未来・第262号


            未来第262号目次(2019年1月24日発行)

 1面  新防衛大綱
     敵地攻撃”に 踏み込み
     改憲を先取り 重武装化へ

     関生弾圧
     元旦から府警に抗議
     スト弾圧 初公判は2月1日

     三里塚旗開き
     この2年間が勝負”
     市東さん 決意固く

 2面  焦点
     海自機が救難活動を妨害
     「レーダー照射」問題の背景

     敵地攻撃”に 踏み込み
     改憲を先取り 重武装化へ

     9条明記”どうなる自衛隊
     半田滋さんが語る危険な実態

 3面  アジアスワニー闘争から30年 中村猛さんに聞く(第1回)
     韓国から素敵な労働者が来た!      

     シリーズ
     原発問題を理解するために 第1回
     脱原発は世界的な趨勢
     江田 恵     

     東電刑事裁判で求刑
     幹部3人に禁錮5年

 4面  投稿
     狭山・袴田、ともに再審実現へ(上)
     証拠ねつ造 裁判所が隠ぺい
     大塚 芳郎

     新自由主義の正体で講演会
     1月6日
     大阪

 5面  投稿
     民意は屈せず、新基地を止める(下)
     辺野古阻止、県民投票の成功へ
     沖縄、本土の闘い拡げよう
     青木 守

     学テの点数で教員・学校を査定
     吉村大阪市長の「改革案」に反対の声

     (冬期カンパのお願い)

 6面  寄稿
     ―〈米騒動〉から100年 最終回
     怒りを行動に組織した地域社会の連帯
     日本史上最大の民衆蜂起から学ぶ
     大庭 伸介

       

新防衛大綱
敵地攻撃”に 踏み込み
改憲を先取り 重武装化へ

昨年12月18日、安倍政権は、「平成31年度以降に係る防衛計画の大綱」(新大綱)と「平成31年度から平成35年度までを対象とする中期防衛力整備計画」(新中期防)を閣議決定した。10年程度にわたって適用すると決めている大綱を半分の5年で、しかも安倍首相の下で歴代の首相で初めて2度目の見直しをおこなった。今次大綱は、特定秘密法―安全保障関連法―新日米防衛協力の指針(ガイドライン、2015年4月)という流れの中で、安倍9条改憲を先取りし、集団的自衛権の行使、海外での戦争と先制攻撃戦略などを発動することを前提としている。(剣持 勇)

今次大綱と中期防は、安倍官邸と国家安全保障会議(日本版NSC)が主導して作成した。防衛戦略、自衛隊の編成と装備、予算などは従来、陸・海・空の3自衛隊が下から所要を積み上げ、防衛省(防衛庁)が閣議に提出していた。ところが今度は、国家安全保障会議がトップダウンで決めている。
国家安全保障会議を実質的に仕切るのは4大臣会合(総理・防衛・財務・官房長官)であり、事務を担うのは国家安全保障局という安倍首相お声がかりの官僚機構である。その顧問会議は財界人と学者、自衛隊の将官経験者(うち3人は軍需企業に天下っている)の合計13人で構成される。安倍取り巻きの官僚と財界が軸で、与党ワーキングチームはガス抜きの場にすぎない。

宇宙・サイバー戦闘

新大綱は、宇宙・サイバー・電磁波を従来の陸・海・空と並ぶ戦闘領域とし、防衛省・自衛隊ではこの新3領域を略称「ウサデン」と呼び、これらの領域すべてで攻撃面に着手しようとしている。
新3領域に着目した契機として大綱は、14年のロシア軍のウクライナ進攻を挙げる。妨害電波などによる電子戦やサイバー攻撃で高い能力を示したロシア軍の「クロスドメイン(領域横断)戦」や「ハイブリッド戦」を取り入れようとしている。明白な「侵略」「侵攻」を新戦略のモデルにしているのだ。
新大綱が新しく基本概念として打ち出した「多次元統合防衛力」とは、新3領域と従来の陸海空を一体的に運用する能力のことである。新3領域では自衛隊の中に担い手となる部隊を組織すると同時に、新旧全領域を統合運用する体制をつくるために、防衛省統合幕僚監部(統幕)の中に部隊運用の指揮に特化した「統合作戦室(仮称)」を新設する。

見込みなき世界戦略

新大綱で安倍政権は、日本として初めての世界戦略というべき「自由で開かれたインド太平洋」戦略を打ち出した。安倍は、早くも16年8月に中国の「一帯一路」戦略に対抗して「インド太平洋戦略」を、新たな外交戦略として提唱している。その後、17年に日米首脳会談で安倍がトランプ米大統領と確認し、トランプは18年、太平洋軍を「インド太平洋軍」と改名した。その後、安倍は東南アジア諸国連合(ASEAN)との関係で、対中国包囲を露骨に打ち出すことを控えるために「戦略」を「構想」と言い換えている。
安倍は、この「世界戦略」に米国以外ではインドとオーストラリアを巻き込もうとしてきたが、現在まで成功していない。
安倍政権による日米同盟の位置づけは、インド太平洋戦略上のプレゼンスを日米共同で高めるためである。しかしこの安倍戦略は成功の見込みはない。なぜならこの「戦略」は、他国や他国民との協調や共同の視点がなく、周辺国はすべて敵国ないし競争国にしているからである。
他方、あれほど脅威をあおり、「国難」をわめきたててきた朝鮮民主主義人民共和国にたいし、今次大綱ではあまり触れていない。
大綱が唯一現実的な軍事的課題として掲げるのは、「南西防衛」戦略、特に釣魚諸島をめぐる中国との軍事衝突である。防衛省の内部文書「機動展開抗争概案」中の「島しょ奪回」作戦の検討によると、石垣島を舞台に残存率が30%になるまで徹底的に戦う想定をしているが、住民保護は「自衛隊の主任務ではない」として想定外としている。(2面につづく)

関生弾圧
元旦から府警に抗議
スト弾圧 初公判は2月1日

関生弾圧弾劾し、1月1日10時に大阪城公園教育塔前に集まった200人は、大阪府警本部を一周するデモをおこなった

関西の2019年のたたかいは全日建関生支部への弾圧に抗議して大阪府警を包囲するデモで幕をあけた。
昨年7月から始まった滋賀県警と大阪府警による関生支部への弾圧は現在でのべ46人が逮捕され、家宅捜索や任意出頭攻撃が続いている。11人の仲間が獄中で年を越した。元日の朝10時から、〈労働組合つぶしの大弾圧を許さない実行委員会〉が主催する集会とデモがおこなわれ、200人を超える仲間が結集した。集会は大阪城公園で開かれた。関生支部の坂田冬樹委員長代行は「職場で安全点検をすることの何が犯罪か、ストライキが犯罪か。5カ月も勾留されている仲間がいる」と弾圧を弾劾。大阪全労協、労働党、若狭の原発を考える会などが「ともに弾圧とたたかう」とあいさつした。集会後、大阪府警を包囲するデモで、元旦の大阪の街に「弾圧許すな」の声を響かせた。ストライキ(威力業務妨害)弾圧の初公判が2月1日午後1時半から、大阪地裁201号大法廷で始まる。この歴史的弾圧を粉砕するたたかいを全国にひろげよう。
詳しくは、「労働組合つぶしの大弾圧を許さない実行委員会」フェイスブックや関生支部のホームページにある「連帯広報委員会」を見て欲しい。

