未来・第268号


            未来第268号目次(2019年4月18日発行)

 1面  成田空港反対闘争
     強制執行許さない闘い
     市東さん「自分の生き方を貫く

     原発推進派のデマ暴く
     小出裕章さんが都内で講演
     3月30日

     オスプレイ
     大阪空港に緊急着陸
     米領事館に厳重抗議

     「未来」5月発行日変更のお知らせ

 2面  焦点 大阪ダブル選―結果をどう見るか
     市民運動の強化が課題
     剛田 力

     主張
     天皇制反動としての「元号」
     大国主義、排外主義の象徴

     インタビュー
     兵庫県議選初当選の北上哲仁さん
     自民落選させた共闘の力

 3面  朝鮮学校高校無償化
     子どもたちに学ぶ権利を
     人間の尊厳守るたたかい      

     東アジア民衆の共同闘争
     徐勝さん講演会で提起
     大阪     

     部落解放同盟全国連
     第28回大会開かれる

     【定点観測】(3月5日〜28日)
     安倍政権の改憲動向

 4面  論考 「三田しょうがい者監禁事件」(本紙第259号)への補足
     T4作戦とは何だったのか 八代 秀一

     貧困の悲惨な実態
     引き下げアカン! 大阪の会総会
     3月21日

 5面  (直撃インタビュー 第38弾)
     「障がいは不幸」という優生思想に抗って
     脳性まひ者の生活と健康を考える会・代表 古井正代さん

 6面  争点
     暴力と独裁の止揚の道は?
     『未来』請戸耕市論文への疑問
     落合 薫

     追悼 淵上太郎さん
     タンポポは散らず

     投稿
     終わりにしよう! 天皇制
     東京 吉岡大吾

       

成田空港反対闘争
強制執行許さない闘い
市東さん「自分の生き方を貫く」

3月31日、成田市赤坂公園で三里塚全国総決起集会が開催された。主催は三里塚芝山連合空港反対同盟。460人が参加した。集会では、市東孝雄さんの農地にたいする強制執行停止に必要な保証金のために400万円カンパが訴えられた。また沖縄をはじめとして全国から参加した市民団体や労働組合が発言した。

農地強奪を許すな!成田市内で開かれた全国総決起集会(3月31日)

主催者を代表してあいさつに立った反対同盟の萩原富夫さんは「空港会社は『公共性』と言うが、深夜まで騒音を撒き散らし、周辺住民に迷惑をかけるのが『公共性』なのか。迷惑空港の被害をこれ以上広げないという運動を周辺ニュータウンの住民とともにたたかう」と発言。
基調報告は同じく反対同盟の伊藤信晴さん。「本集会は、東京高裁における請求異議裁判闘争に勝利し、強制執行を阻止するための総決起集会。裁判の焦点は強制収用が許されるのか否か、そこにかかっている。1991年、シンポ・円卓会議で当時の村岡運輸大臣が『いかなる意味においても強制力は使わない』と表明し、社会的な公約として閣議決定がなされていた。それにもかかわらず強制執行のお墨付きを与えた千葉地裁・高瀬判決を許してはならない。住民無視の空港機能強化と飛行時間延長、そして安倍政権の軍備拡張や関西生コンに対する不当弾圧に反対してともにたたかおう」と提起した。

関生支部が発言

続いて動労千葉、関西新空港反対住民代表の松原康彦さん、全日建関西地区生コン支部の三者が連帯のあいさつ。
松原さんは「自民党安倍政権の農業切捨て政策を弾劾する。市東さんの農地を守り抜くたたかいは、こうした安倍政権の農業切捨て政策によって苦しみ、展望を失いつつある多くの農民に大きな勇気を与えるものとなっている。反原発、沖縄闘争、反TPPの勢力と連帯し、共通のたたかいにしよう」と訴えた。
関生支部の福島さんは、関西で起こっているヘイト集団を手先とした組合への襲撃、さらには警察による異常な弾圧を具体的に報告した。「無許可で資材を置き、汚水をたれ流している大手ゼネコンに『法律を守れ』と要求することが『恐喝未遂』にされている。また現場にいなかった組合員まで「威力業務妨害」で逮捕・勾留。『逮捕されるような組合』から脱退するよう家族に迫っている」と卑劣な警察のやりくちや、三権分立と言いながら権力にへつらう裁判所を弾劾し、「民衆の力で民主主義を実現するたたかいに起ち上がろう」と呼びかけた。
ここで農地取り上げ攻撃とたたかう市東孝雄さんが登壇。「日ごろのご支援に深く感謝します。欺瞞に満ちた安倍政権に対し、誰かが声を上げなければ何もしないうちにやられてしまう。労働者・市民と団結し、三里塚闘争勝利の日まで自分の農地を耕し続け、自分の生き方を貫く」と決意を述べた。

請求異議裁判勝利へ

反対同盟の顧問弁護団は、「今回の請求異議裁判における棄却判決は、小役人が最高裁や安倍首相に忖度した不当判決であり、絶対に認められない。次のたたかいは東京高裁に移るが予断を許さない。裁判は、法廷闘争だけでは勝てない。現地の不屈のたたかいを多くの人々に広げる運動によって勝利できる」と発言した。
カンパアピールの後、「パギやん」こと趙博さんのミニライブをはさんで、沖縄・名護市会議員の川野純治さんが「沖縄は、安倍政権の住民投票ボイコット運動に負けず、玉城知事の得票数を上回る投票数で辺野古新基地建設反対の民意を示した。しかし、辺野古では土砂投入が続いている。これは沖縄だけの問題ではない。日本全体の問題だ。原発事故からの復興に苦しむ福島、三里塚、沖縄のたたかい、弾圧を受ける労働者、抑圧を受ける住民のたたかい、これらが一体となって安倍政権とたたかうことが勝利する道だ」と発言。その後、反対同盟の太郎良陽一さんが行動提起をおこない、成田市街へのデモに出発した。(安芸一夫)

原発推進派のデマ暴く
小出裕章さんが都内で講演
3月30日

3月30日、「福島原発事故8周年 さよなら原発講演会」が都内でひらかれた(写真上)。主催は、さようなら原発1000万人アクション実行委員会。
集会冒頭、司会はフクシマ事故から8年たっても原発政策を変更させることができていない現状への憤りを表明し、運動へのいっそうの奮起を訴えた。
講演をおこなった小出裕章さんは、原発の危険性や推進派によるデマをあらためて解説。賠償打ち切り等の棄民政策で現コストが保たれていると指摘した。
原発事故避難者から更に詳細な報告がなされた。東電刑事裁判の報告では、裁判官から「あなたの職責は何ですか?」という声がでるほど3被告が無責任な開き直りに終始し結審したと報告。9月判決に向けた署名が呼びかけられた。
世の中全体が安倍政治の中で原発問題を捉えていかなければならないと考えさせられる集会となった。

