G20サミット
未来を勝手に決めるな
トップダウンで治安強化
6月28から29日にかけて大阪市内でG20首脳会談(G20サミット)が開催される。G20が始まった理由は、2008年のリーマン・ショックという未曽有の経済金融危機にたいしてG7(G8)といった従来の枠組みでは対応できなくなったことにある。G20の設立とは、新自由主義グローバリゼーションの脆弱性のあらわれにほかならない。
日本政府はG20サミットの主催国として、「世界経済の持続的な成長に向けたリーダーシップを発揮する」「貿易における公正なルールを打ち立て、自由貿易を推進する」「データガバナンス(データ資産管理の監視・統制)とその国際ルールを話し合う大阪トラックの開始」「WTO改革に新風を吹き込む」(塚田玉樹外務審議官)などを掲げている。
何も解決できない
しかしこれらは、安倍政権が国内向けに「人気取り」のために並べたものに過ぎない。G20でなにか実効性のある結果が得られる見込みはまったくない。なぜなら、グローバル市場経済の複雑な利害とメカニズムは、首脳たちの話し合いによってコントールできるものではないからだ。
欧米の先進資本主義体制を脅かしているのは、中国などの非欧米諸国の台頭であり、世界的に増大する出稼ぎ労働者や移民の問題であり、気候変動の深刻化や中東・アフリカでの戦火拡大と大量難民の出現などである。このような課題に対して、G20は根本的な解決策を持ち合わせていない。
政治ショー化したG20
実際、毎年、首脳会合だけではなく多くの閣僚会合を開催しながら、世界経済は混迷を深め、地球環境の危機は加速している。それにもかかわらず、G20は年々派手な政治ショーと化し、そのためにぼう大な経費が費やされている。毎年のG20の開催地では過剰な警備態勢が敷かれ、住民の人権侵害、日常生活への圧迫、さらには「テロ防止」に名を借りた治安弾圧が強化されている。
むしろ、さまざまなグローバルな課題を、わずか20カ国の首脳たちが集まる非公式の話し合いで「解決」するというスタイルを問題にしなければならない。こうした意思決定のプロセスのどこにも民主主義は存在していない。極少数の首脳による非公式会合の合意が、各国の国内法や制度の変更を迫るというトップダウンの政治手法を民衆は断固として拒否すべきである。
6月23日、大阪市内でおこなわれる「G20大阪サミットNO! デモ」に参加し、抗議の意志を示そう。
サヨナラ安倍! サヨナラ トランプ!
6・23 G20大阪サミットNO! デモ
とき:6月23日(日) 午後1時
ところ:新町北公園(大阪市西区)
地下鉄本町駅23番出口
主催:G20大阪サミットNO! アクション・ウィーク実行委員会
米軍、防衛省が約束反故
現地集会で住民が訴え
6月2日 京丹後市
米軍基地に向かってデモ出発(6月2日 京丹後市) |
6月2日、米軍]バンドレーダー基地反対近畿連絡会主催の「米軍]バンドレーダー基地撤去! 6・2京丹後総決起集会」がおこなわれた。会場は京丹後市の米軍基地近くの久僧公民館、参加者は250人。
集会では、「米軍基地建設を憂う宇川有志の会」代表の増田光夫さんと同会事務局長の永井友昭さんが、それぞれあいさつと現地報告おこなった。
増田さんと永井さんは、昨年4月に基地の二期工事がはじまって以降、米軍と防衛省が、基地建設前の約束や安全・安心対策連絡会での約束を次々に破っていると怒りをあらわにした。また、京丹後市の梅田純市副市長は、宇川有志の会との面会すら拒否するなど地元自治体にあるまじき態度をとっているという。
昨年5月には、ドクターヘリ飛行のためのレーダー停波要請を米軍が拒否するという事件が起きた。また昨年2月から1年以上にわたって、安全・安心対策連絡会の場で米軍関係者による交通事故報告がおこなわれなかった。これについては京都府知事が書面で防衛省に抗議し、京都府議会で京都府警が月ごとの事故件数を公表するようになり、ようやく防衛省は今年3月の安全・安心対策連絡会で、「今後は事故件数のみ報告する」表明した。これまでは事故内容も報告してきたことからすれば大きな後退であり、約束違反だ。(多賀信介)
「君が代」不起立裁判
戒告処分を取り消し
大阪高裁
5月23日、「君が代」不起立戒告処分の取り消しを求めて7人が共同提訴していた裁判で大阪高裁・石井寛明裁判長は、初の一部勝訴判決を出した。
府立高校教員Iさんへの戒告処分について裁判長は、一審における証人の証言を再度精査し、Iさんが勤務していた学校では校長による「職務命令」はなかったと結論し、処分の構成要件である職務命令の一部が欠けていると判断した。府教委による戒告処分は裁量権の逸脱・乱用と認め、戒告処分を取り消した。
6月7日、前日が上告提出期限になっていたが、代理人弁護士が確認したところ府教委は上告していないことが明らかになり、Iさんへの戒告処分取り消しが確定した。
2011年、橋下徹大阪府知事(当時)は、「君が代」斉唱時の起立を義務づける条例を制定。不起立した教員に対して、府教育委員会からの通達と校長からの職務命令に従わなかったとして、戒告処分を出した。
Iさんが不起立した14年4月の入学式の直前、大阪府の教育長だった中原徹は、府立学校校長会で「13年度の卒業式で不起立者が6校6名と少数になったので、今後は各学校校長のガバナンスにおいて実施するように」と指示していた。そのため校長はIさんに「職務命令」を出さず、「起立斉唱をお願いします」「起立斉唱してください」という要請にとどめた。
ところが大阪地裁(内藤裕之裁判長)は、Iさんも含めた7人全員が職務命令に従わなかったという「結論ありき」で、処分取り消し請求を棄却した。内藤判決のあまりのひどさを糾弾するビラまきが裁判所周辺でおこなわれた。こうした活動の積み重ねが、今回の一部勝利判決につながったのである。部分的であれ、内藤判決のデタラメさが正されたのだ。
