名護市長選
あきらめない 基地は止める
沖縄の未来へ 決意新たに
4日、投開票がおこなわれた沖縄県名護市長選挙は、辺野古新基地建設反対を訴え、3選をめざした稲嶺進さんが、善戦およばず落選するというきびしい結果となった。安倍政権は、稲嶺さんの3選を阻止するために、すさまじい物量を投入してこの選挙戦に臨んだ。名護市民はこれを全力で迎え撃った。敗れたとはいえ、たたかいは決して終わっていない。
名護市長選の告示日、宣伝カーから決意表明する稲嶺進さん(左から2人目)と応援にかけつけた翁長雄志沖縄県知事(右から2人目)=1月28日 名護市内 |
2月4日、午後10時30分頃、名護市長選挙の結果が明らかになった。稲嶺進候補は健闘むなしく涙をのんだ。稲嶺陣営の選挙事務所に沈痛な空気が流れるなか、稲嶺進前市長が発言に立った。稲嶺さんは、「新基地はまだ止めることができる。みなさん、諦める必要はない」と力強く述べた。事務所にあつまった市民のなかから大きな拍手がわき起った。
異例の締め付け
今回の名護市長選では、警察や選管による異様な選挙活動への締め付けがおこなわれた。
稲嶺陣営は昨年12月18日に、事務所開きをおこない、年末年始は朝立ち、夕立をおこない街頭で手を振って支持を訴えた。市長選の勝手連「稲嶺進と共にススム会」も、名護市の中心地に事務所を構えた。
年が明けた1月9日、稲嶺陣営が朝立ちをしていると公安刑事2人が、「稲嶺ススムと書かれたのぼりは選挙違反だ」と言って妨害をはじめた。前回の市長選や先の衆議院選挙では、名前入りのノボリが問題になることなどなかった。これを「選挙違反」とするのは沖縄では初めて。
その後、選管がやって来て「違反項目」を並べ立てていった。顔写真、似顔絵などを張り出すことも禁止。これまでの沖縄の選挙ではなかった異例づくしのことだ。陣営ではノボリの名前を隠し、スローガンノボリを作り街頭に立った。
この日、稲嶺さんは政策発表をおこない、市内3カ所で街頭演説にたった。翁長雄志沖縄県知事も同行して応援演説。稲嶺さんは「市民の審判で新基地建設を阻止する」と訴えた。また、対立予定候補である渡具知市議が辺野古新基地建設について「国と県の裁判を注視したい」として態度表明をしないことをきびしく批判した。渡具知陣営は「辺野古はNG。辺野古の『へ』の字も出すな」と運動員に徹底させていた。
1月23日の夕方、名護市内で開かれた「稲嶺ススム市長必勝総決起大会」には県内外から3850人が参加。翁長雄志知事、オール沖縄から南城市の新市長に当選した瑞慶覧長敏氏の登壇には大きな拍手がわき起こった。1月28日の市長選出発式には1000人以上が参加。「ススム」コールに迎えられた稲嶺さんが元気に登壇し必勝への決意を述べた。
この日から、勝手連にも県内外から多くの人が駆けつけて選挙の応援に入った。朝立ち、昼立ち、夕立ちや練り歩きに参加。ところが今回は、銀輪隊が「道路交通法に違反する」という理由で禁止された。これも今回の選挙からのことで、露骨な選挙活動の妨害だ。そうなると勝手連の行動も限られるが、創意工夫をこらして応援をおこなった。
選挙戦最終日3日の打ち上げ式は、午後5時半より名護市中心部の交差点でおこなわれ、3000人が参加。
選挙期間中も辺野古新基地の工事は進められたが、キャンプシュワブ・ゲート前のたたかいは続けられた。選挙運動に人手が取られるなか、懸命のたたかいによって工事を遅らせた。海上においても、少人数ながら連日抗議船とカヌー部隊がたたかい抜いた。(杉山)
闘い続けることが勝利の道
関実旗開きで萩原富夫さん
2月4日
反対同盟の歌を合唱する参加者たち(4日 神戸市内) |
4日、神戸市内で三里塚決戦勝利関西実行委員会の旗開きがおこなわれ、60人が参加した。
主催者あいさつは、山本善偉世話人。山本さんは97歳になるがますます元気だ。連帯のあいさつは、若狭の原発を考える会の木原壯林さん、全日建運輸連帯労組の西山直洋さん、部落解放同盟全国連合会の池本秀美さん。シンガーソングライターの川口真由美さんは、「沖縄今こそ起ち上がろう」「ケ・サラ」を熱唱した。
三里塚芝山連合空港反対同盟の萩原富夫さんは、「強制執行を目前にしてどうたたかうのか。成田空港に反対する闘争が今も続いており、農地を奪われようとする農民がいることを広く地道に訴えていく。これしかないと思う。今日参加している方のなかには、現地に来ていただいてそれからつき合いが始まった方がたくさんおられる。かつてのたたかいで得た勝利によって権利が守られ、たたかい続けることでいろんな人に勇気を与える存在になっていると思う。私たちはあくまで三里塚にとどまり、空港建設という農地破壊に福島や沖縄と連帯してたたかう」と決意を語った。
3月4日には、成田空港第3滑走路建設に反対する芝山町現地闘争がおこなわれる。8日、千葉地裁で開かれる市東さんの農地裁判・請求異議裁判は強制執行を阻む正念場となる裁判だ。4月1日の全国総決起集会は成田市栗山公園(旧市営グラウンド)で開催が決定した。市東さんの農地を守るため、総決起しよう。(安芸一夫)
許さぬ 相次ぐ米軍機事故
大阪米領事館に怒りのデモ
1月29日
沖縄で続く米軍事故に抗議し、米領事館へデモ(1月29日 大阪市内) |
1月29日夜、大阪市内の中之島公園水上ステージで「ええ加減にせよ 米軍事故!」抗議行動がおこなわれた。〈ストップ! 辺野古新基地建設! 大阪アクション〉が主催し、非常に寒いなかで緊急の呼びかけだったが83人が参加した。沖縄では米軍機の事故が頻発している。1月23日には、渡名喜村の村営ヘリポートにAH1攻撃ヘリが不時着した。
集会は全港湾大阪支部・陣内恒治さんの司会で始まり、冒頭、全員で「ここへ座り込め」を歌った。続いて〈ジュゴン保護キャンペーンセンター〉松島洋介さんが、名護市長選挙の報告を、さらに〈辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動〉阿部さんが、昨年12月におこなわれた「障がい者辺野古のつどい」の様子を報告。最後に主催者を代表して西浜楢和さんが、あいつぐ米軍事故を弾劾するアピールをした。
集会後、ただちに大阪駅前第2ビルまでデモ行進した。途中、アメリカ領事館前では警察官による規制をはねのけ断固たる怒りのシュプレヒコールをたたきつけ、「米軍事故弾劾」、「沖縄とともに立ち上がろう」と呼びかけた。
2面
焦点
戦争と貧困をまき散らすトランプ政権
米大統領一般教書演説を批判する
