未来・第250号


            未来第250号目次(2018年7月19日発行)

 1面  大飯原発 「運転差し止め」取り消す
     名古屋高裁 福島事故忘れ、政権に追随

     オスプレイの配備やめろ
     10日 防衛省に抗議デモ

     耕す者の権利は奪えない
     強制執行するな℃s東さんが訴え

 2面  寄稿 福島スタディツアーに参加して(下)蒲牟田 宏
     なぜ今、福島に行くのか

     安倍政権がねらうもの
     ナチスの手口を踏襲

     「戦争法は違憲」訴訟2周年
     あきらめと忘却が最大の敵

 3面  投稿
     「改憲発議」させない闘いを
     ―『広告が憲法を殺す日』を読んで
     静岡市 大庭 伸介      

     『不幸な子どもの生まれない運動』は終ったのか?
     ―神戸で集会
     兵庫県 高見 元博     

     (短信)
     労災申請、統計開始から最多

 4面  焦点 米朝会談とトランプ政治(下)請戸 耕市
     労働者の反乱、激動の時代へ

     誰が安倍を支えているのか
     太田昌国さん 大阪で講演

 5面  ろうそく革命と現代韓国(下)
     1700万人参加、民衆運動の底力示す
     文京洙さん(立命館大学国際関係学部教授)

     夏期カンパのお願い

 6面  書評 半世紀を超え、いま必読の書
     梶村秀樹『排外主義克服のための朝鮮史』(平凡社ライブラリー)

     シネマ案内
     人間マルクスの生き様
     映画「マルクス・エンゲルス」(監督 ラウル・ペック 2017年 ドイツ)

       

大飯原発 「運転差し止め」取り消す
名古屋高裁 福島事故忘れ、政権に追随

「不当判決」の垂れ幕を掲げる原告団(4日 金沢市内)

4日、名古屋高裁金沢支部(内藤正之裁判長)は、2014年5月の福井地裁・樋口判決をくつがえし、関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の「運転差し止め決定」を取り消した。司法の独立性を放棄し、政府の原発再稼働方針にいいなりになった判決に強い憤りの声があがっている。反動をはね返し、再稼働反対運動を強化しよう。

午後3時の開廷時間が迫るなか、名古屋高裁金沢支部の正門前では、法廷からの連絡を待つ人たちで埋めつくされた。いつもは、一縷の期待をこめているが、この日は誰もが怒りを心の内に秘めながらその瞬間を待っている。 やがて、裁判所から飛び出してきた2人が「不当判決」「司法は福島から目をそむけるのか」と書かれた幕を広げた。予想通りの判決だ。怒りの声、シュプレヒコールが応じる。法廷から憤然として出てきた河合弘之弁護人は「馬の耳に念仏判決」と皮肉り、原告団長の中嶌哲演さんは「(内藤裁判長は)関西電力のサーヴァント(召使い)だ」と厳しく弾劾した。

無責任、茶番

原告団、弁護団、支援者たちは金沢弁護士会館に移り、判決を読み込み、その分析と評価をおこなっている弁護団を待った。その間、法廷でのようすが報告される。内藤裁判長が判決文を読み上げているあいだじゅう、傍聴席から「茶番だ。あなたの判断は間違っている」「福島はどうなった」「最新の知見は入っていない」「司法の敗北だ」などの抗議と弾劾が叩きつけられた。
原告の浅田正文さんは「三権分立を、特に司法の役割を放棄する酷い判決」、福井県嶺南地方から駆けつけてきた女性は「無責任な判決だ」と、口々に内藤判決を批判した。 午後4時、弁護団長の島田広弁護士は「原告敗訴は予想通りだったが、その内容は想像を超える酷い判決だ」、「福島事故を忘れ去った判決」、「無責任で、ずさんな判決」、「これは裁判じゃない、茶番だ」、「4年間も費やして、何ともみっともない判決」と、徹底的に批判した。
井戸謙一弁護人は「クリフエッジ(限界)を越える地震はありうると言いながら、安全だと言っている。論理矛盾を来している。裁判所が追いつめられている証拠だ。安倍政権下の官僚と同じ構図。ここを突破していこう」と訴えた。中嶌哲演さんは「法廷内外でたたかいつづけよう」と決意を表明した。

今こそ民衆の奮起を

今回の判決で裁判所は「法の番人」としての役割を放棄した。法制度下の福島原発がどれほどの被害をもたらしたのか、原発が子どもたちにどれほどのリスクを遺すのかを検証もせず、悪政を野放しにする司法の姿がここにある。「司法の役割」を超えているのではなく、「司法の役割」を終えたのである。ブルジョア社会の三権分立が幻想であり、民衆の力にこそ依拠しなければならないと、わたしたちに奮起を求めている。(田端登美雄)

オスプレイの配備やめろ
10日 防衛省に抗議デモ

10日、都内で「飛ばすな! 買うな! オスプレイ! 大軍拡・基地強化NO! 防衛省デモ」がおこなわれた(写真)。主催は、大軍拡と基地強化にNO!アクション2018。
事故で数十人の死者を出しながら運用が続けられているオスプレイ。沖縄にも24機が配備されて約5年半が経過した。すでに2機が大破し、3人が犠牲になっているにもかかわらず、安倍政権は今年中に首都圏2カ所に配備しようとしている。
日本が購入するオスプレイの価格は、米軍の購入価格の数倍に設定されている。排外主義をあおり、軍拡を進める安倍政権を倒そう。この日は防衛省への申し入れもおこなわれた。

耕す者の権利は奪えない
強制執行するな℃s東さんが訴え

8日の「樫の木祭り」でデモの先頭に立つ市東孝雄さん(成田市内)

