安倍を倒せ 市民の力で
森友、加計、日報徹底究明を
「安倍内閣は総辞職せよ」国会前に3万人が集まって怒りの声をあげた(4月14日) |
4月14日、戦争させない・9条壊すな! 総がかり行動実行委員会などが呼びかけた安倍政権退陣を求める国会行動がおこなわれた。午後2時の段階で、参加者は3万人を超えた。国会は人民の怒りの波によって完全に包囲されたのである。
森友学園にたいして8億円値引きした国有地不正売却事件にかかわる財務省の公文書改ざん、防衛省の南スーダンPKOやイラク派兵時の自衛隊日報隠し、加計学園問題への安倍の関与など疑惑は深まる一方である。また財務省の福田淳一事務次官(当時)のセクハラ事件など、政権の腐敗は底なしの様相を呈している。
総がかり行動実行委員会・福山真劫さんの主催者あいさつで始まった集会は、各政党を代表して長妻昭(立憲民主党)、志位和夫(日本共産党)、又市征治(社会民主党)の各氏が発言し、市民と協力して安倍政権を倒す決意を語った。さらに、〈安全保障関連法に反対する学者の会〉佐藤学さん、オスプレイ反対東京連絡会、〈安倍政権にNO! 東京・地域ネットワーク〉金子勝慶応大名誉教授などの発言が続いた。
「安倍首相は膿を出し切ると言っているが、お前こそが膿なんだ。韓国ではキャンドルデモで大統領を退陣に追い込みました。私たちの力で安倍を追い出しましょう」と学者の会・佐藤さん。「政府は横田基地へのオスプレイ配備を半月以上住民に隠し、直前に発表しました。霞ヶ関の人たちは人の命をなんとも思わないのでしょうか。部下が自殺したり、自衛隊員を危険な所に派遣したり、情報を隠蔽したり、こんなことが許されるんでしょうか」とオスプレイ反対東京連絡会。「文書の隠蔽や改ざんは、民主主義社会の根本を壊してしまう。安倍は歴代首相の中で最も愚かな首相です。必ず倒しましょう」と金子さん。最後に、行動提起を受け集会を終えた。その後も各団体による抗議行動が続けられ、国会は終日、人民の怒りの声に包まれた。(藤崎 博)
朝鮮半島の完全非核化へ
南北首脳が共同宣言
4月27日、朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)の金正恩委員長と韓国の文在寅大統領は、韓国・板門店の平和の家で会談をおこなった。南北首脳会談は今回で3度目となるが、朝鮮の最高指導者が韓国に足を踏み入れたのは初めてのことだ。金委員長と文大統領が署名した板門店宣言では、次の3項目が確認された。
第一に、南北関係の全面的・画期的な改善を成し遂げ、自主統一を早めていくことである。第二に朝鮮半島の軍事的緊張を緩和し、戦争の危険を解消することである。具体的には陸・海・空における一切の敵対行為の全面中止、非武装地帯の平和地帯化、軍事保障対策の実施、軍事当局者会議の開催などで合意した。そして第三に、朝鮮戦争の終結と朝鮮半島の完全な非核化を共同目標とすると確認した。そして南北が今年中に終戦を宣言し、平和協定の締結に向けて南・北・米・中の4者会談開催を推進すると宣言した。
今回の南北首脳会談は、朝鮮半島の平和の確立と南北統一に向けた歴史的な一歩を示すものとなった。東アジアの民衆はその歩みを阻むものを決して許さないであろう。特に、日本政府の憲法9条改悪攻撃や、在日米軍基地の強化とりわけ沖縄・辺野古新基地建設を断じて許してはならない。それは平和のための日本人民の責任である。
辺野古新基地
連日の大行動で搬入阻む
海を殺すな 埋立を許さない
海上抗議行動に連帯して、辺野古浜でシュプレヒコールをあげる(4月25日 名護市内) |
4月7日 毎月第一土曜日恒例の「県民大行動」に500人の市民が集まり、新基地建設阻止をあらためて訴えた。集会では、沖縄平和運動センター議長の山城博治さんが「沖縄はめげない、引き続き抗議の意思を発信しよう」と呼びかけた。稲嶺進前名護市長も訪れ「勝つまで一緒にがんばろう」と訴えた。
9日 沖縄防衛局は、「N3護岸」工事に着工した。「N3護岸」は辺野古崎突端部付近から南西に伸び、埋め立て区域南側に造る。「K4護岸」とつながり、「N3」「K4」「N5」で囲まれ、土砂投入が可能となる。政府は6月中にも3護岸をつなぎたい考えだ。防衛局は、サンゴ移植について、県の許可を得る必要がない場所から埋め立てを進める計画に行程を変更した。
「N3護岸」着工に、キャンプ・シュワブゲート前で座り込みしている市民は「工事が進んでいるように見せかける手段だ」と怒りの声を上げた。
4月中旬から下旬にかけても海上護岸工事は続けられ、シュワブゲートからは1日300台以上が搬入。これにたいし、市民の怒りは頂点に達し、23日から6日間の集中行動日が設定された。
集中行動はじまる
23日 700人の市民が資材搬入のゲート前に結集し、搬入阻止をたたかった。ゲート前に座り込んだ市民は機動隊の排除とたたかい抜き5時間半にわたって資材搬入を阻止した。たたかいの結果、123台の資材車両の搬入を許したものの、これまでの3分の1に。海上でも、抗議船2隻、カヌー19艇で抗議行動。
24日 シュワブゲート前には早朝から多くの市民が座り込んだ。この日最大で680人の市民が参加した。県警機動隊は前日の2倍に増員され、200人体制で座り込みの市民を排除した。この日は1時間半にわたって資材搬入を阻止した。搬入は2回おこなわれ202台の車両が入った。この時の攻防で2人が不当逮捕された。(25日釈放)機動隊による市民の拘束は最長で3時間におよんだ。
海と陸から抗議
25日 沖縄防衛局が護岸工事に着手して1年になるこの日、海上抗議行動とゲート前の座り込みをたたかった。海上抗議行動には、抗議船11隻に150人が数度に分かれて乗船した。カヌー83艇(これまでで最大)に100人が乗り込み護岸に向けパレードした。午前10時過ぎ、「K3護岸」付近に集まった抗議船とカヌーからシュプレヒコールが「護岸」に響き渡り、間断なく抗議の声をあげた。
シュワブゲート前では、早朝より市民が座り込み搬入阻止に備えた。市民は機動隊のゴボウ抜きとたたかい、1時間半にわたって資材搬入を阻止した。ゲート前には最大550人が参加。この日、海上と合わせて800人がたたかった。
