未来・第256号


            未来第256号目次(2018年10月18日発行)

 1面  新基地阻止 決意新たに
     玉城さん「政府は民意に向き合え」

     市東さん農地裁判
     請求異議裁判が結審
     強制執行は許されない

     介護保険
     度重なる改悪で激変
     9月28日 総がかり行動でフォーラム

 2面  「沖縄の未来は自らの力で」
     稲嶺進さんが奈良市で講演
     10月7日

     沖縄県知事選を闘って(上)青木 守
     官邸主導のステルス作戦”

     知事選勝利に歓喜の声
     10・6ロックアクション 大阪

     (短信)
     米軍ヘリ炎上から1年 高江で騒音被害増

 3面   〈寄稿〉
     オキナワと安倍9条改憲(上)関西大学教授 高作正博
     拡大する新しい民主主義”      

     明仁”賛美は運動側の退廃
     横田耕一さん大阪で講演
     9月27日     

 4面  市東孝雄さんの最終意見陳述(全文)
     農地は私の命 私の人生

     9・28これからの介護保険を考えるフォーラム行動提起

 5面  伊方3号機の運転差止裁判
     広島高裁が差止め≠取消し

     安倍政権の改憲動向 【定点観測】(9月3日〜10月4日)
     国民投票射程に改憲シフト


     投稿
     iWAi争議、307日の籠城スト
     “現場はオレたちが仕切っている”

 6面  日本軍「慰安婦」
     真実を明らかにすること
     韓国から研究者招き集会

     米軍Xバンドレーダー基地
     停波問題で申し入れ 京都

     (シネマ案内)
     教員を偽装、住民を工作、虐殺
     ドキュメント映画『沖縄スパイ戦史』(監督:三上智恵 大矢英代)

       

新基地阻止 決意新たに
玉城さん「政府は民意に向き合え」

「埋め立て土砂の搬出を許さない」本部町でおこなわれた県民大行動(6日)

デニーさん辺野古へ

10月3日 午後4時、知事就任を前に玉城デニーさんはキャンプ・シュワブゲート前を訪れ、座り込みの市民に感謝の意を表した。玉城さんは「知事選で示された辺野古に新基地は造らせないという民意に、今こそアメリカも日本政府も向き合うよう呼びかける」と述べ新基地建設阻止の決意を新たにした。
4日 玉城デニーさんが知事に就任し、県庁に登庁。職員や市民から大きな拍手が。就任会見で玉城知事は「翁長知事の遺志を引き継ぎ、誇りある、豊かな沖縄を実現していく。普天間飛行場の1日も早い閉鎖と返還、辺野古新基地建設の阻止に全身全霊で取り組む」と決意を示した。

本部町で大行動

6日 毎月第1土曜日の辺野古ゲート前県民大行動。この日は新基地建設に用いる土砂が搬出される本部町の町民センターで開かれ、400人が参加。玉城知事就任後、初めての開催とあって会場は笑顔であふれた。
集会は「座り込めここへ」の大合唱で始まった。共同代表の稲嶺進さんは「一人一人の顔が輝いている」「大浦湾に浮き具(フロート)がなくなり、静かできれいな大浦湾が戻ってきた。もう二度と醜い姿は見たくない」と。ヘリ基地反対協共同代表の安次富浩さんは「政府は法的な対応措置をとるだろうが、団結して立ち向かおう」と呼びかけた。
本部町島ぐるみ会議が、これまでの海上搬出の状況を説明した。「今、土砂搬入の動きはないが、今後のたたかいの場は本部港塩川に移る」と力を込めた。
最後に県知事選を先頭でたたかった若者が「玉城知事をしっかり支えていこう」と決意を述べると会場は割れんばかりの拍手。参加者は新知事と共に新基地建設を阻止していくことを誓った。
9日 午後2時、那覇市の県立武道館で翁長雄志前知事の県民葬がおこなわれた。沖縄の県民葬は、屋良朝苗元知事、西銘順治元知事、大田昌秀元知事に続いて4人目。会場に入れなかった人も含め、3000人の参列者は、翁長前知事の霊前に「遺志を受け継ぐ」と誓った。(杉山)

市東さん農地裁判
請求異議裁判が結審
強制執行は許されない

「耕すものに権利あり」千葉地裁前で横断幕をひろげる三里塚芝山連合空港反対同盟のみなさん(9月27日)

市東さんの農地取り上げを是とした最高裁決定を事実上覆すための「請求異議裁判」が9月27日、千葉地裁(高瀬裁判長)での弁護側最終弁論をもって結審した。判決日は12月20日と決定した。
この日、裁判に先立って千葉中央公園での集会・市内デモ、そして千葉地裁への最後の署名提出(総計18466筆)がおこなわれた。
午後2時に始まった裁判では、最初に市東孝雄さんが最終意見陳述。農業にかける思いとこの地にとどまり農地を耕し続ける決意を述べた(4面に掲載)。前回に続きそれぞれの専門的立場から補佐人の内藤光博さん(憲法学)、石原健二さん(農業経済学)が意見陳述。「強制執行は絶対に許されない」と述べた。
そして弁護団全員から昨年3月に始まった裁判で積み上げてきた弁論をまとめる形で、230頁に及ぶ弁論が展開された。弁論は予定時間をこえて午後6時まで続き、空港会社の農地の取り上げと強制執行は許されないと締めくくった。裁判当初からまともな弁論や反証をおこなわず、不誠実さの際立ったNAA(空港会社)代理人は、この日も同様の態度であった。9回に及んだ裁判の内容に真摯に向き合えば、「強制執行不許可」の判決以外ありえない。高瀬裁判長は、NAAの執行請求を不許可とせよ。12月20日、千葉地裁に結集しよう。(野里 豊)

介護保険
度重なる改悪で激変
9月28日 総がかり行動でフォーラム

介護保険制度が発足した2000年。当時この制度に反対するたたかいが広範に繰り広げられた。それは日本資本主義の新自由主義政策への転換めぐる攻防の一つであった。公的福祉を保険制度に変えて民営化することは、福祉の切り捨てであり、保険料の天引き徴収は新たな増税と各地で反対の声がわき起こった。
一方で新たな制度の発足は、介護が家庭における女性の無償労働として押し付けられている現状から「介護の社会化」を進めるものとして評価する動きもあった。そうした中で介護保険制度は賛否両論に妥協しながら発足したといえるだろう。
しかし5回の法律改正と6回の報酬改定は介護保険を変質させてきた。「保険料アップあって介護なし」という状況が進行している。介護保険の制度設計にたずさわった厚生省の官僚でさえ、この間の改悪は「国家的詐欺だ」というほどだ。
こうした状況にたいして、一昨年から関西を中心に活動を続けてきた「介護・福祉総がかり行動」は9月28日大阪市内で「これからの介護保険を考えるフォーラム―わがまち介護保険が激変!」を開催した。予想を上回る参加者で会場は満杯となった。

