未来・第251号


            未来第251号目次(2018年8月2日発行)

 1面  労働者を守る政治作ろう
     7月19日 8千500人が国会前に結集

     翁長知事 撤回へ決意示す
     土砂投入阻止 県民大会を成功させよう

 2面  朝鮮戦争終結へ平和協定を
     金昌五さんが大阪で講演

     岩国基地 極東最大規模に
     住民襲う米軍機の爆音

     次の5年みすえ組織化へ
     関西合同労組 大会で新委員長選出

     非正規雇用が過去最多記録
     就業構造基本調査

     おわびと訂正

 3面  ハマキョウレックス・長澤運輸事件
     最高裁判決めぐり活発に議論
     大阪      

     兵庫県三田市 障がい者監禁事件
     長男を30年間檻の中に     

     【定点観測】(7月5日〜20日)
     安倍政権の改憲動向

 4面  論考 ドイツ革命の敗北とエーベルト 八代 秀一
     “ベルリン市街戦”とは何だったのか

     井田一郎さんを偲んで
     狭山再審の実現へ献身

 5面  直撃インタビュー(第35弾)
     憲法カフェとミナセンで走った3年
     平和に生きる権利を求めて(上)
     弁護士 弘川欣絵さんに聞く

     夏期カンパのお願い

 6面  シネマ案内
     不可視化された人びと
     カンヌ国際映画祭最高賞受賞作品 『万引き家族』(是枝裕和監督 2018年/日本)

     読者の声
     障がい者を襲った豪雨災害
     介護ヘルパーとして思ったこと

     猛暑のなか、退陣要求デモ
     安倍はやめろ!
     7月21日 神戸

       

労働者を守る政治作ろう
7月19日 8千500人が国会前に結集

「安倍内閣総辞職!」のプラカードをかかげ国会に怒りを叩き付ける(7月19日 国会正門前)

7月20日、通常国会が事実上閉幕した。この国会で安倍首相は森友学園や加計学園をめぐる重大な疑惑にたいして具体的な説明を一切拒否する一方で、「定額働かせ放題」の労働法制改悪やカジノ法を強行成立させた。形骸化し空洞化する国会にかわって民主主義を実現する民衆の運動をつくり直そう。まずは8月11日、沖縄県民大会の成功を実現しよう。

7月の「19日行動」は、最終盤を迎えた国会にたいする行動として、国会正門前を中心におこなわれ、猛暑のなか8500人が集まった。 はじめに、安倍政権と国会に向けて抗議のコールをたたきつけた。野党のあいさつでは、国民民主党、社会民主党、日本共産党、沖縄の風、無所属の会、立憲民主党の各党代表が決意表明。 連帯のあいさつでは、日本労働弁護団の棗一郎さん、沖縄から山城博治さん、安保法制違憲訴訟の山口宏弥さん、豊中市議会議員の木村真さん、市民連合、TPPプラスを許さない! 全国共同行動の山浦康明さん、東京過労死を考える家族の会前代表の中原のり子さんがアピールした。

安倍と対峙する沖縄

山城さんは「暴走し、凶暴化する安倍政権と対峙して、沖縄は今ぎりぎりのたたかいを強いられている。新たな囲い込みや機動隊の増強で、ゲート前では一切抗議をさせないという体制が作られようとしている。海では、ついに護岸がつながり、海が囲い込まれようとしている。翁長県知事が、7月23日にも(埋め立て)承認の撤回をするだろうと新聞に出ている。8月6日から大行動が始まる。11日には3万人規模の県民大会が開催される。16日からは、17日の埋め立て開始を許さない第2波の大行動をおこなう。全国からの結集をお願いする」と緊迫する辺野古のたたかいを訴えた。

TPP、EPA反対

山浦さんは「環太平洋連携協定(TPP)も、その関連法案も強行採決された。多少見直されたが、ISD条項(投資家対国家間の紛争解決条項)では多国籍企業から日本政府が訴えられる危険がある。遺伝子組み換え食品も大量に輸入され、公共事業への外資の参入で、地方の企業は圧迫される。関連法では、独占禁止法の規制緩和が予定されている。EUとの経済連携協定(EPA)も締結された。今後も、東アジア地域包括的経済連携(RCEP)などさまざまなEPAが予定されている。このような動きにも反対する」とアピール。

「森友、加計疑惑を徹底追及するぞ!」(7月12日 国会議員会館前)

過労死を止めよう

中原さんは「政府は、過労死を本気で止めるつもりはない。データのうそが発覚して裁量労働制の拡大は取りやめられた。経済界だけが『残念だ』と言っている。労働者のなかで、裁量労働制の拡大がなくなって『残念だ』なんていう人に一人も会ったことがない。私の夫がそうだったように、これ以上日本の労働者を食いつぶすような働かせ方をさせるわけにはいかない。労働者を守るための政治を私たちが作り上げていこう」と訴えた。最後に、高田健さんから行動提起を受け、国会に怒りのコールをたたきつけてこの日の行動を終えた。(島田秀夫)

翁長知事 撤回へ決意示す
土砂投入阻止 県民大会を成功させよう

辺野古に基地はいらない!ゲート前で抗議を続ける人びと(7月23日 名護市内)

7月7日 オール沖縄会議が呼びかける「ジュゴンを守れ、土砂投入を許さない 辺野古新基地建設断念を求める県民集会」が、名護市辺野古のキャンプ・シュワブゲート前で開かれ、2000人が参加した。

知事の決意に歓声

沖縄防衛局が「8月17日にも土砂投入の開始」を発表する緊迫した情勢のなか、多くの市民が「民意を無視した基地建設をやめろ」と怒りの声を上げた。翁長雄志沖縄県知事は集会にメッセージを寄せ、埋め立て承認の撤回について「法的な観点から検討をおこなっている。環境保全措置などについて看過できない事態となれば、わたしは躊躇なく撤回を決断する」と意思表示した。翁長知事のゆるぎない決意が示されると、参加者から大きな拍手と指笛がわき起こった。
14日 深夜、シュワブ第1ゲート前で新たな柵が設置された。設置は午後11時頃に始まり、15日午前6時までに終了した。車両搬入に使われている第1ゲートには、これまで警察車両が置かれ、市民の座り込みを妨害していた。
今回その場所より前に柵を設置した。さらに車道には交通規制材(高さ1メートルのポリタンクに水を入れて固定したもの)を並べたため、人が通るスペースは1メートルほどしかない。座り込みを排除することが目的であることは明らかだ。
17日 シュワブゲート前に市民が結集し、幅1メートルしかない場所に座り込んだ。やがて工事車両が到着。防衛局は車両が通るスペースを確保するため、交通規制材や柵を移動するのに手間取り、車両搬入に通常の倍の時間を要した。車両通行後、そのスペースはそのままにして、民間警備員をこれまでの倍する人数に増員しゲートを封鎖した。

