公文書改ざん
安倍の居直り許すな
森友事件への関与は明白
財務省の決裁文書改ざん事件をめぐって、安倍政権にたいする怒りが渦巻いている。
3月27日、衆参の予算委員会でおこなわれた佐川宣寿前財務省理財局長にたいする証人喚問は、予想されたとおりの茶番劇に終わった。しかし、佐川が「刑事訴追のおそれ」を理由に証言を拒否し、安倍首相夫妻の関与を否定すればするほど、ますます疑念が深まる結果となった。もはや安倍と昭恵が森友学園に8億円を値引きした国有地不正売却事件に関与していたことは間違いない。そのことを隠ぺいするために、昨年の国会で佐川に虚偽答弁をおこなわせ、財務省に国有地不正売却の決裁文書改ざんをさせたのである。このような重大事を理財局単独でおこなうなどあり得ない。首相官邸から財務省に強力な圧力がかかったのだ。
安倍政権の下で公文書の隠ぺい、破棄、改ざん、捏造が頻発している。昨年の南スーダンPKOの日報を防衛省が隠ぺいしていた事件、裁量労働制に関する残業時間のデータを厚労省が捏造していた事件など枚挙にいとまがない。また加計学園問題や、スーパーコンピューター開発助成金詐欺事件のペジーコンピューティング、JR東海のリニア新幹線談合事件などでは、ことごとく安倍と個人的に近しい人物の名前があがっている。このような連中が、安倍政権の推進する特区制度や助成金制度、国家的プロジェクトに群がり、不正や腐敗が横行しているのだ。
こうした一連の事件は単なる「不祥事」ですまされる問題ではない。それは日本における民主主義政治の形骸化、空洞化が安倍政権のもとで急速に進行していることの証左である。
それは安倍が進める改憲攻撃と決して無縁のことではない。いやむしろ、密接に関係している。戦後民主主義を憎悪する国家主義者の安倍にとって、もはや現行憲法は政治規範ではなくなっている。だから民主的なルールを破っても何の後ろめたさも感じていない。国会を官邸の追認機関のように扱っている。
人民には、このような政権を直接行動によって打倒する権利がある。国会前では連日抗議行動が展開されている。全国から「安倍たおせ」の声をあげ、行動に起ち上がろう。
辺野古大浦湾 4・25海上大行動へ
那覇地裁、相次ぐ不当判決
3月13日 名護市辺野古での新基地建設をめぐり、無許可の岩礁破砕は違法として、県が国を相手に岩礁破砕の差し止めを求めた訴訟の判決が、那覇地裁で言い渡された。森鍵一裁判長は「県の訴えは裁判の対象にならない」と却下した。実質的な中身の審理に入らず門前払いにした。判決までの工事の差し止めを求めた仮処分の申し立ても却下した(県は23日に控訴)。
この日、キャンプ・シュワブゲートから工事車両336台が入った。午後3時ころ、ゲート前での抗議行動の市民に判決が知らされた。「実質的審理もなく門前払いか」と怒りの声を上げ、「県の敗訴は想定内、司法に頼らず、現場から声をあげていこう」と拳を突き上げた。
オール沖縄会議の高良鉄美共同代表は「驚きも落胆もない、変わらず知事を支えていく」と訴えた。
14日 名護市辺野古の新基地建設や東村高江の米軍北部訓練場ヘリパッド建設にたいする抗議行動をめぐり、威力業務妨害や公務執行妨害、傷害などの罪に問われた沖縄平和運動センター山城博治議長ら3人の判決公判が、那覇地裁(柴田寿宏裁判長)でおこなわれた。「米軍反対運動のなかでおこなわれたが、犯罪行為で正当化できない」として、山城議長に懲役2年、執行猶予3年の不当判決。
那覇地裁前の城岳公園には300人が県内外から駆けつけた。3人の無罪判決を求める署名は31万6279筆にも上った。集会で山城議長らは「われわれは無罪だ」「問われるべきは政府だ」と訴えた。
また、山城議長は「抗議活動の背景を見ず、行為のみに着眼して論じている。形式的な不当判決だ」と批判し、判決を不服として即日控訴した。
17日 海上行動隊は、毎月第3土曜日を「海上集中行動日」と決め、この日1回目をおこなった。通常より多い抗議船3隻、カヌー28艇が海上抗議行動を展開。砕石投入がつづく「K3護岸」「K4護岸」付近では「不法工事をやめろ」「海を殺すな」「美ら海を守れ」と声を上げた。
20日 シュワブゲートより310台の工事車両が入った。座り込みの市民は抗議の声を上げた。海上では抗議船2隻、カヌー10艇で抗議行動を展開。27日から29日までの天皇来沖のため、ゲート前警備の機動隊が天皇警備に動員され、21日より29日まで工事車両の搬入はない。
しかし、海上での護岸工事はおこなわれている。海上行動隊は連日抗議行動を展開。
大飯原発を直ちに止めよ
4月22日、関電本店前で全国集会
大飯原発のゲート前にむけてデモ行進 (3月13日 福井県おおい町) |
関西電力・大飯原発3号機は、3月14日、「大飯原発うごかすな!」「再稼働反対」の声に包まれるなか再稼働が強行された。この暴挙にたいして〈大飯原発うごかすな! 実行委員会〉は13日、14日連続で再稼働反対の行動にたちあがった。
3月13日、大飯原発直下の集落・大島地区の「塩浜シーサイドファミリーパーク」に地元福井をはじめ関西や、各地で原発反対運動をたたかう人など100人が集まった。
出発集会で、〈若狭の原発を考える会〉木原壯林さんや、地元住民から発言があり、大飯原発にデモで向かった。ゲート前に到着後、「大飯原発再稼働反対」の声を上げ、関電にたいして申し入れをおこなった。ゲート前集会では、大飯原発の再稼働準備を一切やめることを求める発言が続いた。抗議集会後、大島地区内をめぐるデモに出発した。
翌14日、再稼働当日。前日、地元に残り泊まり込んだ人々は早朝からおおい町役場前に集合し、出勤してくる職員にたいするビラ入れや、おおい町、高浜町でのアメーバデモをおこなった。その後、全体がおおい町大島地区に集合した。
12時半、塩浜シーサイドファミリーパークに70人が集まり出発集会。集会後、ゲート前までデモ行進。昨日に続いて、ゲート前は警察権力の厳戒態勢がしかれている。福井県警の弾圧を打ち破り、抗議集会が始まった。
冒頭、実行委員会が「本日のたたかいを本当に再稼働を止めるようなたたかいとして貫徹しよう。長時間のたたかいになるが、最後までたたかい抜こう」とアピール。
再稼働の時間が迫るなかで、いっそう大きな声で、「再稼働反対」「大飯をうごかすな」のコールをあげた。午後5時、「再稼働される」の情報。直ちに「大飯原発すぐ止めろ」の怒りの声を上げた。
実行委員会は、「今日の悔しさと怒りをバネに、5月にも予想される4号機の再稼働を止めよう。そのためにも、4・22関電包囲全国集会の大成功を勝ち取ろう」と呼びかけた。(2、3面に関連記事)
本号は8ページです
2面
福島原発事故から7年
すべての原発を廃炉へ
3・11関西アクション
放射能から子どもを守る
3月11日、「さよなら原発 関西アクション」が大阪市内のエルおおさか大ホールで開催された。午後の本集会には850人が参加し、春の陽光がふりそそぐなか、西梅田までデモをおこなった。デモには950人が参加した(写真)。
福島第一原発事故から7年。その日に合わせたこの集会は「再稼働反対」、「核燃料サイクルを中止せよ」、「被ばくさせるな」などを要求する内容だった。
本集会に先だって、午前企画として「女のひろば―子どもたちを放射能から守るために」がおこなわれた。この集会では鈴木薫さん(いわき放射能市民測定室「たらちね」事務局長)の講演と避難者などからアピールがあった。
鈴木さんは「放射能は目に見えず五感では捕えられないため、放射能にたいする感性の違いから、さまざまな分断がおきる。私たちは具体的に数値化したものを確認することで、これらを材料にして話し合い、さまざまな問題の解決を試みている」「お母さんたちは、大丈夫かもしれないけれども、大丈夫でないかもしれない、と不安をかかえている。後者にあわせて、私たち子どもを守っていきたい」と述べた。
