大飯3、4号機を動かすな
名古屋高裁金沢支部
差し止め裁判、結審
雨の中、横断幕を先頭に裁判所に向かう大飯原発差し止め訴訟の原告団と弁護団(11月20日 金沢市内) |
樋口判決(2014年5月、大飯原発3・4号機の運転差し止めを認めた福井地裁判決)にたいして関西電力が不服として控訴していた裁判の第13回口頭弁論が11月20日、名古屋高裁金沢支部(内藤正之裁判長)で開かれた。原告が求めていた「新たな証人尋問(2人)」を裁判長は「必要ない」と却下し、結審を強行した。また、福井県の西川一誠知事は27日、3、4号機の再稼働への同意を表明した。 裁判所前には、早朝から、「再稼働ストップ」ののぼり旗がなびき、マイクアジテーションが続いた。午後1時頃には、傍聴希望者の列がどんどん長くなっていった。傍聴席60席に、全国から集まった希望者は約150人。抽選にはずれた人は兼六園側入口に移動し、片手に傘、片手にメッセージボードを持って、シュプレヒコールを上げた。
結審を強行
裁判冒頭、水戸喜世子さんが意見陳述。連れあいの巌さん(故人)が東海原発裁判で格闘したことを裁判官に語りかけ、結審の再考を促した。 笠原一浩弁護人は、「火山灰の濃度が濃くなると、全交流電源喪失の危険」を指摘する山元孝広さん(産総研活断層・火山研究部門の総括研究主幹)と、「大飯原子力発電所の基準地震動調査が不十分で合理的ではない」と指摘する石井吉徳さん(応用物理学者)の、2人の証人申請の必要性について述べた。 島田広弁護人は結審の再考を促す弁論をおこない、続いて5人の原告が次々と立って、審理の継続を訴えた。被告(関西電力)は、「本日で終結を」と主張した。裁判長は10分間の休憩を宣言した。 休憩後、裁判長は、原告側証人申請を却下した。海渡雄一弁護人が立ち、「裁判所の訴訟指揮は不当であり、公正な裁判を妨げている」として、3人の裁判官を忌避した。裁判長は簡易却下し(即時抗告ができない)審理を強引に終結させた。 判決期日を指定することができないまま、そそくさと退廷する3人の裁判官に、傍聴席から激しい抗議の声が飛んだ。
国と東電の責任
午後2時から始まった法廷と並行して、となりの金沢弁護士会館では傍聴に入れなかった人たちが待機しながら集会をおこなった。若狭の原発を考える会・木原壯林さん、福島から木田節子さんなどの訴えが続いた。木田さんは原発事故によって引き起こされた健康被害、妊娠のトラブルについて訴えた。これらの被害について、理解を示す人のなかからも「障がい者差別を煽るな」と公然、隠然の圧力を受け、「健康被害に沈黙せよ」という世論が大きくなっている。「だれがこの事態を引き起こしたのか。国と東京電力ではないか」と、木田さんは涙ぐみ、悔しさをにじませながら話した。 法廷から原告団、弁護団、傍聴者が戻り、記者会見が始まった。原告団長の中嶌哲演さんは「裁判長は関電のサーバント(召し使い)だ」と指弾した。
「国民への裏切り」
島田広弁護団長は「地裁に続き、高裁でも関西電力を追いつめた。しかし裁判所は安全の審査をしないという決定を下した。国民への裏切りだ」と裁判所を弾劾した。 この日、〈福井から原発を止める裁判の会〉は、726筆の署名を裁判所に提出し、合計3478筆になった。福井県内と関西一円からはバス2台で60人が駆けつけてきた。次は判決だ。さらに倍する結集で名古屋高裁金沢支部を揺るがそう。
辺野古新基地
工期大幅遅れ 焦る防衛局
海上輸送で石材搬入を強行
「土曜日県民大行動」に参加した稲嶺進名護市長(写真手前真中)と照屋寛徳衆院議員(11月4日 名護市内) |
11月4日 米軍キャンプ・シュワブゲート前で2回目となる「第1土曜日県民大行動」がおこなわれた。市民600人が参加。照屋寛徳、赤嶺政賢両衆議院議員、稲嶺進名護市長や県議会議員があいさつ。稲嶺市長は衆院選で辺野古新基地建設反対の3候補が勝利したことを受けて「オール沖縄の風は弱まっていない。強くなっている」「非暴力のたたかいで基地建設を白紙に戻すまで頑張ろう」と訴えた。参加者は「辺野古新基地建設を阻止するまで諦めない」と拳を突き上げた。
6日 沖縄防衛局は辺野古新基地建設予定地の「K1」「N5」護岸2カ所の建設に着手した。「N5護岸」で10時半ごろ、仮設道路からクレーンで砕石が砂浜に投下された。その後、「K1護岸」でも砕石投下が確認された。
この日、強風と高波の影響で、カヌーによる海上行動はおこなわれなかった。抗議船に乗船した市民は「違法工事やめろ」「海を壊すな」と怒りの声を上げた。
シュワブゲート前では市民50人が、海上に向けて「最後まで非暴力でたたかい続けよう」と海上行動隊にエールを送った。
護岸工事は4月25日「K9護岸」から始まり、予定の300mのうち100mが造られたが、その後工事は止まっている。「K1」「N5」護岸は、仮設道路が完成し、この日から砕石投下が始まった。
赤嶺政賢衆院議員(左側)がマイクを握ってあいさつ(11月4日 名護市内) |
13日 沖縄防衛局は、国頭村奥港で、石材を海上輸送する作業に着手した。大型トラック50台の石材を台船に積み込み、14日に辺野古に搬入する見込み。海上輸送は初めてだ。
この日、奥集落の住民や有志の市民50人が体を張って、ダンプの石材を台船に乗せさせないよう道路に並んでダイインし抗議した。奥集落では、23日に奥区の総会があり、そのなかで住民の話し合いがおこなわれる。それまでは奥港使用を待つように防衛局に要請したにもかかわらず、防衛局は強行した。
14日 午前9時半頃、辺野古北側の「K9護岸」に、前日奥港から石材を積んだ台船が到着し、石材を重機でトラックに載せ陸上に搬入した。市民は「K9護岸」が見える瀬嵩の浜で抗議の声を上げた。海上では、雨のためカヌーが出せず、カヌー隊は4隻の抗議船に乗り込んで、「K9護岸」に向けて出発し、「違法工事止めろ」と抗議の声を上げた。
23日 国頭村奥区は、臨時総会を開き、奥港の使用に反対する抗議決議を全会一致で可決した。
27日 辺野古の「K1」「N5」護岸建設開始から3週間たった。護岸は「K1」で50m、「N5」で100mが造成されている。ゲート前からは1日200台以上の工事車両が基地内に入る。
奥港からは14日海上搬入が初めておこなわれたが、それ以降は実施されていない。(杉山)
2面
