未来・第269号


            未来第269号目次(2019年5月9日発行)

 1面  代替わり儀式
     強まる天皇制国家思想
     安倍9条改憲と一体

     政府は民意に従え
     新基地断念を 国会前に2400人

     尼崎市で憲法集会
     統一署名、5万5千筆超

     1型糖尿病訴訟で勝訴
     年金打ち切りは違法
     大阪地裁

 2面  投稿
     「勝利への展望を見た」
     ゲート前、海上行動、屋良さん応援

     統一地方選を振り返って
     兵庫県阪神地区を中心に

 3面  原発事故
     声出せない福島の現状
     五輪復興≠ェ重圧に      

     種子法廃止、被害は深刻
     元農水相 山田正彦さんが警鐘     

     ルポ 沖縄の「監置小屋」を訪ねて
     精神障がい者の運命を記憶

 4面  論考
     ソチエタ・レゴラータとは何か(上) 大伴一人
     グラムシが描いた共産主義

     強制連行の記憶を残す
     柳本飛行場跡 市民が説明板配置
     奈良県天理市

 5面  焦点
     新たな労働運動への挑戦(上) 森川数馬

     私と天皇制 C
     「政府にだまされた」母と皇居清掃奉仕団

 6面  (シネマ案内)
     豊かな自然の中の暮らしと闘争
     ドキュメント映画 『ほたるの川のまもりびと』
     監督:山田英治(2017年制作)

     起きらんね。ほんとうに生きるときがきたー
     直木賞受賞作品 真藤順丈 『宝島』
     講談社 1850円+税

       

代替わり儀式
強まる天皇制国家思想
安倍9条改憲と一体

5月1日、新天皇ナルヒトの即位儀式(「剣璽等継承の儀」、「即位後朝見の儀」)がおこなわれた。これにたいして、全国各地で天皇即位儀式に反対する集会や5・1メーデーがたたかわれた。
「天皇代替わり」に関する一連の皇室儀式はすでに3月12日から始まっており、4月30日にはアキヒトの退位の儀式がおこなわれた。この「天皇代替わり」儀式は10月22日の即位儀式(「即位礼正殿の儀」)とパレード、11月14〜15日大嘗祭、2020年4月「立皇嗣の礼」まで、約40の儀式が1年間にわたって続けられる。ここでは皇室儀式と国事行為があいまいな形で、一体でおこなわれていることを見ておかなければならない。
5月4日、新天皇即位祝賀の一般参賀が皇居でおこなれたのに続いて、5月26日にはトランプが来日し、新天皇ナルヒトとの会談をおこなう予定だ。2020年の東京オリンピックは、天皇ナルヒトが国際舞台に初めて登場する場として設定されている。同時に、オリンピックでは「ガンバレ日本」が連呼されていく。
すでにメディアは、新天皇ナルヒトにたいする大キャンペーンをおこっている。事あるごとに「令和」が叫ばれ、天皇の存在を人びとの心に植え付けていこうとしている。この1年間、祝賀ムードのなかで天皇制イデオロギーの攻撃が連日おこなわれていくのだ。

「国民統合」の装置

象徴天皇制は、楕円のふたつの焦点≠フように政治権力と宗教的権威が一体となって「国民統合」をおこなうシステムだ。「支配者の天皇」はありえても、「人民の天皇」はありえない。国家にあらがう者は、「非国民」として排除される。すでに、予防拘禁の弾圧や労組にたいするでっちあげ弾圧がおこなわれている。この150年間、日本の人民は天皇制の問題をあいまいにしてきたのではないだろうか。天皇制の打倒は、日本人民自らの課題なのだ。
新天皇ナルヒトの即位儀式を5月1日メーデーにぶつけてきた。これはたんなる偶然ではないだろう。敗戦後、11月23日の新嘗祭は「勤労感謝の日」になった。連合国軍総司令部(GHQ)の政策は天皇制を弱体化する意味合いもあったが、天皇制を維持することは日本の支配階級の意志でもあった。また、11月3日の「明治節」は「文化の日」になっているように、天皇制イデオロギーは生活のなかに見えない形で浸透している。
このように、戦後の象徴天皇制は労働者の階級性を解体する極めて政治的な制度なのだ。5月10連休は、こういう攻撃の一環として設定されている。われわれはこのことをしっかり見すえて、一連の天皇制攻撃とたたかおう。
安倍政権は「天皇代替わり」儀式を祝賀行事としておこない、天皇制イデオロギーをあおり、最大限に自らの政権のために利用しようとしている。安倍は政権の求心力をたかめ、改憲をねらっている。この過程は、安倍政権の戦争政策、改憲攻撃とのたたかいでもあるのだ。天皇制・天皇制イデオロギーによる国民統合攻撃にたいして、断固としてたたかおう。

政府は民意に従え
新基地断念を 国会前に2400人

衆院第二議員会館前に2400人が結集した
(4月19日)

4月19日、辺野古新基地建設は断念を! 政府は沖縄の民意に従え! 安倍9条改憲NO! 憲法審査会始動させるな! 4・19国会議員会館前行動がおこなわれた。主催は、戦争させない・9条壊すな! 総がかり行動実行委員会、安倍9条改憲NO! 全国市民アクションなど。2400人が参加した。集会では、前日18日、自民党の萩生田光一幹事長代行の「新しい時代になったら、少しワイルドな憲法審査を進めていかないといけない」発言にたいする弾劾の声があがった。萩生田発言の背景には、安倍首相の改憲スケジュールが反対運動によって大幅に遅れていることへの焦りがある。また参加した国会議員は「市民と野党の共闘として力強く推進したい」と発言。社会の空気を一変させ、地方自治体をも意のままにする安倍の野望をくじき、改憲発議をさせてなならない。

尼崎市で憲法集会
統一署名、5万5千筆超

5・3兵庫憲法集会を前に4月21日、JR尼崎駅北広場で「終らせようアベ政治! 尼崎憲法集会」が開かれた(写真上)。主催は「安倍9条改憲NO! 全国市民アクション・尼崎」で280人が参加。全国市民アクション・尼崎は安倍9条改憲NO! 全国統一署名を尼崎市内で1年半にわたって実施、5万5千筆超を集めた。
開会あいさつでは呼びかけ人が、統一地方選の結果に触れながら、野党共闘の強化を求めた。統一地方選で当選した県会議員や国会議員・各政党のあいさつに続いて、市民団体が現場のたたかいを報告した。辺野古現地闘争に参加した仲間、反原発、反自衛隊運動の取り組みのあと、当日伊丹市の第3師団に申し入れをおこなった仲間の発言・歌が続いた。集会後JR尼崎駅周辺をデモ行進した。