三里塚旗開き
この2年間が勝負”
市東さん 決意固く

昨年12月20の不当判決を許さず、三里塚反対同盟が旗開き(13日 成田市内)

13日、成田市内で三里塚芝山連合空港反対同盟の新年デモと団結旗開きがおこなわれた。
旗開きでは反対同盟の萩原富夫さんが「闘争宣言」を読み上げ、昨年12月20日千葉地裁が出した、市東さんの農地を強奪するための強制執行を認める不当判決を徹底的に弾劾した。そして控訴審のたたかいにおいて、執行停止のための新たな担保金と裁判費用のための400万円カンパを呼びかけた。
続いて大きな拍手の中、反対同盟の市東孝雄さんが登壇し、次のように決意を語った。

天神峰で生きていく

「私はこれから何があろうとも、天神峰で生きていくということを改めて宣言します。千葉地裁の不当判決には腹のそこからの怒りと憤りを感じています。農民にとって農地は命です。命である農地で育まれた野菜を消費者や仲間のみなさんのもとに届けています。この2年間が勝負だと思っています。安倍政権は動労千葉や関生のような労働組合を権力の弾圧を持って攻撃しています。国策に対峙している沖縄、 福島、三里塚をはじめ、市民運動や学生運動にも攻撃が強まってきます。それと闘うためにも、日一日、健康を大事にして闘っていきます。私も親父の後を継いで20年になりました。『闘魂ますます盛んなり』という親父の精神を私も貫きます。去年のように、一年間やりきったと言えるような年にしたいと考えています」この市東さんの固い決意に応えて、強制執行を許さない運動を全国に呼びかけよう。

2面

焦点
海自機が救難活動を妨害
「レーダー照射」問題の背景

昨年12月21日、岩屋防衛相は「20日、日本の排他的経済水域(EEZ)内で、韓国艦船から海自哨戒機に火器管制レーダーを照射された」と発表し、韓国国防省は24日、「遭難した北朝鮮の漁船を捜索していた…(哨戒機が)駆逐艦の上空に近づいたため、光学カメラで監視した」と発表した。
同月28日には、防衛省は哨戒機から撮影した編集動画を公表した。1月2日、韓国国防省は「(海自哨戒機による)威嚇的な低空飛行」を批判し、4日には日本が公開した映像を使って反論した。(大韓民国=韓国、朝鮮民主主義人民共和国=共和国と表記する)

P1哨戒機(海上自衛隊HPより)

海自哨戒機まで出動

一昨年(2017年)夏頃から、日本海(東海)大和堆で共和国漁船と日本漁船の間でイカ漁をめぐってトラブルが多発し、海上保安庁(海保)は共和国漁船を追いかけ、放水し、強制排除を繰り返してきた(戦争行為だ!)。
韓国駆逐艦は共和国同胞の漁船保護のために大和堆で、遭難船の捜索活動をおこなっており、本来ならば、海自も海保もこの捜索活動に協力すべきであるにもかかわらず、P1哨戒機が韓国駆逐艦上空を威嚇的に飛行したとすれば、それこそまさに救難活動への妨害・戦争挑発以外の何ものでもない。
この事件で、大和堆での共和国漁船監視・排除は海保に加えて海自までが乗りだしていたことが明らかになった。大和堆の上空は空自G訓練空域で、小松基地の制圧下にあり、大和堆を取り囲むように輪島(石川)、佐渡(新潟)、経ヶ岬(京都)、加茂(秋田)、高尾山(島根)のレーダー基地があり、共和国漁船の無線通信を傍受し、海自哨戒機、海保巡視船と一体となって、共和国漁船を監視・排除するための作戦行動に出ているのである。

イカ漁減少の原因

一昨年以来、マスコミは日本海(東海)で共和国漁船がイカを洗いざらい奪っていると報道している。しかし、大和堆でのイカ漁獲量の減少はそれだけが原因ではなく、「2018年度 第1回 日本海スルメイカ長期漁況予報」によれば、幼生の分布密度は平均を下回っており、大和堆は好漁場ではないと報告している。日本海(東海)のイカ資源そのものが減少しており、日本の大型漁船は大出力の投光器でイカをかき集めて、その全部を独占しようと、海保や自衛隊による「保護」を訴えているのである。

排他的経済水域

歴史上最初に、領海外の公海上の漁業管理権を宣言したのは米帝トルーマン大統領である(1945年)。その後、1982年の国連海洋法条約で、沿岸から200海里(約370キロメートル)を排他的経済水域(EEZ)とし、日本帝国主義も1996年に同条約を批准し、EEZを指定した。それは帝国主義的領土拡張主義の所産である。
そもそも、EEZは公海であり、「公海自由の原則」(注1)が適用される。しかも、EEZの権限は「主権」(注2)と一線を画した「主権的権利」(注3)と言われており、EEZでは主権行使は出来ないにもかかわらず、自衛隊と海保で北朝鮮漁船を強制排除しているのである。

(注1)公海自由の原則=いずれの国の領有、主権的支配にも属さず、各国は公海を航海、通商、漁業等のため自由に使用できるという慣習国際法上確立された原則。
(注2)主権=他国の意思に左右されず、自らの意思で国民および領土を統治する権利
(注3)「排他的経済水域における漁業等に関する主権的権利の行使等に関する法律」の本文、附則に「主権的権利」の文言が4回でてくるが、定義はどこにも書かれていない。緒方林太郎さん(元民主党議員)は、「主権は領海内で認められるもので、EEZで主権行使は出来ません。主権的権利が何なのかという事については、実は必ずしも明確ではありません」と書いている。

祖国防衛か戦争反対か

2017年9月に、安倍首相は「必要なのは対話ではなく、圧力だ」、麻生財務相は「(北朝鮮の)武装難民かもしれない。自衛隊の防衛出動か。じゃぁ射殺か」と発言し、12月に石川県知事は「赤の他人が家に入り込んで居座り、食糧を盗む」などと、共和国にたいする排外主義発言が満展開している。それらの政治的発言が、今回の海自哨戒機による「威嚇的飛行」の引き金となった。
なぜ、共和国漁民が粗末な木造船で大和堆での操業を余儀なくされているのか。その最大の原因は米日帝国主義(国際社会)による経済制裁にある。今、わたしたちがしなければならないことは、安倍政権の「日本を守れ」に唱和するのではなく、粗末な漁船での出漁を強いている米日帝の経済制裁・戦争政策に反対し、共和国人民との真の連帯を実現することである。とりわけ、南北朝鮮間で解決しようとしている和解と統一に水を差そうとしている安倍政権を絶対に倒さねばならない。(須磨明)

