未来・第220号


            未来第220号目次(2017年4月6日発行)

 1面  辺野古新基地
     埋め立て「承認」撤回へ
     翁長知事 県民集会で表明

     成田空港拡張反対
     強制執行阻止へ「緊急署名」
     反対同盟が全国に呼びかけ

     安倍政権の暴走止めろ
     国会議員会館前に4千800人
     3月19日

 2面  共謀罪を永久廃案へ
     4月23日は“全国一斉共謀デー”

     閣議決定を弾劾し
     緊急院内集会開く
     3月21日

     森友学園不正事件の徹底追及を
     政権と日本会議の金権腐敗

 3面  投稿
     辺野古に座り込む(上)
     「平和と民主主義」を守る最前線
     兵庫県 青木 守      

     新垣毅講演会
     辺野古とオール沖縄会議
     沖縄の自立と自己決定権     

 4面  3・11 6周年
     さよなら原発関西アクション
     被ばくの強制と対決

     3・11 びわこ集会
     原発のない社会へ

     京丹後米軍レーダー基地
     撤去へ持続的な現地行動

     高浜3、4号機運転禁止覆す
     大阪高裁が逆転判決
     3月28日

     前橋地裁
     東電、国の責任認める
     被害者救済求め院内集会

 5面  検証 福島原発事故から6年
     事故の抹消はかる安倍政権
     津田 保夫

 6面  康宗憲さんの講座から B
     「日朝関係―制裁と対立からの脱却」
     拉致問題の衝撃、解決への道は

     生活保護引き下げ違憲訴訟
     命を奪う国の詐欺的手法

       

辺野古新基地
埋め立て「承認」撤回へ
翁長知事 県民集会で表明

辺野古埋め立て承認の撤回を表明した翁長雄志
県知事(写真左)。右端は稲嶺進名護市長
(3月25日 名護市内)

3月25日、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前で、「違法な埋め立て工事の即時中止・辺野古新基地建設断念を求める県民集会」が開かれ、県内外から3500人が参加した。主催は、辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議。
午前11時の集会に先立ち、高江・辺野古の抗議行動中に不当逮捕・起訴されて5カ月余り身柄の拘束が続き、18日に保釈された沖縄平和運動センター議長・山城博治さんがあいさつ。「大会参加のみなさま、帰ってくることができました。ありがとうございました」と感謝を述べると「博治コール」と共に大きな拍手が沸き起こった。
集会は、オール沖縄会議共同代表・玉城愛さんの「県民みんなで翁長知事を支えて、新基地は絶対に造らせないという思いを持っていきましょう」のあいさつで始まった。呉屋守将、高里鈴代共同代表の発言につづき、県選出の6人の国会議員の発言があった。それぞれが「辺野古新基地建設阻止」へ力強い決意を述べた。
各地の島ぐるみ会議の発言の後、翁長知事が登壇。知事の登壇に市民は大きな拍手と指笛でこたえた。翁長知事がキャンプ・シュワブゲート前に登壇するのは知事就任以来初めてである。市民はその発言に集中した。

絶対に造らせない

翁長知事は「私たちは絶対に辺野古に新基地は造らせないという思いで結集している。今日から沖縄の新しいたたかいが始まるという意味で、私も参加させてもらった」「今の新辺野古基地の状況を見ると、米軍占領下を思い出す。銃剣とブルドーザーで家屋をたたき壊して新しい基地を造り、県民の住む場所を奪って今日までやってきた。今、国の辺野古を埋めるやり方は、あの占領下の銃剣とブルドーザーと全く同じ手法で、あの美しい大浦湾を埋めようとしていると強く感じている」「国は県に岩礁破砕の許可を得る必要があるのに無視して通り過ぎようとしている。いろんな申請があるのを通り過ぎようとしているが、私の胸の中にひとつひとつ貯金として入っているので、この貯金をもとにあらゆる手法をもって、撤回を、力強く、必ずやる」と述べた。
そして翁長知事は移設を阻止するため、辺野古沖の埋め立て承認を「撤回する」ことを初めて明言した。市民の「オッー」というどよめきと、力強い拍手が鳴り響いた。県民の翁長知事にたいする期待と、共にたたかう熱気が一気に爆発した。翁長知事は最後に沖縄の言葉で「頑張りましょう。今からですよ」と締めくくった。市民はさらに大きな拍手と声援を送った。

抵抗は友を呼ぶ

共同代表の稲嶺進名護市長がまとめをおこなった。稲嶺市長は「日本政府の思いが、強権という形で覆いかぶさってきている。それでも私たちは負けるわけにはいかない」「子や孫のために、どう行動し、どのような決断を導き出すのかがわれわれに課された責任だ」と結んだ。
最後に、「弾圧は抵抗を呼ぶ。抵抗は友を呼ぶ」「今こそ立ち上がろう」「県民と全国の多くの仲間の総意として『違法な埋め立て工事の即時中止と辺野古新基地建設の断念』を強く日本政府に求める」などの決議を採択、「がんばろう」を三唱した。
(杉山)

成田空港拡張反対
強制執行阻止へ「緊急署名」
反対同盟が全国に呼びかけ

成田市内で開かれた全国総決起集会
(3月26日)

「市東さんの農地を守ろう! 第3滑走路粉砕!」。3月26日、三里塚全国総決起集会が成田市内で開かれた。主催は三里塚芝山連合空港反対同盟。全国から780人が参加した。
成田空港会社・国の手先となった最高裁は昨年10月、「市東さん耕作の農地明け渡し」という反動判決を下した。現在、請求異議裁判が提訴され、攻防が続いている。市東さんの農地強制収用の危機は切迫している。 この日の関東は寒波と断続的な小雨。旗ざおを握る手も凍えたが、「何としても阻止せねば」という思いが募った。萩原富夫さんの基調報告に聞き入った。「市東さんの耕作権裁判が有利にすすんでいること、請求異議裁判のための保証金緊急カンパも200万円を上回る額が寄せられ、『その判決までの執行停止』をかち取ってきた」と報告された。「騒音下住民の空港にたいする怒りが高まっていることや、『反対同盟ニュース』を周辺5000戸に継続して配布していること。その手ごたえも感じられる」という。運動の新しい展開に期待と支援をおくりたい。
連帯のあいさつでは住民団体から関西実行委員会代表の永井満さんが発言。「三里塚はたたかいの原点。その力をもらい、かつて淡路での空港反対運動に勝利できた」。
全日建運輸連帯労組近畿地本の西山直洋書記長は、「2月、関西で『三里塚50年に際して』集会を、動員に依らずに大きな成功をかち取った。共謀罪法案弾劾のため断固ストでたたかうことを組合で決定した」と報告。
反対同盟の市東孝雄さんは、「悪いものは悪い。そう言い続け、沖縄や福島とともにたたかい続ける。参加できる方は、畑の草1本でも抜きに来てもらって、ともにたたかいましょう」と、確信に満ちた笑顔で支援を訴えた。
決戦本部長の太郎良陽一さんのアピール、団結ガンバローで閉会。700人の隊列で成田市街へ力強くデモで出発、「市東さんの農地を守ろう!」と訴えた。
次回の請求異議裁判は、5月25日。反対同盟は「農地取り上げ判決に異議あり! 強制執行請求の不許可を求める」緊急署名を実施中。5月中旬までに全力で取りくもう。
(署名用紙は、三里塚芝山連合空港反対同盟のブログからダウンロードできる) 

