未来・第232号


            未来第232号目次(2017年10月5日発行)

 1面  こんな衆院解散は許せない
     “戦争を止めろ、原発をなくせ”
     9月18日 東京

     成田空港反対闘争
     市東さんの農地を守ろう
     10月8日 現地で全国集会

     主張
     究極の“国政私物化”選挙
     野党共闘破壊する「希望の党」

 2面  高浜原発にMOX燃料搬入
     プルサーマル運転やめろ
     9月21日

     大飯控訴審 早期結審に抗議
     “樋口判決を守ろう”
     9月20日 金沢

     辺野古新基地
     仮設道路100bにおよぶ
     海上とゲート前で攻防続く

 3面  投稿
     「憲法は国家の失敗リスト」
     木村草太さん(首都大学東京教授)が講演
     丹波市在住・藤尾周作
     9月5日      

     森友問題は終わってない
     9月21日 大阪府庁を包囲     

     (シネマ案内)

 4面  検証 開示資料「経済協力韓国108」から見る徴用の実態(下)
     問われる日本人民の責任
     須磨 明

     共謀罪は廃止できる
     萎縮せず市民活動の継続を

     朝鮮学校
     高校無償化で不当判決
     東京地裁、国の主張をうのみ

 5面  「高度プロフェッショナル制度」批判(下)葉月 翠
     「致死労働」を強制する制度

 6面  生活保護確認カード
     利用者の顔写真を貼付
     犯罪者扱いする大阪市

     追悼
     終生、成田空港反対闘争をけん引
     北原鉱治さん(三里塚反対同盟事務局長)

       

こんな衆院解散は許せない
“戦争を止めろ、原発をなくせ”
9月18日 東京

9500人が参加した「さようなら原発さようなら戦争全国集会」。臨時国会冒頭解散に怒りの発言が続いた(9月18日 東京・代々木公園)

9月18日、東京・代々木公園でおこなわれた「さようなら原発 さようなら戦争 全国集会」に9500人が参加した。
開会のあいさつは作家の落合恵子さん。
「約束しましょう。現内閣は間もなく国会を解散します。ここまで私たちを見くびっている。彼らの思惑通りにさせてはならない。アメリカの顔色をうかがう政権にストップを」と呼びかけた。

原発再稼働に怒り

福島原発刑事訴訟支援団団長の佐藤和良さんは「1万4千人余りが東京電力を福島地検に告訴・告発した。東京地検に移送され不起訴となったが、検察審査会が強制起訴を決定した。国民の力で勝ち取った。有罪を勝ち取るまで刑事裁判に注目してほしい」と発言。
原発賠償関西訴訟原告団代表・森松明希子さんは「福島から大阪に2人の子どもを連れて避難している。この国は平和ですか。『平和だ』と世界に胸を張って言えますか。人の命・人権より大切な価値はない。『復興のため』『経済のため』というまやかしに負けてはいけない」と訴えた。
原水爆禁止佐賀県協議会会長・徳光清孝さんは「佐賀県の玄海原発について、自民党が要求した4月の臨時県議会で再稼働を求める決議が採択された。再稼働差し止め訴訟も地裁が却下した。現在、玄海原発の3号機が使用前検査をしている。来年1月に再稼働しようとしている。4号機は3月。国民の命より経営優先、株主優先の九州電力を許さない」と原発再稼働への怒りを表明。

米朝の戦争許すな

戦争させない・9条壊すな! 総がかり行動実行委員会共同代表の福山真劫さんは「米朝の戦争は絶対に阻止しなければならない。朝鮮はもちろん、日本も壊滅する。『安倍9条改憲に反対』全国市民アクションを立ち上げた。9条改憲反対3千万署名を達成しよう。こんな衆院解散は許せない。野党をバラバラにするのが与党の方針。野党共闘を成立させよう」と衆院選への決起を呼びかけた。
沖縄平和センター議長・山城博治さんは、 「この国をアメリカの戦争の道具にするわけにはいかない。衆院選を受けて立とう。150万沖縄県民は安倍の圧政にさらされても声を上げている。翁長知事を先頭に、勝利するまでがんばる」と決意を述べた。
ルポライター・鎌田慧さんは「政府はJアラートで地下鉄を止め、恐怖で民衆を支配しようとしている。そして、居直り強盗のような選挙をやろうとしている。私たちの力不足を自覚しよう。平和憲法に自衛隊を書き込もうとする安倍を許さない。長期持久戦でがんばろう」とげきを飛ばした。
集会後、渋谷駅コースと原宿駅から表参道に向かうコースに分かれてデモに出た。

成田空港反対闘争
市東さんの農地を守ろう
10月8日 現地で全国集会

市東孝雄さんの農地強制執行=収用をめぐる異議裁判が重要な局面を迎え、また第3滑走路など成田空港の「機能強化」策との現地攻防が激化するなか、三里塚反対同盟は10・8全国総決起集会への結集を呼びかけている。三里塚51年のたたかいの常に先頭に立ち、指導・牽引してきた北原事務局長を追悼し、「空港絶対反対」を貫き通した闘魂を継承して、勝利の日まで共にたたかおう。10・8三里塚現地に結集しよう。また異議裁判勝利のための署名の集中を訴える。 以下、10・8全国総決起集会の「招請状」を抜粋して転載する。
(6面に関連記事)

全国の仲間の皆さん。三里塚芝山連合空港反対同盟は来る10月8日(日)、「市東さんの農地を守ろう! 第3滑走路粉砕! 安倍政権打倒!」の全国総決起集会を開催します。この集会は、8月9日に95歳で逝去された故北原鉱治事務局長の闘魂に学び、断固受け継ぎ、三里塚闘争の新たな前進を宣言する集会です。全力での結集を訴えます。
三里塚闘争は今年、市東孝雄同盟員の農地を守り、強制執行を許さぬ大きな前進を勝ち取ってきました。最高裁判決が出た後、弁論終結後の事由を基に、地方裁判所による執行を差し止める請求異議裁判を開始させました。しかも弁論を継続的に開かせているのです。一度確定した最高裁判決の執行を差し止めることは難しいことですが、市東さんの生きる権利を奪う暴挙への怒りと三里塚闘争51年の正義性が裁判闘争を切り開いています。2度の署名提出と決戦本部の継続的な奮闘で強制執行と対峙しています。
昨年9月から始まった「成田空港機能強化案」の攻撃に対して、騒音下住民の怒りが爆発しています。2カ所で住民の自主的決起が始まり、住民団体が作られました。(中略)
10・8集会を新たな三里塚闘争の出発点にするため全力での参加をお願いします。

