代るべきは安倍政権
5月3日 全国で憲法集会
憲法施行から72年目となる5月3日、安倍首相は日本会議系の改憲派集会で上映されたビデオメッセージで、「2020年の新憲法施行」を強調した。自民党は今国会中に「国民投票法改正案」の成立をねらっているが、16日に開かれた衆院憲法審査会はわずか1分間で閉会。与野党の攻防が続いている。こうした中、全国各地で開かれた憲法集会は、「安倍改憲にとどめをさそう」と例年を上回る熱気に包まれた。(2面に関連記事)
改憲攻撃にとどめを
東京・有明の会場には、過去最高の65000人が集まった |
【東京】
5月3日、東京・有明の臨海防災公園で「平和と命と人権を! 5・3憲法集会2019〜許すな! 安倍改憲発議〜」が開かれ、65000人が集まった。司会は、講談師の神田香織さん。高田健さんが開会あいさつをおこない、続いて、音楽評論家の湯川れい子さん、「辺野古」県民投票の会の元山仁士郎さん、京都大学教授の高山佳奈子さん、ジャーナリストで武蔵大学教授の永田浩三さんがスピーチした。
湯川さんは「憲法9条は日本の宝です。世界の宝だ。ここに自衛隊を書き込むなんて絶対に許せない。未来の自分が作る平和な世界を信じて」と自らの体験を含めて訴えた。元山さんは「県民投票では、辺野古基地建設反対が72%と圧倒的結果が出た。しかし、埋め立て工事は依然として続いている。なぜ、沖縄の人たちの民意は反映されないのか。日本国憲法があるから沖縄は日本になったともいえる。憲法が変わるか変わらないかの岐路だ。その時何をしたのか、自分の言葉で語れる大人になろう。この憲法を大事にしながら、一人一人で良い社会を作っていこう」と呼びかけた。
各政党からのあいさつに続き、東京朝鮮中高級学校合唱部の歌をはさんで、リレートークがおこなわれた。東京大学教授の本田由紀さん、福島原発告訴団の武藤類子さん、〈移住労働者と連帯する全国ネットワーク〉鳥居一平さんが発言した。
その後、参加者は2つのコースに分かれてデモ行進をおこない、改憲反対を訴えた。
【大阪】
「5・3輝け憲法! 平和と命と人権を!」=大阪総がかり集会が大阪市内であり、2万人が参加した。
ミニコンサートから始まった集会は、主催者を代表して大阪憲法会議・共同センター幹事長の丹羽徹さんが「天皇の代替わりを利用し、異例の記者会見までして、祝賀ムードをあおり、改憲へ進もうとしている。オリンピックへと続く、新しいことには良いことがあるような雰囲気を作り出そうとしている。許してはならない」と発言。
続いて二宮厚美さんが、安倍首相が目論む2020年の改憲攻撃の破綻、アベノミクス・外交政策の失敗等を挙げ、「代るべきは安倍政権である。憲法9条に自衛隊を明記させようとする安倍政権に絶対NO! を」と訴えた。
核兵器廃絶・辺野古新基地反対・くらしを守ろう・女性の権利を! と各分野からスピーチ。沖縄から参加したヘリ基地反対協共同代表の安次富浩さんは7月国政選挙に向けて、野党共闘はもちろんのことだが、安倍政権の打倒を目指す民衆レベルの陣形統一が重要であると強調した。その後、集会宣言を確認し、たたかいの決意を新たにして、3コースにわかれデモ行進をした(写真左)。
6月28日〜29日 大阪でG20
新自由主義反対の声を
6月28日から29日にかけて大阪市内で20カ国・地域首脳会合(G20)が開催される。日本で初めて開催されるG20にたいして新自由主義グローバリゼーションとたたかう世界の人々と連帯して行動するG20大阪NO!アクション・ウィークの準備が進められている。そのプレ企画として批評家・小倉利丸さんの講演会が5月11日、大阪市内で開かれた(写真)。主催はG20大阪NO! アクション・ウィーク実行委員会。
講演で小倉利丸さんは次のように話した。
経済危機への対応から始まったG20は、その課題が大きく変質しつつある。それは、中国などの非欧米諸国の台頭、移民・難民問題、気候変動、宗教原理主義とナショナリズムなどであるが、こうした課題をG20という枠組みで「処理」できるとは思えない。各国の首脳たちが非公式の話し合いで「解決」するというトップダウン方式の意思決定プロセスには民主主義が一切存在しないからだ。問題はG20という一切の異論を許さない「儀礼」を挙行するために開催地ではどこでも異常な警備態勢が敷かれ、民衆運動への監視と弾圧が強化されていることだ。
19世紀初頭から始まった産業資本主義による経済成長は、この200年間で欧米先進国と非欧米世界との格差は急激に拡大した。この急激な成長を止め、元に戻すためにめざすべきは資本主義の衰退であって、その繁栄ではない。それが反グローバリズム運動の課題である。
基地・軍隊はいらない
性暴力許す地位協定
4月29日、「沖縄の元海兵隊員による性暴力殺害から3年 基地・軍隊はいらない! 4・29集会」が都内でひらかれ、200人を超える市民が参加した(写真)。主催は、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックを中心とする集会実行委員会。集会では基地・軍隊を許さない行動する女たちの会共同代表の高里鈴代さんが「米軍人による性暴力を繰り返させないために」と題して次のように講演した。
性犯罪を忘れない
4月13日に女性が殺されて、ここに立っているのもむなしい。「二度と起こってはならない」という気持ちが簡単に吹き飛ばされる状況になっている。裁判で加害者は「黙秘権を行使します」とだけ述べた。昨年9月、無期懲役が確定した。
北谷町の事件では4月22日、米軍の司令部前で集会を開いた。オレンジラインは地位協定に定めた基地敷地の境界であり、勝手に超えてしまうと逮捕される。地位協定の本文に「罪が確定するまで軍の保護下とする」とあるが、95年10月、「起訴前で引き渡す場合があり得る」「米軍側が好意的配慮を払う」と取り決められた。
