未来・第225号


            未来第225号目次(2017年6月22日発行)

 1面  共謀罪法は廃止へ
     戦後刑事司法の大転換
     国政私物化の安倍を倒せ

     6月6日
     高浜3号機 再稼働に抗議
     地元住民から反対の声

     翁長知事 「7月に工事停止求め訴訟」
     辺野古レポート 相つぐ警察の暴力、逮捕

 2面  共謀罪法 採決強行に各地で抗議

     神戸 マルイ前で抗議

     尼崎では労組がよびかけ

     京都では850人が弾劾の声

     現代の治安維持法許すな
     5月20日 神戸市の繁華街をデモ

     沖縄と共謀罪がひとつに
     1万8000人が国会を包囲
     6月10日

     広がる共謀罪反対の声
     市民がデモをSNSで拡散
     6月11日 神戸

     広島で500人がデモ

 3面  安倍政権の「働き方」改革を斬る 第3回
     官邸独裁で進む労働政策改編
     森川 数馬      

     法案阻止へ共闘ひろがる
     共謀罪、森友、沖縄でデモ
     6日 大阪     

 4面  「ロウソクで大統領倒した」
     沖縄・京丹後・韓国結び交流集会

     違憲訴訟1周年 前田哲男さんが講演
     戦争をできる国にするな

     民族を超える共生社会共同体
     5月23日 崎浜盛喜さん 琉球を語る

 5面  寄稿
     治安維持法違反女性第一号を母にもって
     『母と私―九津見房子との日々』の著者 大竹一燈子の生涯
     大庭 伸介

 6面  書評
     差別主義者による犯罪
     保坂展人『相模原事件とヘイトクライム』(岩波ブックレット )

     投稿
     尼崎市で緊急集会開く
     精神保健福祉法改悪に反対

     カンパアピール

       

共謀罪法は廃止へ


戦後刑事司法の大転換
国政私物化の安倍を倒せ

安倍政権は15日、共謀罪法案を参院本会議で強行採決し、可決成立させた。委員会採決を省略できる「中間報告」という手続きを使って、参院法務委員会での審議を一方的に打ち切ったうえでの強行採決は、断じて許されるものではない。この暴挙にたいして、国会周辺では14日から15日にかけて徹夜の抗議行動がおこなわれた。
共謀罪とは、実行行為を伴わない計画の段階でも「犯罪」として処罰することを可能にするものだ。これは戦後日本の刑事司法の大転換を意味し、「行為」ではなく「計画」が犯罪になれば、個々人の思想や内心が取り締りの対象になる。こうした「思想・内心」を取り締まる法律を治安当局が手にしたとき、どのような結果になるか。
それを私たちは戦前の治安維持法から知ることができる。治安維持法は「国体の変革(天皇制の廃止)」と「私有財産制度の否定」を目的とする結社を取り締まる法律であった。当初は日本共産党に対する弾圧に用いられたが、その対象は宗教団体やリベラルな雑誌編集者など共産主義とは関係のない団体や人びとに拡大し、日本本土で7万人以上が同法で検挙された。194人が拷問で死亡し、1503人が獄中で病死したと言われる。
日本が植民地支配していた朝鮮では23000人が逮捕、45人が死刑執行された。治安維持法が成立した当時、政府は「善良な社会運動を取り締まる意図はない」「思想を処罰することはない」と説明していた。これは共謀罪をめぐる安倍政権の答弁とそっくりである。治安維持法がふるった猛威を思いおこせば、このような答弁を到底信じることはできない。共謀罪は廃止以外にない。
安倍政権が登場してわずか5年足らずのうちに、戦後憲法によって形成された民主主義体制が急速に形骸化し、独裁的な政治手法が幅をきかせている。人びとから「知る権利」を奪う特定秘密保護法、憲法が禁じた集団的自衛権の行使を容認した戦争法(安全保障関連法)、そして共謀罪。いずれも数に物を言わせた強行採決である。
一方、森友学園や加計学園などに見られる国政の私物化は目に余る。首相官邸に巣食う安倍とその取りまきたちにこれ以上のやりたい放題を許すわけにはいかない。このような連中から政治権力を民衆の手に奪い返すためにたたかう戦線を広範につくりだそう。

6月6日
高浜3号機 再稼働に抗議
地元住民から反対の声


関西電力は6月6日、午後2時、高浜原発3号機の再稼働を強行した。この日、若狭の原発を考える会の呼びかけに応えて、高浜3号機の再稼働をなんとしてもストップさせる決意にもえて、地元福井をはじめ、全国から高浜原発直近の展望所に120人が集まった。
午後1時、展望所からデモで高浜原発ゲート前に向かった。1時半、原発北門で関電にたいして申し入れ。
再稼働の予定時刻2時が迫るなかで、「再稼働反対」のコールが響き渡る。「2時に再稼働された」という情報が入り、直ちに「高浜原発止めろ」のコールが巻き起こった(写真)
この4〜6月の連続的なたたかいは、「再稼働反対」の大きな声をまきおこした。関電やその意を受けた町当局に黙らされていた地元住民は、「原発反対」「再稼働反対」の声を上げ始めた。
関電は大飯原発3・4号機、40年超えの老朽原発高浜1・2号機、美浜3号機の再稼働を狙っている。絶対に阻止しよう。

翁長知事 「7月に工事停止求め訴訟」
辺野古レポート 相つぐ警察の暴力、逮捕

6月1日 辺野古新基地建設は、「K9護岸」工事が進められ、砕石投下が続けられている。キャンプ・シュワブゲートから工事車両98台が搬入された。工事再開以来最大の搬入。市民は車両の前に立ちはだかり徹底抗戦した。この攻防で女性1人が不当逮捕。(2日釈放)海上では抗議船3隻とカヌー8艇で、砕石投下に抗議。

力づくの排除

2日 シュワブゲートより工事車両125台が搬入。市民は機動隊の数度の排除に立ち向かう。この攻防で男女2人が救急搬送された。女性は倒されて頭部を負傷。頭蓋骨へのひびと脳挫傷に伴う脳内血腫が確認され、最低1週間の入院が必要と診断された。
5日 ゲート前で、機動隊による排除が広範囲におこなわれた。これまでゲート前の排除だけだったが、ゲート向かいの歩道の人も排除した。排除の仕方も暴力的になってきた。この日の攻防では右腕を痛めた女性が救急搬送された。海上では、抗議船3隻とカヌー12艇で抗議。カヌー隊は4度にわたりフロートを乗り越えた。
6日 ゲートから3度にわたって、工事車両150台が基地に入った。この間最大。抗議行動中女性1人が不当逮捕。(7日釈放)