空母艦載機移駐が本格化
激しい爆音 高まる不安
岩国基地
米軍岩国基地まで「岩国市民と全国をつなぐ」デモがおこなわれた(11月26日 ) |
11月25日から26日にかけて山口県岩国市で「全国・アジアの反基地運動の力で戦争を止めよう!」を掲げた岩国行動2017がおこなわれた。06年の基地移設拡大・移駐反対の住民投票(87%が反対)以来毎年おこなわれており、今年は12回目。
25日はアジア共同行動(AWC)日本連絡会議と岩国・労働者反戦交流集会実行委員会の共催による岩国国際連帯集会と2017岩国労働者反戦交流集会。
26日は「岩国市民と全国を繋ぐ怒りと希望の行動」。岩国市役所前広場での集会と、基地までのデモをおこなった。この日の午前中には愛宕山(基地拡張用の土砂取りで破壊され、米軍住宅が作られた)、米軍基地の2つのコースで現地の住民活動家の案内によるフィールドワークも取組まれた。
活動家を強制送還
この行動に韓国から参加予定であったホ・ヨングさん(元民主労総副委員長、AWC韓国委員会代表)が入国しようとしたが、24日関空で日本の入国管理局によって長時間の拘束のうえ、入国拒否。法務省あての「異議申し立て」も却下され、25日午後5時に韓国に強制送還された。
東アジアで進む中国・香港、フィリピン、韓国、沖縄・日本民衆の国際反戦共同行動への日本政府の許しがたい弾圧である。ホ・ヨングさんは帰国後28日11時にソウル日本大使館前での抗議行動と糾弾記者会見を開いた。
東アジア最大の基地
25日の集会では、地元市議の田村順玄さんが基調発言。広島・西部の伊達さんが、「17年米軍再編完了」という節目で進む岩国基地強化の生々しい実態を暴露した。
集会前日の24日には、主力戦闘機F18ホーネット(爆音が大きい問題機)や電子戦機9機が飛来、25日にホーネット2機。当初説明を前倒ししての強行だ。26日には岩国市長に防衛省中国四国防衛局長が、移駐の最終通告をした。
これらは空母ロナルドレーガン(母港横須賀)の艦載機で、まさに東アジア・朝鮮海域でのこの間の軍事挑発活動の中核である。8月の早期警戒機5機を皮切りに始まった移駐が本格化し、厚木基地の空母艦載機の全て、そして最終的に18年5月の完了時には120機になる。これにより沖縄嘉手納基地を超える最大規模の基地に。また岩国基地はオスプレイ運用の拠点にされ、日米韓一体化の最前線基地となる。
このあと、沖縄の辺野古新基地建設反対闘争、京丹後市の米軍Xバンドレーダー基地撤去闘争、横田基地反対闘争の現場から発言が続いた。また今回はじめて、若狭の原発を考える会の木原壯林さんが発言した。
米軍の街に変る岩国
7月10日には夕方5時から深夜までの5時間の激しい爆音が岩国市民を襲った。1月に10機強行配備されたF35ステルス戦闘機の市街地上空のゲリラ掃討飛行だった。この戦闘機が配備されたのは米国以外では岩国だけだ。これが今後移駐する主役F18(61機)ならどうなるのか、市民の不安は大きい。
基地拡張用土砂取りのための愛宕山「開発」で、フェンスに囲まれた米軍将校用住宅「あたごヒルズ」が作られた。全262戸、核シェルター付で1戸の建築費が8000万円。すべて思いやり予算で支出された。さらに米軍所有の野球スタジアムや陸上競技場もつくられている。
今岩国は沖縄、米からの空中給油機15機、F35ステルス16機など60機約6400人の軍事基地の街だ。それが厚木基地からの本格移駐でさらに61機、3800人が移転すると約120機、「10人に1人が米兵」になる。政府は800億円を使い「あたごヒルズ」とは別に基地内に住宅800戸、兵舎2500戸建設する。さらに戦傷者用の巨大病院の建設も進んでいた。
住民主体の行動
今回26日の集会とデモは、地元の基地反対のたたかいを取り組む「愛宕山を守る会代表」「住民投票の成果を活かす岩国市民の会代表」、県内6人の呼びかけに団体39、個人74人が「連名」の主催取り組みとなった。各リレー発言は「基地との共存はない」「艦載機反対」の声が続いた。現地のたたかいを全国の反戦・反基地、反原発陣形が連携する新しい岩国のたたかいの始まりを示した。岩国闘争は沖縄と並ぶ重要なたたかいだ。(黒山一鉄)
市東さんの農地を守れ
裁判長の強権指揮許さず
千葉地裁
中央公園から裁判所までデモ行進(11月6日) |
三里塚空港反対同盟・市東孝雄さん「農地法裁判」請求異議裁判・第4回弁論が11月6日、千葉地裁で開かれた。前回に続き弁護団は、市東さんからの農地収用は「権利濫用」であり、強制執行は許されないことなど、3点にわたって弁論を展開した。とくに、@1971年第2次強制代執行における大木よねさんの土地・家屋強制収用に対する、その違法性をめぐる裁判で、一昨年に至って養子の小泉英政さんとの間でようやく「和解」が成立し、空港会社(NAA)は「話し合いの努力が足りなかった」などと謝罪した。ところが市東さんに対しては民事裁判という形ではあれ、同じく強制的収用を強行しようとしている。また、A「離作補償」の支払いが、農地の賃貸借契約の解除条件であるにもかかわらず、一切おこなわれていない、など。
しかしNAAは、これまでと同様に認否も含め何の反証・反論もおこなわなかった。裁判長もこれを「黙認」する様は、怒りを通り越してあきれ果てるばかりだ。
早期弁論終結を阻止
弁護団が立証計画を提出し、証人申請の予定を明らかにしようとするや、いきなり高瀬裁判長は「原告市東さんと萩原さんの証言は聞きたい」「次回に市東さん、萩原さんを尋問」と言いだした。NAAは「証人は必要ない」と応じ、次回市東さん、萩原さんの尋問で終わらせる意図をあからさまにした。
弁護団は全員が高瀬裁判長のデタラメな訴訟指揮に激しく抗議、傍聴席からも怒りの声が湧きおこり、廷内は騒然となった。
激しい反撃によって、「次回市東さん、萩原さん証人調べ」は阻止された。しかし強権的訴訟指揮による早期弁論終結・結審の意図は明確となった。
次回裁判は3月8日午前10時半、千葉地裁601。請求異議裁判は、最大の正念場を迎えることになる。
裁判に先立ち、午前9時より千葉中央公園で集会がひらかれ、千葉地裁までデモ行進がおこなわれた。地裁では、高瀬順久裁判長宛の1860筆(通算10684筆)の署名が提出された。また裁判後の報告会で、次回裁判が最大の山場となることと、傍聴席・裁判所を埋め尽くす結集を確認した。