2012年、軍務で沖縄に出張して来て民間ホテルに宿泊した兵士がレイプ事件を起こした。それで外出の制限が厳しくなったが、今年2月、緩和された。ドイツの米軍地位協定では、米軍人が現地の女性に子どもを産ませたら転属しても赴任先まで養育費の請求が行く。16年5月、英国人ジャーナリストのジョン・ミッチェル氏が入手した在沖海兵隊の新人研修資料では「沖縄県は歴史や基地の過重負担、社会問題を巧妙に利用し、中央政府と駆け引きしている」「日本は合意形成を重んじる国家だが、物事を進める際に一部地域と折り合わない時もある。特に沖縄が妨げとなっている」などと書かれていた。沖縄県の申し入れによって海兵隊は研修内容を改めた。米軍人の性犯罪を忘れない、ということはそれを生み出さない取り組みをすることだ。
2面
8時間働けば生活できる社会を
関生弾圧許さず各地でメーデー
5月1日、午後1時から大阪中之島公園・剣先ひろばで「8時間働けば生活できる社会を!」を掲げて第90回中之島メーデーが開催された。同メーデー実行委員会が主催するもので、雨の中800人が結集した(写真上)。大阪全労協の但馬けいこ議長の主催者挨拶につづき、特別報告として沖縄からヘリ基地反対協共同代表の安次富浩さんから、県民投票の勝利で再再度「基地ノー」の意志を示したにもかかわらず、辺野古土砂投入がおこなわれていることに怒りの発言がなされた。
来賓の挨拶としては大阪労働弁護団や、友誼政党関係として統一地方選を勝ちぬいてきた豊中の木村真市議や、参議院(社民党、全国比例)選挙予定候補・大椿裕子さん(大阪教育合同労組)など諸政党・無所属の議員たちがアピールした。
そのあと川口真由美さんの歌声。現在も獄中にある関生の武建一委員長の好きな「人間の歌」など数曲を激しく優しく歌い、参加者を魅了した。
後半では関生の武洋一書記長が「逮捕者の一部が昨日保釈されたが、保釈条件によりこの会場には来られない」と、権力の不当弾圧を弾劾。つづいて全日建トラック支部MK運輸分会、郵政ユニオンの労契法20条裁判などの報告があり、最後に垣沼陽輔連帯ユニオン近畿地本委員長のまとめの後、西梅田公園までのデモ行進に出発した。
MAYDAYあまがさき
尼崎では、例年5月1日にこだわって開催される尼崎中央公園での「MAYDAYあまがさき2019」が午後6時半からおこなわれた(写真左)。尼崎地区労の主催で100人ほどが参加。酒井浩二地区労議長の挨拶、武庫川ユニオンと全港湾大阪支部のたたかいの報告の後、4月県議選の先頭でたたかった都築徳昭尼崎市議などが発言。全港湾大阪支部の山田清二副委員長からまとめの挨拶ののち、出屋敷までのデモに出発。昼間は雨にたたられたが、夜は好天気で元気にデモ行進をおこなった。
京都は円山野音で
5月1日、第29回京都地域メーデーが京都市内でおこなわれ、雨のなか200人が参加した。会場は、同メーデーでは初めて円山野外音楽堂が使われた(写真右)。
世界の労働者の祭典の日に天皇即位の行事がぶつけられたことにたいして、多くの発言者が、支配者の労働者への挑戦だと怒りの発言。在日の発言者は「平成」の時代の差別の現実に怒りを表明した。また多くの発言者が全日建関生支部への弾圧にふれ、労働基本権を無視した弾圧にたいして、労働者は団結して粉砕すると述べた。
司会は関生支部の労働者がつとめ、来賓あいさつは、憲法9条京都の会、新社会党、留学同、韓青同、エキタス京都がおこなった。
連帯メッセージが、日比谷メーデー実、中之島メーデー実、韓国平等労働会から寄せられた。
関生への弾圧に関して、〈労組つぶしは許さない 勝手連 しが〉、関生支部京津ブロックが発言。
「闘いの現場から」として、きょうとユニオンの争議分会と郵政ユニオンが発言した。実行委参加団体からは、米軍Xバンドレーダー基地反対京都連絡会や若狭の原発を考える会をはじめ13団体から発言があり、関西合同労組は塚本副委員長が発言した。
兵庫憲法集会
悪夢の安倍政権終わりに
川口さんの歌、落合さんの講演
5月3日、神戸・東遊園地には9000人(5・3総がかり行動兵庫/主催者発表)が集まった。川口真由美さんが「沖縄、今こそ立ち上がれ」などを熱唱、会場は開始から盛り上がった。9条の心ネット・羽柴修弁護士が「安倍政権による9条改憲を許すことはできない。力を合わせよう」とあいさつ。
講演した落合恵子さんは「元号、元号の一色だった。政府、マスコミあげて他を認めない。だけど真実は沈まない。元号が変わって何が変わった? 子どもの貧困、格差社会。変わりましたか。『前政権は悪夢だった』と首相が言った。お前が悪夢だよ。福島を出ていかざるを得なかった人、帰った人、帰られない人。辺野古への土砂投入。ウチナーグチの『なんくるないさー』は軽い言葉じゃない。過酷な状況を生きてきたからこそ。憲法を守る、改憲に反対することは自分への問いかけ。次の時代へ『りんごの木』を植えよう」と訴えた。
デモは3コースにわかれ、繁華街を元町駅まで行進した。市民デモHYOGOほか市民グループは「9条こわすな! 辺野古、原発再稼働はんたい! 安倍政権はすぐやめろ!」と元気よくコールした。
京都憲法集会<>自衛隊員の命守った護憲派
小森陽一さんが講演
5月3日、「5・3憲法集会in 京都」が京都市内の円山野外音楽堂でおこなわれ、3300人が参加した。
開会あいさつは〈憲法9条京都の会〉代表世話人・岡野八代さん。政党からは、社民党、新社会党、共産党、緑の党からあり、国民民主党、立憲民主党、自由党からメッセージが。講演は、東大教授の小森陽一さん。小森さんは自衛隊の海外派兵と改憲の動きの歴史をふりかえり、改憲派の思わくと護憲のたたかいを説明した。自衛隊員の命を守ったのは護憲派のたたかいであり、戦争を阻止するために3000万署名を進めようと訴えた。集会後、四条河原町から市役所前までデモ行進した。
【定点観測】(4月11日〜5月3日)
安倍政権の改憲動向
・世論調査 安倍改憲に反対が賛成上回る
・ワイルドな憲法審査を(萩生田光一)
報道各社の世論調査から「憲法、9条」を中心に抜粋した。(4月調査、5月3日発表。数字は%)。「憲法(改正)の議論」は是とする意見が多く、「安倍内閣による改憲、9条に自衛隊を明記案」は拮抗か、反対が上回る結果が見られた。
毎日新聞
「安倍政権による憲法改正」賛成31、反対48(自民支持層の賛成61、反対24、無党派層の賛成21、反対56)、「9条2項に自衛隊明記の自民案」賛成27、反対28、わからない32(昨年27、31、29)/(4月13、14日調査。無作為に組み合わせた固定、携帯電話番号から有効回答1056人)