工事差し止め訴訟へ

7日 翁長知事は、沖縄防衛局が、護岸工事を続けていることにたいし「差し止め訴訟を提起」すると述べ、国を相手に提訴する方針を明らかにした。訴訟では、国に県漁業調整規則39条で規定する岩礁破砕許可を得るよう求める。併せて判決が出るまで工事の停止を求める仮処分も申し立てる。県議会6月定例会に関連議案を提出し、7月14日予定の最終本会議で可決されれば、7月内にも提訴する方針。ゲート前では、知事の提訴判断を受け、「待っていた」「これからも知事を支えるぞ」と歓迎の声が上がった。
8日 ゲート前に市民120人が座り込み。工事車両90台が基地に入った。午後0時半頃からの車両搬入は1時間かかり、その間市民は1時間にわたり歩道に押し込められ身動きできなく拘束された。市民からは「拘束時間が長すぎる」「何のための警察か」と怒りの声が上がった。
9日 ヘリ基地反対協はテント村で記者会見。ダイビングチームレインボーが「K9護岸」付近の海域で潜水調査をおこない、護岸付近に複数のサンゴを確認した。最大80センチのサンゴが成長を続けている。国は1メートル以上のサンゴを避ける基準で工事を実施すると説明している。小さいサンゴの命はつぶしていいのかと訴えた。

国会大包囲と連帯

10日 午前11時から名護市の米軍キャンプ・シュワブゲート前で「辺野古新基地建設阻止! 共謀罪廃案!6・10国会大包囲と連帯する辺野古現地集会」(共謀罪NO! 沖縄実行委員会主催)が開かれ、県内各地から1800人が参加M(写真上)
実行委員長の高良鉄美さんは「辺野古新基地建設に反対する人々の心は、平和の心だ。『共謀罪』は平和の心をつぶしていく、廃案に」。たたかう市民の弁護を担う三宅俊司弁護士は「辺野古の現場では『共謀罪』を先取りした警備体制になっている。国は反基地運動は共謀罪の対象にはならないと言う。しかし、嘉手納、普天間包囲行動の協議をすれば集団での威力業務妨害の『共謀罪』になってしまう」と危機感を訴えた。(杉山)

2面

共謀罪法 採決強行に各地で抗議

自公政権と維新は、参議院法務委員会での採決をとばして、6月15日7時46分、本会議で共謀罪法の採決を強行した。朝から怒りがうずまき、夕刻には関西各地で抗議行動がおこなわれた。

大阪駅前に300人

大阪では、〈共謀罪あかんやろ! オール大阪〉がよびかけた抗議行動が大阪駅前(ヨドバシカメラ前)でおこなわれた。この間法案に反対してきた人々が、急を聞きかけつけ、300人を超える人々が歩道を埋めつくし、次々と抗議の声をあげた(写真上)

神戸 マルイ前で抗議

兵庫では神戸、尼崎など各地で共謀罪法成立に抗議する緊急行動がおこなわれた。 三宮では〈こわすな憲法! いのちとくらし! 市民デモHYOGO〉が呼びかけ30数人が集まった。共謀罪と安倍政権の独裁を批判するチラシなどを配布、ポスターを掲げ、反対署名を集めた。「共謀罪法が成立しても委縮しない。さらに市民の運動を拡げていこう」と呼びかけた。通りかかった女性は、「今後、参加したい」と。
「共謀罪『樺美智子さんの6月15日』に強行採決! 暴挙を糾弾!」の横断幕が目を引いた。

尼崎では労組がよびかけ

 強行採決された15日の夕方、兵庫県尼崎市では尼崎地区労が呼びかけ、緊急抗議行動がおこなわれた。労働組合、市民団体など40人がJR尼崎駅北の2階デッキに集合し、抗議のビラまきとアピールを実施。この日は県知事選の告示日だったが、通行人の関心はこちらに。宣伝カーから、都築徳昭尼崎市議の司会で、木村真豊中市議、尼崎地区労議長、全港湾大阪支部副委員長などがアピール。共謀罪と森友・加計学園事件を弾劾する訴えに、退勤時の市民が大きな関心と共感を示した。

京都では850人が弾劾の声

15日、参議院本会議で共謀罪法が強行採決されたことにたいして、怒りに燃える労働者市民850人が京都市役所前に集まり、弾劾の声をあげた。主催は1000人委員会京都連絡会、京都共同センター、市民アクション@京都、4度目も廃案にさせるALL京都の4団体。連帯ユニオン、きょうとユニオン、京建労などの労働組合も参加。
主催4団体、京都弁護士会、若者が発言した。1000人委員会京都連絡会の代表は、「政権の維持のために無理やり強行採決したことは許せない、廃止に追い込むまでたたかいぬく」と決意を表明した。

雨中に5200人が廃案求める 6月13日 日比谷野音 あふれる

6月13日夜、「共謀罪法案を廃案に! 安部改憲NO! 6・13市民集会」が日比谷野音で開かれ、雨の中を5200人が参加した。「週内にも強行採決か」という状況の中、会場は、「共謀罪を絶対廃案へ」という決意に包まれた。
6時半の集会開始とともに場内は満杯になり、参加者が会場周辺にあふれた。主催者あいさつで海渡雄一弁護士は「共謀罪法案は公安警察による市民弾圧の口実を与える意図があると断ぜざるをえない。共謀罪の目的が政府にたいして声を上げる市民を萎縮させることにあるとすれば、私たちが絶対に黙らないことこそが重要だ」と訴えた。
各党の国会議員のあいさつに続いて連帯のアピール。労働弁護団の棗一郎さんは「共謀罪は私たちのプライバシーを侵害し、労働組合の正当な組合活動・運動を弾圧する道具として使われる。こんな法案を許してはならない」と訴えた。
日弁連憲法問題対策本部長の山岸良太さんは「共謀罪は市民の人権や自由を侵害する監視社会をまねく」と発言。日本ペンクラブの吉岡忍さんは「共謀罪は憲法違反。内心の自由、表現の自由にかんする法律ができると、それは必ず悪い方に転がる。政府を批判し反対することを犯罪としようとしている」とその危険性を指摘した。
このほか京都大学の高山佳奈子さん、グリーンピースジャパンの米田祐子さんなどが発言した。
最後に共謀罪法廃案に向けた行動提起がおこなわれ、会場に入れなかった1000人ほどの人も合流し、銀座デモに出発した。

