未来・第253号


            未来第253号目次(2018年9月6日発行)

 1面  高浜原発を動かすな
     関電本店に全国から抗議
     8月25日 大阪

     8・11沖縄県民大会に7万人
     辺野古に基地は造らせない

     翁長さんの遺志引き継ぐ
     都内で2千8百人結集
     8月11日

 2面  辺野古新基地
     埋立土砂投入をやめろ!
     大阪で抗議、デモ、集会続く

     沖縄の原点かけ 知事選で仇とる
     山城博治さんの講演要旨(8月26日 大阪市内)

     辺野古の海は壊させない
     8月18日 堺市で稲嶺進さんが講演

 3面  73年目の8・6ヒロシマ
     被爆を継承し、核と戦争をとめる      

     植民地支配、戦争、原爆
     李鐘根さんの被爆証言(8・6ヒロシマ平和の夕べ)     

 4面  争点
     志賀原発をただちに廃炉へ(下)
     電力会社を救済する司法
     田端 登美雄

     釜ヶ崎日雇労働組合副委員長
     三浦俊一さん 被ばく労働を語る
     貧困層に依拠する原発産業

 5面  明治維新150年キャンペーンのうそ
     先進的な憲法構想を抹殺
     大阪

     「口封じ」に臆せず
     平和祈念のつどい”が成功
     東大阪

     【定点観測】(8月11日〜26日)
     安倍政権の改憲動向

 6面  旧海軍柳本飛行場建設に動員
     韓国人遺族を迎えて集会
     奈良県天理市

     生活保護引き下げ違憲訴訟
     社会保障全体の底上げを

     過去の植民地支配と向き合う
     ジャーナリスト川瀬俊治さんが講演

     (短信)
     維新・大阪市長が新「教育破壊」プラン

       

高浜原発を動かすな
関電本店に全国から抗議
8月25日 大阪

「高浜原発このまま廃炉」の横断幕をかかげて、沿道の市民に訴えながら御堂筋をデモ行進
(8月25日大阪市内)

8月25日、定期検査で止まっている高浜原発4号機の再々稼働に反対する「高浜原発このまま廃炉! 関電包囲全国集会」が大阪市中之島の関西電力本店前で開かれた。福井や関西をはじめ、伊方、川内など全国から400人を超える人びとが集まった。主催は〈原発うごかすな! 実行委員会@関西・福井〉。

トラブル続く4号機

高浜原発4号機は、定期検査中の6月22日、蒸気発生器伝熱管に傷が見つかった。起動直前の8月19日には、事故時に原子炉に冷却水を補給するポンプの油漏れを起こし、20日には温度計差込部から噴出した蒸気が原子炉上蓋から漏れ出るトラブルが発生した。そのため22日に予定されていた起動を延期せざるをえなくなっている。
トラブル続きの高浜4号機は、運転開始から33年を経過しており、想像以上に劣化や損傷があると見て間違いない。この一連のトラブルによって、関西電力には、危険な原発を動かす緊張感がまったくなく、その資格もないことがはっきりと示された。
にもかかわらず原発再稼働を進めようとする関電、政府、規制委員会にたいして怒りに燃えた人びとが、酷暑のなか、関電本店前に続々とかけつけた。

このまま廃炉に

集会は、大飯原発差止京都訴訟原告団事務局長・吉田明生さんの司会で始まった。最初に主催者を代表して、原子力発電に反対する福井県民会議事務局長・宮下正一さんが発言。続いて全国各地からの発言とメッセージの紹介がおこなわれた。
伊方原発の地元から〈伊方原発をなくす会〉名出真一さんが発言。「9・30伊方現地闘争」への結集を訴えた。
福井からは〈ふるさとを守る高浜・おおいの会〉が発言。原発差止訴訟当事者・中嶌哲演さん、原発賠償関西訴訟原告が発言した。
関西の参加者や労働組合からの発言を受けて、最後に主催者を代表して〈若狭の原発を考える会〉木原壯林さんが閉会あいさつ。
集会後、うつぼ公園まで移動し、御堂筋を行きかう人びとに「再稼働反対」「原発廃炉」を訴え難波までデモ行進した。
デモの解散地点で木原さんが再びマイクを取り、「今日の行動は大成功した。なんとしても高浜原発を動かすことなくこのまま廃炉に追いやろう。来年はいよいよ40年超えの老朽原発=高浜原発1、2号機をめぐる重大な局面を迎える。なんとしても老朽原発の再稼働を私たちの力で止めよう」と訴えた。

3号機、11月再稼働か

関電は、高浜原発4号機の発送電を9月3日に始めると公表し、8月31日に4号機を起動した。同じく3号機を11月に再稼働しようとしている。
事故・トラブル続きの高浜原発を絶対に動かさせてはならない。廃炉あるのみだ。40年超えの高浜1、2号機と美浜3号機の再稼働を阻止しよう。(仰木明)

8・11沖縄県民大会に7万人
辺野古に基地は造らせない

沖縄県民大会で「辺野古新基地NO!」のプラカードを一斉にかかげる参加者ら(8月11日 那覇市内)

8月11日、那覇市の奥武山公園陸上競技場で「土砂投入を許さない! ジュゴン・サンゴを守り、辺野古新基地建設断念を求める8・11県民大会」(辺野古に新基地を造らせないオール沖縄会議主催)が開かれ、県内外から7万人が参加した。
午前11時、8日に急逝した翁長雄志知事を悼み、1分間の黙とうがささげられた。翁長さんの次男雄治さんが登壇。「父に新基地建設が止められたと報告できるまで頑張ろう」と力強く訴えると大きな拍手が起こった。

民意がないがしろに

主催者代表の高良鉄美さんは「私たちは普通の生活がしたい。新基地建設は普通の生活を認めないということ。民意がないがしろにされている。翁長知事がよく言っていた、ウチナーンチュ、ウシェーティナイビランドー(沖縄の人をなめてはいけませんよ)。これからも頑張っていきましょう」と訴えた。
オール沖縄会議現地闘争部の山城博治部長は「翁長雄志知事の英断と決意をたたえて、ここで翁長さんに感謝し、わたしたちも引き続き頑張る」と決意を語った。
謝花喜一郎副知事は「翁長知事と8月4日に面談した際、1日1日しっかりと公務をこなし、県民の負担に応えたいというのは、埋め立て承認の撤回のことだと話していた。知事の思いを深く受け止め、わたしたちも新基地は造らせないとの知事の公約実現に向け、全力で取り組む」と決意を明らかにした。
玉城愛共同代表は「新基地建設断念を求める決議文」を朗読。玉城さんは、生前の翁長知事との会話にふれ、「翁長知事の遺志をわたしたち若い世代が引き継いでいく」と決意を述べた。
閉会のあいさつは共同代表の稲嶺進前名護市長。稲嶺さんは「県民が、辺野古新基地は絶対造らせないという思いと、翁長知事への追悼の思いがこの場に集まった」と集会をしめくくった。 (杉山)