三里塚芝山連合空港反対同盟

主張
究極の“国政私物化”選挙
野党共闘破壊する「希望の党

9月28日、安倍首相は野党が憲法53条にもとづいて請求した臨時国会の冒頭で衆議院を解散した。森友・加計疑惑からの逃亡である。安倍は「国難突破解散」と称するが、党利党略のための「大義なき解散」であることは誰の目にも明らかだ。「消費税の使用目的変更で信を問う」は理由にもならない。
自民党は選挙公約に憲法9条3項へ自衛隊を明記することを掲げた。これは「平和・民主主義・基本的人権」を国是とする現憲法体系を破壊し、戦争国家へと転換するものだ。そのために安倍は朝鮮半島の「核・ミサイル危機」をあおり立て、政治利用しているのだ。
安倍政治の5年間で、格差・貧困は一向に改善されていない。非正規職は4割近く、「貧しい者は底辺から抜け出せない社会」が拡大した。将来設計を描けない若者は増え続け、学生は高学費と奨学金返済、ブラックバイトの三重苦にある。子育て世代には十分な保育施設がなく、高齢者の貧困問題も深刻化している。東京一極集中が加速し、地方はますます疲弊している。すべてを「自己責任」にして犠牲を民衆に転嫁する安倍政治が原因だ。沖縄に米軍基地を押しつけ、核兵器廃絶に反対する安倍政権の延命を許してはならない。
こうした安倍政治への批判が急増するなか、支配の危機の救済者として登場してきたのが小池新党=「希望の党」だ。希望の党の本質は、戦争法反対闘争をになった市民運動によって実現した野党共闘を破壊することである。その政治主張は、戦争法に賛成であり、憲法改悪の推進である。「脱原発」のスローガンは政治的マヌーバーにすぎない。小池百合子自身が歴史修正主義であり、核武装論者だ。安倍政治への怒りをかすめ取るために、「改革」「情報公開」「しがらみ」などを標語にしているのだ。
「野党共闘」「野党と市民の共闘」は、戦争・改憲や格差・貧困に怒る広範な人びとの意志が結実したものだ。安倍政権にとって、これこそが今回の衆議院選挙における最大の脅威なのだ。
「(野党共闘とは)市民がトータルな政策要求を掲げ野党の接着剤として野党の結束を促し、市民が結束して野党に迫る。野党にとっても政党ありきではなく、主権者市民ありきで、市民と政党、野党と市民の新しい関係をつくり出す歴史的な運動である」(広瀬清吾前日本学術会議会長)
逆流に抗して「野党(+無所属)と市民の共闘」を推進し、安倍政権を打倒しよう。
(岸本耕志)

2面

高浜原発にMOX燃料搬入
プルサーマル運転やめろ
9月21日

9月21日、高浜原発(福井県高浜町)に、高浜原発4号機用のMOX燃料を積んだ輸送船が到着した。
通常の核燃料より危険なMOX燃料の搬入に抗議するため、〈若狭の原発を考える会〉と〈原子力発電に反対する福井県民会議〉のよびかけで、21日早朝、地元や関西一円から30数人が集まった(写真)。ゲート前をはじめ高浜原発周辺は福井県警が厳戒態勢をとり、内浦湾内では海上保安庁の巡視船やボートが警戒にあたっている。
高浜原発を正面に見据える対岸の音海の駐車場で、午前6時過ぎから抗議集会が始まった。「MOX燃料を運ぶな」「プルサーマル運転をやめろ」のコールが響き渡る。6時25分、大型巡視船に前後を守られて、MOX燃料を積んだ輸送船が内浦湾に姿を現わす。ひときわ大きな怒りのコールのなかで、ゆっくりと高浜原発の専用港に入り、横付けされた。
集会では、木原壯林さんが、MOX燃料の危険性について説明し、プルサーマル発電の狙いについて、戦争政策と一体の攻撃であることを喝破した。その後、参加者の発言が続いた。
展望所に全体で移動し、原発の北ゲートまでデモ行進。北門で、関電に申し入れをおこなった。その後も、北ゲート前で集会を続行。参加者が、思いのたけをそれぞれ述べた。最後に〈若狭の原発を考える会〉が、目の前をMOX燃料を積んだ輸送船が通過した悔しさをバネに、10・15関電包囲全国集会の成功をなんとしても勝ち取ろうと呼びかけ、行動を終えた。
今回搬入されたMOX燃料は、16体(1体は264本の燃料棒で構成)で、来年に予定されている定期点検時に高浜原発4号機に装填されるもの。関電では事故が頻発している。8月20日には高浜原発において、新規制基準対応で新設したポンプのホースが外れ作業員が火傷を負うという重大事故を起こしている。「高浜原発をただちに止めろ」「プルサーマル運転をやめろ」「大飯原発うごかすな」の声をたたきつけよう。10月15日、全国から関電本店前へ集まろう。

大飯控訴審 早期結審に抗議
“樋口判決を守ろう”
9月20日 金沢

9月20日、福井から原発を止める裁判の会主催の名古屋高裁金沢支部行動がおこなわれた。11月20日に結審を強行しようとしている金沢支部に、「全証人を採用し、十分な審理」を要求する行動で、第1回は8月20日におこなわれた。2回目のこの日は、午後2時に金沢中心部のいしかわ四高記念公園に集まり、横断幕を先頭にして、大飯原発を止めよう、樋口判決を守ろうなどと、声をあげながら金沢支部に向かった(写真)
金沢支部に到着し、観光地兼六園に近い門前に陣取って、次々と発言が続いたが、突然、雷鳴がとどろき、激しい雨と風がたたきつけた。金沢弁護士会館に移動し、集会を早めに始めることになった。
集会では、福島県郡山市の橋本あきさんが福島の水や食べ物、生活環境、放射能ゴミなど放射能汚染について話した。
大阪府高槻市の水戸喜世子さんは、「北朝鮮のミサイル実験にたいして電車を止めても、原発を止めない政府の欺瞞性。子どもたちにしゃがみ込む訓練をさせたが、これは自分の戦争体験から実効性はなく、子どもたちに北朝鮮に憎悪を持たせるためのもの。」「遺伝子が傷つけられると、回復は非常に困難であり、次世代、次々世代へと受け継がれていく」などと話した。
原告の浅田正文さんは、「福島原発事故後金沢に避難してきたが、福島にとどまってたたかっている人が体調を崩しているという知らせが届くと、心が痛みます。原発事故は土地を汚し、空気を汚すだけではなく、人の心も傷つけてきました。2014年樋口判決のこころを大切にして、たたかっていきましょう」と話した。
原発の地元おおい町や金沢の市民から発言があり、笠原一浩弁護団事務局長、島田広弁護団長、最後は原告団長中嶌哲演さんの「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ」で、締めくり、次回10月20日に再び金沢に集まろうと心に決めて、散会した。
(田端富美雄)
(追記) 9月27日付「北陸中日新聞」は、「名古屋高裁金沢支部は次回口頭弁論(11月20日)で結審する方針」と報道した。

