未来・第209号


            未来第206号目次(2016年10月20日発行)

 1面  原子力空母の母港撤回を
     10月1日 横須賀市で全国集会

     再稼働反対 戦争させない
     9月22日 代々木公園に9千500人

     沖縄への弾圧やめろ
     「翼賛国会」に抗議
     9月28日

     TPP強行採決許すな
     大阪でロックアクション

 2面  成田空港拡張計画
     周辺地域は騒音地獄
     9日 三里塚反対同盟が全国集会

     基地をつくらせない闘いを
     参院議員 糸数慶子さんが訴え
     10月10日 大阪

     「原発に退場の道筋つける」
     井戸謙一弁護士が講演
     大阪

     沖縄・高江ヘリパッド建設工事
     「逮捕恫かつ」怯まず抗議

 3面  泊原発の再稼働許すな
     青森・札幌・泊 8日間の集中行動      

     共謀罪
     自由な議論が犯罪に
     絶対に国会に出させない     

     原発のない社会へ 毎年集会
     強引な帰還政策を批判

     在特会・桜井は77万円を支払え
     反!ヘイトスピーチ裁判判決

 4面  検証
     福島医大 県民健康調査検討委 県小児科医会
     「甲状腺がん検査縮小」の動き(上)
     請戸 耕一

     新ACSA日米が署名

     新任務の実働訓練開始

 5面  直撃インタビュー(第33弾)
     「ふつうの暮らし 避難の権利」を訴える(下)
     森松明希子さん(原発賠償関西訴訟原告団・代表)に聞く      

 6面  寄稿 反戦自衛官 小多基実夫
     戦争まっしぐら 南スーダンPKO

     狭山事件
     万年筆はねつ造された
     再審へ決定的な新証拠      

       

原子力空母の母港撤回を
10月1日 横須賀市で全国集会

米空母の母港化から43年目の横須賀。母港撤回を求め1800人が集まった(1日 横須賀市内)

「米空母母港化43周年抗議! 原子力空母ロナルド・レーガンの母港化撤回を求める10・1全国集会」が、10月1日横須賀市ヴェルニー公園で開かれ1800人の労働者市民が参加した。
43年前の1973年10月5日、空母ミッドウェーが横須賀に入港し、横須賀闘争の歴史が始まった。当時、ベトナム戦争に反対し全国で大きくたたかわれた反戦闘争を背景に、最高3万人もの労働者学生市民がここ横須賀に結集して激しいデモが連日たたかわれた。

最新鋭原子力空母

43年前のミッドウェー配備、2008年原子力空母ジョージ・ワシントンの初入港そして昨年さらに新鋭空母としてロナルド・レーガンに交代している。かくして首都圏に熱出力60万KWという福島原発並みの原子炉2基が、活断層群ひしめく三浦半島の港に配備され、しかも船舶が行き交う東京湾入り口を往来しているのだ。
福島事故によって全国の原発の運転が停止した時も、この原子力空母は平然とまったく制約なしで活動していた。原子力空母レーガンは「トモダチ作戦」に参加、福島原発事故の風下で大量の放射能を浴び乗組員数人が死亡、400人以上が深刻な病気となり米国で裁判となっている。
日米ガイドライン改悪、集団的自衛権そして戦争法が成立し、この横須賀でも、米軍と自衛隊の連携が強化され、軍事行動が強められている。空母艦載機による厚木基地周辺への影響の拡大や相模原補給廠やキャンプ座間も強化されている。
空母入港のたびにもたらされる厚木基地周辺への爆音が激しくなっている。第4次訴訟で、東京高裁は自衛隊機にたいしては早朝・夜間の飛行を差し止めたものの、騒音被害の大半を占める米軍機については「国に運行の権限はない」とし、最高裁も去る9月、米軍機に関しては審理から排除する決定を出した。

欠陥機オスプレイ

ここ横須賀とは切り離すことのできない厚木基地には、欠陥輸送機オスプレイMV22が何度も飛来、米軍の自由勝手な訓練の拠点となっている。さらに2017年からの米軍横田空軍基地への特殊作戦部隊用オスプレイCV22の配備と低空飛行訓練が計画され、東京湾を挟んで千葉・木更津にある陸上自衛隊駐屯地が整備工場になるという。
これからこの首都圏では空母艦載機やオスプレイによる低空飛行訓練が各地で展開されることになる。
日米新ガイドライン、集団的自衛権行使容認から戦争法成立となった今こそ、沖縄のたたかいや、脱原発のたたかいとも一体となって原子力空母の配備撤回、基地闘争を強めていこう。(深津利樹)

再稼働反対 戦争させない
9月22日 代々木公園に9千500人

9月22日、東京・代々木公園で「さよなら原発さよなら戦争9・22大集会」がおこなわれ、9500人が参加した(写真)

福島からの訴え

第1部では、福島の現状について、原発被害者団体連絡会の長谷川健一さん、郡山市議会議員の蛇石郁子さん、避難の権利を求める全国避難者の会の中手聖一さんなどがアピールした。飯舘村の長谷川さんは「私たちは二度と飯舘にはもどれません。原発の再稼動は絶対に許せません」と訴えた。中手さんは「避難者、とくに、自主避難者の住宅支援が打ち切られようとしています」と支援の継続を訴えた。

反原発、反戦の思い

第2部では澤地久枝さんが主催者あいさつ。つづいて、武藤類子さん、詩人のアーサー・ビナードさん、俳優の木内みどりさん、高校生平和大使の布川仁美さん、原子力発電に反対する福井県民会議事務局長の宮下正一さん、止めよう辺野古埋め立て国会包囲実行委員会から、関東一坪反戦地主会の木村辰彦さん、戦争させない・9条壊すな! 総がかり行動から福山真劫さん、鎌田慧さんが発言。
最後にコールをおこなって、豪雨の中の集会を終えた。