沖縄と共謀罪がひとつに
1万8000人が国会を包囲
6月10日

10日開かれた「止めよう! 辺野古埋立て 共謀罪法案は廃案に! 6・10国会大包囲」に1万8千人が参加した(写真)
30度を超える暑さのなか、参加者が続々と国会周辺に集まってくる。集会は4つのブロックに別れて午後2時から始まった。
沖縄から参加した基地の県内移設に反対する県民会議の大城悟さんは「キャンプシュワブ前の座り込みは1070日に達しています。沖縄防衛施設局は一段と強硬な姿勢を強め、工事を進めている。私たちは決して負けるわけにはいかない。県民は知事とともに、全国の皆さんとこの国の未来、沖縄の平和をつくり上げていく」と発言。
続いて稲嶺進名護市長は「共謀罪の先取りが沖縄でおこなわれている。市民の安全を守るはずの警察・機動隊が逆に負傷者を出している。『何も言えない』『いつでも監視されている』そんな国にしないために国会に向かって、辺野古新基地を作るな、共謀罪は廃案にしろと訴えよう。私たちはけっしてあきらめない、それこそが私たちの力だ」と訴えた。
共謀罪NO! 実行委員会の海渡雄一弁護士は「共謀罪の問題点は、犯罪に当たる行為が不明確であること。そして国民にたいする監視が強められること。この2点だ。もっとも乱用の恐れがあるのが組織的威力業務妨害罪、組織的強要罪、組織的信用毀損罪。これらは、07年の自民党案では、削除されていたが、安部政権は削除しようとしない。これは、労組や市民団体の活動にたいして共謀罪を使うという宣言だ。沖縄のたたかいと連帯し、強行採決を絶対に阻止する」と訴えた。
このほか解釈で憲法9条壊すな実行委員会の高田健さん、安保法制に反対する学者の会の西谷修さん、日本ペンクラブの篠田博之さん、ジャーナリストの安田浩一さん、ヘリ基地反対協の安次富浩さんなどが発言。最後に、1万8千の参加者全員で国会を包囲した。

広がる共謀罪反対の声
市民がデモをSNSで拡散
6月11日 神戸

共謀罪反対運動が重大局面を迎えるなか、神戸市内の市民グループが準備してきた長妻昭講演会が11日開かれた。市民運動が苦手とする経済や福祉や年金などをテーマに学習を重ね、マニフェストをつくる作業でもあった。
元厚生労働大臣の長妻さんの話は、共謀罪、森友、加計と政治の話から始まり、格差・貧困、賃金さらに北欧の福祉を紹介。そして消費税「値上げ」までに及ぶ90分の熱弁。途中休憩をはさんで、民進党にたいする辛辣な意見も含め多くの質問が出され、それにも丁寧に応答。その後〈政治を市民の手にとりもどす会ひょうご〉が半年近くかけてつくった「みんなが幸せになるマニュフェスト」を発表した。
続いて5時からは共謀罪反対の緊急市民デモだ。集会だけで帰る人もいたが、デモだけに来る人も多数。冒頭長妻昭衆議院議員の報告を受け、岡崎宏美元衆議院議員の新社会党委員長就任を激励する会を終えた山下慶喜茨木市議など多数が参加。さらに遅れてくる人、とび入りの市民も入れて、デモの数はどんどん増え、集会数を上回る190人となった(写真)
勤労会館からそごう、三宮センター街から元町大丸前まで、道行く市民はデモに注目し、SNSでどんどん拡散。日一日と共謀罪の本質が暴かれ、加計問題への怒りが高まるなか、アピールが続いた。 6月8日には兵庫県弁護士会主催の800人の集会・デモもおこなわれた。

広島で500人がデモ

4日、「戦争する国STOP!『共謀罪』は許さない 6・4共謀罪廃案! 安倍政権打倒! ヒロシマ行動」が開かれ、市民ら約500人が集まった(写真)。主催は広島弁護士会で、下中奈美会長は「テロ対策という言葉はごまかし。人の内心に踏み込み、自由を奪う」と共謀罪をきびしく批判した。集会後、ストップ! 戦争法ヒロシマ実行委員会によるデモ。本通り商店街などを「共謀罪は今すぐ廃案!」とアピールした。

3面

安倍政権の「働き方」改革を斬る 第3回
官邸独裁で進む労働政策改編
森川 数馬

「人々のライフスタイルに直結するものであり、そして経営者、企業にとっても大変大きな課題」
「『非正規』という言葉を一掃して、同時に企業の生産性も上がっていく。日本がその中で輝いていく『働き方改革』を」
昨年9月、働き方改革実現推進室の開所式における安倍首相の訓示である。この発言の中に政策的な転換が示されている。本シリーズの第1回でも触れた「働き方改革」の柱は、労働政策の抜本的改編にある。結論的にいえば、労働組合を無力化し、かつてナチス政権がおこなったように賃金や労働条件、就労場所などの労働政策を国家が決定し、経営者を「経営指導者」とし、労働者を「従者」とする労働観である。(本紙200号森川数馬『21世紀の貧困と国家改造(下)』)。
「同一労働同一賃金の実現」「非正規雇用の待遇改善」「長時間労働の是正」などをかかげ、あたかも労働者のためにその要求をくみ上げるかのような体裁をとりつつ、実は大量の低賃金労働者を生みだし、資本にとって使いやすい労働者と労働環境をつくりだそうとするのがこの政策なのである。まさに〈過労死と格差の容認〉〈無権利労働の拡大〉のための「働かせ方改革」である。

昨年9月の第1回「働き方改革実現会議」

〈3・13合意〉の重大性

この「働き方改革実行計画」の“肝”が「3・13労使合意」だ。「残業の上限規制と罰則化」や「同一労働同一賃金、非正規待遇改善、長時間労働是正」という聞こえのよいかけ声とはうらはらに、8時間労働制を終焉させ、過労死の合法化をすすめるためには、この「労使合意」が絶対に必要だったのだ。これこそは労働政策改編の象徴であり、労働組合の“自殺”といっていいものである。合意文書は経団連会長榊原定征と連合会長神津里季生が署名したもの。
その核心は残業の「上限規制」にかんして「単月は100時間を基準値とする」(未満とは書いてない!)の合意だ。「歴史的大改革―企業文化や職場風土の抜本的見直しを図る」とか「不退転の決意」などの大仰な言葉のあとで、5項目確認の中で「基準値とする」としたのである。「月に100時間の残業付8時間労働」が基準とされたのである。

労働日の放擲

「労働日」の考え方が放擲された瞬間である。政府と経営者側は実行計画の最大の隠れたテーマであった「労働時間の8時間規制の突破」に、労働者側を代表するとする連合会長の合意をとりつけることに成功した証文が「3・13労使合意」文書なのである。その点でまさに「歴史的大改革」である。
こうして労働側のあらかじめの賛成を取りつけることによって、今後の労政審での論議、実行計画の法案化、国会での法案審議などすべてのプロセスで「反対意見」を完全に封じることが可能となったのである。ことはそれだけに終らない。労働政策が完全に首相官邸ににぎられることになる。筆者が警鐘乱打してきたナチス型労働政策の再来だ。
実際4月7日の労政審の労働条件分科会の冒頭で塩崎恭久厚生労働大臣は、この労使合意の画期性を称えた上で「原案のまま、スピーデイに法案化すべき」と迫った。これに労働者側委員も「同意を評価し、スピーデイな成案」と応じたのだ。従来ではありえない事態がおこっている。3・13合意の重大性を示すものといえるだろう。

