辺野古新基地
民意無視 工事再開に怒り
本部町 埋め立て土砂搬出を拒否
「国の強行に負けない」と呼びかける稲嶺進オール沖縄共同代表(11月3日 キャンプ・シュワブゲート前) |
10月30日、石井啓一国土交通相は、沖縄県の「埋め立て承認撤回」の執行停止を発表した。 県が8月31日に埋め立て承認を撤回したことで、防衛局は工事を進める法的根拠を失い、辺野古での作業は止まっていた。防衛省は対抗措置として、10月17日、国交相に対して行政不服審査法に基づく審査を請求し、併せて審査結果を待たずに撤回による工事停止の効力を失わせる執行停止を申し立てていた。
岩屋毅防衛相は工事について「準備が整い次第再開する」と作業を進める考えを示した。玉城デニー沖縄県知事は「国の姿勢は知事選で示された民意を踏みにじる行為であり到底認められない。短期間での判断はまさに結論ありきの裁定だ」と怒りをあらわにし、「国地方係争処理委員会への審査申し立てを軸に速やかに対応する」と述べ、国とたたかう姿勢を示した。オール沖縄会議は直ちに緊急抗議集会を開催。
法治国家を否定
県庁では、琉球大学の徳田博人教授や我部政明教授ら県内の研究者有志が記者会見を開き、「防衛局の行為は憲法の保障する民主的地方自治を踏みにじる暴挙」ときびしく批判する声明を発表した。
国の機関である防衛局が市民の権利救済を目的とする行政不服審査法を使って県の撤回処分をくつがえすことは制度の乱用であり、政府自ら法治国家を否定するものだ。
この日、午後2時、嘉手納町の沖縄防衛局前で市民200人が「県民の民意を尊重しろ」と怒りの声を上げた。共同代表の稲嶺進さんは「この国は本当に法治国家、民主主義、主権国家の国といえるのか。われわれの力を結集し、工事を必ず止める」と訴えた。
キャンプ・シュワブゲート前でも、座り込みの市民から「沖縄にたいしては何をやってもいいということか」と怒りの声が。山城博治沖縄平和運動センター議長は「政府は沖縄の民意を一顧だにしない。国策への反対を力で押さえつけている」と怒りの拳を突き上げた。
海上で抗議行動
11月1日、辺野古新基地建設の工事が再開された。早朝より、辺野古・大浦湾に海上保安庁の巡視船2隻が現れ、弾圧体制を整えた。程なく、海保のゴムボート20艇が海上に現れた。海上に簡易の浮桟橋が取り付けられ、フロート(浮具)が張り巡らされた。
海上行動隊は早朝より、抗議船3隻、カヌー16艇で抗議行動に。フロート設置の作業を阻止しようとカヌーをこぎだした。すると海上保安庁のゴムボートが取り囲み、カヌー隊を拘束した。これまでにも増して激しい弾圧だ。カヌー隊は何度も拘束されながらも終日たたかいぬいた。
シュワブゲート前でも100人が抗議行動。工事車両の搬入はなかった。埋め立て土砂は、海上からの搬入しかできない。これからは、拠点となる本部町塩川港での抗議行動が軸になる。
その塩川港の使用許可を防衛局は申請したが、本部町は「護岸6カ所の内、3カ所が台風による損傷で使えず、他の岸壁も既に使われているので、受け入れは難しい」と申請を拒否した。護岸の補修工事の開始は年明けになる見通しだ。沖縄本島では本部町塩川港のほか土砂搬入の港はなく、港が修復するまで土砂の搬入はできない。
3日、シュワブゲート前での第1土曜の県民大行動に1000人が参加。1日に国が工事を再開してから初の大行動に、雨にもかかわらず多くの市民が駆けつけ「民意を無視した工事強行は許せない」と怒りの声を上げた。オール沖縄会議共同代表の稲嶺進さんは「国の強行に絶対に負けずひるまず、最後の最後までがんばろう」と呼びかけた。(杉山)
安倍9条改憲を許すな
国会前に1万8千人 11月3日
立憲主義を踏みにじる安倍政権に抗し、国会前に集まった市民(11月3日) |
11月3日、国会前で、「止めよう! 改憲発議 この憲法で未来をつくる 11・3国会前大行動」がおこなわれ1万8千人が集まった。主催は、〈安倍9条改憲NO! 全国市民アクション〉と〈戦争させない・9条壊すな! 総がかり行動実行委員会〉。
「国の理想を書くのが憲法」と法概念(権力を縛るのが憲法)を捻じ曲げ、「改憲を議論する義務が国会議員にはある」と現憲法(99条)を無視する安倍首相。立憲主義も民主主義も平和主義も踏みにじる安倍首相。こんな安倍の下での改憲など考えることさえできない。発言者は口々に安倍の危険性を語った。3千万署名で世論を変えようと訴えが続いた。
また、辺野古新基地建設工事の再開を弾劾。沖縄からは、オール沖縄会議・共同代表の高里鈴代さんが、相手候補ではなく安倍との戦いだったと語った。
安倍の任期切れ3年を待つわけにはいかない、という思いを共有しながら集会を終えた。
伊方3号機 深夜に再稼働
危険なMOX燃料を使用 10月27日
伊方原発を見下ろす道路上で再稼働に抗議(10月27日) |
10月27日午前0時30分、四国電力は伊方原発3号機の再稼動を強行した。伊方原発3号機は危険極まりないMOX燃料を使ったプルサーマル運転である。27日に日付が変わった深夜に、闇にまぎれて、伊方原発3号機の再稼動を強行した四国電力を弾劾する。困難を打ち破って、地元や各地から集まった人々が夜を徹して、「再稼動反対、伊方原発を廃炉に」と声をあげ続けた。
夜が明け、午前8時から伊方原発ゲート前で、3号機の再稼動を弾劾し、抗議する集会がひらかれた。地元を先頭に、四国各県や、大分、広島、川内原発をたたかう鹿児島、関西などから100人近くが集まった。集会は、伊方原発をとめる会の司会で、地元の人々、四国各県から参加した人々、鹿児島、伊方原発対岸の広島、大分、関西、福島などから発言があった。
伊方原発反対闘争の象徴的存在である斉間淳子さんが発言。斉間さんは高齢のため、歩行が困難になっているものの元気に結集へのお礼を述べ、最後までたたかうと表明した。
負けていない
関西を代表して、〈若狭の原発を考える会〉木原壯林さんは、「私たちは負けていない。裁判闘争でも3・11以後は、福井地裁、大津地裁、広島高裁で勝訴している。54基あった原発のうち事故を起こした福島第一をはじめ20機が廃炉を決定している。私たちが、反原発の声をあげ続けることが、電力会社をして、いい加減な安全点検で済ますことを許さず、巨額の費用をかけざるを得なくなっている。日本の原発は運転開始以来40年を迎えようとしている。40年超えの老朽原発運転を許さなければ、近い将来原発はゼロになる。関西電力は来年秋にも、40年超の老朽原発=高浜1、2号機を全国のトップを切って動かそうとしている。高浜で止めれば、全国で延長運転を止めることができる。来年は正念場である。ありとあらゆるたたかいで、絶対に止める」と力強く発言した。