高裁判決は、Iさんを除く残り6人の処分取り消し請求は棄却し、賠償請求も7人全員棄却した。そして大阪府の「国旗・国歌条例」「職員基本条例」の違憲・違法性や職務命令の違憲・違法性については一切判断していない。7人全員が、原審維持の部分すべてを不服として最高裁へ上告した。(佐野裕子)
【定点観測】(5月9日〜6月6日)
安倍政権の改憲動向
5月9日 衆院憲法審査会はCM規制について民間放送連盟(民放連)から意見を聴取した。民放連は「(改憲に)賛成、反対のCM量を均衡させる自主規制はしない」としている。民放連側の出席者は、表現の自由に抵触する恐れがあるとして「CMの自主規制や法令規制に反対」の立場を示した。
国民投票法は、投票日前の14日間を除いて自由にCMを放送できる。回数、費用の上限に定められておらず、資金力のある側が圧倒的に有利になる。番組中のコメンテーターに「改憲派」が多用されることも想像に難くない。
5月23日 自民党、参院選公約に憲法改正盛り込む 「夏の参院選で憲法改正を公約に盛り込む」(『産経』)と報じた。
自民党は「国民各層の理解を得て、早期の憲法改正をめざす」としている。昨年3月にまとめた4項目の改憲案、「自衛隊の明記、緊急事態条項の新設、教育の充実、参院選の合区解消」を表記した。「20年新憲法施行」を念頭に「早期の憲法改正をめざす」と明記するという。
5月29日 改憲阻止、安保法制廃止など政策合意 市民連合と5野党・会派が「共通政策13項目」に合意した。憲法問題については、とりわけ安倍政権が進めようとしている9条『改定』に反対し、改憲発議そのものをさせないために全力を尽くすとしている。
6月6日 衆院憲法審は、国民投票法案の成立をめざす与党側と、テレビCM規制の議論を求める野党側が対立し、今国会中の開催、成立は見通せなくなった。
2面
沖縄の民意は揺るがない”
ヘリ基地反対協共同代表 安次富浩さんがメーデーで
5月1日、大阪市内で開かれた第90回中之島メーデーでの安次富浩さん(ヘリ基地反対協共同代表 写真下)の発言を掲載します。(文責、見出しとも本紙編集委員会)
オール沖縄とは
みなさん、主権者は私たち民衆、国民、人民です。天皇ではない。そのことを改めて認識をしようではありませんか。さて、みなさんもご存じのように、沖縄は米軍植民地支配から脱却して日本に戻りましたが、それ以降も、私たち沖縄県民は日米両政府に抑圧され続けています。しかし復帰運動でもそうでしたが、粘り強く現状を打開していくというたたかい方は、沖縄県民の歴史の中に色濃く貫かれています。日米両政府は、辺野古に新基地を造ろうと躍起になっていますが、私たちはこの20年余り、辺野古新基地建設をさせないたたかいを作り上げています。オール沖縄会議の原動力となったのが、このブルーカラーです。翁長雄志・前知事が登場したとき、私たち沖縄県民は、「保守とか革新とか中道という政治の枠組みではなくて、沖縄の未来は私たちウチナーンチュが決める。永田町や霞が関の住民どもに沖縄の未来を勝手にさせてはいけない」と。これが、翁長知事の「イデオロギーよりもアイデンティティー」という言葉に象徴されるのではないかと思います。
基地を拒否する
さらにもう一つ、沖縄は基地との共存共生を拒否する。これは言葉で表すと平和的生存権の確立です。憲法で保障されている平和的生存権が沖縄ではないがしろにされている。このことを強く鋭く訴え続けてきたのが沖縄県民です。そして一連のたたかいの中で、残念ながら翁長知事は思いを果たすことなく病気で逝去しましたが、その遺志をついで私たちウチナーンチュは玉城デニーという新しい知事を圧倒的な票数で勝ちとりました。さらに県民投票でも、私たちは勝ち抜きました。つい先日の沖縄3区の衆議院補欠選挙がありました。大阪と同じようにですね。しかし、私たちは大阪と違ってオール沖縄で、屋良朝博さんを推しました。所属は自由党です。飛行機に乗って東京に行ったときは自由党だけど、沖縄に帰ってきたらオール沖縄。こういう気持ちで、私たちは大同団結して3区の衆議院補欠選挙を勝ち抜きました。沖縄の民意は揺るぐことなく続いています。
民主主義を行使
みなさん、民主主義というのは権力から与えられるものではない。私たち市民、労働者が立ち上がり、一つ一つの権利をつくりあげていく。これが民主主義です。これを忘れてはならない。
私たち沖縄から見れば、今の日本は、ものすごくおかしな状況に来ています。今の皇位継承、これ世継ぎでしょう。私たちはこういうキャンペーンに巻き込まれることなく、武器を爆買いする安倍政権。トランプに言われたら忖度する安倍政権。沖縄にばく大な経費を使って米軍の飛行場を造ろうとする安倍政権。一方では、子どもの貧困を改善しようともせず、福島原発の被災者たちへの復興支援を削ろうとする。あるいはさまざまな自然災害の被災者たちに手厚い国の補助というものをおこなおうとしない。そして、その資金は全部、軍事費に回す。つい先日、三沢沖で墜落したF35は1機130億円以上と言われています。こんなものに金を使う。間違っていますよ。
足元から変える
私たち沖縄は7月の参議院選挙も、このカラーでたたかいます。オール沖縄として、安倍政権を打倒する。それは「世継ぎ」ではなく、「世直し」です。世直しというのは国を変革することです。民衆の力、市民、労働者の力で、この国を変えていこうではありませんか。沖縄はこの国を変えるために最先頭になってたたかい抜いています。みなさん、自分の足元を変えていこうではないですか。ここが大事です。「沖縄に連帯」、これも大事です。しかし、基本的に、大阪を変えましょう。維新が席巻するこの大阪を変えないと、日本は変わりません。それをやれるのは大阪市民、大阪府民じゃないでしょうか。そのことが、沖縄としっかりした連帯につながっていきます。もう一度訴えます。この国を変えましょう。世直しをしましょう。
ロックアクション