敵地攻撃”に 踏み込み
改憲を先取り 重武装化へ

「いずも」(海上自衛隊HPより)

1面からつづく
今次大綱と中期防の最大の問題は攻撃型装備の開発と購入である。「いずも型」護衛艦を空母に改修する。整備・訓練のためには3隻が必要となるため、現在保有している「いずも」「かが」の2隻以外にあと1隻を新たに建造する。防衛省は、攻撃に要する航空機を常時搭載はしないから攻撃用ではないと言うが、横須賀を母港とする米空母ロナルド・レーガンですら、攻撃戦闘機は年間の半分程度しか搭載していない。ごまかしは通用しない。
搭載するF35Bは40機導入する。F35Aを合わせ計147機をすべて米国から購入する。F35 は米軍需産業が利益を最優先して、多くの欠陥を抱えたまま見切り発車で実戦配備を進めたものである。米国防総省・運用試験評価局の17年次報告によれば、992件の欠陥を抱えたままで、平均稼働率は50%にとどまっている。
地上配備型イージス(イージス・アショア)については、配備先の2カ所で反対運動が起こっている。電波障害の問題に加えて、目的がハワイ・グアムの米軍基地の防衛であって、現地には危険しかもたらさないことが理由である。
空自のF2 戦闘機の後継機開発問題、無人偵察機(グローバルホーク)導入問題などをめぐって欧米と日本の軍需企業が激しい争奪戦を繰り広げている。その中で防衛省・自衛隊は日本の産軍複合体の育成を目指して、独自兵器の研究・開発に乗り出そうとしている。スタンドオフ・ミサイル(敵の脅威の外から敵を攻撃できるミサイル)として、「高速滑空弾」や「極超音速ミサイル」などである。

防衛費、過去最高に

以上を通して、防衛予算は激増する。新中期防では5年間の防衛費の予算総額を現行の中期防と比べて2兆8千億円増やして27兆4700億円と設定し、防衛費の伸び率は年1・1%となる見通しという。19年度予算案の防衛費は1・3%増の5兆1574億円と過去最大を更新した。第2次安倍政権になった13年度から7年連続の伸びである。
防衛費も、安倍官邸と国家安全保障会議が財界を巻き込んで、日本版産軍複合体を養成する見地から激増させている。社会全体の軍事最優先化と一体となって進行している。安保条約・地位協定を廃棄し、沖縄新基地建設阻止・自立自決のたたかいと連帯し、安倍9条改憲阻止へ。

9条明記”どうなる自衛隊
半田滋さんが語る危険な実態

昨年12月22日、東京・霞が関の弁護士会館クレオでシンポジウム「自衛隊の現状と9条改正」が開かれた。基調報告で東京新聞論説委員兼編集委員の半田滋さんは次のように語った。

自衛隊を「軍」へ

2014年7月1日の集団的自衛権に関する憲法解釈変更を閣議決定したが、閣議決定というのは独裁的な手法。反対する閣僚は首にして賛成派にすげ替えればいい。
日本の国連平和維持活動(PKO)法は、受け入れ同意している紛争当事者以外の「国家に準ずる組織」が敵対することを想定していないが、それは願望にすぎない。南スーダンPKOで、稲田朋美防衛相(当時)が現地部隊の日報にあった「戦闘」を「衝突」と言い換えたのはその前提が崩れるからだ。
第二次大戦中の日本海軍兵士の死亡率は7%だが、民間の輸送船乗組員の死亡率は43%。「後方支援」がいかに危険か。米艦防護については大々的に報道されたが、航空機防護は国家安全保障会議(NSC)に1年分まとめて報告され、報道はさらに遅くなる。NSCで議論されたことはほとんど特定秘密になっている。
自衛隊法95条の2にもとづく「米軍等の部隊の武器防護」で、自衛隊が米軍のために武力行使をすれば、集団的自衛権の行使と見なされる。米では大統領と国防長官が判断するレベルの問題だが自衛隊法では2等海佐レベルの自衛官の判断でおこなえる。
憲法9条の2として「内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する」を追加すると、自衛隊の活動に国会の承認が要らなくなる。安倍首相の狙いは、自衛隊を憲法に明記することで、安保関連法を合憲とし、次の段階ではフルスペックの集団的自衛権の行使と多国籍軍への参加に踏み切ることにあるのではないか。

3面

アジアスワニー闘争から30年

 中村猛さんに聞く(第1回)


韓国から素敵な労働者が来た!

「アジアスワニー闘争から30年」で、中村猛さんの話を3回にわけ掲載する。第1回、第2回では1989年末、日本に遠征闘争にやってきた20歳前後の若い労働者と、その支援にかけつけた日本の労働者との連帯・交流のただ中にいた中村猛さんの生き生きとした話を載せる。第3回では、30年後の今日から振り返って、アジアスワニー闘争を契機とする日韓連帯の運動によってつかまれたもの、そして、そこから見えてくる日本の労働運動の課題を載せる。話は「日本の運動には主語がない」という指摘から、天皇制問題にまで及ぶ。(編集・構成は本紙編集委員会)

アジアスワニー闘争とは
1989年12月末、20歳前後の若い労働者5人が、伊丹空港に降り立った。5人は、韓国・全羅北道の「裡里輸出自由地域」の「アジアスワニー」の労働者だった。香川県のスワニー本社(注1)からのファックス1枚で、工場閉鎖と230人の労働者全員に解雇通告。労働者たちは争議に立ち上がった。そして代表5人(女性4人、男性1人)が日本に遠征闘争にやってきた。
日本の労働組合、在日民族団体、市民運動なども支援に駆けつけた。100日余の闘争と交渉の末、勝利的な解決をかちとった。当時、全港湾建設支部の法対部事務局長だった中村猛さんは、この支援の中心の一人だった。
【アジアスワニー闘争 略年表】
1989年
10月1日
会社がファックスで廃業と全員解雇を通告
12月22日
アジアスワニー労働組合代表団来日、団体交渉開始
1990年
1月21日
会社が、団交ルールを提案しながら団交を拒否
2月11日
団体交渉中に「退去命令」
3月 3日
「建造物侵入」「傷害事件」デッチ上げで刑事弾圧
3月11日
基本協定に合意
3月31日
遠征団の帰国



