安倍内閣は、総辞職!
過労死法案を廃案へ
東京・新宿でおこなわれた「表現の自由を!権利のための行動」。若者たちが「内閣総辞職」「まともな政治を」のプラカードを掲げてデモ(7日) |
安倍政権への怒りが渦巻いている。森友学園への国有地不正売却事件をめぐる決裁文書改ざんに続いて、財務省が8億円値引きのために森友学園側に口裏合わせを持ちかけ、大阪航空局にゴミ積算量の増量を求めていたことが明らかになった。安倍晋三・昭恵の関与があったことは疑いない。さらに加計学園の獣医学部新設問題では、2015年4月2日、首相官邸で愛媛県と今治市の職員と面談した柳瀬唯夫首相秘書官が、「本件は首相案件」と語っていたことが文書で明らかになった。国家戦略特区という国の制度を使って、安倍の「腹心の友」への便宜を図っていたのである。安倍は国会で「獣医学部新設には一切関わっていない」と答弁していたが、真っ赤なウソだった。
それだけではない。自衛隊による日報隠ぺい、文科省による名古屋市教育委員会への不当介入など、安倍政権下で民主主義の形骸化が進行している。首相官邸への権限集中により、中央省庁が単なる下請機関と化している。与党が絶対多数を占める国会では、戦争法をはじめとする重要法案がまともな審議がおこなわれないまま可決・成立してきた。国会もまた内閣の追認機関になっている。
問題は内政だけではない。朝鮮半島における南北対話が進むなかで、日米同盟一辺倒の日本外交はアジアのなかで孤立を深める一方だ。「安倍一強」政治の矛盾がここにきて一気に爆発しはじめた。それは自民党支配そのものの危機へと発展しつつある。安倍が鉄面皮な居直りを続けるほど危機は深まっていく。
今国会で安倍は、働き方改革推進法案の成立をねらっている。厚労省のデータねつ造が暴露されたことによって裁量労働制の拡大は見送られたが、スーパー裁量労働制と言われる高度プロフェッショナル制度はそのまま残っている。「世界で最も企業が活動しやすい国」にするために労働時間規制を撤廃し、過労死ラインを超える長時間労働を強制しようとしている。森友・加計問題への民衆の怒りの爆発で、労働法制改悪と改憲策動を粉砕しよう。
「官邸 関与 間違いない」
前川喜平さんが豊中で講演
3月31日
会場いっぱいの参加者は、安倍と大阪維新批判の発言に大きな拍手を送った(3月31日 豊中) |
大阪府豊中市内で開かれた森友問題「ゆがめられた政治と教育」集会は、開会1時間前から長蛇の列ができ、この1年で最高の1400人が参加し安倍退陣を求める声があふれた。前川喜平さん(前文部科学事務次官)と寺脇研さん(京都造形芸術大教授)と木村真さん(豊中市議)の3人が、森友事件の本質について縦横無尽に論じた。前川さんは、森友、加計、名古屋教育介入事件と、この間の安倍政権の「政治と教育の私物化」の只中でそれを経験してきた者として、安倍政権=首相官邸の傍若無人な政治介入を強く弾劾した。元文部官僚の寺脇さんは「ゆとり教育提唱者」として、短期間に教育の成果を求める資本や政治の在り方を批判した。
請求異議裁判、正念場に
農地を守れ 成田で全国集会
4月1日
川口真由美さん(左から3人目)のミニライブ、参加者全員で反対同盟歌を歌う(4月1日 成田市内) |
1日、成田市栗山公園で開かれた三里塚全国総決起集会に700人が参加した。
主催者あいさつで三里塚芝山連合空反対同盟の伊藤信晴さんは、千葉地裁が請求異議裁判の7月弁論打ち切りを表明したことに、「市東孝雄さんにたいする農地収奪、強制収用を打ち砕けるかどうかの正念場に入った」と危機感をあらわにした。また、第3滑走路建設を含む空港機能強化策に反対し、「市東さんの農地決戦と一体のものとしてたたかおう」と宣言した。
反対同盟の萩原富夫さんは基調報告で次の3点を提起した。第一に裁判闘争に勝利し、市東さんの農地と生活を守ること。市東さんの「請求異議裁判」は、証人調べに入る。5月24日は加瀬勉さんと小泉英政さんの証人尋問。6月28日は萩原富夫さんの証人尋問と市東孝雄さんの本人尋問がおこなわれる。いずれも正午より集会、デモを予定している。強制執行反対署名にも協力してほしい。第二に、空港機能強化策を粉砕すること。強化策の中身は、第3滑走路建設、B滑走路の北1000メートルの延伸に加え、飛行時間の延長というもので、新たに空港を作るに等しい暴挙だ。第三に、沖縄・福島と連帯し、改憲阻止・安倍打倒にむけ、国策とたたかう住民運動と連携することである。
最後に萩原さんは、現地で決戦本部を中心に宣伝活動、現地案内、天神峰カフェを実施しており、7月8日には樫の木祭りを企画していることを紹介して、報告を締めくくった。
連帯のあいさつでは動労千葉、関西実行委員会、全日建運輸連帯労組関西地区生コン支部が発言した。
反対同盟の市東孝雄さんは、全国からの支援や署名の集中に感謝の言葉を述べ、「裁判だけでなく、自分の住む土地で畑を耕しながら自分の農地を守る。それが私のたたかいです。沖縄、福島、自分の守るべき場所でたたかい続けている人が日本全国にたくさんいます。その人たちと団結してたたかい続けます」と力強く述べた。
ミニライブで川口真由美さんが「ケサラ」、「沖縄今こそ立ち上がろう」を熱唱。「反対同盟の歌」では市東さんや萩原さんも壇上にあがり、参加者全員で斉唱した。福島からの訴えに続いて、沖縄から知花昌一さんが登壇。「辺野古では護岸工事が進められている。『抵抗してもダメだ』と宣伝し、運動をつぶそうとしている。名護市長選には負けたが、現地のたたかいは続いている。4月23日から28日まで、500人で座り込んで工事をとめる計画をしている。そして11月沖縄知事選に向けた流れをつくる。大木よねさんのようにたたかって、必ず勝利する」と決意を語った。
最後に、飛び入りで北原健一さんがマイクを握った。50年前、亡き父、北原鉱治事務局長と闘争に参加した日々を回想し、「たたかわなければわれわれの未来はない」と発言した。集会後、参加者はデモ行進に出発。成田市民にアピールした。(安芸一夫)
2面
山城博治さん 奈良で講演
4月末座り込みから知事選へ
