入管法改悪、水道の民営化
暴走安倍に怒り広がる
憲法審査会を強行
安倍政権の暴走が止まらない。11月29日、自民党は野党欠席のまま衆院憲法審査会の開催を強行した。与野党合意抜きで改憲に突き進むという政権の意思がむき出しになった。
それだけではない。11月27日には、外国人労働者の受け入れを拡大するための入管法改悪案をわずか17時間の審議で衆院通過を強行した。政府は「人手不足は喫緊の課題」というが、その客観的な根拠は何も示されていない。低賃金労働力の確保だけを目的とし、外国人への重大な人権侵害につながる法案は断じて許されない。
また参議院で審議中の改悪水道法案では、人々の命にかかわる水道事業の運営を民間企業に委ねようとしている。いまや国会は政府が提出する法案のたんなる追認機関と化している。こうした状況に怒りが広がっている。
11月19日、国会前では「安倍9条改憲NO!辺野古新基地建設は断念を!安倍政権退陣!」をかかげて、小雨が降る中、2200人が集まった。衆議院第二議員会館前でおこなわれた集会では、参加者から安倍政権を弾劾する発言が続いた。
「沖縄県知事選で玉城候補が8万票差で勝った。政府側が行政不服審査法を悪用して執行停止した。世論調査では、政府の沖縄への姿勢を支持しないのが51%だ。政府は民意を尊重して、普天間基地の即時撤去にむけてアメリカと交渉すべきだ」「安倍首相は自衛隊観閲式で9条改憲をぶち上げた。これは自衛隊に対する最悪の政治利用だ。憲法がわかっていない首相に憲法を語る資格はない」
安倍政権打倒へ全国各地からたちあがろう。
饗庭野演習場
迫撃砲弾が国道を直撃
8日 地元高島市で抗議集会
11月14日午後1時20分頃、滋賀県高島市の陸上自衛隊饗庭野演習場で訓練中の第37普通科連隊(大阪信太山駐屯地)が発射した81o迫撃砲弾が演習場外の国道303号線脇に着弾して爆発。その破片が国道沿いに停車していた朽木漁協組合長の川村長太郎さん(71)の車を直撃した。
車の左側後部ドアの窓ガラスが粉々に割れ、窓枠も損傷した。幸い運転席に乗車していた川村さんにケガはなかった。着弾した砲弾は重さ4キロ、長さ約40センチで、破裂すると周辺に金属片を飛散して人を殺傷する。
射撃訓練では最初の2発が着弾地不明だったが、そのまま3発目を発射したため、演習場外に着弾したもの。それでも訓練は続けられ、川村さんからの通報を受けた警察の連絡を受けてようやく射撃訓練を中止した。自衛隊が高島市に連絡したのは事故から4時間後。また警察の連絡を受けた後も27分間訓練を続けていたことも明らかになっている。このような自衛隊の対応に福井正明高島市長は強く抗議し、実弾射撃訓練の中止を申し入れた。
饗庭野演習場周辺では、3年前にも重機関銃の銃弾が民家の屋根と天井を貫通する重大事故があったばかりで近隣住民は怒りに震えている。12月8日、住民の命をまもり自衛隊の実弾演習に反対するあいば野集会が高島市内で開かれる。主催は安倍9条改憲NO! 市民アクション滋賀など3団体。住民とともに声を上げ、危険な自衛隊の実弾演習を中止させよう。(多賀)
高浜3号機再稼働に抗議
40年超え”阻止が課題に
11月7日
高浜原発ゲート前で再稼働に抗議(11月7日) |
11月7日、関西電力は定期点検で止まっていた高浜原発3号機の稼働を強行した。地元をはじめ、若狭、関西一円の人々の生活と暮し、生存権を危うくする原発の稼働を弾劾する。
この日、〈原発うごかすな! 実行委員会@関西・福井〉は、高浜原発3号機を動かすことに反対し、12時半から高浜原発直近の展望所に集まり、抗議闘争をおこなうことを決め、闘争体制をとった。ところが前日になって、「7日、午前11時に稼働」ということが判明し、急遽、11時に間に合う人だけでも、「高浜原発3号機うごかすな!」の声を上げようと現場に急いだ。10時半ごろ、10人ほどがゲート前で3号機の稼働にたいして、声の限り弾劾した。
12時半、展望所に関西一円から抗議闘争の参加者が集まり始めた。全員がデモでゲートに向かい、ゲート前で抗議行動開始。1時半、関電に対する抗議の申し入れをおこなった。参加者による関電弾劾のアピールと怒りのコール続いた。
最後に、木原壯林さんがマイクをとり、「高浜原発3号機は動かされてしまったが、来年のたたかいは重大である。40年超えの老朽原発である高浜1、2号機、美浜3号機の再稼働を絶対とめよう。来年秋には、高浜1号機は45年、2号機は44年を超える。このゲート前を人の渦で埋め尽くす。ただちに来年に向けて、取り組んでいこう」と訴えた。40年超えの原発高浜1、2号機、美浜3号機の再稼働を阻止すれば、原発のない社会を勝ちとることが現実になる。いよいよ反原発闘争の正念場だ。
〈原発うごかすな!実行委員会〉は、来年3月に高浜現地闘争、5月には関電本店を包囲する大集会を準備している。波状的な行動で老朽原発再稼働を止めよう。(仰木 明)
地裁は強制執行認めるな
20日 請求異議裁判が判決
要望書を提出する反対同盟 (11月19日 千葉市内) |
2月20日の請求異議裁判判決を一カ月後に控え、その勝利のための2つの行動がおこなわれた。市東さんの農地取り上げに反対する会(以下、市東さんの会)は、11月18日東京・文京区民センターでシンポジウムを開催。翌19日には市東さんのもう一つの農地裁判・耕作権裁判の前に、千葉地裁民事第5部高瀬裁判長への要望書の提出がおこなわれた。
「過酷執行」許すな
18日のシンポジウムのメイン講演は、裁判で証言にも立った内藤光博さん(専修大法学部教授)と石原健二さん(農業経済学)。内藤さんは、昨年シンポで試論として提起した「農業・営農権」の憲法的価値と意義をさらに深化させ、「農業は人間の生存と平和構築に不可欠な営為であり、高い憲法的価値がある」と断じた。そして市東さんに対する強制執行は、営農権を侵害する「過酷執行」であり違憲・違法であること、また「権利濫用の5類型」をあげ、ことごとくこれに該当するとして許されないと結論づけた。石原さんは「終末的な農業政策」と題しコメ政策を中心に政府の農業政策を徹底批判し、市東さんらが実践する「生産者と消費者による組織的な産直の構築」を訴えた。
あいさつに立った市東孝雄さんは「有機の農地は私の命」「判決は12月20日だが、それからが私のたたかいだと思っている。これからも天神峰の畑で耕し続ける」と変わらぬ思いと決意を述べ、引き続き支援を訴えた。
沖縄のたたかいの報告に続き、市東さんの会の小川正治さんが基調提起。判決までの1カ月とさらに続く市東さんの農地を守るたたかい、裁判闘争への奮起・奮闘を訴えた。