県が工事停止要求

18日 翁長知事は「埋め立て承認を撤回」する方針を固めた。県は17日に「工事停止を要求する」文書を防衛局に発送した。即時に工事が中止されないと判断すれば撤回表明に踏み込む。撤回に向け防衛局から弁明を聴く「聴聞」手続きを開始する。8月17日に予定されている土砂投入前に撤回したい考えだ。
19日 海上では護岸工事が進められ、「N5」「N3」「K4」を囲む部分がつながった。これにより、埋め立て予定区域「2―1」の開口部がとじられ、土砂投入が可能になった。
23日 シュワブゲート前では狭いスペースに市民らが座り込んだ。機動隊の排除攻撃はすぐに始まり、たちまち排除された。工事車両が続々と連なってやってくる。車両を何としても止めようと、プラカードを掲げ声の限り抗議を続ける。ある人は車両の前にプラカードを掲げ道路を横断する。機動隊は阻止しようと追いかけるが、次の人が同じく道路を横断する。このように創意工夫をこらした阻止行動を展開したが、この日は3回にわたり工事車両469台がゲート前から入った。
24日 過去最高の470台の車両が搬入された。海上からの搬入も激増している。台風で陸揚げされなかった運搬船数隻が待機している。市民の怒りは沸点に達している。
8月11日、那覇市の奥武山陸上競技場で県民大会が開かれる。万余の怒りを結集しよう。8月6日から17日までのゲート前、海上行動に決起しよう。(杉山)

2面

朝鮮戦争終結へ平和協定を
金昌五さんが大阪で講演

7月17日、大阪市内で「南北・米朝首脳会談を支持・歓迎し、日朝対話の再開を求める7・17集会」がひらかれた。主催は日韓平和連帯。
集会は冒頭、司会から「関西空港税関での神戸朝鮮高校生たちのお土産没収は『日朝関係を後退させていいぞ』という発信」との政府・経産省への怒りの声からスタート。
主催共同代表の山元一英さんがあいさつ。「この統一と平和への流れをつくったのは、キャンドル革命と民衆だ。米朝会談がおこなわれ、平和への流れができている。戦争状態をなくして東アジアと日本の平和を求める我々の運動とこれらの流れは緊密に関わっていることを皆さんに理解してもらいたい」「私達は戦争・憲法改悪に反対し、安倍政権を倒すたたかいをやりきっていくために、この朝鮮半島の激変にたいし傍観者であってはならない」と熱い思いを語った。
講演は、金昌五在日韓国民主統一連合(韓統連)大阪本部副代表委員が「南北・朝米首脳会談の歴史的意義と今後の展望」と題しておこなった。
集会の最後に、「東アジアに平和を! 7・27キャンドル行動」への参加要請を社民党の服部良一さんがおこない、また、例年の訪韓団結成の報告もおこなわれた。 以下、金昌五さんの講演概要を紹介する。

世界に感動を与えた「南北首脳会談」

@圧巻は軍事境界線での握手だった。日本の新聞は「南北が完全な非核化で合意」などと報道。これは、完全な非核化は北が核を放棄するという誤った理解である。朝鮮側は絶対に北の非核化とか北の核放棄とか言わない。
A正しい意味の朝鮮半島の非核化は、米の核の脅威を除去すること。そのために必要なことは、米韓軍事演習中止、制裁の解除、平和協定の締結、在韓米軍の撤収、関係正常化。 B米が核保有している限り、政策転換して攻撃してくる可能性も。そこで出てきたのが、世界の非核化。日本では「核廃絶」で、すべての核をなくす。朝鮮では「世界の非核化」と表現する。一方的な非核化ではない。
C日本のテレビは北を「裏切りの歴史」というが、事実は、ことごとく米が合意を破ってきた。
D南北共同連絡事務所を開城に設置。この発展形は、統一朝鮮の首都を開城にと。板門店宣言で合意したと見ることができる。

6・12朝米首脳会談

@朝米会談の「実現の背景」は、制裁と圧力(日本)でなく、キャンドル革命と火星15号であり、「会談の性格」は、北の核放棄、体制保証、経済援助でなく、本当は敵対関係を解消して関係正常化すること。
A各紙報道は「北、非核化約束」。正しくは、会談の議題通り「新たな朝米関係の始まり」だ。日本の世論は、北の核放棄が実現するかどうかで止まったまま。一番重要な合意内容は、トランプが朝鮮に安全保障を約束したこと。
B今後の展望 北はミサイル中止発表、核実験場爆破。トランプは軍事演習中止表明。今後お互いの態度を見ながら次の行動をとるだろう。アメリカには対話以外の選択肢はなく、朝米関係は紆余曲折はあっても必ず進んで行く。

朝鮮敵視政策転換し、朝日国交正常化へ

深刻なのは、安倍だからでも、自民党だからでもなく、野党含む全部が朝鮮敵視政策に染め抜かれていることだ。私たち一人一人が朝鮮をきちんと見て、考え、語ることによって日朝の新しい時代が始まる。(高橋芳夫)

岩国基地 極東最大規模に
住民襲う米軍機の爆音

7月13日、岩国・労働者反戦交流集会実行委員会主催の、2018岩国行動スタート集会が大阪市内でひらかれ60人が参加した(写真)
岩国市から市会議員の田村順玄さんが来阪し、現地報告をおこなった。今年3月末に米軍厚木基地からの空母艦載機移転が完了し、海兵隊の航空基地から海軍の空母艦載機も加わり、岩国基地は極東最大の米軍航空基地になった。
航空機の総数は自衛隊機を含め160機に達し、うち米軍機は120機を超える。4月から6月にはあまりの爆音の激しさに、地元では「飛行機の爆音がうるさいですね」が日常のあいさつになった。
7月1日には「爆音はごめんだ。市民大集会」が緊急に開催され、爆音反対署名を今年中に3万人を目標に集めている。発行しているニュースの裏に署名用紙を印刷しているが、それに署名されてどんどん送られてきている。 6月1日におこなわれた「サウンドオブフリーダム」という行事で岩国基地のリチャード・ファースト司令官が岩国市会議員を基地に案内した。2011年以降基地入場を拒否されていた田村さんも入ることができた。そこで、田村さんの質問に答えて、司令官は、昨年12月から入居が始まったアタゴヒルズの米軍住宅には40家族しか入っておらず入居率は15%。それにたいして岩国市内に住む米軍世帯は570世帯であることを明らかにした。
この事実は、いままで防衛省が防衛上明らかにできないといくら質問してもいっさい答えなかった。市議会で田村さんの質問に、岩国市は今後交渉して市民に明らかにしていきたいと答えている。
この日の集会では、激変する岩国の現状にたいして、爆音反対署名を集めること、11月24〜25日の岩国現地行動に参加することを確認した。(多賀)

