大飯原発 再稼働反対は民意だ
町議会に緊急抗議行動
大飯原発3、4号機の再稼働容認を決めたおおい町議会に抗議行動(9月8日 福井県おおい町) |
9月8日、福井県のおおい町議会は、「大飯原発3・4号機の再稼働」について、原子力発電対策特別委員会を開き、再稼働を認めることを決定、直後に全員協議会を開催し、同じく再稼働容認を決定した。
この特別委、全協開催にたいして、緊急抗議闘争が〈若狭の原発を考える会〉から呼びかけられ、福井県内、京阪神から多くの人々がおおい町役場前に集まった。
午後1時半から始まる特別委にむけて、12時半から抗議行動が始まった。冒頭全員で、怒りのコールをあげ、木原壯林さんが発言。いかに今回の再稼働のたくらみがでたらめであり、無謀な行為であるかを明らかにし、絶対に再稼働を止めようと訴えた。そして事故を繰り返している関電に、原発を運転する資格はないと弾劾した。
1時半、議会を傍聴する人を送り出した後も、町役場前では抗議の発言が続いた。
途中、傍聴した人からの報告があり、議長を除く12人の議員全員が再稼働に同意する意見を述べ、文案をまとめた上で、採択しようとしていることが伝えられ、参加者からは怒りの声があがった。
中塚寛町長は議会の同意を受け、今後、町として再稼働に同意しようとしている。
町役場前では、怒りのコールや発言が続き、若狭の原発を考える会は、10・15関電包囲全国集会、12・3おおい町現地闘争の大成功を勝ち取り、大飯原発3・4号機再稼働を止めようと訴えた。
おおい町と若狭、そして関西をはじめとする人々の生存権をないがしろにしようとする「再稼働同意」を強行した町会議員を弾劾する。再稼働反対は民意であり、私たちに正義がある。私たちの手で大飯原発再稼働を絶対に止めよう。
10・15関電包囲全国集会はいよいよ正念場だ。関電本店を包囲する「再稼働反対」「大飯原発うごかすな」の声をたたきつけよう。大阪市内のメインストリート御堂筋を席巻するデモ行進で再稼働反対の声をとどろかせよう。12・3大飯現地闘争を成功させよう。
安倍は“戦争”を煽るな
市民の声で平和外交を
9月6日 大阪
北朝鮮への排外キャンペーンに抗して声をあげる(9月6日 大阪市内) |
9月6日、戦争あかん! ロックアクションが大阪市内の新町北公園でおこなわれ、集会後は歌や演奏をまじえて御堂筋を難波までデモ行進した。主催者あいさつで元衆院議員の服部良一さんは、次のように発言した。
「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)のミサイルを口実に戦争の危機をあおる安倍政権の姿勢は許されない。京丹後市Xバンドレーダー基地をはじめ米軍基地を置いている日本や韓国が攻撃の標的になる確率は高い。安倍政権がすべきことは日本の国民を戦争にまきこませないことだ。そのためにアメリカと朝鮮の間に割って入って、もう少し冷静に対応するべきとの外交的な努力をすべきだ。北朝鮮にたいする評価はいろいろあるが、武力でこの問題を解決してはならない。『平和外交で解決を』と市民が声をあげていこう」
「来年5月か6月、憲法改正発議があるかもしれない。その場合は8月には衆院解散総選挙と国民投票を同時にする可能性がある。そういう状況を許さないために憲法9条改悪に反対するわれわれの市民運動をあらためて構築し、野党共闘を強化し、衆議院解散総選挙があった場合には必ず野党が勝って、安倍政権を退陣に追い込もう」
森友学園問題を考える会、朝鮮学校無償化裁判勝訴報告、ミナセン大阪、11・3総がかり行動の発言がつづいた。(池内慶子)
主張
危機を打開する道は何か
制裁・圧力では解決しない
3日午後、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が6回目となる核実験をおこなったことにたいして、 国連安全保障理事会は11日、北朝鮮への新たな制裁決議を全会一致で採択した。今回の制裁決議案には当初、北朝鮮への原油、石油精製品の輸出全面禁止を含むきびしい内容となっていたが、石油全面禁輸は見送られた。
もしも国際社会が、北朝鮮にたいする石油全面禁輸を実施したなら、北朝鮮国内で重大な人道上の危機を生み出すことは火を見るより明らかである。ロシアや中国が石油禁輸に反対している理由はそこである。こうした制裁による危機が生み出されたとしても、北朝鮮指導部が核開発を放棄する可能性はない。
それは北朝鮮の核開発の目的を考えれば明らかである。
第一に、それは自衛のためである。北朝鮮指導部はアメリカの要求に応じて核開発計画を放棄したリビアのカダフィ政権の末路を教訓化している。カダフィ政権は、2011年の米英仏の軍事介入によって崩壊し、カダフィ自身も殺害された。アメリカが金正恩にたいする「斬首作戦」と称する軍事演習を朝鮮半島で繰り返している現状において、北朝鮮が核開発を放棄する可能性はない。
第二に、核開発は北朝鮮指導部にとって、諸外国から必要な経済援助を引き出すための重要な交渉カードである。アメリカが北朝鮮との平和条約を締結せず、朝鮮半島で準戦時態勢をとり続けていることは、北朝鮮の経済発展にとって重大な障害となっている。北朝鮮指導部はアメリカと対等な立場で交渉するためには核武装は不可欠と考えている。
第三に、北朝鮮指導部が、国家の威信を保つためには核開発を放棄することはできない。90年代以降、北朝鮮人民の多くは配給制度だけでは生活できなくなったため、「ヤミ市場」への依存度を高めている。そのことによって国内に経済格差が生み出されている。政権にたいする人民の強い信頼感や期待感は薄れている。こうしたなかで北朝鮮指導部は、アメリカに屈して核開発を放棄することは自殺行為に等しいと考えている。
何をなすべきか
表面的な言動に左右されることなく状況を冷静に分析すれば、北朝鮮は戦争を回避するために慎重に行動していることが明らかになる。そして北朝鮮への軍事的圧力や経済制裁は、その効果を発揮しないどころか、事態をより悪化させることもまた明らかだ。こうした中で最悪の振る舞いをしているのが安倍政権である。安倍政権はマスコミを使って、明日にも北朝鮮のミサイルが日本に落下してくるかのようなキャンペーンを張り、危機をあおりたてて、憲法改悪と戦争国家化のテコにそれを利用している。一方でインドに原発を輸出し、核開発に協力しようとしている。
北朝鮮の政策を核開発の放棄へと転換させることができるのは、北朝鮮人民だけである。現時点で北朝鮮国内にそうした運動や組織を確認することができなかったとしても、そのことに変わりはない。