読売新聞 「憲法を改正する方がよい」50、「改正しない方がよい」46、(自民支持層の賛成65、立憲支持層の反対73、無党派層の賛成43、反対52)、「9条に自衛隊を明記する自民案」賛成47、反対46、(安倍内閣支持層の賛成67、不支持層の反対68、無党派層の賛成36、反対56)、「各政党が憲法議論をもっと活発に行なうべきか」行なうべき65、そう思わない31、「憲法審での議論」進めるべき73、進まなくてもよい20、(立憲支持層67、27、無党派層69、23)/(4月18日集約。全国の有権者から無作為に、地点・層2段抽出。郵送方式、有効回答2103通)
朝日新聞 「安倍政権のもとでの憲法改正」賛成36、反対52、「9条を変える方がよいか」変える方がよい28、変えない方がよい64、「安倍首相の9条に自衛隊明記改正案」賛成42、反対48、「自衛隊は憲法に違反していると思うか」している19、していない69/(4月15日集約。全国335投票区平均9人、計3000人を層化・無作為に抽出。郵送方式、有効回答2043通)(4月11日)
安保法廃止法案
野党5党が安保法廃止法案を提出 立憲民主、国民民主、共産、自由、社民の野党5党は「安保関連法を廃止する法案」を参院に共同提出した(4月22日)。16年2月にも当時の野党5党が衆院に提出したが、審議されないまま廃案になっている。
「ワイルドに進めたい」「野党に対して丁寧に取り組んできたが(今国会で憲法審が)開かれなかった。令和の時代になったらキャンペーンを張り、少しワイルドな憲法審査を進めたい」(萩生田光一・自民党幹事長代理、4月18日)
「まず自衛隊明記が必要だ」(『産経』主張/社説) 「天皇陛下は即位後のお言葉で『国民の幸せと、世界の平和を切に希望します』と述べられた。そのためには…憲法改正は急務の一つ」「憲法9条が平和を守ってきたと考える人がいれば、大きな間違いだ。自衛隊の抑止力と米軍の抑止力が平和を守ってきた」「9条2項を削除し軍の保持を認めることが(改正の)ゴールだが、前段として自衛隊を明記することは意義がある」(5月3日)
3面
焦点
新たな労働運動への挑戦(下) 森川数馬
地域に根ざした業種別運動
前号で紹介した木下武男氏(労働社会学者・元昭和女子大教授)が提起した運動の方向性を絞り込むと、〈「職種別賃金」と「地域を基盤とする労働組合の業種別部会」の共同した取り組みに〉ということになる。ここで示された〈新たな労働運動〉の可能性とダイナミズムついて見ていきたい。
企業主義の突破
新自由主義政策の導入は、資本の姿と労働者の雇用の在り様を激変させた。企業内の労資闘争ではさまざまな課題が解決できない状態が続いている。かつての「企業一家」、「企業グループ」による労働者支配とは異なる、極端な寡占支配が生み出されている。サプライチェーン・マネジメント(供給連鎖管理)と情報通信技術(ICT)が結合してつくりだす新たな経営形態は、24時間態勢の過酷な労働現場と細切れ化した労働現場の下に、何重もの下請け構造を作り出している。
筆者が工場労働者だった1960年代後半では、工場の営繕はもちろん食堂や浴場や掃除をおこなっていたのは、同じ企業で働く正社員であり労働組合に加入していた。それがいまでは非正規雇用で、その多くが非組合員である。非年功型賃金によって労働者は幾層にも分断されている。同じ現場で働いていながら、雇用関係、雇用形態、職種の「違い」によって、仲間感覚が生み出されない状態になっている。従来の下請け構造とは違う〈使い捨て経営〉、〈使い捨て労務〉が社会全体に行き渡っている。こうした新たな重層的下請構造の下では中小零細企業は丸ごと収奪の対象となっている。
このような労働環境の下では、企業別に労働者の要求をまとめ、可視化することはほとんど不可能である。すなわち企業別という枠組みでは労働者の組織化ができないのだ。それが、安定した雇用や賃金が期待できない労働者が増え続ける原因の一つとなっている。ここ数年のメーデーのスローガンは「8時間働いて生活できる賃金を」である。前号で紹介した公務部門の臨時職員、小売・飲食・サービスなどの「ブラック企業」の正社員、介護・保育・教育などの専門職労働者、運輸建設産業の労働者などにとってそれは切実な要求である。
関生運動とは何か
このような状況に風穴を開けたのが連帯ユニオン関西地区生コン支部(関生支部)のたたかいだった。労働組合が主導して生コン産業の経営者の協同組合への組織化を促し、協同組合と労働組合が協力して「産業政策」をつくり、上部大資本や行政と対決する構図をつくり出してきた。ストライキ、現場実力闘争などを背景に建設業界における労資の力関係を変えることで、生コン労働者の賃金水準アップ、業界の体質改善、コンプライアンス(法令遵守)の励行、福祉基金の実現など企業別組合では勝ちとれなかった成果を獲得してきた。木下氏の提起はこのたたかいに触発され、その実践に誠実に学びながら理論化したものといえよう。そこから業種別職種別ユニオン運動の挑戦と模索が始まったのである。
研究会の訴え
「業種別職種別に、労働組合の運動をおこなっていくことが今求められています。業種や職種を軸に、労働者を広く結集し、業界を相手に労働条件の向上を求めていく運動です。 … これらの分野では、業種別職種別ユニオンが適切です。 … また企業別組合であっても業種ごとに組合がまとまって、業界団体や政府に業界のあり方を改善させる運動も必要とされています。今ある業種別部会が企業を超えてしっかりと連携していけば、力になると思われます。/これらの業種別職種別の運動を調査研究し、広めていくことが急がれます。いわば業種別ユニオンの種を吟味し、それを各地に蒔き、花を咲かせることです。そのため、私たちは『業種別職種別ユニオン運動』研究会を結成いたします。」(「『業種別職種別ユニオン運動』研究会への呼びかけ」)
2017年6月15日、木下武男(元昭和女子大学教授)、熊沢誠(甲南大学名誉教授)、後藤道夫(都留文科大学名誉教授)らによる呼びかけが、いま現場で苦吟する労働者の意識や要求と結合し、現実の運動として始まっている。その実例として総合サポートユニオンの実践を紹介し、その展望を考えてみたい。
