未来・第207号


            未来第207号目次(2016年9月15日発行)

 1面  辺野古 高江 現地攻防への参加を
     STOP!新基地建設 大阪アクションが2周年

     9月4日 東京都防災訓練に思う
     自衛隊の参加は住民統制
     寄稿 反戦自衛官 小多基実夫

 2面  3日、車両搬入を終日阻止
     ヘリパッド建設阻止 高江で一斉行動始まる

     再び動き出した“大阪都構想”
     府と市の衛生研統合をやめよ

 3面  寄稿 弁護士 永嶋靖久
     「テロ等準備罪」も共謀罪
     法案の国会提出許すな      

     臨時国会 対決事案目白押し
     9・6大阪ロックアクション

 4面  焦点
     象徴天皇制は「国民の総意」か
     ビデオメッセージが投げかけたもの

     滋賀県で日米合同軍事演習

     朝鮮半島で米韓合同軍事演習

 5面  検証
     憲法9条は幣原の発意
     改憲派「押しつけ憲法」論は破産      

     変質する南スーダンPKO
     自衛隊はただちに撤兵を

 6面  投稿
     若狭の原発を止めるために
     結成25周年迎えた“若狭ネット”

     読者の声
     島田一尉裁判(『未来』202号〜203号)
     「不正」の内容 ぜひ明らかに      

       

辺野古 高江 現地攻防への参加を
STOP!新基地建設 大阪アクションが2周年

ヘリパッド阻止!

3日、搬入を阻止し、カチャーシャを踊る市民たち。米退役軍人らでつくるVFPのメンバーも輪に加わった
(沖縄県東村高江 2面に記事)

8月28日、「STOP! 辺野古新基地建設! 大阪アクション2周年集会」が大阪市内で開かれ、定員200人の会場は満杯になった。大阪アクションは18団体で構成され、沖縄現地と固く結びついた行動を大阪でおこなおうと、この2年間毎月のように集会・デモ、抗議行動などをおこなってきた。
この日は、緊迫した高江ヘリパッド建設工事再開強行と、国との違法確認訴訟高裁判決を目前にした辺野古の闘いにいかに勝利していくのか。沖縄現地とともに、大阪で広範な運動と行動を実現していくために何が必要か。そのことを真剣に考える集会として、沖縄の北上田毅さんの講演を軸に進められた。沖縄平和市民連絡会の北上田さんは、辺野古で抗議船の船長も務めている。

他人事ではない

集会は、〈辺野古の海に基地をつくらせない神戸行動〉の仲間の司会で始められ、大阪アクション1年間の活動報告と会計報告、沖縄民謡の唄・三線の演奏をはさみながら、高江・辺野古に行ってきた仲間の現地闘争報告、講演と質疑、行動方針が全参加者に呼びかけられた。
3人の仲間は以下のような現地闘争報告をおこなった。「7月22日の高江の状況をフェイスブックで見て、居ても立ってもいられず、他人ごとではなく、高江に行かなくてはと思った」。「現地を見ないとわからないことがたくさんある」。「沖縄差別の現実、全国からの機動隊の動員、何よりも大阪府警が県民弾圧の前面に出ている」。

2周年集会を終え、米総領事館に向かってデモ行進する参加者たち(8月28日 大阪市内)

現地攻防への参加を

北上田さんの講演タイトルは「国の沖縄への総攻撃”が始まった!」。サブタイトルは「自国政府にここまで一方的に虐げられる地域が沖縄県以外にあるのか」。国との違法確認訴訟での翁長沖縄県知事の発言を引用し、高江で強行されているヘリパッド工事の背景、辺野古における「和解」以後の法廷闘争の経過と裁判の結果にかかわらず、国は埋め立て工事に着手できないことをわかりやすく参加者に示した。
7月参院選直後に強行された高江現地の攻防に多くの時間を使って緊迫した高江の状況を解説。7月22日、9年間使っていたN1ゲート前の監視テントが強制撤去され、全国から集められた警察・機動隊が県道を埋め尽くし、座り込み住民を強制排除。オスプレイの深夜演習。国の狙いはG地区の建設着工だから、N1ゲートからの工事車両の進入を少しでも阻止したい。来年2月末まで遅らせることができれば(3月からノグチゲラの営巣期間に入り工事ができないため)国の狙いを打ち砕くことができる、と強調した。
最後に、「歴史の中に新しいたたかいが始まっている。その歴史の中にぜひ身を置いていただきたい」という山城博治さんの言葉を引用して全参加者に現地攻防への参加を呼びかけ、米総領事館までのデモに出た。

9月4日 東京都防災訓練に思う
自衛隊の参加は住民統制
寄稿 反戦自衛官 小多基実夫

写真は、立川での防災訓練、体育館内での自衛隊広報コーナーの様子
(4日 立川市松中小学校)

各地で防災訓練

9月4日、東京都の西の一大防災拠点である立川市主催の防災訓練の監視と抗議の行動(立川自衛隊監視テント村)に参加した。
8時45分、雨の中、会場の立川市立松中小学校で、宣伝カーからの呼びかけとともに参加者・見学者にビラを手渡す。訓練開始後、監視行動のため会場に入ったが、参加者は消防・市役所・自衛隊・警察・住民総計で200人程度で、訓練も実質約1時間で終わってしまった。
自衛隊の参加は、陸自第1師団後方支援連隊によるカレーライスの炊き出しと自衛隊地方協力本部立川出張所による広報ブースであった。タダで自衛隊にカレーの炊き出しを依頼し、その見返りに広報ブースを、という印象を持った。

東京五輪への治安訓練

一方、東京都主催では、首都直下型地震を想定した「東京都総合防災訓練」が、都内東部地区の都立水元公園、東京スカイツリーをメイン会場として実施された。参加者は7000人と発表。
訓練実施内容は、「避難訓練」と称する住民の集団歩行移動。「自助・共助」として消防・警察・自治体の指揮下での消火体験、救出・救護の見学。自衛隊・警察・消防による倒壊家屋からの救助・搬送、がれきの移動などの見学。災害備蓄品の展示。災害派遣の写真パネルなど自衛隊による広報など。大半は例年通りで代わり映えしないものだが、スカイツリー会場では展望デッキから100人以上の観光客役の外国人を地上に誘導するなどしたということである。