次の5年みすえ組織化へ
関西合同労組 大会で新委員長選出

関西合同労組第25回大会が7月8日、西宮市内で開催された(写真下)。西日本集中豪雨による交通の寸断で神戸ヤマトなど物流関係の分会の代議員が参加できないというハプニングがあったが、50人が参加した。港合同、全港湾大阪、連帯ユニオン、武庫川ユニオン、港合同南労会、部落解放同盟全国連ほか市民運動から11団体9個人の連帯メッセージが寄せられた。
来賓として、被災地雇用と生活要求者組合・代表の長谷川正夫さん、障害年金の国籍条項を撤廃させる会・李相泰さん、琵琶湖ユニオン書記長の稲森秀司さん、ワーカーズコープの山田昌子さんから連帯のあいさつ。
17年度の総括(第1報告)で石田勝啓委員長は、@福電(高齢女性労働者の雇止め解雇・労働審判での勝利的和解)、大豊運輸倉庫(分会の不当処分・府労委の勝利命令)、摂津清運(高齢者雇用継続での大幅賃金カット・県労委和解=65歳定年延長)、神戸ヤマト(組合間差別・中労委和解=新組合事務所獲得)の勝利を確認、Aたたかう労働運動の共闘の前進、B市民運動・社会運動との共闘(社会的労働運動)の前進を踏まえ、C5年先を展望する新執行部体制と組織化のたたかいを『職場を変える秘密のレシピ47』の学習を通じて実践しようと提起した。
蒲牟田宏書記長から兵庫支部のデイリー、神戸洋服のたたかい、宝塚保養キャンプや市民デモHYОGОの運動などとの連帯が報告された。大阪支部総括では、メーデー90周年という諸闘争、東大阪プリモパッソ争議、京都・滋賀での将来的組織体制のあり方、佐々木副委員長からは摂津清運の報告と7月下旬「南北・米朝会談から日本の現状を考える」(康宗憲さん)講演会への青年部の取り組みが訴えられた。
情勢(第2報告)では米朝会談、労働法制大改悪をポイントに労働運動の持つ位置を提起。方針(第3報告)では、「新たな関西合同労組のたたかいを展望し討議しよう」と提起があった。
「自衛隊員は平和を望み、国を守るためにがんばっている。それを『戦争をするため』というのは認識がおかしいのではないか」(元自衛官の組合員)、「組合員が2桁の分会を2桁つくる組織拡大の方針が出されているが、具体的な職場を特定して方針を出さないのか」「(ダスキンフランチャイズ店の)社長のあまりの横暴・パワハラを何とかならないか」などの発言、訴えなどの活発な意見が出され、討論がおこなわれた。17年間委員長を務めた石田委員長が退任し、新たに佐々木伸良新委員長が選出され、「この組合を大きく、強くしたい」と決意を述べた。
スト確立の報告と、〈働き方改革法とのたたかい〉〈沖縄辺野古新基地建設に反対する決議〉の2本が採択され、新しい情勢と時代に対応した新体制と5年先を展望する組織と運動の方針を確認し、第25回定期大会は成功裏に終了した。(石田)

非正規雇用が過去最多記録
就業構造基本調査

17年、労働人口の全体数は12年から179万人増加して6621万人となっている(総務省の就業構造基本調査、7月13日)。そのうちパートや有期契約、派遣などの非正規雇用労働者は90万人増の2133万人となり過去最多となった。全体中の割合は4割を超えるが、とくに40代以上の増加が激しい。複数の家族が働き家計を支える状況の反映か、15〜65歳の生産年齢人口に占める労働者の割合は3・7ポイント増の76・0%で過去最高。前回調査からの5年は、安倍政権の5年と重なる。「働かせ方改革」法案が強行され、非正規雇用は今後もさらに増えることが予想され、資本の側は非正規雇用の待遇改善を正規雇用の条件を下げる方向で出してくるだろう。
非正規雇用労働者の割合が全国一となったのは沖縄県で、43・1%(25万3800人)にのぼった。5年前の調査に比べると1・4ポイント減少しているが、前回に続いて全国で最高だった。

(おわびと訂正)

おわびと訂正 本紙前号2面、「福島スタディーツアーに参加して(下)」の記事中、NPO法人「T」が広野町に所在しているかのような記述は誤りで、正しくはいわき市に所在しています。おわびして訂正します。

3面

ハマキョウレックス・長澤運輸事件
最高裁判決めぐり活発に議論
大阪

労働契約法20条判決緊急学習会(7月9日 大阪)

6月1日のハマキョウレックス(物流大手/本社・浜松市)事件、長澤運輸(運送会社/横浜市)事件の最高裁判決をうけて、7月9日、大阪労働者弁護団主催で緊急の学習会が大阪市内でひらかれた。同判決への関心は高く、多くの労働者が参加。ハマキョウレックス事件弁護団による解説と報告を受け、活発な討議がおこなわれた。

初の最高裁判断

非正規雇用労働者がその均等待遇を求めて労働契約法20条を武器に争っている事案はこの間多数起こされており一審勝利判決が出てきているが、そのなかで最高裁が初めての判断を示さざるを得なかった。それが今回の2事件の判決である。
判決を要約するとハマキョウレックス事件では、「4つの手当・皆勤手当の不支給」は20条違反。「住宅手当不支給」は違反ではない。長澤運輸事件(再雇用格差)では「精勤手当不支給と超勤手当の格差」は違反というもので、同一労働(職務)の非正規雇用労働者の待遇格差の一部を「不合理」とした。
学習会では弁護団から判決の解説概要が示され、当事者からの発言や質疑が活発におこなわれた。
弁護団からは、労契法20条の解釈として「不合理な労働条件の格差を禁止(格差が合理的かではなく)。それは不法行為であるとされたこと、また不合理について使用者側が主張立証責任を負うとしたこと」などが報告された。今後、団交などの交渉や争いに有利に使えると解説された。
ハマキョウレックス(就労現場は滋賀県内)当該の池田さんが発言。「会社が手当などを使い、格差と人事評価で労働者を酷使してのし上がってきた」と収まらぬ怒りを表明し、「この最高裁判決が実施されても70%にしかならない(年収で正規600万、非正規360万が400万になるくらい)」と報告。団交とたたかいで是正を実現していくと決意表明した。

「本給」部分をなぜ争わなかったのか

討議になり、会場から「70%発言は衝撃だ。ハマキョウ判決ではなぜ本給部分の差別・格差を争わなかったのか。最高裁判決でも労働報酬(対価)部分(作業手当、無事故手当)が認められているのだから」と質問。弁護団からは事情説明のうえで、結果としてどうなるかは疑問で、今後残された課題であるとコメントがなされた。
また「今回の確定した内容が本当に活かされるのか。働き方関連法では20条は削除されてしまうのではないか」と質問。弁護団からは新法(パート・有期労働法)の8条にほぼ引き継がれてより強い規定となる。しかし9条、10条規定では悪く使われる可能性は残るとコメントした。 今回の判決は大きな反響を呼んだ。しかし、最高裁判決は、本当に非正規雇用労働者の待遇改善につながるのか。課題は現場のたたかいである。その思いを強くした。池田さんの悔しさは巷間の「勝利」感とは違っていたし、長澤運輸当該の「60歳で定年になったら賃下げというわけのわからないことを裁判所が認めた。大変な怒りを感じる不当判決」(判決後の鈴木さんの会見)という格差労働の現場からの弾劾の声こそ核心を突いている。