宮古島に巨大基地を建設
脅かされる島民の生活
6月6日、大阪市内で「戦争あかん! ロックアクション」集会とデモがおこなわれた(写真)。
集会では、南西諸島への自衛隊配備について関西共同行動の山田さんが発言。宮古島に巨大な自衛隊駐屯地が建設されており、350人の自衛隊員が駐屯。家族も含めると400人以上になる。「保管庫」という名目で「弾薬庫」の工事が始まっている。対艦対空ミサイルが貯蔵される。島民をだまして軍事施設を作っている。新たなヘリパッドも作られ、その横に燃料タンク7基が作られている。すでに4基には燃料が入っている。基礎工事をきちんとしないでジェット燃料を埋めている。1基でも燃料漏れ事故が起きれば、島民5万人の生活水である地下水が汚染される。そうした状況を大阪においても考えるべきだ。
管理・監視社会化に反対する大阪ネットワーク(カンカンネット)の木村真・豊中市議は、大阪メトロの改札機に顔認証の導入や、マイナンバーカードを健康保険証として使うことなど、顔、指紋、光彩などで個人認証する技術によって監視社会化が進んでいるとに警鐘をならした。
最後に府立高校教員で「君が代」処分とたたかう増田俊道さんが「不起立カラー」という歌を熱唱した。
韓国の反基地運動、住民が主導
京都市内で国際シンポ開催
6月1日、韓国からソソン里総合状況室のキム・ヨンジュさん、沖縄から辺野古ブルーの金治明さんを迎え、「近畿と沖縄と韓国を結ぶ6・1国際反戦反基地シンポジウム」をおこなった。主催は、米軍Xバンドレーダー基地反対京都・近畿連絡会、会場は東山いきいき市民活動センター、参加者は50人。
集会では、沖縄から金治明さん、韓国からキム・ヨンジュさんがそれぞれ問題提起し、討論した。
韓国ソソン里のキムさんによれば、ソソン里では、運動を牽引し主導しているのは地元住民であり、自分のように外から来ている活動家はいつも怒られ役であるという。ソソン里では、米軍の交通事故がまったくないが、それは米軍が基地からまったく出られず、燃料等の陸上搬入もまったくできていないという。それは、地元住民が、基地を監視検問し続けている結果だと話した。今後もこの活動を続けるという発言に大きな拍手が送られた。
沖縄辺野古のカヌー隊の金治明さんは、キャンプ・シュワブを誘致した辺野古の歴史を話した上で、こうした住民も巻き込んだ運動にしていく必要があると強調した。辺野古区10班に、米軍を加えた11班で行事(運動会、綱引き、ハーリー等)がおこなわれているが、反対派も入れろと要求しているという。
カヌー隊は、映画にもなり勇ましくたたかっていると思われがちだが、映画のためでなく勝つためにたたかっている。非暴力・不服従・徹底抗戦に加え、説得を重視しており、海上保安庁にも機動隊にもウチナーはたくさんいて、あいさつもし、話しかけもしていると報告した。会場からは、成田空港に反対する三里塚芝山連合空港反対同盟の太郎良陽一さんが「住民の主体的なたたかいから学びたいと思い、沖縄や京丹後の闘争に参加している」と発言した。
3面
強制不妊手術だけではない旧優生保護法の罪
わたしたちの内なる優生思想を考える会 古井 正代
違憲判断でも賠償は却下に
低額「救済」で差別上塗り
私は幼いころから「可哀そうに」「あんな風になったらおしまいや」と世間に言われ続けてきました。哀れみと同情の渦がいつしか、自分自身を「あってはならない存在」だと蔑むようになりました。私が生まれる前からあった「旧優生保護法」がこんな気持ちにさせてきたのです。障がい者は生まれる前から「不良な子供」として国によって否定され、「優れた」国民だけを保護する目的の法律が優生保護法です。
いらない障がい者は養護学校や施設に収容し、健全者だけの都合のいい社会作りを支えてきたのが、この法律です。この法律があったからこそ、障がい児・者の親は我が子を「不良な子供」とみなします。恥の子供がさらに恥の子供を産むような事態は恥の上塗りだと考えたから、騙してでも無理やりに連れて行って不妊手術を受けさせたのです。「不良な子供」にこれ以上手間と時間をかけたくない、生理の世話が自分でできないならと、何の説明もなく不妊手術を受けさせたのです。
この「旧優生保護法」がなくなってからも、すべての人の心の中に「不良な子供」は生きる価値がないという「信念」がゆるがなかった。だからこそ、裁判を起こすまでにこんなに年月がかかったのです。国連の委員会から強い勧告が出て、その1年後に日弁連が政府に意見書を提出し、やっと声があげられるようになったのです。「旧優生保護法に基づく優生手術等を受けさせられた者に対する一時金支給等の法律」の前文で「真摯に反省し、心から深くおわびする」とあるが、旧優生保護法がどのように深く障がい者の存在を脅かすものだったのかが全く書かれていません。被害者に一時金320万円を一律支給する救済法が議員立法で成立、施行されました。(東京新聞2019年5月29日 朝刊)しかし、「救済」は自然災害を援助する時に使う言葉ですが、国が作った法律で被害を受けたことに対しては、「謝罪法」か「賠償法」にすべきです。救済法ということは、『優生保護法』を作ったこと自体が、人災だと認めていないと思えるのです。
それどころか、健全者が交通事故などで生殖機能を喪失すると賠償金は最低1000万円から被害に応じて加算されるのは常識なのに、国が進めた優生政策やその法律が原因で起こったことに対して320万円に割引し、もう一度はっきりと障がい者だから「健全者並みの価値などみとめない」と法律で定めたことになりませんか?
1970年代に障がい児をその親が、将来を苦にして我が子を手にかけた事件が相次ぎ、子殺しの親に対し殺人罪を減刑する運動が起こり、実際に刑が減じられました。たまらず、障がい者の立場から「われわれは殺されて当たり前の存在なのか」と私達が声を上げた歴史があります。この時と今と、どこが違うのでしょうか?