減少する参加者

近年の防災訓練を見ていると、自衛隊はビッグレスキューで都心制圧の基本的なデーターを収集し終えており、国民へのアッピールという面でも東日本大震災をはじめとする災害出動で、すでに十分に目的は達しているということなのか。20世紀末のような必死さは感じられない。
一方自治体は、参加者が集まらず参加メンバーも固定化しその上高齢者が主で、内容もマンネリ化しており危機感を募らせている。 新聞によれば、渋谷区は代々木公園で「防災フェス」、新宿区は戸山公園での「防災フェスタ」、北区は「防災運動会」と参加型のイベントを工夫し、それぞれ1万5000人、2000人、1000人以上の参加を実現したという。これらと比べると「東京都総合防災訓練」の参加者7000人の少なさが浮かび上がる。
防災訓練は、自衛隊と消防を前面に立てた訓練に住民を動員し、いざという時にはこれらのもとに住民を統制しようというものだが、それにしても東京都や立川市のように代わり映えしないやり方では動員も効かないということである。

児童、生徒を

しかし他方、このようななかで着々と積み重ねられていることがある。年に一度の事とはいえ、小学校・中学校の会場化と保育園児・小学生・中学生、ボーイスカウトや消防少年団などの児童の動員である。これがすでに20年以上も積み重ねられ、「事があれば学校の体育館やグラウンドが自衛隊の野戦の拠点に一変する」という風景が子ども・若者を中心に刷り込まれ、違和感を持たなくなっているのである。
「自衛隊は軍事組織であり戦争のためにこそ備えている。災害救助のための組織ではなく、災害救助の訓練もしなければ、災害救助のための装備も持たない」という当たり前の認識が、塗りつぶされている。
防災訓練への自衛隊の参加や自治体による参加要請に全国で反対行動を立ち上げていこう。

2面

3日、車両搬入を終日阻止
ヘリパッド建設阻止 高江で一斉行動始まる

3日、午後3時すぎ「搬入を阻止した!勝ったぞ」とシュプレヒコールをあげる市民たち
(沖縄県東村高江)

高江ヘリパッド工事道路概念図

(Hは着陸帯)

8月29日 高江の攻防は、連日激しいたたかいが繰り広げられている。作業車両は市民の抗議で2〜3時間遅れることがあるが、確実にN1ゲートから10数台が入る。この日、県民会議は9月からのたたかいの方向を明らかにした。毎週2回(水、土曜日)の一斉行動をおこなうことを呼びかけた。山城博治沖縄平和運動センター議長は「辺野古での経験から、数百人規模で行動すれば作業阻止に一定の効果が出る。多くの県民の結集をお願いしたい」と訴えた。
30日 N1裏の市民テントに機動隊が乱入、通り抜け、テント内をビデオ撮影した。この間、N1裏で沖縄防衛局は、市民のテントより100メートルのところに金網・板を設置し、壁を作り警備員を配置した。警備員はN1表より入ってくる。道路の造成はN1裏に迫っている。テント破壊に向けた調査だ。
9月1日 防衛局は、G・H地区のヘリパッド着工をおこなうことを明らかにした。市民は資材・機材の搬入阻止へ向け、G・H入り口ゲート付近にテントを設置。監視の座り込みを始めた。
3日 初めての一斉行動の日だ。市民は早朝6時にN1表ゲート前に結集。その数300人。さらに県道70号線の北と南に阻止線の車両と数十人が監視行動。そして、N1裏とG・Hに数十人の座り込み。さらに高江橋には車両100台が両側を埋め、橋の通過は一車線しかなく、大型車の通行が困難な状況を作った。車両には100人の運転手が乗り込み、工事車両が来たら橋を封鎖する体制を築いた。総勢500人。
ゲート前の集会は4時間にわたった。どの顔も工事阻止に燃え、固くスクラムを組み、工事車両阻止に備えた。機動隊は400人以上を配備したが、どこの場所でも市民に手出しができなかった。
午前中の搬入を阻止し、昼食休憩後、高江橋に集中した。約200人が残り「工事を中止に追い込もう」とスクラムを組み、その後橋の上をデモ行進した。警察は強制排除できず、デモ隊は何度も往復した。
午後3時過ぎ、警察車両が現場から離れ始めた。山城博治さんは「日暮れまで作業時間はわずかだから、もう搬入はない。勝ったぞ」と勝利宣言。市民から大きな拍手がわき、指笛が鳴らされ、三線が奏でられると、橋の上で市民はカチャーシーで喜びをあらわした(1面写真)。
7月25日の砂利搬入以来、初めて搬入作業がおこなわれなかった。機動隊の強制排除もなかった。山城博治さんは「1日でも止めることができた。これを続ければ工事は中止に追い込める。今後も一斉行動をやろう」と継続を宣言した。
6日 抗議行動中に不当逮捕。午前10時ころ「牛歩作戦」を展開していた運転手の女性を機動隊が「公務執行妨害」で逮捕。高江での逮捕は8月24日に男性が不当逮捕(25日夜釈放)以来3人目、辺野古闘争と合わせると30人目で、女性は初めて。直ちに60人で名護署に抗議行動。翌日の夜、釈放された。(杉山)

再び動き出した“大阪都構想”
府と市の衛生研統合をやめよ

新たな息吹と陣形

8月27日、「なくすのやめて! 府と市の衛生研究所 〜大阪市を残そう〜 5・17後の『都構想』を考える市民集会」が大阪市内で開かれ、主催者の予想を超える270人が参加、会場は埋まった。〈環科研・公衛研まもれネットワーク〉(注)が主催。
松井大阪府知事・吉村大阪市長のおおさか維新(「日本維新の会」に改名)による「都構想」強行=「市制改革U」と対決する広範な陣形形成と、新しいたたかいの息吹を感じる取り組みとなった。昨年5・17大阪市住民投票以降の維新勢力による巻き返し攻撃が、吉村市長体制と参院選挙後情勢をうけて急速に強まる中で、危機感を共有する当該・運動諸団体によって開かれた。主催・協賛団体は学習会などを重ねながらこの日の集会を準備し、成功につながった。