営農は憲法上の基本的人権
市東さんの会 東京でシンポ
11月23日
農民の人権は守られているかと討論(11月23日) |
市東孝雄さん(千葉県成田市)からの農地強制的取り上げ問題が重大な局面を迎えるなか、この問題の根底に横たわる日本農業と農民の危機的現状を、憲法とりわけ基本的人権の観点からとらえるシンポジウム「明日も耕す、この地を耕し続ける」が11月23日、都内で開催された。主催は〈市東さんの農地取り上げに反対する会〉。
日本農業は崖っぷち
第1部では、「憲法と農業―農民の人権は守られているか」と題して内藤光博さん(専修大学教授、憲法学)の講演と、石原健二さん(農業経済学)、三宅征子さん(消費者・市民運動)が加わっての鼎談がおこなわれた。
そもそもこの国で農民の生活と人権は守られてきたといえるのか。農業だけでは食べられず、農家は耕作放棄と経営破たんに追い込まれる。農業の未来を見通せず、高齢化と地域の衰退が進行している。自民党農政はこれに拍車をかけ、日本農業は崖っぷちに立たされている。
このことを念頭において、内藤さんは「農業、及び農業を遂行する行為(農業・営農権)は、憲法上の基本的人権として位置づけられるべきもの」と、試論と断りながらも、提起した。自民党の改憲草案で「公益及び公の利益」=国家的利益を、基本的人権よりも優位とするとしているなかでは、なおのことこうした視点を確立していくことは重要だ。
石原さんは、「生存権的財産権は食糧自給論が基底になくてはならない」とし、日本農政を厳しく批判した。
三宅さんは、自国民のための食糧確保を最優先し、食糧・農業政策を自主的に決定する権利としての「食料主権」の視点から、健康で文化的な生活を営む権利があり、国はその向上・増進に努めねばならないことを訴えた。
これらは、今後大いに議論を深め、拡げていくべき重大な問題提起であった。
農民の権利復権を
第2部では、「緊迫の成田! 強制的手段による農地取り上げは許されない」と題して、市東さんの会・事務局、農地裁判を担当する弁護団から、裁判とりわけ請求異議裁判の緊迫する現状報告と支援アピール、そして決意が表明された。
当該の市東さんは、急迫する農地裁判にのぞむ思いと決意を語り、支援を訴えた。
沖縄・辺野古情勢について、沖縄の知花昌一さんが特別報告をおこなった。
市東さんの農地の強制収用問題は、自民党の農業切り捨て、日本農業の崖っぷちの危機に警鐘を乱打し、農業・農民の権利を復権して、現状を覆していく第一歩のたたかいだ。市東さんの農地裁判を共にたたかおう。(野里 豊)
3面
森友・加計追及やめない
政治の私物化はあかん! 兵庫県集会
11月19日、神戸市内で「森友・加計事件 政治の私物化はあかん! 兵庫県集会」が開かれ80人が参加した。主催は〈こわすな憲法! いのちとくらし! 市民デモHYOGO〉(写真)。
国家戦略特区
最初の講演は、森友学園事件や加計学園事件を、安倍政権による国政私物化、公務員の劣化問題として刑事告発などで鋭い追及を続けている醍醐聡東大名誉教授。
醍醐さんは、これまで判明している事実をもとに、加計学園事件が国家戦略特区を使って所管庁(文科省)の行政権限を無きものにする官邸集権主義だと批判。内容的にも文部科学行政に責任を持つ文科省は、石破4条件(注)を満たさない獣医系学部の新設を「全国的見地から検討せねばならず」「特区制度を利用した対応は極めて困難である」とした。これを「総理の意向を忖度」する官僚どもが「岩盤に穴をあける」として安倍に近い企業や集団の便宜のため強行したのが加計学園事件だ。森友学園事件と加計学園事件はきわめて類似しており共闘が必要で、会計検査院の報告以降新たな局面に入るが、追及の手を緩めてはならない。特に工事の障害にならない埋設物は「瑕疵」ではなく、それゆえ値引き自体がおかしいと断罪した。
追及の手を緩めず
次に森友学園事件を追及している木村真豊中市議の報告。
事件発覚以前から議員と市民グループが、維新や日本会議との対峙のなかで、極右教育で知られる塚本幼稚園を対象化していた。そのとき豊中市内で「瑞穂の國記念小學院」のポスターを発見し、問題が一気に焦点化した。
2月以降のたたかいの中でひとまず開校は阻止したが、大阪の公教育では塚本幼稚園型の教育が進んでいる事にも警鐘を鳴らした。問題は国有地の不当な払下げだけでなく、大阪維新や大阪府私学審議会が一体となり森友学園を突破口に、戦前型の教育が教育界を制圧しようとしたこととの攻防だとした。そしてこの問題は解散・総選挙でもごまかすことができず、価格交渉テープの暴露(9月)と会計検査院報告(11月)で、臨時国会の焦点になることは必至で、引き続き追及の手を緩めず、責任を取らせなければならないと訴えた。
(注)石破4条件
石破茂議員が地方創生担当相だった15年6月30日に閣議決定されたものなのでそう呼ばれる。獣医学部新設に関して、@新たな分野のニーズがある、A既存の大学で対応できない、B教授陣・施設が充実している、C獣医師の需給バランスに悪影響を与えない、という条件。(岸本耕志)
オール東大阪の市民運動
差別と憲法改悪許さない
「安倍の9条改憲NO!憲法を生かす全国統一署名」ののぼりと横断幕をもって登場(11月11日 東大阪市) |
第2回東大阪の集い「止めよう戦争の道、生かそう平和憲法」が11月11日に同市内で開かれ、120人が参加した。主催は実行委員会。
第一部は東大阪出身の普門大輔弁護士による「貧困問題や差別行政問題の中で見えてきたもの」と題する講演。普門さんは自身が関わる生活保護基準引き下げ違憲訴訟と朝鮮高校への補助金訴訟等について簡潔に報告し、差別とたたかい、生活を根底から支える憲法の大切さを報告した。普門さんは講演の最後に、高校の卒業式のとき同級生の在日の女性が本名宣言をしたことに衝撃を受けたことなどを話し自身の東大阪での生い立ちを語った。
多彩な発言
参加者からの発言として朝鮮総連国際部長の姜賢さんがあいさつ。その後、住民による三線演奏、「改憲と自衛隊」発言、「辺野古新基地反対と座り込み」報告、李信恵さんからヘイト問題、さらに「慰安婦問題」発言、「差別と戦争」についての報告がおこなわれた。住民運動の最後に丁章さんから「道徳教科書問題とオール東大阪市民運動の共闘」について報告があった。