渡り鳥企業

僕が関わったアジアスワニー闘争は1989年から90年にかけてだが、実はそれには前史があった。
日本から韓国への進出企業の問題について、日韓のナショナルセンターが取り上げていない中で、キリスト教徒たちが頑張っていた。『日系企業の撤収に対する韓日労働者の草の根国際連帯』(李鐘九著)という研究書に書かれている。アジアスワニーの最初の事件は1985年頃。教会の中で労働者が労働組合について勉強したことを理由に解雇される事件。そのときも四国に行って抗議行動をやっている。
「輸出自由地域」というのは特例法で、工場用地も無料、税も減免、労働組合も禁止などの特恵を進出企業に保障するというもの。労働組合をつくらせない、労働組合ができたら国が責任をもって潰す。海外進出企業保険もあって、損失が出たら補填する。要するに治外法権でもう無茶苦茶。
そこに労働組合ができちゃって、賃上げを要求されて、スワニーも1年ぐらいは耐えていたけど、もともと典型的な「渡り鳥企業」だから、韓国がダメだとみたらすぐに中国へとなった。アジアスワニーの幹部と何回かやり合ったけど、「あたしら、スワニーですねん」だと。賃金が安いところにどこにも飛んでいくという本音を隠さない。
そういう中で、キリスト教系のネットワークが呼び掛けて、労働組合がそれに呼応するという前史があったんだけれども、僕はその前史はぜんぜん知らなかった。

「こいつらヤバイ」

89年末に遠征団が来て、「なんか韓国から若い人が来て、四国で暴れているらしいぞ」という話を聞いて、「頑張ってるなあ」という感じで見ていたけど、こんなことになるとは、その時点でも夢にも思わなかった。
1月に入ってからだね。現地(香川県白鳥町・当時)で決起集会をやるからということで動員がかかって、四国まで車で片道5時間ぐらいかけていった。
初めて彼女たちの集会にいってみたら、「あ、こいつらヤバイ」。すごく魅力的なんだ。労働者を見たという感じ。まだ20歳前後の若いのが、背筋をピンとして、「ハナー! ひとーつ、なんとかかんとかー。…」って決議文を読んでいく。その「ハナー!」って、ピッと指を立てるというのがカッコいい。しばらく真似してたね。
労働者であることになんの疑問もない。そういうすっきりしたものを感じたね。
彼女たちが書いた文書を見ると、「われわれは労働者だ。われわれは偉大だ。われわれはこの地の主人だ」と最初に3つ書いてある。その次に、「この世に労働者として生まれたことを恥じる時代は終わった」
なぜ、わざわざ「われわれは労働者だ」っていうんだろうと。当り前だけど、でもそれがすごい新鮮で、こんなにすっきりした、迷いのない生き方に一発でハマった。 「よし、本気で応援したろ」って思った。日本の労働法で何とかならないかとか、刑事弾圧も心配しなければならないからということで、弁護団をつくろうという話になっていて、弁護士と最初の打ち合わせをするときに僕が全港湾建設支部の法対部事務局長だったこともあって、同席したところから、彼女らとの付き合いが始まった。
日本の労働法で何とかならないかというのは実際にやるにはかなり無理があったけど、彼女たちの言い分は大変よくわかった。だって、日本の企業が韓国で悪いことをしているのに、日本の法律で取り締まれないのはおかしいじゃないかと。理屈はそうだ。だったらなんとかやる方法を考えなければいけないだろうと。

率直な物言い

最初の打ち合わせの後で食事をするとき、楊喜淑(アジアスワニー労組委員長・当時)が、僕に向かって最初に言ったことが、「あなたは大衆活動家じゃない」だった。組合活動をはじめて1年か2年の若造だよ。それが、組合活動を始めて二十年以上の僕に言うわけ。「何? 通訳の間違いじゃないの?」って聞き返したけど、そうじゃなかった。「あなたが難しい顔をして座っている。組合を訪ねてくる労働者は、みんな組合に相談しようかどうか悩んでいる。そのときあなたが難しい顔で座っていたら、私だったら帰ってしまう」。うーん、確かに。
なるほど、韓国の活動家は、そういう風にくるんだ。思ったことをバーンっていう。これは日本人が苦手にしているところ。日本人はお互いなあなあで行って、ちょっと批判的なことを言われると切れてしまう。相互批判をすることができない。
僕は「大衆活動家じゃない」なんてことも言われた。そういう意味で衝撃の出会いだった。面白かったけど。(つづく)
(注1)香川県白鳥町〔現・東かがわ市〕にある手袋やバックのメーカー

シリーズ

原発問題を理解するために 第1回

脱原発は世界的な趨勢
江田 恵

1月17日、日立製作所はイギリスでの原発新設計画を凍結すると発表しました。これによって日本の「原発輸出」は全滅しました。 昨年12月4日、日本政府と三菱重工がトルコへの原発輸出を断念したことを伝えた産経新聞は次のように書いています。「東日本大震災を受け、安全対策費が上昇。総事業費が当初想定の2倍以上の5兆円規模に膨らみ、採算確保が難しいとされていた。加えて予定地の周辺には活断層があるとされ、政情不安や現地の反対運動も懸念材料となるなど、23年稼働は厳しい情勢だ」。現地の強い抵抗が計画断念の大きな要因と吐露しています。
また日経は昨年12月4日の朝刊で「これまでベトナムやリトアニアで日本勢が交渉を進めていたが、福島第一原発事故以降の安全対策コストの急上昇や政権交代などで撤回や中断に追い込まれた。日本だけでなく、原発は高価でリスクの高いエネルギー源としての認識が世界的に広がっている」「再生エネルギーの普及で原発ビジネスは世界的に見ても厳しい環境に置かれている。世界大手の米ゼネラル・エレクトリック(GE)は今秋、経営不振が深刻な電力部門を組織再編し、ガス火力発電部門と原子力や石炭を含むその他部門に分割すると発表した。東芝は06年に米原子炉大手のウェスチングハウスを買収したものの、巨額の損失が発覚し、経営危機に陥った」と書いています。
日経はさらに12月5日の電子版に、「袋小路の国産原発輸出、三菱重などトルコ計画断念」というタイトルの記事を載せました。「官民一体で進めてきた原発輸出は袋小路に入った。新設が見込めない国内は事業縮小が相次ぎ、次世代の原子炉開発も暗礁に乗り上げている。日本の原発事業を支える技術力の維持に黄信号がともる」「原発を敬遠する動きは次世代の技術開発にも影を落とす。日本がフランスと進める次世代原子炉開発で、仏政府は20年以降、計画を凍結する方針を日本に伝えた。使用済み核燃料を減らす高速炉技術で、自前の高速炉計画を持たない日本にとって大きな打撃となる」「国内外で原発の新設受注を失う日本メーカーにとって、最大の課題は技術力の維持だ。日本電機工業会の資料によると、日本の原子力従事者はピークだった10年の約1万3700人から16年に約3000人減少。このうち技能職は4割減った」。もはや、「進むも地獄、退くも地獄」の状況に日本の原子力産業は陥っています。(つづく)

