・戦車で圧倒するナチスドイツとの戦力差は当初から明らかだろう。最精鋭を本国から送り込んだドイツ軍将兵が蜂起鎮圧後に撮った写真は完全に余裕の表情で「わはは、殲滅してやったぞ」の笑顔なのだ。なお、博物館のレストランはワインも出している。パレスチナ人の絶滅を企図しているとしか思えないシオニスト・イスラエル産で、がっかり!
滅入りそうになる気持ちで観覧していると、たった一つ輝く空間に遭遇した。歴史博物館の一角にあるローザ・ルクセンブルクの肖像と説明板を同行の大先輩が発見した。ちゃんと「顕彰」しているし、現地ガイドとレストラン従業員の皆さんに聞くといずれも「知っています」。高校生の時から敬愛してきたローザ様の写真とお花をワルシャワの小さな公園にそっとお供えしてきた。「100年ぶりに帰ってきたワルシャワですよ」。なおローザは決して過激なアジテーターではなく、経済民主化、社民党政権は戦争予算に賛成するな、女性と民族の解放! という基本政策を簡潔に主張した。これは現代に通じるが、だからこそ支配勢力が「生かしておくな」と民兵に命令したと考える。
有意義な旅行に誘っていただいた大先輩に感謝!(おわり)
6面
現代の独占者、GAFA
―アマゾン搾取倉庫 (下)
請戸 耕市
プラットフォーマー
(上)でアマゾンの労働現場を見た。(下)では、現代の独占、技術と労働、労働運動の3面からGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)を見たい。
GAFAをプラットフォーマーという。駅のホームと同義だが、商品やサービスを集めて取引する場、そのシステム、それによる市場の独占を指す。
プラットフォーマーは、検索や交流のサイト、ネット販売などを運営し、それを通して膨大なデータを収集・蓄積している。
ポイントはこのビッグデータ。スマートフォンやパソコンを通して飛び交う、商品購入のワンクリック、共感の「いいね!」、他愛もないチャットなどの諸情報。この膨大かつ多様で複雑な諸個人のデータは、従来、収集・蓄積も解析も困難だったが、ICT(情報通信技術)が進歩し、AI(人工知能)を駆使したアルゴリズム(データ解析のプログラム)によってこのビッグデータを解析、そこからビジネス戦略を編み出し、新たな製品やサービスの開発をおこなっている。そして個々の嗜好に狙いを定めた広告を表示、利用者を購買に誘導している。
このデータは、利用者が無自覚的に提供している諸情報で、個別的かつ社会的なものだが、それをプラットフォーマーは私的に独占している。
データの独占者は市場において圧倒的に優位であり、大多数の非独占者は全く太刀打ちできない。
つまり、世界中の端末からの収集したビッグデータの独占によって、巨額な独占利潤(注1)を獲得しているのである。
バリューチェーン
いま一つ、大きな利益の源泉がある。
GAFAは、急成長を見込めるスタートアップ企業(新機軸の技術・商品・サービスを開発する企業)を、M&Aによってどんどん吸収している。そういう企業は無数にあり消長著しいが、成功すれば新市場が開拓される。そうすれば、巨額の特別剰余価値(注2)がもたらされる。それを狙って、GAFAはスタートアップ企業を物色している。
バリューチェーンとは、企業活動を機能単位に分割して、コストやリスクの観点から集中と選択を図ること。上で見たように、データ独占による独占利潤や新市場開拓による特別剰余価値の獲得に血道をあげるGAFAにとって、データの収集・解析と、それにもとづく企画・開発・設計の機能こそがコアビジネスになる。GAFAはここに注力する。
逆に製造や物流の機能は、利益が薄く、コストがかかる。だから、例えば、アップルは、製造を、中国、台湾、韓国、日本などにオフショアリング(海外への業務委託)している。その製造現場といえば、アイフォーンを製造する中国フォックスコンでは、長時間かつ単調な労働と厳しい管理のために自殺者が相次いだのが現実だ。物流では、本稿(上)のアマゾン倉庫作業のように、グローバル化による東欧の貧困をテコとした移民労働者の使い捨てだ。
納税ゼロ
GAFAは巨利を上げながら、課税を逃れている。アマゾンの米連邦税の納税額はこの2年間、連続ゼロ。タックスヘイブンの子会社に多額の資金を置いているからだ。アップル、グーグル、フェイスブックはアイルランド、アマゾンはルクセンブルグといった具合だ。
旧来の独占(生産と市場の支配)は、石油メジャーや自動車産業のように、有形固定資本が巨大で、設備や拠点を多国籍に展開し、その支配と強制の力で巨大な利益をあげてきた。
それにたいして、新たな独占=GAFAは、設備や拠点をほとんど持たない。代わりにAI、アリゴリズム、アプリケーション(ビジネスモデルに応じてプログラムされたソフトウェア)という無形の巨大固定資本を持つ。それは、「対象化された知力」「社会的頭脳の一般的生産諸力」(マルクス『要綱』)であり、莫大な特別剰余価値と独占利潤を生む条件をなしている。
