安倍改憲反対の大運動を
森友・加計疑惑の徹底追及へ
憲法改悪への危機感
10月22日、投開票がおこなわれた総選挙では、自民・公明の与党が313議席を獲得し、定数(465)の3分の2を超えるというきびしい結果となった。海外のメディアは、安倍政権を″極右”と評価している。
獲得議席数だけを見れば「与党の大勝」であるが、その中身はそれほど単純なものではない。与党の勝利のもっとも大きな要因は、小池新党=「希望の党」の登場と民進党・前原誠司代表の「希望への合流」路線の大失敗であろう。その途方もない愚挙によって、戦争法反対の大運動をへて、2016年7月の参議院選挙で実現した野党共闘の「1対1」の対決構造が大きなダメージを受けた。「与党の大勝」は「野党の敵失」によるものであって、およそ「国民の信任」を得たと言えるものではない。
それは比例代表ブロックの得票数にはっきりと表れている。自民党は比例代表ブロックの総得票数の33・35%しか獲得していない。これにたいして今回選挙協力をおこなった立憲民主党、共産党、社民党の3党は29・53%を獲得した。その差はわずかに3・82ポイントである。与党全体でも45・9%で、全体の半分に達していない。この数字を見れば与党の3分の2超という獲得議席数が、民衆の意識からいかにかけ離れたものであるかは明らかだろう。朝日新聞が23日、24日に実施した世論調査では、「与党3分の2は多すぎる」と答えた人が51%で半数を超えている。小選挙区制の弊害はここに極まっている。それは権力者を利するだけで、選挙制度として完全に破綻している。
戦争国家の道はばめ
今次総選挙のもう一つの特徴は、「立憲の躍進」と「希望の失速」である。立憲は公示前勢力から3倍以上増やして55議席を獲得し、野党第1党となった。一方、希望は小池代表の「排除」発言などが要因となって失速し、公示前から7議席を減らす結果となった。立憲の伸長には共産党の選挙協力が功を奏したことは間違いないだろう。そのため共産党は9議席を失った。
立憲が躍進した理由はそれだけではない。そのもっとも大きな要因は、安倍改憲にたいする民衆の危機感のあらわれであろう。今回自民党はその選挙公約で9条改憲を正面から打ち出したが、与党に希望や維新、こころなどの改憲勢力を糾合すれば、「選挙後、一気に改憲に突進するのではないか」という危機感をいだいた人びとが立憲に投票を集中したのである。先にあげた朝日の世論調査では、立憲支持層で「安倍9条改憲」に反対が88%にのぼっている。
今後、9条改憲を許すのか否かが最重要の政治課題となる。安倍は選挙後の23日、党本部の記者会見で改憲について立憲も含めて合意を図るのかとの質問に、「合意形成の努力は(野党)第1党であろうと、第2、第3、第4党であろうとおこなわなければならない。しかし、政治なので当然、みなさん全てに理解いただけるわけではない」と話した。立憲と最終的に合意に達しなくても、改憲発議に踏み切ることを想定した発言だ。
安倍が憲法9条に書き込もうしている「自衛隊」とは憲法違反の集団的自衛権行使が可能になった自衛隊である。すなわち「集団的自衛権の行使は合憲」であると憲法に書き込むことになるのだ。これによって自衛隊の海外における武力行使の歯止めが失われる。日本は「戦争ができる国」に一変する。この安倍9条改憲の正体を争点化し、改憲反対の大運動を巻き起こそう。『安倍9条改憲NO! 憲法を生かす全国統一署名』を各地で取り組み、3千万を達成しよう。
闘う勢力をひとつに
今後の国会で徹底的に追及しなければならないのは森友・加計疑惑である。この問題の核心は外資受け入れのために「世界でもっともビジネスをしやすくする」という看板をかかげたアベノミクスの目玉商品であった。その実態は、国内の特定の企業に便益をはかるために「治外法権」をつくるための制度にすぎない。
国家戦略特区は、首相周辺の関係者や一部企業などの私利私欲のための制度である。直ちに廃止しなければならない。
「国政の私物化」が横行しているのはなぜか。その原因は首相への権力の集中にある。それと表裏一体で日本の民主主義の形骸化と空洞化が急速に進行している。民衆から「知る権利」を奪い、政治からの排除が進んでいる。監視や言論弾圧が強化されている。
そのために特定秘密保護法や共謀罪法を強行してきた安倍一強政治に終止符を打とう。原発再稼働、辺野古新基地建設、秘密保護法、戦争法、共謀罪に反対し、非正規雇用や過労死などとたたかうすべてのひとびとがその力をひとつに結集させ、安倍改憲に立ち向かおう。
日米戦争会談を許すな
5日〜7日 トランプ米大統領が来日
11月5日から7日にかけて、トランプ米大統領が来日する。6日に安倍首相との首脳会談がおこなわれる。また滞在中には天皇との会見も予定されている。
すでに都内では、警官1万数千人を動員した厳戒態勢がしかれている。米大統領来日時としては過去20年で最大規模と言われている。菅官房長官は24日の閣議後の記者会見で「北朝鮮を含む地域の安全保障環境が厳しさを増すなか、日米同盟の強固な絆を世界に示す絶好の機会だ」と話した。トランプと安倍は、国際社会のなかで突出して北朝鮮への制裁強化を主張してきた。その両者が日米軍事同盟の強化を誇示し、東アジアの軍事的緊張をさらに高めようとしている。トランプ来日に抗議の声をあげよう。
トランプ・安倍の戦争会談反対!11・5新宿デモ
とき:11月5日(日) 午後5時
場所:柏木公園(JR新宿駅西口)
主催:トランプ・安倍戦争会談反対!新宿共同デモ実行委員会
大飯原発を動かすな
関西電力本店前に500人
大飯原発うごかすな!と全国から集まった人々が雨のなか、大阪・御堂筋をデモ行進 |
10月15日、「大飯原発うごかすな! 関電包囲全国集会」が大阪市内の関電本店前でひらかれた。衆議院選挙の真っ最中、しかも雨天という悪条件の中で、本当の民意は、「原発は要らない」「大飯原発の再稼働反対」であることを行動で示そうと500人が集まった。