東電刑事裁判で求刑
幹部3人に禁錮5年

東京電力旧幹部の福島原発事故の刑事責任を問う裁判を運動の力でこじ開けたのが2017年6月。東京地裁での35回目の公判となった12月26日、旧幹部3人に禁錮5年の求刑が突きつけられた。
公判後、参議院議員会館で開かれた報告会(写真)で弁護団は次のように提起した。
「あれだけの被害を出しておいてたったの5年と思われるだろうが、これが法的限界」。「本裁判は被害者44人への業務上過失致死に絞ったものだったが、追及すべき本質は放射性物質の拡散・被ばくとそれへの恐怖。健康被害についても未着手であり、今後の課題の中で切り込んでいきたい。ともあれ、これが無罪になるなど法治国家としてあるまじきこと。署名運動や厳正判決を求める3月集会等の運動の力でこの求刑を判決として確定させよう」。
津波対策を故意に怠ったことが争点になっている裁判だが、そもそも利潤を追求する私企業においては安全対策はないがしろにされるのが常。原発に限らずあらゆる分野で発生してきたことだ。それを許さない社会を作っていかねばならない。
(北浦和夫)

4面

投稿
狭山・袴田、ともに再審実現へ(上)
証拠ねつ造 裁判所が隠ぺい
大塚 芳郎

下山鑑定の事実調べから、狭山再審へ

昨年8月、狭山事件における「万年筆」に関する下山進博士による新たな科学鑑定が東京高裁に提出された。この下山第2鑑定は、これまでの裁判所の推論の誤りをただし、有罪の決め手とされてきた万年筆は被害者の万年筆ではないことを明らかにした(本紙、第260号参照)。狭山闘争の勝利の鍵は下山鑑定をはじめとする新証拠の事実調べ(鑑定人尋問)をかちとることである。
ただし、事実調べから狭山再審へという課題は、三者協議(東京高裁、狭山弁護団、東京高検)の密室の中でのみたたかいとられるものではない。下山鑑定の結果は、被害者のものでない偽物の万年筆を何者かが石川一雄さん宅の鴨居の上に仕掛けたことを意味する。その「何者か」は、当時石川さんを取り調べ「万年筆を自宅に隠した」との嘘の自白を強要した捜査機関=警察以外に考えられない。
下山鑑定の事実調べは、証拠のねつ造という恐るべき権力犯罪と、それを追認してきた検察・裁判所の腐敗を、白日の下に暴き出すことになる。だからこそ事実調べをかちとり、狭山再審を実現していく道は不正義かつ圧倒的な強者である国家に対し、圧倒的な正義がありながら今なお「弱者」の立場に置かれている石川さんをはじめとする市民が、その力関係を逆転し打ち負かしていく過程になるほかない。
狭山再審をめざすとりくみは、社会の主人公でありながら主権を奪われている市民が人間的尊厳と民主主義を奪い返していく一環であり、その突破口となるたたかいである。

袴田再審取り消し決定を許すな

狭山差別裁判における証拠ねつ造をただし、事実調べと再審をかちとっていく上で、昨年6月に強行された東京高裁による袴田事件の再審取り消し決定を弾劾し、最高裁での抗告審闘争に勝利することは、避けることのできない課題である。狭山再審と袴田再審は二つにして一つであり、相互に連帯することではじめて勝利できるたたかいである。
幾多の新証拠によって袴田巌さんの無実が明々白々であるにも関わらず、東京高裁・大島裁判長は袴田再審取り消しを決定した。それら新証拠が警察による証拠ねつ造を暴露するものであるがゆえに、検察の反科学的総攻撃を呼び起こし、それに相呼応した東京高裁が茶番ともいえるペテンを弄し、静岡地裁の再審開始決定を取り消し、証拠ねつ造の隠蔽をはかるという恐るべき事態が生み出された。
大島決定は、そのあまりの不正義ゆえに、司法の改革に期待を寄せていた広範な人々に甚大なショックを与えた。だからこそ私たちは、大島決定の反科学的でペテン的な手口と比類のない不正義とを徹底的に暴露・糾弾することを通して、絶望を怒りに変え、より一層広範な人々の反撃を切り開いていかなくてはならない。

本田鑑定を「否定」するための卑劣な手口

大島決定が出されて以降、これまで冤罪を批判してきた一部の司法関係者からすら大島決定に迎合するいくつかの論評が公表されてきた。特に、元検事の郷原信郎による「本田鑑定とSTAP細胞との共通性」なる論評は大島決定を鵜呑みにし、本田鑑定(本田克也・筑波大教授によるDNA鑑定)がSTAP細胞と同様のでっち上げであるかのような印象操作をおこなっている。そこで郷原は「確立された科学的手法ではない鑑定であれば、鑑定の経過やデータ・資料が確実に記録されていることや、再現性が確認されていることが鑑定の信用性を立証するために不可欠と考えられるが、本田鑑定はデータ・資料が保存されておらず再現実験による確認もできなかった。このような鑑定に客観的な証拠価値を認めることができないのは当然である」と述べている。これは大島決定の核心を要約したものであるが、事実無根のデマというほかない。
第一に、「本田鑑定のデータ・資料が保存されていない」という事実はない。本田教授は、原審の静岡地裁段階で求められたデータ・資料をほとんどすべて提出している。そして、抗告審段階では東京高裁からいかなるデータ・資料の提出も求められていない。大島裁判長は提出を求めなかったにも関わらず、再審取り消し決定において突如「データが保存されていない」などという事実無根の決めつけを行った。決定後、本田教授が確かめたところ、データのほとんどは保存されていることがわかった。「データ・資料が保存されていない」というのは事実無根、言いがかりに過ぎない。
第二に、郷原は「即時抗告審では、鑑定手法の信頼性の有無を確認するための事実取調べとして本田鑑定の『再現実験』を行おうとしたが、結局、弁護人の協力が得られず断念したとのことだ」などと述べているが、冗談ではない。
検察が執拗に要求した本田鑑定、特にその細胞選択的抽出法(対象資料から確実に血液由来のDNAを抽出する方法)の再現実験に、弁護団は「本田鑑定の信用性についての審理は地裁で尽くされており、これ以上、再審開始を遅らせることは許されない」として反対した。しかし、大島裁判長は「弁護団抜きでもやる」と反対を押し切り、検察推薦の鈴木廣一・大阪医科大教授に再現実験を命じた。ところが、鈴木教授は1年半もかかって、本田教授が細胞選択的抽出法で使用した血液凝集作用を持つレクチンという物質を高濃度で直接DNAに作用させ、「レクチンがいかにDNAを破壊するか」という鑑定結果を裁判所に提出した。それは裁判所が指示した「本田鑑定の再現」という趣旨にも方法にもことごとく反した代物であった。本田鑑定は、再現できなかったのではない。再現しようとされなかったのである。
他方、弁護団は独自に本田鑑定の再現実験をおこない、たった8時間でDNA型を判定して見せた。しかも全過程を録画したDVDまで添え、鑑定書を裁判所に提出したのである。「弁護団の反対で再現実験を断念した」などというのは事実を180度ねじ曲げるデマである。
ところがあろうことか大島決定は、鈴木が本田鑑定の再現実験をおこなわなかったことを認めながら、それに一切非難を加えることなく、「レクチンがDNAを分解する作用を持つという限りでは鈴木鑑定は信用できる」などと評価し、他方で弁護団による鑑定を「本田の指導によるものだから信用できない」と、その中身に一切立ち入ることなく切り捨てたのである。(つづく)