国際社会がやるべきことは、その転換が可能になる環境を整えることである。具体的には破産した核不拡散条約体制にかわる新たな枠組みを構築することだ。それは全面的な核兵器禁止体制である。今年7月、国連で採択された核兵器禁止条約は核廃絶にむけた貴重な一歩である。それを現実化するのは、日本、韓国、北朝鮮、アメリカ、中国、ロシアの各国人民による国境をこえる真の友好関係の形成と国際共同闘争の構築である。(汐崎恭介)
2面
朝鮮人虐殺の史実を消すな
関東大震災犠牲者を慰霊
9月1日
関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑の前で手を合わせる人たち(9月1日 東京都墨田区) |
東京・両国の横網町公園には、東京都の関東大震災犠牲者慰霊堂がある。毎年9月1日、慰霊祭がおこなわれているが、そこでは関東大震災時に殺された6千人を超える朝鮮人・中国人についてはなんら触れられない。
1973年、広範な個人や団体の呼びかけで、慰霊堂の脇に「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」が建立された。以来、毎年9月1日におこなわれる日朝協会主催の式典には、故美濃部亮吉氏をはじめとして歴代の東京都知事が追悼の辞を送ってきた。
虐殺否定する小池
ところが今年、小池百合子都知事は、「追悼の辞は送付しない」という暴挙に出た。これに墨田区長も続いた。
きっかけは、3月都議会における自民党の古賀俊昭都議の質問だった。古賀は「朝鮮人虐殺はなかった」いう工藤美代子の本を取り上げて、メッセージ送付の中止と慰霊碑の撤去を迫ったのである。それに答えて、小池は、「虐殺」という事実を認めず、「災害をはじめ、さまざまな事情で亡くなられた」「去年は事務的におこなった。今年はたまたま知った」などと発言した。
9月1日当日、「そよ風」を名乗る右翼団体が、「真実の慰霊祭をやる」と称して公園使用許可を取って横網町公園に乗り込んできた。そして「日の丸」と共に「6千人の虐殺は本当か?」「日本の名誉を守ろう」などと大書した看板を立てた。
彼らは隙あらば混乱を引き起こして、東京都に「公園管理上、追悼式典に公園を使用させない」ように仕向けることをねらってきたのだ。
追悼碑の撤去ねらう
日朝協会主催の「関東大震災94周年朝鮮人犠牲者追悼式典」には、これまで数倍する600人の参加のもと、厳かに執りおこなわれた。
今年の追悼式典で小池は行政の長としての追悼文送付を拒否した。小池は「日本会議」としての正体をあらわにすることで、民間右翼をけしかけたのだ。最終的に「朝鮮人犠牲者追悼碑」の撤去を考えていると見なければならない。小池のねらいは日本帝国主義の侵略と植民地支配の歴史の抹殺である。それは、過去の歴史の精算に止まらず、強まる朝鮮侵略戦争の準備でもある。(東京・笠原)
知花さんと山城さんが語る
“沖縄だけの問題ではない”
8月15日 神戸
「平和のための市民の集い」(8月15日、神戸市内)が開かれ、今年は沖縄から山城博治さん(沖縄平和運動センター議長 写真左)と知花昌一さん(真宗大谷派僧侶 写真右)が話した。
知花さんは「8・15をどう考えるか。沖縄戦では24万人が死んだ。軍隊は住民を守らないことを示した。国のため、天皇のためという教育だった。教育の大切さを、日本全体で考えなければ。考えていないことが、安倍のやりたい放題をもたらしている。沖縄は勝つまであきらめないよ。たたかい続ける。それがDNAだよ」と話した。
不当な長期勾留を打ち破った山城さんは、「逮捕、勾留されないたたかいが大事だ。しかし、されたら取り調べに何も話さないこと。共謀罪が成立して、特にそう思うよ。彼らは、人々全体を弾圧しようと狙っているのがよく分かった」という。「釈放をかちとってから宮古、先島や全国を回っている。高江、辺野古から見ていたことが、もっとわかるようになった。南西諸島にミサイル迎撃部隊とか、あらゆる基地を作る。日米合同の軍事体制を進める。中国からすれば『またか』と思うだろう。力と力で向き合うのではなく、アジアがお互い平和に発展できるようにするのが大事だろう。政府を転換させるべきだ。辺野古は沖縄だけの問題ですかといってきたが、全国を回ると本当にそうだと思う。岩国は艦載機が移駐、F35が飛来し極東最大の米軍基地になっている。愛宕山の米軍宿舎は核シェルター付、1戸1億円だ。京都にXバンドレーダー基地が作られた。普天間のオスプレイが佐賀空港に来る。全国を縦断する訓練をやろうとしているんだよ。日本がこんなことを進めていけば、核も問題になる。200年耐用の辺野古ができれば、戦争の時代になる。それこそ全国、みなさんの問題ですよ。今こそ立ち上がれ、だよ」と、歌も交えて話した。
戦争を起こさせない市民の会が主催。映画『侵略』を上映し、製作した森正孝さんの話を聞く会から始まり、阪神淡路大震災による中断もあったが、32回目になる。約200人が集まった。「なぜ8・15なのか」「戦争責任をどう考えるか」など質疑も活発におこなわれた。(三木)
格差・貧困の克服をめざして
新たな労働組合運動を模索
8月26日 大阪
8月26日、「木下武男・熊沢誠―熱き思いを語る」―特別シンポジウムが学働館・関生大ホール(大阪市西区)でひらかれた(写真上)。主催は大阪労働学校アソシエ。おおさかユニオンネットワーク、港合同、全港湾大阪支部、連帯ユニオン近畿などが協賛。労働運動の危機的現状を共有し、その再生への道を探る重要な取り組みとなった。
講師は木下武男さん(労働社会学者 元昭和女子大教授)と熊沢誠さん(経済学者 甲南大名誉教授)。集会は、ふたりの基調講演と、武建一さん(連帯ユニオン関西地区生コン支部委員長)を加えたパネルディスカッションという形で進められた。コーディネーターをおおさかユニオンネット代表の垣沼陽輔さんがつとめた。
業種別ユニオン
木下さんは「業種別ユニオン運動の課題と基盤」をテーマに報告。「業種別ユニオンの三つの特質」とその「運動」、そのめざす方向を概説。業種を軸に個人加盟で労働者を結集し、業種ごとの「賃金・雇用などの処遇」の基準をめざす「集団交渉」(業界団体との団交と協約確定)を提案。またその可能性を戦後日本の労働組合運動の総括と非年功型労働者の登場と貧困問題として分析。優先雇用協定や労働者供給事業の活用によって労働市場を規制する運動でその解決をめざそうと提言した。
木下さんの報告は、「職種別賃金」と「地域基盤の労働組合の業種別部会」を連携・共同を提案した点で重要だった。とりわけ自らが関わっている「エステティック業界」などの経験をもとに提案された「反貧困運動のイベント主義からの脱却」は重要な問題提起であった。新しいユニオンと活動家集団を創造するために論議を深めていくべきであろう。
