未来・第263号


            未来第263号目次(2019年2月7日発行)

 1面  辺野古新基地
     県民投票 全県で実施へ
     焦る政府、新たな工事に着手

     安倍政権最後の国会に
     開会日行動で市民ら訴え
     1月28日

     【定点観測】(1月4日〜22日)
     安倍政権の改憲動向
     公明とり込み、発議に意欲

 2面  寄稿
     自衛隊配備で琉球弧はどうなるか(上)
     対中国で軍事化する南西諸島
     小多 基実夫

     第10期 沖縄意見広告運動始まる
     6月、全国紙と沖縄2紙に

     『展望』第22号
     共産主義運動の地歩形成へ
     憲法、原発、沖縄、朝鮮情勢

 3面  アジアスワニー闘争から30年 中村猛さんに聞く(第2回)
     バリケードは越えるためにある!      

     コラム■私と天皇制@
     天皇の写真に直立不動の“軍国ガキ”     

 4面  投稿
     狭山・袴田、ともに再審実現へ(下)
     腐敗、不正義の司法権力

     シリーズ 原発問題を理解するために 第2回
     管理能力と責任感の欠如
     江田 恵

     (シネマ案内)
     差別との闘いの歴史描く
     映画「アイたちの学校」

 5面  直撃インタビュー(第37弾)
     日本による海南島侵略から80年
     植民地責任に向きあうとき
     海南島近現史研究会 斉藤日出治さん

 6面  長期連載―変革構想の研究 第12回 アソシエーション(2)
     国家・イデオロギー・階級闘争
     請戸 耕市

       

辺野古新基地
県民投票 全県で実施へ
焦る政府、新たな工事に着手

「基地建設絶対反対を示そう」県民投票キックオフ集会で訴える稲嶺進さん(中央マイクの人、1月26日)

安倍首相は1月末の衆院代表質問で、辺野古新基地建設をめぐって大浦湾側の埋立予定海域に軟弱地盤が存在し、改良工事が必要となることを認めた。政府は地盤改良のための計画変更を県に申請する方針だが、沖縄県の玉城デニー知事は「県が埋め立て承認撤回の事由に挙げていた軟弱地盤の存在を国が認めた。政府は即刻工事を中止して県と協議すべき」として変更承認に応じないことを明らかにした。

1月24日、辺野古米軍基地建設のための埋立ての賛否を問う沖縄県民投票をめぐって、県議会は全会派による代表者会を開き、現行の「賛成」「反対」の二者択一に「どちらでもない」を加えた3択に条例改正することで合意。29日の県議会では自民党の一部議員が反対したが、賛成多数で改正案を可決した。県民投票に不参加を表明していた沖縄市、宜野湾市、石垣市、宮古島市、うるま市の5市長も3択案に同意しており、2月24日に全県で県民投票が実施されることになった。
年初からの動きを振り返ってみたい。

年明けから連日行動

沖縄の2019年のたたかいは、1月5日の土曜大行動で始まった。この日、名護市のキャンプ・シュワブゲート前には1000人の市民が結集。新基地建設を止める決意を新たにした。
1月7日、沖縄防衛局は工事を本格的に再開。名護市安和の琉球セメント桟橋より、10トンダンプ569台分の土砂が運搬船3隻で搬出。海上ではK9護岸から土砂が基地に搬入された。連日抗議行動が取り組まれた。
14日、防衛局が埋め立て土砂投入を開始して1カ月目となった。1月10日までに10トンダンプ6600台分の土砂が工区「2-1」に投入された。しかし、それでも予定の半分にも満たない状態だ。K9護岸だけの搬出では間に合わないことが明らかになった。
また、辺野古新基地建設の賛否を問う県民投票をめぐって、沖縄市、宜野湾市、石垣市、宮古島市、うるま市の5市が不参加を表明したことにたいして、15日から、「『辺野古』県民投票の会」代表の元山仁士郎さんが宜野湾市役所前でハンストに突入(19日にドクターストップで中止)。
16日、安和の琉球セメント桟橋では、早朝より100人が抗議行動。桟橋周りの海上では海上行動隊がカヌー13艇、ゴムボート1艇で運搬船を取り囲み抗議した。キャンプ・シュワブゲート前では数十人が座り込み。ゲート前からは基地に工事車両300台が入った。そのうち護岸の基礎となる砕石が70台分入った。新たな護岸建設の準備が始まった。

政府が軟弱地盤認める

1月21日、政府は、埋め立て予定海域で確認された軟弱地盤の存在を認めた。改良工事に向け今春にも設計変更に着手する方針である。玉城知事は計画変更を承認しない構えだ。
また、政府は3月25日から、埋め立て工区「2」(K1、K2、K3、K4、N5護岸で囲われた区域)への土砂投入を始めると県に通知した。工期は2020年7月まで、工区「2-1」と合わせると埋め立て工区全体の4分の1の面積になる。
26日、名護市辺野古のキャンプ・シュワブゲート前で「県民投票を成功させよう! 県民投票キックオフ集会」が開かれ、3000人が参加。集会では、国会議員、県議などが発言。稲嶺進オール沖縄会議共同代表は「県民投票の選択肢が増えようが、投票は辺野古反対に〇(マル)だ。絶対に基地建設は許さないと2月24日にあらためて示そう」と訴えた。
28日、防衛局は、大浦湾側の護岸に着手。この日、N4護岸の基礎となる砕石が投下された。これにより、N4護岸、K8護岸の工事が始まった。新たな「桟橋」の造成である。(杉山)

安倍政権最後の国会に
開会日行動で市民ら訴え
1月28日

「安倍9条改憲阻止!辺野古土砂投入即時中止!」をかかげた国会開会日行動(1月28日 衆院第二議員会館前)

通常国会開会日の1月28日、「安倍9条改憲NO! 辺野古土砂投入即時中止! 共謀罪廃止! 安倍政権退陣! 1・28国会開会日行動」(戦争させない・9条壊すな! 総がかり行動実行委員会、安倍9条改憲NO! 全国市民アクション、共謀罪NO!実行委員会の共催)が衆議院第二議員会館前を中心におこなわれ、450人が参加した。 総がかり行動実行委の高田健・共同代表が開会あいさつで「安倍政権最後の国会にしよう」と訴えた。
社民党、共産党、国民民主党、立憲民主党などの国会議員が連帯アピール。沖縄の風から伊波洋一参院議員が発言。それぞれ厚生労働省の勤労統計不正や辺野古基地建設強行を弾劾した。
共謀罪NO! 実行委員会から海渡雄一弁護士が、「自由を守るための闘い」として共謀罪とたたかうこと、共謀罪弾圧そのものである関西生コン弾圧とたたかうこと、国会前集会終了後に衆院第二議員会館でおこなわれる関西生コン弾圧についての報告集会に参加することを呼びかけた。医学部入試における女性差別対策弁護団の角田由紀子弁護士が発言。東京医大をはじめとする私大医学部入試における女子受験生差別が憲法14条(法の下の平等)違反であると同時に医師が過労死するような過酷な医療現場の問題であることを訴えた。
戦争させない1000人委員会の北村智之さんが行動提起。2月の19日行動は沖縄の課題にしぼって午後6時半から国会正門前でおこなわれる。3月19日は第二議員会館前を中心に実施する。5月3日には、江東区有明の東京臨海広域防災公園で憲法集会が開催される。

