翁長知事、「承認撤回」へ決意
“安倍の圧政には負けない”
8月12日 沖縄
「我々はあきらめない」4万5千人が一斉にメッセージボードをかかげた(8月12日 那覇市内) |
8月12日、辺野古新基地に反対し、米海兵隊輸送機MV22オスプレイの配備撤回・飛行禁止をめざして、「翁長知事を支え、辺野古に新基地を造らせない県民大会」(辺野古に新基地を造らせないオール沖縄会議主催)が、那覇市の奥武山陸上競技場で開かれた。県内外から4万5千人が参加。
開会を前に、辺野古・大浦湾をイメージしたブルーの帽子や服を身に着けた市民が続々と結集。猛暑のなか、木陰から参加者たちが埋まっていく。
午後2時、大会が開始される。会場で配布された「NO辺野古新基地」「我々はあきらめない」と書かれたメッセージボードを参加者全員で掲げ、熱い思いを発信。
あきらめない
オール沖縄会議共同代表の高里鈴代、玉城愛、高良鉄美さんがあいさつ。高里鈴代さんは「われわれ沖縄は諦めない。知事を支え、ともに行動しよう」。玉城愛さんは「昨年の米軍属による女性暴行殺人事件から1年、彼女の父親が発表した『基地があるが故に起こること。1日も早い基地撤去』の言葉を忘れることなく思い続けてきた。県民一人一人の命が日米関係や同盟維持の捨て石にされてはならない」。高良鉄美さんは「オーストラリア沖でオスプレイが墜落した。沖縄でも昨年墜落した。飛行自粛要請にもかかわらず、今も飛んでいる。沖縄の命を過小評価している」とあいさつした。
名護市はがんばる
オール沖縄会議現地闘争部より、山城博治さんが登壇。会場からは「待ってたぞ」と声が上がる。山城さんは「辺野古や高江で権力を使い県民を排除する暴力が横行している。与那国、石垣、宮古でも戦争への画策が強められている。平和をもたらす政策を求めていこう」と呼びかけた。
各地域ブロックや国会議員、市町村長のあいさつがおこなわれた。稲嶺進名護市長は「辺野古ウシチキーヌ、安倍政権ヌ圧政ニン、負キラン(辺野古を押しつける安倍政権の圧政には負けない)。われわれが力を合わせて翁長知事を支え、要である地元名護市が頑張らねばならない。一人ひとりの力と結束で要求を実現させよう」と訴えた。
子や孫のために
そして翁長雄志知事が登壇。ひときわ大きい拍手が鳴り響く。翁長知事は「オスプレイは昨年12月名護市安部で、1週間前にオーストラリアで墜落して3人が亡くなった。県民が危惧した通りの状況になっており、憤慨に堪えない。米軍が運用上必要と言えばすぐに引き下がる。日本の独立は神話であると言わざるを得ない」「県は国を相手に岩礁破砕行為の差し止め訴訟を起こした。工事を強行に進める状況は必ず埋め立て承認の撤回につながる。わたしの責任で決断する」と断言。さらに、「わたしは、今後も県民にたいする差別的な扱い、基地負担の押しつけに反対する。不退転の決意だ」と語った。最後に沖縄言葉で「まけてはいけない、今からだ。子や孫のために先祖の思いを心に染めて頑張ろう」と結んだ。会場には指笛が鳴り響き、大きな拍手がおこった。
訪米団の決意
特別決議「米軍普天間基地所属MV22オスプレイ墜落事故に抗議し、普天間基地の即時閉鎖・撤去を要求する」をヘリ基地反対協共同代表安次富浩さんが読み上げた。
大会宣言「私たちは翁長知事が提訴した辺野古新基地建設工事を差し止める訴訟を全面的に支持し、全力で支える。私たちは『辺野古新基地断念』『オスプレイの配備撤回』『普天間基地の閉鎖・撤去』の実現を日米両政府に求める」を山本隆司さんが読み上げた。
オール沖縄第2次訪米団が登壇し、団長の伊波洋一参議院議員が「沖縄の思い、この大会の熱気を米国民に直接伝え、基地押しつけの歴史を終わらせたい」と決意を表明。
最後に参加者全員で、メッセージボードを掲げ「NO辺野古新基地」「我々はあきらめない」とシュプレヒコール。全員が手をつなぎ「ガンバロー」を三唱した。(杉山)
沖縄に呼応し各地で行動
東京「基地はいらない!埋め立てやめろ!」沖縄のたたかいに応え池袋で集会デモ(12日) |
8月12日、沖縄県民大会に呼応する首都圏行動が、東京都豊島区の東池袋中央公園で開かれ、800人が参加した(写真)。主催は、同実行委員会。参加者は、「辺野古の埋め立て、今すぐやめろ」「基地はいらない、暴力やめろ」とシュプレヒコールをあげた。集会では「オーストラリアでオスプレイが墜落しても、沖縄ではすぐ昼夜飛ぶなど無法地帯だ」などの発言が続いた。参加者全員で安倍政権に新基地建設断念を迫り、沖縄の空をオスプレイが飛ぶことを許さないと訴える緊急アピールを採択。集会後、池袋の繁華街をデモ行進した。
京都市内で集会・デモ
韓国からの参加者も発言
8月12日、沖縄県民大会に呼応して、京都市役所前でリレートークとデモ行進の連帯行動がおこなわれ90人が参加した(写真)。〈No Base沖縄とつながる京都の会〉と、米軍Xバンドレーダー基地反対京都連絡会の共催。リレートークでは、京都の会の大湾宗則さんは沖縄に連帯して京丹後のXバンドレーダー基地や、岩国米軍基地の増強、日韓米の合同軍事演習に反対してたたかおうと訴えた。京都連絡会の上岡修さんは、米韓合同軍事演習反対集会と、Xバンドレーダー基地に反対する写真展に参加しようと訴えた。韓国から参加した円仏教国際連帯委員長の元永常さんは、韓国ではサードミサイルの導入に反対してたたかうと話した。(多賀)
「安倍やめろ」商店街をデモ
辺野古に基地をつくるな
神戸
沖縄県民大会に応え、神戸では「安倍やめろ」デモがおこなわれた。主催は市民デモHYOGO。110人が参加した(12日、写真)。
「安倍を引きずり下ろすために、次の総選挙で衆議院3分の2を割り込ませる。市民の力で野党の共闘、候補者1本化をめざそう」「7月、辺野古カヌー隊に兵庫からも行った。毎日ゲート前300人、海上に50艇出れば工事をとめることができる。10月も行こう」「3・11から福島、沖縄、辺野古のことを知り、生き方を考えた。毎週土曜日、辺野古に新基地をつくらせないと集まって、アピールを続けている。初めて8月6日の広島に行った。原発が原爆から始まったことを痛感した」などの発言があった。集会後、三宮から元町まで商店街をデモ行進した。(三木)