第二部はガラッと変わってお楽しみ演芸コーナーがおこなわれた。東大阪市議の松平要さんのもう一つの顔である河内亭九里丸さんが司会をして、桂文福さん、趙博さんの芸が披露された。九里丸さんの軽妙な話芸、文福さんの相撲甚句や河内音頭、趙さんの「わてら陽気な非国民」などの歌と話芸が披露され、会場からは笑いと手拍子が起こった。
運動の発展
教科書運動を中心に取り組んできた丁さんからは以下のような報告があった。
東大阪での運動は11年夏に戦争を賛美する育鵬社の教科書が突然クーデタ的に採択されたことに危機感を持った人たちが集まって開始された。以来6年、東大阪という街が大切にしてきた平和・人権・多民族多文化共生が壊されていこうとすることにたいして、逆にこれらを守り育てるオール東大阪の市民運動として発展してきた。平和の問題、教科書の問題として始まったこのオール東大阪の運動は今回、政治的な課題=選挙に関わることに挑戦するところにまできたことが報告された。
衆議院選挙の公示日が迫る10月3日、東大阪でも安倍政権や希望の党、維新等に対抗する「反転の風」を起こそうと「平和・共生の共闘を求めるオール東大阪市民の会」を急きょ立ち上げ、翌4日には記者会見をし、野党統一候補の擁立と共闘を求める要望書を共産党、立憲民主党、新社会党、社民党の4党に提出した。残念ながら私たちの力が今ひとつ及ばず東大阪では候補の統一には至らなかった。しかし、衆議院解散という激動の中、東大阪で即座に野党共闘のための市民運動が結成できたのは時代の右傾化に抗して11年から開始されたこの6年間の粘り強い市民運動の基盤があったからこそだと指摘した。
最後に「憲法改悪に反対する市民の拡がりをつくり、今以上に東大阪での市民運動を活発に行い、オール東大阪の市民運動をこの街に浸透させていきましょう」と結んだ。
最後に、司会の安藤眞一牧師が「安倍9条改憲NO! 憲法を生かす全国統一署名」(三千万人署名)運動への取り組みの提起をした。「反転の風」を東大阪でまき起こしていきたいと強く感じた集会だった。(布施三郎)
冬期特別カンパ アピール
改憲NO! アベ政治にピリオドを
すべての仲間のみなさん。10月の衆院選で自民・公明合わせて313議席を獲得した安倍政権は、来年の通常国会に自民党改憲案を提出することを目指して準備を進めています。与党で衆院定数の3分の2という数に物を言わせて、森友学園問題や加計学園問題などで明らかになった「国政の私物化」を開き直り、さらに強権的な政治を進めようとしています。
自民党は衆院選で、「民主党政権の地獄のような日々に戻っていいのか」と安倍政権の「景気対策の成功」を言いつのる一方で、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の「脅威」を煽り立てて、有権者の支持を訴えていました。こうした訴えが民衆の「圧倒的な支持」となったのでしょうか。決してそうではありません。民意が最もよく反映される比例代表で全有権者が自民党に投票した率(絶対得票率)は、わずか17・49%にすぎませんでした。全有権者の8割以上の人たちが自民党を積極的に支持しなかったのです。
それはなぜか。その大きな理由は、自民党の宣伝とは裏腹に、多くの人びとが安倍政権になって生活が苦しくなったと実感しているからです。実際、2012年末の安倍政権発足から半年後の13年6月、労働者の実質賃金は急落し、翌14年4月の消費税率8%引き上げによってさらに急落しました。それから3年半が経過しましたが、いまだに消費税率引き上げ以前の水準に戻っていません。安倍政権になってから年収で平均50万円以上が失われたという試算もあります。
このように労働者の実質賃金の低下が続く中で、「高度プロフェッショナル制度」と名前を変えた「残業代ゼロ」法案を来年の通常国会で成立させようとしています。この法案は企業にとっては「残業やらせ放題」法案です。まさに労働者を「過労死地獄」にたたき込むものです。人びとの生活を苦しめているのはそれだけではありません。一昨年、安倍政権は、高齢者に負担増を強いる一方で、介護サービスを削減する介護保険制度の大改悪を強行しました。これは高齢化社会の到来に逆行して、「長生きすることは地獄だ」と人びとに思わせる典型的な悪政です。
安倍政権による日米同盟重視の軍事大国化路線はまさにこうした人びとの犠牲のうえに進められています。沖縄・辺野古の米軍新基地建設や岩国の米軍基地強化など、住民に耐え難い苦痛を強制しています。安倍は9条に自衛隊を明記することを改憲方針の柱にしています。それは日米軍事同盟に基づく集団的自衛権行使を合憲とするものです。憲法の名の下に戦争をおこなおうとしているのです。そのようなことを断じて許すわけにいきません。「安倍9条改憲NO! 全国統一署名」3000万を達成し、安倍政権を打倒しましょう。みなさんの冬期特別カンパへのご協力をお願いします。
冬期特別カンパにご協力をお願いします
郵便振替
口座番号 00970―9―151298
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前進社関西支社
4面
寄稿 「明治百五十年」の真実を問う @ 大庭伸介
琉球を隠れミノにした密貿易と農民収奪の上に実現した明治維新
来年は明治元年から百五十年にあたる。政府は「明治維新の精神に学び、日本の強みを再認識する」と、さまざまな顕彰事業を計画している。マスメディアもそれに合わせて、近代日本の夜明け=大日本帝国の誕生をキャンペーンしようとしている。NHKの大河ドラマ『西郷どん』もその一つである。(3回連載)
西郷隆盛の率いる薩摩藩は、幕府を倒し明治維新を実現する上で絶大な力を発揮した。戊辰戦争の皮切りになった鳥羽伏見の戦では、新政府軍約5千人のうち約3千人が薩摩藩兵で、同藩の大砲が威力を発揮した。そして廃藩置県を断行するために新たに設けられた天皇直属の「御親兵」約8千人のほぼ半数が薩摩藩兵であった。
なぜ薩摩藩はとび抜けた兵力と、近代兵器を大量に備えることができたのか。同藩は加賀百万石に次ぐ表高七十七万八百石の大藩で、人口の4分の1以上にも及ぶ武士を抱えていた。それを支えたのは実高が百万石を大幅に上回る豊かな財力であった。
