沖縄県東村
高江現地に支援の集中を
ヘリパッド工事 機動隊500人を全国動員
米軍北部訓練場N1ゲート前に、1600人が結集して抗議(7月2日沖縄県東村) |
選挙翌日の高江急襲
7月11日、東村高江でヘリパッド工事が再開された。午前6時過ぎ、米軍北部訓練場のメインゲートより、簡易トイレ、プレハブ用の資材を乗せたトラックが次々と基地内に入るのが確認された。住民は直ちに現場にかけつけ、60人が座り込んで抗議した。沖縄県警は暴力的にごぼう抜きを始めた。
10日の参議院選挙の伊波洋一さんの勝利で示された沖縄県民の民意を力でねじ伏せるやり方に、県民の怒りは沸騰した。キャンプ・シュワブ前に座り込んでいた市民は、山城博治さんを先頭に高江へと駆けつけた。
11日以降連日メインゲート前の攻防が繰り返された。全国からの支援も徐々に増えてきた。
16日、メインゲート内にはプレハブが設置された。また、ゲート周辺の柵の設置を終え防衛局職員が常駐した。さらにN4地区でも市民の車を排除し、柵を設けて職員を常駐させ監視している。名護署は、N1地区のテントの撤収を警告した。「19日までに撤去しないと強制撤去もあり得る」と示唆した。全国から機動隊500人が高江に配備される。N1での攻防が徐々に高まってきた。
150台の車輌で抵抗
21日、N1ゲート前で緊急抗議集会がおこなわれ1600人が結集。どの顔も緊張とたたかう姿勢がみなぎっている。防衛局は22日早朝からN1ゲート前を通る国道を封鎖し、N1ゲートの市民のテントや車両を撤去する方針を明らかにした。緊急集会ではこれに合わせて「現場に残って阻止しよう」と訴えた。
22日、前夜から泊まり込んだ200人は、早朝からの攻防に備え配置についた。N1ゲート前には車150台以上が道路いっぱいに停まって、レッカー車の侵入阻止を図った。車での封鎖は、2012年オスプレイ配備を阻止するため、普天間基地・大山ゲート、野嵩ゲートを封鎖したが、その時以来。今回はその10倍近い車両がゲート前封鎖に参加した。かってこのようなたたかいがあっただろうか。
7月23日、東京新宿で安倍政権による辺野古新基地建設と高江ヘリパッド工事強行に抗議するデモがおこなわれた |
夜明けの攻防
夜明けとともに、沖縄防衛局は国道を封鎖し、高江を戒厳令状態にした。全国動員500人の機動隊、沖縄県警が座り込む市民に襲いかかった。市民はひるむことなく徹底抗戦。ゲート前に置かれた宣伝カーにひもで体を縛ってたたかった。機動隊の暴力は凄まじかった。宣伝カーでの攻防はテレビでも放映され、機動隊が市民を殴っている様子がはっきりと映し出されていた。市民の車は次々とレッカー車で移動させられ、市民のテントも撤去された。この攻防で市民3人が救急搬送され、一人はろっ骨を折る全治1カ月の重傷を負った。一人はロープで首を絞めつけられ息ができなくなった。一人は街宣車から転落させられた。
防衛局は国道を10時間以上にわたって封鎖した。泊まり込み以外の市民が高江に駆けつけたが立ち入りを拒否された。そのような人も加えて、多くの市民が高江に駆けつけた。
重機搬入強行
23日、N1ゲートにショベルカーなどの重機が搬入された。また10トントラック搬入のためゲートが強化された。機動隊は道路の両端に並び、市民を森の中に閉じ込め、工事を強行した。また、N1裏テントもフェンスで囲った。さらにG地区、H地区に続く道路もフェンスで囲った。
G・H地区に行くには、高江村内を通るコースがあるが、住民の反対で村内通過は困難である。村長も許可しておらず、防衛局も通らないと言っている。もう一つは、新川ダムの堰堤道路を通るコースがある。新川ダム堰堤を通行するには、10トンの重量制限がある。防衛局は10トン以下なら通れるとG・H地区のヘリパッド工事の着工をもくろんでいる。
25日、N1ゲートから砂利を積んだ10トントラックが入った。N1ヘリパッドまでの3キロにわたる道路の造成がはじまった。私たちは、N1においては2011年道路造成阻止闘争をたたかった。その結果砂利搬入をあらゆる手段で阻止し、200メートルしか道路の造成を許さなかった。しかし、今回政府は、権力にものをいわせて、力ずくで道路の造成に着手した。
原発は運動で止められる
伊方原発 地元で40年ぶりのデモ
7月17日、伊方原発3号機で1次冷却系ポンプで水漏れが発覚し、当初予定の7月末の再稼働はなくなったが、四国電力は8月中旬にも3号機の再稼働をおこなおうとしている。これにたいして「みんなでとめよう伊方原発! 7・24全国集会」が7月24日、伊方原発の現地で開かれ、全国から700人が参加した(写真)。
愛媛県警が原発ゲート前まで車両の通行を妨害する中、集会は午後1時半から国道197号線沿いの道の駅「きらら館」西の歩道上で開かれた。司会は高知県と香川県の反原発団体が担当。
「八幡浜・原発から子どもを守る女の会」の斉間淳子さんが主催者としてあいさつした。斉間さんは、伊方原発反対のたたかいの中で亡くなった近藤誠さんや斉間満さんなど反対運動の闘士とともにこの集会が開かれていると語った。
ルポライターの鎌田慧さんは、50年にわたる伊方・八幡浜住民のたたかいに思いをはせ、「もともと原発は無理だった。運動によって原発は止められる」と訴えた。
ストップ川内原発! 3・11鹿児島実行委員会から参加した野呂正和さんは、7月鹿児島県知事選の勝利にふれ、「7月28日から知事が変わる。新知事は原発をとめる」と報告した。緊迫する沖縄の高江ヘリパッド建設反対闘争の現場から沖縄県平和運動センター議長の山城博治さんが「伊方を許せば全国に波及する。諦めてはダメ、沖縄は負けません」とメッセージを寄せた。最後に「伊方原発3号機再稼働への抗議文」が読み上げられ集会を終えた。