【定点観測】(1月4日〜22日)
安倍政権の改憲動向
公明とり込み、発議に意欲

1月4日 安倍首相は伊勢市における記者会見で改憲について、「具体的な改憲案を示し、国会での活発な議論を通じ、国民的な議論や理解を深める努力を重ねていくことが国会議員の責務だ。与党、野党という政治的な立場を超え、できる限り広範な合意が得られることを期待する」と述べた。また60年前の亥年、1959年に日米安保条約改定交渉をめぐり、「国論を2分する議論が交わされた。しかし先人たち(自らの祖父・岸信介を指す)は決して逃げなかった。国の行く末を見据えながら決然としてその責任を果たした。…今を生きる私たちもまた責任を果たさなければならない」と自らを岸の姿に重ねた。
1月5日 安倍首相は地元下関市の後援会の会合で、「平成最後の年であると同時に新しい時代の夜明け(幕開け、という報道も)となる。その先の時代に向けて、憲法改正を含め新たな国つくりに挑戦していく1年にしたい」と決意を表明した。
1月19日付毎日新聞によると、自民党は2019年運動方針を固めた。安倍首相がめざす改憲について、「改めて国民世論を呼び覚まし、新しい時代に即した憲法の改正に向けて道筋を付ける覚悟だ」と前文に明記し、国民投票をにらみ、世論の醸成を図る姿勢を打ち出す。
1月19、20日 朝日新聞が実施した世論調査によると、参院選挙で与党と改憲に前向きな勢力とで参院全体の3分の2を「占めた方がよい」39%、「占めない方がよい」39%だった。無党派層では「占めない方がよい」43%、「占めた方がよい」28%だった。
1月22日 自民党は2月10日に党大会で採択する2019年度の運動方針案を発表した。改憲について、前文で「新しい時代に即した憲法の改正に向けて道筋をつける覚悟である」と記したが、重点項目を列挙する本文では触れなかった。

2面

寄稿
自衛隊配備で琉球弧はどうなるか(上)
対中国で軍事化する南西諸島
小多 基実夫

反対運動が結束し防衛省へ直接行動

昨年12月5日衆議院第二議員会館で「沖縄・琉球弧の軍事拡大に反対する政府交渉、記者会見」がおこなわれた。
陸自の配備とたたかう宮古島、石垣島、与那国島の住民と、米軍基地に反対する沖縄島(辺野古、高江)、伊江島の住民による「軍事拡大に反対する共同声明」に基づいた共同の防衛省要請行動である。
沖縄全県を中心に琉球弧全体を戦場化させる政府の戦争計画に地域全域でたたかわれる反対運動が一つに結束して防衛省への直接行動に立ち上がった意義は大きい。
要請行動―記者会見の後、東京理科大学で報告集会が開かれた。そこでは、事前に提出されていた防衛省の1000ページもの開示情報に基づいた60余の質問に対して、防衛省はなにひとつまともに答えることができなかったことが明らかにされた。
しかし、交渉の場でののらりくらりとした無責任な態度とは裏腹に、現場では強引に工事が進められている。
防衛省は、「自衛隊の空白地帯を埋める」と称して、奄美大島、宮古島、石垣島、与那国島などに2000人の部隊配備を進めている。各島への配備は一体のものとして進められており部隊の実態も共通する点が多い。以下、最大の核となる宮古島配備を中心に見ていく。

ミサイル基地化がすすむ宮古島

宮古島では、住民の反対を無視して、中央部に位置する上野野原の千代田カントリークラブ跡地に隊舎を年度内に完成させ、直ちに警備部隊として普通科(歩兵)380人を配備し、続いて地対空ミサイル部隊、地対艦ミサイル部隊の約330人、合計700〜800人が配置される計画である。
さらに、城辺保良の採石場でも地元部落会等の反対決議を無視して弾薬庫と射撃訓練場の着工が始まろうとしている。
宮古島は、沖縄島まで300キロ、台湾まで400キロという位置にあり、中国を取り囲む位置としては沖縄島とともに戦略的な位置にある。
政府は「(中国の)船舶を使った島嶼部への侵攻を洋上で阻止する」として沖縄島と宮古島に射程距離200キロの12式地対艦ミサイルを配備し挟み撃ちの攻撃を構想している。しかしそこには、根本的な疑問がある。「何の目的で中国軍が離島に侵攻すると考えるのか?」という疑問である。

「通峡阻止」作戦で中国封じ込めねらう

防衛省は住民説明会などで、「対艦誘導弾、対空誘導弾はあくまで防御用であり、他国に脅威を与えるものではない」と説明している。「ミサイル」を「誘導弾」といいかえることで、さも防御目的に特化したかのような印象操作を行っているが、これは明らかなうそである。実態は艦船を攻撃するミサイル、航空機等を攻撃するミサイルという以上の意味はなく、もちろんいずれも先制攻撃にも使用できるものである。
部隊配備の中核となるのはこの地対艦ミサイルである。それは宮古海峡の通峡阻止、すなわち潜水艦など中国艦船を東中国海(第1列島戦線内)に封じ込め太平洋に出させない作戦のためである。この布陣によって中国の「接近阻止・領域拒否」(米国による中国戦略の規定)という対米軍事戦略は無力化する。
この通峡阻止のためには、地対艦ミサイルだけではなく航空優勢の確保が決定的である。この点ではいまだ正式には公表されていないが、巨大な橋で宮古島に接続されたすぐ隣りの下地島にある3000メートル滑走路を有する空港の空自基地化が懸念される。ここは、空からの攻撃力をもって通峡阻止作戦を担う戦略的な位置にある。

戦時を想定し弾薬庫を準備

さらに、離島は有事の際には物資補給が困難であるため、弾薬等の前線での備蓄がカギとなる。このため保良に計画されている弾薬庫も相当大きな規模になるという。
地対空ミサイル(03式中距離地対空・改良型)の配備は、これら自衛隊の基地群に対する空からの攻撃に対処するものである。
そして空自のレーダー基地は、この基地群を守るために警戒管制をおこない、同時に戦闘機の攻撃誘導等の支援もおこなう。琉球弧には北から沖永良部島、与座岳(沖縄島)、久米島と宮古島に配置されており、それぞれのレーダー基地は最新機材の導入など近代化によって強化が進められている。
その他に4機で運用を開始した日本版GPS衛星「みちびき」(米国版GPSを使った場合の誤差10メートルに対し、みちびきは6〜24センチと高性能)の自衛隊による軍事利用が発表されたが、その準天頂衛星の「追跡管理局」も宮古島にある。
今日、「宇宙軍の創設」や「宇宙戦争」などという言葉も出始めているが、各種の通信衛星やGPSの機能が破壊されれば一切の軍事活動が(経済活動とともに)瞬時に停止してしまうのは明らかである。そういう意味でも第一級の攻撃目標となる。宮古島の同施設の存在は注目に値する。
さらに決定的なことは、宮古島にミサイル指揮統制部隊を置き、沖縄島以西の各島に展開する自衛隊を実質的に一括指揮する戦闘司令部機能をこの島に設けるということである。 つまり、これらの基地群が稼働し始めれば中国にとってはその外洋展開の生命線を自衛隊に握られることとなり、逆にこの軍事態勢の要である宮古島が破壊されれば、この包囲体制全体の無力化に直結してしまうという戦略的な位置になるのである。(つづく)