真の同一労働同一賃金を

判決は正規・非正規の「均等待遇」を微妙なところで拒否し、「(均等ではない!)均衡待遇」を貫いたのである。これが安倍働き方改革法の「同一労働同一賃金」のペテンであり、日経連も許す判決を最高裁は書いたといえる。正規雇用労働者と非正規雇用労働者の格差と分断をゆるさないために、この6・1判決を正確に見据えて現場はたたかいぬかなければないと強く実感した学習会であった。(森川数馬)

兵庫県三田市 障がい者監禁事件
長男を30年間檻の中に

知的障がいのある長男を、兵庫県三田市で30年以上も檻に入れて監禁していた父親が監禁罪に問われた。裁判は6月19日の初公判で結審し、6月27日に懲役1年6カ月・執行猶予3年の判決が言い渡された。裁判官による判決読み上げにたいし、傍聴席を埋めた知的障がい者ら当事者グループと保護者らから「審理は尽くされていない。判決をやめろ」との糾弾が叩きつけられた。

致傷罪を問わず

この裁判は差別裁判である。裁判の差別性は、被害者の男性を出廷させず、加害者である父親の言い分だけを聞いて判決を下したことに端的に表れている。また、被害者は高さ90センチの檻のなかで失明し、腰が湾曲していた。それらは監禁による致傷およびネグレクトによる障害であるとしか思えない。現に警察は保護責任者遺棄致傷罪で送検した。にもかかわらず検察は「因果関係が不明である」として不起訴とし、監禁致傷罪を問うこともなかった。監禁罪の時効は5年であるとして、30年間の監禁期間のうち25年間は不問に付され、被害者が受けた人権侵害は闇のなかだ。

「監禁やむなし」

さらに裁判所は「支援を必要とする人々の受け皿として、社会全体が自覚に乏しかったことも一つの要因」とし、刑の執行を猶予した。かねてから加害者は「そうするより仕方がなかった」として監禁を正当化していた。裁判において他のどのような事実調べもおこなわれなかったのであるから、裁判所はこの加害者の証言に同情を寄せ、刑の執行を猶予したとしか考えられない。だが、それは被害者とすべての知的障がい者らにとって、この社会にあっては養護者に監禁されることはやむをえないということを意味する。

障がい者の命

人身の自由を奪う逮捕・監禁罪は、現刑法に照らしても決して軽い罪ではない。ここ数年間でも、新潟少女監禁事件では9年間の監禁にたいし少女が負ったPTSDを傷害と認めて監禁致傷罪、その他の併合罪が適用され懲役14年の判決があった。岡山県倉敷市の女児監禁事件では5日間の監禁にたいして懲役6年6カ月の判決が下された。もとより、三田監禁事件において障がい者当事者グループそして私たちは、加害者にたいする厳罰を求めて判決を糾弾しているのではない。しかしながら、養護者が障がい者を虐待する場合と、それ以外の場合の途方もない落差は看過できない。

やまゆり園事件

やまゆり園で19人の障がい者の命を奪った被告は、事件前も事件後も「意思疎通のできないものは社会の害悪である」と主張し続けている。ひるがえって三田監禁事件において、加害者である父親は「長男が壁をどんどん叩く」ことを理由に檻に閉じ込めたと言い、検察や裁判所は被害者の訴えを聞こうともせず、その理由も明らかにはしていない。彼らは、障がいがある彼を対等な人間として認めていたなら決してできなかったことをしてのけた。

暗黒の未来許さない

昨年12月、大阪府寝屋川市で統合失調症の診断を受けていたと言われる30代の女性が両親によって2畳の小屋に15年間監禁された末に、栄養失調状態で凍死する事件が明るみになった。全国各地の障がい者施設で、職員による虐待事件があいついで発覚している。
戦前、精神障がい者にたいする基本政策は私宅監置であった。戦後はそれに代わって精神病院や施設への収容が義務付けられた。80年代、宇都宮病院事件をきっかけに社会的入院の解消が掲げられた。にもかかわらず障がい者にたいする監禁を是とし、義務とする社会は何も変わってない。私たちが、障がい者抹殺の暗黒の未来を望まないなら、今、障がい者当事者の叫びに学び、共に声をあげることがぜひとも必要だ。

当事者との連帯を

三田監禁事件において行政当局は、30年ぶりに檻からの脱出が叶った被害者を即日施設に収容し、障がい者当事者らのグループとの交通も一切遮断してしまっている。判決終了後の会見で当事者グループの知的障がい者らは、「私たちも心がある人間なんだ」と語った。当事者グループが何よりも願っていることは、被害者の傷を手当てし、地域で共に暮らすことをおいてない。(深谷耕三)

【定点観測】(7月5日〜20日)
安倍政権の改憲動向

7月5日 衆院憲法審査会で、国民投票法改正案が審議入り。与党は延長国会での成立を狙ったが、野党がテレビCMの規制などもあわせて議論する必要性を訴え、実質審理がおおなわれないまま、わずか4分で幕を閉じた。改正案は、自公与党と維新・希望の4党が共同提出した。
※改正案は2016年に改正された公職選挙法の内容を改憲手続き法に反映させ、@駅や商業施設などの共同投票所設置、A期日前投票の投票時間の弾力化、B投票所への18歳未満の同伴容認。「有権者が投票しやすい環境を整える」ためとされている。
7月17日 保守系の自民党議員たちが議員提出による改憲をめざす超党派の勉強会を立ち上げた。呼びかけ人の1人である山田宏参院議員は「憲法審は事実上、開店休業状態だ。自民党だけでなく、野党の声も反映した改正案の提出をめざしたい」と話す。 ※ 首相周辺からは、憲法審の議論がまとまらないことに業を煮やし、「改憲案を独自に(国会に)提出してしまえばいい)との強行論が出始めた。衆院100人と参院50人の議員の賛同があれば、憲法審を通さずとも、国民投票にかける憲法改正原案を提出できる(7月22日付朝日)。
7月19日 自民党は、憲法9条への自衛隊明記など4項目の改憲案について、通常国会での衆参両院への提示を断念した。今秋に見込まれる臨時国会以降に先送りする。与野党対立が激化し、衆院憲法審査会を定例日の19日に開けなかった。国民投票法の改正も持ち越した。
7月20日 安倍首相は通常国会終了にあたっての記者会見で、テレビ朝日の記者から、@今秋の臨時国会で改憲案を提示するか A9月の自民党総裁選で改憲が争点となるか、の2点を聞かれ、「@自民党の憲法改正案を速やかに国会に提出できるようとりまとめを加速すべきだ A憲法改正は立党以来の党是であり、自民党の長年の悲願だ。候補者が誰になるにせよ、大きな争点となる」と答えた。