辺野古新基地
仮設道路100bにおよぶ
海上とゲート前で攻防続く

米軍キャンプ・シュワブゲート前(9月19日名護市内)

9月17日 辺野古新基地建設工事は、8月下旬から9月中旬にかけて、盆(旧盆)休みと台風の影響で護岸工事はほとんどおこなわれなかった。ただし仮設道路の作業はおこなわれた。
米軍キャンプ・シュワブゲート前から砂利を積んだトラックが数日にわたって入ったが、本格的な作業は台風18号が通り過ぎた17日から始まった。この日、防衛局は、台風対策のため回収していた浮き具(フロート)を再設置。

工事再開に抗議

18日 大浦湾に台船4隻が戻ってきた。海上行動隊は、抗議船2隻とカヌー9艇で抗議行動を展開。工事再開に怒りの声を上げた。
19日 ゲート前で工事車両の搬入が始まった。午前9時過ぎ、座り込んだ市民50人を機動隊が排除。第1ゲートには、工事車両が北側と南側の両方面から並んだ。市民たちは機動隊のゴボウ抜きに屈することなく、「違法工事やめろ」「海を壊すな」と抗議の声を上げた(写真)
午後4時までに工事車両124台が資材を搬入した。
海上では、フロートが2重、3重に設置された。抗議船4隻とカヌー隊が抗議行動を展開。「N5護岸」付近では、ダンプが何度も砕石を運び、それをショベルカーが固めるなど、仮設道路の整備が進められた。
20日、統一行動日 に130人がゲート前に座り込んだ。午前9時頃、機動隊が市民を排除し、工事車両70台が資材を搬入。
海上では「N5護岸」「K1護岸」付近の仮設道路の延伸作業が確認された。
21日 海上では抗議船2隻とカヌー15艇で、仮設道路の作業にたいして「海を壊すな」「作業をやめろ」と抗議の声を上げた。ゲート前には130人が結集。この日、資材搬入はなかった。
22日 ゲート前に40人が座り込んだ。午前9時から午後3時までの間、工事車両計207台が3回に分かれて資材を搬入。昨日搬入がなかった分も含め、この間で最大の搬入規模だ。
海上では仮設道路の作業がおこなわれた。海上行動隊は、抗議船2隻とカヌー12艇で抗議行動を展開した。

護岸造成を強行

25日 キャンプシュワブ内の作業ヤードで被覆ブロックが製造されていることが確認された。護岸の造成は、砕石を基礎として、それを被覆ブロックで固め、ブロックに沿って波消ブロックなどを設置してすすめられる。
土木技術者は、「K9護岸」では袋詰めされた砕石が投下されていることについて、「あれは仮のもので、本来なら被覆ブロックが入る」と説明した。政府は10月にも「K1」「N5」護岸で砕石を固定させるように被覆ブロックを設置するようだ。工事は新しい段階に入った。
「N5護岸」付近の仮設道路は砂浜から100メートルに及び、海上に達した。海上行動隊は「N5護岸」付近に接近し抗議の声を上げた。10人が一時拘束された。
ゲートより、工事車両169台が資材を搬入。60人が機動隊の強制排除に屈せず抗議の声を上げた。
26日 「K1護岸」予定地で土砂を投入する作業が確認された。土砂が投入されるのは初めて。抗議船3隻とカヌー11艇で「違法工事止めろ」と訴えた。ゲートから155台の工事車両が資材搬入。50人が座り込んだ。
27日 ゲート前で、午前11時より、島袋文子さんのトーカチ(88歳)を祝う集会がもたれた。300人が参加して、三線演奏やカチャーシーで祝った。防衛局は、午前9時頃、工事車両数十台で資材搬入したが、午後からは基地反対の市民の数の多さに、資材搬入はおこなわれなかった。
(杉山)

3面

投稿
「憲法は国家の失敗リスト」
木村草太さん(首都大学東京教授)が講演
丹波市在住・藤尾周作
9月5日

人口10万人規模の丹波・篠山市などから700人が参加し、ホールは満席になった(9月5日 丹波市)

兵庫県東北部の丹波市で、民主主義と憲法擁護の運動が粘り強く幅広くおこなわれている。6月「共謀罪の慎重審議を求める市議会請願」に続き、9月5日の木村草太さん(首都大学東京教授)講演会のとりくみと内容要旨を報告してもらった。(本紙編集委員会)

4月から準備

前日までの晴天が、木村草太さん講演会の9月5日に限って雨模様。聴きに来る人たちの出足が気にかかる。実行委員会を開始した4月以来、賛同を募り前売り券を広げ、人の集まる場所に案内ポスターを貼らせてもらうなど、1人でも多く木村さんの憲法の話を聞いてもらうために、みんなが汗を流した。若い人にも聴いてもらいたいと、高校生以下は無料とした。「最後は高校生に呼びかけよう」と、9月1日に柏原駅と高校近くで登校する生徒たちに案内チラシを配った。神戸でも「安保法制廃止! 市民の集い」の人たちが三宮で数百枚の案内チラシを配って応援してくれた。
5時開場の丹波の森公苑ホールでは、大勢のスタッフが雨の影響を気にしながら準備を整えた。5時が近づくと、ちらほら人が現れ始める。雨脚が強いのが心配だ。駐車場は広いが、後から来る人は遠くに停めなければならない。だんだんと人の数が増えてくる。見知った顔も時折入ってくる。久しぶりの学校の同僚も、2015年の安保法反対の市民運動で知り合った神戸の人たちの顔もあるではないか。チケット売り場を兼ねた受付には、人の列が続き、順番にホールに吸い込まれていく。以前の同僚の「今日は職場から15人行く」に、頼もしさを覚える。ロビーで「はよう入らんと、席が無くなるで」という声が聞こえる。出足を心配していたスタッフも胸をなで下ろした。
6時に木村さんの講演が始まった。しばらくロビーでモニターを見てなかに入った。最後部から演壇の木村さんとホールの埋まり具合を見る。700人分の座席はほぼ満席だ。やれやれと安心したら、木村さんの話がよく聞こえ始めた。立憲主義の話だ。「報道ステーション」や新聞で見る通り眼光の鋭い人である。
「憲法は、国家権力の失敗のリストである」と話している。国家権力の犯した三大失敗とは、@戦争、A人権侵害、B独裁で、この失敗を繰り返さないために今の憲法が考えられたとのことだ。時折笑いを誘うエピソードを交えながら、聴く人が「急所は、ここなんだ」と自覚できるように話すのはさすがだ。私もだんだん引き込まれて聴き入った。以下はレジュメと記憶による報告と感想、粗さはお許し願いたい。

