未来・第239号


            未来第239号目次(2018年2月1日発行)

 1面  安倍打倒へ 今年が正念場
     国会開会日 改憲許すな600人が抗議

     国策に負けない
     三里塚反対同盟が旗開き
     1月8日

     伊方原発を廃炉へ
     現地集会に250人
     愛媛県伊方町

 2面  「生きる権利・避難の権利」求めて
     震災から23年 神戸で集会

     寄稿
     福島の子どもたちの甲状腺がん
     検査、治療は望む場所で、無料に
     河野美代子(産婦人科医、被爆2世/広島市)

     改憲動向ウォッチ 1月

 3面  連載 韓国・参与連帯 安珍傑さんに聞く 第1回
     市民運動と労働運動の連携をめざして      

 4面  投稿 
     しょうがい者解放=安倍政権打倒 @ 高見元博
     安倍政権のしょうがい者対策をどう見るか

     目標は13万人 市民の力で
     東大阪で3千万人署名始まる

     改憲阻止へ活発な討論
     「憲法、暮らし」市民運動が交流会
     神戸

 5面  君が代不起立
     教育者としての信念貫く
     処分撤回闘争が6周年

     本の紹介
     『教育に浸透する自衛隊』
     「安保法制」下の子どもたち

     「障がい者・辺野古のつどい」に参加して(下)
     戦争のための基地を許さない
     滝 浩一

     (冬期カンパのお願い)

 6面  長期連載―変革構想の研究 第5回
     1848年革命と共産主義者同盟 C
     〈二大階級への分裂から革命へ〉という革命論
     請戸 耕市

     生涯入管闘争をたたかう
     吉田雅信同志をしのぶ
     村野良子

       

安倍打倒へ 今年が正念場
国会開会日 改憲許すな600人が抗議

国会開会日の1月22日、衆院第二議員会館前で集会。今年中に改憲発議許さなかったら安倍は倒せると確認。

1月22日正午、衆議院第二議員会館前で「安倍9条改憲NO! 森友・加計疑惑徹底追及! 戦争煽るな! 共謀罪廃止! 安倍内閣退陣! 1・22国会開会日行動」がおこなわれた。主催は安倍9条改憲NO! 全国市民アクション実行委員会など3団体。
主催者を代表して憲法共同センター小田川義和さんが「改憲反対が世論の大多数であることを示すのが私たちのたたかいだ。国政を私物化する政治家を許さない」とあいさつ。
社民党の福島瑞穂参議院議員は、「昨年11月30日、安倍総理に『改憲で自衛権を明記するのは集団的自衛権も含まれるのか』と問うと、『その通り』と答えた。自衛隊が『国防軍』となるのは時間の問題だ。安倍が退陣すれば政治が変わる。そんな希望を作り出したい」と発言。
沖縄の風代表・糸数慶子参議院議員は、「沖縄県南城市長選で安倍政権に応援されてきた現職を落とした。65票差。市民が市民に呼びかけて勝った。名護でも勝つ決意だ。今の政権は憲法を沖縄には適用しない。沖縄県議会で先ほど、普天間基地の米軍機を止めることを求める決議が上がった。平和な沖縄、平和な日本、平和な地球を作るために憲法を改悪させない。共謀罪を廃止し、労働法制改悪をさせない」と力強く決意を語った。
立憲民主党副代表・近藤昭一衆議院議員は、「安倍総理は皆さんの声に耳を傾けるどころか逆を向いている。国会で首相の出席を減らすのは立憲主義・民主主義の破壊。国というのは一部の人のためにあるのではない。みんなが主役の政治を取り戻すために頑張ろう」と呼びかけた。このほか政党からは日本共産党・志位和夫委員長が発言。
雇用共同アクションの代表は「安倍は『働き方国会』と言っているが労働者のためでないことは明らか。出てきたのは過労死増加ルール。裁量労働導入で、介護も育児もできない。同一労働同一賃金も怪しくなった。喫緊の課題は格差の是正だ。安心して働けるルールが必要。『憲法改正』どころではない」と訴えた。
共謀罪対策弁護団の米倉洋子弁護士は「共謀罪とのたたかいは脅しに屈せず戦争反対の声を上げ続けること。安倍政権がひどいことをすればするほどたたかいは大きくなる。その正念場が今年。改憲発議を今年中に許さなければ永遠に葬り去れる」と発言。このほか安保法制違憲訴訟弁護団から発言があった。
最後に戦争をさせない1000人委員会がまとめと行動提起で「2018年は明治維新から150年。明治は日本が侵略戦争と植民地支配に明け暮れた時代。そういう時代を賛美してはいけない。有明防災公園の5・3憲法集会を大成功させ、安倍の野望を打ち砕こう」と呼びかけた。

国策に負けない
三里塚反対同盟が旗開き
1月8日

1月8日、三里塚芝山連合空港反対同盟は早朝から団結デモに決起。引き続き成田市内で開かれた新年の旗開きに150人が参加した。
反対同盟の萩原富夫さんは、昨年1年間をふり返り、決戦本部を中心にした天神峰カフェの取り組み、空港機能の強化に反対する運動が前進してきたことを確認した。そして「請求異議裁判」の結審を阻止したことにふまえて、3月8日の提出に向け強制執行反対署名を積み上げようと提起した(写真上)
乾杯の音頭をとった市東孝雄さんは、「国とNAAの攻撃にこの1年を力強くたたかい抜く」と宣言した。
市東さんの農地取り上げに反対する会、顧問弁護団、関西実行委員会、全日建運輸連帯労組関西地区生コン支部など各団体のあいさつの後、太郎良陽一さんの音頭で団結ガンバローを三唱。参加者は3・4芝山現地闘争、3・8請求異議裁判、4・1全国総決起集会への決起と闘争の勝利を誓った。

伊方原発を廃炉へ
現地集会に250人
愛媛県伊方町

四国電力による逆転判決許さない!と全国から伊方原発近くに集結(1月20日 国道197号線、道の駅付近)