参加者が、伊方原発を見下ろす道路上から「再稼動反対、伊方原発廃炉」の声を上げ行動を終了した。
闇にまぎれて、伊方原発再稼動を強行した四電を絶対に許さないという思いと決意があふれた行動であった。来年は反原発闘争にとって正念場である。高浜1、2号機の40年超運転(1号機は来年11月で運転開始から45年)をなんとしても止めよう。(仰木 明)
2面
憲法25条を守り、活かそう
今こそ社会保障を拡充 10月25日 東京
社会保障を解体する安倍政権を弾劾(10月25日 都内) |
10月25日、東京・日比谷野外音楽堂で「憲法25条を守り、活かそう! 10・25中央行動」が開かれ、2800人が参加。主催は、「憲法25条を守り、活かそう」共同実行委員会。
この集会は、安倍政権の下で激しく進行する社会保障の大規模な削減に抗して、あらゆる分野・立場を超えて、憲法25条の空洞化をくいとめようと毎年開かれてきた。安倍政権は、「全世代型社会保障」の名の下、医療・介護・年金・生活保護などで次元を画する社会保障の削減・解体攻撃を準備している。
集会は、オープニングライブに続いて午後1時から始まった。主催者あいさつに立った生活保護問題対策全国会議代表幹事の尾藤廣喜弁護士は「2012年に成立した『社会保障改革推進法』と13年に成立した『社会保障改革プログラム法』があります。これらの法律はまさに、憲法25条の空洞化を図るものです」「安倍さんは、憲法9条に自衛隊を明記する改憲を実現したいとの声を強めています。しかし今、政府がおこなうべきことは、9条を変えることではなく、9条を守り、さらに憲法25条を実質化することではないでしょうか。防衛費の増額ではなく、社会保障費の増額ではないでしょうか。」「私たちは今こそ社会保障の権利を確立し、その充実を求めなければなりません」と一段の運動の強化を訴えた。
国会議員の連帯あいさつ、呼びかけ人あいさつに続いて、生活保護、年金、保育、「障害者」、介護保険、社会福祉法人の経営者団体、医療の各分野から、厳しい現実と社会保障拡充のためにたたかう決意が表明された。集会決議採択のあと、参加者は厚生労働省前に移動し、憲法25条をないがしろにする社会保障削減に抗議の声を上げた。
関生弾圧 空前の組合潰しに反撃を
12月8日 大阪で決起集会
全日建連帯労組関西地区生コン支部(以下、関生支部)への大弾圧が続いている。滋賀県警は今年7月以降、武建一委員長をはじめ組合員4人、生コン協同組合事業者6人を不当逮捕。さらに、大阪府警は9月18日に副委員長をはじめ16人を不当逮捕。10月9日にはその内5人を再逮捕し、新たに組合員3人を逮捕した。
昨年12月に実施した輸送ストライキや団体交渉など正当な労働組合活動にたいして、「威力業務妨害」、「強要未遂」、「恐喝未遂」をでっちあげ、この3カ月間で29人を逮捕するという大弾圧である。労働組合を壊滅に追いこむために関西一円の府県警が連携し、「組織犯罪対策課」を前面に立てた弾圧である。各府県警本部に指示を降ろしているのは警察庁である。まさに安倍政権が主導する空前の治安弾圧である。この関生支部弾圧を前後して、労働組合や市民団体の活動にたいして、警察が「詐欺」や「マネーロンダリング」をでっちあげて弾圧する手法が拡大している。警察権力は、来年の天皇代替わりや、6月に大阪で開催されるG20を前に、労働組合や市民団体に共謀罪の適用をねらっている。
この大弾圧に関西を中心に幅広い反撃が取り組まれてきた。9月22日の緊急集会の成功。「労働組合つぶしの大弾圧を許さない実行委員会」の結成。即座の警察への抗議と請願行動。毎週土曜日の滋賀県警大津署と大阪府警本部への連続抗議行動には多くの労働組合・市民団体が参加している。「これはわれわれ全体への弾圧だ」が合い言葉となって全国に波及し、沖縄の反基地闘争、反原発闘争、反戦、反貧困のたたかいと結合しはじめた。
関生支部弾圧で逮捕された23人(11月8日現在)のうち、19人を奪還した。追加弾圧を絶対許さず、残り4人を年内に奪還しよう。
12月8日、大阪市内で「労働組合つぶしの大弾圧に抗議する」集会が開かれる。ここまでの反弾圧闘争の経過を映像で報告し、被弾圧者と弁護団がこの間の事件の真相と警察のねらいを明らかにする。歌手の川口真由美さんも参加。地域・職場から参加を広げよう。
第1回公判開かれる
滋賀県警刑事部組織犯罪対策課による関生弾圧の第1回公判が、11月2日大津地裁でひらかれた。大動員の連帯ユニオン(全日建)や全港湾大阪支部、港合同、管理職ユニオン、関西合同労組など100人を超える支援が駆けつけた。全日建関生支部・武建一委員長はじめ4人の被弾圧者はそれぞれ勾留されている警察署から車で乗せられてきたが、支援者らが車を取り囲んで激励。4人はそれぞれ車中から手を振り、元気な様子。多数の支援者が傍聴を希望したが、先着順方式のために60席の法廷に警察官が17人も入るという異常事態となった。
公判後の総括集会(写真)で、永嶋靖久弁護士は、「今日は起訴状の読上げのみ。次回からこの起訴状の嘘を暴いていく。12月に3回公判がある。裁判官が(3人ではなく)1人だけなのは、そもそも事件と言えないような小さなもので、騒いでいるのはマスコミだけ。追起訴と言ってるが、本当かはわからない。身柄拘束が目的の嫌がらせとしか思えない。裁判の勝利と身柄の奪還に全力をあげる」と報告。全日建書記長の小山さんは、「これまでの関生弾圧と比べ今回は、多くの労働組合が支援に動いてくれている。この力でこの弾圧を粉砕する」と発言。参加者は、毎週土曜の大津署前抗議行動と次回12月7日公判への参加を確認した。
反弾圧・決起集会 第2弾
とき:12月8日(土)
午後6時開場 6時半開始
ところ:大阪市中央区民センターホール(地下鉄堺筋線・中央線堺筋本町下車)
主催:労働組合つぶしの大弾圧を許さない実行委員会
関生支部弾圧公判(大津地裁別館2階)
第2回公判:12月7日(金)午後2時半
第3回公判:12月21日(金)午前10時
第4回公判:12月26日(水)午前10時
輝け憲法 共生社会めざし 11月3日 関西各地で集会
【大阪】