午後1時より、辺野古の浜で連帯集会が開かれ、270人が参加。カヌー隊と船長から力強い決意が述べられた。カヌー隊は「毎日、砕石を落とすガラガラという音を聞くと嫌になるが、埋め立てを許すと海は二度と戻らない、何としても止めたい。最後まで頑張る」と決意表明した。(杉山)
2面
大飯4号機を動かすな
関電本店前で全国集会
4月22日
大飯再稼働阻止かかげ集まった全国の仲間が御堂筋をデモ |
関西電力が大飯原発4号機を5月9日にも再稼働させようとしている緊迫した情況のもと、「大飯原発うごかすな! 4・22関電包囲全国集会」が大阪市の関西電力本店前でひらかれ、福井、京阪神、全国から700人が集まった。同本店前は、「大飯原発うごかすな」「再稼動反対」の大きな声で包まれた。
午後1時から始まった集会では、冒頭司会者あいさつに続いて、関電に向かってコール。主催者を代表して、〈原子力発電に反対する福井県民会議〉中嶌哲演さんが発言し、「電力消費地元の関西から原発反対の大きな声を」と訴えた。
全国各地から、再稼動阻止全国ネットワーク、福島県大熊町議会議員・木幡ますみさん(メッセージ)、原発さよなら四国ネットワーク、ストップ川内原発! 3・11鹿児島実行委員会などが発言。さよなら原発1000万人アクション事務局長藤本泰成さんが登壇した。大間、東海村、柏崎刈羽、上関、玄海でたたかう人々からメッセージが寄せられ、司会が紹介した。
地元の民意は脱原発
原発裁判をたたかう当事者から、それぞれ発言があった。大飯原発差止京都訴訟原告団の吉田明生さんが全体像を説明。原発裁判は当事者の法廷内のたたかいだけでは勝利できない、法廷外のたたかいと結合してなんとしても勝利をと呼びかけた。〈福井から原発を止める裁判の会〉事務局長の嶋田千恵子さん、京都地裁で東電と並んで国の責任を認めさせた〈原発賠償京都訴訟原告団〉共同代表萩原ゆきみさん、「大飯原発3、4号機運転差止仮処分」申立人の児玉正人さんが発言した。
大飯原発の地元・福井県おおい町で、先月おこなわれた町議会選挙(補欠選挙)で当選した猿橋巧さんが、「原発立地地元でも、民意は脱原発である。美浜町では、これまで1人であった原発反対派の町議が一挙に3人になった。4号機の再稼動に絶対反対」と報告した。
関西から、ストップ・ザ・もんじゅ、原発ゼロの会・大阪などが発言。労働組合からは大阪ユニオンネットワーク、釜ヶ崎日雇労働組合が発言した。
5・9現地行動へ
集会決議を採択した後、閉会あいさつに立った〈若狭の原発を考える会〉木原壯林さんは、「関電は、大飯原発4号機の再稼働を5月9日にも狙っている。再稼動を推し進める電力会社、安倍政権、規制委員会の心胆寒からしめる断固とした再稼動反対の行動をやろう。全力で5・9おおい現地行動に決起しよう」と呼びかけた。
集会後うつぼ公園に移動し、難波まで太鼓や鳴り物でデモ行進し、休日の御堂筋を行く人々に「大飯原発うごかすな」「再稼動反対」と訴えた。
チェルノブイリ事故から32年
核時代の終わりの始まりへ
「チェルノブイリ原発事故32周年の集い」が4月15日、大阪市内でひらかれた。主催はチェルノブイリ・ヒバクシャ救援関西。今年の集会は、「チェルノブイリとフクシマを結んで8年目のフクシマと向き合い、被害者と共に健康・くらしを守ろう。フクシマを核時代の終わりの始まりに!」というテーマでおこなわれた。
はじめに、アニメーション『見えない雲の下で』を上映。これは福島原発事故を体験した佐々木ヤスコさんの証言をアニメ化した作品。集会では2つの報告がおこなわれた。
ひとつは福島の現状について。今年3月16〜19日に「救援関西」のメンバーが福島現地を訪れた。国の復興・帰還政策のなかで、住民は帰還の選択をせまられている。避難解除された地域には、新しい立派な建物がどんどん建っている。しかし、住民は戻っていないし、戻っても安心して生活できない現状が報告された。もうひとつは、振津かつみさん(「救援関西」事務局)が集会の基調となる内容を報告した。
今年3月、復興庁はパンフレット『放射線のホント』を作っている。政府は「帰還が進まない理由は人々に放射線にたいする不安があるからだ」と考えているようだ。この認識が間違っている。政府のうそとペテンをあばきだし、被ばく問題の解決にむけて被害者とともにたたかっていこう。
【振津かつみさんの講演要旨】
振津さんは「チェルノブイリ支援・交流の経験からフクシマの健康と医療保障を考える」というテーマで、次のように報告した。
@私たちの取り組み
救援関西は、チェルノブイリの経験を通して福島に取り組んできた。ヒバクシャとしての普遍性をつかみとり、これからもチェルノブイリと広島・長崎と福島のヒバクシャが合流できる取り組みをつくっていきたい。
Aチェルノブイリ事故から32年
チェルノブイリ原発事故32年のデータから、18歳以下の小児甲状腺がんのリスクは被ばく量に応じて増加することがわかってきている。このチェルノブイリ原発事故からの知見は、しっかり福島に生かしていくべき。
チェルノブイリでは、白内障、脳血管・心血管疾患など、がん以外の病気も増加している。この知見を生かし、福島でも被害者の健康を調べていくべきだ。
放射線被ばくに関する遺伝的影響は、人間については必ずしも明確になっていないが、動物実験では証明されている。「被ばくに遺伝的影響はない」というのが日本政府の立場だが、がんになりやすい体質など遺伝的影響は明らかになっている。
B福島県「県民健康調査」について
今日、福島では「甲状腺検査を縮小するべき」という意見が出ている。チェルノブイリの経験から考えて、福島でも長期にわたる健康診断をおこなっていくべきだ。甲状腺検査だけでなく、さまざまな病気のリスクに注意していく必要がある。すべての被害者に健康診断を保証すること。また、広島・長崎の被爆者が勝ち取った地平は、福島の被ばく者にも認められるべきだ。
ヒロシマは被ばくを拒否する
伊方3号機差止仮処分 異議審へ
広島高裁前でリレースピーチ(4月23日) |
四国電力伊方原発3号炉(愛媛県伊方町)の運転差し止めを命じた、昨年12月の広島高裁の仮処分決定を不服として四国電力が決定取り消しを求めた異議審の第1回審尋が4月23日、同高裁であった。