2面
3周年迎えた大阪アクション
辺野古を止める「ひとり」に
「辺野古に基地をつくらせない」大阪駅へデモ(8月27日) |
8月27日、Stop! 辺野古新基地建設! 大阪アクションの結成3周年集会とデモが大阪市内のPLP会館でおこなわれ250人が参加した。
集会のメイン講演は、高作正博関西大学法学部教授と翁長久美子名護市議の2本。
法治国家を取り戻す
高作さんは今年7月24日の県の差し止め訴訟について、県はこの訴訟を、日本政府の横暴にたいして法治国家を取り戻すためのたたかいとしておこなっていると、その意義を明らかにした。
また埋め立て承認をめぐって、「撤回すべき論」と「撤回すべきでない論」について解説した。
「撤回すべき論」は、根本的な工事差し止めには承認の「撤回」しかなく、すぐにでも撤回しなくては工事が続行し、事実上埋め立てを容認することになる。
「撤回すべきでない論」は、「撤回」をすれば沖縄防衛局による審査請求・執行停止、また、国による「撤回」取り消しの是正支持および不作為行為違法確認訴訟の提起を誘発する。不作為行為違法確認訴訟になれば、再び「政治的判断」により沖縄県が敗訴するおそれが高く、最後の手段を失うことで、辺野古の工事を止めることが不可能になる。
こうした二つの議論を紹介したうえで、第3の議論として「撤回しないほうがよい論」を提起した。これは最後の手段(撤回)を残したまま闘争を続けることが可能。たたかいを続けるなかで、来年2月の名護市長選、11月の県知事選など、県内移設反対の民意を継続させ、この選挙結果と市民による反基地運動との連動・拡大により勝利を目指す。
そして最後に市民運動の位置づけ、市民運動こそ「主」であると締めくくった。ゲート前での行動を含めた市民運動こそが軸である。
一人でも多く現場に
続いて翁長久美子名護市議は、会場に向かって「1番訴えたいのは、一人でも多くの人に現場に来ていただきたい」とよびかけ、次のように語った。
「無慈悲な工事の強行にたいして来年2月の名護市長選の勝利で応えたい。自分は市民の代表として辺野古の現状をこの目で見ようと思ったのがはじまり。現場に接し、寝袋持参でゲート前のテントに行くことになった。そこでたくさんの友人、知人ができ、強い絆が生まれた。どこかでつながる多くの人たちが私の宝物。
最後に皆さんにお伝えしたいは、市長は市長である限り基地をつくらせない。そして名護市民の思いは、基地建設を止めたいこと。そのために一人でも多くの人がゲート前に参加してください」。
集会後は、直ちに大阪駅前までのデモ行進に出て「辺野古新基地建設反対!」の大きな声で沿道の人に呼びかけた。
投稿
地域から平和を発信13年
8月2日〜6日 ピースフェスタ明石
手作りのパネル展示
ピースフェスタ明石が、兵庫県明石市立勤労福祉会館を会場に8月2日から6日までおこなわれた。今年で13回目となる。
全期間にわたるギャラリー展示では沖縄と福島の写真をそれぞれ100枚用意した。オール沖縄で豊かな自然に根差して、平和を願い身体を張ってたたかう写真。原発事故による放射能汚染のために帰りたくても帰れない福島の街並み。こうした写真を、現地の人たちの協力を得て展示した(写真上)。
ギャラリーの残り半分は、ぬいぐるみのジュゴンをはじめとして憲法、沖縄、福島、明石の戦争などテーマごとの手作りパネルが展示された。高校生のコーナーや戦時下の生活品、原爆のパネルなども展示された。
明石空襲の記憶
5日の戦争体験談の集いでは90歳になる3人から、それぞれが10代だった頃の生なましい体験談を聞いた。明石中学3年生のとき、通学路の明石公園で、爆撃で死んだ人の体の一部があちこちに散らばっているのを見たこと。明石局の電話交換手として働いていたとき、川崎航空機明石工場が空襲にあい、川崎の電話が一斉に通じなくなったこと。同じく川崎の診療所の事務で働いていたとき、死者多数の中で負傷者の世話に必死だったことなどが話された。
メインの6日は、ロビーで作業所のクッキー、コーヒーやビールなどの飲み物、そしてフリーマーケットなどの販売コーナーが開かれた。健康チェックもおこなわれた。
大ホールでは「ミニ平和の集い」と銘打って大型絵本の読み聞かせ。市内ダンススタジオの子どもたちのダンスも披露された。
昼食は「ランランランチ」といってカレーとマイタケご飯が用意されていた。
午後からは「届け平和の歌声」で沖縄の歌を演奏(写真左)。
平和憲法の先進性
演奏が終わると「3・11を踏まえて、そして沖縄の今は・・・ 沖縄と福島の基本的人権・民主主義を考える」という題でフリーの国際ジャーナリスト伊藤千尋さんが講演をおこなった。
沖縄と福島の現実と世界の憲法事情を紹介し、そのなかで日本の平和憲法の先進性を説明し、この考えを広めることで戦争のない世界を築くことができると訴えた。
ピースフェスタ明石は、戦後50年を機会に平和のための戦争展と明石平和の集いというそれぞれ10年続いた企画が合流して続けられて13年。実行委員はそれぞれの持ち味を十分に発揮して今年も精一杯やり遂げた。(奥園幸二)
米は戦争挑発をやめろ
米領事館に緊急抗議
8月25日 大阪
米韓合同軍事演習(8月21日〜31日、乙支フリーダムガーディアン)強行にたいして、8月25日、大阪市内の米国総領事館にたいして緊急抗議行動がおこなわれた。(写真上)戦争あかん! ロックアクションと「しないさせない! 戦争協力」関西ネットワークがよびかけた。緊急の呼びかけにもかかわらず40人が領事館前に集まって抗議行動をおこなった。よびかけ2団体から元衆院議員の服部良一さんと連帯ユニオンの垣沼陽輔さんが発言。そのほか、戦争をさせない1000人委員会・大阪、STOP! 辺野古新基地建設! 大阪アクション、在日韓国民主統一連合大阪本部、沖縄平和ネットワーク首都圏の会がマイクを握った。「北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)を挑発するな」「安倍は戦争をあおるな」の横断幕を掲げ、労働者市民に訴えた。