翁長さんの遺志引き継ぐ
都内で2千8百人結集
8月11日

「東京から辺野古新基地反対の声を」沖縄県民大会と連携してデモ(8月11日 都内)

8月11日、「埋めるな! 辺野古 沖縄県民大会に呼応する8・11首都圏大行動」が都内の東池袋中央公園で開かれ、首都圏各地から2800人が集まった。主催は同実行員会。
集会は、8月8日に逝去した翁長県知事への黙祷から始まった。主催者あいさつで沖縄環境ネットワークの花輪伸一さんは「2016年の埋め立て承認取り消しのときのように、政府はなりふり構わず沖縄県を力ずくで押さえ込もうとしている」「しかし私たちは、埋め立て阻止、新基地建設絶対反対を力強く訴え、大きな力にしなければならない」と訴えた。
沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの青木さんは「『辺野古新基地は絶対に造らせない』の一念で日米とたたかってきた翁長さん。彼が残した思いに応える大きな波をここ東京からつくり出しましょう」と訴えた。
ここで沖縄の県民大会の会場とマイクがつながれ、謝花喜一郎副知事の発言が流された。司会が「県民大会に7万人が参加」と報告すると会場から大きな歓声があがった。
この日は、札幌、帯広、青森、宮城、静岡、愛知、三重、京都、大阪、兵庫、福岡など、全国20カ所以上で連帯行動がおこなわれた。

2面

辺野古新基地
埋立土砂投入をやめろ!
大阪で抗議、デモ、集会続く

8・11全国同時アクションとして、大阪では中之島公園水上ステージからデモ行進

7月27日、沖縄県の翁長雄志知事は「埋立承認の撤回」を表明した。しかし、その12日後に帰らぬ人となった。知事の急逝に県民は、8月11日台風直撃の雨にもかかわらず当初3万人を想定していた「辺野古新基地建設断念を求める県民大会」に7万人の結集で応えた。多くの参加者は「翁長知事の遺志を継ぐ」とあらためて沖縄の民意を示した。
この間の沖縄の動き、やみくもに工事を強行する政府に対して、沖縄は「今ここから、平和な未来へ」とするゲート前連続行動を、県民大会予定の週明け6日から11日の大会までと、土砂強行投入予定とされていた17日を前後してたたかった。
政府は県知事選の争点から「辺野古」をはずそうと8月末まで、目立った工事をしていない。9月30日の知事選まで工事が中断するかどうか予断を許さない。
県は8月31日に埋立承認撤回をした。

同時アクション

こうした沖縄のたたかいに応え関西で沖縄の動きに連動した行動をとろうと、「ストップ! 辺野古新基地建設! 大阪アクション」(参加20団体)が8月11日、「県民大会同時アクション」を中之島公園水上ステージで開催し250人が集った。
集会では、各参加団体の発言とともに、県民大会の実況中継がおこなわれ、途中6万人の結集と発表された時はどよめきのような歓声が会場をつつんだと報告された。
8月17日の土砂投入予定日には、〈大阪アクション〉をはじめ〈京都行動〉〈NO BASE沖縄とつながる京都の会〉などが呼びかけ、午後2時から大阪市内にある近畿中部防衛局に対して「埋立土砂投入をやめろ!」と抗議申し入れ行動を60人でおこなった。夜には大阪アクションが集会とデモをおこない、120人が集まった。

4周年集会・デモ

8月26日には「大阪アクション4周年集会・デモ」が大阪市内でおこなわれ、250人が参加した。
集会は、急逝した翁長県知事への黙祷から始まり、大阪アクション1年間の活動報告、会計報告の後、本集会のメインゲストである沖縄平和運動センター議長である山城博治さんが講演をおこなった。(左に要旨掲載)
山城さんは第一声で「みなさん、一緒にがんばってください」と呼びかけ、「今こそ起ち上がろう」「ここへ座り込め」の熱唱で一気に参加者の気持ちを引きつけた。
講演では、この間の沖縄のたたかいと9月30日の県知事選挙に勝利する、沖縄の選挙は沖縄だけでなく私たちみんなの未来を決める選挙だと訴えた。  埋め立て工事強行にたいしては500人行動を、それでも止めきれないなら700人、1000人、1500人とあきらめず集まって止めていくと決意を述べて、最後にたたかいの歌で発言を締めくくった。
川口真由美さんの歌をはさんで辺野古現地行動参加者の報告、各団体からのアピール。元衆議院議員・服部良一さんは、9月18日に開催される「日朝国交正常化と東アジアの平和を! 9・18キャンドル集会」にむけて特別アピール。
集会後、JR大阪駅近くまでデモ行進をおこなった。(山藤修一)

沖縄の原点かけ 知事選で仇とる
山城博治さんの講演要旨(8月26日 大阪市内)