戦争・独裁を否定

日本国憲法においては第1章で主権が天皇でなく国民にあることを述べたうえで、@について、「軍隊と戦争をコントロールする」必要から第2章(戦争の放棄・9条)がつくられた。Aについて、「人権を保障する」必要から第3章(国民の権利および義務・10条〜40条)がある。Bについて、「権力は分立して、独裁は許さない」ため、第4章〜第8章(国会・内閣・裁判所・財政・地方自治)がある。権力者に憲法違反をさせない、勝手に憲法を変えさせないように第9章(改正)第10章(最高法規)との章立てで憲法が構成されていると説明した。日本に限らず、ドイツ、フランスなどの憲法も過去の失敗からの反省リストであるとのことだ。このように説明されると、「立憲主義」が「なるほど」と思える。

集団的自衛権は違憲

憲法全体の構成の話に続いて、「自衛隊と憲法9条」の話に入る。1項の「国際紛争解決のための武力行使」は国際法でも禁止されているとのこと。2項の、軍編成権の否定、戦力不保持、交戦権の否定の解釈は多説ある、と。まず「個別的自衛権はない。自衛隊は違憲」(A説)。次に「個別的自衛権はある。自衛隊は合憲」(B説・政府解釈でもある)。これらの解釈は9条だけを見るのでなく、憲法全体に「例外規定」があるかを見るのだそうだ。例えば、13条は「国民の生命・自由・幸福追求の権利」を日本政府に課している→政府解釈B説を後押し。
しかしそれでも、13条を考慮に入れても、9条が「他国を守るための武力行使」まで認める条文は存在しない(73条、内閣の事務の各項にもない)。つまり(木村さんは)集団的自衛権は違憲であるという。最近になって安倍首相が、「9条1.2項はそのままにし、3項に自衛隊を書く」と発言したが、さらに解釈の矛盾が深まるということである。
関連するテーマとして、「北朝鮮が核兵器を持っただけでは、アメリカは国際法上は攻撃できない」との話もあった。他に印象に残ったテーマは次の二つであった。
1. 沖縄辺野古問題の解決に憲法41条(国会は唯一の立法機関)、92条95条(地方自治、住民投票)が使えるのではないか。
2. 憲法を変えずとも、中等高等教育無償化は可能であるばかりでなく、政府自身の国際的義務になっている。(日本政府は12年9月に中等・高等教育無償化を段階的に進めるよう定めた『国際人権A規約』の留保を撤回したことによる義務)
講演後、50人余りから質問票が出た。「違憲な法律が放置されているのはなぜか」。木村さんの答えは、「そのようなことは珍しくない。主権者が憲法の考え方を知り、違憲な法律を正そうとする国会議員を選ぶことでしか解決はない」であった。聴衆の心に響いた言葉だったと思う。

森友問題は終わってない
9月21日 大阪府庁を包囲

9月21日、森友学園問題を考える会の呼びかけで、大阪府庁にたいする包囲行動がおこなわれた。豊中市議の木村真さん(写真)は、9月28日の臨時国会冒頭解散を「モリ・カケ隠し解散だ」と批判。松井大阪府知事にたいして、「学校設立認可にかかわる疑惑を解明するために百条委員会を設置せよ」と訴えた。

(シネマ案内)
ドキュメント映画
『いのちの岐路に立つ〜核をだきしめたニッポン国』
原村政樹・監督

戦後、日本では「被爆国だから核の平和利用」というキャンペーンのもと、原発は政府によって推進されてきた。その結果、ぼう大な被爆者と被ばく者が生み出された。原爆と原発、被爆者と被ばく者はまさに一体だ。映画は、ヒロシマ→ナガサキ→ビキニ→フクシマに連なる核をめぐる戦後史と、そこで生きた人々の証言を絡ませながら、核の問題を追っていく。
2016年8月6日、広島平和公園。堀江壯さん(広島の被爆者、「伊方原発運転差止広島裁判」原告団長)は、被爆体験を語りつつ、「次の世代に責任をはたすためにも原発を止めなければならない」と述べる。
大石又七さん(ビキニ水爆の被爆者)は、「第5福龍丸の乗組員23人のうち、14人がすでに亡くなった。彼らの無念をはらすために、私は核廃絶を語りつづける」と語る。日本は唯一の被爆国ではない。マーシャル諸島に住む被爆者の声に耳を傾ける必要がある。
樋口健二さん(報道写真家)は、原発被ばく労働をずっと追ってきた。「原発労働者の被ばく問題はもっと人々に知られる必要がある」と述べる。1974年、岩佐嘉寿幸さんが初めて原発被ばく労働裁判をおこした。樋口さんは、岩佐さんのたたかいの意義を訴える。
椋本貞憲さん(徳島県阿南市、〈原子力発電所建設を阻止する椿町民の会〉元・事務局長)は、建設を阻止したたたかいをふりかえる。原発を容認した地域よりも、椋本さんのように原発を阻止した地域のほうが多いのだ。
ラストは8・6広島の灯籠流しのシーン。関千枝子さん(広島の被爆者、ジャーナリスト)は、「今も原(水)爆実験がおこなわれ、原発が再稼働されていくなかで、安らかに眠れません」と語る。
原発は核燃料サイクルのために必要不可欠であった。核燃料サイクルの目的はプルトニウムを取り出すことだ。高速増殖炉のために必要というのは表向きの理由で、本音は核武装にあった。したがって、原発は軍事施設なのだ。
核の再処理は、国連常任理事国(=核保有国)にのみ認められている。この「不平等」を逆手にとって、日本は日米原子力協定の改定(1988年)によって再処理を認めさせた。日本政府は「潜在的核保有国」として、この力をもって国際交渉に利用してきた。「潜在的核保有国」の権利を維持するために、政府は核兵器禁止条約に反対している。日本は原発を手放そうとしない。
核は、ひとびとの生活に恩恵をもたらさなかった。戦争体験から反戦意識が根づき、ひとびとは核保有に反対した。支配者は国家の暴力で原発を強引に推進した。その結果が今日の福島だ。国の責任は明確ではないか。
われわれは国家にだまされない思想を持たねばならない。だまされるほうにも責任がある。「3・11」フクシマ以降、この反権力思想はさまざまなたたかいのなかに生きている。(津田)