3日、大阪市北区の扇町公園に1万2千人が集まって「輝け憲法! ともに生きる社会を!11・3おおさか総がかり集会」が開かれた。
各政党あいさつに続いて、大阪朝鮮第4初級学校の舞踊部が演舞。大阪朝鮮高級学校オモニ会等が発言した。その後、原発賠償関西訴訟原告団・弁護団からの発言、LGBT、森友問題からの発言があった。大阪市内で働く男性は、「LGBTの当事者はすでにみなさんとともに存在しています。国民主権、平和主義、基本的人権を尊重する日本国憲法の中でこそ私たちは生きられる。この憲法をともに守っていきましょう」と訴えた。
つづいて、沖縄平和運動センター議長の山城博治さんが発言。山城さんは「今、沖縄全県民と日本政府の総力をあげた闘いの局面に入ったように思う。負けるわけにはいかない」と訴え、会場から大きな拍手がわきおこった。埋め立て土砂搬出のための港の使用を地元の本部町が拒否していることが報告され、「港が動かなければ埋め立てはできない。玉城知事と共に日本政府とたたかうために体を張ってがんばりたい」と話した。(三船)
【京都】「生かそう憲法 守ろう9条 11・3憲法集会イン京都」が円山野外音楽堂で開かれ、2200人が参加した。
広渡清吾東京大学名誉教授の講演は、改憲問題をはじめとする安倍政権の問題点をきびしく批判するものとなった。広渡さんは、選挙で安倍政権への反対票が集中できるように、市民と野党の協力で統一候補を、しかも勝てる候補をつくらなければならないと強調した。集会後、京都市役所前までのデモ行進した。(多賀)
約束破りの米軍に抗議
地元集会に700人
京都府 京丹後市
4日、「米軍基地いらんちゃフェスタ・イン丹後2018」が京都府京丹後市でおこなわれ700人が参加した(写真)。事前におこなわれた米軍基地への抗議行動には200人が参加。
本集会で、米軍基地建設を憂う宇川有志の会・永井事務局長は、約束を守らない米軍をきびしく弾劾した。
今年4月に始まった二期工事では、いつまでも工事日程を公表しない。「やらない」と言っていた土日に工事をする。京丹後市の里道をかってに掘削する。ドクターヘリの飛行前にレーダーの停波をしない。7月27日には、電柱を折る交通事故を起こしたが、事情を一切公表しない。このように、米軍は日米地位協定をたてにとって、基地建設時の京都府や京丹後市との約束を破り続けている。米軍言いなりの防衛省は、市民をだましてばかりだ。
全国知事会が日米地位協定の改定を求める提言を全会一致で採択したことをあげ、東アジア情勢の変化のなかで、地元住民の運動と関西一円の市民運動が協力し、沖縄と連帯して、日米地位協定の改定と米軍基地の撤去を求めていかなければならない。
3面
〈寄稿〉オキナワと安倍9条改憲(下)
関西大学教授 高作正博
住民、市民運動こそ「主」
キャンプ・シュワブゲート前の玉城デニー現沖縄県知事(9月1日 名護市) |
(四)軍事の論理の突出と安倍壊憲
安倍政権が改憲をねらうのが、国会を含めた今後の情勢となる。私たちは、「軍事上の必要性」を口実にそれを突出させ、民主主義、法治主義、立憲主義が押し流されてしまう状況を見ている。そこまで強行しているのは、ある意味で沖縄県民が「新基地建設は、あくまでノー」を突きつけてきたからでもある。安倍政権は、強行するしかなかったという側面がある。そこに至る前は、お金をちらつかせ基地を、原発を受入れさせるという手法でやってきた。従わなければ、法律も改廃する。
例えば読谷村に通信基地、通称『象のオリ』があった。もともと沖縄の米軍基地は私有地を取り上げて造った。法律的には一定期限、強制的に契約させ「お金」を払う。それを繰り返してきた。ところが、その更新の手続きを大田知事(当時)が止め、期限が切れ、違法状態になった。その際、政府は法律を変え「期限が切れても適法」とした。抵抗する者には、法律も勝手に変えてしまう。それでも聞かなければ、憲法も無視する統治に至ろうとする。さらに「何がなんでも軍事の論理を進めよう」と、今度は憲法を変えてしまおう、そういう安倍政権の実態が浮かび上がってきている。
安倍政権がもくろむのは「自衛隊を明記する憲法改正」である。安倍首相は「従来の憲法解釈を変えるものではない。自衛隊違憲論争に終止符を打つ」と述べている。しかし、政府見解は従来から「自衛隊は合憲」である。それなら憲法の内容を「変えない」改憲をやる必要はない。それでもやるのは、理由がある。
「自衛隊を書き込むだけ」で、解釈は変わらないのか。結論的には、変わる。いまの自衛隊は従来の自衛隊と違い、安保法制により集団的自衛権行使まで可能になった自衛隊である。それが、憲法に書きこまれる。書き込まれない場合は、「安保法制は憲法違反ではないのか」という疑いがずっと残る。書き込まれたら「集団的自衛権を行使できる自衛隊」は合憲となる。憲法解釈は、間違いなく変わる。また9条1項2項に定められた制約である専守防衛、個別的自衛権、遠征攻撃できる戦略兵器は持たないと、政府自ら憲法解釈を行なってきた。それが攻撃型の自衛隊に変質する。従来1項2項でつくってきた解釈と、新しく入る自衛隊条項は矛盾することになる。矛盾したとき、どちらがとられるのか。法律学上は後法優位が原則、新しい法が優勢であり勝つことになる。(自衛隊の)9条1項2項による制約は無効になる。教科書なら法学入門のレベルであり、某首相は法学部ご出身。それがわかってないなら政治家失格。わかっているなら、国民を騙していることになり、やはり失格である。即刻やめてほしい。
したがって改憲は、「軍事の論理」の貫徹として出されてきている。この状況に対し、どう対峙するか。やはり、市民運動こそ「主」ではないか。沖縄の基地問題をめぐって見てみると、翁長さんや稲嶺さんが知事、市長になり、首長が反対することによって活気づいてきた、それは確かだ。
ところが例え政治が保守、基地建設推進派に取られていても、背後に住民の運動はずっと継続してきた。継続し、それが盛り上がってくると、政治は住民の意見を吸い上げ、政治課題として争点になっていく。それが沖縄に見る政治と住民運動の関係ではないか。やはり主となるのは住民、市民、市民運動であり、政治に反映し動かしていく。