可視的なかま
熊沢さんは「アトム化した労働者同士」と「衰退の一途をたどる現代日本の労働組合運動」をキーワードに現代資本主義と連合労働運動を鋭く批判。その帰結としてワーキングプアの累積、賃金水準の停滞、長時間労働が労働者に「受難」として襲いかかっていると告発した。それは「非正社員のワーキングプア化と正社員の安定喪失および心身疲弊との相互補強関係」だと述べた。その「すべての改善」は「労働組合運動の復権なしには不可能」と熱く語り、「可視的なかま」(労働社会)論を提案した。
以上に踏まえて、「多様な労働組合組織」にかんして踏み込んだ提案がなされた。その刺激的な提案を以下、紹介したい。
現代日本での「企業別組合の唯一性・代表制を疑う」をベースに〈復権〉可能な「5形態の組織」と機能提案をおこなった。
@ ワークライフバランス機能をもつ企業別組合の労使協議機能
A ノンエリート・常用非正規の産業別組合(職場支部)の労働条件規制機能
B 業界労働者による「業界全体を包括する業種別または職種別単一組合の労働協約機能
C 技能労働者のクラフトユニオンによる労働条件の横断的相場形成機能
D 地域に活動拠点を持ち、業種にかかわりなく、臨時雇用非正規労働者が誰でも加入できる一般組合。労働条件の最低基準を設定する設定団交。生活のニーズをすくう相談活動や行政闘争。
そして最後に「根性論」を捨てて労働運動の可能的復権に挑戦し続ける韓国、アメリカの軌跡に学ぶことを強く訴えかけた。
武委員長は関生運動の企業別運動をこえた「集団交渉」の実践とたたかいの勝利を踏まえて2人の講演内容をリアルに補強した。
挑戦は始まった
今回のシンポは大阪労働学校アソシエの連続講座「労働運動の歴史に学ぶ」の開催に際してひらかれた。ここ数年関西では「労働運動の再生をめざして」をキーワードにしながら取り組みや挑戦がおこなわれてきた。もともと関西には全港湾、港合同、連帯ユニオン関生の韓国労働運動との交流など、先進的な産業別・地域労働運動の伝統がある。
最近では「ケアワーカーズユニオン」や「連帯ユニオンクラフト支部」などが結成され活動を積み重ねてきた。介護・福祉業界において業界・地域を拠点に新たな業種・職種別の運動が業界を巻き込みながら、「介護・福祉総がかり行動」が取り組まれている。「集団交渉」までは至っていないが、「使用者」にあたる行政との交渉力をつけてきている。
また、トラック業界での連帯ユニオンのエム・ケイ運輸闘争(奈良県)に地域の市民が合流するなど、今回のシンポにおける提案への挑戦が実際に始まっている。新自由主義・グローバリゼーションへの対抗運動としての労働組合運動、社会運動的労働運動の挑戦とその芽生えをうながすシンポとなった。(森川数馬)
3面
「高度プロフェッショナル制度」批判(上)
葉月 翠
「8時間労働制」が消滅する
はじめに
7月都議選での自民党惨敗を前後してさまざまな動きが起こっている。それらを7月末段階で整理してみると、「高度プロフェッショナル」制度(以下、「高プロ」制度)への連合の屈服とそれにたいする連合内外の怒りの決起、とりわけ連合内の組織労働者の決起がポイントをなしていることが分かる。これは2007年、第1次安倍政権下でおこなわれたホワイトカラーエグゼンプション導入策動とその挫折が自民党政権崩壊の引き金になったことを想起させるものである。従って今秋から来春にいたる政治闘争を考える上で、「高プロ」制度と残業100時間容認を一括した労働法制改悪案とのたたかいが焦点をなしていることが分かる。
本紙224号掲載の森川数馬「安倍政権の『働き方』改革を斬る第2回」では、3月段階での連合の残業月100時間容認の犯罪性を重視し、連合の裏切りが、7月の「高プロ」法案の容認に行き着いた点を「しくまれた“爆弾”」であると喝破した。またその内容を単なる道徳的弾劾にとどまらず、「労働日の放擲」として原理論レベルで批判し、今後の労働運動の方向性を示した。
さらに、「安倍政権の『働き方』改革を斬る第3回」(本紙225号)では〈3・13合意〉を「労働政策審議会(労政審)を形がい化させ、政府主導で労働政策を決める『働き方改革実現会議』をつくった … 労働政策を公労使3者の合意を得て進めるという『3者構成原則』を骨抜きにして、政府主導で決定するねらいが鮮明だ」として、 「ナチス型労働政策の再来」と規定した。
こうした指摘に踏まえて、今回の「高プロ」制度をめぐる一連の動きについて意見を述べたい。
森川論文の「8時間労働制の解体」「労働日の放擲」という指摘は、「高プロ」制度法案の本質を見事に突いている。マルクスは『資本論』第1巻第8章「労働日」で資本による「致死労働」を弾劾しているが、「高プロ」制度はまさに「致死労働の強制」である。この点の鋭い批判は、これからのたたかいにとって重要な指針や示唆を与えるものになると考える。
現代資本主義は、自由主義段階の資本主義とは違い、レーニンが言うところの帝国主義段階の没落しつつある資本主義である。しかも現代の資本主義は「一般的利潤率の低下」に見られるように資本主義体制の原理的な崩壊を迎えているが故に、労働者家族の再生産が不可能になるまで労働者階級に致死労働を強制することでしか延命できなくなっている。それが労働者人口の減少として資本主義のさらなる没落をもたらしている。まさに「死滅しつつある資本主義」である。
「高プロ」制度法案への労働者階級、とりわけ組織労働者の怒りの決起は、資本主義に替わる新たな社会体制が求められていることを示しており、すでにその萌芽が現れていると見るべきであろう。
これまでの枠組みをきえる共闘を実現した第88回中之島メーデー(5月1日) |
「高プロ」制度への突破口
〈3・13合意〉は、月100時間(未満)の残業を合法化するものであるが、その労働法的内容は次のようなものであろう。
1 使用者は、労働者に、休憩時間を除き1週間について40時間を超えて、1週間の各日について8時間を超えて、労働させてはならない(労働基準法32条)
2 違反した時には6カ月以下の懲役または30万円以下の罰金に処する(同119条)
3 法定労働時間を超えて働かせるには三六協定が必要になる。(同36条)
4 三六協定で締結する残業時間については厚労省のガイドラインがあるが、罰則はなかった。
5 つまり労働組合が屈服すれば残業は青天井だった。
6 〈3・13合意〉は、罰則付きの時間外労働の上限規制を導入するというもの。
7 〈3・13合意〉は、残業の上限規制を原則、月45時間、年360時間としているが、特定の場合と称して月100時間の残業を容認している。