オスプレイ
大阪空港に緊急着陸
米領事館に厳重抗議

オスプレイは出ていけ!米領事館前で抗議のアピール(4月3日 大阪市内)

4月1日、米海兵隊普天間基地所属のオスプレイMV―22が、民間空港である大阪国際空港(伊丹空港)に緊急着陸した。
4月3日、これに対して〈「しないさせない! 戦争協力」関西ネットワーク〉、〈STOP! 辺野古新基地建設! 大阪アクション〉、〈戦争あかん!ロックアクション〉などがよびかけ、抗議行動がおこなわれた。午後3時半、近畿中部防衛局に抗議申し入れ、午後6時半からは米領事館前で抗議のアピール。
領事館前では〈「しないさせない! 戦争協力」関西ネットワーク〉共同代表で箕面市議でもある増田京子さん、〈STOP! 辺野古新基地建設! 大阪アクション〉陣内恒治さん、〈米軍Xバンドレーダー基地反対・京都連絡会〉瀧川順朗さんなどが発言し、米領事館あての抗議文を読み上げ、「伊丹着陸の経緯を説明せよ」「オスプレイはいらない」「日本政府は米軍への追従をやめろ」のシュプレヒコール。
増田さんは伊丹空港周辺の10市で作る協議会にも事前に何の連絡もなかったこと、勝手に米軍機が着陸し、その後も何の説明もないまま翌日飛び立ったことに対して、きちんと説明して謝罪すること、オスプレイの影響で民間機の運行が遅れたことに対しても補償するよう要求した。
陣内さんは事故の多いオスプレイを、問題なしとして自衛隊に配備する防衛省に対し、「自衛隊に配備されれば日本国中、私たちの知らないところで、いつどこで訓練しているかわからない。いつ落ちてくるかわからない」と怒りを表した。
瀧川さんは、オスプレイが伊丹に着陸する数分前に京都市伏見区や大阪府枚方市の上空で見かけられたことから、なぜ伊丹にわざわざ折り返して着陸したのかと疑問を呈した。日本国中どこでも使用できるように試験的にやっているのではないか? なぜ伊丹なのか理由を明らかにすべきだと発言した。

(発行日変更のお知らせ)

5月発行日変更のお知らせ

5月の発行日は5月9日(木)、5月23日(木)です。6月以降は、第1・第3木曜日発行に戻ります。

2面

焦点 大阪ダブル選―結果をどう見るか
市民運動の強化が課題
剛田 力

8日朝、フジテレビの番組で橋下徹は、「維新大勝」の結果を受けて、次のように語った。
「松井さんと吉村さんは丁寧にやっていくと言っていますが、公明党の衆議院選挙の選挙区に大阪維新の会を立てます。関西の6選挙区が公明党の力の源泉ですよ。この6選挙区全部に立てて、しかも大阪維新の会のエース級メンバー、もう戦闘態勢に入っています。これが第1幕で、第2幕はこれから公明党を壊滅させるところまでやりますから、そうすると日本の政治構造は大きく変わります。自民党との協力が公明党じゃなくて、維新となって憲法改正に突入していく。」

維新は大勝したか

今回の選挙結果は次の通りだ。

大阪府知事選
吉村洋文(大阪維新)
 226万6103票
小西禎一(無所属)
 125万4200票
大阪市長選
松井一郎(大阪維新)
 66万0819票
柳本顕(無所属)
 47万6351票

前回2015年の選挙はどうだったか。
大阪府知事選
松井一郎(大阪維新)
 202万5387票
栗原貴子(無所属)
 105万1174票
大阪市長選
吉村洋文(大阪維新)
 59万6045票
柳本顕(無所属)
 40万6595票

いずれも票差はほとんど変わっていない。
選挙期間中は市長候補の松井だけでなく、府知事候補の吉村もほとんど大阪市内だけで活動した。しかし、大阪府議会で維新は大きく議席を伸ばしたものの、大阪市議会で過半数を確保できなかった。「都」構想実現のためには、公明党を再び屈服させ協力を取り付けるか、自民党の議員をぶっかくか、尋常でない手段が必要となる。
出口調査では「都」構想賛成が反対より多かったとされているが、維新支持層の投票率が高かったためだ、と考えられており、大阪府民が単純に都構想賛成に転じた、ということではない。

自民の自滅

出口調査では、自民党支持層のうち30%が松井一郎に、50%が吉村洋文に投票したとされている。「『都』構想の論議に終止符を打つ」というだけで積極的なビジョンを提示できなかった選挙戦術のまずさもあるが、単にそれだけではない。維新が知事と市長のポストを押さえ続けたこの約8年間で、そして「安倍1強」という事態が続く中で、大阪自民党の組織力そのものが失われてきている。自民は府議選で38人、市議選で21人と、全員当選しても過半数には届かない候補者しか擁立できなかった。そして特に府議選(定数88)では、告示前の24議席から15議席と大きく後退した。維新は40議席から単独過半数の51議席を獲得した。「維新大勝」というが、むしろ「自民が自滅した」とみるべきだ。
自民党は事実上の分裂選挙だった。安倍は、府連からの大阪入りの要請を断った。府連内では「官邸は維新に肩入れしている」と公言されているという。二階幹事長が8日の記者会見で、「党があって政府がある。意識的にサボタージュしたなら、けしからん」と苦言を呈するほどだった。

既成野党の限界

自民党だけではなくいわゆる立憲野党も限界を露呈した。道府県議選では、945の選挙区のうち、39%にあたる371の選挙区で612人が無投票当選になった。単に野党勢力が疲弊しきっている、あるいは政党政治が限界にきているというだけではない。大阪で立憲民主党は市民運動から立ち上がった候補予定者を選別・排除したため、府議には3人しか候補を立てられなかった。そのうち1人は豊中市の市民運動が共同して擁立した候補に、あえて対立して落下傘候補を差し向け、共倒れという結果を招いた。共産党も茨木市では方々からの要請を無視して立候補したあげく共倒れになるなど、「市民と野党の共闘」を停滞させた。
共闘を実りあるものにするためには、既成野党ではなくて市民運動のヘゲモニーを強化しなければならない。直ちに安倍=維新(橋下)の改憲策動を打ち破る運動に立ち上がろう。