プロセスの大改編

それは今回の労働政策決定プロセスにおける労働政策審議会(労政審)方式や「3者構成原則」の破壊に如実にあらわれている。これについてはシリーズ第1回でも言及したが、安倍政権による独裁政治の進行過程を示す重要な事態なので再度触れておきたい。表で示したのが現行の労働政策決定プロセスである。それはILO基準に則っている。
小泉政権の経済財政諮問会議の発足以来、このプロセスはしだいに無視され、首相の私的な有識者会議などが労働政策をほとんど決めるようになり、労政審議会は形骸化してきた。その傾向は15年9月施行の労働者派遣法改悪の過程に顕著であった。それでも形式上は「3者構成原則」があり、「最後の歯止め」の意味は残っていた。それが「残業代ゼロ法案」(高度プロフェッショナル制度法案)や「解雇の金銭解決法案」の成立を阻んできた。しかし、今回の労基法の根本的な転換をねらう「実行計画」策定ではそれが破壊される。むしろそれを目的にしているといってもいいだろう。

厚労省はずし

昨年9月の働き方改革実現会議の発足と一体で労働政策審議会の改編が準備されていた。昨年7月26日から「労働政策決定プロセスに関する有識者会議」がおこなわれていた。そこで労働者代表の前連合会長・古賀伸明に以下のようなツメがおこなわれた。それは「@多様化した労働者を代表しているのか、Aスピード対応、B労働政策は労使だけでなく国民論議に、C労政審を経ずに政府が労働立法可能」など超重要事項を次々と確認させられた。それだけでなく、「働き方改革」にかんする政策作成については「厚生労働省から分離して『働き方改革実現会議』で議論すべき」などと発言してしまっている。実際に「働き方改革実現会議」を切り回したのは経産省出身の内閣府政策統括官・新原浩朗だが、かれは労働政策にほとんどかかわったことがない。このような会議を、こともあろうに労働者側が積極的に推しているのである。
官邸、官僚、御用学者が経営者側とタッグを組んで労働者側を包囲し、その屈服を引き出す。この様相は、労働者派遣法改悪を法案化した有識者会議のそれとまったく同じ構図だが、今回は矩を超えている。

独裁化の手法

労働政策決定プロセスに関する有識者会議の結果を受けて塩崎厚労相は、「中長期的な視点で働き方や就業構造の変化にあわせた政策を議論」するとして、労働政策審議会の下に労働政策基本部会(仮称)を新設し、労働政策の決定プロセスを大幅に変更する方針を明らかにした。これは「公労使同数の三者構成に捉われない有識者委員で構成する」というもので、ここで「働き方改革」や就業構造に関する課題などの議論をおこなうという。
さらに現行の分科会・部会制度は維持するが、「労使以外の利害関係者を幅広く委員に任命し、多様な意見を反映させる」という考えを示した。これは首相官邸・内閣府を中心に進行中の独裁化の手法である。この30年で内閣官房スタッフは5倍に増えて1千人超となっている。各省庁の局長以上の人事権は閣議人事検討会議が握っている。こうした組織改革によって官邸と有識者会議や諮問会議が決めた方針をごり押しすることが可能になっている。まさに森友学園や加計学園でやったように「総理のご意向」、「官邸の最高レベル」をふりかざして、労働者の権利や生活を破壊しようとしているのだ。グローバル資本に「法にとらわれず〈自由〉に労働者などを使いたい放題」を許すこと、これが「働き方改革」なのである。次回は労働運動陣形はいかに対抗するのかを論じたい。

現行の労働政策決定プロセス
@法律制定・法律改正の契機としての社会的ニーズの把握、あるいは「経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)や「日本再興戦略」等における労働政策に関する論点や方向性の提示
A有識者などからなる研究会や検討会によるデータ分析、課題の整理
B公労使同数の三者構成からなる労政審における議論(労政審の建議を踏まえ、法案要綱を厚生労働大臣が労政審に諮問し、答申)
C労政審の答申を踏まえ、法案を閣議決定し国会提出
D国会審議の後、成立、施行に

法案阻止へ共闘ひろがる
共謀罪、森友、沖縄でデモ
6日 大阪

6日、「戦争あかん! ロックアクション御堂筋デモ」がおこなわれ250人が参加(写真左)。国会会期末が迫るなか、「共謀罪成立を許すな!」に焦点をあてた内容で、いつもの〈戦争あかん! ロックアクション〉主催に加え、〈「しないさせない! 戦争協力」関西ネットワーク〉、〈共謀罪あかんやろ! オール大阪〉が共催した。
デモに先立って、ロックアクション共同代表のこかく・そうはちさんが「安倍政権は追い詰められている。知恵と力をつくして共謀罪法案を廃案にし、それをきっかけに安倍政権を退陣に追い込もう」とあいさつ。
永嶋靖久弁護士が「共謀罪あかんやろ!オール大阪」として発言。森友学園問題を追及している木村真豊中市議、大阪憲法会議、戦争をさせない1000人委員会・大阪、「しないさせない!戦争協力」関西ネットワークがアピール。
最後に釜ケ崎日雇い労働組合の三浦俊一さんが発言。「沖縄の人々は、現実の運動の中で、共謀罪が具体的にどういう結果をもたらすものかよく知っている。山城博治さん逮捕の過程で、警察が一番知りたかったのは、いつ、どこで、だれとだれが何を話したのかという『共謀関係』。家宅捜索をおこない、多くの人を検挙した。沖縄の人びとはそうした現実を見ながらも平和のために抗っている。弾圧を加えてもゲート前の人数は増えている。沖縄のたたかいの未来にむけて大きな流れを作っていきたい」
集会後、参加者は音楽を交えながら、難波まで御堂筋をデモ行進した。(池内慶子)

4面

「ロウソクで大統領倒した」
沖縄・京丹後・韓国結び交流集会

沖縄と韓国から代表を迎えて、米軍Xバンドレーダー基地撤去を求める総決起集会(6月4日)