1月20日、21日「STOP! 伊方原発現地集会」がおこなわれた。主催は伊方から原発をなくす会。同会は、八幡浜・原発から子どもを守る女の会、伊方原発反対八西連絡協議会、原発さよなら四国ネットワークなど、四国全域の反原発10団体からなる。
この日の行動は、定期点検中の伊方原発3号機が1月22日にも再再稼働されようとしているのにたいして、「原発を止める。私たちは止まらない」をスローガンにして、伊方原発3号機の再再稼働に反対する集会として呼びかけられていた。ところが昨年12月、広島高裁が「伊方原発の運転差し止め」決定を出し、四国電力は再再稼働ができないという状況におちいった。そこで住民は、四国電力による逆転判決狙い、再再稼働の野望を打ち砕き、伊方原発の廃炉を求めるこの日の行動に立ち上がった。
1月20日、伊方原発をみおろす、「道の駅きらら館」前の歩道に地元をはじめ四国全域、中国、九州、全国から250人が集まった。
集会は、主催者を代表して、斉間淳子さんが、長年地元でたたかってきた地平の上で、全国からの支援、結集に熱く感謝を表明した。伊方訴訟住民側証人としてたたかった槌田劭さんが伊方訴訟の経緯と、国策裁判を弾劾した。沖縄から山城博治さんが、沖縄と原発は同根のたたかい、ともに連帯してたたかおうと訴えた。
広島高裁で運転差し止め決定を勝ち取った原告団団長の堀江壯さん、福島から木幡ますみさん(大熊町町議)はじめ全国各地で反原発をたたかう団体、個人からの発言が続いた。若狭の原発を考える会は、この3月、5月にも動かされようとしている大飯原発3、4号機の再稼働をなんとしても止めるために全力でたたかう決意を表明。そのために、2・25〜26「若狭湾岸一斉チラシ配り(拡大アメーバデモ)」への協力・参加と、4・22関電包囲大集会(予定)への参加を呼びかけた。
集会は、「ふるさとは原発を許さない」や、「竜王さまのお告げ」など、伊方闘争のなかで歌われてきた歌や、沖縄の基地反対闘争のなかで歌われている「今こそ立ち上がろう」など、歌あり、パフォーマンスありの盛りだくさんの内容であった。
集会の最後に、集会宣言を八幡浜市議の遠藤綾さんが読み上げ、「伊方原発! 廃炉!」のコールをあげた。
翌日は、朝から伊方原発ゲート前で抗議集会。主催者を代表して斉間淳子さんが発言。全国各地からの発言が続き、寒さを吹き飛ばす大きな声でコールをあげた。ゲート前行動後、参加者は分散し、伊方町内の一斉ビラまきをおこなった。
伊方原発は、広島高裁決定により、動かすことはできない。広島高裁決定を守り抜き、私たちの手で廃炉に追いこもう。すべての原発廃炉を勝ち取ろう。(仰木 明)

2面

「生きる権利・避難の権利」求めて
震災から23年 神戸で集会

「生きる権利・避難の権利〜阪神大震災23周年集会」が開かれた(1月14日、神戸市内)。福島から岡山へ避難した大塚愛さんが「私が出会った原発災害」を話した。粟原富夫・神戸市議からは、「借り上げ復興住宅」からの追い出し、アスベスト被害など、終わらない震災、人災とどう向き合うかが話された。
また港合同の中村吉政委員長から激励を受けた。長谷川正夫・被災地雇用と生活要求者組合代表が「私たちは、ガレキの中から一緒に生き団結してきた」と、あいさつ(写真)
大塚さんは「生きる権利を求め続けてきた方々に敬意を表したい。12年間、福島県の川内村で暮らした。震災では何とか助かったのに、原発事故が昨日までの暮らしを断ち切ってしまった」と、次のように話した。

原発災害の真実

農業がやりたくて福島県に移住。自給自足で暮らした。電気は自家発電、スコップ1本で4メートルの井戸を掘った。大工になり自分で家を建てた。福島第一原発(がある大熊町)の隣、川内村だ。そして、最も起こってほしくなかった原発事故。
地元では、原発は決して安全ではないと思われていた。だがその産業に依存せざるを得ない。なかなか口には出せない。事故の後、放射能を危ないと思う人、思わなければいいという人。親しい友人たちの間にも溝ができていく。放射能への不安を話し合えないようにされた。
当たり前だった暮らしが壊され、お互いの心まで分断されるのが原発災害だ。郷里の岡山に夫、子どもたちと避難し、避難できない人、子どもたちに保養や支援をおこなってきた。私自身も大きな悲しみ、世界が崩れたようなショック。それでも何かやらねばと走り続けた7年だった。

追い出しを許さない

阪神大震災時に1歳、いまは23歳の市川英恵さんは、「それはおかしい」と自分で勉強して、支援の運動に加わった。
「大きな被害のなか、復興住宅が建てられた。それだけで足りず都市再生機構(UR)や民間住宅を借り上げ、被災者用とされた。いま「85歳以下・要介護3以上・重度障害者」という線引きで追い出そうとしている。どうしても転居できない人が9件、神戸市から提訴された。せっかく住み慣れたコミュニティーが壊される。昨年10月の一審判決は神戸市の勝訴です。かかりつけの通院もできなくなる。訴えられ体調を壊した人もいる。健康に暮らしたいと、要介護3を頑張って要介護1にして追い出されようとしている人も。災害大国日本で、どこでも起こる問題。居住の権利は基本的人権、生存権です」と訴えた。
ナースシューズをつくるワーカーズコープの女性たちは「忍耐と団結で生きる権利を求めて頑張ります」。みんなで苦労しながら、毎月2回のミニ・デイサービス(食事会)をしている。アトラクションの「はるまきちまき」さんの歌は参加者を元気にした。
集会のまとめは関西合同労働組合・石田勝啓委員長。「23年間生きる権利を求めてたたかってきた。いま、平和と生存権が危ない。安倍政権による9条改憲に3000万署名など、あらゆる手段でたたかおう」と訴えた。(蒲牟田)

寄稿
福島の子どもたちの甲状腺がん
検査、治療は望む場所で、無料に
河野美代子(産婦人科医、被爆2世/広島市)

2011年3月11日の東北大震災の影響による東京電力福島第一原発の炉心溶融などの事故により、大量の放射性物質が放出された。国際原子力機関(IAEA)閣僚会議にたいする日本国政府の報告書では、放出したセシウム137の量は大気中だけで広島原爆の168発分にも及ぶ。
広島の原爆でも、また1986年4月のチェルノブイリ原発の事故でも、放射線を浴びた人、特に子どもたちの健康への影響が心配された。チェルノブイリで真っ先に起きた子どもたちの体への影響は甲状腺がんであり、福島でも当然それが心配された。
国や県は、人々の動揺を抑える目的か、「心配ない」キャンペーンを繰り広げた。長崎から、駆け付けたのか要請されたか分からないが、山下俊一氏(長崎大学医学部教授)はあちらこちらで講演をおこなった。「山下氏の講演を聴いてね、なあんだ、心配ないんだってね。それまでしていたマスクも外し、外でも平気で遊ぶようになったの」。
その一方で、福島県はすべての子どもへの甲状腺検査のプロジェクトを立ち上げた。研究者として、またとない絶好な機会が訪れたかのように。そして全国の甲状腺学会のドクターたちに「甲状腺学会会員のみなさまへ」という通達を、山下俊一氏と福島県立医大の鈴木真一氏の連名で送った。「福島の子どもたちが受診しても、診察しないで県立医大を受診するようにと説得してほしい」と。