沖縄平和運動センター議長・山城博治さんを迎えて、1日、「今、沖縄を語る」第7回奈良からつながる市民の集いが開かれた。主催は、〈奈良―沖縄連帯委員会〉、〈沖縄の高江・辺野古につながる奈良の会〉、〈市民ひろば「なら小草」〉の3団体。山城さんは、高江で逮捕されてからのたたかいと、沖縄のたたかいの展望を語った。山城さんの講演を紹介する。
国の暴力を許さない
米国の反戦・平和団体が中心になって、米軍基地をアメリカに引き取る「海外米軍基地反対連合」が、今年1月にできた。その結成宣言では「米軍基地の存在が帝国主義的な世界支配と、戦争による環境破壊をもたらしている」と訴えている。この運動を中心で担っている「退役軍人平和会(VFP)」は、今まで辺野古の座り込みにも参加してきた。私たちの運動が世界的に広がっていることをうれしく思う。
名護市長選挙はまったく残念な結果になった。たたかう側が稲嶺さんを支えきれず、稲嶺さんを丸裸にしてしまった。若者の多くが稲嶺さんを支持しなかった。この理由をしっかり考えていく必要があるだろう。
名護市は東側にキャンプシュワブがあり、西側に市街地がひろがっている。東部は開発が遅れており、東と西で住民感情に対立がある。現在、稲嶺さんは東部地域に新しい漁港をつくる取り組みにかかわっている。この漁港をつくることで新基地建設に反対していく。今後の稲嶺さんの運動に注目したい。
私は2016年10月に逮捕された。この時、高江のヘリパッド工事を阻止するために、ゲリラで山道を切り開いていた。逮捕は、これをつぶすためであった。政府は、「国に反対する者は逮捕する」ことを周りに示したかったのだろう。これからの控訴審裁判では、このような政府の暴力や押し付けは許されるのか、社会に訴えていきたい。
毎日、辺野古浜の護岸工事は進んでいる。6月にも本格的な埋め立てを始めようとしている。いよいよ正念場。この20年間、サンゴ礁のきれいな海を守るためにたたかってきた。
11月知事選勝利へ
6月までに、翁長知事は何らかの決断がせまられるだろう。ここで何もしなかったら、沖縄の民意は離れる。国とたたかうことの困難性はよく知っている。情況はきびしい。しかし、負けられないのだ。
現在、4月23日から28日まで、連続6日間の座り込みが呼びかけられている。これは沖縄の団体から発せられたものではない。沖縄の現状に危機感をもった全国の市民団体が呼びかけたものだ。先日、沖縄の団体もこれに参加することを決定した。この力で県知事選に迫っていきたい。
全国のさまざまなたたかいと連帯し、沖縄もたたかう。未来をわが手に取り戻すために、あきらめないでたたかっていこう。
主張
安倍政権を打倒する
改憲攻撃をとめる
森友学園への8億円値引きした国有地の不正売却をめぐる決裁文書の改ざんに民衆の怒りが広がっている。昨年の南スーダンPKOの日報を防衛省が隠ぺいしていた事件、裁量労働制に関する残業時間のデータを厚労省が捏造していた事件など安倍政権のもとで公文書の隠ぺい、破棄、改ざん、捏造が頻発している。また加計学園問題や、スーパーコンピューター開発助成金詐欺事件のペジーコンピューティング、JR東海のリニア新幹線談合事件などでは、ことごとく安倍と個人的に近しい人物の名前があがっている。こうした連中が、安倍政権が推進する特区制度や助成金制度、国家的プロジェクトに群がり、不正や腐敗が横行している。
こうした一連の事件は単なる「不祥事」ですまされる問題ではない。それは日本における民主主義政治の形骸化、空洞化が安倍政権のもとで急速に進行していることの証左である。それは安倍が進める改憲攻撃と決して無縁のことではない。いやむしろ、密接に関係している。
いわゆる「アベ政治」の特徴は「国家主義」と「経済至上主義」である。このふたつは、2012年に自民党が決定した「憲法改正草案」のなかに色濃く反映されている。
この改憲案では最高の価値である国家が、個人にたいして義務を課し、その権利に制限を加えるという構造になっている。またその前文では、「活力ある経済活動を通じて国を成長させる」ということを堂々と掲げている。まさに安倍の言う「世界で最も企業が活動しやすい国」がめざすべき国家の目標になっているのだ。世界中どこを探しても、「企業が第一」というスローガンを恥ずかしげもなく掲げている憲法はない。
安倍政権は、発足して5年余の間に、特定秘密保護法、戦争法(安全保障関連法)、共謀罪など戦後憲法の平和主義、基本的人権の尊重、主権在民という3本柱を否定する重要法案をすべて強行採決で成立させてきた。昨年の共謀罪にいたっては、参院法務委員会の採決を省略するという暴挙にまで及んだ。すでに安倍にとっては現行憲法はその政治規範ではない。だから民主的なルールを破っても何の後ろめたさも感じていない。
まさにそのことにたいして人びとの怒りが爆発しはじめたのだ。民主主義と社会正義を求める人びとの怒りが安倍晋三その人に向かって集中しているのである。このような人物を首班とする政府を打倒することができるか否かは、民衆の直接行動の拡大にかかっている。
すでに国会前では連日のようにデモと抗議行動がおこなわれている。このたたかいを単なる「安倍下ろし」に終わらせてはならない。2012年の原発再稼働反対の国会行動や2015年の戦争法反対運動をこえる巨大な大衆闘争を実現するためには何が必要なのかを真剣に考えなければならない。「保守か革新か」あるいは「右か左か」という旧来の政治的な枠組みで人びとに選択を迫るような発想からの脱却がその第一歩である。2007年以降登場してきたオール沖縄のたたかいや、朴槿恵政権を打倒した韓国ろうそく革命が、いかなるプロセスを経て実現されたのか。また今日それがどのような課題に直面しているのか。その経験や教訓が社会革命の展望を切りひらくのである。(汐崎恭介)
ロックアクション 総がかりと共催行動
安倍政治はもういらん
4月6日、激しい雨が降るなか、大阪市内で「戦争あかん! ロックアクション」がおこなわれた(写真)。今回は大阪総がかり行動との共催。
まず、最初にロックアクション共同代表の服部良一さんが、「今日は市民に安倍政権退陣を訴えていこう」と主催者あいさつ。続く発言者も安倍退陣を口々に訴えた。