主張
天皇制反動としての「元号」
大国主義、排外主義の象徴

今回、政府は独裁的に「元号」を決めた。従来と異なり、安倍首相が談話を発表したこと、初めにあった5案に加えて3月中旬になって「令和」案をねじ込んで6案とし(4月3日付産経)、反対があったにもかかわらず(赤松広隆衆院副議長は別案を提起した)、それを押しのけて決めている(4月5日付朝日)。
安倍首相は、首相談話で、「人々が美しく心を寄せあうなかで文化が生まれ育つという意味が込められている」とナショナリズムをあおって説明したが、率直に読めば「令和」とは、「日本に命令する」意味となる。また、初めて「和書」から取ったと言うが、典拠とする「万葉集」の序は漢文体で書かれており、それ自身、中国の古典に由来するという(張衡の「帰田の賦」など)。アクロバット的な国粋主義は、破綻しているのである。
そもそも、「令」には「命令」「指令」に見られるように、人に従うことを求める意味があり、権力性、強権・強圧性がにじむ。日本政府は、「令和」の意味を海外に向けては「美しい調和」beautiful harmonyと説明したが、外国紙は command やorderと説明したものが多かった。また「和」については、「国内外で人々の分断ばかりをつくり出している安倍首相が和を語るなど何さま?という思いだ」(政治思想史家)という的確な指摘がある(4月7日付東京)。
天皇を英語では、Emperorという。多数の民族や地域を支配する「帝国」 Empireの支配者という意味である。そんな大国主義、排外主義に満ち満ちた称号を使う「君主」は今や世界に存在しない。元号を使う国も存在しない。元号は、君主が空間とともに時間も支配することを表す。「万世一系」、「アマテラス神の子孫」という神話を今でも引き継ぐ天皇支配の歴史的連続性を示すものである。本来、敗戦後に廃止されるべきものが、根拠なくそのまま(しかも戦前からの「昭和」のまま)使用されてきた。
アキヒトは、今年2月の「在位30年」を祝う式典で「(後の天皇が)象徴像を補い続けていってくれることを願う」と述べた。これは、自分のやってきたことは完全だから、変えずに継承せよ、ただ補うだけにせよという「命令」である。天皇制反動の極致「元号」攻撃に反対し、一連の天皇行事を断罪しよう。

インタビュー
兵庫県議選初当選の北上哲仁さん
自民落選させた共闘の力

本紙260号(18年12月20日付)の直撃インタビューに掲載した北上哲仁さんが、4月7日投開票の統一地方選で兵庫県会議員に当選した。(文責:本紙編集委員会)

宝塚市長の応援をうけて演説する北上哲仁さん集会(中央)

――当選おめでとうございます

ありがとうございます。4期務めてきた市議とは1桁違う得票が必要で不安でしたが、皆さんの応援のおかげで1万8118票を頂き2位で当選できました。川西・猪名川選挙区は、3議席を私と自民・公明・維新で争う構図でしたが、自民党候補を落とし、トップとは300票余りの差でした。私は周知の通り社民党員ですが、今回は他の野党、国民民主党・立憲民主党の推薦や、また共産党や無所属の市会議員・町会議員の支援も受けました。野党共闘・市民と野党の共闘の典型的な勝利だと思います。

――どういう政策を掲げてたたかったのでしょうか

基本的には4期16年の市議時代と変わらないのですが、少子高齢化社会を迎える中で、子どもも高齢者も一人ひとりが大切にされ、持続可能な平和な社会を次世代に受け継ぐということです。特に川西・猪名川では市民病院の民営化が強行されたこともあり地域医療の充実や、交通政策などを訴えました。また防災や教育・子育てをはじめ県政と地域の市民をつなぐ課題を訴えました。

――維新の新人候補が当選しました

当初は、自民・公明・私の争いと言われていましたが、後半に維新の新人候補(27歳)が急激に勢いをつけ、結果は私と公明がトップを争い、維新が自民を落としての当選でした。川西・猪名川は大半が大阪のベッドタウンで、大阪維新勝利の影響をモロに受けたと思います。また公明党も必死で、大阪入りはしなかった山口代表が川西に来て、尼崎から1000人を動員して集会をしたほどです。

――今後の抱負を

川西・猪名川の議席は、10月に市長になった越田謙治郎さんの議席を受け継いだ左派とリベラルの議席です。この議席で基礎自治体と県政をつなぐ役割を担いたいと思います。川西・宝塚・伊丹はそれぞれ県議3人の選挙区ですが、宝塚が共産党、伊丹は立憲、川西は私が当選。市長も宝塚は中川智子さんで、兵庫で唯一の野党衆議院議員もいます。これらの人々と連携して、「憲法」「子どもの笑顔」「持続可能な社会」をめざしていきます。
そのためには地域で憲法を活かす運動を強め、県議会でそれを見える形にしていくことが必要です。5月には川西と伊丹で憲法集会をおこないます。今後とも皆さんともつながりながら、安倍政治を終わらせる力を地域から作りだしていきたいと思います。

3面

朝鮮学校高校無償化
子どもたちに学ぶ権利を
人間の尊厳守るたたかい

3月24日、MORE―モア―フェスタが大阪市内でひらかれた(写真左はそのポスター)。モアはハングルで「集める」の意。主催は、朝鮮高級学校無償化を求める連絡会・大阪で、「子どもたちの学ぶ権利を求めて新たなステージへ」がテーマ。
昨年最高裁は11月28日付で大阪府・市補助金裁判の上告を棄却した。高校無償化裁判は、大阪地裁で画期的な勝利を勝ち取ったものの、大阪・東京高裁、名古屋・広島 ・福岡地裁で敗訴。今年2月7日には国連・子どもの権利委員会は「高校無償化制度の朝鮮学校への適用を促進するため基準をみなおすこと」と5度目の勧告を出したが、国や行政そして司法までもが、子どもたちの「等しく学ぶ権利」を踏みにじった。それでも私たちはあきらめない。共に進む仲間たちがいる。もっとみんなの力を集めて進もうという趣旨だ。 第1部は、差別とたたかうフリージャーナリスト・中村一成さんの講演。中村さんは2017年7月28日の大阪地裁勝利判決報告集会での朝鮮高級学校女生徒の発言を忘れないようにしているという。「私はこの大阪が、日本が、そして世界が、偏見や差別がなく、みんなが平等で当たり前の人権が守られる世の中になることを願っています。私はこの大阪で、日本で、朝鮮学校に通う在日コリアンが本名で堂々と生きる、どこの国、どこの民族の一員であっても堂々と生きていける、いろんな人が助け合って生きるそんな社会ができることを強く願い、そのための架け橋のような存在になりたい」。
続いて、裁判での国側立証の問題点を指摘。@「教育権」をめぐる裁判に「治安管理」の観点を持ち込む、A「不当な支配」を印象付けるためのネガテイブキャンペーン、B教育基本法を物差しに外国人学校を判断、C教育内容への露骨な行政権力の介入、D要件適合性で教育基本法、学校教育法などの法令を持ち込むが、「私立学校法」(私学の自由・私学の自主性)だけは無視などを指摘した。
結びで、無償化闘争の目的を、朝鮮人が朝鮮人として生きる権利、共に生きる社会の基盤を守るたたかいであり、人間の尊厳を守る、生きるに値する社会をわれわれが作る、日本の歴史的責任を直球で問う、まさに人権闘争の最前線のたたかいなのだ。過去に起こったことは変えられないが、歴史に恥じない選択をすることで、意味付けは変えられる。共に生きる人間の尊厳をかけて、つながりを生かし先人に、歴史に恥じない選択をとよびかけた。
第2部では、和歌山朝鮮初中級学校のオモニたちのチャンゴナンタ、大阪朝高オモニ会の歌とアピール、朝高声楽部の重唱、大阪朝高を応援する男声合唱団の重唱、川口真由美さんの力強い歌声など。そして最後に大阪府庁前の火曜日行動で歌われている「勝利のその日まで」を合唱した。(佐野裕子)