広島で保養キャンプ

私たちは、広島の民間グループで福島の子どもたちの一時保養を呼びかけた。広島には、山下氏などの通達を気にしない、気骨のある甲状腺の専門医がいた。広島に来た時に、そのドクターの診察も受けることをセットにした保養である(写真上)
2012年早春から始まり、春、ゴールデンウィーク、夏、冬の休みに受け入れている。子どもたちのなかに、甲状腺に異常が見られる子どもが何人も現れ、時間をおきながら受診、検査を継続するようになっている。なかには、子どもの異常に耐えられず、福島から広島県へ母子で移住をした人もいる。
福島県の検査は、現在3巡目となっているが、県民調査報告書による発表では2017年9月30日現在、子どもの甲状腺がんおよびその疑いは194人とされている(「疑い」とは、手術の結果良性腫瘤であった者が1人。その他はすべてがんであった)。また、12月25日に開かれた検討会では、ある委員の病院で手術をしたがんの1人が統計に含まれていないことが判明したという。委員の追及には、県立医大以外でがんが判明し手術を受けた者はデータに含まれていないとされている。
広島でも、福島県の2巡目の検査で「異常なし」とされたにもかかわらず、その半年後にリンパ節転移までしている進行性の甲状腺がんが見つかり、手術を受けた人がいる。その人は福島県の統計には入っていない。

山下俊一氏の暴論

2009年3月に山下俊一氏は講演し、次のように語っている(日本臨床内科医会会誌23巻第2号に掲載)。「チェルノブイリ20万人の子どもの大規模調査、事故当時0〜10歳の子どもに、生涯続く甲状腺がんのリスクがあることを疫学的に、国際的な協調のなかで証明することができました。一方、日本では思春期を超えた子どもの甲状腺がんをまれにみるくらいです。その頻度は、年間100万人に1人と言われています。これは欧米、日本ほぼ変わりません。」
そう言っておきながら、いまだに山下氏や県民調査の委員会は、「甲状腺がんは、原発事故によるものでなく、過剰診断によるもの」との姿勢を持ち続けている。医師としての信念があってとはとても思えない。国や東電が将来的に補償を求められる可能性を配慮(忖度か)してのことであろうか。

どこでも無料の治療を

広島への保養の際、平和公園でのドリミネーションの写真を撮って文章とともに提供してくださった方がある。そのうちの1枚、もみじの電飾の写真への文は、「広島のもみじは、暖かな子どもの手をイメージさせてくれます。放射線から子どもを守るため、仕事や家を離れる…簡単に考えられない多くの問題に頭を抱える日々です。放射線を口にすることがタブーとなってしまった福島。健康被害が増加しているなかで、ホットスポットの福島市〇〇地区は、除染が終わっても山があるため線量が高いままです。」
お城の写真と共に、「本来の家のイメージだと思いました。私たちの住む家は、色をなくしてしまいました。家の中まで線量が高いため、今でも2階にあまり上がらず、多くの物を処分。長年、少しずつ作ってきた庭の植物も花も除染によって、すべて無くなりました。子どもを守るために、環境に悩む日々が今でも続いています。」
この方の子どもさんも、甲状腺に針を立てて検査することになってしまった。まだ小学生の男の子が、「被ばくしているから福島の人としか結婚できないんでしょ? 引っ越しても福島ってわかるかな」と聞いてきたとのこと。
甲状腺の手術をうけ、一生甲状腺ホルモンを飲み続けなければならなくなった青年たち1人ひとりの苦悩は切実なものである。
今、必要なことは検査を望む所で無料で、治療が必要な場合も望む所で無料で受けられるようにすること。一生にわたる保証を東電がすること。そして2度とこのような子どもたちを出さないように、すべての原発の廃止を求めることである。

改憲動向ウォッチ 1月

1月4日 安倍は年頭記者会見で、「今年こそ新しい時代への希望を生み出すような憲法のあるべき姿を国民に提示する」と発言。
1月13〜14日 共同通信の世論調査で、安倍首相のもとでの改憲に反対54・8%、賛成は33・0%、憲法9条に自衛隊を明記する首相の提案に反対52・7%、賛成35・3%。
1月20日 二階自民党幹事長は、党憲法改正原案を3月25日の「党大会にも中間報告の形で持ち出すのも一つの考え」と述べた。
1月22日 安倍首相は施政方針演説で、各党が憲法の具体的な案を国会に持ち寄り、憲法審査会において議論を深め、前に進めていくことを期待します」と述べた。両院議員総会では「いよいよ(改憲を)実現する時を迎えている。責任を果たそう」と呼びかけた。

3面

連載 韓国・参与連帯 安珍傑さんに聞く 第1回
市民運動と労働運動の連携をめざして

昨年10月、韓国ソウル市にある参与連帯本部ビル(写真下)で、事務処長の安珍傑さんに話をうかがった。参与連帯は、朴槿恵大統領を打倒したロウソク革命を担った中心的な団体である。発足したのは1994年で、「参加と人権を二つの軸とする希望の共同体」の実現を掲げ、権力の乱用を監視し、多くの政策を積極的に提案している。このインタビューでは、韓国の民衆運動の経験がロウソク革命のなかでどのように生かされたのか。あの巨大な民衆決起はどのようにして生まれたのか。現在、直面している課題は何か。この革命はどこに向かおうとしているのかを詳しく聞いた。(3回連載/文責 本紙編集委員会)

安珍傑さん

安珍傑 日本との交流を大切に考えているので、日本語のリーフレットを作りました。韓国でも日本語のリーフレットを作っている団体は5本の指に入るかどうかと思っています。
エーベルト財団というドイツの財団から人権賞を受けました。今回はじめて、個人や団体ではなくて、韓国国民のロウソク市民にたいして贈られたということで、大変意味のあることだと思っています。アジアにおける民主主義の前進に役立とうという思いでおります。
ロウソク革命を起こしたということで、世界の政治家、マスコミが注目し訪ねてきています。