大阪憲法会議の山田憲司さん、戦争をさせない1000人委員会・大阪の山元一英さん、全国金属機械労働組合港合同の川口浩一さん、森友学園問題を考える会の高橋もと子さんが登壇したが、共通しているのは「私たちが安倍を退陣させる力を持たねばならない」ということだ。
山田さんは国会前で流行っている「それはいくらなんでも、それはいくらなんでも、民主主義を破壊する安倍政権の延命はご容赦ください」というプラカードを紹介し、「ほんとうにもういらん」「一刻も早く総理の座から降りてくれ」そういう私たちの声を突きつけようと訴えた。
山元さんは、政治家と官僚が癒着して、国民をごまかし、専制政治をそのまま続けていこうとする安倍内閣を批判した。森友学園の問題、防衛省の日報隠し問題で明らかになったのは、政治家と官僚が癒着して日本社会をずたずたにしていることだ。日本国民を再び戦争に引きずり込もうとする安倍内閣を打倒しようと発言した。
川口さんは、今回の働き方改革の眼目となる高度プロフェッショナル制度は、(いままでおこなわれてきた)「労働時間によって労働の量を測る」ということを止めてしまう。そうなると、今までの労働時間による労働規制の根本が破壊されてしまう。今、そういう制度を安倍は導入しようとしている。労働行政は数百年にわたって、労働時間で測られてきた。それを巡って激しいたたかいがあって今日の8時間労働制などが規定されている。その根本を否定してしまう。そういう労働法制の後退が今回の問題だと訴えた。
ついで集会案内や選挙情報などの話があった後、森友問題を考える会の高橋さんが発言してデモに出発した。(池内慶子)
3面
改憲発議阻止へ、交流・討論
3000万署名の展望さぐる
3月25日 神戸
3月25日、「9条の心」(兵庫県下「9条の会」のネットワーク)呼びかけと、市民デモHYOGO(44市民団体のネットワーク)協賛で、憲法運動交流会が60人の参加で開かれた。昨年9月に安倍政権による憲法改悪のため18年中の国会発議が現実化するなか、瀬戸内寂聴さん、田原総一朗さんらの呼びかけで「憲法改悪に反対する3000万人署名」が始まった。途中解散・総選挙をはさみ本格的展開には年を明けたが、兵庫県では11月3日、神戸新聞に1万人意見広告を掲載した。これには9千人を超す人たちが参加。地域に密着した運動が求められてきた。東京新聞の半田滋さんの講演のあと、各地の憲法改悪反対運動が成果と課題を論議し、地域に根ざした運動をめざして交流した。
各地の特徴生かし
1月には西宮市・尼崎市、2月には川西市・伊丹市・神戸市東灘区、3月には宝塚市・神戸市灘区などでキックオフ集会などが開かれた。
4月以降は自衛隊問題、教育と憲法、さらには憲法25条から28条の社会権にも焦点を当てた憲法集会が各地で企画されている。保守系の人びとにも広がりを見せている。尼崎市では戦争法反対時に7万筆の署名を集めた陣形が継続し、中学校区単位の地域に密着した運動や、町内での憲法カフェ、8つの駅前やスーパー前の署名活動などや、医療生協の組織網を生かした署名運動が展開されている。3月末で3万筆を突破し、目標の10万筆をめざしている。また神戸市西区のある地域では、団地の全戸ビラ入れ後に戸別訪問、友人・知人への手紙での署名の拡大依頼が取り組まれている。
毎週木曜日に神戸市の繁華街・三宮マルイ前でおこなわれている街宣では、署名は平均1回30筆ほどだが、シール投票への関心が高い。森友事件の佐川喚問では100人以上が投票した。
これらの報告を受け、安倍政権による改憲発議を止めるにはどうすればよいか。沖縄・原発・森友疑惑などの「アベ政治」を終わらせる運動とどうつなげるか、などが討論となった。
最大の問題は改憲の柱である「自衛隊を憲法に書き込むことの危険」を、リアルかつ普通の言葉で訴えられるかであった。80年頃までは9条改悪=戦争という訴えが入ったが、PKO以降は「海外派兵」と災害出動が普通になった。「憲法に自衛隊を書き込み、違憲状態をなくす」ことは、自衛隊員の任務に命をかけさせ、「戦死」がリアルになるということだ。親類に自衛隊員がいる人は本当に心配している。自衛隊出動への「差し止め裁判」が取り組まれているが、「軍法会議」ができると不可能になる。
100万人におよぶ自衛隊員とその家族に思いをはせ、隊員の命と隊内の民主主義を「守る」ことが、この国の民主主義を再生させることになる。
若い世代と社会権
もう一つの課題は「保守化」が言われる若い世代とどうつながるかだ。この点で署名運動は誰にでも声をかけられるメリットがある。元教員の女性は駅前で高校生を見つけると笑顔で声をかけ、憲法・戦争を切り口に進学や音楽などの話をする。将来の問題と政治の関わりを少し理解すると顔が明るくなるという。署名運動は街頭で見知らぬ人と出会い、「政治的」話ができるまたとない機会なのだ。
若い世代へ働きかけるもう一つは、格差・貧困・労働の問題や女性の子育ての問題だ。労働組合や地域の運動と一体となってテーマ化することが重要だ。昨年来、各地で保育所や公立病院の統廃合・移転・民営化などが問題となっている。福祉・教育や労働問題は本来は国の責任だが「自己責任」にすり替えられている。
一昨年、「保育園落ちた」が大問題になった。これらのテーマでは短期に、ネットを使って署名を多数集め、行政を追い詰めている。平和の基礎の9条と、25条から28条の社会権を使った生活面での反撃が結びつくと大きな力になるはずだ。(久保井 健二)
落合恵子さん講演会400人
さらに地域に根づく運動を
落合恵子さん講演会に400人が参加。基本的人権の尊重をベースに、地域に密着した憲法を生かす運動として3000万人署名を推進することを確認した(4月7日 川西市) |
7日、兵庫県川西市で「輝け憲法 平和が一番! 市民大集会」が開かれ400人が参加した。市民運動を中心とする超党派の3000万人署名運動の実行委は、2月7日のキックオフ集会から2カ月で5万枚のビラをまいた。
講演で落合恵子さんは、1945年までの女性にたいする封建的な差別を個人的体験としてうけつぐ者として、日本国憲法の先進性・民主性を語った。9条だけでなく、24条や13条なども含めて基本的人権の大切さを語り、憲法を活かす運動をすすめていこうとする参加者に勇気を与えた。