翌19日は市東さんの農地裁判のもうひとつの裁判・耕作権裁判の口頭弁論日。この裁判は農地法裁判と同じく2006年に始まった裁判だが、成田空港会社(NAA)が「不法耕作」と決めつけた耕作地の特定もできないうえ、NAAの文書偽造などが発覚。裁判は停滞状況が続いている。この裁判に合わせて千葉中央公園での集会と地裁までのデモの後、千葉地裁民事第5部への要望書提出行動。多くの支援者の声援に送られて市東さん、反対同盟が1000人を超える要望書を提出した。12月20日の判決に千葉地裁へ結集しよう。(野里 豊)
2面
寄稿 ―〈米騒動〉から100年 第2回(5回連載)
軍隊の鎮圧に抗する虐げられた人々
日本史上最大の民衆蜂起から学ぶ
大庭 伸介
京都で被差別部落の大衆が闘いの先頭に
京都市東七条柳原は市内最大の被差別部落で、土方や研職・日稼ぎなどの半失業者が多く住んでいた。8月10日夜、女たちを先頭に太鼓を打ち鳴らし、子どもを含めて2〜30人ずつ数隊に分かれ、沿道で一般市民も加えながら行進した。彼らは27カ所以上の米屋と米倉を襲った。戸をたたき石を投げ気勢を上げて米屋を脅かし、「白米1升30銭デ売リマス」と貼紙に書かせ、「万歳!」を叫んで行進し、派出所を破壊した。
騒動に立ちあがる前に、この部落の人が米を買いに行くと「ただでさえ米がないのに、お前らに売れるか」と断られた。彼らの行動は単に米の安売りを要求するのではなく、日ごろからの差別への怒りをぶちまけたものでもあった。
各警察署は全員を非常呼集したが、群衆の力に押されて何もできなかった。
柳原部落には相互扶助の精神にもとづいて部落民の生活を支える柳原銀行が設立されていた。他の一面では、皮革加工その他の業種ごとにボスがいて、部落大衆を日常的に支配していた。これらのボスどもは騒動に立ち遅れてしまった。部落大衆は銭湯のなかで相談し、綿密な計画を練り上げて行動したのである。神出鬼没の戦法は警察官をテンテコ舞いにさせた。
結集と行動を呼びかける貼紙が辻々に貼られ、11日の夜にはそれを見た群衆が集まった。前夜の蜂起は市内に点在する被差別部落の人びとの心を揺さぶった。夜の9時過ぎには全市10数カ所で、数10人から多いところでは1000人もの一団が、ラッパを吹き鳴らして行進し、米屋と米倉を襲った。
西陣の織物工や染色工、友禅染職人、映画製作所の小道具係、陶器工などの職人や町工場の労働者が立ち上がったのである。参加者は2万人に達し、警察官はほとんど手出しできなかった。夜の11時過ぎ、府知事の要請で伏見の陸軍第16師団から200人の歩兵と63人の騎兵が鎮圧に乗り出した。群衆はトビグチや竹槍・斧・鎌を振りかざして軍隊と乱闘を繰り広げた。
翌12日には、歩・騎・輜重(兵器や食料を前線に運ぶ兵種)・工兵の各隊が市内数ヵ所に配備され、戒厳令が敷かれたような状況になった。京都の軍隊の出動は全国の先端を切った。
群衆が引き上げると、軍隊と警官隊が被差別部落の周囲を隙間なく包囲して、全戸を家宅捜査し、騒動に参加したとみなした者を一斉に逮捕した。
米騒動は被差別部落民が起こしたものとする差別と偏見に満ちた情報が流された。日ごろの被差別部落に対する差別観念とあいまって、民衆の分断を図り騒動を鎮静化しようとしたのである。
大阪では第4師団の全兵力と白兵戦
8月11日、天王寺公会堂で開かれた立憲国民党大阪倶楽部主催の米価調節演説市民大会が大騒動の導火線となった。警察の圧力に屈した国民党は早々に閉会した。しかし3000人の聴衆と場外にあふれた5000人余りの群衆は、赤ん坊を背負った女たちを先頭に難波署管内の250軒の米屋を襲った。それに先立って、市内各所で米価問題についての少人数の寄合いが何度か持たれていた。
翌日、天王寺公園に2万を超える群衆が集まり、数団に分かれ、矢倉太鼓で景気をつけて、数10軒の米屋を片っ端から襲い、所有米すべてを1升20〜30銭で販売するよう約束させた。警察官や憲兵の力だけでは取締まり不可能になり、軍隊が駆けつけて民衆と午前2時ごろまで対峙した。大阪府下の各地にもこの大暴動は広がっていった。
13日、群衆は朝鮮米の大半を保管している住友倉庫を襲い、周辺を固めていた騎兵隊と白兵戦を演じた。群衆は8尺棍棒で兵士の前面を猛襲し、竹槍を持った一団は兵士の銃を奪った。その他の群衆は小石やガレキを軍隊めがけて投げつけた。あちこちで組打ちが始まり、全市が沸き返るような状況を呈した。
大阪府下の全域で12日から17日までの間に、陸軍第4師団が全兵力約1万人をあげて出動し、師団長自ら騎上で指揮をとった。各地で軍隊が民衆と衝突して、2人が銃剣で刺殺された。
なお全国最大の被差別部落である西浜地区では、京都での部落民の決起を聞くや、すぐに警察は部落の有力者と組み、先手を打って米の安売りをしたり、見張りを立てて騒動に参加するのを防いだ。(つづく)
三田しょうがい者監禁事件
ナチスは過去のものではない
11月11日、兵庫県内で「ナチスのT4作戦を観る ビデオ上映とお話し」の集いが開かれました。
ビデオは「優生思想」によるナチスのしょうがい者に対する断種政策(強制不妊政策)が エスカレートしてT4作戦というしょうがい者大虐殺に繋がったことを描いている。抵抗する者が無いままT4作戦は実行されていった。市民は、しょうがい者が虐殺されていることを知りながらヒトラー万歳を叫び続けた。一人の神父が「生産性のない者の殺害を承認するならば、市民も年を取ったら殺されることになる」と異議の声をあげた。その声は瞬く間に市民に広がりヒトラーはT4作戦中止を命令した。ナチスといえども世論を気にしていたからだ。
しかし、それで終わらなかった。法律に基づかない「野生化したT4作戦」が繰り広げられた。ナチスに協力したのではなく精神科医らの自発的な主導によるものだった。殺された人数は公式のT4作戦を上回った。精神科医たちは戦後も長く沈黙し、反省を口にする者はいなかった。糾弾する声は小さくしか扱われなかった。2010年に至ってドイツ精神医学精神療法神経学会は総会において被害者とその家族に謝罪した。殺害現場を訪れた藤井克徳さん(きょうされん専務理事・日本障害者協議会JD代表)が「しょうがい者の人権が否定されるとき、すべての人の人権が侵害される。それは戦争の前触れだ」と述懐する場面でビデオは終わります。
続いて報告に立った吉田みち自立生活センター三田代表は、兵庫県三田市しょうがい者監禁事件について分かりやすく詳述し、被害者は施設に移されただけで自由はいまだに無いことを糾しました。被害者が社会の中で社会資源を使って自由に暮らせる状態ではないのに「解決済み」としてはなりません。