1型糖尿病訴訟で勝訴
年金打ち切りは違法
大阪地裁

4月11日、大阪地裁第2民事部(三輪方大裁判長)は、国による1型糖尿病患者の障害基礎年金打ち切りにたいし、患者側の主張を全面的に認める勝利判決を出した。
糖尿病には1型と2型がある。1型は生活習慣病に起因する2型と違い、生来、血糖値を下げるインスリンが体内で分泌されないため毎食後の注射等が欠かせない。多くは20歳前に発症し、原告のひとりの滝谷香さんは5歳で発症した(4月12日付毎日新聞)。その後、保育士として働いていたが、勤務中に低血糖で倒れ退職を余儀なくされたこともあり、根本的治療法はなく、「いつ倒れるかわからない」という不安に常につきまとわれている。
国民年金法では20歳以後に初診日がある障がい者に対し障害の程度に応じて障害基礎年金を支給するのが原則であるが、1型糖尿病に限らず体育の授業等で重傷を負い寝たきりになる等の例が絶えず、国は20歳前に初診日がある場合でも20歳に達した段階で支給要件に該当する障害の程度にあれば支給するように法改正をしてきた。
原告らは法改正された要件に該当するため同基礎年金をこれまで受給してきた。しかし、国は2016年、突然「障害の程度に該当しなくなった」という結論をいうのみで具体的理由を一切説明せず、支給を停止してきた。
さらに、国は傲慢にも裁判の中で原告らの障害の状況の変遷について全く応えなかったとのことである。そのため、大阪地裁第2民事部は原告らの生存権を大切にする観点から争点を分離し、打ち切りの理由不備の一点に争点を絞って判決に至ったものである。提訴からわずか1年5カ月で判決を下した第2民事部に対し弁護団は「迅速な救済に向けた裁判所の姿勢が明確な判決」とコメントし、打ち切りは「社会保障の抑制に向けた動きだったのではないか」とも指摘している。東京地裁でも打ち切りとたたかう訴訟が起きている。生きるためにはたたかうしかない、たたかえば状況を変えられる、こういうことを示した判決だったのではないだろうか。
原告団・弁護団から国が控訴を断念するよう要請する賛同署名が呼びかけられている。ネットでも署名が可能であり、多くの人たちの賛同署名を呼びかけたい。
(矢田 肇)

2面

投稿
「勝利への展望を見た」
ゲート前、海上行動、屋良さん応援

キャンプ・シュワブゲート前で抗議行動
(4月15日 名護市内)

地獄の沖縄戦陸軍病院壕

4月13日から16日、辺野古ブルー・兵庫の7人のみなさんとともに、新基地建設反対の行動と衆院補選の屋良朝博候補のつじ立ちをおこなった。今回は、抗議船「平和丸」に乗船させてもらい、初めて海上からの反対行動をともにたたかった。「浜のテント」での現状報告を聞き、抗議船乗船を通して強く感じたことは、この新基地建設は早晩行き詰まるであろうという、反対運動を担う方々の強い確信だった。
沖縄到着の日は、南風原の陸軍病院壕群20号の見学に行った。長さ70メートルほどの人がやっと通れる壕の中に実際に入って、当時の凄惨な状況の説明に言葉もない。けが人がひしめく中、やがて摩文仁(糸満市)への撤退命令が下り、重症者は青酸カリで自決を強要されたという。しかし、摩文仁には「地獄の沖縄戦」のさらなる悲劇が待っていた。こんな沖縄に、さらなる新基地をつくるなど、とんでもないことである。

見通し立たない埋め立て工事

翌14日、風が強くカヌー出艇は中止になった。そして「浜のテント」でゆっくり話を聞くことができた。「5474日」の数字を掲げた立て看板が目に入る。2004年4月のボーリング調査へのたたかい以来、丸15年の「浜のテント」はまさに不屈のたたかいのシンボルである。一行はテントの中に入り、スタッフの方から説明を受けた。現在はK―9護岸に土砂を積んだ台船を接岸し、ダンプに積みかえて埋め立て区域A―1および同Aへと運んでいるが、N―4護岸からK―8護岸の建設が進められている。ここに台船をじかづけして船から直接土砂投入をやろうとしているようだ。
いま、ダンプで運んでいる量は1日250台ほど。K―9護岸から土砂を積んで埋め立て区域へと運んでいる。ここは辺野古漁港側の水深の浅いところで、ここで埋め立てを見せつけて反対運動をくじこうとしている。しかし問題はK―8護岸のこれからと、C1〜C3護岸である。水深60メートルの海底にN値ゼロの軟弱地盤が最大90メートルの深さのところまで横たわっているからだ。地盤改良が必要で砂のくいを打ち込むとしているが、現在の土木技術では70メートルまでが限界という。政府は今年1月、改良工事の必要性を初めて認め、3年8カ月の工期と7万7千本の砂のくいを打ち込むと公表した。
70メートルより下にある部分について問われた岩屋防衛相は、「70メートルより下の部分は十分に硬いので問題はない」と答えたという。沖積層に土砂を積んだ関空でも、すでに4メートル沈んでいるのに、およそまともな答えとはいえないだろう。
単純計算でも1日70本もの砂くいを打たねばならず、基本計画の変更と沖縄県の不許可―裁判を考えれば地盤改良工事だけでも何年かかるかわからない、つまり完成の見込みがまったく立たない状況になりつつある。説明してくれた方は、勝利の展望を確信しているようだった。

フロートに突進する抗議のカヌー

15日は、一行はカヌー訓練6人、抗議船2人に分かれて海に出た。抗議船には「沖縄タイムス」と「琉球新報」の若い記者2人も乗り込んだ。ほんとうにきれいな海だ。まわりに「ODB」と書いた布を掲げた船がいかりを下ろして、やたら浮かんでいる。聞けば沖縄防衛局から「監視船」として委託された漁船とのこと。1日30隻を辺野古漁港と汀間漁港で割り振って出している。莫大な税金を使っての「漁師」対策のようだ。監視などやる気はなく、船の上でただ時間が過ぎるのを待っているだけだ。元漁師なのだから、豊かな海がつぶされていくのは心中穏やかではないと思うが…。
臨時制限区域に近づくと海上保安庁の監視艇がしつこくつきまとって、区域外に出るように警告を繰り返す。オレンジのフロートの中には、3人乗船の少し大きめの監視艇が12〜3隻、絶えず動きまわっている。この日、この区域にきたカヌーは8艇。果敢にフロートの中に突入を繰り返すが、入ったとたんに監視艇に挟み撃ちにされたり、カヌーのロープをつかまれたりして埋め立て現場には近づけない。それでも工事中止のプラカードを掲げて懸命の抗議活動を続ける。「平和丸」は、カヌー隊がフロート内に入るのを助けるためオレンジのフロートを陸側に何回も押し戻した。2時間余りの抗議活動を終えて昼前に「テント村」に戻った。