米韓軍事演習反対で集会 南北融和に反対する日米
3月31日、「米韓合同軍事演習を中止せよ! 自衛隊は参加するな! 東アジアの平和を! 3・31京都集会」が、同市内で開かれ80人が参加した(写真)。米軍Xバンドレーダー基地反対京都連絡会、在日本朝鮮青年同盟(朝青同)京都府本部、関西合同労働組合など17団体が呼びかけたもの。
「情勢展望」の講演
集会では、在日韓国民主統一連合大阪府本部副代表委員の金昌五さんが、「南北・朝米首脳会談の開催合意と今後の情勢展望」と題して講演した。最初に平昌オリンピックや三池淵管弦楽団のソウル公演の様子を韓国メディアの報道を見せながら説明し、開会式で主催国の選手団が最後に統一旗を持って入場するとき、会場全体が立ち上がって拍手喝采したにもかかわらず、アメリカのペンス副大統領と安倍の2人だけが座ったまま、全く拍手をしない様子が映っていた。
管弦楽団のソウル公演で、団長の玄松月と「少女時代」の元メンバー・徐玄がいっしょに歌い、文在演大統領と金与正特使が並んで拍手を送り、その横で90歳になる金永南最高人民会議常任委員長が涙を拭き続けている様子が映っていた。いったい誰が分断と対立と戦争を煽っているのか、誰が平和と繁栄を求めているのか、一目瞭然であった。
文在演は、平和のために非核化と朝米対話を持ち込もうとし、指揮権のない韓国として直ちに韓米合同演習を中止するのはむつかしいと話した。3月5日に平壌に入った韓国の特使団に金正恩は直ちに会い、文在演の要請をすべて受け入れ、会議は1時間で終わり、晩餐会は3時間続いた。韓国の特使団はアメリカに行き朝鮮の意向を伝えた。情勢は激変している。中国もロシアも了解しており、南北首脳会談は板門店でおこなわれ、米朝会談は平壌の可能性が高い。体制を維持したままの平和と統一、すでに国号、国旗、国歌は平昌オリンピックで示されていると話した。
〈米軍基地建設を憂う宇川有志の会〉永井友昭さんが連帯アピール、韓国の〈平和と統一をひらく人びと〉から連帯のメッセージがあった。
連帯アピール
呼びかけ団体からのアピールで、朝青同の仲間は、「平昌オリンピックに朝鮮総連の応援団の一員として韓国に行った。自分は4世で親の代まで3代は韓国に入れなかった。自分も国家保安法のある韓国に入ることにずっと緊張していた。しかし韓国に入るとまず空港から、どこへ行っても海外同胞を歓迎する韓国民衆の熱烈な歓迎があり感激した」と報告した。
この流れに敵対する安倍政権を日本の民衆の力で倒そうと参加者は強く確認した。集会後、四条河原町を通って市役所前までのデモ行進をおこなった。(多賀信介)
4面
投稿
しょうがい者は不幸ではない
強制不妊手術と兵庫県の「不幸な子どもの生まれない運動」賛美に抗議します
高見元博
優生保護法下の強制不妊手術
優生保護法とは「不良な子孫の出生を防ぐ」という目的で不妊手術をおこない、しょうがい者の子どもを産み育てる権利を奪ってきた法律です。敗戦直後の1948年に施行され、20年ほど前の1996年まで存在していました。この法律に基づいて、遺伝性とされた疾患のほか、精神しょうがい者や知的しょうがい者が医師の診断と行政の審査を経て不妊手術を受けさせられました。その際、本人の同意は必要ないとされました。不妊手術を受けさせられた人は、確認できただけでも全国で1万6千人以上に上っています。
精神しょうがいや知的しょうがいが遺伝するというのはまったく非科学的なことです。実際の手術は「遺伝性疾患」であるか否かという話ではなく、「しょうがい者には子どもを育てられない」という差別と偏見に基づいておこなわれていたことが担当医師の証言によって明らかになっています。
報道されている通り、長いたたかいの末、被害を受けたしょうがい者が国を相手に国賠裁判を起こしています。この強制不妊手術は本人の意思とは関係なくおこなわれたうえに、その記録の多くが廃棄されています。これが被害補償の妨げになっています。
超党派でつくる議員連盟で「救済法案」を準備しているそうですが、まず何よりも、優生保護法が超党派による議員立法として制定された経緯を国会として反省することが必要ではないでしょうか。私たちにもこの法律を長い間廃止にできなかった責任があります。「記録がない」ことを理由に賠償責任を逃れるようなことは許せません。
新型出生前診断
最近、「新型出生前診断」に健康保険が適用されると報道されています。簡易な血液検査で胎児の染色体「異常」が判定でき、しょうがい児かどうかが分かるというものです。保険外の検査としては既におこなわれており、この検査で胎児に染色体「異常」があると分かった人の9割は人工中絶をしています。「しょうがい者は不幸をもたらすから殺す」という相模原事件の被告植松と同じ思想が一般市民に深く浸透しているのです。それが健康保険で安価に受けられるようになれば、優生保護法以上に「しょうがい児を生んではならない」という圧力が強まります。また、しょうがい者への安楽死・尊厳死=殺害の圧力を強めるものです。
しょうがい児を生み育てることが困難なのは事実かもしれません。しかしその困難は物心両面にわたる支援が欠如しているからです。しょうがい児を育てることは、豊富な人生経験と幸福をもたらします。多くのしょうがい者やしょうがい者の親が実感として語っているように、それは決して不幸なことではありません。しょうがい者は不幸ではありません。
新型出生前診断は廃止されるべきです。健康保険適用などもっての外です。議連も優生保護法を反省するのなら、しょうがい児を生まないことをバックアップする新型出生前診断の廃止を同時に決めるべきです。優生保護法ではしょうがい者が生まれてくる可能性があるからといって不妊手術を強制したことと、新型出生前診断でしょうがい児が生まれないように人工中絶することは全く同じことです。「しょうがい者は不幸を生む」という植松被告の思想とどこが違うのでしょうか。
「兵庫県立こども病院移転記念誌」でしょうがい者抹殺を賛美