浪江町から兵庫県に避難している菅野みずえさんは、「この時期を選び、あざ笑うかのように原発を再稼働させていく電力会社。被災者としての責任は、その体験を伝えていくことにある。私は被害者であるとともに、子どもに被ばくを強要した加害者だ」「原発は止められる、社会は変えられる」と語った。
午後の本集会では、海渡雄一さん(弁護士)の講演「もんじゅ廃炉・核燃料サイクル停止から脱原発の実現へ」と神田香織さん(講談師)の講談「フクシマの祈り」などがあった。
海渡弁護士の講演は、次のような内容だった。@われわれのたたかいで、高速増殖炉もんじゅを廃炉にした。核燃料サイクルは破綻している、A広島高裁において、初めて火山噴火問題で仮処分を勝ち取った。この意義はおおきい、Bこの3月に、立憲民主党は脱原発法を国会に提出する。森友問題など、情勢が変わりつつある。われわれの力で、すべての原発を廃炉においやろう。
神田香織さんは、自主避難者の体験を講談にしたもので、主人公は福島いわき出身で、東京に住む女性。彼女の心の葛藤と成長を語っていく。そのなかでも、彼女が故郷で聞いた消防士の話はリアルで圧巻だった。
集会では、福島、福井、自主避難者(区域外避難者)からアピールが。また、民謡ユニット・アカリトバリが事故前の福島に思いをはせ、なつかしい日々を曲にして歌った。
2018びわこ集会
“反原発は多数派”
3月11日、「原発のない社会へ 2018びわこ集会」がおこなわれた。午前中は生涯学習センターで、広河隆一さんの講演会があり、350人が参加し、午後は大津市・膳所公園で本集会があり、1000人が参加した(写真)。
広河隆一さんはチェルノブイリ原発事故後、ベラルーシやウクライナの子どもたちが甲状腺がんで苦しんだ実態とその支援活動を報告した。政府や原発業界の医学者が甲状腺がんと放射能の因果関係を否定し、加害者が被害者を隠そうとして、早期発見・早期治療で治る多くの子どもが命をおとした実態と子どもたちを救おうと尽力した医学者が排除された現実を報告した。そして日本の現実はもっときびしいと報告した。
午後の本集会では、平尾道雄米原市長が連帯の挨拶をし、戦前の戦争の時代へ政治を変えようとする安倍政権を激しく批判した。また、滋賀県知事や大津市長から連帯のメッセージが寄せられていることが報告され、同じ時刻に反原発集会をおこなっている福井と京都の集会からの連帯のメッセージも紹介された。
基調報告は井戸謙一弁護士からあり、全国でたたかわれている再稼働差止裁判の状況や、避難者賠償訴訟の状況、福島現地の状況や脱原発のたたかいの状況や展望が詳しく説明された。参加者は全国の仲間とともに多数派である反原発のたたかいを押し進めることを確認した。
集会後、旧パルコ前までの延々と続くデモをおこなった。
大飯3号機 再稼働中止を求め
3月10日〜14日 中嶌哲演さんが断食
関西電力が大飯原発3号機再稼働を強行する宣言を発したことにたいして、中嶌哲演さん(原子力発電に反対する福井県民会議代表委員)が、大飯原発3・4号機の再稼働中止を求めて5日間の断食をおこなった。中嶌さんは大飯原発の対岸にある福井県小浜市の明通寺住職(写真)。
中嶌さんは、3月10日、11日は福井県内で断食。その後、大阪市の関西電力本店前に移動し、12日から14日まで同本店前で断食を決行した。「多くの疑義や危惧を積み残し、国民過半数の世論と運動をものともせず、関西電力は大飯原発3・4号機の再稼働を強行突破しようとしています。このような横暴をもはや座視傍観することはできません。・・・広範多数の市民の一人一人が『非暴力・不服従の静かな革命』に今こそ立ち上がられることを心から訴えるものです」と訴えた。
連日10時から夕方6時までの関電本店前断食座り込みには、多くの支援者がかけつけ、関西一円のみならず、四国、北陸からも。
14日、午後5時に「大飯3号機の再稼働強行」がニュースに流れると、関電本店は集まった多くの人びとの怒りに包まれた。
川内原発 直近に巨大活動層
危険性訴え1300人がパレード
3月11日 鹿児島市
3月11日、鹿児島市内の「事故から7年目、未来選択の時 ストップ川内原発! 3・11かごしまパレード」に1300人が参加した。主催は、ストップ・川内原発! 3・11かごしま実行委員会。集会では、南大隅町、姶良市、日置市、いちき串木野市、阿久根市、出水市、薩摩川内市の脱原発グループが報告した。反原発・鹿児島ネットは、「川内原発直近の巨大活断層と幾度も襲った火砕流」というパンフレットを発行して市民への啓発活動をおこなっている。
神戸大海洋底探査センターは、2月9日、薩摩半島の南約50キロの溶岩ドームを発見。「約7300年前の鬼界カルデラ噴火は、列島最新。南九州から四国にかけて住んでいた縄文人は死滅か食料を求めて移動。約3万年前の列島最大の姶良カルデラ噴火は九州一帯に広大な火砕流台地(シラス台地)を形成した。巨大カルデラ噴火は、地質年代的には、いつ起きてもおかしくはない。最悪の場合、約1億人もの犠牲者がでる」と発表した。
3・11実行委員会は、昨年11月、地層処分にかんする原子力発電整備機構(NUMO)の説明会を拒否するよう呼びかける街宣を県内の36市町村で実施し、陳情団を派遣した。
川内原発のゲート前では、毎週月、水、金、に脱原発テントのスタッフが抗議行動を実施。毎日、作業員3500人が原発敷地内で工事に従事している。川内原発は、1号機が定期点検中だが、敷地内では安全対策上の大工事が進められているが、内容は公開されていない。九電は「核燃料を扱っている事業」を理由に公開を拒んでいる。(南方史郎)
原発訴訟「国の責任」4件目
放射能からの避難の権利
福島第1原発の事故で京都などに避難した住民174人が、国と東電に約8億4600万円の損害賠償、慰謝料を求めていた原発賠償京都訴訟で、京都地裁は3月15日、国と東電の責任を認め約1億1千万円の支払いを命じた。翌日16日、東京地裁も国と東電に賠償命令の判決を下した。全国約30件の集団訴訟への判決は、16日の東京地裁で6件目。国と東電の責任が問われたこれらの裁判で、国と東電のいずれも責任を認定したのは4件(前橋、福島、京都。16日の東京)。千葉地裁(17年9月)を除き、すべて「国に責任あり」となった。東京地裁18年2月判決は、東電のみ対象。
京都地裁判決は、「当時の状況によっては自主的に避難を決めるのも社会通念上、合理性がある」との判断を示した。原告側は、174人のうち60人余の請求が棄却されたことなどを問題に控訴した。原告団は「前橋、福島に続き、国の賠償責任を認めたことは極めて正当、動かしようがない。被害回復、救済を早期におこなうべき」とし、「避難区域外からの避難者は(人間が感知することのできない放射線と、その不安から)生活を犠牲にして避難した。危険性が科学的に否定できないかぎり合理的判断であり、『避難の権利』として保護される必要がある」とした。
3面
「原発ゼロ、汚染防止」を並行で
「放射能汚染防止法」をめざす
「放射能汚染防止法を制定しよう」と、運動がとりくまれている。「3・11」以降、泊原発のある北海道から始まった。これまでに小樽、札幌、江別市など北海道の5市議会、東京・小金井市議会などが意見書を可決している。16年、17年には院内集会、福島、千葉、静岡などで学習会が開かれてきた。
〈「放射能汚染防止法」を制定する岡山の会〉上田三起さんによる勉強会が2月、神戸市内であった。「脱原発と並行して放射能汚染を防止、規制すること。その法的整備が必要」という取り組みである。それは、拡散されてきた汚染の深刻さの問題でもある。脱原発が実現しても、これまでの汚染と、廃炉に伴う汚染と放射性廃棄物はなくならない。法制定の内容、運動について初めて聞いたことも多く理解不足もあるが、概略を報告する。上田さんのお話の要旨は次のとおり。
放射性物質を公害物質として規制対象に