狭山事件の鑑定人尋問と再審を求める
東京高裁署名提出および要請行動

とき:1月31日(木) 午前10時
ところ:東京弁護士会館1008号室集合
主催:狭山意見広告運動

第3回狭山事件の再審を実現しよう市民のつどいin関西
とき:2月17日(日) 午後1時半
ところ:阿倍野区民センター
主催:実行委員会
ゲスト:石川一雄さん、早智子さん、袴田巌さん(予定)、袴田秀子さん
ライブ:小室等さんほか



破壊せよ、そこに利権がある

新自由主義の正体で講演会1月6日 大阪

講演する菊池英博さん

 1月6日、今年最初の「戦争あかん!ロックアクション」は菊池英博さん(82歳)の講演で始まった。日本金融財政研究所所長で経済学者。長年東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)に勤め、文京女子大学(現文京学院大学)・同大学院教授を経て2007年より現職。2011年金融庁参与を歴任した。
 この経歴を見れば、体制内(古い表現か?)の人という感じだが、新自由主義批判、アベノミクス批判をこれでもかというぐらいやってくれた。菊池さんはトランプをアンチグローバリズムの政策をとっているという点で評価している。菊池さんはご自分と違う意見が出ても「どんどん言ってください。議論しましょう。」というスタンスで、同意できるものは同意するし、できないものには自分の意見をはっきり言う。この姿勢は見習わなければと思った。私の感想はそれくらいにして講演のなかでなるほどと思った点をいくつか。演題は「新自由主義の正体」である。

破壊と利権

 まず日本に新自由主義が導入されたのは小泉構造改革のとき。アメリカの要望で始まったのだが、やったのは日本。もともと小さい政府であった日本が「小さすぎる政府」となり、緊縮財政と金融緩和でデフレが進んだ。そして郵政民営化で本来国内に還流されるべき「ゆうちょマネー」が海外(米国債)に流れた。
 新自由主義の目標は「国家全体の富を1%の富裕層と大企業に集中すること」。そうすれば彼らが投資し消費するから、経済は成長し発展するという。しかしこれは「立証性に乏しい政治的スローガンに過ぎない」(ジョセフ・スティグリッツ/コロンビア大教授)。
 市民からの富の収奪の手段は、累進課税の廃止、法人税の引き下げ、所得税の減税である。アメリカではレーガン大統領の時、法人税の最高税率を50%から30%に下げ、所得税を70%から28%に下げた。結果米国は1985年、債務国に転落。本来、適正な税率によって政府に入るべき税収を新自由主義者は大幅な減税によって富裕層に移し、国家財政を赤字にさせて米国を債務国に転落させた。新自由主義の合言葉は「破壊せよ、そこに利権がある」である。
 日本では安倍が「企業が最も利益を上げられる国にする」と企業利益を優先、消費税を引き上げて法人税を下げる、人件費を下げる、高度プロフェッショナル制度で対象者の残業手当を削減。2013年から17年の5年間で国民の1世帯当たりの平均所得は累計80万減少している。その内訳は消費税増で5年累計60万円、円安による物価高と非正規雇用の増加で20万円である。まさに格差は政府が作っているのである。野党はこういう具体的数字を上げて有権者に訴えるべきだ。
 そして新自由主義に抗うためにとるべき政策は何か、参議院選挙で野党が勝利するためにはどうすればよいか。
@ 最低賃金を引き上げ、高プロ原則禁止、消費増税凍結と大企業への法人税引き上げ、消費税税率は据え置き、衣食住関係は軽減税率にする。
A 憲法9条堅持、「自衛隊明記に反対」。「自衛隊明記」を入れると自衛隊は米国の傭兵になる。
B 永世平和国家宣言をする。野党統一候補に徹する、 などである。 (池内慶子)

5面

投稿
民意は屈せず、新基地を止める(下)

辺野古阻止、県民投票の成功へ
沖縄、本土の闘い拡げよう

青木 守

知事選結果は事実

『朝日』は安倍政権を批判しながらも、「県は有効な打開策を見出せず、県民投票の不成立、支持者離反」とジリ貧敗北論≠ニもいうべき見方をしている。はたして、本当にそうなのか? 新基地建設に反対の知事でも「やれることはタカが知れている」のであれば、先の知事選でどうして安倍政権は菅官房長官を筆頭になりふり構わず応援したのか。それは、賛成派の知事にしておかなければ、「知事権限の行使」が新基地建設をストップさせる局面が必ず到来することを政権側がよく知っているからだ。知事選はこの厳然たる事実を県民に確信させた。
元土木工事技術者で、辺野古で抗議船の船長の北上田毅さんは、「大浦湾にはN値ゼロのマヨネーズなみ%弱地盤があり、工事は必ず壁に突き当たる」と述べている。地盤改良工事のためには当初の設計概要の変更と、その承認を県知事から得なければならない。玉城知事が「ノー」と言える支持を維持し続けるならば、工事は必ずストップできる。

キャンプ・シュワブゲート前で訴える玉城知事

マヨネーズ状の地盤

北上田毅さんは、元土木技師で岩波ブックレット『辺野古に基地は作れない』を山城博治さんと共著で上梓した。大型特殊船ポセイドン=i4015トン)による海底地質調査で、沖縄防衛局がひた隠しにしていた軟弱地盤≠フ存在を、地質調査資料の公開請求で開示させた(18年3月)。
2013年3月に、沖縄防衛局が県に対し辺野古沿岸部の埋め立て申請を行なった。同年12月に仲井真知事(当時)が承認、そして14年9月には設計概要変更≠申請している。変更内容は、中仕切護岸の造成と国道329号線から大浦湾に下りる工事用仮設道路@=A大浦湾沿いの同A=Aシュワブ南岸部の同B≠フ追加造成だった。仲井真知事は退任直前の14年12月に、この変更申請を承認した。大きな工事では変更申請は一般的なことで、仲井真知事時代に早くも1回目がおこなわれたことになる。13年12月の埋め立て承認では、「工事の打ち合わせや、開始後も県と協議すること」が銘記されていたが、翁長知事になってから1度も協議はもたれていない。県の是正指示や中止指示は23回にも及んだが、ことごとく無視された。