沖縄への弾圧やめろ
「翼賛国会」に抗議
9月28日

9月28日、日比谷野音で、「日本政府による沖縄への弾圧を許さない集会」(主催 「止めよう! 辺野古埋立て」国会包囲実行委員会)が2500人の参加でおこなわれた。
その二日前、26日から始まった臨時国会の所信表明演説で、安倍は、「この瞬間も任務についている海上保安庁・警察・自衛隊に心からの敬意を表そう」と言い、自ら拍手を始めた。そして、自民党議員はいっせいに立ち上がり、拍手は10秒以上も続いた。
辺野古新基地建設に反対する抗議船を転覆させて、殺そうとまでする海上保安庁。高江では、米軍オスプレイのヘリパッド建設のために、150人の地域住民にたいし、全国から動員された800人を超す警察権力が襲い掛かり、殴る蹴るの暴行を加えている。
これに反対する人々の必死の抵抗に、業を煮やした政府は、何の法的根拠もなしに、自衛隊を使って建設用重機を空から搬入することを開始した。こんな暴挙が沖縄でおこなわれていることを、どうして許せるだろうか。国会では、厳しく追及しなければならないのにも関わらず、首相のリードで、自民党議員が拍手するとは、まさに戦争に向けた大政翼賛会のようだ。
高江で資材搬入のための暴挙を開始したのは、参議院選挙で、基地反対の伊波洋一さんが大差で当選した次の日からである。追い詰められているのは、安倍・自民党の側だ。今、問われているのは、ヤマトンチュウの側である。沖縄の人びとが示している民意を、暴力で挫かせてはならない。(島田)

TPP強行採決許すな
大阪でロックアクション

10月6日、戦争あかん! ロックアクションが大阪市内でひらかれ120人が参加した。
主催者あいさつに続き、永嶋靖久弁護士が共謀罪の国会提出を阻止しようと訴えた(3面に発言掲載)
共同代表の服部良一さんは、臨時国会での焦点である「TPP」、「労働基準法の改悪」について話した(写真)
TPP特別委員会での審議開始が10月14日頃と思われる。政府与党は10月末に衆院で強行採決、遅れても11月の冒頭には強行採決をはかる。残業代ゼロ法案について。とりあえず年収1千万円以上を対象とするが、法律が通れば、平均年収の労働者にまで基準を下げてくる危険性があると指摘。
沖縄・高江ヘリパッド建設強行をめぐる抗議行動について〈辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動〉の小林明さんが報告した。ストップ・ザ・もんじゅの池島芙紀子さんは、もんじゅ廃炉について報告した。

2面

成田空港拡張計画
周辺地域は騒音地獄
9日 三里塚反対同盟が全国集会

デモの先頭に立つ反対同盟、左から伊藤信治さん、市東孝雄さん、萩原富夫さん(9日 成田市内)

10月9日、三里塚全国総決起集会が、千葉県成田市東峰地区にある反対同盟員・萩原さんの農地「清水の畑」で開催された。前日からの雨のため「田んぼ」のような状態での開催となったが、全国から720人が集まった。
市東孝雄さんの農地法裁判が上告から1年2カ月を経過。いつ最終判決があってもおかしくない緊迫した情勢。また成田国際空港拡張のための四者協議会(国、千葉県、成田・芝山はじめ周辺自治体、成田国際空港株式会社で構成)による@「夜間飛行制限」の緩和(現在深夜11時〜早朝6時を深夜1時〜5時)=事実上の24時間空港化、AB滑走路の北伸、3500mへの延長、B第3滑走路の新設が9月27日に決定し、直ちに「説明会」が始まっている。「もう一つ空港をつくる」ようなものとも言われる空港拡張計画であり、地元民にとっては周辺地域社会の消滅、廃村計画そのものである(第3滑走路などの問題の詳細は、別の機会に提起したい)。50年に及ぶ三里塚闘争のまさに新たな正念場である。

自分の生き方を貫く

集会は伊藤信晴さん、宮本麻子さんが司会。北原鉱治・反対同盟事務局長の主催者あいさつ(メッセージ)で始まり、基調報告にたった萩原富夫さんは、市東さんの農地裁判、第3滑走路をめぐる情勢とたたかい、また三里塚闘争50周年企画を総括し、「三里塚はこれからも農地を守り、第3滑走路粉砕・軍事空港粉砕を貫きます。『農地は命』を合言葉に市東さんの署名を訴え、新たな出会いと支援・共闘を求めて幅広く運動を進めていきます」と締めくくった。
農地裁判の当該である市東さんは、「私はどんな判決が出ようとも、ここに残り、たたかい続けます」「自分の生き方を貫いて、皆さんと共にたたかっていきます」と改めてその決意を明らかにした。反対同盟顧問弁護団、市東さんの農地取り上げに反対する会などが全力での支援を表明した。
動労千葉、関西新空港反対住民、全日建連帯労組関西地区生コン支部から連帯のあいさつ。「国策」攻撃とたたかう沖縄から金城実さん、そして福島からのアピールがおこなわれた。さらに部落解放同盟全国連はじめ住民・市民団体、共闘団体アピールが続いた。
集会後、市東さんの南台の畑までデモ行進した。
市東さんの2つの農地裁判(農地法裁判、耕作権裁判)は重要局面を迎え、第3滑走路などの空港拡張計画も一気に強行突破を思わせる動きが始まっている。50年目の三里塚闘争を決意も新たにたたかいぬこう。(岩谷)

基地をつくらせない闘いを
参院議員 糸数慶子さんが訴え
10月10日 大阪

10日、大阪エルシアターに沖縄選出参議院議員糸数慶子さんと『週刊金曜日』の成澤宗男さんを迎えて、戦争あかん! 基地いらん! 2016関西の集いが開かれ800人が参加。
糸数さんは、「10月10日は特別な日だ。1944年10月10日、沖縄大空襲があり、那覇の90%が焼けた。那覇ではこの日を忘れまい、戦争はしてはいけないと那覇祭りがおこなわれている」と話し、「沖縄の歴史と現状を振り返り、沖縄は独立したほうがいいのではないかという声もあります」と語った。
「沖縄戦で北部の山中に避難していたときに生まれたばかりの女の子(糸数さんのお姉さん)は飢えて亡くなった。3歳の兄は飢餓の中、マラリアで死んだ。母は悲しみのあまり仮に埋葬した兄を掘り出して背負いさまよった」。「安倍政権にたいして戦争させない、基地を作らせないたたかいをがんばっていこう」と訴えた。
成澤さんは「『日本会議』と戦後という時代」と題して講演。
「日本会議の中心的実体は神社勢力。運動は地方議会重視と統一戦線方式の『草の根レベルの右派大衆運動』。実働部隊は櫻井よしこなどの『美しい日本の憲法をつくる国民の会』で、1000万人改憲署名は国民投票のオルグ名簿だ」。
「改憲勢力は『押し付け憲法』というが日米安保に反対しない。『日本会議』のようなものがはびこる状況だが、ふんどしを締めなおしてたたかおう」と呼びかけた。