その理由のひとつは外城制度にあった。農村に住みついた藩士が農民を直接支配する仕組みである。農民は他藩よりはるかに重い年貢を取り立てられても、武士に文句一つ言えない監視と統制下にあった。だからこそ江戸時代を通じて薩摩藩では農民一揆が一件も起きていないのである。
なお薩摩藩には浄土真宗の「隠れ門徒」がいた。室町時代から全国的に浄土真宗の信徒が急激に増え、自治共同体をつくって領主に対抗していた。薩摩藩は人びとのヨコのつながりを警戒して厳しく弾圧した。門徒たちは風雨の激しい夜、こっそりと山中の洞窟に集まって弥陀の称号を唱えていたのである。
二つ目の理由は、奄美・琉球諸島の農民にサトウキビ栽培を強制し、当時貴重品であった砂糖の独占販売で莫大な利益を上げたことである。子どもが砂糖を一口なめただけで、家族全員が処刑される程、その収奪は過酷を極めた。耕作可能な土地はすべてサトウキビ畑に改めさせられたので、農民の生活は惨めそのものであった。
三つ目の、そして薩摩藩が裕福であった最大の理由は、琉球王朝を隠れミノにした密貿易にあった。1609年、薩摩の兵隊が突如琉球に上陸し全島を占領した。当時アジアや欧米の国々は琉球を独立国家として認めていた。薩摩藩は琉球王朝の名において中国との朝貢貿易や、他の国や地域との交易を従来にも増して活発におこなわせた。その利益を横取りするためである。薩摩藩の特産品の砂糖も琉球王朝に中国から精製技術を移入させたものである。
幕府は鎖国政策をしき、長崎を通じて対外貿易を独占していたが、琉球を「外藩」と称して薩摩藩の密貿易を黙認していた。
西郷らの薩摩藩主導の倒幕=維新は、琉球を隠れミノにした密貿易と農民たちからの徹底した収奪の上に実現したわけである。
現在も続く「琉球捨て石」の考え方
「日本(本土)の安全と利益のためには、外藩(外地=植民地)である琉球(沖縄)を捨て石にしてもかまわない」とする差別思考は、現在も辺野古新基地建設をはじめ、沖縄切り捨て政策として沖縄の人たちを苦しめている。
西郷が薩摩藩の農民支配の仕組みそのものや琉球を隠れミノにした密貿易について、異を唱えた事実は、私が読んだ文献・資料には見当たらない。
倒幕に成功した後、西郷は1873年、征韓論をめぐる政争に敗れ、故郷に帰った。そして鹿児島県を下級士族中心の軍事独裁体制に仕立て上げていった。「民を哀れむ西郷どん」と人望の厚かったはずの西郷は、彼に従う下級士族によって、農民たちを今までよりも一層厳しい支配下に置いたのである。
だが西郷配下の者たちが、絶対主義的官僚専制国家をめざす大久保利通の挑発に乗り、西郷は大義名分のない西南戦争を起こして自決に追い込まれた。西南戦争は滅びゆく士族たちの絶望的暴発であり、全国の虐げられた民衆に訴えるべき何物もなかった。
むしろ西南戦争以降に本格化した自由民権運動こそ、日本の民衆にとって近代の始まりを意味する。自由民権運動は国会開設や地租軽減などの民衆的課題を掲げ、貧農層まで含む民衆的闘いであった。明治政府に対して全国各地で流血の闘いを展開し、国会開設を勝ち取った。
西郷の「靖国合祀」と英雄待望論
西郷は彼の遺した「児孫のために美田を買わず」の言葉に見られるように、私心にとらわれないスケールの大きい英雄として、今も幅広い人気を誇っている。判官びいきも手伝って多くの人のナショナリズムに訴え、靖国神社への合祀が取り沙汰されてきた。
靖国神社には天皇(制政府)に反逆した者の霊は祀らない原則がある。しかし同神社の宮司は西郷の合祀について、「国が決めることである」と、受け入れる姿勢をほのめかせている。おそらく多くの人は西郷の靖国合祀を歓迎するだろう。政府のネライは、こうして天皇の靖国参拝のお膳立てを整えることにあるのではないだろうか。
A級戦犯の合祀以降、昭和天皇も現天皇も靖国参拝を見合わせている。しかし靖国神社の最大の行事である春・秋の例大祭に天皇は欠かさず献金している。自民党は「自衛隊を憲法9条に明記する」と公約に掲げて、総選挙で大勝した。安倍内閣は改憲を一気に加速させて、戦争体制の完成に突き進んでいる。
すでに自衛隊の首脳部は、年明けにも朝鮮民主主義人民共和国との戦争が起こりうると想定して、作戦準備を始めたと伝えられている。そうした事態になれば、当然予想される戦死者の靖国神社への合祀に、天皇の参拝は欠かせないだろう。
資本主義が“終りの始まり”を迎え、社会のあらゆる分野で解決不能の矛盾が噴出している。人びとの不安と不満が鬱積し、従来では考えられなかったような犯罪が頻発している。
日本を代表する巨大企業の不正が相次いで明らかにされている。政治家のスキャンダル暴露は日常茶飯事となり、今回の総選挙の結果も民意と大きく掛け離れたものであった。人びとの政治不信は増幅される一方である。
こうした状況は英雄待望論を生みだす土壌である。すでに街の書店には西郷を賛美する本が多数横積みされている。西郷を主人公にした大河ドラマは歓迎され、一大ブームを起こすだろう。
英雄待望論の次に来るものはファシズムの登場である。
今展開されている沖縄闘争には“英雄”は存在しない。薩摩藩、日本政府そしてアメリカによって支配され、踏まれても蹴られても「あきらめなければ絶対に負けることはない」と闘い続ける沖縄の人たちの姿勢こそ、明治百五十年を迎える今、我々が共有すべき財産ではないだろうか。(つづく)
〔2017年12月1日〕
女性に対する暴力撤廃国際デー
11月25日 キャンドルアクション
国連が制定した「女性に対する暴力撤廃国際デー」の11月25日、この日を期して世界中で、さなざまな活動が展開された。日本では、東京・渋谷駅前で「キャンドルアクション」がおこなわれ、約400人が参加した(写真)。主催は日本軍「慰安婦」問題解決全国行動。
性にまつわる被害をはじめとした女性への暴力が世界中で相変わらず後を絶たないが、とりわけ日本は酷い。被害者が声を上げること自体が困難。15人に1人の女性が被害にあいながら、その7割が誰にも相談できないでいる。女性への暴力を許し続けてきた歴史が、被害の声を受け止めない社会を作ってしまった。日本軍「慰安婦」問題への取り組みを断固として拒絶する日本政府の姿勢がこれを助長している。さまざまな発言を受けて、人身取り引き・レイプ被害・AV出演強要などの問題に誠実に向き合える社会を作ろう、と訴えられた。