GSU
「働く人の権利が守られる社会、ブラック企業によって若者が使い潰されることのない社会を目指して結成された労働組合です」(総合サポートユニオンのHPより)。2014年に個人加盟の「ブラック企業対策ユニオン」として発足したのが総合サポートユニオン(GSU)だ。この自己紹介は組織と運動の性格をよく示していると思う。電話やメールの相談から直接面談し、組織化につなげてきた、より広い相談を受けるため、15年春から「総合サポートユニオン」へ名称変更し、正社員・非正規雇用や、業種・職種を問わず、全国から相談を受け付けている。GSUは、ブラック企業被害対策弁護団と連携しながら、ひとつの相談、ひとつの組合の結成、ひとつの争議を広く発信し、社会問題化することを組織戦略としている。SNSとくにツイッター(6万ツイート実現)を活用し、ベンディング業界における急速な組織化に成功している。現在、ユニオン支部として介護・保育ユニオン、エステ・ユニオン、個別指導塾ユニオン、私学教員ユニオン、労災ユニオン、ブラック企業ユニオンなどがつくられている。
課題別の支部
かれらの活動で注目すべきは、「企業ごとの支部をつくらない」を原則に掲げていることだ。個人加盟を基本にし「業種別・職種別」あるいは「課題別」に支部を組織する。これは従来にないスタイルである。そこには社会からこぼれ落ちた労働者を、一人でも多くすくい上げようという強い問題意識がある。
総合サポート
総合サポートユニオンという名称には、二つ意味がある。一つは、生活支援・労災支援などを含む「総合的な支援」。団体交渉のなかで、住居問題や貧困問題、過労やパワハラによる精神疾患などの問題が出くる。これらは当事者が立ち上がれない原因にもなっている。そこで行政への申請手続きや病院への付き添いなども含めて支援をおこなっている。もう一つは、誰でも入れる個人加盟のユニオンとして、あらゆる産業・業種・職種から相談を受け、組織化する「ゼネラルユニオン」であることだ。
アンダークラス
相談者や組合員の構成は非年功型正社員、しかも下層の正社員が非常に多い。業種では、広義のサービス業で働く人の相談が多く、「医療・福祉」「生活関連サービス業、娯楽業」に集中している。これらは年功型正社員がほとんどいない企業で、正社員を短期間で使いつぶす「ブラック企業」的な業態によって急成長してきた。この二つで組合員の95%以上を占める。
相談者の年齢構成は、34歳以下の相談者が過半数を占めており、組合員では約80%を占めている。GSUが若年層の組織化に力点を置いていることがわかる。相談者の3分の2が正社員。組合員の9割以上が正社員がである。
エステ・ユニオン
この運動の典型例としてエステ・ユニオンのたたかいの現状を紹介したい。
エステティック業界は70年代から急成長し、現在、全国の店舗数は約6000。法人経営は4割で、そのうち6割が全国チェーンだ。労働者3万人近くで女性労働者が95・5%を占める。非年功型で昇給もなく賃金は月20万円未満が70%以上。5年未満で4分3が退職するという。
エステ・ユニオンは2014年、たかの友梨ビューティークリニック仙台店の5人の組合加入からスタートした。全国124店舗あてに手紙を送付し組合加入の呼びかけ、他地域からの加入が始まる。会社の全店舗共通の労務管理や全国転勤システムが、一店舗の闘争を全国レベルの闘争に拡大させることになった。団交と並行して、記者会見、労基署、裁判、労働委員会を活用して社会問題化に成功した。こうした中、短期間で会社側の譲歩を引き出した。
全店舗への働きかけが消費者の関心を呼び起こし、「社会的交渉力」をつくりあげたことが労働者側の勝利を引き寄せたのではないかと思う。これが同業他社の労働者に拡大していった。
とくに「たかの友梨」で締結した「ママ・パパ安心労働協約」を公表すると他社の労働者から同じ協約を結びたいと相談が寄せられ、大手のTBCやミスパリの組織化につながった。こうして、業界全体の売上げの20%を占める大手5社と労使関係をつくり、中小を含め十数社と交渉をもっている。将来的には大手との労働協約、業種別の集団交渉を構想している。
個人加盟と地域産別
GSUは個人加盟制で、一店舗、一工場から次々と拡大しながら地域別の同一業種の労働者を組織し、全国化することを目指している。それは日本で戦後、独特に形成された企業社会と企業主義を打破する勇気ある挑戦だ。これが世界標準の労働運動である。従来のコミュニティーユニオンの多くが職場組織と個人加盟の混合形態で、企業別に組織作り、労働条件闘争などを取り組んできたが、その限界を打破する可能性を秘めていると思う。
関西での取り組み
今回は詳しく報告できなかったが関西の運動圏の取り組みを簡単に報告する。ケアワーカーズユニオン(全労協)・港合同などが中心となった介護労働者・事業者・利用者の業種別協同運動に取り組む「介護・福祉総がかり運動」が全国的な広がりを見せている。
また職種別・業種別の労働組合組織化への着手として連帯ユニオンゼネラル支部が結成された。全国港湾の産別最低賃金・事前協議制をめぐるストライキ闘争、郵政ユニオンの労働契約法20条闘争、非正規雇用労働者の処遇改善を求めた毎年のストライキ闘争。
地鳴り
全国のストライキ件数は最新の17年統計では微増傾向にあり件数46、参加者9917人。産業別では「運輸、郵便業」が最大で19件、「医療、福祉」が14件となっている。この中には弾圧の渦中の関生支部の17年12月ストが入っている。こうした一連の動きは新たな労働運動の「地鳴り」といっていいのではないだろうか。(おわり)
4面
論考
ソチエタ・レゴラータとは何か(下) 大伴一人
類として生きかつ闘うこと
前回は、グラムシがイタリア・トリノで蜂起した労働者たちの生き様やそのたたかいから「人間は共産主義的にしか生きることができない」ということを学び取り、そこから「ソチエタ・レゴラータ」という概念を創造したことについて述べた。今回は日本における具体的な事例を見ていきながら、この概念の普遍性について述べてみたい。
東日本大震災の例