6月3日、4日と連続して、米軍Xバンドレーダー基地反対京都連絡会は、沖縄から高里鈴代さん、韓国からはサード配備反対金泉対策委員会の2人と円仏教星州聖地守護非常対策委員会の2人を迎え、集会を開いた。3日は京都市内で、沖縄・京丹後・韓国を結ぶ6・3連帯交流集会がひらかれ80人が参加した。
翌日の6・4京丹後総決起集会には、地元をはじめ、関西一円から300人が参加した。
韓国からの報告では、ロウソク革命で大統領を追放した息吹が語られた。
金泉対策委員会共同執行委員長のキム・ジョンギョンさんは、「サードミサイルは韓国を守るためのものだと米国は言うがまったく嘘。その防衛範囲は45キロ〜150キロ。米軍は星州から200キロ以上離れたソウルを守る気はない。守ろうとしているのは韓国最大の米軍基地・平澤だ。韓国、沖縄、日本、フィリピンそれぞれが連帯し共闘して、東アジアから米軍を追い出し、東アジアの平和を東アジアの人民の力で勝ち取らなければならない。」と述べた。
同じく金泉対策委員会共同執行委員長のパク・ヒジュさんは「私たちは武器ではなくロウソクで大統領を倒した。300日以上ロウソクをかかげている。子どもや孫達のために平和を実現しなければならない」と発言。
円仏教のキム・ソンミョンさんは、「円仏教は102年の歴史があり、星州のロッテゴルフ場のある山のふもとのソセンリというところが聖地である。プロテスタント、カトリック、仏教につぐ宗教勢力である。円仏教の円光大学は京都にある仏教大学と姉妹提携をしていて京都にはなじみがある。宗教は平和を求めることと弱者に寄り添うことが主要な二つの目的である」と語った。
韓国から参加した4人の語る言葉は、ロウソク革命に勝利した確信に満ちており、新しい大統領のもとで韓国を変えていくという決意と自信に溢れていた。その話は参加者を大いに勇気づけるものであった。(多賀信介)

違憲訴訟1周年 前田哲男さんが講演
戦争できる国にするな

5月30日、大阪市内で「戦争法」違憲訴訟提訴1周年記念として、軍事評論家前田哲男さんの講演会が開催された。「日本を戦争できる国にしてはならない」と題した講演の要旨を紹介する。(文責・見出しとも本紙編集委員会)

そもそも核の脅威の始まりは米ソの軍拡競争だったのに政府はあたかも「北」のミサイルだけ危機であるかのように演出している。
ミサイルが発射されたとき、地下鉄や新幹線を止めたが、「北朝鮮」から弾道ミサイルが来るとすれば7〜10分。4月29日の「北朝鮮」弾道ミサイルの発射は午前5時30分ごろ、地下鉄が止まったのは午前6時過ぎだ。それなのに“国民保護ポータルサイト”で、屋外にいる場合は「頑丈な建物や地下に避難を」、建物がない場合は「物陰に身を隠すか、地面に伏せて頭部を守る」などと指示している。これは、国民の身振り手振りを統制するもので、戦争中に原爆が落とされた時、8月10日に政府が出した「原爆対策」と似ている。

海外戦争への準備

戦争法は、全部で11ある法律を、たった110時間の一括審議で通してしまった。 武力攻撃・存立危機事態法は「我が国と密接な関係にある他国防衛」(集団的自衛権)を新設した。重要影響事態法は、従来「日本周辺」だった米軍支援の範囲を「地球の裏側」まで拡充した。国際平和支援法には「派兵恒久法」を新設した。「捜索救助活動」は戦場、戦闘下でも継続できる。PKO協力法には「駆けつけ警護」「宿営地共同防護」を追加。「危害射撃」を容認した。
南スーダンから自衛隊は戻ってきたが、次に派遣されるときは最初から駆けつけ警護や宿営地共同防護が任務となる。国民がPKOを受け入れた大きな理由は、働く自衛隊、災害派遣の海外版だ。働く自衛隊ではなくて、戦う自衛隊にしようというのが駆けつけ警護の本質だ。

米艦防護の仕掛け

自衛隊法95条を改正(2項を加えた)して武器防護規定を「米艦防護」のためにも使えるようにした。もとはといえば、「邦人輸送中の米輸送艦の防護」(2014年5月安倍首相記者会見)が名目だったが、実際は「カールビンソン艦隊の防護」に従事した。もし、米・朝が海上で衝突すれば、米艦防護は日本を米・朝戦争に引きずり込む。
ベトナム戦争の時にトンキン湾事件があった。波頭を魚雷と見間違ったことからベトナム戦争がおきた。このように戦争は、誤報で始まることがある。米艦防護はすでに始まっているが、その内実はわれわれには知らされない。
共同哨戒やTHAADミサイルの導入で対「北朝鮮ミサイル防衛」の最前線になる。南シナ(中国)海「海洋の自由作戦」への参加で、対「中国海洋封じ込め戦略」の鉄砲玉になる。国際平和支援法により多国籍軍または有志連合の一員に引きずり込まれ、対「イスラム国壊滅作戦」に派兵することになる。

戦争を回避する

総理府(現内閣府)は1972年から3年に一度、3000人を対象に面接聴取方式でおこなっている。その 調査の2015年実施分(最新)から一部を紹介したい。 〈自衛隊が存在する目的は何だと思いますか〉という設問にたいして、81・9%が災害派遣と答えている。国の安全の確保が74・3%、PKO等は42・1%である。国民が期待しているのは「働く自衛隊」だ。
1987年、アメリカのレーガンとソ連のゴルバチョフがINF(中距離核戦力)全廃条約を締結した。今の朝鮮半島危機を想起するとき、護憲だけではなく、日本の安全保障として、「東アジア版INF全廃条約」をトランプと金正恩の双方に働きかけるようなことを考える政党が待ち望まれる。

民族を超える共生社会共同体
5月23日 崎浜盛喜さん 琉球を語る

5月23日の「世直し研究会」で崎浜盛喜さん(奈良―沖縄連帯委員会代表)が、〈「民族・国家」を超えて「共生社会共同体(ユイマール)」へ〉というテーマで講演した。以下、崎浜さんの講演要旨を紹介する。 (文責は本紙編集委員会)

沖縄差別の背景

昨年、大阪府警機動隊員による「土人」差別発言があった。その歴史的背景について考えたい。
1879年、琉球処分は軍隊約400人、警官160人を派遣し、武力をもって沖縄県を設置した。このとき、琉球処分官・松田道之は次のように述べた。「子(琉球人)等猶(な)ほ悟らすして、旧態を改めさるときは、新県に於(お)いては子等は到底用ゆるを得可(べか)らさるものなし、百職皆(み)な内地人を取り、遂(つい)に此土人は一人も職に就くを得る者なくして、自ら社会の侮辱を受け、殆(ほと)んと一般と区別さるること、恰(あたか)も亜米利加の土人、北海道のアイノコ等の如(ごと)きの態を為すに至るへし。而(しこう)して、是(これ)子等の自ら招く所なり。」(布告「沖縄県下士族一般に告諭す」)
沖縄は朝鮮、台湾の植民地と同じような政策が採られた。徹底した皇民化教育がおこなわれた。これは植民地政策の原則「沖縄人をして沖縄防衛の任務にあたらせる」ためにおこなった。日清戦争・日露戦争に勝利していくなかで沖縄での民衆世論は日琉同化論に大きく傾斜していった。その行きつく先が沖縄戦であった。「集団自決」や住民虐殺は、この歴史的文脈で捉える必要がある。