剣持 勇
排外主義とポピュリズム
昨年の発足時から「異形の政権」と言われたトランプ政権は、排外主義とデマゴギー的ポピュリズムを振りまいて1年がたった。バノンら極右やロシア疑惑を直撃された多くの幹部が政権を去った。選挙時の公約で実現したのは15%にも満たない。移民政策やパリ協定離脱には、連邦裁判所をはじめ、多くの州や企業さえ反旗を翻し始めた。
1月30日の一般教書演説の会場には、民主党の議員が10人以上欠席し、トランプ大統領の人種差別発言やセクシャル・ハラスメント疑惑に多くの議員が抗議し、黒い衣服やガーナの民族衣装ケンテ(独立の象徴)を着用し、あるいは「Me too」運動のバッチを着けた。トランプ大統領が「偉大な米国のための団結」を呼びかけるたびにブーイングが飛んだ。
演説では、「我々は国民を生活保護から労働へ、依存から自立へ、貧困から繁栄へと引き上げることができる」と、露骨な新自由主義の言辞をちりばめる一方で、空疎な美辞麗句による米国賛美を繰り返した。同時に、信仰・家族を賛美するという危険でアクロバット的なポピュリズムを満開させた。
デマと破産の経済政策
冒頭から、「失業率が劇的に改善し、240万人の新規雇用を生み出した」と強調した。賃金の上昇や中小企業の景況感の高さも謳いあげた。サンダース上院議員によると、これはまったくのデマで、トランプ大統領就任後の11カ月で約25万人雇用が減少し、賃上げも時給4セント(約4・37円)に過ぎないという。ただし安倍首相の今国会施政方針演説と比べると、雇用・賃金・中小企業などを冒頭に出してデマを振りまくところが巧みである。安倍首相の場合は、「働き方改革(実際は「働かせ方改革」)「人づくり革命」「生産性革命」と労働者人民の利益にならないことを厚顔に押し出すだけであった。
最大のデマが、「減税政策」である。中間層に最大の利益を生む税制改革であると強調するが、実際は、「わずか1%の富裕層が83%の利益を得て、9200万人の中間層が10年後には増税になる」(サンダース)、「約30年ぶりの金持ちと企業優遇の大減税」(会田弘継青山学院大学教授)である。しかもこの減税政策に紛れ込ませてオバマケア廃止を執拗に追求してきた。議会予算局の試算でもこれにより連邦政府の赤字が4730億ドル(約53兆円)減少するが、他方で無保険者が3200万人増えるという。貧困層を直撃する措置である。
核軍事力強化一辺倒
「力による平和」路線は次の表現に表れている。「弱さは紛争に向かう最も確実な道であり、比類なき強さこそ、最も確実な防衛手段だ」。
これは、次のような軍事力強化に帰結する。「私は国防費の危険な強制削減をやめ、我々の偉大な軍隊を十分な財政で支えるように議会に求めたい」。
トランプ戦略とは世界中に「敵」を見つけ出すものである。「ならず者政権やテロ組織」、「我々の国益や経済、価値観に挑む中国やロシアなどのライバル」などを数え上げている。そして国防政策の優先順位を次の点におく。
@ 核兵器の「近代化」
A イスラム過激派組織「イスラム国の掃討」、そのために、「テロリストを海外でも拘束する」方針と、グアンタナモ収容所の維持
B エルサレムをイスラエルの首都とする
C イラン核合意の見直し
D 対北朝鮮政策(後述)
第1に挙げた核兵器「近代化」をさっそく具体化して、2月2日、米政権は、「核態勢見直し」(NPR)を発表した。使い勝手の良い「小型核兵器」の開発を推し進め(核兵器の数を10倍にするという)、「敵対国に核兵器を先制使用する」、さらに、核兵器を使用するハードルも一気に下げ、通常兵器やサイバー攻撃にも核兵器で報復するという。トランプ大統領は、核兵器を使うことにためらいを持たない、世界で一番困った人物である。この米新核政策について、「高く評価する」(河野外相談話)と、世界で唯一賛成し、協力を誓っているのが安倍政権である
トランプ政権の軍事外交方針では、戦争に行きつくしかない。「ライバル」と規定した中国との関係では「貿易戦争」を強化しようとしているが、これによって打撃をこうむるのは、サプライチェーンを断ち切られる米製造業と米労働者人民である。大統領選挙時のアフガニスタン即時撤退の公約を破棄して、約4千人を増派したが、タリバンやイスラム国の攻勢が激化している。シリアでは、戦闘も和解もロシアやトルコのヘゲモニーで進展しており、米政権などが援助する自由シリア軍は風前の灯火となっている。
演説全体のなかでかなりの部分をとって触れた朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)にたいする政策については、「核」の脅威を叫び、金正恩政権の「非人道性」を強調するだけで、戦争以外に「打つ手なし」の状態を示している。ただひたすら「(米の)過去の政権の過ちを繰り返さない」とか、「譲歩しない」などと居丈高な言葉を踊らせている。
醜悪極まりない移民政策
移民政策では、トランプ政権はもっとも激しい社会的対立をつくり出している。今回の演説でも全体の3分の1から4分の1のスペースをとって、排外主義的感情を煽りたてた。トランプ大統領が移民規制の理由として挙げるのは、
@ 「麻薬やギャングがなだれ込んできている」という点では、具体的根拠は何も挙げていない。
A 「何百万もの低賃金労働者が、最も貧しい米国人から雇用や賃金を奪った」という点(米国が新植民地諸国で過酷な抑圧と搾取をしている点を見よ)の2点である。伝統的な排外主義の論理を鼓吹するものである。
トランプ大統領が今回打ち出した移民政策は、「若年齢で親に連れられて米国に来た180万人の『不法移民』に市民権を与える」ことと引き換えに、「国境の安全を保障すること」、具体的には「南部の国境に偉大な壁を建設すること」である。民主党を抱き込むためのとんでもない「妥協策」である。
新たに市民権を与える対象者は、12年間「倫理的に善良であると認められなければならない」とする。倫理的「素行」を監視し、点検するには強権的なやり方しかないだろう。
また他の措置として、技能や実績のない者へのビザ発給を終わらせ、「移民の連鎖」を断ち切るために、移民血縁者の受け入れを拒否する、の2点を挙げている。この「新政策」には米国内部からも真剣な批判の声があがっている。
「彼(トランプ大統領)がやっていることは、移民をいけにえにしてわれわれのコミュニティーを分断する侮辱的な取組だ」(全米移民法律センターNILC)。
「働き方改革」にノー!