安倍政権の暴走止めろ
国会議員会館前に4千800人
3月19日

3月19日午後1時半から「安倍政権の暴走止めよう! 自衛隊は南スーダンから直ちに撤退を! 3・19国会議員会館前行動」が戦争させない・9条壊すな! 総がかり行動実行委員会の主催でおこなわれ、4800人が集まった。
主催者あいさつで前日夜に沖縄平和運動センター議長の山城博治さんが保釈されたことが報告されると、大きな歓声と拍手がわきおこった。

共謀罪を阻止しよう

日本共産党、民進党、社会民主党の国会議員から連帯のアピールがあり、共謀罪NO! 実行委員会の海渡雄一弁護士は「犯罪がまだ発生していないのに、話し合ったことを警察の捜査対象とする、これが共謀罪の危険性の根本だと思います」「テロ対策というのは大嘘です。組織犯罪防止条約は、経済犯罪が対象です。日本は、テロ対策の国際条約13本すべてを批准していて、新たな法律の必要もありません」と発言。最後に21日の閣議決定阻止と4月6日の日比谷野音大集会への結集を呼びかけた。
沖縄一坪反戦地主会・与儀睦美さんは「辺野古では、コンクリートブロックが美しい大浦湾に投入されました。3月31日は、埋め立て許可の期限切れの日です。国はこれを無視して工事を続けようとしています。私たちは、当日、新宿アルタ前で抗議行動をします。4月8日には文京区民センターに安次富浩さんがみえます。皆さんお集まりください」と沖縄のたたかいへの結集を訴えた。
日弁連の山岸良太弁護士、(福島原発)避難の協同センター事務局長・瀬戸大作さんからもアピールがおこなわれた。
最後に、戦争させない1000人委員会の福山真劫さんから行動提起があり、国会に向けて、安倍政権弾劾のコールで、この日の行動を終えた。

2面

共謀罪を永久廃案へ
4月23日は“全国一斉共謀デー”

「共謀罪反対」で国会前に多くの市民・労組が集まった(3月6日)

3月6日、都内で共謀罪(テロ等準備罪)法案の国会提出に反対する行動が取り組まれた。
午前中、全国の争議団でつくる争議団連絡会議(争団連)は、東京地裁前に集合し、「共謀罪反対」のシュプレヒコールを上げた。その後、弁護士会館前で、「共謀罪法案の通常国会上程阻止! 現代版治安維持法の制定を許すな! 永久廃案を勝ち取るぞ! 霞ヶ関集会」を開いた。

「処罰の間隙」

救援連絡センターを代表して発言した足立昌勝さんは、「現行の刑法では話し合っただけでは罪にならない。共謀罪はそれが罪になる。法務省が出している277の対象犯罪のうち143は未遂罪があるが、残り134は未遂では処罰されない。自民党の佐藤正久参院議員はブログで「処罰の間隙」があると書いている。処罰根拠がない。日弁連の中本和洋会長には昨年の刑法改悪の際のように裏切ることなく、がんばっていただきたい。最後までたたかいましょう」と訴えた。
また集会では、4月23日の「全国一斉共謀デー」への参加が呼びかけられた。

4・6日比谷野音へ

正午から衆院第二議員会館前で、「話しあうことが罪になる 共謀罪国会提出を許さない国会前行動」。主催は、市民団体・マスコミ労組・法律家団体が結成した「共謀罪NO! 実行委員会」。
午後1時半からは参議院議員会館講堂で、「共謀罪NO! 実行委員会」主催(総がかり行動実行委員会協賛)の院内集会が開かれた。発言者のひとりである京都大学大学院法学研究科教授・高山佳奈子さんは「『東京五輪のためのテロ対策』はウソだ。法案の内容は、パレルモ条約(国際組織犯罪防止条約)との関係でも説明できない」と政府の姿勢をきびしく批判した。
集会では4月6日に『共謀罪反対! 日比谷野音集会・デモ』への大結集を実現し、共謀罪を葬り去ろうと行動提起がおこなわれた。

百人委員会を結成
反対運動の拡大へ

3月7日午後1時から、衆議院第一議員会館多目的室で「共謀罪創設に反対する百人委員会」結成集会が開かれ、共謀罪に危機感を持つ人々が会場を埋めた。
政府は当初、3月10日の閣議決定をもくろんでいたが、「テロ等準備罪」としながら、「テロ」の文言が法案に一言も入っていないことで与党内からも異論が続出していること、何よりも、反対の声が大きな広がりを示していることなどから、さらに反対運動を広げるために、この集会は企画された。

弾圧の武器を警察に

集会は、日弁連共謀罪法案対策本部事務局長の山下幸夫弁護士の開会あいさつで始まった。山下さんは「オリンピックに向けた『テロ対策』を口実に市民運動、労働運動などを弾圧しようとしている」「特定秘密保護法、安保法制、盗聴法の拡大につづき、これ(共謀罪)を通すことによって、安倍政権に反対する市民運動や労働組合を弾圧するための武器を警察に与えるもの」と厳しく批判した。
足立昌勝さんは、法案の問題点について「政府は、法案の対象範囲を676から277の犯罪に減らしてきたが、そのなかには、予備罪や未遂罪の規定のない罪も多い。それらをすべて、計画段階から裁くことになる」「共謀罪では、2人以上の『謀議』が用件だったが、これを『計画』と言い換えることによって、謀議がなくても合意があれば対象になると、さらに、ハードルを下げようとしている」「百人委員会は、今日結成された。今後は、1万人集会が開けるようにがんばりたい」と運動の強化を訴えた。ジャーナリストの斎藤貴男さんの発言につづいて、百人委員会のメンバーからの発言に移り、清水雅彦日体大教授、石川裕一郎聖学院大教授、弓仲忠昭弁護士などが共謀罪の危険性を訴えた。また、民進、共産、自由、社民各党の参議院議員が、法案阻止に向けてともにたたかう決意を述べた。