労基法の労働時間・休日・休暇についての規定は刑事罰を含む強行規定である。
そのことが、労働基準監督署の設置根拠であり、労働基準監督官に逮捕権が与えられている根拠となっている。(同102条「労働基準監督官は、この法律違反の罪について、刑事訴訟法に規定する司法警察官の職務を行う」)
ただし労基署が資本にたいして甘くなっていることもあって、この強行規定が社会的に曖昧にされている。
こうした強行規定を踏まえたうえで、〈3・13合意〉をどう評価するかということになるが、月100時間残業とはまさに過労死ラインである。つまり過労死容認の労使合意だ。
では、今までなぜ残業の上限規制が無かったのか。それを理解するためには労基法は労働組合法と一体で作られたという経緯をおさえておかなければならない。
労基法の各条文は労働組合が労働者の代表として労働者の権利と利益を代表することを前提にしている。仮にやむを得ず残業をする場合にも、労働組合が労働者にとって不利な三六協定を結ばない、ということが前提になっているのだ。だから、残業の上限規制を法文に書き込むことは想定していなかったのだ。労基法は、残業はあくまでも一時的な例外として考えられているのである。
労働運動の再生
ところが、労働組合が御用組合化して資本の言いなりになり、労働者の権利を代表しない状態になった。そしてついには過労死を容認するような三六協定が結ばれる事態になっているのだ。この問題は、労基法に残業の上限規制を導入することでは解決できない。仮に、罰則付きの上限規定が導入されたとしても、労基署が労基法の強行規定を行使して、違反した資本家を逮捕する可能性はほとんどない。過労死が横行しても、野放しにされる。労働行政に依存することはできない。労働組合がそのたたかいによって行政にたいする強制力を発揮しなければ、罰則付きの上限規定も死文と化すことは火を見るよりも明らかだ。すなわち過労死問題を解決するための最重要の課題は、たたかう労働組合の再生なのである。
そのような観点から見ると、〈3・13合意〉は三六協定締結時の連合の屈服を前提にしたものである。そこにはまだ8時間労働制と三六協定の枠組みは残っている。だからといって〈3・13合意〉が8時間労働制と三六協定の存続を確認したものでないことは、明らかだ。これは、連合に8時間労働制を完全に解体する「高プロ」制度法案を容認させるための突破口だったのだ。
労働時間管理の撤廃
それでは「高プロ」制度の労働法的内容を見ていこう。
1 法律の条文では労基法41条の次に414条の2を付加するという形式をとっている。
2 そして41条の2に、「高プロ」制度の内容(制度の対象者には労働時間管理をしないなど)が書き込まれている。
3 労基法41条とは 「労働時間等に関する規定の適用除外」である。これは、罰則付きの「週40時間、1日8時間以上働かせてはならない」という労基法32条の適用除外を規定している。
4 だから、「高プロ」制度が41条の2になるということは、労基法に新たな「労働時間等に関する規定の適用除外」を追加するということである。
5 つまり、「高プロ」制度とは、今までは、@農業等の天候に左右される労働、A監督的な管理者、B断続的な労働の三つにだけ認められていた労働時間管理の適用除外を普通の労働者にまで拡大するものである。まさに「8時間労働制の解体」そのものだ。
次元を画する攻撃
労働時間法制を解体する攻撃は、フレックスタイム制や裁量労働制の導入など、30年以上にわたって続けられてきたが、「高プロ」制度はそれらとは次元が違う。
フレックスタイム制は、労基法38条 時間計算の例外規定である。裁量労働制は同32条 労働時間制限の例外規定である。いずれも「労働時間を管理する」という枠は崩れていない。確かに裁量労働制は労働時間と賃金のリンクを断ち切っているが、「 … としても8時間働いたことに見なす」という「見なし」制度があり、8時間労働制そのものは生きている。したがって、どのような労使協定を結ぼうとも、深夜労働には割増賃金がかかるし、平均で週1日の休暇を与えないと刑事罰の対象となる。
ところが、「高プロ」制度では、資本側は原則として一切の労働時間管理をおこなう必要がなくなる。つまり死ぬまで働かせることが可能になるのだ。今回の「高プロ」制度法案では「健康時間管理」という労働時間管理とは似て非なるものが導入されているが、賃金支払い義務と無関係な「健康時間管理」などはなんの実効性も持たないアリバイでしかない。
現行の労基法では、41条の労働時間管理適用除外の対象者でも、深夜労働については割増賃金が発生する。これにたいして、「高プロ」制度では深夜労働について割増賃金の支払いが免除されている。これは「高プロ」制度の前身であるホワイトカラーエグゼンプションでも同様に免除されていた。つまり深夜労働もやらせ放題なのだ。この点は強調しておく必要がある。
一般的に「高プロ」制度法案は、「裁量労働制を極端にしたもの」というような受け止めがあるが、決してそうではない。「高プロ」制度は8時間労働制という前提を取り払った点で、根本的に違うものなのだ。(つづく)
4面
検証 開示資料「経済協力韓国108」から見る徴用の実態(上)
強制連行被害者に未払い金を
須磨 明
「慰安婦」「徴用工」をめぐる日韓交渉
7月7日、ドイツ・ハンブルクで文在寅大統領と安倍首相が会談し、安倍が「2015年日韓合意」の履行を求めたのにたいして、文在寅は「国民の大多数が合意を情緒的に受け入れられない現実を認めつつ」と切り返した。
8月17日、文在寅は「徴用工」の未払い金の問題で、「日韓両国間の合意が個々人の権利を侵害することはできない」と表明し、個人の賠償請求権は消滅していないとの立場を示した。2012年には、韓国最高裁でも「元徴用工問題は請求権協定(1965年)の対象には含まれず、個人請求権は消滅していない」と判示している。至極当然の判断である。
なぜなら、1992年第123回通常国会の衆議院外務委員会で日本政府は「この条約上は、国の請求権、国自身が持っている請求権を放棄した。そして個人については、その国民については国の権利として持っている外交保護権を放棄した。したがって、この条約上は個人の請求権を直接消滅させたものではない」(2月26日柳井条約局長)と答弁しているからだ。
すなわち、日本政府自身が朝鮮人「徴用工」の個人請求権を認めているにもかかわらず、河野太郎外相は「徴用工問題も(日韓請求権協定で)解決済みだ」(8・22付「北陸中日新聞」)と答えている。さらに、8月25日に安倍首相と文在寅大統領が電話会談をおこなったときに、文在寅は「徴用工」問題について、「歴史問題が未来志向関係の障害になってはならない」と話したことを捉えて、日本のマスコミは「(文在寅が)解決済みだとの認識を持っている」かのようにゆがめて報道している。