すべての障がい者や、将来障がいと共に生きるようになる人の価値を「大安売り」する法律は、障がい者差別に更に差別を上塗りしているとしか思えません。(『ひびき福祉会』より)
伊方原発運転差止 広島裁判
原発に怯える生活欲しない
5月15日、伊方原発運転差止広島裁判(本訴)の第15回口頭弁論が広島地裁であった。住民側は「過酷事故対策」と「水蒸気爆発」の2つの準備書面を提出し、原告の森本道人さんが意見陳述。原告団、応援団は「被爆地ヒロシマが被曝を拒否する」と大書した横断幕を先頭に、裁判所へ「乗り込み行進」(写真)。ドイツやイタリアから届いたフラッグもあった。口頭弁論で原告意見陳述に立った森本さんは、「東日本大震災の時、出張中の千葉県市原市で地震と石油タンクの大炎上に遭遇し、帰りの新幹線の中で福島第一原発事故発生を知った。化学会社のエンジニアとして日本の原発は過酷事故を起こさないと信じていた私は、原発の安全性に大きな疑問を持つようになった。私の小さい娘たちを含め未来の世代には、原発に怯えながらの生活をして欲しくありません」と力を込めた。
その後、広島弁護士会館で報告会、記者会見が行なわれた。ドイツから、日本の反原発運動の取材に来日中のジャーナリスト、アンドレアス・ジーグラーさんは「福島事故を体験した日本の社会が原発に対し、どのように変化しているのか。原発事故を体験した日本人が、個人としてどのような経験をし、意見を持っているかを取材し、ドイツやヨーロッパの市民たちに伝えたい」と話した。次回は8月7日に予定。
5月22日は、福島原発事故で避難した人びとによる福島原発ひろしま訴訟の口頭弁論が開かれ、国・東電側と原告側の双方がプレゼンテーションをおこなった。国・東電側代理人は、いわゆる伊方最高裁判決の「万が一にも」は、絶対的安全を求めたものではなく、相対的な安全を求めたものなどと、耳を疑う主張をした。その後、広島弁護士会館でおこなわれた弁護団による解説でも、この主張は徹底的に批判された。(江田)
わくわくする経済公約を
立命館大教授 松尾匡さんが提言
5月26日、大阪市内で、立命館大学教授・松尾匡さんの講演会が開かれた。以下はその要旨。
最近の知事選(沖縄、新潟、北海道など)では、反緊縮の経済公約を打ち出した候補が勝利した。「景気・雇用」は現役世代を重視する政策で、人々が一番期待する政策だ。
若者の右傾化が言われるがそうではない。確かに若い世代ほど総選挙で自民党に投票し、内閣支持率は高い。しかし、2017年の世論調査では、若い世代ほど憲法改正に反対だ。18年内閣世論調査では中国に対する親近感の割合は若い世代の方が多い。若い人は右傾化しているのではなく、景気・雇用を一番重視しているのだ。小泉改革と長期不況の傷は非常に大きい。
民主党政権はこれを救えなかった。安倍政権以降は、世帯所得は増加し、賃金は漸増した。経済の不安定化を恐れる人々が安倍自民党の経済政策にすがりついている。
野党が再び政権を取るには、左派・リベラル派の勘違いに基づく対案の失敗を反省することが必要だ。それは「1〜2年で経済が破綻するだろう。その時こそチャンス」という「経済破綻願望」論だ。このような左派の伝統的な図式は成り立たない。そもそも間違っている。このような「経済破綻願望」は有権者にバレてしまう。そうなると絶対に反発を買い、支持を失うことになる。
野党が嫌われるのは、倹約と景気拡大反対のイメージだ。野党が大書すべきフレーズは、「もう二度と不況時代には戻しません」「リストラも就職難もない時代を確実にします」という、わくわくする経済公約ではないか。ヨーロッパの左派の奮闘を見てもわかるとおり、時代は反緊縮なのだ。(雲野仁志)
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戦争伝える資料が本に
明石と神戸で戦跡ウォーク
兵庫 江戸信夫
JR三ノ宮駅北側に集合した参加者たち |
1日明石の戦争跡を回る第10回ピースウォーク明石がピースネット明石主催でおこなわれた。1945年の空襲で大きな被害のあった6月にあわせて毎年この時期におこなわれてきたが、今回が最終回ということもあり、参加者は過去最高の90人となった。
明石で空襲の標的とされたのは、戦闘機「飛燕」を作っていた川崎航空機明石工場。関連工場などに学徒動員もあり、1月から7月まで計6回の空爆で当時の市内の83%が被災。死者は1500人を数えるなど大きな被害を受けた。
今回まわったのは明石駅の北東部。初めに空襲後の駅前大火で焼け野原になったところから現在の商店街が栄えていると説明を受けた。その後、源平合戦の平忠度の塚や、阪神大震災の復旧工事で宮本武蔵作の枯山水の庭が見つかった雲晴寺をまわった。明石の城下町を作ったのは宮本武蔵。戦災から焼け残った明石城主の墓所・長寿院は被災者の対応をしたとか。
天文科学館では14階の展望室で南に明石海峡大橋を望む360度の風景を楽しみ、大聖寺では戦災被災者を慰霊する明石市と川崎航空機の二重の慰霊塔を見学した。ゴールは空襲で大きな被害を受け、避難者も犠牲となった明石公園。戦後40年を記念して建てられてた明石空襲の碑の前で記念写真を撮った。
戦争体験を次の世代に伝えていくことが重要になっている。この日は市内の高校新聞部の1年生が7人も参加。新たな希望を感じた。10年にわたるピースウォーク明石の説明資料をまとめた50ページの冊子がピースネット明石から発行された。
神戸空襲の傷跡
2日は神戸空襲を記録する会主催の第18回戦跡ウォークが60人の参加で開催された。
JR三ノ宮駅北側に集合。三ノ宮駅高架の銃弾痕を見る。生田神社の森では88歳になる方から、神戸空襲の体験談を聞いた。この周辺の建物で聖マリア女学校は焼け落ちたが、ムスリムモスクは焼けずに残っていた。神戸栄光教会は空襲で焼け、阪神大震災でも再び壊れたのが、今は立派な会堂が再建されている。神戸教会の建物は戦災と震災の両方に耐えて残ったが、玄関階段には焼夷弾の跡が残っていた。
この日のガイドを務めたのは60歳前後のお二方で、一人は昨年戦争体験を伝える「さなえさんの手」という絵本を出した方。カラー刷りの「神戸平和マップ―私たちの街にも戦争があった―」(神戸平和マップを作る会発行)と体験談をまとめたものと2つの冊子が紹介された。はからずも戦争体験を次の世代に伝える企画が、明石と神戸で冊子になったことが分かった。
4面
マルクス革命論をあらためて学ぶ (第2回)
第一章 プロレタリア概念の再検討のために 三船 二郎
なぜマルクスはプロレタリア概念を使うのか