請求異議裁判 9月27日に最終弁論決定

6月28日、市東さんの農地をめぐる請求異議裁判が千葉地裁(高瀬順久裁判長)で開かれた。傍聴には150人が参加。当該の市東孝雄さんと三里塚芝山連合空反対同盟の萩原富夫さんが証言した。
萩原さんは、強制執行によって、市東さんと共に営む有機農業、生産者と消費者の連携という産直運動の根幹・土台を奪い、破壊し、市東さんの生活そして農業をできなくしてしまうと証言した。そして、「農業をやっている者にとって耕作者にこそ権利がある。空港会社はその小作人に無断で底地を買収し、立ち退きを求める裁判を起こした。裁判所は土地泥棒に手を貸すようなことをしてはならない」と証言し、強制執行を認めないよう裁判所に求めた。
市東さんは明け渡しを求められている農地が、親子三代にわたって耕作してきた農地でであり、全耕作地の73%にあたり、営農に壊滅的打撃を受けること。小作地の底地の所有権がNAAに移ったことは、新聞記事で初めて知った。小作人に黙って地主が第三者に土地を売るなど、前例もなく違法、売買は無効。「二度と強制的手段をとらない」と言いながら、一方的に明け渡しを迫っている、と怒りをこめて証言。
「私はこの地で農業をやりたいだけです。実家に戻り、一番苦労したのは土づくり、土壌は生き物。有機農業、産直運動こそ自分の生きる道だと確信しており、農地を取られることは自分の命を取られるのと同じことだ」。
最後に「NAAが自分で強制的手段を取らないと約束しておいて、強制執行をするのは、明確に権利濫用です。これを許可するなら裁判所の自殺行為です。裁判所が正義を実現することを求めます」と証言を締めくくった。
両証言後、今後の裁判について、弁護団から徹底審理と石原健二さん(農業経済)ら専門家の証言採用を改めて求めた。高瀬裁判長は、専門家からの証言は「意見書が提出されているから不要」としながらも、弁護団はもちろん傍聴者の強い抗議で、7月3日に進行協議をおこなうとし、結論を先送りせざるを得なかった。
3日におこなわれた千葉地裁での進行協議において、高瀬裁判長は次回7月17日に石原健二さん(農業経済学)、内藤博光さん(憲法学)の補佐人的立場からの意見表明を採用するとした。しかし同日に最終弁論もおこない、結審することを明示した。弁護団は再考を促したが協議は一旦終了となった。7月9日、再度の進行協議で石原さんと内藤さんの意見表明などを7月17日に実施、最終弁論を9月27日に実施することで決着した。
市東さんの農地取り上げを強制執行する緊急性、必要性、そして正義・大義はない。それゆえ徹底審理が求められる。強制執行不許可以外の結論はない。

2面

寄稿 福島スタディツアーに参加して(下)蒲牟田 宏
なぜ今、福島に行くのか

富岡町

人口15000人。現在の帰還者700人。85%が75歳以上とのこと。高岡第一小・中学校、現在生徒数16人。いわき市からバスで1時間かけて通っている。
富岡町・焼却施設。放射線を浴びたゴミを焼却する施設の脇を通った。三菱や鹿島建設のマークが大きく出ていた(写真上)。三菱は原発を造ってきた。原発を造って儲け、原発事故でまた儲ける。ゴミは木材、漁師網などに分別されて焼却されるのだが、その灰は同じ敷地内のテントで覆った施設に格納してある。放射能が凝縮された灰が、また地震が起き拡散するということはないのか。そこに国や行政は住民の帰還を進めている。
富岡町・夜ノ森駅近く土手の草の真上(地上3センチ)の線量2・32マイクロシーベルト/時(以下単位略)(写真下)。地上1メートルの高さで0・5。居住可能地域となっているが、相当高い。

広野町

人口3000人、現在帰還者2000人。
NPO法人「T」。もともと放射線測定所として開設した。12年10月に訪問したが、そのとき段ボール箱に囲まれた測定器を見学した。今は測定所の他に診療所と海洋水の測定所も併設している。1年前(17年5月)に、放射線の影響を診察する診療所を開設した。医療機関をもつ、たぶん全国で初めてのNPO法人だという。医療法人としなかったのは、放射線検査の一環として医療行為をおこなうことにこだわったからと。放射線の検診は、子ども(18歳以下)無料、大人は14000円。患者さんは保養に行く人や放射線のことが心配で訪れる人で、全体の6割が18歳以下という。患者は月間約100人。春休みや夏休みは多く、学校が始まると減る。まだあまり知られていない。保育園・幼稚園でチラシをまいている。
震災後に生まれた子どもたちにもリスクがある。「しきい値」は無意味。患者さん一人ひとりにかける時間を大切にしている。しっかりと子どもや家族の話しを聞く。携行用機器をもって出張検査を月に1〜2回おこなっている。4月も福島市で40人の子どもを診察してきた。

放射線測定

食料品や土・飲み水などの放射線測定は、1回3000円もらっている。海洋水や海洋生物の放射線検査施設もできていた(14年から)。福島第1原発沖(5キロ・10キロ・20キロ毎に)で、海上保安庁の許可をとって海水を採取(2カ月に1回)する。水深もあるので検体が多数になる。β線のストロンチウムはカルシウムと分子構造が似ており、骨に蓄積する。魚の解体を近くの寿司屋さんに協力してもらい海洋生物の放射線を測定している。β線検査は依頼が殺到していて1年待ち状態。もう1台、検査器を購入予定。大学の教授、環境学の研究者など専門家の意見も聞きながらおこなっている。
「T」は、国や自治体から1銭も、もらっていない。あくまでも民間の団体や個人からの寄付で賄っている。

福島を訪れて

今回で何度目の福島訪問だろうか。11年4月に訪れたのが最初、12年1月の阪神大震災被災地集会にNさんに来てもらおうと、11年10月に訪問した。その後、宝塚保養キャンプを始め、子どもたちの送迎で何度も福島に足を運んだ。
福島原発事故は、とてつもなく不幸な出来事だった。多くの人々が原発事故関連で亡くなっている。地震で家が倒壊して生き埋めになった人を、原発事故で避難命令が出て救助できないまま避難せざるを得なかった人は少なくない。しかも、生き埋めになった人たちは放射線にまみれているということで焼くことすらできなかった。死んだ後でも、人間としての尊厳を保障することができなかった。放射線は目に見えない。今もその放射線に脅かされながら生活する人々が大勢いる。
避難せよと言うのはたやすい。しかし生活基盤を福島にもっている人々に向かって、そこから離れろと言うことは私にはできない。だから、原発を止めるための運動をつづけながら、その一環として年に2週間だけでも放射線を気にせずに過ごせる保養キャンプを続けていきたい。
今回の福島訪問で特に印象に残ったのはMさんだ。彼は37年間消防一筋で生きてきて、いったん原発事故で避難を余儀なくされた。今も家族がバラバラにされ、怒りは相当あるはずなのにその言葉は出てこない。前向きに葛尾を再生したいという、その思いを持ち続けている。池を作り直すなど、庭の整備に余念がなかった。実直な話しぶりに引き込まれた。地元の方やキャンプ参加のみなさんにも大変お世話になりました。お礼を申し上げます。(おわり)

安倍政権がねらうもの
ナチスの手口を踏襲

講演する石田勇治東大教授

6月29日大阪市内で「なんとかならんかこの日本『安倍政権が狙うもの ナチスの手口と緊急事態条項』」と題する講演討論集会が開かれ、石田勇治東大教養学部教授が講演した。講演要旨を紹介する。(剛田力)