「原発に退場の道筋つける」
井戸謙一弁護士が講演
大阪

10月1日、「『もんじゅ』も原発もいらない! 戦争いやや! '16関西集会」が大阪市内でひらかれ600人が参加した。主催は、脱原発政策実現ネットワーク関西・福井ブロック、とめよう「もんじゅ」関西連絡会。原発反対福井県民会議が共催。
大津地裁での高浜原発訴訟で運転停止仮処分命令を勝ち取った滋賀県の弁護士・井戸謙一さんが講演。
井戸さんは「(今年3月9日の)大津地裁決定の意義は、現に稼働中の原発を司法の力で現実に止めたこと、隣接県の住民が隣接県の裁判所に申し立てた請求が認められたこと」「原発に退場の道筋をつけるのが市民の役割。ひとつひとつの原発再稼働に徹底的に反対しよう。仮に再稼働を防ぎ得なかったとしても、可能な限り遅らせよう」と訴えた。
小林圭二さん(元京大原子炉実験所講師)は、「日本は国際的な批判を受けて高速増殖炉もんじゅでプルトニウムを使用すると称してきたが、そのもんじゅは挫折した。それをごまかすためにプルサーマルを導入し、プルサーマルでプルトニウムを使うと称してきた。しかし、プルサーマルで使用できる量はしれている。次は実証炉建設をめざすと政府は言っているが、初めて使う技術が多いので、いきなり実証炉は無理。一時しのぎのことを言っているにすぎない」と喝破した。

沖縄・高江ヘリパッド建設工事
「逮捕恫かつ」怯まず抗議

菅官房長官の視察に怒りのシュプレヒコールをあげる(8日 米軍北部訓練場N1ゲート前)

10月1日 高江N1ゲート前。一斉行動の日に150人の市民が座り込み、資材搬入はなかった。集会参加者の内、数十人は森の中での抗議行動に参加。市民は9月22日から森の中での抗議行動を始めた。ゲート前の座り込みは機動隊の数の力で、数十分で排除され、多いときには30数台の10トントラックが入る。森林の伐採はH地区にむけて間断なく続けられている。市民は1分でも1秒でも工事を遅らせようと逮捕覚悟で森の中に入った。
28日には機動隊によりロープで縛られ引きずられる排除攻撃を受けたが、ひるむことなく森林内でのたたかいに決起している。
5日 G地区の伐採が確認された。G地区はH地区とつながっている。H地区から海水揚水実証試験所までは舗装道路があり、そこからG地区まではジープが通れるくらいの道がある。(道幅拡張前のN1表からN1裏へつづく道と同程度の幅) 政府は当初、ヘリパッド工事は1カ所ごとにおこなうと言っていた。工事は最初の言葉を無視し3カ所同時並行で進んでいる。
7日 日米政府は、北部訓練場に限定する形で、日本の警察が対応することを合意した。これまで市民が森の中に入って、抗議行動をおこなっている。これに対応して米軍施設・区域に無断で立ち入ったとして、刑事特別法(刑特法)での逮捕を狙っていた。しかし、米軍は憲兵(MP)の陣容など対応が難しいとして、逮捕を含む対応を日本側にゆだねた。日本政府は、工事の進ちょくに直接影響を与える抗議行動をした場合は威力業務妨害の適用で逮捕する方針を明らかにした。
8日 一斉行動。250人の市民がN1ゲート前に座り込み、N1からの資材搬入はなかった。機動隊車両は通常の半分以下。 メインゲートでは、砂利を積んだ10トントラックが十数台入るのが確認された。
市民はゲート前の抗議行動と合わせて、数十人が森の中に入り抗議行動をおこなった。前日の「逮捕恫喝」に屈することなく、多くの市民が森の中に入った。
11時半ごろ、陸上自衛隊のヘリが上空を旋回した。沖縄平和運動センター議長の山城博治さんが「菅官房長官が上空より視察している。抗議の声を上げよう」と拳を突き上げた。市民はヘリめがけて「菅帰れ」「森をこわすな」「ヘリパッド建設反対」と怒りのシュプレヒコールをたたきつけた。ヘリパッド建設工事の視察は工事が始まってから、9月24日の稲田朋美防衛相以来2度目だ。
菅は翁長知事と会談し、米軍北部訓練場の約半分の返還について、条件とされるヘリパッド建設が順調に進んでいるとの認識を示し「年内の返還で交渉している」と報告した。政府はなりふり構わず年内完成目標での工事強行を明らかにした。
11日 菅の発言を裏打ちするように、N1ゲートからダンプ60台、トレーラー3台が入った。10日にも60台以上が入っている。機動隊は森の中の警備と称して、建設業者の車両に20数人が乗り移動している。山城博治さんは「想像以上の速さで工事が進んでいる」と政府の横暴を批判した。(杉山)

3面

泊原発の再稼働許すな
青森・札幌・泊 8日間の集中行動

「再稼働やめろ」集会参加者がいっせいに7色の風船をあげた(9日 北海道・岩内町)

廃炉を急げ

適合性審査に合格とされた北海道電力・泊原発(北海道古宇郡泊村)の再稼働に断固反対する「泊原発再稼働阻止集中行動」が、10月3日から10日まで連続8日間おこなわれた。呼びかけは〈泊原発再稼働阻止実行委員会〉。
3日から8日までが、「泊原発再稼働阻止・大間原発建設反対 自転車隊」のキャラバン・リレーデモ。3日、青森県六ヶ所村を出発し、8日の札幌集会に合流した。
午後1時から、札幌市大通公園でひらかれた「さよなら原発北海道集会」には2500人が参加。前札幌市長の上田文雄さん、東京から鎌田慧さんらが、「廃炉を急がねばならない」と力説した。愛犬と六ヶ所村からのリレーデモを主導した中道雅史さんも発言。「沿道の人々のあたたかな声援や食べ物のカンパなど身に染みてうれしかった」と話した。
集会後、札幌駅までデモ行進。

再稼働阻止現地集会

9日、午後1時より、岩内町旧フェリー埠頭緑地にて、泊原発再稼働阻止現地集会がひらかれ250人が参加。天気は雨。
北海道先住民族アイヌの石井ポンぺさんらによるカムイノミ(土地の神、すべての神々への共存共栄の祈祷)から集会は始まった。主催者代表佐藤さんにかわって、中道さん。東京から鎌田慧さんがゲスト。被災地福島から黒田さん、木幡さん。「雨になど負けている場合ではない」と鹿児島から松元さん。愛媛、井出さん。
関西から、〈若狭の原発を考える会〉の木原壯林さん、大間原発訴訟の竹田さん。インドから来日中のアジア・リーダーシップ・フェロー・プログラムのクマール・スンダラムさんは、インドの市民団体、核軍縮平和連合(CNDP)の若きリーダー。「同じ意思をもつ人びととの連帯は可能だという希望を日本で得た。ともにがんばりましょう」と呼びかけた。最後に七色の風船が放たれ、町内をデモ行進した。
さらに10日、北大名誉教授小野さんによる泊原発周辺の地形・地層研究バスガイドツアーがあった。(Q)