続いて知的しょうがい者、精神しょうがい者、身体しょうがい者や聴覚しょうがい者が発言。「ナチスの時代は決して過去の出来事ではない。そのような時代に入っている」「しょうがい者は不幸だという決めつけのもと出生前診断で生まれる前に抹殺されている。しょうがい者の安楽死、尊厳死という名の下に虐殺をおこなう時代が来ようとしている」「三田しょうがい者監禁事件は何ら解決されていない。施設に監禁されているだけだ。加害者が保護者として関わり続けているのはおかしくないか」「パラリンピックはしょうがい者を分断している」「介護労働者の幸せはしょうがい者の幸せにあるという価値観で労働者の運動を進めることが必要だ」。すべての発言が「ピープルファースト」「しょうがい者である前に人間だ」と権利主体としてのしょうがい者という立場からのものでした。
集会には、反貧困運動、空港反対住民運動、労働運動などから60人が参加。運動圏の人々にとっては、しょうがい者の生の声を聞き、来る前と後で見る目が変わっていたのではないかと思います。反戦反基地運動でのしょうがい者差別は根強くあって、そんなに簡単ではないという指摘もあります。しょうがい者問題を専門家預けにするのではなく個々人が主体的にかかわるようになれば良いと思います。(高見元博)
3面
緊急事態条項の危険性
災害口実に憲法変えるな
集会後ポートライナー三宮駅前でスタンディング(11月17日 神戸市内) |
「緊急事態条項はいらない」市民集会で永井幸寿さんが、その危険性を詳しく話した。永井さんは阪神淡路大震災から災害関連法にかかわってきた弁護士。「安倍改憲は、災害をダシに国家緊急権を盛り込もうとしている。9条加憲と直接に連動し極めて危険」と訴えた(11月17日/神戸市内、主催/市民デモHYOGO)。以下は報告のごく一部で、『世界』11月号、『憲法に緊急事態条項は必要か』(岩波ブックレット)などを参照してほしい。国会での参考人意見陳述などはIWJに公開されている。会場からは「緊急事態条項の問題点、本質がよく理解できた」「どう咀嚼し身近な人に伝えていくか、できることを考えていきたい」などの意見が出された。(ま)
自民党の改憲案は、@9条への自衛隊明記、A緊急事態条項(国家緊急権)の新設、B参院「合区」解消、C教育4項目。BCは法律でできるからダミーと言っていい。本命は、@とAである。「9条に自衛隊明記」は議論され知られているが、緊急事態条項の危険はあまり知られていない。なぜか。国家緊急権とは何か、現憲法にはなぜ緊急権がないのか、「災害のため」というが本当に災害時にそれが必要なのか。元々の自民党案に対し、今年3月にとりまとめた「新自民党案」は緊急事態条項の条文を少なくし、一見やさしくなっている。「危険性が薄らいだ」と勘違いする人があるが、じつは前よりも酷くなった。
国家緊急権とは「戦争、内乱、恐慌、大規模な自然災害など平時の統治機構では対処できない」場合、国家権力が「国家の存立」を維持するため、立憲的な憲法秩序(人権の保障と権力分立=3権分立)を停止し、非常措置をとることである。それは国家のためであり、国民のためではない。基本的人権とは憲法13条、21条、22条、23条、29条などにあるように、人が自立的な個人として自由と生存を確保し、尊厳を持って生きるための不可欠な利益である。
権力者、人は何時も権力を濫用する性向がある。そのために権力は分立させておくべき。現憲法が国家緊急権を設けていない理由がそこにある。本来、法律の制定権は主権者たる国民の代表である国会にある。それを内閣、政府が政令で発動しようとする。帝国憲法下で、治安維持法の死刑を含む重罰化がおこなわれた。帝国議会では審議未了で廃案になった。それを緊急勅令で法案通り改悪した。新自民党案では、「自然災害」ではなく「災害」とされており、「武力攻撃災害」も含むことになる。自然災害を口実に、国家緊急権を新設しようということだ。
大災害には、日ごろから耐震補強、津波・火災対策など法律に沿って防災体制を準備しておくことが肝要であり、準備していないことは非常大権を持ってしてもできない。国家緊急権発動によって災害問題が解決するかのようにいうのは、まったくの誤りである。日弁連で東日本大震災を受けた被災3県(福島、宮城、岩手)自治体へ「災害対応に憲法が障害になったか」のアンケートを実施した。「障害にならなかった」96%だった。
準備は災害対策基本法、災害救助法、その他の法律で対処できる。厳格な要件を付し政府に一時的に権限を集中することもできる。衆議院解散あるいは衆参同日選挙中で国会が開会できない場合も、参議院の緊急集会で代替される。永田町直下型等で緊急集会もできない場合も、政令で対処できる(憲法73条)。ガレキの撤去などと財産権の問題も災害対策基本法で対処可能である。「家に閉じ込められ、緊急権がないため(家を壊せず)助けられなかった」と櫻井某女史が言ったとか。事実なら法律を知らないこと甚だしい。
まとめ。緊急事態条項はオセロゲームのように、一挙に憲法をひっくり返すことができる。あっという間に独裁ができる。もちろん人権、民主主義を破壊する。一言で言うと政府独裁条項である。「災害をダシに憲法を変えてはいけない」。
メディアはなぜダメなのか
金平茂紀さんが奈良で講演
11月18日
11月18日、奈良市内で第13回奈良からつながる市民の集いが奈良市内でひらかれ、ジャーナリストの金平茂紀さんが講演した。金平さんは「今、マスメディアと市民の間に信頼感がゆらいでいる。それはなぜなのか」と問いかけ、次のように語った。
沖縄では、玉城デニーさんが知事になった。翁長さんの遺志継承を県民が支持したからだ。政府は辺野古基地建設の理由を「普天間基地の危険性除去」と言うがウソだ。1995年9月に少女暴行事件がおこり、県民が怒って立ちあがり、基地の存続が危うくなった。これが原点なのだ。
沖縄の地方紙2紙(琉球新報、沖縄タイムス)は、がんばっていて、県民の視点で報道している。「本土」の人は、沖縄の基地についてあまりにも知らない。これはメディアの責任でもある。誰でも自分の所に米軍基地は来てもらいたくない。沖縄の基地問題を自分の事として考えることが重要だ。