護岸も未完成

いま辺野古工事を高台から見ると、辺野古側の護岸工事がすでに完成しているように見える。しかし、外周部のK4護岸工事は完成時の高さ10メートルより6メートルも低く、海面下の部分は基礎捨て石と被膜ブロックの造成が終わっただけ。海側の波消しブロック、内側の目潰し砕石、防砂シート、岩ズリ材を取りつける工事はおこなわれていない。こんな状況での土砂投入は、埋立工事の常識では考えられない。それでも既成事実を見せつける≠スめに、しゃにむに年内投入に突進した。
北上田さんは、新基地工事は大浦湾最深部から始まることになっていたが、順序が入れ替わって辺野古側から始まり、ここは水深が浅く工事がやりやすいため、工事が進んでいるように見せつけて諦めを誘うためだろうと喝破している。さらに言えば、C1〜C3護岸のケーソン設置部分には超軟弱地盤が40メートルの厚さで存在している。現在の設計概要では、どんな工事も進めることはできない。新基地建設は、大浦湾側からすでに大破産しつつある。
12月14日から土砂投入を開始したが、係船機能のある護岸がないため作業船を近くに横付けできない。結局、係船のできるK9護岸に船を係留し、そこから陸路でダンプを使って目的場所まで運ぶしかない。埋立量は131万立方メートルであり、10トンダンプ22万台分に相当する。1日200台が限度で土日も休まず運んでも丸3年かかる。新基地建設に必要な土砂量は2100万立方メートル。その僅か6%ほどの量に3年も4年もかかり、一体いつ完成するのかという話である。

県民投票の勝利へ

工事は当初、計画書でも完成まで10年とされていた。しかし工事は初めから遅れに遅れている。翁長さん当選前の14年秋には本体工事着手の予定だった。遅れに怒った安倍首相は、防衛省幹部らを官邸に呼びつけ、机を叩いて「早くしろ」と叱責したそうである。遅れている上に、軟弱地盤の対策工事も不可欠となる。10年も15年も「普天間の1日も早い返還」を言い続けられると思っているのか。
物には順序というものがある。巨大工事であれば軟弱地盤でなくても、埋立地や盛土は自重で沈下する。関空は今なお対策が問題となっている。埋立工事はゆっくりと、しかも深い場所から始めるのがセオリーである。工事の合理的な順序も法との整合性も無視し、ひたすら工事の進捗を見せつけ、県民を諦めさせる工事≠ニ言わざるを得ない。早晩行き詰まるのは不可避だろう。今回の土砂投入が、その転機となるかもしれない。沖縄県民の民意、玉城知事を支え応え、諦めずに闘えば新基地建設阻止! の展望は見えてくる。県民投票の成功にむけ支援にかけつけ、本土の闘いを強め、工事阻止へ民衆の声、輪をさらに拡げよう。(おわり)

学テの点数で教員・学校を査定

吉村大阪市長の「改革案」に反対の声

昨年8月2日、吉村洋文大阪市長は記者会見で、当年度の全国学力・学習状況調査(以下、全国学テ)の成績が、昨年度に続き政令市中で最下位である現状について、「強い危機感を持っている」と述べ、抜本的改革の必要性を訴えて、全国学テの結果を教員の評価やボーナス、学校裁量予算に反映させるという制度案を打ち出した。
12月22日、このことに危機感を持つ多くの人が集まり、「子どもをテストで追い詰めるな12・22集会」が大阪市内でひらかれた。
集会の初めに大阪市の保護者であり、京都造形芸術大学教員の濱本伸彦さんから、「Let's Speak Up 今、学力テストにおいつめられる学校と子どもたち」という題で、次のような問題提起がなされた。

子どもにストレス

市長の提案は、全国学テの順位のみに人々の注目を集めて危機意識を喚起し、異様な改革案の妥当性を無理やり生み出そうとしているものだ。
吉村改革案の問題点は、第一に、学校の教育内容や教員にもたらす影響が大きく、学校のテスト対策が過熱化し、不正が生まれ「教師と教育の退廃」につながる。第二に、「テストに向けた教育の強まり」と「教育内容を狭めてしまう」とアメリカやオーストラリアの例をあげて指摘。
テスト対策に追われ、子どもたちがのびのびと活動・表現できる体育や音楽・図画工作の授業が減り、学校生活での「楽しさ」「面白さ」が減ってしまう。そうなると家庭背景に課題のある子ども、障がいのある子どもの学校生活の中での支えあい、みんなとつながっていく取り組みも維持しにくくなる。子どもたちは息苦しさを感じ、ストレスを抱え、いじめや不登校の問題として現れることが懸念される。

教員の分断も

第三に、教員はどのような影響をこうむるか。子どもたちの学力の下支えを進めている学校にとって、大切な条件は教職員のチームワークの良さであり、お互いの年齢や役割に関係なく「学びあい高めあう」関係性なのに、吉村市長の政策では教職員のチームワークは崩れ、お互いが成果をめぐって競争しあい連帯でなく分断を生む結果になる。
さらに吉村改革案の意思決定過程の問題性。教育委員会の仕組みが機能せず、子どもや保護者の声、学校教育を担う教員の声が一切聞かれず、トップダウンで進められる状況になっているのは教育の民主主義の危機。
教育は誰のものか、教育にたいする支配体制を見直し、教育行政を市民や教員の声が届く民主的な状態に復帰させることが重要だ。
結びに子どもたちが安心して楽しく学べる学校、多様な仲間たちとつながりながら学校生活を豊かにすごし、教科の学習やそれ以外にもたくさんのことを学び成長していく学校、子どもの話をじっくり聞いてくれる先生、一人ひとりの子どもの個性やよいところを見つけて伸ばしてくれる先生を多くの親は望んでいるはず。Speak Up とは「声をあげる」という意味。おかしいことはおかしいと声をあげてよりよい方向に進めて行こう。今日がその出発点だ。

シンポジウム

京都精華大学教員の住友剛さんは「生活のしんどい子どもと家庭、地域、そして教職員を十数年見てきた立場から」と題して報告。
「学力向上どころではない、今、生活しているだけで精いっぱい」の子どもたちに福祉や社会保障の支援策が行き届かない面がある。この支援策の充実こそ首長の仕事ではないのかと提起した。
保護者で弁護士の橋本智子さんは、「あすわか(明日の自由を守る若手弁護士の会)弁護士から見た吉村発言の恐ろしさ」と題して発言。「憲法とはひとりひとりの個人が、自分らしく、人間らしく生きるために、国がしてはならないこと、しなければならないことを決めたルールだ。権力者がその邪魔をしてはいけない。学ぶことは生きていくために必要な知識や知恵、技術を身につけ、人生を豊かにするもの。吉村市長の言う学力や点数は『学び』のほんの一部にすぎない」と話した。
大阪市の教員は、「大阪市の教育政策と学校の現状」と題して、チャレンジテストをめぐる具体的経過をもとに話した。6月の地震で延期になったチャレンジテストが台風21号の2日後の9月6日に一斉実施されたが、停電や断水で寝ていない生徒もいたのに、条件が不公平な中で無理やり実施となった。たった1回のチャレンジテストで、進路評定をつけるには不公平だ。

声を上げよう

19年2月の教育委員会議で試行案の提案が予想される。2月18日の大阪市議会教育子ども委員会の傍聴と、2月中旬平日午後6時から7時まで、市役所を包囲するヒューマンチェーンがおこなわれる。Let's Speak Up! 声をあげていこう。
(佐野裕子)

(冬期カンパのお願い)