兵庫県立こども病院が、ポートアイランドへの移転を機に出版した『兵庫県立こども病院移転記念誌』(2016年3月発行)の中で、「このこども病院は、不幸な子どもの生まれない県民運動の一翼を担うもの」であり「兵庫県の大きな誇り」と金井知事(当時)が語ったことを賛美しています。(小川恭一名誉院長「兵庫県立こども病院誕生当時のこと」『記念誌』)
兵庫県衛生部が中心になって「不幸な子どもの生まれない運動」をスタートさせたのは1966年です。1967年からは、優生保護法12条による精神しょうがい者や知的しょうがい者への強制不妊手術の費用を県で負担して普及をはかりました。1970年には「不幸な子どもの生まれない対策室」を設置し、しょうがい児は「不幸な状態を背負った児」であるとして、その「出生予防」のためにさまざまな施策が実施されました。
1972年には、「先天性異常児出産防止事業」として、胎児のしょうがいチェックのための羊水検査を県費で実施することを決めました。「対策室」設置とほぼ同時期に開院した「兵庫県立こども病院」は、院内に「不幸な子どもの生まれないための指導教室」を開設し、前述の羊水検査を実際におこなうなど「運動」の中枢を担ったのです。
反対運動
しょうがい者らはしょうがい者の生存権を否定するものであると主張して、「対策室」廃止、羊水チェックの中止、県行政の姿勢を改めるよう求めました。1974年4月に「対策室」は廃止され、「不幸な子どもの生まれない運動」も「良い子を産み健やかに育てる運動」に名称変更しました。県費による羊水検査も、同年10月に中止されました。
それを今になって賛美していることにたいして、昨年11月1日、「わたしたちの内なる優生思想を考える会」が抗議しました。同年11月29日付の兵庫県の回答は次のようなものです。
兵庫県の回答
「『不幸な子どもの生まれない運動』については当時、出生前から母胎と胎児を保護するという考え方が背景にあったものの、障害児を不幸な子どもとしていたこと、また、精神障害者等に対する優生手術が行われていたこと(平成8年の母体保護法改正により廃止)については、現在では不適切であると考えています。(中略)このため、こども病院ホームページから記念誌を削除しました。」
県が優生手術について「現在では不適切」と考えるのであれば、その「不適切」な手術を受け、今も苦しんでいる被害者の実態を明らかにし、救済措置を講じるべきです。「ホームページから記念誌を削除」しても、同ホームページには1年以上にわたって掲載されており、各所に配布された冊子については、回収されないままです。こうした現状を見れば、ホームページからの『記念誌』削除はまったく無意味です。
同会はホームページに該当部分を訂正した『記念誌』を掲載すること。その際、訂正理由を明確に付すこと。同時に、県やこども病院の責任でその「訂正文」を広く配布し、過去「不幸な子どもの生まれない運動」を推進した県の姿勢を改め、障害者差別解消に向けて施策を進めていくことを求めました。しかし今日に至るまで回答なしです。
私たちは兵庫県にたいして広範な人びとによる抗議集会をおこなう予定です。私たちの運動は、このような事実にたいしてあまりも無知でした。強制不妊手術を受けていま苦しんでいるしょうがい者は数多くいます。彼ら、彼女らとの連帯をかけて抗議集会に参加していきましょう。
改憲と国家改造の安倍政権
鈴田渉さんが講演 3月26日
3月26日、第20回世直し研究会で鈴田渉さん(大阪労働学校・アソシエ講師)が「安倍政権の9条改憲攻撃について」というテーマで講演した。鈴田さんの講演のポイントは以下のとおり。
年頭所感
安倍首相は年頭所感で「明治維新150年」に言及した。アジア侵略による植民地支配と国民を塗炭の苦しみに導いた戦争への反省は、まったく語られていない。侵略の歴史を隠蔽していることが最大の問題だ。
さらに、安倍は自らの「国創り」にふれている。「国づくり」でも「国造り」でもなく、「国創り」になっている。中国語版では「全新的国家建設」と翻訳。この「国創り」は、「戦後レジュームからの脱却」「新しい国・美しい国」と同じ内容だ。安倍は「まったく新しい統治制度をつくる」と言っているのだ。このことは憲法改悪とつながっている。
国家安全保障戦略
安倍「国家改造計画」の設計図が国家安全保障戦略だ。すでに、安倍政権は国家安全保障基本法案に書かれている内容(自衛権行使の明記、秘密保護法制整備、国民の責務、日本版国家安全保障会議(NSC)の設置、自衛隊の海外派兵、武器輸出入など)を個別にどんどん実行しており、事実上の憲法9条改悪が進められている。この点では、安倍政権は計画的にやっている。
憲法に自衛隊を明記
安倍は「自衛隊を憲法に明記しても、実態はなにも変わらない」と言うが、どういう形であれ、自衛隊の存在が憲法に明記されると、自衛隊の任務が「公共的任務」となる。そうなれば自衛隊の行動は無制限になる。
また、「苦役の禁止」についても、兵役は苦役ではないという理屈で、徴兵制も復活させてくるだろう。現行条文に手を加えること自体が問題なのだ。
国際平和憲法
日本人民は、悲惨な戦争体験をとおして、絶対平和と国際平和の決意をかためた。それが戦後憲法として結実した。憲法9条(戦争放棄・戦力不保持)の平和条項だけが「平和憲法」を特徴づけるものではない。人権、財政、地方自治条項など、日本国憲法総体が「平和憲法」なのだ。「平和憲法」と言うより、本来は「国際平和憲法」と表現するのが正しい。
天皇条項
第1条から8条までの天皇条項がなくても「主権在民」の憲法に齟齬をきたすものではない、という理解が憲法学者の主流派だ。天皇制の強化は、いずれ権力側から出されてくるだろう。この時、憲法学者と市民が連帯して、天皇制について国民的議論を巻き起こしていく必要がある。
憲法にどんな良いことが書かれていても、憲法の内容が具体的に実践されていなければ意味がない。そのために、われわれは自らの権利を獲得するたたかいを不断にやる必要がある。喫緊の課題は、独裁政権たる安倍政権・安倍壊憲政治に終止符を打つことだ。(津田保夫)
5面
焦点 香月 泰
習近平の中国と、どう向きあう
習近平思想