社会保障を破壊

集会では服部万里子さん(日本ケアマネジメント学会副理事長)による特別講演がおこなわれた。テーマは「介護保険改定―自立支援介護の問題点とこれから介護」。服部さんは、@介護保険法・制度改正経過と地域包括ケア、A市町村の保険者機能強化がもたらすもの、B自立支援介護の問題点、C一億総活躍社会〜共生型社会が目指す戦後福祉の転換の4項目にわたって問題を提起した。
「介護保険が赤字(実は黒字会計)」「高齢化社会」という理由で、保険料の値上げが続いてきた。介護保険料の基準額は全国平均で5869円。大阪市は事実上の全国トップで、月平均7927円になる。自己負担も3割だ。国や保険者(自治体)からの事業者へ支払われる介護報酬が「上限設定」によって削減され、それが原因となって介護労働者に低賃金を強いている。「地域包括ケアシステム」の名のもとに、医療(障がい者福祉)と介護を統括して、病者を病院から追い出して介護に追いやっている。「予防―自立」という名目で介護を切り捨てていくという政府・厚労省のねらいが明らかにされた。2040年頃をめどに「全世代型の社会保障」と銘打ちながら、「すべての国民は、健康で文化的な最低限の生活を営む権利を有する」(憲法25条)という社会保障の理念と制度がなきものされようとしているのである。

介護切捨てとの闘い

講演の後、大阪市西成区の施設で働くホームヘルパー、大阪市の介護認定審査会委員、大阪府大東市の市会議員から報告と討論がおこなわれた。
「認知症の利用者に食事や掃除、洗濯、買い物を1日1回、1時間ではできない」、「認定審査会が30分でおわり形骸化し危険性を感じている」、「大東では要支援2から卒業が強制された糖尿病者が要介護5に悪化した。6カ月に1回しか風呂に入れなかった」など生々しい介護現場の実態が明らかにされた。
「私たちの仕事をもっと理解してください。利用者さんが在宅生活を安心して継続できよう」とヘルパー労働者の訴えは参加者の胸に響いた。最後に行動提起(4面に掲載)がおこなわれ、集会を終了した。(森川数馬)

2面

「沖縄の未来は自らの力で」
稲嶺進さんが奈良市で講演
10月7日

「第12回奈良からつながる市民の集い」が、10月7日に奈良市内でおこなわれた。主催は、奈良―沖縄連帯委員会、沖縄の高江・辺野古につながる奈良の会、特定非営利活動法人・市民ひろばなら小草の3団体。沖縄県知事選挙での玉城デニーさん勝利から1週間後のこの日、前名護市長の稲嶺進さんが「沖縄の未来を語る」というテーマで講演した。(以下、稲嶺さんの講演要旨)

将来に基地を残さない

名護市長選挙において、政治争点隠し選挙、中央からの利益誘導で業者を組織することで民衆を投票に動員するなど、国は汚いやり方で名護市に襲いかかってきた。今回も同じやり方だった。私は、こんなことは何回も通用するものではないと思っていたが、そのとおりになってよかった。今回も、県外からたくさんの人が応援にきてくれた。辻立ちの応援では「地元の人ではない」という県民の反発もあることを考慮して、裏方に回ってもらった。また、政党色も出さないようにしてもらった。
県知事選挙での期日前投票は40%もあったが、ここでもデニーさんに入れた人が多かった。このことがあって、開票開始2〜3分で「当選確実」が出る結果となった。
翁長知事は、事あるごとに「沖縄の心を大切にする」と言ってきた。今回の県知事選挙では、この翁長精神を引き継いだデニーさんの訴えが県民の共感をえたのだと思う。
沖縄の新聞は、玉城デニー当選を2面ぶち抜き4面を使って報道した。沖縄県民は選挙で自らの意志を示した。沖縄の未来は自分たち民衆の力で作り出すことの意志を示した。
いっぽう、官邸はいつも「結果がすべて」と言っているくせに、今回は言わない。今後も、「辺野古が唯一」という方針は変わらないだろう。国のやり方は一貫して沖縄の民意を無視しているのだ。
選挙では基地か経済かという二項対立で議論されるが、これは互いにリンクしている問題だ。ぶらさがるニンジンにすがり、基地を受け入れるのか。沖縄の自治は、将来に基地を残さないように考えていくべきだ。
沖縄の未来はどのようにして作られるか。なによりも、沖縄の受けている構造的差別をなくすことだろう。安倍首相が「どこも引き受けるところがないから沖縄につくる」と言っているように、国は沖縄を〈領土としての沖縄〉としか見ていない。沖縄は、せめて全国の47分の1であってもらいたい。沖縄も同胞であるという共通の認識にたたなければ、この構造的差別の問題は解決しない。
沖縄は今まで「県外移設」を言ってこなかった。「自分たちがいらないものを県外に移せ」とは言えないからだ。アメリカの基地はアメリカに作ればよい。鳩山さんが「最低でも県外」と言った頃から、「そろそろ言ってもいいのかな」と、沖縄でも「県外移設」を言うようになった。
今の状態では沖縄は独立したほうがいいと思うが、同じ列島に住む仲間として、平和憲法のもとに幸福追求権を求めていきたい。沖縄を孤立させずにともに歩んでもらいたい。

沖縄県知事選を闘って(上)青木 守
官邸主導のステルス作戦”

今回の沖縄知事選挙は、「翁長知事の遺志を受け継ぎ、自立と共生、誇りある豊かな沖縄をめざす」「政府に頼らずアジアのダイナミズムを取り入れた自立型経済を確立し、新時代の沖縄を作る」「誰一人取り残さない社会を実現する」と訴え続けた玉城デニーさんが、過去知事選最高の39万票余りを獲得し、安倍政権の全面支援を受けた佐喜真候補に8万票余りの大差をつけて勝利した。
脅しと甘言、デマと中傷、脱法・違法スレスレの行為の数々に加え、政権幹部の何回もの沖縄入り、さらに公明党の山口代表、創価学会の原田会長らの沖縄入り、本土から学会員3000人を動員など、安倍政権は命運をかけて佐喜真候補を応援した。その物量作戦の凄まじさは、デニーさんが「象と蟻のたたかい」と言うほどだった。しかし、沖縄県民はその重圧をはねのけ、再び三度「辺野古新基地建設ノー」を政権に突きつけた。

連帯のメッセージ

 それは、本土の我々に対しても「安倍政権打倒と改憲攻撃を打ち砕け」という限りない連帯のメッセージとなっている。翁長知事は7月27日に辺野古埋め立て承認撤回を表明した。最期の力を振り絞るように記者会見に臨み、記者への質問にもよどみなく答えたが、体調は酷く、会見を終えて帰宅したあと家で「15メートル歩くのに休み休み20分程もかかった」(樹子夫人の話)という。翁長さんは会見の4日後に再入院、8月8日に帰らぬ人となった。7月27日の会見について樹子夫人は、「国が、県の一般職員にも損害賠償を求めるという情報があり、職員をそんな目に遭わせることが耐えられなかったのでしょう」と述べている。まさに「命を削って」反対を貫いた。
8月17日から土砂投入を公表していた政府は「土砂投入を知事選後まで見合わせるから、撤回表明は止めてくれ」と画策したが、遺志を受け継いだ謝花喜一郎副知事によって8月31日に撤回はおこなわれた。
翁長氏の急逝を受け、選挙は当初の11月から9月に前倒しとなり、8月中旬には9月30日の投開票が確定した。「オール沖縄」の旗頭喪失の衝撃は余りに大きく、翁長氏再選で動いていた陣営では後継者選びは難航し続けた。翁長さんの遺言テープの存在でようやく決着を見た。
翁長陣営の混迷を尻目に、政権側は早くから佐喜真淳・宜野湾市長を候補者と決め、前倒しもあり得ると着々と準備を進めていた。佐喜真候補は「日本会議」のメンバーで、政府側首長でつくる「チーム沖縄」のリーダーである。「負け知らずの候補」とも言われたホープで政権側の切り札だった。