その後集会参加者は、2キロ離れた伊方原発正門ゲート前まで実質的なデモ行進で向かった。正門ゲート前では、福井県小浜市の中嶌哲演さんをはじめ全国各地の団体・個人がリレートークをおこなった。8月の再稼働阻止へ決意を込めたアピールが続いた。
再稼働準備中に発生した7月17日の1次冷却水漏れ事故は、ポンプの構造的欠陥の可能性が高いことを示している。四国電力の言う「部品交換」では再発の可能性も十分ある。原子力規制委が適合としたすべての原発(川内、高浜、伊方)で再稼働の前後に事故が発生しているという事実は、「再稼働ありき」の新規制基準の問題性を示している。また電力会社の安全性軽視の姿勢のあらわれでもある。
電力会社と原子力行政による無責任きわまりない再稼働の強行を許してはならない。
2面
参議院選の結果、今後の私たちは―
改憲内容を徹底批判し、市民の運動を
高作正博さん(関西大学教授)に聞く
高作正博さん |
今回の参議院選、結果は周知のとおり、非改選を含め自・公、憲法改正に前向きな政党が3分の2を超えた。衆参両院で「改憲勢力」が3分の2を占め、憲法改正発議に必要な議席数を獲得したという新たな状況になった。
選挙戦を振り返ってみると、「安保法を制定前に戻す」という野党共闘が成立したが、数としては及ばなかった。安倍政権による改憲を阻止する運動にたいし、一方で明文改憲の現実性が増したと言わなければならない。民主主義による立憲主義の回復、民主主義にとっての課題とその今後をどう発展させるか考えたい。
急激な変化を回避
選挙結果には積極的選択と消極的選択があったと思う。与党はアベノミクスを訴え、野党は平和、立憲主義、社会保障・暮らしを訴えた。実態はないが、多くはアベノミクス、経済を選んだ。消極的選択としてはテロ、クーデターなど広がる世界の治安・政情、イギリスのEU離脱、日本経済の先行き不透明などさまざまな不安のなか、有権者は「安定」「急激な変化の回避」から現政権の継続を求めた。
安倍与党は、改憲について徹底的に争点化を避けた。「安保法制定後も、ていねいに説明していきたい」といっていた筋はまったく通さなかった。しかし、沖縄での現職閣僚の落選は、沖縄県民の側から「平和、基地に反対する声」が圧倒した。福島、東北も同じだろう。とくに沖縄の結果は全国と真逆となった。
ほんとうの民主主義
野党共闘の成果と課題を少し考えてみたい。1人区での候補者1本化という対話は一定の成果を出すことができた。「安保法批判、立憲主義・民主主義の回復」などで一致し、異なる政党間で協力できることを示した。その上で従来は個別の政党に投票してきた有権者にとっては、投票する政党「不在」、具体的な主張内容が不明確になったという側面もあっただろう。政党だけで民主主義を考えるのではなく、主張内容で判断する主体となること。選挙だけで民主主義を実現するのではなく、日常的な運動のなかで行動することが求められる。本当の民主主義が問われる。それを武器としたい。
改憲問題
今後の政治課題、日程を考えてみると安倍政権は与党、改憲勢力3分の2で安泰というわけにはいかない。一方で難しい政権運営を強いられることになるだろう。消費税先送りで財政規律をどうするか。将来世代に先送りなら、若い世代はどう受けとめるか。アベノミクスの空虚、「そのうちよくなる。道半ば」は限界がある。米大統領選と米国内動向をみると、日米関係も動揺していく。
改憲問題に絞って検討してみると、3分の2は改憲情勢が現実味を帯びたことに間違いない。しかし、そのためには「わが党だけでは決められない」(自民・谷垣幹事長)、「議論は熟していない」「直ちに9条を改正する必要はない」(公明・井上幹事長、山口代表)という上に、「何をどのように変えるのか」「野党ぬきにもできない」という問題がある。さらに憲法審査会での議論も必要ということになる。
徹底批判と運動
私たちは、改憲勢力への徹底批判、自民党改憲草案に示される内容そのものへの批判を具体的に強めていこう。法律でできるような、改憲条項に当たらない問題の混入…。それらは、そもそも憲法論ではない。例えば環境保全、在外国民の保護、教育環境の整備、教育無償化などのごまかし。何よりも具体的突破口にしてこようとする緊急事態条項の詭弁と不要性など。それらをねばり強く明らかにする。
改憲論のテーブルに着かせない、着かないという選択がある。国民投票まで行かせない、そういう政治日程と運動が大切だ。(7月23日談、文責・見出し/本紙編集委員会)
機動隊を沖縄に送るな
東京、関西で一斉抗議行動
大阪府警本部前で抗議行動(7月19日 大阪市内) |
辺野古と高江のたたかいをつぶすために、安倍政権が全国から機動隊500人を沖縄に順次派遣することが判明。これにたいして7月19日、東京、大阪、京都で緊急抗議行動がとりくまれた。また神戸では23日に抗議行動がおこなわれた。
【東京】7月19日夕刻、「警視庁機動隊は沖縄・高江に行くな!」緊急抗議行動が取り組まれ、警視庁前に180人が集まり抗議の声をあげた。呼びかけは、〈辺野古リレー 辺野古のたたかいを全国へ〉。
【大阪】同時刻、「大阪府警機動隊は沖縄高江に行くな!」市民抑圧抗議行動がおこなわれ大阪府警本部前に80人が集まり、抗議の声をあげた。呼びかけは、〈辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動〉の参加者。
【京都】同日昼間、「京都府警機動隊は 沖縄東村高江に行くな! 怒りの抗議行動!」がたたかわれ、昼休み府庁前での抗議街宣、その後、隣接する京都府警本部に抗議行動をおこなった。
【神戸】23日、神戸市三宮で「辺野古の海に基地をつくらせない神戸行動」が、高江のヘリパッド工事強行へ抗議行動を実施。40人が参加し、市民・通行人にアピールした。前日までを高江で抗議闘争に参加していた人もマイクを握って現地の様子を訴えた(写真)。
緊迫する沖縄高江と連帯
おおさか総がかり19行動