伊方原発広島裁判原告団、応援団らは「被爆地ヒロシマが被曝を拒否する」と大書された大横断幕やバルーンなどを掲げ、広島高裁へ「乗り込み行進」をおこなった。審尋は非公開のため出席者は高裁に入り、その他の原告や応援団などは高裁前でリレー・スピーチ。ドイツからジャーナリストも発言した。日本の反原発訴訟への各国の関心は高い。
審尋終了後、広島弁護士会館の大ホールで弁護団からの報告があった。3号炉の停止を余儀なくされている四国電力の焦りと、「推進」庁と化した規制庁の反論の非科学性、安倍政権による強引な原発推進の不当性を明らかにした。
昨年12月の広島高裁による仮処分抗告審は、原発の運転を差し止める初の高裁段階での決定という画期的な成果となった。同時に決定は、火山事象問題のみ原告側の主張を認め、その他の主な争点では四国電力の主張を認めるものでもあった。最大の問題は、運転差し止めの期限が今年9月30日までとなっていることだ。
一刻も早く運転を再開したい四国電力は、最高裁への抗告ではなく広島高裁への異議申し立てを選択し、同時に「保全命令執行停止」の申し立てを昨年12月21日におこなった。今年3月22日に広島高裁の三木昌之裁判長は申し立てに「執行停止の理由なし」として却下している。
4月23日に第1回審尋となった広島高裁異議審(同じく三木昌之裁判長)で、原告側は四国電力が主要争点としてきた火山事象だけでなく、基準地震動の決め方の不合理性や司法審査のあり方などを取り上げ、全面的に展開しようとしている。
火山灰か死の灰か
四国電力の主な主張である火山事象の頻度に絞って、四国電力側の欺瞞を指摘しておきたい。四国電力は「阿蘇の大規模火砕流を伴う破局的大噴火は、6万年に1回程度の低頻度だから無視し得る」と、世論や裁判所を欺こうとしている。しかし、もともと原子炉の設置にあたっては、約12〜13万年前以降に一度でも活動した可能性を否定できない断層等は事実上立地不適とする運用がされている。にもかかわらず「6万年に1回程度は低頻度」と主張する。東電が津波について同様に主張し対策を怠ってきたことと同じ手法である。
鹿児島大学の井村隆介・准教授は「川内原発がなくても、九州で破局的噴火はいつか起こる。多くの人が命を落とすことになるだろう。とはいえ、破局的噴火が発生しても川内原発がなければ世界中に拡散する火山灰に放射性物質が付着することはない。難を逃れた人びとが単なる火山灰をかぶるのか、文字通り『死の灰』をかぶるのかという違いは大きい」(原告側弁護団答弁書から一部引用)と指摘している。
広島高裁異議審第2回審尋は7月4日、広島地裁での伊方原発差止本案訴訟(本訴)は、8月6日。被爆者を先頭に闘われている「被爆地ヒロシマが被曝を拒否する」という、伊方原発運転差止広島訴訟に注目し、支援を強めたい。(田島 宏)
3面
3連続ワンデイ・アクション
“安倍内閣は総辞職!”兵庫から
4月21日
安倍やめろの大横断幕かかげ元町商店街を元気に更新。多くの市民が注目した |
「安倍改憲NO!森友隠しトコトン追及!」ワンデイ市民アクションが4月21日、開かれた(神戸市)。午後から「憲法9条に書きこまれる自衛隊〜その当事者として」講演会(元陸将・渡邊隆さん、兵庫県弁護士9条の会主催)を聞き、その後「9条を変えない」市民デモ、さらにデモ解散地点の繁華街で「3000万人署名」という3連続行動。デモと署名行動は、市民デモHYOGOが主催した。
渡邊さんは、防衛大卒で米国留学の経験もある陸上自衛隊の幹部だった。現在は小泉内閣の官房副長官補だった柳澤協二さんとともに「国際地政学研究所」を運営している。講演では、「(集団的自衛権の一部容認という)安保関連法のもとで、9条がいまのままで自衛隊が海外展開するのは無理がある。9条をどうするか、みなさんの判断」と話した。話の節々から、イラク派兵時、自衛隊員から犠牲者を出さないためにさまざまな「配慮」や「措置」を取られていたことがうかがえた。100人が参加。
その後、会場前から元町まで「安倍政治はいらない! 昭恵さんは出て来い!」とデモ行進した。デモ後、大丸前の「3000万人署名」には20人以上が参加、1時間で約50筆が集まった。女性3人による黒いスーツでボードを持つフラッシュ・モブがおこなわれ、人目を引いた。この日は今年一番の暑さ。皆さん最後はへばり気味で「誰が、こんな3連続行動を企画したの!」と言う人もありながら、「安倍内閣は総辞職! 憲法9条は変えない」の声を上げた。(武村志郎)
安倍改憲反対署名 4万に迫る
全野党共闘で170人がデモ
尼崎
発言者を先頭に阪神尼崎駅前からデモ行進に出発(4月22日) |
尼崎憲法集会は毎年5月3日に阪神尼崎駅前(中央公園)でおこなわれているが、今年はその日に神戸で県下統一集会があるため4月22日の開催となり、市内各市域の9条の会・市民アクションなど170人が参加した。
午後1時半からエイサーがおこなわれ、2時から集会。呼びかけ人の今西正行・元県会議員が、安倍政権批判と3000万署名の意義を訴える主催者あいさつ。市民団体・政党から報告と決意がなされた。ミナセン尼崎(みんなで選挙@尼崎)の水田隆三さんは、安倍改憲案の憲法に自衛隊を書き込むことの是非をめぐって広範な討論を起こそうと訴えた。
この日初めて尼崎(8区)の集会に参加した衆議院議員の桜井周さん(兵庫6区 伊丹・川西・宝塚)は、県下唯一の野党国会議員として、モリカケ追及・財務省問題などの国会報告をおこなった。また野党共闘の重要さ、とりわけ来年の参議院選挙に勝利し、自公改憲派の議席を3分の2以下にし改憲発議ができないようにしようと訴えた。つづいて、丸尾牧県議(緑の党)、都築徳昭市議(新社会党)、綿瀬和人市議(社民党)がそれぞれ地域でのたたかいの重要性を訴えた。
3000万人署名の事務局は、「尼崎の呼びかけ人・賛同人が150人を超え、毎週集約の署名は3万9千を超えた。5月末までに目標の10万筆達成をめざしてがんばろう」と提起。
集会を終えて、発言者・エイサー隊を先頭に国道2号線・三和商店街・中央商店街で市民にアピールした。
解散地点の中央公園では庄本えつこ県議(共産党)が野党と市民の共闘の重要性と、3000万署名の達成を訴えた。(久保井健二)