緊急事態条項

同じように民主的な憲法であっても日本国憲法とワイマール憲法には決定的な違いがあった。それが国家緊急権。日本国憲法には意識的に国家緊急権が書き込まれなかった。ワイマール憲法には残されていた。ワイマール憲法第48条「大統領緊急措置権」(緊急事態条項)。ワイマール憲法は大統領に大きな権限(首相・閣僚の任免権、国会の解散権、非常時の緊急命令権)を与えていた。
1932年、ナチスは国会第一党となったが過半数には満たなかった。第三党の共産党は、議会制民主主義を「ブルジョア支配の道具」として攻撃した。政府は国会を解散して、大統領緊急令による統治を続けたが、世論は反発し、国会不要論が噴出する。
ヒトラーは、言論・集会・人身の自由など憲法が定める基本権をすべて停止し、政府が独裁権を掌握するために授権法に目をつけた。これは全権委任法とも呼ばれ、政府に立法権を委ねるもの。ヒトラーは暴力で反対派を押さえ込み、授権法を通した。その手口は次のようなものだった。
授権法成立には国会議員総数の3分の2の出席と、出席議員の3分の2の賛成が必要。当時のナチスの獲得議席ではこの要件を満たすことができなかった。そこで政府は共産党の国会議員全員と一部の社会民主党議員を国会議事堂炎上事件の容疑者として拘束した。そして「議長が認めない事由の欠席は出席とみなす」という規則改正を強行して、「欠席戦術」を封じ込めた。こうして議場内に入ったナチの突撃隊員が見守るなか、授権法案は可決成立したのだ。
ワイマール憲法はこうして改正されることも廃止されることもなくナチス独裁が成立した。ユダヤ人のホロコーストは授権法によって合法化された。

自民党改憲草案

自民党改憲草案の緊急事態条項はワイマール末期にナチスが利用した大統領緊急令(緊急事態宣言)と授権法(全権委任法)を足した内容だ。ナチスが授権法によって独裁体制を固めると、ナチスに冷ややかだった層、特に公務員などが、雪崩を打ってナチスに入党した。立法権も手にしたナチスは他の政党を禁止。左翼だけでなく旧右翼も屈服させた。民衆は表だって異論を唱えなければ生きていける。ナチ党員になれば楽だと思うようになった。45年には党員数800万にのぼった。道を誤って独裁と戦争を招来することがないよう、過去の失敗の歴史をふりかえることは大切なことだ。

「戦争法は違憲」訴訟2周年
あきらめと忘却が最大の敵

6月27日大阪市内で、「戦争法は憲法違反だ」と大阪地裁への提訴から2周年を記念して集会がおこなわれた。この日は、午前中に大阪地裁で「戦争法」違憲訴訟第7回口頭弁論がひらかれた。
集団的自衛権行使を食い止めるために提訴した自衛隊出動差止訴訟と安保法制を違憲とする平和的生存権等侵害損害賠償請求訴訟を一体の裁判で進めている。大阪の原告は1000人を超えている。
現在北海道から沖縄まで21の地裁で提訴され、8月2日には愛知でも提訴が確定した。
さて、集会に話を戻す。講師は東京・違憲訴訟弁護団共同代表の一人であり、安保法制違憲訴訟全国ネットワークの代表である寺井一弘弁護士(写真上)。寺井さんは自身がなぜこの活動をおこなおうと思ったのか、自身の生い立ちから話しはじめた。

戦争、貧困、差別

3歳のとき「満州」で敗戦を迎え、引き揚げを経験した。命からがら帰った長崎は被ばく地であり生活は悲惨だった。母親から「戦争を憎み、貧困を憎み、差別を許さない社会となるよう力を尽くせ」と何度も言われて育った。それが寺井さんの原点になっている。
4年前の7月1日、集団的自衛権行使容認が閣議決定され、それから1年後の2015年9月19日未明に集団的自衛権行使容認を含む安保関連法案が強行可決された。東京で違憲訴訟を仲間に働きかけたが腰が重かった。そこで長崎で訴訟を起こす準備を始め長崎平和ネットワークを立ちあげた。その足で再び東京の仲間に働きかけ、やっと2年前に東京地裁で国家賠償請求訴訟と自衛隊派兵差し止め訴訟を提訴した。
今後の人生を、安保法制を廃案に、戦争法を許さない、日本を戦争国家にしない、世界に冠たる平和憲法を守りぬくことに捧げると熱い決意を語った。そして「あきらめと忘却が我々の最大の敵である。あきらめてはいけない。忘れてはいけない」と私たちにハッパをかけた。
続いて弁護団長の冠木克彦弁護士が裁判の現状を語り、憲法違反による損害についての陳述作成にたいし、原告のさらなる協力を要請した。(池内慶子)

3面

投稿
「改憲発議」させない闘いを
―『広告が憲法を殺す日』を読んで
静岡市 大庭 伸介

「憲法改正」は最終的に国民投票で決められることになっている。ところが、国民投票法の中身は自民党に断然有利にできている。
『広告が憲法を殺す日 国民投票とプロパガンダCM』(本間龍・南部義典/集英社新書)は、元博報堂社員で広告業界に精通した人と、国民投票法(民主党案)の起草に携わった人の対談で、大変わかりやすく問題点を明らかにしている。重要なポイントを紹介しよう。

テレビによる宣伝は野放し

▼国民投票法は国民投票運動期間中のキャンペーン資金や広告内容の規制について、ほとんど触れていない。つまりカネさえあれば圧倒的な量のテレビCMを放映できるので、資金力のある陣営が断然有利である。
▼「憲法改正」の国会発議がおこなわれ、国民投票となった時点で、改憲・護憲のどちらに投票するか決めていない人は、さまざまなメディアの宣伝広告に左右される。
▼広告内容のチェックは広告主や放送局、出版社にゆだねられる。投票日の14日前から投票日までの間、テレビやラジオによる宣伝は禁止される。しかし抜け道がある。禁止されるのは「国民投票運動のためにおこなうCM」で、「国民投票運動のためではないCM」は流すことができる。「賛成しよう」「反対しよう」と呼びかけるCMは駄目だが、タレントが出てきて「私は賛成します」と言うだけのCMは規制されない。「美しい日本を取り戻す」も「自衛隊の皆さんに誇りと自信を」もOK。
▼国民投票の発議後、各党は広報広告を放送し、出版・配布できる。その時間や内容・回数を決めるため、国会に衆・参10名ずつの委員による「国民投票協議会」が設けられるが、委員は各会派の議席数に応じて割り当てられる。

電通が改憲CMを独占

▼日本の広告業界は電通など大手寡占状態だが、電通グループの2016年の連結決算売上高は約4兆9000億円。博報堂ホールディングスは1兆2600億円。テレビ・ラジオ・新聞・雑誌のすべてで電通はシェア1位。広告業界世界一の売上高を誇る電通は、まさにガリバーだ。
▼電通社員から政治家になった人は、自民党がほとんど。安倍首相の妻・昭恵も電通で働いていたことがある。電通の地方支社には、自民党の議員や地元の有力者の子息や関係者が大勢いる。彼らは地方における政治と産業とメディアをつなぐハブのような役割を果たしている。
▼「改憲をいつ発議するのか」「投票日をいつに設定し、国民投票運動期間を何日とするのか」は与党がカードを握っている。自民党と癒着した電通はその情報をいち早く入手し、それを前提に十分な準備ができるので、ものすごく大きなアドバンテージとなる。
▼テレビのプライムタイム(19時〜22時)のCM枠のシェアは2009年の公正取引委員会の報告書によれば電通が49%、博報堂が26%、高視聴率の「オイシイ枠」に流れる国民投票のCMは、賛成派だけで占められる可能性がある。反対派のCMは深夜と早朝の時間帯にしか流れず、ほとんどの人に見てもらえない、ということすらありうる。

官房機密費もデマ放送も参戦?