ゲート前座り込み小集会

昼からはゲート前の座り込み行動に参加した。ダンプ等工事車両の通過は10時、12時、3時の1日3回。それぞれダンプは空荷で100台、100台、50台ほどでゲートの中に入っていく。生コンミキサー車も多い。私たち8人は3時の座り込みに合流した。この日の座り込みは50名ほど。パトカーに先導されてダンプが工事用ゲート前でとまると、機動隊が出てきて排除をやり始める。私は2年前にも座り込んだが、機動隊はそのときほど手荒なやり方はしなくなっていた。排除前には小集会も可能で、私たち一行は兵庫からきた8名と紹介されて歓迎の拍手に迎えられた。代表の小野純一さんが「市民デモHYOGOの世話人で辺野古にもきた高橋秀典さんが神戸市議に当選した」と報告すると、拍手また拍手。神戸市議会でも、辺野古反対決議をめざして頑張りたいと表明した。

屋良候補応援つじ立ちに勝利を確信

夕方からは東江1丁目交差点での、屋良候補応援のつじ立ち。4時半から5時半の1時間だったが、反応はまずまず。前日も同じ時間帯、同じ所でつじ立ちしたが、日曜ということもあり手を振ってくれる車の多さにびっくりした。2回のつじ立ちで屋良さんの当選をみんな確信することができた。地元2紙は、北谷町での米兵による女性殺害事件を連日大きく報道していた。
最終日16日は、飛行機の出発前にゲート前10時の座り込みに参加した。ゲート前小集会の司会は山城博治さんと大城悟さん。博治さんの熱い語りと歌に30人ほどの参加者は大いにもり上がった。小野代表は山城さんを見かけると「堺市にならって神戸でも市議会請願を考えており、それに向けてのキックオフ集会にはぜひきてほしい」と要請し、快諾を得たとのこと。先を見すえた機敏な行動に感心した。1人の市議の当選で市民運動が大いに活気づいている。
選挙の応援活動も交えた、3泊4日の今回の沖縄行動。やはり現地で直接たたかいの息吹にふれることは、何ものにも替えがたい体験となる。読者のみなさんも可能な方は、ぜひ辺野古にかけつけてゲート前座り込みやカヌー、抗議船での行動に参加してほしいとお願いして、報告とします。(兵庫/江渡)

統一地方選を振り返って
兵庫県阪神地区を中心に

統一地方選決起集会(3月25日 伊丹市)

維新が「背水の陣」

4月21日で、衆議院補欠選挙と統一地方選後半戦が終わった。
衆議院補欠選挙は沖縄3区、大阪12区とも自民党が敗北した。沖縄ではオール沖縄の屋良朝博さんが勝利したが、大阪では維新の勝利がつづいた。無所属野党共闘の宮本たけしさん(元共産党衆議院議員)は4位落選で惨敗した。前半戦の大阪府市首長選、府市議選での維新の大勝につづくこの「全大阪制圧」に向かいかねない流れを、何としても止めなればならない。
3月初旬の松井・吉村の辞任、元衆議院議員松浪健太を府議選に立てるという大阪維新の「背水の陣」に比して、左派・リベラルは、「本気度」で劣っていた。筆者が活動する兵庫県・阪神地域を中心とした感想を述べたい。

運動基盤が大切

兵庫県でもこれまで以上に「維新の風」が吹いた。しかし日頃から憲法闘争・反貧困・子育て・介護などの課題に取り組んできた候補は十分対抗し、各地で戦線を維持した。
兵庫県阪神地区では、前半の県議選と、後半4市(宝塚、伊丹、西宮、芦屋)の市議選、芦屋の市長選がおこなわれた。県議選では、川西市・猪名川町の北上あきひとさん(無所属)、伊丹市の相崎佐和子さん(立憲)は自民党候補を落選させて初当選。
阪神間の市民運動をも代表し、16年川西市議を務めた北上さんは、立憲野党の支援も受け公明党候補とトップを争った。
「野党共闘の星」として期待された尼崎の弘川よしえさんは現職の壁を打ち破れなかったが1万票を獲得する健闘。
神戸市議選では市民運動出身の高橋ひでのりさんが垂水区で当選。新社会党候補2人も当選し、神戸市議会では無所属議員を含めて5人の会派結成をめざすという。実現すれば画期的事態となる。
また前半戦の大阪府議選では、無所属ながら1万票以上を獲得した大阪府議候補の山下けいきさん(茨木市)、大石あきこさん(大阪市淀川区)の健闘ぶりが目立つ。後半戦で森友事件を最初に暴露した木村真さんが豊中市議選で上位当選を果たした。今後の大阪の運動の再建の柱になるのではないか。

女性候補が健闘

後半戦でも維新の勢いが増し、芦屋市、西宮市では維新候補がトップ当選。一方、伊丹市では保育所・幼稚園の統廃合に反対し2万3千弱の署名を集めた立憲の新人女性候補・高橋あこさんがトップ当選した。芦屋市長選では非自民の前市議・伊藤麻衣さんが、自民推薦の前県議との接戦を制し勝利。
これで阪神間では伊丹市の藤原市長を除き、川西、宝塚、尼崎、西宮、芦屋が非自民系市長となった。しかも宝塚、尼崎、芦屋は女性市長である。
また昨年10月の川西市議選と今回の伊丹市と宝塚市の市議選ではいずれも女性候補が10人当選。西日本トップ5に入った。維新政治・自民政治への政治的反撃の拠点になる。
安倍政治にたいする批判として女性議員がどれだけ増えるか、地方の反乱が拡大するかが今回の統一地方選の焦点であった。子育て、教育、介護面での安倍政治のネグレクトが、女性の立候補によって可視化され多数の女性議員の誕生となった。地域に安倍政治批判の橋頭保が築かれたと考える。(岸本耕志)

3面

原発事故
声出せない福島の現状
五輪復興≠ェ重圧に

4月21日、チェルノブイリ原発事故33周年の集い「フクシマ事故8年、これからも共に歩むために〜フクシマの想いを聞く・語る〜」が大阪市内であった。主催はチェルノブイリ・ヒバクシャ救援関西。事務局の振津かつみさんが次にように報告した。
「昨年、チェルノブイリの居住禁止地区で、30年過ぎてやっと牧草などの試験栽培が始まった。原発事故は100年レベルで考えていかなければならない。福島原発事故からまだ8年なのに、福島では帰還政策がとられている。インフラが整わないなかで帰っても生活できず、住民はほとんど帰っていない」
そのあと福島県郡山市在住の野口時子さんと、現在は他県に在住している娘さんが振津さんと対談した。時子さんは原発事故後におかあさんたちのグループ「3a! 郡山」を立ち上げた。2018年に会を閉じるまで、その代表として福島に居住しながら子どもを被ばくから守る運動を続けてきた。時子さんは、「事故1年後から、『福島はもう大丈夫』という声があがってきた。今でも、小さい子どもを持つおかあさんは放射能を心配している。国が総力をあげてオリンピックで復興を叫んでいるなかで、福島の住民は違和感を持ちつつも、声をあげることができない」と現状を語った。
最後に、振津さんは「チェルノブイリ・ヒバクシャ救援関西」として今後の方針を5点提起した。@チェルノブイリと福島を結んで学び・伝え、交流をふかめていく、A今後ともフクシマと顔の見える交流を深めていく、Bフクシマ事故被害者の健康とくらしを守るために、政府交渉を取り組んでいく、Cヒロシマ・ナガサキの原爆被爆者の運動とその成果をフクシマに生かしていく、D事故を繰り返さないために、原発再稼働反対、反原発に取り組んでいく。この方針を全体で確認して、集会を終えた。