共謀罪
自由な議論が犯罪に
絶対に国会に出させない

10月6日、大阪市内でひらかれた「戦争あかん!ロックアクション」での永嶋靖久弁護士の発言を紹介する。(文責、見出しとも本紙編集委員会)

次期国会提出ねらう

8月26日にマスコミが「共謀罪、名前を変えて国会に提出」と報道した。それにたいして一斉に反対の声が起こった。
また9月16日、菅官房長官が「この国会(臨時国会)には共謀罪は出しません」と記者会見で発言している。その前日15日には金田法相がケネディ米大使に会い「テロ対策のため、共謀罪を成立させるために頑張ります」と言ったのにたいし、ケネディ大使は「アメリカも協力します」と答えたことが大きく報道された。
「この国会には出しません」というのは、「次の国会(来年通常国会)に出しますよ」という意味だ。そのためには政府は何でもしてくると考えなければならない。

相談だけで逮捕

(日本の法体系では)これまでは「悪いことをすると犯罪になり、逮捕される」ということが大原則だったのが、共謀罪ができると「悪いことを相談すると犯罪になり、逮捕される」に変わる。さまざまな修正案、法案の名称変更や要件の変更が言われているが、結局は言葉の言い換えにすぎない。「悪いことを相談すると犯罪になり、逮捕される」という点では全然変わらない。
いままで「悪いことをした時だけ処罰される」となっていたのは、そうしておかなければ、みんなが安心して暮らせないからだ。「何が犯罪で、何が犯罪でないのか」を誰から見てもわかるようにしておかないと怖くて社会生活を送れない。
「どんなことを考えようが、どんなことを議論しようが、それだけで警察に逮捕されることはない」というのが、「自由」や「民主主義」というんだったら大前提だろう。 「テロ対策についてはそんなこと言ってられない」と政府は言っているが、はたして「便所の落書きの相談」や「万引きの相談」を取り締まることが「テロ対策」なのか。

権力批判を自粛

「共謀罪の対象になるのは悪いことを考えたり相談したりする連中だけで、自分はそんなことはしないから大丈夫」という意見があるかもしれない。しかし共謀罪ができると700近くの種類の犯罪にかかわる相談をしただけで犯罪になってしまう。何を相談したら共謀罪に引っかかるのか。何がアウトで何がセーフなのかがわからなくなる。
そうすると、お上にたてついたり、大企業を批判するのは、「どうも危ないんじゃないか」「共謀罪で捕まらんとこ」ということになり、お上にたてついたり、大企業を批判するようなことを言うのはやめようということになってくる。
「安全安心のために悪いことを相談する奴を逮捕する」といって自由に議論することを犯罪にしてしまう社会とは一体何だろうか。それが本当に安全安心な社会なのだろうか。

国会に出させない

政府は次の国会には必ず共謀罪を出してくる。それまでの間、彼らは一所懸命、悪知恵を働かすのだろうが、私たちにとっても準備する期間があるわけだから、「絶対に国会に出させない」という取り組みを進める必要がある。
いろんなところで、共同署名や反対声明をよびかける準備が進んでいる。そういう取り組みを見かけたら、是非とも参加してほしい。そして「共謀罪はやっぱりあかんやろ」という声を法務省、自民党、公明党に向けて拡げていこう。

原発のない社会へ 毎年集会
強引な帰還政策を批判

144シートのレジメで、原発政策を全面批判する海渡弁護士(8日 いたみホール)

3・11福島原発事故を機に始まった「さようなら原発1000人集会」が10月8日、いたみホール(兵庫県伊丹市)で開かれ730人が参加した。
集会では脱原発弁護団全国連絡会共同代表で弁護士の海渡雄一さん、福島から避難してきたうのさえこさん、参議院議員の福島みずほさんが講演や報告をおこなった。
海渡雄一弁護士は、大飯、高浜原発を止めるまでになった原発訴訟の意義と、地元住民を先頭とする再稼働阻止のたたかいや、知事まで反対を表明する運動の力を明らかにした。政府・福島県当局が、まるで事故など無かったかのように帰還政策を強引に進めていることを弾劾した。また来年の通常国会で提出が目論まれる共謀罪の危険性についても言及。
福島現地からの避難者であるうのさえこさんは、避難の権利を認めさせるたたかいは基本的人権を守るたたかいそのものであるとして、裁判闘争の意義と支援を訴えた。参議院議員の福島みずほさんは、沖縄・高江での安倍政権の暴虐をまず弾劾し、南スーダン派兵への戦争法適用の危険性と憲法改悪の動きに警鐘を鳴らした。
広い会場のホワイエは6つのブースを囲み、脱原発と高江・辺野古をたたかう人々と参加者の交流の場ともなった。(久保井)

在特会・桜井は77万円を支払え
反!ヘイトスピーチ裁判判決

フリーライター李信恵さんは、在日朝鮮人であり女性であることを標的にされ、ヘイトスピーチの集中砲火を浴びてきた。李さんは2014年8月在特会と元会長桜井誠およびまとめサイト「保守速報」にたいし、損害賠償を求める裁判を起こした。ヘイトスピーチを食い止め、被害者を守りたいとの思いから訴訟に踏み切った。
9月27日の判決は在特会・桜井を相手に550万円の損害賠償を求めたことにたいするもの。注目度は高く、傍聴の抽選には瞬く間に定員を越える人が並んだ。参議院議員の有田芳生氏の姿も見える。警備は異状で傍聴人の入廷前に1人ひとり身体検査、持ち物検査が金属探知機様のものまで使っておこなわれた。
被告席は弁護士しかいない。被告側傍聴席は2人だけ。

価値ある勝利

裁判長が「被告は原告に慰謝料70万円、弁護士費用7万円を支払え」と命じた時、傍聴席では勝訴か敗訴か判断に苦しむ空気が流れた。しかし判決の詳細がわかると、かなり踏み込んだ内容に、「小さな一歩だが価値ある勝利」(李さん)と実感されていく。
判決では桜井発言について、2点を名誉毀損と認定し、19点を侮辱による不法行為だと断じた。「容姿や人格を貶める表現」「執拗に原告を貶める表現を繰り返して誹謗中傷した」。その一連の発言は「在日朝鮮人に対する差別を助長し増幅させることを意図しておこなわれたものである」「人種差別撤廃条約の趣旨に反する」と非難している。
差別を刑事事件とすることは難しい。名誉毀損で告発しても警察・検察はまず取り上げない。6月には「ヘイトスピーチ対策法」が施行されたが、これには罰則がない。こうした中でのこの裁判が持つ意義は大きい。
なお、桜井が李さんを名誉毀損で反訴していたが、当然退けられた。現時点で双方控訴しており、裁判闘争は今後も継続される。