大飯原発3・4号機の再稼働について、すでにおおい町と福井県議会が同意しており、福井県知事の同意を待って、関西電力は年明け早々にも再稼働しようとしている。こうした切迫した情勢のなかで、〈大飯原発うごかすな! 実行委員会〉が主催した。
主催者を代表して、〈原子力発電に反対する福井県民会議〉石地優さんがあいさつ。全国各地から、再稼働阻止全国ネットワーク、福島から大熊町町議の木幡ますみさん、脱原発東海塾・相沢一正さん、脱原発アクションin香川・名出真一さんが発言。メッセージは、柏崎刈羽原発反対の新潟から刈羽村村会議員の近藤容人さん、新潟の新しい未来を考える会・片桐奈保美さん、九州・玄海原発反対をたたかう〈さよなら原発! 佐賀連絡会〉豊島耕一さんから寄せられ、代読された。
大飯原発差し止め訴訟当事者の発言は、京都、滋賀、福井から。〈福井から原発を止める裁判の会〉小野寺恭子さんは、名古屋高裁金沢支部が、住民側が要求した証人をすべて却下し、次回11月20日の期日で結審を狙っており、「福井地裁・樋口判決」をなんとしても守り抜こうと訴えた。大飯原発立地地元からは、おおい町住民、サヨナラ原発福井ネットワークが発言した。
参加者が関電本店に「大飯原発うごかすな」のプラカードをかかげ関西各地の団体、労組などの発言が続いた。
決議文採択に続き、閉会のあいさつを〈若狭の原発を考える会〉木原壯林さんがおこなった。木原さんは今日の集会の大成功を感謝し、さらに「大飯原発うごかすな」の声を上げつづけることをうったえた。
集会終了後、うつぼ公園に移動し、大阪市のメインストリート御堂筋を難波まで、雨中に元気よくデモ行進。「大飯原発うごかすな」「再稼働反対」がこだました。デモ解散地で木原さんがマイクを取り、「今日の成功をばねに、12・3現地集会へ」とアピールし、行動を終えた。
2面
安倍政治でいいのかを問え
斎藤貴男さんが大阪で講演
10月21日
総選挙前日の10月21日、大阪市内で「2017年 戦争あかん! 基地いらん!関西のつどい」がひらかれた。主催団体は〈大阪平和人権センター〉、〈戦争あかん! 基地いらん! 関西のつどい実行委員会〉、〈戦争をさせない1000人委員会・大阪〉。講演に斎藤貴男さん(ジャーナリスト、写真上)、特別報告として山城博冶さん(沖縄平和センター議長、写真下)。当初予定のデモは総選挙の最後のたたかいに集中するため中止した。ふりしきる雨のなか、800人を超える人びとが参加。「安倍改憲を許すな」という熱い思いが結集した。
戦時体制へあこがれ
斎藤さんの講演は「憲法9条の改憲を許さない!」と題しておこなわれ、「10・22総選挙の意味するもの」「憲法改正問題と安倍政権」「インフォーマル帝国主義への道」「構造改革の正体と、戦争との関係」「ジャーナリズムが代行する国民のしつけ」「ひとり安倍個人の問題にわい小化して済む潮流ではない」という展開だった。「憲法改正するのか・安倍でいいのか」が焦点だと、核心点を明確にし改憲阻止を訴えた。
斎藤さんは5月3日の安倍記者会見と『読売』インタビューをふまえ、〈理想像〉としての2012年自民党改憲草案の重要点を逐条的に暴露し、9条改憲2項削除「国防軍」規定への道を開くものとして今回の安倍の3項自衛隊明記(5・3会見)はあると喝破。また、安倍の「大日本帝国」復活(明治維新称揚)と「対米従属」=自衛隊の米軍との一体化(05年の日米2+2から米軍再編計画以来)は矛盾しない。安倍の「アメリカに可愛がられる戦時体制・帝国へのあこがれ」である。それは日本発グローバル企業の願望でもあると13年のアルジェリア天然ガスプラント事件での日本人10人死亡事件と自衛隊法改正・15年戦争法成立への「同友会」提言(13年)を引きながら「インフォーマル帝国主義」構造を解説した。
若者たちと語る言葉
山城博治さん
山城さんは「オール沖縄の共闘を崩さんとする至上命令に絶対負けられない」、沖縄のたたかいの歴史を自己の歴史に沿いつつ訴え。「若者たちと一緒」に戦争・安保法制廃止のたたかいを「生活を語り、安倍政治をはびこらせぬ」と熱く訴えた。山城さんの発声で辺野古ゲート前・高江で毎回歌唱する「座り込めここへ」を全体で合唱し、翁長知事体制=オール沖縄を現地のたたかい、総選挙・名護市長選、県知事選で堅持すれば辺野古基地建設は阻止できる。宮古・石垣の基地建設の攻撃もここから反撃しようと力強く訴えた。
集会では総選挙を戦う立憲民主党・辻元清美さん、社民党・服部良一さんからのメッセージ、朝鮮高級学校無償化連絡会、ダイバーシティ・パレード2017実行委、反戦・反貧困・反差別共同行動in京都から連帯のあいさつがあった。
今年の10・21集会は総選挙後の安倍改憲政治とたたかう3千万署名運動、市民運動、労働運動の方向性と展望を示すものとなった。(労働者通信員 柿谷泰雄)
原発事故にふまえた審理を
大飯原発訴訟 高裁に申し入れ
10月20日 金沢
名古屋高裁金沢支部前でアピールするム武藤類子さん(10月20日 金沢市内) |
10月20日、大飯原発訴訟・名古屋高裁金沢支部行動(3回目)がおこなわれた。
午後2時、参加者は金沢市中心部の四高記念公園に集合。横断幕を先頭にデモに出発。最後尾に若狭の家の赤旗を林立させ、名古屋高裁金沢支部までデモ行進。金沢支部の兼六園側入り口前で、集会(写真)を開き、原告団長の中嶌哲演さんら4人が「十分な審理」を要求する2730筆の署名を裁判所に提出した。
集会で地元おおい町の住民は、「地元だけの力では再稼働を止めることはできない。原発依存の電気にさよならして、子どもたちに明るい未来を」と訴えた。
「認識が甘かった」
金沢支部前の集会後、金沢弁護士会館で、高浜原発訴訟の裁判長として第一審判決(1993年)を書いた海保寛さんが講演した。海保さんは原発の危険性を認めながらも、電力会社の主張を信頼して、原告の訴えを退けたことについて、「認識が甘かった」と述べ、最近の原発訴訟について、「福島原発事故をふまえて審理すべきだ」と訴えた。地元住民の声に応え、11月20日の口頭弁論で結審を許さず、12月3日の大飯現地全国集会を成功させよう。
集会の主な発言
福島で起きていること
武藤類子さん