軍事演習やめて国際連帯を
米韓合同演習中止を訴え
8月26日 京都
8月26日、「米日韓合同軍事演習を中止せよ! 東アジアの平和を! 8・26京都集会」が、京都市東山区の東山いきいき市民活動センターでおこなわれ、40人が参加した(写真)。主催したのは米軍Xバンドレーダー基地反対京都連絡会。
8月21日から31日までおこなわれた乙支フリーダム・ガーディアン韓米合同軍事演習には韓国軍5万余と米軍1万7500人が参加した。米軍は昨年に比べて7500人少なかった。演習に合わせ、ハリス米太平洋軍司令官やハイテン米戦略軍司令官が訪韓した。米日韓によるこうした軍事重圧が朝鮮民主主義人民共和国を追い詰めている。京都連絡会の大湾宗則さんは基調提起で、「演習をやめて国際連帯をつくる努力をすることが東アジアの平和につながる」と訴えた。集会後、参加者は四条河原町をデモ行進した。
9条を守り戦争止めよう
京都の総がかり行動に450人
8月19日
8月19日、〈戦争をさせない京都1000人委員会〉、〈安保法制(戦争法)廃止をめざす市民アクション@きょうと〉、京都憲法共同センターの3団体による総がかり行動が京都市内でおこなわれ450人が参加した(写真)。京都市役所前でのリレートーク。主催者あいさつを部落解放同盟京都府連合会委員長の西島藤彦さん、沖縄からの訴えを大湾宗則さんがおこなった。憲法共同センターから、龍谷大学教員の奥野恒久さんと弁護士の小笠原伸児さんが発言。9条を守ることで戦争を阻止しようと訴えた。集会後、四条河原町までデモ行進した。
3面
【発言紹介】8・6ヒロシマ平和の夕べ
「反核・反戦、集い闘い続ける」
前号に続き、8・6ヒロシマ平和の集いから発言を紹介する。今号は「被爆証言」小野瑛子さん、「福島から」大塚愛さん、「悲しみから生まれた平和への道」ほか川口真由美さんと沖縄から参加のYASUさんの歌とトーク、米澤鐡志さんのまとめを掲載する。(要旨/文責・見出しとも本紙編集委員会)
「日本政府は核兵器禁止条約に参加を」
小野瑛子さん
広島で生まれ、6歳のとき被爆しました。ブラブラ病といわれ、元気になってからも紆余曲折でした。65歳のとき甲状腺障害、がんの疑いで全摘し、いまは肺がん治療中ですが、被爆を継承し平和を築きたいという思いでいっぱいです。
父は、廣島二中の1年生の担任でした。6日は彼らを引率、被爆死しました。姉は、朝いっしょにごはんを食べ学校に行き、被爆死しました。廣島二中の1年生321人は全滅です。彼らが、亡くなる前に言い残した言葉を集めたのがテレビ・ドキュメンタリー、本になっている『いしぶみ』です。爆心500メートル付近ですから、父は即死したと思っていました。この本の証言で「けがのひどかった先生は『わたしはだめだ、きみは、がんばれ』と手をにぎって別れた」と、5学級の下野義樹くんが残しています。本で初めて父の最期を知りました。
姉の洋子は登校した観音国民学校で被爆。母は裂傷を負いながら姉を捜しにいこうとしたのですが、私が泣くし、炎に遮られて行けません。逃れる途中、黒い雨を浴びました。8日になって草津小学校でようやく亡くなった姉を見つけました。
一度は入水心中をしようとした母は、戦後2年目に英文の手記を書き、世界の人々に原爆を発信しようと『タイム』誌に送ったのですが、連合国軍総司令部(GHQ)に呼びだされ没収され、かないませんでした。母が78年に甲状腺がんで亡くなり遺品のなかに見つけ、『炎のメモワール』にまとめました。
福島原発の大事故が起こり、難しい条件がありますけど福島の人たちに「健康手帳」を持ってもらうとりくみもおこなっております。核兵器禁止条約が採択され本当にうれしく思うと同時に、日本政府が反対の立場をとっていることを変えさせたい。
「二度と原発事故を繰り返させない」
大塚愛さん
自給自足の生活を志ざし原発事故まで12年間、福島県の川内村で家族と暮らしました。大震災と原発事故は、その暮らしを断ち切ってしまいました。
テレビでは「安全、クリーンなエネルギー」といっていましたが、原発で働いていた人が白血病で亡くなるなど、地元では決して安全ではないと肌で感じられていました。
最も起こってほしくなかった原発事故が起こってしまいました。環境中に放出されたセシウムは広島型原発の168個分。セシウム137は半減期が30年、長期にわたって被ばくします。避難勧告が出た地域以外にも拡散しました。
6歳の子どもが「放射性物質」という言葉を覚えて使うのはつらい。見た目には、町も山も風景は変わりませんが、人々の暮らしは大きく変えられました。
私は郷里の岡山に避難、事故2カ月から「子ども未来・愛ネットワーク」を立ち上げ、子どもたちの保養や避難者への支援を始めました。これまでに保養は11回、のべ480人の親子が参加しました。海辺に行った4歳の女の子から「お母さん、ここの砂はさわってもいいの?」とたずねられ、母親は「どんなにガマンをさせてきたのか」と話していました。
原発事故が第1の災害ですが、2年後くらいから「放射能への不安」をお互いに話し合うことができない、そういう心の分断も第2の災害です。
私自身も福島での暮らし、すべてを失いました。大きな悲しみと、世界が崩れたようなショックでしたが、それでも何かやらねばと走り続けた6年でした。