4面

検証
福島医大 県民健康調査検討委 県小児科医会
「甲状腺がん検査縮小」の動き(上)
請戸 耕一

福島県の子どもたちを対象にした甲状腺検査で、小児甲状腺がん・がんの疑いと診断された子どもが合計174人(確定135人、疑い39人)に上っている(注1)。しかも1巡目(2011年10月〜2014年4月)では「問題なし」と判定されていたのに、2巡目(2014年4月〜2016年4月)で新たに確定ないし疑いの判定を受けたという例が60人近くになっている。
チェルノブイリ原発事故で被害を受けたベラルーシにおいては、事故前11年間(1976〜1986)の小児甲状腺がんの患者数はわずか7人だったものが、事故後の11年間(1986〜1996)で508人と顕著に増加し、事故前の72倍に達したと、菅谷昭医師らが報告している(注2)
福島で起こっている事態については、岡山大学の津田敏秀教授のグループが、昨年、国際的な学会に、統計的手法に基づいた分析結果を論文にして発表している(注3)。それによれば、「日本全国と比べて、最も高いところで約50倍、低いところでも約20倍の甲状腺がんの多発が起こっていることが推定された」という。また、「福島県内で甲状腺がんの著しい多発が起きていて、チェルノブイリで4年以内に観察された甲状腺がんの多発と一緒であり、チェルノブイリ同様、5〜6年目以降に大きな多発は避けがたい状況だ」という見解を示している。さらに「チェルノブイリでも、原発事故後、今の日本と同じように10年以上にわたって、甲状腺がんの多発は『スクリーニング効果だ、過剰診断だ』と論争が続いた」とも指摘している(注4)

3・11事故から5年目の今

ところが、福島原発事故から5年が過ぎ、まさにチェルノブイリにおいては甲状腺がんの多発が確認されたのと同じ時期に、甲状腺検査の規模を縮小し、あるいは検査方法を見直そうという動きを、福島医大、県民健康調査検討委・星座長、福島県小児科医会、県内メディアなどが示している。
この間の動きを時系列で示すと以下のようになる。
8月3日 福島県放射線健康リスク管理アドバイザーの高村長崎大教授らが、「福島県内ではチェルノブイリのような放射線被ばくによる小児甲状腺がんの増加は考えにくい」とする研究結果を英医学誌に発表
8月8日 福島民友新聞(注5)が「甲状腺検査見直し議論へ 県民健康調査検討委」という見出しに記事とともに、県民健康調査検討委・星座長へのインタビュー記事を掲載。星座長は「『科学的な説明のため、一人も漏らさずきっちりと調べるべきだ』という意見もないだろう…」「100点満点の正解がない中、みんなが納得できる着地点を見つけることができるかどうかが議論のポイントとなる」と述べている。
8月12日 福島民友新聞が社説で「検査は、県民の不安を解消し、健康を保つために必要だが、マイナスに作用するようなことは避けなければならない」とし、甲状腺検査の縮小・見直しの議論を促している。
8月25日 福島県小児科医会の太神会長が、福島県にたいして、甲状腺検査の規模縮小を含めた見直しを求める要望書を提出した。見直しを求める理由は、「国内での風評につながる可能性もある」からだという(注6)。また、会見で太神会長は、「『放射線の影響はない』などの踏み込んだ説明が必要」「検査を受けない選択も認めるべき」などの考えを示した(注7)
9月2日 福島県立医大の大平教授らが、外部被ばく線量と甲状腺がんの関連について調査し、「被ばく線量の違いで、甲状腺がんの発症に違いがない」という研究結果を米医学誌に発表した。
9月14日 県民健康調査検討委で、甲状腺検査の今後の在り方について議論がおこなわれ、「現在の規模を維持して継続すべきとの意見が大勢を占めた」「検査の枠組みについて検討を続ける」(注8)、ということになった。

自己保身のために論理を転倒

こうして見ると、意図してひとつの流れを作ろうとしているように感じられる。
子どもたちの健康問題にもっとも向き合っているはずの小児科医会が、「検査縮小」を要望している。小児科医会は、一方では「一般的発生頻度を大幅に上回る今回の多発報告」(注9)という事実を認めている。そうであれば、検査をより充実させるのが筋だろう。ところが、「国内での風評につながる可能性もある」という理由で見直しを要望したという(注10)。「福島民友新聞」の社説も「検査は、県民の不安を解消し、健康を保つために必要だが、マイナスに作用するようなことは避けなければならない」という。

「風評」

理由として、「風評」「マイナス」といった問題が出されている。その意味するところは、〈原発事故によって放出された放射性物質や被ばくが、人体に被害をもたらすということは根拠がない〉〈人体に被害がないのにあるようにいう言説が、「復興」にとって足かせになっている〉〈そういう「風評」「マイナス」を払拭していくことが「復興」である〉〈甲状腺がんを問題にするのは風評の助長であり、復興にたいするマイナスである〉
何か論理が転倒していないだろうか。
本来、甲状腺がんの多発という事態にたいして、事実を事実として向き合い、それがなぜ起こっているのかということの解明の努力をおこなうのが行政や大学、医師会、メディアなどの責務ではないのだろうか。甲状腺がん多発の原因が〈原発事故による被ばくの影響である〉と確定できるかどうかは措くとしても、少なくとも〈原発事故による被ばくの影響ではない〉と断定することは到底できない。慎重に言っても〈わからない〉というのが現状であり、だからこそ検査していく必要があるということではないのか。
そもそも「風評」の原因を作ったのは、国や専門家らである。彼らが、事故直後から、「直ちに影響はない」「100ミリシーベルト以下は安全」などと、〈被ばくをしても人体に影響はない〉ととれるような広報をおこなったことである。このようなウソの宣伝が、人びとに取り返しのつかない不信を植え付けてしまったのだ。

動揺

行政や医師会、メディアらは甲状腺がん多発という事実を見据えられなくなっている。その事実の前に、彼らが動揺してしまっている。なぜなら、その事実を認め、それが被ばくの影響であるということが証明されてしまったら、彼らがよって立つ権威や秩序が崩れ、彼ら自身の地位も崩壊するからだ。
そういう自己保身から、事実の究明ではなく、検査そのものを縮小し、そうすれば発表される数が減るだろうという思考に走ったとしかいいようがない。彼らは自己保身のために、甲状腺がんの多発という事実を闇に葬ろうとしている。(つづく)