大阪弁護士会が300人で市内デモ(3月13日)










閣議決定を弾劾し
緊急院内集会開く
3月21日

3・21、安倍政権の「テロ等準備罪」閣議決定を弾劾する院内集会が開かれ140人が参加。主催は「共謀罪創設に反対する百人委員会」。神奈川県弁護士会の岩村智文さんが法案の問題点を指摘した。
まとめの発言で関東学院大名誉教授の足立昌勝さんは、「4・23 1億3千万人共謀の日」を全国各地で取り組もう。百人委員会を1万人委員会にまでひろげよう」と提起。最後に、「共謀罪法案の閣議決定を弾劾する声明」を採択した。

森友学園不正事件の徹底追及を
政権と日本会議の金権腐敗

森友学園への国有地払下げにかんする不正事件で、安倍政権は3月23日の籠池泰典理事長の国会喚問で幕引きをはかったが、完全に失敗した。
籠池証言によって、「安倍首相からの100万円寄付」の様子が生々しく再現されたばかりか、首相夫人付秘書の谷査恵子が財務省に「口利き」をしていた事実を暴露するFAXが公表されたのだ。
証人喚問によって窮地に立たされたのは安倍政権のほうだった。喚問から4時間後には安倍昭恵のフェイスブックで反論した。ところが「実際に書いたのは官僚なのでは」という疑惑が広がり、かえって昭恵本人の証人喚問を求める声が高まっている。
菅官房長官は籠池が暴露したFAXは「夫人付秘書の個人行動」で、「内容もゼロ回答」だったと火消しに懸命になった。
しかしこのFAXのやりとりから半年後に財務省は、森友学園側の要望額をはるか下回る破格値で国有地を売却したのである。まさに「満額回答」以上だったのだ。

日本会議人脈

この事件の核心には日本会議人脈がある。日本会議は安倍政権に深く食い込んでいる。現役閣僚の8割が日本会議に関連している。
日本会議は、安倍政権の下で教育再生実行会議が設置されると、これへの浸透をはかってきた。大阪では維新と一体で育鵬社教科書の採択に暗躍していた。彼らは幼稚園で教育勅語を暗唱させるという森友学園による「瑞穂の國記念小學院」を安倍教育改革のモデル校にしようとしていたのである。だからこそ首相夫人が名誉校長に就任し、その背後で政権に絡む人脈が小学校設立に向けて動き出していたのだ。そのことを称して籠池は「神風が吹いた」と証言したのだ。

市民の追及が発端

安倍政権と森友学園をつなぐ人脈の中で重要なのは、稲田朋美防衛相と松井一郎大阪府知事である。
稲田朋美は関西の右翼の有名人物の家に生れ、「生長の家」で育ってきた。夫の稲田龍示弁護士は森友学園の顧問弁護士で、稲田夫妻と籠池夫婦は旧知の仲である。
また松井一郎が籠池夫婦と深く関係していたこともテレビ報道で判明した。資金難、教員不足、偏向教育、塚本幼稚園の体罰など問題が山積みだった森友学園の小学校設立申請を、認可したのは松井府知事だ。
この森友学園の不正な国有地取得の事実を明らかにしたのは木村真豊中市議ら市民の追及によるものだ。あと半月この追及が遅れていたら瑞穂の國小學院は設立されていたのだ。
3月22日には市民230人が大阪地検に近畿財務局の職員(氏名不詳)を刑事告発した。引き続き森友学園と安倍昭恵、近畿財務局と大阪府教委の責任を問い、森友学園事件の全貌を明らかにしよう。(野田章)

森友学園国有地払下げ不正事件

2013年
6月〜9月 近畿財務局8770uの国有地の取得希望者を公募
8月5日  森友学園、国有地への小学校設立を鴻池事務所に 相談
9月13日  森友学園、近畿財務局への口利きを鴻池事務所に相談
2014年
4月    安倍首相夫人、豊中市の校舎予定地を籠池夫妻と視察 
10月31日 森友学園が大阪府私学審議会に認可申請
12月    大阪府教委私学審議会で意見続出、継続審議に
2015年
1月27日  私学審議会が臨時会で条件付き認可
2月10日  国有財産近畿審議会が「定期借地契約」を了承
5月29日 10年以内の国有地売却前提に「定期借地契約」を締結(賃料年間2730万)
7月〜12月 森友学園、敷地内の汚染土などを撤去(費用1.3億)
9月3日  安倍首相が迫田財務省理財局長と会談
9月4日  安倍首相大阪入り
       近畿財務局・大阪航空局・設計会社・建設会社が打ち合わせ
9月5日  安倍昭恵が瑞穂の國記念小學院名誉校長に就任、100万円寄付?
10月    籠池理事長が安倍昭恵の留守電にメッセージ
11月17日  首相夫人付から籠池理事長にFAX回答
2016年
3月11日 森友学園が新たな地下埋設物を近畿財務局に連絡
3月14日 近畿財務局・大阪航空局が現地確認
6月20日 鑑定額9億5600万から、ゴミ撤去費約8億を差引きし、1億3400万円で売買契約
2017年
2月8日   木村真豊中市議の公文書開示要求で、国有地払下げ不正事件が表面化
2月17日 安倍首相「関係していたら、首相も国会議員も辞職」と国会で発言
3月23日 籠池理事長 国会で証言



3面

投稿
辺野古に座り込む(上)
「平和と民主主義」を守る最前線
兵庫県 青木 守

オール沖縄に触れる

3月上旬の4日間、地域の市民グループ一行5人で沖縄へ行きました。平均年齢は65歳。私の沖縄行きは、名護サミット反対闘争以来10数年ぶり。しかしその間、普天間の「代替地」とされた名護市と辺野古では、営々とたたかいが続けられてきました。
辺野古に座り込み、オール沖縄の不屈さと息吹を肌で感じることができました。辺野古のたたかいは稲嶺市長、翁長知事を誕生させ、高江ヘリパッド反対と一体になり、いま全国の反基地闘争の中心です。「勝つためには、諦めないこと」という稲嶺市長の檄、「新基地は絶対に作らせない」という翁長知事、オール沖縄のたたかいにふれ、「ヤマトンチュ」として安倍政権とたたかわねば、という思いを新たにした4日間でした。
「平和と民主主義」への最前線が辺野古にあります。
辺野古のキャンプ・シュワブは、普天間と同じ米海兵隊基地です。海兵隊は真っ先に戦場に投入される殴り込み部隊。陸海空の3軍機能を有します。沖縄の米軍基地群の著しい特徴は、海兵隊基地が多数置かれていることです。米軍犯罪の数も突出しています。
基地は「人殺し」のための施設であり、人間性とは対極の存在です。激しい訓練が常態化、昨年12月には夜間給油訓練中のオスプレイが墜落しました。世界でもダントツの過重な負担を強いられている沖縄に、新基地建設とは誰も納得できません。県民の8割以上が反対なのに、それでも押し付けようとするのは沖縄への差別政策の延長そのもの。しかし、単なる延長ではないと気づかされました。