種子法廃止、被害は深刻
元農水相 山田正彦さんが警鐘

4月7日、「第17回奈良からつながる市民の集い」(主催:特定非営利活動法人・市民ひろば なら小草)が奈良市内でおこなわれた。山田正彦さん(元農林水産大臣、弁護士)が、「種子法廃止・種苗法の運用とこれからの日本の農業について」というテーマで講演した。以下は講演要旨。(文責、見出しとも本紙編集委員会)

「投資家の要望」

私はTPP反対の運動を続けてきた。昨年12月にTPPが発効し、すでに農産物輸入は増加している。日本の食料自給率は現在38%程度だが、私どもの試算では14%まで下がっていく。
2016年にTPP協定が締結された。この協定書のなかに「日本政府は投資家の要望を聞いて、各省庁に検討させ、必要なものは規制改革会議に付託し、同規制改革会議の提言に従う」と書かれている。この協定によって、最初に種子法が廃止され、次に水道法、漁業法が改正された。政府は次々に法律を変えようとしている。
事実上の「日米FTA交渉」(政府は日米TAG交渉と言っている)が始まろうとしている。政府は、自動車の関税は少しでも減らしたい、そのために農作物は譲れるだけ譲ろうとしている。

種子法の廃止

種子法の廃止は、まさにTPP協定によるものだ。今まで、種子法によって多様な品種が維持されてきた。コメだけで1000種があり、300種が栽培されている。これがモンサント、住友化学などのF1(一代交配種)米、ゲノム編集米、遺伝子組み換え米に変わっていく。F1種子はミトコンドリアに異常があり、人間にも影響があると言われている。また、ゲノム編集は遺伝子組み換えに当たらないと言って、日本政府はこれを容認している。
これらの民間品種は収量が多く、栽培しやすい。種子企業は農家と契約を結び、使用する農薬や肥料とセットで売る。また、農家が一方的に契約を破棄すれば企業から賠償責任を負わされるような契約になっているのだ。
現在、日本では遺伝子組み換え農産物は、317種類。これらは除草剤ラウンドアップ(商品名。成分名はグリホサート)に耐性を持たせ、除草剤をまいても農産物を枯れなくしている。
逆に小麦では、除草剤を散布して小麦を枯らしたうえで収穫している。このほうが収穫の手間がはぶけるからだ。
ラウンドアップはガンになることが証明されているのに、日本政府は残留基準を大幅に緩和しているのだ。

自主採取を禁止

本来、種子は農民のものであり、種苗法によって農家の自家採取・自家増殖が認められてきた。ところが、2018年5月、これが原則禁止になった。農家は企業からF1などの種子を買う以外になくなり、種子は大企業に独占されて、値段がますます高くなっていく(5〜10倍)。外国では、種子はほとんど自家採取でやっているにもかかわらず、日本だけがこれを禁止するというのだ。

訴訟を準備

どうしたらたたかえるか。全国の地方自治体で、種子法に変わる条例を作る動きが始まっている。また「種子法廃止と食の安全基準の改定に関する訴訟」(TPP交渉差止・違憲訴訟の会)を準備している。一口2000円でだれでも原告になれる。政府はうそをつく。安倍はうそをつく。これに騙されてはいけない。たたかう方法はいくらでもあるのだ。創意工夫してたたかっていこう。

ルポ 沖縄の「監置小屋」を訪ねて
精神障がい者の運命を記憶

障がい者の集い

3月はじめに沖縄を訪問しました。2日午後開かれたキャンプ・シュワブゲート前での辺野古障がい者の集いに参加。集会では脳梗塞で障害者になったまよなかしんやさんが歌い、故翁長雄志前知事のお連れ合いも挨拶。各種の障害者が発言し、精神障害者として福祉労働者が発言しました。精神障害者家族会も発言。各発言者は障害者が辺野古新基地阻止をたたかう意義を語っていました。集会は午前中の県民大行動から残った「健常者」の県民も参加し400人の集いになりました(写真上)
那覇から辺野古へは「島ぐるみ会議」が運行するバスで行ったので、地元の人達の意見がいろいろ聞けました。県民投票の大勝利に沸き、安倍政権の民主主義を否定する暴挙に怒り、たたかいはここからはじまるという決意。このバスは午後の障がい者の集いまで参加したので、沖縄の障害者からの発言もありました。東京から参加した障害者の友人たちも発言しました。
私は「差別」というターム(基準)でものごとを考えるのですが、精神障害者として差別される立場でありながら、ヤマトンチュとして沖縄県民を差別する側であるというアンビバレント(相反)を感じていました。
バスの運行ボランティア・スタッフが「障害者と繋がる」と何度も繰り返していましたが、差別する側であるという立場を忘れてはならないと思います。安倍政権を打倒できていない現実をどう覆すのか、沖縄県民に連帯するというのはそれだけではないけれど、最低限、沖縄県民を圧殺する安倍政権を打倒しないと始まらないと思います。
3日に訪ねた辺野古の浜のテントでは「護岸工事」で海が殺されている現状について聞きました。
強調されていたのは「参議院選挙で本土の人は応えて欲しい」ということでした。県民投票で示された沖縄のたたかいに連帯しうる私たちが問われています。参議院選挙を待たず、統一地方選挙で安倍自民党を圧倒する勝利をしたいと思いました。選挙だけで世の中は変わらないけど、革命過程では選挙戦でも勝たないといけない。参議院選挙では「ねじれ」を作り出したい。