毎月19日におこなわれている「憲法こわすな!戦争法を廃止へ! おおさか総がかり19行動」が7月は、大阪駅前(ヨドバシカメラ前)でおこなわれた。午後6時の開会前から参加者が続々と集まりはじめ、最終的に300人で歩道が埋めつくされた(写真)。
大阪の総がかり行動は、毎月主管団体が交替し、今回は3つの市民団体の担当で準備・運営がおこなわれた。「しないさせない! 戦争協力」関西ネットワーク、とめよう改憲! おおさかネットワーク、戦争あかん! ロックアクションの3団体。
集会は、戦争あかん!ロックアクションの女性による司会で始まり、「しないさせない! 戦争協力」関西ネットワーク、違憲安全保障法に反対する大阪市立大学有志の会、戦争させない1000人委員会、Swing MASAさんのサックス演奏、米軍犯罪被害者救援センター、大阪憲法会議と発言が続き、参院選・大阪選挙区から出馬した民進党、共産党のそれぞれの候補者も登壇し発言した。
緊迫する沖縄の辺野古・高江の状況について、米軍犯罪被害者救援センターは「参院選で沖縄の民意は新基地建設反対と明快に示されたにもかかわらず、その翌朝から高江でオスプレイパッドの工事が再開された。辺野古では国と係争中の海上での工事は中断しているが、今週にも陸上部の工事を再開しようとしている。そのためにいま、全国から機動隊(沖縄県警も含めると)1000名が沖縄に集結している。高江では工事業者の車両に機動隊員が1名同乗している。沖縄がいくら選挙で民意を示しても、その他46都道府県がこの事態を無視し続けるのは沖縄への差別の上塗りをすることに他ならない。憲法を守るだけでなく、いま憲法の精神に大きく反する沖縄での新基地建設を止めよう」と訴えた。
3面
労働法制改悪に反撃
6・6大阪 法律家8団体が集会
7・10選挙後、安倍政権は秋の臨時国会に継続審議となっている労基法大改悪(8時間労働制解体・「残業代ゼロ」とも言われている)を強行しようとしている。その後には解雇自由の「金銭解決」法の準備が進行している。「一億総活躍社会」なるナチス的政策で低賃金労働者社会を作り上げようとしているのである(本紙199・200号参照)。この攻撃とのたたかいの準備の観点で重要な集会が6月6日、大阪市内で開かれた。
「なくせ!長期労働」参加者が一斉にプラカードをかかげた(6月6日 大阪市内) |
4つの制度改革(注1)
参院選挙前、在阪法律家8団体が共催して「STOP! 安倍政権雇用破壊〜解雇規制と労働時間規制を守れ!〜」をかかげる集会を開いた。会場には300人をこえる現場労働者、法律家が参加した。
集会では川口美貴さん(関西大学教授・労働法)が「安倍政権の雇用戦略の問題点と課題」と題して基調講演をおこなったほか、現場からの報告やアピールがおこなわれた。各発言者は、「戦後未曾有の危機」という共通の状況認識に立って、これを阻止するために「力をあわせがんばろう」とそれぞれ訴えた。参院選挙の隠れた焦点は労働法制の改悪だったのだ。
力をあわせた反撃を
大阪弁護士会会長の山口健一さんは、「弁護士会とは、労使双方の弁護活動をおこなっているさまざまな立場の弁護士3万数千人で構成される全国組織。この弁護士会が今回の狙われている2つの改悪は『過労死』と『安易な解雇』への歯止めをはずすものであるとして明確に反対している」と報告。改悪を許さないために「力をあわせた反撃」を訴えた。
人間は機械ではない
基調講演で川口さんは、労働法制の改悪が続いている状況を指摘。「人間は機械ではない」との基本視点を示し、「労働時間」と「労働契約終了」の2点について政府が狙う改正案の問題点をえぐりだした。前者については合理的理由のない「ただ働きの長時間労働」であり、後者については「金銭解雇」を一旦導入すると安易な解雇を許す「危険な制度」であると批判した。
経済のデモクラシー
現場からの報告としてパワハラ解雇撤回の藤野さん(大阪)、アルバイトユニオン、エキタス京都などから報告。エキタス(注2)の橋口さんは1500円運動の訴えのなかで、「クビになったらどうしようという恐怖から解放」の中に多くの仲間がいる。人間らしい生活をもとめること、個人の尊厳のための経済のデモクラシー、最低賃金1500円を、中小企業に税金まわせ、社会保険料を減免せよ、中小零細と一緒に底上げをと訴え、新しい運動の方向を提示した。
労働者と法律家の連携
この集会は関西における重要な取り組みとして毎年おこなわれてきた。今年の集会はグローバル資本と対決する労働運動の新たな息吹を伝える内容となった。今回は報告がなかったが、運輸分野や社会保障分野(保育・医療・介護)からの参加と発言が是非とも必要と感じた。労働者と法律家の広範な連携によって安倍政治とたたかう道を切り開こう。 (森川数馬)
(注1)@労基法改悪(8時間規制撤廃)、A労働時間上限規制(36協定規制)問題、B同一労働同一賃金問題、C解雇の金銭解決問題の4つの改革のこと。
(注2)エキタス(AEQUITAS) は、ラテン語で「正義」や「公正」を意味する。格差と貧困が拡大し、不公正がまかり通るこの国にたいして「社会的正義」の実現を主張する若者たちの運動。
関西合同労組 第23回定期大会開く
「定着型」へ 地道な闘い
来賓、代議員、傍聴者60人が真剣に議案書にとりくんだ(7月3日 西宮) |
7月3日、兵庫県西宮市で関西合同労組・第23回定期大会が開かれ、約60人の組合員が参加した。石田勝啓委員長は、@「駆け込み相談」型から「組合定着」型へ、A持続型分会を増やそう、B争議分会を支え争議に勝利しようと3つのテーマを軸に、総括を提起した。大阪、京滋、兵庫の各支部総括、青年部総括も提案された。関東に配転された仲間が、社前行動と労働委員会闘争のコンビネーションで勝利した教訓、非正規雇用労働者の組合員化も再確認した。