差別・排外主義の罠

沖縄独立論を考えるうえで重要なのは、人類館事件と大阪府の解放教育副読本『にんげん』(全国解放教育研究会編集、中学生版)をめぐる問題だ。
1903年の人類館事件は、第5回内国勧業博覧会が大阪で開催された際におきた。会場付近に「人類館」という見世物小屋が建てられ、アイヌ民族・台湾の先住民族・琉球人・インド人・ハワイ人・中国人・朝鮮人など32人の男女が民族衣装を着て生活し、見世物にされた。これにたいして、沖縄からの抗議は「琉球人が生蕃(台湾先住民のこと)やアイヌと同一視され、劣等民族とみなされるのは侮辱」(「琉球新報」)とする差別に満ちたものであった。
一方、『にんげん』をめぐる問題は、祖国復帰運動の流れのなかで起きた。69年7月、『にんげん』に「沖縄の問いかけるもの」が採用された。これにたいし、70年10月、琉球政府行政主席・屋良朝苗が大阪府・市教育委員会に削除を要請した。
71年2月、大阪沖縄県人会は「沖縄県人は訴える」という声明を出した。この声明では部落差別は心情的差別だが、沖縄差別はサンフランシスコ条約による制度的差別としたうえで、「制度的差別をもって、心情的差別に内在する蔑視の観念が、今沖縄県人に加えられていないということである」と述べている。
ところで屋良朝苗の「削除要請」や大阪沖縄県人会の「声明」に兵庫県人会と「関西沖縄県人差別問題研究会」は反対を表明している。この事は強調しておきたい。
この2つの事件で、琉球(沖縄)人は琉球(沖縄)差別から解放されるために他の民族を差別・蔑視する排外主義に陥るという重大な過ちを犯したのだ。

沖縄の自立解放へ

ナショナリズムから共生思想への転換が必要ではないか。わたしは琉球独立の構想として「共生社会共同体」を主張している。琉球(沖縄)人は人間の尊厳に覚醒した人間として自立し、琉球(沖縄)の現在と未来は琉球(沖縄)人が決定する自己決定権を確立し、もって琉球諸島を貫く「共生社会共同体」(ユイマール)を建設するのだ。ここから共産主義社会を展望していく。これは理想と言われるかもしれないが、戦略はしっかり持っておくべきだ。

5面

寄稿
治安維持法違反女性第一号を母にもって
『母と私―九津見房子との日々』の著者 大竹一燈子の生涯
大庭 伸介

 15日、安倍政権は「現代の治安維持法」共謀罪を強行成立させた。治安維持法による弾圧の実態はどのようなものであったのか? 被告とされた人の家族の人生に及ぼした影響は?―を改めて問い直してみたい。

大竹一燈子さんは今、東京・立川市の老人ホームのベッドに身を横たえている。彼女は1914年、大阪府中河内郡瓜破村(現大阪市平野区瓜破)に生まれた。母親は治安維持法違反で女性最初の被告になった九津見房子。房子は山川均の影響を受けて社会主義に目覚め、18歳のとき特別要視察人とされて、日常生活を警察の監視下におかれていた。父親は無教会派のキリスト者で、「大正の奇人」と言われた高田集蔵。
房子は実生活に全く関心を払わない集蔵と別れ、一燈子とその妹を連れて東京に移った。そして、堺利彦訳で秘密出版された『共産党宣言』のガリ版切りや、夜店で社会主義のパンフレットを売ったりした。
1921年、「婦人の解放なくして真の解放はありえない」と、日本最初の女性社会主義者団体赤瀾会を結成。その年、第2回メーデーに十数人の仲間と共に、女性として初めて参加して検挙された。
その後間もなく、新しい伴侶三田村四朗と大阪印刷労働組合を組織。その頃ストライキで収入がなくなると、沢山の子どもを抱えた労働者が、やむなく脱落するケースが少なくなかった。 房子らは同志社や京大の講師をしていた生物学者の山本宣治(以下、山宣と略す)を訪ねて、産児調節(バースコントロール)の指導を依頼した。山宣も実際運動への参加を望んでいたので意気投合。産児調節運動はたちまち全国に広がった。産児調節研究会の看板を掲げた房子たちの家に、山宣は足繁く出入りするようになった。
房子は三田村と共に、岡山県の藤田農場争議や浜松の日本楽器争議などで長期間家をあけることが多かった。そのため幼い一燈子は実父集蔵や知人に預けられ、奈良や東京、千葉など各地を転々とした。だから一燈子は義務教育もまともに受けることができなかった。

インタナショナルの合唱に感動

大阪で母親と暮らしていたとき、一燈子はストライキやデモに連れていかれ、ストライキは楽しいものだと思った。大阪印刷労働組合の事務所も兼ねていた房子たちの家には、若い労働者や学生が入れ替わり立ち替わり訪ねてきて、一緒に食事をし泊まり込んでいった。一燈子は彼らの議論を耳にして、社会主義の世の中が早く来ればよいと思うようになった。彼らと一緒にインタナショナルの歌を合唱し、最後のリフレインに感動して、こみあげるものを感じた。
左翼労働運動の指導者鍋山貞親のつれあいから「面白いよ、あんたも行こ…」と誘われて、阪神電車の野田駅前で『無産者新聞』(日本共産党の合法機関紙)の立ち売りもした。売り手が美人だったせいかよく売れたが、一燈子は自分の力で収入を得られたことが何よりもうれしかった。しかし発行禁止処分が相次いだため、この活動は続けられなくなった。
1927年に入ると房子の一家は東京に移り、完全に地下生活に入った。一燈子は他人との接触を禁じられ、房子から「今後は私を“おばさん”と呼ぶように」と言い渡された。
やがて三田村が共産党北海道地方オルガナイザーになったので、1928年1月、母娘もそのあとを追って厳寒の札幌に入った。一燈子は機関紙『北海労働者』のガリ版印刷を手伝い、「天皇制廃止」や「日本共産党」という文字を初めて目にした。
間もなく3・15事件(共産党に対する一斉検挙)で、母娘は札幌警察署に連行された。そのとき、一燈子は14歳になったばかりだった。指の間に鉛筆を挟まれ骨が折れそうなほど締め上げられたり、お下げの髪をつかんでつっぱられたりの拷問を受けた。一燈子は意識的に大きな声で泣くことで必死に耐えた。母房子は裸にされて竹刀で滅多打ちされ、全身が腐ったカボチャのようにブクブクになってしまった。警察は娘の泣き声が母の耳に、母のうめき声が娘の耳に聞こえるように仕向けた。
母の房子はかつて大杉栄から「ああいうところでは『知らない』『忘れた』で押し通せ」と言われていたとおり、何もしゃべらず、一枚の調書も満足にとらせなかった。