そうして見ると、「翁長さんの意志、遺志を継ぐ」ということの大切さがわかる。重要なのは「知事が主」というのではなく、住民運動、反基地運動が主であり、政治にそれを反映させてきたことが大きな力になった。政治は、そこを頼りに「これが民意だ」という状態をつくっていく。翁長さんの場合、よく知られているように「イデオロギーではなくアイデンティティ」を言った。沖縄戦を経験した沖縄に対し、その後も日本政府は圧政を押し付け続けてきた。そのことへの憤りが、オール沖縄をつくってきた。
私たちが共有するのは、日本国憲法の持つ立ち位置、立憲主義、民主主義、人権保障、法治主義、地方自治など、これらは私たちにとってのアイデンティティである。憲法を壊し新基地をも押しつけようとする安倍政権は、憲法から外れていっている存在である。私たちに求められるのは、イデオロギー対立に追い込まれるのではなく、自らのアイデンティティを持って対峙していくことであろう。(おわり)
主張
日帝の植民地支配の違法性
韓国最高裁判決の核心
10月30日、韓国の最高裁(大法院)は韓国の強制徴用被害者4人が新日鉄住金を相手取って損害賠償を求めた裁判で、新日鉄住金側の上告を棄却し、1人当たり1億ウォン(約1千万円)の賠償を命じた二審判決が確定した。4人の原告のうち3人はすでに他界している。判決後、原告の李春植さん(94)は 「私を入れて4人なのに、1人で裁判を受けたことがとてもつらくて涙も出て、気分がよくありません。その人びとが気の毒で…。一緒に裁判を受けられなかったことがわびしくてなりません」と声をつまらせた。
1941年春、17歳だった李さんは、日本帝国主義が労働力徴発のために作った「勤労報国隊」に動員され日本に連れて行かれた。新日本製鉄(現新日鉄住金)釜石製鉄所で賃金も支払われずに劣悪な環境で働かされた。44年、太平洋戦争中には徴兵までされた。韓国最高裁は被害者らの損害賠償請求権は「未払い賃金や補償金を要求するものではなく、日本政府の違法な植民地支配および侵略戦争の遂行と直結した日本軍需会社の『反人道的不法行為』に対する『慰謝料請求権』」であると断じた。日韓基本条約で日本政府は韓国政府に3億ドルを供与したが、65年の日韓請求権協定の交渉において日本政府は植民地支配を違法と認めておらず、強制動員被害にたいする法的賠償も否定していた。そのためこの3億ドルに強制徴用慰謝料が含まれていたとは考えにくいと判断したのだ。
また03年、日本の最高裁で敗訴が確定した損害賠償訴訟を、韓国内で起こすことは不可能かについて、12年に韓国最高裁が下した判断は「そうではない」だった。その理由は「日本の判決は日本の植民地支配が合法だという前提のもと、日帝強占期(日本の植民地時代)当時の国家総動員法や国民徴用令などが有効と判断した。これは日帝強占期の強制動員自体を不法と見る大韓民国憲法の核心的価値と真っ向から衝突する」ものであるから、日本の裁判所の効力は認められないというものだ。この判断は今回の判決でも踏襲された。
明らかなように韓国最高裁判決の核心は、「戦前の日本帝国主義による侵略と植民地支配は合法的なものであり、正当なものであったとする日本政府の見解は断じて認められない」というものである。日本政府もマスコミもこの核心問題については一切触れていない。それどころか判決を「暴挙」であるとか、「国際法に基づく国際秩序への挑戦」(河野太郎外相)などと非難し、マスコミもこれに無批判に追随して反韓国キャンペーンを繰りひろげている。「過去の侵略と植民地支配は合法だ」と大合唱する日本社会の姿こそ、極めて異常であるといわねばならない。(汐崎恭介)
【定点観測】(10月16日〜29日)
安倍政権の改憲動向
10月後半から自民党の改憲に向けた動きが激しい。衆院憲法審査会幹事の入れ替え、臨時国会所信表明演説での改憲への言及。さらに全国の小選挙区への「推進本部」設置方針など、自民党執行部は改憲に向け背水の陣を敷いた。
10月16日 自民党は憲法「改正」に向け主要人事を固めた。衆院憲法審査会与党筆頭幹事に新藤義孝・元総務相(安倍支持の議員集団「創生・日本」の中心メンバー、極右思想の持ち主)を充てた。筆頭幹事は他党、野党との「調整役」となる。党改憲推進本部長は、首相側近の下村博文(元文科相)であり、他党との協議を重視してきたとされる中谷元・元衆院筆頭幹事は、党改憲推進本部長代行に変えられた。下村・党改憲推進本部長、新藤・衆院憲法審査会筆頭幹事という、安倍カラー濃厚な布陣での臨時国会となった。野党は「9条改憲へ突っ走る問答無用の配置」(長妻昭・立憲代表代行)、「改憲シフトがいっそう強まった」(小池晃・共産書記局長)と警戒する。
10月19日 自民党の衆院憲法審の新幹事が初会合を開き、臨時国会に自民党「改憲4項目」を憲法審に提示する段取りを確認した。
10月24日 安倍首相が衆参両院で所信表明。「政党が具体的な改憲案を示すことで国民の理解を深める努力を重ねていく」と、今国会中に衆参憲法審への自民案提示に意欲を示した。また「あるべき姿を決めるのは国民だ。議論を深め、国会議員の責任をともに果していく」と、国民投票に向け国会での改憲発議を促した。
10月26日 自民党は、「都道府県本部、全国289の衆院小選挙区支部すべてに憲法改正推進本部を置く」と発表し、年内設置を打ち出した。下村博文・本部長は「改憲への国民的な関心をしっかりつくっていく。丁寧な説明がまだ足りていない」と述べ、国会議員や候補者が先頭にたち選挙区で支持者を巻き込んで世論の盛り上げをねらう。都道府県連や選挙区支部の主催で自民党改憲案を学ぶ研修会、街頭演説などをきめ細かく行なう。改憲の気運をつくっていくため、民間団体との連絡会議設置なども促している。
10月29日 安倍首相は衆院本会議の代表質問で、9条に自衛隊を明記する改憲案について「国民のために命を賭して任務を遂行する隊員の正当性の明文化、明確化は国防の根幹にかかわる」と答えた。稲田朋美・自民副幹事長の「憲法改正は急務」という迎合質問に対し、「すべての隊員が誇りを持って任務をまっとうできる環境を整える」と答弁。
野党側は「憲法は首相の理想を実現する手段ではない。国民の生活を守るため国家権力を縛るもの」「縛られる側の中心にいる首相が先頭に立って旗を振るのは論外だ」(立憲、枝野代表)、「(自衛隊の任務や権限に変更が生じることはない、とする首相答弁は)ウソだ。自衛隊の範囲を大幅に拡大する改憲案だ」(国民、玉木代表)と政府の姿勢を批判した。
「沖縄県知事選を闘って(下)(青木守)」は次号に掲載します。
4面
「骨格提言」実現へ大フォーラム
しょうがい者を分けるな!