文在寅政権について

 政権交代をかちとりましたが、THAAD問題、南北問題、アジア情勢における文在寅政権の対応について、私たちは不満を持っているところです。
北の制御できない武力示威が安倍に口実を与えるものになっていることについて、私たちは平和を愛する皆さんにたいして申し訳なく思っています。文在寅政権が北との粘り強い交渉をするかと思ったら、あっさりと制裁・強硬対応という方向になって、それについては不満に思っています。
日本の選挙においても、北の問題がむしろ安倍の支持に影響を与える、むしろ悪影響になっているのではないかということで、安倍・トランプ・金正恩の暴走を止めるという意味で私たち韓・日・米の市民は連帯しなければいけないと思っています。
また、文在寅が大統領になって初めての訪問が仁川国際空港でした。仁川国際空港の9割を正規職化すると発表しました。最初の行動が非正規職労働者の正規職化ということで大変好評を得ました。しかし公共部門の正規職化のスピード、内容についてはあまり明らかになっていないということで、それもひとつ不満になっていることです。
文在寅政権は7割程度の支持を受けていますが、THAAD問題、南北問題、そして労働の問題について不満の声もあります。ただこの勢いは、来年の地方統一選挙まで続くのではないかと見られています。
また韓国ではセウォル号の問題(注1)、それから加湿器殺菌剤による被害の問題(注2)が、大きく安全の問題としてあったんですけれども、この間、政府が顔を背けていた問題について、文在寅は、被害者を青瓦台に呼んで真相究明を約束しました。それについても国民当事者たちは大変喜んでいる状況です。
文在寅について多少問題があったとしても、その支持率が急に落ちることはないと思います。なぜなら文在寅政権にことごとく反対しているのは、この間さまざまな問題を引き起こしてきた自由韓国党であり、国民は過去の害を清算するという大枠については支持しています。文政権が労働問題、民生問題、国民の生活問題をしっかり取り組めば、支持率は落ちないだろうと思っています。

組合活動をする権利を求めて

 労働問題においては、非正規職の正規職転換問題があります。また過労自殺、労働時間は世界最長・最悪の状況です。最低賃金についても、1万ウォン(約1千円)という要求がありましたが、2018年16%の最低賃金引上げを決定しました。しかし1万ウォンには届かないという状況です。
過労自殺、労災については世界でも最悪の水準なので、参与連帯として対応したいと思っています。
サムスンなどの財閥大企業は労働組合をつくらせないようにしています。そういう大企業のみならず、一般の企業においても、労働組合活動について反対するという傾向が強い。ですからわれわれとしては、「労働組合活動をする権利」を求めて、新たな連帯機構を出発させます。「労働組合をできる権利」の争点化、社会問題化に取り組もうと思っています。
韓国では労働運動と市民運動の連帯が活発におこなわれている方ですが、しかし、この間マスコミは、一所懸命たたかってきた労働組合にたいして「貴族労組」という歪曲した報道をしています。そういう報道があるものですから、市民の間でもなかなか労働組合にたいする認識が、歪曲された認識があって、それについても改めていく方向で活動をしています。
韓国では、@非正規職の正規職への転換の問題、そして、A簡単に解雇できないという労働権の問題と、B最低賃金、労働時間・長時間労働、労災の発生という問題を「三大労働要求」と呼んでいます。これは、まったく正当な要求なのですが、「朝鮮日報」「東亜日報」「毎日経済」などのマスコミは、「そんなことを言っていたら企業は潰れる」と宣伝し、自由韓国党がこれに同調して、正当な要求を拒否しています。

労働運動と市民運動

―労働運動と市民運動の連携というお話がありましたが、どのようにしてその連携を強化していったのでしょうか

 歴史的に見れば、労働運動は欧米が先行して発達してきました。そのなかで国家権力を取るということもありました。
1968年には世界的な学生革命の動きがありました。しかし、韓国は軍部独裁の時代で、労働運動が活発にできる状態ではありませんでした。むしろ市民運動、消費者運動が運動の領域で活動していました。
87年6月抗争を通じて労働組合が成長します。これにたいして「労働運動は旧時代の社会運動である。マルクス主義にもとづいた旧社会運動であって、市民運動が新たな社会運動である」といって市民運動と労働運動との連帯について疑問を提起する動きもありました。そういう中で94年に参与連帯が結成されます。
労働運動をやっていた活動家が市民運動の方にも入ってきました。「労働者も市民であり、市民も労働者。お互い対立するのはまちがっているのではないか。学生運動、労働運動、市民運動がお互いに共生・協力し合うという関係でなければいけないのではないか」となってきました。
95年に民主労総が結成されて以降、紆余曲折はありましたけど、市民運動と労働運動の連携の強化の方向ができました。李明博政権、朴槿恵政権がさまざまな労働問題、制度改悪をおこなってくるなか、穏健的な市民運動にも、「これではいけない。労働組合を助けなければいけない」という雰囲気が広がってきたというのが歴史的な経緯です。

新しい連帯機構

―「労働組合活動をする権利」を求めて新しい連帯機構をつくりたいというお話ですが、それはどのようなものですか

 まず、サムスンのような財閥が労働組合そのものをつくらせない、零細企業でも「労働組合をつくったら潰れてしまう」という形で、一般企業でも労働組合そのものを認めないという雰囲気があります。
二つ目に、労働組合があっても専従者を認めないなど、労働組合破壊がおこなわれています。ユソン企業という会社は、専門の労働組合破壊のコンサルティングで、計画を練って労働組合がつぶれるように仕向けています。
三つ目は、正当な争議、労働争議、抗議活動にたいして、損害賠償をかけてくるということです。
この三つの問題について、民主労総、韓国非正規労働センター(注3)、そして、労働団体と市民団体がいっしょになってキャンペーンをおこなっています。それは「労働組合や賃上げについて意見はあるだろう。しかし、労働組合をつくることにたいして問題があってはならない。まず労働組合を認めるべきだ」というキャンペーンです。          (つづく)

(注1)14年4月16日、大型旅客船セウォル号が韓国南西部で横転沈没した事故。沈没は3倍以上の過積載や荷崩れ、急旋回によるもの。同船には修学旅行生を含む476人が乗船しており、完全沈没まで50時間以上もあったが、避難誘導や救助活動の問題から死者295人、行方不明9人を出す大惨事となった。
(注2)01年から11年半ばまで英医薬品メーカー・レキットベンキーザー社の韓国法人が発売した加湿器用殺菌剤により大量の死傷者が出た事件。16年末までに政府機関に寄せられた被害者数は死者1006人、負傷者4306人
(注3)2000年発足の民間団体。既存の労働組合では非正規職の問題に対応できないことから、非正規職労働者の立場を代弁するために、インターネットなどを通じて社会に訴えたり、現場に駆けつけて支援する活動に取り組んでいる。