過労死の合法化許さない
1月22日 大阪
通常国会開会日の1月22日、「『働き方改革』にNO!“まともな働き方”を求める1・22集会」が大阪市内で開かれ、140人以上が参加した。主催は大阪労働者弁護団、民主法律協会など法曹8団体。安倍政権による労働法制の改悪に反対する陣形の時宜を得た取み組みだった(写真)。
集会は講演「『働き方改革』にどう立ち向かうか」(野田進九州大学名誉教授)、情勢報告(岡田俊宏日本労働弁護団事務局長)、大阪過労死家族の会代表、全港湾大阪支部、ケアワーカーズユニオンによる現場報告とシンポジウムなどで構成。
野田さんは時間外労働の上限を月100時間とした一括法案の問題点を指摘し、「労働・雇用政策ではなく経済成長政策原理が問題だ」「生活時間の発想を基盤にインターバル規制とアクセス遮断権でたち向おう」と提案した。「インターバル規制」とは終業と始業の間隔を西欧並みに11時間確保すること。「アクセス遮断権」とは終業後は会社からの連絡などを遮断する権利のことだ。
過労死で夫(49)をなくした小池江利さんは「過労死は当人だけでなく家族と生活を破壊します。家族を安心して職場に送り出せる職場を」「過労死を合法化する法案に断固反対です」と訴えた。大阪選出の国会議員からも反対のメッセージが寄せられた。最後に「働き方改革推進法案要綱のまやかしを見極め、働く者の尊厳が実現されるまともな働き方の実現を求め、協力・協同して奮闘する」という集会アピールを参加者全員で採択した。
【解説】安倍首相は1月22日の施政方針演説で今国会を「働き方改革国会」と位置づけた。安倍政権による労働法制改悪攻撃は改憲の発議と並んで、今年の重大な政治的焦点となる。この攻撃にたいして、ナショナルセンターの壁をこえた協同の取組みが始まったことは重要である。
昨年3月発表された「働き方改革実行計画」では「同一労働同一賃金の実現」などといわれているが、これは完全なまやかしである。「働き方改革一括法案」は8つの労働法改悪案が含まれており、戦後最大級の労働法制改悪である。「労働者保護」を根幹とする労働法制が破壊されようとしている。昨年9月15日、労働政策審議会が「法律案要綱」を「おおむね妥当」として厚労相に答申、今年3月にも法案作成・閣議決定・国会上程というスケジュールが予定されている。
とくに大きな問題として「労働契約法20条」を削除した改正「パート・有期法」による差別処遇合法化、改正雇用対策法で「雇用対策」を「労働施策」に変え、「労働生産性向上」に目的変更して、「非雇用労働」を拡大しようとしていることなどがあげられる。そうなると「日本の労働の風景」が一変する。
大量の低賃金労働者をうみだし、働く者の生命、健康、生活は19世紀の労働者のような危険な状態に陥ることになる。この情勢に対応し、法案の全面批判、たたかう方針確立のために、本紙を使った活発な討論を呼びかける。(森川数馬)
3面
投稿
共闘、交流の大切さを痛感
関西合同労組が春闘集会
1月21日
30年にわたる地域労働組合・武庫川ユニオンの成果と課題を話す小西純一郎さん(中央) |
関西合同労働組合の2018年「旗開き・春闘集会」に参加しました(1月21日、兵庫県西宮市内)。
講演は、武庫川ユニオン書記長の小西純一郎さん。関西合同労組・佐々木副委員長の挨拶の後、小西さんから『ユニオン運動の成長と課題〜武庫川ユニオン30年の歩みから』と題して話がありました。小西さんは、地区労運動から、1988年の武庫川ユニオンの結成、パート労働者や外国人労働者の労働相談、阪神大震災と被災労働者ユニオンの結成、雇用保険遡及加入のたたかい、尼崎市役所分会の争議と成果・教訓、ユニオン30年の成果と課題などを振り返った、1時間ほどの話でした。
尼崎市役所分会のたたかいを「気合だ! 行くんだ!」と決断したことや、1カ月間にわたる市庁舎前テントでの座り込み、炊き出しは「解放的なたたかいだった」と、楽しい思い出のように話したのが印象的でした。冬場のことで雪が舞い降り寒くて震えていたとき、「関西合同労組の人が発電機を持ってきてくれたのは、本当にうれしかった」と話しました。
そのたたかいが「公共調達基本条例の制定」などにつなげることになったとも。武庫川ユニオンの「先輩ユニオン」としてのたたかいの展開やその教訓は、参加した関西合同労組の組合員にとって興味深く、大いに参考になりました。
前段で関西合同労組石田勝啓委員長が18春闘めぐる情勢報告。石田委員長はユニオンとして、@働き方改革推進法反対のたたかい、A憲法9条改悪阻止のたたかいの重要さを強調して提起しました。
春闘スローガンと考え方について宮崎執行委員、春闘統一要求書の提起と説明を佐々木副委員長、春闘方針・スケジュールについて蒲牟田書記長から提起がありました。交流会・討論ではフクオカ、大豊運輸倉庫、細見鉄工などの分会から報告があり、活発な討論がおこなわれました。
最後に「働き方改革推進法を廃案に!」「憲法9条改悪に反対する」「沖縄名護市長選・知事選の必勝を期する」との3決議案を採択しました。
終了後、場所を移動し小西さんを囲んで懇親会がにぎやかにおこなわれました。他の労組の苦闘話は刺激的でした。あらためて、たたかう労働組合の共闘、交流の大切さを学びました。働く仲間は、18春闘を地域市民とともに、元気良く、粘り強くたたかい前進を勝ちとろう。(藤川)
生活保護
願いはふつうに暮らすこと
基準引き下げに緊急抗議
1月25日、生活保護基準引き下げに抗議し「願いはふつうに暮らすこと 〜なのに、また生活保護基準引き下げ!?」と題する緊急集会が大阪市内で開かれ、100人超が参加した(写真左)。
基調講演をおこなった吉永純・花園大学教授は、相次ぐ保護基準引き下げにたいして「血も涙もないもの」と表現。
生活保護基準は社会保障の「岩盤」という性格を持つゆえにこれまでけっして引き下げられることはなかった。しかし、2012年、自民党が政権に復帰してからは生活保護にたいする攻撃が激しくなった。13年8月、最大10%の保護基準の引き下げが強行され、15年には住宅扶助基準が大幅に引き下げられ、さらに寒冷地での灯油などのための冬期加算も引き下げられた。あまりのひどい引き下げに全国で1千人近い生活保護利用者が原告となって保護基準引き下げ違憲訴訟が開始された。