反戦と「自由・平等・博愛」貫いて
幸徳秋水を語る神戸のつどい
4月1日
60人の参加者を前に幸徳秋水を語る田中全顕彰する会事務局長 |
4月1日神戸市内で、幸徳秋水を語るつどいが開かれた。呼びかけ文は言う。「秋水は東洋のルソーと呼ばれた中江兆民から民主主義を学び、片山潜らから社会主義を学び、堺利彦とともに『平民新聞』に依り徹底的な非戦論を展開、そしてフレームアップされた大逆事件(現在の共謀罪)で刑死させられる。いま秋水が生涯かけてたたかった、民主主義、平和、そして社会主義を問い直す」と。世話人代表の津野公男さんらが昨年幸徳秋水生誕の地(高知県四万十市、旧中村市)を訪ね、神戸との関係と、刑死の前に語った「百年の後」の今を改めて考える集いとして企画された。
顕彰する会の田中全事務局長が講演
メインゲストは、四万十市で市長を務め、現在は幸徳秋水を顕彰する会事務局長の田中全さん。市長時代は刑死100年墓前祭と大逆事件全国サミットを開催し、日露戦争に非戦を貫いた秋水や大逆事件の犠牲者の復権を訴えた。田中さんは秋水が土佐中村という辺境の地に生まれながら、自由民権運動に接し中江兆民の弟子となり「自由・平等・博愛」の理念のもと明治の代を駆け抜けた生き方を語り、「秋水の生涯を学び、歴史を学ぶことは、自分の足元を認識すること」(四万十市教育委員会発行パンフレット)とした。大逆事件の犠牲者の顕彰のため、東京(平民社)、和歌山(大石誠之助ら)、岡山(森近運平)、福岡(堺利彦)、大阪(菅野スガら)の結びつきを作ってきた。市長退任後は「顕彰する会」事務局長として、前日も大阪で開かれた「菅野須賀子を顕彰し名誉回復を求める会」にも参加してきたという。幸徳秋水が国家にとっての「大罪人」でありながら比較的早くから顕彰されてきたのは、敗戦直後から家族が公然と霊を弔ったこと、戦後中村に移り住んだ坂本清馬(事件で無期懲役、のち釈放)が再審を求め、これを学者(大河内一男元東大総長ら)が支援したことも大きく、市議会で顕彰決議をあげ、会が発足したと説明した。
10月に新宮で全国サミット
これを受けて、社会主義協会代表の今村稔さんは、大逆事件の歴史的背景を語るとともに、自分の祖父の時代のことで、決して「昔の話」ではないとした。また神戸学生・青年センター館長の飛田雄一さんは神戸多聞教会と大逆事件の神戸の関係者・岡林寅松と小松丑治を語り、戸田曽太郎さんは、岡林と小松が住んだ兵庫区での彼らの足跡を語った。また前日の「菅野スガ」集会の関係者や、幸徳秋水の縁戚の子孫も参加した。神戸の関係者は、百年の後に大逆事件を語ることは、百年の後に今の運動を語ってもらうことになるとし、交流会では岡林と小松の記念碑をぜひ作ろうと盛り上がった。今年10月6日には、和歌山県新宮市で第4回大逆事件全国サミットが開催される。
幸徳秋水らが天皇制支配下の大逆事件で刑死したことは知られていても、彼らが「帝国主義間戦争としての日露戦争」に徹底的非戦を貫き、アメリカ西海岸の港湾労働運動にも参加し国際主義を貫いたこと、その底流には自由民権運動と「自由・平等・博愛」の思想があったことは存外かえりみられない。刑死の前に残した「百年の後、誰か私に代わって言うかもしれぬ」を受け継ぎ、私たちの運動もまた100年後に検証されるのだろう。人間の尊厳を基礎にした反戦と国際主義が問われていると感じた。(岸本耕志)
【定点観測】(4月12日〜25日)
安倍政権の改憲動向
4月12日 希望、民進両党は新党協議会を開き、基本政策の骨子案について協議した。議論では、憲法改正に関し「わが国が自衛権を行使できる限界を曖昧にしたまま、憲法9条に自衛隊を明記することは認めない」とした。「2項を残したまま自衛隊を明記する」と提案している安倍(自民)案との違いを打ち出した。同時に、「憲法の基本的理念と立憲主義を維持しつつ、時代の変化に対応した未来志向の憲法を積極的に議論する」とも述べている。
安保関連法については「必要な見直しを行なう」と記し、憲法の平和主義を尊重し専守防衛を堅持するとした上で、「違憲とされる部分を削除することを含め、必要な見直しを行なう」と明記した。
4月18日 自民党・細田憲法改正推進本部長が日本記者クラブで会見。改憲手続きを定める国民投票法の改正を前向きに検討する考えを示した。洋上投票の対象を拡大した公選法に合わせ、改正を主張する公明党に配慮した。細田本部長は「必要な部分は積極的に改正しようと思う」としながら、立憲民主党が求めるCM規制などの抜本改正には応じていない。
4月25日 共同通信が5月3日憲法記念日を前に実施した世論調査結果を発表した。調査は3〜4月にかけ18歳以上の男女3千人を対象に郵送で実施。
自民党「改憲案」の4項目全てで「反対」や「不要」が上回った。
「9条に自衛隊を明記する」賛成44%、反対46%/「教育の無償化、充実を加える」賛成28%、反対70%/「緊急事態条項新設のうち内閣権限の強化・私権の制限」賛成42%、反対56%/「国会議員の任期延長」賛成32%、反対66%/「参院合区解消」賛成33%、反対62%だった。
「安倍政権下での改憲」に反対61%、賛成は38%。「9条改憲が必要」のうち、理由は「核・ミサイルなど日本をとりまく安全保障環境の変化」61%、「自衛隊が憲法違反との指摘があるから」22%。「改正時に重視するべき」には、「自衛隊の存在明記」47%、「海外活動に歯止めをかける」24%だった。
4面
労働運動再生への挑戦(上)土田花子
介護職の職種別組織化へ
1 生存と未来のために
2000年代以降、「新時代の日本的経営」(1995年日経連報告)を指針とした資本攻勢は彼らの思惑をも超える規模と激しさで進んだ。今、非正規雇用は2000万人、年収200万円以下の労働者は1000万人を超え、30代過ぎても結婚・出産・子育てができない労働者が多数を占めている。労働者間の階層分化は「階級」として固定化・再生産されているといわれるほどだ。(「新・日本の階級社会」橋本健二著参照)
従来の重層的下請け構造やアウトソーシング、分社化等とともに直接・正規雇用が多様な形態の間接・非正規雇用へ、無期雇用が有期雇用へ、さらに《雇用》が「委託」「請負」「個人事業者」へと置きかえられ、長時間労働が常態化してきた。