原発事故は決して終わっていません。原発サイトのなかは、汚染水で満杯になっていて、いま6000人以上の原発労働者が過酷な労働を強いられています。
原発サイトの外では、除染による放射性廃棄物、放射能のゴミが、フレコンバッグと呼ばれる大きな袋に詰められ、いまや2200万個にもなっています。この核のゴミとともに私たちは暮らし、甲状腺ガンとたたかう福島のこどもたちは190人を超えました。
一方で原発の再稼働が、日本のあちこちで始まっています。原発はもういやだ。原発事故による被害者は私たちで最後にしたい。これが福島の被害者の思いです。
裁判所は福島の事故を正面から見すえて、住民の安全、健康を最優先する判断をするべきです。皆さんと力を合わせて、大飯裁判の樋口裁判長が出した判決を守り、日本から原発をなくしていきたい。
審理終結を許さない
弁護団長 島田 広さん
名古屋高裁金沢支部の担当裁判官の忌避について、10月2日最高裁が棄却決定を下し、高裁金沢支部から「11月20日結審予定」の通知をうけています。
島崎証人が4月25日に、大飯原発は危ない、地盤はろくに調べられていないと証言しました。島崎証言の裏付けとして、重要証人を申請していますが、裁判所は全部却下して、審理終結に向かっております。18日に追加の証人として、前物理探査学会会長の石井吉徳先生と、火山灰対策に関する証人を申請しました。こうした方々の証言を無視して、安全だという太鼓判を押すことをあらかじめ決めて、審理終結に走る裁判所は絶対に許せません。(田端富美男)
“排外主義許すな” 新宿デモ
10月15日 トランプの来日に抗議
安倍政権の5年間で、多くの歴史修正主義者や排外主義者が政権の中枢に入り込むという事態が続いている。そして戦争国家化と治安弾圧の強化に合わせて偏見や差別を制度化する政策が推し進められている。そのような政治状況の中で、「反ヘイト・反レイシズム」を掲げ、東京・新宿で「差別・排外主義を許すな! 10・15アクション」がおこなわれた。今年で7回目の取り組み。
これまでは「差別・排外主義に反対する連絡会」の単独主催でおこなわれてきたが、今年は「APFS労働組合」と「直接行動(ダイレクト・アクション)」が加わり、3団体の共同開催となり、陣形が強化された。
APFS労働組合は移住労働者の労働組合。直接行動(ダイレクト・アクション)は安保法や沖縄反基地闘争に関わる学生団体。
この日の行動は、安倍政権の延命を目的にした衆議院解散による総選挙にたいして、政治の世界に広がる差別・排外主義を撃つ有意義なものとなった。またヨーロッパをはじめ世界各地で排外主義が台頭するなか、人種差別を扇動するトランプ米大統領の来日に抗議の意志を示した。
当日はあいにくの雨にもかかわらず、120人が参加。約2時間のデモ行進では、多くの参加者が傘をさしながらプラカードを掲げて、そして最後まで大きなシュプレヒコールをあげた。多くの在日外国人が居住している地域では朝鮮語でシュプレヒコール。通行人にハングルと英語のビラも手渡された。また1週間前にデモコース沿道の商店にビラ入れがおこなわれ、理解と協力を求めた。
デモを前後する集会では、「障害者」、沖縄、朝鮮学校無償化、部落問題、反天皇制などに取り組む団体が発言。継続した運動が前進する一方で、権力の攻撃によって、各分野で攻防が激化していることが報告された。
集会の最後には11月5日の反トランプ行動への参加が呼びかけられた。総選挙における自民党勝利とトランプ来日というなかで、差別・排外主義とのたたかいは、正念場を迎えるが、この日の行動は運動の拡大の展望を示した。(北浦和夫)
3面
米軍ヘリ墜落事故に怒り
辺野古 工事中止訴え海上パレード
海上パレードで工事中止を訴えるカヌー隊(10月25日 名護市内) |
辺野古新基地建設に反対する政党や市民団体でつくる〈オール沖縄会議〉は毎月第1土曜日に県民大行動をひらき、1000人規模の座り込みをめざすことを決定した。
10月7日 オール沖縄会議は、米軍キャンプ・シュワブゲート前で、第1回の「土曜日県民大行動」を初めて開き、1000人が座り込んだ。
集会開始の正午に1000人が結集。集会は、稲嶺進名護市長、やオール沖縄会議現地闘争部の山城博治さんらが発言。集会の最後に参加者は「頑張るぞ」と拳を突き上げた。
10日 辺野古新基地建設工事をめぐり、県が国を相手に岩礁破砕の差し止めを求めた訴訟の第1回口頭弁論が、那覇地裁(森鍵一裁判長)で開かれた。弁論前にオール沖縄会議は翁長知事を支える集会を開き350人が参加。
法廷では翁長知事が意見陳述し「辺野古に新基地を造ることは絶対に許すことはできない」と訴えた。次回期日は11月14日。
米軍ヘリが墜落炎上
11日 午後5時半頃、東村高江の民間地に米軍大型ヘリCH53が墜落炎上した。事故現場は県道70号に近い民間地。最も近い民家から200メートルの地点で、一歩間違えば大惨事になっていた。高江区民は「新しいヘリパッドができてから訓練が増えている。いつ事故が起きるか不安であった。あんな近くに落ちるとは」と驚きの声を上げた。ある区民は「低空飛行する米軍機の墜落が不安で眠れない。オスプレイもヘリも集落の上空を飛ばないでほしい」と訴えた。
翁長雄志知事は「とんでもない話だ。昨年の名護市安部の墜落事故から1年もたたないうちに再び同様の事故を起こしたことに強い憤りを感じる。強く抗議する」と述べた。
稲嶺進名護市長は「地元の人からいつ落ちてもおかしくないとの声も聞かれるなかでとうとう起きてしまった。絶対にあってはならず、怒りを通り越して、とても許されるものではない」と批判した。
基地撤去しかない
辺野古の浜で海上パレードに連帯して集会。左端は糸数慶子参院議員(10月25日 名護市内) |
12日 午後6時、〈基地の県内移設に反対する県民会議〉と普天間爆音訴訟団は、北中城村の米軍キャンプ瑞慶覧石平ゲート前で、東村高江で、米軍大型ヘリCH53が墜落炎上したことを受け、緊急集会を開いた。200人が事故にたいして「基地撤去しかない」と怒りの拳を突き上げた。