そのうえ、違憲訴訟がたたかわれているただなかの昨年12月、それをあざわらうかのように、さらに最大5%の引下げが発表された。40代の夫婦と中学生と小学生の場合、13年の削減前と比較すると今回の引下げによって実に2万4040円/月も引き下げられる。40代の母親と中学生と小学生の母子世帯の場合、2万130円/月も引き下げられるのである。こういう貧困世帯から2万円を超える減額をおこなったらどうなるのか。厚労省はそのことを自覚したうえでしているのである。
当事者のリレートークを母子家庭の母親、就学援助世帯の方、単身高齢者の方や女子高生などがおこなった。女子高生の話は衝撃的だった。親が離婚して母子家庭となったが生活保護を受けられず、派遣で働きづめた母親が寝込んでしまい、ご飯を食べられない生活が続き、学校からは家で虐待を受けているのではないかと疑われたこと、義務教育とは名ばかりでわずかな期間しか受けられなかったことなどが報告された。しかし、アルバイトで頑張り、この春、ある大学についに入学を決めた。それでも、奨学金が返せるのかという不安にさいなまれているという。まさに今の貧困の縮図を見る思いだった。
方針提起をおこなった小久保哲郎弁護士は保護基準引き下げにたいしておこなった緊急ホットラインでは相談の電話は鳴りやまなかったが、潮目が変わったのではないかということも報告した。従来なら生活保護基準を下げてなにが悪いというバッシングの電話が多くあったが、今回はそういう電話はなく、逆に生活保護利用者を守る立場からの電話が多かったという。国の残忍な引き下げにたいし反撃していく要素が出てきているのかもしれない。(矢田 肇)
市民アクション
滋賀で発足集会
2月3日
2月3日、大津市内で「安倍9条改憲NO! 市民アクション滋賀」発足集会が開かれ300人が集まった(写真)。市民アクション滋賀は、安倍9条改憲NO! 全国市民アクションに呼応し滋賀で30万署名を実現するために井戸謙一弁護士や武村正義元滋賀県知事をはじめ14人の呼びかけ人よって発足。
集会では、主催者あいさつを呼びかけ人を代表して井戸弁護士が、記念講演は「改めて憲法を考える―改憲を阻止するために」と題して伊藤真さんがおこなった。閉会のあいさつを1000人委員会の仲尾宏さんがおこない、参加者は滋賀県内で署名30万筆を集めるために行動しようと確認した。
近畿連絡会が旗開き
米軍レーダー基地撤去へ
2月4日
4日、米軍Xバンドレーダー基地反対京都連絡会の総会と近畿連絡会の旗開きが京都府部落解放センター(京都市北区)でひらかれ70人が参加した。京都連絡会の総会は今年で第4回を迎える。総括・方針について討議、採決と会計報告、予算案、役員選出などがおこなわれた。
近畿連絡会の旗開きの冒頭、代表世話人の大湾宗則さんがあいさつ(写真)。京都連絡会共同代表の仲尾宏さんの音頭で乾杯した後、昨年1年間のたたかいの記録映像を上映。つづいて〈米軍基地建設を憂う宇川有志の会〉永井友昭さんからのメッセージが紹介された。〈若狭の原発を考える会〉木原壯林さんが連帯のあいさつ。〈No Base! 沖縄とつながる京都の会〉共同代表の川口真由美さんの歌と演奏で盛り上がった。後半には、近畿連絡会の各府県から、あいさつがあり、最後に代表世話人の服部良一さんが発言した。近畿連絡会は今年も京丹後の米軍基地撤去に向けて共にがんばろうと確認した。
4面
愛媛県八幡浜市
伊方原発再稼働に反対して
住民投票運動の教訓語る
八木健彦さん |
1月29日、第19回世直し研究会が大阪市内でひらかれ、八木健彦さん(伊方の家)が講演した。八木さんは、四国電力・伊方原発3号機再稼働(2016年8月)に反対し、伊方原発30キロ圏内に位置する愛媛県八幡浜市における住民投票のための署名運動で奮闘した。講演内容は、安倍9条改憲を阻止する運動を創り出そうとする人々にとっても教訓に富む内容だった。以下、その要旨を紹介する。
1970年頃、八幡浜市は紡績、金属関係の大工場、トロール遠洋漁業の基地、みかん栽培を主産業にして、人口6万を擁して商業地域が発達していた。今日では、大工場は海外移転し、遠洋漁業は衰退し、人口は3万8000人(有権者3万人)に減っている。
伊方原発1号機建設に際しては、八幡浜地域は地区労を軸として反対運動が強かった。しかし、原発建設の既成事実が積み重なるとともに、圧倒的多数の八幡浜市民にとって「伊方原発は(自分たちとは関係がない)伊方町の問題」となっていた。それが福島第一原発事故によって「自分たちの問題」、「八幡浜市民の問題」になった。
こういう事情から、八幡浜市が30キロ圏地元同意をめぐる攻防の中心になることは、われわれにとっても明白だった。14年から、市民は伊方原発の再稼働に反対する運動を開始した。このとき大飯原発差し止め訴訟の樋口判決(14年5月)は、住民に大きな衝撃と勇気をあたえた。
15年9月2日、市長はいち早く再稼働容認を表明した。川内原発再稼働(15年8月)に際して、政府は30キロ圏自治体の避難計画援助と称して、経産省職員5人を内閣府職員として派遣していた。中央官僚が住民説明会を仕切り、首長を統制するためだ。伊方原発の再稼働においても、国は経産省職員を30キロ圏自治体に派遣していた。
住民投票の署名期間は、11月2日から1カ月間に設定された。最終的に受任者は150人、署名は目標の1万筆に達した。16年1月30日に臨時市議会が開催された。しかし、住民投票請求は、市議会において6対9で否決された。
みかん農家は圧倒的に再稼働に反対だった。農民には事故が起きたら自分たちは捨てられるという不安と危機感があった。江戸時代からみかんを栽培してきた地域の誇りと、これが放射能汚染で壊滅し、過去と未来が奪われ、生活の糧、地域の誇り・歴史・文化が根こそぎ奪われる。このことは絶対に許せないという思いが強かった。今となっては、署名期間がみかん農家の繁忙期と重なってしまったのが悔やまれる。
労働組合は自治労が大きな組織としてあったが、この住民投票運動には直接かかわらなかった。われわれが個別訪問をして署名を集める以外になかった。この時、市議会議員の存在は大きな影響力をもった。また、原発問題を学習するために、『日本と原発』(河合弘之監督)を可能な限り上映した。結果的に住民投票は実現しなかったが、原発立地周辺部において住民の主体的な決起による大衆運動を作り上げることができた。市民の約70%は再稼働に反対であった。