4面

検証
開示資料「経済協力韓国108」から見る徴用の実態(下)
問われる日本人民の責任
須磨 明

「逃亡」の実態

2015年に発行された竹内康人著『戦時朝鮮人強制労働調査資料集(増補改訂版)』によれば、「日本などへの労務動員で80万人、軍務では36万人が連行され」「韓国内での労働力動員を加えれば、この数倍の朝鮮人が戦時期に強制労働させられた」と報告している。
そして逃亡に関しては、「益山郡から100人連行しようとしたが、出発地には51人しか集まらず、朝鮮内で2人、日本で7人が逃亡」、「遂安郡から90人が出発したが、朝鮮内で47人が逃亡」、「瑞山郡では102人が集合したが、引継ぎの段階で86人になり、さらに朝鮮内で26人が逃亡した」と具体的に述べている。
数万人の朝鮮人を強制連行・強制労働させていた北海道炭砿汽船に関してみると、割当て人員のうち、1943年度第4期は75%、1944年度第1期は62%、第2期は56%しか北海道に到着していない(官斡旋の時期)。そして1944年9月には徴用による本格的な強制連行へと移行していった。

悪質極まりない企業

そもそも供託制度とは会社に支払いの意志はあるが、何らかの理由(住所不明など)で本人に渡せないから、国家機関に預けるという制度である。しかるに、ここでは労働者本人に渡すことができないという理由で供託しておらず、本末転倒ではないか。
また、未供託理由欄のなかに、大平鉱業明延鉱業所(兵庫)は「終戦後の資金繰り頗る困難を来したるため」と記入している。強制的に引っ張ってきて、逃亡防止のために強制的に「貯金」させ、資金繰りが困難だからと言って供託すらしないという悪徳企業である。東洋工業(広島)は「措置を忘れていたため」という信じられない理由が書き込まれている。
命がけで働いていた朝鮮人の賃金を渡すために、戦後全力を尽くして本人を探し出し、優先的に支払わねばならないのに、「金融至難」「資金繰り困難」などといって、賃金債権を踏み倒していた。また、「法の不知」「忘れていた」などと、日本人労働者には絶対にしないであろう差別的処遇が見てとれる。

「明治日本産業革命遺産」

2015年の第39回世界遺産委員会で「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」がUNESCOの世界遺産リストに登録された。しかし、登録された諸施設でおこなわれていた朝鮮人強制連行・強制労働を無視した内容であり、韓国を始め各方面から批判があがった。日本代表は韓国が主張した「強制労働(forced labor)」の表現を避け、「労働を強いられた(forced to work)」人々がいたことを表明して、7月5日合意が成立し遺産は登録されたといういきさつがある。この遺産群のなかに、以下で述べる三菱高島炭鉱端島が含まれている。 
7月26日、韓国で映画「軍艦島」が公開された。公開2日余りにして観客動員150万人を記録したという。韓国MBC放送は『軍艦島そして安倍の歴史戦争』というドキュメンタリーを放映した(YouTube)。
いま、なぜ韓国で、「軍艦島(端島炭鉱)」に焦点があてられているのか。端島炭鉱が「世界遺産」に指定され、強制労働という歴史的事実を葬ろうとする安倍政権の姿勢とは無関係ではない。
『戦時朝鮮人強制労働調査資料集』(竹内康人)には「強制連行期朝鮮人死亡者名簿」があり、1万450人の朝鮮人名(創氏名)が記録されている。そして「三菱高島炭鉱端島」の項には、50人の朝鮮人の名前、出身地、死亡年月日、死因、参考資料がひとつひとつ書き込まれている。
死因を見ると、労災、溺死、破傷風、脳脊髄損傷、頭蓋骨骨折、埋没窒息、埋没圧死、胸打撲、8・9爆死などである。竹内さんは「1939年以降、約4000人の朝鮮人が端島と高島に強制連行され、労働を強いられた」と書いている。

未払い金の支払いを

「慰安婦」問題や「徴用工」問題で、政府自民党のウソがまかり通っているのは、日本政府の「ずるさ」に加えて、私たちの無関心にあることを肝に銘じなければならない。三菱高島炭鉱端島の実態を扱っている『軍艦島そして安倍の歴史戦争』には、一部数字の誤りはあるが、「徴用工」問題を対象化するためには必見のドキュメンタリーである。
強制連行に関わった企業と日本政府は手元にある諸資料に基づいて、朝鮮から強制連行(徴用)してきた朝鮮人の名前と住所を調べ上げ、当時の給料や貯金を2000倍し、利子をつけ、慰謝料をつけて返すべきである。
「資料はない」とは言わさない。
不二越強制連行訴訟では、「政府機関に供託したから未払賃金の責任はない」と責任逃れに終始し、その立証のために「未払金内訳」「供託金明細書」を提出した。その供託名簿には、強制連行(徴用)された人々の当時の住所(番地まで)、名前、金額などが詳細に書かれているのである。「従業員名票」も作成しており、強制連行・強制労働に関わった企業(供託企業)内の倉庫を厳格に調査すれば全てが明らかになってくる。
これまでは、「慰安婦」問題が非人道性と衝撃性で注目されてきたが、「徴用工」問題は桁が違うのだ。日本などへの労務動員で80万人、軍務では36万人が強制連行され、賃金が踏み倒されているのだ。まさに、戦後補償問題であると同時に、労働問題であり、日本の労働者人民の責任と連帯が問われているのである。(おわり)

共謀罪は廃止できる
萎縮せず市民活動の継続を

「共謀罪は必ず廃止」のメッセージをかかげる参加者たち(9月15日 東京)

「共謀罪は廃止できる! 9・15大集会」が東京、日比谷野外音楽堂で開催され、3000人の労働者市民が会場を埋め尽くした(写真)。午後6時半から始まった集会は、アムネスティインターナショナル日本の山口薫さんの主催者あいさつに続いて、海渡雄一弁護士の共謀罪廃止に向けたアピールがおこなわれた。
海渡さんは「私たちは、8月に〈共謀罪廃止のための連絡会〉を結成し、共謀罪法案廃止のための署名運動を始めています」「そして、共謀罪を廃止すること、通信傍受法を共謀罪に拡大させないこと、プライバシー権を侵害する捜査手法を止めさせること、公安警察などにたいする監視機関を確立していくことなどを求めていきたいと思います。共謀罪が乱用されないよう監視する弁護団も結成されました」「私たちは、市民活動を堂々と続け、憲法を守り、民主主義を取り戻し、共謀罪は必ず廃止することを確認しあいましょう」と訴えた。
野党4党の国会議員のあいさつ、カンパアピールに続いて、共謀罪廃止のための連絡会構成団体からの発言に移り、自由人権協会の芹沢斉さん、日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長の篠田博之さん、ピースボート共同代表の野平晋作さん、国際環境NGОのFoEジャパンの満田夏花さん、女性と人権全国ネットワークの近藤恵子さん、共謀罪対策弁護団から三澤麻衣子さん、戦争させない1000人委員会の内田雅敏さん、日本マスコミ文化情報労組会議から岩崎貞明さんがアピールをおこなった。
三澤さんは「共謀罪対策弁護団の目的は、より多くの弁護士が共謀罪廃止への弾みとすること、二つ目は、万が一検挙が起きたとき、弁護体制・理論武装を検討し、検挙の予防を図ること、三つ目は、このような弁護団の成果を広く公表することによって、市民運動の萎縮を防止すること」「忘れさせない、萎縮しない、検挙させない、そして、絶対に廃止させる」と対策弁護団の目的を訴えた。
集会宣言、コールの後、銀座デモに移った。(島田秀夫)