安田純平さんが3年4カ月ぶりに解放された。帰国に際して、メディアは「帰ってきて、ほんとうによかったね」という報道をすべきだが、日本の報道はそのようになっていない。「自分で勝手に行ったのだから、おまえが悪い」という政府の対応を支える立場で、メディアは報道している。ジャーナリストは現場に行って、何がおきているのかを自分の眼で見ることが重要なのだ。「危険だから行かない」ならばジャーナリストとして失格だ。安田さんは記者会見で、ウイグル人に世話になった事を述べていた。このようにウイグル人のネットワークがシリアの反体制運動にたくさん参加している。
元徴用工問題で、韓国の大法院が新日鉄にたいして賠償判決を出した。これにたいして、日本政府もマスメディアも「韓国はとんでもないことをした」という論調で非難している。メディアにいる人は、歴史をあまり勉強していない。政府が言っていることだけを報道する傾向にある。
安倍政権は森友問題での公文書改ざん、加計学園問題、改憲問題などで末期的症状を示している。日米地位協定さえ変えられない人が憲法を変えようとしている。安倍政権は憲法改正のためにのみ存在している。これらのことを、マスメディアは報道するべきだ。
筑紫哲也(ジャーナリスト)はマスメディアについて「@力の強いもの、大きな権力にたいして監視の役割をはたすこと、A少数派であることを恐れないこと、B多様な意見や立場があることを示すことで、この社会に自由な気風をかもしだすこと」と言っていた。今、マスメディアはこれと逆の方向に流れているのではないか。
こういうマスメディアの状況にたいして、どうしたらよいのだろうか。自分なりに実践していることを述べたい。@他のメディアの人とつきあうこと、A異なる職種の人とつながっていくこと、Bシニシズムに陥らないこと、C楽しく、魅力的にやること。このようにして、ジャーナリズムを本来のものに取り戻していきたい。
全てが米軍優先 岩国の実態
11月24〜25日 平和を創る岩国行動
11月24日から25日にかけて、「東アジアの平和を創る2018岩国行動」がおこなわれ、今年の参加者は130人だった。
24日の岩国米軍基地フィールドワークでは、滑走路北端から基地の全貌を見ながら、写真家の戸村良人さんが参加者に説明。基地にある滑走路は1本だけだが、使用しているのは、米海軍艦載機が60数機、海兵隊戦闘機が60数機、自衛隊機、そして岩国錦帯橋空港として使用している全日空の民間機。それら4つの格納エリアを一望することができる。
滑走路の使用には優先順位がある。最優先は海軍艦載機が訓練使用だ。米空母ロナルドレーガンが遠方に出動してその艦載機がいないときは海兵隊戦闘機が訓練使用する。その合間をぬって自衛隊機が使用。さらにその合間に民間機が飛ぶのだ。そのため、1日6便の全日空のダイヤは頻繁に遅延が発生しているという。
管制は米軍が掌握している。なぜこのような不便な民間空港をつくったのか。その理由は、岩国市内に居住している1万人の米軍と米軍関係者の移動に必要だからということらしい。フィールドワークのあと、岩国労働者反戦交流集会が開かれた。全港湾、全日建関生支部、東京南部全労協、ユニオン北九州が報告した。
25日には、岩国国際連帯集会が開かれた(写真上)。前岩国市議の田村順玄さんが発言。10月14日投開票の岩国市議会選挙で田村さんの後継者、姫野あつこさんがトップ当選を果たしたことが報告された。また陸上イージスの導入が予定されている陸上自衛隊むつみ演習場の地元阿武町では、町議会が配備計画の撤回を求める請願を全会一致で決議し、町長が「導入計画反対」を明言したことなどが報告された。このほかTHAADミサイル配備が強行されている韓国・星州のソソンリ、沖縄の辺野古新基地建設反対闘争、京丹後市の米軍Xバンドレーダー基地の地元などから報告があった。
(短信)
●教員に「変形労働時間制」導入しても、夏期に休み取れない実態
文科省は、小中学校教員の長時間労働について「変形労働時間制」の導入などを中央教育審議会に示した。変形労働時間制を導入、労働時間を「年単位で調整」する。学期内に週3時間の勤務を増やし、年間では15日の休みを(おもに夏期休業中などに)確保するなどの案。部会では「部活や研修がある。長期の夏休みが取れるか」「時間外労働の歯止めにならない」との意見が出た。 (10月15日)
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4面
沖縄県知事選を闘って(下)青木 守
変革への道を拓きつつある
翁長雄志さんは40歳代で自民党沖縄県連の幹事長を務めた、いわば「保守の重鎮」だった。尊父助静氏は、真和志村(現那覇市)の村長や琉球立法院の議員を務めた保守政治家で、糸満市の魂魄の塔建立(注)を推し進めた人である。オール沖縄に推されて知事選に立候補したとき、翁長さんは「イデオロギーよりアイデンティティ」を掲げて圧勝した。日米安保を容認し、従って米軍基地も容認したが、唯一点「なぜ沖縄にばかり過重な負担を押しつけるのか」と辺野古新基地に反対し、終生その立場を変えなかった。この一点が安倍政権との激しい対立点となった。裁判では「沖縄県民は自らすすんで基地に土地を差し出したことはない」との核心をついた証言を行なった。
生起している事態は何なのか
2014年の立候補時の会見で翁長さんは、「沖縄の未来を開くために私に期待する声があるなら、その声に応えることこそが政治家としての集大成という結論を出し、覚悟を固めた」「オール沖縄として、子や孫の世代に禍根を残すことのない責任ある行動が今強く求められている」と語った。また今年6月23日の沖縄慰霊の日の知事あいさつでは、安倍首相を前にして次のように述べた。「民意を顧みず工事が進められている辺野古基地建設については、沖縄の基地負担軽減に逆行しているばかりでなく、アジアの緊張緩和の流れにも逆行していると捉えざるを得ず、全く容認できるものではありません。『辺野古に基地を作らせない』という私の決意は県民と共にあり、これからもみじんも揺らぐことはありません」。
逝去直後の8・11県民集会には当初予想の3万人を大きく越えて7万人が集まり、その死を悼んだ。知事が座る予定の椅子には愛用の青い帽子が置かれた。翁長雄志知事は県民の営々たるたたかいが生みだした傑出した政治家であった。謝花昇、田中正造、山本宣治、瀬長亀次郎と並び、民衆の歴史に刻まれる人物である。
保守であり、日米安保を認めながら、あらゆる重圧に屈せず辺野古新基地建設反対を貫いた翁長さんの足跡を、私たちは襟を正して受け止めねばならない。生起している事態は一体私たちに何を問いかけているのだろうか。
改憲攻撃との本番のたたかいへ