気持ちを一つに

2日は午前中、3日は朝8時から午後3時まで座り込み。キャンプ・シュワブの正面ゲート国道沿いに100bに及ぶテントが張られています。すぐ横には「撤去警告」の立て看板。本部テント横に、休憩用と宿泊用のテント。トイレは「送迎専用車」で公共施設、コンビニで借ります。
座り込む工事用ゲート前には機動隊のカマボコ車が2台、護送車が1台。その前にブロックに板を渡した即席の長椅子を作って座ります。
全国、地元から2日は約130人、3日は嘉手納でも行動があったため40人ほど。両日とも9時前に工事用車両が到着、機動隊にかたっぱしからゴボウ抜きにされました。 そのあとは抗議集会。司会は沖縄平和運動センターの大城悟さん。北海道から関東、長野、石川、愛知、福岡と全国各地からの参加者が大城さんに促されアピール。知花昌一さんら僧侶3人の発言が印象的でした。
私たち5人も「兵庫から」と紹介され、それぞれ発言しました。国道を走る車からも手を振る人、クラクションでエールが交わされ、すっかりうれしくなりました。
3日は、ちょっと少ない参加者を元気づけるように名護市議の大城敬人さんがマイクを持ち、その白い上着には「Sit in 命がけ 狭心症」の文字がくっきり。大城市議の話では、「当初、立候補を固辞していた稲嶺さんをみんなで懸命に口説いた。最後は嘉陽おじぃの『祖先の安眠を妨害させてはならん』の一言に、稲嶺さんは腹をくくった」とのこと。市議会も市長派が多数となり、翁長知事誕生の原動力になった、と話しました。
途中、体操をしたり、歌唱指導に合わせ歌ったり、手拍子で掛け声をかけたり。緊張の中でも「楽しい、元気が出る」座り込み。「新基地を作らせない」「絶対に翁長知事、稲嶺市長を支えよう」「辺野古の自然を守ろう」という、みんなの気持ちが一つになった集会でした。

自衛隊の増強

沖縄基地の「特別の位置」について。宮古、石垣に自衛隊の駐屯地(基地)が作られようとしており、宮古の司令部は地下7メートル、対ミサイル戦想定です。3000人の島嶼「防衛」部隊の配備とあわせ、沖縄・先島諸島を「対中国封じ込め」の最前線にしようとしています。辺野古は「アメリカとの約束で仕方なし」ではなく、自衛隊との日米共同使用を想定していると言われています。本土、私たちにとっても、自衛隊にも大きな転換点です。地元の方々の発言では、そのことが強く訴えられました。それは「第2の沖縄戦」への道であり、とんでもないこと。沖縄に巨大な基地があるからこそ、中国は「尖閣」をあいまいにできないのでしょう。帰ってから『未来』を繰ってみると、199号に小多基実夫さんが的確に暴露し、批判していました。 (つづく)

(写真はいずれも3月2〜3日、キャンプ・シュワブゲート前で、撮影は同行者)

新垣毅講演会
辺野古とオール沖縄会議
沖縄の自立と自己決定権

関西・沖縄戦を考える会の講演会が3月24日、大阪市内で開かれ、100人が集まった。テーマは「沖縄からの問い〜 自己決定権をめぐって〜」。講師は琉球新報記者の新垣毅さん。一昨年、高文研から『沖縄の自己決定権―その歴史的根拠と近未来の展望』という本を出している。

生活次元の差別

新垣さんは、自己紹介をしたうえで、東京に単身赴任して住居を借りる際に、大家から「琉球新報には部屋を貸さない」という自らの沖縄差別の体験を語った。これは、沖縄の基地問題を最大の焦点とする構造的沖縄差別の生活次元における実態の一つだ。こうした差別主義・排外主義が沖縄差別に限らずさまざまな形で噴き出し激しくなってきていることにたいし、危機感を持って対決していく必要性を訴えた。
つづいて、辺野古―高江における米軍基地建設強行の実態と、南西諸島の軍事強化=陸上自衛隊配備の動向、オスプレイの墜落事故など、安倍政権の新安保体制と日米地位協定下の沖縄の現状を具体的に暴露した。そして、海兵隊は無用であり、政府が言う「抑止力」、「辺野古が唯一の移設先」、「県民の理解を得ながら基地建設を進めていく」はペテンで、「沖縄の基地負担軽減」と言いながら実際には基地負担を増大し、基地建設に固執し強行する日本政府こそ、琉球併合以来の沖縄差別の元凶であることを明らかにした。
またこの世の地獄となった沖縄戦の教訓として、「軍隊は住民を守らない」「ヌチ(命)ドゥ(こそ)宝」ということが今日の沖縄県民のたたかいの基礎として歴史的に継承されている。沖縄の「負担」を例えれば、戦争のトラウマ(心の傷)に刺さるナイフだと語る新垣さんの言葉は重い。

沖縄の自立

さらに、「もうこれ以上、基地の犠牲にされるのは我慢できない」という一連の重要な選挙でも明瞭に示された沖縄県民の切実な民意を踏みにじる日本政府にたいし、沖縄の自立をかけた自己決定権をますます鮮明にし、磨き上げながら貫いている現在の沖縄県民のたたかいの意義を強調した。
辺野古の現場でたたかっている人たちやオール沖縄会議に象徴されているものこそ、まさに自己決定権を貫き沖縄の自立を確立していくたたかいそのものである。かつての復帰運動の全県的なたたかいを上回る質の高さと強固さが示されていると語り、県民の主体的力を発揮して沖縄の歴史的変革と未来を切り開き創造していく展望があることを指し示した。
最後に、沖縄のたたかいにおける国際連帯の重要性、東アジア共同体構想と沖縄の役割など、人権感覚を磨き沖縄の明るい夢やビジョンを描きながら具体化していくことも大事だと提起した。
そして、沖縄と連帯し「本土」で自らのたたかいとしてつくり出せるか、ということが問われていると強調して、講演を締めくくった。(武島徹雄)

4面

3・11 6周年
さよなら原発関西アクション
被ばくの強制と対決

集会後、御堂筋を大行進(3月12日 大阪市内)