また、「戦争で最も大きな被害を受けるのは女性」「沖縄では現在進行形で女性が軍事基地の存在を根拠にした被害を受けている」と、改憲をはじめとした戦争体制構築へのたたかいへの取り組みの必要が呼びかけられた。
発言者を囲む円陣と、それらを見下ろす歩道橋に鈴なりになった人々が大きくキャンドルを振ってこれに応え、道行く人々へ共感を求める行動となった。
5面
ろうそく革命は継続する
韓国の活動家との交流
10月14日〜17日ソウル市内で
韓国ソウル市内の東大門にあるチョンテイル橋の上に立つチョンテイル烈士の像(11月14日) |
パククネ政権を打倒したろうそく革命から1周年の10月28日、ソウル市光化門広場では再び数万規模の人々がデモをおこない、ろうそく革命が継続していることが確認された。
労働者、市民自身の行動、運動によって、政権交代を果たし、さらなる社会変革を求めて持続するこのような力は、どういう経過を辿って発展してきたのか。その一端でも感じ取れればという思いで、10月14日から4日間、ソウル市内の様々な現場を訪問し、活動家と交流するフィールドワークに参加した。
チョンテイル橋から
ソウル到着後、チョンテイル烈士の像が立つ、チョンテイル橋にまず向かった。そこでおこなわれていたハンマダンに参加し、韓国の労働組合活動家達とマッコリを酌み交わして、ともに踊ることから交流が始まった(写真上)。
以降、限られた日程の中でも、それぞれの現場の人たちや、通訳で現地行動を援助してくれた活動家たち、そして日本からの参加者同士が、結構深く交流ができてとても意義があった。
江南区にあるサムスングループの本社前に設営されている籠城テント。青瓦台の大統領府が見通せるところにあるセウォル号惨事の真相究明を求めて活動しているテントや、その付近に多くある争議中の労組のテント。たまたま通りかかったSKテレコム本社前での労組の籠城テント。西大門刑務所歴史館。麻浦区のソンミサンマウルというコミュニティ。そしてろうそく革命を下支えした参与連帯の事務所などが主な訪問場所であった。
ろうそく革命
私にとっては初めての訪韓。宿舎をとった東大門あたりの露店があちこちにあるところや、バスを含む全ての車の運転の荒っぽさや、所構わずケータイで大声でしゃべっているところなど、日本との雰囲気の違いを最初に感じた。労働者の政治的な意識もだいぶ違うようで、日本では飲む席での政治の話は嫌がられ、仕事の話などが多くなるが、韓国では飲み屋でも家族との団欒でも政治の話が多いということも教えてもらった。最初の晩、アスベスト禍問題などに取り組む人たちとの交流は、ちょうどその日の出来事である「“パククネの勾留延長決定”に乾杯」の音頭で始まり、なるほどと思った。
しかし韓国と日本の運動の差は、単純にそのような民衆の政治的な意識の差によるものではない。様々な現場での苦闘や、参与連帯で聞いたろうそく革命の教訓、今後の課題などからわかったことは、韓国でも日本でも突き当たっている問題は大きくは重なっていたからである。その問題は根本的には、大多数の民衆が自らの行動でこそ社会を変え、未来をきりひらくことができることを自覚しつつ、実践に立ち上がっていくこと、それをいかに作るかということである。
参与連帯の中心的な活動家との2時間に及ぶやりとりで、これまでの敗北や停滞を徹底的に真摯に総括してきたことが、ろうそく革命の勝利にとってかなり大きいのだと思った。この点について、2008年のろうそくデモとの比較で、話してくれたことが印象的だった。08年のろうそくデモとはBSE問題で大きなたたかいとなったのだが、これも実は成功したとは言えないと総括されている。大規模に発展しながらも次第に民衆の支持を失っていったようである。彼も含めた学生運動の出身の活動家たちの意識がデモの前面に出て、民衆の意識と離れていく、そのような過程があったそうだ。
わかりやすいエピソードとしては、デモが一見平和的におこなわれていた時には、活動家の側がもどかしさのあまり積極的に警察にぶつかっていったりして、警察の介入を許す一方、マスコミの悪宣伝に利用されたことなども小さなことではなかったようである。今は、韓総連に代表される学生運動はもう存在しないということも衝撃だった。また、労働組合に対しても、マスコミの悪宣伝などで民衆の中に不信感もあり、ここでも分断があったようである。これらをとらえ返し、あくまで民衆の意識に立脚して運動を進めることや、労働運動と市民運動の連帯、信頼を勝ちとることなどがきわめて重要なこととして総括されていったようである。
総括は以上にとどまるものではなく、また歴史的な経緯も踏まえて話されたので、上記のことはほんの一部の紹介でしかないが、これだけでも日本のわれわれにとっても重なる問題として、何が問題なのかが何となくわかるのではないかと思う。
2008年以後は、イミョンバク政権〜パククネ政権による9年間の反動政治により、貧富の格差拡大や、さまざまな問題が引き起こされる中で労働者、民衆の怒りがかつてなく高まってくる過程であった。こうした中で、これまでの運動の総括に踏まえて、民衆自身が真に主体となったたたかいとしてろうそく革命が成し遂げられていったのである。これが訪韓したことで少し実感できた。
サムスン籠城テント
この他、西大門刑務所歴史館でちょうどおこなわれていた1987年の民主化運動に関する展示も印象深かった。当時学生活動家として現場にいた仲間から直接説明をうけることもできたので。
さらに、サムスンに労災の解決を求めるパノリムの籠城テントでもじっくりと交流できてよかった。サムスン電子の半導体を作る工場では、労災ですでに多くの死者を出している。被害者の父親が労災認定を求めてたたかいに立ち上がって10年、裁判にも勝ったが、サムスンはいまだ真相を明らかにせず、根本的な解決はまだである。当初からともにたたかう公認労務士の女性は、10年間の苦闘を振り返り、涙しながら私たちに話してくれた。 被害者の父親は、最初から長いたたかいになることを覚悟し、だからこそ日々のたたかいは楽しくなければと言っているそうである。そんな言葉と、今回のようにさまざまな人たちの支援連帯を受けることで、苦しくともたたかい続けてこられたと。連帯することの重要性を感じた交流だった。
以上、4日間いろんな面で中身の濃いフィールドワークだった。(浅田洋二)