労働者をバラバラに分断し、規制緩和・労働法制改悪・企業法制改定を重ねながら、さらにその上に違法・脱法・半合法的やり方で雇用責任・使用者責任を回避して搾取・収奪を極限的に強めてきたといえる。
労働の内容・態様もサービス産業の拡大により大きく変化した。サービス産業以外でも、新自由主義の熾烈な競争下で、付加価値を高めるための過剰なサービス競争が激化した。労働者は至るところで自分を「消し」、過剰・不必要なサービスを強制され、隷従を強いられている。肉体・頭脳だけでなく、感情や内面まで商品化する《感情労働》である。非正規化・貧困化・差別分断の拡大と絡みあいながら広範に広がりまん延してきた。
こうして労働者は日々、強烈なストレスにさらされ、最低限の人格も生存さえも保障されない奴隷状態におかれている。統計上の精神疾患、重大労災事故や死亡、過労死や過労自殺の増加はその一端にすぎない。
激しい資本攻勢になすすべもなく後ずさりしてきた労働運動には根本的弱点・問題点があり、労働運動の著しい衰退がさらに資本を勢いづかせてきた。労働運動再生―その模索と挑戦は労働者人民の生存と未来のために不可欠かつ喫緊の課題なのである。
業種別労働組合運動
日本の労働組合の特徴である正規職中心の企業別労働組合は、その問題性が批判されて久しい。が、そうした批判的立場から、既成組織の欠陥を補う運動として実践されてきた地域ユニオンもまた、多くが「駆け込み寺」を越えられない壁に悩んできた。
他方、数少ない業種別労働組合、産業別労働組合としてたたかいの歴史を刻み、安定雇用、権利拡大と賃上げをかちとってきたのが連帯ユニオン・関西地区生コン支部と全港湾の運動である。両者をとりまく情勢は厳しいが成果を発展させるために奮闘を続けてきた。
日本では産業全体に重層的下請け構造が形成されており中小零細企業は丸ごと収奪の対象である。関西地区生コン支部は労働組合側が主導して経営者の協同組合への組織化を促し、協力して「産業政策」をもち、上部大資本や行政と対決する構図をつくり出してきた。そしてストライキ、現場実力闘争などたたかいによって労資の力関係を変えていくことで企業別組合では実現できない成果を獲得してきた。
この運動を他産業・他業種へも拡大していくことは有効であり、ここに労働運動再生のカギがあるとの認識のもと、コンクリート圧送・運輸の業種でも組織化への取り組みがおこなわれてきた。
さらにこれを広げようと、2014年秋、関西地区生コン支部、全港湾大阪支部、港合同は「労働運動再生のための懇談会」を呼びかけた。
2 「安心できる介護を!懇談会」(2015年5月〜)
劣悪な処遇の根源
これに応えて最初に始まったのが、介護職の職種別組織化を第一の目的とした「安心できる介護を!懇談会」である。
介護は社会に必須不可欠の極めて人間的な労働である。人の命に関わる仕事として、資格とさまざまな知識、経験が求められ、肉体的精神的負担と緊張度も高い。一般的なサービス業と質は異なるが《感情労働》という要素も非常に大きい。にもかかわらず、介護労働者は低賃金(全産業平均賃金より月額10〜11万円低)、長時間労働、無権利、非正規雇用(訪問介護では大半が登録型雇用)を強いられ、さらに社会的評価も低い。そのため、資格はあるが職につかない、就いても辞めていく労働者が多く、どの介護現場も慢性的人手不足(質量とも)と劣悪な労働条件の悪循環が深まるばかりだ。
この現状を根本的に規定しているのが問題多き介護保険制度と著しく低い介護報酬である(後述)。特に在宅介護を担う事業所は中小零細の事業者や家族経営も多い。経営者も低収入で働き、仕事の中身的には被雇用者が経営者的責任を負っている、そんなことも多々ある。それ故、個別の事業主との闘争という構図にならない、なっても解決できない、事業者も巻き込んで背景に構える国・自治体とたたかっていくことが不可欠となるのだ。
歴史的な女性差別
さらに大きな背景として歴史的社会的な女性差別があり、この運動は本質的に女性差別・非正規問題のテーマを内包している。この観点から、介護労働問題を考えてみたい。
「家事は女の仕事」=「誰にでもできる労働」「価値の低い労働」、その延長線上に介護もあるという差別的な認識と偏見、これが社会に根深くはびこっている。だが、まず第一に、家事・育児・介護は「価値の低い」「誰でもできる」労働なのか? と問わなければならない。個別家族のなかで一方的に女性の「ただ働き」として担わされてきたが、これこそ人間が生きていくために不可欠な最も基本的労働だろう。衣食住を賄って命を維持し、社会と歴史を形成する土台をなしてきた労働なのだ。ここには偉大な知識と経験が世代をこえて継承、蓄積されてきたはずだ。商品化・市場化が進み、家事労働は一昔前と比べても様変わりした。格段に楽にもなった。が、本質は変わらないし依然として知識と経験を必要とする、価値の高い労働である。
こうした労働をベースにしながら、公的介護はさらに幅広い知識と経験、コミュニケーション能力や自己変革を求められる。しかし国は、利用者の自宅でおこなう訪問介護において「生活支援」と「身体介護」という分類をおこない、前者の報酬を不当に低く設定してきた。2015年以降は「生活支援」にはヘルパー資格は要らないとさらに報酬を下げ、サービス利用の抑制を狙ってきている。まさに「単なる家事=女の低価値労働」という図式が頭にこびりついているのだ。
この「生活支援切り捨て」攻撃にたいして「生活支援は単なる家事代行ではない」「在宅介護の命綱だ」「無資格者への置き換え反対」と、大きな運動が展開され攻防が続いている。私自身、「生活支援」の内容の深さと重要性に認識を新たにした感がある。
と同時に、「単なる家事」そのものを捉え返したのが前記の内容である。ある女性議員の言葉が契機となった。「議員になる前はどんなお仕事を?」と聞くと、にこやかに「ずっと主婦。議員をやって主婦ってすごいスキルだとわかったの」という返事が返ってきた。若い時にしみついた「家事・育児からの解放」のスローガンをめくる、深く考えさせられる言葉だった。
交流し権利を知る