現存する監置小屋

3日には、沖縄本島北部に現存している精神障害者の監置小屋を見学しました(写真)
沖縄では、72年の本土復帰まで、精神障害者の私宅監置が家族の義務でした。復帰まで私宅監置を禁じた法律(精神衛生法 50年)が沖縄には適用されなかったため、復帰時200人が私宅監置されていました。
本土でも50年まで、私宅監置が義務でした。この現存する小屋では、72年まで10年間監置が行われていました。多くの監置小屋が取り壊された中で奇跡的に現存しているのです。その後シャワー室に転用するために改装されていますが、外観は当時のままです。
この監置小屋は、民家の裏のジャングルのようなところにあります。その家の精神障害者である家族の一人が入れられていました。そこに入れたのは家族でした。警察も絡んでいます。最初は木造でしたが、(幽閉された精神障害者が)壊したのでコンクリート製の小屋がつくられました。
民家が見える方向に5つの小さな穴があり、それしか外の空気は入りません。虫などは入り放題です。食事を入れる小さな窓があります。トイレは小屋の隅にあり外側に汲み取り口があります。小屋の内部は畳2畳ほど、手を上げれば届く所に天井があります。圧迫感が酷い。扉の鉄板は錆びて朽ちています。ガスメーターや水道が後の改装で取り付けられています。元々は水道もありませんでした。
時々は外に出されていたといいますが、いつまでとも分からず幽閉されて、どのような気持ちだったろうか。ここではないが、幽閉されて自殺した人のこと、病死した人のことも伝えられています。一体どれほどの絶望感だったろうか。
精神障害者である上に、この邦で生まれた不幸を重ねると言いますが、沖縄で生まれたという三重の不幸を重ねられたのです。沖縄で精神障害者の辿った運命を記憶するために、沖縄県教育委員会に現状保存を働き掛ける必要があると思います。関心を持たれた方はぜひルポルタージュ『消された精神障害者』(原義和編著 高橋年男解説 18年12月高文研刊)を一読下さい。
今回、監置小屋と辺野古テントと医療観察法病棟を一日かけて案内していただいた精神障害者家族会の方に感謝します。
(高見元博・兵庫県精神病者連絡会)

4面

論考
ソチエタ・レゴラータとは何か(上) 大伴一人
グラムシが描いた共産主義

アントニオ・グラムシの『獄中ノート』に見える「ソチエタ・レゴラータ」によって、彼は何を言わんとしていたのだろうか。「ソチエタ・レゴラータ」を松田博氏は「自己統治社会」と訳している。その内容は「住人が自由で平等で、自分自身の意志と力と能力で生きる社会」ということである。私はそれを「共産主義的自己統治社会」と呼びたい。(2回連載)

パリ・コミューン

マルクスは『フランスの内乱』でパリコミューンを総括し、コミューンをついに発見された労働者と人民の組織形態であると呼んだ。当時パリで人民を指導していたのはブランキ派、プルードン派、ジャコバン党の残党などであり、インターナショナル派は少数派に過ぎず、その影響力も限られていた。パリ市民が蜂起した当初、マルクスは「時期尚早」として反対したが、一旦蜂起が開始されるとこれを全面的に支持した。
この「ついに発見された労働者と人民の組織形態」は、ロシア革命においては「ソビエト」であり、ドイツ革命では「レーテ」、スペイン革命では「フンタ」であった。ロシア革命のソビエトはボリシェビキが指導したという見解があるが、私はこれに疑問を持っている。その見解では、なぜロシア革命があれほど急速にスターリン主義に変質したのか説明できないからだ。
ロシア革命、ドイツ革命、スペイン革命のいずれも労働者人民の自然発生的な蜂起である。彼らが自主的に社会建設に乗り出そうとしたのである。それをインテリゲンツィアの指導者たちが後追い的に指導したのであろう。

人民の蜂起から学ぶ

マルクス、レーニン、トロツキーそしてグラムシも労働者人民の蜂起から学び、そのたたかいを学んで、自らを指導者へと成長させたのであり、その逆ではない。労働者人民の怒りやたたかいから学ぶ姿勢を失って、上から教訓を垂れるような「指導者」は、その時点で革命家ではなくなっている。そういう人はあっという間にスターリン主義に転落するのだ。
私たちもそれぞれの運動歴のなかで実際にそうした例をたくさん見てきただろうし、私自身も絶えずその危険性を意識しながら活動することを肝に銘じている。資本主義社会に生きる人間には、金銭欲、名誉欲、権力欲といった「落とし穴」が待ち受けている。だからこそ、労働者人民に影響力を持つ革命家には絶えざる自己変革が求められるのだ。そうしなければ前衛どころか後衛にもなれず、階級闘争の疎外物に転落してしまう。

「赤い2年間」

さて本論に戻ろう。グラムシは「ソチエタ・レゴラータ」という概念をどこで発見したのか。それは1919年から20年にかけて、「赤い2年間」と呼ばれたイタリア・トリノの労働者の蜂起の中から見いだされたのである。「赤い2年間」におけるトリノの工場労働者たちは、自主的に蜂起し、工場を占拠して自主管理し、街頭にも進出した。彼らは工場主や資本家、自治体、政府と話し合い、自分たちの要求を突き付けていた。グラムシは自らこのたたかいに参加し、そこで決定的な影響を受けたのである。彼が見たのは蜂起した労働者たちが自分の頭で考え行動している姿であった。
工場の自主管理では次のような問題を次々と解決していった。これまで以上に生産能力を上げるためにはどうすればよいのか。資本家に支払う金額はいくらであれば適当か。労働者の賃金はいくらにすべきなのか。闘争資金はいくら必要か。工場の運営システムは合理的か。資材はどこから、どれだけ運んでくるのか。電源は正しく確保されているか。労働者の家族はどうするのか。全国各地の労働者たちへの連絡はどうするのか。こうしたさまざまな課題に応じて、各種のリーダーたちが対策を考え、実行に移したのだ。もちろんグラムシもそこに参加していた。
その結果、4つの工場の生産力は倍以上に上がり、工場自主管理の成果を資本家も認めざるを得なかった。しかし、国家権力はそれを絶対に認めなかった。そして軍隊を投入して鎮圧したのである。労働者たちは工場で武器を作って抵抗したが、敗北した。当時、コミンテルンに参加していたイタリア社会党はトリノの蜂起を全国に呼びかけることもせず、無視した。むしろコミンテルンの方がこれに注目していた。当時、グラムシとトリアッチはイタリア社会党員だったが、その後、この2人によってイタリア共産党が設立された。
グラムシはトリノの労働者階級の精神や魂のなかに人間の本質的な在り方を見いだし、教えられることによって「ソチエタ・レゴラータ」という概念を創造したのであろう。人間は本来的に共産主義的にしか生きられないということを知ったのである。他人を信じ、愛し、喜びも悲しみもわかち合い、共同で物事を考え、対処していくこと。生きるためのたたかい、生活そのものを地域の共同体でおこない、社会的弱者(サバルタン)を最も大切にし、社会の宝とするような社会、つまり共産主義社会の建設をグラムシは「ソチエタ・レゴラータ」と呼んだのだと思う。