昨年10月に開かれた中国共産党第19回全国代表大会では、党規約に「新時代の特色ある社会主義についての習近平思想」が明記された。それまで党規約に名前が載ったのは毛沢東の「毛沢東思想」、ケ小平の「ケ小平理論」の2つである。この大会で習近平はこの2人の歴史的人物と肩を並べる指導者として、絶大な権威を手にしたと言われている。
今年3月5日から20日までおこなわれた第13期全国人民代表大会第1回会議(全人代)では、国家主席の任期制限をなくした憲法改正案を可決した。文化大革命の終結以降続けられた集団的指導体制が終了し、再び中国で独裁政治が復活するのではないかと危惧されている。
国内問題
中国はなぜ集団指導体制から転換して、習近平に権力を集中させているのか。その背景には、中国が抱える国内問題がある。特に深刻なのは都市と農村の格差の拡大であり、農村における貧困の拡大である。その解決のためには住民を都市(戸籍)と農村(戸籍)に二分してきた中国独特の戸籍制度の改革、教育や医療など社会保障制度の充実化などが急務だが、13億7900万人という膨大な人口をかかえる中国にとってはその実行は容易なことではない。中国の経済成長が鈍化しているなかではなおさらのことだ。
現在中国では、「新常態」と呼ばれる経済成長の減速状態において持続的な成長を可能にするための国家、社会の全面的な構造改革が進行中である。その指導理念が新たに党規約に書きこまれた「習近平思想」とよばれるものだ。構造改革を推進するためには、党規約による統制が必要になっているということである。共産党指導部がそこまで決意と覚悟を固めなければならないほど、事態は切迫していると見るべきだろう。
「中国の夢」
中国共産党は結党100周年の2020年までに中国を「全面的な小康社会」(ややゆとりのある社会)にし、建国100周年の2049年までに「社会主義現代化強国」(豊かで強大な、民主的で文明的な、調和の取れた社会)にするという目標を掲げている。そして21世紀を通して「大同世界」の実現をめざすという。「大同世界」とは利己主義がなく相互扶助が行きわたった社会を指しており(広辞苑)、古来より中国人が理想としてきた社会状態である。これが、「中華民族の偉大な復興」であり、「中国の夢」と呼ばれるものである。
しかし最初の目標(全面的な小康社会の建設)達成まで残された時間はあと2年余しかない。指導部がこのようなタイトなスケジュールを自らに課さなければならないほど、中国の国内矛盾の解決が急務となっているのである。習近平への権力の集中は、単なる個人的な権力欲を満たすためのものというよりも、強権体制によらなければ改革の実績を上げることができなくなっていると考えるのが妥当だ。これは中国の共産党一党独裁体制をより一層強化するものであり、今後共産党の指導に批判的な団体や個人にたいしては、これまで以上に厳しい弾圧・迫害が予想される。
また中国政府は、国内で高まる不満を抑えるために、領土問題など国益にかかわる問題で、対外的に強硬姿勢をとり続けるであろう。しかし、それは中国が好戦的で略奪的な国家に変貌したことを意味するものではない。中国共産党は、設定した目標を達成するためには、対外関係の安定が不可欠であると考えている。むしろ彼らが懸念しているのは、中国が不用意に周辺地域の紛争に巻き込まれ、国内問題に集中できなくなることだ。そのため中国政府は対米関係の安定化を強く望んでいる。中国が掲げる「一帯一路」構想の核心は、それが西方に向けてその経済圏を拡大しようとしていることである。すなわちアメリカと衝突する東方には進出しないということなのである。
対米関係
中国は「強国」という言葉を「大国」を超えるものという位置付けで使用している。そのためそれが「覇権国家」を意味するものとして受けとめられがちだが、けっしてそうではない。2016年7月25日、ライス米大統領補佐官と会談した習近平は「中国は強国になっても覇権の道を歩むことはなく、現行の国際秩序、規則に挑戦する意図もない」と発言し、「中国はアメリカの覇権に挑戦するつもりがない」という明確なメッセージを送っている。
対外政策において中国がアメリカと並んで神経質になっているのは日本の動向である。中国にとって日本は、戦前は自国を侵略したアジアで唯一の植民地帝国主義であり、今日では、自国に対抗できるアジアで唯一の大国である。こうした日本の動向にたいして中国(人民)が機敏に反応するのは当然のである。とくに日米同盟一辺倒の安倍政権のもとではなおさらのことだ。「東アジアの平和」をめざすというとき、重要なことは日本人民が日米両政府が流布する「中国脅威論」に目をくらまされてはならないということだ。そうではなくて中国社会の実相を正しく認識し、中国人民のたたかいや運動と連帯する道を追求していかなければならないのである。
長期連載―変革構想の研究 第7回
悟性的把握か 概念的把握か(上)
請戸 耕一
前回予告では階級闘争論に入るとしていたが、その前にいくつか補足説明の必要を感じた。ひとつは、マルクスとエンゲルス(ないし「マルクス主義」)の違いの核心として挙げた〈概念的把握〉である。分かりにくい説明になるかもしれないが重要なところなのでお付き合い願いたい。
マルクスと「マルクス主義」の分割線
概念的把握とは、近代知(近代的諸個人の事物・事態の把握の方法、そういう方法によって集積された認識、その認識にもとづく世界像)の限界性にたいして、ヘーゲルが対置した方法であり、それをマルクスが批判的に継承したものである。近代ブルジョア社会において、そのなかで生きる人間諸個人が、社会の矛盾をどうしたら把握できるかという格闘にかかわる問題である。近代知の限界性の枠内にとどまるか、それを突破するかの分岐点であり、スミス、リカードなどの古典派経済学とマルクスの「経済学批判」との分水嶺であり、前回の議論に沿えば、マルクスの理論と「マルクス主義」を分ける分割線が、概念的把握である。
矛盾の媒介と統一
まず概説をしてみよう。
ヘーゲルの用語で〈概念的把握〉ないし〈概念的に把握する〉といい、それにたいする反対語が〈悟性的把握〉。〈悟性的把握〉とは、事物をバラバラに・固定的に捉え、矛盾をはらみ・運動するものと捉えない抽象的把握の方法。それにたいして、〈概念的把握〉とは、事物を、矛盾をはらみ・運動するものとして捉える弁証法的で具体的な把握の方法であり、その矛盾が自己展開する運動の過程を把握することである。弁証法は、概念的把握の主要な契機としてそこに含まれる。