4面

論考 ドイツ革命の敗北とエーベルト 八代 秀一
“ベルリン市街戦”とは何だったのか

本紙245号掲載の山田和夫『ドイツ革命はなぜ敗北したのか』を、ドイツ革命の敗北はドイツ社会民主党(SPD)の裏切りだけに帰することはできず、ドイツ労働者階級の主体を問題にする必要がある、と読ませてもらいました。その主旨に賛成するとともに、そこで示された歴史認識に若干の補足と修正を試みたいと思います。
そこでの歴史認識の図式は水兵反乱→ドイツ革命→帝政崩壊→ベルリン市街戦(スパルタクス蜂起)→ドイツ革命の敗北→ヒトラー政権成立(ドイツ・プロレタリアートの完全な敗北)≠ナす。最初の3つの項目は、それについて書き出したらきりがないが(例えば、1918年10月のキール水兵反乱は同地に労兵権力をうちたてたが、この権力はその最強の敵=将校団を解体するにいたらず、しかも帝国政府によって派遣されたノスケに実権をゆずり渡してしまう。この時点でキールにおける革命は敗北に終わった。山田氏の文章に引用されているノスケの言葉は、キールでの彼自身のこの体験を逆の側から語ったものである)、何故そういえるのか説明のない最後の項目も含めて議論の対象にしない。

エーベルトの役割

今回問題にしたいのは、まず第1にベルリン市街戦(スパルタクス蜂起)→ドイツ革命の敗北≠ナある。キールですでに敗北していたとはいえ、労兵評議会による地方権力掌握の動きは全国に拡大し、11月8日にはベルリンに到達し、帝政は崩壊した。まさにドイツ革命→帝政崩壊≠ナある。
しかし10日にツィルクス・ブッシュ(後にベルリン・フィルの演奏会場となるサーカス会場)でベルリン地区の労兵評議会第1回大会がひらかれ、革命的オップロイテ(ベルリン地区にある様々な工場の職場代表者(注1)たちの集団)の代表者をやぶってエーベルトが労兵評議会権力を掌握するのである。
このエーベルトとは何者なのか。SPDの党首としてドイツ労働者階級を第1次世界大戦に動員し、9日の時点でドイツ帝国最後の首相に任命され、それに同意した人物である。そのような人物がどのような意図をもって労兵評議会の権力を掌握したのかは自明である。ドイツにおける労働者・兵士の自己権力形成の阻止でしかありえない(注2)。したがって、このエーベルトの労兵評議会権力の掌握によって、ドイツ革命は実質的に敗北したのである。
そして、このエーベルト政権は、その後、一方において労兵評議会権力にかわる権力機構の構築にむかい(15日にブルジョワ政党ドイツ民主党(DDP)の党員でベルリン商科大学教授フーゴー・プロイスが後のヴァイマル憲法となる憲法草案の作成をはじめる)、他方において労働者の自然発生的反乱、そしてなお維持されていた地方レヴェルでの労兵評議会権力の暴力的制圧に向かうのである。
1919年1月8日にはじまるベルリン市街戦と、同年5月に終わるミュンヒェン反革命戦争が後者の代表である。こうしてみると、ドイツ革命の敗北→ベルリン市街戦≠ニいうのが歴史の真実ではないだろうか。

スパルタクス蜂起

第2にベルリン市街戦(スパルタクス蜂起)≠問題にしたい。つまりスパルタクス団(12月30日が創立大会)が武装蜂起して1月ベルリン市街戦になったという認識(池田浩士は、その最新著作でもこの認識に立っている)を問題にしたい。
現実は、12月6日のエーベルトをかついだ軍部小部隊によるクーデター未遂事件、22日、23日のいわゆる「エーベルトの血のクリスマス」事件をへて、1919年1月4日のベルリン警視総監罷免をきっかけに、ベルリンの労働者が起ち上がったのである。たしかにベルリン・独立社民党(USPD、1917年にSPDからたたき出されたSPD反指導部派)、革命的オップロイテ、スパルタクス団は抗議のデモを5日に呼びかけはしたが、しかしそれは彼らの予想を上まわり、同日夕刻にはデモ参加者の一部によって『前進』(SPDの機関紙)社屋等が占拠され、6日にはゼネストがおこなわれるにいたるのである。
そしてここにいたってエーベルト政権は、スパルタクス団が蜂起したとして戒厳令をしき(注3)、義勇軍(右翼の将校を頭に、軍隊以外に行き場所を失った帝国軍兵士を志願兵として組織した部隊。エーアハルト大佐を指揮者とするエーアハルト旅団がいちばん有名)をベルリンに投入し、義勇軍(重武装のエリート部隊)と第1次世界大戦に由来する小火器で武装した労働者との市街戦が8日から12日まで続くのである。 結果は明白であろう。ともあれ、1月ベルリン市街戦がスパルタクス蜂起に由来するものでなく、いわば「反革命の蜂起」によって生じたものであることが、わかっていただけたと思う。そしてその階級的性格は、ツィルクス・ブッシュで労兵評議会権力をのっとった、旧支配階級の代表者エーベルトによるベルリンの階級的残敵一掃戦といえよう。

ローザの虐殺

第3に、1月15日のローザ・ルクセンブルクとカール・リープクネヒトの虐殺事件について、この文脈でふれてみたい。もしスパルタクス団が蜂起したものであれば、非合法・非公然の司令部機能が両人の周辺になければならない。12日に市街戦は終了し、それ以後は義勇軍による労働者への無差別白色テロ攻撃となる。この状況のなかで、そのような体制・機能があったならば、両人はまっ先に最も危険なベルリンを、誰にも知られることなく離れ、しかるべき安全な場所へ移れたはずだ。しかし現実には、ベルリン各地の友人宅を逃げ回っていたにすぎない。その結果は、パープスト大尉(第1次大戦をしきった〈帝国軍最高司令部=戦時帝国軍参謀本部(OHL)〉所属の高級将校で、この時ベルリンに投入された義勇軍の指揮者)指揮下の自警団によって、その夜の隠れ家が急襲され両人が拘束され、パープスト直属の将校グループによって虐殺されることとなった。ちなみに実行者の刑事責任は軍法会議であいまい化され、責任者のパープスト大尉はなんらの責任を問われることなく、西ドイツ軍需工業会の重鎮として第2次大戦後も長く活躍する(注4)。これらの事実はやはりスパルタクス蜂起が、エーベルト政権が流したデマであることを示しているのではないか。
最後に、これほど自覚的に労働者・兵士の自己権力と敵対し、旧支配階級の権力秩序を再構築しようとしたエーベルトという人物と、彼に従ったSPD指導部の行為は、労働者・兵士にたいする「裏切り」と呼ばれるだけで足りるのだろうか。筆者は、山田氏にこの点を質問したい。このような人々に自らの権力をのっとられてしまったドイツ労働者・兵士の主体的問題の重さを自覚しつつも、あえて質問したい。ともあれ、本稿による歴史的事実の補足と修正によって、すくなくとも「なぜ、1918年11月のドイツ革命は成功したのに、1月のベルリン蜂起は失敗し、鎮圧されたのか?」という山田氏の疑問には答えられたのではないかと思う。