第10期 沖縄意見広告運動始まる
6月、全国紙と沖縄2紙に

10年目に入った沖縄意見広告運動は1月18日にスタート集会を大阪市内で開催した。いつもの集会では主催者あいさつは全国呼びかけ人の武建一さん(全日建関生支部委員長)がし、行動提起は西山直洋さん(同執行委員)だが、2人とも不当逮捕され現在勾留中。かわりに武洋一書記長があいさつし、沖縄の県民投票妨害と関生弾圧は同根の攻撃であると指摘した。
メインゲストは6カ月間勾留され有罪判決を受けた山城博治さん。山城さんは辺野古の土砂投入の問題性や県民投票への妨害など、現在焦点となっている問題について話した。途中で得意の歌を挟みながら、意見広告運動を成功させようと訴えた。
連帯のあいさつの後、キャラバン隊7人が登壇。責任者をつとめる全港湾大阪支部書記長の小林勝彦さんをはじめ、関生支部や全港湾の組合員、大阪や神戸からの参加者などが発言。若者2人が決意表明した。
キャラバンは沖縄を皮切りに、2月以降は九州、高松、岡山、山陰、名古屋と全国展開し、沖縄のたたかいを広めていく。最後は川口真由美さんの歌。いつものように激しくかつ優しさにあふれた歌声は参加者を魅了した。第10期の沖縄意見広告運動は6月に全国紙と琉球新報、沖縄タイムスに2面全面でカラーの意見広告を掲載する。

『展望』第22号
共産主義運動の地歩形成へ
憲法、原発、沖縄、朝鮮情勢

今号に取り上げた各テーマは、憲法闘争、反原発・反核、沖縄闘争、天皇代替わり、朝鮮南北統一。2011年3・11以来、反原発闘争・被曝者・被災者運動、2015年戦争法反対闘争以来の全国を席巻した新たな大衆運動、とりわけ沖縄闘争と反原発闘争を柱としてたたかいは共産主義運動の着実な地歩を形成している。
巻頭論文は、戦後護憲運動をのりこえる創造的たたかいとして、自衛隊兵士の裁判闘争や、憲法の権利条項を駆使するたたかいなど積極的な提案。国民投票法の反動性を見据えながら、勝利の展望を示している。4月統一地方選挙―参院選挙は改憲阻止・安倍打倒として対峙している。
反原発・反核論文は、日本における原発政策の核心的目的が核武装にあることを暴きだす。再稼働阻止闘争が原発ゼロの可能性を開いている。
落合論文は、朝鮮革命の現段階と総括に挑戦したもの。徴用工裁判や日本軍「慰安婦」問題、在日朝鮮人民の教育権問題にアプローチし、日本・朝鮮・東アジアの革命運動の一体性を考える。韓国のろうそく革命や米朝会談、南北会談はいまだ完結していない。ろうそく革命の歴史的意義と3代の民衆派政権の意義と限界をも確認しながら、「次はなにか」とたたかいの方向を考える。(木村)

3面

アジアスワニー闘争から30年 中村猛さんに聞く(第2回)

バリケードは越えるためにある!

第2回では、1989年末、日本に遠征闘争にやってきた20歳前後の若い労働者たちの壮絶な決意や、日本の労働者との連帯・交流の様子を生き生きと語ってもらう。第3回では、30年後の今日から振り返って、アジアスワニー闘争を契機とする日韓連帯の運動によってつかまれたもの、そして、そこから見えてくる日本の労働運動の課題について聞く。話は「日本の運動には主語がない」という指摘から、天皇制問題にまで及ぶ。(3回連載)

1〜2年で強力な活動家に

アジアスワニー労組の組合員は、一番上が23歳でみんな20歳前後と若い。生活のためとか夜間高校に通うためとかということで入ってきた普通の労働者。そういう人たちが、1〜2年で強烈な意識とインパクトを持った活動家になっている。
韓国にはすごい活動家がどこにでもいる。「いつからこんな運動をやっているのか」って聞くと「2年です」とかね。
龍山惨事という事件があった。再開発のためのビル撤去に反対する撤去民5人が、警察の突入時に発生した火災で死亡した事件(09年ソウル市内)。やぐらを組んで立てこもる撤去民闘争を指導していた女性も、すごい活動家。何度か龍山に応援に行ったので、その人と話をする機会があって、「この運動をはじめてどのくらいか」と聞くと、「え? この事件が起こってからさ」。「それまで何をしていたの」「コンビニの店主」。「労働運動とか?」「ぜんぜーん」。
犠牲者が出て、立ち退きをさせられて、それでも反対闘争をやるという闘争の指導者がこの間までコンビニの店長。

活動家の教育

そんな人がたくさんいる。
何が日本と違うのかというと、幹部教育にものすごく力を入れる。
例えば、演説のやり方。韓国に連れていった全港湾建設支部の組合員が、若者代表でしゃべることになった。で、しゃべり終わって戻ってきたら、すぐに「お前はしゃべるときに体が揺れてる。それは自信がないと大衆に思わせる。ダメだ。直せ」と。
韓国から定期的に訪問団がくるけど、集会であいさつをする前、訪問団の方から、「何の集会でどんな人たちが集まって、どんな目的で、自分たちはそのうちのどの部分を担うんだ」ということをしっかり聞いてくる。で、訪問団で集まって、どんな内容で話そうかと議論する。出番が来て、話し終わったらまた会議をする。「あの言い方はないだろう」「あれじゃあ、今日来ている人には伝わらないよ」とか。団長のあいさつにもみんなで注文を付けている。相互批判とはこういうことなんだ。これって民主主義だよ。だから自然にきたえあげられていく。

「労働者の家」

アジアスワニーの彼女らも、そうやって育てられた。当時、彼女たちを育てたのは、カソリックの教会の中にあった「労働者の家」という組織。労働組合をつくるというと弾圧や妨害に合うので、教会の敷地内に「労働者の家」という施設をつくって、そこで労働学校をやり、組織の勉強や歌の練習をやる。労働者の組織を作る基礎支援団体みたいなものだ。
たまたま益山市の教会の神父が文正鉉(注2)という有名な人だった。そこに、当時まだ民主労総はないから、全労協の幹部たちが来ていた。そうやって教会のふところに守られながら、組合の種を育てていくというやり方。彼女たちも、組合活動を一から教わった。
だから、韓国の労働運動は宗教団体と切っても切れない関係があるということだね。