政府が対立持ち込む

選挙スローガンは「対立より対話へ」。しかし、対立を持ち込んだのは安倍政権である。県政奪還の準備は周到で、昨年のうるま市長選の時から期日前投票がグンと増えた。今年2月の名護市長選では知事選の前哨戦と位置づけて公明党を寝返らせ、会社ぐるみの期日前投票と、投票所前で車両の会社名と人数のチェック、「オール沖縄」誹謗の謀略ビラ配布、東海岸の辺野古・久志・豊原3地区へ市長頭越しの交付金バラまきをおこなった。2015年〜17年で7400万円という。ちなみに渡具知氏当選後は交付金がストップされ、アテにしていた地元住民は「釣った魚にエサは要らんということか」と怒っているという。
辺野古反対を言わず争点を隠し、企業への締め付けで期日前に票を積み上げるやり方を、陣営は「ステルス作戦」と呼び、「勝利の方程式」と公言していた。名護市長選では現地に1000人の学会員が入り込み、各戸アンケート調査と称して渡具知氏への投票を誘導、タクシーやレンタカーによる期日前投票を組織したという。4月には米軍再編交付金30億円を名護市に交付すると決定。
だから知事選では「勝利の方程式」の全開となった。沖縄の4つの小選挙区毎に選対本部をたちあげ、期日前投票では実際に投票したか否か、スマホで写真メールを送らせてチェックまでした。官邸は安室奈美恵のコンサートにまで神経をとがらせた。
知事選に入るまで、「オール沖縄」は相次ぐ首長選の敗北、支援企業の離脱で「風前の灯」状態だった。前回は自主投票の公明党が佐喜真陣営への支持を決め、前回は独自候補(下地)を立てた維新も支持に回った。大方の予想は佐喜真勝利と言われていた。(つづく)

知事選勝利に歓喜の声
10・6ロックアクション 大阪

10月6日午後2時「戦争あかん! ロックアクション」が始まった。共同代表の一人、古?荘八さんが「沖縄の玉城さんの当選をひきついで安倍政権打倒に向かってがんばろう」と主催者あいさつ。
次に発言した服部良一さんは、玉城デニーさんの当選を「やったぜ!」とこぶしを振り上げ喜びをあらわにした。「自公が金をばらまき、なりふり構わない選挙をしたが沖縄の人々に勝てなかった。安倍政権にたいする痛烈な打撃になった」と沖縄県知事選を振り返った。「憲法改悪を許さず、南北朝鮮の平和への動きをしっかり受け止めて共にがんばろう」と話した。
全日建連帯労組関西地区生コン支部への不当弾圧について司会が報告した。
この弾圧の特徴は組織犯罪対策課が動いたこと。共謀罪だ。もし労働組合に組織犯罪対策課が動けば、つぎは市民グループにもとなる。こうした動きを許さないため、毎週土曜日午後3時半から1時間、滋賀県大津署前での抗議行動や、10月16日、午後1時半の大阪府警にたいする請願と抗議行動への参加を呼びかけた。また12月8日夜には大阪市中央区民センターで反弾圧大集会が開かれる。
続いて通称「ケチって火炎瓶」事件についての集会報告。1999年、山口県下関市長選で安倍晋三事務所は現職市長の江島潔氏を支持していたが、対立候補の古賀敬章氏が激しく追い上げてきたため、暴力団関係者に古賀氏攻撃の中傷ビラをまくなどの選挙妨害を依頼した。ところが安倍事務所が見返りの約束を破ったため、下関市の安倍の自宅や事務所に火炎瓶が投げ込まれたという事件だ。
その他、学力テストで教員を評価する吉村大阪市長批判、伊方原発・高浜原発再稼働反対、リニア中央新幹線の動きについて報告がなされた。
集合後の御堂筋デモでは手を振る人など市民の注目を集めた。(池内慶子)

(短信)
米軍ヘリ炎上から1年 高江で騒音被害増

2017年10月に米軍のCH53E大型輸送ヘリコプターが不時着・炎上した沖縄県東村高江の車地域で、米軍機による60デシベル以上の騒音回数が増加している。11日で事故から1年となるが、住民らは「米軍機は事故後も上空を飛んでうるさい」「米軍は住民生活なんて気に留めていない」と不満を募らせている。事故後、村や区は生活に影響が出ないよう米軍に配慮を求めているが、現在までに目立った改善はみられない。沖縄防衛局の騒音データ(60デシベル以上)によると、事故後8カ月間の月平均回数は503回で、16年度の月平均の423回よりも増加。
事故現場となった牧草地の所有者、西銘晃さん(65)は「米軍機の騒音は、区民にとって大きな苦痛だ」と語気を強める。騒音が増加していることに、「夜間飛行もよく実施されており、余計にうるさく感じる。集落上空は飛ばないでほしい」と強調した。