東アジア民衆の共同闘争
徐勝さん講演会で提起
大阪

3月22日、関西・沖縄戦を考える会のファイナル講演会が大阪市内で開かれ、東アジア平和研究所所長の徐勝さんが「朝鮮半島平和と沖縄」をテーマに講演した。 はじめに世話人の岩高澄さんが「関西・沖縄戦を考える会」結成から7年、前身の「大江・岩波沖縄戦裁判支援連絡会」から13年の活動を総括して、本土で沖縄問題を自分たちの問題として主体的に受け止め、広げていく役割を果たしてきたと話した。そして、講演会の最終回で徐勝さんの講演が実現できたことの意義の深さを強調した。
徐勝さんの講演は沖縄と朝鮮・アジアに関する示唆に富んだものであったが、ここでは私なりに整理してその内容を紹介したい。

朝鮮半島と沖縄

東アジアの平和をいかに実現していくのか。その大きな決定要因は、朝鮮半島の平和の実現である。朝鮮半島の平和の実現なくして東アジアの平和はありえない。朝鮮半島の平和と琉球(沖縄)の日本帝国主義にたいする自立=自律的たたかいとは密接・不可分である。琉球の歴史的解放を軸にして東アジアの平和を考えることは重要である。
朝鮮半島の平和にかんしては、さまざまな紆余曲折はあるが、米朝会談・南北会談が実現し、積み重ねられていることが大きな展望を生み出している。琉球の自立=自律的たたかいは、この間の玉城デニー沖縄県知事の誕生や県民投票、辺野古の現場における粘り強いたたかいが沖縄の自己決定権の行使として力強く発展しつつある。
「イデオロギーよりもアイデンティティー」という故翁長雄志沖縄県知事の提起は、帝国主義による植民地支配と根底的に対決するものだ。このことを鮮明にさせながら辺野古新基地反対闘争を全県的なたたかいとして展開している。 これは復帰闘争などのこれまでの沖縄のたたかいをこえて、力強く発展していくものであることを強調しておきたい。
辺野古新基地反対闘争は、日本帝国主義=天皇制と安倍政権の喉元に突き刺さったトゲである。それは東アジアの平和の実現に敵対する安倍の戦争政治を破綻させるたたかいであり、朝鮮をはじめとする東アジア民衆の共同闘争である。

関西の地に根付く

徐勝さんの問題提起は、日本国憲法の意義と日米安保体制に包摂されていることの問題性、天皇制の本質とそれとのたたかいの重要性、反差別闘争と主権獲得闘争との違いなど、多岐にわたった。
最後に、世話人の松浦事務局長がまとめと5月の「関西・沖縄戦を考える会」の活動を語る交流会の開催を提起した。大江・岩波沖縄戦裁判支援連絡会から継続発展させてきた関西・沖縄戦を考える会はここに幕を閉じた。しかしその活動は着実に関西の地に根付いていることを深く実感した。(島袋純二)

部落解放同盟全国連 第28回大会開かれる

3月30日〜31日、東大阪市内で部落解放同盟全国連合会第28回大会が開かれた。 大会では、インターネット上で全国の被差別部落の地名・人名をばらまいている宮部龍彦・三品純の2人からなる示現社にたいする糾弾闘争が報告された。茨城県で起きた差別事件では、加害者が宮部らが作成した「同和地区wiki」を参照したことが明らかにされた。70年代の部落地名総鑑事件を上回る差別扇動だ。
狭山闘争では、証拠ねつ造という権力犯罪の徹底糾弾がよびかけられた。九州の水害被災地から組織の垣根を越えた粘り強いとりくみが報告され、参加者の共感を呼び起こした。基調報告や会場討論では差別の元凶・天皇の「代替わり」と対決してたたかうことが強調された。

【定点観測】(3月5日〜28日)
安倍政権の改憲動向

3月5日 下村博文・自民党憲法改正推進本部長は、「新たな御世に。新たな国家ビジョン」と題して講演し、「今年5月以降の新たな元号の、御世替わりの中で、少なくとも法律の基本である憲法について議論することは当たり前だという社会環境をつくっていく」と言及。自民党改憲案を記したビラを「地方議員に何十万枚も配っている」ことを取り上げ、「統一地方選挙と参院選で地方議員が語ることで、国民が国会というのは(改憲の)論議をするところだと。統一地方選と参院選で、289の小選挙区に改憲推進本部をつくり、自民党改憲案を語っていく」などと述べた。
3月27日 野党5党1会派の国対委員長らは国会内で会談し、現状では衆院の憲法審査会の審議には応じられないとの認識で一致した。安倍首相が6割以上の自治体が自衛官募集への協力を拒否しているとして、憲法に自衛隊を明記すべきだと訴えたことにたいする反発が理由。他方、自民・公明の幹事長と国対委員長は会談し、衆院憲法審で継続審議となっている国民投票法改正案について、どんなことがあっても今国会での成立を目指すことを確認した。
3月28日 今国会初の衆院憲法審査会開催に向けた与野党幹事懇談会は、主要野党が欠席して成立せず。出席は、自民・公明の与党に加え改憲に前向きな日本維新の会・希望の党・未来日本のみ。
4月2日 政府は、閣議で、エジプト・シナイ半島でイスラエル、エジプト両国軍の停戦を監視する「多国籍・監視団(MFO)」の司令部要員として、自衛官2人を派遣する実施計画を決定した。安全保障関連法に基づく「国際連携平和安全活動」の初適用としている。国連が関与しない多国籍軍に自衛隊を派遣する違憲行為。

4面

論考
「三田しょうがい者監禁事件」(本紙第259号)への補足
T4作戦とは何だったのか 八代 秀一

本紙259号掲載、高見元博さんの「三田しょうがい者監禁事件 ナチスは過去のものではない」の記述に若干の補足をさせていただきたい。ちなみに、ナチスの障がい者抹殺作戦が「T4作戦」とよばれているのは、その本部がベルリンのティーアガルテン通り4番地にあったからである。

この記事では「市民は、しょうがい者が虐殺されていることを知りながらヒトラー万歳を叫び続けた」とある。おそらくこの記述の前提になっているビデオの編集の仕方が、このような印象を与えたのだと思われる。しかし現実には、虐殺をおこなった者たちは障がい者殺しの事実を人々に知られることを恐れ、可能な限りそれを秘密にしようとした。そのために彼らがとった方法は、第2次世界大戦への突入と同時にT4作戦を開始することであった。実際には第2次大戦の突入が1939年9月、ヒトラーが文書でT4作戦の開始を命じたのが同年10月である。この1カ月のタイムラグの説明をすると長くなるので、ここでは省略させていただく。しかし、戦争下とはいえ、障がい者虐殺の事実を完全に隠し通すことは、ナチスの組織力をもってしても不可能であった。なぜならば、虐殺が行われた施設の周囲の人々は、この事実を否が応でも知らざるを得なかったからである。 259号ではハルトハイムの施設の写真が紹介されているが、この他にも6つの障がい者虐殺施設があった。ここではマリーエンタールとハーダマーの虐殺施設をあげておこう。ハーダマーの施設は、現在も精神病院として使用されており、障がい者虐殺を心に刻むための場所を開設している。