情勢・方針では、労働相談から組合拡大を実現していく地道なとりくみを、執行部まかせではなく全組合員でやっていこうと、労働相談用の名刺ビラ500枚を用意した。介護労働者、運輸労働者の職業別共闘への挑戦が提案され、参議院選挙では「戦争法に反対し、憲法改悪阻止をかかげる議員を当選させよう」と拍手で確認した。
討論、発言では春闘で解雇撤回をかちとった組合員がしみじみと「労働者は1人ではだめ、組合が絶対必要。権利意識をもっと」と訴えた。争議にかち抜いた仲間は、「毎日争議のことばかり考えていた」「労働委員会での準備書面、陳述書を執行委員といっしょにつくった。感情ばかり先走るものから、相手の理屈を打ち破れる内容にできたのは、組合があったから」と苦労話が。在日中国人の労働者はパワハラとの苦しさ、たたかいぬいて謝罪・和解を得たことを、ゆっくりしっかりと報告した。
JRセクハラ争議の当該から「障がい者の労働現場での差別実態について訴えてきた。7月5日NHK・Eテレでも放送される」などと報告があった。
高知からかけつけた大野義文さん(元労基署署長)が、『反戦・生存・尊厳〜現場で考える〜』と題して講演。関西合同労組が、壁にぶち当たり何とか乗り越えてきたことをテーマごとに突っ込み、さまざまな経験や判例などをあげながら、多くのヒントを提起してもらうことができた。
交流会では、職場での暴力事件の労災適用除外や不当労働行為の実態と行為意思についての質問など。大野さんは、一つひとつていねいに答えた。
新たに選出された執行部とともに2016年度を全力でたたかいぬく「ガンバロー」を三唱、閉会した。(組合員 I)
4面
新規制基準施行3年にあたっての声明
原子力規制委を解体し、全原発廃炉を
「若狭の原発を考える会」(連絡先 木原壯林)
2013年7月8日、福島第一原発事故を受けて作られた新規制基準が施行された。施行から3年目、「若狭の原発を考える会」は原子力規制委員会をきびしく批判する声明を発表。以下、「若狭の原発を考える会」の了承を得て、全文を掲載する。(見出し、小見出しは本紙編集委員会)
原発が、万が一にも重大事故を起こしてはならない装置であることは、福島やチェルノブイリの事故が、計り知れない犠牲の上に教えています。原発事故の被害は深刻で、極めて広域に拡がり、世代を超えて長期におよびます。それでも、原子力規制委員会(規制委)は、7月8日で施行3年になる新規制基準で審査し、川内1、2号機、高浜3、4号機、伊方3号機のみならず例外中の例外であるべき40年越えの老朽原発・高浜1、2号機まで適合としました。
このうち、昨年8月再稼働の川内1号機は、再稼働10日後に早速、復水器冷却細管破損を起こし、高浜4号機は、再稼働準備中の2月20日、1次冷却系で水漏れを起こしました。また、2月29日には、発電機と送電設備を接続した途端に警報が吹鳴し、原子炉が緊急停止しました。
無責任 安全軽視
原発再稼働は、電力会社にとって命運をかけた作業であった筈です。それでも、三度も起こったトラブルは、原発の安全維持の困難さを示唆し、配管の腐食や減肉などの老化が進んでいることを示すとともに、原発再稼働にお墨付きを与えた新規制基準が極めていい加減な基準であり、規制委の審査が無責任極まりないことを物語っています。一方、傲慢で、安全軽視に慣れ切り、緊張感に欠けた九電や関電が、原発運転の資質を有していないことを実証しています。
ところが、規制委は反省もなく、老朽原発・高浜原発1、2号機の運転延長を認め、「40年原則」を骨抜きにし、全国の老朽原発の運転延長に道を開こうとしています。その審査も、通常なら審査段階で行う耐震安全性の詳細評価を審査後で可とし、実証試験を使用前検査時に先延ばし、パブリックコメントで広く意見を求めることもしないという手抜きです。また、簡単に点検や補修できる箇所は審査しても、点検困難な冷却細管や交換不可能な圧力容器などは、十分審査しているとは言えません。さらに、異例の短期間・少数会合で審査を終えています。これらの老朽原発の認可取得期限が7月7日に設定されていたために、規制委が審査を早めたのです。「2030年の電源構成で、原発比率を20〜22%とする」という、安倍政権のエネルギー政策に迎合するためです。原発新設は望めないから、安全は別にしても、老朽原発を活用して目標を達成しようとしているとしか考えられません。
非科学的な規制委審査
なお、再稼働審査にあたった田中規制委員長は、「お金さえかければ、技術的な点は克服できる」と述べています。未解明の課題が山積する現代科学技術の水準を理解できず、人間としての謙虚さに欠けた、思い上がった発言です。また、運転延長認可の発表にあたって、「あくまで科学的に安全上問題ないかを判断するのが我々の使命だ」と述べています。しかし、科学とは、実際に起こった事実を冷静に受け入れ、丁寧に調査し、検証・考察して、その上に多くの議論を重ねて、結論を導くものです。規制委の審査は、この過程を無視しており、科学とは縁遠いものです。「科学」を標榜するのなら、福島事故の原因を徹底的に解明して、その結果を参照して、原発の安全性を議論・考察するのが当然です。大津地裁での運転差止め仮処分決定でもそのことを指摘していますが、規制委はこの指摘を無視しています。
そもそも、原子力は、総合科学であり、物理、化学、生物、地学、それらを基盤とする工学、医学だけでなく、社会科学も関連します。したがって、「原子力ムラ」などの限られた領域から選ばれた規制委では、原発の是非を総合的に判断できる筈がありません。規制委が中立を標榜するなら、「原子力ムラ」中心の人選ではなく、国内外を問わず、広分野に人材を求めるべきです。しかし、広く人材を求めれば、「原子力ムラ」が浸食されるから、政府はそうしないのです。