家族で避難、お父さんは福島で働くために残り、母子で避難、単身、避難から移住へ、戻るのかとどまるのか、それぞれの苦難があります。今年3月、自主避難者にとって唯一の支援、住宅援助が打ち切られました。残した家、仕事、おじいちゃん、おばあちゃん、家族の分断。避難者、自主避難者の悩み。政府や福島県は、その選択の違いを認めず「復興、復興」です。とどまる人にとって福島が復興していくことは大事です。でもそれに片寄れば、被ばくを避けようという選択は置き去りにされてしまいます。「子ども被災者支援法」では居住する権利、避難する権利、帰還する権利がそれぞれ書かれていますが、それは実行されていません。
新潟の避難者交流会で、参加者の8、9割が「『はだしのゲン』を読んだ」と話しました。ああ、こういう人たちが自主避難という困難をも選んだのだと思いました。福島県の県民健康調査では、今年6月時点で甲状腺がんの子どもが191人です。増えています。全国21の地域、岡山でも福島原発岡山訴訟を起こしています。
広島のみなさんが72年間、心血を注いでこられたことに敬意を表し、被爆者の方々のためにも福島の被災者は声を上げます。黙ってしまえば次の命を守ることができません。
「しつこく、どんどんやる」
川口真由美さん
川口真由美さんは『何という胸の痛みだろうか』『悲しみから生まれた平和への道』『ケサラ』を、沖縄から参加したYASU MAKOTOさんと『沖縄、今こそ立ち上がろう』を熱唱した。川口さんは「私も、子どもたちを絶対戦争にやりたくない。子どもたちが安心して暮らせる世界を作りたい。」
YASUさんは「沖縄に配備されたオスプレイ24機のうち2機が墜落、3機目も落ちた。日本は、それを購入する。おかしいですよ、原発も同じ」と話した。
「加害と被害、若い人に伝えたい」
米澤鐡志さん
米澤鐡志さんが、「2008年からずっと参加。小出さん、中沢さんら多くの人が反核、平和を訴えてきた。この集いを続けていきたい。きょうも4人の方のお話に聞き入った。私も1000回以上の被爆証言をしてきた。最近、京都の看護学校で話し、生徒さんから『空襲、沖縄戦、原爆があったが日本による朝鮮、中国、アジアへの加害があったことを知らなかった』と感想をもらった。私たちは若い人たちに被害と加害の事実をしっかりと伝えたい」と、まとめた。
【感想レポート】
平和への力を強めたい
今年の平和講演は永田浩三さん(武蔵大教授)。元NHKプロデューサーでもあり、綿密な調査を基礎にした『ヒロシマを伝える』は、被爆を継承し核廃絶を考えるテーマとして聞きごたえがあった。永田さんは、国連核兵器禁止条約に参加しなかった日本代表の空席に抗議の折り鶴の写真が置かれている写真を写した。情けない日本政府の姿だ。
原爆投下後10年は、もっとも救済が必要な時期に被爆者が救済されない10年でもあった。しかし原民喜、栗原貞子、峠三吉、山代巴、四國五郎、そして被爆者運動を推進する川手健らが次々に立ち上がる。その初期の苦難の歴史から現在に至っていることがわかった。
小野瑛子さんの母親はハワイで育った日系2世。一家で広島に移り被爆した。母の手記『炎のメモワール』を出版。手記は連合国軍総司令部(GHQ)の検閲に引っかかり、没収された。手記の一部が集会で配布されたが、苦渋なしには読むことができない。原爆は日本、朝鮮の民だけでなく、アメリカ国民も灰にした。
大塚愛さんは震災と原発事故で郷里の岡山への避難。自主避難者は補償の対象にならない。政府が認めるのは復興のみ。子どもの甲状腺がんが年を追って増加している。いま103人の原告で福島原発岡山訴訟をたたかっている。しっかりと、穏やかに話す大塚さんに元気をもらった。
そして川口真由美さんの歌。「沖縄、今こそ立ち上がろう」。運動は元気が命。沖縄からYASUさんがかけつけ、相次ぐオスプレイ墜落事故を弾劾。最後は「ケサラ」熱唱の渦となった。第1回からずっと参加している米澤鐵志さんが閉会あいさつ。
沖縄や福島と結びつき広がっているのを感じた。いま、心底ほしいのは「力」だ。改憲勢力に負けない力、核を廃絶する力、戦争をとめる力。反戦反核の大きな力を作りたい。(安芸一夫)
読者の声
8月6日のヒロシマで
被爆ピアノ演奏に聴き入った(関西から参加/女性)
とても密度の濃い集まり。おおぜいの、意思ある魅力的な人たちにびっくりしました。永田浩三さんのお話は、たくさんの内容なのにとても分かりやすく聴けました。「ヒロシマはアジアの人々のことを考えなかったと言われている」ことを反証する手法をとられていました。確か中国は「広島は核兵器の犠牲だけど、アジア侵略のシンボル」と述べた記憶があります。でも広島、長崎の被爆者に加害意識を求めるのは酷です。だけどなお「アジアを侵略した加害者であることを知らなければならない」と、生き地獄をくぐった米澤さんが言いました。
小野瑛子さんの、お父さんとお姉さん共に原爆で亡くされた証言は心に突き刺さりました。突然、家族を失い、お母さんはお姉さんを助けられなかった罪悪感にも苦しめられたでしょう。
午前中は平和公園の被爆ピアノ・コンサートへ。聴き始めたら離れられなくなって。お昼ご飯を食べ損ねました。「胎内被爆」という方が弾いた“オン・ザ・サニーサイド・オブ・ヒロシマ・ストリート”というジャズがすてきでした。武満徹「死んだ男の遺したもの」の弾き語り。弾いていた女性が「ピアノを弾けない夫が、『ぼくたちの願いが本当に伝わるのか』と言う」と。その彼が作詞し、彼女が作曲したという『明日への旋律』という歌も聴きました。彼は被爆2世でしょうか。
4面
寄稿
「開発、発展、世界で1番」に未来はあるか(下)
市民のためか、ポーアイ医療特区
粟原富夫(神戸市議会議員・新社会党)
「ポーアイ医療特区」の破綻
もう1つ、ポートアイランド医療特区(写真左)の問題点。市民病院の移転問題が起こったとき、合わせて医療産業都市、特区構想が持ち出された。理研を誘致、市民病院を移転し、先端医療センターを作った。その周辺が「混合医療」地区ということにされた。医療産業都市構想の中味、1つは医療的な研究や先進医療の集積、もう1つは保険適用外診療ができるようにする。