女性であるが故の屈辱的な拷問

代議士になった山宣は、札幌刑務所の未決監で房子と面会した。彼女のズロースは血で真っ赤に染まっていた。山宣は女性であるが故の下劣で屈辱的な拷問(「エロ・テロ」と言われた)を受けた実態をつぶさにつかんだ。
緊急勅令による治安維持法の改悪(死刑と目的遂行罪を導入)を事後承認するために国会が召集された。山宣はそこで3・15事件の拷問の生々しい有様を暴露・糾弾した。そして治安維持法改悪決定の日、彼は右翼の凶刃に倒れたのである。
一方、一燈子は連行されてから40日後に出所した。両親を権力に奪われ(三田村も1929年に検挙)、生活力のない実父を頼ることもできず、共産党シンパの作家や音楽家などの家を転々とする日々を送っていた。
しかし義父三田村に面会したとき、「プチブル文化人にチヤホヤされて喜んでいては駄目だ。労働者として働き〈革反〉をやれ」と言い渡された。〈革反〉とは革命的反対派の略称で、既成の労働組合に潜入して左翼の分派を組織する運動である。
一燈子は三田村の指示に従って、渡辺政之輔(共産党の労働者党員第1号。後に委員長)の母てうと関まつ(1918年の米騒動で左翼の指導者として唯一人逮捕・起訴され、後にソ連に渡りスターリンに粛清された山本懸蔵のつれあい)を頼って行った。二人がやっていたトンちゃん屋に同居し、経歴を隠してバスの車掌になった。
一燈子が〈革反〉を始めようとすると、毎日のように共産党のさまざまな外郭組織から、機関紙やパンフ、ビラが渡された。すべてその日のうちに読み終えて処分しなければならないので、眠りにつくのは深夜遅くになってからであった。職場の同僚から「あんたの目は兎のように赤いのでスグにわかる」と言われる始末であった。結局何もできないままに、履歴詐称がバレてクビになってしまった。
1933年、母親房子が非転向で満期出獄した。駅頭に出迎えた一燈子と並んだ写真が「赤い母娘」の大見出しで各紙に掲載された。
1941年、太平洋戦争突入の直前、房子はゾルゲ事件に連座して懲役8年を宣告された。彼女は「唯一の社会主義国家ソ連を何としても守らなければ…」という思いで、日本の対ソ戦についてのゾルゲたちによる諜報活動に協力したのである。その頃、一燈子は画家志望の男性と結婚して、床屋の嫁になっていた。和歌山の女囚刑務所から届く母親の手紙を、市井の人となっていた一燈子は周囲の目をはばかりながら読んだ。

我々も歴史修正主義と無縁でない

オウムに対する破防法の団体適用阻止の闘い以来、相次いだ治安立法に反対する集会に参加するため、私は年に何回か東京に出掛けるようになった。その都度、国立市に住む一燈子を訪ねて、お話を聞く機会を持った。
彼女は「私は何も活動して来なかった」と口癖のように言っていた。しかし現実の社会の動きをよく観察していて、私にも鋭い質問を発した。彼女の話のなかで、印象深いものを二、三紹介すると―
幼い頃、毎年桃の節句には雛人形のかわりに、母が桃の小枝を手折ってきて部屋に飾ってくれた。大人になってからも、それを続けてきた。しかし、ある年の3月、三里塚闘争で年老いた女性が機動隊員に暴力を振るわれている姿をテレビで観て以来、この闘いが終わるまで桃の花を飾らないことにした/60年安保のとき、東大出身でない学生が全学連の委員長になったので、これは期待できそうだと思った/戦前から戦後にかけて共産党は大衆の意識とかけ離れた独りよがりの考え方で、さまざまな過ちを重ねてきた。しかし共産党を批判して登場した「新左翼」と言われる人たちも、同じような過ちを繰り返している。どうして過去の運動の歴史から学ぼうとしないのか、不思議でならない。
とくに、この最後のことを私と話すたびに強調していた。
『母と私―九津見房子との日々』(1984年、築地書館)は、一燈子が十数年間も寝たきりのつれあいを介護しながら執筆した70歳のときの作品である。幼い頃から辛酸をなめつくしてきたにもかかわらず、恨みがましい表現は全く見当たらない。だれも経験したことがないような母娘関係と、目まぐるしく変転する環境のなかで育まれた人間観察眼と強固な意思の結晶を見る思いである。
子どもの目に映った左翼運動の内面が、ときにはユーモラスに、抑制のきいた見事な筆致で描かれている。この作品は苦境の中で成長する少女の姿と共に、私たちに貴重な教訓を与え、多くの問題を投げかけている。
〈継承性の欠落〉は、日本の反体制運動全般にわたる悪しき習性である。右翼的な歴史修正主義が横行するなかで、それと対決し勝利しなければならない左翼が歴史修正主義に陥っては、シャレにもならない。
急激な戦争国家化のもとで、治安弾圧態勢の強化に立ち向かおうとする者にとって、大竹一燈子の一生が問いかけているものを主体的にとらえかえすことは、決して無駄な作業ではない。

6面

書評
差別主義者による犯罪
保坂展人『相模原事件とヘイトクライム』(岩波ブックレット 16年11月発行)