これに先立ち事故現場では、午後翁長知事が現場視察。米軍事故が起こる度、何度も関係機関に抗議や要請をしても、事故が繰り返される現状に「日本政府は当事者としての力を発揮できない」と厳しく批判した。
15日 東村高江の北部訓練場メインゲート前で、事故後初めての事故現地での抗議集会が開かれ、県内各地から200人が参加。「基地があるゆえの事故。北部訓練場を全面返還させよう」と訴えた。
18日 在沖米海兵隊は、事故後運用停止していたCH53の飛行を再開。飛行再開に、高江はじめ県内各地から反発の声が上がった。
22日 衆院選沖縄では、4選挙区のうち〈オール沖縄〉候補が3選挙区で勝利。「辺野古新基地建設反対」の民意が示された。
海上パレード
25日 沖縄防衛局が護岸工事に着手してから半年になるこの日、海上パレードがおこなわれた。海上ではカヌー78艇(これまでで最大)、抗議船8隻で工事中止を訴えた。150人を超える参加。シュワブゲート前にも150人が座り込み。
午前10時から海上パレード。「K1護岸」近くで抗議の声を上げた。午後1時より辺野古の浜で連帯集会がもたれた。300人が参加。伊波洋一、糸数慶子参議院議員があいさつ。「衆議院選で〈オール沖縄〉候補が3人勝利した。これは現場で頑張っている皆さんの勝利です。これからも共にたたかおう」と激励した。(杉山)
自衛隊 南西諸島で強化
小西誠さんが京都で講演会
10月1日、京都市内で軍事ジャーナリストの小西誠さんを招いて、「今、自衛隊をどうする?」という講演会が開かれた。主催は自衛隊員の命と人権を守る京都の会。
講演は第1部「オキナワ島嶼戦争―南西諸島への自衛隊配備」、第2部「自衛隊、このブラック企業―隊内から辞めたい死にたいという悲鳴」の2部構成でおこなわれた。
小西誠さんの講演要旨を紹介する。(見出し、文責は本紙編集委員会)
沖縄で限定戦争想定
このかん沖縄県の与那国島、石垣島、宮古島や鹿児島県の奄美大島への自衛隊配備が進んでいる。与那国島には第303沿岸監視隊160人が配備された。中国軍など日本沿岸を航行する船舶の情報収集が主任務だ。石垣島には19年度以降、約600人の警備部隊とミサイル部隊が配備される。宮古島でも同様の部隊を800人規模で。奄美大島では18年度末までに550人規模で配備される。先島諸島や奄美大島、沖縄本島など合わせて1万5千人を配備する。2015年の防衛白書はこれを「陸上自衛隊創設以来の大改革」と呼んでいる。これは米軍との共同作戦を実施するためのものだ。
アメリカは同盟国の航空力や海軍力を利用して中国の石油・天然ガスなどの海上輸送を遮断する「オフショア・コントロール」を構想している。
これは九州を起点として琉球列島から台湾、フィリピン、ボルネオ島にいたる「第1列島線」を「天然の要塞」「万里の長城」と位置づける作戦構想だ。そして琉球列島での局地戦争の主力に自衛隊を使おうとしている。実際に戦争になれば、この地域は「一木一草」も生えない焦土と化す。
もしも先島諸島で「無防備都市宣言」が可能なら、自衛隊の配備を止めることができる。それは戦争を阻止する力をもつだろう。
隊内は組織的危機
15年から17年までの3年間で「自衛官人権ホットライン」に1千件以上の相談が寄せられている。相談の大半は、@隊内のパワハラ、いじめ、A人員不足による退職制限と「死にたい」という声、B過重勤務、借金、うつというものだ。
自衛隊の自殺者数は高止まりの状態で、94年から14年までの21年間で1651人が自殺した。また隊員の「不祥事」事件も多発している。14年の懲戒処分が924人、免職113人、停職456人と驚くべき数だ。
パワハラやいじめが激増しているのは、内務班のいじめや私的制裁が原因だ。自衛隊は旧日本軍と体質が同じだ。また海外派兵や災害派遣が常態化して、任務が過重になっていることも。自衛隊は組織的危機に陥っている。
インターネットやスマートフォンによって自衛隊は「真空地帯」ではなくなった。「ホットライン」の存在が重要になっている。
一歩でも工事を遅らせる
神戸で目取真俊さんが訴え
目取真俊さんの講演会が10月14日、神戸市内であった。市民デモHYОGОが毎月行動の10月企画として主催した。目取真さんは、沖縄・辺野古の現状と今後のとりくみについて、次のように話した(要旨/三木)。
当事者として参加を
今日、伝えたいこと、知ってほしいこと。4月から護岸工事が始まった。工事は遅れ、行き詰まりも見せている。しかし、確実に進んでいる。ゲート前の機動隊の体制では、こちらが300人集まればかなり抵抗ができ、遅延させられる。ダンプによる陸上からの資材搬入は、朝は国道の渋滞も起こり70台以上は連ねられない。1回に50〜60台。座り込みがなければ3倍は入る。長期のたたかいになり、いま、座り込み300人体制はなかなか続いていない。100人も厳しい。人数が少ないと、機動隊も横暴になり暴力的な引き抜きをやり、少ないときに逮捕者やけが人が出る。徹底抗戦も必要だが、無理をせず引き抜かれたら「できるだけゆっくり立つ」など、10秒でもいい、3歩進んで2歩下がる。あらゆる手段を駆使する。
長引けば疲れが出る、誰もが毎日行くのは大変だ。やはり全国からの結集、参加が必要。今日参加されたみなさんは、沖縄の基地問題が沖縄の問題ではないことを認識されている。お金や日程の工面も簡単ではないが、辺野古に来てほしい。向こうは2月の名護市長選までに、できる限り具体的に進行させ、私たちを諦めさせようとしている。
特に海の工事は簡単ではない。海上工事は、辺野古側の浅瀬を中心に置いている。深い所は未確定だ。大浦湾は岸から60メートル付近で一気に深くなる。防衛局は、ゲートからの資材搬入が不足すれば台船を使って海上からの搬入も示唆した。
海上の抗議船は2〜3隻。船長がいないため、それ以上はできない。カヌーは通常10艇、土曜15艇ほど。カヌー隊が多ければ、工事を遅らせることができる。翁長知事への批判もあるが、まず現場の攻防で押しかえさなければ。
占領下での基地建設、本土からの集中移設、そして戦後72年のいま、新たな巨大基地建設である。それは耐えがたい。侵略戦争、敗戦とは何だったのか考え反省してこなかった日本人全体の問題だ。支援ではなく当事者として来てほしい。