署名に賛成することは、現市政の打倒を要求するものであった。課題は住民の主体的な決起をどのようにして地域の権力・社会構造を変革する運動に結びつけていけるかだ。(津田)
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稼働停止、廃炉を求める
伊方広島裁判で意見陳述
広島県内の被爆者をはじめ41人が、四国電力伊方原発(愛媛県伊方町)の運転差し止めを求めて追加提訴した伊方原発運転差止広島裁判の本訴の口頭弁論が1月31日、広島地裁でありました。
口頭弁論に先立って広島弁護士会館に集まった原告団・応援団、弁護団・第4陣原告のみなさんは、「被爆地ヒロシマが被曝を拒否する」「過去は変えられないが未来は変えられる」と書かれた横断幕を先頭に広島地裁へ「乗り込み行進」(写真上)。地裁法廷に入ると原告、応援団、報道陣で傍聴席は一杯です。
3人の裁判官が入廷し口頭弁論が始まりました。最初に広島県江田島市で暮らす山下徹さんが第4陣原告団を代表して意見陳述。山下さんは「伊方原発で過酷事故が起これば、水深の浅い瀬戸内海はたちまち死の海になる」「事故が起きなくても稼働するだけで1日数10トンもの海水が冷却のために吸い込まれ、プランクトンや稚魚が死滅した栄養分の少ない海になる。海水温度より7度も高い温排水により、生態系に悪影響が懸念されている」「安心安全な食材を提供している島しょ部や沿岸部の住民の生活のためにも、子々孫々にきれいな瀬戸内海を伝えるためにも、稼働の停止と廃炉を求める」と、はっきりと訴えました。(伊方原発〜広島県江田島は約80キロ)
この日、原告側は、伊方原発の上空を米軍や自衛隊などの航空機が頻繁に行き交っており、岩国基地の拡張によってそのリスクが高まっていること、ミサイルやテロ攻撃などのリスクも過小評価されているなど、外部事象についても追加の準備書面を提出しました。既に審理が進んでいる原告66人の訴訟に、今回の原告41人(第4陣)も併合して審理されることになり、閉廷しました。
その後、広島弁護士会館で記者会見や報告会があり、山口県などで伊方原発の差し止めを求めて裁判をたたかっている仲間からも報告や挨拶がありました。
伊方原発広島裁判の次回口頭弁論は3月26日午後2時からです。傍聴に駆けつけてください。(内海 恵)
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沖縄で出会った日本軍「慰安婦」
川田文子さんの講演会を聞いて
2月5日、大阪府豊中市の「とよなか男女共同参画推進センターすてっぷ」で、川田文子さんを招いて講演会「沖縄で出会った『慰安婦』」が開催されました。「慰安婦」問題の解決を求める北摂ネットワークと日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワークの共催です。川田さんは、1975年、自分が「慰安婦」であったことを朝鮮半島出身の女性としてはじめて公表した裴奉奇さんから聞き取りをしました。
川田さんは、「なぜ裴さんに会うことになったのか」その経緯を話されました。川田さんは出版社で働き、『世界画報』という雑誌を出していたそうです。この時、戦後日本のハーフの子どもの取材をして、ジョー山中さんと知り合いました。ジョーさんの母が黒人兵のオンリーになって生活を支えていました。ジョーさんが他の兄弟と肌の色が違うなかで、この子はどういう生き方をしていたのかと考えるようになったそうです。
日本でも貧しい家では、男の子は生かすが、女の子は殺すという子どもの間引きがおこなわれていたなかで、生き残った女の子は子守奉公に出され、遊郭に売られていくという現実を見て、性の問題に近づいていったそうです。
裴さんは、1975年に病気になり、生活保護を受けるようになって、在留資格が問題となり、朝鮮総連の人が手続きをしたことが新聞に載りました。友人からの紹介で、川田さんによる裴さんの聞き取りが始まります。5年近くかけて、1日置きに裴さん宅に通いながら話を聞いたそうです。
裴さんは、1914年生まれ。両親はいなくなり、3歳の弟と2人で暮らしていたそうです。幼い頃から口減らしとして何度もミンミョヌリ(将来の婚家に住み、子どもの頃から働かされる)で他家に預けられたそうです。
1943年に、興南で日本人の紹介人からシンガポールへ誘われ、そこが「慰安所」だったそうです。それから、8人の「慰安婦」と一緒に渡嘉敷に渡りました。空襲で「慰安所」も爆撃され、ほとんどの仲間が死亡したそうです。残った4人は、日本軍の炊事班に組み込まれ、その場所は今でもそのまま残っており、写真があります。8月26日に捕虜となって、解放されるわけですが、帰るに帰れず、戦後はサカナヤーで、仲居として働こうとしても、客を取らないと雇ってもらえず、酔っぱらい相手に、店を転々としていたそうです。川田さんが何故1軒の店に留まらなかったのか聞いたら、「落ち着かんのよ!」と叫んだそうです。人と接触する事を極端に嫌い、いつも頭痛を抱え、1カ所にじっとしておれない叫びは、性奴隷のPTSDそのものだったのです。
さらに、川田さんは、沖縄の上原さん、宮城ツルさん、たま子さんの聞き取りをします。そのなかで、たま子さんの話をしていただきました。たま子さんは、横浜で生まれ、遊郭を転々として、ラバウルの「慰安所」へ行き、敗戦時はサイパンにいました。そして、捕虜になるわけですが、そこで7歳の沖縄の女の子の面倒を見たり、米軍の相手をして食料品をもらい皆に分けてあげていたそうです。
1人の男性に沖縄に一緒に帰ろうと言われ、沖縄に行ったそうですが、その人の妻子が生きていて、家を出ざるを得ず、その後は、寝食を求めて身を売る生活をしたそうです。たま子さんの出自は未だにわからないそうです。
国会議員の照屋寛徳さんは、サイパンからの引き揚げ者の多重地域で生まれ育ったそうですが、その時のたま子さんを知っていて、始終「チョーセンナーは三等国民」と囃し立てたという話があり、近くの食料品店の人も「朝鮮人」と思っていたそうです。たま子さん自身、チマチョゴリを着て笑っている写真が残っています。
川田さんが聞き取りをした宋神道さんは、「70人の兵隊を相手にしたが、自分を性的対象としてしか見なかった兵隊を人間として見ない苦痛のなかで生きて来ざるを得なかった。だから、人を信用出来なかった」と言っており、裴さんは人と全く接触しなかった。たま子さんは、「民間の方が辛かった」と言っています。