司教は知っていた

また「一人の神父が『生産性のない者の殺害を承認するならば、市民も年をとったら殺されることになる』」と異議の声をあげたとあるが、この説教をしたのはクレメンス・アウグスト・グラーフ・フォン・ガーレン(1878〜1946)である。彼はミュンスターの司教であり、ドイツ・カトリック教会の最高指導部の一人である。そしてその名前からわかるように彼は貴族で保守的な人物であり、当時のドイツの立場を支持していた。それを示すかのように、彼の発言を正確に引用すると「市民も年を取ったら」ではなく、「重傷を負い、あるいは身体障がい者となり、あるいは傷病兵として帰還するわれわれの有為な兵士達も」だった。彼がなぜ障がい者虐殺の事実を知り得たか。それは彼の任地ミュンスターの近くにマリーエンタールに虐殺施設があったからであり、そこで働くカトリック信者から彼のもとに逐一情報がよせられていたからだ。

反ナチ抵抗運動

神父があげた異議の声が「瞬く間に市民に広がり」というくだりを若干補足すると、今回当たった文献では確認できなかったが、ガ―レンの説教を書き写して、友人・知人に手紙で送る運動が組織されたということである。なおこのやりかたは、後の「白バラ」の反ナチ抵抗運動にも受け継がれる。もうひとつは、このような声を上げたのは、ガーレン一人ではなく、彼ほどの影響力はなくとも、先に触れた6か所の障がい者施設の近くにあった新・旧両教会の聖職者達も、T4作戦開始と同時に抗議の声をあげていたことである。1941年8月3日のガーレンの抗議の声は、これらの点を考えあわせると、障がい者虐殺が公然化する、いわば最後の一撃ではなかっただろうか。

独ソ戦の一大転機

「ヒトラーはT4作戦中止を命令した。ナチスといえども世論を気にしていたからだ」という指摘はその通りだが、ヒトラーがどのような点を配慮して中止にいたったのか、もう少し踏み込んでみよう。ヒトラーが中止を命令したのは、ガーレンの説教の3週間後の8月24日である。障がい者虐殺が公然化するなかで、ナチス最高指導部の間にはガーレン殺害案も登場した。しかし、それによって反ナチの殉教者をつくりだし、大規模な国内の動揺やキリスト教徒の公然たる抵抗を引き出すよりも、作戦中止が望ましいとヒトラーが判断したといわれている。T4作戦を中止した1941年8月は、同年6月から始まった独ソ戦争が、早期のモスクワ攻めを放棄し、主力をキエフ攻めのため南転するという―大転機をむかえていた時だった。そのため国内の動揺や公然たる抵抗は絶対さけたかったということが、この判断の背景にあったそうである。

ユダヤ人虐殺へ継続

最後に優生思想という点では、ナチスも精神医学会も左翼も共通していたという点にふれておきたい。だからこそ、ヒトラーの中止命令以後も精神科医が自主的にT4作戦を継続するという「野生化したT4作戦」もあったわけだ。ナチスがT4作戦を始めた時、ドイツ精神医学会は、「ナチスもまともなことをやり始め、われわれにアドヴァイスを求めてきた」と言ったといわれている。
左翼はどうだったか。ルート・フィッシャーが起草したオーストリア共産党綱領案には優生政策の実施が含まれていた。この綱領案を送られたレーニンも優生政策について明確な反対をしなかった。
その上でナチスの特異性は、優生思想の貫徹を障がい者に対する戦争として組織した点にあるのではないだろうか。彼らはこれを「戦争と絶滅とは、不可分に相互に結びついた核心目標である」と表現している。259号にある藤井克徳さんの発言、「しょうがい者の人権が否定される時、 … それは戦争の前触れだ」は普遍にして不変の真理である。ナチスに即していえば、「それは戦争そのものだ」ということだろう。だからこそ、ナチスによるT4作戦中止は、ナチスの虐殺機構の解体を意味せず、同機構の他戦線への転戦を意味するのである。その戦線とは、「劣等民族としてのユダヤ人に対して優生思想を貫徹する戦線」であった。ナチスはT4作戦中止後ただちに、占領地でSS(親衛隊)と国防軍によっておこなわれていたユダヤ人虐殺にT4作戦の要員を投入し、T4作戦のノウハウを基礎とした絶滅収容所の建設をはじめたのである。
いわゆる「ユダヤ人問題の最終的解決」におけるT4作戦の虐殺機構の役割については、機会があれば、別に論じたいが、ここではナチス・精神医学会・左翼が優生思想で共通していたということの重さを自らの問題としてうけとめたい。

【参考文献】グィド・クノップ『ホロコースト』(ゴルトマン書店2001年)

貧困の悲惨な実態
引き下げアカン! 大阪の会総会
3月21日

3月21日、生活保護規準引き下げ違憲訴訟を支える「引き下げアカン! 大阪の会」の第5回総会が大阪市内でひらかれた(写真左)。第一部は、和田信也主任弁護士が裁判の現状について報告した。
2013年の提訴から6年、ついに判決を迎える時期が到来した。名古屋地裁は今年8月に証人尋問、12月に最終意見陳述の提出、来年3月に判決の言い渡しの予定である。さらに東京地裁も来年度中の判決という見通しが出されている。大阪地裁も含めて全国の裁判闘争は最大の山場が到来しているのだ。
名古屋地裁では生活保護基準部会の部会長代理の岩田正美・日本女子大名誉教授が原告側証人として申請されている。岩田部会長代理は従来、厚労省寄りとされてきたが同省のやり方があまりにもひどいので原告側証人として出ることになったものである。岩田教授は『世界』(2015年5月号)で「厚労省全体でこれだけ削減するようにという枠がまずあって、その中で削減の動きが出てきている」「完全に経済財政政策の中で議論されている」と述べているが、証人として出廷することになれば基準部会の内幕が裁判で明らかになっていくことが予想される。国はあわてている。しかし、国がいくら抵抗しても裁判所の証人採用は動かないだろう。