台風被害にあった西日本各地のみなさんに心からお見舞い申し上げます。災害大国日本、お願いだから安倍さんは自衛隊を解体して災害対策に全力を尽くしてほしい。
みなさん、一緒にがんばらせてください。政府の8月17日土砂投入の発表。翁長知事の埋め立て承認撤回の表明。知事の急逝。防衛局に対する「聴聞」の開始。沖縄はみな元気です。力を合わせてたたかおう。
これからも難関はあるが、あきらめずたたかい抜くことの先に勝利がある。この間の情勢はめまぐるしい。7月27日の撤回表明に際しては、翁長さんは職員の手を借りて6階から1階まで降りた。
ゲート前では撤回表明が拍手喝采で迎えられた。忍従と決意に燃えた日だ。そして月末に翁長さんが入院するとの一報。那覇市長時代には胃ガンを患い、その前に胆石の病気もあった。病気治療に専念してほしい思いと、知事がいないところでどうたたかえばいいのかという思いが交錯していた。
私は現場責任者の一人として、撤回の意向表明の後におこなわれた港の使用許可などにたいして、翁長さんにきつい言葉を投げかけたこともあった。
翁長さんが亡くなってから、工事は中断している。聴聞手続きも完了した。国は知事選後にとの意向だが、これは辺野古新基地問題が選挙の争点になれば勝ち目がないからだ。国は17日からの土砂の投入を控えるから「痛み分け」にと言っているが、ふざけるんじゃない。今までやりたい放題やってきたのはどっちだ。翁長さんは国に殺されたのだ。この仇は絶対にとる。
9月30日に沖縄県知事選が決まった。県は直ちに承認を撤回すべきだ。候補者は第一声で撤回を表明すべきだ。翁長さんは言葉の魔術師だった。翁長さんのように魂のメッセージを候補者が出せるかどうか。これまで政府にやられてきたが、国家権力の暴力に反撃するチャンスだ。たたかいは今日、この時のためにある。
候補者の玉城デニーさんという、アメリカ人の血をひく人が沖縄で知事選挙に立つということでアメリカで注目を集めている。関心も高いそうだ。沖縄での人気もある。
翁長さんがすごいのは、政治の流れに抗し、自らの命をかけることで、県民を揺さぶり状況を変えたことだ。「辺野古をあきらめてもいいのでは」という流れを止めた。あらためて原点を問う選挙になった。一カ月のたたかいだが、必ず勝利する。
辺野古新基地は、はじめは大浦湾から工事を始める予定だったのが、いきなり辺野古から始まった。これから工事予定の大浦湾は軟弱地盤で断層帯だからだ。作業ヤードもなく全国から運ぶ土砂をどこに置くのか。国は工事の既成事実を積み重ねる一方で、(名護)市長選で勝ったら「あれをします」「これをします」「財源は全部政府の振興資金でやります」と宣伝した。まさに政府による買収そのもののいかさまな選挙だった。国会議員を100人動員して、名護市の企業票を全部さらっていこうとした。
『週刊金曜日』に翁長さんの特集が組まれている。琉球新報、沖縄タイムスで知事逝去の社説が掲載された。翁長氏を失った意味は大きいが、人間は永遠に生きられない。しかし、後生の歴史に引き継がれ、死して歴史の中に生きる。
10月1日から埋め立て工事がはじまるかもしれない。しかし、撤回手続きに入れば1日から始まらない。
私たちのたたかいは大きくなる必要がある。基地建設阻止だけでなく、安倍政権への怒り、基地・戦争を押しつける政治への怒り、若者の職を奪い生活を壊す、そうした事への怒りでたたかいを広げよう。
9月30日の沖縄県知事選挙は沖縄の未来だけでなく、私たちみんなの未来を決める選挙と訴えてほしい。
(文責・見出しとも本紙編集委員会)

辺野古の海は壊させない
8月18日 堺市で稲嶺進さんが講演

8月18日、大阪府堺市で「辺野古の海は壊させない! 堺からも声を 請願署名スタート集会」が開かれ、500人が集まった。
堺市では、沖縄県外に住む自らの責任に向き合い、地域から声を上げようと市民がさまざまな取り組みを追求してきた。『標的の村』や『標的の島』の上映会。辺野古現地の座り込みに参加した人も多い。
姉妹都市であるアメリカ・バークレイ市の辺野古新基地建設反対の市議会決議と連携して、堺市議会決議を求めてきた。しかし過去6回の陳情はいずれも維新、公明、自民などの反対により否決。こうした現状を突破する新たな取り組みとして地域の中から新基地建設反対の声をあげようと請願(陳情)署名運動に踏みだした。陣形も「オール堺」を追求する。
こうしてこの日の集会が開かれることとなった。当日は開場前から参加者がつめかけ、通路も演壇上も場外のベンチも人があふれる盛況となった。

沖縄はあきらめない

最初に翁長知事を追悼し黙祷。メインの講演は『沖縄はあきらめない』と題して前名護市長・稲嶺進さん。稲嶺さんは冒頭市長選の支援にお礼を述べたうえで、子どもたちの未来のために新基地は造らせないと、穏やかな口調だが参加者の心にしみいる訴えだった。
「戦後27年間、日本国民でも合衆国民でもなく遺棄されてきた。当時は琉球政府発行のパスポートを持って日本に留学した。施政権返還でも何も変わらず異常が続く日常。琉球国に薩摩が侵攻、そして琉球処分、そこから圧倒的な権力・武力による構造的差別が造られてきた」
「ゲート前で何が起きているか。機動隊と海上保安庁の暴力による威圧・弾圧。違法状態での工事強行。米軍機の墜落、不時着、緊急着陸、部品落下で2017の年児童避難は527回。原因究明のないまま飛行再開、米軍に物が言えず基本的人権は無視され、憲法番外地だ」
「今の日本政府に自浄能力や当事者能力はない。朝鮮半島問題でも蚊帳の外。森・加計、日報、セクハラ、行政文書改ざん、裏口入学や贈収賄。名護市長選挙では期日前投票が投票者の58%の2万1660人。国家権力の総動員、創価学会は全国動員で200台のレンタカーで各種事業所に乗り付け期日前投票へ。公開討論会をすべて拒否し、候補者隠し、争点隠し。民主主義はへし折られた。一人一人の行動が平和を作り出してゆく。今日も明日も次の日もがんばる」
稲嶺さんの講演を受けて、対話と行動を広げ市民の中に「辺野古新基地建設NO!」の声を高める、街頭宣伝・署名行動にうって出る、11月10日を締め切りに5000名を超える署名を堺市議会に届ける、などの方針を確認して集会を終えた。
(坂田 彰)

3面

73年目の8・6ヒロシマ
被爆を継承し、核と戦争をとめる

73年目を迎えた8月6日、9日。いま被爆の体験を伝え、「核なき世界」を考え行動する若い世代が増えている。核兵器禁止条約を拒否する日本政府の態度に、広島で長崎で怒りの声が上がった。5日、広島で出会ったフランスの学生2人は「あすは大切なメモリアル・デーだから」と話していた。(取材/本紙編集委員会)

6日午後に開かれた「8・6ヒロシマ平和の夕べ」(写真左)。オープニングはシンガー・ソングライターの松浦美喜さんとバンドによる歌と演奏。参加した人たちは、『ヒロシマの有る国で』『九つの鐘』に聴き入った。
続いて「原爆と朝鮮人差別」と題して90歳になる李鐘根さんが被爆を証言した(下に要旨を掲載)。
平和講演は、小出裕章元京大原子炉実験所助教。(講演要旨は次号掲載)

声をあげなければ

福島から広島へ避難している女性。「広島生まれ。祖母が入市被爆し私は被爆三世です。福島に住み、事故後広島に避難し戻りました。福島の今と、避難してからの私の7年5カ月を語ることはとても難しい。東京にいるとき福島の自然に出合い通うようになり31歳で福島市に移住。私が被爆三世を意識したのは、ひどい悪阻のとき。被爆三世だからでは、と言われたことに傷つきました。三世の私のころでさえ、周りでは原爆のことが話されていました。ひどい悪阻に苦しみながら、それを思い出しました。
2年後に夫も避難し、5年です。昨年から親戚の空き家を借りての暮らし。福島で築いた自分への信頼感、自分の居場所が回復できずにいます。夫も病気になり、避難の困難は極限です。国と東電の責任を問う福島原発広島訴訟は4年になります。その時間と労力。しかし、小さな声でも上げなければ、この国では事故はなかったことにされてしまいます」と訴えた。