この人たちのことを考えて、安倍首相が、強制連行はないと言ったことにたいし、だまされて行った人、遊郭から行った人、その人たちは被害者じゃないのかという思いに駆られていた時に、吉見義明さんが、連れて行かれたら、「略取または誘拐、人身売買され、一定期間軍の施設である『慰安所』に入れられ、『居住の自由』『外出の自由』『軍人の性の相手を拒否する自由』『廃業の自由』のない無権利状態に置かれることは、性奴隷以外の何ものでもない」と言ったことに勇気を得たと最後に話されました。
宋さんも裴さんもたま子さんも、川田さんによる聞き取りで、自分を取り戻していったのではないかと思いました。そういう意味で川田さんの存在は大きいと思いました。(小野純子)
5面
〈寄稿〉韓国・参与連帯 安珍傑さんに聞く 第2回
小川房雄(ジャーナリスト)
民衆の多数の支持を得ること
組合不信から転換
08年ろうそくデモ
―韓国の民衆は労働運動をどのように受けとめているのでしょうか
安珍傑 労働組合のなかにもいろんな考え方のグループがあります。急進的なグループもある。そういう労組内の対立もあります。また市民団体、環境団体が原発に反対していますが、原子力産業労組は「原子力産業を死守せよ」というデモをしています。そういう原子力産業労組と環境運動団体との対立はありますが、だけど非正規問題、過労や労災問題、低賃金問題ということについては、「労働組合のみならず国民的な問題である」という意識が広がっています。
李明博、朴槿恵の9年間で二極化がひどくなりました。だから労働運動に好意的でなかった人のなかにも、次のような考えが広がっています。
それは、「世界で一番長時間労働をしてなんでこんなに賃金が安いのか」「労働にたいしてまともな評価がなされていない」「非正規職がまん延し、簡単に解雇できる世の中になっている」「新自由主義が進める『労働の柔軟性』とは『労働の破壊』だ」「安定した雇用でまともな賃金を得たい」というもので、そういう気分が民衆のあいだに浸透していることが、労働運動と市民運動の連帯につながっているのです。
民衆のなかにあった労働組合への不信が信頼に変わりはじめたのが、2008年のろうそく集会です。それはBSE牛肉の輸入に反対するろうそく集会でした。そのときに民主労総に比べて「改良的」といわれる韓国労総も積極的に取り組み、ともにたたかいました。
労働組合が賃金などの経済要求だけでなく、国民の大きな関心事や社会問題についてともにたたかってきたということが、労働組合にたいする信頼をつくってきたと思います。
しかしながら、民主労総の活動家のあいだでは「社会主義革命が必要である」という主張が多数を占めています。一方、市民運動の側は「大衆の力で社会を変えていくべきだ」と考えています。
市民運動としては、「たとえそれが武装闘争形態ではなくても社会主義革命という立場はとらない」と定立しましたので、その辺は意見の違いとして残っているところです。
戦線の構築においては問題はないんですが、大衆的な取り組みをおこなうと、ときどき急進的な傾向が表れてきます。市民運動としては、大衆運動として穏健なキャンペーンをやりたいと思っているんですが、革命的な立場で臨んでくる人たちは、戦術においても若干違うやり方を提起されます。それが大きな問題ではないのですが、その意見の違いが出てくることがあります。こういことは日本においてもあるのではないでしょうか。
非正規問題をめぐって
安珍傑さん |
―市民運動が、非正規職労働者の問題を解決するために、積極的に労働組合加入を呼びかけているということですが
安 労働組合がない人たち、とくに非正規職労働者にとっては、労働組合は切実な問題です。民主労総がそういう非正規・未組織の人たちの労組づくりを支援しているかというと、すべてはできていませんし、ときにはなかなか力を出し切れていないところがあると思います。
そこで市民団体として組合づくりに協力し、市民運動としての独自の労働組合の組織化を現在模索中です。例えば「わが町労働権取り戻し」という団体を作ったり、韓国非正規労働センターというナショナルセンターとは関係なく非正規問題をあつかっている団体が、民主労総に依拠せずに組合づくりをやっています。
参与連帯も参加して、「パリバケット」というパン屋のチェーン店で労働組合をつくるということもやってきました。
韓国学生運動はなぜ衰退したのか
―80年代から90年代にかけて韓国学生運動は、世界で最も戦闘的で大衆的なたたかいを展開していました。現在の学生運動の状況について、どのようにお考えですか
安 かつては、学生運動出身者がさまざまな運動に入っていきました。しかし韓国の学生運動も没落して学生運動そのものがなくなってきました。そういうなかで20代、30代の志を持った人たちが市民運動に入ってきています。しかし人材難ということに変わりはありません。
学生運動没落の理由はつぎのようなものです。例えば、その主張から親北路線と評価されていた韓総連(注4)という韓国の学生組織の連合体は、延世大の籠城闘争をやったことで警察によって解散させられたのですが、そういう暴力的な路線が民衆の信頼を失う原因だったと思います。
民衆の信頼のみならず、学生たちからの信頼も失って、学生運動としての大衆性を失っていきます。やはり大衆が支持できる主張を出していかないと運動の発展は難しいのではないでしょうか。「過激な主張」「受け入れがたい主張」で学生運動は大衆の支持を失ってきました。
その隙間をいま市民運動が埋めている状態です。
多数の民衆に支持され、受け入れられる運動をしなければならないという反省の下に、16―17年のろうそく革命がありました。もしも過去の反省がなければ、今回のようなろうそく革命にはならなかったし、運動が過激になっていたら、朴槿恵に潰されて、私も投獄されていたと思います。
08年のろうそく集会も大規模にたたかったのですが、成功したとはいえない。それは、部分的に大衆の気持ちを失って、学生運動出身者の気持ちで運動を進めた結果、過激な方向に走ってしまったためです。