高見 元博
「骨格提言」の完全実現を求める10・30大フォーラム「私たち抜きに私たちのことを決めるな」が10月30日、東京日比谷野外音楽堂で約500人を集めて開かれました。去年に比しても参加人数は確実に増えています。関西からもかつてない大勢が参加しました。
オープニングアクトとして、自立ステーションつばさによる「差別解消レボリューション・ダンス」がおこなわれました。主催者あいさつを横山晃久実行委員長から。「国は骨格提言を無視して弱いものいじめばっかり。やまゆり園事件から2年半、ヘイトクライムや優生思想の問題がマスコミで取り上げられない。障害者権利条約や差別解消法ができ、私たちの武器に使えると思ったが、国はないがしろにして虐待やイジメは増えている。年金は減らされ、生活保護の基準額も減らされている。地域ではヘルパー不足が深刻化。重度障害者の地域生活ができなくなる。国が言う地域包括ケアシステム『わがごと・丸ごと』は安上がり『福祉』だ。国会の前で無期限の座り込みをおこない、国の責任を追及していきたい思いだ」
続いて連帯アピールです。〈障害者自立支援法訴訟の基本合意の完全実現をめざす会〉事務局長の太田修平さん。病棟転換型居住系施設について考える会の長谷川利夫さん。日本障害者協議会JDから常務理事の増田一世さん。〈介護保障を考える弁護士と障害者の会全国ネットワーク〉共同代表で弁護士の藤岡毅さん。反貧困ネットワーク代表世話人で弁護士の宇都宮健児さん。国会議員は、衆議院の高橋千鶴子さん、小宮山泰子さん、尾辻かな子さん、参議院の川田龍平さん、福島みずほさん、山本太郎さんらがあいさつ。
全国から発言
現場からのリレートークはこの運動の大きな広がりを示すものとなりました。「施設はダメ! 津久井やまゆり園事件を忘れない」と小田島栄一さん、石田義明さん、佐々木信行さんとピープルファースト(知的しょうがい者の全国組織)の皆さん。「強制不妊手術に謝罪と賠償を」裁判原告の北三郎さんとCILたすけっと事務局長、杉山裕信さん。リメンバー7・26神戸アクションから「〈不幸な子どもの生まれない運動〉は終わったのか」と石地かおるさん、「三田市監禁事件は終わっていない」と吉田明彦さん。神経筋疾患ネットワークからアピールと歌「19の軌跡」。「障害者65歳問題の解消を!」裁判原告の天海正克さん。「訪問介護の現場からの報告」を介護福祉士の伊藤みどりさん。「病名で支援を区切らないで」線維筋痛症友の会理事長の橋本裕子さん。「年金を病名で差別するな」1型糖尿病障害年金訴訟原告の西田えみこさん。在日障害者として「在日障害者などへの無年金は植民地支配の反省のなさの証明」と発言の年金制度の国籍条項を完全撤廃させる全国連絡会代表・李幸宏さん。「障害者が地域で生きることを壊されないために運動の輪を広げよう」全国公的介護保障要求者組合の木村英子さんと皆さん。「生きている喜びを感じあえる介助じゃなきゃツライ」かりん燈関東の鶴峰まや子さん。「生活保護を切り下げるな」生活保護受給当事者の川西浩之さん。「精神医療の全生活支配を許さない」精神障害者権利主張センター・絆の山本眞理さん。
集会アピール
最後に障害連の尾上裕亮さんから集会アピールがありました。 「今年8月、国のしょうがい者雇用率偽装が発覚した。70年代の『不幸な子どもの生まれない運動』が擁護されている。出生前診断を受け異常と判定された人の9割が中絶手術を受けている。兵庫県・三田市でおきたしょうがいしゃ監禁事件では再発防止策に専門家の関与が必要だと言う。本来、どうしたら家族介護でなく社会資源を使って本人が地域で暮らしていけるかを考えるべき。この1年、旧優生保護法のもとで強制不妊手術をされた人が相ついで裁判をおこした。旧優生保護法は96年に廃止されたが廃止以降も入所施設で不妊手術をさせられている。政府が断行している『わがごと・丸ごと』政策は、こども・しょうがい者・高齢者をまとめて公的責任ではなく自助・共助だと言って、手のかかるものや厄介者を一カ所に集める政策で、介護保険に統合するもの。『障害者総合福祉法の骨格に関する総合福祉部会の提言』(骨格提言)は人を線引きしない福祉施策を求め、一般市民としての権利を保障する福祉法を設計するように提言している。私たちは戦争反対の旗を強く振り、骨格提言を実現することを強く訴え提案し続ける。全国のしょうがい者、高齢者、介助労働者、市民とともにたたかう」
公園使用禁止を超えて
ヘイト許すな$V宿でデモ 10月21日
毎年恒例の新宿・新大久保地域を歩く「反差別・反排外主義デモ」。今年は、10月21日におこなわれた。これまで新宿西口の柏木公園を出発地にしていたが、今年は新宿東口の新宿アルタ前に出発地が「変更」された。柏木公園の使用が認められなかったためだ。これは単に出発地点の「変更」にとどまらない問題である。
今年の8月、新宿区はデモ出発地を新宿中央公園に限定するという方針を打ち出した。これにより柏木公園をはじめとする3つの公園が使えなくなった。理由は「デモによって商店街や近隣住民が迷惑しているから」という。住民から要望があったと言うが、どのような要望だったのかは明らかではない。「デモ迷惑論」を認めてしまったら、出発地点の規制だけではなく、やがてデモそのものが禁圧されることにつながる。そのため主催者の差別・排外主義に反対する連絡会は柏木公園を例年通り出発地点として認めるように折衝に力を注いだ。結果的には撤回させることはできなかったが、「デモ規制は断固として認めない」という強い抗議の姿勢は示せた。
デモ参加は85人。「ヘイトスピーチは許されないことを市民みんなの常識にしよう」、「地域から民族差別・人種差別をなくそう」と訴えながら、1時間半ほど歩いた。デモのコールは、68種類。反レイシズムはもちろん、朝鮮学校への差別反対、小池都知事批判、沖縄基地建設阻止、DHCテレビ弾劾、杉田水脈弾劾、安倍政権弾劾、公園規制反対、オリンピック反対と多岐に及んだ。
例年通り、1週間前には職安通りの商店街に事前告知のビラ入れを行ない、当日もデモと並走して通行人にビラを配布した。この行動は、「示威行為」であるとともに、地域や沿道の人びとへのアプローチの場である。
出発地点での連帯アピールは、「高校無償化」からの朝鮮学校排除に反対する連絡会、反天皇制運動連絡会、沖縄への偏見をあおる放送をゆるさない市民有志の3団体。高校無償化問題では、各地域の裁判で緊迫した攻防が続いている。今年の「明治150年」、来年の天皇代替わりから2020年のオリンピックにかけて、天皇制とたたかう陣形が求められている。沖縄差別をあおる「ニュース女子」は、MXテレビでは番組打ち切りに追い込むことができたが、地方局では放送が続いている。スポンサーのDHCへの追撃が必要だ。各分野で攻防が続く。