安倍一強による改憲情勢の強まりのなかで、保守といわれている人たちでも安倍改憲に反対せざるを得ないところまできている。安倍改憲とのたたかいという具体的な形をとって、社会変革への道が敷かれつつあると事態を捉え返すべきではないか。単なる戦術レベルの課題とするのではなく、本質的な提起として向き合い、私たちの運動の豊富化に転化していこう。
「普天間返還に新基地が必要なら、本土に」という議論も起きている。本土では9月に初めて東京・小金井市議会で「普天間の運用停止。辺野古建設は中止し、沖縄以外の全自治体を候補地に」という陳情が採択された。その後、陳情には賛成した共産党市議団から「辺野古中止は賛成、米軍基地は全国で引き受けるというのは容認できない」という意見が出され、陳情に伴う意見書の提案は見送られた。それらの意見、動きの底に流れている沖縄への連帯の思いを受け止め、止揚にむけて議論を進めたい。安重根を生みだした朝鮮民衆のたたかいは全泰壱氏のたたかいに引き継がれ、ロウソク革命≠ナ朴槿恵を退陣に追いやった。沖縄県知事選の教訓を学び尽くし、改憲攻撃との本番のたたかいに歩を進めていこう。
(注)糸満市の魂魄の塔について 助静氏らが真和志村(現那覇市)から糸満市へ敗戦直後に強制的に移住させられた。その南部の激戦地に散らばる3万5千柱を敵味方・国籍の区別なく集め供養した塔。その昔、日本の民衆は戦場で死んだ兵士を敵味方の区別せず弔った。その伝統を破壊したのが靖国神社(東京招魂社)だった。この伝統は「平和の礎」にも受け継がれている。翁長氏の49日法要の9月25日に野党各党・各会派の7人の代表が揃って、ここを訪れて追悼し、知事選の必勝を誓い合った。(おわり)
朝鮮半島の恒久的平和を
金光男さん 「経済制裁の緩和必要」
金光男さん出版記念講演会が11月6日、大阪市内でひらかれた。主催は、戦争あかん! ロックアクション。金光男さんは1990年に在日韓国研究所を設立、現在は代表として韓国と日本の労働・市民社会交流をおこなっている。このほど元衆院議員・服部良一さんの要請に応え表題の本を上梓した。編集者の質問に筆者が答える形式で、読みやすく、しかも注釈が豊富で、歴史を知らない人にもわかりやすくなっている。以下、金光男さんの講演内容を紹介する。
講演する金光男さん |
日本のマスコミは北朝鮮非核化が進んでいないとばかり言うが、北朝鮮核問題の本質はアメリカと北朝鮮の間で朝鮮戦争停戦後も続いている軍事対立である。したがって北朝鮮核問題解決のためには、一方的な北朝鮮の非核化ではなく、北朝鮮の非核化とともに朝鮮半島の恒久的な平和体制を確立しなければならない。6・12朝米首脳会談は北朝鮮の完全な核廃棄と北朝鮮に対する平和保証を等価交換し、信頼構築による非核化の実現を公式に宣言した。それに応えて北朝鮮は核実験とミサイル試験発射の凍結、豊渓里核実験場の爆破・東倉里のミサイルエンジン実験場とミサイル発射台の閉鎖意志を示した。これは「未来の核」を閉鎖したといえる。それにたいしてアメリカが取った措置は8月韓米合同軍事演習の中止であり、いつでも再開できる。これを等価交換といえるだろうか。
アメリカは朝鮮戦争終結を宣言するには「北朝鮮が完全な核施設リストを提出しなければならない」と言い出しているが、それは北朝鮮にとってはアメリカに軍事攻撃の対象を提供するようなものである。
9月18〜20日、平壌で第3回南北首脳会談がひらかれ「9月平壌共同宣言」と「板門店宣言履行のための軍事的分野合意書」に両首脳が署名した。9月平壌共同宣言の中身は事実上の「朝鮮戦争終結宣言」である。すでに板門店共同区域と南北共同遺体発掘地域である江原道・鉄原郡の矢じり高地で地雷撤去作業が終了、共同区域内の南北の警戒所から火器と人員が撤収し、板門店共同警備区域の非武装化が完了している。
第2次朝米会談が遅れているのはアメリカ側の事情である。中間選挙を最優先し北朝鮮への圧力を継続しているからだ。国連の経済制裁緩和が必要である。
最後に金光男さんは日本政府が韓国政府の平和プロセスに協力するかどうかが、この平和実現に重要な役割を担っているということを強調して講演を終えた。(池内慶子)
消された強制連行の歴史
聞き取りで空白を埋める
第24回世直し研 川瀬俊治さんが講演
11月19日、第24回世直し研究会でジャーナリストの川瀬俊治さんが「地域から具体化した日本軍『慰安婦』問題」というテーマで講演した。川瀬さんは1975年から43年間にわたり、奈良県天理市柳本飛行場での朝鮮人強制連行を取材してきた。
柳本飛行場は、43年からの工事を大林組が請け負って始まった。建設には少なくとも1千人以上3千人ともいわれる朝鮮人が動員されているが、正確な人数はわかっていない。川瀬さんの聞き取り調査によると、強制連行された朝鮮人は敗戦後9月中旬に帰国している。「このことから、大林組ではなく日本軍が軍属として徴用していたことがわかる」と述べた。(注:塚崎昌之さんによれば、9月に帰国していれば軍の管理下、10月に帰国していれば大林組の管理下となる。)
朝鮮人強制連行
75年、川瀬さんは奈良新聞に「シリーズ・在日朝鮮人」を連載した。その後、柳本飛行場に強制連行された朝鮮人の聞き取り調査を。91年、天理市の寺・浄土宗専行院の過去帳から3人の朝鮮人(金海永、金哲九、張廣先さん)の存在がわかった。95年、天理市は説明板を設置。2014年、並河天理市長が説明板を撤去した。17年、金海永さんの長女・金成嬉さんが江原道鉄原に住んでいることがわかり、今年8月、天理市で金成嬉さんの証言集会が開かれた。川瀬さんは「日本の植民地支配責任は問われないことになっている。イギリス、フランス、ドイツ、アメリカの責任が問われるからだ」と述べた。
朝鮮人「慰安婦」については、75年の取材で次の事がわかっていた。@協和会を通じて、「洗濯などの家事をする仕事がある」と甘言し、16〜25歳の女性を挺身隊として募集した、A柳本には晋州と統営(注:地名が確定するのは40年後)からそれぞれ10人連れてこられており、少なくとも20人の「慰安婦」がいた、B敗戦後9月中旬、軍は彼女たちを解放したが、慰安所にそのまま放置されていた、C9月下旬に、姜正市さん(桜井市在住、柳本飛行場建設で働いていた)が20人を救出した、D彼女たちは桜井市に1年間ほど住んでいた。1人は肺炎で死亡。その後、19人の消息は不明だ。
柳本飛行場の説明板が撤去されて以降、「慰安婦」問題で統営の市民団体と交流。今年9月に、奈良市内で「慰安婦」問題に関するシンポジウムをおこなった。川瀬さんは「柳本飛行場関係の文書は残っていない。軍が敗戦直後に文書を焼却した。聞き取り調査によって、歴史の空白を埋める以外にはない」と述べた。並河天理市長は説明板撤去について、「様々な歴史認識があり、国全体においても議論がおこなわれている中で、今後、歴史専門家等による国全体での研究・検証を見守りたい」と市民団体に回答。歴史認識は国が決めるものではない。説明板を取り戻すことは、歴史を市民の手に取り戻すたたかいでもある。(津田保夫)