ヒロシマは拒否する

「『被爆地ヒロシマが被曝を拒否する』と、伊方3号機の運転差し止め裁判中。17年12月、広島高裁が運転差し止め仮処分決定を下した。期限は9月30日。周辺地域でも4件の仮処分提訴がされ大分が9月、次が松山、注目ください」(伊方原発広島裁判原告団事務局長・小田眞由美さん)。
「過酷な被爆体験を語り続け、福島を支えてくださる広島、長崎の被爆者の皆さんに心から感謝。福島原発事故による避難者は、世界では国内避難民といわれます。3月にジュネーブ国連人権委員会に出席、憲法に明記されている『全世界の国民が、等しく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存していく権利を有する』を引用し、そうではない状況を訴えてきました。そこに被ばくからの自由も含まれます」(原発賠償関西訴訟原告団共同代表・森松明希子さん)。

未来かけた知事選

沖縄・辺野古から駆け付けた安次富浩さんは「沖縄と基地、新基地建設に無関心な日本の人々こそ、いま考えてほしい。平和的生存権は、私たちがつくる。沖縄の未来は沖縄がひらく」と訴えた。(発言要旨は次号掲載)

核禁条約拒否の日本

「沖縄の道は、沖縄が拓く」「いまこそ立ち上がろう」と川口真由美さんが歌うと会場全体が拍手で応えた。電車内被爆者・米澤鐵志さんは「1945年、広島、長崎への原爆投下は人類への犯罪。それ以後もどれだけたくさんの人に核被害を与えてきたか。日本政府は、原発事故をなかったことにしようとし、せっかく成立した核兵器禁止条約を拒否している。そのうえ沖縄に新たに核を持ち込むなど許されない。私たちは絶対に核と核被害を止める。廃絶させる。きょうの集まりを、明日からに生かそう」とまとめた。
発言者、参加者から声を聞いた。「持ち帰り広める内容がある集会でした」「李さんの被爆体験、小出さん、避難者、安次富さん。これからの行動に励ましと勇気をもらった」「時間に追われ、切実な話が短くなったのが残念。もっと時間に余裕を」などだった。

植民地支配、戦争、原爆
李鐘根さんの被爆証言(8・6ヒロシマ平和の夕べ)

むごい差別

1928年、島根県氷見生まれ、在日2世です。小学生からは広島・吉和で育ちました。創氏改名で私は江川政市でした。小さいときは差別ということがわかりませんが、小学生くらいになると周りの親が教えるんですね、「あれは朝鮮人だ」と。6年生のとき学校の帰り、近所のおじさんに道端に立たされ、小便をかけられた。じっとガマンするしかなかった。家に帰って話しても父親は無言でした。それくらい、酷い差別があった。
機関車の運転手に憧れ鉄道に就職しました。学校への採用通知には「江川政市」という日本名と備考欄に「朝鮮人」と書かれていた。配属職場に行くとき、これでは不採用になると備考欄の朝鮮人を自分で消した。当時は親元の廿日市から広島駅まで電車に乗り、すぐそばの第2機関区に通っていました。

閃光 熱線 爆風

8月6日の朝は服装で母親と揉め、いつもの電車に遅れ(広電の)路面電車に乗り、爆心地を5分前に通過、的場町で降りた。橋を渡った時に、閃光。みんなピカッというけど、私は普通の朝の光景が一瞬で黄色とオレンジ色になったと思った。直後に凄まじい爆風で家々は全壊、町が燃えました。とっさに、訓練でやっていたように目、耳を押さえ伏せた。熱線、爆風は凄まじい。近くにいたおじさんが「お前の顔真っ赤や、ヤケドしとる」と。気がつくと服を着てないところすべてやられていた。山陽線の踏切で爺さん、婆さんが「この下に子どもがいるんじゃ、助けて」と叫んでいました。でも16歳の私には何もできない。ようやく職場の機関区に行くと、同僚が「江川、生きとったか。ヤケドしとるじゃないか」と機関車のオイルを塗ってくれたが、痛うて痛うて……。 

李鐘根さん

地獄と化した広島

昼、防空壕の中でまずい弁当を食べた。福島の子どもたちと交流したとき、「おじさんその弁当を食べたの」と聞かれた。放射能の知識などなかったからね。昼から同僚4人と、大きく南を迂回し家に帰ることにした。街は焼けただれた人の死臭でたまらなく臭かった。旧広島大学のところを通ったとき、馬がガレキの下敷きになり、死んでいた。死骸から目の玉が飛び出していたのに驚き、怖かった。あちこちの橋のたもとに、焼けただれた多くの人が「助けてくれ。水を下さい」と言いながら、焼けてドロドロになっている。水など持っていないのに、手から皮膚を垂らしジッと目だけが射るように私を見ている(右の絵)。地獄があるなら、これが地獄だと思いました。

体にウジ虫がわく

家に帰ると、両親は私をさがしに行ったと弟が言う。母は、途中で焼けただれた人の行列、屍体を山積みにした何台ものトラックを見て、息子も死んだだろうと引き返した。母は、私をみるなり「生きとったか」といって抱きつきアイゴー、アイゴーと泣く。父は翌日の夜、帰ってきたが食べ物を吐き、下痢を繰り返した。その後、近くに鉄道病院の分室があり「赤チン」をもらい全身に塗った。塗った後がカサブタになり剥がしてまた塗るのですが、それが痛かった。体の表側は塗れるが、首の後ろが枕に擦れヤケド跡が腐ってものすごく匂う、普通のヤケドではそうはならない。そこにハエがたかり、ウジ虫がわいた。母がウジを取ってくれながら、辛さの余り「アイゴー、パルリチュオラ(早く死ね)」と叫ぶんですよ。私も泣いた。「髪が抜けたら死ぬ」といわれていた。毎日、髪の毛を引っ張ってみるのが恐ろしかった。9月になってから、近所のおばあさんがゴマ油を持ってきてくれてね。私はゴマ油を塗って助かりました。その日本のおばあさんがいなければ、生きてはおらず皆さんの前で話すこともできなかった。
6年前、「体中にウジ虫が湧き、死んでいった人がいっぱいいた」という元日赤の看護師さんの話を聞き、それから証言を始めました。

朝鮮人被爆者の苦難

当時の広島市は人口約30万人。17万人が犠牲になったといわれる。しかし、被爆したのは日本人だけではなかったんですよ。日本の植民地支配により、収奪と貧困にあえぐ多くの朝鮮人が日本にやってきた。被爆死した朝鮮人は2万人とも3万人とも。朝鮮人被爆者の戦後は苦難の連続。朝鮮に帰った被爆者は、原爆と放射能についての情報を知ることもできず、原爆症に苦しんだ。被爆者健康手帳からも除外された。70年に韓国から孫振斗が強行入国し裁判闘争に訴え、やっと適用への扉を開いた。朝鮮人は、日本の植民地支配から戦争に引き込まれ、徴用、徴兵され二重の犠牲、差別を受けてきた。
いま高校生、若い生徒さんたちが一生懸命に私の話を聞き、それを絵に描いてくれています。