▼内閣官房の機密費が、改憲派の有力議員や著名人・文化人・御用学者に流される可能性がある。彼らは政党ではないから、会計報告を公にする義務はない。
▼米国ヘリパッド建設をめぐる報道で2017年に大炎上した「ニュース女子」は、東京MXテレビというローカル局の番組であった。こうしたろくに取材もしないでデマを流すケースが、改憲発議後はもっと増えるだろう。
▼総務省の調査報告では、「情報源としての重要度」は全世代でテレビ、ネット、新聞、雑誌の順。「主なメディアの平均利用時間」は、10代・20代でテレビよりネットが上回っているが、信用度ではテレビが60%で、ネットは圧倒的に低い。

ドイツには国民投票はない

▼国の未来を左右し、国民一人ひとりが真剣に向きあって考えるべき課題に、テレビCMを使ったイメージで影響を与えようとする考え方は、根本的に間違っている。ドイツには国民投票がない。ナチス時代の苦い経験があるからだ。ナチスは映像や音楽やファッションからプロダクトデザインに至るまで総動員して国民の気持ちをひきつけ、独裁体制を確立した。そんなナチス体制下でおこなわれた国民投票では、彼らの提案が約90%の支持を得て承認された。この事実は「国民投票と広告」の問題がはらむ危険性を端的に示している。
▼いったん発議して国民投票が否決されたら、向こう数年は同じテーマで「憲法改正」を発議することが、事実上できなくなる。そうしたなかで発議した側がどれだけ必死になってかかってくるか、改憲反対派の多くはまだ理解していない。

以上この本を読んで、「国民投票で決着をつけよう」とか「国民投票で勝利できる」という考え方が、いかに甘い主観的願望にすぎないかということを改めて痛感した。
「森友」「加計」をめぐる文書の改ざん、自衛隊の「日報」隠し、さらに安全保障関連法(戦争法)や特定秘密保護法、共謀罪など民主主義を完全に無視し、国民を愚弄しきった審議や採決で明らかなように、ナンデモアリの自民党の改憲策動を阻止するために何が必要か。
まず何よりも、改憲発議をさせないようにすることが最大のポイントではないだろか。そのために、地域の末端からの組織戦こそが勝敗のカギを握っていると思う。

『不幸な子どもの生まれない運動』は終ったのか?
―神戸で集会
兵庫県 高見 元博

6月30日に神戸市内でおこなわれた集会には、会場いっぱいの170人以上が参加し、熱気にあふれるものとなりました。兵庫県の『不幸な子どもの生まれない運動』とその賛美、それにたいする糾弾の過程が報告されました。この運動は、1966年から、優生思想に基づき「しょうがい者は不幸を背負った子どもだから生まれないようにしよう」として県が推し進めた施策です。羊水診断でしょうがい児が産まれる前に見つけることと、しょうがい者にたいする強制不妊手術を県の予算で推し進めました。1974年、〈大阪青い芝〉らの抗議行動によって中止に追い込まれました。

侵略戦争と差別

ところが、2016年、兵庫県立こども病院の移転記念誌に、その運動を賛美する文章が掲載されました。しょうがい者や支援者の抗議によっても、兵庫県はホームページから同記事を削除するだけで記念誌は放置。再度の申入れには回答もしないことに抗議して、この日の集会は開かれました。兵庫県の形式的で、謝罪もしない、総括もしないという態度にあらためて怒りが湧きました。
同運動を中止に追い込んだ〈大阪青い芝〉の元事務局長は当時のたたかいを振り返りました。県立こども病院に今年4月まで勤めていた看護師は、労働者の側からいかにたたかったのか報告。そして強制不妊手術と今の実態を報告しました。しょうがい女性は出生前診断の差別性を糾弾しました。
しょうがい者は不幸だという差別的な決めつけが全くの差別的偏見であり、幸福か不幸かはその人自身が決めること、生まれて来てはならないと、いったい誰に決められるのでしょうか。さらに、われわれの内なる優生思想を問い、日本による対外侵略の歴史と内での優生思想が同質のものではないかと問う報告がありました。

残る排除の論理

会場からはピープルファースト兵庫や奈良と京都の脳性麻痺者から発言がありました。私は日本の精神科病院の74%(私立精神科病院の90%)を組織する日本精神科病院協会(会員数1206病院)が1953年に精神しょうがい者(知的しょうがい者を含む)を社会の危険物だと決めつけ、子どもを生まないように優生手術の予算を国に要求したという体質が、最近の「精神科医にも拳銃を持たせてくれ」という『日精協誌』の主張に至るまで貫かれ、差別は過去のものではないと発言しました。
寄せられた感想に「この国が今日参加していた人たちのような人たちだけで出来ていたらいいのに」というものがありました。
集会を受けて今後兵庫県にたいする要求と交渉が続きます。これからも、関心を失うことなく兵庫県に同運動の総括を付けさせるためにたたかい続けましょう。そして、寝屋川市の精神しょうがい者監禁殺害事件、三田市の知的しょうがい者監禁事件、各地で繰り返されるしょうがい者施設における殺害、傷害事件を許さず、また2016年7月26日の相模原市津久井やまゆり園事件を忘れることなく、7・22兵庫、7・26大阪の「やまゆり園事件を忘れない。障害者を殺すな」デモンストレーション、7・28東京「優生保護法にどう立ち向かうのか」集会などの行動に起ち上りましょう。
三田市の知的しょうがい者Yさんの監禁事件での神戸地裁の判決は、20数年間監禁して執行猶予というあまりにも軽すぎるものです。しょうがい者虐待事件では虐待した側の親に同情が集まるという現実は許し難いものです。また6月28日付『神戸新聞』北摂版の同事件神戸地裁判決を報じる記事での差別的記述(「これが監禁罪になるのか」という声を掲載)など、問題は山積しています。責任を持って取り組み、しょうがい者が人間を取り戻すたたかいの前進を実現しよう。

労災申請、統計開始から最多

昨年度、仕事が原因でうつ病などの病気を発症し、労災申請した件数は1723件、認定506件だった。
厚生労働省によれば、この数字は、統計調査が始まった1983年以降、「最多となった」という。
未遂を含む自死に追い込まれた人の数は98人にのぼる。過重労働を原因とする脳・心臓病による労災認定が253件で、そのうち過労死は92人。過労が原因による自死との合計は190人となった。
脳・心臓病発症の認定を職種別に見ると、トラックやタクシーなどの運転従事者が89件と全体の3分の1を占めており、最多となった。うつ病などによる申請は福祉・介護事業の従事者が多い。年代別にみると20代が増加している(7月6日)。
安倍政権が6月29日、可決成立を強行した「働き方改革関連法」では、罰則付きの残業規制≠おこなうというが、年720時間、月100時間を特例として認めている。過労死ラインとされる80時間を大きくこえており、「規制」にはほど遠い。また建設・自動車運転・医師などには5年間の規制猶予を設けるなど問題だらけだ。