問題になった神戸国際先端医療センター(KIFMEC)は、外国の富裕層からの医療ツーリズムを引き入れようとした。先例がシンガポールにあり、ポートアイU期に作ろうとした。KIFMECは土地を神戸市が無償提供、企業、ファンド会社が支援した。ところが医師会は混合診療に賛成できない事情がある。当初計画の200床規模から縮小され、肝臓ガン治療に特化した。特化しても高度医療のためには術前術後の総合医療、ケアが必要。単科医療だけでは難しい。手術は成功しても術後の管理が十分にできないという問題などが起こった。
重厚長大産業型から医療産業で復活しようとした。研究治験、治療を集中する特区にすれば関連企業が集まるという構想だった。
しかし、いま情報はどこでも得られる時代。百数十社が集まったが、ほとんどがアンテナ・ショップで、製薬会社が工場を建てることにならない。逆に市民病院の移転、先端医療センター建設などに、持ち出しが多くなった。先端医療センターも、特化から市民病院に吸収されることになる。医療特区の目玉になるはずだったが、破綻した。混合診療そのものが国民皆保険を崩すことになるし、外国保険資本の参入などTPPの先取りとなる。
市民、住民のためになるのかの議論はぬきにされた。大きな事業のためには、全体の合意が必要になる。今回の今治加計学園問題でもそうだが、トップダウンで閉鎖的に進行する。利権が横行する。理研の「混乱、闇」も記憶に新しい。
阪神淡路大震災の教訓から
日本は災害大国。東北、福島をはじめ巨大災害が続いている。阪神淡路大震災の体験をどう生かしたのか。阪神・神戸の大きな教訓は「創造的復興」という誤りだ。何よりもまず「復旧」、人々が元の暮らしを取り戻すことがいちばんになければ。震災のあと全国からの視察も多かったが、みんなが防災をいう。自然災害をとめることはできない。被害を最小にしたいが、ゼロにはできない。被害が起きたら、まず「しなやかに、すみやかに元の暮らしに戻す」ことだ。ともすればすぐに「復興」が問題にされる。よく言われる「創造的復興」は、「前より、よく」だろうが、どうしても「建設中心」になる。庶民の暮らしよりも、デベロッパー型になりがち。「復旧」をおこなう仕組みが弱い。神戸は、それにいちばん遠かったのではないか。いまだに「借り上げ復興住宅からの追い出し」ということに象徴的だ。
小田実さんが、いみじくも「これは人間の国か」「人間の復興を」といった。その後の災害も、そうだ。家をなくした人、仕事を失った人、心の復興、人の生活を元に戻すという視点が何よりも求められる。行政や資本による巨大再開発のチャンスという発想こそ間違っている。あのとき避難所に再開発の計画が張り出された。避難所にいるのに、自分の家が公園計画になっていたとか。神戸だけではない。いまの国のあり方は、そうだ。
災害は、その地域が持つ問題、矛盾、日常を可視化する。阪神大震災の被害は都市部に集中した。都市における希薄な人間関係が、さらにバラバラにされた。東北であれば、人口が少ない減少していく地域の暮らしが顕わになる。人、暮らしを再建、復旧させるにはそういう目線が大切。被災者生活支援法への取りくみは、その1つだったと思う。「創造的復興」という響きには、それが欠落する。次の社会をどう考えるかという視点。例えば高齢化社会。大都市災害は、どれほど1人暮らしのお年寄りが多いかを浮き彫りにした。それらをどう考え、ともに生きる地域、社会を作っていくのかが問われる。
東京一極集中がいわれて久しい。そこに、オリンピック。大阪が万博やカジノ誘致で挽回しようというのも同じ発想、思考だろう。一時的には需要、景気は高まる。大所高所から論じるつもりはない。市民とともに運動に加わり議会に参画した1人として考えたい。右肩上がりの経済と開発行政に依存し続け、大震災の後も「人に目線をおかない復興」に向かった結果を見てほしい。大イベントをやって巨大な施設の残骸を残す「兵どもの夢の跡」ではなく、人が生きていく地域社会をめざしたい。
安保関連法、改憲情勢と非核神戸方式
最後に、安保関連法が強行され、改憲が具体的に日程に上り始めている今、非核神戸方式について報告しておきたい。戦後、朝鮮戦争、ベトナム戦争の時期に米軍艦船が頻繁に入港した。74年、米議会での「入港する艦船から核を外さない」という発言を契機に、当時の社会党市議がその問題を質問した。港湾労働者・市民の陳情がおこなわれ、75年に市議会が「核積載艦艇の入港拒否に関する決議」を全会一致で採択した。
戦前、港湾を国が管理することによって戦争に全面的に利用された反省から、戦後は地方自治体の管理となった。管理権は自治体の長、市長にある。決議の採択以来、神戸市は神戸港に入港するすべての外国艦艇に「入港する船が、核を積んでいない」という証明書の提出を求める。フランス、イタリア海軍などは証明書を提出し入港したが、米軍艦船は提出しないため、75年以来、神戸港に入港できていない。
2001年に米軍が入港を画策したが、できなかった。しかし、今の状況は楽観できない。国は、有事法制や安保関連法で自治体に圧力をかけてくるだろう。周辺事態法も港湾法も憲法の下で、法律として同等だ。港湾管理権は自治体、首長にある。抵抗できる市民がおり、首長がいなければならない。非核神戸方式が、市民の願いから市議会全会一致で採択されたという意味は、今だから重い。(おわり)
「慰安婦」問題解決は日本を変える
第5回日本軍「慰安婦」メモリアルデーに参加して
1991年8月14日、韓国の「慰安婦」被害者金学順さんが半世紀の沈黙を破って、「慰安婦」とされたことを名乗り出た。その決起を記念して、5年前から8月14日を日本軍「慰安婦」メモリアル・デーとして国連記念日にしようと、世界各国で行動がとり組まれている。
日本では今年、「語り始めた被害者たち―日本軍『慰安婦』、AV出演強要、JKビジネス」と題して、8月12日大阪、13日東京で集会が開かれた。
大阪では、北原みのりさん(作家・ラブピースクラブ代表)と尹美香さん(韓国挺身隊問題対策協議会共同代表)が講演した。