福島事故以後の経験は、原発は無くても電気は足りることを証明しました。一方、近年、LEDや新型家電など、電力消費の少ない器具が発展し、発電法、蓄電法も高効率になっています。天然ガスなどの新燃料は次々に発見され、再生可能エネルギーが急速に普及しています。また、50年後には、世界の人口が減少に転じ、エネルギー需要も減少すると予測されます。したがって、原発は遅かれ早かれ厄介ものになります。それなら、原発を出来るだけ早くやめるべきです。事故が起こってからでは遅すぎます。事故の確率の高い老朽原発再稼働など論外です。
総じて、現代科学技術の水準は、原子力の制御、利用には程遠く、原発は人類の手におえる装置でないことは明白です。安全は犠牲にしても経済的利益を優先する規制委が、国民騙しの新基準を適用して再稼働を認めれば、原発が、再度の重大事故を招く可能性は大です。
重大事故が起こる前に
大地震は明日にも起こりかねません。時期と規模は予測できません。
原発重大事故の要因の一つは大地震です。その大地震の時期や規模を予知することの困難さは、阪神・淡路大震災、東日本大震災、熊本・大分大震災が教えています。若狭にも、野坂断層、熊川断層、三方―花折断層など、分かっているものだけでも多数の断層があります。これらの断層が動いて大地震が発生する可能性もありますが、過去の大地震の多くが、深層にあって「未知の断層」と呼ばれる断層に起因しています。大地震は、何時、何処で起こるか分からないのです。それでも、電力会社や規制委は地震の可能性や大きさを過小評価して、老朽原発の運転まで強行しようとしています。本来、地震の多発する国に原発があってはならないのです。
事故要因は地震だけではありません。重大事故が起こる前に原発を全廃しましょう。
大地震だけが、原発重大事故の要因ではありません。チェルノブイリ事故は運転ミス、スリーマイル島事故は装置(弁)の動作異常、美浜2号機(1991年)は金属疲労、美浜原発3号機(2004年)は配管の減肉が原因です。何時、如何なる原因で、事故が起こるかは分かりませんが、原発は極めて事故を起こしやすい装置であることは、福島原発、美浜原発、「もんじゅ」などを始め、小さいものを含めれば数えきれない事故例が示しています。
重大事故が起こる前に原発を全廃しよう!
原発推進の規制委は即時解体し、福島事故の収束、汚染水対策、除染および全原発の即時廃炉の実施に総力をあげる全原発廃炉委員会を作ろう!
陸自の無人偵察機が墜落
美浜原発の周辺で訓練中
福井県美浜町で訓練中に行方不明になっていたヘリコプター型の陸自無人偵察機(FFRS)が、美浜町沖約33キロ、水深約150メートルの海中で見つかり、7月9日に回収された。機体は中部方面情報隊無人偵察機隊(滋賀県高島市今津駐屯地)に所属し、「全長約3メートル、重さ約200キロ」と報道された。
6月21日の『福井新聞』(デジタル版)は「6月21日、福井県美浜町松原海岸でヘリ型無人偵察機の訓練中、行方不明になった。ヘリ型偵察機は全長約5メートル、重さ280キロ、遠隔地の画像を収集するために、2007年度に導入し、今津駐屯地に配備。午前9時に訓練を開始し、75分後の10時15分ごろ、沖合400〜600メートルの海上で行方不明になった」(要約)と報道している。
FFRS無人偵察機システムはFFOS遠隔操縦システムの発展型で、2007年から陸上自衛隊に配備されている。最大速度は時速135キロ。航続時間3時間で実用上昇高度2500メートル。
FFRS無人偵察機を見失った地点は沿岸から600メートルで、発見された地点は33キロも離れているが、落下地点は掌握していない。不明になった地点から発見された地点までのどこかに落下したことになるが、美浜町松原の沖合と言えば、北東10キロに美浜原発があり。14キロ先には高速増殖炉もんじゅがある。また西方には大飯原発、高浜原発がある。
FFRS無人偵察機の行動範囲は最大で数百キロで航続時間は3時間以上だ。原発が林立する地域で、300キロちかい重量の無人偵察機の訓練をおこなっていたのである。偵察機の「機器には自爆装置」(「産経新聞」)が装備されている。爆薬を搭載して無人飛行をおこなっているのだ。
今回の事故を見れば、コントロールができなくなったFFRS無人偵察機が原発に落下し、爆発事故を引き起こすという最悪の事態の可能性を否定できるだろうか。FFRS無人偵察機の飛行訓練は福井県美浜町の松原海岸でくりかえしおこなわれている。爆薬を登載した300キロ近い鉄のかたまりを原発周辺で無人飛行させることは到底許されるものではない。
「反原発」裁判を非難
関経連正副会長が暴言
関西経済連合会の森詳介会長(関西電力相談役)は、7月13日の定例記者会見で、現行の裁判の在り方に難癖をつけ、裁判所の決定で原発の運転が止まることのないよう司法制度の改悪を要求した。
原発運転の可否判断は「専門的知識を要する領域」なので、原発問題に素人である裁判官が口をはさむべきでない。原発稼働の是非を判断するのは「特定の裁判所」に限るべきだと主張。つまり、現在のままでは今後も最高裁事務総局の意向に反して、報復人事も覚悟のうえで、まともな判決や決定をくだす裁判官が続出する可能性があることから、なんとしても避けたいということだ。
原発稼働の可否は国が指定した特定の裁判所、たとえば東京地裁と大阪地裁だけに限るとかして、その担当はあらかじめ(国策に忠実な)特定の裁判官を布陣するという構想だ。
これでは裁判所とは名ばかりの行政権力と資本の追認機関になる。
同じく関経連の角和夫副会長(阪急電鉄会長)も同会見で、「仮処分は、被害が出た段階にのみ認める」べきだとおどろくべき主張をおこなった。
被害が出た段階とは、「3・11」をみるまでもなく、すでに原発は制御不能となり、仮処分もなにもあったものではない。原発の在り方、司法の在り方が問われているのではないのか。
5面
直撃インタビュー(第32弾)
在日朝鮮人運動の〈過去、現在、未来〉
趙 博さんに聞く