福島原発事故を取材、報告
11月23日 おしどりケン・マコ講演会
11月23日、「おしどりケン・マコ講演会」(主催:同実行委員会)が大阪市内でひらかれ350人が集まった。おしどりケン・マコさんが「ハミガキするように社会の事をかんがえよう」というテーマで講演(写真)。
おしどりケン・マコさんは福島原発事故を精力的に取材している。そこからみえる福島と日本の現実を面白おかしく聞かせた。
ふたりの話から見えてきたことは、事故以前と変わることなく、この国は原発を国策として推進しているという現実だ。この現実にたいして「市民が本気で怒ることが大切だ」と、マコさんは訴えた。講演では多くの体験談が語られたが、いくつかの事例を紹介する。
8000ベクレル
福島県民健康調査検討委員会の記者会見に、福島県民の関心があつまっている。ある住民が「なんでこんなに同級生が亡くなっているのか。以前はこんなことがなかったのに」と言っているように、健康に対する不安が深まっているからだ。この原因を知りたいと思って、市民は記者会見に参加している。しかし、福島県は「この甲状腺検査は被曝の影響有無を調べるのではなく、県民の不安解消のため」だとしている。
福島の農民は、農作業のなかで被曝にさらされている。農民は「自分たちの健康は、誰が管理してくれるのか」と不安になっているのだ。これにたいして、国(厚労省、農水省)は「電離則(電離放射線障害防止規則)は労働者を守るために課している法律で、農家は自営業ですから、自分たちで管理しないといけません」と回答した。
福島県が受け入れた中間貯蔵施設は「30年以内に福島県外に最終処分場をつくる」ことが条件になっている。これは現実的には不可能だ。国の方針は、除染で大量に生じた汚染土をいかに減らすかということ。2016年4月、環境省は「8000ベクレル/s以下の汚染土壌は全国の公共事業で使える」ことを決定した。全国の公園や道路の盛り土に使うというのだ。国は「世界でも前例のない取り組み」とうそぶく。この事実はほとんど人々に知らされることなく、秘密裏におこなわれているのだ。
市民の政治参加を
マコさんが紹介したドイツ放射線防護庁職員の発言は教訓的だ。
「民主主義的選挙を多くの国が採用していますが、これは完全なシステムではありません。ドイツでは、民主的な選挙で、ナチスのヒトラーを生み出してしまいました。愚かな民は愚かな代表を選ぶ。それが民主主義の選挙です」「原子力の問題も同じ。政治家、研究者、誰か賢い人に任せておいたらいいということではなく、市民がそれぞれ知識を得て思考し、判断して意見を持ち、全員で何がベターか話し合うことが大事です」
講演の最後に、「毎日、当たり前のように歯磨きをするように、わたしたちは社会にたいして発言し、行動していくことが大切なのです」と述べた。官僚や専門家に任せるのではなく、市民が政治参加していくことが重要なのだ。(津田)
6面
長期連載―変革構想の研究 第4回
1848年革命と共産主義者同盟 B
請戸耕市
想定外だったルイ・ボナパルトの登場
前回Aで、1848年革命を経たマルクスが、『共産党宣言』とは違う1850年革命論ともいうべき主張を打ち出したということを見た。問題はなぜそういう転換をしたのかだ。ルイ・ボナパルトの登場という想定外の展開に核心があった。
パリの1848年2月革命から6月労働者蜂起に至る情勢は、主役が次第に市民から労働者に移り階級的激突に上り詰めていくという『共産党宣言』の想定通りに進むかに見えた。
しかし、他方で、4月に行われた男性普通選挙(6カ月以上同一市町村に居住する21歳以上のすべての男性)では、有権者数が25万人から1千万人という規模に拡大、急進共和派や社会主義者などの左派の台頭が予想されたが、結果は約900議席のうち800を王党派とブルジョア共和派が占め、左派は100にとどまっていた。さらに48年12月の大統領選挙ではナポレオン1世のおいのルイ・ナポレオン・ボナパルトが圧勝(総投票数の4分の3)。さらに1851年12月には、軍隊の力で議会を解散させるクーデターによって独裁へ移行するも、直後の人民投票でクーデターが圧倒的に支持された(744万票対64万票)。この展開はマルクスにとって想定外だった。
ナポレオン幻想
一体だれがルイ・ボナパルトに投票したのか。ブルジョア層ももちろんだが、大多数は新しい有権者層である農民と労働者。農民は新有権者の4分の3を占めた。都市では職人・労働者地区の支持率が高く、パリでは6月蜂起に参加した労働者層が支持した。(注9)
ではこの人びとがどうしてルイ・ボナパルトを支持したのか。
農民にとっては、2月革命は都市での出来事であった。農村は、資本主義化する都市による収奪が進行していた。だから、農民は都市の出来事を冷ややかに見ていた。また、フランス革命からナポレオン1世の過程で農民は自作農になったが、やがて土地を拡大する富農と大多数の貧農・借地農という格差が拡大していった。貧農・借地農は憤まんを蓄積し、土地を欲した。そういう憤まんや要求がナポレオン1世の再来を求めるナポレオン幻想となっていった。
また、2月革命が王政を倒し、その後に成立する政府は、当初、労働者の要求を受けて、失業対策事業などの改革を打ち出すが、ブルジョア共和派の妨害と巻き返しによって、やがてほごにされていった。そういう政府や議会に対する労働者の幻滅と憤怒が、政府や議会を超える力を求めた。その怒りと要求もまたナポレオン幻想に結びついた。
つまり、ブルジョア社会の確立が進む中で蓄積する民衆の不満や反感、要求が、ナポレオン幻想という形で集団的に表象した。そういう民衆の心理を取り込んだのが、直前まで亡命中でさしたる組織もなかったが、ナポレオン幻想を操り、『貧困の絶滅』という著書で社会主義思想も匂わせ、〈民衆主権に基づく皇帝〉を標榜するルイ・ボナパルトであった。(注10)
「文明人の知力では解けない」
ルイ・ボナパルト問題をマルクスはどのようにとらえたか。
「1848年12月10日(大統領選挙)は農民反乱の日であった。農民が革命運動に入ってきたことをあらわす象徴、不器用で狡猾、ならず者的で素朴…文明人の知力では解きえない象形文字ーこうした象徴は、文明のなかで野蛮を代表するこの階級の人相を、紛れもなく示していた」「ナポレオン、それは農民にとって人ではなく綱領」(注11)