政府の「2025年問題」キャンペーンの問題性は別途指摘したいが、介護を必要とする人が大幅に増えていくことは確実だ。誰しも「人間らしく自分らしく命を全うしたい」と願う。人手不足のなか、虐待がまん延し、「必要なときに誰もが安心して受けられる介護」からドンドン遠ざかっていく状況を変えなければ、高齢者も障がい者も生きてはいけない。
そのためには介護労働者自身の生活と尊厳が守られなければならない。仕事に追われ、ストレスがたまっているが多くの労働者は奉仕精神が高く権利意識は薄い。新しい「業界」でもあり労働組合運動の歴史はない。介護労働者同士がざっくばらんに交流できる場が必要だ。労働者としての権利を知ることも重要だ。そして権利意識を獲得し、業種別に団結することをめざしていきたい。「利用者さん」である高齢者・障がい者と家族、介護事業者と共同し、その力を結集して社会保障解体攻撃をはね返していきたい。(つづく)
5面
焦点 香月 泰
アメリカ覇権は終焉に向かうか
数週間後にも開催が予定されている米朝首脳会談に世界の注目が集まっている。トランプ米大統領は朝鮮民主主義人民共和国の金正恩委員長の呼びかけに、即答で首脳会談の受け入れを表明した。実現すれば史上初の歴史的な会談となる。いったいトランプのアメリカはどこに向かおうとしているのか。予測困難なトランプ大統領の行動の背景には米国の世界覇権の揺らぎという重大な問題が横たわっている。
覇権国の条件
2017年1月にトランプ政権が発足して1年4カ月が経過した。この間のトランプ政権の動向を見ていると、あたかもアメリカは覇権国としての地位を自ら放棄し始めたかのようである。戦後世界におけるアメリカの覇権(ヘゲモニー)とは何であったのか。それは次の3つを条件として成立していた。
第1に政治的条件である。アメリカは「自由と民主主義」、「法の支配」、「普遍的人権」を「共通の価値観」として掲げ、他国の内政に干渉し、圧力を加えてきた。こうしたイデオロギーは反共主義と表裏一体であった。
第2は経済的条件、すなわちドルを基軸通貨とする自由貿易体制である。
第3には軍事的条件だ。他国を圧倒する軍事力でアメリカは地球規模で米軍を展開し、文字どおり「世界の警察」として君臨してきた。
そのアメリカの覇権にかげりが見え始めたのは、1970年代初頭の金・ドル交換停止とその後の2度にわたるオイルショックであり、75年のベトナム戦争の敗退であった。70年代以降のアメリカの歴代政権は、その覇権を維持するためにあらゆる手段を尽くしてきた。
金融グローバリズム
一方、こうしたなかで擡頭してきたのが、新自由主義グローバリゼーションという金融資本の新たな運動であった。
「単一の金融市場」の形成へと向かうこの運動は91年のソ連崩壊を契機に決定的な飛躍を遂げた。それはあたかも「共産主義に勝利した資本主義経済が永遠に発展(成長)する時代が到来」したかのように喧伝された。
しかし、タイのバーツ暴落を契機に世界に激震を走らせたアジア通貨危機(1997年〜98年)は、金融グローバリズムによって可能となった大量かつ急激な資本移動がもたらす破壊作用がいかにすさまじいものであるかを垣間見せた。
その10年後、07年から08年にかけて進行したしたサブプライム住宅ローン危機に端を発したリーマン・ショックは、新自由主義グローバリゼーションの限界を明らかにした。09年に登場したオバマ政権は、この未曽有の危機を打開するために3つの課題に挑戦しなければならなかった。一つは過去30年間にわたって続けられた新自由主義政策によって深刻化する国内の社会矛盾を緩和することである。もう一つは、失敗に終わったアフガニスタン・イラク侵略戦争から撤退することである。そして最後に、「行き過ぎた資本の自由化」に規制を加え、「持続可能なグローバリゼーション」のための微調整をおこなうことである。アメリカを覇権国として維持することがオバマ政権の使命であった。
オバマ政権の失敗
しかしそれらはいずれも芳しい成果を上げることができなかった。共和党の執ような妨害があったことは事実だが、最も大きな原因は、アメリカにとって覇権を維持するためのコストが過重な負担になっていることにある。リーマン・ショックの震源地であったアメリカでは、その衝撃をもろにうけており膨大な低所得者層が破産に追い込まれていた。07年から08年の2年間で住宅の差し押さえ件数は、実に440万件にのぼった。一方では、オバマ政権が実施した資本規制にたいして、経済界からの不満が増大していた。またブッシュ政権時代のアフガニスタンとイラクにたいする占領政策の失敗が、イスラム主義勢力を伸長させ、シリア内戦の激化よって、再び米軍がこの地域に舞い戻ることになった。
民衆のオバマ政権への失望や不満、怒りを背景に登場したトランプはマスコミ報道を「フェイクニュース(虚偽情報)」と決めつけ、中国やメキシコなどにたいする排外主義的なデマキャンペーンや、人種差別的な移民労働者攻撃を繰り広げて人気を集めた。
通商政策においては、環太平洋連携協定(TPP)からの離脱、北米自由貿易協定(NAFTA)の見直し、そして今年3月9日に署名した鉄鋼25%、アルミニウム10%の追加関税など保護主義政策を前面化している。
外交・軍事面では、昨年1年間を通じて朝鮮民主主義人民共和国の金正恩朝鮮労働党委員長と激しい挑発合戦を繰り広げ、国連による経済制裁を強化し、いたずらに戦争危機を煽り続けた。ところが今年にはいって、金委員長が「米朝会談」を提案するや、これまでの態度を一変させてこれに飛びついている。このように政権の人気取りのために軍事や外交をもてあそぶトランプに国際社会の不信感は強い。
米階級闘争の行方
トランプ政権は、政治、経済、外交・軍事のすべてにおいて、これまでアメリカを覇権国たらしめてきたものとは正反対の政策を推し進めている。もはや覇権国としての地位は、「アメリカの発展を阻害をする重圧」になっているのだ。