趙博さんは〈浪速の歌う巨人〉として有名だが、〈革命家〉でもある。「日本の共産主義運動と在日朝鮮人のかかわり」についての研究をふまえて、在日朝鮮人運動の〈過去、現在、未来〉を語ってもらった。(本誌編集委員会)
戦前の在日運動
―在日朝鮮人労働者のたたかいは、いつ頃から始まったのでしょうか
在日朝鮮人の労働運動は、1920年代から大衆的に組織されました。1925年2月に、在日朝鮮労働総同盟(労総)がつくられています。1927年には、在日朝鮮人労働者30余万人のうち3万人を組織しています。
1930年7月、三信鉄道(注)の敷設工事の現場で、賃金未払いにたいして朝鮮人労働者のストライキがたたかわれています。朝鮮人労働者800人くらいの飯場で、400人の争議団を結成してたたかっています。この争議に村の人たちが炊き出しをして応援しています。地元紙の記者は争議団の中に入り込んで、争議報告を発信しているのです。こういう感動的なたたかいもありました。
(注)三河川合(愛知県鳳来町)―天竜峡(長野県飯田市)を結ぶ鉄道。後に国鉄飯田線になる。
―一般民衆による朝鮮人差別はいつ頃から始まったのでしょうか
1923年の関東大震災のあと、社会の状況は大きく変わりました。これを境にして、社会意識としての差別意識が形成され、日常生活のなかで朝鮮人にたいする差別がおこなわれていきます。関東大震災での朝鮮人虐殺を契機に、労働者の間で朝鮮人にたいする蔑視的・排外的姿勢が強くなったということです。
―在日朝鮮労働者のたたかいと日本の左翼運動との関係はどうだったのでしょうか
1929年に、在日朝鮮労働総同盟(労総)は日本労働組合全国協議会(全協)に吸収されました。これ以後、在日朝鮮人の組織は日本人の組織に合流していきます。これらの事情はコミンテルンの〈一国一党主義〉によるものと説明されていますが、必ずしもそうではありません。朝鮮人の側から主体的に移っていったという事情もあります。
山川均(労農派のマルクス主義者)の著作をみても、在日朝鮮人労働者との連帯はいくども述べられています。しかし、この連帯は日本の労働者のためのものであり、在日朝鮮人労働者の闘争と解放にとっていかなる意味があるかについては全く触れていません。これは山川だけの問題ではなく、戦前のマルクス主義者の決定的弱点です。日本の左翼が在日朝鮮人を「現実社会の具体的構成要素」として、自らのうちに対象化することはありませんでした。つまり、自らの階級意識を形成するうえで、在日朝鮮人(労働者)の存在は「下位」あるいは「二次的」な位置に置かれたのです。
個別のストライキや地域での連帯は多数あったけれども、革命路線をめぐって植民地問題や在日朝鮮人問題が体系的に左翼の中で論じられることは、残念ながらなかったのです。日本の歴史研究で正面から取り組んだのは、岩村登志夫さんの『在日朝鮮人と日本労働者階級』(校倉書房1972年)くらいです。
戦後の在日運動
―戦後体制は、日本のマルクス主義者のたたかいによって勝ち取られたものではありません。また、アメリカとの単独講和で日本の戦後処理がおこなわれ、天皇制と戦前の官僚機構は温存されました。戦後のたたかいについて聞かせてください
左翼運動の側は、それまでの在り方を何ら反省することなく、戦前の延長のまま「戦後」を迎えました。「あとは天皇制打倒と革命が残るのみ」と、まさに「イケイケ」です。在日朝鮮人の側も「民族問題は階級闘争に従属する」(金斗鎔)とまで言っています。
―この戦後革命情勢のなかで、日本の支配階級にとっては在日朝鮮人の存在と処遇が大きな問題でした。1945年12月、在日朝鮮人をはじめとする旧植民地国出身者の被選挙権も含む選挙権を剥奪しました(このとき、沖縄人民の選挙権も剥奪されています)。1947年5月2日、日本国憲法施行の前日に、最後の勅令として外国人登録令がだされ、在日朝鮮人は「当分のあいだ外国人とする」とされました。1952年4月19日、サンフランシスコ講和条約発効の直前に、一片の民事局長通達によって、在日朝鮮人は日本国内における〈外国人〉とされました
在日朝鮮人にたいする日本政府のやり方は〈日本人になることを強要→植民地の放棄で強要はやめた→日本国内で外国人として取り扱う→基本的権利を奪う〉というものです。朝鮮の南北分断や朝鮮戦争も関係していますが、戦後の日本政府のやり方は革命を予防するという観点からおこなわれており、報復的なものです。
在日朝鮮人にとっては、民族解放という政治的解放は戦後世界の冷戦構造のなかで人権の蹂躙へとつながっていきます。解放が抑圧を呼び込んだのです。今日の在日朝鮮人にたいする制度的差別はここに起因しています。
在日朝鮮人の状況は、次のマルクスの言葉がピッタリといいあてています。「政治的解放の、人間的解放にたいする関係を調べることをせず、それゆえに無批判的に政治的解放を普遍的人間解放と取りちがえた」(「ユダヤ人問題のために」)のです。
このように、政治的独立を一応は達成した在日朝鮮人も、政治的自由を形式的には勝ち取った日本の左翼も、共通した思想(史)的課題を残したまま、今日に至っているのです。
―在日朝鮮人のたたかいはどうだったのでしょうか。1945年、「朝鮮人連盟」(朝連)の結成。1948年、4・24教育闘争(阪神教育闘争)が激しくたたかわれます。1949年、「団体等規制令」による朝連の解散命令。その後、1955年に朝鮮総連が結成されます
在日朝鮮人の運動は弾圧され、非合法化され、在日朝鮮人は国籍まで剥奪される。ようするに、在日朝鮮人にとってはすべてもぎ取られるということです。これにたいして、朝鮮総連は〈在外公民〉という方針をとりました。「今後は祖国統一のための運動をおこない、日本の革命運動にかかわらない」ということです。内政不干渉という大原則が出来上がってしまいました。〈55年体制〉とは、在日朝鮮人の側からいうなら極左冒険主義から民族主義への転身でした。六全協と朝鮮総連の結成は、ともに同根の思想を内包しています。ここのところの総括が決定的に欠落しているのです。