ショッキングな報告

第一部の最後に大阪の民医連から劣悪な非正規雇用と貧困による死亡事故の報告があった。高齢の母親から息子の容体が非常に悪い、保険証もお金もない、どうしたらよいかというものだった。息子は40代、非正規雇用を転々とし保険証はなく、6カ月前から体調悪化で仕事ができなくなり、実家に戻って来た。最初は咳がひどくてだるそうだったが、2カ月ほど前から歩けなくなり、2週間前から布団から出ることもできなくなった。生活保護も追い返され、近くの医療機関からは保険証がなければいったん全額払ってもらうといわれ、どうにもできなかった。相談を受けた民医連の医療機関は「救急車できてください」と要請した。来院したときの息子の体重は40キロを切っていた。CTをとると肺の4分の3が溶けていた。重傷の肺結核だったのだ。ただちに専門の医療機関に移送し生活保護の手続きをしたが数日で死亡した。まさに19世紀の『イギリスの労働者階級の状態』(エンゲルス)が今の日本に起きている。非正規雇用の拡大と社会保障の切り捨てがここまでの事態を招いているのだ。

労働運動との連携

第二部は吉永純教授による「反貧困運動の現在」と題した記念講演。種々のデータによる貧困の現状報告があったが、貧困とたたかうための手がかりや展望はどこにあるのかという点に絞って報告する。
吉永さんは、労働運動にとってだけでなく社会保障の運動にとっても最低賃金の問題を重視する必要性を指摘した。韓国は14年から17年、毎年7%以上アップ。文政権では2年連続10%超で計29%アップ。黄色いベスト運動等によりフランスでは月100ユーロ(1万3千円)アップをかちとっている。
大阪府立松原高校では5人の生徒が生活保護と貧困をテーマにした総合学習をおこなう中で貧困や自己責任論と向き合う主体に変わっていった。
生徒たちは松原駅で乗降客100人に生活保護のアンケートをとった。結果は4割が自己責任、6割が社会的責任だった。生徒たちはさらに現実を知ろうと羽曳野市のケースワーカーを訪ねた。そこで「利用者は怠け者ではない。生活保護を好きで受けているのではない」という話を聞いた。5人の生徒のうち2人は生活保護の利用者だったが、そのことをどうしても言えなかった。しかし、信頼できる人間が隣にいることを知ったとき生徒たちは大きく変わりはじめ、できることをやろうと学校の中で子ども食堂を始めた。
吉永さんは、生活保護を利用する客体から貧困を解決する主体に変わっていった生徒たちに感銘を受けたと報告した。(矢田 肇)

5面

(直撃インタビュー 第38弾)
「障がいは不幸」という優生思想に抗って

脳性まひ者の生活と健康を考える会・代表 古井正代さん

旧優生保護法のもとで強制不妊手術がおこなわれた。被害者の「救済法案」をめぐって、現在国会で激しい議論が交わされている。優生保護法のもとになっている優生思想とは何なのか。優生思想とたたかってきた古井正代さんに、優生思想の歴史と自らのたたかいを語ってもらった。(文責・見出しは本紙編集委員会)

――旧優生保護法下でおこなわれた強制不妊手術が社会問題になっています

私たち障がい者団体は、ずっと厚労省と直接交渉をしてきました。障がい者がいくら訴えても、日本政府は動こうとしませんでした。DPI(注)の藤原久美子さんたちが国連女性差別撤廃委員会に訴え、日本政府に勧告が出ています。2017年2月には、日本弁護士会が意見書を出しました。
2018年1月、宮城県の佐藤由美さん(仮名)がはじめて国賠訴訟をおこしました。これでやっとメディアが取り上げるようになったのです。現在、20人の原告が全国7カ所で訴訟をおこしています(3月5日現在)。

優生思想の歴史

――優生思想の歴史について教えてください

ゴルトンという人が『遺伝的天才』(1869年)という著書の中で優生学をはじめて展開しています。彼はダーウインのいとこです。優生学とは、人間の性格は教育や環境ではなく遺伝によって決まるというものです。
これがアメリカで広がりました。アメリカは移民の国ですが、実は健全者しか来ていないのです。建国段階で障がい者は排除されています。当時、白人しか市民権を与えられていませんでした。労働力としてアフリカンを連れてきました。中国人が移民してくると、中国人排斥法で排除しました。
1904年、生物学者のダベンポートは、実験的進化を目的とした研究所の創設のためにカーネギー財団から資金援助を受け、カーネギー研究所のなかに実験進化研究所を設立しました。ダベンポートは遺伝学を人間に適用し、「優秀な」人間をつくるには競走馬のように、「優秀な」種を掛け合わせればよいと考えたのです。
1907年にアメリカでは、インディアナ州で世界初の断種法が制定されました。それ以降、1923年までに全米32州で制定されています。この間、7万人(アダム・コーエン『知的障害者―米最高裁、米国の優生学とキャリー・バックへの不妊手術』)の断種手術がおこなわれています。ヒトラーはこれを称賛し、取り入れました。 ヒトラー政権のもとで、障がい者は「安楽死」という名のもとに抹殺されていったのです。障がい者は国家の役に立たない、社会保障に金がかかる、国民の重荷になると考えていたからです。その人数は30万人(フランク・シュナイダー:『精神神経学雑誌第113巻第8号』)におよんでいます。
ヒトラーが中止命令を出した後も、医者や看護師が障がい者を殺し続けました。医者は私たち障がい者を「人間の失敗作」と考えています。だから「殺してしまえ」ということになるのです。この根っこに「障がい者は足手まとい」という考え方があります。

――日本の場合はどうでしたか

戦前には国民優生法(1940年)があり、障がい者に断種手術ができました。しかし、国は「産めよ、増やせよ」の政策をとっていたので、露骨にはやりませんでした。 敗戦後、国は障がい者排除を積極的におこないました。政府は急増する人口対策として、産児制限運動を始めました。優生思想が貫かれ、強制不妊手術をしたのです。
ハンセン病の隔離政策では、国は患者に堕胎を強要し強制不妊手術をしました。国は患者を隔離するだけで、治療をしないのです。障がい者の場合でも施設や養護学校は隔離が目的です。

「青い芝の会」の直接行動

――古井さんのたたかいを語ってください

私が1歳の時です。母は私を大阪大学病院に連れて行き、そこで脳性まひと診断されました。その帰り途、母は汽車のデッキから私を抱いたまま飛び降りようとしました。危うく祖父が止めたので、私は生きているのです。それ以来、わが家は幼い私を家族の中心にすえる方針で、自己主張を貫くことが許されて育ちました。
小学校のとき、私は地域の学校に通いました。同級生の友だちも毎日のように私の家に遊びにきました。しかし養護学校が新設され転校させられました。ここはただ隔離されただけで、いい事はひとつもありません。今まで遊びに来ていた友だちも、学校が違うので来なくなりました。近所の学校に行けなくなってショックでした。 私たち脳性まひ者は小さいときから、親に「将来が不安」「愛しているから殺す」と事あるごとに言われます。私たちは何時でも殺される立場です。私は、自分の立場からずっと発言してきました。この日本は、健全者のためだけの社会で、障がい者のことは何も入っていないのです。
1996年、私を手にかけようとした母は交通事故で脳挫傷になり、物が二重に見えるようになってしまいました。当初、母は優生思想に凝り固まっていて、「死にたい」と悲観ばかりして「寝たきり」でした。そこで、私が母を障害者として再生させる教育をすることになりました。母の晩年は私と一緒に障がい者として楽しく生き、最後も私が看取りました。