技術と労働の歴史
新たな独占の特徴を見たが、これを資本主義の歴史の中で見ると、〈機械導入以来の技術の高度化の歴史〉と〈労働破壊の歴史〉という表裏をなす歴史の行き着いた末である。
画期は産業革命による機械の導入だ。機械の導入は、利潤を追求する資本が、熟練労働者の反抗を制圧するためだった。熟練を労働者の手から順次奪いとり、単純労働に置きかえていくとともに、その熟練を機械の技術として吸収し、資本の力に転化していった。テイラー・システム、フォード・システム、オートメーションと、資本は、あくなき技術の革新・合理化・高度化を追求し、生産過程を高度化・肥大化させてきた。
ところが、生産過程の高度化・肥大化は、利潤率の傾向的低落を招来した。それは逃れようのない資本の自己矛盾であった。だから、独占という、資本の内的本性に矛盾する形態に傾斜してさらに利潤を追求し、矛盾を拡大する。(他面は架空資本の略奪運動への傾斜)。
労働の破壊
同時に、生産過程の高度化・肥大化の過程は、労働の破壊をめぐる熾烈な攻防であった。生産過程の高度化・肥大化に逆相関して、労働は、その本質である目的性・計画性・創造性・結合性・全体性・社会性といった内容をはぎ取られ、単純化・部分化・孤立化・柔軟化・周辺化・無内容化を余儀なくされていった。そして、労働者の不服従を許さない苛烈な労務管理だった。
グローバリズムの下で、そういう労働の多くが、従属国・新興国とその出身の労働者に押しつけられていった。
いまやICTとAIが、労働の意味内容の最後の一片まではぎ取ろうとしている。それがアマゾンの倉庫内作業と移民労働者の姿だ。
たしかに、GAFAでコアビジネスを担当するマネージャー、エンジニア、デザイナーたちは、クリエイティブに働き、グローバルに活動しているだろう。しかし、それは、大多数の労働が、その意味内容を剥奪されている反面であり、疎外された精神労働の極致に他ならない。
矛盾の可視化
しかしまた、一方で、人間労働の意味内容が徹底的に剥奪され、他方で、技術が機械体系からICT体系へと外化し自立化・肥大化の極致にあることは、資本主義の矛盾をこの上なく可視化し、その変革の問題を提起している。そして、肥大化した生産過程という形で対立的に組織された社会的労働、生産・流通・消費のグローバルな結合は、転倒形態でアソシエーションの条件をつくりだしていることを意味する。
さらに、GAFAを内外から足元から包囲し蚕食する労働者の抵抗は、外化し対立する全体にたいする労働する諸個人の主体の回復であり、奪われたものの全体を、社会的に取り戻していく行動を意味する。
「私たちはロボットではない」
たたかいは始まっている。
アマゾンは、労働組合にたいして一貫して敵対的だが、この数年でイギリス、フランス、ドイツ、ポーランド、イタリア、日本などで労組が結成されている(日本では2015年11月)。ニューヨークでも、昨年来、労組結成の動きが進んでいる。
昨年11月には、イギリス、スペイン、イタリア、ドイツのアマゾン倉庫の労働者が、年末商戦に合わせて同時的に抗議とストライキを決行。
その訴えはウィー・アー・ノット・ロボッツ=i私たちはロボットではない)。イギリスでは、トイレに行く時間もない非人間的扱いにたいして抗議。スペインでは、疾病手当や疾病休暇の廃止に抗議。ドイツでは、残業手当の増額などを定めた労働協約締結を要求。
昨年11月、アマゾンは、アメリカとイギリスで従業員の賃金を引き上げた。米国アマゾンの賃金は時給15ドル以上に。これは、グローバルな連携と全米で広がるファイト・フォー $15=i最低賃金15ドルへの引き上げ運動)に押されたものだ。
進出計画の頓挫
アマゾンが第2本社の建設計画を発表、全米の自治体による誘致合戦の末、昨年11月、30億ドルの助成金と税優遇を与えるニューヨークに決まった。
ところが、この決定に市民と労組が反発した。
空前の利益を上げながら、米連邦税の納税が2年連続ゼロ、その上に助成金と税優遇まで受けようという強欲さと労働者へのロボットのような扱いへの怒り。アマゾン本社があるシアトルで、アマゾンの一部高所得者のせいで、周辺の家賃が高騰し市民生活を圧迫していることも忌避の理由だった。
「儲けることしか考えてない。アマゾンは移民から搾取し、怯えさせる企業。この国では、移民を守るためにたたかうことが重要だ」(ニューヨーク市会議員)
市民と労組の反対の前に、今年2月、アマゾンは、ニューヨークでの本社建設を断念に追い込まれた。あのニューヨークでだ。
労働組合、市民運動、社会運動が連携し、内外から足元から包囲したとき、超巨大なGAFAといえども揺らぐということを示している。(おわり)
(注1)市場と価格を支配することで独占企業が得る超過利潤
(注2)ある生産部門において、新技術を採用した資本家が、平均水準以上の生産力をもつことで、平均以上の剰余価値を得ること。
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