4面

投稿 
しょうがい者解放=安倍政権打倒 @ 高見元博
安倍政権のしょうがい者対策をどう見るか

T「『我が事・丸ごと』地域共生社会」という攻撃に対抗するしょうがい者運動

@「『我が事・丸ごと』地域共生社会」「地域包括ケアシステム強化法」について

2018年1月22日安倍首相は施政方針演説において「社会保障制度を『全世代型』に大きく転換する」と述べました。これは「税は高くし、給付は薄く広くする」という意味であり、今まで受けられていた年金、生活保護をはじめとする社会保障を今後すべて削減・減額するという宣言です。若者受けを狙い、高齢者・しょうがい者と対立させる差別分断政策です。われわれの側から差別の壁を乗り越えて「全世代型」の運動を創り上げていこう。
日本政府の福祉に関する考え方は、福祉の「保険化」を通して権利としての福祉を解体し、国の福祉の義務を外すことによる憲法25条の空洞化です。今回、「保険化」のみならず、地域住民をボランティアなどとして動員することで、福祉を国・自治体の義務から外してしまう新たな政策が発表されています。それが「『我が事・丸ごと』地域共生社会」論であり、その具体化としての「地域包括ケアシステム強化法」(2017・5・26成立)です。しょうがい者運動がオルタナティブとして掲げてきた「共生社会」の言葉を盗んで福祉解体のスローガンにするというあくどさです。「我が事・丸ごと」というのは、地域の問題は地域住民の「互助」によって解決するという意味で言われています。
この新たな「共生社会」論の第1弾として打ち出されたのが、「地域包括ケアシステム強化法」です。
「地域包括ケアシステム強化法」は国会でまともな審議がなく、しょうがい者にどういう影響があるのかまったく論議されませんでした。今後政省令で決まりますが、介護保険としょうがい者介助を同じ事業所でおこなう、新たな「共生型サービス」の運営基準が現行水準から後退することが心配されています。介護保険にしょうがい者介助を統合する政策のなかで打ち出されているからです。大きな影響を受ける高齢者についても、どういう影響を受けるかの生活実態が全く把握されていません。介護保険利用者の夫婦で年金年額400万円程度から3割負担になるなど利用者負担増、介護保険料の負担増が「所得に応じて」おこなわれますが、その実態は決してより高額の所得者からより多く取るという制度ではないし、それらの所得者の生活実態は把握されていません。また、要介護度を軽くすると事業者と自治体などに報奨が支払われる仕組みによって、要介護度を軽くすることが自己目的化され、保険あって介護なしという状況が強いられます。
周知のとおり政府はしょうがい者介助を介護保険に統合するつもりでいます。介護保険は徹底的に「医療モデル」で設計されており、しょうがい者が求める障害者権利条約の実現をはばみ、これまでに積み上げてきたものを一切合切破壊する内容を持っています。内閣府のもとで、しょうがい当事者が中心になってまとめ上げた政策綱領である「骨格提言」の実現は、介護保険への統合の政策と真っ向ぶつかるものです。

A実現本部の下の統合

安倍政権の福祉解体の基本的方向性は、「骨太の方針2016」(16年6月2日)、「ニッポン一億総活躍プラン」(16年6月2日)で打ち出され「『我が事、丸ごと』地域共生社会実現本部」(16年7月15日発足)によって決められていきます。地域住民、NPO、社会福祉法人などへの丸投げと、「自助、共助、互助」のみが強調されて「公助」すなわち国家の役割は一言もありません。しょうがい者運動から「他人事・丸投げ」と批判されています。
「地域の社会資源」として「ボランティア、PTA、老人クラブ、こども会、NPO等」を例示し、その上に市町村の包括的相談支援体制を置き、それらを編成する。国家は「実現本部」としてその上に君臨し、総体として国家支配下に編成、再編しようとしています。

B「アベノミクス・第3の矢」

安倍政権は「アベノミクス」なるインチキな経済政策の「第3の矢」として社会保障を組み込みました。「生涯健康で自立し、役割を持てる社会」「相互に支え合い、子ども、高齢者、障害者などの多様な活躍の場のある社会」「暮らしと生きがいを共に創る『地域共生社会』へのパラダイムシフト」「タテワリからまるごとへ」などときれいごとを並べていますが、その実態は、社会保障制度を「GDP600兆円化」のなかに位置づける「福祉の商品化」と、公的サービスの後退です。お金のない人たちへの支援は地域住民やNPOの「互助」で対応させるものです。
「地域包括ケアシステム強化法」のなかで「共生型サービスの創設」とうたい、介護保険と障害福祉のサービス統合に着手しています。「共生型サービス事業所」が作られる方向ですが、その実態は闇のなかです。65歳問題で手が付けられている介護保険への大統合が策動されているのは間違いありません。しょうがい者関係の事業所が介護保険を扱えるようにすることで、「同じ事業所なのだから介護保険に移っても大丈夫」と、抵抗運動をなくそうということでしょう。一定の所得者については65歳からの介護保険料を減免することと一体で、65歳問題をめぐるたたかいを抑え込むものです。

C安倍政権の憲法=生存権=基本的人権の否定

健康で文化的な生活を保障する生活保護費の全く正当な根拠のない引き下げに明らかなように、政府は低所得者がどうなろうと、社会保障切り捨てを貫くつもりです。生活保護費引き下げは18年から3年間で総額160億円と言われています。前回13年からの最大10%(総額670億円)引き下げに続き、今回は最大5%の引き下げであり、その影響は大きなものです。前回引き下げは健康で文化的な生活を割り込む引き下げだったため、約950人の原告による裁判が起こされています。その生活実態に踏まえない今回の引き下げは生存権という最も基本的な人権を否定するものです。安倍政権が、低所得である人間は病気になろうが飢えようが死のうが構わない、という無慈悲な立場に立っていることを示しています。生存権を保障した憲法25条の解体であり、福祉の考え方の根本的否定です。安倍政権はそこまで決意している冷酷な政権なのです。(つづく)

目標は13万人 市民の力で
東大阪で3千万人署名始まる

1月20日、安倍9条改憲NO!3000万人署名オール東大阪連絡会(以下、連絡会)による近鉄布施駅前街頭宣伝が40人でおこなわれた。午後2時から3時までの1時間で130筆の署名が集まった。2人連れの女子中学生や大阪商大のトレーナーを着た20代の男子学生も署名していった。20代の女性は「頑張ってください」と言って署名。40代の男性が何人も署名した。80代の男性は「字を書くのが苦手」といいながら署名してくれた。自転車に乗った買い物帰りの女性が何人も署名していった。
布施駅前は「安倍改憲NO!」のノボリ旗が林立し、横断幕も何枚も張られ、にぎやかな雰囲気が作られた。段ボールで作ったにわか作りの演壇ではリレートークが始まった。トークのトップは新社会党の松平要・東大阪市会議員と共産党の内海公仁・前東大阪市会議員が務めた。安倍首相や日本会議による改憲攻撃にたいする反撃が東大阪でも始まったのだ。今回の中心になった連絡会は2つの団体で構成されている。ひとつは革新懇や憲法まもる東大阪の会などを中心とした「東大阪3000万署名推進委員会」であり、もうひとつは「安倍改憲NO! 3000万人署名東大阪市民実行委員会」である。
1月初めに東大阪でつくられた連絡会という形をとった3000万署名の陣形の特徴は立場のちがいを超えて改憲に反対しようということである。こういう陣形を直ちに東大阪でつくることができたのは、6年に及ぶ地域に根ざした教科書闘争、子どもたちに戦争を賛美する教科書を使わせないための粘り強い運動と共闘の積み上げである。
今、連絡会は署名の共通目標を13万人としている。これは3000万署名を達成するために東大阪市の人口比から割り出した数字だ。
街頭宣伝は改憲反対の運動が始まっていることを市民に熱くアピールすることでは有効だが、署名を集める点ではまだまだである。
連絡会では、労働組合などの各団体を通した署名の拡大だけでなく、戸別訪問もおこなう必要があるのではないかと議論になっている。戸別訪問の経験のある革新懇の人たちから学び、東大阪でなんとしても13万人の署名達成をやりぬこうという熱い思いがわきあがってきた街頭宣伝だった。(米村)