まず東日本大震災の例を具体的に見てみよう。被災したある村ではその被害のあまりの大きさに、住民たちは茫然自失となっていた。村民たちの集会では「とにかく生き残らなければならない」ということなった。そこで村民たちは、救援が来るまでにはおそらくひと月はかかるだろうと考えて方策を立てた。自然にこうした領域が得意な人たちが集まってリーダーグループを形成した。
まず被害状況を知ること。津波に流され、全壊した家はどこか。半壊はどこか。どの家がまだ大丈夫か。役場、消防、警察はどうなっているのか。死亡したひと、行方不明のひと、元気なひとは誰か。道路の使用状況や、ガス、水道、電気がどうなっているのかを手分けして調査した。そして何よりも通信手段は使えるのかを調べた。その結果、通信、ガス、水道、電気のいずれもほぼ壊滅していることがわかった。村民の力だけで一カ月生き延びなければならない。そのためには何としても生活に必要な衣食住を確保しなければならない。
村全体で米や味噌、麦や食料品はどれほど残っているのか。野菜などはどれだけ確保できるか。これを一カ月で計算して、一人一日どれだけの食料を受け取れるのかを割り出さなければならない。また村に何人の病人がいて、どんな薬がどれだけ必要なのか。医師や看護師は何人いるのか。あるいはいないのか。誰が病人の責任をもつのか。障がい者、子ども、老人は何人いるのか。誰が担当するのか。どこに誰が住むのか。警備の担当は誰にするのか。
村民は生き残った
こうしたことを被災した村民たちはお互いに相談し、決断し、協力して担当を決め実行した。こうして一月後、彼ら彼女らは見事に生き残った。人間はどうしたら生き残れるのかということを、感動的な形で教えてくれたのだ。救援に来た人たちは、村の境のところまでがれきが取り除かれているようすを見てびっくりしたという。そうしたことはこの村だけではなく、被災地の各地で起こっていたのだ。
結論から言えば、人間は本質的に類として共同して生きているということである。自分自身の意志で、他人と共同して生きているということである。つまり共産主義的にしか生きることはできないということである。マルクスもグラムシも共産主義を発明したわけではない。労働者人民の共産主義的な生き方から、社会の在り方を学び取ったのだ。
天草の乱
「ソチエタ・レゴラータ」は歴史的にも多くの事例がある。日本では1637年に起こった天草の乱がある。あのたたかいをどう見るべきだろうか。唐津藩寺沢氏の過酷な支配に対して反乱にたちあがった天草・島原地方の農民漁民はキリスト教の指導者・天草四郎を中軸にきわめて強力なたたかいを展開した。それが可能だったのはキリスト教への信仰の強さをあげる人が多い。私もそのとおりだと思う。
しかし先に述べた階級闘争の普遍的な観点から見ると、また違うものが見えてくる。それは反乱に立ち上がった民衆の中の強い団結心や、共同してたたかう意志によって共産主義的共同体が生まれ、キリストの下に自分の生命を投げ出してたたかうという強い意志が生み出されていたことである。それがあったからこそ、あれほどの強力なたたかいが可能になったと思う。あきらかにキリスト教の下で共産主義的共同性が形成されていたのだ。ここでも人間は共産主義的にしか生きることはできないし、また共産主義的にしかたたかうこともできないことが示されている。
時代はさかのぼって戦国時代、1488年、加賀地方でおきた農民による一向一揆が、当時の守護大名富樫氏を打倒して「百姓の持ちたる国」といわれる門徒領国を成立させ、約100年にわたってこの地方を制圧した。この加賀一向一揆も後の天草の乱と同じことが言えると思う。
共産主義をめざす
こうした事例は世界史の中では数多く見ることができる。マルクスが古代最大の英雄と呼んだローマ帝国におけるスパルタクスの反乱(紀元前73年〜71年)もそうである。それは人類の歴史が、階級社会が登場した約1万年前から、日本では約3千年前から支配階級と被支配階級の間で絶えず争われてきた階級闘争の歴史であり、それは人間の本来の姿である共産主義をめぐる闘いの歴史であったということである。
マルクスはその政治的歴史的な意味を資本論によって科学的に明らかにしたのだと思う。共産主義は遠い将来にあるのではなく、全世界の労働者人民の現在の生き方、たたかい方の中にあるのだ。当たり前のことだが、現在、共産主義的に生きかつたたかっている人びとの中から将来が開けるのだ。資本主義を打倒し、共産主義社会を建設しよう。将来戦争がなくなり、自然災害が少なくなり、差別のない社会になるよう切に願って筆をおきたい。(おわり)
仲村未央さん講演会
憲法・主権のない沖縄
4月27日 神戸
改憲、辺野古阻止へ、4月27日「憲法・沖縄・市民のちから」兵庫県集会(主催/こわすな憲法! いのちとくらし! 市民デモHYOGO)が開かれた。メインスピーカーは「本土復帰」の1972年生まれ、仲村未央さん(沖縄県議)。以下、仲村さんの報告(要旨)。
土地問題だった
翁長知事が亡くなって急きょおこなわれた県知事選、その後の県民投票、衆院補選。すべて圧倒的な民意が示された。土砂が投入されてもまったく変わらない。いまは基地問題と言われるが、かつては土地問題だった。沖縄戦で県民4人に1人が命を落とし、助かった人も戻ろうとした故郷は金網に囲われていた。1955年、沖縄の基地は面積の11%、県外が89%、それが復帰後41%、59%に。いま71%だ。返還は基地拡張の歴史だった。嘉手納76%、普天間は90%が民有地だ。
財産権もない
土地契約を拒否する地主が増えてきた96年、知花昌一さんの土地契約期限が切れ、法的空白状態に。知花さんは基地の中に入り、三線を弾いた。知花さんは再契約を拒否し、市町村長、太田知事が代理署名を拒否した。政府は知事を裁判に訴える。太田さんは沖縄の基地被害、沖縄の苦境を最高裁で述べたが、敗訴した。その後は特措法で代理署名も不要にされた。沖縄には、憲法はなきに等しい。財産権すらない。
私は嘉手納の近くで育った。爆音訴訟が続くが、国は不動産業者を介在させ周辺地域を買い占めた。爆音に苦しむ何百世帯が土地を売り近くに移転した。土地を手放した後ろめたさもある。人と人との関係が破壊された。辺野古をめぐる民意の背景には、このような問題もある。
日本の主権は?