4面

焦点 米朝会談とトランプ政治(下)請戸 耕市
労働者の反乱、激動の時代へ

ポピュリズムとトランプ

グローバリゼーションの結果にたいして、アメリカじゅうで不安・落胆・絶望・怨嗟の声があふれている。その声は、反グローバリズムの労働運動や社会運動として広く展開される一方で、白人中間層を中心にした声なき声のポピュリズム的な反乱という形で現れている。まさにグローバリゼーションがその底辺から破綻している。

エリートに騙された

ポピュリズムとは、〈自分たちの声を誰も代表してくれていない〉と感じる人びとが、自分たちの声を聴かないエリートにたいして、異議を申し立てる反乱である。
エリートとは、ビジネスエリート、民主党や共和党の政治エリート、主流メディア、リベラルな知識人など。彼らはこぞって、〈グローバリゼーションは良いこと〉であり、〈誰しもを成功に導くシステムだ〉と語ってきた。
当初、その話に労働者は惹きつけられた。しかし、何世代も携わってきた自分たちの仕事がなくなる事態によって、それが幻想であったことに気づかされた。
社会を支配し、仕事や生活のルールを支配するエリート。幻想で欺き、窮状を訴えても無視するエリート。奴らへの逆襲が始まった。トランプ現象とは、グローバリゼーションにたいする極めて歪められた形ではあるが、反乱の一形態に他ならない。

トランプ支持者

トランプが、ポピュリズムを作り出したのではない。むしろ、格差・貧困・分断、雇用・社会・環境の破壊、エリートの騙しと無視、それらにたいする労働者の不安・落胆・絶望・怨嗟―これがトランプを作り出した。
彼らもまたグローバリゼーションの犠牲者にほかならない。しかも、労働運動や社会運動からも相手にされてこなかった。エリートが語る人権や平等などのキレイごとにたいして強い不信を抱いている。そして自分たちの生活を脅かすものとして、エリートも、自分より下層の者も一緒くたに攻撃している。しかし、トランプを支持する人びとを「反知性的」「視野が狭い」「差別主義者」として切って捨ててはならない。反グローバリズム運動の広がりのなかでトランプの幻想から解放されていくのだろう。

トランプと支配階級

見て来たように、トランプは、アメリカの支配階級の考え方を全く共有していない。トランプの政治は支配階級の総意ではない。グローバリゼーションとアメリカの覇権を破壊しかねないと危機感を募らせている。しかし、支配階級は、トランプの政治を止めることができない。なぜなら、グローバリゼーションの行き詰まりと破綻が顕わになってくるなかで、トランプの政治を批判はするが、それにたいする代案が示せないからだ。もはやスキャンダルか暗殺か、いずれにせよ、支配階級の抗争は泥沼である。

世界はどこへ

トランプの政治は、世界史を未経験の危機の時代に引き込むだろう。
グローバリゼーションがいよいよ行き詰まりを見せ始めている。
08年のリーマンショックで、米国中心の金融システムのバブルが崩壊して以来、各国の当局は資金注入(QE)によってシステムの延命を図ってきたが、限界を迎えつつある。 グローバリゼーションの最終消費地であるアメリカの労働者・消費者が、雇用喪失、格差・貧困、借金苦・生活苦に陥っている。グローバリゼーションの土台をなすアメリカの消費が限界に近づいている。
しかし、もっとも重大なのは、グローバリゼーションの結果にたいして、労働者のポピュリズム的な反乱がおこり、トランプの政治を媒介にして、グローバリゼーションを底辺から破綻させることである。保護主義と貿易戦争は、グローバルな連関を寸断し、グローバル資本の展開を阻害する。それは、リーマンショック以上の深刻な金融危機と世界大不況を現実化させる。

世界秩序の崩壊

トランプの政治として進行する事態は、多極化戦略への転換といった整合的なものではない。支配階級もコントロールできない事態として、覇権放棄が進行しているのである。
では覇権交替はあるのか?
中国が次を狙っているという見方は、脅威論と相まって、広く聞かれる。しかし、覇権とは、政治・経済・軍事の支配力であるともに擬制的な普遍性がカギをなすが、中国には、前者はさて置き、後者について、アメリカやヨーロッパ的近代にとってかわりうる要素がない。
中国は、グローバリゼーションのなかに深々と組み込まれている。グローバリゼーションの行き詰まりは中国をも激しく襲う。そういう情勢に怯えて、習近平は一強体制を強めている。しかし、グローバリゼーションの破綻は、中国において、労働者の大量失業と反乱が最も激しく広がる。地方政府や地域権力が中央の統制に服せず、独自に動き出す事態―ソ連崩壊の最終局面の様相―が進展するだろう。
EUはもっと危機的である。既に、いくつもの国が債務危機のために、社会のインフラやサービスを維持できなくなりつつある。社会が崩壊して行っている。アメリカと同じように、反グローバリズム運動の流れとともに、ポピュリズムが台頭しており、EUの解体、分離独立運動や権力の分裂が進行していくだろう。同時に、社会の崩壊に対応して、独自の自治組織や自立的な運動が広がっており、それは新しい社会を生み出す試みである。

変革の展望

古典的に言えば、保護主義は、世界経済のブロック化から国家間の戦争的対立である。それは、グローバリゼーション以前の時代、資本の活動の重心が基本的に自国経済内にあり、国家が自国経済を総括している時代の危機の形であった。
グローバリゼーションの時代、グローバル資本の活動は、各国の政府や経済の制度などは全く無視して、グローバルなガバナンスの下で、ただ収益の最大化を基準にグローバルに展開している。グローバル資本が栄え、各国の国家・経済・社会は荒廃の一途をたどっている。今日の危機は、むしろ、荒廃した国家や社会の破綻や分裂といった形で進行する。そして、そういう事態を恐れる指導者が、ポピュリズムと相呼応して、対外戦争や国内戦による危機打開に走る可能性である。

「外被の爆破」

覇権の論理が、政治・経済・軍事の支配力であるともに擬制的な普遍性であると述べたが、経済的諸制度から国家的諸制度に至るまで、それらは、搾取・収奪という資本の論理を正当化し延命するために、幾重にも重ねてきた「外被」(マルクス『資本論』)である。そして、資本の論理・連関は、本質的には、労働の論理・連関の疎外形態であった。
ところが、トランプは、そういう「外被」を放り出すという。まさに「外被の爆破」である。もはや、グローバリゼーションまでに行き着いた資本の論理と、その「外被」である覇権の論理や国家の論理とが「調和」しえなくなっている。そしてその「外被の爆破」は、論理的に言えば、たちまち資本の論理の破綻へと「転回」する。それは、労働の論理・連関の回復、アソシエーション(人格的連合)の時代の潜在的な始まりである。