アメリカやヨーロッパでは、移民排斥運動やネオナチなどのレイシズムに対するたたかいが燃え広がっている。国内でも川崎を始め各地で、ヘイトを許さない大衆行動が果敢に繰り広げられている。「生きる権利に国境はない」を合言葉に、国境を超えた反レイシズムの連帯行動をひろげていこう。(三崎 薫)
(シネマ案内)
87年6月人びとはいかに生きたか
「1987、ある闘いの真実」
(監督:チャン・ジュナン)2017年、韓国映画
1987年1月、ひとりの大学生(ソウル大生・朴鍾哲)が警察の取り調べ中に拷問で死亡した。場所は南営洞・対共分室(北朝鮮のスパイや思想犯を取り締まる部署)。パク所長は脱北者で、ごりごりの反共(反北)主義者だ。その理由は映画のなかで語られる。この悪役がすごいのだ。
映画はフィクションだが、事実に基づいて作られている。87年1月から6月まで、映画はこの半年間の社会情況を描いている。登場人物は多彩で、対共分室内、警察内部での対立などが重層的に描かれる。だが、よく編集されており、登場人物に混乱はない。
ソウル地検公安部のチェ検事は法の支配を守ろうとする反骨的な人間だ。永登浦刑務所のハン看守は、裏で民主化運動を支える活動をしている。彼は権力情報を民主化運動指導部に伝えるために、めいのヨニにその伝達係をたのむ。ヨニは政治に無関心な女子大学生だ。しかし、彼女は叔父の逮捕や学友への弾圧を経験していくなかで、その不正義にたいして怒りを燃やしていく。
韓国カトリック教会は民主化運動の拠点だ。そこに潜伏する反体制活動家。マスコミは反権力、記者は弾圧にも屈せず権力とたたかう。映画はテンポよく、サスペンスタッチで展開していき、6月民衆蜂起のクライマックスに絞りあげられていく。6月9日、一人の大学生(延世大生・李韓烈)が催涙弾の直撃をうけて重体におちいる(7月5日に死亡)。李韓烈はヨニの親しい学友であった。ヨニはその記事を新聞で読み、断固として闘争に参加していく。彼女はバスの上にのぼり、シュプレヒコールをあげる。
民衆抗争のシーンでは、当時の実写映像が挿入されている。民主化闘争は学生だけではなく、労働者、市民に幅広く支持されていた。このたたかいの結果、大統領選挙が直接選挙に変わった。また、労働運動はかつてなく活性化していった。その30年後、文在寅大統領が誕生するのだ。
一方、日本ではどうだったのだろうか。当時、日本経済はバブルのなかにあった。87年4月には国鉄が分割民営化された。10月には、沖縄で知花昌一さんが「日の丸」を焼いている。われわれも三里塚・国鉄決戦をたたかった。
87年は、日本においても韓国とは違った意味で、一つの時代の転換点であった。国鉄分割民営化にたいして、国鉄労働者はたたかったが、全人民的規模にはならなかった。30年後、これが安倍政権の独裁を許すことにつながっている。
この映画は朴槿惠政権を打倒した「ろうそくデモ」(16年)のなかで作られた。(鹿田研三)
5面
寄稿 ―〈米騒動〉から100年 第1回(5回連載)
井戸端会議から全国100万人の内乱へ
日本史上最大の民衆蜂起から学ぶ
大庭 伸介
9万を超える軍隊が出動し各地で市街戦
まず米騒動とはどんなものであったのか、その概要を見てみよう。
1918年7月23日、富山県の女たちが米の県外移送を阻止する行動を起こした。これを皮切りに8月10日、京都と名古屋の二つの大都市に広がり、15日までに全国の主要都市で米価値下げを要求して民衆が一斉に蜂起した。参加者の多くは職人や半失業者であった。工場労働者は例外的に広島県の呉や京都府の舞鶴など騒動の中心を担ったところもあるが、むしろ賃上げ闘争で闘った。
青森・秋田・沖縄の3県を除く1道3府39県の500カ所以上の地点で、100万人に及ぶ(全人口5473万9000人)の民衆が実力行動を展開したのである。
政府は警察の力で取締まろうとしたが、逆に多くの警察署や派出所が襲われたので、軍隊を鎮圧に向かわせた。全国120カ所に9万人を超える兵隊が出動し、各地で市街戦が起きて30人の死者と多くの重傷者を出した。検挙者は2万5000人を超え、7776人が起訴され、2人が死刑に処せられた。
北海道から九州まで、ほとんど同一の罪名(騒擾罪)によって、ほぼ同時に、このように多くの人びとが裁判に付された事件は、日本史上空前絶後のことである。
この闘いによって明治維新以来の藩閥官僚政権が退陣に追い込まれ、初の政党内閣が誕生した。
戦争で米価が暴騰し民衆の生活が破綻
なぜ、このような大騒動がおきたのか。
1945年12月の農地改革まで、日本の農業は自らは耕作に従事しない寄生地主が農地の大半を所有していた。全農民の73%が実収の67%もの現物小作料を納めなければならなかった。そのため農民の生産意欲がそがれ、生産高は停滞していた。そのうえ工業の発達に伴って次三男や極貧層が都市に流出したので、農業生産量はむしろ低下していた。
一方、第一次世界大戦(1914〜18年)によって工業が飛躍的に発展して、人口の都市集中を加速させ、米の需要が急増した。そのため米価は上昇し、米は投機の対象になった。米商人や大地主は米を盛んに買い占め、売り惜しんだ。
主戦場のヨーロッパへの輸出が激増して諸物価が高騰し、第一次世界大戦の始まった1914年に比べ、米騒動のあった18年には2・3倍にもなった。庶民の収入がこれに追いつかず、生活は極度に悪化した。しかし大地主や資本家階級を支持基盤とする政府は、彼らの利益を守るため、外米輸入関税撤廃などの政策をとろうとしなかった。当時、選挙権は直接国税10円以上を納める25歳以上の男子にしか与えられていなくて、有権者は全人口の2%程度に過ぎなかった。
1918年に入って政府がシベリア侵略戦争の動きを見せると、米価は天井知らずの暴騰を示した。前年ロシアで革命が起きて、社会主義をめざす労働者国家が誕生した。イギリスなどの資本主義諸国は、ロシア国内の反革命勢力を後押しして軍事介入に乗り出した。
日本は東部シベリアを領有しようと、1月には居留民保護を口実にウラジオストクへ艦隊を派遣し、8月2日には諸外国に先んじてシベリア出兵を宣言した。
すでに国民の実収入は大戦前の70%に低下し、逆に米価は4倍になっていたが、シベリア侵略戦争はこれに追い打ちをかけた。例えば大阪では8月1日に1升(約1・8リットル)39銭5厘だったものが、12日には56銭にまで跳ね上がった。庶民の生活費の大半は食費が占め、米食がほとんどであったので、米価の暴騰は耐えがたいものであった。下層階級は1日3食を2食に減らし、鍋や釜まで質に入れる始末であった。