5面
読者の声
「慰安婦」生存者の姿伝える
韓国の写真家 安世鴻さんが講演
「女性に対する暴力撤廃国際デー」の11月25日、大阪市内で、写真家の安世鴻さんの講演会が開かれました。
1996年に安世鴻さんは、取材で「ナヌムの家」を初めて訪ねました。その後3年間、写真を取らずにボランティアとして通い続けました。そうしてハルモニたちを頭でなく心で理解し、一緒にできることをやろうと考えて、博物館の建設も手伝ったそうです。
被害女性たちと会う時は、まず話を聴くことに集中し、思いを話せるようになってから写真を撮るそうです。その丁寧な接し方を聞いて、だから安世鴻さんの写真は女性たちの心の奥の思いや苦しみを伝えてくれるのだと納得しました。
01年、安さんは初めて中国へ行き、そこで解放後も朝鮮半島に帰れなかった13人の「慰安婦」生存者に出会いました。そしてこの問題に関心を持ってもらいたいと、写真展「重重」を開きました。
中国に暮らすイ・スダンハルモニ。中国黒龍江省の慰安所に連れて行かれ、そこに遺棄されました。子どもを産むことができなかった彼女は、晩年はアルツハイマーに。壁一面を赤ん坊のポスターで埋め、手には等身大の赤ん坊の人形を抱いています。
中国桂林に暮らすウェイ・シャオランさん。1歳の娘と共に日本軍に連行され、3か月間、慰安所に入れられました。脱出後に娘は亡くなり、日本兵との間にできた息子が生まれました。彼女の夫はそれを許容できず、周囲の村人は日本軍から受けた被害への怒りを母子に向けました。とても苦しい戦後を過ごしたのです。
被害女性は、90代や80代後半となり、残された時間は少なくなっています。
13年以降訪れるようになったフィリピンでは、ロラたちが歌や踊りを通して感情を解きほぐしている姿や、日本大使館への抗議デモではロラの家族や遺族たちが遺影を掲げて参加している姿を見て感動したそうです。
インドネシアのチンダさん。大阪にも証言集会に来られました。インドネシアはとても封建的で、被害を受けた女性が家族に受け入れられることは稀です。そんなチンダさんの一枚の写真。自分が被害を受けた場所に立っている写真です。当時、家から5分のところで、被害に遭ったのです。インドネシアでは、自宅のすぐ近くの「慰安所」に連行されたので、過去から逃れるために故郷を捨てた人が多いと話されました。
東ティモールのラオリンダさん。道路建設に強制動員され、昼は土木工事、夜は性奴隷に。腕には「多鶴子」と刺青を入れられています。
姉妹のカーミンダさんとマルティナさん。姉は重度のアルツハイマーで、妹が姉の被害を証言しました。その証言の最中、姉は、「いち、にい、さん」と話し、厳しく顔をゆがませたそうです。
安世鴻さんは、「記憶はなくなっても痛みは残る」と言われました。日本軍は補給を断たれてコンドーム支給もなかったため、妊娠の可能性がない幼い少女が標的にされたことなど話されました。北朝鮮では、1人も会えていないが、被害女性は、219人、登録者52人が公開証言されています。今、2、3人が生存しているそうです。
安世鴻さんは1人1人の被害女性の人生を紹介しながら、その思いを語られました。それはとても心に残りました。時間が残されていませんが、これから何をしてゆけばよいのか、多くの示唆を受けました。(村野)
「被爆者も被曝者も出さない」
伊方3号機差止裁判で意見陳述
広島地裁
11月14日、広島地裁で伊方原発3号機の運転差止を求める本案訴訟(本訴)の第13回口頭弁論があった。原告団と支援の人々は「被爆地ヒロシマが被曝を拒否する」と大書した横断幕をかかげて参加した。
8月6日の第12回で原告側は、「座屈」(注)に関する準備書面を提出し、ひと通りの主張を終えた。今回は被告側(四国電力)が、「座屈」「安全論」への反論書面を提出した。
3歳6カ月のとき広島で被爆した原告の一人(東京都在住)が意見陳述をおこなった。被爆した家族の苦しみと様々な差別、退職前に仕事で福島第1原発を訪問した経験を交え、伊方原発の危険を訴えた。「好んで被爆者になったわけではない私たちと同様、原発被曝者を生み出してはならない。(原発利権に群がる人々や国に)将来世代が安全に暮らす選択肢を奪う権利はない」と陳述した(次回は来年2月13日)。
福島原発ひろしま訴訟
21日には、国と東電に損害賠償を求めている福島原発ひろしま訴訟が同じく広島地裁でおこなわれた。被告側からの準備書面が提出された。終了後、広島弁護士会館で報告会が開かれ、弁護団によると「今回被告側が提出した準備書面は段ボール箱4個分。弁護団事務所にも段ボール4箱が届いている」という。豊富な資金で大勢の弁護団がいる被告側に比べ、手弁当で活動の原告側弁護団の活動を妨害しようとしているとしか思えない。
被告側は、国会事故調査委員会の調査結果が信頼できないと主張している。国が自ら出していた地震の確率も信頼できない、過酷事故の場合は国には責任が無いとしている。原告団代表は、原発避難者が置かれている現実を訴え、裁判闘争への支援、弁護活動への援助を要請した(次回は、来年2月6日)。(田島 宏)
(注)構造物に加える荷重をしだいに増加すると、ある荷重で急に荷重の方向と直角方向に変形する現象。大きなたわみを生ずるため、荷重を支えられなくなり崩壊につながる。地震との関係では、例えば兵庫県南部地震では高速道路の支柱が潰れ、円筒形のタンク等が大きな損傷を受けている。
性暴力が戦争の武器に
オール沖縄 高里鈴代さんが講演
大阪
10月26日夜、大阪で関西・沖縄戦を考える会の講演会が開かれた。
講師は沖縄の〈基地・軍隊を許さない行動する女たちの会〉共同代表の高里鈴代さん。高里さんは現在、オール沖縄の共同代表も務めている。テーマは「沖縄にみる性暴力と軍事主義」。
9月の沖縄県知事選挙では、故翁長雄志前知事の意思を継承し、「辺野古に新たな基地を絶対に造らせない」を掲げた玉城デニーさんが、約8万票の大差で当選したことを受け、高揚した雰囲気の中で、参加者はいつもの倍に増えた。
関西・沖縄戦を考える会の代表世話人・小牧薫さんが主催者あいさつし、直ちに高里さんの講演に入った。