改憲阻止へ活発な討論
「憲法、暮らし」市民運動が交流会
神戸

1月21日、神戸市内で〈市民デモHYOGO〉の新年交流会&討論会がひらかれ、のベ50人が参加した。市民デモHYOGOは、2015年戦争法反対闘争の中で生まれた「こわすな憲法!いのちとくらし! 市民デモHYOGO」というネットワーク。当初の26団体から44団体に広がり毎月行動している。
討論の最初に、世話人が経過報告。市民デモはこの1年、憲法改悪反対と格差・貧困、沖縄問題に取り組んできた。昨年9月の突然の解散総選挙には、〈連帯兵庫みなせん〉などと連携し、野党共闘を進めた。1月4日の安倍記者会見で憲法改悪待ったなしの局面に入った。これと立ち向かおうと報告した。
羽柴修弁護士(9条の心ネットワーク)が、5・3憲法1万人集会(神戸市中央区東遊園地)に向けて、3月1日に「総がかり行動」集会を開き、各地の交流と討論をおこなう。署名運動を広げ、安倍改憲阻止へがんばろうと訴えた。
休憩後の交流会では4月の西宮市議補選に立候補予定の31歳の青年が発言。米国人を父に持ち、一度も正社員になったことのない彼は、若者の貧困や生きづらさを変えるために挑戦したいと訴えた。 憲法闘争にかんする討論では、護憲的改憲論についての見解、朝鮮情勢の分析と暴露の重要性、反貧困をベースに地域の取り組み強化、などの意見が出され活発な議論となった。(松)

5面

君が代不起立
教育者としての信念貫く
処分撤回闘争が6周年

1月20日、奥野・山口「君が代」不起立処分撤回闘争6周年記念集会が大阪市内で開かれた(写真)。初めに〈支援学校の君が代不起立応援団〉と〈奥野さんを支える叫ぶ石の会〉の総会がおこなわれ、1年間の活動報告と会計報告があった。続いて弁護士が裁判の現状を報告した。
喜多弁護士は、戒告処分を受けた奥野さん山口さんら7人の戒告取り消しの合同提訴で、3月26日に一審判決を迎えると話した。
池田直樹弁護士は、2015年の支援学校高等部の卒業式で奥野さんは、信仰のためというよりも、自分が3年間担任してきた障がいをもった生徒が無事に卒業式を終えることができるよう寄り添った結果としての不起立であり、教育者としての信念にもとづく行為だった。障がい者の権利条約でうたわれている権利を保障するために最善の配慮をするのが教員の役割だ。その観点で意見書を作成していると報告した。
記念講演で、釜ヶ崎反失業連絡会共同代表・フランシスコ会司祭の本田哲郎さんは次のように語った。
奥野さんがキリスト者として信仰のために「君が代」に起立できないと言っているうちはまだ本物ではないと思っていたが、今日の弁護士さんの話を聞いてこれは本物だと思った。生徒のために座っていたことが本当の信仰の姿だ。「ほっとけない、黙っていられない」という思いこそが信仰だ。
聖書は誤訳が多く、「人は皆、上に立つ権威に従うべきです」とあるが、正しくは「人は皆、優れた権威には従うべきです」となる。洗礼とは洗い清めるという意味でなく、泥水の中を潜ること。仲間のしんどさを自分も本気になって一緒になって潜る。その覚悟を決めさせるのが洗礼式。痛み・苦しさ・寂しさ・悔しさ・怒りこれを自分のものとして持っている人たちの目がまさにキリストの目。
怒りこそが本当にその人を大切に思っている何よりの証拠。怒りをなくした運動は力をなくす。
裁判は体制側の発想でしか判断しないだろう。しかしこういう問題があるということを見せつけるために、やるべきことをやれば、石塊は輝き叫びだす、と結んだ。
最後に「君が代」不起立処分者でつくるグループZAZAのメンバーが裁判への決意を述べて集会を終えた。

本の紹介
『教育に浸透する自衛隊』
「安保法制」下の子どもたち

自衛隊の学校への募集活動、自衛隊の紹介行為が安倍政権下で活発化している。ブックレット『教育に浸透する自衛隊』は、市民運動家や大学教員、地方議会議員らによる、その実態ととり組みの報告である。
2015年9月、安倍政権による戦争法・安保関連法が強行された。それが自衛隊の活動を活発化させている。他方、南スーダンなどのように「戦場派兵」が実際のものとなり、自衛隊員や家族から派兵反対訴訟がおこなわれ、水面下での反対気運も高まり「自衛隊への入隊希望者は2割前後も減少した」(「東京新聞」15年10月24日)。そういう現実が自衛隊の募集活動を、よりエスカレートさせている。
防衛省の隊員募集は、都道府県ごとに自衛隊地方協力本部があり、各地本ごとに隊員獲得競争がおこなわれ、高校(生)はもとより中学校(生)へのリクルート活動が公然化している。本書は、自衛隊の全国各地の教育現場への浸透や自治体への介入の実態を明らかにし、安倍政権の戦争国家体制づくりへの批判、今後の反対、抗議を呼びかけている。
全国12のケースが紹介されている。「隊内生活体験を、宿泊防災訓練とすり変える都教委」「アニメや漫画を活用、自衛隊・愛国心を注入」「中高校生へ、隊員募集のダイレクトメール」「国防教育を掲げる府立高校」「自衛隊でのオリンピック選手育成」「あらゆる手法を使った隊員募集」など。くわしく知るにつけこの国の方向が、大きく曲げられようとしていることを思い知らされる。
「昭和」世代にとって自衛隊の募集の印象は、あまりスマートとはいえないポスターが掲示板に貼られ、たまに誰かが街で「間違って」呼びこまれる程度だった。それがモデルを使った洒落たポスターになり、今はあらゆる媒体が駆使される。『自衛隊、彼の地にて、斯く戦えり』は、中世の騎士軍が銀座に現れ民衆を殺戮。自衛隊が反撃し敵を壊滅させるというWEB空想小説のTVアニメ化である。架空を織り交ぜた自衛隊アニメは、子どもたちに小さくない影響を与えているという。募集ポスターにも高校の制服らしいミニスカートの少女が描かれ、「萌え系」への心理操作が使われる。
都立田無高校、大島高校では「宿泊防災訓練」と称し、陸自駐屯地内で生活体験学習がおこなわれた。自衛隊には「防災訓練」のプログラムは存在しないが、都教委は「あくまで防災訓練」と強弁している。そもそも高校生の「防災訓練」を自衛隊に依拠すること自体、教育現場のおこなうことかという根本的疑問がある。体験学習やインターンシップの本来が問われるというべき。都教委にたいし市民の側からのねばり強い要請や質問状が続けられ、15、16年度は実施されていない。予断を許さないが、とり組みの重要さを示している。
総選挙後、9条改憲阻止は当面する最重要の課題になった。私たちの側の「総がかり」が問われる。