(注1)9月14日の福島県「県民健康調査」検討委員会で報告。福島県の甲状腺検査は原発事故発生時に18歳以下だったすべての県民約38万人を対象に、2011年11月に開始され、2016年4月に2巡目が終了し、現在3巡目に入っている。
(注2)「ベラルーシにおけるチェルノブイリ原発事故後の小児甲状腺ガンの現状」菅谷昭、ユーリ・E・デミチク、エフゲニー・P・デミチク 国立甲状腺ガンセンター(ベラルーシ)http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/Chernobyl/saigai/Sgny-J.html
(注3)  【Thyroid Cancer Detection by Ultrasound Among Residents Ages 18 Years and Younger in Fukushima, Japan: 2011 to 2014.】http://journals.lww.com/epidem/Abstract/publishahead/Thyroid_Cancer_Detection_by_Ultrasound_Among.99115.aspx
(注4)『ハフィントンポスト』2015年10月8日付 吉野太一郎/「ヤフーニュース」2015年10月10日付 木野龍逸/『女性自身』2014年4月24日付 和田秀子
(注5)福島県内で発行される地方紙のひとつ。「被ばくによる健康被害はない」「被ばくを問題にするのは不安をあおり復興の足かせ」「被災者は自立すべき」といった論調で一貫している。読売新聞と資本関係にあり、記事を相互に提供する編集協力を締結している。集団的自衛権について、地方紙のうち40紙が反対し、3紙が賛成しているが、その賛成3紙のうちの1紙が「福島民友」。自由民権運動で活躍した河野広中(三春町出身)らによって創刊された「福島実業新聞」が母体。
(注6)「福島民報」16年9月15日
(注7)「福島民報」16年8月26日
(注8)「福島民報」16年9月15日
(注9)「平成28年度福島県小児科医会声明」16年8月28日
(注10)「福島民報」16年9月15日

新ACSA日米が署名

日米両政府は米軍と自衛隊との間で物品・役務を融通する兵站活動の範囲を拡大するあらたな日米物品役務相互提供協定(ACSA)に署名した(9月26日)。
昨年の戦争法成立に伴う兵站活動の拡大で、自衛隊があらゆる場面で米軍に兵站支援できるよう明記された。日米共同演習を含めて弾薬提供ができる臨時国会での承認がねらわれている。

新任務の実働訓練開始

南スーダンPKOへの第11次派兵となる自衛隊部隊が、戦争法に基づく新任務=「駆け付け警護」「宿営地の共同防衛」=の実働訓練を開始した。訓練は非公開。9月16日、防衛省が発表。
派兵部隊は陸上自衛隊東北方面第9師団第5普通科連隊(司令部=青森駐屯地)が中心で、11月に出発予定。

5面

直撃インタビュー(第33弾)
「ふつうの暮らし 避難の権利」を訴える(下)
森松明希子さん(原発賠償関西訴訟原告団・代表)に聞く

―関西訴訟では、「避難の権利」を求めています

私たちは国、東電を相手に大阪、京都、兵庫でそれぞれ原発賠償訴訟をおこなっています。
福島では県内の避難者訴訟、強制避難区域の人、いわき市など避難受け入れ側、農漁業被害や避難地域の住民による「原状回復、地域を返せ」という裁判、子ども脱被曝裁判など。全国では30くらいの訴訟団、原告は1万人以上です。
賠償請求訴訟となっていますから「金が欲しいのか」とネットなどで非難されますが、「戻るか、定住か」と迫られるなか、私たちは「避難の権利、ふつうの暮らし、つかもう安心の未来」をかかげています。母子避難は、生活も親子関係でもほんとうに大変。私の場合はまだ恵まれている方です。夫は福島で働き、1か月に1度くらい子どもたちに会いにきます。その交通費、離れて育つ子どもたちも大変です。
各地で裁判がおこなわれている被災者団体はいろいろ。微妙に時期や立場、意見の違いもあります。それでも国や東電の分断には負けたくない。そうでなければ同じ誤りを繰り返すだろうし、向こうの思うツボですから。
広島・長崎、反核・平和運動にもさまざまな違い、分断があったと聞きました。それを乗り越え70年もの間、70年を過ぎても終わることができない、それが核による被害の重さです。

憲法訴訟のつもり

「避難の権利」もそうですが、「放射線からの恐怖」ということは、なかなかわかってもらえないように思います。せいぜい「不安」くらい。紹介してもらった東海村事故の本『朽ちていった命』は怖くて、まだ読めていません。被爆と被曝には、同じ恐怖があると思います。不安なんてものじゃない。その恐怖は自分の人生はもちろん、子や孫の世代まで続きます。
私は「自分だけ、自分の子だけ避難できたから安心」「避難しているから、もういい」とは思っていません。「避難できない」人たちは、もっと苦しいし困惑している。避難できない人、していない人、できた人、同じなんです。そういうことが、なかなか言えない。あきらめ、言う方がおかしいという雰囲気。そこへ「復興、がんばろう」が追い打ちをかける。そういう方法が「成功」しているのも悔しいですよ。
この国は、大銀行や東電には公的資金を惜しげもなくつぎ込み、災害で苦しむ庶民にはお構いなし。それでは、また同じことを繰り返してしまう。私たちのいう「避難の権利」とは避難した人だけの正当性を求める権利ではなく、放射線被曝から免れ健康を享受する権利は普遍的であり、人の命や健康に直接かかわる基本的人権であるということ。私は、この裁判を人権救済裁判、憲法訴訟と位置づけてとりくんでいます。

―今年8月6日、森松さんは広島を訪れました

被爆国である日本がなぜこのような事故に至り、なぜ今回の被曝者がこのような扱いを受けているのか。福島が、広島・長崎と重なるという思いを強くしてきました。その気持ちは年々強まります。
政府は「ただちに健康被害はない」「安全、安心、復興」と、積極的な手だてをしようとしません。私が避難できたのは、少しは広島・長崎のことを知っていたこと、そして関西出身で知人や縁故があったからです。被爆者のみなさんが苦難をこえ、語り継いでこられたから。いま福島の被災者を放置するということは、その必死の証言と被爆後の人生を冒涜しているに等しいと思います。
仕方がないことですけど、いま多くの被爆者が高齢になり直接に語り継ぐことが困難になりつつあります。そういう中で福島を顧みないということは、広島・長崎、被爆者の思いをなかったことにし、そして福島をなかったかのようにしたいということ。極端な言い方かもしれませんが、原爆が落とされようが原発が爆発しようが大丈夫という空気をつくろうとしている。それはもちろん権力側が意図してやっていることですが、私たちの側もそれをしっかりと自覚しなければ、押し流されてしまう…。