(注)8月26日、平和記念資料館での李さんの証言をあわせて掲載しました。 (取材・文責/本紙編集委員会)

4面

争点
志賀原発をただちに廃炉へ(下)
電力会社を救済する司法
田端 登美雄

「活断層の疑い」で一致

2015年5月、志賀原発断層問題に関する第6回評価会合が開かれ、重松紀生さんは「1、2号機タービン建屋直下を走るS2、S6断層は9・5万年前以前に活動した可能性がある」と述べた。また広内大助さん(信州大教授)も「1号機下のS1断層も含め、活断層であることを否定できないものと考える」と述べた。吉岡敏和さん(産総研活断層評価研究チーム)は「(S1断層周辺の地表について)断層運動以外では説明しにくい」とし、藤本光一郎さんは「(活断層にあたる)後期更新世以降に活動した可能性は否定出来ない」と述べている。有識者4人全員が「活断層の疑い」で一致した。
同年7月、第7回評価会合が開かれ、「活断層との疑いを否定できない」とする評価書案を提示した。評価書案は他の有識者を加えて点検したあと、規制委員会に提出された。評価書案中の「(活断層の)明確な根拠は認められない」や「検証は不可能」などの曖昧な文言にたいして、委員から「活動を否定できない」など活断層の可能性をはっきりさせるようにと批判がでた。

あがく北陸電力

2015年11月にピアレビュー(査読)がおこなわれた。3人の点検役の有識者は「亀裂がはっきり見えないので判定しにくい」(粟田泰夫さん)、「地層が堆積したあとにずれが生じた」(宮内崇裕さん)、「判断がむつかしいが、ずれたような印象を持つ」(水野清秀さん)と、「活断層の疑いは否定できない」という評価で一致した。
2016年3月、有識者調査団は第8回評価会合を開催し、「S1断層は北西部分が13〜12万年前以降に活動したと解釈するのが合理的」「S2、S6断層も周囲の地下延長部で、地表に現れない断層が13〜12万年前以降に活動したことで、動いた可能性がある」とする評価書案をとりまとめた。
北電は評価書案について「参考意見にすぎない」と醜くあがいている。
21016年4月有識者調査団がまとめた評価書が規制委員会に提出・受理され、6月原子力規制委員会は志賀原発2号機適合性審査をおこなった。規制委員会は北電の説明を受けて、さらに詳細なデータを求めた。

新規制基準を満たさず

2014年7月、第10回口頭弁論が開かれ、原告弁護人は、断層は志賀原発1号機直下にあり、S1断層が動いたときには原発に深刻な影響を及ぼすと指摘した。
S1断層が活断層であるという論拠について、志賀原発1号機設置許可前のトレンチ調査で出されたスケッチを示して、非常に明確な活動の跡があると説明した。
一度動いた断層はその部分に力がたまりやすく、周囲の活断層が動いたときに一緒に動いてしまうとも説明した。
2016年3月、第18回口頭弁論で、原告側弁護人はS2、S6断層が2号機原子炉のタービン建屋の下にある。そこには運転中の機器や非常用機器の冷却に使う配管など活断層上に設置することが禁止された耐震重要施設があるため、1号機同様、再稼働させてはならないと主張した。
結論では、「2号機タービン建屋直下にS2、S6断層があることは、新規制基準の定める『活断層直上施設設置禁止ルール』に違反している。ゆえに、志賀原子力発電所1号機のみならず、2号機も、新規制基準が求める水準さえ満たしておらず、耐震安全性が確保されているとはとうてい言えない」と締めくくった。
2016年9月の第20回口頭弁論では、原告弁護人は「裁判所が出した争点整理では、原子炉建屋直下の断層が活断層であるかどうかを重点的に審理するとしており、原告の主張は尽くされており、次回期日での結審」を要求したが、裁判長は首を縦に振らない。
北電は「専門家の意見の食い違いがあり、十分審理を尽くして判決を」と主張しているが、すでに有識者会議の専門的な判断が示されており、規制委員会の決定を待つまでもなく、活断層問題は決着がついているのだ。

結審しない裁判所

2017年7月、裁判所の構成が全面的に変わり、原告弁護団から更新弁論がおこなわれた。本裁判の最大の焦点である原子炉建屋直下の断層について、規制委員会は「活断層の上に重要施設を建ててはならない」と決定している。志賀原発はS1、S2、S6断層の真上に重要棟が建てられている。原告弁護団は裁判長に結審を求めた。
2018年3月、裁判長は今後の方針について、原子力規制委員会による活断層の判断を待って裁判所が判断すると話した。
一時休憩のあと、原告側から裁判所に釈明を求めた。「規制委員会の決定はいつになるのか?(―わからない)」、「いつまでも待つのか?(―待つのは相当)」、「2012年提訴から6年が過ぎ、裁判を受ける権利の侵害だ」などと、次々と翻意を促したが、裁判長はかたくなだった。
やむなく弁護団長が、裁判官3人の忌避を申し立てた。「前の裁判長は規制委員会の判断を待つつもりはないと言っていたのに、180度変わった、これは行政訴訟ではない、民事訴訟としての判断をすべきである。何時まで待つのかと聞いても、わからないという。これは迅速な裁判を受ける権利の侵害だ」と。

全国の運動と連帯を

北電が新規性基準適合性審査の申請を取り下げない限り、規制委員会の審査は終わらない。「判断を待つ」とは、「ゴーサインを待つ」と同義語だ。裁判所は危機に立つ北電に救済の手を差し延べたのだ。
こんな不公正な裁判所に判断を委ねるわけにはいかない。原告団・弁護団は担当裁判官3人の忌避(適正な裁判官に変えてほしい)を申し立てたが、5月14日金沢地裁は忌避申し立てを却下。18日原告弁護団が名古屋高裁金沢支部に即時抗告した。しかし6月12日、名古屋高裁金沢支部は即時抗告を棄却した。
全国38の脱原発裁判、福島原発事故被害者訴訟、原発労働者労災認定訴訟と連帯し、志賀原発の廃炉までたたかいつづけよう。(おわり)

釜ヶ崎日雇労働組合副委員長
三浦俊一さん 被ばく労働を語る
貧困層に依拠する原発産業

7月7日、狭山再審を求める市民の会・こうべは、神戸市内で「差別と原発」をテーマに講演集会をおこなった。釜ヶ崎日雇労働組合副委員長の三浦俊一さんの講演を紹介する。(見出し・文責/本紙編集委員会)