「3・11」から6年が経過した今年3月12日、大阪市内で「さよなら原発関西アクション」がおこなわれた。午前は大阪市中央公会堂で河合弘之弁護士と崎山比早子さんの講演を中心におこなわれ、午後からは中之島公園女神像前でコンサート、その後、本集会がひらかれた。1500人が参加した。
河合さんは、開口一番、「日本は超地震大国、津波大国だ。原発は精密機械だからそんな国で原発を作ってはならない」と述べた。「世界初の原発が作られてから60年。その間にスリーマイル、チェルノブイリ、福島。3回も起きている。あらゆる方法で再稼働を遅らせよう」と訴えた。
崎山比早子さんは「低線量被ばくの健康影響」をテーマに講演。
体の設計図であるDNAが放射線によって傷つけられると、間違った修復や修復不能になる場合もある。そうした変異は細胞に溜まっていくと説明した。
20ミリシーベルト帰還政策ついてはICRP(放射線防護委員会)は放射線量の閾値はなく、リスクは線量に比例することを前提に1ミリシーベルトから20ミリシーベルトの低い方を基準とするよう勧告しているが、日本政府は高い方を採用していると指摘し、政府のやり方を批判した。

「避難解除」を批判

午後の本集会で発言した長谷川健一さんは、原発事故後、8人家族が3カ所に分かれてすんでいることや、飼っていた50頭の牛を処分せざるをえなくなった現状について語った。またチェルノブイリを訪れたときの体験にふれて、30年前の事故当時、子どもだった人たちが、成人し子どもを生んでいるが、その子どもたちにいろいろな症状、病状が出ている話を聞き、子どもたちは帰るべきではないと政府の「避難解除」政策を批判した。
生活インフラも揃っていない、ビジョンもまったく示されていない、地元の人たちとの十分な協議が何もないなかで、帰るかどうかの判断を迫られている。
長谷川さんは、伊方原発、大飯原発、大間原発にも行ったけれどどこも避難はできないと語り、最後に「われわれの責務として、汚されない大地を次の世に継いでいく、これがわれわれに残された使命ではないでしょうか。みなさん、よく考えて、こんな手に負えないものをなくす、そういう強い思いで、これからも頑張っていきましょう」と結んだ。

事故の真相究明を

続いて、「避難の権利」を求める全国避難者の会共同代表、うのさえこさんが登壇。うのさんは福島県から京都府に避難している。うのさんは、「3・11」当時の自らの経験を語り、今も収束できず、毎日7000人が事故現場で働いていることや、除染労働に6年間でのべ3000万人を超える人たちが従事したことなどを話したうえで、東京電力元幹部3人にたいする刑事裁判への注目と支援を訴えた。
また、避難者たちは避難先で真相究明と被ばくを強いる政策に抗うために各地で起こした民事訴訟は31件、原告は1万2539人に上ること、近畿でも神戸、大阪、京都の各地裁で裁判が進行していると話した。
そして「汚染状況が深刻なままの避難指示解除は間違っています。避難の権利保障も居住リスク補償もないまま、避難指示解除をすることはなりません。」「原発が一度事故を起こせば、何百年もの間、土や海や山の木々は汚染されます。人々の人権は奪われ、被ばくを受け入れることを強要され、生きる尊厳を傷つけられます。こんな悲惨な事故は、福島で終わりにしなければなりません。私は福島原発事故の悲惨さを知る一人として、未来世代に責任を感じる大人として、すべての原発は絶対に稼働させてはならない」と、強く訴えた。
蛯名親子の力強い伸びやかな歌と演奏の後、原子力発電に反対する福井県民会議事務局長・宮下正一さんが登壇した。
宮下さんは、もんじゅ廃炉決定の喜びを語りながらも、しかし安心はできませんと。なぜなら、福井にはもんじゅを含めて15基の原発があるからだ。「福井の高浜や大飯が事故を起こしたら、その風向きは日本列島を覆いつくすことになる。この大阪市も必ずたくさんの放射能が降り注いで、ここに住めなくなる可能性も十分にあります。」だから、高浜3・4号、大飯3・4号、高浜1・2号、美浜3号の再稼働をなんとしても止めよう。関西全域で反対の輪を作りたい。私たちは必ず勝つ。なぜなら勝つまでたたかうからですと訴えた。(沢井芳子)

3・11 びわこ集会
原発のない社会へ

3月11日、「原発のない社会へ 2017びわこ集会」が大津市の膳所公園でおこなわれ、1000人が参加した(写真)
集会では、平尾・米原市長と藤澤・日野町長が連帯あいさつ。滋賀県知事、大津市長、三井寺などからメッセージが寄せられた。基調報告は、昨年、大津地裁で高浜原発3・4号機の運転差止決定を勝ち取った仮処分裁判の弁護団長・井戸謙一弁護士。井戸さんは世界的に原発が行き詰まっている現実を説明し、福島原発事故被災者のきびしい現実に心を寄せ、原発推進者や国を厳しく糺し、それを許している私たちの責任を明確にした。来年のびわこ集会まで1年、ひとりひとりが力を尽くそうと提起。
集会後、関電大津支店前を通りパルコ前までデモ行進をした。

京丹後米軍レーダー基地
撤去へ持続的な現地行動

3月13日、米軍X バンドレーダー基地反対京都連絡会は、市議会開催中の京丹後市への申し入れをおこなった。京丹後市庁舎では、市議会各会派を訪問。基地対策室で市長への申し入れ書をわたした。応対した下戸室長は、穴文殊の上にある米軍のトイレの問題について、「市として撤去を申し入れている。市は高圧電線周辺での電磁波問題についても注視している」と話した。
その後、米軍基地前で抗議行動。レーダーの騒音はいつもよりも大きい。米韓合同軍事演習のためフル稼働しているようだ。袖志、尾和、中浜など各地区にビラ入れをして、この日の行動を終えた。

高浜3、4号機運転禁止覆す
大阪高裁が逆転判決
3月28日

3月28日、大阪高裁(山下郁夫裁判長)は、昨年3月の「高浜原発3・4号機の運転禁止を命じた大津地裁仮処分決定」と、昨年7月の「これにたいして関西電力がおこなった異議を退けた大津地裁決定」のいずれも取り消した。
午後3時すぎ、この決定が伝えられえると、裁判所正門に集まっていた100人を超える人々から怒りの声があがった(写真)
今回の大阪高裁決定は、原子力規制委員会が昨年8月に公表した『実用発電用原子炉に係わる新規制基準の考え方について』に依拠した関電の主張をそのまま認め、「3・11」などまるでなかったかのような信じがたい原子力ムラ追随の内容である。
この決定により関西電力は高浜原発3・4号機を再稼働することが法的には可能になった。今年1月に発生した大型クレーン転倒事故の後、福井県が関電に求めた「安全管理の総点検」を終え次第、燃料棒の装着、再稼働に進むとしている。
滋賀県の三日月大造知事は同日「再稼働を容認できる環境にはない」と語った。高浜3・4号機の再稼働を阻止しよう。