9月議会が焦点

同ネットワーク代表の江原均さんが主催者あいさつ。「ネットワークを4月に立ち上げた。両研究所の統合と独立行政法人化構想は、公衆衛生にはなじまない。感染症危機もある。9月議会が大切」と大衆決起を訴えた。
京都大学大学院教授・藤井聡さんが「『都構想』はまだ終わっていない」と題して講演。ネットワークのメンバーである公衛研労働者が、「衛生研究所の現状と課題」を報告。
府立産業技術総合研究所(産技研)の労働者が、大阪市立工業研究所(市工研)との統合問題についての緊急報告。市交通局労働者の安田匡さん(入れ墨裁判当該)、元大阪市交通局労働者などの発言が続き、最後に平松邦夫元大阪市長の飛び入り発言もあった。

社会に激しいダメージ

講演で藤井教授は、都構想は社会に激しいダメージを与えると喝破した。5・17の投票結果(維新の都構想を拒否)は重たい。「都構想」とは「ぬえ」のように同時に何物にもなれる。大衆の現状批判を使った「願望・幻想」を組織するナチス手法である。都構想でいう特別区とは「市民自治」の解体だ。「府市統合」は「有機的組織」を解体する。民営化は公益より「利益の最大化」の優先であり、先人たちがつくった公益を毀損する自殺行為であると弾劾した。

「統合」は危険

「衛生研究所の現状と課題」の報告では、この統合のもつ危険性がわかりやすく明らかにされた。疫学調査研究や府内都市への支援ができなくなり、感染症や食中毒に的確に対応するための機能が失われる。市民・行政の研究所ではなく、「お金優先」になってしまい、市民の命を守れない。東京都モデルの「機能強化」というが東京都は「独法化」してない。大阪府内で広がる結核(毎年2000人が発症し、300人が死亡)に対応(結核菌の遺伝子調査と研究で集団感染防止)できなくなってしまう。パンデミック(大流行)対応は衛生研があってこそできるが、これが失われる。市議会では否決されつづけたものを9月議会で統合への道筋をつくろうとしている。
現場からの報告はいずれも独法化のもつ衛生の危機や産業力の低下などを指摘し「こんなことは許されない」と訴えた。
安田さんは入れ墨裁判と民営化を激しく批判し、「これでいいのか―無事に安全な交通を市民に保障する交通政策をつくるべき」と熱く訴え、労働組合らしいたたかいをと結んだ。平松さんは「市民のための2つの衛生研究所を守ろう。5・17の市民のたたかいは市民集団が都構想の幻想を打ち砕いた。地方自治を」と締めくくった。

反グローバル主義運動

松井―吉村の新維新体制のもとで、「改革の柱U・官民連携推進」(9月議会)として大阪の自治が作り上げた地下鉄・バス、大学、水道の民営化が一挙に動き出そうとしている。その先駆けとして「衛生研究所」統合問題がある。この動きは日本維新の会の改憲勢力化・小池都知事現象とも連動している。
たたかいが遅れている。今回の8・27の取組みは、これに大衆的に反撃する広範な陣形が踏み出されたことを意味する。なにより、現場当該が主体となって新自由主義・グローバル主義とたたかう市民団体と連携して訴えたことは重要である。10月には、別団体による水道民営化とたたかう学習会も準備されている。この新しいたたかいに注目と合流をつくりだそう。   (森川数馬)

(注)
環科研 大阪市立環境科学研究所
公衛研 大阪府立公衆衛生研究所

3面

寄稿 弁護士 永嶋靖久
「テロ等準備罪」も共謀罪
法案の国会提出許すな

2003年初めて国会に提出された共謀罪法案は、以後、広範な市民の反対の声によって2009年までの間に3度にわたって廃案となった。
当時国会に提出された共謀罪法案(旧法案と呼ぶ)は、法定刑が死刑、無期若しくは長期4年以上の懲役あるいは禁錮刑の罪に当たる行為について、「団体の活動として、当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を共謀」することを犯罪として処罰しようとした。その当時で600を越える罪に当たる行為について合意だけで処罰するものであり、市民運動や労働運動、会社組織なども含めてとめどなく処罰対象が広がり、思想処罰と紙一重の現代の治安維持法などと批判された。

批判を恐れる法務省

この共謀罪法案について、朝日新聞は8月26日付朝刊一面トップで「共謀罪 要件変え新設案 『テロ等準備罪』国会に提出検討」と報じた(新法案と呼ぶ)。27日にかけてマスコミは一斉に政府が9月26日召集の臨時国会にテロ対策の一環として法案提出を予定していると報じた。一部与党議員の間には法務省が検討中という法案の資料がすでに流布している。
ところが、政府は新法案の内容を公式には一切発表せず、菅官房長官も26日昼の記者会見で「懸念が根強いことも踏まえて法案の国会への提出は慎重に検討する」と述べるだけだ。法務省は新法案の内容が広く知られて批判にさらされることを恐れている。議論を封じたまま抜打ち的に国会提出して成立させようとしている。
法務省はなぜ批判を恐れているのか。それは名称と要件を変えたと言っても、その実質は新法案も旧法案と何ら変わりがないことを、法務省自身がよく知っているからだ。
法務省がまとめたとされる資料では、新法案を組織犯罪準備罪と呼んでいるが、その要件を次のように整理している。
「(1)対象となる犯罪は限定されている
@『組織的犯罪集団である団体』の活動として行われる犯罪であること
A犯罪の実行のための『組織』により行われる犯罪についての計画であること
B重大な犯罪(懲役・禁固4年以上の刑を科すことができる犯罪)であること
(2)計画は具体的・現実的な計画でなければならない
(3)計画に加えて、計画した犯罪の準備行為が行われることが必要」
そして「今回新たに『団体』を組織的犯罪集団に限定し、(3)の要件を付加」と説明している。
しかし、法務省の説明にしたがっても、「組織的犯罪集団である団体」が限定になっておらず、「犯罪の準備行為が行われること」が新たな要件になっていないなら、旧法案にたいする批判がそのまま新法案に妥当することになる。

「共謀」を「計画」と言い換え

旧法案では「共謀」と表現されていたものが、新法案では「計画」と表現されているが、ただの言い換えだ。「組織」によりおこなわれる犯罪の計画だけを処罰すると言っても、2人以上の間で行為の共謀があるとされれば、そこには行為に向けた「組織」が存在することにされてしまうから、「組織」は何のしばりにもならない。これは旧法案のままだ。
法務省のいう「重大な犯罪(懲役・禁固4年以上の刑を科すことができる犯罪)」も旧法案のままだ。公衆便所の落書き(建造物損壊)や万引き(窃盗)をはじめとして、旧法案当時で600以上、現在では700近くに及ぶ行為の相談に共謀罪が成立することになる。
また、「計画は具体的・現実的な計画でなければならない」というけれど、「漠然とした相談」「意気投合した程度」と「具体的・現実的な計画」は程度の問題だ。前者と後者をはっきりと区別することなど不可能だ。さらに、法務省自身が、旧法案当時、目くばせでも十分共謀が成立する場合があると国会で答弁している。