私には何十年と続く疑問があった。それはプロレタリアートと労働者はどのように違うのかということである。労働者という概念だけでよいのならドイツ語でいえばアルバイター、英語でいえばレーバーまたはワーカーになるだけのはずである。しかし、マルクスはあえてプロレタリアートという概念を使った。今回、この疑問を切り口にして新たにマルクス革命論を学んだことのエッセンスを報告したい。
世界を解釈するだけの観念論哲学と決別したマルクスには、虐げられた者の痛み、迫害されている者の苦しみに肉薄する迫力がある。だからマルクス革命論には彼らの怒りを解き放つ思想と論理があるのだ。これは『イギリスの労働者階級の状態』を書いたエンゲルスも同じである。
しかし、なぜ、マルクスは革命論を構築する際に労働者ではなく、あえて古代ローマ帝国のプロレタリアート概念を使ったのだろうか。
資本によってどん底に突き落とされている労働者の中に資本主義社会を革命する解放主体の姿を見たマルクスは、当時一定流布していたプロレタリアート概念に唯物論の立場から命を吹き込み、資本主義社会の「上部構造を空中にけし飛ばす」(『共産党宣言』)革命主体、階級そのものを廃絶し、資本を廃絶することで資本家階級すら解放する革命主体として労働者を位置づけ、全世界を革命するプロレタリア革命論を作り上げたのではないのかというのが現時点での私の意見である。
ロシア革命をどうみるか
「社会の最下層であるプロレタリアート」が「立ち上がり」、自分を抑圧しているすべての「上部構造を空中にけし飛ばす」という視点からみると、帝国主義段階のロシアにおいては労働者だけでなく、農民や「民族の牢獄」といわれたロシアの被抑圧諸民族もツァーリによって最底辺に突き落とされていたのだから、労働者だけでなく、農民、被抑圧諸民族もマルクスのいうプロレタリアート概念の中に入るというべきではないだろうか。
実際、ロシア革命では労働者だけでなく、農民や被抑圧諸民族も立ち上がり、ツァーリや資本家や地主を「空中にけし飛ばした」ことは歴史的事実である。その点ではロシア革命はまごうことなきプロレタリア革命であり、労働者だけでなく農民、被抑圧諸民族を含めたプロレタリアートの独裁は1917年10月、間違いなく誕生したのである。だからロシア革命は全世界の労働者民衆に限りない感動を与えたのである。
「社会の最下層」の人間たちが「立ち上がり」、「上部構造をけし飛ば」したとき、パリコミューンがそうだったようにプロレタリアートの独裁は誕生するのであり、これがプロ独なのである。誰かに「指導」・「指示」されないとプロ独は生まれないというのは革命主体としてのプロレタリアートに対する差別的偏見である。
しかし、レーニンは農民を労働者と区別された独自の解放主体としては認めなかった。『左翼空論主義』でレーニンは農民を小商品生産者と規定しているが間違っている。ロシア農民がプロ独で復活させたのはミール(農村共同体)である。フランス革命によって土地を得て零落していった小商品生産者としての農民とは根本的に違う。マルクスが、ナロードニキのヴェラ・ザスーリチにあてた手紙で「ミールは共産主義の出発点となりうる」と指摘したことは今日的には大切である。
レーニンは農民を独自の解放主体として認めなかった以上、主観的にはどうであれ客観的には農民に対して抑圧的にならざるをえなかった。また、プロ独の中心部隊だった武装したぼう大な工場委員会に対しても革命直後からこれを破壊する方向が生まれてきた。解放を求めて立ち上がった被抑圧諸民族についても同じことがいえる。
率直にいえば、ロシア革命はプロレタリアートの独裁として誕生しながら、ほとんどその直後から本来のプロ独を否定する要素が現れ、プロ独として自己を貫き得なかったということである。したがってそれ以後のロシア革命は本来のプロ独ではなかったのである。ここから導きだされる課題は、立ち上がった現代のプロレタリアートである労働者、女性、農民、被抑圧諸民族等がどうやったら本来のプロ独を貫いていけるのかということである。これはロシア革命のとらえ返しの大切なところであるが、本稿ではこれ以上は触れない。
プロレタリア概念の再検討
自由主義段階に生きていたマルクスは、革命主体としてのプロレタリアは労働者だとしている(『共産党宣言』国民文庫35p)。しかし、筆者はロシア革命の総括からいっても帝国主義段階ではプロレタリア概念は変化してきているのではないかと考えている。
社会の最下層で人間性をすべて否定されているものというマルクスのプロレタリア概念からいえば、帝国主義段階では労働者だけでなく、女性、部落民、障がい者、在日、農民、ムスリム民衆その他、帝国主義によって支配、抑圧、差別、搾取されているすべての存在がマルクスのいう革命主体すなわち、プロレタリアに該当するというべきではないかということである。
ただし、それぞれ労働者と区別されるもう一つの革命主体として措定することが大切であることはいうまでもない。そして、それぞれが革命主体としてひとつ≠ノなって資本に対する「専制的侵害」(『共産党宣言』国民文庫55p)を行い、資本主義的生産関係の「強制的」(同56p)廃絶をたたかいとるのである。
帝国主義段階のプロレタリアートの課題
帝国主義段階ではプロレタリアートは労働者だけではないとすると、帝国主義段階のプロレタリアートにはどういう主体的課題があるのか考えてみたい。
1970年代にわれわれがぶつかった7・7的課題からすると、支配、抑圧、差別、搾取されているという即時性だけでは帝国主義段階の革命主体としてのプロレタリアートにはなりえないということではないだろうか。これらの人たちが、自分を含めてともにたちあがり革命主体としてひとつ≠ノなって資本に対して専制的侵害を行い、資本を廃絶し、帝国主義を打倒することができるためにはプロレタリアート内部で、それぞれが、また相互に革命主体へと飛躍するための独自の深刻な試練があるというべきではないだろうか。(つづく)
ポーランド紀行2019(第1回)
ショパンとローザ
平 和好
5月15日から24日までポーランドへ「個人旅行」に行ってきた。友人やその関係者で11人、全体では36人の「団体さん」だ。初めての資本主義ヨーロッパ旅行だし、人生の先輩からのお誘いは断れず参加。
今年はドイツ革命100周年だがポーランド独立100周年でもあるらしい。関空から半日。まずワルシャワが生んだ偉人ショパンの生家訪問。ショパンが貴族のお抱えで生活し、音楽の基礎を整えた場所だ。生家は地味だが敷地が扇町公園くらいで、設備も樹木などもきれいに整備されており、国家的保護がうかがえる。お土産品のDVDなどは日本並みの高額で、中国・朝鮮の社会主義価格の5倍くらい。そのショパンは20歳の時には実はフランスへ行ってしまい、著名な作品の多くは祖国ポーランド以外で作られている。そして呼吸器疾患のため生涯は39歳と短かったし、遺言で心臓だけが「帰国」して保存されているようだ。しかし、ポーランドにとって「観光資源」として極めて重要だ。「名物はショパン」だけと言ったらポーランドに失礼かもしれないが…。