前橋地裁
東電、国の責任認める
被害者救済求め院内集会

現在、福島原発事故からの避難者による集団訴訟が全国各地で約30件取り組まれている。そのような状況のもと、3月17日に前橋地裁は、東電と国の責任を認める判決を下した。
これを受けて3月23日に「福島原発事故被害者の早期完全救済を求める3・23院内学習会」が開かれた。発言に立った原告や弁護士は口々に、東電や国の責任を認めたこと、避難指示区域外からの避難者への賠償も認めたこと(「自主」避難に合理性ありとした)などを前向きに評価した。その一方で、大半の原告にたいして既払い金額で十分と棄却したこと、賠償額に差をつけ分断を図っていること(避難に軽重などない)を批判した。
また、原告からは「描いていた人生設計が崩れて人生が変わってしまった」「立ち止まったら挫けてしまうと前に進み続けてきた6年だった」「希望からは程遠い絶望感と疲労感のなかにいる」「避難を続ける心労がいかに大きいか=逆風のなかで消耗していく」「たとえ戻っても、かつての故郷ではない」「(区域内なので)6年たっても何の変化もない、墓参りにも行けない」「特殊な目で見られている気がして近所付き合いが出来ない」などと、金額に換算できない心理的重圧のなかで裁判に取り組んできた苦労が語られた。そして60人の体制を組んで親身に寄り添ってくれたと弁護団への感謝が表明された。 さらに、多くの人が人災と認識する大きな契機であると確認され、@住宅支援打ち切りや帰還政策などを撤回させる運動につなげること、Aそもそもの原発政策を転換させること、B控訴を目論む東電や国に対峙していくこと、C継続中の他の裁判でも良い判決を引き出すこと、などの課題に取り組むことが訴えられた。

5面

検証 福島原発事故から6年
事故の抹消はかる安倍政権
津田 保夫

福島第一原発事故から6年が経過した。福島原発事故はすでに終ったかのように、福島の「復興」と住民の「帰還」が叫ばれている。今年3・11の政府主催追悼式典で、安倍首相は「福島においても順次避難指示の解除がおこなわれるなど、復興は新たな段階に入りつつある」といいつつ、原発事故という言葉は一言も発しなかった。原発事故の原因は何も究明されていないし、事故は収束もしていない。日々、汚染水は垂れ流され、放射能も出し続けている。政府は事故をおこした責任の所在はひたすら隠蔽し、「復興」を叫んでいる。
しかし、放射能で汚染された大地はもとに戻らない。これまで住民は生活していた地に住めなくなり、家族がバラバラになってしまった。被害者の生活はもとに戻ることはないのだ。
今日、安倍政権は「原発推進」政策に舞い戻り、次のような政策をおこなっている。@福島原発事故避難者の帰還A全国の原発再稼働B原発メーカーの救済と原発輸出。これらの政策をおし進めることによって、国は福島原発事故の事実を消し去り、事故以前の原発推進に戻すことをめざしている。
福島原発事故を繰り返さないフクシマの運動は、どのように進めるべきなのだろうか。その展望と課題について、以下の点について考えていきたい。

 避難指示区域の解除

今年3月で、政府は2012年から始めた除染工事をほぼ終える方針にしている。これまで除染に要した費用は約2兆6000億円に達する。環境省が除染した11市町村で空間線量の減少率は、農地(58%)、宅地(56%)、道路(42%)、森林(23%)にすぎない。国は住民の健康上の安全を確認し、帰還政策を出しているのではない。まだまだ人が住める状況ではない。避難者は、家族の健康を考えれば帰りたくても帰れないのだ。
政府は、除染の終了に合わせて避難区域を再編成し、帰還困難区域を除く避難指示区域の住民に帰還をうながしている。被ばく線量が年間20ミリシーベルトを下回ったとして、3月31日に浪江町、川俣町、飯館村、4月1日に富岡町の避難指示を解除する。対象者は3万2000人。これで避難指示地域の70%が解除される。また、東京電力は支払っている慰謝料(1人月10万円)を、2018年3月分で打ち切ると言っている。
もちろん帰りたい人もいるだろうが、帰りたくない人もいる。帰りたくない人の支援を打ち切り、強引に帰還させる。この政府方針は絶対に認めることはできない。

 「自主避難者」に対する 住宅支援の打ち切り

避難区域外避難者(「自主避難者」)の借り上げ住宅支援が、今年3月で打ち切られようとしている。打ち切りの対象は2万6000人。
ようやく避難した地で慣れ、地域とのつながりもできた。今の所に住みたいというのが多くの避難者の思いだ。放射線量をみても、まだまだ帰れる状況ではない。避難したい人にたいしては、避難の権利が認められるべきである。避難の権利は誰にでも等しく与えられなければならない。
避難者の立場に立って対応する気があれば、国が主導して避難者の「特定入居」を認めればすむことなのだ。しかし、国は「打ち切りは福島県が決めたこと」と言って、責任逃れをしている。
区域外避難者は、避難の権利を求めてたたかっている。居住地域の行政と交渉している。地方自治体では、人道的立場から住宅提供の期限延長や家賃補助など独自の支援策をとるところも出てきているが、自治体によって格差があり課題も多い。
県外避難者の子どもにたいするいじめ問題がマスメディアでとりあげられている。この事は深刻な問題ではあるが、政府は帰還を促すためのキャンペーンに利用している。

 避難者集団訴訟の判決

今年、避難者集団訴訟の判決が、次々に出される。大きな争点は「長期低線量被ばくによる健康被害の有無」および「子どもの健康被害への悪影響を恐れて区域外避難を選択したことの合理性」についての判断である。「必要もないのに勝手に避難した」という国の主張を認めてはならない。
3月17日、「原子力損害賠償群馬原告団」訴訟(原告137人)で、前橋地裁は東電と国の過失を認め、賠償を命じる判決を出した。福島原発事故をめぐって、国の責任を初めて認めた。全国各地でたたかわれている「原発避難者集団訴訟」(20地裁・支部で28件)で初めての司法判断であり、この判決の意義は大きい。一方、補償額が大幅に減額され、補償が認められなかった原告が半数以上(72人)いることなどに不満は残る。
また、「福島原発被害千葉集団訴訟」(「ちば訴訟」)が1月31日に結審、9月22日に判決。「生業を返せ! 地域を返せ!福島原発訴訟」(「なりわい訴訟」)も3月21日に結審し、10月10日に判決が出る。この2つの裁判でも「東京電力は津波を予測できたかどうか」の論点で争われており、群馬訴訟での勝利は決定的だ。
「福島原発刑事訴訟」公判は、なかなか始まらない。東電が引き延ばし戦術を取っているからだ。2015年7月31日に東京第5検察審査会が「東電元幹部3人を起訴すべき」と議決し、翌年2月に強制起訴をおこなった。それからすでに1年が過ぎている。今年3月29日に、やっと公判前整理手続の第1回協議がおこなわれるが、初公判がいつ開かれるのか見通しは立っていない。
国と電力会社は「国策民営化」路線で原発を推進してきた。事故の責任は国と東京電力にある。東電幹部の責任は明確にされなければならない。