――古井さんは「青い芝の会」のたたかいを担ってきたのですね

1970年代の初め、親が障がいのある我が子を殺す事件が相次ぎ起っていました。子どもを殺した親に同情し、減刑嘆願運動があちこちで起こります。これにたいし、「神奈川青い芝の会」は、「私たちはあってはならない存在なのか」といってたたかいました。 72年にドキュメント映画『さよならCP』(監督:原一男)がつくられ、全国で上映運動がおこなわれました。この映画では、脳性まひ者が優生問題にたいして発言する姿が映し出されています。殺される側からの訴えはセンセーショナルなものでした。この上映運動のなかで、73年に「大阪青い芝の会」ができたのです。
72年、優生保護法の改正案が国会に提出されました。激しい反対運動を起し、74年に私たちのたたかいで成立を阻止したのです。
76年1月、「和歌山青い芝の会」の会員であった藤田正弘さんが鉄道自殺しました。杖がないと移動できず、喋れない藤田さんは、身体障害者福祉センターに入って辛い思いをしていたのですが、それでも「青い芝の会」の理解者を増やそうとしていました。このことで入所者や職員にいじめられていたのです。私たちは、抗議のために直接行動を起しました。ここで史上初めて機動隊が出てきました。警察は、まさか障害者だけのたたかいとは思っていなかったのです。
77年、文部省(当時)は養護学校義務化を言い出しました。これに反対し、「青い芝の会」は文部省に直接行動をおこないました。
この年、川崎市は突然「路線バスに車いすで乗せない」ことを決め、これが各地に拡散し始めました。全国の「青い芝の会」は川崎駅前で大規模な直接行動をおこないました。

内なる優生思想

――兵庫県に「不幸な子どもの生まれない運動」がありました

兵庫県の金井元彦知事(当時)は、1966年から「不幸な子どもの生まれない運動」に取り組み、「不幸な子どもの生まれない対策室」を設置します。そもそも人が不幸かどうかは他人が決めることではない、障がい者が不幸だという根拠を示せと抗議行動をし、ビラもまきました。そして74年「対策室」はなくなり「運動」は終わったはずでした。 「運動」から生まれた兵庫県立こども病院が、2016年3月にポートアイランドに移転した際に記念誌を出し、これを「本邦では初めてのユニークな運動」と称賛しました。今日にいたるまで、兵庫県の優生思想は変わっていません。現在、私たちは兵庫県に抗議し、優生手術の実態を明らかにし、歴史認識を修正し、訂正文の公開を求めています。

――3・11福島原発事故以降、古井さんは「原発と優生思想」を訴えています

原発事故が起きて、私は4月から福島に入り、経産省前での座り込みにも参加しました。その中で、「結婚できるでしょうか」「子どもが産めるでしょうか」という声を耳にしました。これは障がい者ができたら困るということです。私は危機感を持ち、これでは世の中は何も変わらないと思いました。あるべき方向は、みんなが生きる方向で世の中が変わることです。
2013年に、政府は母体血検査を解禁しました。明らかに原発事故被害の隠蔽です。ここでも優生思想が入り込んでいます。16年に津久井やまゆり園事件がおきました。事件をおこした植松聖の言葉は、ドイツの医者の信念や兵庫県の運動と何も変わらず、深く人の心に浸透しているのです。
今日、国の優生施策やその隠蔽ともたたかわねばなりませんが、私たちの側も「内なる優生思想」と真摯に向き合い、抗っていくことがますます重要になっています。

――ありがとうございました(了)

(注)DPI
Disabled Peoples' International 1981年結成の国際障がい者運動のネットワーク。

ふるい・まさよ
1952年生れ。1973年に「大阪青い芝の会」を結成した。障がい者解放運動を通じ、優生思想の問題を訴えてきた。06年、テネシー州ナッシュビルで米国の障がい者団体(ADAP)の大規模な直接抗議行動(逮捕者68人)に参加。福島原発事故以降、母体血検査など「原発と優生思想」の問題を訴えている。11年9月、第17回地中海小児神経学会で福島の現実を訴えた。現在、「STOP原子力☆関電包囲行動」やJR大阪駅前での「辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動」にも参加し行動している。また、「不幸な子どもの生まれない運動」を肯定し続ける兵庫県にたいして抗議活動をおこなっている。パンフレットに『いつかはあなたの街のこと−原発と優生思想』『わたしたちの内なる優生思想を考える』など

6面

争点
暴力と独裁の止揚の道は?
『未来』請戸耕市論文への疑問
落合 薫

担い手となる主体

まず、プロレタリア独裁の担い手となる主体をなぜ論じないのか。アソシエーションのところでは若干客観的に論じているが、プロレタリア独裁論になったとたん主体が消えている。プロレタリアートにせよ労働者階級にせよ、マルクスはどういう意味で言ったのか、今日ではそれが何を指すのかだ。主体がないところでこの問題を論じても、観念にとどまる。プロレタリア独裁にせよコミューンにせよ、その発展的なありかたを模索することを閉ざしてしまうのではないか。プロレタリア独裁についてあらかじめ、硬直的なとらえ方をしておいて、「硬直的だ」と批判しているようだ。
こういった「未来の組織形態」(一時的過渡的)は、選択肢として選ぶならどちらがいいのかといった体の議論だ。日本共産党の「革命抜きの未来社会」論と同様の議論となってしまう。
マルクスは、プロレタリア独裁やコミューンを労働者人民が主意的に実現するものとしてではなく、労働者人民の革命が必然的にたどらなければいけないものとして提起している。誰が、いかにしてという実現論抜きに、暴力抜きの革命とか、プロ独を必要としない階級の廃絶と言えば誰もが賛成するだろう。しかしそれは空論だ。