3面

〈寄稿〉
オキナワと安倍9条改憲(上)関西大学教授 高作正博
拡大する新しい民主主義

(一)安保法制で破壊された「立憲主義」

いま、沖縄と憲法をめぐって、なにが起こっているのか。
2015年9月、安保法制の強行成立によって立憲主義が破壊された。安倍政権の特徴は「軍事の論理」の突出であると言っていい。法律レベルでは、軍事機密を保護するという特定秘密保護法ができた。05年から6年にかけての米軍再編、米軍と自衛隊の一体化運用にともなう情報共有と軍事機密の保全、厳罰化である。共謀罪、テロ等準備罪、安保法制など軍事の論理が突出してきた。
特に安保法制では、従来「できない」とされてきた憲法解釈を政府の一存で変え、法律を変えてしまった。本来、憲法に縛られなければならない国家権力が憲法を破壊した行為であり、立憲主義の破壊である。様々の法律を通じ、これまでの憲法秩序が変えられてしまっている。
軍事の論理の突出は、政策レベルでも顕著になっている。武器輸出3原則を撤廃し、防衛装備移転3原則という「禁止から原則解禁」とした(14年4月)。戦後日本が60年70年もの間、平和国家として歩むため「武器輸出はしない」としてきた重要な原則だった。さらに大学における軍事研究の解禁、「安全保障技術研究推進制度」(文科省予算を減らし、防衛省予算を投入する)、陸上型迎撃ミサイルシステム(イージス・アショア)配備計画、攻撃機を載せて海外に進出できるようにするための護衛艦「いずも」空母改修案(敵基地攻撃能力)など、専守防衛から攻撃型へ転換が進められている。
このような事態は、真っ向から憲法に対立する。一方で、安倍政権の支持率が下がらないという現実がある。従来の「国家権力と国民」という関係、構図が、安倍政権以降は〈権力者と権力者にすり寄る者〉vs〈少数者〉に変わってきたのではないか。少数者を「敵、非市民、非国民」として批判する傾向が生じてきた。従来の「国外に敵をつくる」手法から、「国内で少数者を敵とする」に変えてきたのではないか。後づけすれば、某副総理「ナチスに学んだらどうか」ということであろう。
「ヒトラーに全権を委ね…、自分たちの経済生活が安定しさえすれば、それでよかった。反ユダヤ政策により差別と迫害が激しくなっても傍観、さらには協力、加担することに…(要旨)」(對馬達雄、『ヒトラーに抵抗した人々』中公新書)。そういう事態が、いまの日本にないだろうか。
権力者と、少なくない国民によって「非難」される、その一つが沖縄という存在ではないか。であるならば、私たちは沖縄の側に立っていまの日本の政治、安倍政権は何をやってくるか、その傾向と構図を見てみたい。

(二)辺野古埋め立て強行と「民主主義」の破壊

沖縄、辺野古問題の経緯。もともと「名護のキャンプ・シュワブ沖に普天間の移設先として新しい基地をつくる」ということだった。きっかけは95年の「米兵による事件」。翌年、日米両政府によりSACО(沖縄に関する特別行動委員会)がつくられ、辺野古沖に新基地をつくるという条件で普天間を返還するという合意がなされた。これに対し、名護市民投票がおこなわれることになった。名護市議会は反対票が上回ることをおそれ、当初の「新基地建設に賛成、反対」2択案から、「経済効果が期待できるから賛成」「…期待できないから反対」という条件付きを加え4択にした。結果は「(無条件)反対」が過半数となった(97年12月21日)。これを受け、当時の名護市長は「基地受け入れ」を表明し辞任した(12月25日)。
太田県知事が海上基地反対を表明。しかし、市長辞任にともなう名護市長選では「基地を争点化せず」とする岸本市長が当選した(98年2月8日、以降推進側は「基地を争点にせず、経済・雇用対策を」という手法をとる)。
これにたいし市民投票をすすめた住民側から「住民投票結果に反する市長の受け入れ表明の違法性」を問う裁判が提訴された。住民投票結果に反する市長の行為が住民から訴えられるという裁判は初めて。しかし、「訴訟は政治的意見の対立にすぎず、却下すべき」「住民投票に法的拘束力はない」「違法性の判断基準」等々、法律論として勝つのは難しかった。那覇地裁判決は「過半数の意思に従うべき法的拘束力があるとは解せない」と、残念ながら請求棄却となった(00年5月9日)。
しかし、その後も01年から04年にかけて住民運動は続き、「新しい民主主義へ」ともいうべき段階に入っていく。選挙では、政党や労組という組織の論理で候補者が決まるあり方から、「自分たちで自分たちの候補、市長を選ぼう」という動きに。さらに、辺野古の港で座り込み、ボーリング調査に対する直接行動に立ち上がっていく。住民による反対運動をみて当時の小泉政権も、諦めかけていた。ところが前述の米軍再編の動きが始まり、辺野古海上フロート案は米軍サイドから「基地として不適当」とされ、埋め立て案が浮上した。さらに陸上、埋め立てを含めV字滑走路2本という計画になっていく。
これについて日本政府は、「新しい案であり住民投票で否決された案とは違う」と強行しようとしてきた。しかし、そこに住民投票の結果は及んでいないのか。住民投票の効力が失われたと解される場合は、「再度の住民投票により別の結果が出た」「合併などにより自治体が消滅した」などが想定できるが、いずれも該当しない。住民投票の際には、まだ基地の形状まで決まっていなかった。シュワブ沖に何らかの形で基地をつくるということが争われ、4択でも「反対」が過半数を占めた。したがってV字滑走路案についても反対であり、賛成と判断するには新たな合意プロセスが必要になる。にもかかわらず政府は現在に至るまで、住民投票の結果に反し建設を強行している。民主主義の破壊であることは明らかである。
加えて、選挙によっても県民の民意が確立されてきた。09年、鳩山内閣が誕生。鳩山首相は総選挙で普天間の代替移設について「県外・国外への移設」を表明し、政権が交代した。残念ながら、鳩山内閣は1年ほどで終わり、その後、12年12月に再度の政権交代で安倍内閣となる。
その間、沖縄県では何が起こっていたか。名護市長選(10年1月)で稲嶺市長が誕生、「辺野古の海に基地をつくらせないとの公約を、信念をもって貫く」と表明。13年12月27日、仲井眞知事が「辺野古の埋め立て」を承認。14年1月、稲嶺市長が再選を果たし、県政と名護市の立場がくい違った。同じ14年11月の沖縄県知事選で翁長雄志・知事が誕生する。翁長さんは立候補にあたり「沖縄の未来を拓くため、私に期待する声があるなら、応えるという結論、覚悟を固めた」「政府に(県内移設断念を求めた)建白書を突きつけた。オール沖縄として、次の世代に禍根を残すことのない責任ある行動が求められている」「これ以上の押しつけは沖縄にとって限界。(辺野古移設)ノーを、不退転の決意でとりくむ」(要旨)と述べ、その後そのとおりに行動した。
もともと翁長さんは、自民党・沖縄保守の重鎮。保守本丸の人。その翁長さんが、なぜ自民党から距離をおくようになったのか。契機はいくつかあったようだ。07年教科書検定で沖縄戦における(住民虐殺への)軍の関与削除の意見により、教科書が変わったこと。沖縄にとっては「屈辱の日」である4月28日を、13年に政府が「主権回復の日」として祝賀した無神経に憤った。もう一つは13年1月、全市町村長や議員が「オスプレイ配備反対、普天間の県内移設反対」の建白書を携えて上京し、銀座をデモ行進した際に沿道から「売国奴、中国のスパイ、日本から出ていけ」という言葉を投げられこれへの批判、憤りは大きかったと言われている。
翌年の県知事選に出る契機になり、そこから自民党と距離をおき、「オール沖縄」が動き始め、当選を果たした。県民の意思、民意は確立していく。にもかかわらず新基地建設、工事を強行してきたのが安倍政権である。辺野古の強行は、民主主義の破壊であると言わざるを得ない。(つづく)