「組織犯罪者集団」とは

新しい要件という「組織的犯罪集団である団体」は何かの限定になっているか。「組織的犯罪集団」とは、その結合関係の基礎としての共同の目的が死刑若しくは無期若しくは長期4年以上の懲役若しくは禁固の刑が定められている罪等を実行することにある団体だ。
目的が4年以上の懲役・禁固の罪は前記のとおり600を越える。
そして、これらの行為を共謀すれば、その計画によって「その罪を実行することになる団体」が成立したと解することが可能だ。つまり、「組織的犯罪集団」も「団体」の言い換えにすぎないのだ。
では「犯罪の準備行為が行われること」は新たな要件として意味があるか。新法案でも犯罪は共謀それじたいによって成立している。準備行為は犯罪成立後の処罰の条件にすぎない。準備行為について共犯者同士の合意はいらないし、ほかの共謀者が知らなくても誰か一人が準備行為とみなされる行為をするだけで処罰できる。
朝日新聞が新法案を「組織的犯罪集団に係る実行準備行為を伴う犯罪遂行の計画罪」と報じて「組織的犯罪集団に係る犯罪の実行準備罪」と表現していないのはその意味だ。準備行為は犯罪の構成要件ではなく、だからこそ新法案も「計画(共謀)」罪であり、新法案を「準備罪」と呼ばせることは法務省のミスリードだ。また、何をもって準備行為とするかについて,何の限定もない。当該犯罪が現実に実行される可能性が高まったと捜査機関が認めれば足りる。
結局、旧法案も新法案も法律的にはその内容に変わりはない。新法案も名前を変えた共謀罪だ。新法案は、旧法案と同じように公衆便所の落書きの相談、万引きの相談、キセル乗車の相談等々をテロ対策として処罰する。反原発抗議行動の相談、新基地建設阻止の相談等々、広範な市民運動、労働運動をテロ対策として処罰する。

共謀罪は治安法制の要

治安維持法は国体の変革と私有財産の否認の思想を処罰した。では共謀罪はどのような思想を処罰するのか。共謀罪が処罰するのは「思想」ですらない。処罰されるのは「危険な相談」だ。いや、相談が危険なのだ。
今では、旧法案の国会提出当時にはなかった、大改悪された盗聴法や司法取引制度がある。与党は改憲発議可能の議席を手にして、この秋から改憲に向けて動き出す。共謀罪が成立すれば、改憲反対運動の弾圧に猛威をふるうだろう。
さらに、共謀罪は、単なる弾圧のひとつの装置や政策にとどまらない、恐怖と不安を基軸とする国民統合と治安法制の要となるかもしれない。戦争に向かう社会に投げ入れられた共謀罪は、人々の政治的自由や団結を抑圧することによってだけではなく、あるいはそれ以上に、張り巡らされた監視システムのもと、コミュニケーションの監視・分断・抑圧をもたらすものとして人と人との関係そのものに働きかけることで、社会のありかたを変え、そして社会をさらに大きく戦争へと進めてしまうかもしれない。
共謀罪新法案を国会に提出させてはならない。新法案の国会提出を狙う法務省と与党に抗議の集中を。

臨時国会 対決事案目白押し
9・6大阪ロックアクション

6日、戦争あかん! ロックアクションが大阪市内で開かれ150人が参加した(写真)
冒頭、主催者を代表して服部良一さんがあいさつ。26日に臨時国会が始まる。政府が消費増税を見送ったため、予算の組み替え問題が発生している。年金問題(掛け金年数の変更)では、与党が「財源がない」と言い出した問題が争点になる。さらに、法律関係では(争点は)3つある。ひとつめは「共謀罪」。「テロ等準備罪」に名前を変えて登場してくる。ふたつめに、労働基準法の改悪問題。これは残業代ゼロ法案=ホワイトカラーイグゼンプション。
3つめはTPPで、国会批准と関連法案成立を狙っている。
次に、滋賀県あいば野演習場で日米合同演習がくりひろげられていることにたいして、9月10日の現地での抗議集会を、〈2016あいば野に平和を! 近畿ネットワーク〉の星川洋史さんが呼びかけた。
弁護士の永嶋靖久さんは、26日開会の臨時国会で、名前を変えて提出が狙われている「共謀罪」について、実体は全く変わっていないことをわかりやすく解説。法案を国会に提出させないよう抗議しようと訴えた。

沖縄からの報告

7月下旬から8月下旬まで約1カ月間、沖縄(辺野古、高江)に行ってきた仲間が、現地の緊迫した状況を報告。辺野古新基地の建設を阻止し、高江のヘリパッド建設を阻止するため大きな声を上げようと訴えた。
8月21日投票の大阪府箕面市議選で、見事当選を果たした増田京子さんはメッセージを寄せ、同じく当選した中西とも子さんが発言。9月25日投票の大阪府河南町議選で、2期目をめざす佐々木希絵さんが発言。支援を訴えた。
この日、大阪市内は大雨洪水警報が出ていたが、さいわい雨もふらず、集会後、元気よく大阪駅の西側までデモ行進した。

4面

焦点
象徴天皇制は「国民の総意」か
ビデオメッセージが投げかけたもの

憲法違反のメッセージ

8月8日、宮内庁は天皇アキヒトのビデオメッセージを公表し、各テレビ局によって一斉に放送された。約11分間のビデオでアキヒトは、「生前退位」への希望を明確にした。現行の皇室典範では、天皇の「生前退位」にかんする規定はない。1889年(明治22年)に裁定された旧皇室典範では、天皇の地位は終身であることが前提とされており、それが現在も引き継がれている。天皇の生前退位を認めるためには、皇室典範という法律の改正が必要となる。
憲法第4条では、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と規定している。今度のように天皇が「生前退位の希望」をテレビ放送を通じて「直接国民に訴える」という行為は、法改正を求める政治行為にあたり、明らかな憲法違反である。
8月8日のアキヒトのビデオメッセージでは、「生前退位」という言葉は使われていない。そこは憲法の規定に抵触しないよう「慎重を期した」ということもできよう。しかしながら、7月13日、NHKニュース7が「天皇が近々『生前退位』の意向を示す」と報道し、十分に世論の注目を集めた上でなされた放送であることを考えれば、このような策を弄することによって憲法違反の事実を免れることはできない。