 小児甲状腺がんの現状   (福島県民健康調査)

福島県内では甲状腺がんが多発している。それは小児だけではなく、大人にもその傾向はみられる。
福島県民健康調査はすでに2巡目検査が終了し、昨年5月から3巡目検査が始まっている。今年2月20日におこなわれた第26回「県民健康調査」検討委員会の発表をまとめておく。
小児甲状腺がんの発症率は、100万人に1〜3人と言われている。この表からみても、福島では数百倍多発していることがわかる。しかし、検討委員会は「多発ではない」「原発事故の影響とは考えられない」と言っている。
昨年9月26〜27日に第5回目の「福島国際専門家会議」(主催:日本財団)が開かれた。発言者は「原子力ロビー」に近い立場の研究者ばかりで、「福島はチェルノブイリとはちがう」「福島で多数のがんが見つかっているのは、感度の高いスクリーニングによる過剰診断が原因」との意見があいついだ。
昨年8月には、福島県小児科医会の会長が「県民健康調査」を縮小するよう要望書を県に提出し、社会的に大問題となった(『未来』209・210号参照)。12月9日、日本財団の笹川陽平、笹川記念保険協力財団の喜多悦子理事長、長崎大学の山下俊一副学長の3人が、福島県の内堀雅雄知事を訪問し、「甲状腺がんの増加が原発事故に起因するとは考えられないから、学校で実施されている甲状腺の集団検診を改め、自主検査にする」ように知事に要請した。国は、これ以上「健康調査」をやりたくないのだ。

 汚染水、汚染土問題

現在、福島第一原発の敷地内には約1000基のタンクが造られており、そこに貯蔵されている高濃度汚染水は100万トンに達する。毎日、約600トンの地下水が原発敷地内に流れ込み、毎日300トンの汚染水がタンクに貯蔵され続けている。
地下水の流入を防ぐために、350億円の公費を使って「凍土壁」が造られた。しかし、これは期待されたほど効果はなく、地下水は流入し続けている。この「凍土壁」を維持するには、一般家庭の消費電力1万3000軒分が必要なのだ。
汚染水に含まれるトリチウム(水分子を構成する水素原子の同位体)は、ベータ崩壊をする放射性物質(半減期12・3年)だ。しかし、トリチウムは浄化装置で取り除くことはできない。原子力規制庁は、「安全基準値内だから大丈夫」という理屈をつけて、「薄めて海洋に放出する」ことを狙っている。このたくらみを許してはならない。
除染工事で出た汚染土の処理計画も破綻している。福島では中間貯蔵施設の整備が遅れ、フレコンバッグがいたるところに積み上げられている。中間貯蔵施設の保管期間は30年なのだが、このままでは搬入を終えるのに100年もかかるのだ。福島県外の汚染土については処理の方法さえ決まっていない。
環境省は処分する汚染土を減らすために公共工事の盛り土などへの再利用を推し進めている。住民の安全を無視したとんでもない方針だ。

 脱被ばくと脱原発

原発事故後、国はどのように対応したか。原発事故によって、本来であれば「放射線管理区域」(4万ベクレル/u以上)に指定しなければならない土地が広大にうまれてしまった。政府は住民への補償金負担を減らすために、許容線量を年間1ミリシーベルトから20ミリシーベルトに引き上げた。
すでに1999年に「原子力災害対策特別措置法」が制定されており、その理念では政府は放射線被ばくから住民を守る対策をとる必要があった。しかし、政府は住民を守らなかった。政府は住民が立ち上がることを恐れ、真実を知らせなかった。この政府である限り、原発政策は何も変わらないだろう。
加害者である国は、被害者をきりすて、2020年に「オリンピック」を催すことで、最終的に福島の「復興」を終わらせようとしている。このような「オリンピック」は断じて認めることはできない。

 結び

原発事故だけではなく、本質的に国家は人民を守らない。沖縄戦で沖縄の住民は「日本軍は住民を守らない」ことを体験した。この体験が、今日の沖縄の辺野古新基地反対のたたかいに繋がっている。同様に、福島第一原発事故被害者のたたかい、避難者の存在とたたかいは、今後の大きな展望を指し示している。
3・11以降、われわれは「脱被ばく」を現実的な課題に抱えてしまった。その意味では、「脱原発」と「脱被ばく」は一体の運動だ。これらを包摂した概念として反原発を位置づけ、われわれは原発に反対するすべての運動を反原発運動として一体的にたたかっていく必要があるのではないか。

6面

康宗憲さんの講座から B
「日朝関係―制裁と対立からの脱却」
拉致問題の衝撃、解決への道は

連続講座B「拉致問題の衝撃、解決への道は」を紹介する。(文責・編集委員会)

拉致事件とは何か

拉致事件の背景、問題の長期化について考えてみたい。70年代から80年代にかけて起きた朝鮮の特殊機関による日本人拉致事件、それは許し難い犯罪であり人権蹂躙である。
朝鮮は南北、米朝の敵対関係、国際的な孤立の下で、軍特殊部隊に絶対的権限を与えていた。戦前日本の憲兵機関もそうだったが、絶対的権限を与えられると、実績をあげなければならない。それを指導部が評価する、歯止めがきかなくなる。
かかわった機関、上層部も独断が許され、人権感覚は麻痺し道徳的退廃が蔓延する。それらが容認されたことは悲しいし、きわめて残念なことだ。
加えて長期の不正常な敵対関係が続き国交もなく、疑義を持つ者がいても究明し、対処する方法がない。公的な交渉の窓口がないということが、問題を長い間「疑惑」として放置させてしまった。
朝鮮は長い間、「そうした事実はない」と否定してきた。ではなぜ、02年の日朝首脳会談で朝鮮最高指導者が自ら拉致の犯罪を認めたのか。速やかに国交正常化したい、経済問題、国際的孤立から脱却したいということだ。事前に水面下で実務交渉がおこなわれ、拉致問題は集中的に議論されただろう。
日本側からは「拉致の事実を認めなさい。そうでなければ進まない」とされたはず。「認めれば、日本側も正常化へ努力する」と約束があっただろう。もちろん日本政府は、そういう事実を認めていない。しかし、朝鮮の政治体制で最高指導者自らが認め謝罪し、再発防止を約束するというのは並みたいていの政治決断ではない。決断の背景には、最も権威ある形で事件を認め謝罪し、この問題を解決したいという意志があったはずである。朝鮮の政治体制において、最高指導者の約束以上のものはない。