性の商品化、性暴力
北原さんは、日本では女性の性が商品化している実態とそれを許す日本社会の問題を取り上げた。
JKビジネスとは女子高校生に男の散歩や添い寝(!)の相手をさせて金をとる商売である。それを買う男たちではなく、「遊ぶ金ほしさの女の子」が非難されてきた。
だが「買われる」彼女たちの背景には、貧困と家族の崩壊、居場所の喪失などの根深い問題がある。「売らされ、買われているのだ」と、彼女たち自身が声をあげ始めた。
一方でAVが社会にまん延している。その製作現場では実はすさまじい性暴力と収奪、差別のシステムがある。最近、出演強要を拒否し、製作会社から莫大な「違約金」を要求された女性が裁判闘争に立ち上がった。被害者が勇気を持って告発することによって社会の関心も少しずつ集まってきた。
被害女性たちの受け皿になっている組織がある。駆け込む場所をつくり、ともに考え、決起をうながし、支えている。「慰安婦」問題の始まりと同じだ。
彼女たちは、「慰安婦」問題を知ったとき、過去のことでも他人のことでもなく、自分の問題だと語っていた。「慰安婦」問題の解決とは、この日本社会を変えることでもあるのだ。
被害者が主人公に
尹美香さんは「金学順さんが名乗りをあげたとき、ほんとうに驚いた。挺対協は当時、被害者が名乗り出るとは思っていなかった」と率直に当時のことを語った。次々と名乗り出た被害者たちとの「出会いと交流の場」を設けた。そこで「自分だけ生き残った」という罪悪感に苦しめられ孤立してきた彼女たちが、お互いの存在を知り、水曜デモの主人公になった。さまざまな性暴力被害者と結びつき世界的な人権活動家となり女性のリーダーになっていった。
日本政府は条約でもない「日韓合意」の履行をなぜ執拗に迫るのか。当時の朴槿恵政権との間に、何か隠された取引があったのでははないか。ハルモニたちは「8・15で韓国は解放されたが、私たちは解放されていない。癒やし金、見舞金などというのは侮辱でしかない」「安倍政権や韓国政府にお願いするのはやめよう。私たちの作れる解放を自分たちで作ろう」という。
日本政府が拠出した金を受け取った被害者やその家族、遺族はつらい思いをしている。だから、100万人の韓国市民が100ウォン(日本円で10円)ずつ出し合って10億円を日本に返そうというよびかけを始めた。そうすれば受け取ってしまったお金は韓国市民からのものとなり、気持ちも楽になるだろう。
被害者の声を未来に継承していくことも大事な仕事だ。水曜デモにはたくさんの小学生も参加している。今週の水曜デモは初めて高校生が主管(集会進行の責任)して、ハルモニたちは大喜びだった。
尹美香さんが語った報告と展望は、北原さんの問題意識としっかりかみ合っていた。そこから、被害者に寄り添い、被害者の主体を第一に考え、大衆的な結びつきを大事にする豊かな感性、発想力を学ぶことができた。(水島良)
5面
8・10 平和祈念のつどい・東大阪
「もっと平和な社会」のために
在日青年団「ハンマウム(心を一つに)」によるプンムル(農学)の演舞(8月10日東大阪市内) |
地域にねざす
8月10日、東大阪市役所と府立図書館の間にある平和祈念公園(春宮公園)で第2回平和祈念のつどい・東大阪がひらかれ、300人が集まった。
今回の特徴は近所の人たちの参加がめだったこと。プログラムを渡すとき「ご近所からですか」とたずねると「ええ」と答える人が何人もいた。「韓国の踊りをやっているから見にいこうと誘ったんやけど毎年やってるの?」と聞かれたので「去年から始めました。来年もやりますのでよろしくお願いします」と言うとうなずく人も。また、3歳くらいの子ども連れの女性も参加して聞き入っていた。自転車に乗った高齢の男性も最後まで聞いていた。多民族多文化共生の街・東大阪での平和祈念のつどいが少しずつ広がり始めているのではないだろうか。
第1部の交流・自由パフォーマンスでは「三線」の演奏、「原爆詩の朗読」やLGBTの当該の方からの発言があった。彼女は男性から女性に移行することを希望する1人で「どんなにやゆ嘲笑されても暴力や危害を加えられても私は1人の女性です」と本名を名乗って自分の思いを表明した。
寸劇は森友学園の籠池前理事長と教育勅語をパロディー化したもので前日にシナリオができたとは思えないほどよくできていて会場の笑いを誘った。登場者が「安倍の写真が掲載された教育出版の道徳教科書を東大阪市はビビッて採択しなかった」というセリフのところでは拍手が一段と高くなった。
平和への思い
第2部では多くの人たちから発言があった。2015年の戦争法のころから活動している若い男性は「運動を続けることは時にはきついなと思うときもあるけど、僕はやっぱり、自分が生きて暮らしているこの社会をあきらめることはできない」「安倍政権を倒すためでも自民党を倒すためにやっているわけでもない。今よりももっと平和な社会をつくるために、そういう未来をつくるために活動したい」「つらくなるときもあるけど休みながらでも確実に前に進んでいきたい思っています」と表明した。
東大阪で生まれ育った在日コリアン3世の女性は、7月29日にトランプ大統領が米軍でトランスジェンダーたちの入隊を禁止することを表明したことにふまえ、ジェンダー(性差)とセクシャルマイノリティー(性的少数者)という切り口から平和と9条を語った。女性やトランスジェンダーへの差別に反対したり戦争に反対したりするさまざまな人たちを分裂させるような選択肢を選ばせないのが9条なのではないか、こういう9条の持っている考え方を広めていきたいと結んだ。
高校卒業まで沖縄で生まれ育ち、パスポートで那覇港から神戸港にきた女性は自分の体験にふまえた平和への思いを語った。
72年に沖縄は日本に復帰したが、その後も基地の島であり続けるとは思いもしなかった彼女は、95年10月の米軍による少女暴行事件を糾弾する県民総決起大会で大田昌秀知事(当時)の「行政の責任者として、大切な幼い子どもの尊厳を守れなかったことを謝りたい」ということばを聞いたとき、涙があふれてとまらなかった。