繁華街をデモ
集会後、約100人が「辺野古の新基地やめろ!」「安保法は廃止!」と繁華街をデモ行進した(写真上)。
参加者からは、「議論も大事だが、いま工事を止めることだと分かった」「行くのはなかなか大変。現実には厳しい」、しかし「必ず行く」などの意見(アンケート)が寄せられた。
4面
森友問題で問われたこと
安倍政治と地方議員の役割
10月15日、尼崎市内で木村真豊中市議の報告を中心に、「安倍政治と闘う地方議員の役割」と題する報告会があった(写真)。第6期を迎えた「市民の力で社会を変えよう! 連続市民講座」は、格差・貧困や、福祉の切り捨てにたいして、これを批判するだけでなく地域に依拠し新たな運動を作り出すために、今年も七つの講座を組んだ。第3講座は、安倍政治にたいして、自治体で活動する地方議員の役割を確認しようと企画された。
森友で決定的証拠
メインの報告は森友学園問題を先頭で追及してきた木村真豊中市議。木村さんは事件が表面化した2月以前も含め終始追及の先頭に立ってきた。しかし森友問題の追及を避けるように6月18日で通常国会が終了。安倍政権は野党の臨時国会開催要求を棚ざらしにして、9月28日に臨時国会を開くや、何の審議もせず解散した。このことをまず弾劾した。
実はこの9月過程で新たな証拠・証言が関西テレビなどで報道されはじめていた。それは近畿財務局職員と籠池理事長の価格交渉の音声である。佐川理財局長の国会答弁を覆す決定的な証拠だ。
木村さんらが「しかるべき人物に、しかるべき形で、しかるべき責任を取らせる」運動を強化しようとしていた矢先の解散だ。「しかるべき人間」とは、安倍昭恵であり、大阪府私学審議会である。
木村さんの報告のもう一つの柱は、「森友的な教育」が今や公立学校にも押し寄せているということだ。森友学園の開校は運動の力で阻止したが、幼稚園や保育園における愛国的教育、小学校からの道徳教育や銃剣道教育が始まっている。
これに地域住民、保護者、地方議員たちがどう立ち向かうのかが問われている。そして森友問題を選挙でうやむやにできる問題ではない。政治や教育の私物化が横行するなかで、地方自治と地方議員の課題は重いとまとめた。
住民と議員の連携を
つぎは兵庫県川西市の病院移転・民営化問題。この問題をたたかってきた市民が報告した。
これは川西市北部にある市民病院を市南部再開発の一環として移設する計画で、この病院は隣接する猪名川町、能勢町、豊能町住民にも必要なものだ。その経営を民間大病院に委託するという。地域住民の切実な要求を無視し、自治体の福祉部門の切り捨てを強行し、民間大病院に便宜を図るやり方である。
9月23日の説明会では300人の市民が参加し、多くの疑問をぶつけた。そこで働く看護師たちも署名運動の先頭に立っている。
続いての報告は伊丹市の幼稚園・保育所統廃合問題。希望者が減少した幼稚園と保育所を統廃合し300人規模の「認定こども園」をつくるという。市南部の認定こども園は、通園地域が中学校校区より広範囲になる。こどもを自転車に乗せて通勤先とは逆方向に15分もかかって送らなければならないことに、不満の声が多い。
財源も統廃合後の園の売却費と、今後の国の「教育無償化」をあてにしようというずさんなもの。これらの計画の問題点を大津留求伊丹市議が報告。12月議会で計画の強行を止めると発言した。
森友問題の豊中市と隣接する川西の病院移転・民営化、伊丹市の幼稚園・保育所統廃合の問題化は偶然ではない。政治の私物化と福祉切り捨ては一体で進んでいる。これとたたかうには地域住民と地方議員の連携が重要となる。
石川一雄さんの10・31メッセージ
新証拠もとに鑑定人尋問を
1963年5月1日、埼玉県狭山市で発生した女子高生の誘拐殺人事件で、部落差別ゆえに犯人にでっち上げられ、無実を訴え続ける石川一雄さんの寺尾判決43カ年糾弾アピールを掲載します。
今年こそ、絶対的に再審が実現するとの思いを新年メッセージに込め、全国の支援者皆さん方に最大限のご協力をお願いした次第でしたが、私の見通しの甘さよりも楽観視していた向きもあったと支援者皆さんにお叱りを受けるかもしれませんが、気持ちが整理できないまま、兎に角今日も寺尾の不当判決43カ年糾弾集会に県下各地よりご参加頂けたものと、陳謝と感謝の意をお伝えできたらとペンを持ちました。
各位もご承知の様に先般34回目の三者協議において、3点の証拠開示があったものの、弁護団が開示を求めているものに対し、検察は言及せず、現時点では先行きが不透明ながらも、下山、川窪鑑定などから万年筆は偽物と出た以上、検察がどう足掻こうとも、また、どのような反証を出してこようとも、裁判所も最終的には弁護側が出した鑑定結果を認めざるを得ないのではないかと思います。
弁護団や、支援者皆さん方の「証拠開示を」の粘り強い闘いの結果、少しずつではあるものの、検察も証拠開示に応じざるを得なかったのですが、一方において相変わらず、「証拠開示の必要性がない」などと突っぱねて拒否しているのも事実です。こうした検察の不正義な姿勢は到底容認できるものではありません。ただ残念なのは私の無実を示す証拠は沢山存在するにも関わらず、これまで事実調べがまったくおこなわれていないことです。しかし、現在の第3次再審では、下山鑑定や筆跡鑑定など多くの新証拠が出されており、必ず鑑定人尋問がおこなわれるものと確信しています。
今後も弁護団は徹底的に証拠開示と事実調べを強く求めて参る方針であり、皆さんから頂いた「公平、公正」な裁判を求める署名や要請ハガキなどが水泡に帰することのないよう、私自身も不撓不屈の精神で今後も全力で闘って参る所存です。
「今年こそ」との決意で臨んだ第3次再審闘争も来年に持ち越されてしまった事は残念であり、支援し続けて下さった支援者皆さん方に誠に申し訳なく思っておりますが、何卒ご理解の上、もう一肌脱いで頂き、お力を貸して下さいますよう心からお願い申し上げます。
2017年10月
寺尾不当判決43カ年
糾弾・狭山再審要求集会ご参加ご一同様 石川 一雄
大阪市をなくすな!