ときの内閣は初代朝鮮総督を務め武断政治をほしいままにした寺内元帥が率いる軍部と植民地官僚による挙国一致内閣であった。彼らは庶民の生活など全く顧みなかった。
戦争でボロもうけした成金がのさばる一方、貧富の差は増すばかりで世の中に不満があふれた。大正デモクラシーと呼ばれる自由を求める風潮が芽生え、新聞はこぞって寺内内閣の非立憲的姿勢と米価対策の無策を批判した。
女の港湾労働者が闘いの狼煙を上げた
米騒動はどのようにして始まったのか。
米どころの富山県では、北海道や東京などに米を移出していたが、1878年以降何回も米騒動が発生している。いずれも凶作によるものであった。しかし今回は前述したとおり、日本資本主義の構造的矛盾に起因していた。
富山湾の東の漁師町では、男たちは半年間ほどサハリンなどの北洋漁業に出かけていた。この年は極度の不漁で仕送りが途絶え、帰りの旅費を町役場に依頼する有様であった。留守を預かる女たちは大勢の子どもを抱えて、明日はどう暮らしを立てたらよいかと毎晩泣きあかしていた。
こうしたなかで6月初め、下新川郡東水橋町(現富山市)の女たち20数人が米商人に米の県外移送を止めるよう哀願に行った。この行為は付近一帯の漁師町に広がっていった。「みんな、行かんしゃんか」と声を掛け合って一緒に行動した。そこには人と人とのつながりがあり、コミュニティーがあった。
彼女たちの多くは専業主婦ではなく「陸仲仕」だった。陸仲仕とは米倉から艀(本船に荷物を積み降ろす小舟)まで、120キロの米俵を背負い、水に足を漬けて数百メートルも歩いて運ぶ仕事である。その重さで背中の皮がむけて一晩中ヒリヒリ痛かったという。
この地方の漁師は「一升めし」と言って、一升の米を炊いた弁当に塩をかけたり梅干しを口に入れて働いた。陸仲仕の女たちも7〜8合の飯を平らげ重労働に耐えていた。米価の暴騰は彼女たちにとって「生きるか、死ぬか」の問題であったのである。
中新川郡魚津町(現魚津市)の女たちは共同井戸の周りに集まって、この窮状をどうやって切り抜けるか相談を重ねた。話し合いがまとまった翌7月23日の朝8時ごろ、浜に60人ほどの一隊が集まって、米を他県に移出するのを阻止する行動に出た。
沖合に停泊する蒸気船に米を積み込もうとする男の沖仲仕の腰にしがみつき、「あんたらが米を出すから高くなる」と、泣きわめき、ののしり、ある者は丸太を抱えて艀の下にもぐり込んで抵抗した。彼女たちの必死の抵抗にたじろいだ男たちは積み込みをあきらめた。
女たちは東京などへ米を運ぶ列車や馬車から、米を降ろさせて輸送を中止させた。
他の一隊は陸仲仕の何倍もの一般主婦と一緒に、ムシロ旗を立てて米屋や大地主宅に向かい、米を他県に移送しないことと、この地の者に安く売るよう迫った。地域全体が沸きかえるような騒ぎになって、制止に向かった警察官も近付けない勢いになった。その行動は富山湾沿いの東部一帯に広がっていった。
その結果、各町はそれぞれの方法で米の安売りなどの対策を講じた。
富山の女たちの行動を8月5日付の『大阪朝日新聞』と『大阪毎日新聞』が全国に伝えた。騒動は瞬く間に燃え広がった。つぎに最も激しく闘われたいくつかの地方の動きを紹介しよう。(つづく)
目次
第1回 井戸端会議から全国100万人の内乱へ
第2回 死を覚悟して軍隊の鎮圧に抗する人びと
第3回 内閣を打倒した歴史的な大勝利
第4回 民衆の力で冬の時代≠ノ終止符を打つ
最終回 怒りを行動に組織した地域社会の連帯
6面
純粋な心 確固たる信念
山本善偉さんを偲ぶ会 11月3日
さん(7月22日) |
この夏、97歳で亡くなった山本善偉さん(新空港反対東灘区住民の会代表、三里塚関西実行委員会世話人)を偲ぶ会が開かれた(11月3日 神戸市内 写真)。
山本善偉さんは1943年11月、兵庫県出陣学徒壮行会で総代として答辞を読んだ。「ぼくは何も考えずに、時代のままに読んだ」という青年であった。戦後、関西学院の教員となりアメリカへ留学。アジアからの留学生交流会でフィリピンの学生から、父親が目の前で日本兵に惨殺されたと知らされる。何も知らなかった自分自身を悔い「目から鱗が」と。その後、三里塚、反戦・反差別などの運動に加わっていく。
東灘区住民の会・白石裕さんが主催者あいさつ、「71年にお会いしてから、ずっとともに歩んできた。人権、差別の問題、戦争に関わったことへの慙愧の念。それらに実にまじめに向かい合ってこられた。戦争のための空港に反対する。淡路、泉州、三里塚、沖縄へと。ぼくは、これをやらなきゃならないんだ。戦争をさせてはならないんだ、当たり前のわがたたかいなんだ。そういう先生のたたかいを、私は引き継ぎたい」と述べた。
遺族を代表し、二男の山本幸造さんは「兄の善造が2月に70歳でなくなった。父にとって本当にショックだったんだなと感じた。カウンセリングを学んだ経験からか、人の話を聞く大切さを父は語っていた。みんなから愛され、みんなを愛した。どんどん過激なほうへ向かう父に、母は成田へ行くのをやめてと何度も言う。運動と母とどちらをとるか。父は、うーん、そうやな、と考え込み、母にがまんしてもらう、と。90歳で父が逮捕されたときは、思わず笑ってしまった。みんなとともに、という父だったと思う。尊敬できる、大好きな父でした」と話した。
三里塚関西実行委員会代表の永井満さんが、「山本先生と出会ったのは1974年。淡路島・関西に空港をつくる話が持ち上がり、しばらくたった頃。私たちの原点であり、以来ともに歩み続けてきた。これからも、ともに三里塚をたたかっていく」と、献杯を発声した。教え子、三里塚空港反対同盟の萩原富夫さん、市東孝雄さん、沖縄から安次富浩さん、部落解放同盟全国連・中田潔さん。東灘区住民の会・白石治美さん、多くの仲間、知己が在りし日を語った。山本先生が大好きだった、シンガー・ソングライターおおまき・ちまきさんが歌い、その声は天国に届いたことだろう。東灘区住民の会、関実事務局の松原康彦さんが「74年9月、関空説明会を実力でとめた。相手の言うことも聞かなければと言っていた先生が、いっしょに大声で抗議していたのに驚いた」と思い出を話し、参加者にお礼を述べた。
山本先生は本当に純粋な心と確固たる信念を持ち、分け隔てなく友人として接してきた真実の人だった。だれもが山本先生を親しみを持って語り、共感し頷いた。(安芸一夫)
読者の声
日米市民で「慰安婦」問題解決へ
兵庫県 村野 良子