命を売る被ばく労働

原子力規制委員会の討論の中には、労働者の安全衛生に関わる指摘や基準は皆無と言っていい。原発作業員の被ばく限度は通常5年間で100ミリシーベルト(以下、単位略)、かつ1年間で50。緊急作業の場合は、当該作業に従事する間に受ける線量の上限は100だ。ところが2011年3月11日以降、原則として同年12月16日までの福島第一原発敷地内で行われた緊急作業の被ばく限度が、同年3月14日の厚労省令等により特例として100から250に引き上げられた。さらに4月28日、厚労省の通達で福島第一原発の緊急作業従事者が後に他の原子力発電所で作業する場合、被ばく線量が緊急作業と併せて年間50を超えたとしても、行政指導の対象としないということが実質的に容認された。11月1日および12月16日の省令により、緊急作業の被ばく限度は250から元通りの100に引き下げられた。緊急作業には約2万人が従事し、174人が100を、6人が250を超えて被ばくした。2015年8月31日には新たに省令が公布され、今後原子力発電所の事故で緊急作業が必要になった場合は、被ばく限度を250とすることが定められた。
原発は13か月に1回、定期点検を義務付けられている。この点検作業こそ最悪の被ばく労働現場であった。高線量下の原子炉容器内等の作業は最下層の労働者に割り当てられていた。正確な情報は公開されていないが、3・11事故直後に最も過酷な現場に投入されたのは、4号機の定期点検作業中の労働者だったのではないかと推測される。
報道によれば、東京電力は福島第一原発で4月から働く作業員4325人のうち、1295人と連絡が取れず、被ばく検査を行なっていないことを明らかにした。連絡がとれない1295人は、すべて東電の協力会社の作業員である。東電や厚労省は、会社を退職して所在がつかめなかったり、名前がわからないケースなどがあるためとしている。調査の陰に沈んでいったこの人たちこそ、偽装請負や闇手配で集められた労働者たちである。

非正規若年労働者へ

福島第一原発事故発生から1年で地元事業者や就労者の大半が許容被ばく線量を超えて就労が出来なくなった。さらに除染作業が開始され、人出不足は深刻になっていった。その人材不足を解消するための新たなシステムがネットで拡がっている。最近ではパソナが開発した求人システム「社名非公開求人」がそれである。今や被ばく労働は特別なものではない。そこは低賃金と貧困(非正規雇用)の時代の一大労働市場となっている。言い換えれば原発労働自体が若年の相対的貧困層の受け皿と化している。原発産業はそれによってしか成り立たない産業でもあるのだ。

再稼働で巨額の利益

関電、九電は同時期に再稼働に向けて原子力規制委から再稼働を許可された。その動きに合わせるように金融資本は原発投機に走った。アベノミクスによる量的緩和でだぶついた資金が投入された。11年から16年までの5年間で総額2兆1千億円が原発関連企業や電力会社に投融資された。なかでもみずほ銀行はその4割弱を占める。被ばく労働は本来の労働と呼べるのか。労働力を資本家に売るだけではなく、再生不可能な「命」を売る「労働」。被ばく労働が根源的に対立しているものは、金融資本のむき出しの搾取と暴力だ。

5面

明治維新150年キャンペーンのうそ
先進的な憲法構想を抹殺
大阪

8月8日、戦争あかん! ロックアクション主催で「明治維新の正体〜150年キャンペーンのうそ」という講演会が大阪市内でひらかれた。講師の関良基さん(拓殖大学教授)は、江戸時代の末期、先進的な憲法構想を持ちながら、テロに斃れ、歴史的に抹殺された赤松小三郎に注目し、明治維新の意味を問い直している。以下講演のポイントを紹介する。(池内慶子)

明治維新は反革命!

@明治維新を近代日本の出発点としてとらえることは左翼・右翼に共通している。
安倍晋三も、共産党の宮本顕治元議長も長州(山口県)出身で、尊敬する人物は吉田松陰。この明治維新観を長州史観と呼ぶ。皇国史観・王政復古史観(長州右派)では、列強による侵略と植民地化の脅威を過大に評価。「尊王攘夷」という排外主義運動も「日本が独立を維持し、近代化した原動力」として肯定的に評価。欽定憲法の押し付けによる専制体制の確立も、「立憲政治の確立」と評価している。
対して講座派マルクス主義史観(長州左派)でも、欧米列強による「外圧」を強調し、明治の「絶対主義体制」の確立も、民族独立のための「必死の国家的課題」であったと肯定的に評価している。
A長州史観では1858年に締結された日米通商修好条約を、不平等条約であり、その結果物価が高騰、在来産業が潰れ社会不安が起こったと説く。しかし実際は、関税率が20%、アヘンは貿易の禁制品目に指定など、日本に有利な内容だった。しかし尊王攘夷派の朝廷工作により徳川政権が横浜港を閉鎖、イギリス陸軍省は日本侵攻計画を準備するようになった。
B尊王攘夷派の外国人殺傷テロ活発化によって、日本は1875年まで英仏軍の駐留を受け入れざるをえなくなり「半植民地」状態になった。 特に、長州藩がアメリカ、フランス、オランダの船を次々に砲撃した下関事件(1863年)は、翌年英仏米蘭4カ国による下関戦争になり長州は惨敗。イギリスはこれを口実に賠償金300万ドルの支払い延期の代償として、関税率の引き下げを徳川政権に要求。その結果、関税率は5%に。長州は自ら不平等条約のきっかけを作っておきながら、その責任を徳川政権に転嫁した。
C惨敗した長州藩は攘夷から開国に宗旨変え。イギリスに接近し政権を奪取。伊藤博文から安倍晋三まで長州出身の総理大臣が続く。維新政府は伊藤博文はじめテロリストだった人物が高官を占めた。
D維新政府樹立前から多くの憲法構想があった。中でも赤松小三郎が1867年に建白した「御改正之一二端奉申上候口上書」は、人類普遍の価値観に立脚した憲法で、上下院両議院の人選は普通選挙によって門閥貴賤にかかわらず、人望がある人を公平に選ぶとしている。また、教育の権利と義務、法の下の平等、個人の尊重、職業選択の自由を唱えている。
彼は徳川政権と薩摩の内戦を回避し、平和的な新政権樹立を目指したが、薩摩藩士の中村半次郎(桐野利秋)らに暗殺された。 E 諸侯議会制、議会制民主主義(赤松小三郎案、薩土盟約)、大君主制、祭政一致体制という4つの政体構想があったなかで、議会制民主主義が大きな支持を得ていたが、薩長が武力で討幕をしたため、祭政一致体制が選択された。それ以来天皇神格化思想が蔓延。自由民権運動も天皇大権に異議を唱えられず、理念的には慶応年間より後退した。
『赤松小三郎ともう一つの明治維新―テロに葬られた立憲主義の夢』(関良基著、作品社2016年刊)