放射性物質による環境汚染を防止する法整備を求めています。まず現行の環境基本法と原子力基本法の違いを知ってほしい。福島事故後に環境基本法が改正され、放射性物質にも適用が可能になった。それまで環境基本法13条では「放射性物質については適用を除外する」とされ、放射性物質については「原子力基本法と他の関連法による」とされていました。12年6月にこの除外規定を削除、放射性物質は法律上、公害原因物質に位置づけられ、放射性物質に環境基本法が適用できることになりました。
2つの基本法体系の特徴は、環境基本法は大気、水質、土壌などの汚染を防止するなど、違反には罰則があります。大きな違いは、環境基本法は「産業を規制する法律」、原子力基本法は「産業を振興する法律」ということです。原子力に関連する法律は、汚染にも被曝にも責任を負っていません。
環境基本法は理念法ではなく、旧公害対策法を丸ごと引き継ぎ国がやるべき基本的な内容を書いています。おこなうべき法整備と、それに伴う法整備を一本化した法律です。除外規定を削除した時点から国は法整備をやらなければならない、それを怠っているのが現状です。これらに関連して、江田五月・法相兼環境相(当時)は11年8月の参院予算委員会で、「安全神話」のもとでの規制について「原子力関係の法が昭和30年代に整備されてきたが、当時は原子力施設内で何か起きても(収まるものであり)環境中に出ることを想定していなかった。あまりにも能天気だった」(要旨抜粋)と答弁しています。さらに「事故が起き、放射性廃棄物処理を定めた法律がなかった。法の欠陥、空白は明らか」と話しています。
汚染防止法を有力選択肢とする
放射能汚染防止法の制定はゼロからの出発ではなく、旧公害対策法を引き継いだ環境基本法にもとづき、放射性物質についても公害物質として汚染を規制しようというものです。運動の進展とともに、原子力市民委員会は、昨年の白書(『原発ゼロ社会への道』)で「放射能汚染防止法を有力な選択肢とする」としました。
では、いまの原子力関連法による放射性物質の扱いは、どうなっているでしょうか。多くの人が「原発には規制があるだろう」と思っていますが、じつは排出規制、汚染防止には「濃度規制はあるが、薄めて捨てていい」、被曝・被害には「線量規制」であり違反に責任がないという、汚染にも被曝にも責任を負わない法律となっています。
少し遡って「公害国会」の年と言われた1970年、ようやく公害関連14法が成立、自治体の権限も強化されました(県条例で規制できる)。その後、90年代に世界的に環境問題がとりあげられ、日本も環境基本法にまとめられました。「汚染させるな、すれば罰則がある」というものです。
理想論は置いて、現在の法律構造に沿って考えてみます。大気汚染、水質汚濁のように「総量規制」が大切です。ベクレル単位で総量規制をおこなうこと。総量規制のない濃度規制は、希釈・拡散による無制限の排出を認めることになり、公害規制の基準にはできません。農用地土壌汚染防止法、土壌汚染対策法の放射性物質適用除外も削除するべきです。
汚染を規制し、被害者救済を
私たちがすすめる「放射能汚染防止法」運動について、よく「目的は、脱原発ですか」「端的に脱原発でいいのでは」という質問があります。違います。脱原発が実現しても、膨大な量の核廃棄物、福島事故由来の廃棄物、廃炉に伴う汚染ゴミ、もちろん溶融した燃料があります。公害規制によって人と環境を守っていくという深刻な課題は続きます。法整備が遅れるほど、ズサンな管理と汚染が拡大します。
いまのままでは原発産業は公害規制を免れ、むしろ原発推進を容易にしてしまいます。脱原発という用語は簡潔な言葉ですが、「汚染を取り締れ。被害者を救済せよ」という意味までは、なかなか伝わりません。脱原発と並行して、汚染防止法制定にとりくみましょう。
放射能汚染防止法(案)の要点
1.立法の必要性
・福島第一原発事故後は、既存の原子力基本法以下の「原発推進のための法体系」は役に立たなくなった。「汚染なき脱原発」「汚染なき廃棄物の管理・処理・処分」が政策の中心課題である。既存の原発関連法に代えて「汚染防止のための法体系」に全面的に組み直す必要がある。
・放射性物質を、環境関連法から適用除外している現行法を根本から見直し、放射性物質を環境汚染物質と位置付け、環境基本法以下の法体系に組み入れる必要がある。
2.汚染防止法の基本構想
・原子炉の安全基準は、汚染予防基準と位置づけて汚染防止法の体系に組み入れて規定する。
・汚染の原因となる事故などの危険要因について、危険通報制度を創設し、事故防止等にとって有益な情報の恣意的無視や軽視を排除し、「安全神話」を払拭する。
巨大カルデラ噴火とは何か
伊方原発運転差し止めで注目
3月25日、学習講演会「巨大カルデラ噴火とは何か 〜火山大国日本の現状を知ろう〜」が大阪市内でひらかれた。主催は、脱原発政策実現全国ネットワーク・関西ブロック。講師はマグマ学の専門家、巽好幸さん(神戸大学海洋底探査センター長)。 巨大カルデラ噴火の問題は伊方原発差し止め仮処分決定(昨年12月、広島高裁)で注目されるようになった。これは原発問題に限られるものではなく、われわれが日本列島に生きていくために、どうしても考えなければならない問題なのだ。 巽さんは、最新の研究成果を取り入れつつ、市民にもわかるように話した。その講演は火山の話から日本料理と西洋料理の違い、日本人の無常観はどうして作られたのかにおよぶ幅広い内容だった。講演要旨は以下のとおり。
@日本列島に地震・火山が集中する理由
日本列島周辺は4つのプレートでおおわれている。太平洋プレートは速い速度で高角に沈み込み、フィリピン海プレートはゆっくり低角に沈み込んでいる。この違いによって、日本列島ではとりわけ地震や火山が多発しやすくなっている。プレートが沈み込む際に、水(超臨界流体にあるH2O)が絞り出され、この水が岩石の融点をさげて、マグマだまりが形成されやすくなる。火山はこのマグマだまりが噴火してできる。 日本列島では、いつ・どこでも地震は起きる。今日でも、地震は予知できない。ましてや、火山噴火はそのメカニズムさえわかっておらず、科学的に予知しようがない。九州電力は「カルデラ噴火は予知できる」と言っているが、予測はまったくできない。
A変動帯・日本列島からの恩恵と災害の危険
地質と地形の影響で、日本列島の水は軟水、ヨーロッパ大陸では硬水になっている。軟水では昆布やかつお節のうまみ成分(グルタミン酸など)がよく抽出される。いっぽう、硬水では肉の臭み成分が灰汁となって取り除くことができる。水の違いによって、料理方法に差異が生まれた。 日本列島では、縄文時代から何度となく地震と津波が発生している。この災害の記憶と生活(米作)のジレンマが、日本人に美意識として「無常観」を創りだした。今日でも、我々はこのあきらめ感にとらわれ、災害を克服するための「長期ビジョン」を作れないでいる。
B7300年前の海底大噴火
今から約7300年前に喜界島の海底で巨大火山噴火がおきた。それは喜界カルデラとなって海底に残っている。その時に噴火した火山灰(アカホヤ火山灰)の様子が最近の研究でかなり分かってきた。この噴火で南九州・縄文人が絶滅してしまったのだ。 日本列島周辺のプレートの動きは300万年前から継続しており、今までに起きたことは将来かならず起きる。このことを忘れないでほしい。
C新しい災害観の創生について
阿蘇山カルデラと同じ噴火が起きた場合をシミュレーションしてみた。日本列島の九州、四国、本州全域が10p以上の火山灰でおおわれ、1億2千万人の生活が不可能になることがわかった。この巨大カルデラ噴火のリスクは危険値(=死亡者数×発生確率)で見てみると、交通事故死亡者のリスクと同じくらいになる。 我々はどのように対応すればよいのか。地殻変動のメカニズムをしっかり理解して“覚悟”を持って暮らすことが大切だ。「日本列島に生きる運命」として、あきらめてしまってはいけない。将来の大きな試練にどう対処するか、みんなが問題を共有して、ともに考えていく必要がある。(津田)
4面
焦点 剣持 勇
朝鮮半島危機と米・日政権
南北朝鮮人民の自己決定を
「和解」か、開戦か?