遠征闘争 ― 壮絶な決意

遠征闘争に出るということ自体が、後で聞くと、もう壮絶な世界だった。
「姉さんたち、行かないで」と残る人たちは泣いて。「いや、それでもいく」と決断する。「負けてもいいから生きて帰ってくれ」というと、「いや負けるぐらいなら死ぬ」と。そういう世界だよ。
「日本にはヤクザというのがいて、韓国人と見たら捕まえて叩き売る」、そういう風に見ていた。それは強制連行の記憶。しかも、全羅道は日帝が一番無茶苦茶した地域だったから、日本の怖さというのが身に染みている。そこに乗り込んでいくというのは、死にに行くようなもの。という重大な決意だったんだね。
来日したとき、支援団体が伊丹空港で出迎えたんだけど、「なんだ、この人ら?」と思ったって。支援があるなんて思ってもみなかったんだね。

焼身か餓死か

それから彼女らと付き合って感じたのは、労働運動に対する認識のちがい。順法闘争にたいする考え方のちがい。もう韓国側はイケイケ。
「バリケードは越えるためにある」というのが韓国側。日本ではバリケードができたら、まあその前で止まるけど、彼女らは、実際、知らないうちにボーンと中に入って、中で踊っている。まあ、死ぬ気できている労働者ということだね。
後の話だけど、「日本にきて、支援がいなかったらどうするつもりだった」と聞いたら、一人は、「一人一殺の覚悟で暴れてやろうと思っていた」と。また、別の一人は「焼身を覚悟していた」と。後の人も、「ハンストで死んでやる」と。

会社はビビッた

会社側は、ある意味で、僕らよりも韓国労働運動をよく知っていた。この労働者が腹をくくったら何をするかわからないという恐怖心を会社の方が持っていた。
だから、彼女らがハンストに入るという話をしたときに、一番ビビったのは会社。もしものことになったらもう最悪だと。
彼女らがハンストに入ると言ったときに、最後の説得係は僕がやった。「ダメだ」「ちょっと待て」と。「ハンストをやって会社が折れるのを待つのか、ハンストをやるぞ≠ニいいながら交渉の中で解決していくのか、どっちをとるか」。そういう風に話をしたら、彼女らは、「私たちがハンストをやる≠ニ言って、それで会社が交渉に応じるなら、交渉する」ということで、交渉になった。で交渉に入ったらすぐに解決に向かった。
たたかいを支援しながら僕も、「もう会社は首だなあ、仕方がないなあ」と思っていた。現地に張り付いて、会社なんかほとんど行ってない。それに、最後に結論を出すときはなぜか「中村に相談する」って話になる。まあ個人的に信頼されていたことで、僕も逆に覚悟した。やっている間はいつ終わるかわからないからね。結局、全体で約120日。そのうちの90日ぐらいは現地にいたかな。

残った労働者も

その後、ドキュメンタリー映画ができた(注3)。韓国では劇場で上映されて、賞もとった。それを見ると、現地に残った人も大変だった。電気は切られる、水道も出ない、給料もない、食うものもない。ドラム缶に氷がはっている。その氷をカンカンと割って氷水で朝シャンするとか。
それでも、工場に集まって、集会をやったり、意思決定みたいなことを毎日やり、警察に行ったり、監督署に行ったり。現地のたたかいも大変だった。
遠征団は命がけで来ているけれども、食事とか、そういうことは支援が支えている。
遠征団も現地居残り組も、お互いの状況が案外分かっていなかった。映画ができて、「お姉さんたちも本当に大変だったんだ」「日本の労働者たちもよくしてくれたんだ」ということが居残り組にもはじめてわかった。
支援の側も現地の映像を見て、「残った人たちはたいへんだったんだ」ということがはじめて分かった。スワニー闘争が終わって、遠征団と現地居残り組との間にヒビみたいなものがあったんだけど、映像のお陰で、お互いの苦労を知って、ひとつの組合員だったんだということを再確認できた。映像の力はすごい。(つづく)

(注2)1940年生。1970年代に運動参加、以来数々の闘争現場で先頭に立ち、愛称「路上の神父」。
(注3)「SWANY1989年、日本遠征闘争の記録」 オ・ドゥヒ監督/2014年

コラム■私と天皇制@
天皇の写真に直立不動の“軍国ガキ”

私は1936年に生まれた。2・26事件のあった年である。物心がついたころ子ども向けの雑誌は姿を消し、絵本は高嶺の花であった。生まれた翌年に全面的な中国侵略戦争が始まり、すべての物資が軍需に集中して、紙も例外でなかったのだ。
兄たちが読み古した幼年雑誌を寝ころがって眺めていて、天皇の写真が載ったページにでくわすと、バネ仕掛のように直立不動の姿勢をとったことを覚えている。
国民学校(現在の小学校)の入学が近づくと、母親はしきりに「先生の言うことをよく聞くんですよ」とお説教した。「先生と天皇陛下とどっちがエライの」と聞いたら、「天皇陛下です」と答えた。担任の教師は「天皇陛下のいらっしゃる日本は世界で一番立派な国です。それに恥じないように勉強しましょう」と話した。
2年生になったら、毎朝近所の仲間と隊列を組み、大声で軍歌を歌いながら学校まで行進した。親や教師から指示されてやったのではない。
学校に着くと、奉安殿の前で腰を45度に曲げて最敬礼した。そこには天皇と皇后の「御真影」が安置されていた。
音楽の授業は1年生のときは童謡だったが、2年生になると軍歌に変った。家でも軍歌ばかり歌っていた。私はごく自然に、将来は軍人になると決めていた。
3年生になると教育勅語と歴代天皇の名前を暗唱させられる。しかし新学期を迎えたら校舎が兵隊に占領され、分散教育と称して寺や神社に通うようになった。昼まで女子青年団の人たちが世話をしてくれた。皇居遥拝のあとは勉強もなく、教育勅語や歴代天皇の暗唱もなく、暗記が苦手の私はホッとした。 その年の夏休みに、日本は敗戦を迎えた。(Q生)