「沖縄は基地で暮らしている?」それは違う。返還された跡地を利用した那覇新都心の雇用拡大は90%、税収は30%伸びた。沖縄の経済を阻害しているのは基地なのだ。
沖縄は空も海も米軍支配のもとにある。オスプレイが本土にも配備された。「施設間移動」は自由で、どこでも飛びまわれる。首都圏の横田空域はもちろん、日本の空も米軍管理だ。沖縄の問題は、沖縄だけではない。日本は、みなさんの主権は大丈夫ですか。いま本土の、みなさんの問題、意識が問われているのでは。
読者の声 「二十一年わが手で育て 三月見ぬ間に国の神」 新たな英霊つくる靖国神社
4月21日、内閣総理大臣・安倍晋三の名で真榊と呼ばれる供物が奉納され、23日は超党派の衆・参国会議員71人が靖国神社例大祭に参拝した。
やや旧聞に属するが、それで『知るや「靖国」知らずや「英霊」』という小冊子を思い出した。中曽根康弘元首相が「日本列島を不沈空母に」と言ったころ、総評・日教組・国民文化会議の編(85年発行)である。総評、国民文化会議も、いまはない。
「国を護るために殉じた御霊やすらかにと彼らが言うのは、過去の戦死者へのことではなく、これからの戦死者のためである」と冊子は述べる。1939年(S14)につくられ、大ヒットした歌謡曲『九段の母』の歌詞に「こんな立派なお社に 神とまつられ もったいなさよ 母は泣けます うれしさに」とある。見出しに引用した詞は、日露戦争のころから流行ったという。「国の神」と詠みながら、もちろん言葉の意味は真逆にある。「国の神への誤認を、母親の心情に託したところがヒットした理由であろう」と冊子編者は指摘している。朝鮮、中国、アジア侵略から日米戦争に向かうころには、「もったいなさ、うれしさ」と歌わされることになった。
春秋の例大祭とともに、新たな戦死者を祀る臨時大祭(合祀祭)は、当時NHKラジオから全国に実況中継。アナウンサーは礼服に身を包み、「ぬばたまの闇の中を、英霊のみたま永遠に安かれと御羽車がしずしずと進みます」と厳かな上にも荘重に名調子で語りかける。夜間の実況ということもあり、地方の少年たちには「ほとんど戦慄に近い強烈さだった」という。
事実はどうだったのか。アナウンサーの述懐が残されている。「あの中継には困りました。真っ暗な参道の両側に座った遺族の中から、『人殺し。わが子を返せー』という悲痛な叫びが起きるんですよ。憲兵も、遺族には手をほどこす術がない。こちらは、その声がマイクに入ったら大変ですから。苦労しました」(武)
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直撃インタビュー第39弾
差別・誹謗の日本社会でいいわけがない
「在日」を貫く李相泰さんに聞く(上)
在日2世として戦後日本に生まれた李相泰さん。日本の差別社会を見つめ生きてきた。ときに大声、厳しい言葉を発しながら「差別のない、尊重しあう、ともに生きる社会になってほしい」「朝鮮半島の統一を」と熱望し、自ら行動する。「いまだから、話しておきたい」という李相泰さんに聞いた。(文責/本紙編集委員会)
3・1独立運動のころ
私は在日2世、昨年70歳になった。生まれてからずっと日本の社会で暮らしてきた。在日を見れば、日本の縮図、マイナスの部分が見えてくる。個人史を振り返りながら、朝鮮・韓国と日本の過去と現在を掘り起こし、未来を考えたい。
父は1904年2月、母は11年8月生まれ。父は15、6歳だった3・1独立運動のころ日本にきた。父25歳、母17歳のとき日本で結婚した。ぼくは兄6人、姉3人の末っ子として育った。
1919年に3・1独立運動が起こった。今年は100周年で、日本でもよく報道された。植民地支配に反対して民衆が立ち上がり日本の官憲と激しく衝突し、弾圧され、抵抗の発端、象徴になった。2月4日に東京YMCAで朝鮮人留学生、李光洙が独立宣言文を読み上げ、3月1日に韓国で同じ趣旨の宣言が発表され、民衆の独立運動に発展した。
日本では「反日、過激派」運動という認識だが、それは違う。「日本は、侵略戦争、植民地支配から脱却しないと、アジアも世界も平和にならない」と訴えた宣言であり、運動だった。それは中国の五・四運動にも継承されていく。五・四運動も、日本への中国留学生が大きな役割を果たした。朝鮮、中国、アジアから多くの若者が日本に留学し、日本の現実を知り、母国に帰って反日運動に起ち上がった。それは、戦後も本質的に変わっていないのではないか。
農地、仕事をとられ父親は日本へ
植民地統治の根本は武力。3・1運動は激しい弾圧で鎮圧された。しかし日本はこの後、少しは民政統治を入れざるを得なかった。
1910年から日本は朝鮮の土地調査をおこない、一方的に登記した。当時、朝鮮でははっきりした登記制度はなかった。朝鮮人は「ここは、元々おれのもの。なんで日本が登記するのか」と。そのとき登記しなかった土地はすべて没収された。朝鮮米は品質がよく、ほとんど日本へ持ち去られた。父は小作農だったから登記事業で小作地、仕事を失い、日本に渡ってきた。
日本の若者は徴兵され、国内の労働力が不足する。朝鮮人は工場、炭鉱などで使役され、父も山口県の炭鉱で働かされた。しかし仕事はきつい、飯はまともに食わせられない。それで神戸に逃げてきた。はじめはマッチ売り。大箱のマッチを小箱に分けて売り、何銭か稼ぐ。次は風呂屋の三助、それからバタ屋。鉄屑を拾い集め、鉄工所に持っていく。それで小銭を貯め大きな秤を買い、金属商として生きてきた。
1948年、神戸で生まれた
私は1948年4月に神戸・長田で生まれた。本籍だった朝鮮の蔚山に届けられた。「いずれ帰るんやから、本国に」という親の思いだったのだろう。48年は、朝鮮の情勢が非常に不安定な時期。8月に大韓民国、9月には朝鮮民主主義人民共和国ができる。朝鮮の分断が始まった。
最初に外国人登録をしたのは50年の2月6日。47年に外国人登録令、51年10月に出入国管理令、52年4月に外国人登録法が公布された。外国人を締め付け管理する法律であり、それに縛られ差別され続けてきた。52年10月2日に本名、李相泰として初めて日本で登録した。通名は岩田相澤、澤は泰と同じ「テッ」と読む。小学校に入ると「澤は当用漢字にないから沢に変えろ」と、名前すら日本の教育、先生に強要された。高校卒業まで日本名だったが、その後は日本名を使っていない。息子や孫にはもちろん日本名を付けていない。
ぼくが生まれた48年に、阪神教育闘争が起こった。日本の敗戦後、朝鮮人は子どもたちの教育のため朝鮮学校をつくった。ところが占領軍(GHQ)による廃止命令が出され、兵庫県も廃止することになり県庁をとり巻く大運動、暴動のようなデモになった。大阪では警官隊の発砲で死者も出た。世界人権宣言が出された年だ。いまも授業料無償を朝鮮学校のみ除外している。
戦後の食い物がない時代に育ち、小学校2年のとき栄養失調で半年間入院した。そのまま3年に上がり、授業がさっぱりわからなくなった。漢字は山とか川くらい、「を」と「お」の意味もわからん。先生も朝鮮人なんか頭から差別し、「ほっといたらええ」という感じだった。栄養失調の後、体育はずっと見学。他の兄弟は体格がよく、「朝鮮人は腕力があるか、頭がよくないと日本では生きていけん」と言っていた。