3月8日、米トランプ政権は「5月までにトランプ米大統領と金正恩朝鮮労働党委員長が会談する」と発表した。また南北の準備会合では、米朝会談は、米韓朝首脳会談とすることが検討されている。この過程で外交的に完全に敗北したのは日本である。「日本は蚊帳の外に置かれた」のにたいし、中国はまだ「リカバリー(取り戻し)」の余地があると言われる。なぜか?中国とロシアは、「米韓が合同軍事演習を当面停止し、たいする北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)も核・ミサイル実験を一時的に停止する」という「ダブルフリーズ(双暫停)」案を提案していた。米朝双方に受け入れられなかったとはいえ、とにかくも戦争を防ぐ提案をしていたのである。
日本の安倍政権は何をしていたか?安倍首相は朝鮮半島危機を「国難」と呼び、2度にわたり全国瞬時警報システム(Jアラート)訓練を繰り返した。憲法9条改憲のための危機あおりである。小野寺五典防衛相に至っては、(北朝鮮のミサイルが)日本の領空を侵犯したと騒ぎ立てた。領空とはせいぜい高度100キロ未満を指す。500キロの高度を飛んだミサイルがなぜ「領空か?」。
「核抑止」論こそ戦争を促進する
しかし戦争の危機は収束していない。トランプ大統領は、和解・交渉を主張していたティラーソン国務長官を解任した。後任者は、中央情報局(CIA)による拷問を「愛国的行為」と呼ぶポンペオCIA長官である。トランプ大統領は、戦争であれ、貿易であれ、「同盟国」など平気で無視、ないし切り捨てる政治指導者である。
しかし戦争は、トランプ米大統領や金正恩朝鮮労働党委員長の個人的意図や思惑で起こるのではない。「戦争は他の手段による政治の継続である」(クラウゼヴィッツ『戦争論』)。戦争はある社会が政治・経済・軍事的に解決不可能な矛盾、対立に陥ったとき、指導者の思惑や意図を超えて勃発する。逆に、無知や誤解から突発的、偶発的な戦争が起こるとき、指導者個人の意思では止められない。
その点で、現代の戦争において最も危険な「理論」が「抑止力」論である。「抑止力」論とは、敵国が攻撃すれば、それに報復して敵国を壊滅させる。それを知って敵国は攻撃してこない、という考えである。指導者の意図の不確かな推測だけで、朝鮮半島に生活する人々のことは考慮の外である。なによりもこの考え方は軍拡競争を促進し、戦争勃発のハードルを下げる。米国は、限定先制攻撃をおこなっても、金正恩政権は反撃に出ないと推測すれば、実際に攻撃に出る可能性が高くなる。恐怖の均衡で核戦争は起こらないという考えは誤りである。
現実の戦争の危機
米政権・米軍は実際に朝鮮半島で戦争を起こそうとしている。朝鮮戦争を終結させる平和条約を結ばず、1957年以降、韓国に核兵器を配備し、2012年以降は米韓合同軍事演習を拡大し、北首脳部を殺害また拉致するための「斬首作戦」を3回も訓練している。
トランプ大統領自身、昨年の4月には、「過去20年間の『戦略的忍耐』は終焉し、すべての選択肢がテーブルの上にある」と先制攻撃を辞さない構えを示し、今年の2月2日には、「核体制の見直し」(NPR)を発表した。「使い勝手の良い」小型核兵器の開発を推し進め、「敵対国に核兵器を先制使用する」ことを公言した。
トランプは、対北朝鮮の先制攻撃によって、数千、数万人の死者が出ることも、韓国にいる20万人のアメリカ人のことも、本格的な南北、米朝の戦争が始まれば、韓国や日本を含め100万人単位の死者が出ることも意に介する様子がない。いったん米朝協議が始まっても、いつでも北朝鮮への軍事的選択肢を辞さないし、その時には、国連であれ、「同盟国」であれ(日本どころか韓国さえ)置き去りにして、強行する可能性が大である。
安倍政権こそ戦争の重要要因
カナダで開かれた20カ国外相会議(朝鮮国連軍参加国を招請、日本は構成国ではないのに強引に出席した)では、アメリカの代表さえ和解・協議の可能性に言及したが、河野外相は、和解や協議の時期ではないと、ひたすら「圧力」と、先制軍事攻撃にたいする期待と支持を表明した。また米新核政策について、「高く評価する」と、世界で唯一賛成し、協力を誓っている。
その安倍政権が現在もっとも力を入れているのが、戦争法と9条改憲を実体化する敵基地先制攻撃のための装備や法制の準備である。この間、イージス・アショア、F35A戦闘機、長距離巡航ミサイルJSM、ヘリ空母「いずも」の空母への改修を検討、準備している。しかも昨年9月30日から10月7日の間、「敵基地攻撃」の日米共同訓練を築城基地でおこなっていたことが米軍のニュースで判明している(戦闘の初期に敵国のレーダーや対空ミサイルなどを攻撃・破壊する「敵防空網制圧(SEAD)」訓練)。
また安倍政権は非核三原則を1・5原則化し、ドイツ並みに、アメリカと核を共同運用することを手始めに独自の核武装に進もうとしている。2016年3月に横畠祐介内閣法制局長官の答弁で、核兵器の保有も使用も「憲法上、禁止されているとは考えていない」とした。例えば、北朝鮮が未開発とされている大陸間弾道ミサイルの再突入技術について、日本は小型惑星探査機「はやぶさ」を小惑星イトカワまで飛ばして、それを地球上に回収している。地球上の任意の位置に「無事に」落とせるのである。また北朝鮮がすでにプルトニウムを30〜40キロ有していると大騒ぎしているが、日本はすでに数10トン単位で保有している。核武装の政治的意図と技術的能力を持つ、最も危険な国が日本である。
戦争の危機を阻止する主体は
北朝鮮の政権は、2012年のオバマ政権による合意破棄(クリントン政権の1994年の枠組み合意)をうけて、核・ミサイル開発を本格化させた。「防衛的」とはいえ、開発された武器は実戦で使われる。「核に核で対抗する」ことは南北朝鮮人民の大業にたいする重要な障害になる危惧を抱かざるをえない。また「核抑止論」は核戦争勃発のハードルを限りなく低める。「きれいな核兵器」や「使わない核兵器」などは存在しない。これは労働者人民のたたかいで平和を獲得するのではない。いかなる政権であれ、政権間の外交交渉のみに委ねてはいけない。
朝鮮半島危機を解決する主体は南北朝鮮の労働者人民である。開始された南北協議は、南北両政権の意図や思惑を超えて、分断打破・南北統一を願う南北朝鮮人民の自己決定の意思の表れである。トランプも安倍も妨害できない。
日本の労働者人民は、安倍によってあおられるだけであってはならない。朝鮮半島の人民(南北と在日)は、戦前36年間の日本による植民地支配によって、土地を奪われ言葉や姓名まで奪われた。彼らの願いを支持し、日本からの戦争挑発や攻撃を阻止することこそ、戦争を防ぐ道である。
在日米軍基地からの出撃、新基地建設(沖縄・辺野古)、基地拡大(岩国)、自衛隊の米軍との共同作戦(安保法制による)などを許すな。安保条約と地位協定の廃棄が死活的だ。安保法制廃止を改憲阻止闘争と一体でたたかおおう。
【定点観測】(3月22日〜26日)
安倍政権の改憲動向
3月22日 自民党憲法改正推進本部は全体会合を党本部で開き、憲法9条に自衛隊を明記する改正条文案について細田博之本部長に一任した。石破らの主張を押し切り、安倍首相案である1、2項を残し、別建ての「9条の2」を新設して自衛隊を規定する。細田本部長が有力視する案は、「9条の2(1)前項の規定は 、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置を取ることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する」というもの。
3月22日 自民党の石原伸晃は、自らの派閥の例会で、「憲法はとりまとめなんかやっちゃいけない。全然議論はまとまっていない」と述べた。
3月23日 自民党の総務会では改憲案の細田一任に批判が相次いだ。竹下亘総務会長は「まだまだ道のりは遠いなと、感じた」と語った。
3月24日 自民党の地方組織幹部の会議で、細田憲法改正推進本部長ら執行部は9条改憲の1本化した案を「有力案」として初めて示した(内容は一任を取り付けた細田案)。同会議でまた、安倍首相は「森友問題」への謝罪とともに、憲法改正4項目の実現に協力を要請した。3月24日 立憲民主党の枝野代表は、「公文書を改ざんするような政権の下で改憲論議はできない」「前提を壊したのは安倍首相本人だ」と述べた。