存続求める署名運動始まる
10月21日「大阪市の存続を求める署名」出発式集会(主催:大阪市民会議)がひらかれ、再び「都構想」(特別区設置)=大阪市廃止を阻止する取り組みが始まった。
2015年5月の住民投票=住民の決起(70万5585票、50・3%)で特別区設置は否決され、大阪市の存続は決定されている。しかし、公明党を引き込んで今年5月「特別区」設置協議会を開始し、来年秋にも再び「住民投票」をもくろんでいる。これは松井知事の大阪府政の失政(大赤字)を大阪市の財政をぶんどって帳消し、カジノ・万博の街に大阪を落としこめる市民無視の「論外」の代物。
都構想の真実を
集会では「大阪都構想(大阪市廃止にもとづく特別区設置構想)を考える」と題して藤井聡さん(京都大学大学院教授)が記念講演(写真左)。
「1年かけて署名運動をやれば、維新の野望を打ち砕ける」とたたかい(運動・宣伝・扇動)に確信を与える力強い提案だった。
〈真実〉を明らかにすること、〈補足課題〉4点の二つの強化が重要課題と鋭く暴露。
15年住民投票の分析にたって、「都構想の事実」(大阪市廃止)を知っている人の90%は反対した。しかし、その真実を知っている人は実はほんのわずか(8・7%、これが半数近くが賛成した理由)。これから1年かけて「都構想の真実」を市民に伝えていくこと、これが鍵だ、これさえやれば絶対否決できる。今回の署名は重要。「大阪市が廃止され、消滅する」大阪市民が自治を失う。(財源と権限を失う)。この事実を知らせる。これを100万回くり返す構えでやろうと。
そして、@特別区とは特別に権限と財源の小さな弱小自治体だということを伝える。A2年後市長選と府知事選で「都構想反対」の首長をつくることをめざす。堺市長選挙勝利を続ける。B「法定協議会」の賛成者に「まっとう」に振る舞うよう働きかける―連携する。C「ポスト・トゥルース」(真実なんて関係ない ※注)の愚かしさ、「ファクトチェック」の重要さを伝える(ナチス政治を大阪で許すなと)。
行政研究学者などの協力も欠かせない。市民と共同のたたかいを作ろうと訴えた。
また、住吉市民病院の廃止を地元医師会代表が弾劾した。
署名の拡大へ
維新は、堺市長選挙での敗北に続いて、今回の総選挙において、拠点・大阪市内の小選挙区では1議席も取れず敗北した。
しかし、油断は禁物。住民投票勝利を再結集し、さらに棄権した人や都構想賛成者に「大阪市存続」の一点でよびかけよう。「大阪市の存続を求める署名」を大阪市、大阪府、関西全域にひろげよう(18年2月・3月議会への提出)。大阪市の廃止は府全体の大混乱と関西全体の衰弱しかもたらさない。それは誰も賛成できない代物なのである。大運動を作ろう。
※注,/b. 世論形成において、客観的な事実より、ウソであっても個人の感情に訴えるものの方が強い影響力を持つ状況。事実を軽視する社会。直訳は「脱・真実」。
(短信)
進む関電からの客離れ
原発依存度が高い関西電力から他社への乗り換えが相次ぎ、昨春以降、家庭客は100万件超が流出。これは関電の家庭客1割にあたる。企業向けより家庭客のほうが利益率が高い。今年5月、6月、高浜4・3号機の再稼働と抱き合わせで、8月に値下げしたが、客離れは止まっていない。販売電力量も減少が続き、昨年度は1215億キロワット時で、2010年度と比べ2割減少。
5面
天皇による生前退位の意思表明について(中)
国家意思の決定に実質影響を付与
八代 秀一
〔3〕天皇による生前退位の意思表明と、日本国憲法第4条1項 A
通説によれば私的行為であり、非標準説によれば非国事行為である前年の意思表明行為と[第4条1.A]との関係を、以下で議論していきたい。その前にまず第一に、[第4条1.@]が[第1条]を前提として、どのような行為の禁止を含意するのか考えてみよう。
この条項は、[第1条]によって象徴だとされる天皇が、国事行為のみをするという規定なので、象徴である天皇が国事行為以外の行為をなすことを禁止することまで含意しない。何らかの行為の禁止を含意するとすれば、それは象徴と整合しない行為であろう。なぜならば後に議論するように、象徴なる地位は国民の総意のみにもとづいており、天皇の何らかの主体的行為によって保証されるものではないが、象徴と整合しない行為、例えば日本国民の統合を破壊する行為はあり得るし、それを天皇はなし得るから、そのような行為は禁止されねばならないからである。
すると、通説によるにせよ非標準説によるにせよ、前年の意思表明行為は、[第1条][第4条1.@]が含意する禁止行為には相当しないように思われる(注3)。
通説は「私的行為」
本題、前年の意思表明行為と[第4条1.A]との関係の考察にとりかかろう。ところで[第4条1.A]のいう国政とは、国の統治作用すなわち国家意思の決定そのもの、またはその決定に実質的影響を与える行為を意味するといわれている。すると[第4条1.A]は、このような行為をなす権利を象徴である天皇は持たないということを意味する(「権能〈Befugnis〉」という語には、権利〈Recht〉という意味の他に権限〈Kompetenz〉という意味がある)。まず、このことを確認した上で、通説による前年の意思表明行為の解釈と[第4条1.A]との関係を考察しよう。
通説によれば、この行為は私的行為であり、先に述べたように[第1条]・[第4条1.@]の含意する禁止規定にも該当しないので、前段落で述べた意味での[第4条1.A]に抵触しない限りにおいて前年の意思表明行為は、憲法上は何の問題もない行為となる。さて、明仁は生前の退位を望んだのであるが、これは彼自身の身の処し方にかんする意思であり、その限りにおいてこの意思表明行為は政治的行為ではなく、それゆえに[第4条1.A]に抵触するものではない。したがってこの行為は憲法上、何ら問題を含まない。一見、このような議論が可能のように思われる。