「口封じ」に臆せず
平和祈念のつどい”が成功
東大阪

寸劇や歌で盛り上がった平和祈念のつどい
(8月7日)

地域から声をあげる 「平和祈念のつどい・東大阪」は2016年に開始された。前年の2015年に戦争法が強行可決され、国会で改憲勢力が2/3を占めるなどキナくさい社会状況が生まれてきている中、自分たちの住んでいる東大阪で、なんとかしたいと思っている人たちが立場の違いを超え、一つになって集まっていこうということで開始された。こういう平和への取り組みに当時の東大阪市は賛同し、市として後援することを決定した。

東大阪市との攻防

しかし、昨年の第2回のつどいから東大阪市の様子が変わってきた。安倍政権を批判した寸劇と軍隊慰安婦の発言を「偏っている」「政治的」(市回答書)としてきたのである。寸劇は籠池問題を取り上げ、安倍昭恵が寄付した100万円のことを題材にした。軍隊慰安婦問題ではオ・ウギョンさんが2015年12月に突然行われた日韓合意には当事者の声がまったく反映されていないことを批判した。しかし、担当部局の人権文化部は2018年の第3回も同じようなら東大阪市としては後援しない、東大阪市の市章である平和の鳩をかたどったシンボルマークもチラシに使うことを禁止するとしてきた。
つどい実行委員会が人権文化部に具体的に何が問題なのかを追及しても回答はなく、後援するかどうかは人権文化部の裁量だから裁量の範囲でやっているという回答に終始した。また公園管理課は、つどいが行われる春宮公園を貸さないとしてきたが、松平要市議が理由を糺すと同課はこれを撤回した。

たくましい民衆運動

8月7日の平和祈念のつどいでは冒頭司会からは、「口封じ」をしようとする野田市長に対し、臆することなく表現していきましょうと提起された。寸劇は人権文化部を題材にしておこわれ、人権文化部に扮した人たちが口々に「市長の顔色を見ずに、市民のために働きたい!」「人権文化部には人権も文化も守れない!」「人権文化部も人間だ!」と叫ぶセリフのところでは会場から笑いと大きな拍手が起こった。軍隊慰安婦をとりあげたオ・ウギョンさんは、日本では間違って「少女像」と呼ばれているが本当は「平和の碑」であるとしてその名前の由来を含め発言した。
新鮮だったのは6月23日の沖縄戦没者追悼式で発表された「生きる」という詩の朗読だった。寸劇の脚本を書いているくるみざわさんといっしょに俳優として活動する住岡さんが朗読した。抑揚の効いた朗読は目をとじると沖縄の現状が迫ってくるようだった。
イムジンガンを歌ったカン・ソクチャさんは「祖国が2つに割れて70年、“ふるさとは南の地、なぜゆけぬ”というイムジンガンを歌うたびにいつも胸が痛む思いがしていた。
猛暑のため急きょ春宮公園から荒本人権文化センターに会場を移したためか参加者は130人と少なかったが、逆に会場カンパは昨年の4万円台から5万円台に増加した。
「口封じ」をしようとする野田市長に対し、臆することなく、抗い、おおらかに、それぞれの参加者が思い思いに自己表現したことの中に、東大阪に根づいた民衆運動のたくましさを感じた平和祈念のつどいだった。(三船二郎)

【定点観測】(8月11日〜26日)
安倍政権の改憲動向

8月11日 安倍首相は自民党総裁選への立候補に強い意欲を示した。「6年前に出た時の志はみじんも変わっていない」「(憲法9条に自衛隊を明記する改憲の実現に)大きな責任を持っている」「憲法改正に取り組むときを迎えた」と強調した(山口県での党集会)。石破元幹事長は(安倍首相の9条2項を残し、自衛隊を明記する案に)「何も変わらない改憲をしてどうする」「参院選合区解消や緊急事態条項新設を優先するべき」と改憲を競い合い批判した。
8月25、26日 共同通信が全国電話世論調査を実施。@「秋の臨時国会に自民党改憲案を提出したい」という安倍首相の意向に、「反対」49・0、「賛成」36・7と反対が10ポイント以上上回った。「分からない・無回答」14・3。A「自衛隊を明記する必要はない」30・9、「2項を維持したまま自衛隊を明記」40・0、「2項を削除し自衛隊を明記」17・8、「分からない・無回答」11・3だった。(数字は%)

6面

旧海軍柳本飛行場建設に動員
韓国人遺族を迎えて集会
奈良県天理市

証言する金成嬉さん

8月15日、「天理柳本で亡くなった韓国人遺家族を迎えて/8・15を考える市民集会」が奈良県天理市内でひらかれた。主催は、天理・柳本飛行場跡の説明板撤去を考える会。 大和海軍航空隊大和基地(柳本飛行場)の建設は、1943年秋から始まる。飛行場建設には朝鮮半島出身者がたくさん動員された。1000人〜3000人とも言われているが、正確な記録は残っていない。そこには二つのタイプがある。すでに日本に住んでいた労働者と強制連行された労働者だ。
金海永さんは江原道で軍属として徴用され、1945年3月に柳本に強制連行されてきた。その1カ月後、海永さんは感電死によって亡くなっている。遺骨だけが家族のもとに届けられた。
金成嬉さんは、金海永さんの長女。成嬉さんが生まれた3日後に、海永さんは柳本で亡くなっている。当然、成嬉さんに父の記憶はない。母はしばらくして再婚したために、成嬉さんは父方の祖父母にひきとられる。
金成嬉さんは朝鮮戦争で戸籍簿を焼失し、親子関係を証明するものがなくなり、中学校にいくことができなかった。以後、父方の祖父母の籍に入って生活をした。名前も吉子から成嬉にかえた。成嬉さんは21歳で結婚、31歳の時に連れ合いを亡くしている。苦労しながら、3人の子どもを育ててきた。
集会では、金成嬉さんの証言を聞いた。前日(14日)に、成嬉さんは専行院(柳本にある浄土宗の寺)に残る過去帳を閲覧し、父の名前を確認している。金成嬉さんは怒りをこめて語った(別掲)。
8月15日は、朝鮮にとっては解放の日。集会参加者は侵略されたアジアの人々に思いをはせ、再び為政者に侵略戦争をさせないことを決意した。