これらは「解釈」の幅がある「政治的言葉」での空中戦であり、両者の話し合いに期待することはできない。問題の解決の主体は「慰安婦」であり、「徴用工」であり、被害者本人を無視しては解決しない問題なのだ。
供託関係書類
2017年に、強制動員真相究明ネットに開示された「経済協力韓国108(帰還朝鮮人に対する未払い賃金債務等に関する調査集計)」では、膨大な金額が「徴用工」本人に渡されないまま、供託(未供託)されていることが、再び明らかになった。
10年前の2008年に開示された「経済協力韓国105」は1950年に作成されているが、「108版」はその以前に作成されたもので、重要情報が抹消された上、1953年に「105版」として発表された。
両資料ともに「供託済」「未供託分」「第3者引渡」に区分されている。3区分の合計金額は1730〜1850万円で、合計件数(人数)は14〜15万人である。戦時中の貨幣価値を2000倍しても、340億6千万円から370億円の賃金債権が存在し、70年分の利子と強制連行や傷・病・死の慰謝料も当然発生する。強制連行企業が恐れる訳がここにあり、安倍はこれらの「請求権」の防波堤となって、企業のために働いているのである。
「108版」で見える「逃亡」
「未供託分」一覧表について見ると、「108版」には「未供託理由」が項目としてあるが、「105版」にはない。「未供託理由」をカットすることによって、朝鮮人強制労働(徴用)の実態と会社側の不誠実な対応を抹消する役割を果たしているようだ。
では、「未供託理由」欄に現れている「逃亡」の実態を摘記しておきたい。
興国鋼線索(東京)「無届け退社により本人の住所が不明」/熊谷組平岡作業所(長野)「全員逃亡した為」/雄別砿業所(北海道)「主として無断退出及終戦時の混雑」/三井鉱山新美唄鉱業所(北海道)「逃亡により引渡不能」/久保田鉄工所武庫川工場(兵庫)「本人帰還送金不能」/播磨造船所(兵庫)「逃亡等のため」/日本ダシャップ護謨(兵庫)「全部無届け退社しその後の所在不明」/日本鉱業岩美鉱業所(鳥取)「戦時中集団移入した朝鮮人労務者35名中17名が契約期間内に個別に逐次逃亡して所在不明」/森本組日登出張所(島根)「朝鮮人逃亡のため」/横浜護謨製造三重工場(三重)「朝鮮人労務者を約100名使用していたが、約33名が逃亡」/日本通運柳ヶ浦支店(大分)「崔本在容の賃金なるも…逃走後行方不明」/豊国セメント(福岡)「所在不明」/電気化学大牟田工場(福岡)「戦時中の逃亡者」/船越吉嗣(福岡)「2名は無断工場より逃亡、1名は帰鮮(ママ)後無断帰場せず」。
供託分の「摘要」欄にも、日本セメント大森工場(東京)「逃亡した者」/三井鉱山新美唄鉱業所(北海道)「逃亡にして引渡不能」という記載がある。
強制連行(徴用)されてきた朝鮮人が日本の敗戦を待たずに、命からがら、次々と事業場から脱出したことがこの資料から分かる。「給料よりも命が大事」という切羽詰まる状況が読み取れる。(つづく)
尹東柱とわたしたち
生誕100年記念の旅に参加して
8月14日から19日まで「尹東柱とわたしたち・生誕100年記念の旅」に参加してきた。抗日運動についてほとんど知らないことを痛感させられた毎日だった。以下、反省を含めて見聞したことをまとめておきたい。
ユン・ドンジュ(写真)は1917年、中国吉林省東南部の抗日運動の中心だった北間島明東村に生まれ、立教大学に入学(後、同志社大学に転学)したが、43年7月、独立運動の容疑で京都下鴨署に治安維持法違反で逮捕され、45年2月、27歳の若さで福岡刑務所で獄死した。監獄では何かの実験材料にされたのか海水といわれる不審な注射を打たれ続けたことが死因といわれている。
創氏改名が強制された後もハングルで詩を書き続けたユン・ドンジュは「民族史上最大の暗黒期だった日本の植民地支配時代末期の残酷な暗闇を押し開く、巨大で輝かしい一つのかがり火」(『尹東柱評伝』宗友恵/愛沢革訳 藤原書店09年2月)とされている。在日を含め地元の朝鮮族の人たち、朝鮮民族にとって偉大な抗日詩人として受けとめられている。
移住者の村
明東村は1899年、朝鮮人5家族142人が豊かな北間島に移住して「人為的にいっぺんに」(前掲書)できた村である。移住してきた5家族の中には韓国の統一・民主運動で有名な文益煥牧師(1918年〜94年)の祖父もいた。ちなみにムン・イクファン牧師はユン・ドンジュの一つ下で同じ明東村の同じ学校に共に通った仲である。ユン・ドンジュが生きていたらどういうたたかいをしていたかと考えさせられる。
明東村は現在中国朝鮮族自治区となっている。広大な自治区の中心は延吉で北朝鮮と国境を接し朝鮮族の人口は6割といわれている。
1910年、韓国併合が強行されるが、それ以前から日本帝国主義の侵略はヒタヒタと押し寄せていた。追われた朝鮮人たちは北間島を中心とした間島に移住してきた。間島とはもともと豆満江の中州のことであるが、移住者が増えるにつれて間島の範囲が広がっていったのである。
日帝に追われた人たちにとって日帝と対抗することは生きるためのたたかいだった。移住者たちは日帝の侵略に対抗するためには従来の儒教を中心としたものでは勝てないことを自覚し、次の世代を担う子どもたちに新教育をおこなうために各地に学校を作った。その最初が明東小学校だといわれている。移住者たちは教育田ともいわれる「学田」を共同で確保しそこから得られる収入を教育基金に使ったという(前掲書)。そこで教育を受けたのがユン・ドンジュたちだった。明東小学校は多くの抗日運動の志士を輩出し、何度も日帝によって焼かれたが、そのたびに再建されたという。まさに生活が抗日だったのである。
ユン・ドンジュを語るときもう1人重要な人物がいる。彼と同い年で同じ家で育ったいとこの宋夢奎である。若くして文才があったソン・モンギュは18歳で南京の独立団体に加わり、京都帝大に入学するも治安維持法違反で京都下鴨署に逮捕され、福岡刑務所でユン・ドンジュの死の1カ月後に死亡した。互いに強く影響を与えあった仲であり、墓も隣同士になっている。
安重根支えた明東村
明東村の資料館に行くと安重根の写真があった。いわれを聞くと安重根は明東村と深い関係があるとのことだった。安重根は明東村で射撃の練習をしてハルビンに向かったという。しかし、1909年、伊藤博文がどの駅を使うかわからなかったのでたくさんの「安重根」が各駅に張りつき、ハルビン駅を担当した安重根が伊藤を射殺した。