朝鮮学校
高校無償化で不当判決
東京地裁、国の主張をうのみ

朝鮮学校を対象から外した高校授業料無償化制度が始まったのが2010年。これを不当として2013年から全国各地で裁判が始まった。東京では生徒(当時)62人が原告として立ち上がった。裁判と平行し、在校生・卒業生・教師ら学校関係者は抗議行動・要請行動・署名活動などに多くの時間を割いてきた。
9月13日、1600人が集まるなかで、東京地裁は原告敗訴の不当判決を下した。104頁に及ぶ判決文は、朝鮮学校を制度から外すために規定を変更したことの是非を回避し、文科大臣が「拉致が根拠」と言明した政治外交的判断の教育の場への持ち込みを認めないなど、国の主張をうのみにしたものに過ぎなかった。
勝利を祝う場となるはずだった夜の集会には、1100人が参加。集会では「まさか負けるとは思ってもいなかった」「制度が発表された時に中学生だった子どもから、どうせ朝鮮学校はダメって後からなるよと言われた」と現在の日本の絶望的状況を見据えた発言。さらに、「在日の人権ではなく日本人の人権の問題」「この先に多くの人権が侵される時代が切り開かれてしまう」という危機感が。また、「日本人の世論を作る」「これからの子どもたちのためにも民族教育を守り抜く」「憎悪をあおる権力に負けない」「正義は裁判所ではなく自分達が決める」などの声があがった。(北浦和夫)

5面

「高度プロフェッショナル制度」批判(下)葉月 翠
「致死労働」を強制する制度

資本が「高度プロフェッショナル」制度にこだわる理由

〈3・13合意〉で月100時間の残業が合法化されるのであれば、資本が「高度プロフェッショナル」制度(以下、「高プロ」制度)にこだわる必要があるのかという疑問が浮かぶかもしれない。なぜ資本は「高プロ」制度法案にこだわるのか。
この点について、「高プロ」制度の前身であるホワイトカラーエグゼンプション(以下、WE)制度を労政審で審議した菅野和夫はその著書『労働法 第11版』(弘文堂16年)で次のように述べている。

「 … 裁量労働制は、労働時間のみなし制であって、適用除外制度ではないので、上記のようなプロフェッショナル社員にぴったり適合した労働時間制度ではない。産業社会の情報化・グローバル化のなかで、高度に専門的裁量的な業務に従事するプロフェッショナル社員が十分に能力発揮するためには、現在のみなし制を、乱用防止策を施しつつ、その自律的働き方により適合的な適用除外制度に再編成する必要があった」(「高収入の高度専門業務に就く労働者と裁量労働制」より)

菅野は、「裁量労働制の『みなし時間制』では、いまだ資本の側に労働時間管理の義務が残っていて、これでは不十分だ。労働時間管理の枠そのものを取り払うこと、そのためには『労働時間管理の適用除外』の枠を大幅に広げなければならない」と主張しているのだ。これこそ資本が「高プロ」制度にこだわる理由である。それはまさに「労働日の放擲(ほうてき)」であり、「致死労働の強制」そのものだ。

労働日に関する マルクスの言及

労働日についてマルクスは、資本論第1巻第8章で、次のように述べている。

「古代にあっては、過度労働は、交換価値をその独立の貨幣態容で獲得することが肝要であるばあいに、すなわち金および銀の生産において、怖ろしいまでに示される。致死労働の強制が、ここでは過度労働の公認形態である」
「資本は、労働力の寿命を問題にしない。資本が関心をもつのは、ただもっぱら、一労働日に流動化されうる労働力の最大限のみである。資本が労働力の寿命の短縮によって、この目的を達することは、貪欲な農業者が、土地豊度の掠奪によって、収穫を増加させるのと同じである。」
 
現代の新自由主義による飽くなき剰余価値の追求は、致死労働の強制を復活させているのだ。このような現実にたいする労働者階級の根底的な怒りが、07年のWEを頓挫させ、それを契機とした自民党政権の崩壊をもたらしたのである。そして今回、「高プロ」制度への怒りが連合を揺さぶり、安倍政権を追い詰めているのだ。それは、資本主義にたいする根源的な怒りが標準労働日をめぐるたたかいとして今日的に復権していると見るべきであろう。

「高度プロフェッショナル」制度法案の背景

連合の「高プロ」制度法案容認にたいして連合内外から組織労働者の怒りの反撃が始まった原因を理解するために、「高プロ」制度法案の中身を以下の3点にわたって検討したい。
@「標準労働日」はなぜ国家による強制となるのか、A自民党政権崩壊のきっかけとなった07年WE導入策動とその挫折、B07年WEと今回の「高プロ」制度の違いはあるのか。

なぜ国家の強制となるのか

19世紀イギリスの標準労働日のための闘争。労働時間の強制法(工場法)による制限。工場監督官制度による資本への規制と処罰。マルクスは資本論の中で、かなりの分量で工場監督官の報告を引用しているが、「なぜ国家の強制か」について論理的に説明しているわけではない。
マルクスの記述で注目すべき点は、死に至る飽くなき搾取によって、労働者種族の体格の劣化が進行し、それが徴兵制度に障害をもたらしていることを語っているところである。
すわなち国家の維持、国防の観点から国家による資本の規制が生じるのである。この点の理解が必要である。
工場法的な規制は、一方では資本家と労働者階級の内乱の結果であるが、他方では資本の飽くなき強欲が労働者階級の肉体的・精神的退廃をもたらしたため、国防上の問題を発生させたことから、国家による規制にいきついたという側面があるのだ。またマルクスは、自由主義段階の産業資本家は工場制大工業を根拠とした相対的剰余価値の生産を背景に、工場法的規制をむしろ積極的に受け入れたと指摘している。
「一般的利潤率の低下」に見られるよう現代資本主義の危機は、労働者家族の再生産が不可能になるまで労働者階級に致死労働を強制することでしかその突破をはかることができなくなっている。いまや資本主義に替わる新たな社会体制が求められているのだ。