それから21年がたった16年、20歳の女性が米軍属の男に命を奪われ、山の中の草むらで発見された。
「今の沖縄は平和ではないと思います。戦争のために人々の生活と暮らしを壊し、命を奪う、そんな基地は沖縄にも沖縄以外にもいりません。基地はいらない」「沖縄出身者として、私は人間としての尊厳と非暴力であらがい続けている沖縄を誇りに思っています」と思いを述べた。
在日コーナー
立場の違いを超えて集まっている在日青年団「ハンマウム(心を一つに)」によるプンムル(農楽)の後、「慰安婦問題と平和」と題して被害女性の立場に立って慰安婦に関する日韓合意を批判する在日女性からの発言やヘイトスピーチにたいするたたかいの報告などの後、イムジンガンの朗々とした独唱がおこなわれた。
最後に「原爆許すまじ」がエレクトーンで演奏されるなか、キャンドルライトが次々と平和の女神像の前に置かれていった。
「原爆許すまじ」には平和を求めてやまない被爆者の思いが込められている。私もキャンドルライトを置きながら、多くの参加者とともに平和への思いを重ねていった。(三船二郎)
シネマ案内
原発事故真相解明で「抹殺」
ドキュメンタリー『「知事抹殺」の真実』
監督 安孫子亘 出演 佐藤栄佐久 2016年/日本/80分
ドキュメンタリー映画『「知事抹殺」の真実』(安孫子亘監督)が、全国で上映されている。2006年、福島県知事であった佐藤栄佐久氏が「汚職事件」で知事を辞任、東京地検特捜部に逮捕された。映画は佐藤氏の語りを中心に、その関係者のインタビューで構成される。一見すれば、佐藤知事側の証言のみなのだが、作者はこれでよしとする。映画の目的は事件の真相を解明することにあるのではなく、「佐藤県知事は何故に逮捕されたのか」の真実の解明に主眼があるからだ。
映画は裁判の進行過程を追いながら、この「事件」が権力によって作り上げられたことをあばいていく。登場人物から発せられる言葉とその表情によって、映像は真実を表現する。ここがドキュメンタリーの強みだ。
作者は国家権力の犯罪と権力の意向になびくメディアの犯罪を告発している。なお、この「汚職事件」を権力の意向にそって最初に報道したのは朝日新聞の『アエラ』であった。
福島第二原発3号機再循環ポンプ破損事故(1989年)の真相解明とプルサーマル発電にたいして、佐藤知事は国に納得いく説明を求めた。福島県知事として、唯々諾々と従うことはできなかった。取り調べ検事は「知事は日本にとってよろしくない。いずれ抹殺する」と言った。
保守派だった佐藤知事は、必ずしも原発に反対していたわけではない。県民が納得できる説明を求めていた。しかし、国家権力は佐藤さんの存在を認めることはできなかった。
思い起こせば、東京電力にたてつく新潟県知事の泉田裕彦氏も知事を辞めさせられた。森友学園、加計学園問題においても、国家権力のやり方は同じなのだ。国の方針に従わない人間は「抹殺」するのだ。
一方、沖縄県知事の翁長雄志氏も佐藤氏と同じく保守派だが、沖縄県民が納得する解決を求めて、国策に反対している。こういう人々も存在している。
このような横暴にふるまう国家権力。しかし見方をかえれば、国家権力は脆弱であることを示している。「国の方針にあらがう」で民衆が一致できれば、大きな運動のうねりができるのではないか。(津田)
滋賀で渡辺治さんが講演
安倍政権の狙いと阻む道
8月27日、市民の会しが主催の憲法講演会が、滋賀県大津市内でひらかれ、120人が参加した。渡辺治さん(一橋大学名誉教授)が「安倍改憲の正体 阻む力は何か」と題して講演(写真)。
5月3日の安倍首相による改憲提言のねらいは何か、都議選が示した安倍政治にたいする不信と安倍改憲の手直し、これに何が問われているのかをていねいに説明した。
「元々の自民党の改憲攻撃は民進党を抱き込んでやる予定だったが、野党4党の結束が固く、うまくいっていない。また野党共闘の成果が選挙で結果を出し始めている。
そこで18年12月衆院任期満了前に現行衆参の議席で改憲を強行しようとした。そのために「9条加憲論」と「教育無償化規定」を打ち出して、公明と維新の取り込みを図ろうとした。とくに9条加憲が決め手となる。自衛隊保持の憲法規定に変えることにより、軍法の制定や軍法会議の設置が可能になる。これは9条規範の根本的転換である」。
つづいて都議選で安倍への不信が示されたことへの「手直し策」についてつぎのように話した。
「一つはほとぼりさまして18年通常国会で改憲発議、国民投票を考えている。もう一つは市民と野党共闘の分断を成功させ、解散総選挙、総裁3選のあと保守大連立で改憲をやるというものだ。
これにたいして野党と市民は、安倍改憲を阻むかつてない共同を急いでやることが問われている。まずは9・8『安倍改憲NO! 全国市民アクション』のキックオフ集会を成功させることだ」。
以上の渡辺さんの提起を受けて質疑応答がおこなわれた。
その後、民進党、共産党、社民党、新社会党から連帯のあいさつがあった。
福島県の差別的行政指導に衝撃
大津
8月13日、敗戦記念日を覚え平和を求める集会が、日本キリスト教団滋賀地区社会委員会の主催で大津教会でおこなわれ100人が参加した。講演は会津放射能情報センター代表の片岡輝美さん。片岡さんは子ども脱被ばく裁判の会代表としてたたかっている。講演では国の原子力政策が差別の構造の上に立って憲法に違反するものであることを、ていねいに解説した。
続いて子ども脱被ばく裁判の弁護団長、井戸謙一弁護士が裁判の現状を説明。子ども脱被ばく裁判は福島地裁でおこなわれているが弁護団は関西が中心。福島県の弁護士は一人もいない。被ばくの許容範囲は、福島県以外では年間1ミリシーベルト以上は認めていないが、福島では年間20ミリシーベルト以内なら帰還を指導する差別的な政策をおこなっている・参加者は講演で明らかにされた深刻な話に衝撃を受けていた。