次に非標準説による解釈についても、非国事行為を私的行為と同一視すれば同様の議論が可能になり、高橋和之(前号〈上〉出)も、いま述べた議論によって「政治的効果をもってとは避け得ないとはいえ、憲法に反していたというまでのことはない」と結論付けている(注4)。
第4条1項Aに相反
しかし、この議論は根本的に間違っている。すなわち生前退位を望むことが、明仁自身の身の処し方の問題であるという大前提は完全な誤りである。その鍵は、日本国憲法[第2条]にある。そこでは、象徴である天皇は「皇室典範の規定によって継承される」とある。すなわち憲法上、誰が象徴としての天皇の地位を継承するのかは皇室典範にもとづくのである(この問題については、皇室典範という一般法が憲法の上位に立つということである)。しかしその皇室典範には、天皇が生前に退位した場合の後継天皇についての規定はない。したがって、象徴である天皇が生前退位を望むということは、[第2条]を前提にする限り皇室典範を改正して、この規定をつくれと要求していることに他ならない。それゆえ前年の意思表明行為は、明仁なる人物が自らの身の処し方にかんする意思を表明する行為ではあり得ない。
そして政府はこの要求にたいして、明仁一代に限っての生前退位を定めた特例法と、皇室典範の附則に「特例法は皇室典範と一体をなす」という規定を置くことを国会で決議しようとしているといわれている。それが実現するならば、前年の意思表明がその直接の形態で貫徹されるのではないにせよ、生前退位の実現という国家意思の決定に実質的に影響を与えたことになろう。したがって天皇明仁による前年の意思表明は、本章第2段落の国政の定義を充足する行為となろう。それゆえに、この意思表明は[第4条1.A]と矛盾し、憲法違反といわざるを得ない。高橋和之のいう、「政治的効果を持つが、憲法違反とはいえない」は、具体的手続きがまだ決定されていない現時点にのみ着眼した詭弁でしかない(注5)。(つづく)
(注3)非標準説を前提とした、この文脈での議論は〔4〕で踏み込んだ形で行う。
(注4)『世界』16年12月号、200ページ。
(訂正)前号注2の、「87〜98ページ」は「187〜198ページ」の誤り。
(注5)10月21日、報道各紙が「政府筋は、天皇退位を19年3月31日、4月1日に新天皇即位とする意向」と報じた。
〔序〕問題意識 〔1〕象徴としての行為と国事行為 〔2〕昨年の天皇の意思表明は、どんな行為か(以上、前号)
米軍基地の運用を追及
近畿中部防衛局に申し入れ
10月18日
10月18日、米軍X バンドレーダー基地反対近畿連絡会は、近畿中部防衛局(大阪市中央区)への申し入れ行動をした。申し入れの内容は、Xバンドレーダーが配備されている米軍経ヶ岬通信所(京都府京丹後市)の運用実態にかんするもの。11人が参加した。総選挙期間中ということもあり、通常の3分の1の参加だった(写真上)。
近畿中部防衛局は西田康浩報道官と梅本基地対策室長らが対応した。今回の申し入れへの防衛局の回答は次のようなものだった。
@米軍人や軍属の人数が減少していることや、司令官の階級が下がっていることについて。「基地の重要性は増している。この件についてはコメントする立場にない」。
A二期工事について。「業者が決まったら順次開始する。工期は約2年。生活関連施設を建設する。軍人は基地内に住み、軍属は基地外に住む」。
Bレイセオン社の軍属が勝手に個人宅に住んでることについて。「集団で住むと約束したことはない」。
C三角地の拡張について。「安全安心のための進入路の確保であり、基地拡張ではない」。
Dイージスアショアについて。「事項要求は通ったがどこに配備するかは決まってない」。
E空自経ヶ岬分屯基地の拡張等について。「隊員数は答えられない。工事計画、運用、作戦等は航空自衛隊に聞いてもらいたい」。
防衛局側はまったく誠実さが感じられない対応に終始した。申し入れ終了後、門前で抗議行動をした。
6面
(連載)
長期連載―変革構想の研究 第3回
1848年革命と共産主義者同盟 A
請戸 耕市
1850年革命論
舞台は亡命地ロンドン。共産主義者同盟はロンドンで中央委員会を再建し、総括と展望の議論をたたかわせる。その議論が同盟内の路線対立を先鋭化させて同盟解体に向かわせるのだが、この過程で、この時期のマルクスの革命論の輪郭が浮かび上がってくる。それは、『共産党宣言』とも違う内容なので、便宜的に「1850年革命論」(注1)としよう。
まず、革命直前に書かれた『共産党宣言』では、およそ以下のような点を綱領的に確認していた。(1)大きな見通しとして、世界は、ブルジョアジーとプロレタリアートの二大階級に両極分解されて行く。(2)当面は、旧支配層にたいして、ブルジョアジーとプロレタリアートとが一定の段階まで共同してたたかう。(3)しかし、階級闘争は結局、二大階級の決戦で決着する。(4)近代の国家権力は、ブルジョアジー全体の共同事務を処理する委員会にすぎない。(5)共産主義者の組織戦術は、他の労働者党に対立するものではなく、また、運動を型にはめるものでもなく、プロレタリアートの階級形成とプロレタリアートによる政治権力の奪取を当面の目的とする。
自覚した少数者へ
ところが、1848年革命の現実の展開は、この想定のようには運ばなかった。そこから(5)の組織戦術を中心に、マルクスは次のように主張を変更した。一連の文書から要点を列挙すれば以下のようなものだ。
第一に、マルクスは、48年革命を敗北としたが、その意味は、革命の前進が、強力な反革命を生み出し、その反革命によって、これまでの革命党のあり方が通用しなくなったということだった。そして、その反革命とたたかうことを通して真の革命党が成長していくとした。つまり、プロレタリアート自身ではなく、党を主語とする視点を押し出した(注2)。
第二に、ドイツについては、その諸条件から、階級闘争の当面のヘゲモニーはプロレタリアートではなく民主主義者にあり、主要な党派闘争の対象は民主主義者であり、民主主義者の政策にたいして労働者の政策を対置して、プロレタリアートの党としての独立性とそのヘゲモニーの強化を図っていく必要があるとした(注3)。