4面

投稿
狭山・袴田、ともに再審実現へ(下)
腐敗、不正義の司法権力

大島決定の政治的意味

前号で明らかにしたように、大島決定は科学的証拠にもとづいて結論を導こうとするのではなく、全く逆に再審取り消しの結論のために科学的証拠をねじ曲げた決定であった。そうだとすれば、大島の結論は何に導かれたものなのか。
第一に明白なことは、証拠のねつ造という権力犯罪の隠蔽である。静岡地裁は本田鑑定や血痕の色彩をもとに、有罪の決め手とされた5点の衣類が捜査機関によるねつ造だと指摘した。これが公けに確定すれば日本の刑事司法を揺るがす大問題となる。証拠ねつ造をなかったことにするのが第一の目的であった。
第二に、本田教授を代表とする科学鑑定の抹殺である。鈴木教授は、なぜ裁判所の命令にも反して本田鑑定の再現実験をおこなわなかったのか。あるいはその結果を出さなかったのか。その理由は一つしか考えられない。再現実験をおこなった結果が、検察および裁判所の求める結果と食い違っていたからである。素人の弁護団がたった8時間でできた実験が、大阪医科大教授にできないわけがない。鈴木鑑定は、DNA抽出を失敗させることを目的に本田教授の手法を歪めざるを得なかった(それは、逆説的に本田鑑定の科学的有効性・正当性を証明している)。
だが、なぜ鈴木はそうまでして科学を放棄し、検察の言いなりにならなければならなかったのか。保身のためである。実際、足利事件を皮切りに飯塚事件、今市事件、袴田事件などで科警研による誤鑑定、鑑定結果のねつ造などを暴き、科学的良心にもとづいて証言を続けてきた本田教授はどのような扱いを受けたか。本田教授のいる筑波大法医学教室には、現在、DNA鑑定のみならず解剖の嘱託すら1件も回ってこない。警察は、茨城県内で出た遺体をすべて県外に搬送している。さらに14年には警察庁は、司法解剖時のDNA鑑定の大学研究室への嘱託を取りやめ、全国的に科捜研に一本化した。
検察・裁判所が袴田抗告審において執拗に本田鑑定をやり玉にあげた理由は、本田教授を潰しDNA鑑定を独占し、科学鑑定を抹殺するためであったと言っていい。
第三に、死刑制度と死刑執行を護持するために、司法官僚にとって「死刑冤罪をなきものにする必要があった」と言える。世界で142カ国が死刑を廃止している。特にOECD加盟国のうち、死刑を存置しているのは日本・韓国・米国の3か国だけである。韓国は10年以上死刑執行をしていない事実上の死刑廃止国である。アメリカでは1992年以来、イノセンスプロジェクトを通じて20名の死刑囚を含む360名余の再審無罪がかちとられた。その結果19州が死刑を廃止し、4州が死刑執行モラトリアム(停止)を宣言している。死刑を国家として統一して執行しているのはOECD加盟国のうちでは、日本だけである。

差別なき、新しい社会へ

日本の死刑制度は、天皇制・天皇制イデオロギーと固く結びついている。昨年7月、オウム真理教事件の被告ら13人(心神喪失状態にある者を含む)にたいする死刑執行がいっせいにおこなわれ、さらに年末としては異例の執行が別事件の2人(うち1人は再審請求中)におこなわれた。18年は、08年と並ぶ大量処刑の年となった。それは天皇代替わりを前にした粛清ともいうべきものであった。
そして国内外の批判をかわし、大量処刑をおこなうための条件として袴田再審決定を取り消し、死刑冤罪をなきものにすることがぜひとも必要であったのである。天皇代替わりに際しては、恩赦(前回の代替わり時には「復権」を含む250万人)と、弾圧(重罰化・再審棄却を含む)による、さらなる分断と秩序再編の攻撃が襲いかかるであろう。日本の一部の司法学者らは「日本では冤罪がないから死刑制度が支持されている」などと噴飯物の議論をしているが、全く逆である。天皇制と固く結びつけられた死刑制度を護持するために、冤罪が生み出されているのである。
以上のように、大島決定は証拠ねつ造という権力犯罪を隠蔽し、科学鑑定を抹殺し、天皇制と結びついた大量処刑をほしいままにしている日本の刑事司法が行き着いた究極の腐敗を示している。それゆえ、寺尾差別判決と並んで、たたかう民衆の徹底糾弾の対象として歴史に刻まれるだろう。(おわり)

シリーズ 原発問題を理解するために 第2回
管理能力と責任感の欠如
江田 恵

12月13日、伊方原発3号機の運転停止を命じた広島高裁野々上裁判長の仮処分決定から、ちょうど1年になりました。この1年間も原発をめぐっては様々な問題、動きが発覚しました。最近では、北海道電力泊原発の発電機端子取り付け不良がわかりました。泊原発3号機の非常用ディーゼル発電機で、端子の取り付け不良が2009年12月の運転開始時から約9年間にわたり放置されていた問題です。北電は2007年と9年にも別の事由で非常用発電機がトラブルを起こしていました。北電がこの件を公表したのは発生から13日後で、情報公開は遅れました。
非常用発電機は停電で外部からの電力供給が止まった時、使用済み核燃料プールに冷却水を循環させて冷却し続けなければならない重要な役割を持っています。福島第一原発事故では非常用電源が停止して重大事故になり、核災害になりました。
北電は異物混入などが原因で07年に泊1号機、09年に泊3号機で非常用発電機に不具合が生じ原子炉を停止しました。そのたびに点検を強化すると言ってきましたが、それは全くのウソでした。9月の胆振東部地震に伴うブラックアウト(全域停電)の発生時も含め、「ディーゼル発電機自体がかろうじて動いていたため発見が遅れた」と言っています。しかし、端子取り付け不良は発電機の納入時から起きていたとみられ、作業員による月1回の点検でも見過ごしてきたのです。
事実関係の公表もひどいものです。原発のトラブルは電力会社自らが公表するケースが多いのですが、今回は泊原発内で開かれた会議に出席した規制委の担当者がトラブルに気づいたことから発覚したということです。しかし北電は報道発表をせず、発生から13日たった11月22日にホームページで公表しただけでした。北電は「直ちに公表する事項に該当しなかったため」と説明していますが、とんでもありません。福島第一原発の事故を起こした東京電力だけでなく大手電力会社のすべてがこうした体質だということが次々と明らかになっています。

(シネマ案内)
差別との闘いの歴史描く
映画「アイたちの学校」

アイ(子ども)たちの学校、在日コリアンが「ウリハッキョ(私たちの学校)」と呼ぶ学校。子どもたちのにこやかな笑顔で、朝鮮舞踊や民族楽器の練習風景、強豪と言われるラグビーやサッカーの練習風景、授業風景や行事の様子が生き生きと、日本社会の中で今を生きる様子が出てきます。これは100年の日本による差別の中で、朝鮮学校が差別とたたかい守り抜いてきた歴史と現状を描くドキュメンタリー映画です。同時にあの笑顔で堂々と生きる子どもたちを育てる朝鮮学校を守り抜いてきた、ハラボジ・ハルモニ・アボジ・オモニたちの記録と言ってもいいのではないでしょうか。
1910年の韓国併合で朝鮮半島を植民地にして、文字を奪い言葉を奪い名前も奪い、皇国臣民の誓いで心まで奪って、日本人として戦争に駆り出してきた歴史的事実が、ニュース画面や歴史的資料・証言を通して淡々と語られます。
45年日本の敗戦で朝鮮半島は解放されたものの、今度は「日本人」ではなく朝鮮人として扱うので戦後補償もない。厳しい状況の中、真っ先に奪われてきた文字と言葉を取り戻すために作られたのが「国語講習所」で、朝鮮学校に発展します。しかし48年、GHQと日本政府は朝鮮人学校閉鎖令を出し、警官隊を大量動員して閉鎖を強行しました。これに抗してたたかわれた4・24(サイサ)阪神教育闘争、大阪府庁前での大規模な反対抗議行動。この過程で警官隊の銃により16歳の金太一少年が殺害される。明らかに銃は水平に構えられていた。
韓国との間で政治的緊張がおこる度に、朝鮮学校生徒への差別がおこる。通学途中でチマチョゴリが切り裂かれ、学校へ行ってから着替えるようになる。通学定期や大学入学での排除。そして現在、高校無償化からの排除、補助金カットの攻撃。国連人権委員会から何度も朝鮮学校への差別を是正するよう勧告を受けているが、政府は誠実に答えようとしない。司法も政府の差別を追認している。これを前川喜平さんは「官制ヘイト」という。
無償化裁判で大阪の一審の勝利集会で朝鮮高校生代表は、「この日本で生きていっていいのだと認められてうれしかった」「この世に差別されるべき人間は一人もいません」と言った。大阪高裁で不当判決を受けて、オモニは「私たちに人権はないのですか」「日本はそういう国ですか」と声をあげた。サッカーの安英学選手は「朝鮮人の誇りと矜持にかけて私たちが学校を守っていく」という。
高賛侑監督は、「ひとりでも多くの人に見てほしい。今、英語・韓国語版を作っている。東京・京都・奈良・和歌山など各地で上映確定や準備が進んでいる。朝鮮学校のことを知ってほしい」と話します。
映画の中で、朝鮮学校閉鎖攻撃の中、街頭で子どもたちが大人と一緒にチラシを配っているシーンを見たとき、今、府庁前で火曜行動に子どもたちが来て一緒に「読んでください」と声をあげてチラシを配っているのと重なって、胸が苦しくなりました。今も昔も差別は変わりがありません。知らないから差別をするのです。まず映画を見て知って、周りの人に薦めてください。(佐野裕子)