〈同時代社、17年4月初版、定価/本体+税=800円〉(俊)

「障がい者・辺野古のつどい」に参加して(下)
戦争のための基地を許さない
滝 浩一

全国各地から参加者が

12月6日の夜、この集会を企画した成田正雄さんが営む「海と風の宿」に泊まった。そこには既に、集会参加の人たちが泊まっていた。
兵庫県から来た大島さん夫婦は、夫が車いすで、神戸の辺野古新基地建設に反対する行動に参加している。電動車いすの伊藤さんは滋賀県から。沖縄の平和行進にこれまで何度も参加している。長野や東京からもサポートする人たちが。
愛媛県松山市在住で脳性まひの森井さんとその介助者は、同市の障害者生活支援センター・グッドライフの代表として参加。 「『骨格提言』の完全実現を求める大フォーラム」の資料に東久留米市のグッドライフが賛同しているのを目にとめ、感心していた。
7日午前11時からの集会には、「障害者」とその関係者が50人、そのほか200人が集まった。オール沖縄会議、ヘリ基地反対協の安次富浩さんも発言。安次富さんは沖縄の福祉事務所で「障害者」関係のケースワーカーもしていたという。三線を引きながらの沖縄民謡や古武道のパフォーマンスも。
成田さんは、就職した会社がひどい労働条件で、そのため過労となり、交通事故による頸椎損傷で車いすを使う「障害者」となった。その後公務員となったが、現在は沖縄に来て「海と風の宿」を営んでいる。「機動隊の強制力を使って、戦争のための基地を作るのは絶対に許せない」と思いを語る。一方で、基地反対運動をしている人たちでも、浜にいる自分に一言も声をかけようとしないことがあると指摘。数日前、20年目にしてようやく、抗議船に乗れたという。
ついで集会の事務局長を務める田丸さん、「視覚障害者」の渡嘉敷さん、伊江島で「土の宿」を営む木村浩子さんなど、沖縄在住の「障害者」から発言があった。木村さんは、「障害者」も高齢者も手をつなぐ必要を何度も強調した。CILイルカからも参加していた。
シンガー・ソングライターのまよなかしんやさんは、2度の脳梗塞でかなり強い「言語障害」があるが、歌声の音程は正確だ。沖縄から反戦、政府への批判を叫びつづけるその生き方に共感した。

戦争のショック

沖縄県精神障害者家族会の会長も発言。沖縄には「精神障害者」が多いが、その大きな原因として戦争によるショックがあるという。大島さんは、基地反対行動のなかで、アメリカ軍や日本政府の横暴なやり方を、「狂気の沙汰」と表現する発言があることについて指摘。読谷村の精神保健福祉士も「こうした発言が出てしまう問題についてとらえ返していこう」と発言した。
また、「戦争になった場合、『障害者』は、ごくつぶしとして殺される」という発言は何度も出たが、津久井やまゆり園事件について触れる人はいなかった。
成田さんは、こうした「障害者」による集会を少なくとも1年に1度はおこないたいという。多くの人が参加してくれればと思う。(おわり)

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6面

長期連載―変革構想の研究 第5回
1848年革命と共産主義者同盟 C
〈二大階級への分裂から革命へ〉という革命論
請戸 耕市

「階級闘争の歴史」
「これまでのすべての社会の歴史は階級闘争の歴史である」。

「ブルジョアジーの時代は、階級対立を単純にしたという特徴をもっている。全社会は、…ブルジョアジーとプロレタリアートとに、ますます分裂していく」。「ついにそれが公然たる革命となって爆発し、プロレタリアートがブルジョアジーを暴力的に打倒して自分の支配をうちたてる」(注15)
  あまりにも有名な『宣言』のフレーズである。『宣言』は48年革命の目前に打ち出された共産主義者同盟の綱領であり、当面する歴史社会の動きとその必然性を明らかにし、未来社会の展望とそこに向かう行動の指針を示したものであった。〈二大階級への分裂→階級対立の激化→階級決戦から革命へ〉という見通し・歴史観・革命論を単純明快に指し示した。
それは次のような見通しに支えられていた。
「従来の中間身分の層…は、プロレタリアートに転落する」。「プロレタリアート内部の利害や、彼らの生活状態は、ますます平均化されてくる」。「個々の労働者と個々のブルジョアとの衝突は、ますます二つの階級の衝突という性格をおびてくる」(注16)
ブルジョアジー以外の人びとはあまねく労働者階級にフラット化され、そのことによって階級決戦情勢が成熟するという見通しである。

フラット化

ところが、48年革命の現実の進展はそう単純で明快なものではなかった。革命の前進の前に、ルイ・ボナパルトが立ちはだかった。しかも、ルイ・ボナパルトは、多くの農民や労働者の支持を受けていた。
農民は、『宣言』では没落・消滅が不可避な存在とされたが、歴史的な事実として、数の上ではたしかに減少するが、それでもこの時期、フランスの全人口54%と最大多数を占め、その農民がルイ・ボナパルトを登場せしめるという歴史的な役割を演じた。
労働者階級自体も単純にフラット化されるものではなかった。資本主義の確立過程であるこの時期、労働者階級といってもその実態は職人的労働者層であった。この職人的労働者たちがいち早く労働運動を開始していた。
他方で、周辺諸民族・農村地域から職を求める人びとや、旧秩序から放り出されたが新秩序の中でも排除的に扱われる被抑圧民族や被差別人民が、都市に流入し貧民街を形成し、やがて、相対的過剰人口の下層に押し込められていった。資本主義の進展とともに、むしろ、労働者階級の内部の階層化が進んでいった。
その最下層に押し込められた人びとが「ルンペン・プロレタリアート」(注17)であった。この人びとは、48年革命のなかで、革命の側にも反革命の側にも加わり、最前線で犠牲になった(注18)