高里さんは冒頭、玉城知事誕生の意義を「沖縄から東京(安倍政権)に向けて台風がまき起こった」と表現。「辺野古新基地建設阻止」を玉城当選にかけた沖縄県民の切実な思いをぜひとも受けとめてほしいと強調した。そして、軍隊による暴力と戦争のつながりを歴史的現実に踏まえながら具体的に明らかにしていった。
沖縄戦直前の三二軍の創設から破滅的な地上戦として展開された沖縄戦の実態。天皇メッセージにおける沖縄切り捨てと戦後沖縄の米軍支配。銃剣とブルドーザーによる土地強奪と基地建設。そして「本土」復帰から今日にいたるまで米軍兵による女性レイプの悲惨な実態。
「慰安婦」として連れて来られ、戦後も母国=朝鮮に帰ることもできずに沖縄で亡くなられたペ・ポンギさん、貧しい戦後の沖縄で米兵の性暴力の受け皿=ドルの稼ぎ手として働かされたAサイン・バーの女性たち、米兵に暴行された少女を含む数限りない女性たちの話には本当に胸が痛んだ。それは激しい怒りと涙なしには聞けなかった。
高里さんは、軍隊の女性に対する性暴力を新たな戦争≠ニ規定し、「性暴力が戦争の武器として使われている」と厳しく弾劾した。そして、「性暴力は軍隊の本質であり、構造的暴力」であり、戦争をなくして軍隊を解体しない限り、女性の解放はあり得ないと話した。最後に、「性暴力と軍隊に対する沖縄の怒りはもはや限界を超えた。沖縄知事選の勝利の力を全国に広げ、安倍政権の戦争政治を打ち破っていこう」と訴えた。
高里さんの問題提起は、参加者に重くのしかかり、その胸を鋭く突き刺した。多くの人たちにぜひ聞いてもらいたい。(島袋純二)
再稼働モウ”ゆるさない
11月18日 東大阪市で反原発デモ
11月18日、東大阪市内で「原発再稼働にNO! 非核・平和の東アジアにYES! 東大阪市民デモ」がおこなわれ89人が参加した。オール東大阪市民デモ実行員会が呼びかけた。同集会・デモは今回で3回目。デモは中小阪公園から小阪商店街、布施商店街を通って近鉄布施駅前までおこなわれた(写真上)。
集会のアピールでは、なくせ原発! 河内長野デモ実行委員会が12月に河内長野市で予定しているデモの案内。医療生協かわち野生活協同組合は来年1月に高遠菜穂子さんを招いた「命に国境はない」というテーマの講演会。原発賠償訴訟・京都原告団を支援する会から賠償訴訟の控訴審第1回が大阪高裁で12月から始まることなどが紹介された。原発に反対する市民からは、高浜の老朽原発1号機、2号機を再稼働させるために現地では工事が急ピッチでおこなわれている。本気で止めることが問われている。来年の地方議会選挙、参議院選挙、さらには衆議院解散もあるかもしれないが、改憲に反対する国会議員の3分の1以上の議席獲得をめざして安倍改憲とたたかおう、という提起があった。
デモは商店街で注目され、タコ焼き屋の女性、ラーメン屋の男性も外に出てきてデモに注目していた。自転車に乗った子ども連れの母子も立ちどまってじっとみていた。デモでは去年に続いて張り子の「牛」が「怒 再稼働モウゆるさない!」と書かれたムシロ旗2本といっしょに登場した。「牛」には河内牛丸という名前がついている。福島の原発事故当時、多数の牛や豚、鶏が残されたが多くは水もエサも与えられず死んでいった。ムシロ旗に書かれた「怒 再稼働モウゆるさない!」は彼らの思いでもある。
改憲発議、国民投票が切迫してきている中、地域で生まれた運動もその真価を問われる。さらに地域に入っていく必要性を強く感じた。(三船二郎)
6面
長期連載―変革構想の研究 第10回 疎外論(下)
人間の存在把握と共産主義の原理
請戸 耕市
前回、「マルクス主義」(注1)などの諸説と、マルクスの理論とを対照しながら、疎外論を〈疎外=矛盾〉論として概観した。今回もその続きだが、〈個別と普遍の対立と統一〉というマルクスの方法と、それにもとづく共産主義の原理について概説したい。
問題設定
まず、マルクスには、初期から後期まで一貫した問題設定があった。まとめると以下。
〈一方で、市民社会において、諸個人がバラバラに存在し、他方で、神、国家、貨幣などが社会的な力を発揮し、諸個人はそれらに従属を余儀なくされている―これをどう把握するのか?人間の解放とはどういうことか?〉(注2)
これは、マルクスに限らない、近代に直面した同時代人の共通した問題設定でもあった。
この問題設定をめぐって様々な観方が提出されるが、大別すれば、社会契約説か、社会有機体説かの二説。
社会契約説とは、眼前の諸個人から社会を構成する説。原子論の伝統を受け継ぐ。ホッブス、ロック、ルソーや、スミスら古典派経済学など、近代の主流。
社会有機体説とは、眼前の社会全体を一つの超個体とし、諸個人をその要素とする説。全体論と通底する。
いわば〈木を見る〉か〈森を見る〉かで観方は正反対だが、そういう対立する観方が相まって、社会システムの把握を困難にしてきた。(それは依然続いている)。
そういう両説を止揚する把握の方法を示したのがマルクスであった。
個別と普遍
〈個別と普遍の対立と統一〉―これは、マルクスが、『ヘーゲル国法論批判』において、ヘーゲルの〈市民社会と政治的国家の分離〉という議論を批判的に継承する中で提示した方法。弁証法の核心(注3)。
矛盾や対立の中にある2つの事柄は、一見、無関係で別々の事柄のように見えるが、実は、〈一つの本質〉が、〈個別〉と〈普遍〉という2つの契機に分化して展開しているもの。つまり、2つの事柄はそれぞれ自立化しているが、〈ひとつの本質〉の両極。
〈個別〉とは、〈このもの〉と指示できる具体的なもの。〈普遍〉とは、個別や現象を包括する全体。
このように、〈一つの本質〉が、〈個別〉と〈普遍〉として対立するとともに統一する関係運動を不断に展開していること―この〈対立と統一の矛盾論的統一〉を、マルクスは〈本質的な矛盾〉といい、この〈本質的な矛盾〉によって、存在が存在として成立していると把握した。
これがマルクスの提示した方法である。
像の分裂と振動
マルクスの方法をこのようにつかむと、社会契約説・社会有機体説の議論の欠陥も見えてくるだろう。両説は、〈バラバラの個人〉と〈神、国家、貨幣〉という事柄を、〈一つの本質〉の2つの契機としてとらえられず、その関係運動を把握できない。そのために、〈木を見て森を見ない〉と〈森を見て木を見ない〉の間で認識が振動し、〈一つの本質〉の像を結ばない。これが近代知の限界であった。
人間の存在把握
では、マルクスが把握した内容はどうか。〈人間は、個別と普遍の対立と統一である〉―これがマルクスの人間の存在把握の核心である。もう少し説明を要するだろう。
@自然による産出と自 己還帰
人間は、自然によって産出されたものであり、人間は自然史の一部である。