共産党(代々木派)は自党の重要な過去の歴史的事実を論議の対象にすらせず、また、朝鮮総連の側も〈在外公民―祖国統一〉路線でいくでしょう。
―この歴史過程で、朝鮮戦争(1950年〜)が重要な契機になっています
朝鮮戦争は終わっていないのです。1953年7月27日に休戦協定が結ばれますが、今日まで戦争は継続しています。この状態に終止符をうたなければならないのです。北朝鮮はアメリカにたいして「平和協定を締結しよう」と提案していますが、本当にこの戦争状態を終わらせようとする気があるのだろうか。この戦争状態は誰にとって利益があるのか、もう一度考えてみる必要があります。
戦争をしているのは、国連軍(アメリカ軍と韓国軍)にたいして北朝鮮人民解放軍と中国義勇軍。韓国軍は当事者ではなく、国連軍のなかに入っているのです。北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)と南朝鮮(大韓民国)が戦争をしているのではありません。こういう事すら、今は忘れ去られようとしています。
今日の課題
―次に、在日朝鮮人がおかれている今日の状況について聞かせてください
在日朝鮮人は国籍を剥奪されたままで、年金などの社会保障は「お情け」として与えてもらっているだけです。
日本政府は、このまま在日朝鮮人が全員帰化してくれれば、在日朝鮮人問題は解消すると考えているのでしょう。これにたいして、在日朝鮮人の側からは何の提案もなされていません。「日本社会はこのように変われ」という、在日朝鮮人の側に解放のイメージがないのです。
今後、我々の側は公民権運動を考えていく必要があります。日本で生まれ、日本で育ったのだから「日本の国籍をよこせ」というベタな物言いではなく、市民的権利獲得の思想と運動が必要なんです。しかし、戸籍制度があるかぎり、「帰化制度」は差別の糊塗であり、ここにも天皇制の呪縛が横たわっています。『抗路』という雑誌の編集のなかで、「在日朝鮮人が作る日本国憲法」を提案しようかという話になりました。〈第1条、天皇制はこれを永久に廃止する〉〈第2条、日本国は多民族からなる人民によって構成される〉など。こういう試みもやってみるべきでしょう。
―今後の世界情勢、また在日朝鮮人の運動について、どう考えているでしょうか
イギリスのEU離脱、アメリカのトランプ現象、韓国の選挙結果などをみていると、ほんとうに国民国家が解体していく可能性があります。この前、アーサー・ビナードさん(詩人)は「トランプはアメリカ最後の大統領になる」と言っていました。日本でも沖縄の独立や、福島や新潟は原発政策に反対して、「こんな中央政府には従えない」と独立運動が起こるかもしれない。もし、このような情勢になれば、在日論についても新たな地平が見えてくるでしょう。ともに日本を変えていく、その中で我々は大いに「内政干渉」すべきなんです。
その際、必要なのは階級性でしょうね。階級性を見失った民衆は喜んで支配を受け入れてしまう。民衆の階級性を取り戻し打ち鍛えること、それに貢献するためにこそ、マルクス主義者の存在意義があるのではないでしょうか。過去から学び、歴史の反省を踏まえつつ。
―ありがとうございました
【ちょう・ばく】
「浪速の歌う巨人・パギやん」の異名をとるシンガーソングライター&歌劇派芸人。1956年大阪市西成区生まれ。大学でロシア語を、大学院で教育学を専攻。コンサートはもちろん、語り芸「歌うキネマ&声体文藝館」シリーズも全国で公演。音楽劇『百年、風の仲間たち』(演出:金守珍)、二人芝居『ばらっく』(共演:土屋時子)の脚本を書いている。また、在日総合誌『抗路』の編集委員でもある。CD『百年目のヤクソク』『うたの轍』、DVD『コンサート・百年を歌う』など多数。最新作は、CD『怒!阿呆陀羅経』。著書には『僕は在日関西人』(解放出版社)、『夢・葬送』(みずのわ出版)、『パギやんの大阪案内』(高文研)など。
6面
検証
7・1ダッカ事件と最貧国に群がる日本企業
田端 登美雄
7月1日、各国の大使館や高級レストランが立ち並ぶダッカ市内のエリートエリア・グルジャン地区にあるイタリアンレストランで、イスラム国による銃撃事件が起き、日本人7人を含む20人が殺害された。バングラデシュでなぜこのダッカ事件が起きたのかについて考察してみたい。
バングラデシュとは
バングラデシュ人民共和国(通称バングラデシュ)は、南アジアにあるイスラム教徒主体の国で、人口1・5億人、首都はダッカ。ベンガル湾に注ぐガンジス川があり、豊富な水資源からコメやジュート(黄麻)の生産に適し、かつて「黄金のベンガル」といわれた豊かな地域であったが、現在はアジアの最貧国に属する。
バングラデシュでは全人口の約62パーセントが農村に暮らしている。その多くが土地を持たず、ぎりぎりの生活を送っている。都会に流入し、スラムに住んだり、路上生活を強いられている。ダッカのスラム人口は500万人、都市人口の3分の1を超えている。
2015年バングラデシュの1人当たりGDPは1286ドルで、日本の25分の1である。近年は労働力の豊富さ、アジア最低水準の労働コスト(中国の4分の1)に注目し、多国籍企業の進出が著しい。アパレル(繊維)産業はバングラデシュの輸出の約8割を占め、雇用者数は約400万人にのぼる。先進諸国市場向けの衣料品の供給は中国に次ぎ世界第2位である。
イギリスによる収奪
バングラデシュ(東ベンガル)が貧しくなった一番の理由はイギリスの植民地支配にある。イギリス産の粗悪な綿布を安値で大量にばら撒き、ダッカモスリンの技術者たちから仕事を奪い取った。
また、イギリスはベンガル人にジュートの栽培を強制し、産業構造をモノカルチャー化した。植民地支配約150年の間に、東ベンガルではうまい汁を全てイギリスに吸い取られてしまった。