国家論

国家について、『宣言』では、「近代の国家権力は、全ブルジョア階級の共同事務を処理する委員会にすぎない」。「本来の意味での政治権力は、他の階級を抑圧するための一階級の組織された暴力である」と規定した。
その規定は、社会が二大階級の対立に整序されていくという見通しに基づいたものであった。しかし、それだけでルイ・ボナパルトの体制(注19)を説明できるものではなかった。
ルイ・ボナパルトの体制は、単純に、ブルジョアジーの要求通り作動するものではなかった。ブルジョアジーの利害を一部犠牲にしてでも、〈上から〉の改革を推進する革新性があった。
それだけではない。〈上から〉の側面だけでなく、〈下から〉の側面があった。「連載第4回」で見たように、民衆の不満や反感、要求が、ナポレオン幻想という形で集団的に表象した。あるいは政府や議会にたいする労働者の幻滅や憤怒が、政府や議会を超える力を求めた。つまり、民衆自身がルイ・ボナパルトを押し上げ、その独裁を求めたという側面が無視できない問題として存在した(注20)
そういう全体を通して階級支配が貫かれ、その前提に警察と知事の官僚組織が存在した。
ルイ・ボナパルト体制は一過性のものではなく、その後20年間続く国家の常態であった。

理論と現実のズレ

このように、『宣言』で示された理論と、労働者階級の実態や階級闘争の進展の現実との間にズレがある。マルクス自身の言明はないが、そういう問題が突き出されていた。
他方、理論と現実の間を架橋する説明理論がマルクス以降、提出されてきた。アトランダムに列挙すれば、 
@『宣言』はもっと長いスパンの傾向を打ち出したのであって、ルイ・ボナパルト情勢に妥当しなくても問題ではない。
A理論と現実のズレは実態分析を深める方向で解決を図るべきだ。
Bマルクスは、後にイギリスを中心とする世界編成のなかで48年革命の趨勢も総括しており、その視点でとらえ返すべきだ。
Cマルクスは労働者階級について、当初、哲学的な観点から把握したが、『資本論』のなかで理論的にも実態的にも大きく深化された。『資本論』の体系のなかでとらえ返すべきだ。
Dマルクスは、後にアイルランド問題の把握を通して階級構成について深化しており、その視点からとらえ返すべきだ。
E問題は、階級と階級闘争が、即自的(階級的に自覚していない)なあり方から対自的(階級的に自覚している)なあり方に飛躍する組織や戦術の問題として扱うべきだ。
Fレーニン帝国主義段階論の確立により、そのパラダイムのなかで解決が図られている問題だ。
それぞれ重要な論点だと思うが、いずれも〈二大階級への分裂から革命へ〉という見方を不動の大前提としている。たしかに『宣言』では中心的な命題をなしていたが、マルクスの初期の理論や『経済学批判要綱』『資本論』を経た理論のなかで、この問題はどのようにとらえられていたのか。そういう検討が必要であると考える。
この問題は、時代を下ってマルクスもエンゲルスも没した直後から、ベルンシュタインの提起に端を発して、修正主義論争という形で顕在化した。そして、この論争はかまびすしく戦わされたが決着を見てはいないと考える。
次回も引き続いて『宣言』の問題について検討したい。(つづく)

 

(注15)『共産党宣言』(1848)
(注16)同上
(注17)ドイツ語でルンペンとは〈ぼろくず〉の意味。差別規定である。
(注18)良知力『向こう岸からの世界史―一つの48年革命史論』
(注19)「ボナパルティズム」はマルクスの用語ではなく、エンゲルスのものでかつ概念としても異なるので、ここでは使用しない。
(注20)マルクスは、『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』(1851〜1852)で「国家は完全に自立化したように見える」とし、新しい国家規定を模索している。マルクスの国家論についてはパリ・コミューンの検討を経てから論及する。

生涯入管闘争をたたかう
吉田雅信同志をしのぶ
村野良子

吉田同志が昨年10月3日に亡くなってから4カ月がたとうとしています。 私は、いまだ彼の死の現実が受け止め切れていません。今にも、電話がかかってきて、「ちょっと打ち合わせしようか」と言ってきそうな気がします。 5月に、本人から肺がんの末期で余命半年と聞いたときは、本人は腹をくくっていたのかとても冷静で、私の方が驚いたのを覚えています。でも医者の余命宣告なんか当てにならないと、余命宣告されても何年も生きている人の本を探し、勉強しました。本人もがんが抗がん治療もできないややこしい場所にあることで、治療には期待せず、免疫力を強める養生をしようと思っていたようで、玄米食などすでに始めていました。 私には、一つ大きな後悔があります。一昨年の秋ごろから、吉田同志に会うごとに、いつも「しんどいねん、フラフラするねん」、「頭が集中せえへんから、交流会ニュースの原稿が思うように書かれへん。やめようかと思うねん」と言っていました。私は、「でも読んでくれる人がいるし、楽しみにしてる人もいるから、頑張ろうや」と励ますだけで、なぜそんなにしんどいのだろうと考えなかったことが、今更ながら、悔やんでも悔やみきれません。本人は、もちろん、病院にも行っていたけど、早期発見できず、進行が早すぎた事が残念でなりません。 吉田同志の活動についていえば、革命的共産主義者同盟再建協議会を作り上げた時の彼の功績は大きいと思います。革共同幹部の財政的腐敗を暴いた事によって、これを契機にして、2006年3・14決起を実現した事を忘れてはなりません。 さらに、『反「入管法」運動関西交流会ニュース』を112号まで出してきた彼の偉業は歴史に残るものと思います。いつも、私が現場でたたかい経験した事を、理論として確立し、情勢を踏まえて、今何をすべきかを明確に提示していました。 日本軍「慰安婦」問題の解決に向けて、日本と世界が大きく動いていくなかで、現場での困難や厳しさにぶつかった時、討論することで整理することができました。常に他人への配慮と優しさを兼ね備えた人で、学ぶ事が大きかったと思います。 今頃は、今まで共にたたかってきた高英三さんらと天国で大いに好きな酒を酌み交わしていることでしょう。どうか、いつまでも、私たちを見守っていてください。 吉田雅信同志 略歴 1953年 生まれ。 1969年 大阪府立勝山高校入学。 1970年 7月入管闘争に決起し、反戦高協へ加盟。 1971年11月 渋谷・日比谷暴動闘争を高校生部隊の先頭でたたかい、大阪の高 校生運動をけん引。  高校卒業後、高校生対策部や入管戦線で活動。 91年から反「入管法」運動関西交流会に参加。  また中沢慎一郎名で「90年指紋・入管―天皇決戦の大爆発をかちとれ」(『日本・朝鮮・中国』第13号1989年)  「『7・7思想』と入管闘争」(『展望』 第6号2010年)などの論文を発表し、入管闘争の理論的・運動的発展に貢献した。 2017年10月3日 肺がんのため死去。享年64。