一方でポーランド東部の片田舎ザモシチが生んだ偉人にローザ・ルクセンブルグがいる。くしくも彼女も20歳前にスイスへ行く。属していたポーランド社民党は王政と宗教権力の手で幹部が何人も処刑されていた。逮捕から逃れる亡命だった。ローザはチューリッヒ大学で学び、のちにドイツで半生を過ごす。ショパンと同じく祖国には帰れなかった。銃床で撲殺され、運河に投げ落とされ50歳を前に絶命した。貴族お抱えのショパンと違うのは政治に真正面から取り組み、激動のドイツで労働者のリーダーとなって投獄を長年月経験した末に、出所してまもなく、ドイツ社民党の意を受けた「フライコール」(反革命軍)に拉致連行され、虐殺された事だろう。その痕跡も訪ねたいのが旅行の目的の一つでもあった。
フィンエアー航路が実はすごい。岡山上空で進路を北に取り、日本海と朝鮮東海を北上、朝鮮民主主義人民共和国(DPRK)領土内を堂々と通り、中国ハルピン上空から西へ。シベリヤからミンスク方面へロシア領内を西へ長距離縦断するのだ。降りるのはヘルシンキ。
機内食は日本時間の深夜などに2回も出た。長時間着席のエコノミー症候群だが、近年頻尿でトイレまで何度も歩くから大丈夫! 入国手続きを経て、乗り継ぎでワルシャワへ。いずれもEUだからポーランドの入国手続きはなし。EU統合とはそういう事だったのか! と変に納得。(つづく)
被災地サンダル
川口真由美さんモデル販売
特別価格 3900円
サンダルお薦めの川口真由美さんと、企業組合・長谷川正夫代表 |
5月11日、憲法フェスタ・伊丹では、主催者と歌手の川口真由美さんのご厚意により、弊社サンダルを『川口真由美さんご愛用モデル』として販売ブースに出すことができました。当日は行列ができる盛況で、お買い上げの皆さまには、改めて感謝申し上げます。
サイズ品切れになり注文書でご予約された皆さま、待ち時間のためお買い上げあげできなかった方に、お詫び申し上げます。
今回の即売取り組みに踏まえ、全国の諸運動に奮闘されている皆さんに敬意と感謝をこめ、『川口真由美さんご愛用モデル』サンダルを特別価格3900円(送料別)にて提供させていただくことといたしました。
ご注文の際は「『未来』で読んだ」と一言そえていただければ、特別価格でお受けいたします。この機会を、ぜひご利用ください。
被災地労働者企業組合は、今後とも地域、全国の仲間の皆さんとともに邁進いたします。
神戸・長田/被災地労働者企業組合(ワーカーズコープ)営業部
【ご注文、連絡先】
電話:078―646―5112
FAX:078―646―5113
Eメール:workers.co@h5.dion.ne.jp
5面
(直撃インタビュー)第39弾
日本の社会がよくなってもらわんと困るんや
「在日」を貫く李相泰さんに聞く(下)
李相泰さん |
日本の市民運動に参加
1980年末から95年ころまで神戸市民懇談会という環境や空港、開発行政、情報公開などを運動とする市民団体に参加した。最初は、「在日韓国人のイ・サンテです。勉強させてください」と、月1回の集まりに出た。しばらくしてから「神戸空港問題を韓国人としてみると、どう思いますか」と意見を求められ、ちょっと意見を言った。それから、お互いに話し合うようになっていく。
しかし、日本社会の在日への無関心と無知は酷い。まず、知らない。日本人と積極的にかかわらない在日の側にも問題がある。領事館とか民団などが日本人とかかわりを持つことを嫌う。総連もね。情報がもれるとか、日本人に感化されるとか。在日、民団や韓青からは「日本人といっしょに何しているんや」と聞こえてくる。ぼくは、そうじゃなくて日本におらなあかんねん。日本に定住するしかない。日本が、日本の社会が、よくなってもらわんと困るんや。差別が、そのまま続く日本の社会じゃ困る。だから、日本の社会とのかかわりを広げていかなければと考えた。
90年から「障害年金の国籍条項差別を撤廃させる会」を始めた。長田マダンで知り合った人たちに、制度的に無年金になっている「在日韓国人・朝鮮人・台湾人の救済運動に、当事者としてかかわってくれ」と言われた。それが最初だった。
戦後すぐ「厚生年金」制度ができたときは、外国人を排除していなかった。その後、「国民年金」制度ができたときに、アメリカ人以外の外国人は国籍条項により排除された。そのため「外国籍無年金高齢者・障害者」が生まれ、地方自治体に救済を求めた。現在、兵庫の高齢福祉年金は国と同額。障害者も1級は同額、2級は半額の給付金を確保できている。あと、2級の兵庫県負担分(2分の1)を獲得するのが、いまの最重要の運動。兵庫県はかたくなに、差別的に拒否しているが、ここまで進んでいるのは他県にはない。
震災でわかった日本の社会と意識
在日研究フォーラム(94年9月スタート、17年解散)もやってきた。長田マダンの運営委員に参加していた日本人と、在日の私らが情報の共有や学習会をしようという集まりだった。
ところが95年1月17日、阪神大震災が起きた。情報交換だけで運動のない会はすぐになくなるから、震災がなかったらもっと早く潰れていたと思う。震災があって救出、救援や支援運動になり、つながった。在日と関係者の安否確認、救援物資の集約配布、それこそ情報の発信とか。韓国映画の上映会、長田マダンの開催、長田の「夏の家」(自主仮設)建設、アジアタウン構想、阪神大震災地元NGO救援会、街づくり協議会や「FMわいわい」など、多くの活動ができた。
震災で明らかになった多くの問題は、「震災以前からの日本社会の矛盾」だった。大災害に対応するには「平常時からの地域のコミュニティ、活動がある」こと。「市場競争原理ではなく、お互いの違いを認識し共生社会を築く大切さ」を確認できたんじゃないか。
運動を重ねわかったこととして、在日外国人問題は、以前は「外国人の問題」とされていた。しかし、違うんだ。外国人にたいするいろんなことは、日本の社会の構造、日本人自身の問題でもある。阪神大震災の救援活動でも、日本の社会では個人の意見が尊重されないように思った。まして在日外国人が話しても、聞く耳を持たない。
ぼくは、いまちょっと怖いね