6面
論考
大伴 一人
現代革命と「陣地戦」
グラムシ思想の重要概念
ヘゲモニーをめざす
「陣地戦」は、アントニオ・グラムシの思想を理解するうえで重要な概念です。これはもともと軍事用語である「陣地戦」と「機動戦」をグラムシが政治技術や政治学に援用したものです。
陣地戦とは市民社会において支配的な集団への住民の政治的文化的な同意を形成する過程をさします。これをグラムシは「ヘゲモニー」と呼びました。市民社会が成熟した国家は住民にたいする「強制」だけではなく、国家にたいする住民の「同意」を形成することによって、その権力を盤石なものにしているのです。
そのことをグラムシは『獄中ノート』のなかで次のように述べています。
「東方では、国家がすべてであり、市民社会は原初的であり、ゼラチン状態であった。西方では、国家と市民社会とのあいだの適正な関係が存在し、国家が動揺すれば、すぐさま市民社会の堅固な構造がたちあらわれた。国家はただの前線塹壕にすぎず、その背後には一連の強固な要塞と砲台が存在した」
「東方」とは革命前のツァーリが支配するロシアのことです。そこでは市民社会が未成熟でツァーリの権力基盤は脆弱だった。一方、「西方」すなわちヨーロッパでは、「国家が動揺」しても、「市民社会」が強固な要塞となってブルジョアジーの支配が揺るがなかったといっています。
したがってプロレタリア革命に向かう過程とは、市民社会におけるヘゲモニーをめざして、プロレタリアートがブルジョアジーを打ち負かしていく過程なのです。それが陣地戦です。
ドーポラ・ヴォーロ
1920年代から30年代のイタリアでは、ムッソリーニが率いるファシスト党によって「ドーポラ・ヴォーロ(「労働後の余暇」の意)」という社会運動が進められていました(写真)。「ドーポラ・ヴォーロ」とは非政治化したファシスト党員が労働者人民のありとあらゆる社会的・生活的な要求に応えていこうとする政策で、これを国家政策とすることで、ファシスト支配を全人民に貫徹しようとしたものでした。その対象は、社会保障政策、医療、芸術・文学、各種サークル、旅行、ギャンブル、女性問題、貧困問題、退役軍人、学生、労働組合などあらゆる分野におよんでいました。
これにたいして左翼の側がどう対応するかが問われていました。グラムシとともにイタリア共産党を結成したパルミーロ・トリアッティは、「参加する以外に方法ない」と言っていました。たしかに参加することは大切ですが、左翼による独自の運動も必要です。
これは現代の日本に生きる私たちにとっても重要なテーマであると思います。
陣地戦の発展段階
陣地戦は階級情勢の変化に対応してその階級的役割が変化します。陣地戦には特定の形式はありません。それは住民の階級意識、闘争の経験、支配階級の対応によって決まるのです。
陣地戦の発展段階を便宜的に区別するとすれば、次の4段階に大別することができると思います。
1.初期の段階 2.中期の段階 3.機動戦を含んだ二重権力状態 4.陣地戦から社会建設へと向かう段階(この段階で陣地戦は消滅していく)
現在の日本における陣地戦の例としてすぐに思い浮かぶのが、沖縄のたたかいです。そのなかで「沖縄独立」という主張が影響力を持ち始めているのは、端緒的に権力問題が浮上していることを示しています。それは「中期の段階」から「機動戦を含んだ二重権力状態」への移行期に入ろうとしているのかもしれません。それに比べると、沖縄以外の国内の状況は圧倒的に立ち後れていると言わざるを得ません。
革命党と陣地戦
陣地戦とはソビエトあるいはコミューンを形成するたたかいです。それは民主主義が、ブルジョア的な性格からプロレタリア的な性格へと変化していく過程です。その中には国家権力の奪取と新たな国家の形成という問題をはらんでいます。グラムシの陣地戦論はマルクスやレーニンのコミューン論にしっかりと踏まえられています。彼はマルクスやレーニンの「限界」を乗り越えようとしたのではなく、彼らのコミューン論を陣地戦論として深化し、プロレタリア独裁の思想を発展させようとしたのです。
単純化していえば革命党は、グラムシのいう機動戦に対応しています。機動戦とは武装蜂起などの正面戦のことです。革命党は労働者人民にたいする革命闘争の指導と、その経験を蓄積し共産主義理論を研鑽するという二つの任務を持っています。
そのため革命党の組織には、厳選された職業革命家と責任の体系としての中央集権制が不可欠です。また軍隊的な指揮命令系統の確立も必要です。
革命の主体は誰か
しかし一方で、革命党の構成員はすべて平等です。国家権力との関係では本質的に非公然・非合法の組織のなかでプロレタリア民主主義を貫徹するためには、たえず現場の党員と中央指導部との交通がはかられ、十分な意志の疎通にもとづく意志統一がなされていることが必要です。そのためには党の政治綱領や厳格な組織規律が必要となります。
しかしこうした組織は、次の三つの理由からスターリニズムに変質する危険性を持っています。
一つは、ブルジョア国家権力を打倒するために暴力という手段を使うことです。二つは、革命党の構成員はブルジョア社会で生れ、その教育を受けてきた存在であることです。三つは、革命党は共産主義的共同体ではないということです。それは「自由・平等・自発性」が政治的組織的軍事的に制限された特殊な共同体です。革命に勝利すれば、コミューンの運動の中に「眠り込んでいく」ものですが、その「眠り込み」を目的意識的におこなわなければならないのです。
スターリニズムに陥らないためには、革命党は、陣地戦において労働者人民の自治組織であるコミューンとの関係を正しく持ち、自己の階級的役割を明確にして、あくまで革命の主体は、労働者人民のコミューンにあることを忘れてはならないのです。
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