一方、国内においてはトランプの差別主義的な政治姿勢や政策にたいする憤激が高まり、差別や排外主義に反対する運動や銃規制を求める若者たちの運動がかつてない広がりを見せている。昨秋のネット上の調査では、80年代から00年代に生れた10代から20代の若者たち(ミレニアル世代)では、53%が「米経済は自分に不利に動いている」と答え、「社会主義国に住みたい」が「資本主義国に住みたい」を上まわったという(3月7日付朝日新聞)。今年11月の中間選挙に向けて左派系政治団体が若者からの支持を伸ばしている。今後アメリカの階級闘争はその激しさを増していくことは間違いない。それはトランプ政権をますます「内向き」にしていくだろう。そして政権への支持集めのために、対外的には強硬な姿勢をとり続けるだろう。
本の紹介
ドイツ革命はなぜ敗北したのか
クラウス・コルドン著『ベルリン1919』
酒寄進一訳 理論社 2006年刊 現在品切れ
以前も一度、この本について紹介したが、あらためて第一次大戦後のドイツ革命がなぜ敗北したのか、その意味を考えてみたい。
第一次世界大戦の末期である1918年11月、敗色の濃かったドイツ帝国で、水兵が戦争を終わらせるために蜂起した。それがきっかけとなってドイツ革命が起こり、帝政が倒れた。しかし革命はベルリン市街戦へと発展した。めまぐるしい時代のうねりに翻弄される人びとの姿が、ベルリンの貧民街に住むゲープハルト一家を通して描かれている。
ドイツ人にとって、この革命は忘れられた過去だ。第二次世界大戦後、ドイツは東西に分断された。自由主義陣営の旧西ドイツでは語られないことで忘れられた。共産主義陣営の旧東ドイツでは誇張され、ゆがめて語られたことでその本質が見失われた。著者のコルドンにとって「赤」という色は「理想」と「幻滅」の両面を意味している。
1917年のロシア革命は成功し、熾烈な内戦に辛くも勝利した。しかし、当時のロシアをはるかに上回るプロレタリアート人口を擁していたドイツでは、革命によって帝政を崩壊させたにもかかわらず、最終的な勝利をつかむことができなかった。
ドイツ革命が成功していたならば、レーニンとボルシェビキ(ロシア共産党)が期待していたヨーロッパにおける永続的な革命が起きていただろう。しかし、ドイツ・プロレタリアートは敗北した。それが確定したのは1933年のヒトラーの権力獲得によってである。
私はドイツ革命は社会民主主義者の裏切りによって敗北したと理解していた。ローザ・ルクセンブルクを筆頭とするドイツ社会民主党左派が結成した革命集団、スパルタクス団の蜂起を鎮圧した、ヴァイマル共和国の大統領エーベルトと国防大臣グスタフ・ノスケは、ともにドイツ社民党員だったのだ。しかし、当時ヨーロッパで最強ともいわれていたドイツのプロレタリアートが敗北した原因を、社会民主主義者の裏切りだけに求めていいのだろうか。
ノスケは後日、ベルリン市街戦で敵情視察に出向いたときのことを次のように述懐している。
「急ぎの用事があるので通してほしい、と繰り返し丁寧に頼んだ。そのたび道はこころよく開けられた。もしこの大群に冗舌家ではなく、断固とした、目的をはっきり意識した指導者がいたとしたら、彼らはこの昼にはベルリンを手中にしていたであろう」と。
『ベルリン1919』は、子どもむけのフィクションである。しかし、ドイツ革命の敗北を「社会民主主義者の裏切り」と一言で切り捨てていた者にとっては、大いに価値がある。ドイツ革命はなぜ敗北したのか? ドイツの革命勢力にどのような問題があったのか? スパルタクス団の蜂起は無謀だったのか? なぜ、1918年11月のドイツ革命は成功したのに、翌19年1月のベルリン蜂起は失敗し、鎮圧されたのか?
ドイツ革命がロシア革命のように成功していたならば、(それが人類にとって本当に幸運だったかどうかは別の問題だが)世界の歴史はずいぶんと異なったものになっていたはずだ。しかし1919年ベルリン市街戦の敗北は、ドイツ革命の実現可能性を決定的にそいでしまった。その間隙をついてヒトラーのナチスが台頭した。なぜ「ドイツ革命は敗北したのか」、このことに特に執着しなければならないと考える。なぜなら失敗を顧みないものは、同じ失敗を永遠に繰り返すことになるからである。
(山田和夫・元自衛官)
6面
長期連載―変革構想の研究 第8回
悟性的把握か 概念的把握か(下)
請戸 耕一
(上)では、〈Aかつ非A〉という命題を示して、概念的把握を概説した。今回は、近代知(近代的諸個人の事物・事態の把握の方法、その方法によって集積された認識、その認識にもとづく世界像)の限界性とその突破という問題から入る。
近代知のアポリア
近代知の起点は、デカルトの〈われ思う〉(注33)という主観である。商品生産によって共同体が解体され、そこから近代諸個人が生成した。近代的諸個人はバラバラの個人である。近代的諸個人の主観は、一方で、共同体の解体によって、共同体の束縛から〈自由〉に認識するものであるが、他方で、〈自然との連関〉や〈人間同士の連関〉という自然・人間・社会にかかわる〈実在の連関〉から切り離されしまっている。さらにその上に、自然・人間・社会にかかわる〈実在の連関〉にたいして、その疎外態である〈物象の連関:商品、貨幣、資本の連関〉が前面化し、それが人間に対立し支配するという転倒した世界になっており、近代的諸個人の主観も転倒させられている。
このような〈われ思う〉という主観を起点に、自然・人間・社会のあり方(矛盾・転倒・連関)をどうしたら捉えられるかという問題が、近代知のアポリア(難題)として問われ続けている。
このアポリアを突破するさまざまな試みがおこなわれてきているが、それが、〈分析的方法〉である。その特徴は、われわれが五感を通して捉えた事実について、観察や実験を通して、その背後に潜んでいる本質的なものを抽出し、翻ってその本質的なものから、事実を説明するというやり方である。
分析的方法によって、さまざまな知識が得られ、集積され、体系化され、近代の諸科学が大きな成果をあげてきたのは確かだが、しかし、またその限界性も否めない。それは、〈Aかつ非A〉という命題の議論に即して言えば、A、A、A…といった諸々の事物をただバラバラに把握することに留まることだ。あるいはもう一歩進んで、諸々の事物からその特殊性を捨象して共通性を抽出できたとしても、今度は、諸々の事実それぞれの特殊性がつかめないし、特殊性と共通性との関係もわからない。また、A→A、A→Aといった変化がなぜ起こるのか、さらにAとAがどう関係しているのかといったことも説明できない。こうして〈Aかつ非A〉という矛盾の存立がつかめない。