 9月22日神戸市内でおこなわれた講演をまとめ、寄稿してもらいました。写真は別集会。/本紙編集委員会

明仁”賛美は運動側の退廃
横田耕一さん大阪で講演
9月27日

9月27日、「天皇代替わりと民主主義の危機」と題した横田耕一さん(九州大学名誉教授)の講演集会が大阪市内で開かれ、170人が参加した(写真)。主催は、〈天皇代替わりに異議あり! 関西連絡会〉。
横田さんは、「生前退位メッセージを発した天皇に圧倒的多数の人々が共感しているという現実を押さえておくべき」と指摘した。このような状況がなぜ生まれているのか。それは文部省が1947年に発行した『あたらしい憲法のはなし』にある。この教科書で良いところは、(武器を溶鋼炉に投げ入れている)扉の挿絵だけ。全編が天皇賛美と「多数決で決まったことに従いましょう」というものだ。
安倍を批判するために「明仁の意向に反する」などという向きがあるが、それは「リベラル」による天皇の政治的利用で、運動側の退廃である。敗戦直後の「一億総懺悔」は天皇への懺悔。決して朝鮮・中国などの日本が侵略した国々の人民にたいしてではなかった。このような状況は、「天皇教」ともいうべき問題だ。その道具立ては、「大日本帝国憲法=万世一系」、「教育勅語」、「軍人勅諭」、「学校教育=修身教育」と「儀式」だ。
大日本帝国憲法制定時、「お雇い外国人」として滞日していたイギリス人のバジル・ホール・チェンバレンが、「日本で新しい宗教が起こっている。布教場所は学校である」と報告している。敗戦後も、「天皇教」が再生産されている。ポツダム宣言受諾への天皇、政府、マスメディア、国民の反応。日本国憲法の規定。日本国憲法は差別憲法である。
天皇制を取り巻く状況は、50年代の大衆天皇制とは様変わりしている。「親しみをおぼえる」から、若い人たちには「尊敬の対象」となっている。また「開かれすぎている」「皇族が減っている」「天皇祭祀の基盤である農耕社会が壊れている」など天皇制の危機的状況がある。
横田さんは最後に、「私の考え」と前置きして、「天皇制=天皇教を無力化するためには、一人一人がお互いを大事にする。人権がわれわれの中に本当に定着したら、天皇はけし飛ぶ。天皇はいて当然、差別があることを当然とする私たちの意識を変えないと天皇制をなくせない」と締めくくった。(青野 宏)

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市東孝雄さんの最終意見陳述(全文)
農地は私の命 私の人生

市東孝雄さん(9月27日)

この裁判の最後に、私の今の気持ちと、天神峰であくまでも農業を続ける決意を述べたいと思います。

1 農地は私の命です

私はこれまで自分の仕事に誇りを持って生きてきました。今も、試行錯誤しながら有機野菜のための土壌を作っています。私の農業は農薬や化学肥料を一切使わず、露地栽培ですから、気象の変動と毎日の天気を見ながら、雑草と格闘して野菜を作っています。野菜づくりの方法に完成はなく、日々の工夫と努力の積み重ねによるしかありません。
天神峰と南台の農地は、そうしてできた私にとっての命です。
そこで育つ野菜を、本物だと認めてやってくる消費者家族がいます。私たちと消費者が、生産と食を相互に保障し合う、提携関係が結ばれています。これは信頼できる有機の土壌があってこそ、できる関係です。この消費者との“顔の見える”関係も、かんたんにできることではありません。
空港会社は、私の農地を只の土地だと思っています。「農業なんてどこでもやれる」と見下しています。「農業よりも空港の方が社会に役立つ」と決め込んで、「空港のために農地を差し出せ」「カネを積むから出て行け」という態度です。
だが、それは全くの間違いです。
農地は只の土地ではありません。農地は生きています。人が試行錯誤を重ねて、その人の農業のための土壌として、作り上げるものなのです。私の畑は、私の有機農業を実現するために、長い年月をかけて作った農地です。他にはない、かけがえのない農地なのです。
また、言うまでもなく、安全な食料を十分に満たすための農業は、社会にとって絶対に欠くことができません。農業はまさに、命をつなぐ生命産業≠ナす。これ以上の公共性があるでしょうか。しかも誘導路は国が安全性を認めて認可し、なんの支障もなく使われており、空港会社が畑をつぶす理由はないのです。
私の野菜作りは、大正時代から100年間耕し、有機の土壌として作り上げた、天神峰と南台の、あの畑でしかできません。それが人びとの健康と命をつないでいます。あの畑は私の人生であり、私の生き甲斐です。
空港会社は、私が農業をやめると決め込んで、離作補償を示し、同じような農家収入の150年分の補償だから、「百姓をやめて出て行け」という態度です。そして裁判では、まともに反論せず、「強制的手段の放棄」の事実をねじ曲げて空港会社を勝たせた多見谷判決と同様に、裁判所に任せておけば大丈夫だという態度を続けてきました。
これは私の精一杯の訴えと法廷そのものを侮辱するものです。私は憤りを抑えることができません。

2 よねさんへの代執行とどこが違うか!

空港会社が取り上げようとしているのは、不利益を受けて解放されなかった小作地です。しかし、この畑もまた農地法で守られてきました。うちは地代を欠かさず支払ってきたし、地主も信義を守ってきたと思っています。
これを変えたのは空港公団です。父東市に秘密で売買し、地代を騙し取ってきました。あげくに空港会社が地主だと名乗り出て、私を「不法耕作」呼ばわりして、出て行けという。出ていかないなら機動隊の暴力で、取り上げるというのです。
私の農地の7割以上が、畑で育つ野菜と一緒につぶされます。祖父の代からの汗と涙、これまでの私の努力が重機の下に押しつぶされ、二度と野菜はできません。思っただけで、悔しくて涙が出ます。
私に対するこの強制執行と、よねさんに対する代執行との、どこが違うというのでしょうか。
私は今、高瀬裁判長が下す判決いかんで、47年前の小泉よねさんと同じ地点に立たされようとしています。
「もう二度と繰り返さない」「用地問題は話し合いで解決する」「強制手段は放棄する」と言って謝罪し、世間に公約した以上、私に対する強制執行は絶対に許されません。

3“権利濫用”を訴えた証言と補佐人陳述

小泉英政、加瀬勉、萩原富夫さんの証言は、大きな力になりました。
農地法を無視して秘密裏に買収して明け渡せというのは、まさに証言のとおり、「よねさんから強奪した手法を踏襲」するものです。
反対同盟が東峰に作ったよねさんの家は「借り物だった」という証言がありました。「苦労して、汗を流して頑張って、蓄積してこそ誇りと自信が生まれるし、人間は絶望しないで生きられる」という証言は、今の私の気持ちそのものです。
私に対する強制執行は、「産直の会」を存続できなくさせ、共同生産者と約400軒の消費者家族の暮らしを台無しにします。
食料自給の考えを失った農政によって、全国の農家が廃業に追い込まれています。石原健二補佐人は、「小規模家族の複合経営こそ日本の農業の基本」だと話し、私たちの農業を「いま時代が求める最先端の営農形態であって、つぶしてはならない」と訴えました。
そして、内藤光博補佐人は、「人間の生活基盤と生きる意欲を奪い取る強制執行は、その人の人生の否定であり、尊厳を侵すから認められない」と話しました。そして、私に対する強制執行が権利濫用の特徴にすべて当てはまることを、一つひとつ確認しました。空港会社は何も答えられずにいます。
私は自分の農業は間違っていなかったし、私がこの裁判でたたかってきたことは、私だけでなく、東峰地区や近隣住民、そして農業つぶしの農政の中で頑張る農家のためにもなることだと強く感じています。