これを〈Aかつ非A〉という命題で考えてみる。
この命題の意味は、〈Aであること〉と〈Aでないこと〉という対立する両項が、同時に並立するということ。しかし、常識的に考えたら、〈Aであること〉と〈Aでないこと〉の両項が同じ時間・空間に存立することはできないから、この命題は論理矛盾となるだろう。例えばAを昼とすれば、非Aは夜となり、これは両立しない。
たしかに、静止した抽象の相では〈Aかつ非A〉は存立できない。しかし、〈存在〉の運動の相においては、〈Aかつ非A〉は矛盾として存立する。どういう存立の仕方かというと、Aと非Aとがそれぞれ独自に〈形態化(対象化)〉することによってである。形態化とは、AがAに変化し、さらにAに変化する、つまり〈A→A→A→A…〉という新たな形態(対象)を次々と産出することである。(商品、貨幣、資本をイメージしてほしい)。非Aについても同じように〈非A→非A→非A→…〉と形態化する。こうして、新たな形態が産出されることで、Aと非Aという対立する両項の仲立をするのである。これを〈矛盾の媒介〉という。重要なのは、この矛盾の媒介が、両項を融和させるのではなく、両項がともに存立できるような新たな形態を生み出し、矛盾的に統一するという点である。こういう仕方で、〈Aかつ非A〉という矛盾が、矛盾が自己展開する運動の内に、矛盾を不断に媒介し統一を作り出しながら存立するのである。
商品・貨幣・資本
話が思弁的で、資本主義批判や革命論の話とどう関係があるのかと思われるかもしれないが、マルクス『資本論』の〈商品の使用価値と価値〉とはまさに〈Aかつ非A〉という矛盾ということである。労働の矛盾が、労働それ自体では媒介されないが、使用価値と価値との矛盾として商品において媒介され、さらにその商品の矛盾が貨幣を、さらに資本を不断に産出して形態化している。概念的把握によってこそ、資本主義が矛盾のシステムとして存立し、またそれ故に有限な存在であることが把握できるのである。
このように、〈A、A、A、…。非A、非A、非A、…〉といったもろもろの個別がバラバラに存在するのではなく、一個の連関として存在していると把握すること、そして、それらが、〈Aかつ非A〉という矛盾の媒介として産出されており、またそういう仕方で〈Aかつ非A〉の命題が矛盾的統一として存立すると把握すること―これが概念的把握である。これにたいして、もろもろの個別をバラバラにしか把握できず、そして〈Aかつ非A〉という命題は論理矛盾であって存立できないはずで、存立を把握できない―これが悟性的把握である。
ひとまずの概説だが、これだけでは、その重要性がまだ見えにくいので、次回、近代知の限界性とその突破という観点から、もう少し突っ込んでみたい。(つづく)
6面
民族教育を守りぬく
3月20日 不当判決弾劾し集会
3月20日、大阪府・大阪市補助金裁判の判決公判で、大阪高裁は控訴棄却の不当判決をくだした。
この裁判は、学校法人朝鮮学園が大阪府と大阪市を相手取り、2011年度分補助金の不交付決定取り消しと交付の義務付け、ならびに被交付者としての地位確認、国家賠償等を求めていたもの。昨年1月、大阪地裁で不当判決が出て、原告側が控訴していた。
判決には、朝鮮高校生をはじめ、朝鮮学校関係者、保護者、支援者など約250人が駆けつけた。抽選にもれた支援者が待ち受けるなか、弁護士が広げた垂れ幕には「不当判決」「行政の差別に 司法が加担!」の文字が。支援者から怒りの声が上がる。
「主文、本件控訴をいずれも棄却する。費用は控訴人の負担に」わずか数秒の言い渡しを終えると、裁判長は傍聴者に向き合うこともなく、逃げるように法廷を去った。補助金支給は「贈与」であり、支給の判断は行政の裁量範囲であるとした地裁判決をそのまま踏襲したものだ。
私たち日本人の問題
同夜、東成区民センターで開かれた報告集会には500人が参加した。集会冒頭、去る3月12日に亡くなった「城北ハッキョを支える会」の大村淳代表が「朝鮮学校との出会いは人生の宝だ」と言って続けてきた火曜日行動の歌「勝利のその日まで」の歌唱指導がおこなわれた。
集会では、大阪府下10校の朝鮮学校オモニ会の代表が、それぞれ民族学校へ子どもを通わせる誇りと、ウリハッキョを守り抜く、1世、2世から受け継いできた民族教育を守り発展させるため最後まであきらめないという力強い発言が続いた。
大阪朝鮮高校生を代表して男子生徒は、大村さんが実の孫のように接してくれていた思いを語り「朝鮮学校の問題は日本社会の問題、私たち日本人の問題だと毎週火曜日行動に参加され、ウリハッキョのことをいつも考えてくださっていた大村先生に希望と勇気をもらった。大村先生の意志を継いで最後まであきらめずに勝ち取っていく。そのため朝高生として、ウリハッキョで自分のルーツを知り、しっかり学び誇りを持ち、後輩につないでいく、この日本社会で堂々と朝鮮人として生きていく」と発言した。
丹羽雅雄弁護団長は今回の不当判決に屈することなく最高裁へ向けて全力で取り組むと決意を述べた。最後に大村淳さんの思いを胸に、参加者全員で「勝利のその日まで」を合唱した。
阪神教育闘争70周年
朝鮮高級学校無償化を求める連絡会・大阪は、4月24日「阪神教育闘争70周年記念・火曜日行動」を呼びかけている。大阪城公園の教育塔前、正午集合。マイクアピールをおこない、府庁周辺をパレードする。すべての子どもたちが平等に学べる社会の実現に向けて、一人でも多くの参加を。(佐野裕子)
本の紹介
10・8山ア博昭プロジェクト編
『かつて10・8羽田闘争があった』
羽田闘争50周年事業で記念誌発行
1967年10・8羽田闘争と京大生・山ア博昭さんの死は、「1968年世界革命」の幕開けを日本で告げ知らせた。翌月の第2次羽田闘争の日で山アさんの誕生日でもある(昨年の)11月12日、大阪で「羽田闘争50周年集会IN関西」が開催された。集会では兄の山ア建夫さんや高校の先輩の山本義隆さんらから、50年事業の墓碑建設、記念誌発行、ベトナムでの展示などの報告がされた。集会には10・8からの時代をとも担った人々が全国から集まり、当時に思いをはせお互いの健闘を誓いあった。