1996年6月、トルコでのNGO「国連人間居住会議」(ハビタットU)に参加した。阪神大震災の現状や居住権、在日外国人の居住権の実態、在日外国人に対する日本社会の差別の実情を訴えた。日本で生まれ戦前から「日本人」として生活していた人間が、戦後は「外国人」とされ日本で居住の権利が保障されていない。そういう外国人というのは一体なんや、ということがなかなか理解されない。在日外国人の法的地位や不安定な状態は、多民族国家の外国ではなかなか理解されない。しかし、そんな差別が日本の社会にあること、日本の社会には外国人を差別する傾向があることはわかってもらえたと思う。
日本の社会は、元号がどう、天皇がどうと言っているけど、そういう国がむしろ稀だ。日本の人たちは、もっと認識してほしい。
いま、どんどん右傾化していくようで、ぼくはちょっと怖い。「それほど日本のこと考えているなら、日本に帰化したら」と言われたこともある。ぼくは、いまの日本のように外国人を差別する、そういう国の側の人間にはなりたくない。日本人になった、日本国籍になったとしても、差別の構造は何にも変わらない。それよりも外国人として朝鮮人として日本にいて、「これ、おかしいやないかと言う方が日本のためになる」と考えている。
お互いの近現代史を知る
なぜ、日韓関係がぎくしゃくするか。「韓日条約で解決ずみ」なのか。「韓日条約で金を渡した、賠償した。だから昔のことはええやないか」。お金の問題ではなく、姿勢が間違っている。だからぎくしゃくする。いつまでたっても問題が進まない。本当に謝っているのかということ。誹謗・中傷、歴史を見ない、ヘイト・スピーチと変わらないような国会議員が出てくる。日本と朝鮮が良好な関係になるためには、やはり「韓日条約」の見直しが必要だと思う。
日本の教育、学校では、教科書には載っていても近現代史を教えない。韓国では逆に、近現代史から始めて過去に遡る。いま起こっていること、これまで何をやってきたのか、問題は何だったのか、そういうことを学び考えていくことが大切だ。もう一度近現代史を見直してほしい。日本の近現代史でもいいけど、アジア、世界に目を広げ、自国のことだけではなく近隣諸国、アメリカやEUまでも見ないと勉強にならない。「あったこと」を知り考えないと、本当の友好も交流もできない、お互いを確認し合えない。例えば朝鮮学校、「お金がない家の生徒ばかり行っている」。そんな認識だ。補助金があったときから、朝鮮学校はそこそこお金がかかる。お金の問題ではなく教育、学校、在日への差別の問題なんや。
ぼくは、毎晩のように居酒屋に行く。長田の居酒屋の客は、もちろん日本人も在日もおる。南北のことなど、いろいろ話題になったら「ちょっと話してくれるか」いう人たちもいる。そこで話を聞いていると、日本の人たちの近現代史にかかわる思い込み、認識はもうむちゃくちゃ。ぼくは朝鮮のこと、いま起こっていること、「それ、違うで。見方がおかしいで」と話している。
最後に
ぼくは、日本が祖国の分断の原因をつくり、アメリカが推進してきたと考えている。そのアメリカが、70年間も敵視してきた北との首脳会談を昨年から南の仲介で2回、開いた。分断から70年、再び対立や戦争になってはならない。それは、はっきりしている。朝鮮半島の南北が交流することに反対しているのは日本だけだ。朝鮮に賠償請求されたときに、したくないからか。いまは人的経済的な交流を進めながら、お互いが統一への道を確かめていくことではないか。(おわり)
石川一雄&中山千夏講演集会
「生涯かけて差別をなくす運動に」
5月26日、「石川一雄・中山千夏 講演会/フクシマと結ぶ 音の力いのちの言葉(VOL・15)」が大阪市内であった。主催は同実行委員会
集会前半は、次の4人が発言。菅野みずえさんが福島原発事故避難者の現状を。今年3月までは東洋大学生だった船橋秀人さんは、東洋大学での自らのたたかいを。この4月まで門真市議会議員だった戸田久和さんは、連帯ユニオン関西地区生コン支部にたいする弾圧について報告。狭山裁判弁護団の中北龍太郎さんは、〈狭山事件の概要と裁判の現状〉について講演した。
船橋秀人さんのことはあまり知られていない。今年1月、船橋さんは「竹中平蔵による授業反対!」のタテカンを大学キャンパスに掲示した。この事をもって、東洋大学当局は「退学勧告」。しかし、彼はこれを拒否して、当局とたたかった。彼の行為に世論の反響もおおきく、大学の思惑はついに破産した。大学が産学協同に邁進し、企業に役立つ人材の育成機関になっていると、船橋さんは怒りを込めて語った。そして自らの場所でたたかうことの重要性を訴えた。
集会の後半では、石川一雄さんと中山千夏さんが講演。その後、趙博さんを交えて3人でトーク(写真上)。
石川さんは、裁判闘争の現状について次のように語った。「裁判は緊迫した情況だ。おそらく今年の11月頃には決定がでるのではないか。200点以上にわたる証拠が開示されており、いずれも警察が捏造したことを証明する決定的なものだ。裁判官は警察の方を向いているので楽観はできないが、冷静に判断するならば、無罪以外はあり得ない。」
うその「自白」をした事情について、石川さんは「犯人が残した地下足袋は私の足より小さくて、私の足にあわなかった。このサイズは兄貴の足にぴったりだった。わたしは、てっきり兄貴がやったのだと思ってしまった。一家を支えている兄貴が逮捕されたら、たいへんなことになる。10年で出られるのであれば、自分がやったことにしようと考えた」と話した。
また獄中で母親が死んだことを聞いて4日間寝込んだことに触れ、「わたしがまだ小さい頃に、かあちゃんはトラホームにかかった。おかねがなく治療できなかったので、目がみえなくなってしまった。ある時、かあちゃんが野菜に虫がついている生野菜を食べていた。わたしはこれを目撃した。この時から、わたしは母親っ子になってしまった。かあちゃんの死はつらかった」と語った。最後に「無実が証明されたら、何としても夜間学校に行きたい。もっといろいろなことを勉強したい。元看守さんに文字を教えてもらえたから、わたしはこうして文字が書けるようになった。これで世界が広がり、心が豊かになった。わたしは今まで色々な人に助けてもらった。生涯をかけて差別をなくす運動にたずさわっていきたい」と抱負を述べた。(津田保夫)
6面
読者の声
人間と自然の関係を問い直す
「オオカミの絵」展を観て
私の友人のお連れ合いが個展を開くというので観に行った。会場はシャッター街の一角にある喫茶店。ドアを開けて店内に入ると、オオカミの絵が壁に架けてあった。