熱線と爆風、放射能

広島・長崎では熱線に焼かれ、爆風に押し潰され大量の放射線を浴びました。福島は、見えない放射線に苦しんでいます。それは、同じ線上にあると思います。そうでなければ「見えない」「ただちに健康被害はない」とごまかされてしまいます。8月6日の集りで池田精子さんは、「それでも、私は生きてきた」と言われました。この言葉は、いま福島で放射能汚染に苦しむ人たちには、痛いほどわかると思います。また広島・長崎の被爆者のみなさんは、被爆と向き合い被曝の恐怖ということを伝え教えてこられました。出産や子どもの健康についての不安、でもいっしょに生きていこうという思いは、人を一瞬に焼き尽くした熱線や爆風を伴った広島・長崎も、低線量の心配にある福島も同じだと思います。放射線被曝とは、そういうもの。福島の人たちは「言う人、言える人」「言わない人、言えない人」にさせられているけど、その意識から逃れられることはないでしょう。
それは、人の命の問題です。個人の命、尊厳こそ大事。何か「大義」を示されると忘れてしまうのは、もうやめにしたい。
8月6日に広島を訪問し、被爆者のお話を聞かせてもらい、私も発言する機会をいただいた。一瞬に命と未来を奪われた中学生たちの名前の列が刻まれた碑を、目の当たりにしました。そういう広島・長崎を体験しながら、福島が起こった。避難者には「戻ってこい」と、避難が続けられないような施策を進めてきます。「電力会社のために?」私たちの国って何だろうと思いますよ。
原爆も原発も一瞬に爆発させるか、ゆっくり反応させるかの違いだけ。だけど「原爆と原発は違う」という人も多い。私たちは見事に、「原発は別」という教育や報道を受けてきました。チェルノブイリはもとより、東海村の事故など深刻な事故があったけど大丈夫という社会にされようとしています。

被曝からの避難の権利

でも、あきらめるわけにはいきませんね。それは人間の尊厳を奪われることだと思います。今回、「核廃絶への努力をあきらめない」「広島・長崎はずっと核廃絶を願ってきたのに、福島の事態に至った。胸が痛む」という何人もの被爆者にお会いしました。私の中で広島・長崎と福島のつながりが前よりももっと大きくなった、今年の夏でした。
憲法の勉強をしたとき、伊藤真さんから「戦前の軍国主義が行き着いた先に原爆投下があった。戦後は、それが原発主義になった」と教わりました。基地とも似ています。交付金をばら撒かれ、そのときは経済が成り立っても事故が起これば元も子もない。「原爆も原発も、ほんとうは逃げられない」。そうですね。福島の大事故は、一歩間違っていたら日本中行くところはなかったかもしれない。裁判で国や東電は「避難していないじゃないか」と言います。だけど、逃げたくても逃げられないんです。逃げられないから「大丈夫だ」と思いたい、思うことで自分を納得させざるを得ない。5年は、そういう歳月です。原発事故から避難する権利、放射線被曝の恐怖を免れる権利は、人が健康に生きるための基本的人権だと思います。すべての人に保障されるべきです。
原爆や原発事故はいったん起こってしまえば「逃げられない」。その元凶をなくしたい。だけど50基以上を廃炉にするにも何10年もかかる。そうであればこそ、私は放射線被曝からの「避難の権利」を言いたいのです。(おわり)

〔もりまつ・あきこ〕
1973年生まれ。結婚後、福島県郡山市に在住中に東日本大震災、福島第一原発の事故に遭う。当時3歳、5カ月の2児とともに2011年5月から大阪市へ母子避難。非常勤の時間職員として働きながら子育て中。「避難の権利、原子力災害への恒久的救済」を求め集団提訴した原発賠償関西訴訟原告団・代表。「避難した人、とどまる人、帰還する人、すべてが有する基本的人権」を訴え、原発災害の根本問題を問い、精力的に活動する。東日本大震災避難者の会Thanks & Dream代表。

6面

寄稿 反戦自衛官 小多基実夫
戦争まっしぐら 南スーダンPKO

現在、南スーダンPKOとして陸自が駐屯する首都ジュバでは、7月に300人以上が死亡する大規模な戦闘があり、外務省は最高レベルの「退避勧告」を出している。
国連安保理は「住民保護」を名目に、政府軍にたいしても積極的に武力行使をおこなう部隊として「地域防護部隊」4千人を編成しその追加派兵を発表した(最大で1万7千人規模の兵力)。これはPKF(平和維持軍)自体が交戦主体=戦争の当事者となることを意味する。

自衛隊のPKF参加

自衛隊派兵の前提条件であるPKO参加5原則は、「停戦合意」「中立性」「当事者の受け入れの同意」全て総崩れである。しかし、11月「駆けつけ警護」の新任務の命令を受けて陸自第9師団第5普通科連隊(青森駐屯地)が第11次南スーダンPKOとして派兵され、PKF部隊に組み込まれようとしている。
このため派兵部隊は、工兵と歩兵の350人の部隊に「即応対処チーム」と称する戦闘に特化した40〜50人の部隊を加え、さらに正当防衛に限っていた武器使用基準も変更して「射撃前の警告」を撤廃し、相手を目視確認した段階で無警告の先制攻撃を行って射殺するなど、原理的転換をおこなっている。
一方政府の動きである。防衛大臣・稲田朋美は10月8日にジュバの駐屯地を現地視察し隊員を激励したが、その当日8日にもジュバ近くで民間人ら21人が死亡し約20人が負傷する戦闘が発生した。にもかかわらず、帰国後これを聞かれた稲田は「落ち着いている。戦闘行為はない。PKO5原則は守られている」と安全宣言をおこなった(10月11日、参議院および記者会見)。強引に戦地派兵を進めながらも自衛官の生命など気にも懸けないといわんばかりである。
安倍首相はといえば、防衛省で自衛官のトップ180人を前に訓示し、「(戦争法の成立等により)制度は整った。あとはこれらを血の通ったものにする。今こそ実行の時だ」と檄をとばした(9月12日、自衛隊高級幹部会同)。