16―17年と08年との決定的な違いは、市民たちが「警察・検察・政権が介入する口実を与えない」ということで、徹底して団結して平和路線を貫いたことにあります。その結果、逮捕・拘束されたのは市民たちではなくて、朴槿恵や李在溶(サムスン財閥の副会長)だったのです。
これは、私が運動の実践のなかで悟り、「覚醒」したことです。
市民運動は、労働運動と連帯しようと思ってますが、労働運動の側も、より大衆的な取り組みが必要だと思います。民衆のなかには、いまだ民主労総を嫌っている人たちがいるのは事実です。それは皆さんにしっかりと言っておきます。
民主労総は組合員の選挙を通じて執行部が変わるので、大衆的な路線を打ち出すときもあれば、民衆の気持ちとは少し外れた路線を打ち出すときもあります。もちろん労働運動が持つ悩みについては尊重しますが、民衆の心と離れた運動をやることについては残念に思っています。
急進派から穏健派まで
韓国社会運動の伝統
安 韓国社会運動は、その点では、団結してやってきました。この朴槿恵退陣国民行動も、急進的なところから穏健的な団体まで全国2400の団体が集まって行動を共にしました。このように団結して事に当たるという伝統は当分続いていくのではないかと思っています。
これは韓国のみならずアジアや世界の市民にとっても共通のものとして育てていくべき課題ではないかと思っています。日本との関係では、われわれは日本の運動の肯定的な部分を学ばなければならないし、また韓国の健全な部分を日本の方にも受け入れてもらいたい。お互い学び合うという姿勢が必要ではないかと思っています。
私たちはいつでも大規模な集会をできるわけではありません。今後は政党、労働組合、市民団体が力をつけていくことが重要だと思っています。とくに韓国では、民主党や正義党などの政党が力をつけていけば、私たちがそれほど街頭でたたかわなくてもよくなるでしょう。また労働組合が経済的な分野だけでなく、政治的な分野にも発言権をもっていけばいいと思います。
そういう意味では、進歩改革政党が力を強めること、労働組合の組織率があがること、そして日本では大変うまくいっているようですが、草の根NGOが広がること、この3つが重要だと思います。
ろうそく市民革命が生みだした政権
―文在寅政権にたいして、どのようなスタンスを取るべきだとお考えですか
安 はっきりしていることは、文在寅政府がしっかりと政治をやっていかなければいけないということです。この政府が失敗したら、国民は挫折を味わうし、「ヘル朝鮮」「地獄の朝鮮」に逆戻りしてしまいます。
過去、金大中や廬武鉉は個人の資質で大統領に当選しました。もちろん文在寅もその人柄やコミュニケーション能力には長けた人です。しかし、文在寅政権が誕生したのはろうそく革命の力、市民革命の力です。もちろん、ろうそく革命と政権がすべての点で一致しているわけではありませんが、ろうそく市民革命によって誕生した政権が失敗するということは、ろうそく市民革命の失敗にもなります。ですから政権にたいする批判も慎重におこなっています。金大中や廬武鉉のときは正面切って反対したり、批判したりしていましたが、現政権を批判する場合は、より頭を使わなければならないと思います。 (つづく)
(注4)韓国大学総学生会連合。80年代の学生運動を主導していた全国大学生代表者協議会(全大協)を継承して、93年に結成された韓国の学生運動団体。
6面
投稿
しょうがい者解放=安倍政権打倒 A 高見元博
アソシエーションを下からつくる
T「『我が事・丸ごと』地域共生社会」という攻撃に対抗するしょうがい者運動(承前)
D 介護保険の実態と私たちの闘い
「老健(介護老人保健施設)は在宅復帰を目標にする」と政府は聞こえの良いことを言うが、在宅復帰できないような高齢者はそもそも入所できない場合が多いそうです。また、病院への入院からの受け皿として老健が位置づけられていますが、在宅にはなかなか復帰できないほどリハビリテーションの時間数が少ないそうです。
そもそも介護保険は家族介護を前提としています。一人暮らしの金のない高齢者(高齢のしょうがい者)は介護保険を使って在宅生活することはできない制度設計になっているのです。
「地域包括ケアシステム」というのは自宅を病室に例えて、地域を病院のように設計することだとうたいますが、そもそも施設・病院のベッド数削減という経済的な動機をもつ新自由主義改革です。だから一人暮らしができるような介護時間数を保障する気など初めからないのです。本人が野垂れ死んでも構わないという思想で制度設計されているのです。
このようななかで、実際に医療や介護をおこなっている病院や施設のなかではいかにして良い部分を生かして、残していくかという苦労をしているそうです。原則なき「現実対応」では民衆の支持は得られません。私たちしょうがい者・市民にできることは、介護保険の設計思想そのものを根底から批判し変えていくことです。しょうがい者にとって65歳問題、「共生型サービス」で攻防が始まっている介護保険問題をどうたたかっていくのか。一つの指標になるのは介護保険の現実そのものです。
E どうたたかうか。大フォーラム実行委員会のたたかい
昨年10月の「骨格提言」実現集会(東京・日比谷) |
「『我が事・丸ごと』地域共生社会」攻撃を安倍政権(資本家とその政府)は厚生行政の全体重をかけて実現しようとしてきます。たいするたたかいはどうでしょうか。「『骨格提言』の完全実現を求める大フォーラム実行委員会」のたたかいは、これらの攻撃を迎え撃つものへと発展するでしょう。この間、政府の攻撃、差別施策や、社会に根強く存在する優生思想にたいして多くの人びと、団体がたたかってきました。認知症当事者や介護労働者もたちあがっています。困難なたたかいを続ける人びととともに「大フォーラム実行委員会」もまたたたかい、しょうがい者団体などに幅広い共闘を呼びかけて一定程度実現してきました。「骨格提言」というしょうがい当事者がまとめあげたしょうがい者政策綱領は、「『我が事・丸ごと』地域共生社会」攻撃と真っ向対決するたたかいの柱でもあります。
「『我が事・丸ごと』地域共生社会」論や「地域包括ケアシステム強化法」に対抗し、もともと民衆の自発性によって広がっているボランティアを、民衆の利益になるものとして組織していくこともまた必要です。こどもの貧困に対抗する「こども食堂」の広がりなどに表れているように、民衆は自発的に福祉の欠如を補い、それを公的なものへと変えていく流れを作るものとしてボランティア活動などの自発的決起をしています。政府の攻撃は、ボランティアへの住民の立ち上がりを公的な福祉の充実という方向へ発展させるのではなく、全く逆に、公的福祉の解体のための手段として位置づけている点があくどいのです。