金成嬉さんの証言



お父さんが日本で亡くなったことは母から聞いていた。けれども、信じることができなかった。昨日、専行院の過去帳で父の死を確認した。つらくて、寝ることができなかった。お父さんの魂にふれて、ここで死ぬつもりでやってきた。父に連れて行ってほしいと思った。昨夜、お父さんが夢に出てくることはなかった。父につけてもらった名前は吉子だった。父が「キルチャ、よく来てくれた」と言っているような気がする。
父は勉強がよくでき、高校までいった。だから、軍属として徴用された。母は柿の木をみて「柿が食べたい」と言うと、「父が木に登って柿を取ってくれた」と言っていた。母にとっても、これが父に関する唯一の思い出だった。
朝鮮戦争の時は、母方の祖母に背負われて避難した。とても貧しい、大変な思いをした。
父の写真は朝鮮戦争で焼けてしまってので、私は父の顔も知らない。この戦争で、親子関係を証明する戸籍簿も焼失してしまった。
日本には来たくなかった。日本はきらいだ。長男の子には日本に行くとは言っていない。長男に言えば、「日本に行って、何かいいことがあるのか」と反対されるから。
天理市は宗教の街だと聞いていた。わたしはキリスト教徒なので、十字架をつけてきた。私の家はもともと金持ちだった。植民地時代に、すべて奪われてしまった。父は軍属として日本に連れていかれた。その歴史は、皆さんに知ってもらいたい。

生活保護引き下げ違憲訴訟
社会保障全体の底上げを

7月15日、生活保護基準引き下げ違憲訴訟関西ブロック交流会の第3回が大阪市内で開催された。
記念講演の講師の桜井啓太さんは堺市役所でケースワーカーをしていたが、大阪市大の非常勤講師や特別研究員を経て現在、名古屋市立大学准教授。生活保護や最低賃金、社会的排除や貧困などを研究テーマにしている若手の研究者である。
講演テーマは「生活保護基準の再引き下げと生活保護法改正」である。生活保護基準は2013年8月に戦後初めて引き下げられた。削減額は年670億円という大幅なものである。さらに、同年12月に期末一時扶助が年70億円削減、2015年7月に住宅扶助が年190億円削減、同年11月、冬季加算が年30億円削減された。
今年10月から新たに生活保護基準が年160億円削減される。これは戦後2番目の引き下げ額である。桜井さんは今年10月からの再度の保護費の引き下げは「生活扶助本体削減」→「期末一時扶助引き下げ」→「冬季加算削減」という負のスパイラルの2巡目の開始だと警鐘を乱打した。
桜井さんは次に、生活保護法の再改正で生活保護利用者に「後発医薬品」の使用を原則化することが明文化されることの問題点を指摘した。生活保護利用者にだけ「後発医薬品」の使用を「原則化」することを法律に書き込むのは差別であると指摘する。従来、国民健康保険の水準に準じた形で医療保障をしてきた生活保護の医療扶助が危機に瀕しているのである。国は保護基準だけでなく医療扶助にも手をつけ、利用者に対する差別を始めたのである。桜井さんはこれを放置すれば生活保護利用者には「劣等な水準」でよいという差別をつくりだすと指摘する。今、求められているのは社会的排除や差別ではなく、社会保障全体の底上げであると結んだ。

生活保護基準引き下げに反対する運動には実に多くの人たちが関わっている。その広がりには目を見開かされる。あらためて社会保障の運動と労働運動がスクラムを組んでたたかうことの重要性を自覚した交流会だった。(米村泰輔)

過去の植民地支配と向き合う
ジャーナリスト川瀬俊治さんが講演

7月30日、大阪市内で、第22回世直し研究会がひらかれた。今後3回にわたって、ジャーナリストの川瀬俊治さんが「植民地の過去清算と反核・反基地・平和運動をつなぐ視点」という共通テーマで講演する。
川瀬さんは、奈良県における朝鮮人強制連行の歴史を発掘・調査してきた。川瀬さんたちの運動が、天理・柳本飛行場跡(奈良県天理市)の説明板設置を実現させた(1995年)。今回、川瀬さんは「朝鮮と台湾の植民地支配にかんして、日本の支配者は過去を清算していないし、民衆の側もそれに安住しているのではないか」という問題意識で講演をおこなった。

琉球独立について

最近、川瀬さんは金城実さんと松島泰勝さんの対談本『琉球独立は可能か』(解放出版社)を出している。川瀬さんは、今日の沖縄を日本による植民地支配としてとらえている。この点から、琉球独立に共感する立場で、この本を出版した。
今回、沖縄問題について講演した。川瀬さんは、今回編集した本に関して強調しておきたい内容を3点あげた。
「ひとつは、安里清信さんの思想について。安里さんは、金武湾の石油備蓄基地反対運動で『ひとり一人が代表』ということを強調していた。これが辺野古の運動に受け継がれている。戦前、安里さんは朝鮮で教員をしていたが、安里さんは植民地支配にたいして厳しく向き合っておられた。また、安里さんは沖縄独立に心をよせていた。」
「2点目は、基地引き取り運動について。金城さんは本のなかで『沖縄でやられたことは、かならずヤマトゥに移っていく』ことを肝に銘じて、沖縄の基地反対を自分たちの問題としてたたかうべきだという趣旨のことを述べている。金城さんが言っていることが、おそらく正しいのではないか。」
「3点目に、日本の植民地主義の清算という問題について。京都大学は、戦前に沖縄の墓から遺骨を持ち去ったまま、今日もそのままにしている。もうすぐ、松島さんたちが遺骨の返却を求めて裁判をおこす。この裁判を支援してもらいたい。」

国家暴力との闘い

そのうえで、川瀬さんは沖縄のたたかいについて次のように述べた。「沖縄・辺野古で政府がやっていることは、国家による暴力そのものだ。また、名護市長選挙では国家をあげて稲嶺市長おろしをおこなった。韓国では、ろうそくデモに1700万人参加したが、国家暴力は発動できなかった。朴槿恵政権は戒厳令を模索していたようだが、現実には実行できなかった。これは朴元淳・ソウル市長がいたことが大きい。」
国家の暴力にたいして、民衆闘争はどのように対応していくべきか。これには正解はない。さまざまなたたかいを総括しながら、運動は発展していく。民衆自身が具体的に解決していくのだろう。(津田保夫)

(短信)
維新・大阪市長が新「教育破壊」プラン

8月2日、吉村大阪市長は、全国学力テストで大阪市が全政令指定都市のなかで最下位であることを問題視。今後、学力テストの結果を教員・校長の人事評価と一時金に反映させると表明した。
生徒の「学力」が生活環境と密接にかかわっていることは周知の事実だ。大阪府は子どもの貧困率が高く、大阪市は生活保護率、就学援助率とも全国で一番高い。行政がまずやるべきは、保護者の生活基盤を安定させ、子どもが安心して生活を送り、学習する環境を整えることだ。これは教員を萎縮させ、教育を破壊する暴挙。