4『強制執行は認めない』との判決を求めます

「私に対する強制執行は、営農の基盤を取り上げ、生きる希望をつぶしてしまう過酷執行である」
「強制執行放棄の公約を破るものであり、空港会社による権利濫用である」「社会の正義に反するから、強制執行は許されない」
―二年間に及ぶ弁論と法廷証言、補佐人陳述は、これらのことを明らかにしたと、私は信じています。
私はあくまでも天神峰と南台で私の畑を耕し、絶対に動かない。
農地を取り上げる強制執行は、私にとって死刑と同じです。この裁判は、私にとって命がけのたたかいです。高瀬裁判長が、会社を勝たせるために事実をねじ曲げた多見谷判決と同様の、不正義に走ることは絶対に許されません。「農地取り上げの強制執行は認めない」との判決を強く求めます。

9・28これからの介護保険を考えるフォーラム行動提起

今、「わが街の介護保険」が大きく変えられようとしています。
介護保険制度改定は、利用者負担の引き上げとともに、「自立支援・重度化防止」の名のもとに市町村を統制する新たな仕組みを導入しました。今年10月までに市町村は国が示した「評価指標」に基づく報告を提出し、国が「採点」し190億円の交付金を配分することになっています。また、「生活援助ケアプラン」の届出・検証制度も今年10月から始まろうとしています。介護給付抑制のために、市町村がケアマネジャーを管理・統制し、要介護認定を引き下げることを競わされることになります。 このフォーラムでは、介護保険はどう変えられようとしているのかを学び、それに対する私たちの立ち向かうべき方向を考えました。

1 国に対して当面求めること

@一連の介護保険改定で持ち込んだ要支援切り捨て、利用者負担割合増などの改悪措置の撤廃、A市町村に対する統制・交付金誘導による「自立支援」「要介護認定抑制」押し付けの中止、生活援助ケアプラン届出義務化撤回、B国庫負担による介護労働者の賃金・労働条件の抜本的引き上げ、介護報酬の大幅改善

2 自治体に対して当面求めること

@介護保険事業の「目標」設定について、国に追随しないこと、A要介護認定、介護サービス利用を阻害しないこと、B地域包括支援センター・ケアマネジャー、事業者に「自立支援型」を押し付けないこと、C高齢者の尊厳と権利を守る介護保険運営、介護保障の立場に立ち、独自の保険料・利用料軽減措置をはじめとする改善策を講じること

3 介護の切り捨てを許さず、改善させる「総がかり」の共同を大きく発展させよう

▼国に向け、各団体が共同して要求、交渉の行動をとりくもう、▼各自治体へ働きかけよう、▼各地域で、利用者・家族、介護事業者、介護労働者の交流をすすめよう、▼この秋の当面の行動を大きく成功させよう。(11・11立ち上がる介護労働者交流会/11・101介護ウェーブ宣伝行動/「介護なんでも電話相談」など/厚生労働省への要求・交渉)

5面

伊方3号機の運転差止裁判
広島高裁が差止め≠取消し

決定後、記者会見にのぞむ伊方原発広島裁判原告団と弁護団(9月25日 広島市内)

9月25日、広島高裁・三木昌之裁判長は伊方原発3号機の運転差止を取り消す異議審決定をおこなった。
昨年末、伊方原発3号機の運転差し止めを命じた広島高裁決定をかなぐり捨てた恥ずべき行為だ。
決定では原子力規制庁の「原子力発電所の火山影響評価ガイド」は相当程度の正確さで噴火の時期、規模の予測が可能であることを前提にする点で不合理と認定している。にもかかわらず破局的噴火の可能性が抽象的可能性にとどまる限りその噴火を容認する「社会通念」が存在し、これを覆すには原発の運用期間中に噴火が発生する可能性を相応の根拠をもって示さない限り、立地不適とはならないという矛盾に満ちた決定である。

広島裁判の経緯

16年3月、伊方原発広島裁判原告団は、@伊方原発3号機運転差止等請求(本訴)と、A同運転差止仮処分命令申立(仮処分)の2件を広島地裁に同時に提訴した。この時の原告団は66名、うち原爆被爆者は18名だった。17年3月30日、広島地裁は仮処分の却下決定を下し、債権者側は4月13日広島高裁に即時抗告し、即時抗告審が開始された。12月13日、広島高裁(野々上裁判長)は3号機運転差し止めの画期的決定を下した。
争点は多岐にわたるが、訴えが認められたのは、阿蘇山のカルデラ噴火を想定すると伊方原発はそもそも立地不適であり、また火山灰の層厚や大気中濃度についての四国電力の想定は過小で、規制委員会の基準適合判断は合理性を欠くという点であった。

画期的な野々上決定

広島高裁野々上裁判長は、規制委員会が審査で採用している「火山影響評価ガイド」を文言通りに適用し、伊方原発から半径160 キロの範囲にある阿蘇火山がカルデラ噴火を起こすと、設計対応不可能な火砕流が到達する可能性を否定できないとして、立地不適との判断を示したのである。社会通念を根拠とした原決定(広島地裁)を批判し、「多方面にわたる極めて高度な最新の科学的、専門的知見に基づく総合的判断が必要とされ」、政策判断として原子力規制委員会に委ねられていることであり、「原決定判示のような限定解釈をして判断基準の枠組みを勝手に変更すること」は許されないとした。そのうえで野々上裁判長は、「広島地裁で係属中の本訴において異なる判断が下される可能性がある」として本年9月30日までの期限が付された。
その運転差止期限切れの間際の9月25日に広島高裁は、なぜ伊方原発3号機の運転差し止めを取り消す異議審決定をおこなった。広島高裁決定の影響によって「今後も火砕流到達のおそれありと、立地不適にされる原発が出てくると困る」(特に4機が稼働中の九州の原発)という原子力事業者や行政側の願望や危惧におもねった結果である。

包囲された伊方原発

現在、愛媛、広島、山口、大分の4県の原告団が伊方原発を包囲している。四国電力が伊方3号機を運転し続けるには、4県すべての裁判で勝ち続ける必要がある。四国電力の「訴訟リスク」は極めて大きい。南海トラフや中央構造線活断層帯を震源とする巨大地震、巨大噴火の火山灰・火砕流、その他の自然災害や人災を引き金として重大事故が発生する可能性は決して小さくない。破局の訪れる前に、すべての原発を止めることができるかどうか、今が正念場である。(田島 宏)