3月25日 自民党大会では自民改憲4項目の確定案(緊急事態条項、教育充実、合区解消)、有力案(9条加憲案)とも改めて示さず。ただ二階幹事長が党務報告で、改憲4項目の「条文イメージ・たたき台案」がまとまったとして、「案をもとに衆参両院の憲法審査会で議論を深め、各党の意見を踏まえて憲法改正原案を策定し、憲法改正の発議を目ざす」と語った。安倍首相は21分に及ぶ演説の最後に、「いよいよ結党以来の課題である憲法改正を取り組む時が来た。今を生きる政治家の、自民党の責務だ」「自衛隊を明記し、違憲論争に終止符を打とうではありませんか」と述べた。しかし2020年の改正憲法施行という目標については触れず。来賓としてあいさつした公明党の山口那津男代表は、憲法改正に一言も触れず。また党大会では、改憲の「実現を目指す」とした2018年運動方針が採択された。
3月26日 経団連の榊原定征会長は、「国民の政治に対する信頼感や指示が揺らいでいるときに憲法の話はそぐわない」「(安倍政権は)まず森友問題をクリアして政治に対する支持を取り戻してほしい」と語った。
3月26日 今月初め公明党の北側憲法調査会長が、自民党に国民投票法の改正を検討するよう要請したことが分かった(テレビCM規制や投票率規定など)。公明党は憲法審査会開催の呼び水にする思惑だが、自民党は発議を遅らせるものと警戒している。
(おわびと訂正)
本紙前号2面の投稿記事で「石堂清倫」のルビ「きよもと」は誤りで、正しくは「きよとも」でした。お詫びして訂正します。
5面
論考 田端 登美男
霞 信彦『軍法会議のない「軍隊」』を読む
憲法9条改憲と軍法会議
昨年(2017年)5月、安倍晋三首相は自民党憲法改正推進本部(改憲推進本部)に改憲案作成を指示し、改憲作業が始まった。今年2月、改憲推進本部は9条改憲案4類型を公表し、3月25日の自民党大会までに、石破が主張する「9条2項の削除・改正」案をおさえ、安倍が主張する「9条2項維持・自衛隊明記」案で意見集約をねらっていた。
加えて、緊急事態条項に内閣の権限強化と私権制限の根拠規定を盛りこもうとしている。まさに、安倍改憲によって、数千万のアジア人民と数百万の日本人民を死に追いやった「暗い時代」に回帰させ、名実ともに自衛隊を侵略の軍隊に改造し、国民を侵略戦争に総動員していこうとしている。
安倍論にしても、石破論にしても行き着く先は侵略の軍隊であり、次なる攻撃として、その背骨を形成する軍法会議設置が準備されている。
2013年4月、石破茂自民党幹事長(当時)の「(戦地への出動命令に)従わなければ、その国における最高刑に死刑がある国なら死刑、無期懲役なら無期懲役、懲役300年なら300年」という発言を受けて、筆者(田端)は『戦場の軍法会議』(北博昭著)などに学び、『未来』134号に、「軍法会議の研究―命令に従わないなら死刑」を投稿した。本論考はその続編である。皆さんの検証と批判を乞う。
南方戦線に従軍した元日本兵
中村信さんの場合
…私のように成績の悪い兵隊、教養があって上官の言うことを聞かない兵隊など、上官の気にいらない兵隊が選別され、南部防衛隊(注 危険な地域)に転属されました。
…小隊長が連絡兵である私に、「見てこい」と命令しましたが、フランス軍が機関銃をやみくもに撃っているところへ、見に行けば死ぬのは分かりきっており、私はもちろん行きませんでした。他の誰ひとりとして従うものがいません(注 抗命)。
…全部マライで死ぬだろうと考えていました。それでも私は、同年兵の2人と相談して、「攻撃後、もしも命があったら、陣地に帰ってきて、食料を取って、裏山に逃げよう」と決めていました(注 奔敵)。…逃げることが恥ずかしいことだとは思っていませんでした。
…私が軍隊で、度々暴力を振るわれたのは、フーランチョン(注 ベトナム北部で中国との国境付近)に配属された初期の訓練のころでした。私は試験の答案用紙を一度も出したことがありませんでした。試験を拒否し、反抗したのです。それで上官からものすごく殴られたのですが、そのうちに、「どれだけ殴っても効き目がない奴だ」と思われ、全然殴られなくなりました。
…サイゴンでは、割とまじめに仕事をしていて、将校当番になりました。しかし「共に命を捧げてきたのに、何で、将校のために当番をしなければならないのか」という疑問が起き、将校会食の時に、届けねばならない弁当を届けなかったのです。…他の兵隊は、弁当につばを吐いたり、頭のフケをかき落として入れたり、こっそりとわからないように悪さをしていましたが、私は将校当番をやめさせてほしかったので、公然と反抗しました。それで、結局やめさせられました。
…戦争に行っていた3年間に、東南アジアの人々、フランス人、ドイツ系の人たちとのさまざまな出会いがありました。捕虜と日本兵の運動会では、人間にとっては、戦時にあっても、個人と個人の間には何の憎しみもないということを実感しました。(『兵戈無用(兵隊も武器もいらない)』2000年発行)
侵略戦争と兵隊
1943年から3年間ベトナム(最後はマライ)に派兵された中村信さん(故人)の言葉は非常に重く、本質を突いた内容である。そこには、上官にたいする抗命があり、奔敵(逃亡)の準備がある。軍司法(軍法会議)は中村さんのような兵士を処刑するためにこそ必要としていたのである。
インターネット上に投稿されている弓削欣也(防衛研究所戦史部所員)の「大東亜戦争期の日本陸軍における犯罪及び非行に関する一考察」から、「軍の指揮統率に関わる犯罪及び非行」についてみておこう。
弓削欣也は戦地における犯罪数について、1941年から44年までの上官暴行・脅迫・侮辱、抗命、奔敵(逃亡)などの統計資料を使って、「日清、日露戦役と比較すると、支那(ママ)事変(筆者注1937年)における犯罪発生数は著しく大かつ高率。軍紀上最も忌むべき行為である対上官犯が日露戦争時の7倍半に達するとともに、逃亡犯も日露戦争時よりもはるかに多い」と述べ、戦況の悪化、長期化に従い、将兵の士気が低下していったことを明らかにしている。(「軍紀風紀等要注意事例集」「軍紀風紀等に関する情報第6号」「事例集別冊第7号」など)
軍司法制度確立の願望
次に、『軍法会議のない「軍隊」?自衛隊に軍法会議は不要か』(慶應義塾大学出版会2017年)を見てみよう。霞信彦は「中立」的立場と言っているが、軍法会議必要論者であり、9条改憲後を見すえて、自衛隊(国防軍)に軍法会議を設置するにはどのような障害があり、どう乗り越えていくのかという観点から書いている。
その理由は明快である。「法(軍刑法や軍法会議)による処罰の存在が…戦闘員を常に同じ方向に駆り立てる」「軍司法制度とは…軍紀を維持し、統制を極め、戦争に勝利する強い軍隊を作り上げる」からである。
ところが、自衛隊には軍法会議はなく、霞信彦は「軍司法制度の議論は喫緊の課題…@特別法に基づき、行政機関が行政審判、A一般司法裁判所の系列下に、防衛裁判所を設置する、B特別裁判所として分掌して、防衛裁判所を設置する」と3案を提案している。しかし、軍司法制度を導入(創設)すれば、司法権独立の法的根拠である憲法76条2項に抵触するから、この条項も変えねばならないとしている。
少し古いが、「我が国における軍事司法の可能性」(西村峯裕2005年7月)という論文では、第5節「軍事司法の可能性」で、(1)行政機関が終審としてではなく、準司法機関として刑事裁判をおこなう形式、(2)家庭裁判所のように、通常裁判所の系列に属する専門裁判所として軍事裁判所を設置する、(3)憲法を改正して、特別裁判所の設置を禁ずる規定の削除を挙げている。
西村峯裕は(2)、(3)は行政機関たる軍検察、軍司法警察と司法機関たる軍事裁判所が完全に分離され、軍令機関としての色彩を払拭し、公正な裁判が期待できるとし、軍法会議ないしは軍事裁判所はわが国が国際国家として生きていく上で必要と主張している。
二つの資料の意味
『軍法会議のない「軍隊」』のなかの「陸軍軍法会議処刑人員聚年比較表(比較表)」と「陸軍軍法会議処刑罪数表」(『陸軍軍法会議廃止に関する顛末書』1945年)についてみていこう。
弓削論文では、日清、日露戦争と比較して1937年日中戦争以降の犯罪発生数は著しく大かつ高率(対上官犯が日露戦争時の7倍半)と述べている。
「比較表」は第1次世界大戦直後から敗戦直前までの30年間の統計であり、ここで読み取れることは、陸軍部隊が増えるにしたがって(1930年=20万→1945年=550万)、軍法会議処刑(死刑、懲役、禁錮刑)人数の割合が減少していることである(0・27%→0・14%)。
敗戦間際になると、戦況が悪化し、長期化しており、補給線はずたずたにされ、将兵の士気が低下しているにも拘わらず、「犯罪」摘発率が半分以下に低下している。中村信さんのように、仲間とともに戦線離脱の準備をしていた将兵が数え切れないほどいたであろうことは想像に難くない。まさに、当時の日本軍は崩壊過程にあり、軍司法は貫徹できず、抗命(不服従)、奔敵(逃亡)があっても、軍法会議にかけて審理・処罰できるような状況ではなかったのだろう。