5面

直撃インタビュー(第37弾)
日本による海南島侵略から80年
植民地責任に向きあうとき
海南島近現史研究会 斉藤日出治さん

―「海南島近現代史研究会」結成に至る過程をお話しください

1923年9月に関東大震災が起きたとき、関東の日本人住民によって多くの朝鮮人が殺されました。その3年後の26年に三重県の熊野で、同じようにして地元の日本人住民の手でふたりの朝鮮人(李基允・「相度さん)が虐殺されました(いわゆる「木本事件」)。わたしたちは、89年に「木本事件」の真相を究明しおふたりの追悼碑を建てようという運動をはじめ、94年にその追悼碑を建立しました。
この運動とほぼ並行して、熊野の山間部にあった紀州鉱山(銅山)で39年頃から1000人を超える朝鮮人が強制労働をさせられていたことを知り、その調査活動、および犠牲者の追悼碑の建立の運動に取り組みました。この紀州鉱山の追悼碑も2010年になってようやく建立することができました。
この紀州鉱山を経営していた石原産業は、紀州鉱山の開発とほぼ同時期にアジアの南方に進出し、日本が海南島を軍事占領した1939年には海南島に侵入して田独というところで鉄鉱石の鉱山開発を進めました。この鉱山労働に台湾、朝鮮、中国大陸などから多くの人々を連行し、ここでも多くの犠牲者を出しました。石原産業による強制労働の実態を知ろうとして、わたしたちは海南島を訪問しました。わたしたちは国内の熊野における朝鮮人の虐殺や強制労働の実態究明の活動を起点として、その延長線上に、日本が海南島でおこなった住民虐殺や強制労働の実態究明の活動をはじめたのです。

―海南島の現地調査はいつから、なぜはじめたのですか

98年6月にはじめて海南島を訪問しました。それ以降30回以上「現地調査」をおこなっています。当初、98年から07年までは、わたしたちは「紀州鉱山の真実を明らかにする会」として海南島における「現地調査」を進めてきました。07年に海南島近現代史研究会を立ち上げて、それ以降はこの研究会で「現地調査」をおこなっています。
海南島における日本の軍事占領下で日本が何をしたのか、その実態についてはほとんどあきらかにされていません。日本人の歴史研究者は、日本の海南島統治政策の研究をしても、海南島のひとびとが日本によって命を奪われ、食糧や家畜を奪われ、村を破壊された実態についてまったく究明しようとしてきませんでした。わたしたちは、日本軍の襲撃を受けた村々を訪問し、当時の経験者から直接話しを伺って、その聞き取りを映像や音声や文字として記録する活動を20年にわたって続けてきました。

海南島侵略の実態

―その調査で、どういうことがわかってきましたか

日本軍は1939年2月10日に海南島に侵入し軍事占領を開始しました。それ以来、45年8月に敗北して島を撤退するまで、犯罪のかぎりを尽くしました。

@住民虐殺について
占領当初の39年11月4日、日本軍は東方県四更鎮旦場村を襲い、93人を殺害し、4人の女性を乱暴しました。生き残った方から、「村に戻って遺体を牛車で何人も運んだ」という証言を聴きました。
敗戦の末期には、沖縄戦がすでに始まっていた45年5月2日未明に、日本軍の佐世保第八特別陸戦隊が島の東部の万寧県万城鎮月塘村を急襲し、192人の村人を無差別に虐殺しました。日本軍は、このような村落襲撃と村民虐殺を6年半の占領期に島の各地でくりかえしました。島の犠牲者の総数はいまだに明らかではありませんが、わたしたちの会が名前を確認しただけでも4000人にのぼる方が犠牲になっています。

A略奪について
村を襲撃した日本軍は、家を焼き払い、米などの食糧、家畜、家財道具を奪いました。また家屋を破壊して、石やレンガや板を奪って、日本軍のための軍用道路、橋梁、兵舎などの建設に利用しました。

B強制労働について
日本軍は、軍用道路、飛行場、軍用トンネルなどの建設、鉱山労働に島の住民を強制動員しました。村人は一軒につきかならず一人は軍の仕事に出なければならず、無償で過酷な労働を強いられ、そこでも性的暴行や虐待を受け、多くのひとが命を奪われました。
島の外部からも、朝鮮、台湾、中国大陸から多くの人々が強制労働に駆り出されました。朝鮮からは、総督府の刑務所の獄中者が「朝鮮報国隊」として海南島に送られ、鉱山労働、飛行場建設、トンネル工事などに酷使され、敗戦時に1000人を超える朝鮮人が島の南部で殺され。地中に埋められました。その場所は「朝鮮村」と呼ばれています。

C性暴力について
軍の司令部があったところにはかならず慰安所が設けられ、朝鮮人、中国人などの女性が性奴隷として兵士の性欲処理の相手をさせられました。そのほかにも、日本軍兵士による性暴力が日常的に行使されました。
2001年に、性暴力の被害を受けた海南島の八人の女性が日本政府に謝罪と補償を求めて東京地裁に提訴しました。裁判所は性暴力の事実を認定しましたが、「平和条約」で訴追する権能は放棄している、という理由でこの訴えを退けたのです。
このほか、日本は軍事作戦上、あるいは産業開発上の適地を略奪して使用したり、日本人農民を移民させたり、日本語学校を建設して日本から日本語教師を送り込んで、海南島の子どもたちに「皇民化教育」を強要しました。

―昨年10月に現地に行かれましたが、新たに分かった事があればお話しください

今回の訪問でも、住民虐殺や略奪や強制労働について、その犯罪の実態をさらに深く再確認しました。わたしたちは島の南東部の陵水黎族自治県光坡鎮光坡村を再訪しました。この村は日本軍に襲撃され、村人がすぐ近くの山に逃げたのですが、その村人を追いかけて1日で300人以上が殺害されています。