第三に、強力な秘密組織の建設を打ち出すとともに、ブランキとの連携を打ち出した(注4)。ブランキとは、フランスの革命家で、蜂起の場面に必ずと言っていいほど登場し、生涯の約半分の33年を獄中で過ごしたつわものだが、革命論としては、少数精鋭、武装急襲による権力奪取、革命独裁などを掲げた。
第四に、10時間労働問題や協同組合運動などの課題が浮上していたが、マルクスは、改良の課題は革命によってしか解決しないとし、その意義を否定し、権力奪取に絞り上げる戦略を主張した(注5)。 第五に、ただマルクスは、主観的意志で革命情勢をつくり出そうとする他の幹部らの考えは退けた上で、恐慌が来れば革命は確実であるといういわば恐慌=革命論を打ち出し、2年後の1852年に恐慌が発生すると予測した(注6)。(実際には待望の恐慌は57年まで起こらず、それに伴う革命も起こらなかったが)
『共産党宣言』の確認からすれば、ずいぶんと違った印象を否めない。一言で言えば、「自覚したわずかの少数者が無自覚な大衆の先頭に立って革命を進める」(晩年エンゲルスの反省的回顧 注7)というものであった。
ところで、『共産党宣言』はポピュラーであり、マルクスの一貫した考えを示した基本文献という理解が一般的だ(注8)。しかし、実際は、『共産党宣言』の革命論をもって48年革命に突入したが、その総括のなかでそこからの転換がおこなわれている。それが、1850年革命論であった。
なお、レーニンやトロツキーは、この1850年革命論を主張したマルクスの一連の文書をほとんど暗唱するほど頭にたたき込んでいたという。振り返るに、私たちも、図らずもマルクスのこの曲折をなぞってきたといえる。
では、なぜ『共産党宣言』の確認から1850年革命論へという転換がなされたのか。そしてそれがどうなったのか。それについては次回検討したい。(つづく)
(注1)「永続革命論」という呼称があるが(例えば淡路憲治『西欧革命とマルクス、エンゲルス』)、ニュアンスが違う。
(注2)マルクス『フランスにおける階級闘争』(1848年)
(注3)マルクス・エンゲルス「1850年3月の中央委員会より同盟員への呼びかけ」(1850年)
(注4)マルクス・エンゲルス「1850年6月の中央委員会より同盟員への呼びかけ」(1850年)
(注5)マルクス『賃労働と資本』(1849年)
(注6)マルクス「評論、1850年5月〜10月」(1850年)
(注7)エンゲルス『フランスにおける階級闘争』序文(1895年)
(注8)文献考証的には、『共産党宣言』は厳密にはマルクス(およびエンゲルス)の個人の著作とはいえない。『宣言』が共産主義者同盟の綱領であることは@で触れたが、それは大会決定にもとづいて、同盟の幹部からマルクス・エンゲルスに執筆が委任された。組織的な討議を経て書かれ、発刊当初は無署名。どこまでがマルクスの考えかは今日的にも未解明。
『展望』20号紹介
ロシア革命100年
ロシアやキューバとグラムシ
『展望』20号はロシア革命100年特集号として発行された。それは現代世界の出発点が第1次世界大戦とロシア革命にあるからである。とはいえロシア革命の教条化や、指導者の理論と行動でその意義を語る方法も克服されねばならない。
落合薫論文は、@ロシア革命の否定的側面としてのスターリン主義の問題と、A不十分性・克服の課題としての民族・植民地問題、農民・農業問題、B戦争と革命の問題、軍事問題=党・軍ソビエト権力の問題を論じている。Aではレーニンの中にある根深い「農民不信」を論じている。Bでは革命の根本問題としての権力問題である。もちろんわれわれは唯銃論をとらないが、政治と暴力を奪還し、それを廃棄する道筋は革命の根本問題である。レーニン・トロツキーの生産力主義と、革命の軍隊を民兵に依拠するのではなく正規軍に求めたことは、工場委員会を軽視したのと同根の誤りがあるのではないかと思う。
「ロシア革命100年」ながら他は各国の階級闘争である。それはロシア革命―コミンテルンモデルの裏で、各国の革命運動が苦闘し発展したからである。
須磨明論文はキューバ革命についての初めての論究である。キューバ革命と言えばカストロ・ゲバラの武装闘争・ゲリラ戦が想定されるが、アメリカ帝国主義の中庭で、労働者階級に依拠しながらもゲリラ戦+人民蜂起で勝利したようすを描いている。そして革命後50年以上の苦闘と強いられた妥協を、訳知り顔で批判するありかたも戒めている。
同じく田中和夫論文=「チリ9・11反革命の再検討」も、70年代新左翼に典型の「平和革命なんぞそれ見たことか」、(敗北は)「チリ共産党のスターリン主義の反革命綱領による」という平板な規定をこえて、アジェンデ政権の意義と、反革命における軍隊の役割に論及している。
また大伴一人論文=「グラムシの革命論」も、これまでのグラムシ=構造改革路線という概念を破棄し、ファシズム台頭下のグラムシの苦闘を、陣地戦、ヘゲモニー論(カウンターヘゲモニーの形成)、国家論、ソチエタ・レゴラータ、サバルタン論として展開し、革命的共産主義運動の、筆者としての総括を提起してる。
沖縄現地リポートは、辺野古新基地建設の最前線でたたかう筆者の渾身のリポートである。
巻末の三船二郎論文は、この間の革共同私史シリーズでもある。筆者は70年安保闘争を「革命への総げいこ」論として提起している。とともに90年以降の社会の変動を「新たな侵略戦争の時代」ととらえ、また2007年以降のわれわれの歩みの再検証も求めている。
なお『展望』20号はロシア革命100年、10・8羽田闘争50年号として編集し、これ以外の論文・論稿も寄せられたが、主要に編集委員会の組織的・編集能力的不十分性により発行が遅れた。関係者にこの場をかりておわびしたい。また読者の忌憚のない意見もお願いしたい。(TEN)