以上、軍司法制度(軍法会議)の準備とアジア侵略戦争下の実態を検証してきた。いったん憲法9条のせきが切られれば、憲法9条を前提にして募兵に応じた自衛隊員を、いや応なく戦地に送り、アジア人民に襲いかからせるであろう。安倍政権を打倒し、改憲を阻止しなければならない。
6面
郵政労働契約法20条裁判に勝利
正規労働者との格差是正へ
横断幕を先頭に裁判所に向かう原告ら
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西日本の郵政産業労働者ユニオン(郵政ユニオン)に所属する非正規雇用労働者(時給制契約社員)8人が、正社員との労働条件の格差を違法と訴えた裁判で、2月21日、大阪地裁(内藤裕之裁判長)は労働者の訴えを一部認める判決を言いわたした(本紙241号1面に速報記事)。
この裁判は、有期契約の労働者にたいする労働条件の不合理な相違を禁止した労働契約法20条に基づいて訴えられていた。昨年9月14日、同じ郵政ユニオン・東日本の裁判の一審勝利判決に続く勝利となった。
当日、大阪地裁には各地から200人を超える支援者と、報道各社が集まった。午後1時10分に判決が言いわたされ、裁判所から飛び出してきた原告と弁護団が正門前で「勝利判決」「格差是正判決」の垂れ幕をかかげると、待機していた仲間たちから歓声があがった。
一歩踏み込む
判決の主な内容は、日本郵便で正社員に付与されている「年末年始勤務手当」「住居手当」「扶養手当」が、時給制契約社員に付与されていないのは不合理としてその損害賠償を認めるもの。昨年9月の東京地裁判決でも「年末年始勤務手当」「住居手当」の不支給が不合理とされたが、損害として認められたのは正社員の「年末年始勤務手当」の8割、「住居手当」は6割でしかなかった。
今回の大阪地裁判決は、すべてについて正社員と同額を認めた。さらに一歩踏み込んだ判決である。
加えて「扶養手当」について認めたことは画期的である。判決は扶養手当が「労働者及びその扶養親族の生活を保障するために、基本給を補完するものとして付与される生活保障給としての性質を有して」いることを認め、「その従事する勤務内容にかかわらず、扶養親族の有無及びその状況に着目して一定額を支給されるものであることからすると、職務の内容等の相違によってその支給の必要性の程度が大きく左右されるものではない」とした。
さらに扶養手当は、「住居手当等と異なり支給額の上限が設けられていないから扶養親族の状況によっては、住居手当以上の差異が生じる可能性がある」と指摘した。そして、扶養親族がいる原告は、「その生計を維持するために正社員と変わらない負担が生じているのだから、正社員に対してのみ『扶養手当』が支給され、原告に対して支給されないという相違は不合理である」と断じた。
この裁判の重要な争点は、職務内容が同じであるかどうか、比較の対象となる正社員は役職者を含む正社員全体なのかどうかという点であった。
他の労働契約法20条裁判で敗訴したケースは、比較対象を同じ職場で同じ仕事をしている正社員だけでなく、正社員全体としたものが多い。それよって「職務がちがうから、格差は不合理ではない」という判断になっていた。
郵政裁判の東西の地裁では比較対象を「一般職」としたことによって、すべてではないが「格差は不合理」と認められた。日本郵便の一般職とは2014年以降、新人事給与制度のもとで導入された(新)一般職のことである。それ以前の(旧)一般職(現在は地域基幹職)とは労働条件がかなり違う。(新)一般職は「限定正社員」としてその待遇の劣悪さが批判されてきた。
大阪判決の意義
今回、大阪地裁が不合理と認めたもののうち「住居手当」については(新)一般職と比較した。(新・旧)の処遇面の大きなちがいは転居を含む配転があるかどうかである。契約社員に配転はない。(旧)一般職と比較されると、「格差は不合理ではない」と結論されかねない。
一方、「年末年始勤務手当」「扶養手当」については(旧)一般職を含めて比較の対象とした上で、それらが契約社員に付与されていないのは不合理としたのである。扶養手当は基本給を補完する生活給であり、職務内容に関係なく、労働者とその家族の生活の必要に応じて等しく与えられるべきものと判断したのである。この判断は今後の非正規雇用労働者の権利闘争にとって武器となる。
しかし判決では、一時金格差の不合理性は認めなかった。また休暇についても正社員と同様に付与されるべきという地位確認請求には、「地位確認請求というのは他に手段がない場合に求めるものであり、損害賠償など他にも手段があるはず」として判断しなかった。そういう意味では全面的な勝訴ではない。裁判はこの後、原告被告共に控訴し、高裁に舞台が移る。
半数が契約社員
日本郵便は契約社員に各種手当を与えない理由として次のように主張していた。 「正社員は主たる生計維持者として家族を養わなければならないからその負担を軽くする必要がある。定年までの長期雇用を前提としてインセンティブを与える必要がある」と。これは許しがたい主張である。郵政では契約社員で勤続10年以上の労働者は少なくない。原告の1人は勤続20年以上である。「主たる生計維持者」として家族を養っているものも少なくない。会社の主張は、契約社員にたいする結局は蔑視そのものである。 郵政で働く40万人の労働者のうち19万人以上が契約社員である。東日本の原告の1人は裁判後の報告集会で「郵政の業務はわれわれ非正規雇用労働者がいないと1時間も、1分もまわらない。われわれに8時間働けば普通に生活できる賃金を保障しろ」と訴えた。この判決を力にして非正規雇用労働者の権利獲得のたたかいを強めていく必要がある。(浅田洋二)
絵本で戦争体験をつなぐ 神戸空襲73年 語り部の手記をもとに
絵本を手に語る小城智子さん(3月17日 神戸市内) |
3月17日、神戸市兵庫区薬仙寺で神戸空襲73年の慰霊祭がおこなわれた。1945年の神戸全域が焦土になった空襲による8000人を超える犠牲者をしのぶ法要で、「神戸空襲を記録する会」が毎年開いている。
中田政子代表のあいさつの後、空襲の体験を2人の方が語った。1人は当時中学2年で耳が聞こえない山村賢二さん。身ぶりを交え手話通訳を通して音の聞こえない恐怖を語った。寄宿舎生活を送っていたが、空襲の時は母親から離れるなと言われ、父親は空襲で亡くなった。
もう1人は西村勇さん。兵庫駅の北側で寮の屋上から見ていたら、空襲警報時にB29の大編隊が落としていく焼夷弾が大量の線香花火のように見えて、落ちた後はあたり一面火の海になった。父親は片足を飛ばされ亡くなり、火葬場に運んだが死人がいっぱいだった。戦争は残酷悲惨で、二度としてはいけない、ずっと平和であってほしいと語った。
中田代表と共に語り部として活躍していた石野早苗さんの手記をもとに、この日出版された絵本『さなえさんのて』が朗読され、石野さんの特集記事を書いた神戸新聞の記者から石野さんの生き方や伝えたかった事が紹介された。石野さんは神戸空襲で右腕を失いながらいっぱい努力をして、戦争は絶対にいけないということを次の世代に、ありのままに、自分の普段着の言葉で伝えようとしていた。神戸市内の小中学校で200回以上体験を語り、義手を外して戦争の残酷さを見せていた。
石野さんは一昨年10月に80歳で亡くなったが、この絵本の作者小城智子さんは、石野さんとかわした絵本を作る約束を果たしたと語り、神戸市内の戦争跡を紹介する平和マップ全区18編を昨年完成させたことも報告した。
神戸市役所合唱団が組曲「神戸空襲の歌」を歌い、世話人の岡村さんから戦争体験を次世代につなぐことの証しとして、空襲の話を聞いた小学6年の子どもが作った何枚もの模造紙パネルが紹介され、戦争に負けないでしっかりと生きて、次世代に伝えていくという神戸市民の強い意志を感じた催しであった。
同会は2013年同市中央区の大倉山公園に慰霊碑を建立、現在同会が把握した約2000人の名が刻まれており、6月3日には追加の刻銘式がある。(岩谷 登)
7面
検証
天皇退位を前に正しい歴史を
虚構の古代天皇制を明治維新で復活
三木 青山
2016年8月、天皇アキヒトが(神ならぬ人間の身においては)身体の衰えはいかんともし難く、このままでは「象徴天皇としての務めを全身全霊を込めて果たせそうもない(ので退位したい)」旨をビデオメッセージで発したことによって、国会で一代限りの立法措置が取られ、2019年4月30日に退位することになった。
明治150年の実態
今年は1868年の「明治維新」150年にあたるということで、19年(退位と新天皇即位、新元号施行=時間の支配)・20年(東京オリンピック・パラリンピック)と、マスコミがお祭り騒ぎをはやし立てるなかで、安倍政権は改憲に打って出ようとしている。