―戦後、日本政府は植民地主義をまったく反省していません

海南島で日本軍に殺された村人が日本政府に謝罪と賠償を求めても、日本政府はこれをまったく無視しています。さきほど紹介した万寧県月塘村の村人は、63年後の08年にみずからの基金で犠牲者を悼む追悼碑を建立し、その際に村民委員会として日本政府につぎのような要求書を突きつけました。@虐殺を行った日本軍人の名前を公表せよ、A村民と国際社会に謝罪せよ、B幸存者と遺族に補償せよ、C追悼記念館の建設と追悼行事をせよ、D焼失した家屋、奪った財産を弁償せよ。追悼式に参加したわたしたちの会は、その要求書をお預りして、日本政府に提出しました。これに対する日本政府(法務省秘書課庶務係)の回答は、「事実関係を承知していないため、対応いたしかねます」というものでした。事実関係をあきらかにする責務は日本政府にあるのですが、日本政府は虐殺をなかったものとしてそれを否認しているのです。日本政府は植民地主義を反省するどころか、植民地主義の上に立って戦後社会を築いてきたと言うことがわかります。

植民地主義の再生産

―日本の民衆も海南島で起きた事はほとんど知りません

日本民衆が侵略犯罪の事実を知らない、ということは自然の状態ではなく、日本の民衆がその事実を知らない状態におとしめられている、ということと、日本の民衆がみずからその事実を知ろうとしない、という二重の意味があります。日本は敗戦に直面して、侵略犯罪を裏付ける資料を焼却し、さらには捕虜や強制連行者を殺害して犯罪の証拠隠滅を図りました。さらに、日本の民衆はアジアの民衆に対する加害行為をみずからの責任において究明しようとするどころか、むしろその事実を否認する対応をとり続けています。たとえば、海南島に侵入した元日本兵は、当時の自分の行動をいまだに「掃討」とか「討伐」という言葉で回想しています。「掃討」とは、「残らず払いのけること」という意味です。海南島に侵入しそこで暮らすひとびとの暮らしを残らず払いのける、つまり村民の命を奪い、食糧や家財を奪い、村を破壊する、日本の民衆はその行為を今なお「掃討」と呼んで何の罪の意識ももたない。犯罪の事実を否認する民衆、メディア、歴史研究者のすべてにその責任が問われているように思います。
日本の政府と民衆は、海南島における日本の侵略犯罪に無知でありその事実を無視することによって植民地主義をいまなお継承し再生産しているのです。

―元徴用工問題でも、日本政府の対応は「植民地統治は正しかった」というものです

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日本の政府も民衆も、「徴用工」と呼ばれる朝鮮人の方々がどのような体験をしたのか、その事実をあきらかにしその事実に向き合おうとするのではありません。日韓条約の法的解釈や「募集」「官斡旋」「徴用」といった言葉の解釈によってみずからの植民地責任を回避しようとやっきになっています。
わたしたちは言葉の解釈ではなく、生身の身体を持ったひとりの人間として、強制労働の犠牲となったかたがたの経験に虚心に向き合わなければなりません。そうすれば、日本人としてのおのれの責任はおのずとあきらかになります。

―今年2月で、海南島侵略から80周年になります。今、われわれに何が求められているのでしょうか

海南島で日本が何をしたのかをわたしたちができるかぎり究明し、その事実に基づいて日本の国家に犠牲者に対する謝罪と補償を求めること、海南島のひとびとの生命と暮らしを奪った日本の歴史的責任にしっかりと向き合うことが必要ではないでしょうか。(インタビューは本紙編集委員会)

さいとう・ひではる
元大阪産業大学教授。専門は社会経済学。フランス社会思想に詳しい。現在、大阪労働学校・アソシエ学長。著書に『帝国を超えて』(大村書店 2005年)、『グローバル資本主義の破局にどう立ち向かうか−市場から連帯へ』(河合文化教育研究所 2018年)など。

6面

長期連載―変革構想の研究 第12回 アソシエーション(2)
国家・イデオロギー・階級闘争
請戸 耕市

アソシエーションに関して〈権力はどうするのか〉という問いがある。それを念頭に論を進めたい。〈権力の力で資本主義を廃絶する〉。要約すればこれがロシア革命のコンセプト。たしかに生産手段の国有化で資本家は一掃した。しかし商品貨幣関係はなくせなかった。小商品生産者らに対する残酷な絶滅戦を強行したが無理だった。この無理がスターリン主義発生の一つの原因。結果は深刻だった。

ロシア革命とマルクス主義

マルクス主義の欠陥

ロシア革命はマルクス主義の基本路線通り。そこに問題があった。
マルクスの理論を、エンゲルスら後継者たちが整理解説したものがマルクス主義。その理解の中心は、〈搾取関係の把握から階級対立へ、階級闘争激化で権力奪取へ〉。
端的に言えば、搾取関係からの単線的把握。そこからする、矛盾の総体的把握の欠如、客体と主体の乖離、客体にも主体にも無媒介な主意主義的変革実践。
【レーニン】
マルクス主義を正統的に継承。搾取関係の単線的把握の上に、階級対立から国家を導出、国家の暴力性と革命の権力問題を強調した。
【グラムシ、アルチュセール、プーランザス】
敗北の教訓から問題を提起。相違を捨象すれば、暴力性・権力問題に対して、イデオロギー性を強調。マルクス主義の問題点の指摘としては重要だが、欠陥を超えるものはなかった。

私的所有―変遷原理

マルクスの把握を結論だけ示せば以下。
▼商品関係(交換)と資本関係(搾取)は二重。矛盾しながら転回している。
▼その大本に私的所有という編成原理が座っている。私的所有から社会システムが発生している。
▼私的所有の社会システムの矛盾は、〈商品関係と資本関係〉〈賃労働と資本〉〈私的生産としての社会的生産〉の総体。
▼資本の生産は、資本の自己否定として、転倒形態で社会的生産を形成している。
▼労働する諸個人は、抽象的だが自由な人格を起点に、意識的自覚的な主体として陶冶されていく。
▼理解のカギは私的所有。

私的所有

マルクスが批判する私的所有とは、生産手段の所有問題ではない。(生産手段の所有論的な規定は「ソ連=社会主義」の正当化のためにねつ造されたドグマ)。私的所有とは、交換過程において、商品所持者同士が、商品・貨幣の私的所有者として相互承認する意志関係、そこから発展する法的関係。
社会システムは、根源的にはすべて労働から発生している。しかし労働の力は、疎外されて私的所有の力に転換している。私的所有は、労働に対立して他者化したもの。私的諸個人から疎外された社会的な力の発現点。だから、労働の他者化である私的所有によって社会の総体性をつかみ、その止揚を展望できる。
私的所有はシステムとして分化・展開する。(1)運動主体としての商品、(2)その反対の単なる私的労働、(3)抽象的に自由な人格、(4)労働を措定した資本、(5)法的抽象的な共同体としての国家、(6)転倒形態での社会的生産、(7)意識性社会性の転倒形態である社会法則。