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前進社関西支社

6面

寄稿
―〈米騒動〉から100年 最終回

怒りを行動に組織した地域社会の連帯

日本史上最大の民衆蜂起から学ぶ
大庭 伸介

生身の人間による情報伝達が人を動かす

米騒動がまたたく間に全国に広がったうえで新聞の果たした役割が大きかった。テレビ・ラジオのない時代唯一の情報伝達機関である新聞は現在では想像できないほどの威力を発揮した。
政府は「富山の女一揆」を初めて伝えた『高岡新報』(夕刊紙。『北日本新聞』の前身の一つ)の8月7日付の号を発禁処分にした。しかし同紙は全国各地に情報を打電し続けた。内務大臣は8月14日、全国の新聞社に米騒動記事の掲載を禁止する通達を発した。
新聞記者たちはひるまず抵抗した。16日付の『新愛知』(『中日新聞』の前身の一つ)は「新聞紙の兵糧攻め、起てよ全国の新聞紙!」という見出しの社説を掲載した。8月20日には愛知・岐阜・三重3県の新聞・通信各社の記者による東海新聞記者大会を開き、内閣打倒と憲政擁護・言論の自由を宣言した。この動きは大阪や東京に広がり、報道禁止令は実質的に撤回された。
ただし当時は新聞を購読している家庭は少なく、文字が読めない人も珍しくなかった。そのようななかで、騒動に加わった人たちは自分の体験と官憲と渡り合うノウハウを隣りの地域に足を運んで人びとに伝えた。民衆がこのようなオルガナイザーの役割を果たした例は、各地で見られたようだ。
近年は便利なコミュニケーションツールが普及している。しかし生身の人間が感動をこめて直接口で伝える情報ほど、人びとの心を打ち、行動に駆り立てるものはない。

揺るがなかった「皇軍」の威信と国民の意識

米騒動に立ちあがった民衆は軍隊の本質を思い知らされた。しかし全国民的レベルでは依然として、軍隊は国威を発揚する頼もしい存在であり、その幻想を取り去ることはできなかった。なぜだろうか。
軍隊は「皇軍」と呼ばれ、天皇制イデオロギーを精神的な核として、天皇制支配の最大の柱であった。国民のほとんどが天皇制(イデオロギー)を信奉して居る限り、「皇軍」の威信は決して揺らぐことはなかったのである。
つぎに戦前の日本共産党の果たした役割を述べたい。日本共産党は軍隊内に党細胞(3人以上の党員で構成)を作る努力をした。しかし組織できたのは、細胞機関紙『聳ゆるマスト』を発行した呉海兵団だけであった。筆者は党中央から派遣されたオルグと「反戦水兵」の1人にヒアリングをしたことがある。
当時、海兵団には1年に春・秋の2回、帰郷休暇があった。元「反戦水兵」に「そんな折に、家族や仲のいい友達に隊内の活動を話したのでしょうね」と尋ねたところ、「郷里に帰ったときに軍隊のマイナス面を絶対に話してはいけないことになっていた。しかし、それ以前の問題として、自分の居る場所のことを悪く言いたくないし、居る以上は誇りを持ちたいという心理が働いた」という言葉が返ってきた。
何事も自分の身近な人に働きかけることによって、必ず相手の意識に変化が生じるものである。隊内のさまざまな矛盾や上官との対立などを一般民衆に知らせる努力を怠っては、「皇軍」の実態を社会的に暴き威信を失墜させることはできない。日本共産党が天皇制を前近代的な統治機構としてのみとらえ、それを支える民衆の意識と関連させてとらえる視点を欠いていたことは致命的であった。 1931年の「満州事変」に始まるアジア太平洋戦争では、「皇軍」は2000万人のアジアの民衆を殺害した。沖縄戦では住民をスパイ視し、集団自決を強制した。これらの事実は米騒動で軍隊の反人民性が暴露されたにもかかわらず、反体制運動の側がそれを普遍化する活動を怠った結果でもあった。

地域に根を張った闘いの拠点づくりを

米騒動を闘った民衆は、1920年代に各分野で組織的前進をかちとった。しかし残念なことにそれぞれの運動はほとんど交わることがなく、地域に定着した大衆的拠点を構築しないままに推移した。
筆者は幾人かの戦前の労働運動の指導者に、水平社との共闘について尋ねたことがある。彼らは「そんなことは考えたことがなかった。全然別の運動だと思っていたから」と異口同音に答えた。せいぜい官憲に追われたとき部落にかくまってもらった体験を話してくれた程度である。
一般民衆と被差別部落民を分断させる国の政策が効を奏した面もあろう。しかし、左翼を含む反体制運動の指導者の内面に、エリート意識やセクト主義・利用主義が巣くっていたことは否定できない。
米騒動は虐げられた民衆の地域社会における決起であり共闘であった。その地域社会とはわれわれにとって一体何なのか。労働者が働いて得た賃金で衣・食・住の生活の糧を得るのは地域社会においてである。農民も小ブルジョアジーも、その点において基本的には変わらない。
地域社会のなかでこそ、家庭の団らんや子育て、教育、スポーツ、レジャーなどで労働力の再生産が営まれる。福祉や介護・環境その他、生活をめぐる諸問題が、地域社会で矛盾を露呈し、その解決を迫られる。
また、官・民の正規労働者、非正規労働者、失業者、農民、被差別部落民、小零細商工業者、障がい者、「在日」・滞日外国人などが接触し交流する機会も、地域社会においてである。抑圧され差別されているあらゆる人びとが参加する運動を展開できるのは、地域社会において他にはあり得ない。
これは労働者階級にとって、基本的な闘いの場が生産点にあることと対立することではない。むしろそのなかで培われた団結力を土台に闘いの輪を横(地域)に広げていくことで、労働運動もより力強いものとなる。
地域社会に住む人びとが共に闘うなかで、資本主義の矛盾を根底から暴露し解決しようとしない限り、社会全体の変革(=革命)はありえない。そのための具体的な契機はいくらでもあると思う。反体制運動こそがそのための媒体でなければならない。とりわけ、地域合同労組が果たすべき役割は大きい。
100年前の人びとは強大な官憲の力に敢然と挑み、具体的な成果を上げた。その地域連帯の力を現在の状況にマッチしたかたちで再生し、発展させることは決して不可能ではないと思う。拡大する一方の貧富の差、崩壊の危険をはらんだ福祉や介護の現実が、切実にそれを求めている。今こそ地域社会に闘いのコミュニティーを築くべきときである。
米騒動100年の今、私たちに課せられているものは、民衆自身が真の主体となった闘いを作りだし、地域社会に根を下ろした闘いの拠点を築くことではないだろうか。(おわり)

《参考文献》
井上清・渡部徹『米騒動の研究』全5巻、有斐閣
藤野豊・徳永高志・黒川みどり『米騒動と被差別部落』雄山閣
井本三夫『水橋町(富山県)の米騒動』桂書房
『北日本新聞』2017年12月31日〜2018年9月1日
(2018年10月20日記)