「国民の総意」とは

さて、アキヒトのビデオメッセージが投げかけた重要な問題は他にもある。このメッセージで際立っていたのは「象徴」という言葉が8回も使われていたことだ。アキヒトは「象徴としての天皇の務め」を果すために「生前退位」が必要であると訴えたのである。これを受けて、議論が「象徴の務めとは何か」という方向へと流されているが、そこでは、天皇が「日本国の象徴であり、国民統合の象徴」であるということについて何の疑問も呈されていない。
憲法第1条では、天皇を「日本国の象徴であり、国民統合の象徴」であるとし、「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と規定している。問題はここでいう「国民の総意」が、いつ、どのような経緯で形成されたのかということだ。
明治憲法では天皇は国家元首であり、統治権を一手に掌握していた。戦前の日本は天皇主権国家だった。1945年の敗戦にいたるまで、日本は天皇の権限によって諸外国にたいして戦争をおこなってきたのだ。戦後開かれた極東軍事裁判においては、天皇の戦争責任の追及が当然予想されていた。このときまさに天皇制は存続の危機にあったといってよいが、それでは当時の日本国民の中から天皇の訴追に反対し、天皇制の存続を求める広範な声が上がったのか。そのような事実はない。
憲法学者の奥平康弘は「僕は、連合国側が天皇制廃止を選択していたら、日本人は案外すんなりとそれを受け入れたに違いないと思う。そして戦後の日本は『天皇制をもたない新しい日本国』として、十分に成立したはずです」と述べている。(注1)しかし、そうはならなかった。
このとき天皇制存続のために重要な役割を果したのは、連合国軍最高司令官・マッカーサーと昭和天皇ヒロヒトの2人であった。

天皇とマッカーサー

マッカーサーは、46年1月25日、アイゼンハワー陸軍参謀総長に宛てた書簡で「天皇を起訴すれば、間違いなく日本人の間に激しい動揺を起こすであろうし、その反響は計り知れない。占領軍の大幅な増大が必要となり、最小限100万の軍隊が必要となろう」と書き送っている。マッカーサーは、日本占領を安定して進めるためには天皇の訴追だけは絶対に避けなければならないと考えていた。
46年1月1日、ヒロヒトは天皇の神格化を否定する「人間宣言」をおこなった。連合国にたいして、「今後一切、現人神・天皇のもとに数百万の軍隊を動員することはしない」と宣誓したのである。「人間宣言」の草案は実は英文だった。「人間宣言」はマッカーサーの意向に従ったものだったのだ。(注2)
次いでマッカーサーは、ソ連や中国を含む、極東委員会の第1回会議が予定されていた2月26日までに、@天皇制の存続、A戦争の放棄、B封建制度の廃止を3原則とする憲法改正の手続きを開始するために、GHQ民政局に憲法改正案の作成を指示した。極東委員会とは日本の占領政策の最高決定機関であり、ソ連や中国(中華民国)を含む11カ国が参加していた。極東委員会が発足すれば、ソ連、中国、イギリスなどが天皇制の存続に反対することは明らかであった。
民政局は2月3日のマッカーサーの指示からわずか9日間で憲法改正案を起草し、13日には日本政府に手交した。日本政府は22日、GHQ案の事実上の受け入れを閣議決定した。このとき翻訳されていたのは、第1章と第2章だけであった。(注3)
GHQ案の憲法第1条は、現行憲法第1条とほとんど同じである。このような新憲法の制定過程は、象徴天皇制が「国民の総意に基づく」ものではなく、マッカーサーによって「押しつけられた」ものであったことを明らかにしている。

「天皇外交」

こうしたマッカーサーの意向を当時の日本人の中で積極的に受け入れた人物が、ほかならぬ天皇ヒロヒトだったのである。ヒロヒトとマッカーサーは、45年9月27日の第1回会見を皮切りに、51年4月にマッカーサーが解任されるまで、11回にわたって会見をおこなっている。46年10月16日の第3回会見では、ヒロヒトが「戦争放棄によって日本が危険にさらされる」と危惧を表明したのにたいし、マッカーサーがこれを諭している。しかしヒロヒトの不安はこれで収まらず、翌47年9月には、沖縄における米軍の占領が「25年から50年、あるいはそれ以上にわたる長期の貸与というフィクション」のもとで継続されることを望むという「沖縄メッセージ」をマッカーサーに送った。
さらに注目すべきは、サンフランシスコ平和条約と旧日米安保条約の締結にいたる過程でのヒロヒトの言動である。
米側が平和条約締結にあたってもっとも懸念していたのは、占領終了後も「われわれが望むだけの軍隊を望む場所に望む期間だけ駐留させる権利を獲得できるだろうか」(国務長官ダレス)ということであった。
これにたいして当時の首相・吉田茂は国会で「私は軍事基地は貸したくないと考えている」「単独講和の餌に軍事基地を提供したというようなことは、事実毛頭ございません」と明言していた。ところが天皇はダレスにたいして送った文書メッセージで、このような吉田の態度を批判し、「日本側からの自発的なオファ(提案)」というかたちをとれば米側の懸念も解消できると書き送ったのである。
51年9月8日、平和条約と同時に締結された旧安保条約では「日本国は、その防衛のための暫定措置として、日本国にたいする武力攻撃を阻止するため日本国内及びその附近にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望する」となっている。「日本国の希望」で米軍の無制限の駐留を認めたのだ。これはヒロヒトの意向と100%合致するものであった。

天皇制の存否を問う

このように憲法の規定をないがしろにする「天皇外交」にヒロヒトを駆り立てたものは何であったのか。政治学者の豊下楢彦はそれを「米軍による『国体護持』という安保体制を確立するため」(注4)であったと分析している。
米軍の占領政策に積極的に協力し、戦争責任を免れ、日米安保体制という米軍による「日本占領」の永続化によって守られてきたのが天皇である。日本の侵略戦争にたいする責任を不問に付すこうした政治システムが、東アジア諸国人民との間で未だに深い溝を残す原因となっている。また沖縄人民にたいして耐え難い苦痛を現在も強制し続けている。
このような天皇をいつまで「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」として押し戴きつづけるのか。天皇のビデオメッセージをめぐって問われなければならないのは、「生前退位」の是非ではない。アキヒトを最後の天皇とするのかどうか、すなわち天皇制の存続の是非である。日本人民の主体的な選択が問われている。
   (汐崎恭介) 