日本への納税を拒否した父
皮肉なことに、南北を分断する朝鮮戦争によって父親の鉄の商売は特需で儲かり、裕福になった。ところが、しょっちゅう家に赤紙を貼られる。ぼくは「日本は民主主義の国になったのに、なんで脱税や」と思っていた。いま考えると「酷い目に合わされた朝鮮人が、なんで税金払わないかんねん」という、納税拒否やね。神戸でもトップ、全国の在日同胞のなかでは10番くらいの財閥になっていた。
学校や周りでは「朝鮮は李承晩ラインで海を占領しとる」とか言われ、上を向かれん。自分が朝鮮人だとわかったら何をされるかわからん。だけど兄貴が学校で番を張っていたから、「あいつに手を出したら何をされるか」と、極端にいじめられることはなかった。
中学生になっても身体が小さく、先生に「どうしたら体力がつくか」と聞くと、「水泳がいい」と言う。水泳部に入ったがプールもない。海で泳ぎ、冬は陸上部のように走るだけ。体力はついたが勉強は全然。当時、52人の29クラスというマンモス校だった。成績のいい順に組分けされ、ぼくは28組だ。給食を食べたら塀を乗り越え歓楽街の新開地へ行き、映画やスケートという毎日。立派な不良や。
中2でバンドボーイ
聚楽館のスケートリンクの清掃係と仲良くなり、入場料タダ、時間も自由にしてもらった。キャバレーでバンドをやっている人が、ぼくがギターやっているのを知り「人が足らんから、こいや」と。福原のキャバレーでコントラバスを弾いた。丸坊主の中2だよ。それで通用したね。高校出の三菱や川重の初任給が月8000円のころ、ぼくは4時間勤務、2時間出演で日当2000円、月6万円になった。11時でハネ、毎日飲みに行った。
1960年4月19日、韓国の李承晩政権が4・19学生革命で倒された。親が民族運動をやっていたから、ある程度の意識はあったが「組織や運動にかかわるな」と言われており、そのころはあまり関心がなかった。中2のとき外国人登録証を紛失し、10指指紋をとられた。「こんな不良で指紋までとられ、日本におったら何もできんな」と、日本に対する徹底的な不信感がわいた。できたら国に帰った方がいいなと思った。とはいえ帰る術はない。
やっと定時制高校へ
高校を受けても、どうせ通らんだろう。それなら「電気の勉強でもしようか」と電気専門学校に行った。ところが、字も読めんのに電気の勉強なんかできるわけがない。これはいかんと、友だちから中学の教科書を借り、図書館に通って勉強しようとしたけど、勉強のやり方がわからない。そこにいた大学生に「何しているんや」と聞かれ、「じつは定時制でも受けようかと」と言うと、「よっしゃ、教えたる。これこれ勉強しとけ」と、出題傾向を教えてくれた。それでかろうじて定時制の湊川高校に入学できた。
国に帰ったら電気屋をしようと仕事を探したが、定時制に通わせてくれるところはなく、ケミカル・シューズの仕事に就いた。4時間で2000円のキャバレーから、初任給が月5000円や。それでも定時制の諸会費とバス代にはなった。
高校では写真部とジャズバンドに入った。ベンチャーズ、ビートルズの時代、ぼくはコントラバスだから「タタタタタタ…」についていかれん。写真部だけにした。当時、湊川高校は川崎、三菱に勤める生徒が多く、労働組合や部落解放運動の養成所のような学校だった。生徒会長選挙があると、会長をどこがとるかという熾烈な状況になる。ぼくは三菱労組関係から声をかけられた。同じクラスから解放同盟が押す候補が出たが、けっきょくぼくらが選ばれた。
夜高連という定時制の横の連絡会があったことを知り、県下の学校を回り再建を図った。写真部やジャズバンドで他校に顔見知りもおったから。ところが、学校側は他校の生徒同士の連絡を嫌がる。日本の学校、教育はそういう傾向が強いね。調べると給食費や諸会費の不正がわかった。湊川は完全給食で補助金も出ている。「それなのに、こんな高いのはなんでや」と是正させた。そのときは、是正させても「表には出さんから」ということにしたが、卒業後それが解放運動などに伝わり尼崎や他校にも広がる授業ボイコット運動になった。
写真部と生徒会活動ばかりで4年のときは「留年になってもええか」と。親父が「授業にも出とらんのか」と怒った。先生に公欠届けを持って回り、かろうじて卒業できた。ぼくは留年でもよかったが、ほんまはおってほしくなかったんやろな。(つづく)
(短信)
●特定重大事故対処施設の建設まにあわず
九州電力、四国電力、関西電力の3社は、特定重大事故対処施設(以下、特重施設)の建設が新規制基準で定められた設置期限に間に合わないと、期限の猶予を言い出した。
これは「新規制基準施行(2013年7月)から5年以内に建設」と決められ、2018年7月が期限だった。これに間に合った原発はひとつもなく、規制委委員会はまたも例外をつくり期限を延長。それぞれの原発ごとに「工事計画認可から5年」以内に変更された。その5年が迫り、上記3社は期限の猶予を言い出したのだ。
特重施設が完成していなければ、原発の運転はできない。川内1号機が20年3月に、同2号機が同年5月に期限を迎える。原子力規制委員会は4月24日、設置期限の延長は認めないことを決めた。現在再稼働している関西、四国、九州の3電力の原発9基は、設置期限に間に合わなければ、期限を迎える20年以降に順次、運転停止することになる。
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投稿
終わりにしよう天皇制
東京で5日間連続行動
4月30日の明仁退位、5月1日の徳仁即位に向けては、全国各地で反対行動が取り組まれましたが、東京では「おわてんねっと」(「終わりにしよう天皇制!『代替わり』反対ネットワーク」)が5日間の連続行動をおこないました。4月27日から5月1日まで、名付けて「終わりにしよう天皇制! 反天WEEK」です。
27日は、天皇制を総体的に問い直す屋内集会(「アキヒト退位・ナルヒト即位問題を考える練馬の会」の集会に協賛する形でした)。28日は、明仁と沖縄の問題を考える「沖縄デー集会」(屋内)。29日は、「昭和の日」に反対する立川デモ(「立川自衛隊監視テント村」との共催でした)。明仁退位当日の30日は、退位でそのまま天皇制を終わらせることを新宿駅前で訴える大アピール行動。残念ながら徳仁が即位してしまった1日は、「即位即退位!」を求める「新天皇いらない銀座デモ」。
右翼上回る迫力で
ご覧になってわかるように、それぞれの日に個別のテーマを設定した、実に多様な行動でした。そして、29〜1日は街頭に出ての行動。爽快だったという感想がいくつも寄せられました。30日のアピール行動は、新宿東口のアルタ前。17時の退位式典がアルタの大ビジョンで映し出される前で、150人が抗議の声を上げつづけました。妨害に押しかけてきたガチウヨ(街宣右翼)やネトウヨを人数でも声の大きさでも、そして迫力でも大きく上回っていました。
1日の銀座デモは、主催者の予想の倍以上の500人以上が参加しました。いつもはデモ隊をサンドイッチ規制する警官の数が少なくて警備の隊列がスカスカだったのは、参加者数が警察の見込みを大きく上回ったからだというのが、もっぱらの噂?