韓国に学ぶ

米朝首脳会談に至るプロセスは、アメリカ覇権の揺らぎを捉えて、戦争危機を平和と新しい社会建設のチャンスに転化したものだといえる。途方もないスケールの国際政治の展開を、現場の人びとの営々たるたたかいの積み重ねの上に切り開いている。そこには、民主化抗争の歴史、労働運動と市民運動の歴史があり、その上に社会的連帯経済、協同組合、労働組合、地域運動の広がりと粘り強さがある。そしてソウル市の行政という拠点が大きな力を発揮している。それらを基礎にろうそく革命が起こり、国際政治をも動かした。
世界秩序崩壊、国家破綻、社会崩壊、戦争・内乱という時代、アソシエーションが潜在的に始まる時代にどうたたかうかということを、韓国の人びとのたたかいは示している。(おわり)

誰が安倍を支えているのか
太田昌国さん 大阪で講演

7月6日、大阪市内で〈共謀罪に反対する市民連絡会・関西〉主催、〈戦争あかん! ロックアクション〉共催の「腐食する国家と共謀罪」という集会が開催された。
講師は現代企画室編集長の太田昌国さん。豪雨の影響で遅れて会場に到着した太田さんは、「今日は共謀罪そのものについての話しというよりも、なぜ日本社会が共謀罪を必要とするようになったのかについて話をしたい」と前置きをし講演を始めた(写真上)
講演では、1945年の敗戦を境として、明治150年を2分し、敗戦までの77年を前半、敗戦から今日までの73年を後半とした。そして世界の時代状況の変化、日本の時代状況の変化について時系列に沿って話を進めた。そして今日の課題を次のように述べた。 1991年、日本軍「慰安婦」にされた金学順さんが謝罪と補償を求めて日本政府を提訴した。研究者のなかから日本人は戦後73年間戦争にかかわらなかったという認識でよいのかと問題が提起された。
1997年、自民党内の安倍晋三、中川昭一、菅義偉など衆議院議員84人と参議院議員23人が「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」を結成した。日本会議、拉致被害者家族会を結成したのもこの年。「若手議員の会」には今、安倍政権を支えている議員が数多くいる。
2002年の日朝首脳会談で「拉致」事件が顕在化すると、マスコミは拉致被害の報道ばかりおこない、国交正常化できないようにし、06年安倍政権が誕生。一時的に民主党が政権を握ったが、12年にはまた安倍政権が復活。13年の特定秘密保護法成立を皮切りに、集団的自衛権行使容認の閣議決定、戦争法成立、17年には共謀罪を成立させた。
この間、中国、朝鮮、韓国にたいし政府やメディアによる意図的で一方的な悪宣伝がおこなわれている。その結果社会全体に排外主義的な風潮が浸透し、安倍政権を支持する一定のベースが形成されている。あきらめるとその分、こちらの力が弱まる。最後まであきらめないことが肝心だ。(池内慶子)

5面

ろうそく革命と現代韓国(下)
1700万人参加、民衆運動の底力示す
文京洙さん(立命館大学国際関係学部教授

保守政権から進歩派政権へ

進歩派の敗北

87年から保守政権の10年、97年から進歩派政権の10年があって、07年と12年の選挙では進歩派が敗北する。
07年選挙の敗北は、廬武鉉の時代に、グローバル化で起こっている問題にたいして解決能力を持てなかったということがある。とりわけ、02年の選挙で廬武鉉を大統領に押し上げた若い人たちが、グローバル化のもとで厳しい状況に直面し、廬武鉉を見放したということができる。
李明博政権は、掲げた政策をほとんど達成できず、経済危機を改善できないまま政権の末期を迎えた。だから、本来でいうと12年末の選挙(文在寅と朴槿恵が争った)で、進歩派が勝利してもおかしくなかった。それがなぜ勝てなかったのか。2つの要因があるだろう。
1つは、インターネット時代の独特の選挙不正があった。 もう1つは、進歩派の勢力が分裂した。進歩派から文在寅とともに安哲秀が出た。
進歩派の分裂の一番大きな要因になっているのが世代対立だった。
ここで世代別の支持を見てみる。
20代、30代は圧倒的に文在寅を支持。50代、60代は朴槿恵を支持。
60代は、朝鮮戦争を前後する時期の反共的な冷戦主義のなかで生きてきた人たちで仕方がないだろう。
問題は50代。人口的にも一番多く、基本的にリベラル、進歩的な人たち。しかし、韓国社会が直面しているあらゆる問題に苦しんでおり、この世代が、進歩派を支持しなくなった。このことが、進歩派分裂の一番大きな原因。文在寅は廬武鉉の側近だったが、ノパ(廬武鉉派)は進歩派で運動圏的勢力を内部に抱え込んでいるわけだが、独善的なところがあると評され、ノパにたいする反発も40代後半から50代の世代にある。これも進歩派の分裂をもたらした。

セウォル号事件

朴槿恵政権の経過は周知の通りだが、16年のセウォル号事件は非常に大きな意味を持った。
それは、近いスパンでいうと李明博から朴槿恵の10年間の保守派の政治、もっと長いスパンでいうと、大韓民国ができて以降の権威主義的な政治が蓄積してきた歪み・矛盾が、2016年セウォル号事件という形で噴き出したといえる。
さらに、2016年10月末から、崔順実ゲートが暴露される。この背景には韓国の社会のあり方がいろいろな形で現れたと言える。

保守言論の亀裂

もともと韓国では「朝鮮日報」、「中央日報」、「東亜日報」の保守言論が圧倒している。他方、「ハンギョレ新聞」や「京郷新聞」といったリベラルな新聞もあるが、50代以降の人たちの間では保守言論が圧倒している。
ところが朴槿恵批判のきっかけを作ったのは保守言論の「朝鮮日報」だった。保守政権と保守言論とは対等な同盟関係を形成してきたが、朴槿恵は、保守言論にたいして、対等な同盟関係ではなく、父親の朴正煕が育てた家来ぐらいにしか見なかった。そういう扱いにたいして保守言論としての意地もあり、朴槿恵に反旗を翻した。さらに、「朝鮮日報」と「ハンギョレ新聞」と水面下での協力ということも生まれて、朴槿恵政権を追い詰めていく。 ケーブルテレビ局「JTBC」(注5)も、「中央日報」系で保守的なのに、疑惑を暴露する報道をおこなった。 さらに「MBC」(注6)や「KBS」(注7)では労働組合が相当長くたたかっていた。そして「MBC」は最終的にたたかっていた組合の委員長が社長になった(注8)。『共犯者たち』という言論界のたたかいを描いたドキュメンタリーがあるが、その主人公が今度「MBC」の社長になった人で、もう徹底的にたたかっている。嫌われても嫌われても、その李明博の追っかけをやったり、取材を展開してたたかっている。労働組合としてもたたかっている。
「朝鮮日報」や「東亜日報」は政府との同盟関係にあって、基本的な傾向は保守だが自立している。記者として経験を積んで相当強いし、独立した言論機関としてプライドもある。そういうことがあって今回のろうそく革命を導く言論界の動きにつながったといえる。