安倍政権の改憲動向
 【定点観測】(9月3日〜10月4日)
国民投票射程に改憲シフト

安倍政権は労働者人民の怒りに包囲され窮地に陥っている。それを突破する方策を改憲に前のめりになることに見いだしている。保守反動勢力、排外主義と国家主義のコアな支持層を固め、9条改憲に突っ走ることが唯一の延命策であるからだ。そのため今秋臨時国会で自民党案を国会にかけ、来年には国民投票に持ち込もうとしている。統一地方選挙と参院選挙、一連の天皇代替わり行事とG20サミットの間隙を突いて、しかも消費税の10%への引き上げを10月に控えて、強行をねらっている。そのためには、首相の「解散権」を駆使し、衆参同時選挙+国民投票を同時に実施するトリプル選挙しかないという声さえ自民党内には出てきた。アベノミクスと外交の破産、沖縄新基地建設の強行、原発再稼働と新増設、介護・社会保障などの切り捨てにたいする怒りが渦巻いている。そのただ中で、安倍9条改憲の意味と意図を徹底的に論議し、国民投票の危険な仕組みを暴露し、安倍9条改憲を阻止しよう。
安倍9条改憲攻撃を見すえるために9月以降の改憲動向を日付順に示す。

9月3日 安倍首相は自衛隊高級幹部会同で訓示し、「全ての自衛隊員が強い誇りを持って任務を全うできる環境を整える。これは今を生きる政治家の責任だ」と、9条改憲の意欲を示した。
9月10日 自民党総裁選挙の候補者による所見発表演説会での安倍首相発言「いよいよ憲法改正に取り組むときが来た。自衛官は国民を守るために、その命を懸ける。しかし『自衛隊が憲法違反ではない』と言い切ることができる憲法学者は、わずか2割に過ぎない。合憲性について議論がある旨について、ほとんどの教科書に記述がある。自衛官の子どもたちもこの教科書で学ばなければならない。このままでいいのか。彼らが誇りを持って任務を全うできる環境をつくることは、今を生きる政治家の使命ではないか。憲法にしっかりと日本の平和と独立を守ること、自衛隊と書き込んで私たちの使命を果たしていこう」。
共同記者会見で、安倍首相は「(年内に発議に持ち込むとの持論について)『スケジュールありき』という批判は承知しているが、党総裁として一定の目標は掲げなければならない。秋の臨時国会(の改正案提示)を目指して議論していただきたい。(改憲は)そう簡単ではないが、国民投票をおこなうことによって急速に議論が広がり、深まり、理解が進んでいくことも十分にある。(総裁選に)当選すれば、あと3年の任期の間にチャレンジしたい。」と述べた。
10月2日 安倍首相は自民党役員4役人事で、選挙対策委員長に甘利明・元経済再生相、総務会長に加藤勝信・厚生労働相を充て、党憲法改正推進本部長には下村博文・元文科相を就けた。自民党憲法改正案の早期提出を見すえた布陣という。
10月2日 自民党新役員の共同記者会見で、加藤勝信総務会長は、総務会の進め方に関して、「国民の声を受け取って活発に議論し、決める時にはしっかりと結論を出し実行していく」と語った。総務会は、改憲論議を含めた党の意思決定機関。
10月4日 自民党の憲法改正推進本部長に内定した下村博文は、推進本部の顧問に就く高村正彦・前副総裁と会談、公明党との協議は見送り、条文案を憲法審査会に示すことを確認した。安倍4項目の改憲事項を「条文イメージ」と位置づけ、他党との協議で修正して憲法改正原案をつくることを想定している。与党案をまとめることに公明党の抵抗が強いため、審査会に自民党単独案を出して議論する方針に切り替えたという。(読売10・ 5)

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iWAi争議、307日の籠城スト
“現場はオレたちが仕切っている”

10月7日、関西合同労組の組合員研修会に参加しました。今年は、iWAi争議をたたかったきょうとユニオン(京都地域合同労働組合)の野村貴副委員長を招いて開かれました。iWAi争議は、2015年9月7日から16年7月9日までの307日間の籠城ストライキを敢行し、社長の逃亡、組合つぶし、脅迫に屈せず、勝利的な和解を勝ち取った争議です。
15年5月25日に、京都市山科区にある産業廃棄物処理会社iWAiコーポレーションの社長と従業員2人合わせて3人が、ゴミの不法投棄で逮捕されました。この逮捕に至るまでにはさまざまな予兆があり、従業員は「もうやめた方がいい」と社長に進言していました。しかし社長は、「大丈夫だ」と聞く耳をもたず、結局、逮捕されたのです。産業廃棄物処理会社は京都市の許認可事業であるため、「営業許可が取り消されるかもしれない」と従業員の間に不安がひろがりました。
iWAiコーポレーションの労働者はきょうとユニオンに相談にいき、同年8月24日にiWAi分会を結成。会社と団体交渉をおこない、「雇用確保はめざす」「賃金は保障する」「未払い残業代は支払う」「退職金は3カ月払う」などを文書で確認しました。
しかし、9月3日以降、組合員がヤクザ風の人物にベンツの中に連れ込まれる、事件屋が介入するといった動きありました。その過程で社長が逃亡したことがあきらかになり、iWAi分会は籠城ストライキに入りました。分会員たちは、裁判闘争をたたかいながらアルバイトやきょうとユニオンをはじめとした仲間の支援を受け、籠城体制をつくり不屈にたたかいぬきました。
このiWAi分会の争議を支えたものは、社長への怒り、仕事と現場を組合員が回していたという自負。京都をはじめとした労働者・仲間の支援、弁護士の奮闘。タカラブネ、京ガス、第一物産、大美堂などの籠城ストの経験を持っていたことなどでした。
野村さんとの質疑応答で、「倒産争議における雇用保険の受け方」、「団交の文書確認がある以上は争議に負けるとは考えていなかった」「団結の維持は職場におけるリーダシップ、仲間意識があった」「公益事業におけるストライキについて」「経営者の当事者能力の欠如」「会社側の損害賠償請求について」「海外の仲間との交流」「籠城は相手資本との関係で決まる」「闘争戦術はiWAi分会が決めていった」などが話されました。
きょうとユニオンの野村さんの話を聞いて思ったことは、307日間の籠城ストライキをやりぬいた「力」は、仕事・現場はオレたちが仕切っている≠ニいう主流派意識と誇り、職場におけるリーダシップと仲間意識だと思いました。そして、多くの労働者・仲間が支援しているという信頼が大切だと改めて思いました。

6面

日本軍「慰安婦」
真実を明らかにすること
韓国から研究者招き集会

10月8日、「日本軍『慰安婦』問題を考える統営と天理を結ぶ10・8市民集会」が奈良市内でひらかれた(写真下)。主催は〈日本軍「慰安婦」ハルモニとともにする統営・巨済市民の集まり〉と〈天理・柳本飛行場跡の説明板撤去について考える会〉の2団体。日本軍「慰安婦」問題について、日韓の研究者など4人が報告した。