「それ(ルンペン・プロレタリアート)はすべての大都会で産業プロレタリアートとは截然と区別される集団であり、泥棒やあらゆる種類の犯罪者の供給源であり、社会の落ちこぼれ屑をひろって生活し、定職を持たない人間…」(注12)「ルンペン・プロレタリアートの首領におさまったルイ・ボナパルト、…あらゆる階級のこれらのくず、ごみ、かすこそ自分(ルイ・ボナパルト)が無条件にたよることのできる唯一の階級」(注13)
「ルイ・ボナパルトは、フランス中でもっとも単純な頭の男」「とるに足らない人間」「昔のナポレオンの戯画」(注14)
マルクスは、ルイ・ボナパルトを支持した農民や労働者に向かって、罵詈雑言と差別言辞を浴びせている。他方で、ルイ・ボナパルトその人については取るに足らないと過小評価した。
これは、「文明人の知力では解きえない」事態に対するマルクスのいら立ちであり、『共産党宣言』の革命論が、ルイ・ボナパルトの登場という想定外の展開に対応できていないという危機の表白といえるだろう。それが1850年革命論への転換を促した動機といえる。では、『共産党宣言』の革命論にどういう問題があったのだろうか。次回はそのことを見てみよう。(つづく)
(注9)中木康夫『フランス政治史』(上)
(注10) 西川長夫『フランスの近代とボナパルティズム』、鹿島茂『怪帝ナポレオン三世』
(注11)マルクス『フランスにおける階級闘争』(1850年)
(注12)マルクス『フランスにおける階級闘争』(1850年)
(注13)マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』(1851年〜52年)
(注14)マルクス『フランスにおける階級闘争』(1850年)
投稿
原発と戦争をすすめる愚かな国
小出裕章さんの講演を聞いて
11月 大阪
「原発と戦争を推しすすめる愚かな国、日本」という、小出裕章さんの講演を聞いた(11月11日、「原発も核燃もいらん! 戦争いやや! 17年関西集会」/大阪)。講演では、7年目をむかえる福島第1原発事故の状況、「核・ミサイル問題」に言及し、次のように話した(講演要旨・文責は投稿者)。
熔け落ちた炉心が、どこにあるかすら分からない状態。東電はロボットカメラを入れたが(強い放射線でカメラも壊れる)、いちばん外側の格納容器入口部が圧力容器を覆うカバー内よりも強い数値が出ている。最後の「砦」である格納容器内に放射能が洩れ出ているということだろう。ひたすら注水し、汚染水が溢れ続けている。「収束」は100年たってもできない。
大気中にすでに洩れ出たセシウム137(今回の事故で最も危険、半減期30年)の量は、2号機だけで広島原爆の168発分。汚染地域は広範囲だ。政府はいまだ原子力緊急事態宣言を解除できていない。日本は、いま原子力緊急事態宣言下にある。数十万人が放射線管理区域内で暮らすということを強いられている。緊急事態宣言下でオリンピックなのか。その上、朝鮮の核問題などを口実に、原子力基本法を「安全保障に資すること」と軍事的に改悪した(事故翌年の12年)。
朝鮮の研究炉は25MWt。京大実験所研究炉の5MWtの5倍に過ぎない(日本の原発総量は4205万KWe、13万MWt)(注)。朝鮮が仮想的に持ちうる核兵器の最大量は100キロトン程度だろう。米国が現有している核兵器は500万キロトン。他人に核兵器を持つなというのであれば、自分も持ってはいけない。核の傘を使ってもいけない。米国に媚び、弱い者には居丈高になる国、日本。本来なら朝鮮戦争(「休戦状態」の緊張が続いている)の終結のために、誰(どこの国)よりも責任を果たすべきだ。
集会では、新高速炉計画にくわしい福武公子さん(弁護士)が「91年に計画中止、跡地をテーマパークにしたドイツに学ぼう」と話した。 (吉田)
(注)単位の最後にある「e」は電気出力、「t」は熱出力のこと。
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北朝鮮漁民の遭難死を悼む
報道によると、日本海(東海)大和堆で、朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)漁船が転覆し、死者が出ている。11月16日、大和堆周辺で、海上保安庁の巡視船が転覆した船の船底に乗って漂流している朝鮮人3人を救助した。5日前に転覆し、15人の乗組員のうち3人が助かり、船内から3人の遺体を収容し、残りの9人が行方不明だ。同日、別の転覆船を発見し、船内から4人の遺体を収容した。この痛ましい事故について日本海(東海)で操業している日本の漁業関係者は、テレビ放送のインタビューで、北朝鮮漁民の死に、哀悼の言葉を口にすることなく、「転覆船や漁網・ロープが漂流していると、操業の障害になり、危険だ」と発言をしていた。
これまでも、日本(人)は大和堆でイカ漁をする北朝鮮漁民を「泥棒」呼ばわりし、巡視船は強圧放水で粗末な木造漁船を蹴散らしていたが、今回は死者にまで唾を吐くような態度だ。日本(人)の人間的感性が排外主義で麻痺してしまっているようだ。日本の労働者階級人民の国際主義が問われている。(須磨 明)
さいなら原発びわこネット集会
高浜原発地元で密着取材の記者が講演
11月19日、さいなら原発びわこネットの集会が滋賀県大津市内で開かれ、70人が参加した(写真)。
毎日新聞小浜通信部長の高橋一隆記者が講演。関西電力高浜原発の直近の地元中の地元、音海地区では40年超老朽原発の延長再稼働に反対する決議があがり、再稼働反対の看板や幟が出ている。高橋さんはその過程を地元に密着して取材。
ものが言えない地元で潮目が変わったのは、関電が老朽原発の例外的な延長を説明したとき。アメリカでは80年稼働がされていると事も無げに言われたことへの反発は大きかった。
地元自治会の無記名アンケートでは、「夜寝るときに目の前の原発の電気が輝き、朝起きても目の前に原発がある。こんなところに住みたくない」「子どもには帰って来るなと言いたい」という回答が多い。そういうなかで、月2回ひらかれる全戸集会に部外者は参加できないことに怒りの声が噴き出た。東京や大阪から定年退職で戻って来た人が、外からの視点を持ち込み運動の中心にいるという。(多賀)