「小さな政府」をめざし「自己責任論(自助)」による福祉切り捨てを柱とした新自由主義改革に対抗するこの運動は、理論的には、「繰り出し梯子理論」(注)による福祉の保障と位置付けられるでしょう。
「陣地戦」とアソシエーション論
私たちはボランティア活動を、公的福祉の充実を求める方向性を明確にして、民衆の自発的決起の一助となるように活動しなければならないと思います。イタリアの革命家グラムシが言うところの「陣地戦」の考え方が参考になります。
資本家とその政府は市民社会支配のための強靱な構築物を築いています。グラムシは、それに対抗する民衆の価値観とその実物化である社会的組織(アソシエーション)を下から作っていくことによって、社会体制を転覆するという方法論を提起しています。アソシエーションを作っていくことによって、資本家とその政府の塹壕を掘り崩し、味方の陣地を広げていくという考え方です。ただ、あまり「理屈」が先行すると「前衛主義」の誤りに陥りやすいから注意が必要です。
しょうがい者にとっては「大フォーラム実行委員会」はそういうアソシエーションそのものとして存在していると思います。もちろん、それ以外にもアソシエーションは多数存在しています。私が言いたいことはしょうがい者運動内のヘゲモニー争いのことではありません。介護労働者のたちあがりとの即自的利害を超えた連帯の質を作り出すことも重要と思います。
その上で、私たちはアソシエーションを内在的に支え発展させるという役割を果たすべきなのであって、まちがっても「前衛」として主導するとか指導するとかの上からの介入をするべきではない。民衆の自発性・主体性をとことん大事にすることによってアソシエーションは発展するでしょう。私たちはそれを今まで実現してきたし、これからもそうします。組織のなかに上下関係を作らないように努力することが肝要です。私たちの自発性・主体性を尊重する民衆のなかでの在りようこそが、民衆運動を発展させるためのかなめです。 (つづく)
(注)繰り出し梯子理論
民間「慈善事業」が、ナショナル・ミニマムの保障を前提に、そこからあたかも梯子を繰り出すように、クライアントにたいして独自の個別的支援をおこなうことによって、精神的、身体的にみてより高次の福祉を達成するという考え方のことで、イギリスでウェッブ夫妻が提唱した。同一の対象をめぐって公私社会事業が協働する可能性を示したものである。それまでの「平行棒理論」と対立する理論。(「平行棒理論」とは、要救護者をその道徳性から分類したうえで、救済に値する者は民間慈善事業が、救済に値しない者は非人道的な救貧行政が扱うべきだとする考え方のこと。公私の社会事業組織体を交わることのない2本の平行棒にたとえて、厳格な役割分担を規定したものである。ベンジャミン・グレイが提唱し、慈善組織協会の活動原理となった。)
【参考文献】『地域包括ケアを問い直す 高齢者の尊厳は守れるか』(大阪社会保障推進協議会/日本機関誌出版センター)
獄友 えん罪被害者の団結
狭山再審へ 市民のつどい
1月28日
1月28日、「第2回・狭山事件の再審を実現しよう市民のつどいin関西」が大阪市内で開かれた。関西圏の狭山事件再審集会としては近年にない370人の参加があり、大きな盛り上がりを見せた(写真下)。
狭山再審陣形広がる
主催した実行委員会のよびかけには、「フェイスブック狭山事件の再審を実現しよう」および大阪を中心に関西圏の「狭山市民の会・住民の会」が名を連ね、労組などが協賛した。
企画のメインは「獄友トークセッション・それでもボクらはやってない!」。映画『SAYAMAみえない手錠をはずすまで』の金聖雄監督をコーディネーターに、石川一雄さん・早智子さん夫妻、足利事件再審無罪の菅家利和さん、布川事件再審無罪の桜井昌司さんの鼎談など今日の狭山再審闘争陣形の広がりを示す盛りだくさんの内容だった。
獄友のパワー
これまで支援を受けることなく獄中で孤立したたたかいを強いられてきた多くの冤罪被害者がいたことは想像に難くない。また、えん罪被害者と支援組織が閉じられた関係に終始してきた歴史もある。そのなかで、獄友と自称するえん罪被害者同士の団結とたたかいは、こういってよければ日本の人権擁護闘争史上、画期的な主体の登場であると言ってよい。それは足利事件、布川事件をはじめとする個々の雪冤(無実の罪であることを明らかにすること)のたたかいとその勝利によって切り開かれたものであるだけでなく、例えば菅家さんにたいする最初の支援者が石川一雄さんにたいする支援者であったように、また、石川一雄さんの「罪を認めないままの仮釈放」が桜井昌司さんらの仮釈放の前例となったように、互いに学びあい、支えあう関係のなかから生まれてきたものである。
えん罪をなくすには
獄友トークセッションで「えん罪をなくすためには?」と問いかけられた桜井昌司さんは「社会を変えればいい」と端的に答えた。社会を変えるとはいったいどういうことなのか。「皆さん、死んだらどうなりますか?人間は誰でも死ぬ。その一点で皆さんと僕とは同じだ。死んだら、皆さん一人ひとりの世界は消えてなくなってしまう。人の命の重みは地球と同じなんだ。人の命を軽んじている国家はまちがっていると僕は思いますよ」「いまだに同窓会なんかに行くと桜井にアイスピックで刺されたなんていう人がいる。そんなワルだった自分が自分を信じてくれる支援と出会って変わった。自分が変われたんだから、みんなが変われないはずがない」。
逮捕から1年以上もの間、誰からも無実を信じてもらえなかった菅家さんにとっても、石川さんにとってもその思いは変わらない。石川早智子さんは、この日桜井さんが歌った歌に寄せて「(石川一雄さんは)無実でありながら受刑生活を強いられ冤罪を訴え続けた日々、何時も両親が、そして両親が亡くなった後は、支援者が支えてくれた。人間の温かさに出会った。私は被差別部落で生まれ、差別から逃げていた。狭山や、冤罪や差別を無くそうとたたかっている人との出会い、たたかいのなかで心が解き放たれた。人は変われる。人っていいなと思えた」と語った。(深谷耕三)