聞き取り調査

川瀬俊治さん(天理柳本飛行場跡の説明板撤去について考える会)は、「天理・柳本飛行場の日本軍『慰安婦』問題」について報告。「天理・柳本飛行場に設置された慰安所は日本軍管理によるもので、全国的にも数少ないものだった。私は今までに強制連行された朝鮮人男性7人から聞き取りしているが、日本軍兵士が利用したとの証言は得ていない。朝鮮から徴用された労働者が利用したものと思われる。強制連行された労働者は企業(大林組)ではなく、日本軍が管理していた」と話した。
宋道子さん(統営・巨済市民の集まり・代表)は、「慶尚南道地域における日本軍『慰安婦』被害者の聞き取り調査の意味と課題」と題して研究報告。「慶尚南道は、日本軍『慰安婦』を数多く輩出している地域。被害女性が秘密にしなければならない韓国社会の事情もあって、被害者を発掘するのは困難だった。推定被害者として、新たに17人が確認できた」と述べた。宋さんは推定被害者(政府公認の被害者ではなく、証言を実証できていない被害者)という概念を導入し、聞き取り調査の重要性を訴えた。

資料の発掘を

朴貞愛さん(東北アジア歴史財団研究委員)の報告のテーマは、「口述と文書・写真・映像を通じて考える日本軍『慰安婦』被害女性の話」。「口述を資料で立証するのは難しい。被害者の口述に頼るのではなく、研究者が資料や写真を積極的に探し出していくべきだ」と指摘。また「セウォル号事件で被害者家族が求めたのは、『いったい何が起きたのか。その真実を明らかにせよ』ということだった」と話した。
〈日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク〉の活動家は、「日本軍『慰安婦』問題はなぜ解決しないのか」について報告。彼女は、「慰安婦」問題にたいする日本政府の対応と運動の側の取り組みをわかりやすく説明。特に、日韓合意について、「国家間合意であり、被害者の声を聞いていない」と批判した。

日本人民の課題

1991年、金学順さんが名乗り出た。彼女に続いて、今まで黙っていた被害女性が主体的に立ちあがった。たった一人の決起が日本軍「慰安婦」問題を世界の問題とした。それでも、日本政府は性奴隷であった事実を否定しつづけている。
日本軍「慰安婦」の存在について、日本政府は一貫して真実を隠蔽してきた。戦後日本において、植民地主義は今なお継続している。日本政府を追及するのは日本人民の課題である。〈統営・巨済市民の集まり〉は、ユネスコ世界記憶遺産登載申請のための活動を続けており、高校生などから嘆願はがきを募集している。同時に、嘆願はがきの展示もおこなわれた。(津田文章)

米軍Xバンドレーダー基地
停波問題で申し入れ 京都

米軍Xバンドレーダー基地反対京都連絡会は、9月26日に京都府にたいして、27日には京丹後市にたいして、連続で申し入れをおこなった(写真は京都府)
5月15日の交通事故でドクターヘリによる緊急搬送の際、米軍に対してレーダーの停波を要請したが、米軍が停波せず、搬送が遅れるという事態が発生した。この問題に関する、井上哲士参議院議員の質問主意書にたいして、政府は答弁書で「米軍は、妥当な考慮を払って適切に対応するものと承知している」と答え、防衛省も、京都府や京丹後市にたいして、これがすべてとした。
しかし、そもそも2014年10月23日の防衛省と京都府との合意書では、「米側は停波要請があればレーダーを速やかに停波する」と確認していた。
京都府も京丹後市も、「防衛省は、8月28日の安全・安心対策連絡会でも、公式には、10・23合意は変わってないと言っている。これを前提に対策会議をやっている」という対応。しかし言外には、米軍や防衛省にたいする不信感が感じられた。京丹後市は、「地元自治体として直接米軍に問いただしていきたい」と述べた。岩国で市会議員が直接米軍に申し入れたところ米軍が回答したという事例を紹介するとすると、京丹後市側は関心を示していた。

(シネマ案内)
教員を偽装、住民を工作、虐殺
ドキュメント映画『沖縄スパイ戦史』(監督:三上智恵 大矢英代)

三上智恵さんは、ドキュメント映画『標的の村』『標的の島 風かたか』などで知られる。大矢英代さんは、八重山諸島の戦争被害を取材してきたジャーナリスト。『沖縄スパイ戦史』は、このふたりが作った沖縄戦に関するドキュメント映画。題名からスパイ映画のような印象を受けるが、「スパイ戦」とは秘密戦または遊撃戦のことであり、住民を巻き込んだ戦争ということだ。
沖縄戦における「護郷隊」については、NHKスペシャル(2015年)でも放送されている。しかし、その存在はあまり知られていない。沖縄島では2つの護郷隊が作られた。隊長は陸軍中野学校出身者の村上治夫と岩波壽だった。沖縄島の南部戦線での戦いとは別に、北部の山岳地帯ではゲリラ戦が戦われていた。このゲリラ部隊が「護郷隊」で、10代半ば(14〜17歳)の少年たちで構成されていた。彼らは米軍の上陸にたいして橋を爆破し、戦車に爆弾を背負って自爆した。秘密を知っている者は「スパイ」とされて殺された。
八重山諸島の波照間島では、住民は西表島に強制移住をさせられた。西表島ではマラリアが蔓延していた。移住は住民の安全を守るためではなかった。住民を西表島に追いやったのは、住民から家畜や食料を取り上げるためであった。ここでも、日本軍は機密を守るために「スパイ」という名目で住民虐殺をおこなっている。これをおこなったのは中野学校出身の山下虎雄(本名:酒井清)であった。
このように、陸軍中野学校は秘密戦(遊撃戦)の特務部隊を養成した。卒業生は朝鮮、台湾、フィリピン、インドネシアなどで遊撃戦を組織した。また、本土決戦に向けて全国各地に送られた(約500人)。そのうち、奄美諸島、沖縄島、八重山諸島に49人を配置している。彼らは教員に偽装したりして、住民にとけこみながら組織工作をしていた。
映画は現場の映像と体験者の証言によって構成されている。護郷隊は三上智恵さんが撮影し、八重山諸島の住民強制移住は大矢英代さんがおこなった。この二つに共通するのは、「日本軍は住民を守らなかった」どころか、「日本軍は住民を利用して戦争をおこなった」という事実だ。そのなかで、秘密を保持するために住民虐殺もおきている。沖縄戦は「本土」決戦にむけて住民を巻き込んだ秘密戦(遊撃戦)をおこなっていた。それは、「本土」決戦を遅らせるための「棄て石作戦」であり、本土決戦に向けての練習場でもあった。
今日、すでに特定秘密保護法が作られている。辺野古では米軍新基地埋め立て工事、南西諸島では自衛隊ミサイル基地の建設が進められている。この映画は沖縄戦の歴史的事実を記録に残すだけではなく、新たな沖縄戦が安倍政権のもとで進められていることを告発している。それは沖縄だけの問題ではなく、日本全体でおこなわれる。支配者は自らの戦争のために住民を動員する。このことは今も変わっていない。
戦後、村上治夫は護郷隊で亡くなった隊員を弔うために、ソメイヨシノの桜苗木を沖縄に何万本も贈りつづけた。しかし、ソメイヨシノは沖縄の気候に合う事ができず、けっして根付くことはなかった。映画のなかで護郷隊慰霊碑の建つ公園にカンヒザクラが咲いているシーンが印象的だった。(鹿田研三)