(注1)職場代表者については、八代秀一「1917年初めのドイツ労働者運動」(『展望』21号、2018年6月)参照。
(注2)エーベルトが1918年西部戦線でのドイツ軍による最後の攻勢の失敗後、休戦条約締結までにドイツ支配階級のために果たした役割については、新たな論文を構想中。
(注3)これは不正確。1918年11月9日以来、ベルリンは軍司法体制下にあり、エーベルトは権力掌握後もこれを解除しなかった。
(注4)1月15日の再構成。その後の経過、そしてパープストをはじめとする虐殺事件の主役たちについては、クラウス・ギーティンガー『ラントヴェーア運河の遺体―ローザ・ルクセンブルクの虐殺』(2008年、ナウティルス選書)を参照。

井田一郎さんを偲んで
狭山再審の実現へ献身

井田一郎さんが逝去した2017年7月7日。あの日からちょうど一年が経ちました。 生前、見舞いに訪れた時、屈強だったあなたの体はやせ細り、腹は腹水でパンパンに腫れあがっていました。しかし、「俺は死ぬなんて毛ほども思っていないんだ」と言ったとき、無数の皺に刻まれたあなたの顔からは、変わらぬ笑顔がこぼれていましたね。
おつれあいが昼食の準備に立ったとき、布団から半身になったあなたの、射貫くようなまなざしを忘れることができません。あなたはここ数年の狭山闘争の新たな広がりに希望を見出していました。「狭山の熱と光を伝えることが何よりも大切なんだ」。それがあなたの仲間への遺言になりました。
あなたは「部落民の誇り」を何よりも大切にしていました。部落民から誇りを奪おうとしてきた明治以降の歴史を誰よりも憎んでいました。部落民の誇りを歴史から掘り起こすために、膨大な文献を集めていたあなたは、「もう本を捨てたらどうか」とおつれあいに問われ、「いや、今まとめているところだから、もう少し待ってくれ」と笑っておられました。
近世政治起源説を批判したあなたの部落史研究はとてもユニークで、論敵・政敵もつくりました。それでもあなたは意に介さなかった。今振り返ってみれば、あなたの視点は、政治主義とは無縁のところにあって、あなたの心は部落解放運動の政治主義的傾向を忌避し、批判していたのではなかったかと思います。
神戸反戦(反戦青年委員会)から非公然活動へ。そして、部落民宣言を経て、部落解放同盟全国連合会の狭山現地闘争本部へ。その長い道のりにどれほどの困難があったのか、はかり知れません。しかし、狭山の地に文字通り骨を埋めたあなたの笑顔には微塵の後悔もありませんでした。
あなたは、あなたが望んだとおりに最愛のおつれあいに抱かれて息を引き取りました。あなたが最後のそのときまで一貫して希求した狭山の熱と光を、私たちも受け継いでいきたいと思います。
私たちを狭山に導いてくれた井田一郎さん、本当にありがとう。
7月7日 大塚一平

井田一郎さん(いだ・いちろう=平和と人権を考える狭山市民の会代表)17年7月7日、胃がんで死去。67歳。

5面

直撃インタビュー(第35弾)
憲法カフェとミナセンで走った3年
平和に生きる権利を求めて(上)
弁護士 弘川欣絵さんに聞く

―弘川欣絵さんは2008年弁護士登録ですが、その名が知られるようになったのは「あすの自由を守る若手弁護士の会」(通称あすわか)結成(2013年)の頃からと思うのですが

「あすわか」の活動をきっかけに政治的な行動や発言をするようになりました。2015年の安保関連法案が国会で問題になったときに、これは皆さんと同じだと思いますが、居ても立っても居られない心境になりました。それまでは安全保障の問題は「とても手に負えるものではない」と感じていましたが、15年6月2日の国会で、長谷部恭男早稲田大学教授ら3人の憲法学者が全員そろって「安保関連法は憲法違反」と発言したとき、「ああ、安保法制はやっぱり憲法違反なんだ」「憲法違反なら、弁護士である私にもできることがあるかも知れない」と思い、行動したいと思うようになりました。15年7月頃、「だれのこどもも殺させない」というキャッチフレーズに、当時1歳の子どもを抱えていた私は非常に共感して、「安保関連法案に反対するママの会」に繋がりました。それから、以前から活動理念に共感していたあすわかに参加し、「憲法カフェ」の講師をするようになりました。

ミナセンが呼びかけた兵庫県初の野党と市民の街頭演説会(16年5月21日 JR尼崎駅北)

―安保法制成立後、2015年末から「みんなで選挙」(ミナセン)の活動で一躍有名になりましたが、きっかけは

安保法制が成立した時は本当にショックでした。秋の間はしばらくは放心状態でした。15年11月頃になって、住んでいる尼崎の友人から、「選挙に勝って安保法制を廃止にしようという座間宮ガレイさんという面白い人が京都に来る」と誘われました。それまでは、野党を勝たせるために選挙活動を市民運動としてやるという発想は全くありませんでしたので、座間宮さんの「選挙でなぜ野党が負けるか」などの数字による分析はとても新鮮で、「私にもまだできることがある」と思わせてくれました。そこで、12月に尼崎に座間宮さんを呼んで選挙勉強会を開催することにしました。
この勉強会の場で、各野党、多様な市民団体とのネットワークを作りたいと考え、短期間でたくさんの人たちのところを回り参加を呼びかけました。その結果、勉強会に100人が参加し、ミナセン尼崎準備会をその場で結成することができました。16年1月31日の結成集会により、県下で初の「ミナセン」(みんなで選挙の略)が誕生し、私は共同代表になりました。既に全国では、ミナカナ(ミナセン神奈川)など多くのミナセンが結成あるいは、結成準備されていました。兵庫県では、護憲円卓会議や安保関連法に反対するママの会などが一緒になって、2月14日に「連帯兵庫みなせん」が結成されました。そして、またたく間に県下の衆議院選挙区12区のうち8区で「ミナセン」が生まれました。