陣地戦の真の内容

こうした社会はたとえ一瞬であったとしても、存在しうるということを、マルクスからグラムシにいたる多くの革命家が証明してきた。それは労働者人民の陣地戦の真の内容である。陣地戦は支配階級(世界金融資本)の攻撃から労働者人民の生命、権利、生活を守る防衛戦であるが、陣地戦の中に将来の共産主義的自己統治社会すなわち、ソチエタ・レゴラータ、ソビエト、レーテ、フンタの芽が育まれていくのである。(つづく)

強制連行の記憶を残す
柳本飛行場跡 市民が説明板配置
奈良県天理市

市民の手で設置された説明版
(奈良県天理市)

4月13日、「天理・柳本飛行場跡説明板日韓同時設置集会」と説明板の除幕式が天理市内でおこなわれた。主催は、天理・柳本飛行場跡の説明板撤去について考える会と天理・柳本飛行場跡の説明板日韓同時設置プロジェクト。

説明版をめぐる攻防

大和海軍航空隊大和基地(通称:柳本飛行場)の建設は、1943年秋からはじまった。建設は大林組。この飛行場建設には朝鮮半島出身者がたくさん動員されている。朝鮮人労働者の数は1000人〜3000人とも言われているが、正確な記録は残っていない。動員には2つのタイプがあった。すでに日本に住んでいた労働者と強制連行された労働者だ。
柳本飛行場跡説明板は、天理市と同市教育委員会によって1995年8月に設置された。この説明板には朝鮮人強制連行の事実と朝鮮人「慰安婦」の存在が明記されていた。
2014年2月ごろ、「在特会」関係者が天理市に「(「慰安婦」などの記述は)事実ではない」というメールや電話をおこなった。この圧力に屈して、天理市(並河健市長)は説明板を撤去したのだ。天理市は「(強制連行には)いろいろな歴史認識があり、国の動向を見ながら検討していきたい」と言っている。つまり、国の方針に従うということだ。日韓市民による再設置の要請にもかかわらず、説明板は撤去されたままになっていた。

市民の手で実現

2019年4月13日、市民の手によって新たな説明板が設置された。天理市の姉妹都市でもある韓国・瑞山市にも同じ内容の説明板が設置される。瑞山市につくられる説明板はキリスト教会の敷地内に設置され、除幕式は7月初旬になる予定だ。
4月13日、日韓同時設置集会は午後1時から天理市の丹波市公民館でおこなわれた。この集会には韓国や在日朝鮮人の運動団体の人びとをはじめ110人が参加した。
日韓同時設置プロジェクト事務局長の川瀬俊治さんが経過と意義報告をおこなった。川瀬さんは「説明板」再設置の意義を次のように述べた。@市民の手によって再設置を実現した。A韓国・瑞山市民との日韓同時プロジェクトとしておこなわれる。特に、説明板の記述内容について、双方が合意した。B今後とも天理市に再設置を要求していく。C植民地支配と強制連行の歴史を後世に伝えていく。
また、天理飛行場跡説明板再設置を推進するソサン市民の会、I(アイ)女性会議なら、部落解放同盟奈良県連合会、多文化共生フォーラム奈良の各代表から、連帯のあいさつがあった。
集会後、天理駅からJR線に乗り、長柄駅で下車。設置場所に徒歩で移動した。説明板は白堤神社のすぐ南側の道路に面して立てられている。午後3時から「天理・柳本飛行場跡説明板除幕式」がおこなわれた。
〈日本軍『慰安婦』ハルモニとともに行動する統営・巨済市民の会〉代表が、「記録されない歴史は記憶されないと言います。歴史を後世に残していく活動をしているみなさんに敬意を表します」とあいさつした。2015年10月、この会は韓国で集めた1万筆をこえる署名を天理市に提出したが、並河市長は面会を拒否した。
最後に、川瀬俊治さんが集会アピールを読み上げ、参加者全員の共通認識にして、この日の除幕式を終えた。

新たな説明板の記述

1943年秋ごろから海軍(海軍施設部)による柳本飛行場の建設がはじまりました。建設を請け負ったのは大林組です。工事は川の付け替えや神社・寺の移転、農地の廃棄をともなうもので、県内の児童・生徒・学生などの勤労奉仕や在日朝鮮人労働者も加わって工事が進められました。飛行場の用地は300ヘクタール。労働者不足から、朝鮮半島から朝鮮人を強制連行して工事を進めました。飛行場建設に関わる朝鮮人の数は2000人とも3000人ともいわれています。(中略)
「貨物列車に乗せられ、柳本に着いた。帰国時は日本人が引率した。」(嚴占秀さん・忠清南道公州)
証言では、約20人の朝鮮人女性が慶尚南道から強制連行され海軍施設部内の「慰安所」に送られています。女性たちは、戦後に助け出されたものの、一人が現在の韓国統営市の故郷に遺骨となって帰国しています。また、強制連行された金海永さん、金哲九さん、張廣先さんが亡くなり、近隣の寺で葬られたことがわかっています。飛行場への米軍による空爆で朝鮮人女性や動員列車の事故で日本人小学生も亡くなっています。
これらの歴史の事実を明らかにし正しく後世に伝え、平和を希求する日韓両市民(姉妹都市天理市と韓国忠清南道瑞山市)で同時に説明板を設置します。

5面

焦点
新たな労働運動への挑戦(上) 森川数馬

業種別・職種別運動の展開

「あらたな労働運動の挑戦と模索へ」。このように問題提起をするのは一人の実践家として、「労働運動の停滞状態とは何か」、「その打開の道は何か」を論議する空間を広げたいという思いからである。また連帯ユニオン関生支部へのこの1年近くつづく執拗で異常な弾圧の問題がある。この二つ問題への運動界の反応は弱い。それは誰もが認める事実でありながら、正面から論議することが少なすぎる。2019春闘は現下の資本との攻防がたたかわれている。しかし、春闘そのものを知らない多くの労働者がいる。多くの仲間の自死や労災死を防げていない。「働き方改革」関連法が4月1日に施行され、同時に外国人労働者への劣悪労働を容認する改悪入管法が施行された。「働き方改革」の名の下に「8時間労働」がなきものにされつつある。この状態を打開する労働運動の可能性はあるのか。それは労働運動の「再生」ということでいいのか。「再生」という言葉は狭い既成概念に囚われてはないのか。もっと視野を広げて「21世紀の労働運動とは何か」を考えたい。