東ベンガルはパキスタンの一部としてイギリスから独立(1947年)したが、今度は西パキスタンの原料供給地・市場とされた。パキスタンにたいする独立戦争が戦われ、1971年、新生国家バングラデシュが誕生した。
独立後のバングラデシュは外国の援助に頼ってきたが、上層部や有力者がうまい汁を吸う構造がそのまま残っているので、援助は有力者に集中し、貧しい層には渡っていない。援助をすればするほど貧富の差が拡大する構造になっている。
日本資本の進出状況
日本とバングラデシュの関係は1972年から始まった。2013〜4年のバングラデシュの貿易を見ると、日本への輸出は9番目で、日本からの輸入は5番目に多い。2015年の日本への輸出は、約10・8億ドルで、2007年比約7・4倍、輸入は約13・7億ドルで、同比約2倍になっている。
日本からバングラデシュへの輸出は鉄鋼、車両、一般機械、電気機器などがあり、日本への輸入品目には衣料品、革製品、冷凍エビなどがある。日本からの直接投資は2015年4540万ドルにのぼる。2014年までの累計供与実績では、円借款は1兆666億円、無償資金協力は4777億円、技術協力は794億円で、最大の「援助国」でもある(外務省ホームページ)。
JICAの役割
独立行政法人国際協力機構(JICA)は、2003年に設立された外務省所管の独立行政法人である。前身は1974年に設立された国際協力事業団。政府開発援助(ODA)の実施機関の一つであり、「開発途上地域などの経済及び社会の発展に寄与し、国際協力の促進に資すること」を目的としている。
日本政府は開発途上地域などに病院、学校、道路、電力施設、情報通信施設、生活用水施設などを建設し、医療機材や教育教材などの資金を無償で贈与している。JICAはこの無償資金協力のうちの「事前調査」「実施促進」を担っている。
JICAはバングラデシュで送電網の整備、農村の電化、教育、防災対策などの事業に係わっている。いずれも、資本が進出するために不可欠なインフラ整備である。かつて、植民地朝鮮や台湾に道路、鉄道、港湾、ダム(発電、灌漑)を造ったのと同じ構図である。
被害者7人の所属企業
かつて中国に進出した企業は人件費高騰や日中関係の不安要素を受けて、ベトナムやバングラデシュに移動している。現在バングラデシュに進出している企業には、丸紅(電力などインフラ整備)、東レ(縫製)、YKK、味の素、ユニクロ、清水建設(公共工事、工場建設)、大林組(架橋工事)、ロート製薬、東芝、蝶理(繊維関連商社)、ユーグレナ(バイオ企業)、ホンダ(二輪車の生産)、豊田通商(繊維機械、自動車の営業)、ブラザー工業(ミシン販売)など240社があり、約1000人が滞在している。
被害者7人の所属企業を見ると、建設コンサルタント会社のオリエンタルコンサルタンツグローバルとアルメックVPI、土木建設コンサルタント会社(社名不明)の3社である。上記3社を含めて4社がJICA(国際協力機構)から鉄道2路線の建設準備を受注している。3社の職員がイタリアンレストランで打合せをおこなっていたときに、事件が起きたのである。
イスラム国の声明
イスラム国は7月3日、正式な声明を出し、そのなかで「イタリア人を含む十字軍22人を殺害した」「イスラム国と戦う国際的な連合に加わる国々にたいする作戦」などと主張している。バングラデシュに進出している企業(職員)がターゲットにされたのである。
イスラム国は欧米諸国を「侵略者=十字軍」と見なしてきたが、近年になって日本もその列に加えた。日本敵視が加速したのは、2015年1月に安倍首相が中東を訪問し、「イスラム国と戦う周辺各国に2億ドル程度の支援を約束する」と演説してからだ。このあと、イスラム国は「日本の首相よ。お前は自ら進んで十字軍に参加した」と声明し、後藤さんや湯川さんが処刑された。
また、昨年秋に成立した戦争法を受けて、イスラム国はインドネシアなどに駐在する日本人外交官らを攻撃するよう呼びかけている。そして今回のダッカ事件はその延長線上にあり、安倍の政治責任を問わねばならない。
戦争屋安倍を倒せ
ダッカ事件を受けて、ダッカ駐在の運送会社管理職は「10年先、20年先のビジネスチャンスを考えると、バングラデシュは魅力的な国」、小林喜光(経済同友会代表幹事)は「社員の安全が第1だが、日本企業は海外での活動を止めるわけにはいかない」などと言って、職員や家族の安全は考慮せず、今後もバングラデシュを食い物にすると表明している。
私たちはいま、世界との関係性が問われている。JICAが途上国支援と言いなしておこなっているさまざまな活動は、日本資本が上陸するための露払いであることを正しく認識しなければならない。職員がどんなに善意と同情から関わっているとしても、JICAには帝国主義の論理が貫かれている。かつて、台湾で嘉南大シュウ(土へんに川)(ダム)を造った八田與一を思い浮かべるだけで十分だろう。
安倍政権は2013年特定秘密保護法、2014年集団的自衛権閣議決定、2015年戦争法を強行可決した。そして総仕上げとしての9条改憲の野望は、単なる安倍の個人的な嗜好ではなく、現代日本帝国主義が抱えている経済的矛盾を対外的に転嫁していくための突破口である。労働者人民は総力をあげてこれを食い止めねばならない。
夏期特別カンパにご協力をお願いします
7月参院選では、改憲勢力が改憲発議可能な3分の2議席を得ました。しかし市民と野党の共同行動は、沖縄・東北などで勝利し、今後の安倍政権とのたたかいの道を示しました。今ほど私たちの奮起が求められている時はありません。そのためには闘争資金が必要です。『未来』読者のみなさんにカンパを心から訴えます。
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