つまり、〈われ思う〉という主観を起点に、分析的方法で〈存在:自然・人間・社会のあり方・その矛盾・転倒・連関〉の把握に向かうのだが、それをいくら突き詰めても、矛盾や連関を把握できず、〈存在〉の把握に到達できないのである。
ここから、さらに次のような問題も生じる。
〈われ思う〉という主観の側面から事物を捉えようとして描かれる像(主観主義)と、分析と実証という客観の側面から事物を捉えようとして描かれる像(客観主義)とが、同じ事物を見ているはずなのに分裂してしまう。近代知においては、認識が、主観主義と客観主義に常に分裂しその間を振動し、像が定まらない状態なのである。
ヘーゲルの画期性とその欠陥
このような近代知の限界性にたいする批判として画期的であったのが、ヘーゲルの概念的把握であった。ヘーゲルは、近代知の分析的方法にたいして、概念的把握〔(上)で概説〕という方法を対置した。分析的方法によっては到達できない〈存在〉を把握する可能性が開かれた。確かに、その方法は画期的だが、しかし、ヘーゲルには大前提において重大な欠陥があった。
少しヘーゲルに沿って見てみよう。
先ほど、近代知においては、〈われ思う〉という主観を起点に、分析的方法で〈存在〉の把握に向かおうとして、結局、認識が主観と客観の分裂に陥っていると述べた。
これにたいして、〈存在〉の把握に向かうヘーゲルの構想では、近代知のアポリアを次のような〈「意識経験学」と「存在学」の二段構え〉で突破しようと考えていた。
一つは、意識経験の過程である。自己意識(自分自身を対象とする意識、自覚)が、その活動によって、主観の世界の虚偽性をつかみ取りつつ、意識を発展させしていくという意識経験の過程を通して、主観の世界から〈存在〉の世界に突き抜けることができると考えた。(「意識経験学」)
いま一つは、概念の自己運動である。概念とは事物の奥にある〈存在〉の自己論理であり、概念の矛盾によって概念自体が自己運動し、抽象的なものから具体的なものへと自己発展し、やがて〈存在〉の世界そのものと一致していくと考えた。そして〈存在〉の自己論理である概念を、その自己運動に沿って把握することが概念的把握であった。(「存在学」)
そして、この両者が思考の過程において統一され、主観が〈存在〉の把握に至ると構想した。
なかなか奇抜だが、しかしこれは、現実の矛盾や連関ではなく、〈概念の矛盾、意識の連関〉という観念論の体系であった。ヘーゲルにとって、〈存在〉とは、現実の矛盾や連関ではなく、概念の矛盾や連関であり、そういう概念の自己運動を、現実に超越論的に当てはめたものが〈存在〉であった。〈存在〉の把握に向かう自己意識の活動は、結局、そういう概念の把握に向かう活動となり、概念の自己運動の中に回収されてしまう構造になっていた。そして、現実の矛盾については、ヘーゲルの頭のなかで描いた理想的な国家において、調和的に統合されてしまうのだった。
結局、ヘーゲルにおいては、観念論の体系であるが故に、現実の〈存在:自然・人間・社会のあり方・その矛盾・転倒・連関〉の把握に至らないのである。
〈ヘーゲルのひっくり返し〉
マルクスは、ヘーゲルにたいして、観念論だとして切って捨てるという態度はとらなかった。マルクスは、近代知の限界性を突破する道筋として、ヘーゲルから、〈方法としての概念的把握〉と、〈「意識経験学」「存在学」という学としての二段構え〉を継承した。
もちろんそのままではない。ヘーゲルの体系が〈概念の矛盾、意識の連関〉という体系であるのにたいして、マルクスは〈労働の矛盾、労働の連関〉として体系をひっくり返して再把握したのである。つまり、マルクスは、意識ではなく、人間の労働を根底に据えて、現実の矛盾の把握に向かった。意識以前に、意識を産出するものが労働であり、自然・人間・社会のあり方の根底に労働が存在するからだ。まさに〈ヘーゲルのひっくり返し〉(『資本論』第2版あとがき)である。こうして、意識の世界を超出した地平において、ヘーゲルを批判的に継承した。マルクス『経済学・哲学草稿』で、ヘーゲルの意識経験学批判として「疎外された労働」を確定し、『資本論』において、ヘーゲルの存在学批判として、概念的把握を駆使して、物象的自立性としての商品を確定したのである。
20世紀の後退
しかし、20世紀の「マルクス主義」は、マルクスがヘーゲルから批判的に継承したものを削ぎ落して、概念的把握を放逐し、分析と実証の近代知の限界内に引き戻してしまった。スターリン主義はその土台の上に発生している。それにたいする諸々の批判的な潮流もまた近代知の限界内に留まってきた。21世紀の変革理論は、20世紀のこの否定的な経験・教訓の上に始まるのである。
(注33)ルネ・デカルト『方法序説』の命題「我思う、故に我在り」。〈すべての存在を徹底的に疑ったあげく、このように疑う自我の存在は疑うことができない〉という意味。
参照文献:『ヘーゲル用語事典』、『マルクス・カテゴリー事典』、有井行夫・長島隆『現代認識とヘーゲル=マルクス』、大谷禎之介『図解 社会経済学』、見田石介『見田石介著作集』第一巻
(短信)
トルコへの原発輸出
伊藤忠が撤退
トルコ北部・黒海沿岸シノップでの原発建設に参画していた伊藤忠は、採算がとれないとして撤退する見通しとなった。シノップ原発計画は三菱重工とフラマトム(旧アレバ)の共同出資会社「アトメア」が開発した新型軽水炉「アトメア1(110万キロワット)」4基を建設するというもので、13年に日本とトルコの両政府が合意。今年3月まで、三菱重工が主体となって事業化に向けた調査を実施してきたが、総事業費が当初見通し2兆1千億円の2倍以上に膨らむ恐れが出てきた。そのため事業化の目処が立たず、三菱重工は調査を今夏まで延長するとしたが、伊藤忠は撤退を決めた。建設費が想定を超えた高額になり、利益が上がらないと判断。伊藤忠の撤退により、事業そのものが実現するか不透明な局面に。日本政府が進める原発輸出は、英国でも巨額に膨らんだ建設費の出資・融資めぐる日英交渉がスムーズに進まず先行き不透明になっている。