このたくさんの「安重根」たちは明東村の金躍淵をはじめとする多くの村人たちによって支えられていたという。明東村からハルビンまではるかに遠い。おそらく多くの村人たちが旅費も工面したのではないだろうか。
私たちが乗った飛行機は出発が10時間以上遅れ、日付が変わった24時過ぎに出発し、延吉空港に着いたのは8月15日の3時過ぎだった。私たちはホテルでシャワーを浴びて2時間程寝られたが出迎えの担当者は一睡もできなかったとのこと。
8月15日は日本では敗戦記念日だが、地元では日帝から自らを解放した光復節である。この「よき日」に私たちは地元の人たちといっしょにユン・ドンジュの墓参りをした。
学んだこと
それは何といっても抗日運動の広さと深さである。明東村はたくさんの「安重根」を支えただけでなく、1945年から49年まで国民党との激しい内戦を勝ち抜いたところである。それがどれだけ大変なことかは延辺の博物館の展示物を見るとわかる。
私たちは日本にいて抗日運動について活字で知るとそれだけでつい知ったような気分になるが、それはとんでもない誤解であることを身に染みて自覚した。
あらためて日帝の侵略の歴史とそれと裏表の抗日運動の歴史を学びなおさなければならないと強く感じて帰国した。(米村)
5面
書評
安倍軍事大国化のゆくえ
望月衣塑子『武器輸出と日本企業』(角川新書)
著者は、6月8日、菅義偉官房長官の記者会見で23回も質問し、「総理の意向」文書が怪文書でなかったと認めさせた東京新聞の社会部記者である。調査取材に優れた著者が、ライフワークとして取り組む武器輸出と日本の軍需産業の現状を取り上げたのが本書だ。
武器輸出国家への道
安倍政権になって改憲・軍事大国化攻撃がいっそう進んできた。第2次安倍政権では、国家安全保障会議の設置、秘密保護法制定、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定。第3次安倍政権の2015年には戦争法(安全保障関連法)を成立させた。
その中で、2014年4月にそれまでの武器輸出三原則を転換し、防衛装備移転三原則を閣議決定したことに著者は着目。従来の「武器輸出三原則」は例外を除き、武器と関連設備のほとんどを禁輸としてきた。ところが、新三原則(防衛装備移転三原則)では、一定の審査を経れば輸出が可能な仕組みとなった。大転換である。具体的には、従来の「紛争当事国になる恐れのある国」が禁輸の対象から外れ、イスラエルや中東諸国への輸出に事実上制限がなくなった。従来の三原則にあった「国際紛争の助長回避」という基本理念は明記されず、禁輸対象国は北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)、イラク、ソマリアなどわずか12カ国になる。2015年10月には、武器の開発、採用・装備、輸出や技術協力などを専門に扱う防衛装備庁も発足し、武器輸出の体制は一定程度整った。
日本の軍需産業の弱点
政府と財界首脳は一体となって武器輸出を進めている。しかし日本の軍需産業は根本的「弱点」を抱えている。
著者によると、日本企業が製造する武器価格は国際価格の3倍から8倍になる。その原因は、顧客が防衛省のみで量産体制がとれず、「ファミリー化」(部品の共通化)が遅れていることという。私が付け加えたいのは、実戦テストを経ていないため、性能の信頼性が欠けていることもあると思う。軍需産業を輸出企業化しようとした最初の大型案件として国を挙げて取り組んだオーストラリアへの潜水艦輸出では、2016年4月にフランスとの受注競争で敗北。
科学技術者の軍事への動員
2015年度、防衛省は「安全保障技術研究推進制度」なるものを立ちあげた。大学や研究機関に軍事に転化できる可能性のある技術開発を資金援助する制度で、年間最大3000万円を3年にわたって受けられる。デュアルユース(汎用技術)研究が狙いで、研究費を削られている研究者を吸引する目的である。すでに事業費は、15年度が3億円、16年度は6億円、17年度は110億円と幾何級数的に増えている。
日本の学者・研究者は第2次大戦中、海軍の物理懇談会で核兵器の研究に従事、さらに731部隊は細菌・生物兵器の研究で中国人民を対象に人体実験を繰り返した。戦後学術会議はその反省から1950年、67年の2度にわたり、軍事研究拒絶の声明を出した。ところが大西隆・日本学術会議会長は「自衛」目的の研究を許容する立場を表明。その後、学術会議は検討委員会を設けて検討を続け、本書の出版には間に合わなかったが、今年3月に「軍事的安全保障研究に関する声明」を出し、軍事研究拒絶の二つの声明を継承すること、研究の自主・自立・公開性を尊重するため、軍事研究につながる可能性のある研究資金の受け入れは厳重に審査することをうたっている。
著者は、防衛官僚、企業の経営者・技術者、学者・研究者にあたって、「立て続けに取材拒否に遭い、関係官庁からは締め出しを食らった」と、本書「はじめに」で書いている。しかし、めげずに取材を続け、武器輸出にともなう危機感や不安感から匿名を条件に多くの情報を得たと告白している。その著者が得た究極の軍事研究は、攻撃目標の決定から攻撃まで自動でおこなう「自律型致死兵器システム」という、無人機をさらに進めたものであるという。また安倍政権が目ざす国家像は「海洋軍事国家」であると喝破している。戦慄すると同時に、その破綻性を見抜き、改憲・軍事大国化とたたかわなければならないと改めて思う。
2プラス2と北朝鮮への非難・攻撃
8月17日に開催された日米安全保障協議委員会(「2プラス2」)は、共同発表で日米軍事「協力」にさらに踏み込んでいる。@「同盟における日本の役割の拡大」、A辺野古新基地建設を「可能な限り早期に完了」、BMV22オスプレイの日本全国への訓練移転、在日米軍基地の日米共同使用の促進、C「米国の核戦力を含むあらゆる種類の能力」を同盟のために用いる…。
さらに共同記者会見や前後の発表で、小野寺五典防衛相は、北朝鮮のグアムへの「ミサイル攻撃」は「集団的自衛権を行使して迎撃する」ことができる「存立危機事態」に該当する可能性を語り、また「防衛大綱の見直し」や次期中期防衛力整備計画(中期防)の策定の検討を本格化すると発表した。
本書との関係で重要なことは、日本側が「イージス・アショア」(地上配備型のイージス・システム)の導入を決めたことである(米から1基800億円で2、3基を購入)。さらに加えて、イージス艦も現在の4隻を8隻に、オスプレイ17機を米から購入(3600億円)などである。北朝鮮「危機」をあおれば何でもありといった様である。自民党の安全保障調査会は今年6月、次期中期防に向けた提言で、北朝鮮の核ミサイルを「新たな段階の脅威」と位置づけ、防衛費を現行国内総生産(GDP)の1%程度から2%程度に引き上げることを提案している。