(注1)奥平康弘・木村草太『未完の憲法』(潮出版社2014年)
(注2)矢部宏治『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル2014年)
(注3)古関彰一『日本国憲法の誕生』(岩波現代文庫2009年)
(注4)豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』(岩波現代文庫2008年)

滋賀県で日米合同軍事演習

8月29日、滋賀県高島市にある陸上自衛隊饗庭野演習場で日米合同軍事演習「オリエントシールド」が始まった。陸自第3師団900人、米陸軍450人を動員して9月21日までおこなわれる。9月10日には、現地で抗議の集会デモがひらかれた。

朝鮮半島で米韓合同軍事演習

朝鮮半島での戦争を想定した米韓合同軍事演習「乙支フリーダムガーディアン」を8月22日から9月2日まで、米軍2万5千人、韓国軍5万人を動員して韓国全土で実施。 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は8月22日、談話を発表。「わが共和国に対する核先制攻撃を狙った重大な軍事的挑発であり、地域の平和と安定に対する挑戦である」と非難した。
北朝鮮の目と鼻の先で圧倒的軍事力を展開する演習は、重大な挑発行為だ。

5面

検証
憲法9条は幣原の発意
改憲派「押しつけ憲法」論は破産

7月参議院議員選挙で、与党+改憲派が3分の2を占め、衆参両院で改憲発議が可能となった。安倍内閣は9月議会から、憲法審査会で改憲の議論を進めようとしており、改憲とのたたかいが待ったなしの情勢に入った。
『世界』2016年5月号に堀尾輝久氏の「憲法9条と幣原喜重郎」が掲載されている。それを受けて、「東京新聞」が「9条は日本側が提案―マッカーサーの書簡発見」(2016年8月12日)という特集記事を掲載し、多くの人々の知るところとなった。
堀尾論文のキーパーソンは「幣原喜重郎、マッカーサー、高柳賢三」である。堀尾氏はこの3人の証言をとおして、憲法9条はアメリカの押しつけではなく、日本側からの提案だったことを再確認し、9条改憲にクギを刺した。
まずは、幣原喜重郎について確認しておこう。幣原は1872年に生まれ、1951年に没している。1915年に外務次官となり、1922年のワシントン会議(国際軍縮会議)においては全権委員をつとめた。1924年の加藤内閣以降、若槻内閣、濱口内閣で外務大臣を歴任した。幣原は国際協調路線をとり、軍部の軍拡路線と対立した。
1930年にロンドン海軍軍縮条約を締結させると、軍部からは「軟弱外交」と非難された。その後、1931年9月、関東軍の独走で勃発した満州事変の収拾に失敗し、12月に政界を退いた。
1945年10月9日に、敗戦後2番目の内閣として幣原内閣が成立し、1946年4月22日に総辞職している。その間にGHQとやりとりしながら、新憲法の基本的方向性を準備し、11月3日、吉田内閣のもとで発布され、翌年5月3日に発効した。幣原は憲法9条の産みの親として、大きな役割を果たした。

9条誕生のいきさつ

1946年1月24日にマッカーサーと幣原の会談がおこなわれた。この会談で、幣原が戦争放棄案を提案したのか、それともマッカーサーが提起したのかが曖昧にされてきた。その曖昧さが改憲派の「押しつけ論」の入り込む余地を残してきたのである。
1956年2月に、議員立法で憲法調査会が設置され、1957年8月に岸首相のもとで、議員20人(社会党10人は空席)、有識者19人で発足し、第1回総会が開かれた。会長には高柳賢三が就いた。改憲のための報告書を出そうとしていた多数派にとって、高柳会長はやっかいな存在だった。
1958年高柳は訪米し、12月1日にマッカーサーへの会見を申し入れ、@占領統治のあり方、A天皇制問題、B第9条問題について質問している。12月5日にマッカーサーから返事の書簡を受け取った。
質問Aについて、マッカーサーは「天皇制の維持は、わたくしの不動の目的でありました。天皇制は、日本の政治的、文化的生存に固有のものであり、欠くことの出来ないものでした」と答えている。
質問Bについて、マッカーサーは「本条は専ら外国への侵略を対象にしたものであって、…。本条は、幣原男爵の先見の明と経国の才とえい知の記念塔として、永存することでありましょう」と答えている。
このやりとりはすでに公表されており、著者堀尾はこの両者のやりとりから、交戦権の放棄と戦力の放棄は幣原の提案であったことを「窺わせる」と判断していたが、まだ決定的な証言を得てはいない。1946年3月の幣原演説、4月の対日理事会でのマッカーサーの発言を併せて、「幣原発意説」としている。

新証拠でダメ押し

1958年12月10日、高柳はマッカーサーに「幣原首相は、新憲法起草の際に戦争と武力の保持を禁止する条文を入れるよう提案しましたか。…貴下が日本政府にたいして、このような考えを憲法に入れるよう勧告されたのですか」と、ストレートに質問の手紙を出している。この質問にたいするマッカーサーの返事が新証拠である(資料)。 12月15日のマッカーサーの回答は「戦争を禁止する条項を憲法に入れるようにという提案は、幣原首相がおこなったのです。…わたくしは、首相の提案に驚きましたが、首相にわたくしも心から賛成であると言うと、首相は、明らかに安堵の表情を示され、私を感動させました」というもので、1951年5月5日の上院軍事外交合同委員会でのマッカーサーの証言と同じ内容である。
この2通の手紙で、高柳は「9条の直接の発意者は幣原であり、いわゆる押しつけ論の根拠はない」と確信した。