「明治維新」150年にあたって支配層や御用学者たちは、『坂の上の雲』よろしく、今につながる「輝かしい明治以降の日本近現代史」を称賛しようとしている。しかし、その前半の実態は「殖産興業」「脱亜入欧」「富国強兵」をスローガンに、軍事国家=「遅れた帝国主義」として欧米列強の後塵を拝しながら近隣諸国を侵略し植民地とし、続く欧米帝国主義国との戦争で最後には米帝から原爆2発を投下され、さらにソ連軍の侵攻(日本の共産化=天皇制廃止への危惧)もあってようやくポツダム宣言を受諾・無条件降伏したという破綻の歴史であった(1945年9月2日にミズーリ号艦上で降伏文書に調印)。
それはまた、北海道「開拓」(アイヌ民族圧迫)・「琉球処分」・日清戦争(台湾領有)・日露戦争(朝鮮併合)・中国東北部への侵略(「満州国」建国)と日中戦争・アジア各地への戦争拡大で、侵略された国ぐにの人びとから命や財産を奪い人権をじゅうりんし人間性を破壊した歴史でもあった。
このような明治以降の日本の近代化=帝国主義国家のバックボーンになったのが、天皇制(「万世一系、神聖にして侵すべからず」…)である。
敗戦直前、支配層が「ポツダム宣言を受諾するか否か」で時間を浪費し、国民にさらなる犠牲を強いた「〈国体〉の護持」は、ヒロヒトが東京裁判に〈戦犯〉として訴追されず、米帝主導の「日本国憲法」に〈第1章・天皇〉と明記されたことによって保たれた。それは1945年8月15日正午、ヒロヒトのレコード盤の音声によるラジオ放送で日本軍の武装解除がスムーズにおこなわれ、米兵に犠牲者が出なかったことや天皇を利用して占領政策を推進していき、今後米帝に対抗できないように牙を抜き(戦力の不保持)、地上戦で米兵の血を流して戦取した沖縄を本土から切り離して米軍政下に置き、アジア支配の橋頭堡にしていくという米帝の思惑からなされたものであった。
ポツダム宣言は7月26日に発表されたので、7月末、遅くとも8月初めまでに日本政府が「受諾」を表明していれば、被侵略国はもちろん、日本のその後の犠牲(広島、長崎への原爆投下や、各地への空襲、ソ連軍の「満州」や朝鮮半島への侵攻、南北分断、シベリア抑留、残留孤児、引き揚げ、北方領土等)は大きく減り、別の経過をたどったであろうことは容易に想像できる。天皇制下の為政者の国民を顧みない無責任ぶり、無能ぶりは目に余る。
『日本書紀』の虚構
明治以降の国家のバックボーンとなった天皇制は、〈倭国〉の先在を消し〈自己王朝を正当化する〉ために720年に編さんされた〈日本国〉の歴史書『日本書紀』の記述を証明抜きで前提とし、「支配者といえば昔から天皇家しかいない」という先入観念から導き出された虚偽の歴史のもとに作られたものである。
支配層は明治以降の国民皆教育・諸行事(「君が代」斉唱・「教育勅語」奉読・「御真影」礼拝等)・祝祭日を通して、この虚偽の歴史で臣民として洗脳し、優越民族意識を持たせ「皇国臣民(皇軍兵士)」に仕立て上げ、侵略の手駒としてきた。
今なお文科省の検定教科書では、古代から政治の中心は大和(飛鳥など)にあったとする虚偽の歴史がまかり通り、NHK番組(高校講座「日本史」)もその教科書に準じて作られ放送されている。
しかし、古代中国の歴史書を見れば明らかなように〈倭国〉と〈日本〉とは別の国であり、そこに記述されている倭国は北部九州に都があった〈九州王朝〉のことである。当時は日本の各地にいくつかの独自勢力が並立していた時代であり、そのなかで倭国として朝貢外交をしてきたのは、西暦57年の後漢の光武帝からの金印(漢委奴国王、委奴は匈奴の反対語)→3世紀の邪馬壹国(注1)の卑弥呼や壹与→5世紀の倭の五王(讃・珍・済・興・武)→607年、隋の2代目皇帝・煬帝(日没する処の天子)に「日出る処の天子」を名乗って国書(注2)を送り、対等性を主張した〈阿毎多利思北狐〉へと続く九州王朝であって、畿内を中心に勢力を持っていたヤマト王権ではない。
華夷秩序体制下では〈天子〉は1人しか存在せず、まして「東夷」が〈天子〉を名乗ることなど許されようはずもなく、倭国は663年に朝鮮半島西岸の白村江の海戦で唐・新羅の連合軍に敗れ去り、倭国王は唐に連行された。唐の進駐軍による倭国の首都・太宰府の占領、破壊をへて、独自年号まで持って倭国を代表し歴代中国王朝(南朝は隋によって滅ぼされる)に朝貢してきた〈九州王朝〉は滅亡していく。
代わって(北朝系の)唐に認められたのが、701年に「大宝」年号(連続年号の始め)を建て、律令を制定施行し「日本国」を名乗って朝貢した奈良王朝である。この時点から現在の天皇家が日本国のトップに立ったのであり、戦前の「国史」でいわれたような「アマテル女神から孫ニニギへの宣告(天壌無窮の神勅)」を根拠に、はるか昔の神話時代から天皇家が日本の「支配者」であったと正当化できるような代物ではない。 〔投稿〕
(補記)九州にあった倭国の痕跡としては、名称で「九州、太宰府、筑紫都督府」、史跡では「都府楼跡、水城」などや「評」という行政区用語がある(日本国では「郡」)。万葉集の代表的歌人・柿本人麻呂は「歌聖」と仰がれ、「朝臣」という称号を持ちながら日本書紀に記述がないことが謎とされてきたが、理由は簡単である。彼は倭国の人であり日本国の人ではなかったから、名前や業績が日本国の歴史書に記されることはなかったのである。
(注1)3世紀の(同時代史)『三国志』魏志倭人伝には、魏の使者がやって来て面会した卑弥呼の統治した国は、〈邪馬壹国〉とある。〈邪馬台国〉の表記は、5世紀に作られた『後漢書』に出てくる。それを江戸時代元禄期の学者が「古来政治の中心は大和にあった」としてヤマトと読めそうな後者を是とした。それが現在まで続いている。
(注2)この「国書」は、中国の歴史書『隋書』に出てくる。自国の歴史ではないので日本書紀には記述がない。推古紀では外交相手国は〈唐〉とあり、〈隋〉ではない。「多数の侍女を従えた妻がいる」とあり、アマ・タリシホコは男性である。推古王権ナンバー2(摂政)の厩戸王(聖徳太子)が女王に替わって〈天子〉を詐称して国書を出すなどということは、外交上あり得ない。倭国内には阿蘇山がある。
東アジアに非核・平和を
米朝戦争防ぐ努力が必要
3月6日 東京
3月6日、東京で「戦争させない 東アジアに非核・平和を! 3・6集会」が開かれた(写真左)。主催は、戦争させない・9条壊すな! 総がかり行動実行委員会。
集会は、東京大学名誉教授の和田春樹さん、軍事評論家の前田哲男さん、〈基地・軍隊を許さない行動する女たちの会〉の高里鈴代さんによる三つの講演をメインに進められた。
9条を押し立てて
和田さんは、米朝の軍事的緊張が危機的なまでに高まっていることを明らかにした上で、最後に「平和憲法を守るという人は米朝戦争を防ぐために必死の努力を払わなければならないということです」と提起した。「戦争になれば、必ず自衛隊が参加します。そして、本格的な軍隊になっていく。安倍さんはそれをも見通しているのではないか?一方で、9条3項に自衛隊を明記するという。これは欺瞞です。すべての選択肢があるという米国の立場を100%支持するという首相の発言は明らかな憲法違反です」「私たちは憲法9条を押し立てて、…政府の行為によって戦争が起こらないようにするという責任があります」と講演を結んだ。
対処力とは
前田さんは、安倍政権によって、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)敵視政策が一貫して強化されてきたことを暴露した上で次のように語った。「政府は、戦争法(安保法制)について130時間も審議したといっていますが、11本の法律をいっしょにしたいわゆるまとめ法案です。自衛隊法の改正には、実に19もの新設条項があります。これだけで一つ、二つの国会審議が必要な問題です」「来年度防衛予算で導入することになる巡航ミサイル・イージスアショア。こうしたものはいつでも専守防衛を放棄するシステムとして使用できる、そういう段階になっています」「安倍首相も小野寺防衛相も、抑止力・対処力という言葉を盛んに使います。対処力というのは抑止が効かなくなった場合、戦争するということです。このような段階にきていることを十分にわきまえながらこれからの国会審議を見守っていきたいと思います」と語った。
高里鈴代さんは、「昨年11月6日にトランプが来日しました。(辺野古では)その日からそれまで100台前後だったダンプカーの数が160台に増え、今は330台です」「数年前に、アメリカの労組の代表が辺野古に来ました。そして、昨年、辺野古のたたかいへの連帯決議を上げてくれました」「今、宮古や八重山に自衛隊の配備が始まっています…『抑止力』のために、沖縄本島のみならず、先島にまで拡大しています」「…辺野古には、埋め立て地に巨大な活断層があることが明らかになってきました。九州や四国の人たちが埋め立てる土砂を送らせないという運動を展開しています」「沖縄・辺野古のたたかいは、戦争に向かおうとする流れに立ちはだかっているたたかいです。ともにがんばっていきましょう」と連帯を呼びかけた。(藤崎博)