―16年7月の参議院選挙では全国的にも市民運動が野党共闘の統一候補を呼びかけ、1人区での統一がなりました。ただ兵庫は3人区で野党から2人が立候補

選挙のことはまったく素人なので戸惑いながら、時間もなく記者会見や街頭演説会のセッティングや、野党の候補者と会って抱負を聞いたり、本当に大変な日々でした。5月21日には兵庫の全野党と候補者が「ミナセン」呼びかけの街頭演説会を神戸と尼崎でおこないました。ただ3人の定数の所に、自民・公明・維新と、民主・共産の5人が名乗りを上げ、野党共闘と言いながら候補者の統一ができないまま選挙戦に突入しました。全国的には野党統一候補のなった東北・信越などの11の1人区で当選したのですが、兵庫・大阪では7人の定数に1人も当選せず、近畿では11の定数にわずか1人当選という結果でした。
とても残念な結果で落胆もしましたが、活動を通じて、選挙は候補者や政党のものではなく、望む政治を実現したいと思う市民みんなのものだと確信し、そのために前進したことを感じました。

 

―17年のミナセンは衆議院選挙での候補者統一の活動が主に。9月に解散が一挙に表面化。民進党が小池新党に合流。弘川さんが共同代表の8区(尼崎)では共産党候補が野党統一候補に

8区ではもともと共産党比例区の現職議員がいましたし(選挙時は兵庫8区でと準備を進めていた)、民進党が弱く他の政党も名乗りを上げなかったこと、既にミナセン尼崎を介して各野党のネットワークもできていたこともあり、スムーズに野党共闘が実現しました。急な解散で各野党との調整が大変でしたが、1カ月前に何とか「野党共闘候補の堀内さん」を応援する体制を整えることができました。野党共闘を前面に出した選挙活動をしたいと考えました。ミナセンが主導したチラシと選挙ハガキも作りました。例えば、堀内候補と尼崎を関連づけるため、尼崎の代表的な場所で写真撮影をしたり、尼崎の「維新」票を取るため、経済政策も強調したスタイリッシュなチラシになるよう心がけました。共産党がこのチラシを10万枚以上刷って下さいました。
告示後も野党共闘の街頭宣伝や練り歩きをしましたが、その際、楽しい恰好をして注目された方がいいというミナセンメンバーの意見を採用していただき、ハロウィンの仮装をしました。また、選挙期間中盤に選挙ポスターに「市民と野党統一候補」と書かれたシールを一斉に貼りました。結果的には自民・公明の厚い壁に阻まれたのですが、隣の6区(伊丹・川西・宝塚 立憲民主党候補が比例復活)と並んで、市民が活発に行動し、現職を脅かす選挙ができたと思います。

 

―政党人でもないのに寝る間も惜しんで選挙に関わり、結果的には「敗北」。いまは安倍9条改憲反対で、一人で子育てもしながら各地で精力的に憲法カフェなどを続けていますが、そのエネルギーはどこから

もともとこの国で社会的マイノリティが置かれている生きづらさを何とかしたいという思いはありました。法学部の学生で司法試験を受けようか迷っているとき、伊藤真弁護士(伊藤塾塾長)の講演に大きな感銘を受けました。「憲法の核心的価値は『個人の尊厳』であって、基本三原則は個人の尊厳を実現するためにある」「憲法を守らなければならないのは国民ではなく国家権力だ」と聞き、それまではおぼろげだった憲法の素晴らしさを具体的に教えられました。長くかかりましたが、なんとか06年に司法試験に合格しました。
司法試験受験生時代から難民支援団体であるRAFIQ(ラフィック 難民との共生ネットワーク)に参加し、現在はRAFIQの共同代表を務めています。2015年以降は難民支援というライフワークに加えて、安保法制廃止など立憲主義に関する活動がライフワークになりました。次々と立憲主義が侵されていく現状は、自分と子どもの「平和に生きる権利」(だれのこどもも殺させない、戦争の加害者にも被害者にもならない権利)を脅かしていると感じています。この当事者意識、そして、ちゃんとした社会を子どもに手渡したいという思いが私の原動力になっていると思います。(つづく)

ひろかわ・よしえ 
福井県出身。関西学院大学、獨協大法科大学院をへて、2008年弁護士登録。人権派弁護士として頑張るとともに、明日の自由を守る若手弁護士の会(あすわか)大阪支部共同代表、連帯兵庫みなせん共同代表などの運動も。憲法13条をこよなく愛し、市民団体や労働組合やPTAの集いなどで参加者にあわせた憲法の話が好評。今は20分程でできる「憲法ビンゴ」を広め、憲法を好きになる人が増えるよう講演をこなしている。

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6面

シネマ案内
不可視化された人びと
カンヌ国際映画祭最高賞受賞作品 『万引き家族』(是枝裕和監督 2018年/日本)

作品そのものの評価とともに、政治的な意味をめぐって話題になっている映画である。
作品について是枝裕和監督自身は次のように語っている。
「数年前に日本では、亡くなった親の年金を受け取るために死亡届を出さない詐欺事件が社会的に大きな怒りを買った。はるかに深刻な犯罪も多いのに、人々はなぜこのような軽犯罪にそこまで怒ったのか、深く考えることになった」(是枝監督インタビュー/韓国『中央日報』日本語版2018・5・17)
「『何故社会からこのような不可視の♂ニ族が生まれると思うか?』と作品の背景としての社会的、政治的状況を聞かれた。その告発を目的とした映画ではないことを前提に自分の考えを述べた。…日本は地域共同体が壊れ、企業共同体が壊れ、家族の共同体も三世代が一世代、単身者が増えて脆くなっている。この映画で描かれる家族のひとりひとりはこの3つの共同体『地域』『企業』『家族』からこぼれ落ち、もしくは排除され不可視の状態になっている人たちである。これが物語の内側。そして孤立化した人が求めた共同体のひとつがネット空間であり、その孤立した個を回収したのが国℃蜍`的な価値観(ナショナリズム)であり、そこで語られる『国益』への自己同一化が進むと社会は排他的になり、多様性を失う。犯罪は社会の貧困が生むという建前が後退し、自己責任という本音が世界を覆う。恐らくあの『家族』はそのような言葉と視線によって断罪されるだろう」(是枝裕和ブログ KORE-EDA.com)
ステロタイプな言葉で言えば、新自由主義、格差・貧困・分断。しかし、監督も言うように、作品は声高に政治的な告発をしているわけではない。その点について、是枝監督は以前、次のように発言している。
「安倍政権を直接的に批判するドキュメンタリーもあっていい。だけどもっと根本的に、安倍政権を支持している私たちの根っこにある、この浅はかさとはいったい何なのか、長い目で見て、この日本社会や日本人を成熟させていくには何が必要なのかを考えなくてはいけません」(是枝監督インタビュー/『朝日新聞』2014・2・15)
「はるかに深刻な犯罪も多いのに、人々はなぜこのような軽犯罪にそこまで怒ったのか」「もっと根本的に、安倍政権を支持している私たちの根っこにある、この浅はかさとはいったい何なのか」。この問いが、この映画の根底を流れている。