10月23日、大阪市内で、サンフランシスコ市を訪問した日本軍「慰安婦」問題・関西ネットのメンバーの報告会が開かれました。
9月21日、関西空港から出発し、3泊5日の強行軍でサ市へ。初日は、ジェーン・キム議員と面談。市議会とロンドン・ブリー市長に宛てた要請書を手渡しました。
22日は、「慰安婦」メモリアル碑「力の柱」の1周年記念式典。これはチャイニーズ、フィリピーナ、コリアンの3人の少女を下から金学順ハルモニが見守っている像です。
関西ネットは、サ市議会から「栄誉賞」を、CWJC(慰安婦正義連盟)から「感謝状」を授与されました。昼からのパレードには300人近くが参加。リズミカルなコールで大いに盛り上がりました。その後、アメリカ各地のアジア系活動家40人ほどで懇親会。23日は、日本語圏の活動家の懇談会が開かれ、日系メンバーも「慰安婦」問題に取り組んでいるとのこと。
サ市の碑をめぐって、60年にわたる姉妹都市関係を解消しようとする吉村大阪市長に抗議して、関西ネットは行動を重ねてきました。橋下前市長は、12年、「強制連行の証拠があるなら出せ」と言い、13年には「兵士に『慰安婦』は必要」と発言して全世界に恥をさらしました。サ市議会は、橋下市長の公式訪問を拒否しました。関西ネットは、橋下前市長の数々の暴言にも抗議してきました。
サ市議会と急死されたリー市長は、橋下市長にたいして、発言の撤回と被害女性への謝罪を求める決議を全会一致で採択しました。また、公聴会で証言した李容洙ハルモニを「うそつき」呼ばわりした日本の右翼に対し、カンボス市議は、日本語で「恥を知れ」と4回繰り返しました。
橋下前市長の意志を継いだ吉村市長は、碑の公認化に反対しただけでなく、大阪市議会で3度も否決されたにもかかわらず、60年も続いた姉妹都市関係を一市長の権限で解消しました。この暴挙にブリード市長は、「1人の市長が60年もの結びつきを一方的に終わらせることはできない」と抗議しています。
関西ネットがサ市議会を訪問する前、日本の領事が市会議員を一人一人訪ねて、「大阪から来る団体に会うな」と脅しをかけていたそうです。
今回の訪問で、サ市の活動家たちと今後も「慰安婦」問題の解決に向けて共に歩むことを確認し、互いに深い絆を結ぶことができたと話していました。
読者の声)
前川喜平さんが語る憲法そして教育
大阪府 入田 友子
講演する前川喜平さん |
前文科省事務次官の前川喜平さんの講演会が、10月27日、尼崎市内でありました。前川さんの講演はユーモアに富んでいてわかりやすく、いつも元気になります。今回の講演では、「モリカケ」問題について多くは語られませんでしたが、事実を挙げて「首相の意向が働いていることははっきりしている」と断言されました。安倍政権下では官邸が文科省をはじめとするすべての省庁の人事権を支配し、各省庁が官邸の下請になっていることやメディアや教育が権力の支配を受け、危うくなっていることを指摘しました。
憲法と教育は互いに支え合う関係です。憲法の理想の実現は教育でおこなわれます。憲法13条では、すべての国民は個人として尊重され、自由と幸福を追求する権利を、26条では教育を受ける権利(学習権)をうたっています。今、個人の尊厳が軽んじられ、道徳教育などをとおして、公共のため、国のためという国家主義的な考えを教育で植え付けられようとしています。 そういう中で、落ちこぼれたり、不登校になったりする子どもたちが増えており、夜間中学に入って学び直す人が多くなっているそうです。しかし夜間中学は現在、全国で25校しかありません。希望するすべての人に学習権を保障するためには、各地の自治体の責任で夜間中学をつくるべきだと話されました。
前川さんは現在2つの夜間中学を支援するボランティア活動をしているとのことです。教育の価値、大切さを知っている前川さんの話にはとても共感しました。とくに印象に残ったのは人権です。人権ってふだんは当たり前と思って、きちんと向きあうことがありませんでした。これからは民主主義の根幹である基本的人権や個人として尊重される権利が守られているのかどうかという視点に立って安倍政権と対決していきたいと思います。
(読者の声)
外部電源喪失した泊原発
広島県 田島 宏
9月6日未明、最大震度7の北海道胆振東部地震が起こり、広い範囲で山や土砂が崩れ、地盤沈下や家屋倒壊など深刻な被害が発生した。
地震により、離島を除く北電管内全域が停電。北海道西部の泊原発は外部電源喪失という、原子力発電所として極めて深刻な緊急事態になる状況が生じた。泊原発付近は震度2だったが、北海道全域が停電したことにより6日午前3時25分頃に外部電源を全て喪失した。1〜3号機は運転停止中、プールには使用済み核燃料が計1527体あり、非常用発電機6台で冷却を続けた。発電機の稼働可能時間は約1週間であった。原子炉が運転中であったら、非常用電源は1日持つかどうかという危機だった。
東日本大震災での福島核災害は、地震・津波による外部電源喪失が引き金になった。泊原発で、再び核災害が起きるのではと、多くの人々が恐怖を感じる事態になった。運よく非常用ディーゼル発電機が起動し、その日のうちに外部電源も回復し最悪の事態は危機一髪で避けられた。
地震発生直後から「泊原発が運転していれば停電は起こらなかった。今からでもすぐに運転しろ」などという声がネット上で飛び交った。なかには投稿をそのままリツイートしたため、「柏原発」なるものまで登場した。昨今は「活字」ではないから誤植ではない。変換ミスでもなく、「かしわ」と入力したのだろう。再び原発の危険が注目されたとき、泊原発を柏原発と書くような人たちが「原発推進」と誤った情報を発信する。
その地震から2週間後の9月25日、「阿蘇噴火による危険は、伊方にも及ぶ。立地不適」という17年12月広島高裁(野々上裁判長)決定を、同じ広島高裁が覆した。しかし、伊方3号機再稼働差止めを求める訴訟は広島、山口、大分、愛媛と、伊方原発を包囲している。近年「想定外」という災害が多発の日本列島。あらためて「原発再稼働」を問いたい。
(短信)
●福一構内、汚染車両1000台 整備会社男性が過労死
東電福島第一原発構内で車両整備を担当していた男性(57)が、昨年10月勤務中に倒れ死亡していた。長時間労働による過労が原因と労基署が労災認定した。亡くなる直前1カ月の残業は約122時間。男性は福島県内の自動車整備会社に勤務、12年3月から原発構内で使う車両の整備を担当。福島第1原発では、事故で汚染され構外に出せなくなった車両が1000台以上発生し、東電は今年9月までに点検を終了する計画だった。(11月5日)