新しい労働運動の〈鳴動〉

長らく労働運動の危機と「混迷」が言われてきた。さまざまな論点もだされてきた。筆者なりに整理すると、企業別組合と官公労が中心という日本の労働運動の問題点が明らかになったのではないだろうか。
それが突き出されたのが89年の総評解散と90年代本格的新自由主義攻撃という事態の中であった。そのことは本当の意味で認識されることなく、核心問題が看過されてきた。なぜか。それは労働者の生きた現実が議論の土台にすわっていなかったからだ。産別運動や産別賃金がテーマとなるべきであったにもかかわらず、かつての「総評組織綱領」(1958年)に凝縮していた資本攻勢と立ち向かう労働運動の熱気のレベルにたっしていなかった。
一方で、急速に進行した低賃金化、非正規雇用労働者の急増と格差・貧困の異様な拡大。ワーキングプアの登場。900万人を超えるアンダークラス(下層労働者)の存在など、労働者階級がおかれている状況の大変容のなかで、労働運動は左翼陣営とともにその存在感をうしなってしまった。そうしたなかでも、コミュニティユニオン運動の試みや08年年越し派遣村の取り組みなどいくつかの重要な挑戦が始まり、新たな労働運動の可能性を示してきた。しかし、それが大きく情勢を変えるところまではいたってないという状態が20年近くつづいている。
最近の注目すべき動きとして、「ブラック企業」の正社員、小売・飲食のブラックバイト、エステティシャン、ベンディング労働者、塾の講師、介護・保育士、公務部門の臨時職員、水道の検針者、クリーニング業界の労働者などのあいだで次々と作られている職種別ユニオンの運動がある。過酷な労働と貧困にあえぐ労働者たちがたちあがったのだ。また企業別組合であっても業種ごとに組合がまとまって、業界団体や政府に業界のあり方を改善させる運動も開始されている。コンビニエンスストアの加盟店オーナーらがつくる「コンビニ加盟店ユニオン」がセブンイレブンの24時間営業の見直しを求めて、団体交渉を要求している。
日本における産業別労働運動、敗戦直後の産別会議の運動や、全港湾―全国港湾、海員組合、運輸、山谷・釜ヶ崎・寿・笹島などの日雇い労働者の運動などの歴史がある。あらたにはじまった業種別、職種別の労働運動は、これまでの運動を引き継ぎながら、新しい状況に対応するという両面を持っている。また新たな運動は連帯ユニオン関西地区生コン支部が挑戦してきた、業種組合と協同組合が連携して労働市場を労働者によって規制するという取り組みから学んでいる面を強くもっている。
新たな運動の形成に向けて重要な示唆を与えたのが、2年前、大阪で開かれたシンポジウム〈格差・貧困を克服する新たな労働組合運動の模索と復権〉における木下武男氏(労働社会学者・元昭和女子大教授)の「業種別ユニオン運動」についての提起だった(本紙231号参照)。この提起に基づいて、首都圏でも研究会が発足したが、それが具体的な実践へと結実している。関西でも取り組みが始まっている(これについては後述する)。

闘いの始まり

アメリカではここ数年、最低賃金15ドル運動や社会的労働運動など新たな労働運動が登場してきたが(本紙200号参照)、2017年には非製造業を中心に35歳以上の労働者の労働組合加盟数が前年より40万人増えている(アメリカ労働統計局調査)。これがいわゆる「サンダース現象」の背景にある。
日本でも、この4月14〜15日、産別最低賃金などの実現を求めて全国港湾(注)が平日では22年ぶりのストライキを敢行した。これは産別要求を掲げたストという面と、団交やストの禁圧をねらった関生弾圧の最中で全国ストを決行したという面で、ブレイクスルーを示した。
ここであげた日米の運動例はいずれも主体が非製造業労働者であること、また業種・産別まとまりが基本となった労働者の決起であることに注目したい。とくにアメリカの運動では労働運動に地域運動が結びついているのが特徴だ。
そこには社会の「再生」の芽をみることができるのではないだろうか。

労働市場の規制をめざす

こうしたあらたな運動を理解するために、先述した木下武男氏の問題提起をふり返ってみたい。そこでは「業種別ユニオンの3つの特質」とその「運動」という形でその目指す方向が示された。
@ 業種を軸に・個人加盟で労働者の結集をつくる(企業別につくらない)。
A その業種の「賃金・雇用などの処遇」の基準をつくる。
B その基準の達成をめざす「集団交渉」(業界との団交と協約確定)をおこなう運動をつくる。
このような運動が必要とされ、またそれが可能なのは、現在の労働組合運動が労働者の現状に対応できてないことがあげられる。その現状とは非製造業の労働者が激増していることであり、その多くが非正規雇用であることである。そこで生み出されている若年労働者の極端な格差と貧困状態の打破こそ喫緊の課題である。この問題に立ち向うために、先にあげた@からBの三つの特質を兼ね備えた組織・運動によって優先雇用協定や労働者供給事業の活用などによる労働市場の規制をめざそうという提言だった。具体的には「職種別賃金」と「地域を基盤とする労働組合の業種別部会」が共同の取り組みとして提案された。それは木下氏がかかわっていた「エステティック業界」などでの経験をもとにした、「反貧困運動のイベント主義からの脱却」と新しいユニオンと活動家集団の創造の呼びかけであった。それがいま実践に移されている。
この取り組みは地域労働運動と結合して新自由主義的グローバリゼーションを覆す社会変革運動への発展の可能性を秘めている。それは世界に目を転ずれば、社会的経済の実現をめざすソウル市の挑戦や南欧左翼運動体の持続的挑戦、アメリカの生活賃金闘争から最低賃金15ドル運動、韓国の10万ウォン運動などすでに国際的な潮流となっている。まさに「アソシエーション」をめざす〈新たな労働者像の登場〉=世界革命が開始されているのである。(つづく)

(注)全国港湾 全港湾を中心に港湾労働法の改悪・規制緩和(89年〜)とたたかう港湾労働者全体の組織として協議会から連合会として2008年に結成、現在約1万6千人を組織している。

私と天皇制 C
「政府にだまされた」母と皇居清掃奉仕団

1945年の敗戦後しばらくの間、母は「政府にだまされた」と、しきりに愚痴っていた。同じようなことを言う大人に、よく出くわした。
政府や軍部は「蒋介石(中国の独裁者)は一撃の下に降伏させる」とか、「アメリカ相手でも大和魂を発揮すれば勝てる」などと、国民をだまし続けてきたのだ。
しかし、「だまされた」自分たちの愚かさを反省する声は、ほとんど耳にしなかった。
天皇に対する責任追及も、私の周辺では全く聞かなかった。日本共産党だけが天皇を戦争犯罪人の筆頭にあげて、声高に糾弾した。しかし「愛される共産党」というキャッチフレーズを掲げると共に、何も言わなくなった。
大日本帝国憲法に「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とうたわれた天皇に対して、責任を追及する声が上がらなかったのはナゼだろうか。
「天皇ハ神聖ニシテ犯スベカラズ」と、国民の頭の中にインプットした明治以来の教育の成果としか考えられない。改めて国家教育の恐ろしさを感じる。
母は村の婦人会の有志を募り、皇居清掃奉仕団を率いて何回も東京に行った。広い皇居の片隅に泊まった翌朝、モンペ姿で整列して、同じくモンペをはいた皇后から、「お礼のお言葉」を賜るのが、ミソであったらしい。
私は長男を戦死(実は餓死)させた張本人とその片割れを信奉することの愚かしさを説いたが、19世紀生まれの母には通じなかった。自分のオルグ能力の無さを棚に上げて、「縁無き衆生は度し難し」とサジを投げた。
皇居清掃奉仕団を取り仕切っていたのは、日本赤十字社であった。かつて日赤の看護婦は「国家有事ノ日ニ際セバ速ヤカニ本社ノ召集ニ応ジ患者看護ニ尽力スベシ」とされ、陸・海軍大臣の監督下におかれていた。彼女たちの制服は明治天皇の皇后がデザインしたものである。
1950年に勃発した朝鮮戦争では、日赤の看護婦たちは北九州に設けられた「国連軍」の病院で傷病兵の看護に従事した。従軍看護婦である。
すでに自衛隊の海外派遣が常態化している。新皇后雅子が、従軍する日赤看護婦を督励する日も、遠い先の話ではないかも知れない。そのとき、天皇や皇后を「平和愛好家」と持ち上げている手合いは、どう反応するだろうか。(Q生)