その記念誌、山ア博昭追悼50年記念[寄稿篇] 『かつて10・8羽田闘争があった』(合同出版)を紹介する。
同時代の人
山ア博昭さんが10・8闘争で帰らぬ人となった事は多くの人の記憶にある。しかしその生涯は存外知られていない。高知県大豊村生は同県人として長く心にあったが、幼少期から18歳10カ月までの記録は初めてのものが多い。生まれたいきさつ、大阪での暮らしぶりは初めて知った。高校・大学時代のことは大手前高校の後輩の話や機関紙縮刷版で知っていたが、家族の思いや、当時のノート・書簡は初めて目にした。65年日韓闘争からベトナム反戦闘争の過程で、山アさんを先頭に多感な高校生たちがクラス討論をし、文化祭で学校当局の意表をつく行動を取るさまは、68年に高校運動会で自主的行動を組織した私や全国の高校生の、ベトナム反戦と自治への共通の思いだったろう。
第1部は高校・大学の同窓生など14人の発起人が自己の生を山アさんに重ねた貴重なメッセージである。
羽田闘争の真実
圧巻は第2部の当日の報告だ。私は後世代として10・8羽田闘争を「山アさんの死を賭した佐藤訪ベト(参戦国化)阻止闘争」という政治的側面のみで考えてきた。羽田弁天橋での激突、装甲車上の革共同旗、機動隊に追われ民家にかくまわれた人多数は知っていても、山アさんの当日の行動は考えたことがなかった。
第2部冒頭の田谷、板倉、黒瀬さんらの文章は、ここに立ち入った歴史的証言である。それによれば山アさんは、当初は後方防衛隊にいた。やがて前方部隊が機動隊と装甲車の壁を打ち破る。山アさんは前方に思いをはせ「(前に)行きたいね、行きたいね」と言い、前線に進んだようだ。そこを黒瀬さんは「反対側に駆け出し、攻撃側に行ってしまった。…それが私が目にした彼の最後の姿」と記している。その後、機動隊の反撃で橋上から川に落とされる人が続出。板倉さんは「橋をわたり最前線に。しばらく対峙した静寂ののち、機動隊の一斉攻撃が。…土手を転がるようにして再び川の中へ。…なぜ彼の手を取って一緒に川を渡って退却してこなかったのか?」と悔いている。当時警察は「学生が装甲車を奪い、その車で轢殺」と発表したが、第4部「歪められた真実」で辻恵さん(弁護士・高校同級生)らが、改めてこの権力の虚構を写真や図を使い粉砕している。
時代の証言
本書には闘争の正史だけでなく裏面史も出てくる。一つは10・8前夜の三派全学連の党派間抗争である。多くの学生が「サンパ」に期待しながら前夜に本格的な「内ゲバ」が発生。以降の新左翼運動には暴力的党派闘争が伴う。後に大学教員は、10・8前夜の「事実」を指摘し、「当時の運動の否定的側面の代表例として内ゲバと女性蔑視」を記している。後に古書店主は「弁天橋上の攻防では彼我相方に欄干から川に落ちる者が続出」「機動隊にこの時とばかりに石を投げる者が」「その時本多さん(革共同書記長)が、『そういうことはやめろ』と命令というより諭すような口調で言われ我に返った」(要旨)とし、「その感性の正しさ」を記している。
この二つの指摘は今日的でもある。10・8羽田闘争を継承し「今こそ、反戦の意味を問う」にはなお多数の課題がある。本書が「革共同正史」でなく、当時の友人たちの手によって出版されたことは、逆に真実の証言集となっている。(岸本耕志)
農民工に支えられる中国経済
映画評 ドキュメンタリー『苦い銭』 王兵監督
15歳の小敏は、雲南省の故郷を離れて、浙江省湖州市の織里鎮に向かう。仕事につくためだ。この映画の主役は、20〜30人規模の小さな縫製工場で働く出稼ぎ労働者(農民工)たち。彼ら彼女らは故郷を離れ、さまざまな境遇をかかえながら過酷な労働にはげむ。カメラは仕事や生活の場に密着しつつ、その姿を追っていく。映画は、2014年から2016年にかけて湖州市織里鎮において撮影された。
ワン・ビン監督は「農村の労働者が都市へと大量に流れ込んでいますが、そういう人の流れ、それによっておきる人々の変化を、ドキュメンタリーを通じて理解したいと思った」と語っている。彼ら彼女らが発する言葉を拾い、その姿を追っている。しかし、この映画は中国では公開できないのだ。
中国経済を担っている長州デルタ経済圏は農民工によって支えられている。湖州市は「子ども服の町」とよばれるように、個人経営の縫製工場が1万8千軒ある。国内消費される子ども服の70〜80%がここで生産されている。労働者は周辺の農村から出稼ぎにくる人びとでしめられており、住民の80%(30万人)に達するという。
労働内容は電動ミシンでの縫製、手作業でのボタンかけ、スチームアイロンかけ、包装、梱包作業などさまざまだが、単純労働の繰り返しだ。朝7時から夜24時までのうち、13時間労働だ。時給(約16元=270円)で契約している人、出来高制で働く人などさまざまだが、労働条件が悪いことは共通している。ここでしばらく働いた後、より良い賃金を求めて大工場のある大都市へと移っていくのだという。
工場の屋上部分が、ここで働く人びとの宿舎になっている。3畳くらいの小さい部屋で仕切られ、2人の相部屋。ベッドだけが個人空間だ。毎日、仕事と寝るだけの生活、自由時間は休日だけ。
ミシン縫製をおこなっている女性労働者(19歳)は、寝るときには故郷の事を思う。長時間労働がきつくて長続きせず、姉に見送られて故郷に帰る青年労働者(18歳)。仕事が遅いからという理由で解雇され、別の会社に移っていく労働者(29歳)。子どもを家に残して出稼ぎに来ている夫婦(32歳と25歳)は、いつもケンカばかり。妻・子を故郷に残し単身で出稼ぎに来ている労働者(45歳)は、さみしさを飲酒でまぎらわす。社長にかけあって、2元の賃上げを実現する女性労働者。
60年前の日本の労働現場は、確かにこのようであった。また、今日のわれわれの姿でもある。今の中国経済は、農民工によって支えられている。彼・彼女らは不平・不満は抱きつつ、「苦銭」を稼ぐことにいそしむ。しかし、このような農民工の状態が長く続く訳がない。いつかは怒りが爆発する、このことを予感させる映画であった。
(鹿田研三)