ブルジョア独裁批判こそ必要

その結果、プロレタリア独裁とブルジョア独裁、スターリン主義とファシズムの区別がない独裁一般への反対論になっている。しかしこれらを一緒にしては、おのおのの事象を批判できない。沖縄や原発について安倍政権が強行していることを見れば、議会制民主主義国家や、一部の知識人がもてはやしている天皇制民主主義も暴力的独裁だ。プロレタリア独裁を批判してブルジョア独裁を批判しないのはなぜか。
70年安保・沖縄闘争や現在の関生への弾圧は暴力的抑圧ではないか。労働者がストライキのとき張るピケは対抗的暴力ではないのか。「暴力」という言葉を追放しても階級闘争は1ミリも前進しない。
どの階級が支配するかは、統治形態や法制度に優先・優越する問題だ。「どんな法律によっても」とはそういう意味だ。法律を変えるより、権力を誰が握るのか、その権力を誰が担うのかが優先するのは当たり前だ。
「プロレタリア独裁か、拘束的委任制か」という2項対立が提起されているが、この二つは対義語でも反対概念でもない。したがってこの設問は本来二者択一とはなりえない設問だ。しかしあえて、この設問に正しく答えるとすれば、請戸論文のいうプロレタリア解放の水路としての拘束委任制は、プロレタリア独裁の下でのみ可能である。
拘束的委任制にせよ直接民主主義にせよ、ある組織形態が自足的にプロレタリア解放=人間解放を実現するものではない。直接民主主義を典型的に実現したとされる古代アテネは、女性・奴隷・外国人を排除し、つねに僭主(不法な独裁者)が登場する脅威にさらされていた。拘束的委任制は、パリ・コミューンでもスターリンの独裁下でも一時的部分的に実現されたが、典型的に実現されたのは封建制末期の身分制議会においてだ。僧侶・貴族・庶民(実体は初期ブルジョアジー)の3身分の代表者がそれぞれの議員を選出し、議員は選挙母体の訓令に拘束され、これに違反した場合には罷免された。
プロレタリアートないし被抑圧民衆の支配、それを担う諸個人の全面的で主体的な参加によってのみ、プロレタリア解放=自己解放は実現される。暴力や独裁を機能や戦術としてではなく、人間的共同体の本質に内在するものとしてとらえたとき初めて、その止揚や抑制も可能になる。
なお商品関係の廃絶や小商品生産者の絶滅がプロレタリア独裁の機能ではない。プロレタリア独裁とは、賃労働―資本関係の廃絶を通した人間の解放を実現する不可欠な政治形態だ。もちろんプロレタリア独裁が実現されたからといってこの課題が自足的に解決するわけではない。社会的生産を意識的に組織し、価値関係を廃絶し、真の連帯社会を実現する主体的努力が必要だ。
その意味でマルクスのプロレタリア独裁論は時代ごとの言及を通して、ダイナミックで発展的形態として提起されている。それは認識の深化を示しているのであって、プロレタリア独裁論をある時点で放棄したのではない。レーニンやスターリンへの批判をもってマルクスのプロレタリア独裁論を清算することはできない。

追悼 淵上太郎さん

タンポポは散らず

経産省前テントひろば創立時からの代表格のひとりで、テント村の村長と愛された淵上太郎さんが、3月20日亡くなられた。享年76歳。
あと一週間という担当医の宣告があったと聞いても、私は鹿児島県から動けなかった。九電・川内原発の巨大開発工事の実態調査に駆けずり回っていたからだ。
末期がんに冒された村長が、今年、鹿児島の川内テントの新年会にいらしたとき、政治思想家として古武士のような凄絶な風情に再度触れたことで、淵上さんは、なんら変わることなく私の中に結晶していたのだ。
久見崎浜でおこなった「ウエル亀ロックフェスティバル」の舞台づくりに取り組む淵上さんは、酷暑のなかで驚くべき働きを見せてくれた。温泉に行った時、そのおからだの小ささに衝撃を受けた。それから3年後、新年会で餅つきをする私の正面に淵上さんは現れ、きねを持ち上げる私に目を注がれた。それはそのまま、私のこころの中に焼き付き、人類と共存できない核燃料をしゃにむにかかえこむ自民党政治の不条理に果敢にたたかいを挑む、倫理的政治家の思想のたいまつを受け渡された。
「ないはずの時間があり、年賀状に何を書くか本当にわからなかったのですが、結局、年賀状は、書けました」。これが今年1月13日、久見崎浜の脱原発川内テント・新年会でのスピーチのことばだった。そして、わらべ唄の「一かけ二かけ三かけて」を歌ってもらった。
大阪にいたころ、経産省前テントひろば応援団を結成したが、その発足集会に来ていただいたのは淵上さんだった。脱原発は、超高速の放射性核質の臨界爆発というテクノロジーの非人間性、非人道性を廃棄するための運動である。川内原発周辺は、対テロ対策と称して自然破壊が拡大し、その全貌はあかされていない。ここで過酷事故が起きれば、日本全体が放射能被ばくすることになる。桜島の噴火口に舞い降りた放射性物質が、火山爆発の灰とともに地域一帯を襲うことになる。
私はたんぽぽ舎から経産省前テントひろばに軸足を移動し、その後、大飯、北九州、大阪市役所前テント、伊方の家、さらに、脱原発川内テントと移動しても、淵上さんと切れてしまうということはなかった。かつて出版人という点でも相通ずるものがあった。永山則夫を文壇から追放し、少年非行の見せしめとしての死刑に追い込んだ体制は、許せるものではなかった。淵上さんと、骨としてのペン、骨としての文章、骨としての草稿を共有している何ものかは消えることはなかったし、いまだに消えない。
ニューヨークのウォールストリートがテントでオキュパイされたのは、経産省前テントひろばとほぼ同じと言っていい。これは、21世紀の民主主義革命の決定的事件だった。あの「白ばら」のように、淵上さんのひそかに探究していた現代タンポポ学の意義も含めて、経産省前テントひろばの運動は語り継がれ、拡大するに違いない。凡庸な私にまで、人間の思想・政治精神というものの実践的証明という遺産を分けていただいたことに、深く感謝します。合掌
巌 匠

投稿
終わりにしよう! 天皇制
東京 吉岡大吾

天皇明仁の退位まであと1カ月、そして新元号発表まであと1日という3月30日、東京で天皇制を考える集会が開かれました。題して「天皇『代替わり』直前! 今からでもNO≠ニ言おう集会」。主催は「終わりにしよう天皇制!『代替わり』反対ネットワーク」(〈おわてんねっと〉)です。タイトルからわかるように、天皇制そのものを廃止しようという方向性を持った集会で、いわばその「論点整理」の集会でした。
〈おわてんねっと〉のメンバー5人が、五つの分野から天皇制が根本的に持っている問題点を指摘。「代替わりと天皇教」「米国と天皇」「あとつぎ問題:女性と天皇」「くらしと天皇」「ヘイトと天皇」の五つです。
聴いてみると、五つの分野でいくつもの共通する問題点がクロスしていることがわかりました。例えば、天皇教のはらむ情念がヘイトをまき散らす若者のバックボーンにあること。「日の丸」を媒介にして暮らしとヘイトが直結していること。米国でもアジアでも天皇制への強烈な拒否感があったこと。神武天皇に始まる天皇系図(万世一系)を可能な限り永らえるさせることが国の目的であって天皇教がその装置になっていること等々。
天皇制は、アジアの人々にとっては戦争と植民地支配の責任を曖昧にするものであり、日本の市民にとってはえせ宗教で自分たちを国家に強制的に統合するものであり、どちらにとっても人として平等に生きることを妨げるものであることを、立体的に理解することができました。
〈おわてんねっと〉は、3月中旬で100を超える団体が賛同に名を連ねています。来年4月まで続く「代替わり」過程で、天皇制廃止をめざしてたたかいを続けていきます。ぜひご参加ください。詳しくはWEBの「おわてんねっと」で検索してください。