脱中心

ろうそくデモは合計23回、毎週デモがあって1700万人が参加している。世界的にみても未曽有の規模。
その最大の特徴は「脱中心」、中心がないことだ。
16年11月9日、「朴槿恵政権退陣非常国民行動」がつくられた。韓国社会の2000余りの市民団体がすべて参加するような組織。87年6月民主抗争のときは「民主憲法争取国民運動本部」というのが大きな役割を果したが、それには中心があった。ろうそくデモについてはそういう中心が指摘できない。一応、組織は出来たが、スケジュールや日程を調整するぐらいしかできなかったと、「非常国民行動」の代表をした人が回顧している。
どんな人たちが参加したかというと、競争圧力とか就職難に苦しむ青少年たち、非正規の労働者、LGBT(性的マイノリティ)といわれる人たち、社会的な差別を受けている人たち。農民もトラクター部隊でソウルにやってきて参加している。芸能人もたくさん参加している。

一人で参加

参加者の特徴として、一人での参加がある。もちろん、386世代が家族で参加するというのも非常に多かった。しかしまた、一人で参加するというのは、韓国社会の大きな変化の現れだ。10年ぐらい前だったら、食堂で一人で食事ができなかった。料理が4〜5人前を前提にしているから。今は一人飯が増えている。韓国社会の共同体的な生活慣習が相当崩れてきていて、それがろうそくデモのスタイルに反映している。
23回、1700万人参加のデモで、ほとんど大きなトラブルもなかったのは世界的にも画期的なことだが、これは朴元淳ソウル市長の存在が相当大きい。保守派が市長だったら、警察は市長の意向を受けて動くので、ああは行かなかったかもしれない。

6月地方選挙

6月12日米朝会談の翌日の13日に統一地方選挙がある。文在寅政権の中間評価としての意味を持つ。
00年代に異議申し立て型の市民運動からの転換があり、市民運動が社会問題の解決に乗り出すという領域があって、そのときに、社会運動の取り組みの重要問題として浮上するのが地域。地域社会のなかで起きている問題にたいして、進歩派の行政や市民運動が、どれだけ解決能力を持つのかが非常に重要な課題として提起された。
だからソウルは非常に大事。ソウルの朴元淳市長は、90年代からの市民運動のトップランナーだった。その朴元淳がソウル市行政を担っているということは非常に大きいと思う。
日本を見ていると、地域が保守化している。それが日本の全体の保守化の土台になっている。その意味でも、韓国の今度の地方選挙でどれだけの成果を、進歩派や市民運動が挙げられるのかが注目されるところだ。

中道改革派

文在寅は、日本でも心ある人たちに人気があるが、韓国の政治的な地形のなかでいうと、中道改革派ぐらいの位置。象徴的な話として、文在寅が当選し訪米したとき一番最初に訪問したのが「長津湖の戦い」の慰霊碑。朝鮮戦争のとき、中国軍に包囲されたアメリカ軍がおこなった脱出作戦で、住民も米軍艦船で避難。そのなかに文在寅の両親もいた。だから「自分が今あるのは、あの時、アメリカが戦ってくれたおかげ」という話。
基本的に韓国の左派は反米。そういう点で文在寅やその周りの人びとは左派ではなく、韓国の文脈でいうと進歩派、日本の文脈でいうと中道改革派ぐらいの人。

グローバル化推進

廬武鉉、文在寅の流れの人たちが左派ではないということの一つの証左が、経済のグローバル化を推進してきたことだ。アメリカからの圧力ではなく、グローバリゼーションのなかで韓国が生き残ろうとしたら、そういう政策を展開するほかないというのが基本的な考え方。
進歩派の政策の特徴は、一方で、グローバリゼーションのなかで韓国経済の競争力をいかに高めるかということと、他方で、その手当を社会保障や社会的経済など強める形で手厚くしていくということ。イギリスの第三の道と同じ方向だといえる。
だから民主労総は支持しない。民主労総は、正義党と一番親和性がある。大統領選挙では有権者の10%ぐらいの支持、300議席のうち6議席。

鍛えられた政治家

とはいえ、この20年余りの間、87年の民主化闘争をリードした進歩派が、色々な経験をし、成功と失敗と挫折を繰り返して、相当に鍛えられている。南北関係についても、財閥とのやり取りでも、かなり訓練を積んで鍛えられた政治家になっている。
南北関係についても、そういう人たちが、非常にしたたかな政策を展開しているわけである。    (おわり)

(注5)韓国で衛星放送やケーブルテレビ向けに放送をおこなっている「中央日報」系のテレビ局
(注6)韓国文化放送。政府が出資して民間で運営するという半官半民
(注7)韓国放送公社。韓国の公共放送労働者たちが「放送の公正・公平」を主張して壮絶なたたかいを繰り広げてきた。
(注8)ストライキで解雇されていた辣腕プロデューサーの崔承浩氏が昨年12月、新社長に就任

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6面

書評 半世紀を超え、いま必読の書
梶村秀樹『排外主義克服のための朝鮮史』(平凡社ライブラリー)

今日、朴槿恵を打倒し、南北会談、米朝会談を実現し、歴史的な南北統一に向かう朝鮮人民(南・北と在日)には次は何か? が問われている。梶村秀樹さんの70年代はじめの講演を記録した『排外主義克服のための朝鮮史』は今こそ読まれるべき本である。

朝鮮史の主体

研究者としての梶村さんは、朝鮮蔑視と結びついたアジア的停滞社会論、すなわち朝鮮には内部からの発展はないという考えを激しく批判する。逆に、日本人民の主体的総括ぬきに「アジア・アフリカが世界史を動かしている」といった手放しの礼賛をも認めない。朝鮮現代史についてはその基本的矛盾を、南北朝鮮人民と日・米帝国主義の対立ととらえ、朝鮮外部からの国際情勢や北の軍事力は二次的要素であって、「統一を通じての変革、変革を通じての統一」を基本にすえる。そのためのカギを握るのが南の大衆意識であり、大衆運動であるとする視点は今日こそ継承しなければならない。
また、現代にも続く課題として、日韓条約反対闘争のなかで現れた運動主体の問題を挙げる。日本の反対運動のなかでは、「法的地位協定」について、在日の生身の存在の視点が欠けていた。いわゆる「李ライン」と「竹島」問題で朝鮮民衆の民族感情と向き合えなかった。請求権問題では日本の国家責任の清算のすり替えを許し、そして南の低賃金労働の問題を、「日本の労働者の生活を脅かすもの」としかとらえなかったことなどである。 例えば、1970年、全泰壱が、最低生活も成り立たない低賃金のもとで1日15時間以上の労働を強いられることに抗議の焼身自殺をした。日本の労働運動は鈍感にも、保税加工貿易製品として日本にも大量に輸入されている安い背広が、日韓体制の最底辺で働かされていた韓国の労働者によって作られていることに気づかなかった。1997年の韓国経済のIMF管理で、南の労働者が塗炭の苦しみに陥れられたことについても同様である。
朝鮮史を研究し、入管闘争をたたかった梶村さんにとって、朝鮮の民衆こそが一貫して歴史の主体であった。梶村さんの朝鮮史研究の立場からさらに学ぶべき点は、「朝鮮を通して日本のあり方を問う」「朝鮮史は日本のリトマス試験紙である」という考えである。