新憲法成立

1946年1月24日にマッカーサーと幣原の会談(通訳なしで3時間)にまで話を戻そう。
2月1日に帝国憲法の手直し的改正案である「松本試案」がスクープされ、これにたいしてマッカーサーは「三原則(@天皇は国家の首部にある、A戦争を放棄する、B封建制度を撤廃する)」を提示した。2月8日、憲法改正要綱(松本試案)をGHQに提出したが、2月13日にマッカーサーはGHQ案を日本政府に交付した。これを受けて、3月6日に政府案としての憲法改正草案要綱(主権在民、天皇象徴、戦争放棄)が発表されたのである。
3月27日、「戦争調査会」の開会挨拶で、幣原は「原爆よりもさらに強力な破壊的新兵器も出現するであろう時、軍隊を持つことは無駄なことだ」と、戦力不保持を明確に宣言し、4月5日には、連合国対日理事会でマッカーサーは「私は戦争放棄にたいする日本の提案を、全世界の人々が深く考慮することを提唱するものです」と追認したのである。 4月10日、新選挙法(女性参政権)のもとで、衆議院議員選挙がおこなわれ(自由141、進歩94、社会93、協同14、共産5、他119)、4月22日に幣原内閣が総辞職した。5月22日に吉田内閣が成立し、6月20日に憲法改正案が帝国議会に提出され、11月3日に日本国憲法が公布。翌1947年5月3日に施行した。【1946年6月28日に、共産党が憲法草案(天皇制を廃止して共和制)を発表】
堀尾氏は「中江兆民、田中正造、内村鑑三など、9条につながる日本の平和思想の流れ …… それこそが9条を生み出す土壌であり …… 幣原はそれを新しい思想として熟させ …… 」と述べているが、幣原をそんなに美化していいのだろうか。
1951年2月に平野三郎は幣原に会い、聞き書き(憲法調査会によって印刷され、現在、国立国会図書館に収蔵)をおこなった。そこでは、幣原の最大の問題意識は天皇制の存続にあり、天皇制がアジア侵略戦争の根源であるとして、天皇制の廃止を求める諸国にたいして、幣原は戦力不保持と象徴天皇制をセットにすることで、連合国から天皇制の存続の合意を取り付けたと書かれている。

憲法9条は国際公約

ことの本質は、天皇制護持を求める幣原と軍事的再生を阻止するマッカーサーの意志が一致したのであり、どちらが先に「9条」を提案したのかはまったく意味のない詮索である。
とはいえ、憲法公布から70年間、くりかえし「押しつけ」を論拠にして9条改憲攻撃が吹き荒れてきたが、かろうじて人民の力で守ってきた。憲法9条は侵略戦争で数千万のアジアの人々と自国民を犠牲にしたことにたいする謝罪と反省の国際公約である。(須磨明)

【資料】マッカーサーの手紙
1958年12月15日   親愛なる高柳博士
 12月10日付貴信を受けとり、とりあえず次の御質問にお答えいたします。
 「幣原首相は、新憲法を起草するときに戦争および武力の保持を禁止する条項を入れるように提案しましたか。それとも、首相は、このような考え方を単に日本の将来の政策の問題として提示し、貴下がこの考えを新憲法に入れるよう日本政府に勧告したのですか。」
 戦争を禁止する条項を憲法に入れるようにという提案は、幣原首相が行ったのです。首相は、わたくしの職業軍人としての経歴を考えると、このような条項を憲法に入れることに対して、わたくしがどんな態度をとるか不安であったので、憲法に関しておそるおそるわたくしに会見の申込をしたと言っておられました。わたくしは、首相の提案に驚きましたが、首相もわたくしも心から賛成であると言うと、首相は、明らかに安堵の表情を示され、わたくしを感動させました。 クリスマスをお祝いしつつ
拝具  
ダグラス・マッカーサー  
憲法調査会会長 高柳賢三殿

変質する南スーダンPKO
自衛隊はただちに撤兵を

8月24日、稲田朋美防衛相は3月末に施行された戦争法(安全保障関連法)に基づいて、「駆け付け警護」と「宿営地の共同防護」のふたつの新任務のための訓練を開始すると発表した。
「駆け付け警護」とは、PKOで派遣された自衛隊部隊が、離れた場所にいる非政府組織(NGO)職員やPKO要員を救出するもの。また「宿営地の共同防護」とは、自衛隊が他国軍と共同して拠点を防衛するというもの。
これは11月から南スーダンに派遣される陸上自衛隊の交代部隊に新任務を付与することを前提にした訓練である。防衛省は隊員が習熟するには2〜3カ月の訓練が必要とみており、8月末から開始すれば11月の南スーダン派遣に間に合う。

南スーダンPKOの正体

2011年7月、スーダン人民解放運動(SPLM)によってスーダンの南部が独立して新たな国家・南スーダンが成立した。独立した地域はアフリカでも有数の産油地帯であり、アメリカと中国の企業が急速に進出している。独立と同時に発足した国連南スーダンPKOの真の目的は石油権益の安定的な確保だった。
しかし独立前からあったSPLMの内部抗争が鎮静化せず、2013年、キール大統領がマシャール副大統領を罷免したことによって内戦が勃発した。
今年7月、首都ジュバで大規模な軍事衝突が発生したことを理由に、国連安保理は、8月12日、南スーダンに強い権限を持つ4千人の「地域防護部隊」を増派する決議案を採択した。 この地域防護部隊は、国連施設や市民への攻撃を準備していると判断すれば、たとえ相手が南スーダン政府であっても、より積極的な武力行使に踏み切る権限を与えられる。この決議にたいして南スーダン政府は「内政干渉だ」と非難し、拒絶していた。
しかしアメリカが主導して、増派に反対し続ければ、同国への武器禁輸措置をとるなどの圧力をかけ、今月4日、南スーダン政府に増派を受け入れさせた。
南スーダンPKOは、強国の利害のための武力による内政干渉へと姿を変えつつある。そこへ自衛隊が武力行使を認める新任務を受けて参加することは、南スーダン人民にたいする侵略行為に加担することであり、断じて許されない。

6面

投稿
若狭の原発を止めるために
結成25周年迎えた“若狭ネット”

1991年9月7日、若狭連帯行動ネットワーク(若狭ネット)が結成され、今年の9月で25年を迎える。
9月4日、大阪市内で若狭ネット結成25周年特別企画の集会がひらかれた。会場に入ると25年前の若狭ネット結成時の若々しいメンバーの顔写真が映し出されていた。会場に入ってくる面々は「なつかしいなあ」「若かったな」などと声をかけながら、たたかいの年輪を確かめ合っていた。