安倍政権の改憲・軍事大国化への前のめりで、安倍政権の体制的矛盾が吹き荒れ始めた。第1次〜第3次安倍政権を通じて、軍事的突出のために、8人の防衛相(小野寺は2回着任しているので2人と数える)のうち、引責問題を引き起こして、辞任、離任、更迭されたものが4人もいる(久間章生、小池百合子、江渡聡徳、今回の稲田朋美)。本書が指摘する、軍事に突出する政権の危険性を見すえ、改憲を許さず、軍事大国化を阻止しよう。(落合薫)
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LGBTと部落解放運動
仲岡しゅん弁護士が問題提起
狭山再審を求める市民の会・こうべ主催の「つながろう・ひろがろう講演集会」で、仲岡しゅん弁護士とノジマミカさんの話を聞いた。
仲岡弁護士は戸籍上は男性だが女性として弁護士登録しており、矯正施設内のLGBT(注)の人権擁護など幅広い活躍をしている。ノジマミカさんは「フェイスブック狭山事件の再審を実現しよう」の管理人として、会員制交流サイト(SNS)内外を通じて狭山再審運動を広げている。
最初に司会者から「マイノリティー同士の分断を乗り越える機会になればと企画した」と趣旨説明。
「自分が自分であるために〜セクシュアルマイノリティーの人権と共生・連帯の道」と題した仲岡弁護士の話は2部構成。第1部はLGBTなどの性的マイノリティーについての概説。
クラスに1〜2人
「統計的に見て、性的マイノリティーはクラスに1〜2人は存在する。教職関係者が無知なのはマズイですよ」という指摘には教職関係者ならずともハッとさせられる。
第2部は「実践編」。仲岡さんは「人は多様であっていいという言説がはやりだが、それは本当か。自分の家族や近しいところにLGBTの人がいたらどうか。その点で部落問題と通底することがあるのでは。多様性を認めるということで済ませずに、なぜ人が人を差別し抑圧するのかを考えたい」と問いかけた。
仲岡さんは、中学生の時に水平社宣言に出会い、大学解放研で学んだ経験をもとに「狭山を知らない若い世代とLGBTの課題を知らない狭山世代」についてふれ、「私は部落解放運動と性的マイノリティーの懸け橋になりたい」と話した。
「狭山のいま」
集会の後半では、ノジマミカさんが「狭山再審の熱と光」と題して講演。2013年に狭山事件と出会って以来、自分の中にある差別意識を発見し、それらが打ち砕かれた経験の一つ一つを「差別からの解放」として感謝を込めて話した。
ノジマさんによれば、今、石川一雄さんの東京高裁前アピール行動には、多くの部落大衆と共に、足利事件の菅家利和さんや布川事件の桜井昌司さんらの冤罪被害者、元ハンセン病患者の石山春平さんらが集い、反原発のたたかいや沖縄のたたかいともつながっているという。「狭山の今」を知る貴重な話だった。
会場から「安倍を『狂人』呼ばわりするなど、市民運動の間に散見される精神障害者差別に抗議する」という重要な問題提起がなされた。
集会全体を通して、マイノリティー同士が出会い、つながることで生み出されるエンパワーメントを感じた。そのような場として、狭山闘争の今日的な意義についても新たに学ぶことができた。
LGBTの人々とのつながりを深め、「人が人を差別し抑圧する」社会関係の変革を共に求めていきたい。
(注) LGBT 性的マイノリティーであるレズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの総称。なお、英国サッチャー政権下でストをたたかう炭鉱労働者とLGBTの人々の連帯を描いた『パレードへようこそ』(2014年・マシュー・ウォーチャス監督)という映画がある。反グローバリゼーションのたたかいの実際的経験としても観てほしい。
(深谷耕三/7月29日)
米軍Xバンドレーダー反対
京丹後で現地行動
9月11日
9月11日、米軍Xバンドレーダー基地反対京都連絡会は、京丹後市への申し入れをはじめとする現地行動をおこなった(写真)。
この日は、京丹後市議会の9月議会で一般質問がおこなわれる。まず市議会が開かれている京丹後市役所へ向かい、市議会の各会派に市への申し入れ書をわたした。
その後、昼休み中は市役所前で街宣行動を実施。街宣には米軍基地建設を憂う宇川有志の会事務局長の永井友昭さんや峰山町内の市民が参加した。
街宣終了後、旧宇川中学校にある京丹後市基地対策室へ移動。下戸室長に申し入れ書をわたした。下戸室長は穴文殊上のトイレが撤去された件について、「連絡があっただけで詳しいことは何も聞いてない、市からの問い合わせはこれからだ」と話した。
基地対策室をあとにした一行は、米軍基地前で抗議行動をおこなった。(多賀)
6面
長期連載―変革構想の研究 第1回
社会変革の包括的視座めざし
請戸 耕市
序 連載開始にあたって
革命をめざしている。では、それはどういう革命なのか。その革命にどう接近するのか。「そんなことはわかりきっている」という反応もあるだろう。しかし、内外情勢の激動のなかで、私たちをめぐる政治状況はそれほど満帆ではない。どういう革命かという問題を自明視はできないと思う。本連載で、変革構想について検討してみたい。題材はロバート・オーエンとカール・マルクス。
私の問題意識を大きく三つの点で述べたい。
政治革命と社会革命
問題意識の第一は、政治革命と社会革命である。
「プロレタリアートが政治権力を奪取するところからしか革命は始まらない」「権力奪取こそ運動の当面する第一の目的」
われわれは―そういうくくりが許されれば―従来、こういう見地を確信し運動をしてきた。
たしかにマルクスは、『共産党宣言』(1848年)その他でそう言っている。そして、レーニンとボルシェビキは、その見地からロシア革命を指導した。
果たして、この見地は今日も継承されるべきなのか。
先人たちは、実は、実践の苦闘の中でそれぞれ次にように考えてきた。
1848年革命敗北の後、マルクスは権力奪取に焦点を絞った政治革命から、政治革命をその一環とする社会革命の構想に転回している。レーニンは、ロシア革命を引き継ぐヨーロッパ革命敗勢のなかで、「強襲」から「長期の攻囲」へという転換を指導している。そして、グラムシは、レーニンの問題意識を引き継ぐ形で、機動戦(権力奪取のための革命的攻撃)の時代から陣地戦(社会内のヘゲモニー追求の行動)の時代へという総括を獄中で提出している。