2016年7月26日の相模原事件はいくつもの意味で「異様な」事件である。
過去に無差別大量殺人事件は、繰り返し起きていた。秋葉原、下関、大阪池田小学校など。しかし、それらの事件の加害者は、みんな社会から疎外され自暴自棄になって起こされたものだ。しかし相模原事件をおこしたUは、それらの加害者とは明確に異なった形相を見せている。Uは日本の社会のために、「正義」のためにやったとうそぶいて憚らない。 相模原事件は「無差別殺害」ではない。施設の職員には危害を加えない、軽度の障がい者は殺害の対象としない。重度の障がい者を選別的に殺害した目的意識的「差別的」殺人である。
驚くべきことに事件の発生前に、容疑者Uは、まず安倍首相に「要望書」を渡そうとしたが官邸警備が厳重であったため、衆議院議長大島理森に手紙を渡していた。それには、障がい者を抹殺すべしという趣旨が述べられていた。
以上のような事実にたいして、安倍政権はUの障がい者抹殺の思想について何の言及もしようとはしない。相模原事件を逆手に取って、精神障がい者の監視体制の不備という方向から、むしろ障がい者への差別と管理を強化しようとする方向に利用しようとしている。安倍政権を構成する面々にとって、Uの思想は決して否定すべき内容ではないからだ。だが、障がい者の公然たる大量殺害は、現在の安倍政権にとっては大衆に面と向かって公言すべき事柄ではないが故に、曖昧な態度に終始している。
Uが精神障がいの疑いで措置入院となったのは、障がい者の大量殺人をほのめかす文書を大島に提出したことをもって、大量殺人を平気で公言するものは精神障がい者だと偏見に満ちた論理から断定したからである。Uに精神障がいの疑いがあって、そのUが障がい者の抹殺を公言したのではない。本末転倒な論理である。
事件から半年を経過したが、日本でのその後の世間の反応には違和感を抱かざるを得ない。事件にたいする安倍政権の対応の仕方について、マスコミは非難ないしは疑問の声を上げようとしない。

優生思想が根本原因

本書では、障がい当事者の声、ナチスのT4作戦について多くのページをさいている。相模原事件を、単なる大量殺人事件ではなく、日本に蔓延するヘイトクライムに基づいて起こるべくして起こった事件として警鐘を鳴らしている。
本書を読んで、特別心に残った言葉は次のものである。
「差別の反対は何か? 普通に考えれば、差別の反対は平等とか公平となる。しかし、差別の反対は無関心である。この無関心こそが一番曲者で、怪物のようなものである。」(P51)
運動に携わっている我々の場合、「革命」という言葉には非常に熱心だが、相模原事件を含め具体的な現実の問題には無関心としか思われない場面は多い。「無関心」こそは、我々にとっても最大の問題だ。
本書では、単にナチスのT4作戦に触れているだけではなく、ナチスが優生思想を生んだのではなく、ナチスの登場のはるか以前、1800年代の半ばからフランシス・ゴルドンやアルフレッド・プレッツらによって優生思想が提唱され、英国、米国、スウェーデンなどで具体的な政策が実施され、これらの上にナチスが存在していたことをも述べている。障がい者「安楽死」計画がナチスのもとで遂行されたのは事実だが、これはナチスの計画ではなく計画の生みの親は医者であり実行者も医者であった。その医者の大多数はナチスではなかった。計画を強力に支持したのは、ドイツの指導的立場にあり、国際的にも定評のある医学教授や精神病理学の権威だった。一握りの悪魔の思い付きではなく、優生思想に基づき障がい者を殺害することが社会の進歩であり正義であるとする広範な土壌の中で実施されたものである。
また戦後、これらT4作戦に関わった多くの医師たちは、犯罪者として処罰されることもなく、ドイツにおける医学会で重要な地位を占めていたという。日本においても、731部隊とそこで繰り広げられた生体解剖などの犯罪に関係した多くの医師たちが戦後、犯罪者として裁かれることなく、日本の医学界の主導的位置を占めていたことも同時に想起されるべきである。

多様性への無理解

障がい者抹殺の論理は、国家が労働力として役立たない人間を「無価値」とし、その対象を次々に拡大していく。現にナチスは障がい者のみならず、一部には高齢者、傷痍軍人の殺害にまで及んだ。それが国防軍にも漏れ伝えられ「士気にかかわる遺憾な事態」として抗議を受け、ナチスは慌てて取り繕ったといわれる。多様性への無理解、他者への共感の欠如が、最後には加害者自身をも抹殺の対象とする自滅の論理をなしている。
ナチスの宣伝相ゲッペルスは小さい頃の病気で足が不自由であった。空軍司令官ゲーリングは麻薬中毒、突撃隊司令官のレームは同性愛者、親衛隊指導者ヒムラーはオカルト・マニアであった。ヒトラーやヒムラーらの間では、親衛隊幹部ハイドリヒは「ほぼユダヤ人」と断定されていた。ナチ体制は、建前では障がい者や同性愛者などを「社会の敵」として抹殺すべしと叫びながら、その本人たちがその「社会の敵」そのものであるというダブル・スタンダードから成っていた。ナチスに限らず、現在の日本における優生思想を主張する者についても、ダブル・スタンダードがまかり通っている。
所詮、人間社会は多様性から成り立っている。この事実を自分に都合よく捨象し、自分の気に入らないものを社会の敵として排斥しようとする。これが優生思想の真の姿だ。
相模原事件は、過去に繰り返されてきた無差別大量殺人事件のひとつとして裁かれてはならない。裁かれるべきは、優生思想の問題だからである。

投稿
尼崎市で緊急集会開く
精神保健福祉法改悪に反対

兵庫県尼崎市で、5・14「相模原事件と精神保健福祉法“改正”」緊急集会がおこなわれ73人が参加しました。人数が多いことが良いことという立場ではないですが、この時期立ち見が出るほどの関心の高さを示したことは、全体情勢にも影響を与えると思います。
相模原事件はヘイトクライム(差別犯罪)であり、精神保健福祉法改悪は方向が違う上に、精神しょうがい者にヘイトクライムを加えることです。読売新聞大阪本社編集委員で精神保健福祉士の原昌平さんのテーマに沿った話はとても良かったです。一般参加者には率直な疑問をしゃべる人が多く、偏見に基づいた疑問を述べる人も多かったです。講師の原さんは受けて返すのがうまいなと感じました。率直な疑問を解決できて同じ方向を向けたのならそれが一番ですが、どうだったのでしょうか。
精神しょうがい者の知っている顔も多かったけど、その人たちからの発言は私以外は一人だけ。「変な方向の質問が続いているから発言しようと思ったが、もう時間がないと言われて止めた」という精神しょうがい者もいました。あまかれん(尼崎精神福祉家族会連合会)の発言、主催者として発言したしょうがいしゃの親の発言は全体を締めるものでした。知的しょうがい者の団体であるピープルファースト・ジャパンのメンバーや、相模原事件が忘れ去られていくことに抗して毎月街頭に立っている〈リメンバー7・26神戸アクション〉からの発言もありました。私は精神しょうがいしゃの立場から、国会の報告と自見はなこ議員の差別発言のことをしゃべりました。
精神保健福祉法改悪の問題点は、全体としてはっきりしたと思います。ヘイトクライムに怒りを持ってたたかっている人たちに呼びかけて参加いただいたのですが、それらの人々と共同の思いで精神保健福祉法改悪に反対することが確認できたことは成果でした。みんながそれぞれに考えていただいたことは次に繋がると思います。
なお報告集を作成予定で、予価300円です。
gen1951@nifty.comまでお申し込みください。(高見元博)

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