「解放」と朝鮮戦争

1945年の8月15日、日帝の植民地支配から脱したその日から朝鮮人民は自分たちで権力をつくりあげていった。45年の9月6日には、朝鮮人民共和国が創設された。大統領は李承晩、人民委員には呂運亨をはじめ、金日成、金九など共産主義者から右翼まですべての勢力が入り、文字通りの全民族的結集体であった。これにたいし、米ソが軍事的に介入する。ソ連軍は8・15の前から占領を開始、米国は少し遅れて9月7日から侵攻する。米軍は直接軍政を敷き、人民共和国を否定する。米ソとも朝鮮全体の解放には無関心だった。
45年12月にはモスクワで米・英・ソの三国外相会談をおこない、「朝鮮に自治能力なし」と認めて、朝鮮の「信託統治」を決める。要するに朝鮮の即時独立を否定し、米ソによる分割の思惑を込めていた。ソ連の意を受けた朝鮮共産党がそれに屈服した。
分断の始まりにたいする反米帝の抵抗がただちに始まった。46年9月のゼネストから10月の大邱蜂起まで人民蜂起が続く。分断固定化に反対する闘争は48年5月の南の単独選挙粉砕を目ざし、48年4月3日の済州島蜂起(全島民の3分の1が犠牲になりながら漢拏山のパルチザン闘争につながる)、それと呼応した麗水反乱から智異山パルチザンと朝鮮戦争勃発まで続く。
また朝鮮戦争にたいして、日本の公認左翼の「絶対平和主義的な北弁護論」から北正規軍の「南進」を戦争の主原因と見る反共理論までの諸見解を、「朝鮮人不在の朝鮮戦争論」と批判する。
「国際政治の観点だけでわりきり、朝鮮内部の南北を通じての民衆の志と、それを抑圧するものとの矛盾が45年以来せめぎあいつづけてきたその爆発、という面がほとんど捨象されている」「米ソの冷戦の一つの将棋のコマみたいな、そういう朝鮮問題のイメージしかない」と。
梶村さんは、朴憲永ら南労党(南朝鮮労働党)指導部の「焦り」とソ連への幻想が戦術的誤りをもたらしたが、その根源は、ソ連が、安保理で拒否権を発動せずに米軍中心の国連軍の結成を許したこと、制空権を持つ米軍にたいし、対抗的物質的援助をしなかったことにあると見る。彼は、南のパルチザン活動と結合することを条件に、北からの正規軍をもってする進攻をも支持している。
梶村さんは、朝鮮戦争にたいする日本人民、日本の階級闘争の責任については厳しくとらえている。朝鮮人民の惨禍と分断の固定化にたいし、日本では「特需ブーム」で重工業の戦後復興のチャンスをつかんだ。これにたいし日本の共産党は「矮小な即席軍事路線」に在日朝鮮人運動を「利用した」し、総評は「北は侵略軍」と規定し、国連軍を支持し、軍需産業を許容した。そのため、日本の労働者人民は、「アメリカの戦争はゴメン」だが、「北の侵略軍も悪い」という意識を超えられなかった。

南北分断打破へ

梶村さんは60年代以降の南の状況について、朴政権の反共近代化路線に対応して、米帝の後退を埋める形で、日帝と日本資本の進出、とくに鉄鋼プラントなどの「援助」を媒介に失業者を低賃金でこきつかう路線を批判している。他方で北の体制については、官僚制や権威主義の極地と批判するが、「スターリン=金日成」とおいて、「主要打撃」の方向を金日成批判に向けたりすべきではないと言う。北の体制を成り立たせている戦前、戦後の日本帝国主義と日本人民の責任を抜きにした客観主義的批判はできないからであると述べている。
明治以降、福沢諭吉などが「脱亜論」などでイデオロギー的にレールを敷き、それに沿って明治政府が次々、侵略の行動を物質化していく。兵士として大衆が巻き込まれ、教育勅語や青年団・在郷軍人会などを通して動員される。それを主導したのは天皇制であった。「大衆が天皇制の構造のもとで、意識の面で、おそろしく完全無欠に取り込まれていた」。その例として自由民権運動が転向・屈服し、国権論に取り込まれていく過程を挙げている。他方で、幸徳秋水が、社会主義者として自国の帝国主義を否定し、日露戦争を前に「二〇世紀の怪物帝国主義」を書いたことの革命性を高く評価する。
現在、日本人民に突きつけられているのは、9条改憲を阻止し、天皇代替わり儀式を粉砕するために、排外主義と国家主義の大合唱を民衆の根元から打ち破るたたかいである。梶村さんに今こそ学ぼう。(落合 薫)

シネマ案内
人間マルクスの生き様
映画「マルクス・エンゲルス」(監督 ラウル・ペック 2017年 ドイツ)

マルクスが『「ライン新聞』で編集長をしている頃(1843年)から、エンゲルスとの出会い、『共産党宣言』の発表(1848年)までの6年間を描く。
映画は、森林で枯れ木拾いをしている人々に官憲が容赦なくサーベルを撃ちおろすシーンではじまる。誰のものでもなかった枯れ木が、今や森林所有者の占有物になっていた。この「木材窃盗取締法」にたいして、マルクスは『ライン新聞』で激しく批判し、政府とたたかう。マルクスの眼は現実を見すえ、所有とは何かを問題にする。マルクスのたたかいは、ここから出発した。パリに移ったマルクスは、ここでエンゲルスと運命的な再会をする(1844年)。この時、マルクスは26歳、エンゲルスは24歳。ふたりは意気投合し、終生にわたり共同で活動をおこなうことになる。マルクスは観念的であいまいな思想を容赦なく批判することによって、自らの思想をみがいていく。このため、対立をうみ、仲間が離れていくこともあった。批判的精神は革命家にとって生命の源泉であり、その組織に活力をあたえる。
マルクスの妻のイェニーは大胆かつ慎重な助言者であり、同志でもあった。エンゲルスは工場経営者の息子でブルジョア階級に属するが、恋人メアリーはアイルランド人のプロレタリアート。このように、マルクス、イェニー、エンゲルス、メアリー、それぞれに個性が違うこの4人の共同作業によって、『共産党宣言』の思想が形成されていった。
しかし、映画では悲惨な労働者の状態は描かれているが、労働者階級のたたかいが描かれていない。マルクスとその革命家群像を描きながら、たたかいの現場が描かれていないのだ。そこがこの映画の物足りないところだ。(鹿田研三)