それぞれについて立ち入って検討したいところだが、本連載では、マルクスの変革構想が、48年革命を経てどのように変化したのかという点を中心に検討したい。また、これまでわれわれの間でオーエンを扱うことは全くといっていいほどなかったが、ここで検討してみたい。マルクスの手になる「国際労働者協会創立宣言」(1864年)の中で、イギリスの協同組合運動とともにオーエンが特筆されている。
この検討を通して、新自由主義・グローバリズムに抗して世界各地でたたかわれている運動と、19世紀の取り組みとがつながってくるのではないかと考える。
マルクスとマルクス主義
問題意識の第二は、マルクスとマルクス主義の違いである。
まず、マルクスの理論を、次のような範疇でとらえるとしよう。@革命論(革命の性格・戦略)、A人間解放論(共産主義論)、B経済学批判(資本のシステム原理)、C方法論(社会批判の方法)
@の革命論は上で見た。Aマルクスは政治解放(=近代)にたいして人間解放を対置する。人間解放論と表裏をなす疎外論は、『資本論』から最晩年まで深められながら貫かれている。B経済学批判は、労働を根底に据えて、商品・貨幣・資本を発生的に把握し、古典派経済学を乗り越えて、物象的に覆い隠された社会のシステムをあばいた。C方法論については、近代知の到達地平であるヘーゲルから「概念的把握」という核心を批判的に受け継ぎ、マルクスの考え方の全体を貫いた。
ところで、マルクスの理論にたいして、「マルクス主義」とは何か。それはマルクスの後継者たちによって定式化され、さらにスターリン主義によって主流化されたものだった。そして、マルクスの理論とは決定的なところで違っていたといわざるをえない。
結論だけ論断すれば、@について政治革命主義に偏り、Aについて未熟なマルクスとして切り捨て、Bについてマルクス経済学という説明の理論に変換され、Cについて実証主義的に解釈替えされ、その核心が放逐された―ある程度、幅があるが、それが「マルクス主義」とされてきたものだったのではないか。
反スターリン主義を掲げた運動も、これらの問題と十分には対決してこなかったように思える。「マルクス主義」およびそれを掲げた政治勢力が、時代にたいして次第に影響力を喪失していった理由のひとつに、このような問題があったのではないかと考える。
グランドセオリー
問題意識の第三は、グランドセオリー(世界観・価値観全般の包括的な視座)が求められていることだ。
新自由主義・グローバリズムが、資本のシステムの破壊性と限界性をあらわにしている。戦争危機も惹起している。そのような事態にたいする既成の価値観や政治の無力性に、人びとは幻滅し、新しい価値観や政治を求めて激しく流動している。しかしまた、新しいどころか古色蒼然たる国家主義やナショナリズムに流動するという事態も生み出されている。
この全事態をとらえる新たな世界観・価値観が求められている。どういう革命かという問題のさらにその根本にかかわる事柄だ。
マルクスは近代を乗り越える挑戦をしていた。だから、「マルクス主義」という形ではあるが、20世紀のある時代、グランドセオリーとして大きな影響力を発揮した。しかし、また「マルクス主義」とされたことによって批判の武器たりえなかった。
今どうなのか。世間では、「いまさらマルクス主義か。そもそもグランドセオリーなどというものがもはや成立しないのではないか」…。
しかり。しかし否。「マルクス主義」ではなく、マルクスの理論をつかみ直し、マルクスの挑戦と格闘を引き継ぐ作業と、新自由主義・グローバリズムと格闘する運動とが結びついたとき、21世紀のグランドセオリーが構築されるだろう。本連載もその一助にしたい。
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反貧困運動の共通の出発点
9・10藤田孝典講演会
9月10日、兵庫県西宮市内で、藤田孝典講演会がひらかれ210人が参加した。主催は市民の力で社会を変えよう連続市民講座。 藤田さんは『下流老人』などの著書で知られる。今回は「下流老人と貧困若者は団結せよ 憲法25条から日本再生を」と題して講演した。
若者の貧困について、低すぎる所得と、そのために結婚すらできない実態を「男性は5人に1人、女性は10人に1人が生涯結婚しない」というデータを紹介。低収入のために独自のアパート・住宅を持てず、30代後半でも実家暮らしという実態も紹介した。
学生の三重苦
また学生は、裕福でない家庭ほど進学の機会に恵まれない。奨学金という名のローンを生涯抱え、それを返すためにブラック企業でアルバイトせざるをえない。こうした三重苦に苦しむ学生の姿を示し、「本来能力は誰にも備わっている。それを引き出せない経済環境、それを補助できない教育環境の貧しさ」を鋭く告発した。
最後に『下流老人』がベストセラーになることを通じて、老人と若者の貧困が取り上げられてきたが、まだまだである。これは「未来へ投資をしないこの国」の責任であり、「計画的な教育と職業訓練」でいくらでも救える。経済成長が前提の社会ではなく、成長しなくても安心できる社会を、政治の変革とこの課題を自己の課題とする人々の力で変えていこうとまとめた。(柳 公寿)
麻生副総理の差別暴言を許すな!
兵庫県精神障害者連絡会声明
麻生太郎副総理兼財務大臣兼金融担当大臣は9月2日愛媛県西条市での選挙応援の講演で、祭りと選挙に絡めて「ここのお祭り大変だ。そういった時に選挙なんてやれる。選挙を一生懸命やっている人はお祭りを一生懸命やっている人。俺のとこ(の選挙区の祭り)は7月14日だけど、この時になったら、ほとんどきちがいみたいな人ばっかりだ」と語りました。
この差別発言はふだん思っていることが口をついて出たのであって、「不適切でした」で済むことではありません。明らかに「訳の分からんことをするモノ」「尋常な人あらざるモノ」という脈絡で「きちがい」と言っています。私達精神しょうがい者を「得たいの知れない不気味なモノ」と扱いあざける対象にしています。ネット上に徘徊する差別主義者を煽動しヘイトクライム(差別憎悪犯罪)を煽るものです。こんな人物が「発言撤回」で許されるなら、ヘイトクライムをしても2年経てば許されると思う相模原事件の被告Uのような人物が再度現れても不思議ではありません。
公式な謝罪を求めたいと思います。
反基地運動・反原発運動等をする人にも「きちがいじみた」というような発言をする人はよくいます。それが差別だということを知ってほしいと思います。
(2017年9月4日)
抗議先
麻生太郎事務所
【議員会館】
電話 03―3851―5111(代表)
FAX 03―3501―7528
【筑豊事務所】
電話 0948―25―1121
FAX 0948―24―0867