6面

(シネマ案内)
豊かな自然の中の暮らしと闘争
ドキュメント映画 『ほたるの川のまもりびと』
監督:山田英治(2017年制作)

長崎県川棚町川原地区の住民は、石木ダム建設に反対している。
1962年、長崎県と佐世保市は、多目的ダムの建設をここに計画した。地域住民は水没する家屋と田畑を守るためにダム反対に立ち上がった。1980年、反対運動は条件交渉派と絶対反対派に分裂。川原地区住民23戸は、新たに「石木ダム建設絶対反対同盟」(団結旗は赤地に白丸)を結成し、57年間にわたり反対を続けている。

たたかいが生活に

この映画は、この人たちの日常生活とともに、ダム建設に反対のたたかいを記録したもの。今も、13世帯54人が、豊かな自然のなかで暮らしながら、団結してダム建設に反対している。
ここでは生活のなかにたたかいが組み込まれ、たたかいが生活の一部になっている。
毎日、女性たちは「ダム建設絶対反対」のゼッケンをつけてバリケード前に座り込む。老女3人(ひとりは映画製作中に亡くなった)は、いつも午前中に監視小屋の守り番をしている。住民は家族の様に団結し、地区ではいろいろな催しがおこなわれる。5月最後の土曜日には「ほたる祭り」がある。
ほたるの放つ光を撮影したシーンが幻想的だ。

利権のためのダム

石木ダムは高度成長期に計画された。佐世保市の人口はだんだん減少しており、水道水の需要も減っている。100年に1回の洪水をなくすためといっても、川棚川支流の石木川は流域面積で11%にすぎない。豊かな自然とともに生きる人びとの生活を犠牲にしてまで、ダムをつくる必要はないのだ。業者の利権のためにのみ、ダム建設が推し進められている。
長崎県は計画を撤回することなく、2022年度の完成をみこんで建設を強行している。県は2017年1月から付け替え用の道路工事に着手した。7月28日午前0時20分、夜陰にまぎれて、それも正面ゲートではなく河川敷から大型工事車両を現場に搬入した。
現在、住民は重機の下に潜り込んで、実力で工事を阻止し続けている。まさに命がけのたたかいが続けられている。
千葉県成田では豊かな北総台地の農地が滑走路になり、沖縄県辺野古ではサンゴ礁が埋め立てられる。熊本県の水俣市では、チッソ工場の廃液によって住民は健康と生活をうばわれた。川原地区の人びとは、ダム建設によって土地と生活を水没させられてしまう。これが資本主義の姿だ。しかし、これを推し進める権力や資本の側は聞く耳をもたない。たたかいは実力のたたかいにならざるをえないのだ。
川原地区の人びとは、人間として自然とともに生きたいと思っている。生きるためのたたかいは各地でまき起こってくるだろう。本作品はその貴重な記録だ。

(書評)
起きらんね。ほんとうに生きるときがきたー
直木賞受賞作品 真藤順丈 『宝島』
講談社 1850円+税

米軍統治下の沖縄。「戦果アギヤー」と呼ばれ、米軍基地に忍び込み、物資を盗み取る者たちがいた。なかでも若干20歳のオンちゃんは、米軍相手に連戦連勝してきた凄腕。盗んだものを貧しい人たちに分け与えてきた。コザの若き英雄だ。
「さぁ、起きらんね。そろそろほんとうに生きるときがきたー」。発言の主はオンちゃん。
オンちゃんは、戦後、日本からは見捨てられ、アメリカの支配下で抑圧され続けた島の人たちの心を代弁し鼓舞する、まさに時代のヒーローである。
1952年の精霊送りの夜、極東最大と言われた嘉手納基地に潜入した。オンちゃん、弟のレイ、友人のグスク、そして、見張り役でオンちゃんの恋人ヤマコ。連戦連勝だったオンちゃんだが、このときは米兵に見つかって追われ、忽然と姿を消してしまう。
潜入失敗の後、レイとグスクは刑務所に放り込まれ、そして、出所後、グスクは警察官に、レイはコザのヤクザ者に、そしてヤマコは教員免許をとって教員になった。戦果アギヤーの仲間たちは、時代に翻弄されながらそれぞれの道を歩み始める。しかし、三人は消えた英雄オンちゃんを探し続けた。抑圧され続ける人たちには英雄が必要だったからだ。
英雄を探していたのは三人だけではなかった。米軍に雇われた得体の知れない日本人が絡んで複雑に展開を始める。
物語は、米軍統治下の沖縄で起きた、嘉手納幼女強姦殺人事件、多数の子どもたちが亡くなった米軍機小学校墜落事件、基地に貯蔵された毒ガス漏洩事件など、実際にあった出来事をベースに展開し、そして島の抵抗の熱気が沸点に達したコザ暴動へ…。暴動の首謀者は?そして消えた英雄オンちゃんの消息は?
フィクションとノンフィクションの境目が曖昧になり、思わず物語に引き込まれていく。
本書は、オンちゃんという「英雄の失踪」を縦糸に、1950年代から沖縄の本土復帰までの沖縄史を、警察官となったグスク、ヤクザ者となったレイ、教員となったヤマコの視点から、壮大なスケールで描いた抒情詩的エンターテインメントである。
気がつけば、寝る間も忘れて2日間で、540ページを一気読みしていた。この物語過去の出来事なのか?
今も沖縄で頻発する米兵による事件や米軍機墜落事故の数々、そして辺野古基地埋め立て反対の県民投票の民意が踏みにじられている中、本書は、オンちゃんの台詞「さぁ、起きらんね。そろそろほんとうに生きるときがきた」を、現在に熱く問いかける傑作である。(井坂治文)