口の周りに血がついた顔で天を仰ぐ「遠吠え」、鋭い目で何事かを問いかけているかのようなイケメンの「ミスター・オオカミ」(上の絵)、山の上にたたずむ後姿を描いた「頂に立つ」、2匹の幼いオオカミが赤い木の実を眺めている「これ何だ?」、母親に赤ん坊のオオカミが甘えている「おかあちゃ〜ん」、熊と並んで歩いている「カナダの森の仲良し」、そして、かわいい「赤ちゃんの遠吠え」などオオカミの絵7点と、「シルクロードの子ら」「パキスタンの少女たち」と「愛猫」、合わせて10点。
素人の作品で専門家の目にはどう映るか分からないが、いずれも作者の対象に寄せる深い愛情が伝わってくる。それぞれの絵の背後にある物語に想像を馳せ、豊かな気分に浸った。
この個展の呼びかけの文書に、つぎのようなことが書かれてあった。
最近大災害が頻発し多くの人命が失われているが、異常気象のせいだけではない。天敵のオオカミが居なくなったので鹿が増え続け、木の皮や新芽を食べ尽くし、樹木が立ち枯れ状態になり、そのため山の保水能力が衰え、大雨が降るたびに甚大な被害が生じている。
アメリカでも同様の現象が起きたので、イエローストーン公園にカナダからオオカミを導入したところ、鹿の数が急速に減り、山野に緑が戻ってきた。人間の被害は全くゼロ。
個展の作者が、その公園を訪れたとき、園長が「人類にほかの動物を絶滅させる権利はない」と力説していたとのこと。
オオカミは漢字で、「?」(ケモノヘン)に「良」と書く。3300年前、漢民族がオオカミを益獣とみなしていた証拠だ。
日本でも埼玉県の奥秩父にある三峰神社や秩父困民党が蜂起のときに集結した椋神社は、オオカミを神の使いとして祀っている。農作物や果樹を荒らす鹿や猪を捕食するオオカミは農民の味方なのだ。オオカミ信仰の神社は全国いたるところにある。
しかし明治政府は100年以上昔、欧米諸国に未開野蛮の地とみなされないようにと、オオカミを国策として絶滅させた。1頭につき現在の貨幣価値にして10万円の報奨金付で。
オオカミが凶暴な害獣とみなされるようになったのは、18世紀後半、イギリスで産業革命が始まり、毛織物工業が盛んになったことによる。牧場主たちは羊を捕食するオオカミを悪者とするキャンペーンを張り、『赤頭巾ちゃん』などの物語を創った。
エンクロージャー(囲い込み)で農地を追い出された農民たちは、テムズ川の畔に掘立小屋を作って都市貧民になり、労働者になった。
他の資本主義国でも同様の「近代化」が行われ、オオカミは絶滅に近い状態に追い込まれた。
オオカミは農民や労働者と同じく、資本の原始的蓄積の犠牲者なのだ。
『資本論』の筆者も、資本の原始的蓄積がこのようなかたちで、自然を破壊し人間の生命を奪うにいたる文明史的見通しを抱いていたわけではない。
個展には、遠くは姫路や京都・名古屋から見に来た人もいた。感想文を寄せた人は150人を数えたが、参観者の実数は少なくとも200人を越えたとのこと。
感想文に目をとおして、「素晴らしい」「感動した」などという声とともに、オオカミは怖いという常識≠一掃し再導入の一助にしたい作者の意図に共鳴した人が殆どであることがわかった。
この個展は、人間と自然との関わり方を根本から考え直そうという、静かな、しかし確かな流れのほんの一滴に過ぎないのかも知れない。
「やってよかった!」と、友人はしみじみと語っていた。私も同感である。
一読者(静岡)
(シネマ案内)
「慰安婦」問題の真実に迫る
ドキュメンタリー映画『主戦場』
監督:ミキ・デザキ(2018年制作)
映画『主戦場』が評判になっている。監督のミキ・デザキは、日系2世のアメリカ人。この映画は、日本の「慰安婦」問題を切り口にしながら、その本質にせまっていく作品だ。むずかしいテーマなのだが、映画はスピード感がありスリリングに展開していく。
タイトルの『主戦場』とはどういうことか。ミキ・デザキは「取材の過程で、右派の人びとが、この言葉を使っていた。今後、少女像問題においてアメリカが主戦場になると。そこで、わたしは観客一人ひとりがこれを主戦場として考えてもらいたいと思い、この言葉を使った」と述べている。
映画では、「慰安婦」問題に関するいくつかの論点がだされる。彼女たちは「強制連行」されたのか、「性奴隷」であったのか。「慰安婦」の数、20万人はほんとうなのか。軍の関与による「慰安婦」制度があった事は歴史的事実だ。これを否定する右派と事実と認める左派。監督ミキ・デザキはそれぞれの論客にインタビューをつみかさねている。編集によって対立する論点を織りまぜながら、歴史的事実を検討し真実にせまっていく。テンポよく論点が整理、検証され、わかりやすい。
例えばこうだ。右派の論客は「強制はなかった。彼女たちは売春婦であり、商売のために自由意思で行ったのだ」と述べる。ミキ・デザキ監督は左派の論客の主張を織り込みながら、これを検証していく。双方の主張は公平に扱われているが、いわゆる「客観的」につくられているわけではない。
右派の論理と人間性
ここで興味がわくのは、右派の論客の発言内容とその人間性だ。真実とはなにか。この人たちは「自分が言う事が真実なのだ」と言う。杉田水脈は「少女像設置は中国が裏で動かしている。中国や韓国は工業技術で日本にとうてい勝てないから、いやがらせをして日本をおとしこめている」と述べる。藤岡信勝は「国家はなにがあろうと謝罪してはならない。たとえ間違っていたとしても、謝罪してはならないのだ」と語る。藤木俊一は「フェミニストは誰にも相手にされない女性で、心もきたなく、見た目もきたない」と平然と女性差別発言をする人物だ。加瀬英明は「あなたにとって正しい歴史認識をしていると思う歴史家はだれですか」という質問にたいして、傲慢にも「私がその一人だ」と答える。また、「韓国では少女像でさわいでいるが、韓国の人たちはかわいいものですよ」というときの差別性。アップで映る顔と表情のなかに、思想と人間性があぶり出されてくる。
少女像を設置する運動は、韓国やフィリピンや台湾などのアジアだけではなく、アメリカ(カリフォルニア州)でもある。映画では監督自身の出身地であるアメリカの動きもくわしく追っている。この事から「慰安婦」問題は、じつは侵略戦争に関する問題であることが見えてくるのだ。
映画は、安倍政権による〈戦争できる国〉づくりへと収斂されていく。日本会議とは、靖国神社参拝の問題、自衛隊が侵略軍へ変貌する動き。この登場する右派は、「あの戦争は侵略戦争ではなく、アジア解放のための正義の戦争だった」と言う人びとだ。日本政府はアジアにたいして侵略戦争を謝罪していない。ここが最大の問題なのだ。本紙の読者にとっては、右派の主張を左派が論破しており、心情的にはすっきりする。しかし、これでよしとする映画ではない。「では、あなたはどうするのか」が問われている。(鹿田研三)
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