自民党政権崩壊のきっかけとなった「残業代ゼロ法案」

05年6月、日本経団連は「ホワイトカラーエグゼンプションに関する提言」を発表した。翌年6月の日米投資イニシアチブでアメリカ側がWEを提案。07年1月、第1次安倍政権は、@WE、 A労働契約法、 B派遣法の全面解禁などを内容とする「労働ビッグバン」を提唱した。
06年11月、厚労省は「今後の労働時間法制について検討すべき具体的論点(素案)」を労働政策審議会労働条件分科会に提出。その内容は以下のようなものであった。
素案は新たな制度の名称を「自由度の高い働き方にふさわしい制度」と改め、「一定の要件を満たすホワイトカラー労働者」について、「労働時間に関する一律的な規定の適用を除外する」とした。年次有給休暇を除き、法定労働時間、時間外、休日、深夜労働への規制はすべて外す。
対象者の要件は、@労働時間では成果を適切に評価できない業務に従事する、A業務上の重要な権限、責任を相当程度ともなう地位にある、B業務遂行の手段、時間配分の決定などに関し使用者が具体的な指示をしない、C年収が相当程度高いの4点をすべて満たすこと。年収要件以外は抽象的な規定にとどまる恐れがある。導入するための手続き要件としては、対象労働者の範囲や賃金の決定方法、苦情処理への措置、同意しない対象者に不利益な取り扱いをしないことなど。企画型裁量労働制と同様に労使委員会の決議事項としている。
これにたいして、WEを「残業代ゼロ法案」と批判する大規模な反対運動がまき起こった。
07年1月25日、厚労省が労政審に労働契約法と労基法改正についての法案要綱を諮問。
同年2月2日、労政審は、労働契約法案要綱と労働基準法改正法案要綱について、三項目を除き「おおむね妥当」と柳澤伯夫厚生労働相に答申した。しかし日本版エグゼンプション制の導入や裁量労働制の規制緩和、割増賃金の引き上げについては労使の合意は得られなかった。3月13日、政府は労基法改正案と労働契約法案を閣議決定したが、WEと企画業務型裁量労働制にかかわる部分は削除された。WEの法案化を断念したのである。 その半年後の07年9月、安倍内閣は総辞職した。安倍内閣を継いだ福田内閣・麻生内閣も短命で終わり、その後、09年8月30日の総選挙で民主党が過半数を獲得。政権交代が実現した。WEとその挫折は政権交代の出発点と見ることもできよう。

致死労働強制法

07年WEと「高プロ」制度との間に違いはあるのだろうか。両者のポイントを比較して検討してみたい。
はじめにWEのポイントを07年1月の法案要綱から抜粋する。
(イ)労使委員会で5分の4以上の決議。行政官庁への届け出。
(ロ)休日に関する規定は4週間を通じて4日以上かつ1年間を通じて週休2日分の日数(104日)以上の休日を確保。確保しない場合には罰則。
(ハ)労働時間、休憩、時間外および休日の労働ならびに時間外、休日および深夜の割増賃金に関する規定は適用しない。
(ニ)対象労働者は管理監督者の一歩手前に位置する者が想定されることから、年収要件もそれにふさわしいものとすることとし、厚生労働省令で定める。
次に「高プロ」制度のポイントを法案から抜粋する。
(イ) 当該委員会(労使委員会)がその委員の5分の4以上の多数による議決により次に掲げる事項に関する決議をし、かつ、使用者が、厚生労働省令で定めるところにより当該決議を行政官庁に届け出た場合。
(ロ)「この章で定める労働時間、休憩、休日および深夜の割増賃金に関する規定は、対象労働者については適用しない」(労基法改正案第1条第11項)
(ハ)健康管理時間の設定。労働時間管理を不要とした上で、健康管理のための時間管理は残す。
(ニ)働きすぎ防止策。つぎの三つの内一つを採用すれば良いとした。
@ いわゆる勤務間インターバル制 A 健康管理時間が1カ月または3カ月についてそれぞれ省令で定める時間をこえない。
B 4週間を通じ4日以上かつ1年間を通じ104日以上の休日を確保すること。
以上二つを比較すると、細かな違いはあるが、07年のWEと今回の「高プロ」制度とは、深夜業も含めた労基法の適用除外を定めている点で、まったく同一のものである。現行労基法の管理監督者の適用除外よりも広範な適用除外を認めている点でまさに「致死労働強制法」と呼ぶべき法案である。  (おわり)

(追記)政府は9月15日の労政審の答申を受けて、労基法を含む八つの労働法規改悪をセットにした「労働法制改悪一括法案」をまとめようとしている。これについてはあらためて批判したいが、労政審答申のプロセスで問題点を指摘しておきたい。それは8月下旬に労政審のなかに労働政策基本部会が新設されたことだ。これは公労使同数の原則を破って有識者と経営者だけで発足し、しかも「政策決定プロセスの新機軸」と位置づけられている。これにほとんどのマスコミが気がついていない。労働行政の重大な転換がひそかに進行していることに警鐘を鳴らしたい。

6面

生活保護確認カード
利用者の顔写真を貼付
犯罪者扱いする大阪市

申請者も撮影

今年5月、大阪市浪速区、東住吉区、福島区、港区において生活保護利用者(以下、利用者)にたいし、申請時などに写真撮影し、顔写真付きの「確認カード」なるものを作成・交付していることがわかった。申請者は面談室で撮影し、利用者は来庁者が行き来する場所の壁に立たせて撮影している。
確認カードは免許証程度の大きさで顔写真と5ケタの番号が記載されている。しかも、「このカードは保護の受給及び本人を証明するものではありません。浪速区役所生活支援担当」とわざわざ明記されている。
「受給」を証明するものでもなく「本人」であることを証明するものでもない「確認カード」は何のためか。
この事実を知ったマスコミが全大阪生活と健康を守る会連合会(以下、大生連)に取材し、6月24日の「神戸新聞」と「京都新聞」に「保護申請者を無断撮影か」という記事を掲載した。
対応を検討していた生活保護問題対策全国会議や大生連、労組など30団体は連名で、8月8日「確認カード」に関する公開質問状を出し、翌9日に大阪市と交渉し、その後記者会見した。