規範も家族も崩壊

老女と男、女、女子高生、少年、幼女の6人が、マンションの谷間に取り残された古くて狭く乱雑な住居に寄り添っている。
しかし家族の愛情物語ではない。むしろ、家族が、血縁や配偶にもとづく絆だとすれば、万引き家族≠ヘそういう家族≠ナはない。むしろ、地域からも企業からも家族からも捨てられ、居場所がなくなった人びと。6人のそれぞれが、家族≠フ虚栄や体面、挙句のDVといった背景を抱えていた。そういう訳ありの人びとの肩を寄せ合う場所が万引き家族≠ニいう共同体だった。
単なる善人ではない。むしろしたたかで、こずるく、万引きにも罪悪感はない。しかしまた同じ境遇にある者を嗅ぎ分け、手を差し伸べ、抱きしめる。真冬の夜、親から虐待を受けて団地の通路で震える幼女を、通りすがった男と女が見つけ、居たたまれず、万引き家族≠ノ連れて帰る。そうやって拾われるようにして家族がまた増えた。
「誰かが捨てたものを拾ったんです。捨てた人っていうのは他にいるんじゃないですか?」
しかし、万引き家族≠フ肩を寄せ合う生活も長くは続かなかった。幼女を拾ったことが「誘拐」になり、静かに息を引き取った老女を、葬式代がないために床下に埋葬したことが「死体遺棄」とされ、警察やマスコミが踏み込み、万引き家族≠ヘ反社会的な存在として攻撃される。そこで警察やマスコミが振りかざすのは、もっともらしい社会規範であり、家族≠ニいう価値観だった。規範も家族もとっくに崩壊しているのに。
万引き家族≠ヘ解体させられた。刑務所送りになる女、施設に入る少年、虐待家族の下に戻される幼女…。みながバラバラになるなかで、しかし誰の心も、規範や家族には回収されない。万引き家族≠フなかで育まれた情や思いやり、力強さが心の支えになっている。そしてラストシーン。虐待家族に戻された幼女は、また団地の廊下にいるが、しかしその強い視線の先には希望があった。

真実を覆い隠す

「安倍政権を支持している私たちの根っこにある、この浅はかさ」。それはこういうことだろう。不可視化された人びとを見ない。真実はもっと深く多面的なのにそれを見ようとしない。さながら善良なドイツ人たちに、ナチスの強制収容所が「見えなかった」ように。
だから、この映画は、社会のなかで広がる万引き家族♂サの現実を告発しているのではない。それを見ようとしない私たちの「浅はかさ」こそが問題だといっているのだろう。
そういう気づきを映画は与えてくれる。それは、真実を見ようとさせなくする規範や価値観、国家による「大きな物語」を疑う主体性ともいえるだろう。そして、「日本」という国家の「大きな物語」がもはやどうにも立ち行かなくっているなかで、その先にどういう希望を描くかという問題をも提起している。(請戸)

読者の声
障がい者を襲った豪雨災害
介護ヘルパーとして思ったこと

西日本豪雨の被害に会われ、亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。いまも苦しんでおられるみなさん、希望を失わずに一歩一歩進み、暮らしをとり戻しましょう。
私は介護ヘルパーの仕事をしています。今回の豪雨災害で私の住居は難をのがれましたが、介護に入っている利用者さんが避難することになってしまいました。避難した時、必要な薬が足りずに豪雨のなかを病院まで取りに行くことになりました。避難先から付き添い介護をおこない病院までたどりつき、最悪の事態だけは逃れられました。私としては、何とか「仕事」ができたかと思っています。
しかし、ヘルパーの仕事としては、これだけしんどい思いをしても行政から「緊急時加算」などがつくわけでもなく、会社も「やって当然」みたいな対応です。改めて介護ヘルパーは報われない仕事だな、と思いました。

豪雨中の宴会、「いいなあ、自民党」!

私のように豪雨のなか、避難者を介助し濡れながら走り回るものがいた一方、気象庁の警報も気にせず酒を飲んでどんちゃん騒ぎをやらかしていた人たち。東京・赤坂の衆議院議員会館で「赤坂自民亭」なる飲み会をおこなっていた、安倍政権の議員たちです。特に西村康稔・官房副長官は、明石市と淡路島を含む兵庫9区が地元。自民党内では「危機管理の専門家」と言われていました。警報が出ていた5日夜の「赤坂自民亭」の写真を、「いいなあ自民党」のコメント付きでSNSに投稿しました(写真上)
当日夜は兵庫県だけでも6万世帯13万人に避難勧告が出ていました。非常識にもほどがあります。おごれる安倍政権はもはや末期状態。私自身の分も含め現場の怒りをたたきつけ、打倒あるのみです。(兵庫県 小柳太郎)

猛暑のなか、退陣要求デモ
安倍はやめろ!
7月21日 神戸

連日の猛暑のなか、神戸では国会会期末前日の7月21日、「安倍退陣要求デモ」(第3弾)がおこなわれた(写真)。市民デモHYOGO主催、NHK問題を考える会・兵庫の協賛。
熱中症対策に帽子、飲み水持参の呼びかけに応え50人が神戸・花時計前に集まった。市民デモHYOGO、NHK問題を考える会・兵庫、熟年者ユニオンから「まともな答弁、説明もなく働き方改革法案、IR(カジノ)法案などを次々に強行した」「豪雨被害の最中、ニコニコ笑顔で宴会、乾杯だ」「国を守ると言いながら、200人以上のいのちが失われた。Jアラートよりも、国民を災害から守る防災・救助体制の整備こそただちに政府がやるべき。4000億円のイージス・アショアよりも救助ヘリだろう」と憤りの発言があった。
集会の後、商店街を元町までデモ。この日、神戸の最高気温は34・1度、「安倍政権はひどすぎる! 大雨中に宴会、なんでや! カジノ法案、救助に優先!」というデモへの注目度は高かった。

(短信)

7月4日、原子力規制委員会は東海第二原発の再稼働「審査書案」を了承した。「新規制基準に適合している」という内容だ。これは、事実上の再稼働ゴーサインである。
同原発の再稼働をめざす日本原子力発電(以下、日本原電)は、原発しか持っていない特殊な電力会社である。同社が所有している原発は4基で、東海原発(茨城県東海村、廃炉・解体作業中)、東海第二原発(東海村)、敦賀原発1号機(福井県敦賀市、廃炉決定)、同2号機(定期検査中。直下に活断層の存在が指摘されており、廃炉の可能性が高いと言われている)である。
「3・11」以降、同社の原発はすべて止まったままであり、電力会社でありながら1ワットも発電していない。本来ならとっくに倒産だ。しかし、東電ホールディングス、関電など、電力各社から年間合計1000億円にのぼる延命資金が投入されている。形式的には「基本料金」というかたちで、発電の有無にかかわらず徴収するのだという。この1000億円は、すべて東電ホールディングス、関電などの電気料金に転嫁されている。

日本原電にとどめを

原電が延命の切り札にしているのが東海第二原発だ。逆にいえば、これを止めれば原電は発電手段を失い、倒産するか業態を変えるしかないところに追い込まれる。東海第二原発の40年超え再稼働を許さず、日本原電にとどめをさそう。