耐震設計のごまかし

集会は冒頭、若狭ネット25年のたたかいをふりかえって、「島崎氏の問題提起(注)につながった若狭ネットの取り組み」と題して、若狭ネット資料室長の長沢啓行・大阪府立大名誉教授が報告をおこなった。
若狭の原発を一日も早く止めようと活動し続けている中で、1995年1月17日の阪神・淡路大震災を体験したことで「地震と原発」問題をとりあげ、安全規制当局や関西電力の責任を粘り強く追及してきた。詳しいデータ資料をもとに原発耐震設計のごまかしを暴露批判してきた。2014年3月に国会内の会合で原子力規制庁のベテラン審査官を追及した。この追及に審査官は明確な回答ができず、島崎邦彦委員長代理(当時)に相談して検討すると約束。
同年9月原子力規制委員長代理を任期切れで退職した島崎・東大名誉教授が退任後本格的に検証作業を開始、2016年6月、原発基準地震動(耐震設計の目安となる揺れ)が計算式の不備で過小評価されていることを指摘するに至ったことを報告した。

フクシマを繰り返すな

若狭ネット代表・久保良夫さんは、写真を中心に節々のたたかいを振り返って25年の歩みを報告した。 和歌山県日高原発建設阻止・日置川原発阻止の勝利を引き継ぎ、1991年2月の美浜2号機蒸気発生器細管ギロチン破断事故を契機に、稼働中の若狭の原発を止めるため、同年9月若狭ネットを結成した。
美浜町など福井県内へのビラ入れ行動、署名集め、新聞折込基金運動、美浜事故究明運動、関西電力への申し入れ行動・責任追及(初めのころは応接室で対応していた写真もあり)、福井県への申し入れ行動などさまざまな取り組みの報告。
95年1月17日阪神淡路大震災を機に「地震と原発」の問題を取り上げ、政府や関電を追及。
2011年3月の東日本大震災と福島原発事故から、全国の原発再稼働阻止、脱原発、福島事故を繰り返さない、全国各地のたたかいとつながっていく。
島崎氏による問題提起に原子力規制委員会の動揺など、たたかえば勝てる状況がある。フクシマを繰り返す前に勝たなければならない。継続は力なり。若い人の参加を期待して勝利までたたかおうと締めくくった。
最後に福井から駆けつけた4人から、立地地元での苦しいたたかいの報告があった。夜遅く人目を忍んで各戸へのビラ入れをしたこと、住民と対話しながらアンケートを取ったこと、原発反対に名前を出したら店の客が減ったことなど、住んでいる地元で、対話をしながら地道に取り組んできたことなどが報告された。
未来の子や孫に明るい未来を描けるように、反原発・脱原発で共に頑張りましょう。(佐野裕子)

(編集部注)東大地震研究所教授、日本地震学会長などを歴任し、2014年9月まで原子力規制委員会の委員長代理を務めた島崎邦彦氏が、関西電力の大飯原発を襲い得る地震の揺れの想定は「過小評価だ」と指摘、規制委に揺れの再計算を要請。その結果に納得せず再々計算も求めている。原子力規制委員会は、彼が抜けた後、地震の専門家はひとりもいない。

読者の声
島田一尉裁判(『未来』202号〜203号)
「不正」の内容 ぜひ明らかに

小多基実夫様
島田1尉の裁判に関する一連の文章を読ませていただきました(『未来』202号〜203号)。そして、すぐに思いつきましたのは、アメリカのドレーク事件でした。この事件は概要次のようなものです。

ドレーク事件

2001年9月11日事件後、ブッシュ政権は国内の監視体制の強化を試み、NSAに「トレイルブレイザー」という新監視プログラムを導入し、このプログラム単体で約400億ドルを投入しようとしました。しかしこのプログラム導入の責任者だったトーマス・ドレークと元NSA職員および下院秘密情報機関監視委の元委員は、この監視がアメリカ国民全体を対象とするものであり、それゆえ憲法違反であり、「シンスレッド」という内部開発プログラムを用いれば、400億ドルの節約になると、NSA当局に内部告発し、それが拒否された後、国防総省の監察官に告発しました。
その結果、この内部告発は本質的に妥当であると判断され、2006年には合州国下院がこの監視プロジェクトを中止させました。しかし、その後の2007年ドレークたち告発者は逮捕され、ドレークは1917年(アメリカの第一次世界大戦への参戦の年)に制定されたスパイ防止法で起訴され、紆余曲折(起訴理由の変更)の後に、敗訴しました。

両事件の共通性

NSA当局への内部告発と埼玉地本上層部への意見具申とが、そして国防総省への告発と東部方面総監への公益通報とが、権力の側の報復裁判と島田1尉の側からの公益通報弾圧を弾劾する裁判とが対応するというわけです。
そしてこのパラレルは、米帝、日帝の中核的権力機構において内部告発が機能していないことを示し、裁判所が、それらの機構の主張を追認するのか、内部告発者への報復に加担するのかの違いはあるけれど、権力の側に立ち、人民に敵対している点で共通していることを示しています。

弾圧から守るために

そこで質問なのですが、「トレイルブレイザー」による監視に相当する、「自衛官募集業務に対する民間協力者(募集相談員)の功績をたたえる藍綬褒章をめぐる自衛隊の組織を挙げた不正」の内容についてほとんど触れられていないのは何か理由があるのでしょうか。
ドレーク事件の概要は『シュピーゲル』(2016年21号)の記事「一人の男がコースをはずれる」を参考にしましたが、そこでも「トレイルブレイザー」による監視が憲法違反であり、税金のむだ使いであると、やや抽象的ではありますが、「トレイルブレイザー」による監視の内容に触れています。
島田1尉の件では、裁判を通じて「公益通報に対する弾圧の実態解明」を求めたわけですから、「不正」そのものの内容が裁判で公開されたか、あるいはされるはずだったわけです。
ですから、私たちの新聞上で、その内容がふせられねばならない理由はないように思えます。また「島田1尉の渾身の決起を真に受けとめ、弾圧から守りぬくことによって「民衆の側に立って内部告発に立ち上がる兵士の道」が踏み固められます。
「戦争に駆り出される隊内兵士の危機感と生の声を広めていこう」という小多さんの主旨にとっても「不正」の内容への踏み込みは必要なのではないでしょうか。それとも党派の新聞に「不正」の内容が載ることは、島田1尉へのさらなる弾圧をよび込むことになるのでしょうか。お教え下さい。
生田信夫