日本政府のスタンス

当時、日本側が要求した「12名の拉致被害者」について、朝鮮側は「4名生存、8名死亡」と発表した。そして12名になかった1名の生存を回答。「5名生存、残り8名は死亡、もしくは入境の事実がない」とした。
日本側は当然再調査を要求したが、私の推測では実務協議の間に朝鮮側は徹底調査したはず。事実を隠蔽し一部を取り残すということは、あの政治体制ではあり得ない。もしそうなら後世、金正日・最高指導者の名誉、尊厳、権威がすべて否定される。それはできないはずだ。 
再調査してこれ以上の事実が出るかどうか、私はあの国の体制を考えると悲観的だ。しかし、日本側にこの事実を受け入れる準備はできていない。時間をかけるしかない。小泉首相は、国交正常化を優先課題として押し切るつもりだっただろう。もちろん拉致への憤りもあっただろうが、拉致被害者家族に納得してもらう気持ちだっただろう。当時の安倍官房副長官ですら、そういうスタンスだった。
しかし、そうならなかった。国内世論の激昂、朝鮮への敵意、憎悪の蔓延、硬化。それは長期化し、日本社会の歴史認識の後退、過去の精算の回避、在日朝鮮人・民族教育への迫害などが広がった。日本が独自制裁を加えた06年以降、日朝の交流や往来は政府間のみならず市民レベルでも厳しく制限され、ほとんど途絶えた。相手にたいする冷静で客観的な情報は入ってこない。

解決は可能か

どうすれば相互不信、拉致問題を解決していけるのか。まず、何をもって「拉致問題の解決」とするのかが明確にされなければらない。日本政府の見解は、@全員が生還、戻ってくる、A事件の真相究明、B実行犯を日本側に引き渡すことの3点。
Bは、東京裁判のように戦勝国が敗戦国におこなう例はあるが、それ以外ではほぼ先例がない。Aは、これからも時間をかけてやること。問題は、@の「全員生還」。誰を、そして何人を全員とするのか。日本政府は02年当時、12名とし、その後の調査で現在17名と認定した。その後、民間団体は470名、警視庁のホームページは「拉致被害者864名」としている。これでは「行方不明者はすべて拉致被害者」というようなもの。これが前提になれば、政府間レベルの交渉は難しい。
朝鮮側にすれば「864人を返さなければ交渉できないのか」ということになる。日本政府は拉致問題解決へ、どの程度の認識かを正確に国内外に公表し、国内の反発を恐れず説得する覚悟が必要だろう。拉致問題担当大臣は「私が乗り込み、関係者全員と会う」くらいできないのか。青いリボンを付けていれば「やっています」ということではない。
朝鮮側からすれば、どんな発表をしても日本の国内世論は満足しないと思うだろう。調査、再調査結果を躊躇する理由がそこにある。「生存者がいるのに隠している。制裁を強化しろ。軍事攻撃でとり返せ」という世論に任せていいのか。
日本政府は責任を持って真剣に積極的に関係者に会い、調査はどこまで透明性があるのか専門家レベルで精査し、ある程度の透明性が確認できれば、残念で悲しいことであるが死亡した人の事実も受け入れなければならない。朝鮮政府は、最後まで説明責任を果さなければならない。
国家犯罪について終焉はない。最後まで被害国、当事者が納得するまで説明を続ける。それをサポートできる力は政府にはない。それは市民にある。
拉致問題のほか、根本的な歴史問題を念頭においた市民の相互交流、往来が大切だ。(つづく)

生活保護引き下げ違憲訴訟
命を奪う国の詐欺的手法

3月13日、生活保護基準引き下げ違憲訴訟第8回口頭弁論が大阪地裁でひらかれた。今回も傍聴は抽選となり大法廷の傍聴席は満杯になった。法廷に先立ち、最寄り駅「淀屋橋」前で街頭宣伝がおこなわれた(写真)
今回の原告の意見陳述は堺市に住むTさん(82歳女性)がおこなった。Tさんは清掃の仕事をしていたが息子が仕事でうつ病になって働けなくなり、Tさん自身も仕事中のケガで首になった。収入はTさんの8万円/月の年金だけである。家賃の5万円をさしひくと残りは3万円。これでは水光熱費、食費、医療費はとうていまかなえない。安い家賃のところに引っ越そうにも引っ越し代も出せない状況だった。そのためTさんは6回も堺市南区役所に生活保護の申請にいったが、同区役所は違法にも「娘がいるから申請できない」「親戚に頼んでからでないと申請できない」と追い返していた。
Tさんと息子は精神的に追いつめられ、自殺を考えるようになった。自殺を決意した日、Tさんと息子は家財道具をのこぎりでバラバラにしてすべて捨て、部屋をきれいに掃除した。死ぬ前にお参りしなければならないと近くの神社に向かったとき、その途中、「なんでも相談」というのぼりがあり、思わずその事務所に駆け込み、2011年6月、ようやく生活保護の受給ができるようになった。
Tさんのこのときの苦しい思いを裁判官も聞き入っていた。

国の手法の誤り

弁護団は、保護基準引き下げのために国が用いた手法の誤りを指摘した。国は「生活保護世帯と低所得世帯を比較したとき、低所得世帯の所得のほうが低い」として保護基準引き下げを合理化してきた。しかし、比較する低所得世帯に生活保護世帯を含めるかどうかで検証結果に大きな差が生じる。そのため、厚労省生活保護基準部会は「生活保護世帯を除いて比較するように」と国に指摘していた。しかし、国は同部会の指摘を無視し、国に有利になるように一方的に低所得世帯の中に生活保護世帯を含めていたのである。
弁護団はこのことを「例えば、あるクラスのテストの成績を男女別で比較するときは、当然、男女別々に集計しないといけないが、国の手法は女子のグループの中に男子を紛れ込ませて比較するようなもので、これでは正しい比較はとうていできない」と指摘した。

命がかかる生活保護

Tさんの例をみればわかるとおり、生活保護には労働者とその家族の命がかかっている。これを破壊する国の詐欺的手法をまかりとおらせてはならない。
今、職場のいじめなどによってうつ病になる労働者が増えている。Tさんのように家族丸ごとの生存権が問われるところにきている。労働法制改悪と社会保障解体は表裏一体の攻撃である。さらなるたたかいをやりぬいていこう。
次回口頭弁論は6月16日(金)午後3時。傍聴にかけつけよう。(矢田肇)