8面
沖縄から見た日米地位協定
幅広い運動で改定は可能
「沖縄から見た日米地位協定―その現状と問題点を探る」をテーマにした公開学習会が、3月20日、大阪弁護士会館で開かれ70人が参加した。主催は司法改革大阪各界懇談会(カクカイコン)。
講師の高木吉朗弁護士は、2014年、大阪弁護士会から沖縄弁護士会へ移籍。現在は沖縄弁護士会の憲法委員会委員長を務めている。嘉手納基地爆音差止訴訟、普天間基地爆音差止訴訟、高江ヘリパッド建設差止訴訟の弁護団として活躍している。
高木弁護士の話は以下の通り。
重大事故はなぜ続く
沖縄では米軍機の墜落事故や落下事故が頻発している。昨年12月の普天間第二小学校の校庭に米軍ヘリの窓枠が落下した。当時、多数の児童が校庭に出ていた。落下地点から10メートルほど離れたところにいた児童が、衝撃で飛ばされた小石にあたって軽いケガをした。まかり間違えば児童の頭上に落下する危険があった。
復帰前の1959年に、宮森小学校に米軍のジェット機が墜落した。この事故で児童11人を含む17人が死亡し、121人の重軽傷者が出た。沖縄ではこのような悲惨な事件や事故が頻発しており、現在も続いている。
なぜ事件、事故が後を絶たないのか。その原因は日米地位協定にある。
地位協定によって、米軍は日本中どこでも、いつでも自由に軍事行動ができる。
米軍基地の管轄権が米軍にあるため、日本側が基地への立ち入り調査をするには米軍の許可が必要になる。海外の米軍基地では受け入れ国が管轄権を有している例もある。
米兵犯罪にたいする第1次裁判権が、特例を除いて米側にある。第1次裁判権が日本側に認められた場合でも、米軍は被疑者を日本側に引き渡す必要はない。そのため、犯行に及んだ米兵が基地に逃げ込んで、そのまま本国に帰国するということが度々起こっている。
基地内では米軍の同意がなければ、日本側は警察権を行使できない。たとえ基地の外でも、米軍の財産については日本側に捜査や押収の権限がない。だから基地の外で米軍機が墜落しても、日本の警察は現場に立ち入ることができない。
日米合同委員会
安保条約や地域協定の細則や運用の実務は日本政府と米軍で構成される日米合同委員会でおこなわれる。これは日米間で協議する場ではなく、米軍の意向を日本側が確認する場にすぎない。非公開の密室協議で米軍の要求はほとんど通る。
安保条約や地位協定の条文規定にかんして核心的な問題は、このように不平等で問題が重大な条文の改定交渉をしようとしないどころか、積極的に容認している日本政府の従属的な姿勢にある。ドイツやイタリアなどでは地位協定を改定させている。またタイ、イラク、プエルトリコ、パナマなどでは政府の強い姿勢と住民の広範なたたかいで、米軍基地を撤去させている。
日本では安保体制の矛盾が差別的に集中している沖縄を除く地域では、ほとんど地位協定の改定を要求する声があがっていない。しかし、安保体制の下でも地位協定の改定は十分に可能だ。諸外国の事例を参考に、安保を容認する人たちも含めて、地位協定改定を要求する運動を巻き起こし、政府を突き動かしていく必要がある。
高木弁護士による「安保を容認する人たちも含めた広範な地位協定改定要求運動」の提起は、これから日米安保体制を打ち破っていく上で、現実的な道を示すものであった。(武島徹雄)
辺野古埋め立て即時中止を
第9期 沖縄意見広告運動
沖縄辺野古新基地建設は稲嶺名護市政・翁長沖縄県政を倒さんと強権的に進められてきた。稲嶺名護市政は、基地建設反対でも一般行政策でも多くの成果を上げてきたが、安倍政権は基地問題を争点にさせない戦術を駆使し、稲嶺さんの三選勝利はならなかった。しかしそれでは辺野古新基地建設反対の民意は転覆できたのか。決してそうではない。
今はまた反対運動を解体するために、大浦湾の深い所の工事を後回しにし、陸上から見える範囲で護岸建設の工事を強行し、その後、埋め立て強行で既成事実感を与え、11月県知事選で翁長県政を転覆することに全力をあげてきている。
第9期の沖縄意見広告運動は1万5千人の賛同を目標に、6月3日全国紙・沖縄2紙への意見広告掲載に向け最終段階に突入している。辺野古新基地建設反対の全国キャラバンも1月から沖縄を起点に開始され、九州・中国・四国、さらには東海・北陸・関東へ展開され、各地の労働組合を訪ね沖縄連帯の輪を広げている。大手労組はともかく、各地での沖縄連帯の行動は決して衰えているわけではない。もっと意識的に、沖縄現地でのたたかいと全国各地の運動を結び付け、また広範な世論喚起を系統的・重層的に展開することが求められている。安倍政権は森友・加計疑獄で3度追い詰められたように決して盤石ではない。安倍政権はその危機の突破を、辺野古新基地建設・翁長県政打倒で人民の運動に無力感を与えることに求めているのだ。だとするならアベ政治の終息を願う人びとは、今こそ沖縄のたたかいに連帯を示そう。
「第9期沖縄意見広告運動」の成功のため、ご協力をお願いします。
〈郵便振替〉
口座記号番号:00920ー3ー281870
加入者名:意見広告
個人1口1000円 団体1口5000円(できれば2口から)
沖縄、ハンセン病 弱者への共感
奥間正則さん 土木技術者の反基地闘争
3月16日、大阪市内で関西・沖縄戦を考える会の講演会が開かれ50人が参加した。「沖縄戦とハンセン病―私が辺野古・高江にかかわった経緯―」をテーマに、奥間正則さんが講演した。土木技術者の奥間さんは現在、自営業のかたわら、辺野古や高江の米軍基地建設現場に毎日通い、監視と調査を続けている。「土建屋」としての専門的な見地から、ずさんな工事の実態や計画を指摘し、全国を回って訴えている。
奥間さんは最初に、4月23日から28日にかけておこなわれる辺野古ゲート前連続6日間500人集中行動と4月25日の辺野古・大浦湾海上大行動への参加を呼びかけた。海上大行動はカヌー100艇を目標にしている。
奥間さんの講演要旨は以下の通り。
2015年5月、知人に誘われて辺野古新基地建設反対の県民大会に参加したのが、反対運動にかかわるようになったきっかけ。県民の声を無視して基地建設を進める政府の態度に憤りを感じた。かつて私はキャンプハンセンで工事をしたこともあった。当時は「仕事のため」と割り切っていた。だから土砂を運搬するダンプの運転手たちの気持ちがわからないでもない。しかし、それは「間違っている」ということに気付いた。
差別に苦しんだ父
私が運動にかかわる原点は、国策によって差別され抹殺される弱者への共感だ。私の両親はハンセン病だった。ハンセン病患者同士の結婚では断種や堕胎が強制され、大勢の子どもたちが合法的に殺されていた。そうした差別がまかり通っているなかで、全国で唯一、断種・堕胎をおこなわなかった奄美大島の和光園で私は生まれた。
両親は生前、ハンセン病患者だと話すことは一切なかった。酒に溺れ、母親や私に手をあげる父親をずっと憎んでいた。施設の証言集をよんで、父がハンセン病を理由に仕事を干されるなど、差別に苦しんでいたことがわかった。そこまで40年かかった。そして、暴力をふるう父を憎んでいた自分が情けなかった。
安倍首相のいう「美しい国、日本」はこのような差別をおこなっている。社会的弱者にしわ寄せが来るのは、沖縄の米軍基地問題でも同じだ。国策で基地を私たちに押しつけている。ハンセン病、障がい者、基地、部落、民族問題など国によってさまざまな差別が巧妙につくり出され、根深く人びとの心に浸透している。差別がなくならなければ、戦争はなくならない。それに気付かせてくれたのも父の手紙だった。
ずさんな工事の実態
高江のヘリパッド建設では5億円の工事に100億円もかけている。法令違反のずさんな工事を進めて「完成」させたが、豪雨でヘリパッドの地盤が崩落している。そうなることは専門家として十分予測できた。
辺野古では巨大ケーソンによる海底地盤の破壊や沈下の問題がある。深海部分の工事の設計変更にかんしては知事の権限がある。特に活断層の存在をあきらかすることは埋め立て工事承認撤回の十分な根拠になりうる。
安倍は憲法に「緊急事態条項」を盛り込もうとしている。これが通ったら、政府は「沖縄の軍事施設が北朝鮮からねらわれている。基地をもっと強化して備えるべきだ」とあおり立てるだろう。そうなったら、辺野古の住民の人権や反対運動や知事の権限などはすべて無視され、簡単に基地が造られてしまうだろう。しかしたとえ憲法が改悪されても私たち沖縄の人間は決してあきらめない。
以上、奥間さんの講演は「運動をしながら学び、調査する」「専門的な知見に踏まえた説得力のある暴露」「組織の方針を待つのではなく、一人一人が主体的に考え、論議し、自分たちで方針を形成して実行する」といったことの大切さをあらためて認識した。(島袋純二)