天皇と戦争は不可分だ

「戦争法を血の通ったものにする」ために、決定的に問われているものがある。それは兵士の『死生観』である。 戦争法は、昨年秋に成立した。しかしこれが発動される本番が、この11月南スーダンPKO派兵からである。自衛隊始まって以来60余年にして初の戦死者発生が確実視されるこの派兵は自衛隊にとってものるかそるかの瀬戸際である。
稲田の「5原則は守られている」など上記の発言や、小泉の「自衛隊の居る所が非戦闘地帯だから安全だ」発言のようなでたらめで無責任を絵にかいたような政府が発する命令の下で、どうして命をかけられるか。そこで登場するのが天皇である。
「生前退位と、明仁流象徴天皇制論」の8・8メッセージを発して「政治舞台に登場した」明仁天皇は、絶大な国民的支持を掘り起こした。勿論これは一朝一夕に成し遂げられたものではない。天皇が即位した1989年からの平成の28年間、天皇は何をおこなってきたのか。

海外派兵と天皇

平成の28年間は、自衛隊にとって初の海外派兵となった掃海艇のペルシャ湾派兵(91年)から今日まで1日の休みもなく海外派兵が続けられてきた歴史とピッタリ重なる。
天皇は、これと歩調を合わせるように皇軍が侵略戦争の舞台とした激戦地への「慰霊」と「鎮魂」の旅を重ねてきた。天皇自身「遠隔の地や島々への旅が大切」と語るように、タイ・マレーシア・インドネシア・沖縄・硫黄島・サイパン・パラオ・フィリピンなど精力的にまわってきた。また、この間にも国内で起きた地震、火山噴火などの大災害では被災現地を訪れて避難民を見舞っている。
天皇はなぜこれらに固執するのか? それはこの活動が明治以来の天皇制の最重要の活動である「国見」と「鎮魂」そのものであり、天皇を「国民を統合する象徴」に押し上げる2本柱だからである。
天皇が「国家」を体現する人格として、兵士に死を命じ、勲章を与えて顕彰する「権威」の根源がここにある。そのことによって敗戦に至るまで「天皇と靖国神社」は、戦争・軍隊・戦死と不可分一体で民衆の前に立ちはだかることができたのである。

「国のための死」を強要

安倍首相は9月26日、衆議院での所信表明で北朝鮮と中国を批判し「海保、警察、自衛隊…彼らに今この場から心からの敬意を表そう」と議員たちに起立と拍手を促した。
戦争と治安弾圧の最前線に立つ彼らを「他よりも尊い仕事」であるかのように称えて優越意識を持たせ命懸けの任務に追い立てるのは、「国のために死ぬ」ことを美化・強要し、兵士を万歳三唱で侵略戦争に送り出した70年前の日本にこのPKOをもって回帰させるためである。
このような安倍政権の下で防衛大臣に就任した稲田朋美は、「国を守るためには、血を流す覚悟をしなければならない」「祖国のために命を捧げても、尊敬も感謝もされない国に…誰が命を懸けて守るのか」「靖国神社というのは不戦の誓いをするところではなく『祖国に何かあれば後に続きます』と誓うところでないといけない」と公言してきた。
自衛隊内部には、安倍・稲田に同調しこの時とばかりに声を上げる輩もいる。曰く、「隊員が散華した場合、一般公務員の殉職と同じ扱いか! 市ヶ谷の慰霊碑に名簿が奉納されるだけか! 国のために殉じた隊員を国家はどのように顕彰するのか。国民の象徴である天皇に来ていただける場所なのか? これは真に戦う時代を迎えた自衛隊の精強さの根幹たる隊員の士気、送り出す家族の覚悟、自国を自らの手で守る民族の誇りと決意に関わる問題である」(元海自掃海群司令・福本出 9月22日付朝雲新聞)
市ヶ谷の慰霊碑とは、小泉政権が「血を流す貢献」を掲げて強行したイラク派兵に際して整備されたもので、毎年秋の追悼式に首相が参列しているが、これでは不十分で、天皇と靖国神社だという主張である。

「明治150年」

天皇はメッセージで「平成30年」を語ったが、この年を「明治150年」の大イベントとして天皇制と侵略戦争の歴史を盛り上げる策動が進められている。石原元都知事、亀井静香、中曽根康弘、森喜朗、および財界人らが靖国神社にたいして「西郷隆盛、新選組、白虎隊ら賊軍も合祀せよ」と連名で申し入れたという。再び兵士の『死生観』のよりどころとするために靖国を手直ししようというのである。
法制面では、自衛官の最高ポストである「統合幕僚長」を国務大臣と同様の「天皇の認証官」にせよという動きもでている。
われわれはどうたたかうのか。政府は「死刑、無期懲役、懲役300年、そんな目にあうくらいなら出動命令に従おう(と思わせる)」(13年7月 石破自民党幹事長・当時)と自衛隊法の罰則強化を掲げて自衛官を戦場に追いたてており、甘い構えでは無力だ。戦争法が発動され、天皇と自衛隊が「戦死」を媒介にして結合する時代に入ったという現実を直視し、「何が何でも自衛官を派兵させない、撤収させる」たたかいにこだわったたたかいが必要である。

狭山事件
万年筆はねつ造された
再審へ決定的な新証拠

8月22日、狭山弁護団は、石川さんの無実を示す決定的新証拠を東京高裁に提出した。下山進氏の鑑定書『荏原(えばら)鑑定書の精査と検証』だ。
下山鑑定書で取り上げた万年筆は、鞄・時計とならぶ「3大物証」のひとつだ。2013年7月の第3次再審請求で、被害者の中田善枝さんが使っていたインク瓶が証拠開示され、これまで「ライトブルー」と認定されていたインクが、実は「ジェットブルー」であったことがわかった。証拠として石川さんの自宅から押収された万年筆のインクは「ブルーブラック」だった。1963年、警察庁科学警察研究所の荏原秀介技官は、第1次鑑定で「押収万年筆のインクと善枝さんが使用していたインクは『異質』」とし、第2次鑑定で「押収万年筆のインクと同級生及び郵便局のカウンターに設置しているインクは『類似』」とする結果を出した。
下山鑑定書は、裁判所に提出された2つの荏原鑑定書を、下山氏自身がおこなったペーパークロマトグラフィーの実証結果(写真下)をもって精査した結果、「押収万年筆」にはジェットブルーのインクはまったく混在していなかったことを突き止めた。
押収万年筆は被害者のものではなく、警察によってねつ造された「物証」であることが明らかにされたのだ。これは確定判決の土台を突き崩し、石川さんの無実を明らかにする新証拠である。下山鑑定を武器に、高裁にたいして直ちに再審を開始するよう迫ろう。