大阪市のウソを暴露

大阪市は「強制ではない」「医療券の交付のために必要」「迅速処理のために必要」としているが、それらが事実でないことが次々暴露されている。前掲「京都新聞」によれば「昨年12月にカードを作った浪速区の60代の女性」は「カードがなければ医療券を出せないとの説明を受けた」とのことである。しかし、医療券は本人が手書きで詳細を書かなければならないのでカードは必要ない。カードを発行している福島区は窓口に保護費を取りにくる利用者は60人でケースワーカーが6人いるので十分に対応できるためカードなどそもそも必要ない。さらに福島区では配偶者の写真も撮っているとのことである。カードをどのように使っているのかを追及された大阪市は「ケース記録(注)にはさんでいる」と回答した。ケース記録を各区役所に配置されている警官OBも見るのかという質問に大阪市は「見ることはある」と答えている。
2011年末の大阪市長選で当選した橋下徹は全区に警官OBを配置し、職員を含めて「不正受給調査専任チーム」を作らせ、利用者への尾行・張り込みを日常的におこない、現在100人以上の警官OBが配置されている。ケースワーカーは利用者を担当しているのだから顔写真などそもそも不要である。ケース記録にはさんである「確認カード」を警官OBも見ることがあるとしている以上、利用者への尾行・張り込みのために使うものといわざるをえない。

全区への拡大を表明

8月31日の定例会見で吉村洋文大阪市長は「不正受給を1件でも減らすのが僕の仕事。(「確認カード」は)全市展開してもいい」「大反対はあると思うが、適正に受給する仕組みを厳しく作らないといけない」と表明した。西成区を含む全区への拡大は利用者を犯罪者扱いするものである。吉村市長を徹底弾劾し、さらなる大きな陣形をつくっていくことが求められている。
大阪市は「確認カード」以外でも生活保護制度の実質的破壊をしている。最後のセーフティネットである生活保護制度を守りぬいていかなければならない。その先頭に労働組合が立たなければならない。(矢田肇)

(注)ケース記録:利用者に関する事項を記録している書類

追悼
終生、成田空港反対闘争をけん引
北原鉱治さん(三里塚反対同盟事務局長)

今年8月9日、三里塚芝山連合空反対同盟事務局長の北原鉱治さん(写真)が老衰のため逝去されました。関西の地で三里塚闘争を担い続けてきた三里塚決戦勝利関西実行委員会(関実)代表世話人の永井満さんと同世話人の山本善偉さんの追悼文を紹介します。(関実ニュースbP61から転載 見出しは本紙編集委員会)

北原鉱治事務局長を偲ぶ

関実世話人 山本善偉

1977年正月に、当時の福田首相が「年度内に開港せよ」と大号令を出しました。空港開港に立ちふさがる「ガン」は、岩山にそびえる大鉄塔でした。反対同盟は全国の闘う仲間に激烈に呼びかけた。「北総台地にそびえる大鉄塔を、闘う人民で覆いつくす遠大不滅の人塔に」と。
私が三里塚に行きだしたのは、この前年でした。
関西で三里塚を闘う私たちは、この檄に応えて「鉄塔決戦勝利百万人動員全関西実行委員会」を結成。77年4月に大阪扇町公園に大型バス12台をチャーターして三里塚に駆けつけました。集会はたぶん数万人。戸村一作委員長の誠実かつ力強いアジテーション。北原鉱治事務局長を先頭に、大集会を執行する反対同盟幹部諸氏の自信に満ちた喨々しい活動に、さすが三里塚とうたれました。
北原さんは私より2歳若い。よく二人で軍隊経験の話になりましたが、学徒動員で見習士官とはいえ実戦経験のない私と、海軍の現場を踏み、実戦の修羅場を潜り抜けてきた北原さんとは当然違い、戦争の悲惨さからの平和への北原さんの強い思いをいつも感じました。
あの1983年の三里塚反対同盟の分裂の過程で、関西実行委員会と私は、北原さんを支持しました。石橋さん、内田さん、小川源さんなど錚々たるみなさんが離れていったことは、私には非常に残念でしたし、困惑しました。
毎年、春と秋の三里塚現地全国集会に、私たち関西実行委員会はそれぞれがいろいろな交通手段を使って、集会当日の午前9時に三里塚にある北原さん宅に集まることが習慣になりました。確か北原さんの奥さんのキノさんが集会に出られないので、キノさんにお会いし励まそうと始まったのだったと思います。キノさん手作りの芋の煮っ転がしなどの美味しかったこと。キノさんが亡くなられた後も続けられ、北原さんの体調が思わしくなくなった2012年まで続けられました。
ほぼ20〜30人くらいのほとんど同じ顔ぶれが集まります。集会壇上に立つ厳しい北原さんが、ここではあぐらをかいて柔和な笑顔で、関西から来た私たちをねぎらってくれるのです。朝からですがお酒もふるまわれました。暖かい人間関係を覚える中で、「今日の集会の意義、方針、決意」を語られる。私たちは、これを当日の大集会の前段集会と理解して会場に向かいました。
北原さんが95歳で天に召されるまで、半世紀50カ年、国家権力と闘いぬかれたことは、人権史上に燎として輝き残るものです。
残された問題は、市東孝雄さんの農地取り上げ問題として顕在しています。この問題は現在、法廷闘争の形になっていますが、本来は、農地死守、農を軽んじる国家権力に対して農を守る闘いです。現在の政治情勢は、この点で大きく人権を守る諸々の闘いと横につながる可能性をもっています。
必ず、後に続く者が、北原さんの遺志を着実に進めてくれることを信じています。敬愛する北原さん。天国から見守ってください。

50年にわたる闘いで先頭に立ち続けた

関実代表世話人 永井 満

去る8月9日、三里塚芝山連合空港反対同盟事務局長 北原鉱治氏が亡くなられました。謹んで哀悼の意を表し、遺志を受け継ぎ、勝利の日まで闘い続けることを改めて決意いたします。
1966年、成田空港問題が起こるや、北原さんは推されて反対同盟事務局長に就任、以来半世紀以上に及ぶ闘いを、戸村委員長と共に指導し、牽引してこられました。現地で開かれた決起集会で、空港絶対反対、勝利の日まで闘い抜こうと訴えられた北原さんの姿が瞼に浮かびます。
関西空港反対を闘う私たちと、早くから交流し、淡路島や泉州に足を運び、激励・共闘の力強いご挨拶をいただきました。
個人的にも親しくしていただき、三里塚での集会の前夜にはたびたび泊めていただき、夜遅くまでいろいろ話が尽きませんでした。また翌朝関西から駆けつけた仲間を客間に迎え、茶菓を用意して激励し、歓迎していただくのが慣わしのようになっていました。
私たちは空港絶対反対を貫かれた北原さんの遺志を受け継ぎ、勝利の日まで断固闘い抜くことを改めて決意いたします。