自己矛盾的展開

資本関係が搾取を露呈しつつ、自由・平等な交換である商品関係に不断に転回して正当化する。私的所有は存立する矛盾。しかしまた、資本関係が搾取を露呈し商品関係と矛盾することは、私的所有の破れなのだ。
(イ)この矛盾が、搾取や貧困として現象し、労働する諸個人の自由な人格を否定、矛盾が意識化される。
(ロ)他方で、私的所有は、資本の生産は、資本の自己否定として社会的なものを露呈する。 こうして、資本の社会システムの自己矛盾的展開を通して、(イ)自由な人格が否定を通して陶冶され、(ロ)社会的生産が転倒形態で形成される。
『資本論』が詳論する工場法制定は、一面では資本の矛盾の弥縫的な解決だが、転倒形態での社会的生産の形成をとらえて、労働者の側から、規制という形で社会的につかんだものでもある。
【アソシエイトした諸個人】
労働する諸個人が、現れ出た社会的なものを意識的自覚的につかむ運動が社会運動。転倒した形で潜在するアソシエーションを、意識的自覚的に顕在化させるのが社会革命。私的所有にかわる編成原理は、一切の他者化を排した〈アソシエイトした諸個人〉。

権力・暴力・イデオロギー

国家は自立的に発生しない。「階級対立の非和解性の産物」でもない。国家の原基は交換過程(『資本論』@第2章)にある。
かつて共同体生産では、@ 労働の媒介、A 人格の相互承認を共同体が担った。
共同体を解体した商品生産では、共同体にかわって私的所有が社会の編成原理となる。
私的所有の下では、@ 労働の媒介が商品交換という回り道で行われ、A 人格の相互承認は、交換過程において私的所有者としての相互承認として行われる。A 人格の相互承認の意志関係が、法的抽象的な共同体を創出する。国家の原基である。

ブルジョア社会の公的総括

ブルジョア社会を〈私的〉に総括するのが市民社会。〈公的〉に総括するのが国家。ブルジョア社会という1つの本質の2つの極。〈ブルジョア社会/市民社会〉の区別に注意。
国家は〈社会的なもの〉の否定としての〈公的なもの〉。〈社会的/公的〉の区別に注意。
私的所有の編成原理は、一方で、市民社会から徹底的に社会的なものを排除し、他方で、排除した社会的なものを国家に吸収させ、公的なものとして発現させる。もって私的所有というブルジョア社会の秩序を護持する。
だから国家は「私的所有の制度」(『国法論批判』)、「ブルジョア社会の公的総括」(『経済学批判』序説)。
【公的な暴力】
私的なものは社会的なものに反発する。社会的なものを徹底的に排除する私的所有の秩序が公的な暴力の淵源。階級意志の有無ではなく、社会的なものを弾く秩序が暴力なのだ。
【権力】
たしかに、国家は強大で抑圧的、しかもそれ自身が意志をもつようだ。しかし、国家の力は、実は、諸個人の力(意識性能動性社会性)が他者化して発現するもの(『ユダヤ人問題』)。
社会形成の主体は労働する諸個人だが、私的所有の下では、諸個人の力は私的でバラバラ。国家は、バラバラな私的な力を吸収し、公的な力に変換する。その変換装置が例えば天皇やヒットラー、安倍、トランプ。単に資本家の意を呈しているだけではない。他者化した諸個人の力をして、諸個人を抑圧する。その転倒の核心に私的所有がある。
【イデオロギー】
マルクスのイデオロギー論は物象化・物神性論。
私的所有の下では、生産における人と人の関係が、物象と物象の関係に転倒され、さらに、諸個人は諸物象の人格になる。この二重の隠蔽の下で「自由、平等、所有、そしてベンザム」(『資本論』)のイデオロギーが発生する。〈資本家も労働者も誰もが、自由で平等な私的所有者。誰もが私的利害を徹底に追求すればいい。それが予定調和的に公の利益になる〉という自由主義。
付け加えれば、公のイデオロギー。排除された社会的なものを公的なものとして吸収する。これも国家から生まれるのではない。私的所有による排除から発生する。
【公共機能】
社会的に必要な機能を吸収し公共の機能にする。支配と機能の両面がある。
【階級性】 
階級国家と政治的国家の関係は、商品関係と資本関係の転回と同じで、不断に転回している。階級国家は、政治的国家の法的抽象的なあり方を廃棄しない。政治的国家が無媒介に階級的なのだ。

イデオロギー強調の難点

マルクスは、イデオロギーを、私的所有という発現点をつかんで批判した。それに対して、上述のイデオロギー強調は、イデオロギーを自立的なものと見ている。把握が搾取関係一元論で、私的所有という編成原理の把握が欠落しているからだ。さらに、イデオロギー支配の強調に自縛されている。物象化を自己完結的なものと見るから。私的所有の破れが重要なのだ。

〈階級闘争激化で権力奪取へ〉考

階級闘争

階級対立とは賃労働と資本の矛盾。賃労働は〈生きた労働〉、資本とは〈蓄積された労働〉。つまり労働の自己矛盾。だからこの矛盾を突き詰めてもその次元では止揚されない。階級闘争激化論の無理性である。
私的所有という編成原理の次元で、矛盾を総体として把握することだ。
私的所有とは、労働する諸個人の力(意識性能動性社会性)を全部、自己に対立的に他者化してしまったということ。労働する諸個人は単なる私的諸個人と化し、社会の編成に関する一切を他者任せにするしかない。他者とは商品、貨幣、資本、国家、法則その他。完成した転倒だから他者任せを簡単には廃絶できない。
しかし、変革の確かな展望も存在する。人格の自由とは抽象的だが意識的自覚的になりうる自由。そして、私的所有の下で、転倒形態だが社会的なものが形成されている。それを意識的自覚的につかみに行けるかどうか。それは「並外れた意識」(『要綱』)だ。
だから、社会的なものをめぐる攻防・消長の長い過程の中で、意識的自覚的な諸個人が、上からでもなく、法則に委ねるのでもなく、アソシエイトしていく。こうして私的所有にかわってアソシエイトした諸個人が社会の編成原理として成長し、他者任せを廃絶する。

権力問題

権力とは自己の他者化(アナキズムとの区別)。プロレタリア権力とプロレタリアを冠しても他者。〈権力を取る〉とは他者化すること。既成の権力はもちろんだが、それを壊しても同じ。
権力の力で社会を作りかえるという発想は自家撞着。他者化した力で他者化の原因を廃止できない。アソシエイトした諸個人にしかできない。
国家の解体は粉砕でも打倒でもない。アソシエイトした諸個人という、その力を他者化しない編成原理を産み出す社会運動にしかできない。その運動の結節環がコミューン。それは他者化としての権力とは原理的に違う。そのカギは拘束的委任制にある。(つづく)

参考文献
アガンベン『例外状態』
有井行夫・編『現代認識とヘーゲル=マルクス』
有井行夫『マルクスはいかに考えたか』
大藪龍介『近代国家の起源と構造』
境毅『Alternative Systems Study Bulletin』第22巻6号
柴田高好『マルクス政治学原論』
パシュカーニス『法の一般理論とマルクス主義』