しかしまた人間は、自然に対立的に自立化した存在でもある(注4)。これは、自然の側から見れば、自然の自己疎外である。
そこで、人間と自然とを媒介する関係行為がおこなわれる。それが人間の労働。人間の労働によって、自然の人間化と人間の自然化が推進され、人間自身を自己産出し、自然と人間の結合が拡大・深化されていく。
そういう人間による関係行為自体が、自然自身の行為としてある。
労働と自己意識
ここで重要なのは、労働が自己意識を産み出し、人間が自己意識を持って関係行為をおこなう点である。ここに人間の特質、労働の特徴がある。
つまり、人間の労働には、次の2つの契機がある。
労働は、第一に、肉体的生存のための行為である(個別の契機)。
しかし、第二に、自己意識を持つことによって、生存という制約を超えて、そこから自由で自覚的で普遍的な関係行為になる(普遍の契機)。
普遍的とは、労働が、全自然(自己、自然、社会)を対象にすることであり、しかも、全自然に対して自己自身の身体として関わるということである。そういう主観的普遍性を自己意識が持っている。それもまた、自己運動する自然の自己意識である。
自己意識を持つとは自由に考えることであり、だからこそ自然と人間の結合は意識的に行われなければならない。逆に言えば、自己・自然・社会に対して対立するという背理も自由ゆえに起こる。そういう背理も経験しながら人間の陶冶(人間の持って生まれた性質を円満完全に発達させること)が進む。
こうして、人間は、労働によって、自己の主観的普遍性を、全自然(自己、自然、社会)に対象化し、〈社会的なもの〉(社会的意思・社会的自然・社会的連関(注5))を産出し、全自然との結合を意識的に拡大・深化する。
このように、人間は、労働によって、一方で、肉体的生存に制約された個別性であると同時に、他方で、全自然を対象にする普遍性であり、〈人間は、個別と普遍の統一である〉ということができる。これがひとまず@の小括である。
A疎外と自立化
ところが、自然に対立的に自立化した人間は、自然との統一に無関心に、自己の抽象的な個別性に固執する。それは、労働する人間を、〈自由に意思する〉という自由な人格として産出すると同時に、その対極において、人間の労働によって対象化された普遍性(社会的意思・社会的自然・社会的連関)を分離し自立化させる。さらに、自立化したものが主体化し、自立化・主体化した普遍性が、逆に、労働する人間を単なる個別性に引き下ろして、自己に従属させるようになる。
まさにこれは疎外である。神も国家も貨幣も、人間労働の疎外された普遍性が自立化・主体化したものに他ならない。
そして、貨幣は、労働を措定することで、資本という物象的主体として総体性となる。資本において疎外が完成する。
労働=生産を措定した資本は、商品関係という〈私的なもの〉でありながら、人間の労働過程という〈社会的なもの〉であるという矛盾した存在になる。
さらに、資本の下では、商品関係において、抽象的に自由な人格が根拠づけられているが、他方で、搾取関係において、自由な人格は否定され、階級闘争の根拠となる。階級対立は、人間労働の2つの契機が、物象化され人格化されて対立的に現れたものに他ならない。
Aの小括は、〈人間の個別と普遍が対立している〉である。
疎外の疎外=共産主義
こうして見ると、@で〈人間は個別と普遍の統一である〉とつかんだが、Aで〈人間の個別と普遍が対立している〉に直面した。悟性的思考では二律背反だが、概念的に把握すれば、@〈統一〉とA〈対立〉はともに現実の真相であり、〈対立と統一との矛盾論的な統一〉という〈本質的な矛盾〉を抱えるのが現実の人間の存在である。そして、〈本質的な矛盾〉を抱えているが故にその矛盾の過程的解決として、根源的には人間諸個人(疎外された労働)が産出主体であり、直接的には資本が産出主体となって、資本主義という社会システムを不断に発生させているのである。これが第一の結論。
しかしまた、この〈本質的な矛盾〉の中には@〈統一〉も存在している。つまり、@〈統一〉はまだ顕在化していないが、現在の社会システムの中に潜在している現実性である。@〈統一〉とは新しい社会システム、共産主義ないしアソシエーションである。
そして、A〈対立〉において、資本の矛盾(私的でありながら社会的)の故に、疎外された形態ではあるが、〈社会的なもの〉が産出されると同時に、〈社会的なもの〉が自己のものだと自覚する人格が陶冶され、〈社会的なもの〉を実践し協同する自由な諸個人の運動が産出されていく。
〈社会的なもの〉が自立化・主体化されるのを第一の疎外とすれば、〈疎外の完成〉をもって、〈私的なもの〉に対して〈社会的なもの〉が対立する第二の疎外が現れる。こうして〈疎外の疎外〉をもって、〈本質的な矛盾〉を止揚し、共産主義・アソシエーションが顕在化していく。これが第二の結論である。
「マルクス主義」
以上が、『国法論批判』『経哲』のエッセンスであり、『要綱』『資本論』に貫かれる内容である。ここでつかまれた方法論、疎外論・矛盾論、人間論・労働論、共産主義論こそ、マルクスの理論の原理である。
本稿では、「マルクス主義」とマルクスの理論の違いにこだわっているが、ここで得た結論は重要であると考える。つまり、前回見たように、「マルクス主義」が以上の方法と内容を「未熟」として切り捨ててきたわけだが、それは共産主義の原理の切り捨てであり、だとすれば、「マルクス主義」の破産は原理的に必定であったと言わざるを得ない。われわれもその追随者であった。
なお、階級闘争とエコロジーの対立ないし無媒介の折衷という問題を経験しているが、マルクスの把握に踏まえれば、階級闘争とエコロジーは〈一つの本質〉以外ではないだろう。(つづく)
(注1)本稿で言う「マルクス主義」とは、エンゲルスを始め、マルクスの後継者たちによって解説・整理された理論。マルクスの理論とは違う。
(注2)例えば『要綱』「序説」
(注3)〈正・反・合〉という弁証法の説明は誤り。
(注4)自然に対する人間の対立性は近代に始まった問題ではない。人類は約10万年前にアフリカを出て地球全体に広がっていくが、技術が発達する約5万年前から、人間の広がりに応じて、多くの大型動物種が絶滅に追いやられている。(D・クリスチャン『ビッグヒストリー入門』)
(注5)社会的労働の主観的・普遍的契機、社会的に媒介された生活手段と生産手段の体系、生産関係に組織化された諸個人
【参考文献】
見田石介 『見田石介著作集』1、3、4巻
有井行夫 『マルクスの社会システム理論』
服部健二 『歴史における自然の論理』
大谷禎之介『マルクスのアソシエーション論』