5日間の連続行動という形にしたことが、多くの人を引きつけたのではないかと思います。特に街頭行動は、マスコミが「奉祝」ムードを煽り立てる中で、怒りを表明する貴重な機会になりました。5日連続でその機会を作ることができたことが、多くの人が集まった理由でしょう。
30日の新宿アピールでは、個人でマイクを持参した方の飛び込み参加がありましたし、1日の銀座デモでは、デモ前の前段集会よりもデモの方が参加者が多いという珍しいことになりました。前半の3日間も、どの日も主催者の予想を上回る100人を超える参加者がありました。
しかし、喜んでばかりもいられません。秋の「即位礼」「大嘗祭」に向けて、天皇関係の行事が続きます。そのたびに国は奉祝の強制、あるいは天皇制を水路とした愛国主義・排外主義の煽動を繰り返すでしょう。そして、ネットを通じてそれが拡散されるという、非常に危うい状況にあります。
それぞれの地域で取り組みを重ね、そしてそれをつなげていきましょう。(反天黒道着衆)
薩長につぶされた憲法構想
関良基「明治維新の正体」講演会
5月5日、「明治維新の正体、150年キャンペーンのうそPartU」講演会が大阪市内でひらかれ150人が集まった。主催は、戦争あかん!ロックアクション。講師は、『赤松小三郎ともう一つの明治維新 テロに葬られた立憲主義の夢』著者・関良基さん(写真)。昨年8月の講演会が好評で、続きが聞きたいという多くの要望に応えPartU開催となった。演題は「江戸末期に既にあった現憲法につながる立憲思想」。
関さんは明治維新の通説の誤りを解く。慶応年間にはすでに議会制民主主義と議院内閣制が唱えられており、主なものだけでも9本の憲法構想が建白された。議会制と普通選挙権を唱え現行憲法の理念と遜色がないものである。薩土盟約の「約定書」も@行政権は朝廷に、立法権は議事院に帰属、A議事院は上下に分け下陪臣庶民にいたるまで正義純粋のものを撰挙する。下院議員の被選挙権は藩士から庶民まで全国民に。B議員の条件は私欲なく、権謀術策を弄しない誠実な人、C将軍職廃止、D国学者の主張する「神武創業の伝統」に回帰することを拒否。
地球上の他国と比べても恥じることのない憲法案で、越前、尾張、広島など各藩が賛同していった。徳川慶喜も賛同していたので、これが成功すれば平和的に民主的近代国家に移行できたはずである。
しかし、西郷隆盛・大久保利通はイギリスの武器商人アーネスト・サトウの口車に乗り薩土盟約を破棄し戊辰戦争につき進んだ。サトウは、幕府はフランスと手を結び薩長を押しつぶそうとしていると嘘を吹き込んだ。サトウにとっては薩長に権力を握らせた方が都合がよかったのだ。
戊辰戦争は薩長が政権を握るために仕組んだもので、明治維新でかえって民主的近代国家の誕生が阻まれ、天皇神格化思想が蔓延した。選挙権も租税を一定以上納めた者にのみ与えられ、女性は排除された。幕末の憲法構想から大きく後退した。
話を聞いて、天皇代替わりの儀式によって一気に神話時代に引き戻された感がある今、この事実を多くの人に知ってもらい、明治維新によってゆがめられた日本の政治や歴史を正したいと思った。(池内慶子)
(本の紹介)
ジェンダーの視点から象徴天皇制の虚妄と陥穽を撃つ
鈴木裕子『天皇家の女たち 古代から現代まで』
大庭 伸介
著者は冒頭、「わたくしの天皇・天皇制についての見方は、廃絶を求めるものである」とし、「それは、天皇制は、たとえ象徴天皇制であろうと、男系家父長原理に貫かれた性差別、階級差別、民族差別、身分差別、障害者差別、異質な思想や人物を排除する差別のシステム・体系であるから」と、その立場を鮮明に打ち出している。
天皇の代替わりと改元を巡って、ほとんどの「識者」が象徴天皇制を肯定しているなかで、これは決定的に重要なことである。
女性は「子産み機械」としてフル稼働
本書は天皇制の成り立ちから説き起こしている。それは指定暴力団山口組の跡目争いも顔負けのオドロオドロシイ血の抗争と陰謀の歴史である。「皇統」を絶やさないために、女性たちはまさに「子産み機械」としてフル稼働させられた。
近代に入っても大正天皇にいたるまで「側室腹」の天皇が続いている。著者は豊富な資料と先学の研究成果に基づき、虚偽に満ちた「皇統連綿」の過程を克明にフォローしていて、反論の余地がない。
「万世一系」の神話や、日本が中国より優れた「神州」であるという天皇制思想は、幕末政争の前史のうえに、明治憲法で創案されたものに過ぎないとしている。卓見である。
皇后は天皇を後ろから支える存在とみなされているが、日清・日露戦争では、天皇よりも積極的に戦争遂行のために活躍している事実を指摘している。
敗戦後、天皇制は延命のため、神権天皇制から象徴天皇制へと衣替えを余儀なくされた。
昭和天皇の皇后良子も、いくつかの社会事業所を視察して、関係者と「拝謁」し「お茶を賜」わっている。しかしこれらの行為は周囲の説得によって渋々と行われ、そこで働いている人たちへの感謝の辞は一言も発することがなかった。皇后の「御仁慈」がいかに儀礼的・形式的なものであったか、側近たちの日記や言葉の端々から、十分に伺うことができる。
平成天皇の皇后美智子は、民間から初めて「お輿入れ」し、マスメディアによって「ミッチーブーム」を巻き起こした。そして今、「仲むつまじいご一家のご様子が映像で伝えられると、国民には現代的理想像と映った」「人の背負う悲しみに寄り添い続けた」「美智子さまのおことばからは、日本の近代化や戦後の歴史への幅広い理解がうかがえた」(以上、いずも『毎日新聞』4月10日付社説)とベタ褒めである。
社会矛盾を隠蔽し抵抗を抑えるツール
こうした状況に対して著者は、「日本社会の矛盾や階級矛盾が深まるなか、『天皇』やそれに繋がる存在をあたかも貴いもの、特別な存在(貴種)として浮かびあがらせ、日本『国民』の一体感を謳いあげ、反貧困や平等を志向する社会運動を抑え、矛盾を隠蔽させ、天皇を『統合』へのツールとして、再設定する試み(新たなる『一君万民』への幻想創出)が背後に強く働いているのではないだろうか」と、警鐘を鳴らしている。
本書は一貫して、事実をもって語らせる手法に徹し、説得力に富んでいる。
最後に一言。テレビニュースの皇室報道の際、女子アナはなぜか決まってほほえましい表情になる。男性のヒガミか、著者に聞いてみたい。(社会評論社、3500円)